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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2012/01/23(月)
第490回「子どもを怖がらせないで歯を抜く方」
「じいちゃん、見て! 昨日から歯が抜けそう。ほらっ、こんなにぐらぐらしてるでしょ」
孫の沙羅がニコニコしながら私の近くに寄ってきて、左の人差し指でやや左寄りの下の歯を揺すって見せました。指で押さえて歯を揺すられても、歯が指で隠れて見えません。
「どれどれ?」
「ほら!」
今度は沙羅が指を歯の先端に引っかけて前に倒したので、歯の裏側が歯茎から浮いて、そのぐらぐら加減がよくわかりました。
私の見立てでは、ちょっと引っ張れば取れてしまいそう。それほど痛さも感じず、抜ける(というより取れる?)はずです。
「ほんとだ! もう簡単に抜けそうだよ。抜いてやろうか?」
「う〜〜〜」
「嫌なの?」
「抜いてほしいとも思うんだけど・・・。触ると痛いんだもん。舌で奥から押しても痛い」
「そりゃそうだよ、それだけ抜けそうなんだからぁ。抜いちゃえば痛くなくなるんだよ」
「う〜、そう思うんだけどさぁ・・・。でも怖い」
「ほらっ、ちっちゃいペンチあっただろっ? あれで挟んで自分で抜いちゃえばいんだよ」
「ペンチって何? こうやって挟むやつ?」
「それはピンセット。ほらっ、こうやって挟むやつで先っちょが細いラジオペンチっていうやつのこと。そこの引き出しに入ってるだろっ」
「ふーん。でもいいや。今は抜かない」
「じゃあ、じいちゃん仕事行って帰ってくるまでに抜けてなかったら、抜いてやる!」
「うん! あのさあ、歯が抜けるとたくさん血が出るでしょ。それでぇ・・・、血が出た時、ギュッて噛んでる綿ってどっかにあるよねえ?」
「薬箱に入ってるよ」
「うん、わかった」
沙羅は私に抜いてもらえば、絶対痛くないという気持ちがあるようなのですが、まだ決心がつかないようで、結局、沙羅の抜けそうな歯をそのままに、私は仕事に出かけました。

子どもや孫の歯を抜いたことは何度かあります。私が子どものころは、「抜けそうな歯に糸を巻き付けて引っ張る」なんて言われましたが、実際にやろうとすると、子どもの歯は小さくて、巻き付けるのに一苦労。案外うまくいかないものです。たいていの場合、自分で何度もいじっているうちに、面倒くさくなり、どこかの段階で「えいっ、やーっ!」とばかり力を入れて抜いてしまったりします。
私も何回かそうした経験がありました。去年だったか、今、平島に留学している孫の蓮の歯を抜いてやったことが2回ほどありました。一度は手で、もう一度はラジオペンチで。手で抜くにしても、ラジオペンチを使うにしても、しっかり歯を挟んで、一気に抜かないととても痛い思いをさせることになりますから、失敗は許されません。こちらも気合いが入る一瞬です。
では、どういう風に抜けば、子どもや孫からの信頼を勝ち取ることができるかというと、とにかく一瞬で歯茎から引きちぎるということ。子どもが恐怖心から力んでしまうと、歯をうまくつかめなくなって、失敗してしまうので、子どもが力む前の一瞬の隙に引っ張るか、すでに力んでしまった場合は、その力みが緩んだ瞬間に引っ張る。
以前TVのコマーシャルで、メタボ診断で胴囲を測る場面で、測られる方は少しでも細くしようとお腹を引っ込めているんですが、測ったと思って気を許し、お腹の力が抜けた瞬間に、「はい、今測りました!」っていうやつがありましたよね。
まあ、あんな要領です。「1、2、3」で抜くことにしておいて、実際は「1、2」で抜いてしまうような・・・。でも、私は、数を数えたり、かけ声をかけることはしません。「3で抜く」みたいな約束事をしておいて、「2で抜く」っていうのは、いかにも子どもを騙すみたいで嫌なんです。なので、とりあえず、子どもと話をしながら、歯をつかみ、しっかりと持ったら、「持てた!」と思った瞬間に、私のタイミングで一気に抜いてしまいます。
まだ一度も失敗したことがないので、もしそんな機会があったら試してみてください。失敗しないためには、抜かれる側よりも抜く側の躊躇しない勇気が大事ですね。
昨夜、妻と沙羅は、仕事のために浦和駅近くに借りているワンルームマンションに泊まりました。その時から歯が抜けそうだったようで、妻が言うには「抜けそう、抜けそうってうるさかった」そうです。

「沙羅ったらねえ、いつもあんなにあなたに怒られてるのに、“ああ、ここにじいちゃんがいてくれたらなあ”って言うんだよ。よほどあなたを信頼してるらしい」
「へえ。そりゃ嬉しいね」
そんな話をしながら家に帰ってくると、
「じいちゃーん、歯抜けた!」
「よかったねえ。どうやったら抜けたの?」
「舌で押したら取れた!」
やっぱりなあ・・・。朝見た時、歯茎にくっついていたのはほんの皮一枚みたいな感じだったもんなあ(笑)
(文:大関 直隆)

