大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。 |
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2005/03/07(月) |
第150回「最近の政治家の発言」 |
小泉首相に代表されるように、最近の政治家はパフォーマンスがとても上手になってきましたね。政治はなんといっても支持率だから、これだけメディアが普及した現代では、わかりにくい細々とした政策論議よりは、とにかくわかりやすい大きなジェスチャーとはっきりとしたものの言い方が要求されるんでしょう。田中真紀子、鈴木宗男、辻元清美、小泉純一郎なんていう組み合わせは、”見せ物”としてはとっても面白いものがあった。田中真紀子の父親譲りのあの声と演説の上手さ、鈴木宗男の涙の会見、辻元清美の「総理、総理、総理!」、小泉純一郎の「人生いろいろ…」などなど。加藤紘一、青木幹雄、野中広務といった面々では、ちょっと物足りない。
だいぶ前になりますが、テレビ朝日の午後のワイドショーに生出演したときのこと。生というのは、編集ができないわけだから、こちらの発言が発言した通りにON AIR されるわけです。生出演が初めてだった私は、ちょー緊張。 ADさんの放送開始までのカウントダウンを聞くと、 「どうしよう、どうしよう、どうしよう」っていう感じ。 実際にカメラが回り出しちゃうと覚悟ができちゃうっていうか、開き直っちゃうっていうか、別段普段と変わらない会話はできるんですけど、やっぱりカットができないっていうことは、やり直しっていうのはないわけだから、どうしても言葉が慎重になります。 ところが、他の出演者(いつも出演しているワイドショーのコメンテーターの人たち)の話っぷりはまったく逆で、「そこまで言うか」っていう感じ。とっても過激で乱暴。 「いくらなんでも、そりゃ言い過ぎってもんでしょ!」 なんて番組の間中思いながら、私は私のペースで話をして帰ってきました。 家に戻って、録画してあったVTRを見てみると、なんだか私の言っていることはおとなし過ぎて、インパクトに欠けています。もちろん素人なわけだから、誠実そうに映っていていいと言えば、まったくその通りで、印象としては悪くないのですが、言っていることが今一伝わらない。ところが、スタジオではとっても過激で乱暴に聞こえたコメンテーターの人たちの話は、過激に聞こえるどころかとっても歯切れがよくてわかりやすい。 「なるほどTVって、こういうものなんだ」 と改めてTVの非日常性を感じました。 さて、政治家の話ですが、最近の政治家の話は、とってもわかりやすい。とってもマスコミ慣れをしていて、どう行動すればどう取材されて、どう言えばどう映るかっていうことを熟知しているように感じます。イラク問題や郵政民営化みたいな論議は中身がとってもわかりにくいのにもかかわらず、自衛隊がイラクに行って復興作業を行っているところが映像として流れると、なんだかえらくイラク問題がわかったような気がするし、コンビニが郵便局の役割を果たして、宅配業者が郵便物を配達してくれるって言われると郵政民営化問題はすべてわかった気がしちゃう。 教育のこともしかり。 「愛国心を育てるために国旗・国歌に対する教育を徹底する」って言われると「ああその通り」なんて気もするけれど、よく考えてみると「愛国心」ってなんなのか全然わからないし、人によっても国家を愛する愛し方が違ったていいわけだから、”みんな同じに”っていうのもちょっと変な気がするし、つい先日の学力低下の問題から、「ゆとり教育を改める」って言われると「そうですよね」って言いたくなるけれど、本当に「ゆとり教育」で子どもたちに「ゆとり」が与えられていたかっていうと、塾通いが増えただけで、どんどん自由に遊べる時間は減少していて、全然そんなことはないわけだから、ちょっと単純に考えすぎている気がする。 先週、国会で性教育のことがやり玉に挙がりました。小学校3年生の教科書に掲載されている性交についての図解が行き過ぎているというもので、中山文部科学大臣は「子どもたちの発達段階に応じてきちんと教えるべきだ。行き過ぎた性教育は子どものためにも社会のためにもならない」と答弁し、全国調査を検討する考えを示しました。小泉首相は、「性教育は我々の年代では教えてもらったことはないが、知らないうちに自然に一通りのことは覚える。ここまで教える必要があるのか。教育のあり方を考えてほしい」と答弁したのですが、どうもこの答弁も表面だけを見て、中身がわかっていない。 次回につづく。 |
(文:大関 直隆) |
2005/02/28(月) |
第149回「学校の対応」 | ||||||||||||||||||||||||
歴史のある大学附属高校とのやりとり。
