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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2004/10/12(火)
第130回「体力の低下」
子どもの体力がとっても落ちてるそうです。

昨夜(11日)、たまたま見ていたTVで、蕨の塚越小学校での取り組みを取り上げていました。体力の向上に雑巾がけを利用しているというもので、昔ながらの雑巾がけのスタイルで、教室の端から端へと一列に並んで雑巾がけをしている様子が放映されていました。そして雑巾をゆすいだあとは、ギュッと絞らせる。かたく絞れたかどうか先生がチェックします。

最近の子どもたちは、”ギュッと絞る”なんていう行為をすることはほとんどないので、絞れない子もけっこういます。たしか息子が4年生か5年生のときだったと思いますが、PTAの行事で子どもたちとかかわった際に、子どもたちが雑巾を絞るのを見ていたら、まるでおにぎりを握るみたいに雑巾を丸めて絞っている子がいました。

陶芸を教えていると後かたづけのときはもちろんのこと、作品を作っている最中にも、粘土が乾かないように使っていない粘土にかぶせておくため、濡れタオルを必ず使います。今年の夏もカルチャーセンターで親子講座を受け持たせてもらいましたが、きっちり絞れる子は3分の2くらいでしょうか。もっとも粘土が乾かないように使っていない粘土に濡れタオルをかぶせる場合は、おにぎりのように絞ったくらいの濡れ具合がちょうどいいんですが…。

もちろん絞り方自体はちゃんと出来てる子が多いのですが、昨夜TVで見たように、ギュッと絞れる子は少ないような気がします。

雑巾をギュッと絞らせることで、握力が向上するのだそうです。”なるほど、そう言われてみるとそうだよな”と納得して、”誰がそんなこと考えたんだろう”とえらく感心してしまいました。

体力の向上に外での運動を使うのではなく、日常の生活行動の中から体力の向上を図るというのはけっこういい方法かなとは思います。けれども、それを見ていて”今の子どもはかわいそうだなあ”とも思いました。それは、なんだかとっても不自然な感じがしたからです。子どもたちの生活から、体力が向上するような行動を奪ったのは大人たちなのに、今度は体力が低下したといって、子どもたちが普通に生活しているときには必要のない行動を新たにとらされる。子どもたちの生活はどんどん便利になり、そのおかげで日常生活の中から”無駄な時間”はどんどん減っています。例えば、ナイフで削っていた鉛筆は、鉛筆削りで削る(それも手動から電動で)ようになり、さらにシャープペンシルを利用するようになりました。背中を紐で縛っていた給食用のエプロンはマジックテープに取って代わられ、見えないところで紐を縛る必要はなくなりました。おそらく私が子どものころに使っていた”無駄な時間”のほとんどがなくなったんだと思います。

そういえば、昔はよく”ちょっとそこの乾物屋まで片栗粉を買いに行ってきてくれないかい”なんていうのもありましたけれど、最近の買い物は近所の小売店ではなく遠くの大型スーパーになっているので、そんな”無駄な時間”もなくなっていますよね。
そして子どもたちの浮いた時間のほとんどは塾に当てられている。そして”無駄な時間”とともに失われていってしまった体力を向上させるために”雑巾がけと雑巾絞り”が新たに入ることにな…。

体力が落ちていることの原因にTVゲームがよくあげられます。それはそれで、否定はしませんが、遊び場を奪われている子どもたちにとって、TVゲームはとても大切な遊びになっています。子どもの体力が落ちているから、体力向上のために何か工夫をするというのもわからなくはないけれど、子どもの遊び場を大人が奪っているという現状をもっと真剣に考えて、子どもたちが必要最小限(必要最大限かな?)の体力を維持できるように社会全体の構造を考える必要があるのではないかと思います。
(文:大関 直隆)

