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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2002/07/23(火)
第20回 「血」
 40代・50代になると問題になるのが親のこと。

 我が家も例外でなく、最近の話題の中心は親。

 90歳の義父と86歳の義母は、熊谷に二人きりで住んでいるので、退職をした妻は頻繁に熊谷へ。明治生まれの父はとても頑固で、母以外の人の世話になるのが嫌い。昨年母が圧迫骨折で入院したことがきっかけで、最近やっとヘルパーさんに週に数回きてもらって家事援助をしてもらうようになりました。

 父が若い頃に脊髄カリエスを患ってはいますが、最近は両親ともめっぽう元気で、何の手助けもなく二人で生活ができましたので、頻繁に実家に行く必要もありませんでした。ところがここへきて、急に体力がなくなったように感じます。そんなとき、ちょうど妻が退職を迎えたので、頻繁に熊谷へ足を運べるようになったのです。

 今までは、年に数回の旅行やお盆・お正月、あとは特別なことがないとあまり顔を合わせることがありませんでしたので、それほど両親の生き方を強く意識することはありませんでした。ところが、頻繁に顔を合わせるようになるとどうしてもやり方の違いや考え方の違いが気になり出し、両親の生き方を意識しないではいられなくなりました。

 それが両親の兄弟(叔父や叔母)の生き方、さらに祖父母やいとこの生き方とどんどん広がって・・・。そしてそこに、何か共通しているものがあることを強く感じるようになったのです。

 当たり前といえば、当たり前なのですが、これが「血」(なんかオカルト映画みたいですね)なのか「環境」なのか、はっきりとしたことは、まだ私の中で整理がついていませんが、まったく違った環境の中で育った妻の父方のいとこなどを見ていても、相当共通するものを持っているので「やっぱり<b>血</b>なのかなあ?」などと思います。

 それが私たちの中にも生きているとしたら、ある部分でそれを修正しつつ子育てをして行かなくてはならないのかなあ???

 幸いなこと(?)に子どもたちは妻の遺伝子と私の遺伝子を持っているので、欠点はある程度うすまっているのでしょう。でもその分、長所もうすまってしまっているのですけれど・・・。

 今回は前書き。中身に触れてしまうと長くなってしまうので・・・。

 妻の両親、私の両親、そして大関家(妻の実家)、大沢家(私の実家)を考察することによって私たちの生き方、子育てのやり方・考え方を考察することにしてみたいと思います。

 全3回くらいになるかなあ???

(文:大関直隆)

2002/07/16(火)
第19回 「学校に行けない・・・」
 さしたる理由があるとは思えないけれど、昔「登校拒否」って言っていた「子どもが学校へ行かなくなっちゃう状態」を、最近は「不登校」って言うことが多くなりました。どうもこういうことを勉強するのが苦手なので、なぜ「不登校」っていう言葉に置き換えられつつあるのかよく知らないんですけれど、私は「登校拒否」の方が好きです。なぜかというと「不登校」っていうのが”その状態をただ客観的に表現している言葉”なのに対して、「登校拒否」は”子どもの意志に重きを置いて表現している言葉”だからです。

 でも、私も最近は「不登校」っていう言葉を使うことが多くなっているんですけどね。やっぱり「拒否」っていう言葉の響きがきつすぎるのかなあ??? 何となくですけど、学校へ行かなくなってしまった責任を「親」にかぶせる言い方が「不登校」、学校にかぶせる言い方が「登校拒否」、そんな感じがしないでもないですね。好き嫌いは別として、とりあえずここでは少しソフトな感じで「不登校」っていうことにしておこうかな・・・。

 私も中学一年の時に不登校になったことがあるんですよね。夏休みが終わって二学期が始まったら学校に行けなくなっちゃって、ちょうど一ヶ月くらい休みました。今から30年以上前で当時は今のように「不登校全盛」の時代じゃなかったので、どこか具合が悪いんじゃないかってあっちこっちの医者にかけられて、なんかわけのわかんない病名をつけられたりして・・・。

 振り返って考えてみると私の場合は中学のサッカー部の「水」が合わなかったのが原因だったんじゃないかなあ??? 今でもあのころのサッカー部のことを思い出すと、なんとなく自分の生き方や考え方とはしっくりこないものがあって・・・。結局学年主任だったバレー部の顧問の先生に勧められてバレー部に移ってからは、学校に行けるようになったんです。