2012/01/16(月)
第489回「子どもの興味は個性の扉」
「あんまり怒んないでやってよ。怒るから沙羅だってあんな風になるんだと思うよ」
「それはそう思うよ。怒らないで丁寧に対応すれば、沙羅だっていい子でいるんでしょ、おそらく」
「そうだよ」
「それはそうだと思うけど、じゃあ今の段階で怒らなきゃならないようなことしたらどうするのかってことでしょ。どう考えても、今のまま“絶対怒らない”なんてことできないでしょ。怒るべき場面では怒らないと、沙羅はそれでいいと思って勘違いしちゃう」
「・・・」
「“卵が先か、鶏が先か”みたいな問題なんだけど。問題は、じいちゃん、ばあちゃんってことじゃなくて、母親の麻耶が沙羅にどう接するかってことでしょ。怒ってばかりってことももちろんだけど、むしろそうなる前の段階で、ずーっと指示しまっくてる。あれをやめないと・・・。沙羅も指示ばっかりされて、自分の考えで行動できないから必死でそれに抵抗してるってとこだよね。沙羅にしてみれば、それでバランスとってる」
「麻耶は待てないのかねえ・・・。朝、沙羅が玄関出て行くまで、ずっと何か言ってる。“ハンカチ持った? ティッシュは? 鍵は? 靴のかかと踏むなあ。ランドセルの蓋ちゃんと締めて。帽子は?”」
「だから、沙羅だって麻耶の話をまともに聞かなくなってる。夜は夜で、“明日の用意しなさい”って怒鳴るように沙羅に言って、沙羅がやっと用意し始めると、今度は用意してる最中に“歯を磨いてないでしょ”だからね。沙羅にしてみれば、どっちをやれって言われてるのかわかんなくなっちゃう。どうやっても文句を言われると思うから、“だったらやらない”って沙羅に開き直られてる。そういうせいかわからないけど、大人の言うこと聞かないで、自分の世界で行動してるようなことが多いよね」
「沙羅の通知表見た?」
「見てない」
「“色々なことに興味がある”って書いてあった」
「それはいい意味かねえ?」
「ん〜、まあ他に書きようがなかったっていうか、“落ち着きがなくてどうしようもない”って書きたいところを一生懸命別な言葉で書いたってとこじゃないの。担任としては“ついて行けない”ってことだよ、たぶん」
「確かに沙羅の物事に対する興味っていうのはビックリするほどすごいから、学校の先生くらいじゃついて行けないだろうね。自分の孫だと思っても、なかなか大変。夜もなかなか寝ないでしょ。布団に入っても“じいちゃん、眠れない”とか言って起きて来ちゃう。何か考えてるんだよね。やりたいこともいっぱいあるから、寝たくない。まだ、そのやりたいことっていうのが漫画を読んだり、テレビを見たりっていう、そんな次元だけど、この前も“蓮くんに取ってる子ども新聞取って”って言ってたし、“スキーがやりたい”“スケートがやりたい”“バイオリンが弾きたい”“宝塚を見に行きたい”とか、まったく何の脈絡もなくなんでもやりたいって言ってた。あれ、ただ遊びに行きたいってことじゃなくて、ほんとに何にでも興味があるんだよね」
「そうそう。だからその興味を大事にして、ちゃんと対応してやれば、私たちの言うことにただ逆らうんじゃなくて、自分でやりたいことを見つけて、自分の行動にも責任を持つようになるよね、きっと。様々なものへの興味って、結局個性だから」

孫の沙羅は、私から見ても個性の強い子で、いつも目をぎょろぎょろさせて、何かを見つけています。一見、落ち着きがないように見えるときもあるのですが、二人でゆっくり話をしたり、出かけてみたりすると、決して落ち着きがないわけではありません。沙羅の口癖は「じいちゃん、××してもいい」。とにかくなんでもやってみたい子です。大人から見ると、多少無謀と思えるようなこと(危険なことは危険とわかっているようで、そういうことをやりたいとは言いませんが)にも、意欲的です。

ところが、それに大人が付いていくのが大変で、ついこちらが面倒くさくなると、怒鳴ってしまうことが多くなります。子どもの個性を伸ばすことと、社会性を身につけさせることとは、紙一重な部分があって、どちらか一方を取れば一方が潰れてしまったり・・・。
子どもたちが、油絵、ダンス、俳優、幼児教育、ゴルフと、それぞれまあ、勝手なことをやっている我が家にとっても、孫の二人はさらにスケールアップをしているようで、今後どのように育っていくのか、楽しみでもあり、不安でもあります。
さて今年一年、どんな年になりますか・・・。
(文:大関 直隆)

2012/01/10(火)
第488回「大切なものって・・・」
鹿児島の平島に留学している蓮は正月を我が家で過ごし、1月6日昼の羽田発鹿児島行きの飛行機で平島に帰って行きました。

とは言っても、当初、鹿児島港を6日夜に出る「フェリーとしま」で、平島に向かう予定でしたが、5日に平島の里親さんから連絡が入り、6日のフェリーは悪天候のため出港が一日延期になり、7日に出港とのこと。
6日鹿児島港発、7日平島港着、8日朝平島港発、8日夜鹿児島港着、9日夜鹿児島空港発羽田空港着という送っていく麻耶と沙羅の予定はすっかり狂ってしまいました。麻耶と沙羅が7日の「フェリーとしま」で平島に渡ってしまうと、悪天候により平島に足止めをされてしまう可能性も高いので、6日昼に羽田を発ったあとは、麻耶、蓮、沙羅で鹿児島に1泊し、7日に出港が延期になった「フェリーとしま」に蓮だけを乗せ、その後麻耶と沙羅は鹿児島に2泊し、元の予定の9日夜の鹿児島空港発の飛行機で帰ってくることになりました。
夏休み明けに送っていった時は、3つの台風の影響で10日以上平島に足止めされてしまい、お金も時間も相当使ってしまったので、今回は送っていった麻耶と沙羅はフェリーには乗らないという選択になったのです。

