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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2010/06/14(月)
第410回「日本人は絶滅危惧種?」
回転寿司を食べに行ったときの話。
「うちの食卓じゃないのだから、箸をテーブルの上に直に置くなって言っているだろっ!」
「うん」
「そこに皿があるのだからその皿の上に置きなさい」
「うん」
孫の沙羅は、テーブルの上に直に置いてあった割り箸を、何枚か重ねてあった寿司の皿の上に置きました。
「こういうところのテーブルはね、きれいかきれいじゃないかわからないのだから、直に置いちゃダメだよ。箸置きがあれば箸置きを使うし、なければ皿の上とかに置くんだよ」
「うん、わかった」
実は私の基準の中で、何がきれいで、何がきれいじゃないかは、はっきりしていません。けれども、何となく回転寿司店のテーブルとか、高速道路のサービスエリアのテーブルとかは、直に箸は置かないものという私なりの基準があります。
たぶんこれは、ほとんどの人(大人)が同じで、子どもがテーブルに箸を置いているのを見れば、皿の上や箸置きのような物の上に置いてやるか、置くように注意をしているのだろうと思うからなのです。もしかすると、一旦テーブルに直に置いてしまった箸は使わせずに、新たな割り箸を割ったりする人もいるかもしれません。本当に汚くて有害と考えるなら、一旦置いてしまった箸は使わずに新たな箸を使うのは当然ですよね。

「私の基準がはっきりしていない」というのは、その辺りのことです。注意はするのに、実際に新しい箸に替えさせたことはない。よーく考えてみると、汚いと言って注意をしておきながら、替えさせることをしないってちょっと変じゃないですか。でも、私の意識の中にある基準なんてそんなもんです。
「汚い状態からは脱したのだからそれでいいや」とそんな考えでしょうか。もしバイ菌が付いて害があるなら、明らかに無意味です。「長時間そのままテーブルに置いておくとバイ菌が繁殖する可能性が増す」ということなのですかねえ…。

ちょっと食欲がなくなる話ですみませんが、ある人から、
「ここのうどん屋、前はよく来ていたのだけど、このごろ来るのをやめたんだ。ここでうどん食べた時、食べ終わったお母さんのうどんの汁の中にゴキブリが入っていたんだよ。それでその晩、お母さんひどい下痢になっちゃった。だからそれ以来一度も来てない」
そりゃあ行かなくなりますよね。でも、そのせいで下痢をした? そりゃないですよね。うどんの汁の中で煮えていたらしいので、充分すぎるくらい殺菌されていますもんね。以前(たしか小学校の5年生くらいの時かな)に私も叔母に連れて行ってもらったラーメン屋で同じ経験をしました。言おうか言うまいか迷ったのですが、叔母にラーメン屋に連れて行ってもらうなんていうことは、それまで一度もなかったし、その後もそんなにあるとは思えなかったので、話をすることで嫌な気分を引きずりたくなかったのです。小学生ながらにそんなこと考えたのですね。当時、ファミレスなんていうものはなく、たとえそば屋やラーメン屋でも外食するのは特別なことでしたからね。そんなふうにも考えたのだと思います。私の場合、ゴキブリを見たことで最悪の気分になりましたが、下痢はしなくてすみました。そういったときに体調を崩すのは、多くの場合気持ちの問題です。いかにも人間らしいことですよね。

先日、朝日新聞の天声人語に免疫学者で今年4月にお亡くなりになった多田富雄氏のことが載っていました。氏は「子供がたまに発熱したり下痢したりするのは、黴菌(ばいきん)との戦い方を習得しているからである。……成長の時期にここで戦い方を学習しないと、雑菌に対する抵抗力が弱くなり、逆にアレルギーを起こしやすい体質になる。免疫学者の私が言うのだ。信じていい」と述べていたそうです。さらに天声人語は、抗菌加工をした砂場の砂の話も述べていました。消毒された砂場の砂の話は、新聞に取り上げられたとき、私もかなり違和感を覚えた話題でした。

最近、洋式トイレの便座には尻を付けずに用を足すという人や電車のつり革は握らないという人、消毒用のウェットティッシュで消毒してから握るという人などもいるそうです。
汚いということの意味をもう一度考えて、子どもに何を与え、何を与えないかということをしっかりと考えていくことが大切ですね。

世界の中でも特出して無菌指向が高い日本では、あと何十年後かには、無菌状態でしか生きられない子どもがたくさん出現しているかもしれません。そして、菌に対して抵抗力のない日本人は「絶滅危惧種に指定」なんていうことになっていなければいいのですが…。

(文:大関 直隆)

2010/06/07(月)
第409回「小児医療の現実」
うちの本社、ほんとは浦和駅西口のエイペックスタワーの7階にあるんです。南浦和にあった陶芸教室をエイペックスタワーに移したとき、東館の2階に陶芸教室、西館の7階に本社とカウンセリング研究所を作りました。
南浦和のときは、内装業者さんにちょっと出っ張った柱の部分からパーティションを立ててもらって、一応、応接室兼社長室兼事務室を作り、私の仕事場にしていました。それなりにちゃんとした部屋だったのですが、そこで全ての事務を行っていたので書庫ありーの、コピー機ありーので、私の部屋というよりは、完全に事務所。

そこで、エイペックスタワーに引っ越すときは、「私専用の社長室を作るぞ!」と意気込んでいたのでした。カウンセリング研究所では、カウンセリングの他に、カウンセラー養成講座も行っているので、カウンセリングルームと事務室の他に最低でも20名くらいが学べる研修室も作る必要があり、また社長室兼応接室になってしまいました。
それでも、常時来客があるわけではないので、基本的には「私の部屋」のつもりでした。

ところが最近、世の中はカウンセリングブーム。会社として利益が出るにはほど遠いけれど、研修生も増え、クライエントさんも増えということで、利用率も上がりました。当初カウンセリングルームにと考えていた部屋の椅子が、妻(研究所所長)に言わせると、長時間カウンセリングをするにはちょっと堅いとか。それで、ちょー豪華(?)な応接セットの入った社長室でカウンセリングを行うことが多くなり、今では元の社長室がカウンセリングルーム、元のカウンセリングルームが社長室というのが定着してしまったのです。

