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2001/10/31(水) |
まちづくり |
昨日は北浦和と浦和地区の商店会の代表数名とまちづくりについての会合をもちました。会合は2回に分かれています。1回目は北浦和で、各商店会の代表4名と会議所スタッフ3名、まちづくり専門のコンサルタント1名で開催。後半は浦和で、各商店会の代表4名、さいたま市商工観光課代表2名、会議所スタッフ2名、まちづくり専門コンサルタント1名で討議を行いました。
これは昨年度から続いているTMO(まちづくり機関)の事業として挙げられている様々な事業を会議所及びコンサルタント側から説明し、商店会サイドでは何をどのようにやっていくか、やるとすればどこでやっていくかを考えるために設けた機会であります。第1回目の会合ですから、いきなり結論が出るはずもなく、ブレーンストーミングをしたような内容になりました。この中でコンサルタントの先生がおっしゃったことが非常に印象的でした。曰く、「都市の活性化に必要なのは文化そのものである。何の文化もないところで都市の活性化はできない。浦和にはその文化があるのではないですか?」。 私は全くそのとおりだと思います。浦和には古本市や骨董市ができるほどの文化があり、しかも文教都市とまでいわれています。多分、目には見えない何かしらの文化が根付いていると思われます。そうしたもののひとつでも取りあげていってまちづくりに結びつけていけたらいいな、と感じています。 |
(文:忍者の弟子) |
2001/10/30(火) |
自分のお店を紹介すること |
「マイタウン浦和」の運営をしておりますと、記事掲載申込書を書けないので掲載を遠慮したい、というお店の方にたびたび接します。その数は決して少なくはありません。毎週何曜日が休みだとか、一押しメニューの値段を書けないというのではありません。自分の店のキャッチコピーが書けないのです。「御社の強みとか、力を入れていらっしゃるところは何でしょうか?」という質問をしますと、「‥‥別にありません」という答えが返ってきたりします。
ずっとお店を続けてこられたからには、何かしらの強みがあるわけですから、「別にありません」ということは決してないのです。多分、「ない」のではなく、「すぐには思いつかない」のと、「ちょっと気恥ずかしくて言いにくい」のではないかと私は考えています。所定の用紙に書くとなるとなおさら構えてしまうのでしょう。 一方、自分のことだから難しいということがあります。私事で恐縮ですが、とある面接時に「あなたの性格について英語で簡潔に述べて下さい」と質問されたことがあります。今でもその時の経験を私は忘れることができません。思わず言葉に詰まってしまったのです。自分があまりに身近であるからこそ、表現しにくいのです。 それを考えますと、キャッチコピーがなかなか書けないという商店のマスター達に私は同情してしまいます。いかに少ない字数であれ、それを書き表すのは大変なのだと思います。「マイタウン浦和」に掲載されている短いキャッチコピーや紹介文はそれぞれマスター達が苦労しつつ書いて下さったものなのですね。「これでは分かりにくいなあ」という場合もあるでしょうが、少しずつ改善されていくと思います。それには時間がかかりますが、これからもマスター達を応援していきたいものですね。 |
(文:忍者の弟子) |
2001/10/29(月) |
グルメマップ |
グルメマップについて以前ここでご紹介いたしました。これは「マイタウン浦和」に登録されていて、申し込みがあった飲食店を対象に作成されます。12月中に2万部作成され、浦和を訪れる方々に順次配布される予定です。
申し込みは今月19日に締め切られました。全件DMにてご案内いたしました。今のところ120件ほどの申し込みがあります。これは紙媒体となりますので2,000円の費用がかかります。初めての企画でもあり、私どもも目標値としてはちょうど120件くらいだろうと考えていました。 浦和には、グルメマップには掲載したい、でも、「マイタウン浦和」には登録されていないというお店も少なからずあります。そうしたお店が今登録を進めてきておりますので、掲載店舗はもう少し増えるかもしれません。 ところで、こうしたマップを私どもはいくつかこれから作っていこうと考えています。浦和ラーメンマップ、うどん・そばマップは以前から構想があり、そばマップは近々実現しそうです。最近はこれに「カレーマップもどうですか!」というアイディアも加わってきました。カ、カレー....。私はカレーが大好きなので望むところです! さて、皆さんも何かリクエストがありますか? |
(文:忍者の弟子) |
2001/10/26(金) |
宿場町浦和 | ||||||||||||||||
