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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2008/03/10(月)
第300回「達成感 その1」
どういうわけか理由はわからないんですが、1月の終わりころから今月にかけて、陶芸教室の入会者が増えています。陶芸教室のような仕事は、どうしても季節に左右されがちなので、例年だと入会者が多いのは春と秋。もっと細かく言うと、一番多いのが10月で、次に5月、4月、11月っていうような感じ。(あくまでもうちの教室はっていうことですけれど)

大人の習い事というのは仕事や子どもの生活に影響を受けるので、「就職が決まった」「転勤で越してきた」「子どもが入学した」「子どもが卒業した」等々の理由で、ほぼ毎年同じような動静になります。4月よりもむしろ10月、5月が多いのは、4月に生活が変わって半年が過ぎ、生活が落ち着いてきて、夏休み明けの旅行気分も抜けた時期ということ、子どもの生活が変わり、学校の諸行事も一段落、自分のことに目を向けられる時期ということ、なんていうあたりがその大きな理由だと思います。仕事にしろ、子どもの学校にしろ、4月は行事が目白押し、9月はまだまだ気分は夏休み、しかも夏にお金を使ってしまい懐が寂しい。誰もがそんな事情を抱えているからなんでしょう。

ところが、今年はなぜか年明けの1月から今日までの入会者が例年になく多い。いつもだと今ごろから、タウン誌に広告を打って、4、5月に備えるっていうところなのに、すでに続々と体験レッスンに押し寄せて、多くの方に入会していただきました。
「ん〜、なんでだろう?」
と考えてみるに、広告媒体の変化と労働形態の変化かな?という気がします。これまでは、時期を見てこちらが打ったタウン誌への広告に反応して入会したということが多かったけれど、最近はいつでも自分から見られるインターネットの広告媒体が主流になってきたこと、そして労働形態も4月入社の正社員という形から、時期に関係のない契約社員、派遣社員という形が増えてきたこと。そんなことから、今までとは動静が著しく変わってきたのだろうと想像されます。

そして、もう一つ大きな理由があります。それは、私の気合い。
これまで、ほとんどスタッフに任せてきた体験レッスンに、私もかかわるようにしました。すると、スタッフだけで体験レッスンを行った場合の入会率はおおよそ10〜15%といったところだったのに、私がかかわった場合は、90%超えに。経営上のことで言えば、それはとってもまずいことで、私も経営者として、スタッフにきちっと指導をしなければなりません。いったい、どこがそんなに違うのか???

体験レッスンに訪れた人に対するスタッフの対応をよく観察してみました。すると、いくつか気付いたことがありました。一つは、全体の手順。入会するための体験レッスンなんだから、本来ならどこかベストなタイミングで、入会についての説明がなくてはならないのに、まず焼き上がった作品を取りに来てもらうことありき(当然、入会した人には関係ないわけですが)で、「焼き上がったら、ご連絡いたしますので、取りに来てください」なんて説明ばかりしていて、入会についての説明が後回しにされている。もう一つは、体験レッスンの人に座ってもらう場所。もちろん、現会員の皆さんもいらっしゃるわけなので、最も適した場所は、うちの教室の場合なら、入り口を入ってすぐの所(全ての会員の皆さんを回った場合のちょうど中心点で、しかも教室全体が見渡せる)に決まっているのに、最も奥の一番適さない場所に座ってもらったりしている。

そして、最悪なのが教え方。(結局全て悪いわけですよね。まったく今まで経営者として何をやってきたのか・・・)人が何かを始めて、それを継続するのに大切なのは、そのことが楽しいということ。楽しいということは、どういうことかというと、もちろん好きか嫌いかということも重要な要素ではありますが、「達成感」を感じられるかどうかが、楽しいか楽しくないかの鍵です。「達成感」というのは、「できなかったことができた」という喜びです。どんなことにも器用・不器用はありますので、陶芸を教えていると初めから上手に作る人もあれば、下手な人もいます。体験レッスンをしていて、上手に作る人が入会するのかと言えば、そういうわけでもなく、それではうまくできなかった人が入会するのかと言えば、もちろんそれも違います。入会に絶対に必要な要素が「達成感」なんです。「教わったことで、それまでできなかったことができた」と感じてもらうことが最も大切です。「教わったらできた」「教わればできるんだ」という感覚は、安心感を生みます。そして、さらに将来の「自分像」(どれくらい先にどんな自分になれるのか)を示してあげることで、その安心感は高まります。

そんなことが感じられる体験レッスンなら、かなりの確率で入会してもらえるというわけです。大人が陶芸のようなことを習おうとする場合、その後の自分の生活設計や経済的要素なども加わるので、単純に達成感やその後の自分像だけで、継続するかしないかが決まるわけではありませんが、これが子どもの場合であれば、陶芸に限らず、全てのことについて言えることですね。

陶芸教室に入会するか・しないかの要素が、上手い・下手ではなく、達成感を感じられるか・感じられないかだとすれば、子どもの意欲を育てるのも、偏差値が高いか・低いかではなく、いかに達成感を感じさせることができるか・できないかということですね。

たった今、孫の蓮(れん)が目の前で、パンにマーガリンを塗っていますが、「パンにマーガリンがひとりで塗れた」、たったそれだけのことにも、達成感はあるわけです。日々の繰り返しの中で、子どもの心は育っていきます。そんななんでもない日々の達成感が、子育ての勘所なのかもしれません。
(文:大関 直隆)