平島の子どもたちは、夏休みや冬休みをほとんど本土で過ごします。正月も例外ではないようで、ほとんどの子どもたちが本土で過ごしていたようで、平島に向かうのは蓮の乗るフェリーと同じ便。そんなこともあり、安心して一人でフェリーに乗せることができました。娘の麻耶の話では、「港に着いたとたんユウト君を見つけて一緒にどこかに行っちゃったよ」とのこと。
沙羅が言うには「蓮くん“さよなら”も言わないで船に乗っちゃった」らしく、こっちに帰って来ている間は、平島に帰るのはいやだとか言い出すのでは?とずっと思っていたのですが、どうやら蓮の気持ちはまったく違うところにあったようです。
今回はそれほどの荷物があるわけではなかったのですが、麻耶と沙羅の帰宅が、沙羅の小学校の始業式の前日になってしまうこともあり、羽田まで車で迎えに行ってやることにしました。
私はそんなつもりでいたのですが・・・

鹿児島に泊まっている麻耶から妻のところにメールが来ました。
「明日は22時15分の羽田着の予定です。蓮がいないと静かだなあ・・・」
「明日はそんなに遅いんじゃ大変だなあ。じいちゃんは(羽田に)行くと言ってる」
「わざわざ迎え来なくても・・・。蕨までの迎えでいいと思うけど・・・」
「じいちゃんは行く気満々だよ! “その時間じゃ、行くっきゃないだろ”とか言っちゃってさ。玄関に翔にもらったかわいい熊の形したカーシートが置いてあったら、それ見て、“なんだか沙羅思い出しちゃったよ”って夕べ言ってた」
「沙羅は空港まで迎えに来てほしいんだって。じいちゃんも来るつもりなら、来てもらえるかなあ? でもじいちゃんはなんでそんなに来る気満々なんだ? 沙羅を思い出して寂しくなったってこと?」
「そりゃあ、かわいくて仕方ないんだよ、おまえも沙羅も!」
「あたしがしゃべれば文句でしか返してこないのに、かわいいと思ってるとは思えない!」
「腎臓病で助からないかもしれないと虎ノ門病院の赤城先生に言われた時は毎日泣いてた。じいさんがだよ。はははっ!」
「昔はね。今はそんなことないね」
「そしてこれからも愛しているよ!」
「どうだか・・・。そんな態度じゃないし・・・」
「大切なものっておまえや沙羅や蓮たち以外に何もないよ! 誓って言うよ、お母さんもパパも。おやすみ」

妻と麻耶がこんなメールのやり取りをしていたとはねえ・・・
ちょっとどこか私の気持ちとは違うような気もするんだけど、まあいいてことにしとこうかな?!
(文:大関 直隆)

2011/12/26(月)
第487回「北風小僧の寒太郎」
「ほんとに軽井沢のアウトレット行くの?」
「行くよ」
「やめた方がいんじゃないの?!」
「なんで?」
「半端じゃなく寒いよ」
「何言ってんの! 平気、平気。このコートあるから」

鹿児島県鹿児島郡十島村の平島に留学中の孫の蓮が、冬休みの間、帰宅するので、23日に母親の麻耶と妹の沙羅が平島まで迎えに行き、2人が蓮を連れて戻ってくるのは26日ということになりました。
それじゃあその間に軽井沢にでも泊まりに行こうということになり、今日(25日)は軽井沢です。3人が明日午後の飛行機で羽田に到着するので、明日はチェックアウト後、我が家を通り越して羽田まで迎えに行きます。まあ、ちょっとハードスケジュールですけど、タイトなスケジュールはいつものこと。雪大丈夫かなあ、と思いつつ、北軽井沢までやってきました。

23日にタイヤをノーマルからスタッドレスに替えて、「雪はどうですか?」と何度も何度もホテルに問い合わせて、少し前に着いたところです。
ちょうどクリスマスや年末ということもあり、軽井沢とは言ってもスキー場以外にほとんど行くところも思いつかなかったので、妻はホテルに行く前にアウトレットに行くと言って張り切っていました。
もっとも、何かを買おうというわけではなく、カウンセリング研究所のクライエントさんやカウンセラー養成講座の研修生の皆さんの間で何かと話題になるアウトレットというものを見ておこうというようなことなのですが。
そんな話を妻が息子の翔に話すと、最初の会話の通り、翔は寒いからやめろ、と…。

妻は誰かのお古の毛皮のコートを着て、「これがあるから平気」と啖呵を切っていたのですが、いざ軽井沢のアウトレットに着いてみるとあまりの寒さに悲鳴を上げて、
「もう無理! 他の店はいいから、ここに入って入って!」
と大騒ぎする始末。確かに北風が強く、建物の陰になっているところはまだましなのですが、建物の切れ目では、首をすくめてコートの襟で風を遮っても震えてしまう寒さです。それでも私は、高速道路のサービスエリアでホットドッグを食べてきたからいいようなものの、妻はこんにゃく玉の串刺ししか食べなかった(しかも一月ちょっとで10キロ以上体重を落としたせいもあって)ので、体の芯が暖まっていないらしく、人から見たら相当暖かそうなコートを着ているにもかかわらず、「寒い、寒い」の大騒ぎでした。
結局アウトレットはそこそこに、ホテルに向かうことに…。

