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燃える闘魂! サッカー命!
PIDEです。毎週金曜日に、このページに登場します。よろしくお願いします。
私は旧浦和市の某町に住んでいる熱狂的サッカーファンです。 子供の頃からサッカーに興味を持ち、今に至っています。スポーツはサッカーだけではなく、スキーなど、いろいろやっていますが、中心はやっぱりサッカーになりますね。 実はNPO 日本サポーター協会にも所属しておりまして、サッカーに関連するいろいろなことに首を突っ込んだりしています(^^ゞ。 このページで皆様とサッカーの話で盛り上がれればいいな、と思っています。

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【最終回】第320回 Football is My Life Vol.5
こんにちは。PIDEです。
北京五輪の熱戦が続いています。
五輪はサッカー界にとってはそれほど重要ではありませんが、普段目にしない他のスポーツをいろいろ見られるという点では中々に興味深いイベントです。

男子サッカーは残念な結果に終わってしまいました。
女子サッカーは最終戦でノルウェー相手に「まさかの」大勝。
この勢いに乗って本日地元中国との大一番です。

さて、本日は連載モノ5回目。20年にわたる旅が現在間近まで戻ってきました。

<第5クール(03〜06ドイツW杯まで)>
96年アトランタの奇跡から10年。急速な発展を遂げ、黄金世代と呼ばれたメンバーが主軸となり、監督に「神様」ジーコを迎えた日本代表。誰もが02年W杯以上の成績を現実的に目指した4年間。しかし、残念ながらこれまでの急成長にブレーキがかかる夢と現実のギャップを日本中が感じた4年間でした。

一方で長く低迷を続けた浦和レッズが03年ナビスコの優勝を皮切りに04年J1/2ndステージ、05年天皇杯と獲り、06年には悲願のリーグ制覇と天皇杯を連覇。
クラブの経営規模も急拡大し、名実ともにビッグクラブへの歩みを進めました。
これまでどちらかと言えば代表中心に廻ってきた日本サッカー界においてクラブの存在感が増し始めたのではないかと思います。

僕の方はというと、2002年に向けてやってきた活動が終結。
知り合った皆さんと一緒にフットサルをやる事がメインになってきました。
あれだけの大イベントを終え、「この後何しようか?」と目標がふいに目の前から消え、先のことを中々イメージする事ができなかった頃です。
そんな時に何人かの方に言われたのが、

「せっかくW杯を通じて多くの人と知り合ったんだから、この人たちとボールを蹴りたい」

という言葉。そっか、ボール蹴ればいいんだ。目からウロコでした。

サッカー観戦と違い、実際にボールを蹴るとなると、そこそこ経験者が集まらないと面白くない。Jリーグ開幕以降、ボールを蹴った事がない人たちも続々とサッカーを好きになってきた中、そんな人たちがボール蹴れる機会が多くないんじゃないか。フルコートでやるにも場所がありません。
公営の施設は学生の部活動か、社会人リーグの試合に充てられてそうそう予約もできない。また、試合をする為には最低22人、交代も含めれば25〜30人近くの人を集めなければならず、これまた結構な労力です。更には今まで体育の授業でちょっとやった事があるかどうかの人たちをフルコートに立たせてもまぁゲームにもならないだろう。
これまではサッカーがどれだけ好きでも大人になってからボールを蹴るには大きな障害があったと思います。

ところが、この2002年のW杯開催と前後して、急速に「フットサル」が普及し始めました。
各地にコートがオープンし、メンバーも10人集めれば試合ができる(5対5)。
コートも大きくないので遠くに蹴るスキルや長い距離を走り続ける事も必要ない。初心者の方がちょっとボールを蹴ってみようと思うには最高な環境が整いつつありました。

W杯はこれまでサッカーにあまり関心がなかった一般の人たちにも大きなインパクトを与えたはずです。
そんな人たちに今度は観るだけでなく、「ボールを蹴る」楽しみを体感してもらえれば・・・僕の新しい目標はこうして決まりました。

「年齢や性別、スキルに関係なく様々な人たちが一緒になってボールを蹴る」

そんな環境を目指して、埼玉と横浜で同コンセプトでのフットサルを始めました。
初めてボールを蹴る人たちにどうやって楽しんでもらうか、「指導者」としての僕の活動が始まりました。
JFLの公認指導者資格も取り、いろいろな練習メニュー本を読みながら、現場で工夫をしつつ試行錯誤を繰り返す・・・いざ、指導を始めてみるとこれが非常に難しいと思い知らされます。僕らが当たり前に思っている事(例えばインサイドキックの蹴り方)がうまく蹴れない時、どう勘所を伝えるか?
子どもには見よう見真似で教えていけばいいのかもしれません。しかし大人はどうやら違うようです(僕の経験則ですが・・・)。逆に勘所が具体的なイメージで伝える事が必要。
例えばインサイドで蹴る時の軸足の向きや、足の側面で蹴るために「かかとで当てるイメージで」とか、「蹴る」というよりも「押し出す」というイメージを伝えるために「重たい荷物を(横着ですが)足で動かす時に動作」とか・・・
後、「ゴルフのパター」や「テニスのストローク」などとも言います。「自分の感覚」を他人に伝える時の「言葉」の難しさはちょっとしたコミュニケーションスキルのトレーニングでもあります。

