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■忍者のつぶやき■
サーフィン忍者  ここには「マイタウンさいたま」編集スタッフからのメッセージが掲載されます。「マイタウンさいたま」がこれからどのように変わるのか、 どのような試みが進展中なのか、どのような活動が行われているのか。また、「マイタウンさいたま」編集部ではどのような人がどのようなもののとらえ方をしているのか。 そんなことを書いていきます。
 このようなページがある理由は、私どもが「顔が見えるページ」を目指しているからです。私どもは、皆様のご意見、ご要望を取り入れながら、 「マイタウンさいたま」を成長させていきたいと思っています。

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2006/06/02(金)
特別塗装機
日本航空がワールドカップサッカー大会代表選手23人の勇姿を機体にペイントした特別仕様機を公開しましたね。

いままでもミッキーマウスが描いてある飛行機などがありましたが、代表選手の機体は今までのどの機体と比較しても抜群にかっこいいです。これはぜひとも乗ってみたいと思うのですが、乗ると今度はあのペイントを見ることができません。一番いいのは外から機体がよく見える位置に立ち、記念写真を撮るというものです。それなら、空港まで行けば何とかなるかな? でも何機もあるわけではないし、お目にかかれるのかどうか。あの機体が見られたらとてもラッキーですね。
(文:忍者)

2006/06/01(木)
気づき
ここ数年の流行語に「気づき」があります。経営学あたりから出てきた言葉のように思われますが、新しい言葉のため、私の持っている辞書には載っていません。

この言葉を私は口にしたことはなく、書いたのもこれが初めてです。どうもしっくり来ないからです。日本語の動詞の中に「気づく」はありますが、無理やり名詞にしたため、落ち着きが悪いようです。

そうはいっても、1日に1回くらいはこの言葉を見かけます。すっかり定着した観がありますが、皆さんは口にしたことはありますか?
(文:忍者)

2006/05/31(水)
全員に反対されたが・・・
新しいビジネスを始める人はすごいものです。周りからいくら反対されようが「できる!うまくいく!」と確信して仕事をします。できれば周りからも「それなら大丈夫だろう」と言ってもらいたいのでしょうが、先駆者がそんな恵まれた環境で事業を始められたという話は聞いたことがありません。

例えば、日本における廉価なコーヒーショップの嚆矢であるD社の社長は、企画書を見せた相手の誰からも「うまくいくはずがないからやめておきなよ」と言われたそうです。こうした話は枚挙にいとまがありません。こういう人たちはよほど強い信念に支えられていたに違いありませんね。

ただし、気をつけなければならないのは、この先駆者達は、自分でリスクを取っていることです。一か八かの大勝負であっても自分でリスクを取るときには頭の中でスパコンを遙かに超える計算が行われているのかもしれません。安易にトップダウンの意思決定ができるわけではないのですね。
(文:忍者)

2006/05/30(火)
パブリック・ビューイング
4年前のワールドカップサッカー大会では、「多くの人が街に繰り出し、大騒ぎになるだろう」とか、「飲食店が繁盛するのではないか」などと言われていたのですが、現実的にはみんなテレビにかじりついてしまい、街中はかなりひっそりしていたものです。「店の中がガラッガラになっちゃうんです」と嘆く店員さんの言葉が忘れられません。

今回はドイツで開催されるためテレビを見るのは夜中です。そうなると試合があるからといって街中に際だった変化はないのではないかと思っていたのですが、少しはあるようです。パブリック・ビューイングはしっかり深夜に行われるようですね。夕方から夜、あるいは朝方にかけて屋外で熱狂する人たちが現れそうです。
例えばこちらをご覧下さい。
http://www.nipponsen.com/

ブラジル戦を観た人はその日仕事ができるのでしょうか?
(文:忍者)

2006/05/29(月)
分業
先日、ものづくり大学学長の野村東太さんの講演を聞く機会に恵まれました。
野村先生は現代では非常に広い分野で分業体制ができあがっていて、自分の身の回りのことでもそれが徹底していると指摘しています。何が問題かというと、分業化することで無責任体制になるというのです。昔の棟梁のように誰か全体を見ていればいいのでしょうが、全体を見ている人がいない。そうなると、ただの縦割りの仕組みができあがってしまい、その仕組みを超えて人の経験・知識が横断的に伝わらないと警告しています。

具体例として「ねじ」が挙げられていました。ねじは戦国時代には鉄砲に使われていて、その技術は鉄砲製作者には伝わっていたのに、職人の業界がちょっと違うとその技術が伝えられない。社会のあらゆるところにねじは使えるのに、その仕組みが日本で知られるようになったのは、明治時代なのだとか。

ねじの話は一例ですね。分業が過ぎたことでうまくいかなくなることもたくさんありそうです。
(文:忍者)

2006/05/26(金)
This is a pen.
先日、中学1年生になった姪から英語の勉強をどうやったら良いかという質問を受けました。教科書を見てみると随分変わったものだと思います。最初のページには「Hello!」が載っていました。
私の時は
This is a pen.
から始まっていましたからねえ。