2008/03/03(月)
第299回「子ども監視団」
「うちの子の通っている中学校、荒れてるんですよ」
そんな話をあるお父さんから聞きました。そのお父さんの話によると、授業中、子どもたちを監視するため、校内を巡回している人たちがいるらしい。

その話を聞いて、思い出しました。この連載の142回、143回で取り上げた「学習障害と注意欠陥・多動性障害」に登場した学校。その学校にも子どもたちを監視する保護者がいました。毎時間、廊下に置いてある椅子に2名ずつ保護者が座って、子どもたちを監視しています。学年の1割の生徒が「アスペルガー症候群(※1)」あるいは「注意欠陥・多動性障害(※2)」という学校の判断で、保護者を廊下に座らせ、子どもたちを監視させている(すでにあれから3年以上経っているので現在の状況はわかりません)のですが、その目的はというと、「生徒を教室から出さない」あるいは「出て行かないように注意をする」(確かに保護者が注意するというのは難しいと思います)ということではなく、「授業中に教室を出て行ってしまう生徒が多いという状況を保護者に見せるため」だというので、学校と保護者の関係の悪さ、信頼関係のなさにびっくりしました。学校と直接話をした時の、「生徒が教室を抜け出し、授業が成り立たないのは、あなたたち(保護者)のせいなんですよ」という露骨な態度にあきれもしました。

生徒が悪いのか、学校が悪いのかという問題は、どちらが先かという問題にもなるので何とも言えない部分はあるのですが、子どもたちに言わせると「授業がおもしろくない(先生がえこひいきをする、まともな授業じゃない)」ということになるのですが・・・。

さて、最初の話に戻りますが、そのお父さんの言うところの「荒れている学校」は、PTAのOBが巡回しているとのこと。これは、おそらく最近流行の「地域との連携」ということなのでしょうが、学校の中に子どもを見張る「監視団」がいるというのもどんなもんなんでしょうか。私の感覚では、子どもは「見守る」もので、「見張る」ものじゃない。
前述の話とは違い、私が直接学校と話をしたり、直接見たわけではないので、その話から私が受けた感覚と事実との間には、ひょっとするとやや開きがあるのかもしれませんが、事実とすれば、寂しい話です。うちの弘子と努が中学生だったころ(80年代前半)、浦和近辺の中学校は大変荒れていました。あちこちでいじめがあったり、暴力事件が起こったり・・・。弘子と努の通っていた中学校でも、火のついた雑巾が窓から降ってきたり、窓ガラスが割れたりすることもありました。とても大変な時期でしたが、それをなんとかしようと努力したのは、先生方でした。先生方がしっかり生徒と向き合う、そこからスタートです。もちろん、先生と生徒の間だけで解決できないこともありますが、そんなときは、しっかり親とも向き合ったものです。

時は流れ、大きく社会情勢は変わりました。4分の1世紀以上も前の話が、そのまま通用するわけではないにしても、まず向き合わなければならないのは教師と生徒、そして保護者。そんな基本的な部分が変わるわけはありません。どうも最近は、いきなり当事者を飛び越え、外部へという傾向が強まっているようで、とても心配です。他人事ではなく、もっとしっかり現実と向き合い、自分たちの問題として捉えること無しに、荒れる学校の解決はありません。

子どもを「見張る」ための監視団なんていうのは、子どもたちの学校に対する不信感を増すだけです。すぐにやめて、教師と生徒の信頼関係を構築してほしいものですね。

※1 アスペルガー症候群
言語発達や認知発達といった知的発達に遅れのない自閉症。高機能自閉症と同じ(研究者により異なります)意味に使われることが多く、特徴として1)他者との関わりの中で浮いてしまうことが多い 2)会話のやり取りが長続きしない 3)特定のものへの興味 などが上げられます。その数は、200〜300人に1人程度と言われています。

※2 注意欠陥・多動性障害(AD/HD)Attention Deficit / Hyperactivity Disorderの略
一般的に「落ち着きがなく、授業中にあちこち動き回る子ども」と理解されています。1)物事に集中することができず、忘れ物が多い 2)落ち着きがなく、じっとしていることができない 3)思いついた行動を唐突に行う などの状況が見られます。学齢期の子どもで3〜7%、成人で1〜3%程度の人が何らかの傾向を持つと考えられています。
(文:大関 直隆)

2008/02/25(月)
第298回「あの子たちの未来が予見できるんだよねぇ」
今日(24日)は、孫の蓮と沙羅が通っている藤井舞踊研究所の発表会がありました。藤井舞踊研究所は、以前紫綬褒章を受章した藤井公(ふじい こう)・利子ご夫妻が主宰するモダンダンスの研究所で、今ドイツで踊っている努もそこの門下生です。蓮と沙羅は、藤井ご夫妻の次女、香さんの開いているスタジオに2年弱ほど通っています。今日は蓮と沙羅にとって、2回目の発表会でした。

