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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2011/04/04(月)
第450回「蓮くん、島へ行く! その3」
4月1日、今回の地震による震災の名称を「東日本大震災」とすることが閣議で決まったらしいですね。今回の東日本大震災は、被災地域、規模、死者・行方不明者数などで、阪神・淡路大震災を大きく上回った上、まだまったく終わりの見えない原発事故が起こり、私たちにとって経験のない大惨事となりました。生産拠点の壊滅的被害や計画停電の影響で、東日本はもとより、西日本やアジア、世界各国にまで経済的被害をもたらしています。

関東地方の放射線量も通常より高く、3月22、23日には東京都葛飾区の金町浄水場の水道水から乳児向け暫定規制値超えのヨウ素が検出され、乳児に対する水道水の摂取制限が出されました。摂取制限はあまりにも唐突で、その可能性すら言及されていなかったので、暫定規制値超えのニュースが流れた途端、多くの人が水の買いだめに走り、スーパーマーケット、小売店、自動販売機からペットボトルの水が消えました。
その日たまたま頭痛がひどくて、頭痛薬を飲むため水の自動販売機を探していると、通りすがりに1本100円の張り紙のある自動販売機を見つけ、酒屋さんに寄りました。
ニュースで暫定規制値超えの放射性ヨウ素が検出されたことは知っていたものの、その時はまだ水が手に入らない状態になっていることなど知らず、外に積んである500mlのミネラルウォーター24本入りの箱をとりあえずという感じで買いました。
その後、近くのホームセンターまで行くとそこではすでに水が売り切れ。それでやっとことの重大さに気付く始末。我が家には1歳未満の乳幼児はいないし、金町浄水場とは直接関係はないので、購入したペットボトルは小さい子どもを持つ何人かの知り合いに配りました。

ニュースでは連日、大気中の放射線量の値や水道水から検出されるヨウ素の量などが報道されるようになりましたが、どう見ても政府の対応は後手後手。素人考えでも浄水場の水が危険なことくらいわかるのに、なぜ摂取制限になる前に注意を喚起して、あらかじめ汲み貯めの必要性を言わなかったのか…。もちろん不安心理を煽らないようという考えが働いたことはわかるけれど、いきなり規制値超えで摂取制限ということになったことで、政府に対する信用は失墜。それまでの東電、原子力保安院、政府の会見で何度も何度も楽観的見方が覆されてきただけに、さすがに私の気持ちの中でも買いだめを控えるようにの報道にぶち切れ。
摂取制限を出され、水を大量に買おうとする母親たちに買いだめをするななんて言えるのか! 誰が買いだめに走らせてるんだよ! こうなってくると買い占め・買いだめ断固反対派の私ですら、最低限必要な買いだめと必要でない買いだめは区別しないと…という気持ちに。とっても残念なことです。

さて我が家では、
「蓮は4月4日の船で行くんだろっ? どうせ行くんだから、もう鹿児島に行っちゃえばいいんじゃなか? 4日の前の船で島まで行っちゃったっていいし…」
「そうだね。だけど島に行っちゃうと食事がなあ…」
麻耶は、前回の平島行きで食事に懲りたよう。お寿司を食べに行ってもマグロしか食べない蓮も、果たして平島では何を食べて生きていくつもりなんだろう?
放射線を浴びるのも怖い、水も自由に飲めない、子どもたちにとって自分たちで解決できる質の問題ではないので、たまたまの平島行きを早めて、麻耶、蓮、沙羅の3人は「えいっ、やぁー!」ととりあえず鹿児島まで行ってしまうことになりました。インターネットでいろいろ安いプランを調べて、霧島で2つのホテルに3泊ずつ、計6泊。3人で約10万円也。ちょっと大出費ではありますが、両方ともけっこういいホテルで、6泊すべて2食付きですからちょー安! 探せばこんなプランもあるんですねえ。

3月29日、羽田空港まで3人を送っていくと、同じ時間の同じ便なのに、前回送ったときとはちょっと様子が違います。鹿児島行きの飛行機は満席。子ども連れも多く、明らかに東京脱出組。春休みということもあるのでしょうが、やはり放射能のことが気になっているのでしょう。もしかすると被災地近くの人たちなのかもしれません。とっても残念な事態になってしまったんだなあとちょっと悲しい気持ちになりました。

そんな私の気持ちとは裏腹に、蓮と沙羅は大はしゃぎ。これから始まる1年間の生活を蓮はどう考えているのか…。前日には蓮と私と2人で買い物に行き釣り竿とリールを買ってきました。竿とリールは他の荷物と一緒に宅配便で送りました。蓮たちが島に着くのと一緒に着く予定です。期日指定で出したので、宅配便で送ったのにまったく同じ船で運ばれていくんですからおもしろいですよね。
「島の中は誰が運ぶんだよ?」
「みんな、船が着くのを待ってて、自分たちで運ぶみたいよ。だから、同じ船で着くようにしないと里親さんに迷惑かけちゃいそうなんだ」
麻耶が言うには、宅配と言ってもお宅までということではなく、港までということらしいので、同じ船の方が都合がいいとのこと。全然、こっちの感覚と違うんですよね。空港で荷物のチェックを受けている蓮の顔は満面の笑みでした。沙羅のリュックの中にハサミが2本入っていて、係のお兄さんが外にいた私のところまでハサミを持ってきて「持ち込めないので…」と。工作好きの沙羅は、飛行機の中で折り紙を切って遊ぼうとしたようです。まさか背中のリュックにハサミとは…。

毎日、数回蓮からメールが来ます。電話がかかってくることもありますが、声が弾んでいて、昨日妻にかかって来た電話は、7〜8mも離れている私にも聞こえてきました。まるでスピーカーから音を出しているように。

いよいよ今日(4月4日)船で平島に渡ります。霧島にいると思うとそれほど寂しさを感じないのに、平島に行ってしまうんだなあと思うと寂しさが胸に込み上げてきます。「1ヶ月くらいしたころにホームシックにかかるんじゃないの?」と私も妻も心配しているのですが、羽田で蓮が飛行機に乗った瞬間から私も妻も「蓮くんシック」にかかっているのかもしれません。
(文:大関 直隆)