「うちのクライアントの××さんが内部進学の基準のことで精神的に非常に不安定になっいます。カウンセリングをするに当たって、本人からの情報だけでなく、学校からの情報もお教えいただけないかとお電話をさせていただいたのですが。もちろん、学校のお立場として、お話しできないこともあろうかと思いますので、お話しいただける範囲でけっこうなのですが…」 このお嬢さんのことでは、すでに一度修学旅行の件で、お母さんと一緒に学校を訪問したことがありました。リストカット(手首や腕を刃物で傷つける行為)とオーバードラッグ(精神安定剤や睡眠導入剤などの薬物を規定量以上に飲んでしまうこと)があるということで、学校は修学旅行へ参加させることを躊躇していましたが、校長先生にお会いして、カウンセリングによる成果と危険がない旨を丁寧にお話しし、なんとか修学旅行に参加することができました。もちろん、なんの事件もなく九州のおみやげを持って無事帰ってきました。 以前から、保健室の利用が頻繁で、学校としても対処の仕方に困っていたところだったらしく、校長先生は”何か問題があったらいつでも学校にご連絡ください”と言ってくださいました。そこで、内部進学の件の電話になったわけです。 最初に電話に出た先生にざっと要件をお話しすると、進路担当の先生に替わってくださいました。 「××のことは私も聞いています。内部進学の基準のことでしたら、学部によって違いますが、人気のある××学部なら評定平均××点(学校から出される各教科の5段階評価を合計し、科目数で割ったもの)以上、人気のない××学部は、年によって変わるのではっきりしたことは言えませんが、おおよそ××点くらいで内部進学できると思います。これは、他の者ではわからないので、進路担当の私しかお話しできないことですから。私、まだ昼食取ってないので、これで失礼します」 ”進路担当の私しかお話しできないこと”は、クライアントの××さんから聞いた話以上のものは何もありませんでした。 もう少しこちらの事情をお話ししようと、 「××さんの…」 と言いかけると、 「私、お昼をまだ食べてないので」 と一方的に切られてしまいました。 電話をかけてからほんの2、3分のやり取りで、一方的に話をされただけ。こちらとしては、まだ何も話をしていないのでもう一度かけ直すと、さっきかけたときと同じ先生がまた電話に出て、 「××先生はお忙しいんですよ。まだ、お昼も食べてないんですよ」 と切られてしまいました。この時は12時40分で、当然こちらもお昼を食べていなかったわけですが…。 仕方なくお忙しいとは思いながら、校長先生にお電話をすると、 「××先生はお忙しかったんじゃないですか」 と自分の学校の教員をかばうばかり。 「校長先生も××さんの状況はご存じじゃないですか。何でもお電話くださいということでしたから、お電話をさせていただいているのに、お昼を食べてないということで、こちらが何もお話ししないうちに切られてしまうのでは困ります」 とこちらが話すと、校長先生から帰ってきた言葉は、 「私がどうすればいいんですか?」 でした。 おいおい、それはそっちが考えることだろっ! 学校が終わってやってきた××さんに学校とのやり取りを話すと、 「うん。いつもそんな感じ。相談に行ったってしょうがないよ。だから、誰も行かないの。私たちがお昼を食べてなかったりすることはおかまいなしだけど、先生たちはお昼食べてないとだめなんだよ」 あああ、教員との信頼関係はどうなってるんだろう? 相談にも乗ってくれない先生の言うことを聞けと言っても、無理な話ですよね。
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(文:大関 直隆) |
2005/02/21(月) |
第148回 「学校の安全」 |
また学校を標的にした事件が起こりました。これまで安全と考えられていた“学校”という聖域が他のあらゆる場所と同化して、学校の安全神話は完全に崩れてしまいました。今回の寝屋川市立中央小学校で起こった事件をきっかけに、校内に警備員を置いたり、校内を警察官に巡回させたりする動きが一気に広がりそうです。
学校という、社会から隔離された特殊な空間は、とても無防備で、悪意を持って侵入してくる犯罪者に対しては、守るすべを持ちません。そういった意味で、安全確保に外部のプロや警察官を導入するというのは、やむを得ないことのように感じます。教職員が防犯の訓練を受けたとしても、それには限界があり、教職員だけで全校児童・生徒の安全を確保することはまず不可能だからです。 けれども、それで本当に安全が確保されるかというと、どうも疑問が残ります。学校というかなり広い空間を考えたとき、いったい何人の警備員、警察官を配置すれば安全が確保されるのでしょう。その有効性というものも検証されなくてはなりません。 “学校”が標的となった事件には、大きく分けて二種類あります。一つは、“無差別に”学校をねらったものであり、もう一つは“特定の”学校をねらったものです。