そして、その発表会が終わり、私と妻がうちで食事をしている時こと。
「私ねえ、あの子たちの未来が見えちゃうんだよねぇ」
「はははっ、それはわかる!」
「毎日、何人ものクライエントさんたちと会ってるでしょ。そうすると“こういう時に、こういう表情する人は、こういう人生になる”ってわかるんだよね。声と同じだよ。ほらっ、似てる顔の人って声も似てるでしょ。骨格が似てるから、声の響き方も似てる」
「そうそう、あの埼玉大学の合唱団の団長さんに会いに行った時。電話で声しか聞いたことなかったのに、“絶対メガネかけてる”とか言っちゃって、100人以上はいた食堂の中で、“あの人だから”って、つかつか寄っていって、“××さんですか?”って言ったら当たってたってやつね。あれだけ大勢の中からピッタリ当てたのはびっくりだったけど、確かに顔で声もだいたい想像つくし、声から顔も想像つくよね。“表情と人生”も“声と顔”の関係と同じってことね」
「そう。だからね、細木数子さんが将来を予言するのもわかる。私はカウンセラーだから、占いだとかスピリチュアルなんとかだとかいうのは信じないけど、ああいう人たちって、人を見る目っていうか、人を判断する力っていうか、そういう勘のいい人たちなんだろうね。そういう人って、いるんだよ。私もたぶんそういう勘が働くのかもしれない。“私も細木数子にならなれる!”」
「たはっ、何言ってんだか! いつだったか、年の差夫婦の悩みを細木さんに相談するっていうことで、細木さんの番組に出てくれっていう話がテレビ局からあったでしょ。“カウンセラーが占い師に相談するなんてできるわけないでしょ!”って断ったけど、細木さんがカウンセラーに相談するって言うんだったら、出てやったのにね。“細木さん、あなたの表情からあなたの将来は××です”なんてね(笑)」
「そうだね。それならおもしろかったかも。まあ、そんなことはどうでもいいけど、今日のあの舞台の子どもたち。あの子たちの表情を見ただけで、あの子たちの将来が見えちゃうんだよね。舞台で踊ってるのを見てると、まるで人生が踊ってるみたいに、その子の将来の姿が目に浮かんできちゃう!」
「まったく、大げさな言い方! でも、確かにそうかも・・・」
「だからぁ、ほんとに見えるんだって! “あの子は不登校になる”とかさ“あの子はうつになって仕事が続かない”とかさ・・・」
「うーん、確かに舞台で踊ってる時の表情って、あんな小さな幼稚園くらいの子どもでもみんな違うよね。明るくやる気を感じる子もいれば、なんとなく暗い子、ボーッと表情のない子もいる。子どもっていうのは邪念っていうか、ずるさっていうか、そういうものがないから、ああいう舞台でその子の正直な表情が出ていることが多くて、それがあの子たち自身だとすれば、その表情と人生が劇的に違うなんていうことは少ないんだよね。だとすれば、もう人生は決まっちゃってるっていうことだね」
「まあ、大げさに言えばそうかも。だから、幼児期に親がどう子どもに接して、どういう人格形成をするかっていうことが、大事なんだよね」

教員時代に「大関先生の顔占いは当たる!」と評判で、行列ができるほどの顔占い師・大関洋子は、自分の孫の将来がどう見えたのか、結局“見える、見える”と言いながら自分の孫の将来のことは、一言も語りませんでした。
(文:大関 直隆)

2008/02/18(月)
第297回「またまた救えなかった児童虐待」
16日午後、寝屋川市のマンションに住む成川裕子さん(29)方から、「長女の様子がおかしい。具合を見てほしい」と、119番があり、救急隊員が駆けつけたところ、美琴ちゃん(6)がぐったりしていて、病院に搬送したものの意識不明の重体で、美琴ちゃんの全身に殴られたような跡があったことから、同居していた無職大山貴志容疑者(21)が殺人未遂容疑で逮捕されました。

寝屋川署の調べでは、大山容疑者は昨秋ごろから、成川さんとその長男(9)、美琴ちゃんの3人と同居。成川さんはパート勤務をしており、この日は午前8時ごろ出勤。自宅には、大山容疑者と子ども2人がいたとのことです。調べに対し大山容疑者は、「言うことを聞かないので、体を前後に10回ほど揺すった。その後、様子がおかしくなった」と供述しているそうですが、それに対し9歳の長男は「妹が何回も殴られているのを見た」と証言しているようで、美琴ちゃんの体には殴られたような古いあざもあり、寝屋川署は大山容疑者が日常的に虐待していた可能性があるとみているようです。

この事件は、17日になって、寝屋川市が昨年10月から4回、長女にあざがあるのを把握し、虐待を疑いながら、保護しなかったことがわかりました。市の家庭児童相談室によると、昨年10月17日、長女が通う保育所の職員が長女のほおと太ももにあざを発見。長女が「うそをついたり、早く寝なかったりしてパパに怒られた」と話したため、女性に「しつけでもけがやあざがあれば、虐待と見なされる」と警告しました。その後、保育所は逮捕された大山容疑者と女性に、子供との接し方について指導しましたが、昨年11月に2回、今月1回、長女のひざや額などに軽いあざを確認したにもかかわらず、保護は見送ってしまいました。家庭児童相談室は、「府にも相談したが、保護が必要なひどい虐待だと判断しなかった。結果として事件が起こり残念だ」といっています。

家庭児童相談室は何を根拠に「ひどい虐待」と判断しなかったんでしょうか。私は、本来子育ての責任は、まず親にあるべきと考えていますので、行政や学校が個々の子育てに関わることには慎重でなければならないと思います。けれども、そう思う私でさえ、これだけの状況を把握しながら虐待を防げないというのは行政の怠慢ではないかと感じます。以前、うちの研究所に、児童相談所についての相談に訪れた方がいました。その方のケースでは、学校が児童相談所に連絡をし、学校から児童相談所が保護をしたというケースでしたが、これは今回とはまったく逆のケースで、私から言わせると、一時的とは言え保護が適切であったか疑問です。こういう問題は、個々のケースによって問題が様々なので、同じような対応をすることには難しさがあります。だからこそ、2005年に、厚生労働省虐待防止対策室が専門家による研究会で1年かけてまとめた児童虐待の兆候チェック指針を発表したものだと思いますが、その最低限のマニュアルすら生かされていなかったのではないか。