軽井沢の市街地を抜け、浅間山の方へ向かうと、雪がちらちらと舞い始め、あっという間に吹雪の様相。
12月初旬までは暖かい日が続いていましたが、半ば過ぎくらいから寒い日が多くなり、ここ数日はすっかり真冬になりました。こんな季節になるといつも思い出すのが「北風小僧の寒太郎」という曲。

♪北かぜ〜 小僧の寒太郎〜
今年も〜 町までやってきた〜♪

この歌、11月5日の朝日新聞の紙面(beの「歌の旅人」)で松原湖(長野県南佐久郡小海町にある湖)の紅葉の写真と共に紹介されていました。
この歌、大好きなんです。演歌のような小節回しで歌うとちょっと雰囲気が出るのですが、やっぱり子どもの歌なんですよね。1972年、NHKテレビ「うたのえほん」という番組の担当だった近藤康弘さんが「子どもの演歌があってもいいよね」と作詞家の井出隆夫さんと作曲家の福田和禾子(わかこ)さんに声をかけて、できたのがこの曲なんだそうです。作詞をした井出さんは風の通り道になっている松原湖周辺で育ちました。それがこの歌の「今年も町までやってくる」ところにつながっていたんですね。

当初、うたのお兄さんだった田中星児さんが歌っていて、「北かぜ〜 小僧の寒太郎〜」と歌うとうたのお姉さんだった小鳩くるみさんが「カンタロさ〜ん」と合いの手を入れていました。その後は堺正章さんや北島三郎さんに引き継がれていったのです。田中星児さんが歌っていたのをよく覚えているので、一番最初の時から知っていたんですね。もっと古くからある曲だとばかり思っていました。よく考えてみれば、曲の作りはかなり新しいものでしたけれど。

吹雪の中を♪北かぜ〜 小僧の寒太郎〜 今年も〜 町までやってきた〜 と歌っていたら、あっという間に今夜泊まるホテルに着きました。
なんだかすっかり子どもに返ったようで、雪道でちょっと怖かったけれど、とても楽しいドライブでした。
北風は寒いけれど、寒太郎と遊んでいると思うと冬も楽しくなりますね。

(文:大関 直隆)

2011/12/19(月)
第486回「飲食店でのマナーと子どもの権利」
ここはそれなりに高級な中華料理店。ランチコースでも3000円以上。ディナーなら8000円くらいが最低のところ。サンダル、短パンのような軽装はNG。子どもなんてまずいないところだけれど、3歳か4歳くらいの女の子とお母さん、それにちょっと年配、そう50過ぎくらいの男性が3人で食事をしていました。

子どもが「ママ」と呼んでいたので、女性は間違いなくお母さん。男性は子どもから「じぃーじ」と呼ばれていたので、たぶんお祖父さん。女性との距離も近そうなので、女性の実のお父さんでしょうか。大人二人はランチコース、子どもはお子様メニューを頼んでいました。
とても楽しそうに食事をしていて、幼児にしてはおとなしく、好き嫌いも言わずに何でも食べている様子です。お母さんも優しくて、子ども用の取り皿に食べやすいようにいろいろなものを取り分けてやっています。
「ママー、ワカメもっと!」
うちの子どもたちもそうでしたけれど、何で子どもってワカメが好きなんですかねえ?
もちろん嫌いな子もいるでしょうけれど、野菜は食べないのにワカメを食べる子をよく見かけます。
「ブロッコリーは?」
「食べるー!」
おお、ブロッコリーもこんなに積極的に食べるんだぁ?!
子ども用の焼きそばを食べているんですが、焼きそばに入っている野菜やキノコやエビなどの具や、お母さんの前菜に出たクラゲや鶏肉など、何でも取り皿に乗せてやっていました。

私も経験がありますが、幼児を連れてコース料理を食べるのはけっこう大変なんですよね。コース料理は前の料理を食べ終わらないと次の料理が出て来ない。前菜から始まって、スープ、主菜、ご飯(またはパンや?など)、デザート、よほど早く食べないと、軽く1時間を超えます。3、4歳の幼児だと、食べる量も少ないし、いろいろ話をしながら味わって食べるなんていうことはないので、もってもせいぜい30〜40分というところ。子ども用の料理はもう全て出てしまっているので、男性が店員さんに、「コースの料理もどんどん持って来ちゃってください」と頼んでいました。

お母さんもお祖父さんもかなり気を遣っているのがわかりました。店内はそれなりに空いていて、私の見える範囲にテーブルが十数卓あるんですが、私とその3人の他には、一人で食べている男性と女性ばかり5人のグループしか見えません。見えていないところに、もう一組か二組いたようには思うのですが、私のところからはわかりません。
どうやら子どもはお腹いっぱい食べたらしく、お母さんの隣からお祖父さんの隣に移動したりし始めました。子どもが席から立って、ホールをウロウロしないように、お祖父さんが子どもと手遊びをしています。子どもが喜んで、ちょっと大きな声を立ててしまいました。
女性の店員さんがすっと近寄って、
「申し訳ありませんが、少しボリュームを落としていただけますか」
とニコニコしながら言いました。
あああ、よく見てれば、周りにすごく気を遣っている人たちだっていうことがわかるのに…。
定員さんも「ボリューム」という言葉を使って、柔らかく注意したつもりなんでしょうけれど、黙ってほんの10秒か20秒見ていれば、お母さんかお祖父さんが注意して、静かになったのに…。
サービス業っていうのはなかなか難しいですね。