それでとどまればまだしも、ごく最近では、私が社長室(カウンセリングルーム)でパソコンを打っていると、スタッフのSさんが、
「社長、クライエントの××さんがお見えなので、お待ちいただくのにちょっと部屋を開けてもらえますか」
「ああ、ハイハイハイハイ。すぐどきますから」
という有り様。結局元のカウンセリングルームは社長室にもならず、今では完全に待合室。
追い出された私は、毎日パソコンを持って駅前のファミレスへ。パソコンさえあれば、とりあえずどこでも私の仕事はこなせるので、すっかりファミレスの常連になってしまいました。
私にご用の方は、本社に行かずに浦和駅前のファミレスにお越しください。ほぼ間違えなく会えますから。もし、いないときは店長にお尋ねください。私の予定がわかります(まさか、そりゃないか…)。

店長とはすっかり仲良しです。つい先日、その店長がいつもいる曜日にいません。翌日行ってみると、今度は店長がいました。
「昨日はどうしたの? どこかお出かけ?」
「いやいや息子が交通事故に遭っちゃって…」
けっこうひどい事故だったようですけれど、幸い命に別状はなく、腕の骨折だけですんだのだそうです。

それは本当によかったのですが、店長が言うには、救急車で参ったとのこと。そう、よくあるたらい回しっていうやつです。救急車で待機させられること1時間半。やっと病院に運ばれ、先生が来ると、
「あれっ、来ちゃった! ほんとはペケなんだけどね」
「もちろん本当は受け入れられないのだけど、来ちゃったんじゃしょうがないからとりあえず診るだけはみますよ」そんなことなんでしょう。小児外科の入院に対応できる病院がほとんどないらしく、なかなか受け入れてもらえないのだそうです。店長のお子さんは、入院はしなくてすんだそうで、救急車からの状況の説明により、重傷ではないとの判断で受け入れてもらえたのかもしれませんね。店長は「東大病院にも断られたのですよ」と怒りをこらえて笑って話していましたが、もし命に関わるような怪我だったとしたら、笑ってなどいられないところでしたよね。

重傷だからこそ早い対応が必要なのに、軽傷でないと受け入れないという小児医療現場の矛盾。どんなに医療が高度化したとしても、受け入れる環境が整ってないとしたら、高度先端医療の意味がありません。子どもを守るためには事故に遭わせないこと、それは当たり前のことですが、万一事故に遭ってしまったとしても、子どもを守れる医療体制をしっかりと整え、安心を与えてもらいたいものですね。進藤先生(江口洋介)のような医師はドラマの中だけなのでしょうかねえ…。
(第45回参照)

(文:大関 直隆)

2010/05/31(月)
第408回「あいさつは何のため?」
先日、裏磐梯に行ってきました。
裏磐梯にある五色沼って車で行くとちょっと困るんですよね。奥入瀬なんかもそうですけど、こういう所って、どこかから入って、ハイキングコースや登山道をずーっと歩いていくと、出るところがまったく違うところで、元の場所に戻らないんですよね。
行った日も雨が降りそうだったし、いっぱいある沼のうち2つか3つ行った辺りで引き返せばいいと思って、歩き出したんですけど、せっかくここまで来たんだから次まで、ここまで来たんだから次までと、雨が降り出さないことをいいことに、とうとう毘沙門沼から入って檜原湖まで抜けてしまいました。
4qはない道程で、険しい道ではないので、ハイヒールではちょっと厳しいと思うけれど、革靴でも行けないことはない程度のコースです。
例年だと新緑も終わってしまう時期で、しかも天気も悪かったので日曜日とはいえ、人出もまばらでした。時折、ウグイスの鳴く声がします。まだ若いんでしょうか、「ホーホケキョ」と鳴けず「ホーホー」で終わってしまったり、「ホケキョ ケキョ ケキョ」となってしまってちょっと滑稽でした。
こういう所って、やっぱり人間を癒してくれるんだなあとゆっくり歩いていきました。すると後ろの方から女子中学生と思われる子どもたちの「森の熊さん」の歌い声。それも20人くらいが大声で歌っています。静けさに癒されて夢心地でいた気分が一気に現実に引き戻されたようで、しらけてしまいました。

まあ、誰にもそういう時期があり、妻が教員生活をしていたことを思えば仕方がないことか…。全員をやり過ごすことにして、しばらくその場に立っていると、いやー長い長い。あまりに時間がかかるので、列の途中で、
「ご迷惑おかけして申し訳ありません」
と声をかけてくださった引率の先生に、
「あとどれくらいですか?」
と尋ねると、
「4クラスなのであと1クラスです」
たった4クラスなのにこんなに時間がかかるのかとそれにびっくり。
「いったい、何が目的でここまで連れてきてるんだろう。いろいろな人がいるのに、あんな大声で森の熊さん歌わせちゃまずいよね。私が学年主任してたときは、ずいぶんそういうこと職員に注意したんだけど、やっぱり迷惑かけてたんだろうなあ。学校の旅行のあり方そのものを考えないと…」
やっと4クラスの生徒全員が追い越していったので、子どもたちの喧噪がほぼ聞こえなくなるまで待ってから、後ろをゆっくり進みました。あんなに遅いと思った子どもたちの歩みも後ろからついていくとかなり早いもので、あっという間に子どもたちの声はまったく聞こえなくなり、またウグイスの声だけが辺りに響き渡りました。
すると今度は、男の子たちの声が、正面から聞こえてきます。どうやら女の子も混じっているよう。目の前まできた子どもたちから、今度は「こんにちはー!」の嵐。すれ違う子すれ違う子、全員が「こんにちはー」とあいさつするので、無視するわけにもいかず、こちらも、
「こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは…」
こちらのあいさつを聞いた子どもたちはどんどんエスカレートしてとうとう何人かの男の子が、
「こんにちはー!」
と大声で怒鳴る始末。さすがに子どもに寛大な私も困って、1クラスぐらいとすれ違ったあたりで、
「君たちがすれ違う人の数は何人でもないだろうけど、君たちに”こんにちは”と言われるとこちらは何百人にも”こんにちは”って返さなきゃならないんだよ。あいさつっていうのは、”こんにちは”って声をかけることだけじゃないんだよ。君たちのように団体で来ている人たちは、誰かが”こんにちは”とか”ご迷惑おかけします”とか代表して声をかければ充分なんだ。それ以上は逆に迷惑なんだよ」

