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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2011/06/13(月)
第460回「人の行く裏に道あり… その1」
「蓮がねえ、テレビに出るかもしれないって」
今日、12日(日)まで真が出演している赤坂ACTシアターの伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演「こんにちは赤ちゃん」を観て家に帰ってくると、麻耶が私たちに言いました。
「なんで?」
「蓮からのメールだけだからよくわかんないんだけど、テレビ局が取材に来てて、“いっぱい写った”って」
「どういう意味?」
「たぶん、蓮のことをいっぱい撮ったっていう意味じゃないかなあ…。東MAX(アズマックス)の弟の方が来てたんだって」
「東MAXって“こんにちは赤ちゃん”に出てた人?」
「そうそう」
私はてっきり「東MAX」っていう兄弟でやってるお笑いのコンビがあって、“その弟の方”という想像をしていました。
たった今見てきた人のコンビの片割れが、鹿児島から船で10時間、それも週に2〜3便しか出ない船で取材に行ってしまっていては、しばらくの間どうやって活動するんだろうと、まったく的外れなことを考えていました。
ほんの1時間ほど前、「こんにちは赤ちゃん」のエンディングの舞台あいさつの時に、東MAXさんが明日の朝早く名古屋(?)で仕事があるとかで、あいさつにお出にならずに名古屋に向かったという話があったので、なおさらそんなことを考えていたのかもしれません。
東さん兄弟は、東八郎さんのお子さんで、次男の東貴博さんの愛称が“東MAX”だったんですね。“弟の方”というのは三男(男3人、女2人の5番目)の東智宏さん。兄弟で別々なグループなんてまったく考えませんでした。息子が出たのはほんのちょっとですけど、ご一緒に舞台に上がらせていただいている方についての知識がこんな程度では申し訳ないですね。
取材に来ていたのは、どうやら「所さんの学校では教えてくれないそんなトコロ!」で、7月の半ばあたりにオンエアされるらしいというところまではわかりました。
果たしてどんな扱いになっているんでしょうか。

つい先日、NHKから電話があり、秋から始まる番組に出演してもらえないか(妻にですけど)とのことでした。まだ決まったわけではありませんが、今週中に下取材に見えることになっています。「素敵なお産をありがとう」の本を読んで、妻の半生に焦点を当てた内容にしたいのだそうですが、カウンセラーとしてのイメージを損ねるようなものではないようなので、快諾しました。
「これまで、ずいぶんテレビに出たり、雑誌や新聞にも取り上げてもらったけど、やっぱりウチって珍しいのかねえ?」
と妻が言いました。
「そりゃそうでしょ。日本中探してもあんまり?全然?いないと思うよ。教師と生徒で結婚してて、妻の方が16歳も年上で、夫が専業主夫。しかも家族全員の立ち会い出産を公開しちゃったりして。どれか1つでも珍しいのに4つだからね。テレビだって、雑誌だって、新聞だって来るわけでしょ」
「そうだね。別に普通にしてるんだけどねぇ…。私、この年になってわかったことがあるんだ。私って、アウトサイダーだったんだって。メジャーじゃなくてマイナーっていうか、主流派じゃないっていうか…」
「何、今さら?」
「えっ、あなたはそう思ってたの?」
「思ってたよ、子どものころから。それなりに目立つし、何かをやる。でもね、絶対に主流派じゃないの。けっこう主流派より目立ってたりしても」
「ふーん。私は自分がメジャーで、主流派のつもりだったよ。あなたも目立つし、主流派だと思ってるのかと思ってた」
「教師と生徒で、16歳も違って、夫は専業主夫で? あり得ないでしょ! 男は地位とか名誉だもん。女だって、教員やってて主流派でいたければ、Nさんみたいに教頭になって校長になって…。そうできないのは、絶対主流派じゃない。“できない”っていうよりは、そういう生き方を選んでるんだと思う。子どもたちとか孫たちとかもそうだと思うよ。今度の蓮のテレビがどうして平島に行ったのかはわからないけれど、蓮はマスコミにとってはいい材料でしょ。目的は別にあったとしても、そこに蓮がいたらやっぱり撮りたい。それって、メジャーじゃないから、主流派じゃないから取材したくなるってことだよ。珍しくて、普通の人から見たらおもしろいっていうか、ビックリっていうか。主流派は当たり前のことを当たり前に、しかも優秀にこなして初めて主流派でしょ」
「なーるほど」

つづく
(文:大関 直隆)

2011/06/06(月)
第459回「遅咲き?」
「翔(かける)はどうなったかねえ?」
「どうだろうねえ…。結果が良ければ早く連絡が来るし、悪ければなかなか来ないよ、きっと。いつもそうだから」
「ああ、そうだね、きっと」
「ほら、いつも何かの予選でトップ通過とか2位通過とか、それくらいの時は終わるとすぐメールが来るから。あいつはすごくわかりやすい。ダメなときは終わって3時間も4時間もたってから連絡が来るとか、帰ってくるまで何も連絡がないとか…」

この日は、ゴルフの国体の選考会2日目で、初日はトップタイでした。これまでも選考会には何度か出てはいましたが、一度も国体に出場したことはありません。今年は、これまでに比べればはるかに調子が良く(というよりは、多少はうまくなったということなのでしょう)、最近出場している大会(全国の大会のブロック予選であったり、県予選であったり)では、上位の常連になってはいるようです。
私がまったくゴルフをやらないので、同世代のプロを目指す人たちに比べると、コースをあまり回ったことがないという大きなハンデを背負っていたわけですが、“やりたい”という気持ちを本人が強く持てば、自分で何とかする(もちろんお金だけは出してやっていますが)もので、私や妻の知らないところで、練習をしたりラウンドをしたりして、何とかここまでやってきました。

