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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2008/05/26(月)
第310回「公園ということの意味 その2」
前回、お話しした「ゴリラ公園」と京浜東北線の線路を挟んで反対側には「文蔵(ぶぞう)フィットネス広場」という公園があります。この公園もゴリラ公園同様、一般的な公園とはやや趣を異にしていて、アスレチック用の遊具がいくつかあり、その周りにランニングコースのようなコースが作られています。

朝日が昇り、明るくなると、毎日10名ほどの大人たちが、ランニングをしたり、ウォーキングをしたり、遊具を使ってストレッチをしたり…。
朝ではなく、夜利用する人たちもいます。人通りがあまりないので、夜の利用にはやや怖さもありますが、何人かグループでランニングをしたり、高校生がバットを振ったり、ラケットを振ったり…。外環の下ですから、多少の雨なら濡れることなく利用できるので、雨の日にも利用している人もいます。
ところが昼間行ってみるとほとんど人を見かけません。昼間の公園利用者といえば子どもたち。一応、子どもが遊ぶための遊具も少しは設置してあるのですが、ほんのお義理という程度。子どもが遊ぶための公園というにはほど遠く、子どもの利用はほとんどありません。
実際にその場に行ってみるとわかることなのですが、24時間日が差さない公園というものは、どことなく不気味で、怖ささえ感じます。日が差さないために木がないということも、そういった感情を抱かせる一因になっているかもしれません。公園ということの役割が、人々の心を和ませるものだとすれば、「この公園はいったい何なんだろう?」という疑問が湧いてきます。

沙羅の通っている幼稚園のそばには、さくら公園ともみじ公園(正式な名前は定かではありませんが、子どもたちはそう呼んでいます)という二つの公園があります。
「じいちゃん、今日はさくら公園で遊んでいこっ!」という日もあれば、「今日は、もみじ公園で遊んでいこっ!」という日もあります。
つい先日、そのさくら公園にある桜の木にサクランボが熟し、管理をしているおじさんが、収穫したサクランボを子どもたちに配ってくれました。1ヶ月ちょっと前には、八重桜の花びらが絨毯のように公園中を敷き詰め、まるでピンクの海を泳いでいるような気持ちになりました。
そんなとき人間は、自然と笑顔になるものです。子どもたちの楽しそうな歓声が、大人の心も和ませます。
公園で遊ばない子どもたちの事情は、公園側だけにあるわけではなく、子どもたちを取り巻く、社会的状況によるものも大ですが、外環の下の公園を見たとき、「果たしてこれが公園と言えるんだろうか?」どうしてもそんな気持ちが湧いてきてしまいます。

1992年11月、外環の和光IC〜三郷JCT間が開通して今年で16年。私の花粉症が発症して今年で15年。外環を通ったときのあの排気ガスの真っ黒い様子を見るたびに、私の花粉症と外環の開通を関連づけて考えてしまいます。
日の当たらない外環の下の公園。北京オリンピックの環境問題が叫ばれる中、公園の環境はこれでいいのか…。
遊ばない子どもたち、遊ばせない親たち、もしかすると子どもの健康を守るための「動物的勘」を持っているのかもしれません。
(文:大関 直隆)

2008/05/19(月)
第309回「公園ということの意味 その1」
四月に小学校に上がった孫の蓮(れん)の自転車が小さくなり、先日少し大きいものに買い換えてやりました。大人だって車を買い換えるとすぐに乗ってみたくなるものですが、子どもだって同様(いや順序が逆かな? 子どもが乗りたくなると同様に大人も乗りたくなる? 私は車を買い換えると夜中でも首都高の環状線を2、3周して来ちゃうので私中心の言い方になってます。地球温暖化が問題になっている折、不必要に車を乗り回すのはやめた方がいいですね。)で、新しい自転車に買い換えると乗ってみたくなるものですよね。私も小学校5年生の時、それまで乗っていた22インチの自転車が小さくなり、スポーツタイプの新しい自転車を買ってもらって、ほんのちょっとのつもりでその辺を乗り回しているうちにだんだん遠くまで行っちゃって、とうとう草加まで行ってしまったこと(うちは駒場のサッカー場の近くですから、往復で20キロくらいあります)ありました。私にとっては、初めての大冒険でした。新しい乗り物を手に入れるっていうことは、新しい自分になれたような、そんな気分になるものです。子どもにとっては、1ランク上の自転車に乗り換えると言うことが成長の証なんですね。

道路を乗り回すのは、ちょっと危険を伴いますが、幸いなことに、我が家の近くには、公園全体がマウンテンバイクのコースになっている「ゴリラ公園」があります。新しい自転車もマウンテンバイク風の5段変速。思う存分乗れるように、「ゴリラ公園」に行きました。
この「ゴリラ公園」は、東京外郭環状線ができたとき、道路下の用地を何にするかで、地元と道路公団の話し合いのもと、作られた公園です。まあよくある、「公園にしてやるから道路建設に反対するな」式のやり方によって、できた公園です。私の知り合いもどんな公園にするかの話し合いに加わっていて、当時は自転車用の公園ということで珍しかったことやイベントを開いたりしていたこともあり、子どもたちがけっこう集まってきていました。
「ゴリラ公園」という名前は、ゴリラ(キングコング?)が時計のポールを曲げている大きな像が建っていることから、つけられた名前です。子どもたちにとっては、その命名もよかったんでしょう。うちの子どもたちも、よく遊びに行っていました。