2011/03/28(月)
第449回「心に傷を負った人への対応」
「ばあちゃん、来てね!」
こたつでニュースを見ている妻に蓮が言いました。
「うん、後で行くよ」
と言う妻に、
「来てね!」
と念を押して、蓮は自分の部屋に引き上げました。蓮には小学校に上がったときから一部屋を与えてあります。しっかりその部屋で生活しているというわけでもありませんでしたが、机があり、ランドセルや教科書などもその部屋に置いていました。大人用のシングルベッドがあって、一応蓮は食事以外その部屋で生活できるようになっていますが、2年生までは荷物を置く以外ほとんど使わず、3年生になってやっと毎日その部屋で寝るようになりました。本を読んだり、図鑑を見たり、新聞を読んだりすることが好きな子で、一旦部屋を利用するようになると、それまでとは打って変わって、部屋で過ごす時間が長くなり、「あれっ、どこ行ったんだろう」と思うと、部屋のベッドで本を読んでいることがしばしばでした。

ところが今回の地震で様子が一変します。地震から何日かは、私や妻と同じ部屋で寝たり、母親の麻耶のところで寝たり…。こちらも一人で寝かすのは心配なので、なるべく一緒に寝るようにしていました。ごく最近になって余震も収まりつつあるので、そろそろ自分の部屋に戻そうということになったのですが、部屋に戻る前には必ず「ばあちゃん、来て」と言います。我が家は何一つ物が落ちるようなこともなく、今回の地震が精神的なダメージを与えるようなものではありませんでしたが、揺れが原因なのか、それとも毎日続く震災の報道が原因なのか、孫たちには何らかの精神的ダメージを与えているようです。

さて今回の震災では、直接被災をした人はもちろん、直接被災はしていなくても、ご親族やご友人など近しい方が被災した方も多いことと思います。そのような方々に接するとき、どんな接し方をすればいいのか、浦和カウンセリング研究所所長の妻のアドバイスをまとめてみましたので、参考にしてください。

人は深い悲しみ、驚き、苦しみに遭遇した時、言葉を失います。自分を見失うことすらあります。茫然自失と言うような状態でしょうか。自分がそういう状態になった経験のある方は、そんな時、誰がどんなに優しい慰めの言葉をかけてくれても、どんな力強い励ましの言葉をかけてくれても、すべて心の上を通っていってしまうだけだったのではないかと思います。被災した方々、身近な人が被災した方々はそれに近い状態です。カウンセリングマインドで寄り添う具体的なヒントを3つほど示します。

@どんな言葉よりも「必要な時は、何でもする」という気持ちで、そこに「居る」ことが大切です。具体的には、できるだけ普段と変わらない朝のあいさつをしてください。それまでの人間関係の近さにもよりますが、親しい人なら向こうから被災の話になるでしょう。黙っているようならそのまま「何かあったら言って」くらいにしてそっとしておいてあげる方がいいと思います。

A相手の方が苦痛な思いを話し出されたら、ただじっと聞きましょう。時折、うなずいたり、その方がおっしゃる「もうどうしたらいいかわからない」という言葉に対しては、そのまま「どうしたらいいかわからない」となぞったり、「私が一緒にいられなかったことが悔しい」に対しては「悔しいよね…」とかくり返してあげてください。これを「繰り返し技法」と言います。

B「私どうしたらいいの?」と皆さんおっしゃいます。そんな時私たちは、「××すれば!」とか、「くよくよしないで前を向いて!」と答えを出したり、励ましたりしてしまいがちですが、「うん、どうしたらいいんだろう…」と一緒にその方になったつもりでつぶやいてください。するとその方の心に共感でき、その方自身で「私、元気出さなきゃね」とおっしゃるものです。これを「共感的理解」と言います。
「そうそう、あなたの気持ちよく分かる」とか「頑張ってくださいね」とかいう言葉も、なるべく控える方がよいでしょう。
もちろん、地震を怖がるようになったあなたのお子さんにも有効です。試してみてください。

数日前、乳児に対する水の摂取制限が出されました。子どもに飲ませるミネラルウォーターが手に入らないときはどうするか…。
私も困って、ネットで質問してみました。もうご存じの方も多いかと思いますが、ペットボトルなどに口いっぱい水道の蛇口から水を入れ、しっかり栓をして冷蔵庫などで保存する。あちこちの浄水場で検出されたヨウ素131の半減期は8日なので、それに見合った日数を保存してから使用すれば、かなり安全だそうです。その後煮沸すれば、細菌などにも安全ですね。
浄水器を通した水を保存するとカルキが抜けて腐りやすくなるので、水道水を浄水器を通さず保存した方がいいそうです。放射線物質は蒸発するという性質のものではないので、蓋を開けておく必要はなく、というか蓋を開けておくことで外から放射線物質が入ってしまうこともあるので、蓋はしてくださいとのことでした。「なるほど」と納得です。長く置けば置くほどヨウ素131は減りますが、腐りやすくなりますので、注意してください。
私の知識ではありませんが一応信用するとして、ご参考まで。
(文:大関 直隆)

2011/03/22(火)
第448回「えーっ、何もない!」
16日水曜日、仕事を終えて自宅に向かう途中、近くのスーパーに寄ろうとしました。夕飯の食材がそろそろないので、何かを買わなきゃと駐車場に入りましたが、通常夜10時まで営業しているスーパーなのに、震災の影響で8時前には閉店してしまったらしく、入り口のところで店員さんが腕で大きくばってんマークを作っています。
「えーっ、もう閉店?」
まだ店内の照明はついていて、店員さんが手動で開けた自動ドアから買い物客らしい人たちが数人出てきたので、一応店員さんに状況を聞いてみようと車の窓を開けました。
こちらが聞く間もなく、
「今日は閉店しました。明日は9時半から平常通り営業しますから…」
と向こうから声をかけてきました。