社会保険庁の無責任体質が問題になっていますが、子どもの虐待についても、なるべく“こと”を小さく解釈し、行動を起こさないという行政の方向が見えてきて、とても心配です。前述したように、子育てに対する行政の安易な介入は慎むべきと考えますが、だからこそ、個々のケースについての精査が必要なわけで、それを怠ったときのツケは大きなものになってしまいます。もちろん、行政の力だけで虐待が防げるものではありませんが、今回のケースのように、行政が状況を把握しているものについては、もっと丁寧な対応をすることで、必ず虐待は防げるものだろうと思います。
(文:大関 直隆)

2008/02/12(火)
第296回「食の安全」
大きなプレハブの建物の中は、畳が敷き詰められた和室になっていました。その和室には長机が何台も並んでいます。長机を挟んで私たちの向かいには、真っ黒に日焼けした十数名の男性がニコニコしながら座っています。そして同じように日焼けした数人の女性がお勝手の方から様々な器に盛られた料理やお酒を運んできました。次々と長机に並べられる料理は特別凝ったものではなく、キュウリやトマトを刻んだサラダ、漬け物、おひたし、煮物といったもの。けれどもその野菜はすべて有機栽培の無農薬野菜で、スーパーや都会の八百屋で売っているものとはまったく違って味が濃く、どれを食べても野菜そのものの味がします。キュウリはキュウリ、トマトはトマト、ニンジンはニンジン。「えっ?キュウリってこんな味?」「トマトって青臭くないんだ?」「こんなに甘いニンジン、初めて食べたぁ!」という具合。

1974年10月から翌年6月まで朝日新聞に連載、1975年4月に単行本の上巻、7月に下巻が新潮社から発行され、ベストセラーになった有吉佐和子の長編小説「複合汚染」。この小説は、複数の汚染物質が混合することで、個々の汚染物質が単独の場合に与える被害の質、量の総和を超える相乗的な汚染結果があらわれるということを題材にしたものですが、この小説が世に出たことで、農薬や化学肥料、食品添加物などに対する国民の意識は大きく変わりました。

この話はちょうどそのころ、今から30年ほど前のこと。まだ私と妻とは一緒の生活をしていませんでしたが、妻は子どもたちの食の安全のため、有機栽培の無農薬野菜、平飼いの鶏肉や有精卵、無添加食品などの共同購入をしていました。妻の家の近くでその共同購入のお世話をしてくださっていたSさんに誘われ、有機栽培の無農薬野菜を生産している千葉県安房郡三芳村の農家を援農のため訪れたときのことです。私たちの前に座っている男性や料理を運んできてくださっている女性は、その生産者の方たちで、昼間の畑仕事の後、みんなで会食をしました。

次から次へと運ばれてくる料理の中に、お皿にボンと生の鶏肉の切り身(ちょうどスーパーで売っている唐揚げ用の鶏肉のような感じです)が盛ってあるものがありました。
「これ、どうやって食べるんだろう?」
不審そうに見ている私に気づいたのか、前に座っている男性が、
「これはこのまま食べるんだよ。うめえぞぉ」
とまるで唐揚げ用に切ったかと思うような生の鶏肉を、ちょっとワサビ醤油をつけたかと思うと、そのままムシャムシャ食べ始めました。「ささみをさっと湯通ししてワサビ醤油で」というのは知っているけれど、もも肉をそのまま食べるのは初めて見たので、珍しい食べ物にもほとんど驚いたことのない私でさえ、その生肉の固まりを引きちぎるように食べるその光景に、ちょっとびっくりしました。ところが、実際これを食べてみるとやたらと美味い。
「この鶏は平飼いの鶏だからちょっと堅いけど、しっかり噛んでると味が出てくるだろ」
まったくその通りで、しっかりした歯ごたえに深いこく。生のもも肉がこんなに美味しいとは・・・。

この三芳村で生産された野菜や鶏肉は、大変美味しいものでした。昼間実際に野菜が栽培されている畑や鶏が飼われている様子(ここの鶏は空高く飛び、木の上で寝ていました)を見せてもらい、農家の方たちの化学肥料を使わず無農薬で育てるという食に対する意識や作物に対する愛情に感動し、その野菜や鶏肉の美味しさに納得がいきました。

このころは、今ほど食に対する安全ということは意識されておらず、「無農薬」とか「有機栽培」という話をすると、「気にし過ぎじゃないの」とか「そんなこと言ってたら食べるものなくなっちゃうよ」とか言われました。生活が変わり、引っ越して以来、三芳村との関わりは途絶えてしまいましたが、今三芳村はどうなっているのでしょう。

その後、食の安全が意識されるようになり、コープが台頭。デパートやスーパーなどにも有機栽培、無農薬、減農薬といった野菜や果物が並べられるようになりました。

けれどもここへ来て、食の安全が揺らいでいます。中国製餃子事件が社会に与えた影響は甚大です。我が家でも、冷凍庫には孫のお弁当用にと買った冷凍食品がいっぱい詰まっていました。餃子事件が報道されたその日、冷凍食品をすべてチェック。けれども中身に使用されている原材料の産地まではわかりません。結局その日以来冷凍庫の食品はそのまま。今は国産の野菜や肉を買ってきて、孫のお弁当も手作りのものに代わりました。