2004/10/04(月)
第129回「秋はやっぱり幼稚園選び!」
運動会シーズンまっただ中!
娘の麻耶(まや)は、毎週幼稚園の運動会あらし(?)をしています。
「今日はねえ、××幼稚園の運動会へ行ってくる。来週は二つ重なっちゃってるんだよ。どっち行こうかなあと思って…。ほんとにもう、毎週忙しいんだから!」
「何が忙しいんだよ!? たかが幼稚園の運動会だろ!?」
「だって、毎週だよ。それもいっぱいかけ持ちなんだから」
「そんないくつも行くのやめればいいじゃないか」
「そうはいかないよ。走っただけでいろいろもらえる物もあるしさあ、なんと言ってもそこの幼稚園の雰囲気わかるし。もうどこの幼稚園に行くか決めなきゃならないんだよ」
麻耶は、孫の蓮(れん)を来春どこの幼稚園に入れるかとても迷っています。どんな幼稚園なのか行って見てくるのが一番。特に運動会のような行事の時にははっきりとそこの幼稚園の特徴が出るので、毎週幼稚園あらしをしています。
「今日はね、これもらってきたんだけど、なんか蓮は走り足りなかったみたいよ。家に帰ってきてからも運動会ごっこやるって言って、走り回ってた」
「ふーん」
「だってね、普通は園庭を15mくらい走るでしょ。それがさあ、今日のところってウチの廊下くらい(玄関からリビングまでのほんの5mくらい)も走らないの。それもね、人から手渡しされるんじゃなくて、目の前の地面にオモチャがたくさん置いてあるんだよ。それを自分で拾ってくるだけ」
「じゃあ、何を目標に走るの?」
「だから、オモチャだよ。置いてあるオモチャを拾ってくるだけだもん。」
「走るっていうか、オモチャを拾ってくるだけなんだ?」
「そうそう。そんな感じ。物をくれればいいと思ってるんじゃん。5、6人ずつ走るんだと蓮は尻込みしちゃって走りたがらないかなあと思って心配だったんだけど、全員がいっぺんに目の前のオモチャを拾うだけだったから、全然問題なかったよ。でも、あの瞬間にここの幼稚園はないな(入園させない)って…」
「それじゃあねえ…。幼稚園がやらなきゃいけない本質からはずれてるもんねえ。本当にオモチャがほしくて走ってると思ってるのかねえ? そんな風に思われてるとしたら残念だね」
「××幼稚園は親から人気があるんだよ。手がかからない幼稚園っていうことで有名なの。この前行ってきたけど、確かにそんな感じ。あんまり親が幼稚園に行くことないらしいよ。だから人気なんだ。けっこう遅くまで延長保育で預かってくれたり、スポーツクラブみたいのがあったりで、親はずいぶん楽だよ。もちろんバスだし、お弁当もないし。園児が何百人って言ったかなあ? かなりいるみたいよ。そんなに広いところじゃない気がするんだけど。たくさんいるっていうことが自慢みたい」
「なんかちょっと違うねえ。”ウチはこういう幼稚園教育してます”っていうのがないんだ?」
「うん、そうだね。それなりの特徴みたいなものはアピールしてるけど、結局親もどこが楽かなんていう基準で見てるし、幼稚園の側も本当のところはどうしたら園児が集まるかで中身を決めてるからね。やっちゃんのお姉ちゃんいるでしょ、ちょうどマンションの玄関のところで会ったから、”お子さんどこ入れるんですか”って聞いてみたの。そうしたら、制服がかわいいから××幼稚園に入れるんだって」

私が今のマンションに越してきた時、真(まこと)と麻耶を幼稚園に入れるためにずいぶんたくさん幼稚園を見て回りました。建物はどうか、園庭はどうか、遊具はどうか、そんな物をまず見て、それから園が行ってる中身を見て…。そんな風にして決めたんですけど、ちょっと今は基準が違ってきてるのかな?

「翔(かける)が行ってた××幼稚園はバスがないし、お弁当でしょ。送り迎えもお弁当もやってみたい気もするけど、ずっとだって思うと、バスがあってお弁当無しの方がいいかなって思っちゃうよ。あたしが行ってた幼稚園ね、ちょっと外から見たんだけど、園庭とか遊具とかあんまり変わってないみたいで、なんとなく懐かしい感じがしたよ。でも、パパが幼稚園と喧嘩して、翔を途中でやめさせちゃったんでしょ?」(その辺のいきさつはちょっと古いけど、この連載の第3回に掲載しました)
「そうそう。でもそんなに悪い幼稚園じゃなかったよ。いろいろと親の意見も大事にしてくれる部分もあって…」
「ふーん。じゃあ、そこにしようかな(笑)。やっぱり自分の出た幼稚園ってなんとなくイイ感じがしたよ」
「そんなもんかもね。だれだって自分が出た幼稚園をそんなに悪い幼稚園だなんて思いたくないしね」
さて、麻耶はどういう結論を出すんでしょう?
(文:大関 直隆)

2004/09/27(月)
第128回「個性」
「弥生ちゃん、何それ?!」
「まんば」
「???」
「知らないんですか? やまんばメークのことですよ」
「???」
「だからさあ、こういうメークのことをやまんばメークって言うの。最近はねえ、それを”まんば”」
「ガハハハハッ、なるほどね! でもさあ、どうしてそんなふうに塗りたくっちゃうの?」「だって、この方がかわいいじゃないですかあ!」
「そーおっ?」
「うん、絶対この方がかわいい」
「そうかねえ? なんにもしてない弥生ちゃんの方が弥生ちゃんらしくてかわいいんじゃないの?」
「えーっ?! 全然お化粧しないってことですか? すっぴんなんて恥ずかしいですよ」
「そうかなあ??? 私はそんなことないと思うけどぉ」
「すっぴんなんて、ありえない、ありえない、ありえない! ちょー恥ずかしいもん」
「そうなんだぁ?! なんか”まんば”の方が恥ずかしそうだけどね。弥生ちゃんだかだれだかわかんなくなっちゃうじゃない?」
「そうですかあ? ほらほろ、ここの所をこういう風にやって個性出してるんですよ。いろんな風にできるじゃないですかぁ。すっぴんなんて絶対考えられない」
「ずっと”まんば”やってるの?」
「それはないですよ。大人になってこんなことやってたら、今度逆に恥ずかしくないですか? だから今しかできないんですよ。だから、今の高校やめて”まんば”やれるところへ移りたいわけ。ほら、この雑誌に出てる子、××高校って書いてあるでしょ。こっちの子は××高校。ウチの学校だと髪の毛染めるの禁止で、ちょっとでも黒じゃないとちょーうるさいしぃ…。うざい!」