閉まっていては仕方がありません。自宅までの通り道で何かおかずが買えそうなのは、もう一軒の大型スーパーとコンビニ。まずスーパーの前を通ると広い駐車場に車は無し。店内もほんのわずかな明かりはついているものの明らかに閉まっている。では、コンビニに行くしかない。

11日の地震発生直後、3教室ある陶芸教室の被害の状況が知りたくて、浦和にいた私は、戸田と東川口を回ってきました。電車が全面ストップしていたので、もし浦和の教室で動けなくなっている人がいるとお腹が空いているかもしれないと、戸田、東川口を回り浦和に戻るときにコンビニで弁当やおにぎり類を買おうとしたのですが、コンビニを2軒回ってもご飯ものの弁当はなく、焼きそばしか買えませんでした。午後6時半くらいのことです。仕方なく焼きそば以外にデザート数点とカップ麺を3個買って帰りました。

そんな経験はしてはいましたが、帰宅難民を生むほどの状況から考えれば、計画停電が始まったとはいえすでに状況はよくなっているものと思っていたので、少なくともコンビニで何か簡単なおかずぐらいは買えると思っていました。ところが、コンビニに寄って愕然。棚に何もありません。
冗談だろ?
とにかく棚に何もない。弁当、おにぎり、パン、カップ麺、スパゲッティ、乾麺…。そういった食料品だけではなく、棚という棚がほとんど空っぽ。私って、世の中の動きに疎かったみたいです。というか、オイルショックの時の、あの見にくい買い占め、買いだめ騒動をもう二度と見たくないという心理が、まさかこれくらいのことで、買い占めが起こってほしくないという、私の日本人に対する信頼のようなものが無意識に自分の意識の中に芽生え、買い占めが起こっていない世の中を勝手に想像して、バーチャルの世界を展開していたという方が当たっているかもしれません。

かろうじて、保温ケースの中に鶏の唐揚げがあったので、それを買って帰りました。ファーストフード的なものは売り切れていないわけですから、この買い占めは若者の仕業ではありません。
「普段より入荷が少ないの?」
レジのお兄さんに聞いてみると、
「いや、むしろ普段より多いと思うんですけど、入荷するとおばさんたちがたくさん来て、1時間くらいでなくなっちゃうんです」
ああ、嘆かわしい!
人を信じることからはじめたい私の心も揺らいでいます。子どもたちには絶対見せたくない光景ですね。
安否のわからなかった妻の従弟と海を見渡せる場所にログハウス(ご本人はドームハウスと言っています)を建てた息子の中学時代のサッカー部の顧問、小林兼三郎先生の安否はインターネットの消息情報サイトで無事でいることがわかりました。
今、たった今です! 
ほんとにたった今、
「あっ、小林兼三郎さん撮影って名前が出てるよ!」
麻耶がNHKのニュースに流れた津波映像の撮影者が「小林兼三郎」という名前であることに気付いて叫びました。
「えっ?!」
麻耶はそのサッカー部の顧問の先生を知りませんが、
「ほらっ、ログハウスの人じゃない? 名前、“兼三郎”だよ」
「あああああっ、そうだぁ〜〜〜〜っ! “釜石”って出てるぅ!」
小林先生が撮影した津波の引き波の様子が映し出されたあとに、その「小林兼三郎」先生のインタビューが流れました。
「あーっ、元気だぁ!」
昨夜(20日)、やっとショートメールで連絡が取れ、1階が水に浸かったけれど、被害は少なく元気でいるということがわかったばかりでした。
毎日、被災した子どもたちの映像が流れます。家族を失った子どもたちもたくさんいるとのことですが、力強く生きようとしている子どもたちに未来を感じます。東北は必ず復興する。
すべての人の安否が一刻も早くわかることを祈るばかりです。
(文:大関 直隆)

2011/03/14(月)
第447回「大丈夫か?」
3月11日午後3時過ぎ、大きな揺れが収まるのを待って、まず麻耶に電話をしました。大人は心配ないと思ったけれど、孫の蓮と沙羅のことが気になったので、真っ先に麻耶に電話をして、蓮と沙羅のことの状況を確かめようと思いました。

誰もが経験したことだと思いますが、あの状況ではみんな一斉に電話をするので、電話はなかなか通じません。
やむなく、
「大丈夫か?」
とメールを打ってみました。
私はいつものファミレスで午後3時までのランチを食べようと、入り口のドアを開け、中に入った瞬間に揺れが来ました。開けたドアを放すと、ドアが自然に閉まりかけましたが、
「開けといて!」
とウエイトレスのNさんに言われ、私が「はっ?」という顔をしていると、
さらに「地震!」と言われたので、私も天井からぶら下がっている照明器具を見て、地震であることに気付きました。 その直後、揺れが大きくなり、立っているのも大変な状況に…。一旦、壁に手をつきながら、待合の椅子に座り、
「私、戻るね」
と外へ出ました。いよいよ揺れが大きくなり歩くのも危険だったので、駅の建物からなるべく離れ、揺れが収まるのを待って、まず陶芸教室へ。それからカウンセリング研究所(本社)へ戻りました。

陶芸教室は、作品がいくつか棚から落ちた程度。研究所の方は7階のせいか揺れが大きかったようで、棚の上にあったポトスやアイビーの鉢が落ち、メダカの水槽が大きく揺れ、水がこぼれていました。
その途中で、「大丈夫か?」のメールを送ったのです。
いつもならすぐに返事が返ってくる麻耶ですが、やはり混乱しているのか、こっちの気持ちとは裏腹になかなか返事が来ません。もう一度、
「おまえ、どこ?」
と送ると、やっと、
「大丈夫。今、学校」
という返事が返ってきました。
今、携帯電話で確かめると最初のメールから返事が戻ってくるまでに10分程度しかかかっていないのに、その10分がどれほど長く感じたことか。
家にいた麻耶は、地震後すぐに蓮と沙羅のいる小学校に行き、そこで私に返事をよこしたらしく、その後5分おきくらいに、
「沙羅が真っ白な顔してる」
「今、うちに戻ってきたけど、どうするか、まだ外にいる。電話つながらないね…」
というメールが来ました。