とお説教をしてしまいました。これで気分はすっかり教員モード。仕方なく、なるべく子どもたちと顔を合わさないようにしていると、しばらくして引率の若い男の先生とすれ違いました。
こちらが顔を向けないようにしていたためか、子どもたちの”こんにちは”のトーンもやや落ちてきていたところだったのですが、すれ違うとすぐにその男の先生が、子どもたちに向かって大声で、
「しっかりあいさつするんだぞぉ!」
おいおい、いったい何を考えてるんだよ! お前は仕事かもしれないけど、こっちは仕事じゃないんだよ! 仕事モードにしないでくれよ!
ここを訪れている大人の多くは、都会の喧噪を離れて、風の音、鳥の声、木々との語らいを楽しみに来ているというのに…。
子どもたちに話をするのもきりがないので、集団の後方にいた女性のやや偉そうな先生に、
「すれ違う人全てに、子どもたち一人ひとりが”こんにちは”と声をかけるような指導は、あいさつの意味を間違っていると思いますよ。すれ違う人間が何百人もの子どもたち全員にあいさつを返すのはとても負担なのでやめてください」
と話しましたが、「はあ」と言ったきりで、何とも思っていない様子。学校というところの傲慢さを強く感じた一瞬でした。

私は本格的な登山をしたことがないので、登山の最中に人とすれ違ったときに交わすあいさつの本当の意味を知りませんが、私なりに考えると、1つは人と会わない厳しい環境の中で自分自身を励ますためとすれ違った相手を励ますため、もう1つはこれから自分が進んでいこうとしている方向の情報収集、そしてもう1つは自分は元気でここに存在していますよということをすれ違った人に認知してもらうためではないかと思います。
無理をすればハイヒールでも歩けるような、多くの人とすれ違うハイキングコースで、はたして全員に”こんにちは”とあいさつをする意味があるのかどうか…。
子どもたちとすれ違っている十数分の間、周りの景色がどんなであったか、周りの静けさがどんなであったか、まったくわからず通り過ぎてしまいました。

あいさつは声をかけることばかりではありません。時には無言のあいさつがあってもいいはず。あいさつという意味をもう一度考えて、形骸化した”こんにちは”にならないよう、子どもたちには、形ではなく「あいさつの心」を教えたいものですね。
(文:大関 直隆)

2010/05/24(月)
第407回「私の名前は”大関大澤パパ直隆”!」
「パパの名前って”大関大澤パパ直隆”って言うんだよね???」
「はっ? ずいぶん長いなあ…」
「えっ? 違うの?」
「ん〜〜〜」
「だっていつも電話とか出るとき”大関です”って出るでしょ。はじめ君のお母さんも”大関さん”て呼ぶし、まさる君のお母さんも”大関さん”て呼ぶし…。でも原山のじいちゃんの名前は、大澤信一でしょ。だからパパには”大澤”っていう名前もくっついってるんでしょ!? 僕たちは”パパ”って呼んでるから、”パパ”も名前なんだよねえ? ねえ、そうでしょ!? それで名前が”直隆”だから、ほんとは”大関大澤パパ直隆”って言うんでしょ!? そうだよねえ!?」
違うような、そうなような…
答えに窮していると、
「ねえ、そうだよねえ? そうでしょぉ?」
「いやいや、そんなような、そうじゃないような…」
「そうでしょ? それでいいんでしょ!?」
「ん〜〜〜」
このころの私と妻は、事実婚状態。妻が教員で私は専業主夫。私に収入がなかったのでそれほど困ることもありませんでした。収入がないから困らないというのは、収入がないと社会的には認められないので、例えば銀行で住宅ローンを組むときも、問題になるのは妻の職業と収入で、私はほとんど相手にされないということです。夫婦か夫婦でないかが問題になりそうですが、
「籍は入っていませんが、子どももいますし、同居もしていますので、内縁ということで…」
と話をすると、
「そうですか。姓が違ってもいいですから、ご主人の印鑑証明も一応取っていただいて、保証人の欄に署名捺印していただけますか」
とそれで終わり。何か一言二言、言われたような記憶はありますが、それほど嫌な想いをしたという覚えはありません。おそらく教員ということもあったのだと思います。教員の福利厚生関係はもっと緩くて、ほとんどが自己申告。本人が夫婦といえば夫婦で、姓が違うことはもちろん、同居の有無が曖昧でも夫婦ということが認められていたように思います。もっとも、妻が退職してすでに8年。現状がどうなっているのかはわかりませんが。

今、夫婦別姓が現実味を帯びてきました。閣内不一致で、閣議を通過するのもままならない状況なので、そう簡単に実現はしないかもしれませんが、鳩山首相も賛成を表明しているとか。
私は、基本的には夫婦別姓でもいいと思います。ちょっと曖昧な言い方ですね。反対ではないと言った方がいいでしょうか? ん〜、どちらかといえば賛成?

私の生き方からすると、事実婚ということで長い間、見た目は夫婦でありながら、社会的・法律的に別姓で通してきましたし、「結婚」という制度の中で、人(というより女性が)が制度そのものに縛られている様に感じる現状を踏まえ、真の意味での男女平等や男女共同参画を主張するには、別姓を選択できることは当然と考えるからです。
とはいえ、諸手を挙げて賛成ではないのは、「選択的夫婦別姓」というのが、あたかも多様な生き方が選択できる様に主張されているけれど、私には一部エリートやキャリアの女性のためのものにしか映らず、専業主婦にはどんなメリットがあるかが見えないからです。
経済的に自立している女性にとって、「××の妻」でない一人の人間として扱われることが人としてどんなに重要なことかはよく理解できますが、同姓でいることで姓に守られている女性がいるということも片方ではある。だから「選択的」ということになるのだと思いますが、それは人として一人前の女性と一人前でない女性の差別を生んでしまったり、優越感を感じるようになったりする恐れはないか…。
これは当然子どもにも言えることで、親と姓の違う子と姓の同じ子の中に差別が生まれないかということになります(どちらが差別されるかは微妙な問題ですが)。これは経済的格差と無関係ではない。また、夫婦なのに夫婦でないように見せかけることも容易なので、意図して周りに不利益を与えることができるのではないか。そう考えていくと、経済的弱者にとってはメリットよりデメリットの方が多いのではないか。そんな気がしてなりません。