弥生ちゃんは私立高校に通う16歳。”やまんばメーク”をするために高校を替わりたいと言っています。弥生ちゃんと会ってから、テレビの”まんば”の番組を見てみました。”まんば”という1つの風俗は、それ自体かなり強烈な個性を持っているのに、その番組に出ている子たちを見てみると、どの子が誰で誰がどの子かよくわかりません。”まんば”という強い個性がそれぞれの持つ個性を消してしまって、”××さん”という個人が”まんば”という集団に呑み込まれてしまっています。

「私、雑誌に載ったんですよ。ほらっ、このページ。私、どれだかわかります?」
50人あまりのやまんばメークの女の子たちがその雑誌の編集部を訪れたときのスナップ写真と集合写真が見開き2ページにたくさん載っています。
「うーん…」
なかなか見つけられずにいると、早く見つけてほしい彼女が、
「ほらっ、ここ!」
と指をさしてくれました。
「ほんとだ!」
その写真を指さされても、「これえ?」っていう感じだった私は、
「まだ載ってるよ。あとはどこだかわかる?」
という彼女に促されて、指さされた写真と同じ服装をした子を必死に探して、
「見つけた! ほら、これとこれ! あっ、ここにも映ってる!」
すると弥生ちゃんはビックリして、
「あっ、ほんとだ! 気がつかなかった!」
たった見開き2ページの中に映っている自分が見つけられない個性の無さ。自分をアピールしようとして個性をなくしてしまっている矛盾と滑稽さ。
「この前、まんばの番組見たよ。なんだかみんな同じに見えた。まんばの子ってみんな優しいんだなって思ったよ。あんなに個性的なカッコしてるけど、ほんとはみんな自分をさらけ出すのが苦手なんじゃないの? だからきっと自分を隠すためにあんなに塗りたくってるんだよね」
「そうかなあ? でも確かにそういうところはあるかも…」
自己主張をすることでかえって己主張を消している、そんな状況に弥生ちゃんも考え込んでいました。
(文:大関 直隆)

2004/09/21(火)
第127回「手の届く距離 −物理的距離編−」
「今日ねえ、蓮(れん)がね、マクドナルドでひどい目にあったんだよ!」
娘の麻耶(まや)が興奮気味に話します。
「ちょっと蓮より大きい子なんだけど、蓮のこといきなり叩いたと思ったら、その後蹴ったんだよ。たいした強さじゃなかったから蓮も泣かずに我慢したけど、ひどいでしょ?」
「いきなり?」
「そうだよ。蓮はなんにもしてないのに、いきなりだよ。それなのにそいつの母親なんてたいして謝りもしないんだよ」
「おまえ、守れなかったのか?」
「だって、いきなりだもん!」
「そんなことわかってるよ。だからおまえが守れなかったのかって言ってんの」
「予兆がなかったわけじゃないんだよね。蓮がポテト食べてたときに近づいてきて、勝手に蓮のポテト食べちゃったんだ。もちろん何本かだけどね。その子の母親なんて、ただ見てんだよ。さすがに食べっちゃったところで、一応謝りには来たけど、その子をたいして怒るわけでもなく、蓮に向かって”ボク、ごめんね”だって。そういう問題じゃないだろってゆーの」
「そりゃあ、おまえの言う通りでその母親はおかしいと思うよ。だけどそれはそれ、なんでそんなことあったあとに、おまえは蓮が叩かれたり、蹴られたりするのを助けられなかったんだっていうの!」
「だっていきなりだったんだからしょうがないじゃん!」
「そりゃあ、全然いきなりじゃないだろ! 今回は相手が小さな子だったからよかったけれど、もしもう少し大きな子で刃物でも持ってたらどうするんだよ」
「・・・」
「なんでも人を疑えって言ってるんじゃない。どんなことが起こっても必ず子どもを守れる距離にいなきゃダメだって言ってるんだよ。今回のように相手が子どものこともあれば大人のこともある。犬や猫のことだってあるし、事故や天災のことだってある。いきなりだから守れなかったなんて、言ってられないだろっ。守れなければ取り返しがつかなくなることだってある」
相手の母親のひどさを訴えたくて話を始めた麻耶でしたが、矛先が自分の不注意に向けられたので、気分を悪くしたらしく、ふくれっ面をして黙ってしまいました。