どうやら無事で家にいることがわかったので、余震の危険はありましたが、周りの建物に注意しながら、車で家に向かいました。マンションのエントランスには6階以上に住む5家族の人たちが冷たい風に、震えてながらしゃがんでいて、そこに一緒にいた麻耶の話を聞いてみると、食器棚が崩れて家の中がガラスのかけらだらけになり、子どもを連れてでは家に入れない状況とか。
にもかかわらず1階の我が家の被害はまったくなし。ちょっと触るとよく開いてしまうことのある洋服ダンスの観音開きの扉が開いただけで、落ちたものは1つもないとのこと。
私も家に入ってびっくりしました。あんなに大きな揺れだったのに、あった物がそのまま場所を変えずにその場所にありました。

もう沙羅もすっかり落ち着いていて、いろいろ学校での様子を話してくれました。
「3人泣いちゃったんだよ。2人は外国人なんだ」
もちろん、泣いてしまったことを軽蔑して言ったのではなく、心配して言ったのですが、私は沙羅のその言葉を聞いて、地域の関わりというものの重要性を痛感しました。沙羅の「外国人」という言葉に表れているように、地域のコミュニティの中ではやはり異質な存在で、充分に地域に溶け込んでいるとは言えないのではないか。
こういう非常事態のときこそ、大人を信用して、何かあれば自分の身近にいる大人が助けてくれるという安心感を持てないと、子どもの心の中で不安が増幅してしまいます。「真っ白な顔」で相当恐怖を感じた沙羅も、そこの部分では安心でいられる何かがあって、泣いてしまった子どもたちを冷静に見ていたように思います。

世界各国から、大災害にもかかわらず、冷静に行動する日本人に驚きと絶賛の声が上がっているそうですが、国民全体に行き届いた教育と和(人と人との関わり)を大切にする日本の文化がそうさせているのだろうと思います。

岩手県九戸郡に住む妻の従兄弟と岩手県釜石市の海を見渡せる場所にログハウスを建てた知り合いとまだ連絡が取れていません。無事を祈るばかりです。
(文:大関 直隆)

2011/03/07(月)
第446回「蓮くん、島へ行く! その2」
平島は面積わずか2.08平方キロ。周囲は7.23キロ。単純に円周率πで割ると2.3キロ。まん丸の島だとして、島を横断する距離が2キロちょっとしかないってことですよね。十島村のHPを見ればわかりますが、もちろん島の形がまん丸なんてことはほとんどないわけで、平島も南北(?)にやや細長い島のようなので、東西の距離はウチから蕨駅か南浦和駅まで程度しかないってこと。ちょっとこの表現はウチの家族にしかわからないけれど、まあちょちょっと歩けちゃう距離だってことです。
実際はというと島の真ん中に標高242.9mの御岳があり、島の反対側に行くにはその御岳を回り込まなければならないので、そうはいかないのですが…。さらに海岸に降りられないところもあるみたいなので、たやすく横断はできないんですよ。

集落は西側にあり、集落の辺りから見る夕日はとてもきれいなんだそうです。牧場、水田、畑があり、魚も捕れるので、食べ物には困らないんですかねえ? その辺のことはまだよくわかりませんが、牧場で飼っている牛の他に、野生のヤギが生息していて、至る所にヤギがウロウロしているらしいです。人の数より野生のヤギの数の方が多いんですかねえ?

「お店は何軒あったでしょう?」
麻耶が私と妻に聞きました。
「店があったんだ? 全然なくちゃ困るかあ…。1軒?」
「残念でした。24時間営業っていうところだってあったもんね!」
「?」
「どんな店かわかる?」
「コンビニなんてあるわけないんだから、何だろっ?」
「正解はコインランドリーでしたあ!」
「へーっ!? 漁師さんは朝早いから、時間に関係なくコインランドリーが必要ってこと?」
「そんなことはわかりません。その他に2軒あったよ」
「蓮は行く前に“スーパーないの?”って言ってたけどビックリしなかった?」
「忙しくてそれどころじゃなかったから平気だったみたいよ」

沙羅が5歳の“お友達”に見せてもらったヤギは、どなたかが飼っているヤギのようでした。その後は校長先生の車で島内一周。ところがここで事件が…。
車の前を縦横無尽に走り回る野生のヤギに大騒ぎをしている蓮と沙羅に、ヤギをよく見せてくれようとした校長先生が、ほんのちょっとハンドル操作を誤って、車輪が道路脇の側溝にドスン。
あじゃー!
簡単には側溝から出られず、教頭先生を携帯電話で呼ぶ羽目に。後は教頭先生が案内を引き継いで、校長先生は近くのお宅から農耕車らしきものを出してもらって車を引き上げたとか。まったく孫のためにご迷惑をおかけしてしまいました。

学校では、子どもたちが平島太鼓で迎えてくれました。太鼓の練習もさせてもらったようで、蓮も沙羅も初めての体験(ほとんどすべてが初めての体験なんですけどね)に大喜びだったそうです。今朝(3月7日)、沙羅に「おまえも平島に行きたいの?」と尋ねたところ、「うん」と言うので、「何が楽しかったの?」と聞いてみたら「太鼓」と言っていたので、太鼓をみんなで叩いた体験はとても楽しい体験だったようです。
放課後は中学生に誘われて島に1カ所ある温泉へ。島の温泉はフェリーが着く日に合わせて週に2〜3回入れるそうで、子どもたちが誘い合ってみんなで入るらしいんです。
「中学生のお兄ちゃんが迎えに来てくれたんだよ」
と蓮はとても嬉しそうでした。
民宿の夕飯はなんと、ご主人が麻耶と孫のために釣ってきてくれたカツオと採ってきてくれた伊勢エビ!
残念ながら蓮も沙羅もカツオはあまり好きじゃないので、麻耶が必死で食べたらしいです。実は麻耶もあまりカツオが好きじゃないんですが、朝食を残してしまったこともあり、夕飯は残せないと思ったみたいです。