妻との婚姻届を出すときに、10人兄弟の長男で「大澤家」の家長(もちろん今ではそんな言い方ありませんが)であった父の職場を訪ね、父の長男である私が「籍を入れて大関になるから」と宣言したことがありました。父は「そうか。財産は放棄しろ」と私に吐き捨てるように言いました。叔父や叔母がまだ幼かったため、生活していくのに都合がいいよう全て父が相続してしまった土地が若干あったからです。父は死ぬ前、遺言書を公正証書にして残していました。当然私の取り分はないものと思っていましたが、わざわざ裁判所に呼び出され開封してみると、半分は母、残りの半分を私も含めた子どもたち3人で3等分ということでした。
結局そういうこと???
「財産を放棄しろ」とはいったい何だったのか…
事実婚も経験し、姓を変えることも経験した私としては、多少の煩わしさはあったにしても、実際のところ本当に困ったり、不利益を被ったことはありませんでした。
当然、気持ちの問題はありますが、声高に別姓を主張するほどのものではありません。だから同姓でいいというものでもありませんし、様々なケースがあるので一概には言えませんが、賛成派、反対派、どちらの主張も一長一短があり、私には身勝手な言い分にしか聞こえません。
別姓の問題で一番難しい立場に立たされるのは、何も責任のない子どもたちです。自分の感情で都合のいい主張をする前に、まず、子どもたちにどんな問題が降りかかるのか、そのことをもっとしっかり考え、議論を進めてもらいたいものですね。
(文:大関 直隆)

2010/05/17(月)
第406回「増え続ける子どもの虐待」
静岡県函南町であった子どもへの虐待で、意識不明の重体だった土屋侑紗(ありさ)ちゃん(1歳5ヶ月)が死亡したというニュースが、ついさっき配信されました。
侑紗ちゃんは3日前、実母の土屋麻友子容疑者(21)に床に叩きつけられ、脳内出血を起こし意識不明の重体に陥っていたもので、16日午後、入院先の病院で死亡が確認されたそうです。
麻友子容疑者は、13日午後2時半ごろ、抱いていた侑紗ちゃんが泣きやまないことに腹を立て、自宅居間の床にたたきつけ、けがをさせたとして静岡県警三島署に傷害容疑で逮捕されていましたが、容疑を傷害致死に切り替え、詳しい死因を調べるため、司法解剖することになりました。

三島署などによると、土屋容疑者は自ら119番して、当初「散歩に連れていこうとおんぶしようとしたら、下に落ちた」などと説明していたそうですが、診察した医師が、頭以外に複数のあざがあったことを不審に思い、「虐待の可能性がある」と判断し、消防を通じて警察に通報。警察は土屋容疑者が虐待を繰り返していた可能性があるとして逮捕しました。

児童虐待防止法は虐待に気付いた場合、児童相談所などに通告するよう求めていますが、この事件のあった静岡県では、虐待の対応件数の増加に歯止めがかかっておらず、児童相談所が虐待の相談などに対処した件数は右肩上がりで、09年度は結果がまとまっている12月末時点で816件。過去最多だった08年度の872件を上回る勢いだそうです。(毎日新聞参考)

埼玉県はどうか…
同じく毎日新聞によると、
「県内7カ所の児童相談所(児相)に09年度に寄せられた虐待に関する相談は、前年度から0・3%(8件)増の2665件だったことが、県こども安全課の調査で分かった。増え幅は小さいながらも4年連続で過去最高を更新した。他機関でも相談を受けており、児相が把握した件数は氷山の一角とみられる。

相談の内訳は、身体的虐待が1020件、保護の怠慢・拒否(ネグレクト)が816件、心理的虐待が729件、性的虐待が100件だった。前年度の傾向から目立った変化はないが、08年度から、母親が父親に殴られるなど家庭内暴力(DV)を受ける姿を子どもに見せることも虐待と位置づけられた影響で、心理的虐待が41件増えた。」

この傾向は、静岡県や埼玉県に限らず、全国的なもののようです。子どもの虐待への意識が高まり、近隣知人が通報するケースも増えており(埼玉県では昨年度実績で25.2%)、相談・通報件数の増加は、その影響もあるとは考えられますが、死亡事例等があった場合に通報件数が増えることを考えれば、これまでもあったものが表に出てきたと考えるよりは、重大事例も増えると同時に虐待件数も大幅に増えていると考えるべきなのでしょう。

この原稿を打つときは、必ず新聞やネット上の記事をかなり細かくチェックするのですが、「YAHOO!」のニュースサイトを覗いていたら、子どもの虐待に関する記事が5月だけで26件(内容の同じものも何件かありますが)もあることにびっくりしました。(文末参照)

虐待をしている本人からの相談というのはなかなか難しいものですが、虐待をしている母親、父親の心も傷ついていることと思います。うちの研究所にも子どもへの虐待がやめられないという相談があることがありますが、重体な事態に発展する前に、どこへでもいいですから、ぜひ専門機関へ相談に訪れてもらいたいものです。

熊本の慈恵病院に赤ちゃんポストが設置されてから3年が経ったそうです。蓮田太二理事長は当初、親のポスト利用について虐待でないとの認識を示していましたが、今回の記者会見では、ポストに子どもを入れる行為について「子にとっては親が手放したことになり、虐待といえる」との認識を示した上で、「ゆりかご(ポスト)の表示も、簡単に預ける気にならないように変更したい」と述べたそうです。
ポストに入れられた子どもは、親が分かっても親元には戻れず、児童養護施設を転々とせざるを得ないという実情があり、病院側が当初考えていた戸籍上実子として育つことができる「特別養子縁組」は、これまでポストに入れられた51人のうちたった1人に過ぎないとか。

ドイツとは宗教や文化が違うのだから、当たり前のことなのに、それに気付かなかった病院の責任は重いと思います。社会が本来取るべき対応というのは、親に子どもを捨てさせることではなく、親が安心して自分の子どもを育てられる環境作りのはず。やっと病院の認識が「子捨ては虐待」という認識に立った(あくまでも報道ベースでですが)ことで、進むべき方向に進むのかなあと、ほんの少し明るい気持ちになりました。(第248、259回参照)