麻耶には前科がありました。
「お母さん、沙羅(さら)が三輪車から落ちて頭打っちゃった! しばらく泣かなかったんだけど、大丈夫かなあ?」
妻の携帯に電話がかかってきました。
「今はどこでどうしてるの!」
「今、パンダ公園で抱いてるんだけど、なんだかぐったりしてるような気がする」
「そういうときは、すぐ救急車呼ばなきゃダメじゃない! 今すぐウチに帰るから!」
妻もかなり慌てた様子で麻耶に指示を出しています。
妻の支持を近くで聞いていた私が、妻を通して麻耶に尋ねました。
「今は泣いてるの?」
「さっきまで泣いてたけど、今は泣きやんでる」
「三輪車から落ちたんだろ?」
「うん」
「どう落ちたの?」
「沙羅が一人で乗っていたら、蓮がハンドルを持っていきなり前に引っ張ったから、そのまま後ろに倒れちゃって後頭部から落ちたんだよ」
「パンダ公園なら下は土だろっ? 大きな石とかなかった?」
「土だよ。大きな石もない」
「今まで泣いてたんだろっ? だったら、バタバタすぐ動かないでもう少し様子を見てみな」
そう言って携帯を切りました。
しばらくするともう一度妻の携帯に麻耶から電話がありました。
「大丈夫みたい。遊び出した。今は笑ってる」
そんなことがあって2週間後、今度は沙羅が公園の滑り台の階段から落ちたと言って電話をかけてきました。ほんの数段だったようですが、ちょうど背中から落ちたらしくしばらく息が出来ずに、泣かなかったと言って慌てていました。その時も、ちょっと様子を見ているうちに元気になって、たいしたことにはならずにすみました。
そして、今回のマクドナルド事件。
麻耶も自分の不注意は充分わかっているので、そのことはあまり言われたくない様子。
とは言え、度重なる不注意に周りも一言言わずにはいられずに、麻耶を非難してしまいました。
小さい子どもがちょっとしたことでケガをすることはよくあるけれど、世話をしている大人が子どもとの距離をどう置くかがとっても大切ですよね。何があっても絶対に救える距離、それは見ている大人によっても違うけれど、自分はどのくらいの距離までだったら子どもにケガをさせずに救えるのか、いつもその距離を考えて子育てをしないとね。
(文:大関 直隆)

2004/09/13(月)
第126回「小学生が留年?!」
どうも義務教育に対する改革のやり方は安易だね。ちょっと怖い。
河村文科相が朝日新聞のインタビューに答えて、「義務教育段階でも落第とか原級留め置き(留年)とか基礎基本が身についてから次に進むという考え方を研究しなければならない」と発言したそうだけど、今の段階でのこういう考え方がそもそも教育界の問題なんだと思うよ。

何らかの教育改革が必要だとは私も思うんだけど、どうもその改革の方向が子どもに負担を強いるようなことが多くなってきてるような気がして、ちょっと怖い。6・3制の弾力化の問題にしても、「弾力化」をするわけで全国一斉にやるわけじゃないから、6・3制が残っているところとそうでないところができちゃう。地域によって違うっていうことを否定はしないけれど、「転校したときどうするか」という疑問に「子どもの適応力は高い。遅れていれば補習すればいい」って片付けちゃうところが気に入らない。なんで制度上の問題を「補習をする」みたいな子どもの負担にすり替えちゃうの?
確かに子どもの適応力は高くて、いろいろな問題を自分の中で消化して成長していくよね。ロシアの学校占拠事件で救出された子どもたちのインタビューには驚いた。あの極限状態の中で事細かに観察したことを正確に話す冷静さ。ああいうものって大人にはなかなかできないことで、子どもの適応力ってすごいと思った。

でもね、そういうものって偶発的に発揮されるもので、それを期待して制度を作ろうとするのはちょっとね。やっぱり適応できない子もいる。

教育相談にくる子どもたちの中には、DVの影響で心を閉ざしてしまった子や免職にしたいような「教職員の対応のまずさ」で不登校になってしまった子もいる。子どもというのは適応力は高いけれど、同時に大人よりももっと純粋で繊細なものも持ってる。
そういう子どもの心を考えたら、「適応力が高いから、補習をすればいい」なんていう言い方になるかねえ???

「落第・留年」も然り。基礎基本が身についてから次に進むっていう考え方がわからないわけじゃない。でも、基礎基本が身につかないのは子どものせい? そんなわけないよね。問題なのは身につかない子どもじゃなくて、身につくような指導ができない大人。「落第・留年」ということになれば、身につかないことの責任をとらされるのは子どもということになる。

まず、教育改革でやらなくてはいけないのは、教員の質の向上。昨日も、2つの高校の文化祭に行ってきたけど、高校によって違うこと、違うこと。何が違うって、生徒の向いてる姿勢。別に進学に燃えてる学校がいいとは思わない。何に対しても真剣に取り組む姿勢は大事だよね。文化祭みたいな、なんだか騒いでるだけみたいなときでも、やっぱりそこの姿勢は出るもんで、1つの学校はなんだか分けわからないつまらない発表みたいなところ(誰も来る人いないだろうなって誰でも思うような)にも、ちゃんと2人の生徒がいて、「どうぞご覧ください」「ありがとうございました」って声をかけてくれるのに、もう1つの学校は、生物部や地学部みたいなまさに文化祭の主役にならなくちゃいけないような部の展示のところに行っても、誰もいない。入ろうかな、どうしようかなって迷っちゃうくらい。入ってみたら、生徒がいないんじゃなくて、展示してあるボードの裏で何か食べながら騒いでる。一回り見ている間にも誰も出てこない。