無差別に学校をねらったケースでは、より襲いやすい学校が狙われると考えられるので、ある学校にとっては、警備員や警察官の配置が多少なりとも有効であるということは考えられます。けれども、“学校”という場所が狙われる限り、“どこの学校を襲うか”という比較の問題でしかなく、安全の保証には繋がりません。さらに、特定の学校が狙われるケースでは、一人、二人の警備員や警察官の配置で、広い学校が完全に守られるかというと、どうもそこにも疑問を感じざるを得ません。前者の場合は、学校という単位で安全ということを論じるのではなく、社会全体の安全について論じるべきであろうし、後者の場合は、事件が起こったときの対処療法として安全が語られるべきではなく、“学校”が誰からも信頼される場所であるという観点から、安全が語られるべきです。 “学校”という場所が、本来どういう場所であるべきなのか? 以前にも述べましたが、私は「人を信頼することから始まる場所」であってほしいと、願っています。それが失われたところに、教育などという言葉はありません。こういった事件をきっかけとして、警備員や警察官の配置が叫ばれるのも、よくわかります。“もし自分の子どもが被害にあったら”と考えると、当然のことと思います。けれども、私には制服を着て、警棒や拳銃を持った警備員や警察官が巡回している場所で、子どもたちが勉強している姿を想像することはできません。とてもそんな場所に本当の意味の信頼や安心があるとは思えないから。 子どもの命を守るのは当然のことです。どうしてもそこに目を奪われがちですが、子どもの心を守ること、それも当然のことです。そして私は、今の子どもたちの心を守ることこそ、次世代の子どもたちの命を守ることに繋がると信じています。 |
(文:大関 直隆) |
2005/02/14(月) |
第147回「親の役割」 | ||||||||||||||||
12月、不登校のお子さんの進学の相談がありました。成績は中の上、サッカーの実力は地域の選抜チームに入れるくらいの実力とのことでした。
「あのう、うちの子は不登校で中学3年生になってからほとんど学校に行けてないんですけど、どこか入れる学校があるでしょうか?」 「いろいろ方法はあると思いますよ。”どうしても××に入りたい”ということですと難しい面もありますけれど、特別”ここ”というご希望があるわけではないのなら、いろいろと調べてみて、どういう方法で受験するか考えたらいいと思いますが…」 「はあ…」 「お子さんはなんと言っているんですか?」 「サッカーのやれるところならって言ってます。今の中学校はあまり強い学校ではないんです。うちの子はしっかりサッカーがやりたいものですから、周りとの温度差があって…」 「じゃあ、それなりに強い高校に入りたいわけですか?」 「ええ」 「強い高校っていうのはそれなりに厳しいですけど、今の状態で高校が続きますか?」 「サッカーは好きですから続くと思いますが…。サッカーだけやっていればいい学校ってないでしょうか?」 「…」 「成績はそんなに悪くないんですが、勉強はあまり好きじゃないみたいなんです」 「そうは言っても、高校ですからねえ。とにかく、いくつかサッカーの強いところに電話を入れて、現在の状況で受験をして、ある程度点数が取れたら受け入れてくれるか聞いてみましょう」 その場ですぐにいくつかの学校に電話をしてみました。不登校であり、いい内申書が望めないこと、登校していたころの偏差値、サッカーの実力等話しましたが、どこの学校もあまりいい返事をもらえませんでした。 「”サッカーで”っていうのは難しいかもしれませんね。もし、どうしてもっていうことでしたら、ある程度いい点数が取れるよう努力をしてもらわないと…。今の電話の話ですとそれでも確実に受け入れてくれるっていう保証はないみたいですけど」 「勉強するように子どもには言えません。子どもに”××しなさい”っていうのはねえ…。親がなんとかしてあげられないかと思って…。それで今日伺ってるわけです」 「?」 「子どもには負担をかけたくないんです。縁故っていうのはないんでしょうか?」 「はあ? お母さんねえ、学校の理事でもやってないとそんなこと考えられませんよ」 「お金を積んで、裏からっていうのはだめですか?」 「…。それがお子さんのためですか?」 「だめですか?」 「そんな学校ありますか? だいたいそういう学校があったとして、そんな学校に入れるんですか? それが本当にお子さんのためですか!」 「だめですかねえ…。子どもには負担をかけたくないんです」 もう一度、ゼロから考え直すようにお話しをして、帰しました。 お力をお貸しできるところでは、精一杯こちらも努力をしますということをお伝えして帰ってもらったのですが、その後連絡がありません。高校入試も終わりに近づいてきましたけれど、どこか進学先が決まっているといいのですが…。 (プライバシー保護のため若干内容を変えて構成してあります)
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(文:大関 直隆) |