私がうるさくて気になったのは、その3人ではなく、ずっと同じような甲高いトーンで切れ目なく話し続ける5人の女性(60歳代くらいの)のグループったんです。
店員さんが注意したあとは、まったく子どもの声は聞こえないくらい静かになりました。もちろんマナーを守れず騒ぐ子どもはまずいですけれど、「子どもの入店お断り」じゃないんだから、子どもにだって楽しく話をしながら食事をする権利を与えてもいんじゃないでしょうか。
(文:大関 直隆)

2011/12/12(月)
第485回「『家政婦のミタ』を見た!」
日本テレビ、水曜夜10時からのドラマ「家政婦のミタ」の視聴率が、30%に迫る勢いだとかいうので、一度見てみたいと思っていたのですが、1話完結でない連ドラ10話もの(11話?)の第9話までが放送済みということで、地デジで見るには再放送を待つしかない状態。仕方なくインターネットの有料放送で見ました。

いや、これはおもしろい!
ここで番組の宣伝をしてしまうと、他局に申し訳ないけれど、確かにドラマ部門今年最高の視聴率30%近くというのもうなずけます。
様々な情報では松嶋菜々子のまったく表情を変えない演技が話題になっていますけれど、私は松嶋菜々子はもちろんですが、むしろそれ以外の出演者、長谷川博己(はせがわひろき)であり、忽那汐里(くつなしおり)であり、本田望結(ほんだみゆ)でありの演技に目がいきました。

このドラマの視聴率がなぜ高いのか、いろいろという人がいますが、簡単に言えばおもしろいからですよね。でもまあ、もうちょっと丁寧に言えば、脚本がしっかりしていてブレない(連ドラなので当たり前と言えば当たり前なのですが、人物像や家族像がはっきりしていてブレない)、登場人物の性格をあり得ないくらい誇張すること(ミタが天国に行けばお母さんに会えるという子どもの言葉をそのまま実行して子どもと一緒に入水自殺をしようとしたり、自分の不倫がきっかけで妻を自殺に追いやった男がまだ妻の四十九日そこそこという時期に執拗に不倫相手にすり寄ったり、亡くなった妻の妹の対応が常識をはるかに超えるKYであったり…)で人物を理解しやすくした、キャスティングが見事にはまっている…。そんなところでしょうか。
日テレかあ…。

野島伸司の「家なき子」?
(「家なき子」と言えば、まず野島伸司(旧浦和市立高校卒)が浮かぶんですが、よく調べてみると野島伸司はドラマの企画で、脚本は、いとう斗士八、高月真哉なんですね)
と、すぐに感じたんです。この手のやつって日テレの真骨頂?

そんなことを考えながら見ていた時に気づいたんですけれど、「家政婦のミタ」の脚本は遊川和彦。この人は、まさに私と妻のことをそのままドラマにしたような、同じく松嶋菜々子主演のTBSドラマ「魔女の条件」の脚本を書いた人。はっきりした記憶はないけれど、「魔女の条件」の中で、生まれてくる子どもの名前を考えるシーンで、名前の候補に我が家の子どもの名前の「麻耶」だったか「翔」だったかがあったような…。「家政婦のミタ」でも、阿須田家の長男の名前が「翔」(かける)で、我が家の息子の名前と同じ。ありゃ、遊川和彦さんとは、ずいぶん縁があるなあ、なんて…。
それだけじゃないんです!
なんと11月23日、銀座東武ホテルで我が家が「OZの魔法使い」を必死で演じていた日に、阿須田家も「OZの魔法使い」を演じていて…。いったいこれはどういう縁なんだろうと遊川さんとは他人じゃないような気がしちゃって(笑)

「家政婦のミタ」のテーマは、「家政婦」にあるのではなくて、「家族」や「人間の生き方」にあります。松嶋菜々子演じるところの「三田 灯(みた あかり)」の台詞に、何度も出てくるのが「それはあなた(皆さん)の決めることですから」という台詞。
これもまさに私の口癖のような言葉で、そして、カウンセリングや子育ての本質とでもいう言葉。それぞれが人に頼り、様々な問題を人のせいにしながら生きてきた阿須田家の人々。そんな阿須田家の人々が、無表情にどんなことでも言われたことを忠実にこなす「三田 灯」との関わりの中で、自分自身の考えや意志をしっかりと持つようになっていく。
また「OZの魔法使い」のOZの国の最後のシーンで、北の国の魔女(いい魔女)がドロシーに語りかける「(夢を叶える力は)あなた自身の中にあるのよ」という言葉。まったく同じ台詞は出てきませんが、これも「家政婦のミタ」全編に流れているテーマです。
こうしてみてくると、このドラマは松嶋菜々子の無表情な不気味さに注目が集まってはいるけれど、実は現代社会の抱える本質の部分に迫る内容のドラマなんだということがわかります。

実際にドラマを見てみると、視聴率の高さに納得です。
「三田 灯」の過去を告白する当たりからちょっと内容がドロドロしてきてしまって、告白後の視聴率がやや下がったようですが、果たして今後の視聴率はいかに!
最終話(今週分が「最終話」となっていないので11回?)で30%超えなんてことになるんでしょうか。
(キャスト、スタッフの皆さんの敬称は略させていただきました)
(文:大関 直隆)

