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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2011/01/24(月)
第440回「納豆ダメなんで温泉卵で」
「ご注文はお決まりですか?」
「はい。焼鮭朝食をお願いします。私、納豆ダメなんで温泉卵でお願いします」
「はい、かしこまりました。ご注文を繰り返します。焼鮭朝食を温泉卵でお一つですね」
「はい」
私がいつものファミレスで食事をしていると、隣の席から聞こえてきた何でもない注文の会話です。
でも、私はこの会話を聞いていて、思わず吹き出しそうになってしまいました。
「何が?」って思う方もいるかもしれませんけど、
「私、納豆ダメなんで…」っておかしくないですか?
聞きたかったのは何を注文するかだったんだから、別にこの人が「納豆がダメ」かどうかなんてどうでもいいんですよ。要するに、ウエイトレスさんが繰り返した言葉の通り、
「焼鮭朝食を温泉卵で」でよかったわけですよね。
これって、皆さんもやったことありませんか? 
私はよくやっているような気がします。全然必要ないのに、何か言葉を付け足しちゃう。つい先日も、
「ご注文は?」
「ん〜、何にしようかな…。これ美味しくないから、こっちにする!」
おいおい、「美味しくない」なんて言わなくたって、
「これ、お願いします」
で充分。でもね、これは「納豆ダメなんで」とはちょっと違うんです。「納豆ダメ」は自分のことだけでしょ。「これ美味しくない」は料理についての感想だから、まあお店のアンケートに答えてるってとこかな?
と勝手な言い分(笑)

余計な言葉を付け足す時って、自分の気持ちの中に何か後ろめたいものがあったり、無意識に人に自分をアピールしたい気持ちがあったり、自分のやりたいことを暗にほのめかしたり、時に相手に攻撃的な気持ちがあったり…。余計な言葉を付け足しちゃうのってそんな感じの時でしょうか。

昨年暮れの話。
「蓮くんも沙羅ちゃんも、もうすぐ冬休みでいいねえ?!」
「うん。蓮くんまだスキー上手に滑れないけど、冬休み好きだよ」

スキーの話なんてしてないぞ!
どうやら、スキーに連れて行けという催促らしい。昔はスキーに行くなんていうとスキーウエアからスキー板からとにかく準備が大変で、行く前から疲れちゃう。レンタルっていう手もあるけど、大変な思いをして行くわけだから、吹雪いても晴れてもとにかく困ることのないようにと寒さ、暑さ(晴れてると暑いんだよねえ、これが)対策だけでも半端じゃない。関越道や東北道が開通する前なんてそれだけじゃなくて、まだ朝も暗いうちに出かけて、途中でチェーンをして峠を越えて…。運転だけで片道6〜8時間。途中事故に遭ってる車はあるし、自分の車も雪でスピンするし…。相当の覚悟がいるものでしたけど、娘と孫は、朝ゆっくり起きてきた(10時ごろ)かと思ったら、「新幹線でお昼食べて、向こうでお風呂入って、ちょっと遅くなるけどウチで夕飯食べるから」と言って着替えを1枚持ってスキーに出かけてちゃう。
そんな風だから、「蓮くんまだスキー上手に滑れないけど」なんて、簡単なことのように前置きを付けちゃうんですね、きっと。

この子どもの付け足しの言葉には、楽しいから付け足す言葉もあれば、苦しくて誰かに助けてもらいたくて付け足す言葉もある。
「クラスでいじめられてる子がいるんだって?」
の問いに、
「うん。僕はいじめられてないけどいるよ」
なんていうのもそうですね。そんな時はしっかりお子さんの話を聞くことが大切です。そんな子どものサインを見逃さずに子育てが出来たらいいんですけどね。間違っても、
「“納豆がダメ”なんて聞いてないでしょ!聞いてることにだけ答えればいいの!」
なんて対応はしないでくださいね。まさかファミレスのウエイトレスさんはそんなこと言わないけれど、子どもの余計な言葉につい文句を言っちゃうお父さん、お母さん、余計な言葉に文句を言う前に、その言葉の裏に隠された子どもの気持ちを汲み取ってやってください。

つい先日病院で、
「少し体重落とした方がいいですよ」
と先生に言われました。
「若いころはスリムだったんですよ。今はちょっと太りましたが…」
おい! 答えになってないぞ!
素直に「はい、そうします」と言えばいいの!
(文:大関 直隆)

2011/01/17(月)
第439回「十島村の山海留学」
昨年の夏休み(休みなのは子どもたちと孫たちだけですが)、第73、74回でご紹介した新潟県の離島、粟島に海水浴に行きました。
初めて粟島を訪れたのは1999年(だったような…)。当時、島の人口は440人ほどでしたが、それが400人になり、昨年は350人ほどになったとか。「何にもないを楽しもう」「大きな感動の小さな島」「手つかずの自然と人との触れ合い」。こんなキャッチフレーズの島です。その粟島で、たまたま1ヶ月の短期留学生を募集するという話を聞きました。1ヶ月間、都会を離れ、粟島のどなたかのお宅にホームステイをさせていただき粟島浦小学校へ通うというものです。この話を聞いた孫の蓮は目を輝かせ、「通いたい!」と言い出しました。

おい、冗談だろ!
いえいえ、これがどうも本気らしく、その粟島浦小学校の話が、村の準備不足ということで没になっても、「どこかの島に留学したい!」と言い続けました。

まだ小学校3年生の蓮がどういう気持ちでそうなったのか、わかるようなわからないような…。親や祖父母としてはちょっと不安もありますが、そんな蓮の気持ちを大切にしてやろうと、どこか離島への留学先を探してやることになりました。
そして見つけたのが鹿児島からフェリーで6時間あまりの口之島から連なる7つの有人島(トカラ列島)の十島村。とにかくやっと見つけた十島村の「山海留学」。蓮の気持ちを大切に応募してやることになりました。
お預かりいただける里親を教育委員会が探してくださるそうで、里親さえ見つかれば、なんとか蓮の留学の夢がかないそうです。応募するに当たって、応募用紙に長い長い応募の理由を書き投函しました。3日ほどで、応募用紙が届いたという連絡を十島村からいただきました。里親を探すので2週間ほど待ってくださいとのこと。留学を楽しみにしている蓮に朗報が届くといいのですが…。
以下は、娘の麻耶(蓮の母親)が書いたものに私がちょっと(だいぶ?)手を入れた「応募の理由」です。