夕方になって「××位だった!」なんていうメールが来て初めて、「今日は試合だったの?」なんていうメールを返したりする親なので、プレッシャーがなくていいというのか、あまりにも無関心で意欲が湧かないというのか…、 その辺りのことは翔に直接聞いてみないとわかりませんが、そのせいで成績がいいのか悪いのか、それも私にはわかりません。

国体の選考会だったということをすっかり忘れていたころ、携帯電話にメールが来ました。
「2位だった!」
いつもよりはかなり早い時間。思わず吹き出しそうになりました。やっぱりあいつはわかりやすい。
選手の選考は4人ということらしいので、これで出場が決まったのかと、
「おめでとう! これで決まりか?」
とメールを返すと、
「たぶん出られる」
という返事が返ってきたものの、しばらくして、
「“国体選手候補の委嘱をされる”ってことだって」
というメールが来ました。
2位のトロフィーを持って、帰ってきた翔はいつになくホッとした様子。これまでも上位に行くチャンスは何度もあったものの、肝心なところでずっこけていつも期待はずれ。本人もずいぶん歯がゆい思いをしてきたのでしょう。まだしっかり勝ちきるというところまではいきませんが、どうやらやっと一皮むけたようで、勝ちに近づくコツまでは掴んだよう。

「最終的には今後の何試合かの成績で選ぶみたいよ。1位は日大の後輩で、3位は栄高校の後輩なんだけど、2人は実績があるからほぼ決まりみたい」
そういうことかぁ。まあ、ゴルフだもんなあ。1試合の結果じゃ決めにくいですよね。あんなに強かった遼君が、どうにも調子が上がらずここ2週は連続予選落ち。技術面と精神面にちょっとでもズレが生じると大きく崩れてしまう競技の難しさでしょうか。
数日後。またやや早い時間にメールが来ました。
「30位タイだった!」

何のことだ?
「何?」
「“日本アマ”に出られる!」
そう言えば何か言ってた。4日間の試合で40何位かまでが日本アマに出られるとか…。「よかったな!」
なんだかよくわからないけれど、とりあえず早い時間にメールが来て、「!」までついてたところをみると、よほど嬉しいらしい。
家に戻ってきた翔も、大はしゃぎはしないまでも、興奮した様子。
「クラブとか、新しいのがもらえることになった!」
へえーっ、そんなもんなんだぁ…。
翌日、「クラブ作ってくれるっていうから行ってくるね」と嬉しそうに出かけていった翔は、
「やっぱり日本アマに出ることになるとそれだけで全然変わるんだね。ドライバーでしょ、アイアンでしょ、スパイクでしょ、バッグでしょ、グローブでしょ、ボールでしょ…」
「へーっ!?」
「来週、兵庫で試合なんだけど、一週間いないからその間に宅配で届いちゃうと思うんだ。ちょっと場所取っちゃうと思うけど受け取っといて」
いつもメーカーさんには本当にお世話になっているんですが、さらにお世話になることになったようで…。
そろそろ引導と思っていたんですが、遅咲きの息子なんですかねえ??? このまま花が咲くんでしょうか。子どもに平凡でない道を歩ませると、どこで引導を渡すかが難しいですね。
つぼみのまま、落っこちないこと祈るばかりです。
(文:大関 直隆)

2011/05/30(月)
第458回「20mSv(ミリシーベルト)の目安変えず1mSv目指す」
「新茶は仕入れたって売れないから、いつもより少なめに仕入れないと…」
「そうかねえ?」
「“そうかねえ”じゃないよ! 足柄で放射線が検出されたっていってるのに、狭山は大丈夫なんてことあり得ないでしょ!」
「…」
「飲んで安全か、安全じゃないかじゃなくて、商売なんだから売れるか売れないかで考えないと…」
いつも陶芸教室で、会員の皆さんにお出ししているお茶は、狭山茶の小売りをしている実家のお茶です。この日も陶芸教室で出すためのお茶を買いに(たいした売り上げもないけれど、一応実家も商売なのでちゃんとお金を払っている)実家に行きました。全国的にも狭山の煎茶の評判はよく、陶芸教室に持って行くと教室で飲むように持って行ったお茶なのに買ってくださる方がいるほど。この日も100g600円のお茶を200g入りで20本、持って帰りました。
数日後。
「お茶を買ってくれるっていう人がいるから、1000円と1200円の真空パックのやつ、4、5本ずつ用意しといてよ。新茶じゃないやつあるでしょ?」
と電話をかけ、実家に行きました。
「栃木、茨城、千葉でも生茶葉から放射線が検出されてちゃ、“新茶です”って持ってけないから、とりあえず新茶じゃないやつ頂戴よ。あと600円のと800円のも…」
「新茶じゃないのって、そこにある真空パックのしかないんだよ。いつもなら、新茶が出ると新茶じゃないのは売れなくなるから、値下げしたりして売るんだけど、今年は遠くからわざわざ“新茶じゃないやつください”って、まとめて買っていく人がいるんだよ」
「やっぱり…。言った通りでしょ!?この状況だもん、そうなるよね」
「新茶じゃないのっていうことなら、そこにあるだけ」
「600円のと800円のはないの?」
「もう全部新茶になっちゃってる」
実家は1000円以上のお茶は真空パック、それ以下のお茶は量り売りをしているんですが、例年だと在庫量の関係で値段の高いお茶がまず新茶に切り替わり、そのあと仕入れの量の多い値段の安いお茶が新茶に切り替わります。ところが今年は新茶が出たあとも新茶でないお茶を買いに来る人が絶えず、最もよく売れる100g600〜800円のお茶の新茶ではないものの在庫が尽きて、すでに新茶になってしまったというわけなんです。