2011/12/05(月)
第484回「『ゼツボー荘』より愛を込めて」
「『ゼツボー荘』より愛を込めて」、たった今見てきた「劇団プレステージ」第3回公演のタイトル。脚本はTBSの深夜ドラマ「怪盗ロワイヤル」の脚本も一部手がけている北川亜矢子さん、演出は息子、大関真。

「ゼツボー荘」というのは雨漏りがひどくとても人が住めないようなぼろアパート。さすがに劇中とはいえ「ゼツボー荘」というのは本当の名前ではなく、近所の人たちが呼んでいる通称で、本当は「幸福荘」。この劇はその「幸福荘」に住む「ゼツボー」的な人たちの人間模様、そこで繰り広げられるとてもベタなドラマです。
「ベタ」というのは、もちろん “よくある”“特別でない”“ありきたり”という意味で、スポ根ものなどを見たときに感じるあの何とも言えない“当たり前さ”。あのアニメの名作、梶原一騎原作・川崎のぼる作画の野球漫画「 巨人の星」の星一徹と星飛雄馬の根性ものに表されたような本当はありきたりでないけれど、誰もが頭の中で感じる“ありきたりさ”。そんな感じのものです。

そんな「『ゼツボー荘』より愛を込めて」は、ロックミュージシャンでメジャーデビューを果たす直前の兄と高校生の弟(劇が始まると間もなく5年の月日が流れてしまうので、高校生だった弟が23歳くらいになり展開していくわけですが)から展開する物語です。
その中に出てくる「どうせ死ぬし どうせ死ぬし…」という歌の歌詞は、「どうせ死ぬのに人はなぜ必死に生きるのか」「どうせ死ぬのに人はなぜ必死に子どもを産むのか」「どうせ死ぬのに人はなぜ必死に生まれてくるのか」といった疑問を何度も何度も観客にぶつけてきます。
そこにある展開の“ありきたりさ”は、人が幸福を追い求めるとき展開する“ベタな”まさに“ありきたりな”展開であるのに、実はなかなか出会うことのできない“ありきたりさ”、言い換えれば、現代に生きる私たちが求めているにもかかわらず失われてしまった人間関係や生き様、自分のために必死に生きるパワーや、他人のために必死になる優しさ、未来に対する夢や希望といった、誰もがこうありたい、こうあるべきという私たちの誰にでも共通する人間の本質であったように感じました。
「巨人の星」の野球に対するひたむきな姿勢や情熱といった当たり前のことが人を感動させるのと同様、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という誰もが一度は考えたことがあるであろう疑問、そして「死は必ず訪れるけれど、今の自分を必死に生きよう」という当たり前の結論が、とてもよくわかってしまって、心にしみてくるんです。今や伝説とも言える1980年代〜90年代の若者の心を代弁した尾崎豊。自分自身を見失い、どう生きるかに悩む若者。そんなすべての若者が悩んでいたイメージがよみがえってきます。

劇の進行と共に鼻をすする音があちこちから聞こえ、「人はなぜ生きるのか」というテーマは、世代とは無関係に、人間の永遠のテーマなんだということを痛感させられました。
「劇団プレステージ」は男ばかり?の集団らしく、女性の役も男の子(失礼。イケメン?の男性)が演じています。宝塚の逆バージョン。最初、ほんとに女性かと思いました。それくらい迫真の演技で見応えがありました。息子の真は出演なし。演出だけでしたが、私としては以前から感じていることなんですけれど、息子は俳優としてよりは、演出家としての方が力があるように思います。息子に直接言うと、本人は違う考えを持っていたとしても、「俳優としてはダメ」みたいな呪縛から抜けられなくなりそうなので、直接話をしたことはありませんが。
私ももう一度「人はなぜ生まれ、なぜ生きるのか」という命題について考えてみようかな…
(文:大関 直隆)

2011/11/28(月)
第483回「いくらなんでも、子どもには贅沢だろっ!?」
「おいおい、子どもが“ココがいい”なんて言うところじゃないだろっ!」
「だってじいちゃんが“どこでもいいぞ”って言うから沙羅がココって言ったんでしょ。沙羅のせいじゃないよ」
「まあ、そうだけど…」
「個室でよかったじゃない。ココだったら静かだし、ゆっくり落ち着いて食事できるから」
「まあ、確かに…。いつからうちは沙羅みたいにちっちゃいやつが、こんなところを選ぶようになったんだ?」
「いつも選んでるわけじゃないよ。ねっ、沙羅」
「うん! ママと食べるときはこういうところじゃないよ」
「昨日はがってん寿司だろっ、今日は聘珍樓かよ」
「ママと食べるときはいつもかっぱ寿司」
「そうだよ、あたしと沙羅だったら絶対こんなとこに入らない。無理だよ、こんな高いとこ」
「他は外まで並んでるのに、高いからココはあんまり混んでないの?」
「沙羅もわかってるじゃないか! 大人だけでちょっと気張ってこういうところに入ると、いるんだよな、こういうちっちゃいのが…。ああいう家ってどういう家かと思ってたら、ウチかよ?! じいちゃんが子どものころなんて、ファミレスだってなかったら、近くのラーメン屋に入るだけで嬉しくて興奮してたのに」

息子の真の舞台が池袋のサンシャイン劇場であり、食事をして帰ることになりました。サンシャインシティALPA3階のレストラン街をウロウロウロウロ。たどり着いたのが、ここ聘珍樓。以前、浦和のコルソの地下にもあったので、ご存じの方も多いのではないかと思います。浦和では中山道にある銀座アスターと県庁の近くにあった東晶大飯店が古く、コルソが出来たときに聘珍樓が地下に入りました。私も2、3度、法事だったかなんだったかで父に連れられコルソの地下の聘珍樓に行った記憶があります。