今回貴村の山海留学を希望するのは、蓮本人の強い希望からです。昨年、新潟県にある粟島に海水浴に行きました。粟島は「何にも無いを楽しもう」をキャッチフレーズにしているような人口350名ほどの島で、本土からの車の乗り入れはできません。対岸に車を置き船で渡ります。たまたま宿の近くの食堂のおばさんと話をしていたとき、全校児童十数名の粟島浦小学校が一ヶ月ほどの短期留学生を募集するという話を聞きました。蓮は目を輝かせ、「この島の学校に通いたい」と言い出しました。何度か訪れていたこともあり、食堂のおばさんも「じゃあ、ウチに泊まってここから小学校に通う?」と言ってくれました。
役場に問い合わせたところ、今年は準備が整わないので受け入れないことになったと言われてしまいました。それから3ヶ月ほどしたある日、蓮が新聞に掲載された口永良部島の「南海ひょうたん島留学生募集」の広告を見つけ、行きたいと大騒ぎをしました。
期間が一年で短期留学とは違います。募集期間が12月末日までとなっていたので、祖父母も交え、1ヶ月あまり蓮の気持ちを何度も確認して、12月半ばに口永良部島に電話しました。ところが「締め切りました」と言われてしまいました。あまりものを頼んだりすることのない蓮ですが、留学のことは別らしく、「他にはないの?」としつこく聞くので、インターネットで貴村の山海留学を見つけ応募させていただくことになりました。蓮が2歳になる前に私が離婚をし、蓮は父親を写真でしか知りません。
現在、私の両親、私の弟との6人暮らしで、父が陶芸教室とカウンセリング研究所を経営し、教職を退職した母がカウンセリング研究所の所長を務め、教育相談とカウンセリングを行っています。弟は現在大学四年生で、私も蓮の小学校入学に合わせ大学の幼児教育学科に入学して現在三年生です。蓮と妹の沙羅は幼稚園から小学校に上がり現在学童保育室で私が迎えに行くまでの時間を過ごしています。
父が長年小学校でPTAの役員や会長をしていたこともあり、小学校の行事などは父や弟に父親代わりをしてもらったりしています。そんな周りの助けもあって、蓮はおとなしい子ですが、明るく伸び伸び、子どもらしく育っていると思います。現在、ピアノ、モダンバレエ、スイミングスクールに通っていて、将来は野球選手になりたいと言っています。
外遊びは大好きですが、実際のところ野球やサッカーといった球技はそれほど得意ではないように思います。むしろ本を読んだり新聞を読んだりして、様々なことに興味があり、何でもやってみたいと思う子です。今回の留学もそういった興味の延長線上にあるものだと思います。虫に触れないのに飼いたがったり、魚を怖がるくせに釣りをしてみたがったり…。
私の父も流星群が見られるといえば、車で1時間以上かけて真っ暗なところまで出かけたり、突然「これから蛍を見に行くぞ」と3時間もかけて蛍を見に行ったりと子どものような人なので、そんな気質を受け継いでいるのかもしれません。ですから、祖父母も今回の蓮の留学については、蓮の背中を押してくれています。
今回応募するに当たって、母親の私に不安がなかったわけではありませんが、何よりも子どもの気持ちを大切に、一年間の成長を信じて、ぜひとも留学させたいと応募させていただきました。
(文:大関 直隆)

2011/01/11(火)
第438回「プレゼントのこころ」
「欲しいものなんて何もないから、プレゼントはいらないよ」
「そうだよねえ。お母さんの誕生日って、12月でしょ。だから、どうしても手袋とかマフラーとかになっちゃう。それを子どもたち5人で奪い合ってるわけだよね。いつも全員のプレゼント開けるまで、誰かとかぶってるんじゃないかってドキドキしちゃう」
「そうだよねえ。いつだったか、手袋2つにマフラー2枚なんてことあったよねえ…」
「そうそう。それにパパも加わるわけだから、結局6人で何にするかを奪い合ってるわけだよ」
「誕生日の前に誰かに財布が欲しいなんて言おうものなら財布が2つも3つも来ちゃったり…」(笑)
「“お前は××、お前は××”なんて割り当てるのも変だしねえ…」
「まったく。子どもたちには苦労をかけるねえ…」

何が苦労なんだか、そんなことは苦労のうちじゃない。
なあんて考えるのは、あまりプレゼントをしたことのない人の考え。何をプレゼントするかっていうのは常に大問題で、我が家のように子どもが5人、孫が2人なんていう家族ではなおさらです。
子どもたちは全員同居しているわけではないけれど、小さいころから誕生日を一大イベントにして育ててしまったものだから、家を出てからも誰かの誕生日には必ず何かしらのプレゼントを贈ってきます。もちろん高価なものではありませんが。

2月は孫の沙羅、4月は翔、7月は私と孫の蓮、8月は真、11月は麻耶、12月は妻と弘子と努。これにクリスマス、入学、進級、卒業みたいな年中行事があって…。一年通してプレゼント合戦みたいなあ…。
クリスマスやその他イベントに何をプレゼントするかっていうのは、本人に欲しいものを聞いたり、まあほぼお決まりのものがあったりするのでそんなに問題はないけれど、毎回同じ月の同じ日にある誕生日というのは、みんなサプライズを狙っているにもかかわらず、季節が同じでしかも何度も何度も死ぬまで訪れるし、絶対にもらう側からあげる側に立場が変わったりしないので、問題なんですよね。