里親さんとはあまり時間が取れなかったようですが、蓮の感想は「曾じいちゃんみたいにお酒が好きな人だったよ」。他界した私の父と似てるというあたり、どうやら、それなりに親近感を覚えたようでした。
里親さんには大変お世話になりますが、島民の皆さんは「子どもは島の宝」と考えていて、島全体で子どもを育てるという意識がしっかりと根付いているようです。70人にも満たない島ですから、島の将来を考えれば当然のことですが、これが子育ての本来の姿なんだろうと思います。
島の人たちがそれぞれの立場でそれぞれの子育て(自分の子どもということでなく、島全体の子らという意味の)をする、子どもたちに関わる。これがとても大事なことなんですね。学校は学校として、民宿のご夫妻は民宿のご夫妻として、そして里親のご夫妻は里親のご夫妻として…。

帰りの船に乗る前に、知らないおじさんに、
「釣りは俺が教えてやるから釣り竿を持ってこいよ。学校に行かなくてすむように校長先生に頼んで、俺と一緒に漁師になるか?」
と言われたそうで、蓮は、
「それもいいかな?って思ったんだ」
と食事をしながら私と妻に真剣に話してくれました。
蓮は4月4日鹿児島発のフェリーで平島に向かいます。
(文:大関 直隆)

2011/02/28(月)
第445回「蓮くん、島へ行く! その1」
そこは天国の島でした。
誰にとっても天国の島かはわかりません。
でも蓮にとっては天国の島でした。
それは人が人を信じている島だったからです。

蓮は、里親さんとの顔合わせと学校見学のため、母親の麻耶と妹の沙羅の3人で、2月23日(水)午後11時50分鹿児島港発のフェリーで平島(たいらじま)に向かうことになりました。
飛行機の時間がうまく合わず、羽田を午前8時45分発の飛行機で発ち、お世話になった十島村教育委員会の久保さんにご挨拶に寄り、その後フェリーの出発までの間、鹿児島観光をして過ごすことになりました。久保さんも別な島に出張だとか(もしかすると蓮の平島行きに合わせて出張を作ってくれたのかもしれませんが)で、フェリーに一緒に乗ってくれるとのこと。まだ顔を合わせたことがないとはいえ、これまで何度となく電話でお話をし、お世話をしていただいていたので、麻耶もちょっとは気が楽になったようでした。

私と妻は羽田まで見送りに行きましたが、蓮は普段よりはるかに明るい表情で、買ってやったデジカメであちこち写真に撮り、飛行機に乗り込んでいきました。「不安と期待を胸に」とか格好を付けて言いたいところですが、蓮もそして付き添いの沙羅も、麻耶や祖父母の不安もなんのその、どうやら「期待だけを胸に」ということのようでした。
鹿児島市内にある十島村教育委員会では、久保さんの他、教育長さんにもお会いして、教育長さんに、
「ほっぺが赤い子だ。かわいい、かわいい、かわいい」とほめられると、蓮は図に乗り教育長室のソファーでだんだんふんぞり返っていったんだそうです。何のお説教もされず、ただただほめられるということってあまりないので、蓮にとってはとても気持ちのいいことだったんだろうと思います。

フェリーに乗ること約9時間。翌朝9時前に目的の平島に着きました。港にはライブカメラが設置されていて、10秒おきに自動更新されるので、インターネットで見ていれば接岸して、3人が降りてくるところを見られたみたいなんですが、そんなことまったく頭になく、残念ながら見損なっちゃいました。

港では平島小中学校の校長先生をはじめ何人かが出迎えてくれたので、何も困ることはなかったようです。というか、教育委員会をはじめ、学校、島民の皆さんに大歓迎されているわけなので、困る困らないのレベルではなく、要するにVIP待遇ってことですよね。

島ではまずその晩泊まることになっている民宿で朝食。長ネギを入れた卵焼きを作ってくれたそうですが、どうも蓮と沙羅の口には合わず、ほとんど残してしまったとか。長時間の船旅で疲れていたこともあったんでしょうが、民宿の方の心使いも台無し。
あぁあぁあぁあぁ…
そこでビックリしたことが起こりました。まったく名前も知らない5歳の女の子が突然民宿にやってきて、
「ヤギ見に行こっ!」
と沙羅を誘ったのです。突然のことに、沙羅も戸惑うと思いきや、喜んで飛び出していきました。以前、妻が翔に「かっくんは初めて会う子でも5分で友達になれるんだね」と言ったら、「違うよ、5秒で友達になれるんだよ」という答えが返ってきたことがありました(第379回参照)が、沙羅もまったく同じようですね。
突然のことに後れを取った蓮は
「オレだって行こうとしたのに待っててくれないんだもん!」
と不満そうでした。

つづく
(文:大関 直隆)

2011/02/21(月)
第444回「働くことの価値」
第343回で「インセンティブ」の話をしました。
「インセンティブ」の意味は大辞泉の訳がわかりやすいと思うんですが、 「やる気を起こさせるような刺激」ということです。企業活動の具体的なものでは、「値引き」とか「奨励金」、成果を上げた社員への報奨金とか…。基本給の他に出来高払いを加えた年俸を支払う契約をインセンティブ契約なんていう言い方をします。
スポーツ選手なんかがそうですね。このインセンティブっていう考え方っていうのは、主に「労働=お金」っていう考え方が基本になっていますよね。
資本主義経済の下では当然のことなんですが、労働について考える上で、これを当然として考えてしまうと、お金のために働いているわけですから、お金があったら働かないということになってしまうわけです。ニートやパラサイトシングル(ニートもパラサイトシングルであるわけですが)などはいい例で、働かなくても生活できるので働かないんですね。
まさに「労働=お金」なわけです。

先日、テレビ朝日の報道ステーションで、アフガニスタンで支援活動をしている中村哲医師の報道を見ました。様々なところで報道されているので皆さんもご存じかと思いますが、中村医師の活動が取り上げたれるたびに心が揺り動かされます。
2008年にペシャワール会(中村医師のパキスタン北西辺境州ならびにアフガニスタンでの医療活動などを支援し、必要な情宣・募金活動とともにワーカーの派遣を行なうことを目的とした非政府組織)で共に活動していた伊藤和也さんが拉致・殺害され、その後のアフガニスタンへの支援活動がどうなるのかと心配していましたが、中村医師らの活動はなんら変わることなく今も続けられています。
こうして、ここで取り上げても、何もしていない自分が恥ずかしくなるくらいです。大洪水にあったアフガニスタンで、下流の家と土地を守るため命がけで作業を続ける中村医師の姿は、アフガニスタンの人々、日本の人々、そして世界の人々の心を動かすと確信します。