2005/02/07(月) |
第146回「男の子もいるのになぜ子女なの?」 |
毎週木曜日は朝からカルチャーセンターの講師をする日。午前中は春日部、午後は越谷のカルチャーセンターで陶芸を教えています。会社の事務を私がほとんど一人でやっているので、カルチャーセンターで丸一日時間を取られてしまうのはちょっとつらいんだけれど、浦和から春日部、春日部から越谷、越谷から浦和という通勤の時間は、私にとって重要な情報収集の時間になっています。
なーんちゃって! 何が情報収集の手段かっていうと、テレビとラジオなんだから大したことはない。去年まで乗っていた車はテレビなし。ラジオだけだったんだけれど、約20万q乗った末(よくここまで乗ったよね。こんなに乗ったの初めて!)買い換えて、今度はナビつきのになりました。ナビにテレビも搭載されているので、私の情報源もラジオだけからラジオとテレビに増えたわけ。純正ナビの欠点(?)で、サイドブレーキをかけないと画像は見られないんだけれど、運転中でもとりあえず音だけは聞こえます。 曜日と時間がほぼ決まっているので、いつも情報収集の番組は同じ。朝はやっぱりニュースやワイドショー系の番組、帰りはラジオの情報番組。お昼はっていうと、そりゃーもう「笑っていいとも」。 カハハッ、”それが情報源かよ!”って感じだよね。ちょっと恥ずかしい… というわけで、先週の話。 木曜日は視聴者から寄せられた疑問に答えるコーナーがある(なんていうコーナーだったっけ? ちっともそういうところは聞いてないらしくて全然思い出せない。いかにもバラエティらしく、出演者が質問に対するプレゼンやったり趣向を凝らしている)んだけど、先週「”帰国子女”っていうときの”子女”っていう言葉はどうして”子”と”女”で”男”と”女”ではないのか」(ちょっと言葉が違うかもしれないけれど、だいたいそんなような内容)という質問が寄せられました。 回答は文部科学省からもらったということで、「”子女”の”子”が”男の子”という意味で、”子女”で”男子と女子”という意味です」という回答でした。私はここでタモリ(敬称を付けようか迷ったけど、ちょっと失礼して)が、「じゃあ、なんで女子は女っていう文字を使うのに男子は男っていう文字を使わないのか」って突っ込むのかなあと思ったんだけれど、時間が押していたのかフジテレビの意向なのか「ああ、そうなんだあ」で終わってしまったので、ちょっとがっかり。 広辞苑によると「子(し)」は、@こども。特に、むすこ。A男子の敬称。B日本で、女の名に添える語。(光明子・式子内親王)。大辞林によると@こ。こども。A独自の思想・理論をもって一家をなした人。(ともに後略) 大辞林にも接尾語として「読書子」とか「編集子」とかいう場合には「そのことをもっぱら行う男子の意味を表す」とあります。 確かに”男”という意味がないわけじゃないけれど、”女”っていうのに対して”子”が単純に”男”っていうのは無理があるような気がする。素直に考えればやはり”男女”の方がいいんじゃないのっていう感じ。”子”って言葉には”むすこ”っていう意味がないわけではないけれど、やはり素直に考えれば”子”は”子ども”かな? だとすると”男の子が子ども”で”女の子は子どもではない”っていう意味を含んでいる。要するに女は家を継ぐ”子”ではないわけだよね。「子女」っていう言葉がいつできたか、もっと掘り下げて行かなくちゃいけないんだろうけれど、どう考えても、女性を蔑視しているとしか思えない。文化を継承することも大切だけれど、一部の人間にとって都合のいい文化だけが残っていくとしたら問題だよね。 たかが言葉ぐらいでがたがた言いたくないけれど、女性ばかりしかいないPTAで女性の権利が認められていなかったときの「父兄」はやっぱりおかしいよね。学校の公文書は「保護者」で統一されているのに、未だに(というより以前より最近の方が)先生方の多くが母親に向かって「ご父兄」って言ってる。いくら一般化している言葉だからといって、「父兄」っていう言葉には母親っていう意味が入っているって考えるのは、ちょっと無理がない? 相当言葉が乱れてる。漢字の意味をそこまで壊しちゃうのが文化の継承なのかなあ? 「子女」の”子”には、”女”は入ってないんだもんね。なんだかちぐはぐだし…。 ”矛盾した憲法”の改正論議は進んでいくことになりそうな気配だけれど、”矛盾した言葉”の改正論議ももっと真剣にした方がいいんじゃないのかな? 男女共同参画社会の実現にはかなり時間がかかりそうですね。 |
(文:大関 直隆) |
2005/01/31(月) |
第145回「下の動物園 その2」 |
「そう言えば、今は”上野”動物園って言うけれど、小さいころ”上野の”動物園って言ってたよ」