食というのは、すぐに体に影響が出る場合、何年、何十年と経って出る場合、その影響は様々です。ファーストフードや外食産業の隆盛は、食の安全をまったく見えないものにしてしまいました。ミートホープや中国製餃子事件が食の安全を謳って台頭してきたコープを中心に展開されている状況は、大変憂慮すべきことです。「子どものために」とコープを利用している家庭も多いことと思いますが、その信頼は完全に失われてしまいました。食料自給率がきわめて低い日本にとって、外国から入ってくる食品の安全性は、国家全体の問題です。子どもたちの将来、国家の将来を見据えた食に対する安全を確保する政策が、今まさに問われているのでしょう。

ちょっと過剰反応と思いつつ、国産品しか買わない毎日が続いています。
(文:大関 直隆)

2008/02/04(月)
第295回「久しぶりに触れた人の温かさ」
2月3日は節分!昔から豆まきをするよね。でも、「節分」って2月3日だけじゃないって知ってた?

「節分」は「季節を分ける」っていう意味だから、それぞれの季節の分かれ目にあって、立春、立夏、立秋、立冬の前日のこと。言われてみれば、「ああなるほど・・・」っていう感じだけれど、あんまり考えたことないよね。

「豆まき」は、もともと宮中の年中行事の一つで大晦日に行われる悪気を払い疫病を除く儀式「追儺」(ついな)から生まれたものと言われていて、近代になり、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、鬼打豆と称して炒った大豆をまいたりするようになったんだそうです。季節の変わり目には、邪気が生じると考えられているので、それを追い払うための行事ということなんですね。豆まき自体は、寺社が行った邪気を払うための豆打ちの儀式が起源なんだそうですが、「鬼は外」「福は内」のかけ声にも色々あるらしく、鬼を祭神や神の使いとしている神社や「鬼塚」「鬼頭」など「鬼」の付く姓のお宅では、「鬼は内」にしていたりするんだそうです。(Wikipedia、広辞苑を参考)文化というのはおもしろいものですね。

今日(2月3日)は、成田山川越別院の「節分会追儺豆まき式」に行って来ました。寺社がやる豆まきに行くのは初めてでしたが、雪なのにかなりの人手で、びっくりしました。前述のごとく「追儺」とは宮中の行事(っていうことは多分神道の行事)なのにも関わらず、お寺の行事に「節分会追儺豆まき式」という名称がついているのも、ちょっとおもしろいですね。

さて、その成田山川越別院の「節分会追儺豆まき式」でのこと。
最近知り合った方から「わしが豆をまくから来ないか」とお声をかけていただき、節分会なるものがどんなものかもわからず、とにかく行ってみようということで、妻と孫の蓮と沙羅を連れて、出かけてみることにしました。あいにくの雪で、出かけるときから大変。豆だけでなく、お餅やお菓子を投げるというので、どう考えても傘をさしているわけにはいかないだろうと、寒くないようしっかり着込んだ上に、帽子の用意。道路はそれほど積もっているようではないけれど、万一に備えチェーンを巻けるように軍手の準備。以前は、年に数回、車でスキーに出かけていたので、雪といってもそれほど苦にはなりませんでしたが、最近はスキーにも出かけなくなり、雪道の運転はちょっとおっくう。
「まったくよりによってこんな日に雪なんだから」
と愚痴りながら出かけました。

幸い「わしの名前を言って境内に車を止めていいからな」ということだったので、あちこち駐車場を探すこともなく、遠くから歩くこともなく、大変楽をさせてもらってしまったのですが、それが気のゆるみを生んで(ちょっと大げさ!)、蓮は持って行ったジャンパーも着ず、とても軽装で車から降りてしまいました。さすがに寒そうなので、
「蓮! ダメだよ、上着着なきゃ」
ということで、ジャンパーを着せ、傘をささせて、豆まきの会場へ。1時からというので、ちょうど1時から豆まきが始まるのかと思っていたら、1時からは護摩で、豆まきはその後。待つこと20分。その間に、何度も「傘は危険なので、豆まきの時はたたんでください」という注意がありました。いよいよ「間もなく豆まきが始まりますので、傘はたたんでください」の指示。私はフード付きのスキーウエア、妻はフード付きのジャンパー、沙羅は襟巻きを頭にぐるぐる巻きと、とりあえず3人は頭が濡れないようにしているのに、蓮は頭に何もかぶっていないではありませんか。さっき車から降りるときにあまりに軽装で降りたので、着るものに注意を奪われ、頭のことはすっかり抜けていました。車まで行けば、タオル地で出来た帽子がのっているのですが、境内に止めてあるとはいえ、間もなく豆まきが始まりそうな状況で、すごい人混みをかき分けながら車まで行くのは無理そうです。妻がポケットからハンカチを取り出し、蓮の頭に乗せました。ところが気温がそれほど低くないせいか、みるみるハンカチはびしょ濡れに。するとすぐ後ろに立っていた女性が「これどうぞ」と、蓮の頭からハンカチを取って、自分がかぶっていた毛糸の帽子を蓮の頭にかぶせてくれました。
「それじゃあ、ご自分が濡れてしまうでしょうから、結構ですよ」
と何度も遠慮したのですが、
「私は服にフードが付いていますから」
と、結局蓮に帽子を貸してくださいました。殺気というほどではありませんでしたが、壇上から「小さいお子さんに危険ですから押さないで下さい」という注意が何度もある状況の中、気持ちがフッと和らぐ出来事でした。その帽子を貸してくださる様子がわざとらしくもなく、嫌みもなく、とても気持ちよく帽子をお借りすることが出来たのです。こういう気持ちで人の好意を受け入れられることって少ないなあと、とても温かい気持ちになりました。