ところが先日行ってみると、人っ子一人いない状態。「シルバー」のおじさん(?)が整備をしていて、ホコリが立たないよう水を撒いたらしく、自転車コースのあちこちに水たまりができていました。上が道路のために雨がかからず、いつも乾燥しているので、水を撒かないとホコリがひどいんです。しかも、風が吹けばその乾燥したホコリが近隣のお宅にまで迷惑をかけるし、公園の土もどんどん減ってしまって、いまでは表層の土がほとんどなくなり、その下に入っていた大きな石がかなり顔を出している始末。とは言え、「ちょっと撒きすぎだろっ!」という感じです。

蓮と一緒に行った沙羅の自転車は小さいので、マウンテンバイクのコースには不向き。一生懸命こいだところで、どうしてもコースに負けてしまって、何度も足を着いたり、転んだり。そのうちぬかるんだところで足を着いてしまったために、靴はどろどろ、自転車もどろどろ。べそをかきかき、自転車を引きずりながら私のところへやってきました。新しい自転車で颯爽とコースを回っていた蓮はというと、泥を跳ね上げ背中が泥だらけ。二人ともそのまま自転車でピアノのレッスンに行く予定で、楽譜も持ってきていたので、かなり困った状態になってしまいました。
一生懸命水を撒いてくれた「シルバー」のおじさんに、文句を言うわけにもいかず、公園の水道で、泥を落としてピアノのレッスンに向かいました。

つづく
(文:大関 直隆)

2008/05/12(月)
第308回「何が何でも厳罰化の流れ その2」
少年に対する死刑判決というのはいくつかあるわけですが、これまで判決の基準となっていたのは、「警察庁広域重要指定108号事件」、通称「永山則夫連続射殺事件」(文末参照)の判決で、永山基準と言われるものです。
永山基準とは、1983年、最高裁での第1次上告審判決のもので、最高裁は以下の9項目を提示、そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとしました。
1.犯罪の性質
2.犯行の動機
3.犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
4.結果の重大性、特に殺害された被害者の数
5.遺族の被害感情
6.社会的影響
7.犯人の年齢
8.前科
9.犯行後の情状

永山基準では、「誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑に出来る」という基準によっていましたが、今回の光市母子殺害事件判決では「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、原則・死刑、例外・死刑回避という判断の枠組みを示したと言えます。単に少年というだけでなく、前回も述べたように「18歳になってわずか30日」ということを考えると、永山基準からはかなり踏み込んだ判決であったと言えるのではないでしょうか。
被害者感情を強く意識するようになり、裁判所の判例はもちろん、法律も、年々厳罰化の傾向にあります。マスコミも、そういった傾向に大きな役割を果たしてきました。先日見ていたテレビ番組の中で、来年度から導入される裁判員制度に関し、「あなたは死刑判決を下せますか」との問いに、「下せる」という人の割合が増えているというアンケート結果を放送していました。厳罰化の流れの中で、果たしてそう簡単に死刑判決を下していいのか…、私がもし裁判員に選ばれたとしたら、死刑という決断はできないのではないかと思います。
ほんの数ヶ月前、「20歳成人」の年齢を「18歳」に引き下げたらどうかということが話題になりました。街頭のインタビューを見ていると、かなりの人たち(成人も未成年も)が、「引き下げるべきではない」と答えていました。その理由は、「18歳はまだ子ども。判断能力に欠けている」というものでした。18歳では、責任能力が備わっていないと考えている人が相当多いわけで、その意味で大人は、「20歳を過ぎなければ権利はやらない」と考えているということです。
そういった意識と、今回のような少年事件への厳罰化の流れとの間の整合性をどう取るのか…。あまりにも安易に「厳罰化」の方向に流れているように感じます。単純に事件を事件として捉えるのではなく、その事件の背景にある大人の責任、子どもの権利をしっかりと見据え、将来の日本のためにとるべき方法はいかなるものなのか、真剣に考える必要があるのだろうと思います。


※永山事件
1968年に東京、京都、函館、名古屋で起きた4名の連続殺人事件で、いずれもアメリカ海軍横須賀基地から盗んだピストルによる犯行で、金銭目的のものであった。永山則夫は犯行時19歳であったが、犯行の連続性から指名手配されたこともあり、当初から実名報道された。1969年4月、予備校に金銭目的で侵入したところを警備員に発見され、発砲して逃走したが、緊急配備中のパトカーに発見され、逮捕された。
1979年、東京地方裁判所の1審の審議では死刑判決を受けたが、1981年、2審の東京高等裁判所では家庭環境・生育状況が劣悪であった事を減刑の理由として、無期懲役に減刑された。しかし、1983年、最高裁は東京高裁の判決を破棄して審理を差し戻し、その後の東京高裁(1987年)、最高裁(1990年)では「永山則夫が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、永山則夫の兄弟姉妹たち7人は犯罪者にならず真面目に生活していることから、生育環境の劣悪性は永山則夫が4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」と判断して、死刑判決が確定した。
永山は両親から育児を放棄され、学校教育を受けておらず、逮捕時は読み書きも困難な状態だったが、獄中での独学し、執筆活動を開始した。1971年の手記「無知の涙」をはじめ多くの文学作品を発表し、1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞するなど創作活動を通して自己の行動を振り返るという、死刑囚としては稀な存在であった。また、それらの印税を4人の被害者遺族へ支援者を通して渡している(受け取りを拒否した遺族もいる)。
1997年8月1日、東京拘置所において死刑執行。享年48。

(文:大関 直隆)