私の場合、誕生日は7月の下旬だから、しょっちゅう甚平をもらいます。手袋もマフラーも自分ではなかなか買わないので、たまには手袋やマフラーでもいいんだけれど、プレゼントする方は真夏の暑いさなかにそんなイメージを描かないし、だいたい真夏じゃ手袋もマフラーも売ってない。世の中全体が、夏の手袋、マフラーなんて考えてないわけですよね。

実は去年の妻の誕生日も弘子と努のマフラーがかぶってしまっていたんです。妻はどっちのプレゼントも喜んでいました。同じようなピンク色だった(家族全員が妻の好きなピンク色をよく知っているから)んですけど、素材が違うから、使い方が違うとか言って…。

暮れの朝日新聞に、「贈り物、お届け前に返品可 気に入らなければ交換も 米アマゾン、新サービスで特許」という記事が掲載されました。不要な贈答品を別なものに替えたり、より現金に近い商品券などに交換するというサービスです。しかも、もらう側に配送される前に、ネットで品物が何かを確認でき、実際には受け取ることなく(配送されることなく)、交換できるとか。
ほぉ、すごい! ちょー合理的! いらない物を配送する手間まで省けちゃうわけですもんね。

でも、かなり違和感がある。妻が誕生日にもらった2枚のマフラーのうち1枚は、妻が喜んだ風をしているとしても明らかに不要。でもまさか、マフラーだってわかった瞬間に不要だからって、中も確かめずに、他の物と交換したり、商品券に替えたりなんてことできるかなあ??? 子どもからの誕生日プレゼントだから?

いや〜、確かにそれはあると思うけど、それだけじゃないですよね。プレゼントを開けたり、手にしたりした瞬間に、贈ってくれた人の気持ちが伝わってきます。手袋とかマフラーが重要なんじゃなくて、「お母さん、寒いだろうなあ…。これをして寒い思いをしないといいなあ…」そんな子どもの気持ちが手袋やマフラーに凝縮されているところが重要なんです。
真似されると困るので、あまり大きな声では言えないけれど、私は出産祝いにいつも身長計と靴とリュックを贈ります。生まれたばかりの赤ちゃんに必要なものではないけれど、「夢」を贈りたいから…。

この記事の中で、精神科医の香山リカさんは、「合理的だけれど、贈り物本来の目的を果たせなくなるのでは。(中略)喜んでもらえるように品物を選び、届いた後の反応に思いをはせる時間も含めて贈り物」と言っています。私もまったく同感。
確かにお中元やお歳暮には「これはいらない」(私はお酒を飲まないので、アルコール類が贈られてくるとそう思う)と思うものもあります。けれども贈った人の心を思ったとき、それがどんなものであっても贈ってくれた人の心は伝わってきます。そうそうたとえ義理チョコのようなものでもね。
私は贈り物って、必要なものじゃなくて「究極の無駄」って思えるような物が好きかなあ…。例えば5万円(なぜ5万円かっていうとどんなに頑張っても私の経済力ではそれ以上は無理だから)くらいのバラの花束みたいな…。贈り物って「物」じゃなくて「こころ」だって思うから。子どもたちにもそう考えてほしいなあって思うけどね。間違っても贈り物に効率を持ち込んでほしくないっていうかぁ…。

と言っている私も、必要ないものをもらったときは、「これいらないから、どこかに回しちゃおうか?」なんてやってますけどね。でもまあ、「物」は回しても「こころ」は充分受け取っているつもりだけどね(笑)
(文:大関 直隆)

2010/12/27(月)
第437回「またまたまたまたサンタクロース!」
今年最後の「子育て談義」、さてどんな話題にしようかな???
実は、もうとっくにタイトルが決まっていて、今回は「保護者が学校の芝生を剥がす」だったのです。
学校と保護者の距離の難しさっていうか、最近盛んになってきた学校と地域との交流の問題点を指摘しようかなって思っていたのです。なぜって、今まさに孫の通っている小学校(私が14年間PTAの役員として関わってきた小学校)で起こっている問題だと思ったから。

でもでもでも…、やーめた!っと。1年の最初と最後くらい明るい話の方がいいもんね。
あんまり暗い話で終わると、いい年が迎えられなそうだもん!
おいおい、いい歳してなんて話し方してるんだって感じぃ!

今年もやってきましたクリスマス。 Merry Christmas!
141回、191回、241回と我が家のサンタクロース事情を話したけれど、しばらく間が空いたので、またまたまたまた「サンタクローーーーース!」のお話。

「翔! 今日は何時ごろ帰ってくるんだ?!」
「う〜ん、帰ってこないかも…。サンタクロースは無理だと思う」
どうやら、付き合っている彼女と過ごすらしい。ということは、キャストに限りがある。
私? いやぁ、どう考えてもサンタの服を着るには身体がデカすぎる(いえ、お腹がデカすぎる)。
妻? いやぁ、あの体型、あの声、あのテンションの高さ…。どんなに演技をしたところで個性強すぎ! 絶対バレる。
クリスマス直前に風邪をひいた翔は、「もし熱が上がったり、吐き気がしたりしたら帰ってくるから…」(「…」はもちろんサンタクロースやるからということ。具合が悪かったらサンタクロースになるっていうのもどこか変だけど)と言って出ていったものの、期待するわけにもいかない。残るは麻耶のみ。母親がサンタクロースの服を着て帽子をかぶり、髭を付けたところで、やっぱり母親は母親。バレないわけがない。今年は苦労するぞぉ。

というわけで、2010年のクリスマスイブのはじまり、はじまりぃ!
子どもっていうのは、ワクワクするようなことがあると緊張するみたいで、この日の蓮と沙羅も変でした。夕飯を食べていても落ち着かない。沙羅はケーキを食べようとして袖にクリームをたっぷり付けてしまう、蓮は蓮で、スパゲッティを食べて吐きそうになるという具合。数限りなく次から次へいろんなことをしでかしてくれて…。どうやら、ただの緊張ではなく怖さもあるみたいですね。二人は、まだまだ謎の多いサンタクロースがいると思っているわけなので…。
「ほらっ、寝ないとサンタクロースは来ないんだぞ!」
ああ、子どもに嘘はいけないと思いながら、なんでサンタクロースのことだけは嘘ついちゃうのかなあ??? 嘘と夢(ロマン)は紙一重?