ALPAの聘珍樓の入口に出ているメニューを見ると、コース料理が6千円くらいから。レストラン街にはあるんだろうとぐるっと一回りしたときに、メニューをペラペラとめくり、麺類だけ、チャーハンだけ(それも安い方の)なら1500円くらいで食べられることは確認済み。その上で沙羅に、「沙羅ちゃんの好きなところでいいよ」と言ってはみたものの、まさか聘珍樓を選ぶとは…。
最低が1500円くらいで、最低の値段のものは数品しかないとすると、4人で食べれば当然1万円は覚悟しなくてはなりません。真の舞台が一人5500円、4人で22000円。ああ大出費!
啖呵を切っちゃった以上、ここでダメというわけにも行かず…

「ずいぶんとランクが上がったもんだよ。いつからこんなことになってんだよ! ついこの前までだったら、絶対そこの立ち食いに近いうどん屋の一杯480円とかだったのに」
と私が言うと、妻は
「あたしは立ち食いのうどんは嫌だな。立ち食いのうどん食べるんだったら、うちに帰って何か作るよ」
と言います。まあ、確かにそうだけど…

20年くらい前だったか、ほんとにお金に困っていて(今も困っていることに、そう大きな違いはないけれど)、見てみたい陶芸の展示会が東京であると、行くには行くんだけれど、電車賃使って、さらに食事をするのが金銭的にきつくて、デパ地下に行っては試食させてもらってお腹を満たしてたこと(ほんとに満たされるわけじゃないけどちょっとくらいは食べた感じになる)もあるくらい。ああ、あんな時代はいったいどこに行ったんだろう…

せっかく沙羅に決めさせたんだからと、沙羅の食べたがったものは全部注文してやって、私と妻と娘の麻耶は2100円でデザートまで付いたちょー割安ディナーセット。沙羅も喜んでたくさん食べました。
最初に予想した通り4人で税込み10600円。
カードで支払っちゃった後に、妻がレジの脇に立っていたボードを見て、
「あれっ、65歳以上がいれば全員の分が1割引?」
ぎりぎりのところで気が付いて、カード決済を一旦取り消して、会計のやり直し。結局税込み9540円に。かなり得した気分。
個室でゆっくり食事が出来て、とても美味しくて…。果たして約1万円が高いか安いか…。

大人にとってはいいディナーだったけれど、さすがに小学3年生の沙羅が選んだにしちゃあ、いくらなんでも贅沢だろっ!
やはり、子どもには質素な生活を教えないと…。
贅沢は敵だぁ!
次回、沙羅との食事は立ち食いのうどんかそばということにしよう!
(文:大関 直隆)

2011/11/21(月)
第482回「オズの魔法使い」
Somewhere over the rainbow Way up high・・・(虹の向こうのどこか空高くに…) で始まるジュディ・ガーランドの「Over the rainbow」(虹の彼方に)。

・・・ 子守歌で聞いた国がある
虹の向こうの空は青く
信じた夢はみんな現実になる

なんていう感じで続くんですけど、虹の向こうのその国では悩みごとはレモンドロップのようにとけてしまうんだそうです。
この曲は、ジュディ・ガーランドが主演の映画「オズの魔法使い」の主題歌です。
「オズの魔法使い」は皆さん、よくご存じだと思いますが、
そう!
脳みそ(知恵)のない案山子、心のないブリキマン、勇気のないライオンが、カンザスの家に帰りたいと願うドロシーとドロシーの愛犬トトと一緒に、それぞれの願いを叶えるためオズの魔法使いを訪ねるという物語です。
ドロシーが履いている魔法の赤い靴を奪おうと4人(ドロシー以外は人間ではないので正確には4人とは言わないのかもしれませんが)は再三悪い魔女に襲われますが、その度に、知恵と勇気と優しさによって魔女の襲撃を跳ね返して、オズの魔法使いのところにたどり着きます。ところがオズの魔法使いは、ただのペテン師。でも、そのペテン師によって、案山子、ブリキマン、ライオンは、それぞれ、知恵が、心が、勇気があることに気づかされるんです。
まあ、そんなストーリーですよね。
これは子ども向けの映画とも取れますが、大人にとってもとても心に訴える力がある映画です。
今度、オープンした「カウンセリングルームOZ銀座」は、そんな「オズの魔法使い」からもらいました。
カンザスに帰るという夢を叶えてもらえなかったドロシーは北の国のいい魔女にカンザスに返してもらうのですが、ドロシーの夢を叶えるときの魔女の台詞が感動的というか、心にグッと来るんです。
ドロシー「私を助けて」
魔女「あなたはいつでも帰れる力を持ってるのよ」
ドロシー「私が?」
案山子「最初から言ってよ」
魔女「自分で学ぶべき事だもの」
と。
この後の台詞も重要なんですけれど、細かいことはぜひ映画を見てください。

この「ドロシー自身が夢を叶える(家に帰れる)力を持っている」ということと、「自分で学ぶべき事」っていうところがとっても大事なところなんですね。人間て、苦しくなると、つい他力本願になったり、その苦しい状況を他人のせいにしたりしますけれど、70年あまり前に作られたこの映画は、そこの部分をしっかりと指摘していたわけです。「自分の持っている力で夢を叶える」「夢を叶えようとする力は自分自身の中にある」。この考え方は、まさにカウンセリングにおける「自己理論」「来談者中心療法」の考え方ですね。