2008/04/28(月)
第307回「何が何でも厳罰化の流れ その1」
少年の凶悪事件が増えていると言われる中で、ここのところ少年法が話題となっています。特に4月22日に広島高裁において、差し戻し控訴審判決が言い渡された「光市母子殺害事件」は記憶に新しいところで、頻繁にマスコミに登場し、極刑を求め続けた本村洋氏の意に沿う形での死刑判決ということになりました。本村氏のお気持ちを考えたとき、死刑だから納得がいく、満足がいくということではないということだろうと思いますが、今後この判決が最高裁で確定する可能性を考えたとき、これまでの判例からは一歩踏み出し、少年に対する厳罰化の流れを加速させる結果を生むかもしれない重大な判決であったのだろうと思います。
私たちは、法律の下で生活しているわけですが、あまりにもその実感がありません。そこで、少年に対する厳罰化ということをふまえ、以下に少年法の一部を抜粋してみました。

(この法律の目的)
第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
(少年、成人、保護者)
第2条 この法律で「少年」とは、20歳に満たない者をいい、「成人」とは、満20歳以上の者をいう。
2 この法律で「保護者」とは、少年に対して法律上監護教育の義務ある者及び少年を現に監護する者をいう。
(調査の方針)
第9条 前条の調査は、なるべく、少年、保護者又は関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的智識特に少年鑑別所の鑑別の結果を活用して、これを行うように努めなければならない。
(審理の方針)
第50条 少年に対する刑事事件の審理は、第9条の趣旨に従つて、これを行わなければならない。
(死刑と無期刑の緩和)
第51条 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。
2 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、無期刑をもつて処断すべきときであつても、有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において、その刑は、10年以上15年以下において言い渡す。

少年法の主旨は、少年の健全な育成にあります。教育の意義に十分配慮して構成されているもので、日本の未来を担う少年を社会の責任において育てていくんだという強い意志が感じられる法律です。18歳未満についてはその罪を本人にのみ問えるのかと、成人では認められている死刑を回避しています。ここのところの厳罰化の流れの中では「絶対に死刑にはならないんだから、人を殺したっていいんだと考える少年がいるかもしれないから死刑適用の年齢を下げろ」という議論までなされています。しかしそれは、少年法第1条の規定から考えて、あまりにも乱暴な議論であり、その目的を大きく逸脱したものだと言わざるを得ません。果たして少年にそこまでの責任を問えるのかどうか…。
「光市母子殺害事件」は、元少年が18歳になって30日しか経っていないときの犯行であり、それが一つの争点となりました。犯行時には18歳ではあったわけで、少年法の規定から死刑を言い渡せない年齢ではありません。されど「たった30日」そこをどう判断するのか、裁判所の判断が注目されていました。
次回につづく
(文:大関 直隆)

2008/04/21(月)
第306回「海軍飛行予科練習生」
「おい、俺が死んだらなあ、ヘリコプターで鹿島灘に骨を撒くんだぞ。おまえたちに頼んでおくからな!」
昨年亡くなった父は、何度も私と妻にそう告げていました。
海軍飛行予科練習生(予科練)に志願して、土浦海軍航空隊にいた父としては、特別攻撃隊(特攻隊)として鹿島灘に散った多くの仲間たちのところへ行きたいという気持ちが、ずっと消えなかったんでしょう。土浦から三沢(青森県)に移動になった直後、土浦が爆撃を受け、三沢でも同じように、移動の命令を受け三沢を出た直後に、三沢も爆撃に遭いました。父はたまたま難を逃れた数少ない生き残りなんです。(第266回参照)
「俺の人生は、余生なんだ。あの戦争で、俺の人生は終わったんだ」
と口癖のように言っていました。

そして昨日(20日)、先に逝った戦友たちのそばに父(ほんの一部だけですが)を葬ってきました。強い風で大きく荒れた海は、細かい粉になった父の遺骨を、戦友たちの眠る遙か鹿島灘の沖に、運んでいってくれたことと思います。
父の骨を撒く前に、父が予科練時代を過ごした土浦海軍航空隊跡を訪ねました。現在は陸上自衛隊武器学校となっており、中には、予科練記念館「雄翔館」、記念庭園「雄翔園」、予科練の碑「予科練二人像」などがあります。物心が付いて間もないころ、一度だけ父に連れられて来たことがありました。小さいながらもそのときの印象は強烈で、敷地内におかれた戦車、死んでいった若者たちの遺品の数々が、未だに記憶の中にあります。今回は、それを確認するように見学してきました。

入り口で簡単な受付をすれば、誰でも入れます。(平日、土・日とも午前9時〜午後4時30分 茨城県稲敷郡阿見町大字青宿121−1 陸上自衛隊武器学校内)
予科練の卒業生は約24,000名。そのうちの約8割、18,564名が戦死しました。「雄翔館」には、戦死した若者の遺品や家族宛の手紙(遺書)などが、展示されています。両親に宛てたもの、叔父や親戚に宛てたもの、どの手紙を見ても、しっかりとしたとてもきれいな字で、これまで育ててくれた感謝の気持ちが綴られています。まだ二十歳にもならない若者の手紙を見ると、とても心が痛みます。
「長い間育ててくれた…」「これが最後の…」といった言葉の数々。この若者たちに「長い間」「最後の」などという言葉を誰が言わせたのだろうと怒りがこみ上げてきました。

「戦争の時は、みんなこう考えてたのっ」「戦争だから仕方ないの」という母の言葉が、まるで人ごとのようで(もちろん母も戦時中の大変な時代を生きていたわけですが)、父の「鹿島灘に骨を撒くんだぞ」という言葉とは、遙か遠いところの言葉のように感じました。
「もし、これが私の子どもたちだったら…」そんな思いが、涙をにじませます。
父がお酒を飲むたび歌っていた、「四面海なる帝国を 守る海軍軍人は 戦時平時の別ちなく 勇み励みて勉べし」という「艦船勤務」や「若い血潮の 予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の雲が湧く」という「若鷲の歌」が自然に口をついて出てきます。