多くのお茶の生産地が生茶葉、荒茶の放射線量を公表しているにもかかわらず、埼玉県は5月13日時点では生茶葉、飲用茶について公表していたものを、20日時点の調査については生茶葉の数値を公表せず、飲用茶のみを公表しました。
http://www.pref.saitama.lg.jp/page/nousanbutsu-kakochousakekka.html

小売業の立場からすると(小売りをしているのは私じゃないけれど)これにはちょっと困ります。生茶葉と荒茶は数値が大きくて公表できないって言っているようなものですから。新聞の報道によると農水省と厚労省の協議によって、「生茶葉」の数値ということで落ち着きそうですが、農水省の「お茶の葉を食べるわけではない」という話にも無理があるように思います。以前、フードプロセッサーで粉にしたお茶をふりかけにしてガン予防になんていうCMをやってました。
都合が悪くなると、基準値を上げてしまったり、調査対象を換えてしまったり…。まさに今これが問題なんですよね。これが信用を無くす結果になっている。

4月19日に文科省から発表された小中学校や幼稚園などの暫定的な利用基準が20mSv。文科省前での抗議や様々な人からの批判もあり、5月27日になってやっと年間1mSv以下を目指すという文科省方針を発表しました。とはいえ、基準自体を変えたわけではなく、あくまでも「目指す」ということです。
この件については、皆さんもご存じの通り、4月29日東京大学教授で内閣官房参与だった小佐古敏荘氏が声を詰まらせ涙の辞任会見を行いました。1mSvという数字については、「全体の限度を年間1ミリにしたら、福島県内で義務教育ができなくなる」という文科省幹部の発言があったとも伝えられています。これが事実だとすれば、いったい何を優先しているんだと怒りたくなるのも当然です。

新茶が売れないと実家も閉店の危機に直面することになりますが、何とか母が生き延びる方法は(“とりあえず家もあるし、年金ももらっているので”と母が言っていました)あります。けれども、子どもたちはガンになったら生命そのものが危うくなる。お茶も被曝線量もまったく同じで、もとの基準をクリアできなくなったから基準値を上げてしまう、計測するものを換えてしまうなどという不信感を招くようなことをせず、いかに基準値を守るかという最大限の努力をしてほしいものです。
うちの研究所にお見えになっている方の中には、子どものために転居をする方も出てきました。埼玉県でなぜそこまで?と思う方もあるかもしれませんが、問題なのは現在の放射線量ではなく、提示された基準値に対し、“××mSvまでは安全なんだ”という誤った認識に基づく教育現場の対応があるからです。
多くの専門家が繰り返し述べているように「被曝線量は少なければ少ないほどいい」ということを念頭に置き、内部被爆も考慮した最善の施策が子どもたちに対して行われるよう、行政や教育現場は努力する必要があるのではないでしょうか。
(文:大関 直隆)

2011/05/23(月)
第457回「ラクダプロジェクト」
「いやぁ、趣味が変わってるんですよ」
「へーっ。どんな趣味?」
「ダチョウを飼ってるんです!」
「ダチョウ? ダチョウって、鳥の?」
他にどんなダチョウがいるんだよ!ダチョウと言えば、鳥に決まってる。
だけど、あの大きな鳥のダチョウを飼うっていうイメージが頭になかったものだから、私も変なことを言ってしまいました。

そんな電話を商工会議所のH氏からもらったのはつい先日。そして、ダチョウを飼っているというK氏に会うことになりました。
もちろんお会いする理由は他にもあったわけですが、私はダチョウのことが気になります。「それで、ダチョウのことなんですけど、なんでダチョウを飼ってるんですか?」
「食用にするんです。私が飼ってるんじゃなくて、飼ってるのは兄ですけどね」
「お兄さんがやってらっしゃるんですかぁ。食用???」
あのダチョウの肉を喰う?
ワニの肉は食べたことがあるけれど、ダチョウはないぞ!
なんだか足で蹴飛ばされそう。いや、足じゃなくて羽で叩かれる? 私の頭の中には、捕まらないように逃げ回り、羽をバタバタしているダチョウの姿が浮かんでいました。羽が飛び散り、思わず咳をしそうです。
ぎゃー、ダチョウなんて喰えんの?!
だいたいどうやってあの羽をむしるんだ? 人間よりデカいんだぞ! 走るのだって速いんだぞ!
今度は、ダチョウの首をつかんで肩に背負っている場面が頭に浮かんで、「ぎゃーっ!」と叫びだしたい気分。それをぐっとこらえて、
「ダチョウの肉ってどんな味がするんですか?」
「仔牛の赤身みたいな…。鳥というよりは、牛肉ですよ」
「へーっ、そうなんだぁ?!」
「生で食べられるんですよ。牛と違って菌がほとんどないんです」
「へーっ?!」
何を聞いても初めて聞くことばかり。
どうやらダチョウの肉はうまいらしい。
「卵は鶏卵20個分くらいです。鶏卵よりちょっとゆるいんです」
「1個割ったら大変なことになっちゃいますね」
「そうですね。ケーキ屋さんなんかは同じものが大量に出来るからいいんですよ。ムラが出来ないから」
なるほど、そういうことか…。
「プリンなんかは鶏卵の時と同じつもりで牛乳を混ぜちゃうと、すごく緩いプリンになっちゃうんです」
「プリンが茶碗蒸しみたいになっちゃうんですね?」
「そうですね」
K氏の話したいことはダチョウの話ではなかったんでしょうが、私の興味はすっかりダチョウに。
家に帰ってきてから、
「ダチョウを飼うってよくない? 飼いやすいらしいよ。草の生えてるところに柵を作って放しておけばいいらしい」
「ふーん。で、飼ってどうするの?」
「肉だよ。食肉用。仔牛の赤身みたいなんだって」
「ダチョウって、あの砂漠に住んでるやつ?」
「? 砂漠? 砂漠じゃないんじゃないの。草食なんだから、草原っていうか…」
「あれっ? こぶが二つあるやつ想像しちゃった。あれはラクダだった。鳥のダチョウかぁ」
「当たり前でしょ!? ラクダじゃなくてダチョウ! でっかくって、首が長くて、走るのが速いダチョウ!」
「ダチョウの牧場をやろうっていうわけ?」
「そうそうそう。蓮が行ってる平島とか、十島村の他の島とか、産業がないでしょ。牛の牧場はあるわけだから、ダチョウの牧場っていうのもいいんじゃない? 牛より簡単そうだし、観光の目玉に…。ダチョウ肉のレストランを作って、ダチョウのステーキをメインにする」
「へぇ。努にそんなこと言ったら喜んじゃうだろうね。ラクダプロジェクトってことで進めようとしてる?」
「だからラクダじゃなくて、ダチョウでしょ。ダチョウプロジェクトとして進めるっていうことでどうかなあ? 蓮と沙羅を放射能から避難させるのもかねて、十島村の離島でダチョウ牧場を展開する…」