今年は麻耶サンタなので、バレないよう相当気を遣って、とにかく部屋は真っ暗。布団も深めにかぶらせて…。
部屋を暗くしたのはいいのですが、なかなか麻耶サンタが登場しません。次第に目が慣れ、かなり物がはっきり見えてきてしまいました。
こりゃ、まずい!
そこで私が一旦電気を付けて明るくしました。やや瞳孔が縮んで目を明るさに慣れさせてから再び電気を消しました。
そこへ麻耶サンタ登場です。もちろんメリークリスマスの言葉もなければ、子どもたちと握手をすることもありません。黙ってプレゼントを置いて帰ろうとすると、突然蓮がクスクス笑い出しました。

ん? バレた?
「おい、寝てるんだから笑っちゃダメだろ!」
声を押し殺して、私が蓮に言いました。
慌てて蓮の頭の上まで布団を掛けて、
「じっとしてろよ。お前は寝てるんだからな!」
蓮は布団の中で必死に笑いをこらえていました。麻耶サンタが玄関のドアをバタンと閉めて(もちろん外に出たわけではなくドアの音だけさせたわけですが)から、蓮になぜ笑ったのか訊いてみました。
「だって、サンタクロースがかけてたメガネ、ママのかけてるメガネとそっくりだったんだもん」
ごまかすためにかけたメガネのせいでかえって正体がバレそうになるなんて、こりゃあなどれません。完全に「ママ」だと思ったわけではなく、ママと似ているメガネをかけていることがおもしろかったんだそうです。麻耶サンタが帰ったあと、電気を付けてプレゼントを開けてみました。
中からは、もちろん蓮と沙羅のほしがっていたローラースケートが出てきました。

「てへへっ、今年はサンタさんの写真撮っちゃった!」
妻が私にこっそり言いました。
おいおい、なんで証拠を残すかなあ?
カメラの中に映っていたサンタクロースは、帽子を目深にかぶり、大きな白いマスクをし、サングラスをした、お尻の大きなサンタクロースでした。
サンタさん、ご苦労様!

読者の皆さん、今年も1年間ありがとうございました。今年も残すところあと5日、よいお年をお迎えください!

(文:大関 直隆)

2010/12/20(月)
第436回「じいちゃん、今の人と友達なの?」
「店長が早上がりさせてくれないんですよ。お祭りだからって言ってもダメだって言うんですよ」
毎日通っているファミレスでウエートレスをしているTさんが言いました。
「Tさんて浦和の人?」
「はい!」
「じゃあ、十二日市(じゅうにんちまち)には、なんか特別な思い入れがあるよね。十二日市に行かないと年が越せないみたいな…」
「はいはい、そうなんですよ。なのに店長わかってくれなくて…」

私も浦和の人間なので、その気持ちよくわかります。子どものころ、市役所勤めだった父と年に1回だけ浦和駅近くで待ち合わせて食事をしたのが十二日市。そんな経験のある人も多いんじゃないでしょうか。
今でこそ、「まつり」と言えば「浦和まつり」もありますけれど、私に言わせると、「浦和まつり」は本来の「まつり」というイメージではなく、亜流。商業振興のためにどこかの真似をして始めた感が否めなくて、どうもしっくりこない。まあ、酉の市だって歴史をさかのぼれば大差ないのかもしれませんけれど、「まつり」といえばどこもここも「よさこい」だの、「サンバ」だの、「阿波踊り」だのをやっちゃうことに納得がいかない。「地域文化はどうしちゃったの?」と言いたくなっちゃう。
人を集めて、街を活性化するというためには、賑やかにやれれば何でもいいんでしょうけど、どうなんですかねえ…。

ちょっと話がずれました。で、Tさんには、
「じゃあ、私から店長に言ってやる!」
と言ってしまいました。言ってしまった手前、店長に言わないわけにもいきません。
「店長!Tさん早く上がりたいって言ってるんでしょ? 上がらせてあげなよぉ。浦和で育った人間には今日は特別な日なんだから…」
もちろん冗談半分ですが、店長もすかさず、
「今日は夕方から混みそうですからねぇ…」
はぁ、そりゃそうだよねえ…。Tさんは私の知る限り、ちょー優秀なウエートレスだし、駅前店が十二日市の日に空いてるようじゃ、潰れちゃうしね。
しばらくするとTさんが私のところにやってきて、
「3時に上がってもいいけど、8時にもう一度入れって言うんですよ!」
とちょっとむくれた笑顔で言いました。その後、Tさんがどういうシフトで働いたかは、私は知りません。

子どものころ大事にしていたもの(物であったり、習慣であったり、思い出であったり…)っていうのは、いくつになっても大事なんですよね。Tさんにとって十二日市ってそういうものなんですよね、きっと。