職務上、私はまちづくりについて考えさせられること多々あります。どんなことをすればまちに人を呼べるかを検討する会の裏方を務めたりします。いろいろな意見が会合の席上で登場するのですが、それらはなかなか実現が難しかったりします(^^ゞ。まちに人を呼ぶのは簡単なようで難しいんですね。何か特別なイメージがないといけません。そのため、どのまちも、まち自体で様々な努力をするようです。自然発生的にまちのイメージができたというよりも、大きな努力によってまちのイメージを作り上げたというケースも多いと思われます。
例えば、宇都宮。最近では餃子のまちとして有名です。私は見たことがないのですが、駅前には餃子の銅像があるとか。 川越。「小江戸」のイメージが定着してきました。菓子屋横町や蔵のある通りは立派な観光地です。外人さんも多数見受けられますね。 喜多方。蔵のまち。ラーメンのまち。蔵は今ではさほど多くはないのですが、喜多方ラーメンはおいしさで全国的に名を馳せました。 浦和で何かこうしたイメージ作り、すなわち人を呼び込めるイメージ作りを行うとすれば何がいいでしょうか? ぜひともアイディアを募集したいところです。こんなのはどうでしょうか? 浦和は中山道沿いの宿場町でした。ほとんどの人はご存知ないと思いますが、これは歴史的事実です。そこで、「宿場町浦和」を中山道沿いのどこか、それこそロイヤルパインズホテルのあたりに再現してしまいます。特定の地区を店舗の様式から店員さんの衣装まで完全にレトロ化(^^ゞ。さながら江戸時代の宿場町が現れるようにします。もちろん、茶店があって旅人がゆっくり休めたりします。こういうレトロな一角を作って宿場町のイメージを作ってしまいます。歴史考証もしっかりしたいですねえ。もしかしたら宿場町浦和のイメージが定着して、人を呼び込めるかもしれません。この一角で骨董市をやってみるのも面白いかも。 これはちょっと極端で、馬鹿馬鹿しいアイディアです。笑い飛ばしていただきたいですが、私はこの際何か変わったことをやったほうがいいかな?などと考えています。皆様、よいアイディアがあれば、ぜひ<A HREF="mailto:info@amatias.com">こちら</A>までご連絡下さい。
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(文:忍者の弟子) |
2001/10/25(木) |
業界の組合にて | ||||||||||||||||
昨日はとある業界組合の役員会に出席し、「マイタウン浦和」の説明を行ってきました。こういう席に出没するのは会議所のスタッフの遊撃部隊、すなわち「忍者の元締め」、「忍者」、「忍者の弟子」であります。このうち二人が出撃するような体制をいつも整えています。
最近は「忍者」が主たる説明を行っています。まず間違いなく自分より20歳以上は年長の方々を前に大変緊張し、大汗をかきかき説明をしています。やっと少し慣れてきたようですが、そばで見ているとハラハラする場合もあります(^^ゞ。昨日もなんとかクリアーしたという感じです。もっとも、活発な質疑応答がありましたので、嬉しいです。 それはともかく、浦和にもたくさんの業界組合があります。県全体の組合の浦和支部というものも含めますと、数え切れません。最近はこうした組合から説明会をしてほしいという要望がよくあるのです。組合全体で「マイタウン浦和」に参加したいけど、どうすればいいんでしょうか?という問い合わせが増えてきました(組合だけではなく、商店会単位でもそうした申し出があります)。 「マイタウン浦和」は浦和という地域が少しでも発展できるように、そのインフラとして利用してもらえるように作られました。道は険しいのですが、説明会の依頼などがあると思わず喜んでしまいます。私どもはいつでもどこにでも出動するつもりでおりますので、ご遠慮なくご連絡下さい。よろしくお願いします。
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(文:忍者の弟子) |
2001/10/24(水) |
浦和らしさ その3 | ||||||||
浦和といいましても大変広いです。が、一般的に、「浦和」といえばJR浦和駅から中山道を超えて、県庁・市役所があるあたりを思い浮かべる人が多いと思います。皆さん、その浦和にどんなイメージを持っていらっしゃいますか? 派手な感じはしませんね。けばけばしい場所もありません。49万人の人口を抱える都市の表玄関であるわりにはそれに見合った活気があまりみられないとさえ思います。浦和には目立つところに派手な歓楽街がないため、とても真面目に見えます。隣の大宮に比べますと、駅周辺の活気の差は一目瞭然です。