2つの学校の違いはどこにあるんだろうって思ったら、やっぱり一生懸命やってる方は先生の姿が見える。来校する人たちに笑顔で挨拶して、子どもたちとも笑顔で話してる。ところがやる気のない学校は、どこに先生がいるのかもわからない。あれ先生かなって思うとみんなしかめっ面をしてる。

教育を改革しようとしたら、子どもに負担をかけるのではなくて、まず教員の質を向上してほしいね。落第・留年なんて差別を招くだけだよ。
(文:大関 直隆)

2004/09/06(月)
第125回「不登校と校内暴力 その2」
8月28日の朝日新聞朝刊には「小学生の校内暴力1600件 児童間、半数超す」の見出しで、校内暴力についての調査結果が大きく報道された。

03年度に公立の小学校内で児童の起こした暴力行為の件数が前年度比27・7%増の1600件にのぼったとする調査結果は、かなりショッキングでセンセーショナルだ。文科省は「憂慮すべき事態で、感情の抑制についての指導を強めたい」ということのようだが、どうも私には「指導を強めたい」が先にありきで、それに沿った形で調査が進められているような気がしてならない。

さまざまな研修先で、児童の問題行動についての事例発表は多い。「落ち着きがなく、人の話を聞けない」「じっと席に座っていられない」「おとなしくしていた子が突然きれる」「友達の輪に入れない」「些細なことでも教師に助けを求める」など、きりがない。そういった事例がここ数年増えているというのは確かなのだろうとは思う。そういった中で校内暴力が増加傾向にあるというのもわからなくはない。しかし、02年度に比べ03年度の校内暴力件数が突然27.7%増というのも変な話だ。

神奈川県は小中高生が起こした校内外の暴力行為は都道府県別で全国最多の5321件で、なかでも小学校は前年度より80%多い237件だったそうだが、生徒指導の担当者は「一部の子どもが暴力的になっている面はあるかもしれないが、小学生全体で校内暴力が激しくなっているとは考えていない」のだそうだ。

また、沖縄県でも暴力行為件数は605件で前年度より約4割増えた。昨年7月、県内の中学2年生が友人から暴行を受け死亡した事件が発覚した結果、生徒間のいじめが一因との情報もあり、義務教育課は「事件を機に各学校が子どもたちの細かい部分に注意するようになったのに加え、トラブルを表に出すように意識が変わってきた」と件数増の理由を説明しているそうである。

大阪府は以前から些細なトラブルでも報告するよう各校に要請してきたそうである。今回の調査でも「暴言をはいた」「教員の体を触った」といったケースも「暴力行為」に数えた結果、府内の暴力行為は全国ワースト2の4358件で前年より18%増えた。
こういった調査が無意味だとまでは言わないが、調査の基準が曖昧な上、教育課程の改訂や生徒指導の強化といったようなことがまずあって、それをねらってセンセーショナルに扱われるようなことがあってはならないと思う。

この調査ではいじめの発生件数は、5・2%増の2万3351件。全体の約2割にあたる7860校で起きたそうだが、私の感覚ではいじめが全体の5校に1校にしかないなんていうことは信じられない。さらに小学生のいじめは6051件、6・9%増で、学年が上がるほど増える傾向にあるのだそうだが、03年度中に小学校で起きたいじめのうち87・6%は年度内に解消したという。 まさかいじめの9割近くが、数ヶ月で解消するわけがない。

調査結果にケチをつけるのが目的ではないが、雑な調査結果をセンセーショナルに扱っても、校内暴力がなくなるわけではない。佐世保の事件に代表されるようなショッキングな事件が多発する中で、今私たちがやらなければならないのは、子どもたちと丁寧に向き合い、一人一人の心を大切にすることだと思う。大味で派手な政策ばかりを優先するのではなく、学校の中で日々交わされる先生と子どもたちとの会話が、優しさに包まれた会話になるような政策を、ぜひ実行してほしい。
(文:大関 直隆)

2004/08/30(月)
第124回「不登校と校内暴力」
 夏休みの8月、教育現場の状況を捉えた記事が2つ、大きく新聞に載った。1つは03年度の「不登校」(小、中学生)が12万6212人で、前年より5040人少なくなり、2年連続で減少したという記事。もう1つは、03年度に公立の小学校内で児童の起こした暴力行為の件数が前年度比27・7%増の1600件にのぼったという記事。
 文部科学省は、スクールカウンセラーの配置などの効果が表れたのではないかと評価しているが、現場の感覚に「不登校」の児童生徒が2年連続で減ったという実感はないという。91年度から「病気などの理由がなく、学校嫌いで年間30日以上欠席した児童生徒」という基準(90年度までは「学校嫌いで50日以上欠席」)で調査 をしているそうだが、長期欠席の理由として分類している「不登校」「病気」「経済的理由」「その他」の4種類への分類は校長の判断とする県が多く、「不登校」という分類が、私たちの認識よりも少なく報告されているのではないかという疑いが湧く。