20年以上、現地スタッフを務めるモクタールさん(53歳)は語ります。
「危ないからやめた方がいいと私は言いましたが、中村先生は「このままだとすべてがダメになる」といい水に入りました。中村先生は「今われわれが作業をしなければ多くの人たちが死ぬ。用水路とアフガンの人々のためなら自分は死んでもいい」とまで言っていました」
今、その姿を思い浮かべながら、この文章を打っていたら、涙が込み上げて来ちゃいました(笑)。
もちろん、その報道全てに感動していたのですが、特に印象に残った現地の人の言葉が2つあります。砂漠に引いた用水路が稲に実りをもたらし、そこの村の人が語った、
「今はここで多くの人が働ける。それが幸せだよ」
「ここで稲刈りができるなんて…。ほかの土地の人に話しても誰も信じないよ」
という2つの言葉です。
「働けるということの幸せを、今自分たちは感じているんだ」ということ、「働けるということこそ幸せなんだ」ということ。
ここには「労働=お金」ではない価値観、すなわち「労働=幸せ」という価値観が存在しているんです。
今の日本に暮らしていると、そんな価値観などすっかり忘れて、少しでも楽をしてお金を稼ぐこと、そしてそのお金を消費することが幸せのように感じてしまうんですけれど、アフガニスタンで働く中村医師や村の人たちの笑顔を見ていると、それってもしかして究極の不幸なんじゃないかなんて思ったりもしてしまいます。
決してアフガニスタンの人々が幸せだなんて言えないけれど、日本人も決して幸せとは言えないんじゃないかな?

子どもたちに「働くことの価値って何?」って訊かれたとき、「働くことそのものだよ」って答えられるような、そんな働き方をしたいものですね。
(文:大関 直隆)

2011/02/14(月)
第443回「結婚式」
2月23日。
今日は何の日?
わかる人?

漠然とし過ぎてて、っていうか、プライベートなことなので、わかるわけないよね。今日は3年半前に他界した父の誕生日。でもそれだけじゃないんです。今日は私の妹の娘、要するに私の姪、他界した父の孫ですね、その姪の誕生日なんです。でもそれだけじゃないんです。今日はその姪の結婚式でした。
ここまでは、私も知ってたことだったんですけど、その結婚式に出席して新郎・新婦の紹介を聞いていたら、なんと姪の結婚相手、要するに新郎ですね、その新郎の誕生日も今日、2月23日だったんです。

出会いは、スポーツジムで新郎が姪に手続きのことだか、マシンの使い方だかがわからなくて、それを聞こうと近くにいた姪に「すみません」と声をかけたことだったとか。いつどんなところに出会いが待っているかわからないものですね。付き合っているうちに、誕生日が同じことがわかり、運命の出会いと感じたようです。まあ、確かに3人も誕生日が同じなんていうことはめったにあることではないので、そう感じたのも無理からぬことだと思います。もちろん結婚式はそれに合わせて今日、2月23日にしたわけなので、これは偶然ではありませんが、それにしても珍しいことだと思います。

久しぶりに“普通の”結婚式に出席させてもらいました。どちらかというと私は「結婚」そのものをジェンダーの象徴と考えている方なので、結婚式をしない、させないとは言わないけれど、子どもたちに積極的に結婚式をしてほしいとは言わないし、思ってもいません。もちろん、子どもがすると言えば、それでかまわないし、しないと言えばそれでかまいません。そんなふうに私が結婚あるいは結婚式を考えているせいか、子どもたちもなんとなく事実婚を選んで、一般的な結婚式をしようとは思わないように育ってしまっているのかなあ…。
個性も大事だけれど、そういうところが一般的でないのはあまりいいことではないかもしれませんね。そんなこともあってか、“普通の”結婚式に出るのは久しぶりなんです。妹家族がすんでいるのは深谷、埼玉県の北部、群馬県まですぐのところで、私の住んでいる埼玉県の南部と比べるとまだまだ保守的な地域です。
今日の結婚式場は群馬県の高崎で、さらに東京から離れたところでした。式場に向かう途中、「結婚指輪専門店」という看板を掲げた宝石店(?)が国道17号線沿いにあったのにはかなり違和感がありました。群馬っていうところは、結婚指輪だけで、充分商売が成り立つのでしょうか? それにビックリ。私の感覚がおかしいのかなあ…。

姪の結婚式なので、もちろんとても嬉しかったし、感動もしました。でも、何となく式そのものには抵抗じゃないんだけれど、違和感というか何というか、そういうものがあるんです。私の場合、かなり人生そのものが特殊ですからね。

そんな中で、今日はとっても感動したことがありました。それは、妹の連れ合い、私の義弟、姪の父親のNさんがとってもとっても嬉しそうだったこと。そして義弟の母、姪の祖母がとってもとっても嬉しそうだったことです。
我が家の生活は、私と妻はもちろん、5人の子どもたち、そして2人の孫たちもけっして普通の人生、普通の生き方をしているとは言いがたいので、幸福感というか幸せの感じ方というか、そういうものが普通とは違っていると思います。毎日、毎日が刺激的過ぎるんです。
私自身、ずっと「普通の幸せ」を追い求めてきたつもりでいますが、今日の結婚式を見て、「普通の幸せ」ってこういうものだよなあ…とつくづく感じました。私ももう少し考え方を変えないといけないかなあ…。
ははっ、無理ですけどね。

花嫁がブーケトスをすると、そのブーケは花嫁のお友達のところまでは届かなくて、なんんと一番前にいた孫の蓮のところに。ピッタリストライクで飛んできたブーケを見事キャッチしたのは蓮でした(笑)。そんなこともありますよね。
独身の女性の皆さん、すみません!