まったくちょっとダチョウの話を聞いただけでこれだからね。このダチョウ牧場の話、我が家では正式に「ラクダプロジェクト」と命名され、陶芸教室、カウンセリング研究所、そして第3の事業として、今後どう展開するか検討されることになりました。高校を卒業するとき、ダンサーか牧場経営かで迷った努でしたから、年齢的に踊り手としてはきつくなってきている現在、本気で話をしたら大変なことになりそうです。
7月に蓮のいる平島に行く予定ですが、
「おい蓮、お前は漁師やれよ。じいちゃんは牧場やるからな」なんて話になるかもしれません。
はははっ、もちろん冗談ですよ。半分くらいは…(笑)
(文:大関 直隆)

2011/05/16(月)
第456回「体内記憶」
「やっぱり妊娠中はモーツァルトでしょ!?」
「えーっ、バッハでしょ?」
「えーっ、何言ってんの! 絶対ベートーヴェンだよ!」
ほんとかよっ? 適当なことばっかり言ってんじゃないの?
私はこの3人の曲なら断然モーツァルトかな。バッハは何となくせかせかした感じだし、ベートーヴェンは皆さんご存じの通り、「ジャ ジャ ジャ ジャーン」に代表されるような感情の揺れが大きいような曲が多いし…。その点モーツァルトの流れるようなメロディの綺麗さは格別。
ん?でもいったい胎教って何だ?
胎教から浮かんでくる言葉は「心の平穏」「安心」「安らぎ」「落ち着き」みたいな…。

実際、モーツァルトの音楽なんかを「胎教にいい音楽」の代表にあげる人は少なくないと思いますが、本当かっていうとどうも怪しい。何が怪しいかっていうと、本当は何のことやらよくわかってない。いろいろ考えて最後は「胎教って何だ?」っていうところに行き着いちゃう。

日本大百科全書(小学館)によると「胎教」とは「妊婦が精神修養を行うことによって胎児によい影響を与えようとする思想をいう」だそうです。
はっ?「思想」なんだぁ!
っていうことは、科学的な根拠に基づいたものではなく、「考え方」っていうこと?
要するに、絶対的なものがあるわけではなくて、人によって違うってこと。私も「胎教にいい」っていう言い方をそのまま鵜呑みにしていたわけではないけれど、「思想」っていう説明にはちょっとびっくりして、でもえらく納得して…。

「古来、先天異常に対する外因の一つとして精神的要因が広く考えられてきた。たとえば、受胎時における両親や妊娠中の母親の精神的印象がそのまま胎児に反映するとか、母親の精神的ショックなどのストレスが胎児の形態異常発生に関係するといった考え方である」(同)。形態異常の発生率と胎教との関連性については、おそらく検証されてないのではないかと思うけれど、妊婦が「胎教にいい」と言われるような音楽や絵画、その他様々な芸術、自然などに触れることは、妊婦の精神的安定につながることは間違いないですよね。うちの研究所にも妊婦さんで、やや精神的に不安定になった方がお見えになることがありますが、妊娠期間中の精神の不安定は、思いもよらない病気や事件・事故を誘発したりすることにもつながるので、出来れば避けたいもの。そう考えると「胎教」っていうふうに、いかにも「胎児」のことがメインに考えられているような感じだけれど、実は妊婦がメインで、安心・安全な妊娠・出産という「妊婦にいい」ということが「胎児にいい」、「胎教にいい」という言い方になっているような…。

先日、WebサイトのJ-CASTニュースで、「お母さんのおなかの中のこと 園児の3人に1人「覚えてる」」という記事を読みました。
「お母さんのおなかの中にいた時の自分の状態や、聞こえた音や声、周囲の状況などを覚えている、という人がいる。こうした「胎内記憶」を持つ日本人がどのくらいいるかを、横浜市金沢区・池川クリニックの池川明院長がまとめ、2011年3月発行の『国際生命情報科学会誌』で発表した」というものです。

生まれたばかりの赤ちゃんが父親の声は認識しないのに母親の声は認識するとか、お母さんの心音を聞かせる(赤ちゃんの頭を母親の胸に当ててやる)と安心してよく眠るとか、あるいはもう少し広げて、妊婦中によく聞いていた音楽を赤ちゃんに聞かせるとよく眠る、妊娠中によく読んでいた絵本を赤ちゃんに読んでやると泣き止むとか…、そんな話はよく聞きますね。これはあり得るのかなあ???胎児の脳が何らかの形で母親を意識している。妊娠も後期になれば、胎児も人間としての機能をほぼ備えているわけだから、母親のお腹の中で得られる情報を胎児なりに得ているというのはそうだろうと思います。