「ふーん」 「それってさ、”上野にある”動物園だから、”上野の”動物園って言ってたんだろうけど、私の意識の中ではかなり大きくなるまで”上野の動物園”っていう名前だと思ってた。”上野動物園”っていう名前なんだってわかった時は、カルチャーショックだったよ。今考えると、母の実家に行った時、誰だったかに”上野の動物園にでも行ってくれば”って言われたのがきっかけで、そう言い出したように思うんだよね。母の実家は早稲田にあって、都内のそういうところを”××の動物園”とか”××の交通公園”とか言ってたんだよ」 「へええ。でもそれって、”××の”っていう助詞じゃなくて”血がが”の部類じゃないの?」 「?」 「ほら、子どもって”血”とか”蚊”とか一字の言葉をうまく理解できなくて、”血がが出た”とか”蚊にに刺された”とか言うでしょ」 「ああ、そうだね」 「だから、”上野の”っていうのもそういう類じゃないのって言ってるの」 「”上野の”っていうのはそんなに深い意味(?)があるわけじゃないよ。単純に上野にある動物園の名前が”上野の動物園”って思ってただけだよ。そういえば麻耶(まや)はずいぶん大きくなるまで”血がが出ちゃった”って言ってたね」 「真(まこと)と翔(かける)は”蚊にに”はあったけど、”血がが”はほとんどなかったよね」 「そうそう。麻耶はずいぶん長く”血がが”も”蚊にに”も直らなかったから、何度かよく教えてやったのに結局直らなくて、どこでどう気づいて直したのかわからないけど、自分で直すまで直らなかった」 「はははっ。結局自分で気づかないと直らないんだよね。その劇的な瞬間に立ち会ってみたいけど、どの子も知らないうちに直っちゃった!」 「まったく!」 「努は”血がが”と”蚊にに”だけじゃなくて、”うわら”と”くがまや”と”おつまり”っていうのもあった。”うわらからでんしゃでくがまやのおつまりにいく”(浦和から電車で熊谷のお祭りに行く)って言ってたからね」 「ああ、そうそうそうそう。なつかしいね。それってほんとにそれっぽいからおかしいよね。”うわら”も”くがまや”も”おつまり”も大人が会話の中で使ったら、けっこう気づかないかも…。”くがまや”なんて使ったら、聞いてる方が”あれっ?くがまやだったかな?くまがやだったかな?”ってなりそうだよね」 「ほんと、ほんと。あれも結局知らないうちに直っちゃったね。劇的瞬間には立ち会えなかったよ。熊谷の母がね、努に何度も”くがまやじゃなくてくまがや”って教えてたけど、なんか努は混乱するだけで、ちっとも直らなかった」 「子どもの成長過程ってあんまり無理に教えるんじゃなくて、待ってやることも大切だよね。”時”が解決することもいっぱいある。やっぱり自分で気づくっていうことがないとなかなか直らないもんね。自分自身が”その気になる”っていうことが重要なことだね」 「まあ、そういうことだね」 |
(文:大関 直隆) |
2005/01/24(月) |
第144回「下の動物園」 |
「もしもし、やっと車止められたよ。ぐるぐる回ったけど全然止められるとこなくて、結局鶯谷の駅の先まで来ちゃったよ。これから歩いて行くからもうちょっとかかるよ」
「大変だったね」 「ばかだよね。もうちょっと考えればよかった。お正月だもん、初詣の人もいるし、上野なんて混んでるに決まってるのに・・・」 「電車で来ればよかったね」 「そうだね。でもまあ、蓮(れん)と沙羅(さら)は車の方が楽だったんじゃないの。私だけちょっと歩けばいいんだから。しばらく歩いてなかったし、ちょうどいい運動だよ。今、どこら辺にいるの?」 「モノレールのとこ。これからイソップ橋渡って、山羊でも触らせてやろうかなと思ってさ」 「わかった。じゃあ、そばまで行ったらもう一度電話するよ」 お正月の上野はとても混んでいました。よく考えればわからないことじゃなかったのに、車で出慣れているので、つい車で上野まで行ってしまってから大後悔。上野駅周辺の駐車場はどこも満車で長い列。1歳と3歳の孫を乗せたまま列に並ぶわけにも行かず、妻と孫を国立博物館の前で降ろして、私は駐車場を探しに上野駅周辺を一回り。鶯谷駅の近くにやっと空いている駐車場を見つけて止めました。寛永寺の境内を抜けて芸大の脇を通って、都美館(東京都美術館)の前へ。いやいや上野の広いこと広いこと。行けども行けどもなかなか動物園に着けません。やっとのことで入り口まで辿り着くとチケット売り場が長い列。 あああ〜! 「今、入ったけど、どこにいるの?」 「今ねえ、キリンの前のレストランで食事させようとして、レストランに向かってるとこ」 「わかった。急いで行くよ」 私が入ったのは表門で東園の1番東側。キリンがいるのは西園。しかも1番西側ですから、動物園を縦断(横断?)しなくてはなりません。わかったとは言ったものの、 あああ〜! 孫と一緒に動物園を楽しむのはなかなか大変。 レストランに着くと蓮と沙羅がちょうど外のショーウインドーを見ながら、何を食べようか選んでいるところ(そんなにしっかり選べるほどメニューはないけど)でした。ホットケーキとハヤシライスを食べることにして、中に入るとこれまた満席。