ですが、浦和の人口は増え続けています。都心に近いため、ベッドタウン化しているという理由もあるかもしれませんが、必ずしもそれが最大の理由ではないはずです。私も含め、浦和に住んでいる人は多かれ少なかれ、浦和を気に入って住んでいるからでしょう。わざわざ浦和に住みたくて、この地に引っ越してきている人だって数限りなくいるはずなのです。 では、浦和の魅力とは何なのでしょうか? それは「落ち着き」なのだろうと私は思います。浦和のまち、特に中山道沿いは、歩いていても何とはなしに面白いはずです。ギラギラしているわけではありません、が飲食店がギュッと集まっているあたりはなかなか風情があると思っています。玉蔵院の前あたりから中山道を挟んだわずか数百メートル圏内だけでもしっとりとした大人の味わいがあると思いませんか? 私はまちが全て同じ様な顔をしてる必要はないと考えています。最近ではどんな地方に行っても都会と同じ様なまち並みになり、つまらなくなりました。人間が暮らすところでは、みんなの需要を満たすようにまちが形成されていきますから、結果的に同じような顔をしたなまちができてしまうのでしょう。が、それはなんだかつまらないことだと私は思っています。「浦和は何もない」とか「浦和はつまらない」とかいう言葉をたまに耳にするのですが、私は「浦和には他のまちにはない特長がある。例えば大人の落ち着き」と言って憚りません。「大人の落ち着き」だけで今後浦和が成り立って行くかどうかは議論の余地があるでしょうが(^^ゞ、そういうところ*も*併せ持つ浦和が私は大好きです。皆さんはいかがお考えでしょうか?
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(文:忍者の弟子) |
2001/10/23(火) |
浦和らしさ その2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
調神社。これ、読めますか? 「つきのみやじんじゃ」と読みます。浦和駅西口を出て中山道まで出たら左折し、まっすぐ歩くと、調神社があります。誰かに教えてもらわなければまず読めないこの名称ですが、この読みは、「浦和人度」とでもいう基準がもしあったとするならば、必ずその基準に採用されそうな項目であります。
この調神社、背後には公園もあり、春先には桜の花が咲き乱れています。雰囲気抜群です。また、神社の境内は夏場には浦和祭りの御輿の終点となっています。いろいろな場面で利用されています。が、皆さん、ここで定期的に骨董市が開催されているのをご存知ですか? その骨董市は、関東で最も長い歴史を誇る骨董市でもあるのです(実は私も最近まで知りませんでした)。昭和57年11月から、毎月第4土曜日に定期的に開催。出店者は信頼できるお店が、150店前後あります(<A HREF="http://www.amatias.com/event/2001.08.27.asp">「マイタウン浦和」イベント紹介(8月27日掲載)</A>ご参照)。 しかも、その骨董市を運営しているのは市でも何でもなく、一民間企業だったりするのです。正確にいいますと、「市民文化センター」です。いかにも行政機関のような名前の団体ですが、れっきとした民間企業です。一企業がああいった場所で関東一の歴史を誇るような市を継続的に運営してきたのですから驚かされますね。 が、残念ながらこの骨董市、知名度は今ひとつです(^^ゞ。もったいないですねえ。実にもったいない。あのような企画であればもっと大々的に宣伝し、「浦和にはとても立派な骨董市があるよ!」と人に教えてあげたいものです。次回の骨董市はもちろん「マイタウン浦和」上でも取りあげたいと思います。こうしたソフト事業をどんどん発展させていけば、もっと浦和をみんなが楽しんでいけるのではないかと私は思います。
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(文:忍者の弟子) |
2001/10/22(月) |
埼玉会館 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
先週の金曜日、埼玉会館でスーパーヴォーカルグループ「タイムファイブ」のコンサートを聴きに行ってきました。埼玉会館でコンサートを聴いたのはほぼ1年ぶりでした。埼玉会館は今となっては老朽化し、いかにもあか抜けないホールではありますが、十分音楽を楽しめるところですね。