我が家の第5子「翔」の出産の様子が収められたビデオ「素敵なお産をありがとう」の中に、妻と長女の弘子、長男の努が臨月のお腹をさすりながら会話をするシーンがあります。
妻が「出て来いっていうと出てくるんだよ」と言って3人でお腹を眺めているんです。すると、お腹の中で「翔」がグニャグニャと動き始めます。これが不思議なことに、お腹をさすりながら会話をしていると、ほぼ毎回確実に起こるんです。まさにお腹の中の翔と会話をしているんですよ。

今回の胎内記憶の記事は、胎内記憶の講演会に参加した人にアンケート用紙を配り、胎内記憶の有無について聞いたものが基になっているとか。胎内記憶は大人よりは子どもの方があるそうで、以前保育園児に取ったアンケートでは、
「「胎内からは外が見える」。お腹の中で見た火事の記憶、訪れた場所の記憶、さらには自分が糸ミミズから胎児に変わっていったことを話す子どももいる。胎児期から喜びや悲しみの感情は豊かで、母親が辛い日々を送っているか楽しく暮らしているかで、胎児の抱くイメージも同調していた。また、神様や天使と一緒に雲の上で過ごし、「優しそうだから」と自分でお母さんを選んで生まれてきたことなどを話す子どもたちが何人もいた」
んだそうです。

ここまでくると、「ほんとかよ?」となっちゃう。おそらくは生まれてからの子どもたちの空想。これを「胎内記憶」と言ってしまうのは…。子どもを持つお母さんの中には「子どもがおなかの中のことを覚えている」という人もいるらしいけれど、それはまず間違いなく胎児の記憶ではなく、胎児がお腹の中でこうあって欲しかったというお母さんの記憶。お腹の中で胎児が見る色は赤が多いそうだけれど、これも人間が目をつぶったときに見える色が赤だから生まれてきてからの記憶かもしれない。病院のホームページを見たらホメオパシーまで登場(第422回参照)しちゃって…。報道だけで内容をすべて知っているわけではないので、きちっとした批判は出来ないけれど、もう少し科学的であって欲しいですね。
胎内記憶があるなんて、“もし本当なら”とっても楽しくないですか???
(文:大関 直隆)

2011/05/09(月)
第455回 「子どもを守る」
「沙羅ちゃん、ユッケ食べたい!」
「ユッケはやめな」
「なんで? 沙羅ちゃん、ユッケ好きなのに!」
「生の肉はだめ!」
「この前ママと行ったときは食べたよ」
「あのねえ、日本には生で食べてもいいですよっていう牛肉はないんだよ」
「だってメニューにあるじゃん!」
「そうだよ。だからだめなの。本当は生で出しちゃいけない肉を生で食べていいことにして出しちゃってるの。だから何があるかわかんないでしょ。じいちゃんはねえ、身体も大きいし、ちょっとくらいあたっても、気持ち悪くなったり、吐いたりするくらいですむんだけど、子どもは死んじゃうことだってあるんだよ。沙羅ちゃんはまだ小さいでしょ。じいちゃんは、沙羅ちゃんの4人分の大きさだもん」

どうやら、娘の麻耶が孫の沙羅を焼肉屋に連れて行ったとき、ユッケを食べさせたことがあるらしく、沙羅は焼肉屋に行くと必ずユッケを食べたがります。私も生は大好きで、ステーキを注文するときは必ずベリーレア。ローストビーフを作るために買った肉が「たたきでも大丈夫」なんて肉屋さんに言われると、まな板の上でちょっと切っては口に運び、ちょっと切っては口に運び、いつの間にかローストビーフ用だったはずの肉がだんだん小さくなってしまったり…。もちろんすき焼きのときは溶き卵が赤くなってしまいます。

でも、焼き肉屋のユッケは絶対ダメ。私も食べたことがないし、孫がどんなに食べたがっても絶対注文しません。いつだったか、「埼玉県のと畜場(食肉処理場)で解体された牛肉のうち生食用に出荷される量はほんのわずかで、店舗で提供されている生食用の牛肉の総量とはまったく合わない」という記事を見ました。ここのところの報道では、“生食用はない”とのこと。私の中で“ない”という認識はありませんでしたが、いずれにしても店舗で提供されている生肉のほとんどすべてが加熱調理用の肉であるという認識はありました。だから、何が起こってもおかしくない。貝類、例えば“カキ”などの場合だったら、まさか加熱調理用って書いてあるのを生で食べたりしないですよね。それが牛肉だと“生で食べられる”“生が美味しい”とう意識が定着しているんですね。私も含めてですが。

といっても、すでに指摘されていたわけですから、今回の事件も起こるべくして起こったこと。これほど多くの方が亡くなるとは思いませんでしたが、大変大きな事件になってしまいました。
卸売業者、焼肉店ともに生食用でないことは認めているにもかかわらず、責任のなすり合いをしていることがとても見苦しい状況です。なすり合いよりは、原因の究明を早くして、二度とこのようなことが起こらないようにしてほしいものです。生食用でないものを生で提供したということが原因であることはわかっているわけですが、二度と起こさないためにも、責任の所在をはっきりさせるためにも、汚染源の特定というのは欠かせませんね。

今回、お子さんが亡くなりました。ウェブサイトによると、今回の焼き肉チェーンの話題が4月18日の「深イイ話」(日テレ)で取り上げられたとか。私は見ていませんでしたが、福井で亡くなった男児が食事をしたのは3日後の21日、70歳と43歳の女性は23日。
テレビというのは、プラスに扱われれば大きく信用度を増すことになりますから、内容を精査せずに、「とても激安店とは思えない高級店並みの接客をしている」とか「美味しくてしかも激安」と大絶賛していたという日テレの責任も大きいように思います。有料広告ではない「深イイ話」という番組の中で、「深イイ話」とはコンセプトが合っているとは到底思えない単なる企業宣伝を行っていたとすれば、番組の存続問題に発展するかもしれませんね。