 東京都内のある小学校長は「不登校」の児童数を「1」と報告した。長期欠席の子はほかにもいる。保健室や特別教室に時々顔を出したり、フリースクールに通ったりしている。だが、いずれも「登校」と見なした。「ケース・バイ・ケース。『不登校』というレッテルをはることも、統計上の数を増やすこともあまりよくない」(朝日新聞)

 ここのところの規制緩和の流れも手伝って、出席に対する基準もかなり甘くなった。多くの学校で子どものとった行動を出来る限り「出席」と見なすような判断をしている。また、長期欠席の理由も多様化し、以前なら「不登校」と報告していたような事例でも、最近では、病院でカウンセリングを受けたり病名がついたりしていれば「病気」とする場合もあるし、私設スクールに通っている場合は、前出のように出席扱いにしたり、欠席の理由を「その他」としたりしているのだそうだ。
 ちなみに埼玉県の不登校児は7478人。児童・生徒1000人に対し12.4人。1クラス40人学級として約2クラスに1人の割合。
 さて皆さんは、この数字を実際より多いと見るか少ないと見るか…
 県内でも都市部だけをとってみると、ちょっと少なく感じるのは私だけ?
 不登校児の受け皿が多様化し、とりあえず家に引きこもるわけではなく、保健室であれ、「さわやか相談室」であれ、フリースクールであれ、子どもたちの行き場があるということは大いにけっこう。しかし、基準の曖昧さをいいことに実態を正確に把握しようとしない姿勢は、問題解決を先送りするだけで、根本的な解決にはほど遠い。
 私のところの教育カウンセリング研究所にも、不登校や「ひきこもり」の相談は多い。きちっとした対応をすれば、早期に解決することも多く、中には3年間引きこもっていた子が、たった2回のカウンセリングで治った例もある。
 責任を回避しようという姿勢を改めて、実態を正確に把握し、問題解決に真摯に向き合う姿勢が子どもを変え、真に不登校の減少に繋がるのではないかと思う。

次回につづく

(文:大関 直隆)

2004/08/23(月)
第123回 「ペットボトル」
 私の母がTVを見ながら言いました。
「最近みんな、ああやってペットボトルだろ。昔は必ずお茶だったのにねえ。だからお茶なんて売れるわけないよ」
 TVの画面には何かシンポジュームのような場面が映っていて、舞台の上に並んだ人たちの机の上には、一人に1本づつ500cc入りのペットボトルが用意されていました。よく見ると、客席の方に並んだ机にも同じようにペットボトルが用意されています。
 「ペットボトルって便利なんだよ。ちょっとした集まりの時だって、はじめに並べておけば、いちいち来た順にお茶を入れる必要ないし、飲まない人はそのまま持って帰ればいいし。それに狭い机の上に資料広げたりしなきゃならないときも、飲んでないときはフタ閉めておけば、こぼす心配もない。湯飲みが置いてあると、資料広げたときにこぼす人けっこういるでしょ。資料にお茶が染みて黄色くなっちゃったりしてね」
 「冷たいのも温かいのもあるしねえ…」
 私の父は市役所に勤める公務員でしたが、退職後お茶屋をしています。道路に面した自宅を改造したほんの小さな店舗で、母が店番、父が配達をしています。どうも商売をして儲けようというよりは、父も母も何もしないでじっとしていられるような性格ではないので、とりあえず”暇つぶしにやっている”といった感じです。
 「会場の中はエアコンが効いてるから、しばらく中にいる人は温かいお茶でもいいけれど、着いたばかりの時に熱いお茶出されてもねえ…。それに温かいお茶を出すのって人手がいるからね。途中で注ぎ足したり、あと片づけが必要だったり…」

 まったくペットボトル文化は、全国を支配していますよね。
 昔は飲み物を持って行くといえば、水筒って決まっていたけれど、飲み物の容器がビンや缶だけでなく、フタの閉められるペットボトルの出現で、最近ではすっかり水筒からペットボトルに取って替わられちゃったみたい。ペットボトルに入っているものがジュースやコーラのような嗜好飲料だけのころには、それほどの広がりは見せなかったけれど、緑茶や水といった飲み物がペットボトル入りで販売されるようになったことで、前出の会議やシンポジュームといった場面、運動会や遠足といった子どもたちの生活の中にもどんどん入り込んでいっています。たぶんお茶や水なら、いつどんな状況でも飲んでいいっていう意識があるからだと思うけれど。