私は、夜7時から大宮でちょっと仕事があって、十二日市をやっている調神社(つきじんじゃ。浦和の人の多くは「つきのみや」と呼んでいます)に着いたのは8時半。孫たちと携帯電話で連絡を取り合って落ち合ったあと、境内を一回りしました。熊手売り場にさしかかったとき、熊手を売っていたお兄さんとお姉さんが、
「社長、どうですか? このおっきいの!?」
と私に声をかけました。それもそのはず、大宮へ仕事で出かけたままの姿(黒にストライプのダブルのスーツ)だったので、ちょっと場違い、というか、いかにも仕事で熊手を買いに来たという感じ。大きな熊手を勧められるのも無理もありません。
「だめだよ。うちはそんなに儲かる仕事じゃないもん」
「そんなことないでしょ! 儲かってるんじゃないの!?」
「いやいや。そこの大きな熊手に名前のついてる人たちは、知り合いばっかりだけどね。私のところは全然、全然」
「ほらほらほらぁ、じゃあ、社長も一つ!?」
売約済みの紙が貼ってある大きな熊手に名前が書いてある人たちは、長年浦和でご活躍の方たちばかり。父がお世話になった方であったり、私が仕事やプライベートでお世話になっている方であったり…。駅周辺で仕事をしていると当然のことなんですけれど、熊手屋さんのお世辞もあって、そんな軽い調子の会話になりました。
私が左手をちょっと挙げてそこを離れると、孫の蓮が、
「じいちゃん、今の人と友達なの?」
と私に訊きます。
「違うよ。なんでそう思ったの?」
「だって、じいちゃん普通に話してたから…」
ほぉ、普通に話してると友達ねぇ…。なるほど、確かにそうかもぉ…。
思わず吹き出しそうになりました。子どもの考えっておもしろいですね。露天商みたいな仕事って私も嫌いじゃないので、なんとなく売っているお兄さんやお姉さんに親近感を覚えます。そういうところを蓮に見透かされたようで、もちろん初めて会ったお兄さんとお姉さんでしたけれど、「友達ねぇ??? 当たり〜!」と言いたいようでした。
「普通に話してたら友達」、確かに人間関係の本質を言い当てているかもしれません。子どもの感覚ってすごいですね。
(文:大関 直隆)

2010/12/13(月)
第435回「本物って何? その3」
努には自分がモダンダンサーだというほこり(?)があって、ダンスというのは、観客を引きつけるためだけのものではなく、“自己の内なる表現“でなければならないという思いがあるようです。そしてその“表現”の結果として人が集まればいいということなんでしょう。
「お前ねえ、今のお前の知名度で、何人の人が来てくれると思ってるの? もし客席が満員にできたって、最低でも4000円払ってもらわないと舞台は作れない。しかも一度4000円払ってお前の舞台を見に来てくれた人が、また4000円払って見に来てくれないと次の舞台は作れないんだよ」
「・・・」
「どんな形にせよ、まず観客を集める。集めたら質のいいものを見せる。そこで観客に媚びる必要はないだろっ。むしろ、そこで媚びたら飽きられちゃうものにしかならない。そこのところはお前が言うみたいに高い質のものを見せないと…。一度でも質の低いものを見せれば、そこで終わっちゃうわけだから」

そんな議論があったにもかかわらず、再び日本に戻ってからの努の行動は煮え切らない。「来たいと思う人だけ来てくれればいい」そんな態度が見え見え。舞台当日まであと10日を切ったころ、私と妻の読みではおよそ100席の会場に30〜40人というところ。そのころになってようやくガラガラの会場で踊りたくないと思ったのか、
「もうちょっと集める方法あるかなあ?」
あほっ! まぬけ! とんま!

その後の妻の努力は、まさに「子どものためにそこまでする!?」状態。
結果は満席+α(ほんの数人)というところにこぎ着けて…。
「来てくれた人たちはみんな喜んで帰ってくれたよ。“すごいですねえ。モダンダンスって初めて見ました。次もぜひご案内くださいね”ほとんどの人がそう言って帰ったよ。ちょっとは本物を見たって思ってくれたのかなあ」
「喜んでもらえてよかったぁ…」
「だから、とにかく来てもらうことだって言ってるだろっ」
「今後のこと、いろいろ真とも相談してみるよ」
やっと努もそんな気持ちになったようでした。舞台を作ろうとすると、まず来てもらうことが大変。そして再び来てもらうことはもっと大変。「本物を見た」という感覚を持ってもらうことがどうしても必要なんですね。「本物」って何かっていうのはとっても難しいことですけど、私流に考えれば、「心の深いところを揺さぶるもの」っていうような感じかな?
「お前の行ってた高校はお前が一期生だったわけだけど、中高一貫校で毎年公開授業をやってただろ。当時マスコミに注目されてて、国語の公開授業をテレビ局が取材して放送してたけど、文学史を教えるのに、数字の9の棒の部分が折れている絵を見せて“クオレ”とか男の子が池に落っこちた絵を見せて“坊ちゃん”なんて教えてたけど、あれは観客に媚びてるわけで、集客までのやり方。あれを本番の授業でやったら、生徒はどんどん離れちゃう。にもかかわらず、ほんとに授業でやってたから、学校自体経営がどうにもならなくなっちゃったわけだけど、舞台も教育も同じでしょ。興味を持って次に進みたいと思うには、心の深い部分を揺さぶらないと…。毎回、揺さぶり続けるのは大変だぞ」

今日(12日)、初台の新国立劇場で藤井公・利子門下で努の大先輩、加藤みや子さんの「笑う土」という公演を見てきました。
いやー、すごい!
ダンサーもいい、構成も振付もいい。
しっかり心を揺さぶられて帰ってきました。これなら4500円払ってもまた来ようかなあ?
どうも努は加藤さんの域にはほど遠く感じるけれど、努のフリーダンサー生活は始まったばかり。果たしてどうなることやら…。


(文:大関 直隆)

2010/12/06(月)
第434回「本物って何? その2」
はっきりとした結論もないまま、7月の終わりに努はドイツに帰りました。

『誰がプロデュースするか』という大きな問題を残したまま、努のフリーダンサー生活が始まりました。努がドイツに帰ってからは、いま流行の(?)スカイプ(インターネットを使ってパソコン同士でテレビ電話のように話ができる)で何度か話をしました。

けっこうパソコンを仕事で使っている私ですが、日々進化するパソコンの新しい使い方を覚えるのはおっくうな歳になったというか(まあスカイプなんてそれほど面倒なわけではないけれど、相手もパソコンの前にいなきゃならないわけで、そういう段取りをすることも含めて面倒になった)、もう今使っている機能だけで充分というか…。
今でさえ、パソコンに向かっている時間がかなり多くなっているのに、これ以上新たなことを始めようとすると、パソコン依存症になっちゃう。さすがにそこまで行くと仕事にパソコンを使っているという域を超えて、パソコンに自分が使われている感じになってしまいそうだからね。いやいや、すでになっているんですよ。今や寝床でもパソコンを放しませんから。(今もこうして寝床でパソコンを打っているわけです。それがすっかり日々の生活になっているんです)