様々な要因があり、生肉が危険という認識を持てず、被害に遭われた方々の責任は問えませんが、こういう事件があると、やはり親として子どもを守るにはどうしたらいいかということを改めて考えざるを得ません。たまたま、報道で牛肉の生食が危険と知っていた私ですが、やはり子どもを守るためには常に正しい情報を入手し、それを心に留めておくことが重要ということでしょうか。
ネットやテレビなどに氾濫する情報を精査したり、新聞を読んだり、人の話を聞いたり…。あまり目立たない情報こそ、大切な情報であることもあるので、様々な情報に触れるよう私も努力することにしましょう。

とはいえ、生食好きの私。「たたきでも大丈夫」と肉屋さんに言われた肉なら、やっぱりまな板の上から口に運んじゃいそうです。「トリミング」っていうのも覚えたし…。
でも、孫には絶対ユッケは食べさせません!
(文:大関 直隆)

2011/05/02(月)
第454回「避難所のボランティア その2」
「避難所の生活が“してもらう”だけになってるとすれば、避難所の人たちも辛いよね」
「すべて外から来たボランティアがやってるんじゃね。子どもにも大人にも出番がない。お年寄りと子どもが関わることで、お年寄り、子どもたち双方に出番ができればいいわけでしょ。子どもたちの面倒を村のお年寄りが見る、そして子どもがお年寄りの世話をするみたいな…。ここ数年、地域でお年寄りと子どもたちが様々な関わりを持つようなことやってるけど、避難所の中でもそういう関わりを持たせるなんていうことをやってみるといいのにねえ。それぞれにいろいろな思いがあるから難しい部分もあるだろうけれど、だれかボランティアの中にも、自分が被災者に“してやる”っていうボランティアじゃなくて、そういう形を演出するっていうか、プロデュースするっていうか、そういうリーダーシップを取れる人がいるといいのにね。せっかくこれまでのコミュニティを壊さないように村を挙げて避難してきたわけだから…」

茨城県の暴走族、「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」が、震災を機に解散し、今後は復興のためのボランティア活動をすることになったという報道がありました。メンバーの少年らも被災し、避難所生活を余儀なくされたときこれまで「敵」と思い込んできた近所の大人や警察官から「飲む水はあるのか」などと気遣われて、「暴走なんかしている場合じゃない」という気持ちが強くなったんだとか。メンバーを入れ替えながら、約30年も活動してきたそうですから、この少年たちの決意には相当のものがあったんでしょう。少年たちの心が動いたのは、「自分たちも人の役に立ちたい」「人の役に立てるんだ」という意識だったんだろうと思います。人は他人から施され、与えられるだけでは元気が出ません。人の役に立っているという実感、自分の出番があるという実感、そういったものがあって初めて元気になり、生きる意欲が湧いてきます。

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「復興支えたい」暴走族解散 総長、ボランティア志願 (asahi.com)
 自分自身の行動を深く反省し、これからはボランティアチームとして活動することを誓います。東日本大震災で津波に襲われ、大きな被害が出た茨城県大洗町の暴走族が17日、解散した。自らも被災し、避難所での生活を余儀なくされたメンバーたちは今後、町の復興のために尽力するという。
 解散したのは、大洗町を拠点とする暴走族「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」(構成員約15人)。震災前は、大洗海岸沿いの国道51号などで疾走を繰り返していた。 17日、メンバーの少年9人が水戸署に集まった。総長の少年(16)が解散宣言で「これまで地域の人に多大な危険と迷惑をかけてきた。今後は震災の復興のためにボランティアをする」と誓うと、署員や町職員らから拍手が起きた。
 「震災で避難所生活を送った彼らは、大人たちから水をもらったり、『寒いね』と話しかけられたりした。そこで気持ちに変化が生まれたのでは」。長年、地域の子どもたちを見守ってきた天台宗西福(さいふく)寺(同町磯浜町)の小野融教(ゆうきょう)執事(34)は振り返る。
 西福寺には、学校生活にトラブルを抱えた子どもたちが集まってくる。小野さんに悩みを打ち明け、落ち着きを取り戻す子どもも少なくない。ミスティーの少年らと小野さんは数年来のつきあいだ。
 かねてから話し合っていた解散話を持ちかけた。「そろそろ違う形で自分たちの力を使おうよ」
 小野さんの提案に、少年たちはボランティアを志願。今後は、がれきの撤去作業など、町の依頼に応じて活動するという。
 総長の少年は「自分たちが解散して、正直、町は平和になるし、安心して生活できるようになると思う。自分たちと同じような境遇の人も参加できるようなボランティアチームを作っていきたい」と決意する。
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妻は近々被災地の子どもたちのためのボランティアへ出かけることになるかもしれません。“してあげる”だけのボランティアでなく、被災者の皆さんの意欲が湧くようなボランティア活動になるといいのですが…。
(文:大関 直隆)

2011/04/25(月)
第453回「避難所のボランティア その1」
「あれはひどいよ。もっと何とかならないのかなあ」
「そうなんだ…」
「テレビはずいぶんよさそうに報道してたけどね」
「そうだね。加須の人たちとか、先生たちが掃除をしたり、畳を敷いたり、一生懸命準備をしている映像流れてたもんね。状況じゃなくて、善意だけを報道してる」
「そうなんだよね。でも実際に現地を見てみると、“えっ!?”って絶句するよ。確かに建物が壊れているわけじゃない、食料もある、トイレもある。でも一人当たりのスペースなんて、畳1畳くらいしかないから、横になるとすぐ隣に他人がいるわけ。あれじゃ寝られない。廊下に仮設トイレくらいの更衣所みたいなのはあるけど、あそこでみんなが着替えるっていうのもね。ちょうど試着室みたいな…」
「ふーん。学校だったんだから、更衣室だって、各科の研究室だってあるだろうにねえ…」
「そうだよねえ。全部見てきたわけじゃないから、分からないけどね。そういうところも何かに使ってるのかもしれない。職員室が役場なんだよ」
「なるほどね。それはピッタリかもね。もともと役場みたいにできてる」
「体育館もあるけど、そこのかなりのスペースは物資が山積みになってる。段ボールに中身が書いてあるんだけど、いらないんだろうね、あれは。必要もないもののために、使えるスペースが無駄になってる」