 毎年夏休みに、親子の陶芸講座を開いています。下は幼稚園の年中のお子さんから、上は小学6年までのお子さんが、お父さんやお母さんと一緒にオカリナを作ったり、カップを作ったりします。基本的には、親が子どもの製作を手伝うということではなく、大人も子どももそれぞれ作品を作ってもらうということで進めているのですが、中にはどうしても”子どもだけで”という人もいます。
 今年も、何組かそういう親子がいました。”親子で”と銘打っているにもかかわらず、”子どもだけで”と言ってくるわけですから、当然それだけでも他の人からはちょっとはずれているわけだけれど、そういう人はよくトラブルを起こします。今年は5年生の親子でしたが、”子どもだけ”ということだったのに、お母さんがずっとそばに付き添っています。確かに作っているのはお子さんだけなのですが、お母さんが最初から最後まで、ずっとそばにいるのです。講座も半分以上が過ぎ、終わりに近づいたころ、お母さんがバックの中からペットボトルを取り出すと、自分の子どもと、一緒に来ていた子どもの友達に飲み物を飲ませ始めたのです。それがまたひどいことに、ストロー付きのフタで、子どもは一切ペットボトルに触れるわけではなく、お母さんがペットボトルを持って、ストローから飲ませているのです。
 子どもだけなら注意するのですが、全体の雰囲気が悪くなってしまうのが嫌だから親子の時にはかなり注意しにくいもので、こういうときは無視をするしかありません。5年生の後ろには1年生が2人で作業をしていたので、飲み物を飲んでいることに気づいた1年生2人も当然のことながら「私ものどが渇いた」と言い出してしまいました。終わりも近づいていたので、1年生のお母さんも、子どもの要求には応えず、それでその場は収まったのですが、さすがに私もあきれるばかり。
 必ずしも人と同じにしろとは言わないけれど、もう少しマナーは守らないとね。
 ペットボトルのような便利なものが出てきて、いつでも自由に飲み物を飲んでいられるようになったりすると、人との関わりの中で生活しているっていう意識がだんだん薄れてきてしまうんだよね。
 5年生の子どもたちが飲みたがったわけではなくて、お母さんが自分の子どもにだけ気を遣ってた。そういうことがないように、くれぐれも注意注意!
 気を遣うときは自分の子どもはあとにして、まず周りの子に気を遣わないとね。

(文:大関 直隆)

2004/08/16(月)
第122回「ド・レ・ミ・ファ・トー」
「もう一回やるよ! ド・レ・ミ・ファ・ソー はい!」
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
「何やってるの! ゆびー! それじゃあ、ダメでしょ! もう一回!」
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
「あーあーあー、そんなんじゃダメ! やる気あんの!? ”ド・レ・ミ・ファ・ソー”でしょ! もう一回!」
努(つとむ)の涙が鍵盤の上に落ちました。
「ド・レ・ミ・ファ・トー」
 もともとあまり器用でない努が泣きながらピアノを弾いているのですから、怒られれば怒られるほど、うまく弾けるわけもなく、怒鳴り声だけがむなしく響き、時間が過ぎていきます。毎日行われる1時間のピアノの練習は、5歳の努にとってあまり楽しいものではありません。努はピアノの前に座った途端、身体は硬直し、顔がゆがみます。
努の習っていたピアノの先生は、地域の音楽家の間でも厳しいという評判で、東京芸術大学や桐朋音楽大学のピアノ科といった特別な大学を除けば、音楽大学の受験について、
「××先生についているならピアノは心配いらないですね」
と言われるほどでした。

 努は3歳からピアノを習っていました。親の立場からすると、何歳から習い事をはじめさせるかということは大問題で、職業選択という将来の選択の幅まで考えると、ピアノやバイオリン、バレエのようなものは、かなり早いうちから始めないと間に合わない。けれども3歳、4歳といった時期に、子ども自身にやりたいものがあるわけもなく、結局親の趣味や好みで子どもの習い事を選択することになる。
 私は高校に入ってから合唱を始めて、音楽の道に進もうかなあという気持ちを持ちました。けれども、まったくピアノを習ったことがない。まあ、時代もあったとは思うけれど、男の子がピアノを習うなんて感覚は、私が育った家には全くなかった。ちょうど浦和のサッカーが一番強いころだったこともあって、男の子が何かをやるといえば、決まってサッカー少年団。親から「習ってみれば」と言われたのは、習字にそろばん。そんなものは人生選択に大きな影響を与えるものではなく、ピアノやバレエを習うっていうこととはちょっと意味が違う。
 高校時代は、「なんでピアノくらい習わせておいてくれなかったんだろう」って思ったけれど、もし努のように3歳からピアノを習わせようとしていたとしても、”わが家の環境””私の性格”からいったら無理だっただろうなあと思います。
 努のピアノの先生(妻や私、わが家の子どもたち全員が習っていたのだけれど)は、
「大関さんねえ、子どもを音楽家にしようとするなら、三代かかるわよ」
と言っていました。音楽家というにはほど遠いけれど、一応、妻も高校で音楽の教員をしていたので、妻から数えても最短で孫の世代。いやいや、大変なことですよね。