で、私のPCでもスカイプはできるようにはしてあるんですが、まだ一度も自分でやったことがありません。

娘の麻耶が、こういうことが好きというか…。努とメールでスカイプを始める時間を決めては、
「10時にオーちゃん(努のこと)がパソコンつなぐことになってるから、もうじきつながるよぉ!」
と全員に呼びかけるので、その呼びかけに応じて全員がパソコンの前に集まり努と話をします。もちろん最初はとりとめのない話から始まって、
「元気?」
「うん。そっちは?」
「うん、こっちもみんな元気だよ」
なんてやってるわけです。もちろんディスプレイの上にカメラも取り付けてあるので、テレビ電話ですね。ちょっと動きはぎこちなく映りますが、やはり映像というものは相手の様子がよくわかります。パソコンから4〜5メートル離れたところからの声も拾いますしね。だから、家族全員が一度に努と話せるんです。
ドイツと日本にいて、一家団欒ができるんですから、これはすごいですね。最近あまり言わなくなりましたけれど、ジュースの自動販売機ですら「夢の××」なんて表現を使っている妻から言わせると、「魔法のよう」な出来事なんだと思います。
もっとも私の世代でも新幹線が東京・大阪間で開通したころは、「夢の超特急ひかり」って言ってました。ちょうど小学校に上がったころで、かなり長い間「特急」「急行」っていう区別の一つに「夢の超特急」っていうのがあるんだと思ってました。(笑)
話がずれましたが、そのスカイプで、努の今後の活動について話をしました。

「お前が本気でフリーでやるって言うんだったら、真がこっちでプロデュースしてもいいって言ってるぞ。あいつはSET(スーパーエキセントリックシアター)で、舞台作ったり、チケット売ったりってことに慣れてるし、自分自身もSETの活動も含めて、一回り大きくなりたいっていうか、次の段階に進みたいみたいだから…。今は役者だけじゃなくて、演出やったりシナリオ書いたりしてるしな。この前研究所のイベントで独演会をやってくれた落語家の立川談慶さんが雪駄のタップダンスができるっていうから、真が靴、談慶さんが雪駄でタップダンスをやって、お前がモダンダンスをやるっていうみたいなパーティをやったらどうかっていってるんだよ。真も談慶さんもけっこう乗り気で…。」

「そういうのはあんまりやらなくていいんじゃないかなあ…。僕はモダンダンスを見に来たいっていう人に来てもらいたいんだよね。興味ない人に来てもらっても、雰囲気よくないし…。だから、招待みたいな集め方はしたくない。お金を払って見てくれる人に見てもらいたいっていうか…」
「はっ? それで何人集まるんだよ?」
「最初は少ないと思うよ。でもね、そこから始めてだんだん増やしていけばいいとおもうんだ。それが本当のファンを作るってことだと思う」
「はっ? じゃあ、その観客が集まらない舞台の経費はどこからどうやって出すんだよ!?」
「・・・」
「お前なあ、ファンを増やすってそういうことじゃないんじゃないか? 興味のない人たちに興味を持ってもらってそれで初めてファンが増えたってことになるんだろっ!? もともと興味ある人が来てくれたって、ファンが増えたってことにはならないじゃないか!」
「・・・。でも、モダンダンスじゃないもので引きつけても…」
「そんなこと言ってないだろっ!」

つづく
(文:大関 直隆)

2010/11/29(月)
第433回「本物って何? その1」
19歳でヨーロッパに渡り、今年の春までドイツの劇場でダンサーをしていた努が、劇場をやめてフリーになり、久しぶりに日本で踊りました。
モダンダンス界の重鎮、本間祥公(よしき)さんの新宿、シアターブラッツでのモダンダンス公演「本間祥公ダンスエテルノ」の5日間のうちの1日をいただいたものです。本間さんのお嬢さんの山口華子さん(振付)、清水美由紀さん、織田きりえさんにもご出演いただき、なんとか恥ずかしくない舞台にはなったんじゃないかな?

ヨーロッパのダンサー事情を努の様子から見てみると、日本に比べてやはり恵まれていると感じます。何が恵まれているかといえば、とにかく劇場のダンサーをしている限り、収入が安定しているということですね。努の場合、長い間公立の劇場にいましたから、単年契約ということはありましたけれど、基本的には劇場のディレクターが替わらなければ、そう簡単にやめさせられることはない。準公務員といったところでしょうか。長期の夏期休暇もあり、冬期休暇もあり…。それなりに身分の保障はされています。もちろん在籍期間に応じて公的年金も取得できます。
今回、劇場の舞踊団を退団するに当たっても、努から退団を申し出て、団員はもちろん、長くかわいがっていただいた観客の皆さんにも惜しまれながらの退団だったようなので、首を切られたということではなかったようです。

ところが、この日本のサラリーマン並みに身分が安定していたということが、フリーになった努には、問題だったんです。
今年7月に一時帰国したときのこと。
「6月末で劇場やめたから、これからはドイツと日本を行ったり来たりして踊ろう思うんだ」
「ふーん」
「ドイツが長かったから向こうを中心にして、日本には年に2、3回帰ってくるっていうのでどうかなあって思ってる」
「はあ? 誰が舞台のプロデュースして、誰がチケット売るんだよ?」
「・・・」
「お前さあ、簡単に舞台がやれると思ってるらしいけど、自分でやるには誰かがプロデュースして、チケットも売らなきゃならない。人がやってる舞台に客演で踊るんなら、ギャラをもらわなきゃ、生活できないんだよ」
「・・・」
「ドイツとこっちを行ったり来たりするなら、旅費だってかかるだろ。それも考えなきゃ」
「・・・」
「旅費に10万はかかるだろ、日本に1ヶ月いるとして、宿泊費が20万。必要経費だけで30万円はかかるわけだから、月に30万稼ぎたければ、60万円どこかからもらうか、自分の公演で儲けるかしなきゃならないってことだぞ。1ヶ月の間に3回公演やったとしても、1回に20万なんて出る?」
「・・・」