たくさんお菓子を拾おうとレジ袋を何枚も持って行ったのですが、とにかくすごい人で、蓮と沙羅はほとんど拾えませんでした。もっとも私はかなり拾ったのですが・・・。

帰りの車の中で、「豆まき、おもしろかったねえ。おばさんが帽子貸してくれたんだよね」と蓮が言いました。とても寒い雪の日に、蓮にとっても「帽子」は、とても温かいことだったようでした。
(文:大関 直隆)

2008/01/28(月)
第294回「はじめてのお使い」
「おまえんちはいつも誰か風邪ひいてるなあ」
「まったくうるさいんだよ! 子どもがたくさんいれば、どこかから風邪でもインフルエンザでももらってくるんだよ!」
「気をつければいいだろ」
「一旦誰かが風邪ひけば、狭いうちん中だし、子どもの面倒見てれば、うつるに決まってるだろっ! 麻耶や翔(かける)なら自分の部屋から出てこないようにして一人で寝かしておくってこともできるけど、蓮(れん)とか沙羅じゃあ、そうもいかないの!」

うちで誰か風邪をひいたという話をすると、母は決まり文句のように、「おまえんちはいつも誰か風邪ひいてるなあ」と言います。
父は一人を好んだので、生前も自分の部屋以外で寝ることはなかったし、父と母の寝室は、その間に台所があり、リビングがあり、廊下があり・・・。台所もリビングもけっこう広い家なので、どれくらい離れているかなあ???しかもその間には4カ所ドアがついているから、一旦部屋に入ってしまえば、全くの隔離状態。父は人に面倒を見てもらうことを極端に嫌う人だった(どういうわけかうちの家族だけは別で、妻と私の子どもと孫たちにはいろいろとさせたのですが)ので、風邪をひこうがお腹をこわそうが、とにかく何でも自分でやってしまって、人には見てもらわない。もちろん、母が風邪をひいたって父が見てやるわけじゃない。そんなんだから、うつるわけないじゃん。

わが家はまったくその逆。誰かが風邪をひこうものなら、とことん面倒を見る。やれおかゆだ、やれうどんだ、プリンにゼリー、アイスクリームにジュース・・・。まったくやり過ぎ。年明けに翔がインフルエンザにかかったから、私と麻耶が「食べ物だけ置いたら、できるだけ早く翔の部屋を出た方がいい」って妻に忠告したにもかかわらず、全然いうことを聞かずに部屋で長い時間翔の様子を見ているものだから、結局妻もインフルエンザにかかっちゃって・・・。そりゃそうだよね。翔は一日だけ40度近い熱が出たけれど、翌日にはある程度下がって、4〜5日でほぼ全快。うつった妻は、熱はそれほど出ないのに二週間以上ダラダラと調子が悪くて、結局三度も病院で薬をもらう始末。

そして、3人目の犠牲者は孫の沙羅。39度も熱が出て、一旦下がって元気になったのに、幼稚園に行きたがるから、熱も下がったし「まあ、いいかぁ」と幼稚園に出したらぶり返しちゃって、38度。

年明けから、散々だよね。
でもそのせいで、今年小学校に上がる“蓮くん”は大活躍!
大人が具合が悪くなる中、まったくうつる気配無し。うがい、手洗い、食器の煮沸(とにかく大きな鍋にお湯を沸かして、多少食べ残しがあってもそのまま食器をお湯の中へ入れちゃう。これは絶大なる効果があります)、それに徹底した隔離をしたのが功を奏したのかなあ???そして、元気な“蓮くん”は、昨日“沙羅ちゃん”のために、はじめてのお使いに行きました。

蓮が一人で行けるほど近くにお店はないので、麻耶の話では、一番近い自動販売機までだったそうだけれど、蓮にとってはよほど大きなことだったらしく、今朝起きてくると、
「昨日ねえ、自動販売機でジュース買ったんだよ! 一人で行ったんだよ」
と大興奮。うちのマンションの駐車場を抜けて、ほんの数十歩の所までなのに、子どもにとっては“ひとり”ということは大冒険なんですよね。

麻耶の話だと、300円を持たせて、150円のペットボトルを2本頼んだら、いきなり300円を入れたらしく、「150円おつりが出てきた」と騒いでいたらしいです。自分で物を買うということをまったく教えてこなかったので、「おつりが150円出てきた」ということを、蓮が麻耶に話せたということに、私はビックリしました。

ついこの間まで、赤ん坊と思っていた孫も、ずいぶん成長したものです。今朝は、沙羅の熱も下がり、明日(月曜日)からは、幼稚園に行けるかなあ・・・。沙羅の熱が下がったのも、“蓮くん”のはじめてのお使いのおかげかもしれませんね。
(文:大関 直隆)

2008/01/21(月)
第293回「i=愛のあるメール」
DoCoMo「iのあるメール大賞」の第6回受賞作品が20日付の新聞紙上に載りました。

仕事柄、広告には結構敏感に反応する方だと思うのですが、全体のイメージばかりに気をとられているせいか、こんな内容のコンテストあったっけなあ?と、この「iのあるメール大賞」のことはまったく記憶にありませんでした。受賞作品の内容から言って、もちろん「i」=「愛」ですよね?こんなことを言っているようじゃ、どうしようもないですね。

「今年も消えることのない20,039通もの感動が集まりました。」という文面や審査員を務める秋元康氏の「回を重ねるごとに、この『iのあるメール大賞』の認知度が高まり、今まで、こういうコンテストに応募したことのない方の作品も集まったので、審査をしながら、とても新鮮な感動を覚えました。」というコメントを見ると、結構定着しかかっているんですかねえ?