日本は、平和を取り戻しましたが、世界各地で多くの若者や幼い命が戦争によって奪われていることを思うと、平和のために何が出来るだろうかと考えさせられます。
雄翔館の入り口に二人の男性が椅子に座っていました。父と同じ予科練第14期だそうです。父同様、戦死はしなかったけれど、このお二人も戦争が人生のすべてだったんだなあと、なんだか寂しい気持ちになりました。
(文:大関 直隆)

2008/04/14(月)
第305回「東大の入学式」
東大の入学式が11日、日本武道館で開かれ、新入生の数を大幅に上回る保護者らで埋まった客席を前に、建築家で特別栄誉教授の安藤忠雄氏が「親離れをしてほしい」と新入生、保護者双方に自立を促すよう祝辞を送ったそうです。安藤氏の前の小宮山学長の式辞でも「新入生の幼いころを思い返し感慨もひとしおと思うが、入学式は親離れをして独立し、自らの道を切り開く旅立ちの日。温かく見守ってほしい」と保護者に呼びかける場面があったとか。日本人にとって、東大という特別な響きを持つ大学の入学式とは言え、あまりにも多い家族の出席希望に、「新入生一人に対し関係者二人まで」という制限を設けたにもかかわらず、「3人以上で行きたい」という問い合わせが、数十件も寄せられるほどの異常ぶり。そんな過保護な親子関係に一石を投じたということなのでしょうか。入学式の会場は新入生3200人の周囲を5000人の保護者が取り囲んだということだそうですから、東大側にしてみれば、いったい誰のための入学式なのかということになるのは当然。安藤氏は「自己を確立しない限り独創心は生まれない」「自立した個人をつくるため親は子どもを切り、子は親から離れてほしい」と言ったそうですが、まったくその通りです。(東京新聞webサイト参考)

入学式に参加した新入生、保護者の人たちは、この話をどう聞いたんでしょう。
ネット上のYahoo!知恵袋に、「大学になっても入学式に親が同伴するのは、おかしいですか?」との内容の質問があり、ベストアンサーに選ばれたのは「息子さんが反対しているなら、行かなくてもいいのでは?? −中略− 特に男子だと親が一緒だと…、ちょっと…ね。 −中略− それくらい自立心があった方がいいですよ。」
というものでしたが、あとの10人の解答のうち、「出ない」を支持したのはたった一人(それも附属高校からのエスカレーターらしく、ちょっと状況が違う)、あとは全員「出たっていいじゃない!」「出て何が悪い!」というスタンスの回答ばかり。ところがYhoo!サイト内のクリックリサーチでは、「大学の入学式に親が出席するのは過保護だと思う?」との質問に、64,558人中37,993人(59%)が「過保護」と答えています。知恵袋に回答を寄せた人たちは、自分が親として入学式に出たことのある人たちなので、出ることへの支持は当然として、全体としては、「過保護」というふうに考えている人たちが多いということなんですね。けれども、クイックリサーチは、「親」でない人の数が圧倒的で、もし子どもがいる人だけを対象に同じ質問を向けたとすると、「過保護ではない」と考える人の方がかなり多いのではないでしょうか。

私は以前から述べているように、今の「子育て・教育」の問題というのは、「親子の距離が近すぎること」と考えていますので、基本的には「過保護」だろうと思います。
まもなく成人を迎えようとしている(あるいは成人を迎えた)子どもたちが、ある意味親をうっとうしいと感じるのは自然で、それがないということになると、安藤氏の言う「自己を確立しない限り独創心は生まれない」ということになってしまいます。本来だったら、思春期に通り越していなければならないことが、最近の傾向として、大学になっても、社会人になっても通り越せていない。

うちのカウンセリング研究所のスタッフ募集の面接に、お父さんが付いてきたというケースが2人ありました。「娘が働くところがどんなところか確かめたかった」というお父さんの気持ちがわからないではないですが、面接をして雇う側として考えた場合、お父さんが付いてこなければ面接にこられないような大人だとしたら、採用するのは困難です。仕事で難しい局面を迎えたとき、しっかりと自分で解決していく能力があるかどうか、疑わしいからです。

親は皆、子どもの幸せを考えるものです。安藤氏や小宮山学長に言われるまでもなく、本当の子どもの幸せとは何なのか、そろそろ見つめ直すときがきているのではないでしょうか。

 
Re: 第305回「東大の入学式」2008/04/15 17:04:33  
                     さくらもち

 
初めて書き込みさせていただきます。
このニュースは、本年大学生になった子どもがいて、入学式に出席した親の一人でもあった私には、いろいろ考えさせられました。
ひとつには、大学や高校の入学式になりますと、保護者としての自覚から出席するというより、自分の子が入る学校の入学式って、どんなふうなのかしら、という興味の方が先にたつということです。自分が学生だったときの式とどんなふうに違うのだろうという、比較がしたくなったのです。
先日あった子どもの進学先の大学の入学式には、参加しなくてもいいなあという気持ちはありましたが、せっかく父母の席を用意してくれているのなら、と参加したところ、父母を意識した演出やあいさつがあり、それを親としてありがたく受け止めました。特に、地方から上京した親御さん達は、大学側の心遣いに感激なさったことと思います。