重体女児が死亡=逮捕の母親、虐待疑いも―静岡県警(時事通信)16日
函南の虐待:女児重体 「泣きやまず腹立った」 背景に育児ストレスか /静岡(毎日新聞)15日
児童虐待:児相相談、4年連続で過去最高を更新 近隣知人通報が大幅増 /埼玉(毎日新聞)15日
児童虐待防止:海渡君事件受けアンケ 市民団体と学生、子ども対象に /東京(毎日新聞)15日
乳児虐待「以前もやった」 傷害罪で23歳父親起訴 北茨城市(産経新聞)15日
児童虐待:県への相談、過去最多569件 “加害”1位は母親−−昨年度 /香川(毎日新聞)14日
乳児虐待の男を再逮捕=妻にも暴行、傷害容疑−福岡県警(時事通信)13日
1歳女児を虐待、母逮捕=傷害容疑、尻にやけど−大阪府警(時事通信)12日
<小1虐待>母を書類送検 暴行手助けした疑い 三重・鈴鹿(毎日新聞)12日
虐待:県議会検証 市町担当者、児相の甘い認識指摘 家族分離判断に温度差 /三重(毎日新聞)12日
学校の認識不十分 江戸川虐待死 都審議会が最終報告(産経新聞)12日
<子育て>専門店開店 母家出・引きこもり経験の男性(毎日新聞)11日
福島・乳児虐待:容疑で両親逮捕 日常的に虐待か 1月上旬、市に通報 /福島(毎日新聞)11日
検察「死亡直前まで点滴に混入」 京で初公判、弁護側「虐待」違う(京都新聞)11日
<乳児虐待>布団に投げる…容疑の21歳父逮捕 和歌山県警(毎日新聞)10日
<乳児虐待>長女の足にアイロン 22歳の両親逮捕…福島(毎日新聞)9日
追跡2010ひろしま:広島市児童相談所 児童虐待の通告、夜間・休日倍増 /広島(毎日新聞)9日
すし職人の恩返し 児童養護施設の後輩に「にぎり」3500貫(産経新聞)8日
<堺男児虐待死>逮捕の元内縁の夫 腹部を狙った暴行(毎日新聞)6日
乳児虐待、父親に有罪 大阪地裁堺支部判決「卑劣な犯行だが反省」(産経新聞)6日
乳児揺さぶり脳出血、虐待22歳父に猶予付き判決「卑劣も反省」(産経新聞)6日
虐待の厳罰化訴え、神戸と川崎で主婦ら署名集め(産経新聞)5日
Watch!:里子虐待事件、大阪市が検証 里親の相談体制強化を/大阪(毎日新聞)5日
児童虐待を察知した場合の対応マニュアル、医師らに配布/神奈川(カナロコ)5日
児童虐待厳罰化訴え 母たちが5日に神戸で署名活動(産経新聞)4日
児童虐待の相談人数、2009年度は過去最高に/相模原(カナロコ)3日
(文:大関 直隆)

2010/05/10(月)
第405回「自分自身を”愚かな総理”と言ったけれど、あれは“誤訳”?」
4月15日の読売新聞にこんな記事が掲載されました。
「14日付の米ワシントン・ポスト紙は人気コラムの中で、13日に終わった核安全サミットに出席した36人の各国首脳たちがオバマ米大統領との近さを競い合ったとしたうえで、「このショーの最大の敗北者は断然、哀れでますますいかれた日本の鳩山由紀夫首相だった」と鳩山首相を酷評した。
〜中略〜
さらに、「ますますいかれた」との表現は、「オバマ政権高官たちの評価」だとした。」
これはワシントンポストの看板記者、アル・カーメン氏の執筆によるコラムなんだそうです。この記事を巡っては、のちに日本のメディアは、
「米紙ワシントン・ポストは28日付(電子版)で、さきの核安全保障サミットで、鳩山由紀夫首相を「最大の敗者」と皮肉ったコラムニスト、アル・ケイマン氏が、首相を「ルーピー(loopy)」とした真意は、「愚か」や「いかれた」ではなく「現実から変に遊離した人」が真意だとするコラムを掲載した。
ケイマン氏は、今回のコラムで、島根大学の教授が日本のメディアがルーピーの意味を「愚かな」と「いかれた」の2通りに解釈していると指摘し、真意はどちらなのだと問い合わせてきたことを紹介。ルーピーの意味について「組織の意思決定について十分な情報を得ているという意味での『輪の中に入っている』状態とは正反対の意味」だと釈明した。」(産経新聞 他社も同様の記事)
と続報を掲載しています。そしてさらに5月1日、
「米紙ワシントン・ポストのコラムニストが〈いかれた鳩山首相〉とこき下ろした問題で、同紙は28日付で続報コラムを掲載した。「言いたかったのは『現実離れ』という意味だ」と“説明”、日本の新聞はあたかも同紙が釈明、謝ったように伝えていたが、真実はまったく違う。そもそも今回の混乱は、コラムにあった「loopy(ルーピー)」という英単語を、日本のメディアが「いかれた」「愚か」と“誤訳”したことにあるのだ。
〜中略〜
コラムニストが2度目のコラムできちんと説明したように「現実離れ」というニュアンスなのだ。
〜中略〜
〈いかれた鳩山首相〉と最初に訳したのは読売新聞だった。悪意丸出しの“誤訳”である。」(日刊ゲンダイ)

私は英語が大の苦手なので、「loopy」を本来どう訳すべきかはよくわからないけれど、一連の流れからすると、悪意か善意かは別として、読売新聞の訳が誤訳であったというのは事実らしいということは想像できます。政権交代後の政治を巡る報道は、自民党時代とは正反対に、政権支持の朝日新聞に、不支持の読売、産経新聞といった様相。それに週刊誌や月刊誌も加わっていますから見ていておもしろい。毎週月曜日に新聞紙上に掲載される週刊現代と週刊ポストの見出しも対照的で、見る度にメディアというのはずいぶん適当なものだなあとおかしくなってしまいます。

現在のカウンセリングの基礎を築いたカール・ロジャーズは、「私たち一人ひとりが見ている「世界」は、私たち一人ひとりが目で見える世界をどのように受け取っているかによって決定されている」と考えました。
この現象学的な考え方から、ロジャーズはカウンセリングにおいて「内的照合枠からの理解」が重要であると言いました。「内的照合枠からの理解」とは、一人ひとりが認知している世界を、その人の認知の仕方で理解することです。
つまり、その個人の世界の受け取り方を理解して、その人を取り巻く様々な関係を内側から理解していこうとすることです。これは、ロジャーズ以前の個人を外側からある基準に従って判断する“診断”の考え方と大きく異なっています。