 不登校の原因はいろいろあると思いますけど、親や周囲の期待が大きくてその重圧に耐えられなくなっちゃうパターンと、自分の出番が見当たらなくて居場所を見つけられなくなっちゃうパターンがほとんどなんじゃないかなあ。無理やり分類すれば、前者が「登校拒否」、後者が「不登校」なんていう分類もできるかも・・・。もちろん、その複合型なんていうのもあるけどね。

 どうも我が家の子どもたちは、程度の差こそあれ必ず一度は「不登校」になるらしくて、私の中では「不登校」は「一種の成長過程」なんていう意識がすっかり定着しています。思春期に親離れをしようとする子どもにとって、学校のような時間に追われている生活ではなくて、しばらくじっと考える時間が必要なのかなあ、なんて思います。それがいつどんな理由でやってくるのかがまだ私には解明できていないので、つまらない(かなり重大なことの時もあるけれど)ことがきっかけで、学校に行くことができなくなってしまうと、やっぱり動揺しますよね。

 まさに先週まで、中学3年の翔(かける)が学校に行けなくて、やっと昨日(7月15日)から学校に行けるようになりました。また今日はわからないけれど、たぶん大丈夫じゃないかなあ??? これは親の勘!
 
 中耳炎が引き金で、確かにかなり具合も悪かったので、単純に不登校っていうわけではないのだけれど、やはりそんなときでも学校の中での自分の出番が発見できないと、なかなか登校するきっかけをつかめないみたいです。翔の場合、たまたま生徒会長をやっていて「ジュニア議会」(たぶん市か市教委の主催でやっている模擬議会。中学生の生徒会役員が出席するらしい)が夏休みにあったり、文化祭で音楽の先生と琴の合奏をしたり、中学校生活最後の公式戦(サッカー部の補欠だけれど)があったりと出番がたくさんあったので、なんとか行けるようになりましたけど。

 ちょっと前まで、「不登校」には登校刺激を与えずに待つというのが定番だったけれど、思いの外それは「ひきこもり」を生んでしまって、最近では「ある程度の登校刺激も必要」と考えられるようになってきているようですが、今回の翔の不登校で考えたのは、「出番」ということでした。たまたま「出番」のアイテムをたくさん持っていたことが、翔の登校のきっかけになったように思います。「一種の成長過程」という思いはありながら、やっぱり登校できるようになるとホッとしますよね。

 「今の学校なんて行けない子の方がいい子」なんていう言い方をする人がよくいますけれど、そうでしょうか? 私も行けないことがそんなに悪いことだとは思わないけれど、やっぱり行けないっていうことは人との交わり方が未成熟だっていうことなんじゃないかなあ???

 声をかけるとベッドで布団にもぐってしまう翔を見ているより、ニコニコと通学する翔を見ている方が親としては嬉しいですよね。
(文:大関直隆)

2002/07/09(火)
第18回 「人生経験4分の3!」
 行きつけのお寿司屋の店長に、
「子どもが幼稚園に行きたがらないんですけど、いいんですかねえ?」
と聞かれました。
「いくつですか?」って聞いたら、
「4歳です」っていう答え。
よく聞いてみるとまだ正式に入園しているわけじゃなくて、来年の4月に2年保育で入園するとのことでした。

 最近は「慣らし保育」みたいな言い方の通園をやっているところが結構あって、まだ正式には入園していない子どもたちを週一回だけお母さんと一緒に来させるとか、夏休み中に次年度入園の子どもたちを集めて行事をするとか、どこの幼稚園もあの手この手で園児集めに躍起になっているみたいです。ここで間違っちゃいけないのは、これはあくまで経営上園児を集めなくてはならない幼稚園が、他の幼稚園に子どもを取られないようにツバを付けてるのであって、本来子どもの教育のためにやっているのではないっていうこと。(こんなこというと幼稚園を経営している人に怒られちゃうかな?)