福島第一原発のある福島県双葉郡双葉町の住民の皆さんが村ごと避難生活を送っている埼玉県加須市の元騎西高校に臨床発達心理士としてボランティアに参加した妻は、帰ってくるなり私に話し始めました。

受け入れる側も最大限の努力はしているんだろうけれど、さすがに仮とはいえ、村を挙げて移住というにはあまりにも悲惨な状態らしい。
「生活感がないと思ったら、どこに行ってもテレビがないんだよ。一台もだよ。情報は未だにラジオだけなんだって。誰でも使っていいパソコンは何台かあるみたいだけど」
「なんでテレビがないんだろうねえ?」
「そうなんだよ。役場にもないんだよ」
「たいした値段じゃないし、学校なんだからアンテナだって引いてあるでしょ?」
「だと思うけどねぇ…」
「うちの陶芸教室とカウンセリング研究所で寄付したら? ちょっとずつカンパしてもらえば、200以上いるんだから、テレビの何台かは買えるんじゃないの? でも、わざと置いてないってこと?」
「そうかもしれないんだよ。それがわからないと寄付するわけにもいかないし…」
役場にもテレビがないっていう話を聞いて、私と妻の間では寄付できないかという話になったのですが、寄付がいいことなのか、迷惑なのか…。体育館に山積みになった物資や全国でランドセルが大量にあまっているなどという報道を見ると、簡単には踏み切れないものがあります。
「必要かどうかを直接確かめる方法があればね」ということで、まず欲しいのかどうかを確かめた方がいいということになりました。もっとも、その尋ねるっていう行為が迷惑になる可能性もあるので、簡単そうで難しいのですが。

妻が騎西高校を訪れたのは、臨床発達心理士会として子どもたちと遊びの会を持つということで行ったわけですが、実際は子どもの数よりもボランティアの数の方が多く、1人の子どもに4、5人もの大人が関わるような状態だったそうです。
「子どもを集める努力が足りなかったのかもしれない」
「いや、違うんじゃないの。もともと子どもの数が少ないとか…。村自体高齢化が進んでいたわけでしょ?」
「そうかも…」
「子どもとの遊びの会っていう設定に無理があるのかもね」
妻が避難所の様子から一番心配していたのは、避難している方たちの意欲です。最近の報道を見ると、復興に向けて動き出した被災者の皆さんの前向きな姿勢を強調するような報道が目立ちますが、少なくとも騎西高校に避難している双葉町の皆さんについて、妻の話からは、そういった状況は窺えません。
まったく先の見通しの立たないというか、むしろ双葉町の皆さんからするとますます悲観的要素の増すような今の原発の状況からすると当然のことです。これまでの生活の基盤をすべて奪われ、戻れる見通しすら立たない。そんな中で、未来を見据えた意欲など湧くはずがありません。
「何かをしてもらうことに慣れてる感じ。張り切ってるのはボランティアだけみたいな…」
「それってまずいよね。どんなに大変な状況でも、助けてもらうだけじゃなくて、人の役に立ってるっていう感覚、出番っていうかそういうものがないと…。避難してるお年寄りだって双葉町の中ではきっと何か大きな役割を果たしていたんだと思う。地域のコミュニティってそういうもんだよね。年齢には関係ない。子どもがいて、若い人がいて、お年寄りがいて…、それが相互に作用しあって成り立ってる。それがなくなって、“してもらう”だけになっているとすれば、人間としての生きる意欲が失われちゃう」
人にとって、とても大切なものが欠けているような生活。それが避難所の現状なのかもしれません。

つづく
(文:大関 直隆)

2011/04/18(月)
第451回「子どもたちには事実を正しく聞き、正しく理解する力を!」
私は原子力に疎いので、「原子力」という分野がどうやら自然科学ではないらしいという程度には理解しているけれど、物理なのか化学なのかよくわからなくて、
「原子力って、物理? 化学?」
なんていう具合にいつもつまらないことを悩んでいます。何度考えても、物理のような気もするし、化学のような気がする。もっとも、そんなことで悩んでるなんて言うと
「だから何なの!?」
と多くの人に一蹴されそうな気がしますが…。

自慢じゃないですが、私は中学まではけっこう数学と理科が得意(これって明らかに自慢っぽい)でした。「もしかして末は物理か化学の研究者?」と思うくらい。とはいえ、今を見れば、それは他者との比較で言っているのではなくて、自分のすべての能力の中で、多少は「他の科目よりは得意だった」という程度であることは明白ですけれど…。

ところがある時から、得意だった(?)はずの数学と理科が得意ではなくなったんです。では、いつからなぜ得意ではなくなったのか…。
「ほんとは元々得意じゃなかったんだから当たり前じゃん!」なんて思う人もいるかもしれないけれど、とりあえず自分では得意だったと思っているので、そういうんじゃなくて、私なりに理由があるんです。それは、高校の数学の授業で起こったんです。代数幾何だったと思うんですけど、なんか私にはよくわけのわからない数字が“ある文字”のところに代入さたんです。私はとても素朴に、
「何でそれをそこに代入するの?」
と思いました。いくら考えてもどうしてなのかわかりません。どうしてもわからなかったら質問するしかありません。
「どうしてここにこれを代入するんですか?」
それに対して返ってきた答えは、
「これを代入すれば、ほらっ! 解けるだろっ。だからこれを代入するんだ」
でした。
私は唖然!
そんなの答えになってな〜い!
それまで私は「××だから××だから××」みたいなものが数学だと思っていたんです。それはそれはカルチャーショックでした。その時の私にとって、それは問いと答えがかみ合ってなかったんです。数学という学問に対する信頼が一気になくなった気分。それからまったく数学に興味がなくなっちゃったんです。
今でも、私の物の考え方って数学的なんだって思います。「××だから××だから××」みたいな三段論法的っていうか…。だから、「変なワニってどんなワニ?」というなぞなぞの答えが「変なワニ」だった息子のなぞなぞには度肝を抜かれたし、そんな息子の意識について行くのに苦労したんです。でもどう考えても、「これを代入すれば、解けるだろっ。だから…」っていうのは「変なワニって変なワニ」のレベル。未だに納得がいきませんが、それが数学や物理・化学の本質かと…。