子育てで重要なのは、この「内的照合枠からの理解」です。人は、自分の価値基準で判断するものなので、前述の誤訳が生まれるわけですが、親も同じですよね。皆さんも経験したことありませんか。先日、私もやってしまいました。いつもコップや飯碗に飲み物や食べ物を残す癖のある孫の蓮(れん)の前の皿に1つだけ残っているおかずを見て、
「お前、またそんな1つだけ残してだめだろっ。あと1つなんだから食べちゃいなさい!」
と怒ったら、蓮がモジモジ何か言いたそうにしていました。はっきりしないので、さらに、
「グズグズしてないで、早く食べちゃいなさい!」と怒ると、
「だってこれ、じいちゃんの分が1つもなかったから、じいちゃんの分に残しておいたんだもん」
どひゃーっ! こりゃダメだ!
頭からスーッと血の気が引いていくのがわかりました。今度は私がモジモジ。
「おーっ、そうか。ありがとな。どれどれ食べてみるか」
おいおい、食べてみるかじゃないよ。孫の気持ちもわからなくて…。
私の意識の中には、いつもほんのちょっと食べ残す蓮という意識しかなかったので、私のために残しておいたという発想がありませんでした。

こんな経験ありません? 私は私が認知している世界からしか蓮を見ていなかったわけです。カウンセリングにおいては、クライエントの内的照合枠からの理解ということが重要なわけですが、人は一人ひとりに内的照合枠があり、子育てをする場合も、親は自分の内的照合枠から子どもを見ているということをしっかり意識して子育てをしないとダメですね。
反省!
(文:大関 直隆)

2010/04/26(月)
第404回「太平洋戦争で4人の兄を亡くして…」
4月18〜19日に、上越高田経由で富山、奥飛騨、長野、上田と回って帰ってきました。久しぶりの長距離でした。2日で1200〜1300qは走ったでしょうか。

今回の遠出の目的は、私の母を富山まで連れて行くことでした。先月初めに、
「富山まで行くんだけど、途中で予科練のTさんの家に寄りたいんだよ。Tさんの家は高田だからちょっと回れば行けるだろっ。どう乗り継いでいくのがいいのかねえ?」
と母に聞かれたので、
「高田ってあの雪の深いところ? 直江津かなんかで乗り換えなきゃならないんじゃないの? 雪がなくなってからでいいんだったら、車で送ってやってもいいよ。上信越道で行けば、上越高田回って富山まで行っても4〜5時間くらいで行くでしょ、たぶん」

というわけで、私と妻で母を富山に送ることになりました。富山は、母の母(私の祖母)の実家があるところで、今回母が訪ねたのは、祖母の実家と義理の叔母の家。92歳で一人暮らしの叔母の家に3泊してきたようです。

さて、その途中でお邪魔したTさんのお宅。このTさんというのは、3年前に他界した父の予科練(海軍飛行予科練習生)の同期で、母も毎年開かれる同期の会に夫婦で出席する度お会いしていた間柄。
女の人たちは皆、夫を通しての知り合いなので、中には気の合わない人もいたようなのですが、母とこのTさんの奥さんとは気の合う仲良し。母には、父が生前大変お世話になったという気持ちがあるらしく、富山まで行くのならほぼ通り道。ぜひお邪魔してご挨拶をと考えているようでした。(第266、306回参照)

Tさんのお宅は上信越自動車道の上越高田インターからすぐ。ちょうどこの日は桜が満開で、インターを降りると高田城百万人観桜会で賑わっていました。
Tさんは母に「インターを降りたところの駐車場まで迎えに行くから」とおっしゃってくれていたようで、10時過ぎくらいと言っておいた到着が途中横川サービスエリアでの朝食に時間がかかり30分ほど遅れると、心配してわざわざ駐車場まで迎えに行ってくれていたようでした。こちらは住所がわかっていたので、カーナビで直接お宅へお邪魔したので、駐車場への出迎えは無駄になってしまったわけですが…。

どうもその歓待様は私の想像以上。予科練というもののつながりの深さを感じさせます。現代に生きる私たちには、仲のいい友達というものがあってもこういうつながりってないなあという気がします。親しいには親しいんだけれど距離がある、距離があるにはあるんだけれど相当に親しい、奇妙な感じ。これが死を共にするかもしれない仲間に対する信頼や共感や尊敬の念なのだなあと強く心に響きました。

玄関先でと言っていたのに、結局そうもいかなくなりました。
お茶をいただきながら、Tさんから伺った話は、大変ショックでした。
「兄が4人戦死して、下だった私がこの家を継いだんですよ。家族の中で、4人も戦地で戦死したっていうのは、新潟県でもうちくらいでねえ。ほとんどないんですよ。そんな関係で新潟の遺族会の会長をさせてもらっていました」
Tさんは9人兄弟。男7人のうち6番目だったそうですが、長男と弟さんは日本で病死、二男から五男の方までが戦死したそうです。
「私が予科練から戻ってきたでしょ、その後兄たちが戻ってくるのを待っていると次々と戦死の知らせが来たんですよ。私なんて、家を継ぐなんていうつもりはこれっぽっちもなかったのに、結局兄4人が戦死っていうことになって、両親がね、こいつ(奥様)と一緒になって家を継げっていうわけですよ」
仏間の鴨居の上には、職業軍人であったというお父様の写真とお母様の写真、亡くなったお兄様方の写真の他、お父様とお兄様方の勲章と厚生省(当時)で調べてもらったという戦死するまでの経歴と戦死したときの状況を金の板に彫ったものが、額に入れられ飾ってありました。

ご兄弟が戦死した年齢を見てみると、ちょうど今のうちの息子の年齢。次から次に届く子どもの戦死の知らせをお母様はどんな気持ちでお受け取りになったのか。それを思うと涙をこらえているのが大変でした。

淡々と話すTさんと奥様。そこへ何度かお茶やお菓子を持ってきてくださるお嫁さん(息子さんのお連れ合い)。その方の笑顔が、戦争の話とは正反対に、平和のすばらしさを感じさせるとても穏やかな優しい笑顔でした。

その笑顔を見て、Tさんのお宅に着いて最初にTさんが話した「庭に車が2台は楽に入る車庫(屋根付きの)を作ったんですがね、今では5台もあるので車庫に入らなくて、ここにも置くことになってしまったんですよ。孫も乗るもんでねえ」という言葉を思い出しました。

Tさんは4人の兄の死という一生降ろせない荷物を背負ってしまったけれど、今では息子さんご夫婦やお孫さんたちに囲まれ、平和で穏やかな日々を送っているんだなあ、そんな気持ちが私の心に穏やかさを取り戻させました。
(文:大関 直隆)