 だから、幼稚園にしてみれば早ければ早いほどいいわけで、子どもの発達段階とは無関係。個体差はあるにしても、当然社会性の育っていない子どもたちも「幼稚園という商売」のターゲットになっているわけで、そんな中で「幼稚園に行きたくない」なんていうことが起こるのは当たり前です。

 店長には、
「心配することないですよ。ウチの居心地がいいんですよ、きっと」って言っておきました。おじいちゃん、おばあちゃんが一緒に住んでいるそうなので、きっととってもかわいがってもらっているんでしょうね。

 ちょっと前のことになりますけど、ウチと同じマンションのお子さんで、3年保育に入園した女の子がいました。2ヶ月くらいは通ったかなあ??? 毎朝送迎バスに乗るのを嫌がって、お母さんは相当苦労していました。無理やり乗せてみたり、時には子どもに負けて休ませてみたり・・・。どっちにしても、子どももお母さんもすごいエネルギーを消耗するわけで、日増しに子どもを見るお母さんの表情がきつくなっていくのがわかりました。結局夏休みまでは持たずに、幼稚園をやめることに。

 でも、その決断は正しい決断だったんじゃないかなあ? 翌年同じ幼稚園に2年保育で入園して、元気いっぱい通っていましたから。

 いろいろなところで行われている幼児教育もそうだけど、大切なのは子どもの発達段階にふさわしいかどうかだと思います。子どもを受け入れる側は、少しでも早く子どもを手に入れようとして、なんとかかんとかうまいこと言って誘ってくるけれど、そこでお母さんやお父さんがきちっとした判断をすることが大事ですよね。

 学校に上がった時、4月生まれの子と3月生まれの子を比較することがよくあるけれど、3年保育で入園する子って入園してすぐに4歳になる子と入園直前に3歳になった子までいるんだから、同じような規範の中で生活するなんてとても無理ですよね。人生経験が4分の1も違うわけでしょ。率でいったら80歳のおばあさんと60歳のおばあさん(これは妻に怒られちゃうよ。去年60歳になったけど確かに妻を見てるとおばあさんにはほど遠いもんね)と同じですもん。当然やれることも違うわけですよね。

 やっぱり、自分の子には何があってるのかしっかり考えないと・・・。
 焦らない、焦らない! だね。
(文:大関直隆)

2002/07/02(火)
第17回 「次はどこ潰す?」
 前回、「ソニーと任天堂とセガ」だったので、今回はどこにしようかなあ?なんて考えてたら、思い出しました。

 もうとっくに二十歳を過ぎた息子と娘が小学校に通っていたときのこと。

 私の住んでいる地域ではこのころのPTAってとっても強くって、学校に対してもかなりの影響力を持っていましたし、最近とは違って充分に圧力団体(悪い意味ではなくて)していました。PTAの総会はもちろん、役員会にも先生方がけっこう出席してくださって・・・。時には「親と教師の考え方の違い」みたいなものがあからさまになって、ぎすぎすすることもなくはないのですが、それがまた話し合いのきっかけになったりもして、今考えてみる、とまさに「P・T・A」だったんだなあと思います。

 小学校のPTAといえばどこのPTAも同じように、子どもを対象にした行事が多くあると思います。私の持論としては、子どもに直接関わるような行事はあくまで先生を通して行って、PTAとして保護者単独ではやるべきでないと考えているのですが、ウチのPTAも「親子レクリエーション」なんていう行事をどこの学年もやっていました。というより、その「親子レク」をやるのがPTAの役割だって考えている人が多かったように思います。まあ、今はその辺の是非がテーマじゃないのでそれについてはまた後に譲るとして・・・。

 その「親子レク」で何をやるかという議論をすると必ず出てくるのが、「今の子どもたちは・・・」という言葉でした。

 今の子どもたちは「ナイフで鉛筆が削れない」「リンゴの皮がむけない」「風呂敷が縛れない」「蝶々結びができない」etc.

 そこで「親子レク」に登場しそうになったのが、そのものズバリ!
「リンゴの皮むき大会」と「鉛筆削り大会」でした。実際に私の子どもより何歳か上の学年ではやっていたようですが、私の学年ではやりませんでした。

 でも確か、学校から「ボンナイフ持って来い」なんて言われて、子どもは削った鉛筆を持って帰ってきたことがあったし、「パパはリンゴの皮を切らないで最後まで剥ける?」なんて言われて、家で最後まで切らずにリンゴの皮を剥いて見せてやったこともあったし、さらに「風呂敷を持って来い」とか「紐で縛るエプロンを持って来い」なんていうこともあったから、学校では不器用になった子どもたちを器用にするプロジェクトが組まれていたみたいです。

 昔に戻ることなんてできないんだから、これってナンセンスでしょ?
もしかするとこれを読んでくださっている方たちは、ナイフで鉛筆が削れない人とか風呂敷なんて使ったこと、いや見たこともないなんていう人の方が圧倒的に多いんじゃないの?