まあ、それはさておき、今回私がこの「iのあるメール大賞」の広告に引っかかったのは、受賞作品の内容でした。このコンテストに応募した人には、それぞれ感動があり、その感動を伝えるためにメールを使ったということはよくわかります。生活のスタイルも人それぞれだし、何に感動するかも人それぞれです。夫と妻の関係、親と子どもの関係もまったく人それぞれ。どういう関係が良くて、どういう関係が悪いなんていうことも軽々には言えません。ただ、何度か連載の中でも言ってきたように、うちのカウンセリング研究所にカウンセリングや教育相談に訪れるクライエントさんの多くは、幼児期から成長過程において親子の距離が近すぎて、結果として成人後の自立を妨げ、社会参加がうまくできなかったり、職場の中での人間関係がうまくいかなかったり、あるいは恋愛・結婚という中で、相手との距離がうまく取れなかったりというものです。

今回の受賞作を見ても、親子間のメールはどうもその距離感に違和感があります。もちろん、応募者にはそれぞれの関係があり、それぞれの感動があるわけですから、それはそれでいいのですが、「距離が近すぎる」と感じるものが目立ち、受賞作全てが、同じ距離感であることがとても気になりました。おそらく、応募作品の中には違った距離感のものも相応に含まれているとは思いますが、そういったものが表に出てこないということは、社会一般で考えられている「いい親子関係」(これこそがいい親子関係という)という概念における親子の距離感がすでに近すぎるということに他なりません。
(DoCoMoのホームページに受賞作が掲載されています。携帯電話で「メール大賞」で検索するか、ドコモのケータイから「iMenu→お知らせ→「第6回iのあるメール大賞」)
R25.jp(http://r25.jp/magazine/ranking_review/10004000/1112007062107.html)というフリーマガジンで、「メール人格」について取り上げられていたことがありました。メールでは、「リアル人格」(本来の自分が持っている人格)とは違う「メール人格」が出やすいというもので、例えば送られてきたメールが、本来の相手のキャラと違って、妙に明るかったり、暗くて怖かったりとリアル人格とメール人格とではギャップがあるのではないかというもので、メールを受け取る側もメールに表現されている内容以上に深読みしてしまい、勝手に先入観を持ってしまったりするとも述べています。確かに自分のことを考えても思い当たる節があります。

そういう「メール人格」が、面と向かってでは言いにくい親子の会話や普通だったら気軽に話が出来ないような人間関係でも、コミュニケーションを取らせている。本来、距離が遠い関係であったり、上下の関係であったりしたものの距離をぐっと近づけ、これまでとは違った人間関係を生み出してしまった。それはメールのいいところでもあるけれど、悪いところでもあって、人間関係から「厳しさ」という1つの要素を奪い取ってしまったように感じます。

「iのあるメール大賞」はDoCoMoの宣伝。「愛のある」メールももちろん受け手に感動を与えるものではありますが、リアルタイムの面と向かったリアルな感動をもっと大切にして、緊張感のある人間関係を築きたいものですね。
(文:大関 直隆)

2008/01/15(火)
第292回「殺害される親と尊敬される親」
今日(14日)は、一番下の息子、翔(かける)の成人式。去年は1月8日で最も早い成人式、今年は14日で最も遅い成人式。昔は15日と決まっていたわけですが、第2月曜日なんていう変な法律ができてから、以前に比べると、やや成人式に対する意識が薄くなったように感じます。

最も新成人の数が多かったのは、第一次ベビーブーム期の1949年生まれが成人した70年の246万人、逆に最も少なかったのは、1966年の丙午(ひのえうま)生まれが成人した87年の136万人。今年はそれをさらに下回って135万人なんだそうです。

子どもが成人式を迎えるっていうのは、何とも言えない気分です。幼稚園への入園、小学校への入学、中学卒業、高校への入学・卒業などというのが、私の感じる子育ての節目ですが、成人式もその一つです。「保護者」ではなくなる(法的に言えば、20歳の誕生日ということになるわけですが)ということで言えば、子育ての最後の節目ということになるのでしょうか。

「子育て」という言い方を離れて、「親子」という関係で捉えれば、おそらく就職、結婚、出産と続くのでしょうが、子どもの選択にかかわらずやってくるという点では、成人というのはやはり、大きなことですね。さっき、ニュースで流れた成人式のインタビューの映像では、涙を流しているお母さんがいました。「おいおい、子どもの成人式に親がついて行くなよ」と思って見ていましたが、「感無量です」(だったかな?)と言った感想には、頷けました。子どもが成人するというのは、そんな感じですね。

ところが最近、そんな親子関係がうまくいかず、悲しい事件になるケースが相次いでいます。9日には八戸で長男が母親と弟、妹を殺害し放火するという事件が、そして今日(14日)は徳島で、長女が母親と弟を殺害し、妹に重傷を負わせるという事件が起こりました。「親殺し」という言葉で思い出されるのは、1980年、予備校生が父親に叱責され、就寝中の両親を金属バットで撲殺したという川崎の「金属バット殺人事件」。この事件は、社会に与えた影響も大きくその後映画化されました。そして、2006年6月の奈良家族3人放火殺人事件。この奈良の事件も衝撃的な事件で、ご記憶の方も多いのではないかと思います。そして、昨年5月の会津若松の頭部切断母親殺害事件。9日の事件、そして今日の事件も、その事件だけ取ってみれば、そうとう衝撃的な事件であるはずなのに、「ああ、またかぁ」という感じで、それほどもショックを受けない自分がいることに愕然とします。とてもひどい世の中になったものです。