もうひとつ。私は子どもとはばらばらに入学式に向かいました(帰りももちろん一緒になどなりません)。駅で見かける方たちもそういうケースは多いようでした。これは高校のときもそうでした。高校生くらいから、もうすっかり親離れ、子離れはできており、親は親権者として子どもの入学先を確認するくらいの気持ちしかありません。そういう親も多いでしょう。それに、卒業式は子どもだけのものになっているでしょうから、これが親として子どもの進む大学に接触できる唯一の機会でした。それに、参加した親御さん達は、多くが普通のスーツ姿で、着物を着たり、改まった席にでるようなスーツを着ている方は少数でした。その、肩の力の抜け加減に、親子で出席する=親が子離れできていないという批判はあたらないのではないかと言う理由の一つを見るような気がします。

最後に、新聞記者の受け止め方というのもあると思います。東大の入学式に参加された親御さんたちの中で、そういう話もあるにはあったけれど、文脈から取ると、そんな記事になるような刺激的な話にはなっていなかったと受け止めた方たちもいらっしゃったようです。実際、新聞によっては、違う切り取り方をした記事もあり、こればかりは参加した親達がどう受け止めたかも考慮に入れないとわからないのではないかとも思います。

マスでものを見ると、画一的にとらえるのが単純で簡単なように思えますけれど、新入生の志の高さから、親の子どもへの依存度から、表面からだけでは窺えないものはたくさんあると思います。今回の記事は、(東大ではありませんけれど)同じフレッシュマンをもつ親として、ああ、見る人が見ると、そういうふうにとられてしまうんだと考えさせられました。
 

元の文章を引用する

 
はじめまして。2008/04/17 18:59:28  
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
さくらもちさん、ご意見ありがとうございます。
実は、今年大学3年になった翔(かける)の2年前の入学式に、娘の麻耶が子ども二人(翔にとっては姉と甥、姪に当たります)を連れて行ったんです。式場には入らなかったようですが、外で一緒に写真を撮ってきました。
そういうことを考えると、うちも過保護な親というか、過保護な家族というか・・・。
親の気持ちとして、「どんな式なんだろう?」「どんな学校なんだろう?」と考えるのは当たり前ですよね。
とは言え、我が家も、やはり過保護にし過ぎて、「自己を確立できない、独創心の生まれない子ども」になってしまっているようで、苦労してます。優しい子なんですけどねぇ、やっぱりもっと自己を確立させておかなければいけなかったのかなあと反省しています。
「過保護」「過干渉」については、また連載の中で触れようと思います。
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2008/04/07(月)
第304回「巨人と楽天」
野球の話題は初めて?
巨人のあまりの不甲斐なさと楽天のあまりの絶好調ぶりに、今日は野球の話題。もっとも直近は巨人が阪神に大勝、楽天は西武に3連敗して、勝率5割に戻っちゃいましたが…。

以前、サッチーこと沙知代夫人とテレビの番組でご一緒したことがあり、その後、妻が年に数回、季節の挨拶程度ではありますが、夫人とハガキのやりとりをしているので、2005年7月1日に開かれた克也氏の古稀を祝う会のご招待状をいただき、出席しました。克也氏は、まだシダックスの監督をしていましたが、次期楽天監督に就任するのではとの噂がありました。パーティでは、沙知代夫人の「この人は生涯監督が似合う。理想はカツノリ(当時は楽天の選手。2006年に現役引退。現楽天コーチ)がサヨナラホームランを打った試合で、ベンチの中でバンザーイって言ってバタッと倒れること」(日刊スポーツ参考)との楽天監督を意識したような発言もあって、どうやらまんざらでもない様子。さらにこのときお祝いに駆けつけていた原辰徳氏(現巨人軍監督)に対して、克也氏から「次期巨人軍監督」というような話もあり、すでに2人の監督就任は、ほぼ確実視されていました。
実際その通りになって現在を迎えているわけですが、今日(4月6日)現在、巨人が2勝7敗で首位阪神と5ゲーム差の5位(横浜と同率で最下位)、楽天が7勝7敗で首位西武と1.5ゲーム差の3位(日本ハムと同率)という成績。楽天の成績がいいのか悪いのか、普通のチームだとして考えれば、微妙なところではあります。もしこれが、巨人や阪神、中日といったチームの成績であったとしたら、おそらく7勝7敗の五分という星も、まだまだ「不振」と言われる星勘定ということになるのでしょう。けれどもチーム発足すら危ぶまれ、万年最下位ではないかと言われたチームであることを考えると、わずか4年で、シーズン当初ではあるとは言え、初の7連勝(これまでの連勝は5)を果たし、一旦は首位に立ったことは、ニュースです。昨日(土曜日)のTBS「ブロードキャスター」でも、野村監督が生出演(オフでない時期に、会見ではなく長時間の生出演というのには驚きました)し、大きく取り上げられていました。今の楽天の強さは、それほどのニュースということなんでしょう。
「ブロードキャスター」で取り上げていたスターティングメンバーの年俸比較にもビックリ。ちょっとはっきりした数字は忘れましたが、巨人が26億何千万円だか28億何千万円だかで、楽天が6億何千万円だか、だったように思います。にもかかわらず、巨人は弱くて、楽天は強い。
そのわけはどこにあるのか…
誰もが言うことですが、それはやはり監督の采配です。采配というのは、その試合にどういう戦術で戦うかということではなく、キャンプ(もっと言えば昨シーズンが終わってどんな補強をするかから。もっとも野村監督は「補強はフロントの仕事で、監督の仕事は与えられた選手でどう戦うかだ」と言っていましたが)からどうチームを作っていくかというビジョンです。今の巨人と楽天には、おそらくそこに大きな違いがある。選手一人ひとりが、自分自身の中に明確な目標を持つこと、そしてそれをチームとして全員が共有すること。さらに監督が選手の能力を引き出すこと。どうもそのあたりに違いがあるように思います。
楽天が球団新記録の6連勝を飾った4月2日、好投しながら最終回に2点を失い完投できなかった永井怜投手が、試合終了後ベンチからロッカールームに引き上げようと野村監督の前を通ったとき、監督が永井投手の背中を“ポーン”と勢いよく叩きました。そこから見て取れたのは、監督と選手の信頼関係、まさに「育てる」ということです。「使うのは俺だけど、実際にやるのはお前だぞ」と言っているように見えました。
それに対して、今の巨人には「育てる」ということがありません。今日、満塁ホームランを放った坂本勇人内野手(19歳)。こういう選手を育てて、初めて巨人も強さが発揮できるようになるんじゃないですかね。
教育の本質もそんなところにあるのでしょうか。できあがったものを与えるのではなく、ゼロからゆっくりでもいい、一つ一つ自ら獲得して育っていく。そういうふうにして獲得したものは、失うことがない。だから本物になっていく。それが子どもの教育にも必要なんだろうと思います。