 もし、ナイフで鉛筆が削れる方が器用で、削れた方がいいとすれば、電動鉛筆削りなんていうものを作ってる会社(これどこ? 三菱鉛筆? トンボ? コクヨ?)も「ソニーと任天堂とセガ」同様、潰しちゃえばいいよね。でも、今の子どもたちは手先が不器用だなんて嘘ですよね。あのTVゲームを操る指の動きを見ていると、相当器用を自負している私でさえも、唖然とするくらい今の子どもたちは器用に操りますもんね。

 そうそう、そういえば学校で給食の時に使っているエプロン。あれって昔は後ろで蝶々結びで縛ってましたけど、いつからマジックテープになっちゃったんですかねえ? 
(文:大関直隆)

2002/06/25(火)
第16回 「ソニーと任天堂とセガを潰せばいい?」
 県内の小・中学生の体力がここのところ急激に落ちてるんですって。
 ほらっ、学年が一つ上がると毎年体育の時間にやらされましたよね。50m走、持久走、ボール投げ、反復横跳び、踏み台昇降・・・。
 
 たとえば、小学校4年生の50m走はここ数年で0.3秒、中学生の持久走は10秒、小学校高学年のボール投げは男子で2m、女子で1.5m、それぞれ記録が悪くなっているんですって。こうやって数字をあげられると、「これはかなりひどい体力低下だな」って思いますよね。
 
 案外こういう記録って覚えてて、
「私は50m走××秒だった」とか「僕は持久走×分×秒だった」なんていう人もいるんじゃないのかな? 私ももうすぐ45歳になるのに、「私は小学校××年の時には50m××秒だった」なんて子どもに自慢しちゃったりしてね。「じゃあ今、何秒で走れるんだよ?!」って言われると、話題を変えるしかないけどね。
 
 さて、こういうことが発表になると慌てるのが学校。発表してるのは県の教育委員会だったり、文部科学省だったりするわけだから当たり前だけど、いろいろな社会情勢を考えることもしないで、いきなり子どもの指導にくる・・・。
突然「朝のマラソンタイム!」とか「休み時間は必ず外に出よう!」とか・・・。
 
 こういう指導ってどこか間違ってるよね。何のためにやらされてるんだか子どもにはよくわかんない。要するに問題を指摘されたから、「ウチの学校は××をやって体力増進に努めてます」って、そこの学校の校長が言いたいだけなんだから。そんなことで本当に子どもの体力が伸びたことなんてない。
 
 子どもが外で遊ばなくなったことを原因にあげる人が多いようだけど、だからといって学校の休み時間に外へ出したから体力が向上するなんて誰が信じてるのかねえ??? それも強制的にやったりなんかしちゃって、また子どもに負担を強いてる。外に出るか出ないかは社会的環境の変化による結果であって、遊ぶところもないんだから無理やり出したって意味ないよね。
 
 私が子どものころは、空き地もいっぱいあったし、校庭は常に開放されてた。「かけっこ」とかいっちゃって、何の意味もなくただ走ってるのが遊びだったりしてね。今はどうかっていうと、空き地はもちろんなくなっちゃったけど、学校開放とかいいながら休日の校庭も、大人のソフトボールとか少年野球とかサッカーとかで使ってる。もちろんそれがすべて悪いわけじゃないけど、そこには子ども全体の体力向上とは矛盾してるものがあることを大人はわかっていなくてはいけないと思う。
 
 校長先生と話をすると、「開放しても塾や習い事で子どもがこない」って言うんだよね。そのうち塾に通わせてることの批判までしちゃって・・・。それで無理やりマラソンをやらされたり、外へ出されたりする子どもはたまったもんじゃない。習い事や塾の時間が減るんならまだしも、片や学校が受験競争を煽ってる側面もあるわけだから。
 
 よくPTAの中でTVゲームばかりやって問題だって話が出るけれど、TVゲームが問題なら、とりあえずソニーと任天堂とセガを潰せばいい。でもそうはいかないもんね。TVゲームの売り上げが伸びることで今の日本の生活が維持できているっていう側面もあるわけだし・・・。

 まあ、そういった矛盾ばかりを抱えているわけだから、「体力」の問題も子どもに負担をかける前に、まず大人がやらなくちゃならないことは、子どもが外に出たくなるような環境(物理的にも精神的にも)を整備してあげることなんじゃないのかな。
(文:大関直隆)