もう1つ大事なことを言い忘れてました。親族写真の時、私の母に椅子を持ってきてくれたスタッフの方がいました。母はなんて言ったと思います?
「こういうふうに椅子を持って来てもらうと年寄りみたいだよねえ」だって。
いくつだと思ってるんですかねえ…。今年80歳だろっつうの! 
充分年寄りだと思うんですけど、孫の結婚式に出席すると、自分も若返っちゃうのかな?
(文:大関 直隆)

2011/02/07(月)
第442回「蓮くんにオファーが殺到? − 山海留学続報 −」
孫の蓮からメールが来ました。
「里親さん見つかったよ。くちのしまで里親さん見つかったよ!」
絵文字まで使ってはしゃいでいる様子。もちろん絵文字の入力の仕方を教えたのは母親の麻耶でしょうから、山海留学自体をあまり歓迎していなかった麻耶の気持ちが少し変わったことがわかります。
「小学校4年生ではまだ小さいので、里親が見つからないかもしれない」と十島村の教育委員会のKさんに言われてから約3週間。「2週間ほど待ってください」とのことだったので、我が家にとっては待ちに待った返事でした。
家に帰って、
「蓮よかったなあ! なんて電話が来たの?」
と聞くと、ニコニコはしているけれど、
「うん」
と言っただけで、何となく煮え切らない。もちろん電話を受けたのは、蓮ではなく麻耶でしょうから、麻耶に改めて聞くと、
「留守電なんだよ。直接話してないの。“口之島で里親になってもいいという人がいるようです”って」
「何、それ?」
「よくわかんないけど、見つかったのは見つかったんだよ、たぶん。電話して直接話してみないと詳しいことはわからないけど…」
「なんだ、留守電かあ。“いるようです”っていうのは何だろっ? 直接、Kさんも詳しいことはわからないってこと?」
「多分そうだと思うよ。でも見つかったことは見つかったんだよ、きっと」
なんとなく心許ない。
「明日ね、乳児園の実習で、たぶん電話かける暇がないと思うんだ。昼休みにかけられるかもしれないんだけど、あんまり長電話できないし。じいちゃん、かけられないかなあ?」
大学で幼児教育を学んでいる麻耶は現在、実習期間。たまたまその実習先が乳児園で、ゆっくり休憩を取れるような状況にないらしく、私が翌日十島村教育委員会に電話をすることになりました。何となく疑心暗鬼だったらしい蓮も、私たちの会話を聞いて、里親が見つかったということは間違いないらしいと思ったのか、だんだんテンションが高くなり、普段よりは饒舌になっていきました。
「オーちゃんとまこちゃんとかっくんにもメール打っていい?」
「オーちゃん」というのは長男の努(蓮にとっては伯父)、「まこちゃん」は次男の真(同じく伯父)、「かっくん」は翔(同じく叔父)。翔は一緒に住んでいるで、これまでのいきさつをよくわかっています。
「オーちゃんは、夏休みにお前が留学したいって言ってたを知ってるから、きっと喜んでくれるよ。まこちゃんは何にも知らないから“何それ?”ってビックリするんじゃない?」
「そうだね」
と言いながら、蓮は一生懸命メールを打っていました。もちろんそれほど長い時間が経たないうちに思った通りの返信があったんです。

翌日、私が十島村教育委員会に電話をしてKさんと話をすると、口之島(トカラ列島で最も鹿児島に近い島で人口およそ120人)で里親になってくれるというお宅があるそうなので、口之島小中学校(小学校と中学校が一緒になっている)の校長先生から詳しい話を聞いてほしいとのことでした。なるほど、教育委員会は口之島にあるわけではないので、島の状況がきっちり把握できていなかったんです。それで「いるようです」って言ったんですね。なんと十島村は、村役場が行政区域内にないんです。意味わかる?
普通、役場(役所)はその村なり町なり市なりの中にあるもんですが、十島村役場は村の中にあるんじゃなくて、鹿児島市内にあるんです。行政区域内に役場がない村が日本には3つあるそうです。あとはどこだろっ? ほぉう、勉強になりました。

そしてもう1つ。何となくKさんが言いづらかったのは、学校の状況です。口之島小中学校は、現在小学6年生が1人、5年生が1人と中学生が5人しかいないんです。3月で小学校を1人卒業してしまうと新年度からは6年生が1人と4年生の蓮の2人だけになってしまうとのこと。こちらが不安になるだろうと心配してくださっていたんですね。我が家としては、インターネットである程度の情報は持っていたので、想定内だったんですが。
「その辺のことはわかっていますので、明日校長先生とお話ししてみます」
と言って電話を切りました。
翌日十島村小中学校に電話してみると、校長先生は出張で留守とのこと。
「今日はお戻りになりますか?」
「今日は戻りませんが…」
「明日はいらっしゃいますか?」
「いえ、明日もいません。来週でしたらおりますが。土曜日の朝に島に戻ります」
ドヒャー! バカだねえ、私も。120人しかいない島の中に出張のわけがないじゃないねえ。船は毎日出ているわけじゃないんだから、今日は戻るわけがない。つまらないことを聞いちゃいました。一応、その報告を教育委員会のKさんにしたところ、「出張だったことをうっかりしていて…」としきりに謝っていました。そして、その報告の電話を切ってしばらくすると、今度はKさんの方から電話がかかってきました。
「あのう、口之島の件はちょっと待ってもらえますか。他の島からも来てほしいっていう話がありまして…。同じような条件のところなんですけど、小学生が少ないもんだから、ぜひって言うんです。もしかすると他にも…。と言うことなので、どこの小学校をご紹介するか、ちょっとこちらで検討させてもらって…」
おっおー!

里親が見つかるかどうか心配していたと思ったら、今度は蓮くんにオファーが殺到?!
思いも寄らぬ展開に、蓮はどこか興奮ぎみ。果たして今後の展開は???
(文:大関 直隆)

2011/01/31(月)
第441回「かわいい子犬をかいたい」
サッカー日本代表の皆さん、おめでとうございます!
そして、日本代表の優勝を信じて応援していた皆さん、おめでとうございます!
今日(1月30日)は眠い人がいっぱいいるんじゃないかな?