食べ物の乗ったお盆を持ってキョロキョロと席を探している親子連れが何組かいます。私がオーダーに、妻が蓮と沙羅を連れて席を探すことに。 あまり待たずに座れたらしく、私がハヤシライスとホットケーキをお盆に乗せて運んでいくと妻と孫たちは中程の席に座っていました。 「今、大変だったんだよ。大人がみんな席の取りっこしてるから、ぎすぎすしててさ。隣のテーブルに座った人が椅子が足りなくてすごい形相で探してたから、どうぞってここのを回してあげたんだよ。そうしたらそれだけで、この辺の雰囲気がいっぺんに変わってさ。ほんのちょっとのことで楽しくなれるのに、なんで席なんか奪い合うようにしてぎすぎすしちゃうんだろうね」 「そうだよね。せっかく家族で動物園に来てるんだもんね」 食事がすんでから、キリンを見て、サイを見て・・・。西園を一回りして、帰ることになりました。 「帰りはモノレールに乗せてやろうか?」 「そうだね」 「ここは上野動物園でしょ。今いたのが西園で、サル山の方が東園だよね。小さいころね、東園が上の動物園で、西園は下の動物園だと思ってた。“下の動物園に行こう”って言って笑われたことあるんだよ。なんで笑われてるんだか全然わかんなかった。そうそう、コタツに“強”と“弱”があるでしょ。あれもね、“熱いからきょうじゃなくてあしたにしてって言ってすごく笑われたことがあった」 「あなたっておかしいね」 「そうかなあ? みんなそう思わないの?」 つづく |
(文:大関 直隆) |
2005/01/17(月) |
第143回「学習障害と注意欠陥・多動性障害 その2」 |
ほぼ毎日、学校には行くけれど授業には出ないということの繰り返し。学校に行けない不登校などとは違い、学校からのプレッシャーを感じているわけではないことは話の節々からわかります。なんとこの中学校には同じような生徒が20数名いるとか。1学年が200数十名の学校ですから、まさに約10%がアスペルガー症候群や注意欠陥・多動性障害ということになる。
「いつも帰りが遅いんですよ。一度学校から戻って来るんですけど、”何か食べるんだからお金”って言って、お金を持ってはまた出ていくんです。休みの前の日は帰ってこないこともあります。”どこへ行ってたの?”って聞くと”友達の家”って言うんです」 「夜遅くまでどこにいるんですかねえ?」 「塾のある日はとりあえず塾には行っています。塾の後とかそれ以外の日は学校の隣の公園で友だちと話をしていたり、ゲームセンターに行ったりするみたいです」 「学校の隣の公園ですか?」 「ええ。早い時間は校門のあたりをウロウロしてることもあります」 「じゃあ、学校が嫌なわけじゃないですよねえ?」 「はい。”学校が面白くない”とは言いますけど、”嫌”とは言わないですね」 「そんな風だとすると、友だちもけっこういるわけでしょ?」 「そうですね。そういう種類の子たちばっかりですけど、何人もいて、それなりに仲良くやってるみたいです」 「そうだとすると、”病気”とか”障害”とか言うことじゃなくて、ただの”非行”ですよね」 「ええ。私はそう思うんですけど…」 校外学習を翌日に控えたある日、お母さんは学校から呼び出されました。とても不安だし、どう対応していいかわからないということなので、電話で学校とも話をして、学校とお母さんとの面談に同席することになりました。 教頭先生と担任の先生から、授業中に席に着かずにウロウロしていること、ときに教室を抜け出して近くのコンビニまで買い物に行ったりしていること、他学年の生徒と危うく喧嘩になりそうになったこと、それを止めようとした先生の胸ぐらをつかんだこと等、アスペルガー症候群または注意欠陥・多動性障害と思われるので、学校としてはこれ以上の対処のしようもなく、病院にかかるなり今日のようにカウンセラーに相談するなりしてほしいとまくし立てるように言われました。 「最近のお子さんの学校での様子はだいたいおわかりいただけたと思います。今日お越しいただいたのは、明日の校外学習の件なんですが、現在のお子さんの様子からしますと何が起こってもおかしくない状況なんです。明日は5、6名の班行動ですので、担任がついているわけにもいきませんし…」 「何かあっても学校としては責任が負えないということですか?」 「ええ、まあ。こちらとしては、”行かせないでください”とは言えないんですが、”ご家庭で判断してください”ということです。他にも数人いるんですが、ご家庭で”行かせない”と判断したお宅もありますし、本人が”行かない”と決めた子もあります」 「それじゃあ、学校として”行かせるな”って言ってるわけでしょ?」 「まあ、こちらとしては”行かせるな”とは言えませんから」 「”行かせるな”って言ってるじゃないですか!」 さすがにこの学校の対応にはびっくりしました。約2時間におよぶ学校との話し合いの中で、各教科担任の子どもたちへの対応の悪さ、学年を構成する教師集団のちぐはぐさ等、多くの点で学校の対応に反省すべき点があることを学校も認め、結局全員校外学習に参加させることになりました。 