2002/06/18(火)
第15回 「がまん! がまん!」
 PTA連合会の集まりの「ご挨拶」の中に「がまんを大切に」という話がありました。あるサッカー少年団で、指導者とトラブルになった5人のレギュラー(?)のお母さんたちが子どもをやめさせてしまったという話。「子どものためには親は多少のがまんをすべし」というお話であったと思うのですが、まあその通りと思うところがある反面、どこかちょっと違和感があって・・・。

 本当にお母さんたちががまんをするのが正しいのかなあ??? おそらくがまんはしてきたけれど、それが限界にきてやめさせたのでは? そう考えるほうが自然ですよね。

 幼稚園をやめさせちゃった経験を持つ私の感覚は、ややお母さん寄り。幼稚園と違って少年団は仕事でやっているわけじゃないので、そういう意味では「義務」はないわけですけど、でも何かを教える指導者という点を考えれば、子どもの信頼、親の信頼があってこそ成り立つもの。そこのところが、どうも欠けている。監督、コーチあるいはもう少し幅を広げて、教師とかいう肩書きが付くとなんでも自分の思うようにやっていいという錯覚に陥るんじゃないのかな??? 明らかに主体が入れ替わっちゃったりして・・・。

 子どもや親に媚びることで人気があるのが名監督とは思わないので、時に子どもや親と対立しても頑固に譲らないなんていうのも嫌いじゃないけれど、その前に確固たる信頼関係を築いておくことが必要ですよね。それができないのはいい監督、コーチではない。

 そういうことを抜きに「がまんが大切」はちょっと違うんじゃないかな???

 世の中には、「非常識なヤンママ」批判が横行してるけれど、本当にそうかな???
「今の若い連中は・・・」なんていうのは、今に始まったことじゃなくて、私たちも言われてきたし、たぶんもっと上の世代も言われてきたんじゃないのかな?
 最近強く思うのは、大人の(それも40代・50代・60代)マナーの悪さ。つい一昨日も、ファミレスで大きな声で携帯かけてるおじさんがいたし、「前向き駐車でお願いします」って書いてあるマンションに面した有料駐車場で、思いっきりきっちりバックで停めてるおばさんもいました。ああいう奴に限って自分の家が駐車場の隣だったら大騒ぎするんだろうな、なんて思ったりもしちゃって・・・。

 そうそう、電車の中でも大きな声で平然と携帯使ってる教師も知ってるし、かなりのお年寄りや子どもを抱いたお母さんが目の前に立っても、寝たふりをして席を譲らないのは結構いい年をした(もちろん電車の中で立っていても平気なくらいの)おばさんやおじさんですよね。

 「がまんが大切」「マナーが大切」、どちらもその通り。でも、そう言う前に『大人』が考えた方がいいことっていっぱいあるんじゃないのかな???

追記
 よく学校のそばに「あいさつ通り」っていうのがあるけれど、あいさつしてる大人を見たことないよ。学校に行ってもあいさつしないのは、子どもじゃなくて先生方だしね。心当たりある?
(文:大関直隆)

2002/06/11(火)
第14回 「PTA PTA PTA」
「すみません、すっかりご無沙汰しちゃって」
「久しぶりですねえ、お忙しかったんですか?」
「ええ。子どもの学校の役員を引き受けちゃったものですから。こんなに忙しいと思いませんでした。出ることが多くて・・・」
「ああ、そうですか。でも、大丈夫ですよ。私もPTAの会長ですから」
 
 先週のカルチャーセンターの講座はこんな会話で始まりました。初めてPTAの役員を引き受けたときはとても不安なものです。今からちょうど20年前、私も初めてPTA役員を引き受けました。その時は、私と12歳しか年の違わない義理の息子のクラスで役員を引き受けたこともあり、シーンと静まりかえった保護者会の中で、立候補のために挙げた手が震えていました。

 それから20年、5人の子どもたちの幼稚園、小学校、中学校、高校、それぞれの学校で、できる限り役員を引き受けてきました。幼・小・中・高と、4つの学校でいっぺんに役員を引き受けていることもありました。数えてみると延べにしたら40数年役員をやっていることになるようです。