楽天優勝?
あるかもしれませんね!
(文:大関 直隆)

2008/03/31(月)
第303回「誤字には気をつけて!」
娘の麻耶は、4月から大学に通うことになりました。おなじく4月から小学校に入学する息子と幼稚園の年長になる娘を持っている28歳。幼児教育を学ぶんだそうですが、果たしてどんな学園生活になることでしょう。

入試の面接では、
「あなた、その年齢になって幼児教育を学んだって、就職は難しいですよ」
と露骨に言われたとかで、合格発表があるまで不安になっていましたが、何とか合格。私に言わせれば、少子高齢化のこんなご時世。潰れてしまう大学がある中で、ごく一部の大学を除けば、学生の質はどんどん下がっているわけだから、幼児教育を学ぶ学科にとって、子どもがいて高齢(大学で学ぶという点については)で、それでも大学で学ぼうなんていう学生は、むしろ歓迎。わざわざ幼稚園、保育園に行って実習をしなければ聞けない保護者の話が、毎日だって聞けるわけだし、教材としても最適。「受からないわけないだろ」ということになるわけなんです。推薦入試だったので、まあ最終的には、大学側の選択ですから、当然「そんな遠回りをした学生はいらない」ということになれば、落ちることだってあったのですが、なんとか合格しました。

大学に入学すると“遊んでしまう”学生が多いからなんでしょうかねえ、まだ入学しないうちから論文提出。1本提出するとしばらくして添削されたものが返却され、それと同時に次の課題が出題されるという具合で、計3本の論文を書かされていました。
「おまえ論文なんて書けんの?」
「書けるわけないでしょ! だから代わりに書いてよ」
「いきなりそれかよぉ。おまえねえ、大学でだって書かされるんだよ。家で書いて提出するやつだけ手伝ったって、大学で書くやつはどうすんだよ!?」
「女装でもして書いてきてよ。そうしないと“あれっ、こいつ、この前の文章とずいぶん違うなあ・・・”って変に思われちゃう!」
「バカ言ってんじゃないよ! だから、最初から全部おまえが書けばいいだろっ!」
「まあ、しょうがないか・・・」
というわけで、麻耶が3本の論文を書くことになりました。(当たり前のことなんですが)

それでも一応提出前には、妻と私に「これでいいかなあ?」と見せるので、適当に目を通しては、「はぁ、まあいんじゃん」なんてやっていたのですが、「あれっ、割と書けるんだぁ」とちょっと意外な感じも受けました。妻もそう思ったらしく、「おまえ、私よりうまいかも」なんて、麻耶に言っていました。

3本ともEメールのコミュニケーションについての論文で、麻耶なりに自分の経験を織り交ぜながら、書いていました。1本目も、2本目も「大変よくできました!」みたいな評価をもらったので、3本目もそれなりの期待があったのだと思うのですが、3本目は「誤字には気をつけて! 〜中略〜 図書館の本を読破してください」なんていう評が書いてあるものだから、麻耶は「字も書けないようじゃあ、図書館行って勉強しろっ! だってさ」とちょっとがっかりしたような、「やっぱりなあ」というような微妙な様子。
「へーっ、字が違ってたんだぁ。でも、図書館の本を読破しろなんていうのは、褒めてんじゃないの」
なんて言いながら、私が答案を見ていると、誤字というのは麻耶が息子の蓮をつれて小学校に「就学時健診」に行ったくだりのその「健診」という言葉。「健診」に×がつけられて、その脇に「検診」と書き加えられています。その瞬間は何も考えず、
「ふーん、“検診”を間違えちゃったんだぁ」
と麻耶に答案を返しながら、
「でも、おまえ、最初にパソコンで打ってなかったっけ? 何で間違っちゃったんだろうな? 写し間違ったのかねえ?」
「それはないと思うよ。だって“けんしん”って言われたって、私全然漢字なんて書けないから、健康の“健”なんて思いつかないもん」
それで私が“はっ!”として、もう一度答案を眺めながら、
「就学時“けんしん”て、健康診断だよなぁ? だったら“検診”じゃなくて“健診”でいんじゃないの?」
すぐにモバイルサイトの広辞苑を開いて確かめてみると、「検診」は「胃検診」とか「胸部検診」のように病気を発見するための「けんしん」で、やはり健康診断は「健診」。麻耶は麻耶で、そのときの資料を持ってきて、「就学時健康診断」と書いてあるのを確かめると、
「やっぱり“健診”でいんだぁ! 変と思ったよ、パソコンが間違うなんてさぁ」
「大学始まったら、その人のところ行ってこいよ。“先生! これ、やっぱり健診でいいんですけどぉ”って」
「なんて言うかねえ? 真っ赤になっちゃうかねぇ? ×つけて書き直してある程度ならともかく、“健診”だけなのに“誤字には気をつけて!”なんて書いちゃったからね」
まるで鬼の首を取ったような大騒ぎ。