今回のアジア杯はいつも午後10時半くらいがキックオフだったのに、なんで昨日は12時だったのでしょうねえ。しかも延長。午前2時前には寝られる予定だったのに、結局1時間予定が狂っちゃいました。
でも、重たい嫌〜な気分で早く寝るよりは、遅くても明るく楽しい気分で寝たほうが寝覚めもいいかもしれません。(いやいや、気分よく寝ても、やっぱり眠いです)

長友選手のセンタリング、ドンピシャでしたね。李選手のボレーシュートもなんだか公式戦じゃなくて、練習の1シーンを見ているみたいに綺麗に決まっちゃって…。そうそう、押されっぱなしの展開だったにもかかわらず、絶対にゴールラインを割らせなかった川島選手の活躍はもちろんでしたけど。韓国戦のPK戦同様、彼は輝いていました。

今回の勝因は何だったのか… 。私が思うに、誰ということでなく全員が主役といってもいい活躍をしたことじゃないでしょうか。香川選手を怪我で欠く中、キャプテンの長谷部選手を中心に、全員が一つになって攻め、守った。私はそんなふうに思いました。それと集中力が途切れなかったこと。サッカーっていうのは一試合がけっこう長丁場なのですよね。45分を前後半戦う。今回のように延長戦になれば、それに30分が加わって、計120分。もちろん他のスポーツだって、2時間を超えるものってあるけれど、球技で考えたらサッカーの2時間は、インプレイの時間が正味2時間で、他にこんなにインプレイの時間が長い競技ってないんじゃないかなあ? 野球にしてもテニスにしてもけっこう時間はかかるけれど、実際にボールが生きている瞬間ていうのはそれほど長くはない。ラグビーやバスケットも時間は決まっているけれど、ボールがデッドになっている時間がけっこうありますよね。サッカーは自分から距離が遠いところにボールがあるときはあるけれど、2時間のうちのほとんどの時間ボールは生きていて、デッドではない。そう考えると、ダラダラしている時間帯はあるにしても、集中力を切らさずにいるのは大変だろうなって。にもかかわらず、今回は集中していた。

こう言っちゃ悪いけれど、日本代表の試合を見ていると、「えっ、なんで?」って思うような失点の仕方をすることがあって、そういう時って、だいたい集中力が切れているときだと思いませんか?準々決勝のカタール戦の2失点なんて、審判がカタール寄りだったことを差し引いても、決勝のオーストラリア戦くらい集中力があったら、取られなかったように思います。

集中力っていうのを言葉を換えていうと、一つの方向に向かっていこうとするときにブレないことっていうふうに言えるんじゃないかって思うのです。極度の緊張の中で瞬間的に発揮する集中力、例えばバレーボールでボールを拾う瞬間とか、卓球のラリーとか…。それから、緊張はやや緩いけれど、持続的に発揮する集中力、例えばサッカーの攻撃から守備に移って、守りきる瞬間までみたいな…(もちろん、ボールに触る瞬間は瞬間的に集中力を発揮しなければならないわけですけれど)。みんな一つの方向に気持ちが集中して一瞬たりとも気持ちがブレないでしょ。

今会社を経営していると、会社経営ってどちらかというとサッカーの集中力の使い方と似ているように思うんです。瞬間的な集中力を発揮することもあるんだけれど、どちらかというとやや緩めな集中力を持続していなくちゃならない。緩めとはいえ、集中力が切れると経営がブレて失点しちゃう。失点続きだと会社は潰れてしまうのです。要は、決められた方向に向かって一瞬もブレることなく進んでいかなくちゃならないってこと。

孫の沙羅の冬休みの宿題に書き初め(まだ小学2年生で墨を使わないので、小さめの細長い紙にフェルトペンのようなもので書いていましたが)の宿題がありました。それが「かわいい子犬をかいたい」って書かせるんですよ。私はこの手本を見たときにびっくりしました。狙いがよくわからない。今、世の中では低所得が問題になっていますよね。公教育っていうのは常に社会的弱者も意識して進められなければならない。経済的負担が負えなくて塾に行けない子ども達のことを考え補習をしている学校もある。なのに、「かわいい子犬をかいたい」? 飼いたくたって飼えない家がいっぱいあるのです。住宅事情が許さない、家族が生きていくだけで精一杯で犬に回すだけの経済的余裕がない…。

子どもたちに他人を思いやる心がないという。それを補おうと学校で様々な取り組みがされています。一方で、そういう教育をしておきながら、子犬を飼いたくても飼えない子どもたちに「かわいい子犬をかいたい」って書かせて子どもの心はどうなるのか。どうしてもその言葉が必要なら仕方ないけれど、そんなわけないし…。以前(第114回)、「チャイム席」(チャイムが鳴ったら席に着く)の話をしたことがありました。子どもたちの造語について「言葉が乱れている」と言っていながら平気で「チャイム席」とやる。
これって学校教育の中でよくあるのですけれど、まさに集中力のなさがこういうことを生むのだと思います。様々な角度からよく考えれば、何が適切で、何が適切でないかわかる。自分たちがどういう方向で教育しようとしているかもわかる。にもかかわらず、集中して物事を運ばないので、適当に一つの方向からしか物事が見えない。もちろん学校だけじゃなくて家庭の中にもあるのですけど。サッカーみたいに、はっきり失点したってわかるといいのですけど、教育や子育ては失点が見えないですから。でも、こういうことが2回、3回、4回…って続くと、もう完全に負けちゃいます。そこから体勢を立て直そうとしても、負けた試合が勝ちにはならない。何をやるにも集中力は大切ですよね。

何か失点が見えるようになるいい工夫はないのでしょうか。子どもの様子を見ていれば、ほとんど失点しない教師や親には失点したことが見えるのでしょうけどね。
ん〜、それもやっぱり子どもを見つめるときの集中力ですかねえ…。

(文:大関 直隆)