2010/04/19(月)
第403回「1969年4月17日は何の日?」
朝、窓のカーテンを開けると、一面の雪景色。
とまではいかなかったけれど、とにかく庭の芝生のはげているところが見えないくらいには雪が積もってる。
「ほんとかよ?」
一旦しっかり閉じた目をパッと開いて、改めて庭を見ると、やっぱり雪が積もってる。
「えーっ、ほんとかよ!」
そういえば、孫の沙羅が昨夜、
「夜、雪が降るんだよ」
って言ってたっけ。昨夜は校正しなくちゃならない原稿があって、早々に食卓を引き上げて校正にかかっていたら、急に眠気が襲ってきて、気がついたときは夜中の2時。孫たちとあまり話をすることもなく、ニュースや天気予報を見ることもなく寝ちゃったので、関東地方も北部では雪が降るかもしれないということは知っていたけれど、まさか平野部、それもうちの方まで雪が降るとはねえ。眠ってしまったときにはまったく考えてませんでした。

明日(18日)から、上越回りで富山、富山から奥飛騨へと出かけることになっているので、雪の具合が気になってネットでいろいろ調べてみました。18日からは晴れて気温が上がりそうですが、富山から奥飛騨へは山越え。ネット上では今朝の富山から奥飛騨へのルートは完全に雪マークです。ひょっとするとひょっとして、日陰の部分は路面凍結なんていうことがあるかもしれません。

3年ほど前、スタッドレスタイヤにするか、チェーンにするかを迷ったとき、以前のようにスキーに行くこともないので、「高いスタッドレスに替えてタイヤの置き場に困るより、年に1回か2回のチェーン装着」とチェーンを選んだのですが、去年大雪が降ったとき、チェーンを付けようとしたらうまくつかない。
会社から自宅に帰るについて、雪の中でチェーンを付けるのをあきらめて、タクシーで帰ったことがありました。けっこうそういうことは得意な方なので、チェーン付けをあきらめたなんていうのは生まれて初めて。金属のはしご形チェーンならなんていうことないのに、どうも新しいやつはそれぞれ付け方が違って難しいです。あれから一度もチェーン付けを試してないので、ちょっと明日からの奥飛騨行きは不安です。

そんなことを考えながらネットを見ていると、「東京都心など、最も遅い降雪」の文字。よく読んでみると「最も遅い記録に並ぶ」。
「ん? 並んだ日ってもしかして1969年?」
大当たりー!
忘れもしない1969年4月17日(実は17日ということは忘れていたんです。今日並んだということで、あれは4月17日だったんだぁ!ということで)。この日は、私が小学6年生の時の鎌倉への遠足の日でしたぁ!

あの日もびっくりしました。何度も何度も夢ではないかと思いました。いつもより早く起きて外を見ると、一面真っ白。公式記録が何pの積雪かは知りませんけれど、今日の比ではありません。少なくとも私の家の回りでは10p近くは積もっていたと思います。雨なら行くのは当然として、遠足が雪なんて前代未聞。しかも明らかに積もっている。本当に行くのかなあとまず疑心暗鬼になり、行くとわかったときには、長靴?それとも運動靴?

傘?合羽? 頭の中を止めどなく問いが浮かんでは消え、浮かんでは消え…。結局、長靴を履いて出かけたんですが、鎌倉も大雪で、大仏前でとった記念写真の背景にはかき分けた雪の山。

原山小学校(私の出身校)の同級生は同じようなこと考えているんだろうなあ。
遠足の雪なんて、大人が考えたら「かわいそう」ということになるのかもしれませんが、子どもにとっては、いい思い出。小学校時代の出来事の中でも、1、2を争うくらいの思い出です。

孫の蓮と沙羅も、布団から出たとたん、玄関を開けて外へ飛び出しました。積もっていることを期待していたようですが、まあ所詮は春の雪。ベタベタで「積もっている」にはほど遠い状態。それでも「雪だ、雪だ!」と大騒ぎ。
子どもにとって雪が特別なものであることは、いつの時代も同じですね。
(文:大関 直隆)

2010/04/12(月)
第402回「人間の見栄と欲」
甥が昨年春、自動車販売の会社に就職しました。自動車の営業といえば、大変し烈な競争社会。ほとんどの人が持っているとはいえ、値段が値段のものだし、車離れは広がっているし、景気は悪いし…。

よくもまあ、こんなどん底のときに自動車販売の会社に入ったものだと…
もっとも、これ以上の底はないと考えれば、今を乗り切ることで、バラ色の未来が待っているなんていうことが言えないわけではないかもしれないけれど…(いやいや、甘いよね)

いずれにしても、大変なときを支えるのは、家族であったり親戚であったり。
昨年の就職以来、何かキャンペーンがある度にハガキは来るし、電話は来るし。
2月の終わりには、
「おじさん、自動車保険の契約もらえませんかねえ? 今、入っている保険を一旦解約してもらわないといけないのですけど、どうしても今月の契約が足りなくて…」
という電話。

「3月で切れるやつがあるから、それをお前にやるよ」
「すいません。よろしくお願いします」
というわけで、1台の契約を甥のところで頼むことにしました。

しばらくして、
「これまでの契約も同じ保険会社だけど、代理店を替えるっていうことでいいのかな?」と気づいて、仕事で使っているのも含め4台の所有車全ての契約を、甥のところに替えてやることにしました。
そして今度は車の購入。
様々な事情で5台は必要な車を、維持費が大変なので、2年ほど前に4台にしたのですが、5台に戻すかということになり、さっき甥の勤めている販売会社(別の支店です)に車を見に行ってきました。
購入の理由は「甥のため」なんだから、何でもいいから買うことが目的で、安い車をと考えていたはずなのに。しかし、いざ販売店に行って、カタログを見たり、実際に車を見たりしていると・・・
「やっぱりオプションで、これとこれはいるよなあ。ナビもこれよりはこっちの方がいいし…。これを付けても20万円しか違わないのだったら、あった方がいいかなあ? こっちの方がカッコいいよなあ…」
おいおい、どこまで上がっていっちゃうの?!