英語は今まで見聞きはしていても学科として取り組むのは初めてなので、姪としてはとまどっているのかもしれません。

でも、いいですねえ。これから取り組むなんて。新しい、未知のものに取り組む。しかも教科書がある。私は羨ましくなりました。私がもう一度中学1年生に戻ってやり直せれば、その後の苦労を回避できていたかもしれません。タイムマシンがあればなあ、と思う私でした。
(文:忍者)

2006/05/25(木)
お客さんが入っているの?
ほとんどお客さんが入っているようには見えない店ってありませんか。そのわりに何十年も前から続いていたりします。売り上げがなければお店は撤退しますから、通行人からは見えないところで店主は必死の努力をしているものです。
店主は店内に鎮座しているだけのように見えても、いくつかの手を同時に打っています。地味な手です。ですが、その地味な手を何年も何十年も継続的に打っていくことで、顧客を獲得し、引きつけているものです。そういうお店は商品の品質管理も完璧に行っています。

「よくここで何十年もやっているね」というお店があったら、ただ者ではなさそうな店主が出てくるかもしれませんよ。そんなお店があなたの周りにもありませんか?
(文:忍者)

2006/05/24(水)
言い分は双方から
こんなことってたまにありませんか。

AさんがBさんを激しく非難しています。Aさんから話を聞いていると確かにひどい。Bさんがいかに悪意に満ちているかひしひしと伝わってきます。Aさんの話を聞いたCさんは「Bさんはひどい人だ」と思いこみます。これが回り回ってBさんの悪評は高まるばかりです。

ところが、Bさんを知っている人が聞くと「それ、本当ですか?」と首を傾げます。Bさんの話を聞くと、Aさんの話には全く根拠がなかったわけでもないのですが、BさんのAさんに対する言動には何かしら理由があり、それももっともな内容だったりします。そこではじめてAさんの非難はちょっと行き過ぎだと気がつくわけです。逆に、Aさんに非があることだって十分あり得ます。

かつての上司に、「こういうときには目の前にいる相手の言うことだけを鵜呑みにしてはいけない。言い分は両方から聞け」と口を酸っぱくして言われたことがあります。

現実的には一方的な批判がまかり通ることがあります。情報が量としては氾濫している現代ですが、常に双方からの言い分を聞ける環境ができているのか気になります。正しい判断をするためには、自分で気をつけていないと簡単に情報操作されてしまいます。注意したいものですね。
(文:忍者)

2006/05/23(火)
人を動かすもの
起業した人の話を聞いているとさまざまです。業種にもよりますが、丁稚奉公しつつ技術的には充分なレベルに達したとしても、いざ開業するとなると借金を背負い込んだり、人を使うといった経営の問題がのしかかってくるので二の足を踏む人もいます。経験者からは最初の一歩を踏み出すときの怖さを聞くこともあります。

ではどうやってその恐怖を克服したかというと、誰かの何気ない言葉であることが多いようです。これは統計を取ったわけでもないのですが、いろいろな人と話していると、「元手となる資金が潤沢になったから」という人はいなくて、短い言葉に勇気づけられてという人が多いようです。

その言葉というのは全く何気なくて、当事者でなければそのありがたさは理解できない場合もあります。しかし、人を勇気づけ、行動に導くのが言葉であるというのは大変重要なことだと思いませんか? 

そういえば書店には、名言を集めた本がたくさん並んでいます。悩んだり迷ったりしたときは短い一文が光って見えるのかもしれませんね。

 
生かされている2006/05/24 19:19:08  
                     Fun

 
新約聖書の中に「人はパンのみに生きるにあらず・・・」という言葉があります。正に人は食べ物を食べる事だけで生きているわけでは無く、人々の言葉により生かされているのですね。
 

元の文章を引用する
(文:忍者)

2006/05/22(月)
山菜
所用があったので週末に田舎の実家に行ってきました。せっかく田舎に来たのだからどこかでウドでも買おうと探したところ、山菜を本格的に売っているお店が何軒かありました。時期が悪くて肝心のウドは入手できなかったのですが、山菜は何種類か買うことができました。しかも、むちゃくちゃ安い! 喜び勇んで持ち帰り、夜にタラの芽などの天ぷらを食したのは言うまでもありません。

都会で本格的な山菜を入手するのは難しくなってきました。例えば天然のウドをどうやって手に入れるか。近くに山がありませんし、自分では取れません。最近では地方の方々がインターネットショップを立ち上げて山菜を通信販売で売っていますが、値段は驚くほど高価です。しっかりと重要と供給によって価格が決まっているわけですが、もともと大量生産できないものだけに、今後もあまり値段が下がりそうにありません。日本全体が均等になってきたと思っていた私ですが、こうした物品についてはまだまだ偏在しているのですね。
(文:忍者)