 よく「PTA役員は大変」と言われますが、地域性もあってか一度も大変と感じたことはありません。今、自分の周りをみてみると、ほとんどがPTAで知り合った友人たちで、PTAの存在がなかったら、知り合うこともなかったでしょうし、さらにそういった関係が、「子ども」という同一の存在の上に成り立っている関係で、非常に強い関係であることを感じます。私の場合、11歳しか歳の違わない義理の娘から、30歳違う5番目の息子までいますので、PTAにおける年代の幅も広く、上は私の母の世代から、下は私の義理の子どもたちの世代まで様々です。そういった幅の広い世代の人たちと、「子どもの親」というだけの、全く対等な関係でお付き合いができたことは、今の私の大切な財産になっています。

 さて、そのPTAですが、20年前とはずいぶん変わってきていることを感じます。よく言われるような「今の若いお母さんは・・・」ということよりも、むしろPTAの社会的位置づけという点で変わってきていると感じています。

 一昨日、公民館から、今までの期限が切れるので「社会教育関係団体」の届け出を改めてしてくださいという連絡をもらいました。私が住んでいる川口市の場合、公民館でいう「社会教育関係団体」というのは、主に「××サークル」といったような公民館を本拠に活動しているサークルを指していて、申請用紙には活動内容はもちろんのこと、男女それぞれの会員数、活動曜日・時間帯、クラブ紹介としての情報提供の許諾等の欄があります。PTAとしては答えようがなく、行政がPTAの位置づけをまともに行っていないことがわかります。

 「生涯学習」という言葉が広く使われるようになり、大人の活動はその目的の如何に関わらず「生涯学習」、という色分けになりつつあります。どう考えてもPTAは「社会教育関係団体」ではなく、「学校教育関係団体」(こんな言葉があるとすれば)だと思うのですが、このままだとPTAは保護者だけの会になって、「子どものため」という親の気持ちとはかけ離れたところへ行ってしまうのではないかと心配です。

 追記;「子どものため」が前面に出過ぎて、実は子どもを犠牲にして活動をしているようなPTAもあるので、その辺のことはまた後ほど・・・。
(文:大関直隆)

2002/06/04(火)
第13回 「あっ、コップの水が!」
 腎臓病で入院をしていた麻耶(まや)は、退院後も数年間通院をしました。2週間おきが1ヶ月おきになり、そして3ヶ月おき、6ヶ月おきと徐々に通院の間隔も空いていきました。

 退院後2年が過ぎたころ。麻耶は小学校5年生、翔は3歳になっていました。

 尿検査、血液検査の結果から少しずつではありますが、病状も良くなっていることがうかがえました。通院のときにはいつも翔(かける)が一緒です。再入院の心配もほとんどなくなり、南浦和から虎ノ門への通院は麻耶にとっても翔にとっても、「都会へ出る」という一つの楽しみになっていました。

 入院中からほぼ毎日のように採血されていた麻耶は、腕から血を採られることにすっかり慣れてしまっていて、恐怖心がないどころか採血室を出た途端、にっこりしながら、
「今日のお姉さんはけっこう上手だったよ」などといつも採血をしてくれた人の評価をしたりしていました。

 通院の楽しみの一つに、病院のレストランでの食事があります。ながーい待ち時間とほんのわずかな診察のあと、採血をして、そして薬ができるのを待つ間、必ず3人でレストランに寄りました。

 この日もいつものようにレストランへ。

 もちろんそれほど洒落たメニューがあるわけではありませんが、それぞれ食事とデザートを注文して、注文したものがくる間、水を飲みながら話をしていました。まだ3歳の翔にとって、病院(それも電車と地下鉄を乗り継いで1時間以上かかるような大病院)は、とても興奮するところです。ひとりできちっとレストランの椅子に座っていますが、気持ちが高ぶっているのがわかります。

 滅多にないこと(私はこのとき以外一度も記憶がない)なのですが、夢中になって話をしていた翔の手がコップに引っかかって、水をこぼしてしまいました。

 私と麻耶はすぐにおしぼりで水がそれ以上広がらないように押さえると、不安そうにこっちを見ている翔に、にっこりと微笑みかけました。

 病院のレストランというのは一種独特な雰囲気があります。外来の診察を終えた人、点滴をつけたままお茶を飲んでいる人、身内の手術が終わるのを待つ人・・・、どの人を見てもそれなりにどこか暗い部分をを持っています。