たまたま間違ってしまった准教授(らしい)には、申し訳ないけれど、そんなつまらないことから、28歳にもなる子持ちの娘が、大学に行くということの意義や学ぶということの意義を、肌で感じているように思います。

「目当て」を見失い、事件を起こしてしまう少年少女が増える中、家庭の果たす役割と同時に学校の果たす役割も重大です。教師と生徒の関係が、血の通った人間対人間の関係になり、信頼関係を取り戻すよう、強く願っているこの頃です。
(文:大関 直隆)

2008/03/24(月)
第302回「パパ検定」
へぇーっ、パパ検定なんていうのができたんですねぇ。
ケーブルテレビのニュースで見て、ついさっき知りました。私の場合、「パパ」という立場をずいぶん前に卒業して、今やるとすれば「じじ検定」というところでしょうが、ちょっと興味を持って見ました。ネット上で検索してみたら、検定は終わってしまったんですけれども、模擬テストがあったので、早速やってみました。

ところがこれが難しい。確かに、テレビの中でやっていた問題も、内容が多岐にわたっていて難しいなあとは思いましたが、11題しかない模擬テスト(http://www.kentei-uketsuke.com/practice_guide.asp?exercise_id=papa001)も一般的な知識というだけではまったく足りず、様々な知識がないとできません。

「育児休業を取得した父親の割合」とか「ソフトバンクグループの出産祝い金の金額」とか「桃から生まれた桃太郎の別バージョンはどれか」とか、これはもう「パパ」に必要な知識というより、完全に雑学の部類ですね。中には、「離乳食に不適な食材」なんていう質問もあるので、役に立つものもあるにはあるのですが・・・。本当に必要な知識として聞くとすれば、「不適」というよりは、「適したもの」というような訊き方の方がいい気もするので、まあ遊びというところですね。

ニュースの中でインタビューされていた主催者側の女性も、検定の点数がどうのというよりは、「子育てに関する父親の意識を高める」というようなことが目的と話していたので、要は報道(宣伝)されればいいということなのでしょう。

いろいろよく調べていくとNPO法人ファザーリング・ジャパンというところの主催で、経済産業省、東京都、兵庫県が後援となってはいるけれど、代表の安藤哲也氏は、元々は出版社出身で、町中書店の復活の取り組みで有名で、オンライン書店を立ち上げたり、楽天ブックに関わってきた人。検定も「パパ検定」だけでなく、「ロック検」「地理検」「馬検」「メディカルハーブ検」「CAR検」「フードアナリスト検」「CMアイドル検」「猫検」「ミリタリー検」・・・。こうなってくると、まじめに「父親の育児参加」を考えているというよりは、「ビジネスのいいネタということか」と穿った見方になってきちゃいます。それぞれに検定のための公式テキストが出ていたりするので、まさにメディアに取り上げてもらうための戦術といったところなのでしょう。検定ブームを利用した、とてもうまい商法だなあと感心してしまいます。

最近、父親の育児参加を呼びかけるものが多くなってきました。基本的には、私も賛成ですが、父親が子育てにどう関わるかということがとても大切です。ついさっきネット上に進学塾講師による有料受験対策「夜スペ」でも有名になった杉並区立和田中学校が、今度はPTAを廃止し、保護者をこれまで取り組んできた地域住民やボランティアで構成している「地域本部」の活動に組み入れるというニュースが流れてきました。これも男性を教育に参加させるという取り組みの一つです。校長の藤原和博氏は、リクルート出身で、次から次へと新しい試みを行ってきました。今回のPTA廃止もマンネリ化し活動に陰りが見えているPTA活動にある一定の影響を与えるだろうということは言えると思いますが、とても危険な要素を含んでいます。一つは、はっきりとした序列もなく、女性がリーダーシップを発揮することの多い、何となく曖昧で、だからこそソフトで優しいPTA活動のようなものが、体系化された組織という規格化のために男性社会のようなさめたものになり、さらに男女の役割が規定されかねないということ。もう一つは、これまでもずっと述べてきたことですが、「地域本部」のような活動は、「子どものため」ということを前面に出してはいるけれど、実はその陰に「行き場のない大人の受け皿」ということがあるということです。子どもと地域社会の関わりを語るとき、「昔はいろいろな人が子どもを叱った」という例をよく出します。私もそのあり方には賛成です。この話の根本は、まず子どもの行動があり、それがある大人のモラルに抵触した場合に怒られるという構図なわけですが、和田中学校に代表されるような地域社会再生の取り組みは、まず大人の行動があり、団体・集団としてのモラルができあがる。そしてそのできあがったモラルに子どもをはめ込み、それに反した子どもは怒られるという構図であり、そこには多様な価値観が入りにくい。この順序の逆転は子どもの成長にとって致命的です。大人の活動が先にありますから、何か活動に関わったという大人にとっての充実感は残るのですが、子どもは大人の価値観の中で行動させられるのであり、その結果、子どもは大人を越えられない上、そこの枠組みからはみ出るものも出てしまいます。大人はそのことを充分に意識するべきです。