そんな中で、新成人の尊敬できる人の第1位は、男女ともに「親」なんだそうです。特に男性では父親、女性では母親だとか。昔のように歴史的な偉人を上げる人は少なくなったようで、第2位は学校の先生、第3位は友人(女性)、イチロー(男性)と続きます。(オリコンの調査による)

親の立場からすると、子どもから尊敬されるというのは、嬉しいような気もするのですが、そこには家族以外に目が向かない人間関係が存在して、「親を越える」という意識が希薄になっているようにも感じます。人間関係が狭くなればなるほど、そこでのストレスは大きく蓄積していきます。そして、ストレスを逃がす手だてがない。尊敬される親、殺される親、それはまったく同一線上で起こっていることで、一歩間違えれば、それまで尊敬されていた親が殺されるということが起こるのではないかという気さえします。人に自立において、本来外に向くべき目が、内に向いていることこそ問題で、子育ての方向性として、子どもの目が外を向くような子育てを考えていかなければ、本来あるべき親子関係は築けないのではないかと思います。

うちの息子が親を尊敬していると答えるかどうかはわかりませんが、私はあんまり尊敬される親にはなりたくありませんね。
(文:大関 直隆)

2008/01/07(月)
第291回 「2007年から2008年へ」
明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いいたします。
まず新年1回目は、昨年から今年への変わり目の話。

12月31日
妻と戸田のそば店で生のそばを買い、板橋で一人暮らしをしている叔母(一昨年他界した義母の妹)の家へ(「私はアレルギーでそばは食べないんだよ」と叔母に言われ、なんとなくそんな気はしたんだけど、あまりにも叔母のことがわかっていない自分に愕然としました)。その後、私の実家へ行き、紅白歌合戦(これという見所、聞き所はなかったけれど、鶴瓶の司会でやや雰囲気が変わったかなと率直に思いました。でも、小林幸子の衣装?にはもう飽きました)を見ながら、年越しそばを食べる。年が明けて、除夜の鐘が鳴る中、自宅へ。

1月1日
普段よりはゆっくり起きて、雑煮(浦和近辺の雑煮は醤油味のシンプルなもの。こういうところに育ってきた環境が出るもので、私の作る雑煮は、鶏肉、小松菜、なると、八頭を入れた醤油味。餅はもちろん角餅の焼いたものを入れます。四国かどこかで、あんこの入った大福を雑煮に入れているのを見てびっくりしたことがありました)を食べる。カウンセリング研究所と陶芸教室を一応覗いて(どちらももちろん休みですが、陶芸教室がまだ南浦和にあったころ、ビル荒らしにあって数万円を盗まれたことがあったので)、調神社へ初詣。午後調神社へ行ったのは初めてでしたが、あまりの混み方にビックリ。夜中ももちろん混みますが、あれほど長い行列を見たのは初めてでした。孫も連れていたので、結局、遠くから拝んで、公園で孫を遊ばせて、おしまい。その後、再び私の実家へ。

実家でも雑煮が出てきたけれど、母曰く「お父さんがいなくなったから、東京の(「東京」というのは早稲田にある母の実家のことで、祖母が富山の人なので、大根や人参、そしてブリの入った具だくさんの雑煮)にしたんだ」ということで、いつもの年とは違った雑煮になっていました。深谷から来ていた妹の家族と母と一緒に実家にいる弟はすでに食べたらしく、「みんなよく食べたからもうあんまりないけど」と言いながら母は私に「東京の雑煮」を勧めました。実は私は魚が入った汁物というのは、あまり好きではなく、ほとんど食べないということを母は知らないみたいでした。一時いろいろあって家を出ていたとはいえ、「おいおい、もう50歳になる息子だぜ」という感じです。おそらく母の意識の中では「自分が食べてきた雑煮が一番美味しい」という勝手な論理が働いていて、私が浦和で生まれ、浦和で育った、根っからの浦和っ子なんだということを理解できていないんでしょう。私と父とはずいぶん仲が悪いように周りには映っていたようですが、そういう点では、ことごとく父のやり方というか、好みというか、踏襲しているように思います。父は、ブリの入った雑煮を「生臭い」と言って好みませんでした。2年くらい前から父がやや呆け始め、昨年父を亡くしてみると、何につけても父のやり方を踏襲している自分に気付きます。それが文化ということなんでしょうね。もちろん雑煮の具と味付けは譲れないものがあります。妻は、母に勧められ母の作った東京の雑煮を「美味しいですねえ」とお世辞(?)を言いながら食べていましたが、私はまったく食べませんでした。「自分が食べてきた雑煮が一番美味しい」と思っている母には、なぜ私が雑煮を食べなかったかなんて、まったくわかっていないと思います。

2007年から2008年にかけてはそんな具合でした。毎年毎年、同じようなことをしているわけですけれど、何で毎年同じようなことをやっているのかなあとつくづく考えてみると、こういうこと全てが親から子へ、子から孫へという文化の伝承なのだと思います。特別、文化を大事にしようという意識があるわけではないけれど、何気ない日常の中に文化の伝承はあるんですよね。そういったものが消えていってしまう世の中は、子どもの心から優しさを奪ってしまうのだろうと思います。

2007年は子どもが絡んだ暗い事件がたくさんありました。2008年は、どうか子どもたちが幸せに暮らせる1年でありますように!
(文:大関 直隆)