ホールだけを取りあげますと、浦和には競合する場所がたくさんあります。埼玉都民にとっては都心にあるサントリーホール(赤坂)や東京文化会館(上野)、芸術劇場(池袋)NHKホール(渋谷)、国立劇場(初台)など日本を代表するホールが容易に利用できます。これらは、手強すぎる競合相手と言えるでしょう。それもすごい数です。 埼玉県内に入っても、川口にはリリアホール、大宮にはソニックシティ、与野にはさいたま芸術劇場があります。このいずれもが比較的歴史が新しく、埼玉会館では分が悪いです(T_T)。特に、与野本町に陣取るさいたま芸術劇場は、設備の立派さにしばし呆然とするほどです。芸術監督には作曲家・音楽評論家の諸井誠さんをお迎えし、内外の有名アーティストを次から次へと招聘しています。 行政では与野を芸術・文化のまちとしているようですから、それがこのさいたま芸術劇場に反映しているのでしょう。しかも、これから対抗しようとしても、ホールを建設するというのはバブル期に流行りこそすれ、現在ではホールが過剰になりつつあります。ですからハード面で何かをしようとするには無理があります。 これからは埼玉会館の使い勝手を改善するとか、いろいろソフト面の工夫をすればもっといろいろな人が楽しめそうです。何と申しましても、駅から近く、浦和の顔のひとつです。もっと脚光を浴びられるように、と願うのは私だけではないと思います。
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(文:忍者の弟子) |
2001/10/19(金) |
「埼玉スタジアム2002」 その5 | ||||||||
「埼玉スタジアム2002」は、美園地域の自然の中に作られた、サッカー専用スタジアムとしては、アジア最大級6万3千人を収容できる巨大スタジアムです。しかしながら、年間通じて「埼玉スタジアム2002」で試合がない日の方が多くなりますね。当然、試合がないときのスタジアムを考えることもしなくてはいけません。
サッカーの試合がないときは、美園の自然と巨大な施設がひっそりと佇んでいます。その光景を見て、みなさんは、何を連想されるでしょうか?満員の観客と歓声?青々としたピッチに立つ日本のユニホームを着た小野選手?それともブラジルの黄色のユニホームを着たレオナルド選手(元鹿島アントラーズ)?旗をもってスタジアムを目指すサポーター達?サッカー以外のことかも知れませんね。いずれにしろ、その連想されるものが魅力的であればあるほど、多くの人が「埼玉スタジアム2002」を訪れることになります。 そして、今皆さんが、連想のしたものの中に皆さん自身が登場してくれば、それは連想ではなく「夢」となります。大観衆の中で試合を見ている自分?小野選手の華麗なドリブルとパス?旗をもって応援している自分?「夢」は人を動かす原動力になります。その「夢」を実現させようと「埼玉スタジアム2002」を訪れる人が多くなるはずです。 年間通じて「埼玉スタジアム2002」で試合がない日の方が多くなりますが、「埼玉スタジアム2002」は、多くの人がいろんな夢を描ける施設になってくれたらいいなと思います。そして、試合のあるなしに関係なく「埼玉スタジアム2002」は「夢への一番近い場所」であってくれたら良いなと思います。
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(文:忍者の元締め) |
2001/10/18(木) |
「埼玉スタジアム2002」 その4 | ||||||||||||||||||||||||
先日、浦和商工会議所の商工振興月間(10月)の東部地区商工セミナーで、「埼玉スタジアム2002周辺の今後の開発について」をテーマにしたパネルディスカッションでパネリストをやってきました。
「埼玉スタジアム」と浦和美園駅間に「シンボルロード」が必要ではないかという意見がありました。「ワールドカップが終わっても、その後に、人が訪れてくれるために何か必要ではないか」との考えから私も賛成しました。 そのときは、具体的なイメージがなかったのですが、「芝生の歩道」など良いのではないかと考えています。「埼玉スタジアム」と浦和美園駅間の歩道を、無機質なアスファルトではなく芝生にする。できれば、「スタジアムのピッチと同じ芝」です。 シンポジュームの中、スタジアムは開放しても「ピッチには人を入れてはいけない」なぜなら「ピッチに立てるのは選手だけ」と発言してしまった私ですが、スタジアムの外でなら、ピッチに立つ選手と同じ体験ができることは良いことかもしれません。 芝の手入れが大変かもしれませんが、スタジアムのピッチと同じ芝生であれば、歩道を歩いていて、同じ芝を通じてスタジアムのピッチに立つ選手と共感ができるのではないでしょうか?「埼玉スタジアム」で試合がないときでも、「スタジアムのピッチと同じ芝」が話題になり人が訪れるようになるのではないでしょうか? 歩道ではなくて、芝生の広場でも良いかもしれません。休日に、広場で子供たちがサッカーボールを蹴り、両親が見守る。そんな光景を「おしゃれ」と感じませんか?
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(文:忍者の元締め) |