これまでの経験から考えて、自分で公演をやった場合は、100万円単位の赤字が普通で、客演でよばれた場合は、もちろんギャラとして5万円、10万円ともらえることがあっても、代わりに4000円のチケットを20枚持たされる(売れない分の費用は負担しなければならない)とか、あるいは初めから50枚(大きい舞台なら100枚とか)のうち30枚分の負担だけして、それ以上売れたらその分がギャラとか、そんなのばかり。

要するに、日本のモダンダンス界のやり方が、ダンサーが踊りだけで生活できるようになっていないということなんですよね。そういう中でどうお金を捻出していくのか・・・。
これはとても難しい大問題なんです。
努は生活するだけのお金をどうやって稼ごうとしているのでしょうか?

つづく
(文:大関 直隆)

2010/11/22(月)
第432回「学芸会が消えた!」
「じいちゃん、今度の土曜日、来られるよね?」
「何だっけ?」
「何だっけじゃないよ! 蓮と沙羅の音楽会」
「ああ、言われてたっけ?! 忘れてた!」
「もうとっくに言っといたじゃん!」
「聞いたような気はするけど…。あんまり早く言いすぎるなよ。近くなってから言われないと忘れちゃう」
「まったくう。だから今言ってるでしょ!」
「あっそうか! わかった、わかった。たぶん行ける」

ずいぶん前に言われていた孫が通う小学校の音楽会。
すっかり忘れていたけれど、特別な用もなく、なんとか行けそうです。言われてみれば、11月3日の文化の日のあとが開校記念日で、土・日と絡めて連休にするため(? 運動会が春だったせいもあると思います)に、今年は文化の日の前の10月30日が音楽会だって言われていたような気がします。
自分の子どものことなら、当然親である私の責任で、「見に行かなきゃ」「聴きに行かなきゃ」っていう意識が強く働くので、忘れるなんていうことはないんですが、孫のこととなると、子育ての責任は本来親(私の娘)にあるわけで、無意識に「あまり関わりすぎないように」という意識が働くらしく、よく忘れます。祖父母というのは、それくらいの距離の方がいいんでしょうけどね。それが私の主義でもあるわけです。忘れることがじゃないですよ。距離がです。

娘に言われて、なんとか忘れずに音楽会に行けて、二人の孫の演奏を聴いてきました。
うちの孫だけでなく、どの子もとても楽しそうに歌ったり、楽器の演奏をしたり・・・。こういうことがあると、子どもというのは、人に見てもらったり、認めてもらったりすることをとてもうれしく思っているんだということがよくわかります。

昨日、私がほぼ毎日通う浦和駅前のファミレスの店長が、何の脈絡もなく突然、
「最近の学校は、学芸会ってやらなくなったんですかねえ?」
と言いました。あまり意識をしたことがありませんでしたが、然り。
どの子の時からかは定かでないけれど、確かにどこかの時点から、学芸会(学習発表会)なるものはなくなっている。

長女が中学校の時、ギリシャ神話に出てくるイカロス(イカルスとも)の役を演じたことはよく覚えているのですが、小学校はいつごろまでやっていたんでしょう。
店長は、ホール係のある女性を指して、
「彼女は学芸会をやったんですよ」
そして別の若い女性を指して、
「彼女は学芸会を知らないんです」
と言いました。
私も学芸会を知っている世代です。小学校2年生の時、

おじいさんは、かぶをぬこうとしました。
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
けれども、かぶはぬけません。
おじいさんは、おばあさんをよんできました。
かぶをおじいさんがひっぱって、おじいさんをおばあさんがひっぱって、
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
それでも、かぶはぬけません。

という「大きなかぶ」のおじいさんの役をやりました。その話を店長にすると、店長も、
「私もおじいさんの役をやりました」
とのこと。そんな学芸会から、ずいぶん多くのことを学んだ気がします。校内の文化祭などでの絵の展示や音楽会での歌や楽器の披露は盛んになってきたように思いますが、どうも学芸会は下火のよう。絵は図工の時間に、歌や楽器は音楽の時間にと、授業を即発表に結びつけてやれるものはいいけれど、劇のように授業時間中に扱いにくいものは、消えていく運命なのでしょうか。

劇の発表こそ、国語教育の神髄のような気がするんですけどねえ。国語を「読み書き」と捉えるだけではなく、表現と捉えて、文芸や演芸を教えたら国語の授業もおもしろくなると思うんですがねえ…。

私が国語を好きになるきっかけは、中学校の時体育館で行われた狂言の鑑賞会と文化祭にクラスの有志で出演した劇でしたもんね。
「あおげ、あおげ」
「あおぐぞ、あおぐぞ」
という附子(ぶす)。有名なあの一休さんの水飴をなめちゃう話です。
自分たちでやった劇は何がおもしろかったかっていえば、効果音作り。山小屋で嵐を行き過ごさせるんですけど、その効果音といったら、まるで本物の嵐のような出来映えでした。

子どもって、つまんないことから勉強に興味を持つものなんですよね。
もっとも、その後の中学校の国語の授業、高校の国語の授業、共におもしろくなかったので、国語が好きになっていた自分に気付きもしないで、それから5年間を過ごすことになっちゃたんですけど。あの時国語が好きだって気付いてたら、今ごろもっと古典を楽しめるようになってたんでしょうけど…。
「学芸会」復活で、国語の好きな子どもを作る!なあんてよくないですかねえ???
ぜひ、学芸会を復活させてもらいたいものです。
歌舞伎の市川團十郎の十八番「外郎売」(ういろううり)なんてやったら、子どもの心は釘付けですよ、絶対!
(文:大関 直隆)

2010/11/15(月)
第431回「最低限の社会のルール」
最近、高速道路のパーキングエリア(PA)やサービスエリア(SA)が進化(?)してますねえ。とにかく私は運転が好きなので、どこに行くにも車。都内はもちろん、東北だろうが、北陸だろうが、中部・東海だろうが、関西だろうが、中国(山陽・山陰)だろうが、九州だろうがみーんな車で行っちゃいます。(関東が出てこないのは、これだけ挙げたら関東は当然だから。北海道と四国が出てこないのは、まだ行ったことがないから)

そうそう、そういえば第199回、第201回と湯布院まで車でいった話をしました。九州まで車で行ったのはあれが初めてでしたけど、今後ももし九州まで行くことがあれば、やっぱり車かなあ???