そういえば、中学の時の数学の先生が、「今は1+1=2は客観的な真実だって思ってるだろうけど、あと何百年かしたらそれが覆されてるかもしれないよ」って言ってましたっけ。そういう意味では文学なんかよりも答えが決まっていないのかもしれないですね。

3月11日以来、原子力の専門家のいう先生方が、とっかえひっかえ登場しては、ことさら「安全」をアピールしていました。これもどう考えても私には納得がいかない。まったく根拠がない。と言うか、おっしゃってる先生方にしてみれば何かを根拠にしているんでしょうが、素人を納得させるにはあまりにも稚拙。私に言わせれば「変なワニって変なワニ」。

「原子力発電所の安全対策は万全だから放射能が漏れることはない」なんてよくも言ったもので、今回の震災でそれが真っ赤な嘘であったことが露呈してしまったわけです。物理だか化学だかよくわからない原子力を志してきた人たちが、客観的事実をねじ曲げて、自分たちの都合のいい主張ばかりしてきたことは大変重大。今回の事故で、数学や物理・化学が理論の積み上げによって構成されているのではないということを高校の時以来感じた私ですが、少なくとも子どもたちには科学的裏付けがあること、科学的裏付けがないことの区別をきっちり、誠実に教えていかないと、第2の私がたくさん出来てしまうのではないかと思います。

「子どもたちには事実を正しく聞き、正しく理解する力を!」おそらく、そんなことが日本復興のカギになるのではないでしょうか。政府にもきっちりした対応を望みたいですね。
(文:大関 直隆)

2011/04/11(月)
第451回「それでも桜は咲く」
3月11日の震災直後の避難所の映像のキャプションに「三春町」の文字が。
「この避難所、三春だって」
「三春? 桜を見に行ったとこ?」
「そう」
「あっちの方なんだあ…」
「うん」
今回の震源地がどこなのか、三春がいったい地図上のどの辺りにあるのかもあまりわからず、妻は「あっちの方」と言いました。妻が言った「あっちの方」という言葉の意味は、具体的に「三春町」がどこにあり、震源地との関係がどうかという地理的なことではなく、両親とお花見に行った辺りという意味で発せられた「あっちの方」でした。もちろん、私も妻の発したその言葉の意味をすぐに理解したので、「うん」と答えたのです。

2005年9月23日に他界した義父(第178回参照)とは、毎年お花見に行きました。吉野の桜、妙義の桜、赤城の桜、そして東北の、弘前、角館、盛岡城跡、北上展勝地、置賜さくら回廊、鶴ヶ城…。そして三春の滝桜。
三春を訪れたのは2005年4月27日、翌28日は会津若松の鶴ヶ城に行きました。
「いつもどこに行っても満開だなあ。ほんとにおれは運がいいなあ」
三春の滝桜も満開、鶴ヶ城のソメイヨシノも満開。その時父が発した言葉です。2泊3日の旅行の中で、どこをどう回ったら満開の桜を見られるか、頻繁に携帯電話で開花状況を調べながら私がルートを決めているなんていうことを、耳がかなり不自由な義父はまったく気付いていなかったようで、
「おれはなんてついているんだろう」
と素直に思っているようでした。そんな義父の言葉を聞いた母は、私の顔を見てはくすくす笑っていたのですが…。
それが93歳の義父との最後のお花見でした。

三春の滝桜に着いたとき、長時間の車旅で義父は降りるのもおっくうなほど疲れていたようで、駐車場に車を止めようとすると、車から降りずに窓から桜を覗こうとしていました。それに気付いた駐車場の誘導係の方が、障害者用スペースに誘導してくれたので、さすがに義父も誘導係の方の親切に、車から降りる気になったらしく、降りるには降りたのですが、遥か下方に見える滝桜(道路よりもかなり下の方にとても大きな1本の「滝桜」があり、相当数の階段を下りなければ近くには行けません)を眺めて、「おれは下りない」と階段の上の縁石に座ってしまいました。ところが、あまりに見事な満開の滝桜の魅せらたのか、いつの間にか義父も階段を下り、桜の木のすぐ近くにいるではありませんか。
どうやら私がちょっと売店に寄っているすきに私を追い越してしまったようです。階段の上にいると思っていた私は、私よりも桜の木の近くにいる義父を見てびっくりしました。

滝桜にはそんな思い出があります。原発からもそう遠くはない滝桜も、そろそろ開花の時期を迎えます。あれほど義父を魅了した滝桜。震災で人々の気持ちがどんなに暗く沈んでいても、間もなく開花を迎え、きっと4月中には満開を迎えることでしょう。

避難所の子どもたちや遠く他の地域で新たな学校生活を迎えた子どもたちの映像がテレビによく映し出されます。震災の悲しみを背負いながらも、悲しみに負けずしっかり前を向こうとしている子どもたちの強さ。「それでも桜は咲く」ように、この子どもたちの強さが、きっとこれからの東北をしっかり支えていってくれるのだろうと思います。
(文:大関 直隆)