最近の義務教育における子どもたちへの対応は、とても投げやりに感じます。病気や障害を理由に学校としての責任を回避したり、問題が起こるとすぐ警察の力を借りたり…。それを必ずしも間違っているとは言わないけれど、「”集中し続けることが難しい”など、文科相の調査とほぼ同じ約75項目について、担任が3〜4段階で点数化し、判定した」などというような、判定することによって責任を回避できる当事者が判定したことにより行政が進んでいくとしたら、こんなばかげたことはありません。 しかも、この判定によって教員数が増員されることもあり得るわけです。充分な教育環境を確保するために教員を増員することには賛成です。けれどもそれが学校の責任を回避するための安易な判定によって、子どもたちに病気や障害のレッテルを貼ることによって実現するのなら、到底受け入れることはできません。 全国平均を大きく上回った調査結果に、「アスペルガー症候群や注意欠陥・多動性障害についての理解が進んだ」なんて言っている人もいるようですが、どうも埼玉県の教育行政は学校という組織に甘くて、子どもたちに厳しいんじゃないか、そんな気がしてなりません。 校外学習に参加した生徒たちは、まったく何事もなく帰ってきました。 |
(文:大関 直隆) |
2005/01/11(火) |
第142回「学習障害と注意欠陥・多動性障害」 |
「県内の小中学校の通常学級に在籍する児童生徒のうち、学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)の可能性があるなど、特別な教育的支援が必要な児童らの割合は10.5%にのぼることが、県教育委員会の調査でわかった。02年に文科省が実施した全国調査の6.3%、03年度に東京都が独自に実施した4.4%を大きく上回っている」(朝日新聞埼玉版)という記事が1月8日掲載されました。
けれども10.5%なんていう数字はにわかに信じがたい。 「調査は、県内すべての公立小・中学校から全児童生徒の32%にあたる18万6180人に実施した。”集中し続けることが難しい”など、文科相の調査とほぼ同じ約75項目について、担任が3〜4段階で点数化し、判定した」そうだ。 この数字を信じるとすると、40人学級だとして各クラス4人程度のLDやADHDがいることになります。多いような少ないような微妙な数字だけれど、1学年4クラスだとして学年に16〜7人程度。”う〜ん”っていう感じ。 調査の結果「知的発達に遅れはないものの学習面や行動で著しい困難があるとされた児童生徒の割合は10.5%だった。特に、じっとしていられないなどの多動性、衝動性については、文科相調査の約2.3倍にあたる5.7%にのぼった。”聞く、話す、読む、書くなどのいずれか複数で困難”な児童生徒は7.2%。対人関係などが著しいとされたのは1.4%だった」んだそうです。 ここまでくると”な〜るほど”って感じ。 最近の子どもたちの様子を語るときに、「わがままで、自分勝手」とか「協調性がない」とかいうような言い方をしますよね。「子どもは1人」なんて決めている夫婦があったり、ゲーム機の普及で遊びの形態が変わったりで、家庭の中でコミュニケーションをとる機会が少なくなっているので、無理もないかなと思います。そう考えると、対人関係が上手くとれない児童生徒が多そうな気がするのにそれは1.4%しかない。 昨年の秋、中学校から「お宅のお子さんは、アスペルガー症候群(大まかな言い方をすると軽度の自閉症)か注意欠陥・多動性障害と思われます。学校では手に負えないので、別な機関での対処をお願いします」と宣告されたというお母さんが相談に見えました。はじめは、それなりの障害があるものと思って話を聞いていたのですが、なんとなく話がおかしい。授業中、席に着いていられず教室内をウロウロしたり、教室を出て行ったりしてしまうということなので、私が頭に描いたのは、非常に落ち着きがなく、ぶつぶつ独り言を言ったり、いつも何かをいじっていたり、辺りをきょろきょろ見回してしまうようなそんなイメージでした。当然、人とのコミュニケーションが上手くとれない子を想像します。ところがどうもそういう風ではない。授業はきちんと受けられないのだけれど、友だちも多くて仲がいい。 あとでわかったことですが、現在中学3年生のこの男の子は、1年生のころ偏差値が70くらいあり、現在の偏差値は50台半ばくらいだということでした。 お母さんは「絶対来ないと思う」と言っていたのですが、お母さんとの数回の面談のあと息子さんと直接会うことができました。 どこか話がおかしいと思いながらも、先入観というのは恐ろしいもので、一度”アスペルガー”とか”注意欠陥・多動性障害”という言葉を聞いてしまうと、当然落ち着きがないものとして見てしまいます。私の部屋のソファーに座っても、常に頭はフラフラ、手はもじもじ。「なるほど、こういうことか」とつい納得したりして。 ところが10分もしないうちにぽつりぽつりと話を始めると、とてもしっかりしているではないですか。 「授業、全然面白くないじゃん。あんなの聞いてらんねえよ。教員なんてみんなやる気ないから。特に英語の教員なんて顔も上げないで、ボソボソ言うだけ。何にも聞こえねえし、あんなんじゃあ教室にいても意味ないから、外行くんだよ」 「出ていこうとしても止めないの?」 「”どこ行くんだ?”て一度は言うけど、それだけ。本気じゃないんだ。そのあとは何も言われないよ」 「ふーん」 つづく |