 翔がコップを倒した瞬間、氷の音とコップがテーブルを打つ音でレストラン中の人たちが、一斉に私たちのテーブルを注目しました。ただでさえ静かなレストランが、さらにシーンとなり、全然大げさでなく、一瞬そこにいる人たちの動作が凍りついたのがわかります。そして、次の瞬間、私が翔に微笑みかけているのを見た”観客”たちは、それまで力んであげていた肩を一斉におろすのでした。
そこに居合わせた誰もが、私が翔を怒鳴りつけることを想像した瞬間だったのです。

 子どもはよく失敗をします。けれども、それを認めようという気持ちをほとんどの大人は持っています。そして、誰かが子どもの失敗を認めた時、それを見ていた大人たちはとても暖かい気持ちになります。
「ああ、怒らなくてよかった!」
ほんの一瞬、暗い病院のレストランの中が”ポッ”と明るくなったことを、私はとても幸せに感じました。

 「やっぱり子どもの失敗を怒るのはやめよう」、その時そう思ったはずの私でしたが、すっかりそんな体験は忘れて・・・

 やっぱり子どもの失敗を怒るのはやめよう!!
(文:大関直隆)

2002/05/28(火)
第12回 「男の子育て」が注目されてはいるけれど・・・
 最近「男の子育て」を取り上げている新聞記事をよく目にします。「ああ、やっと男の子育ても認知され始めた」っていう思いがある反面、「子育て」っていうことが本当に理解されているのかなあと疑問に思うこともよくあります。

 「子育て」っていうことに対する考え方も千差万別なので、どういう子育てがいいとか悪いとかいうのは難しいけれど、「男の子育て」を扱った記事や本をみて感じるのが、”男は無責任”っていうことです。もちろん私が完璧な子育てをしてきたわけじゃないので、中学三年になる翔(かける)についてはもちろんのこと、二十歳を過ぎた息子と娘、三十歳を過ぎた娘と息子、誰を見ても間違った子育てをしてきてしまったのではないかという後悔の念ばかりでではありますが。

 けれどもそういった問題とは別に、「男の子育て」から見えるものは、「みたい時にみる」的発想です。「やってみるとおもしろい」「休暇のときに子どもをみる」「子どもと遊ぶ」こんな言葉が並んでいるものも結構あります。もちろん、日常的に子どもと接する時間が少ない父親にとって重要なことなので、そうできる父親が増えるといいなあとは思います。けれども、これが「子育て」ではないという認識を持つことも重要です。

 テレビや雑誌で取り上げられるようになってから、かなり多くの場所で講演をする機会を与えていただきました。夫婦の年齢差のこと、ステップ家族(継父・継母がいる家族のことを最近そう呼ぶのだそうです)のこと、主夫のこと、性教育のこと、いろいろ話をしますが、さらに細かくいえばその中に「男の子育て」があります。これには重要な要素がふたつあります。ひとつは「男の」ということ、もう一つは「子育て」ということです。

 はじめに述べたように、「男の」という部分については、やっと認知がされてきたので、私がまさに小さい子どもたちを育ててきたころに比べると、ずいぶん「男」が育てることも楽になったなあと感じます。マスコミに登場することで私も少しはそういった世の中の流れに貢献できたのかなあ、なんて時々思うこともありますけれど。

 ところが一般に「男の子育て」といった場合には、ここで終わってしまっていると思うのです。もう一つの要素である「子育て」の部分は常に省略されているような気がします。

 子育ての本質は「休みがない」ということです。自分がどんなに具合が悪くても、子どものことは必ずやらなければならないのです。そこがほとんどの「男の子育て」には欠けています。とりあえず「子どもと接する時間を持つこと」、それで充分だとは思いますが、さらに一歩進んで「休みがない」という子育ての本質を理解することが、女性の子育てを理解することにつながり、さらに「男の子育て」を広げることになるのではないでしょうか。

 「女の」「男の」といったことが話題にならない社会が早く来るといいですけれど・・・
 ちょっと今日は堅い話でした。

 
Re: 第12回 「男の子育て」が注目されてはいるけれど・・・2002/05/29 14:47:15  
                     あやちゃん

 
少しでもいい、お風呂入れだけでもいい、保育園のおむかえだけ
でもいい。ともかく、男でも、女でも,子供でも,年寄りでも、
「経験を共有」することが大事ですよね。いろいろな日常の
仕事を身軽にやれる。そういう家族だと楽しいのに・・・
と思います。
 