「パパ検定」にしても和田中学校の取り組みにしても、大人の価値観の中で子どもを動かそうとする大人に焦点が当たった活動に見えてなりません。

子どもの中から湧いてくる考えや行動を待てない大人のための弊害で苦しむ子どもたち。毎日そういう子どもたちに接していると、あまりにも乱暴なこうした取り組みには疑念を抱かざるを得ません。経済を最優先にした小泉内閣以来、子育て・教育の中の優しさはどんどん失われ、少年の凶悪事件は増加しました。そろそろそれにはピリオドを打ち、経済とは切り離した、もっと丁寧で優しい子育て・教育に切り替えるときがきているのだろうと思います。
(文:大関 直隆)

2008/03/17(月)
第301回「達成感 その2」
第298回でも取り上げた通り、2月24日に藤井舞踊研究所(モダンダンス)の発表会がさいたま芸術劇場でありました。この連載にも何度(第212、213回)か登場していただいています(私が勝手に登場させたわけです)が、藤井舞踊研究所を主宰する、藤井公先生と利子先生には、20年以上にわたり子どもたち、そして今では孫たちがお世話になっています。前回の発表会では参加した全員の中で、蓮が唯一の男の子、沙羅が最も年少(しかも同い年の子の中でもとても背が小さい)で、蓮と沙羅が舞台に登場したとたん、踊りが始まっているにもかかわらず、男の子が出てきたということ、そして舞台の広さや周りで踊っている子どもたちに比べてあまりにも沙羅が小さいことに、観客席のあちこちから「男の子だ!」とか「かわいい!」とかいう押し殺した歓声が上がりました。

今年の発表会で、蓮と沙羅が最初に舞台に登場したのは、踊りではなく、プログラムが始まる前の、皆勤賞の表彰式でした。皆勤賞をもらう全員が舞台に上がり、演台の向こう側で賞状を読み上げる公先生から、ひとりずつ手渡しで賞状を受け取ります。中学生、小学生と受け取り、いよいよ蓮と沙羅の番。舞台衣装を着て並んでいるので、蓮が男の子であるということはそれほど目立たなかったのですが、公先生が賞状を読むとき、小声で「男かぁ」とつぶやいた声をマイクが拾ったので、「おっ」という雰囲気が会場全体を包みました。100名ほどの門下生の中で唯一の男の子ですからそんな会場の反応もうなずけます。去年に比べるとずいぶんと成長して、他の子どもたちと並んでいるときにはそれほど小ささが際だっている感じもしなかった沙羅も、演台の前に進むと、なんと頭すら演台の上に出ません。公先生が演台から身を乗り出すように沙羅を見ると、「かわいい」という声と笑いが混ざったような歓声が客席に響きました。私からすると沙羅は、ここのところ生意気な口をきき出して、ちっとも言うことを聞かなくなってきたので、「あんなにちっちゃかったっけ?!」、そんな感じです。

どうやら今年は、沙羅より下の子どもたちが入所したらしく、その子たちが6〜7名で群舞を踊ったので、演台の前に立ったとき以外は、それほど沙羅の小ささが際だつこともなく、だいぶ緩和されて見えました。

蓮も沙羅もこの日の舞台のために、休まず稽古に通いました。そして母親の麻耶は、「天使のお使い」というタイトルの踊りのために、夜中までミシンをかけて大きな大根と人参を作っていました。

去年の舞台では周りのお姉さんたちや蓮を見ながらやっとまねをしているという感じで、まだまだ「おみそ」でしかなかった沙羅は、今年はすっかり一人前に踊りきり、むしろ蓮よりもしっかり踊っていました。小さな子どもでも、張り詰めた緊張感と大きな集中力を持って、物事をやり遂げられるということに感心をし、びっくりもしました。

その日は、伊勢崎の病院に入院している叔母を見舞うため、急いで会場をあとにしたので、舞台後、蓮と沙羅と顔を合わせたのは、夜遅くなって自宅ででした。大きな舞台を終えて、さぞ興奮して話したいことがいっぱいあるんだろうと、「蓮くん、沙羅ちゃん、上手だったねえ」と話を向けると、返ってきた応えは「うん」の一言だけ。そのあとも、どんな気持ちだったのかと、いろいろと声をかけてみますが、返ってくるのは素っ気ない返事ばかり。しっかりやり尽くしてしまうと、もう子どもは前を向いてしまって、後ろは振り返らないものなんですね。

それと時をほぼ同じくして開かれた幼稚園の発表会。モダンダンスは振り付けが決まっていて、舞台に立っている全員が心を一つにすることを求められますが、蓮と沙羅の通っている幼稚園は、それとは対照的に、無理矢理教え込むのではなく、子どもの内面からわき出てくるものを大切にしようという教育方針もあって、発表会といっても特別に覚えたものではなく、教室で普段展開されている子どもたちの遊びを「普段のまま」舞台で見せます。これには、子どもの心に大きな負担がかからないといういい点もありますが、何かを作り上げるといった努力と達成感や人に見せるということの緊張感や表現力が育たないという欠点もあります。

発表会が終わってうちに帰ってきた蓮と沙羅は、発表会で使ったお面や剣を放さず、うちの中でもそれぞれが発表会で演じた役をそのまま演じています。それはしばらくの間続きました。

役になりきっている蓮と沙羅を見ていると、一見豊かな想像力に包まれているようにも見えますが、モダンダンスの発表会での二人の緊張感とその後の二人の言動を知っているだけに、お面をかぶり、剣を振り回している二人からは、「幼稚園の発表会では、達成感がなかったのかな?」そんな気持ちが湧いてきました。
(文:大関 直隆)