(文:大関 直隆) |
2005/01/05(水) |
第141回「世界中のお父さんが苦労してるだろうね」 |
クリスマス
「キャストはどうする?」 「えっ!? 今年もやるの?」 「そりゃそうだよ」 「だったら翔(かける)がやるしかないよ」 「そうだよね」 「ところで、まだあの服あるの?」 「ちゃんとしまってあるよ」 24年前、中華料理屋さんが廃業したとき、お店で使っていたいろいろなものを引き取ったことがありました。その中に入っていたのがサンタの衣装。子どもの成長とともに、そのサンタの衣装が大活躍。最初は真(まこと)と麻耶(まや)が幼稚園のころ。そして翔が幼稚園のころ。 真っ暗にした部屋の中で子どもたちが布団にもぐっていると、どこからともなく鈴の音が聞こえてきます。枕元に近づいたサンタクロースは、そっとプレゼントを置くと再び鈴の音を鳴らしながら去っていきます。サンタクロースが私だっていうことがわかりそうになるとキャストが替わります。努(つとむ)がやったこともありました。プレゼントをもらう側だった真がやったこともありました。 このサンタクロースは小さなものから大きなものまでいろいろな物を運びました。自転車を運んできたときはサンタクロースの方が大騒ぎ。 「ちゃんと通れるように、ここはあけとかなくちゃだめだよ」 と、ほんの一瞬のことのために、家中の物を大移動したことも。 私の演技が上手かったのか、うちの子どもたちはすっかりサンタクロースの存在を信じてしまったらしく、小学校に上がったあとに「サンタクロースってほんとにいるんだよね」と言われたときはさすがに「ちょっとやり過ぎたかな」って反省したりして…。 そしてとうとう今年は代替わり。翔サンタの登場です。翔サンタが孫の蓮(れん)と沙羅(さら)のところにプレゼントを持ってくることに。 24日は麻耶が朝から蓮、沙羅を連れてプレゼントを買いに行きました。 「ここのお店の店員さんからサンタさんに伝えてもらおうね」 とかなんとか言って、品物をお店に取り置きしてもらったとか。それをあとからおじいさんとおばあさんが取りに行って、そして翔がサンタクロースになるんだから大変です。まったくよくやるよって感じ。 蓮くんと沙羅ちゃんが布団に入ってじっとしていると、 「メリークリスマス!」 とサンタさんがやってきました。 「あっ、かっくんがサンタさんやってる!」 といきなり蓮に叫ばれる始末。まったく何やってんだよ! メチャメチャ演技が下手! 翔は慌てて自分の部屋の布団に潜り込みました。 「そうかなあ? かっくんは部屋で寝てるよ」 翔の部屋まで行って寝たふりをした翔を見た蓮は、ちょっと奇妙な顔をしました。しばらくして、翔がリビングまでやってくると、蓮が翔に向かって、 「サンタさんが来たんだよ」 ちょっと胸をなで下ろして、蓮はあと何年そう思っているのかなあ? いくつになってもそういう気持ちを忘れないでいるといいんだけどね。 サンタクロースを必死で演じた翔は、 「世界中のお父さんが苦労してるだろうね」 と一言。 世界中のお父さんがそう思っていてくれるような、そんな世の中ならいいんだけどね。 お正月 「今年は忙しくておせち料理作れなかったね」 と言うと、孫の蓮が会話に割り込んで、 「蓮くん、たこ作る」 「?」 酢だこを頭に浮かべちゃった私は一瞬何のことか理解できませんでした。 ”凧”を”蛸”と思っちゃうようじゃ、ちょっと寂しいね。 凧を作るのはけっこう大変なので、熊谷にある妻の実家に新年の挨拶に行ったとき、蓮に凧を買って帰ってやろうと思いました。実家のすぐ前にある小さなスーパーで、 「凧ありますか?」と聞くと 「置いてないんですよ。今は凧揚げする子いないんじゃないですかねえ」 「そうですよね、場所ないですもんね」 「この辺は荒川の土手に行けば揚げられるんですよ。でも最近の子どもたちはTVゲームじゃないですか」 ああ、そういうことか。うちの近所の様子しか頭に浮かばなかった私は、どうやらとんちんかんなことを言っちゃったみたい。とりあえずコンビニで洋凧を買って帰ってやったけど、うちの周りに土手はなく、やっぱり凧は揚げられませんでした。 凧を作ろうっていう孫の気持ちに充分に答えてあげられなかったかな? 今度はコンビニの凧じゃなくて、なんとか時間を作って手作りの凧を揚げに土手まで連れって行ってやろうかな… |
(文:大関 直隆) |