元の文章を引用する

 
その通りですね2002/05/31 19:05:03  
                     大関直隆

 
私が複雑な家族関係の中で一番重要だと考えていたことが、
「体験の共有」(ちょっと言葉が違いますが)ということでした。
それがないと、なかなか人間関係はうまくいきませんよね。
翔(かける)の出産のときは、家族全員が立ち会いました。
必ずしも立ち会うことがいいとは考えませんが、
わが家にとっては「体験を共有する」いい機会でした。
わが家では、私が子育てをしましたが、どっちが育てるのがいいということでなく、
「男の子育て」ということでいえば、「できることからやってみる」それでいいんだと思います。
子育ての大変さをお互いに理解し合って、初めていい夫婦関係が築けるんじゃないでしょうか。
子育てって楽しいこともいっぱいあるしね。
大変さばかりじゃなくて、楽しいことも「共有」ですよね。
 

元の文章を引用する
(文:大関直隆)

2002/05/21(火)
第11回 「めだかの学校はなかったけれど・・・」
 「ドドドドドッ ドドドドドッ ドドッ ドドドッ」
 「??? なんの工事?」
 カルチャーセンターの中なのに、まるでアスファルトの道路を掘り起こしているような音です。
 「ドドドドドッ ドドドドドッ ドッ ドドッ」
 なんの音かと思ったら、隣の部屋でやっているフラメンコの音です。
 手に付けたカスタネットの音は全然聞こえてこないのですが、あのフラメンコ特有の床を踏みならすステップの音が地響きのように伝わってきているのでした。

 どういうわけか私がカルチャーセンターで陶芸を教えている日は、同じカルチャーセンターの中で音のする講座が多いんです。
♪チャーン チャンチャンチャンチャンチャンチャン チャーンチャンチャンチャーン♪
わかる? わかるわけないよね。これは「京都の恋」。
知らない? 
ベンチャーズが作曲して、渚ゆう子(これでいいんだったかな?)っていう人が、昭和45年に歌って大ヒットした曲。
 大正琴の講座でこの曲を練習しているところもあります。。
「違う、違う! そこは『タ・ターン・タ』でしょ!」
けっこう怖い先生が、けっこう年輩のおばあさん(失礼!)に教えています。
私が中学生のときの曲だから、けっこう懐かしいんですよ。
 そうかと思うと別なカルチャーセンターでは、
♪ターラーラーラー ターラララーララ ラーラーラーラーラーーラー♪(これは、ロシア民謡の「赤いサラファン」)
とオカリナで練習してる。
これも高校の音楽の授業でやったからやっぱり懐かしい。
 こういう曲がいつも隣の部屋から聞こえてくるんです。それなりの年齢の人間にとっては、ちょっと口ずさみたくなるような感じなんですよ。先週なんて、私の講座の人がホントに口ずさんでいましたから・・・。

 それでさっきのフラメンコに戻るんですけど、
すごく激しい「ドドドドドッ」という工事現場のような音はしばらくすると止みます。たぶん休憩が入ったりするんじゃないのかな?
 そうすると今度は、
♪せんせえとー おっともだちー せんせえとー おっともだちー♪
って、かわいい子どもたちの声が聞こえてきます。
 向かいの部屋では、幼児教室をやっているらしいんです。ところがこれがまた懐かしい。5人も子どもを育てたので、よくわからなくなっちゃってるんですが、どうも私が子どものときに幼稚園で習っていた曲を歌っているような気がするんです。
何の抵抗も感じずに、けっこう歌詞が出て来ちゃったりしますから・・・。
 すごい勢いで時代が変わって、次世代について行くのはかなりしんどい時代になってきているのに、幼児教育で扱われている曲だけは古くならない。たぶん、幼稚園に子どもを通園させているお母さんたちも、「京都の恋」は知らなくても、私が幼稚園で習っていた曲には知ってる曲があるんじゃないかなあ??? 「京都の恋」より古いのに・・・。
 「名曲は残る」なんていう言われ方をよくしますけど、
♪せんせえとー おっともだちー♪  が名曲とも思えないし、
♪マツボックリがー あったとさー♪ まで出て来ちゃうと、
「おいおい、そこにいる子どもたち(3歳前後の)ってマツボックリってわかるのかよ」って言いたくなっちゃう。結局、名曲だから残っているんじゃなくて、幼児教育が進んでないんだっていうことに気づくんです。
 時代が変わっているのに教育が変わってないっていうのは、ちょっと心配ですよね。
(文:大関直隆)