そんなこともあって、名前に使わせてもらったんですが、様々なことで悩んだり、苦しくなったりしたときは、そこから逃げるのではなく、「自分自身の中にある力で解決できる」と信じ、行動してみてください。きっと悩み事はレモンドロップのようにとけて流れてしまって、願い事はみんな叶うはずです。
(文:大関 直隆)

2011/11/14(月)
第481回「幸福度ランキング」
家族全員が立ち会った第5子の出産の場面を映画化した「素敵なお産をありがとう」(企画・(株)ライフクリエイト/制作・岩波映像販売(株))で話題になった時、あちこちから講演の依頼があり、全国を回りました。それと平行して出版されたのが妻の半生記を描いた同名の「素敵なお産をありがとう」(祥伝社)。講演会があると必ずその本も販売させていただいたのですが、講演後ということもあり、どんなに大きな会場の時でも必ずロビーに行ってご挨拶をさせていただいていました。本を買っていただいた方には、妻が必ずサインさせてもらいました。もちろん名前は書くんですけれど、そのほかに何を書くかが問題で、二人で何度も相談しました。結局「幸せを探し続けて」に決定。幸せを、探して、探して、探して、探して…、そして、たどり着いたっていうイメージ。

「皆さんも、あきらめずに幸せを必死で探して、前向きに生きて! そうすれば、必ず幸せにたどり着けるはず」そんなメッセージを込めたつもりで、選んだ言葉です。
ところがその後、相良晴子さん(知らない方の方が多いですかねえ?)が、バラエティ番組のリポーターとして我が家へ来た時、私が、
「“幸せになる”とか“見つける”ってよく言いますけど、幸せって“なる”とか“見つける”んじゃなくて、自分で“作る”んだと思うんです」
と言ったんです。そしたら、その“幸せを作る”っていう言葉に相良さんがえらく反応してしまって・・・

まあ、今も私はその通りに考えていて、幸せっていうのは、どこかにあって、それを見つけたから幸せ、見つけられなかったら不幸せ、っていうものじゃなくて、自分自身がいろいろなことを一つ一つ選択して必死に生きることで作っていくものだと思うんです。要するに、どう生きるかっていうことですよね。何を幸せって感じるかによっても、変わってはきますけど。
そんな相良さんの反応があってから、本のサインも「幸せを探し続けて」から「幸せを作る」に変えたんです。読んだ時の音のイメージとか、字面を見ると「幸せを探し続けて」の方がよかったんですけどね。

「幸せ」と「幸福感」っていうのは必ずしも同じではないけれど、「幸せ」って漠然としていてわかりづらいから、それを数字にして考えようとしたのが、法政大学大学院の坂本光司教授率いる研究チームの「幸福度ランキング」。
いつも上位は北陸3県でいつも下位は大阪を筆頭とする大都市圏。東京は47都道府県中38位だからかなり健闘(?)している方かな。1位は福井県、2位富山県、3位石川県、4位鳥取県、5位佐賀県と続き、わが埼玉県は、47位大阪府、46位高知県、45位兵庫県に次いで44位。確か、毎年知事が抗議をしていたように思いますが、相変わらずですね。

ランキングは、人口比に対する交通事故件数や犯罪件数、出生率とか家庭・労働環境、地域の安全性、医療なんかの40項目を選んで数値化したものらしいですけど、実際に感じている幸福感とはずれているような気がしますね。ベストテンには日本海側が6県も入っているのに、秋田県は37位。秋田県は学力日本一の県ですよね。学力が高いと幸福度は低い?これは普通の感覚とは正反対?
福井県は、正社員比率64・5%、離職率は28・1%、どちらも全国3位。女性の就業率、保育所収容定員率は全国1位。こりゃ、たいしたもんだと思う反面、待てよっていう気もする。あまり働き口がないから、正社員で何とか入社できたら、それにしがみつく。離婚をしたら女性は生活できないから離婚をしない。女性が仕事をしないと生活が成り立たないから女性の就業率が高い。2世代、3世代同居が多いから保育所の定員が少なくても収容定員率が高い。
なんてことありませんか?
もちろん福井県が悪い県だなんて言っているわけじゃないですよ。祖母の実家は富山県、義理の叔父の実家も富山県、金沢にもとっても大事な思い出があるし、福井県からはいつも粘土を仕入れているし…。食べ物美味しいんですよね。マス寿司(富山だけど)も大好物です。

要するに、これってくだらなくないですか?「幸せ」とか「幸福」なんていうのは人それぞれだし、見方を変えればまったく逆の結果になってしまうのは誰だってわかっているのに、大学院でこんなことに時間を使ってるんですかねえ・・・。せいぜいテレビのバラエティレベルのような・・・。

数値化して順位をつけると確かにおもしろいけれど、どう考えても統計にはなり得ない。価値観の違うものに順位はつけられない。って考えるのが科学でしょ。ランキングなんて出すんじゃなくて、数字は数字として、なぜそうなっているのかっていう分析に使ってほしいものですね。子どもたちの理科離れが進んでいると言われて久しいですけれど、何でもランキングにしてお茶を濁しているようなことを大学院でやっていては、子どもたちの理論的思考も育ちませんね。こんな程度のことは、学問としてではなく、娯楽としてすませてもらいたいものですね。
(文:大関 直隆)