で、車といえば高速道路。高速道路といえば、PAやSA。最近では、「Pasar」(パサール)なんていう名称まで登場して・・・。「Pasar」って、パーキングエリアの「PA」、サービスエリアの「SA」にリラクゼーション(Relaxation)の「R」を組み合わせた造語なんですってね。造語とはいえ、インドネシア語で「市場」という意味もあるらしいです。現在「Pasar」は、関越道の三芳、東北道の羽生、京葉道路の幕張の3カ所。コンセプトは、「旅の途中に立ち寄ってホッと一息つける場所」「旅の途中で楽しく過ごせるにぎわいの場」とか。
う〜ん、なるほど・・・

これまで関越道なら高坂SA、東北道なら佐野SAに寄ることが多かったのに、この「Pasar」が出来てからというもの、すっかり「Pasar」ファンになり、行きも帰りも必ず三芳か羽生に寄ることになりました。息子に言わせると、
「なんでそんなところで停まるの? 行きは行きでもっと遠くまで行くとかさあ、帰りは帰りで、そこまで来てるんだったら帰って来ちゃえばいいじゃん! 家から15分か20分でしょ!?」
そう言われれば確かにその通りなんですけど、私にとってはその「Pasar」に寄ることも旅の楽しみの一つになっているということなんですよね。すっかりNEXCO東日本の戦略にはまっているわけです。

「Pasar」も含め、私が高速道路の「SA」に寄るのが好きなのには理由があります。一つは、その土地らしい美味しい食事が出来ること(あんまり美味しいものがない「SA」もあるので要注意)、一つは、そこに集まる人たちの多くがこれからの旅の楽しさを語ったり、これで終わろうとしている旅の思い出を語ったりして、笑顔で楽しそうにしていること(あまりひどい渋滞の時に出かけたことがないせいかもしれませんね)、一つは、徹底的な喫煙の管理がされていること。

「SA」に寄ると気付くと思うんですが、建物の外れの方に小さなガラス張りの小屋があってそこが喫煙所(中は煙がもうもうで人の顔もわからないくらいになっていることもあって、気の毒に思うこともあるんですけど、吸わない私にはとても助かっています)になっていたり、レストランは全席禁煙か天井までしっかりと密閉したガラス張りのところが喫煙席になっていたり・・・。
これは「SA」でもまだ最近のことなんですよね。これまでは、分煙すらされていないところも多くあったし、外に喫煙所があったとしても、それは吸い殻をそこら辺に捨てないよう灰皿の周りで吸ってくださいという程度のもので、煙は野放し。世の中の意識が変わったということを実感します。

ここで私が大事に思うのは、根底にある意識の変化です。「タバコの煙は害がある。ならば害を出している方を規制しよう」という発想。当たり前のようですが、これが今まで実行されてこなかった。何の落ち度もないにもかかわらず、被害を受けている方が我慢してきたわけです。受動喫煙の害が認められるようになってやっと変わってきたんですね。何年くらい前だったか、早稲田にあるリーガロイヤルホテルで食事をしたとき、分煙にはなっていたんですが、喫煙席が一段低いところにあって、禁煙席が高いところにあった。たまたまその境の禁煙席に案内されたので、喫煙席のタバコの煙がまともに上がってきてしまって、喫煙席にいる以上に嫌な思いをしたことがありました。
会計のときにそのことをちょっと話して出てきたのですが、数ヶ月してもう一度訪れると、低い方が禁煙席、高い方が喫煙席に入れ替わっていました。これは嬉しかった。被害を受けている方の目線で、配慮してくれたからです。
私の住んでいるマンションは、まだこの当たり前のことが出来ていなくて、隣家に流れ込むタバコの煙が問題になっているにもかかわらず、ベランダでの喫煙が禁止されていません。家族への配慮が優先して、他人に害を及ぼすというまったくひどいことになっています。現在私が理事会に猛抗議中ですけど。

先日、群馬県桐生市で小学6年生の上村明子さんが自殺するという事件が起きました。どうやら原因はいじめのようですが、当初学校はいじめの存在すら認めようとしませんでした。後にいじめの存在は認めましたが、自殺との因果関係は未だに認めようとしません。現にいじめを行っていた子どもたちがまだ教育の対象であるということを考えると、いじめと自殺の因果関係をあっさり認めることは、その子たちを加害者にして責め立てることにもつながりかねないので、難しい問題であることは確かだと思います。
とはいえ、被害者、加害者の立場を考えたとき、今のままではやはり問題が残る。そこの立場を明確にして、もっと本質的ないじめを生んだ学校の体質、そしてそれを放置した学校の体質の問題を解決すべきです。

これほど重大な事件を高速道路の喫煙所と比べるのもふさわしくないようにも思いますが、問題に向き合う姿勢を考えてみると、どちらに非がありどちらを守るべきなのかという部分にまったく逆の発想が働いているように思います。どちらが加害者で、どちらが被害者なのか・・・。
強者が弱者に優先するのではなく、このわかりきった原理原則を守ることこそ、社会のルールの基本の基本、最低限のことなのではないでしょうか。
(文:大関 直隆)