すっかり元の理由はどこかに飛んで、見栄と欲だけのかたまりに。
上を見ればきりがないのだから、こんなことで買い物の内容が変わってしまうのは良くないですね。とはいえ、最初からこれを買うって決めて、一切変更しないなんて出来るとも思えない。だれか、人間の見栄と欲をコントロールする方法を知っていたら、教えてください。

はぁ…。
完全に予定より50万円以上高い見積もりが出ちゃいました。
どこにそんなお金があるのかなあ…。
オプションで付けたものに覚悟を決めて切るなんてこと、果たしてできるのかなあ???

最近相談に訪れる子どもたちを見てみると、問題の根底にあるのは、「消費」ということのように感じます。不登校であったり、非行であったり、過食・拒食、リストカット、OD(過量服薬)…、どの子どもたちの話を聞いても、消費が抑えられない。また、親もそれを助長するかのように、「××したら買ってあげる」と言ってしまうので、子どもの意識は「××を手に入れるにはどうしたらいいか」という方向に向かう。一旦頭の中がそういう方向に向かってしまうと、なかなかそこから抜け出せなくて、手段がだんだんエスカレートする。援助交際はその典型で、援助交際の是非を問うても、消費(浪費)の是非を問わないと解決しない。「××が欲しいんだから、援助交際しないと買えないじゃん」と…。

何人もそういう子どもたちを見てきたし、これからもますますそういう子どもたちが増えてしまうのではと危惧されます。景気回復と消費は密接に関係しているわけですが、日本の将来を考えたとき、教育が重要と考えるなら、消費の担い手を子どもにするのだけはやめて欲しい。バブル世代が、今ちょうど子どもを育てています。バブルのころと同じような消費を求めるのは難しい時代。私たち大人も、「消費が幸せ」「贅沢が幸せ」から抜け出して、「幸せ」の中身を考えてみることが必要かも知れませんね。

果たして私は、無駄なオプションをカットすることができるのでしょうか。

(文:大関 直隆)

2010/04/05(月)
第401回「長崎県の少年少女は他県でコンドームを買う?」
私の自宅は川口市。
と言っても、川口市の中ではかなり北の方。ほんの2、3分歩けば、さいたま市。川口市の中心部から我が家に来るには、一旦蕨市を通過して来なければなりません。我が家の前を通過すると、もうさいたま市。そんな場所にあります。

川口市の一番北といっても、やっぱり川口市ですよね。埼玉県を出て都内へ入ろうとすれば、15分もあれば、充分東京都に入れます。
これがもし上尾市とか、川越市とかだったらどうですか。都内はもちろん、山梨県も群馬県も栃木県も茨城県も千葉県も、とにかく埼玉県を出て他県に行くなんて大変です。まあ普通は、他県に行けなくたって困ることはないんでしょうけど、長崎県だけは別です。

何が大変かって、そりゃあ、コンドームが買えないからです。
1978年に改正された長崎県の少年保護育成条例では、当時の世情を映してか、少年への避妊具(コンドーム)販売を規制する項目が盛り込まれました。
第9条第2項目は「少年への避妊用具(コンドーム)の販売等を制限する」として、「避妊用品を販売することを業とする者は、避妊用品を少年に販売し、また贈与しないよう努めるものとする」と規定されているそうです。

今から、30年以上も前に改正された条例で、「古い」とはいえ、条例は条例。古いから効力がなくなるというものでもなく、罰則規定はないようですが、長崎県によれば「未成年がこっそり買えないようにコンドームの自販機は屋内への設置が義務づけられ、またドラッグストアやコンビニなどでは、未成年の疑いがある場合には身分証の提示を求めるように指導。市町村単位で少年補導員が巡回して、違法な自販機や販売方法がないかもチェックしている」のだそうです。

これはすごい!
こんな条例が埼玉県にあったら、我が家はまだいいけれど、上尾市や川越市といったところに住む少年少女は、往復1時間かけてもコンドーム一つ手に入れられないということになってしまいます。

福島県の猪苗代湖あたりも大変ですよね。
いやいや、北海道の真ん中、旭川のあたりとか、沖縄県とかもめちゃめちゃ大変。飛行機に乗って、コンドーム買いに行くのかって。
あああっ、長崎県にだって五島列島があるじゃん!
五島列島の若者はどうしてるんだろっ!

まあまあ、冗談はさておき、実態はというと、当たり前のことですけど、条例はすでに有名無実化しているんだそうです。大手コンドームメーカーによれば、「長崎県だけコンドームの売れ行きが悪いというデータはない」、また九州の大手ドラッグストアは「そんな条例があるのですか。店長に確認しましたが、『販売の指導なんか受けたことがない』と言っています」、大手コンビニ関係者は「コンドームを買ったお客さんに身分証を見せてくださいなんて言えませんよ」。

どうやら、五島列島の人も船に乗ったり、飛行機に乗ったりしなくても、コンドームを手に入れられるみたいです。
この条例を担当しているのは、「子供みらい課」。ずいぶん子どもの未来を見据えたいい名前の課だと思うけど、やっていることは「子供むかし化」みたいですね。

さすがに長崎県でも、医療関係団体から2005年、08年、09年と3度にわたって規制撤廃を求める要望が出され、何度も少年保護育成審議会で議論されたそうですけど、性的非行や未成年の性交を助長してはならないとする規制賛成派と望まない妊娠や性感染症予防を訴える規制反対派の議論は平行線で、妥協点はまったく見いだせないとか。

かなりの若者が高校卒業までに性交を経験する時代。エイズも含め性感染症や妊娠のことも考えれば、当然正しい性教育を行うことが最も大切だと思うのですが…。

ちょうど20年前、我が家の出産映像を公開したとき、週刊新潮の記者が、「大関先生(妻)は音楽室で生徒にコンドームを配っているという話を聞いたんですが」と取材に来たことがありました。そんなこと根も葉もないでたらめですが、少年少女の性交渉の是非はともかくとして、少なくとも性交渉を完全にさせない手立てなんていうものが存在するわけないのだから、高校ではコンドームを配るくらいの意識を持って生徒の性を考えないと、生徒の命すら守れない時代が来ているように思います。有名無実化している条例を無くしたからといって何かが変わるわけでもなし、もちろん無くすことで性交を助長しているなんていうわけでもなし。賛成派、反対派、お互いの言い分に耳を傾け、早く現実に即した対応をしてもらいたいものですね。

そういえば、私が小学生の時、コンドームを学校に持ってきて、水をたくさん入れてふくらましては、空に投げて遊んでいた奴がいましたっけ。条例改正よりももっと昔はずいぶんおおらかだったのですね。

(文:大関 直隆)