 今まさにアテネオリンピックで活躍している人たちの中には、親によって作られた人たちがたくさんいます。例えば、体操の塚原選手、卓球の福原選手、ハンマー投げの室伏選手、レスリングの浜口選手や重量挙げの三宅選手等々。おそらく彼らや彼女らは、生まれた瞬間から人生のレールが敷かれていたわけで、成る可くして成っているわけだけれど、うっかりそれをまねしようとしたなら、失敗しちゃうこともある。実はお父さんがサッカー選手になりたかったのに「子どもがやりたがってる」っていうことにして、中学からサッカー部に入れたけれど、性格が優し過ぎてサッカーが合わなくて、不登校になっちゃった、なんていうことがよくあるから、やっぱり子どもの人生は子ども自身が決めないとね。
 子どもがやりたいこと、あるいはやりたくなるだろうことをしっかりと見極めて、小さいころからフォローしておくのは難しいよね。やっぱり親の責任って重いね。自分が運動神経悪いのに、間違っても”オリンピック選手にしよう”なんて思わないでね。
(文:大関 直隆)

2004/08/09(月)
第121回 「誕生日 その2」
 麻耶(まや)が通っていた幼稚園では、毎月1回その月に生まれた子どもたちを舞台に上げて、「お誕生会」をやっていました。
 「お誕生会」には保護者も招かれ、保護者の見守る中、、誕生月を迎えた子どもたちは、舞台の上で園長先生から名前を呼ばれ、「お誕生日おめでとう」と書かれた賞状とプレゼントを一人一人手渡されます。誕生日というのはみんなそれなりに興奮をするものだから、舞台に上がっているという状況も手伝って、
 「××さん」(園長先生は男の子、女の子にかかわらず、みんな”さん”づけで名前を呼んでいました)
 という落ち着いた園長先生の呼名とは対照的に、ほとんど例外なくみんな、
 「ハーイ!」と興奮してうわずった声で返事をします。
 いよいよ麻耶の番です。
「大関麻耶さん」
 という園長先生の声に、圧倒的に低い、まるで大人の男性のような声で、
 「はーい」
 と返事をしたので、思わず会場から笑いが漏れました。
 誕生日を祝ってもらった子どもたちは、このあと園庭で保護者一緒に記念撮影をします。麻耶は3年間幼稚園に通っていましたが、3年間一緒に「お誕生会」をやった子がいて、誕生月が同じというだけなのに、どういうわけかこの子とは他の子とちょっと違った関係を築いていました。

 「お誕生会」と言えば、幼稚園や学校でやるものばかりじゃないよね。誰でも何回かは自分の家に呼んだり、友達の家に呼ばれたりしたことはあると思うけれど、これがけっこう問題。
 自分が誕生日の時は、誰を呼ぼうか迷っちゃう。そして、友達に呼ばれたときは何をプレゼントに持って行こうか迷っちゃう。結局どっちの場合も迷うんだけれど、一番タチが悪いのは、「××ちゃんは呼ばれたのに、なんで私は呼ばれないんだろう?」っていうやつ。誕生日に誰を呼ぶかなんて、呼ぶ側の自由なんだから、周りがガタガタ言うような性質のものじゃないんだけれど、「私が一番仲のいい友達」なんて思っているのに呼ばれなかったときのショックは大きいよね。自分だけが呼ばれると思っていたら、いつも悪口の対象になってるとんでもない奴まで呼ばれてたりしてね。そんなのも嫌だよね。「なんだ、もしかして他の奴の前では私の悪口言ってるんじゃないの?」なんて疑心暗鬼になっちゃう。誕生会がきっかけで仲が悪くなっちゃたりしてね。そんなことよくあるんじゃない?

 結局ウチの子どもたちは、ほとんど友達を呼んだことがなかったね。上の2人の時には、何度かあったように記憶してるけど、兄弟が多くなってくるとウチの中で誕生会やるだけでけっこうな回数になっちゃうし、プレゼントもそこそこもらえるし…。5人の子どもと私と妻とおじいさん、おばあさんまで誕生会をやってるからね。それだけでも1年に11回。
 まあ、お友達を呼ぶときは、あんまり問題が起きないようにそこそこにね。
 小学校2年生の時、私の「お誕生会」をやったんだけど、母が用意したごちそうは、こんにゃくの煮付け、きんぴらごぼうに赤飯。 飲み物は麦茶。今から40年くらい前の話だから、無理もない部分はあるけれど、友達の家に呼ばれたときは、唐揚げにサラダにケーキにフルーツ、飲み物はカルピスだったよ。さすがに40年経った今でも、この惨めな気持ち、ちゃんと覚えてるんだよね。
 毎年、子どもの誕生日を迎えて一番嬉しいのは、お父さん、お母さん。その気持ちがしっかり子どもに伝わるといいんだけどね。
(文:大関 直隆)