また、「楽しむ事」があくまで目的ですから詰め込みすぎてもいけません。
この辺は「競技」とは違う進め方が求められます。ハードなトレーニングが必ずしも有効とは言えない。
ついていけない人に「やる気がないなら出て行け!」みたいな部活的指導は当然ながらできません(^^;

様々なレベル、考えの人が一同に介して行う現場は「場の雰囲気作り」に心を砕きます。
基本的には「ど初心者」を中心に考えます。うまい人達には初心者の方に合わせる事を求めます。
まず、この時点で「自分達の(高い)レベルでボール蹴りたい」と思う人には残念ながら向きません。
初心者の方たちは「自分が下手」である事を必要以上に意識します。うまい人から来たパスをミスしたりすると、萎縮してしまいがちです。また、実際の競技規則とは別のローカルルールも「感じ」なければいけません。空気を読まない?激しい当たりや強シュートなども基本的にはNG。うまい人にもストレスがかかるのです。

それでも、「初心者の方々を中心に」のコンセプトだけはやめません。
Jクラブが増加し、サッカーの認知度は以前と比べ非常に高くなりました。
しかし、それでもサッカーの世界が広がっているかというと必ずしもそうではありません。
Jリーグの観客動員数は順調ですが、調査資料などを見ると「高年齢化」「高リピート化」が進んでいるようです。
要は「新規開拓」が進んでいないのです。長い目で見ればこれはサッカー界にとって非常に危険な事です。

どんなスポーツ、趣味の世界もそうかもしれませんが、「それを好き」と思っている人が集まると、傍から見た時に「入りづらい」空気を醸し出す事があります。「あいつはわかっていない」「素人のくせに」「ただ騒ぎたいだけだろ」「流行に乗ってるだけ」・・・それを愛するあまり、他人に対して壁を作ってしまう。
こうした感覚はおそらく自然と出てきやすいものでしょう。意識してクローズしている訳ではない。
ただ、知らず知らずのうちに出てくるこの空気は広げていく為には非常にやっかいです。

まだ日本のサッカーはプロができて15年足らずです。日本サッカーはかつて1968年にメキシコ五輪で銅メダルという快挙を挙げながら、その後この国にサッカー文化を根付かせる事ができなかった大きな反省があります。当時まだ生きていなかった僕にはなぜ根付かなかったのか、その理由はわかりません。
ただ、今を生きていて感じるのは、上のような自然と現れる「閉塞感」こそが衰退の原因に思えます。
だからこそ、誰でも(=生まれてから一度もボールを蹴った事がない人でも)気軽に蹴れる環境を提供する事はささやかながら自分がこの国のサッカー文化の為に「できる事」だと思っています。

06年も超え、08年。2002年から6年が経ちました。継続する事の難しさを痛切に感じる今日この頃です。
参加していた人たちの人生のステータスも変わっていきます。

結婚、出産、昇格、転勤、転職、進学などなど

ある限られた枠の中で運営していてはこれらの環境の変化に対応できません。
やはり、毎年毎年新しい人たちと知り合い、輪を広げ特定の人たちに頼らない環境の構築。
中々に難しい作業である事は実感しました。それでもやっぱりこうした場で生きていきたい。

今回まで4年ごとに時代を区切って20年間を振り返ってきました。
ここからは4年では区切れない延々と続いていく活動になっていくと思います。
これが僕にとってのライフワークなのかもしれません。

・・・・・
今回でこのコラムが320回を迎えました。連載開始から6年半あまりとなりますが、実は今回を最後に終了させていただく事になりました。

これまでの長い期間、素人の拙いコラムをお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。
また、原稿遅れやいろいろご迷惑をおかけしながらも掲載を続けさせていただいたマイタウンさいたまの関係者の皆様、本当にありがとうございました。

週に1回の連載という形でしたが、ネタに困るときも多く(シーズンオフの期間が特に毎年・・・^^;)、
中々に大変な日々ではありましたが、それでもなんとか6年以上の長きにわたって飽き症の僕が続けてこられたのも皆様のご協力のおかげです。非常によい経験をさせていただく事ができました。

まだ、あまり実感はありませんが、来週からの締切のない木曜日(^^;を過ぎていくと寂しさがこみ上げてくるかもしれません。

ただ、これからも浦和のあちこちでボールを追っかけているでしょうし、先々住む土地が変わってもきっと変わらない毎日を過ごしてると思います。

「サッカーは人生と同じだよ、いつも上手くいくわけじゃない」フランツ・ベッケンバウアー(元ドイツ代表)

そうっすね、頑張ります。ありがとうございました。


**8月15日(金)掲載**
(PIDE)

元の文章を引用する

 
長い間、ありがとうございました。2008/08/18 17:07:43  
                     す〜爺

 
PIDEさん、初めまして。
 今年の3月まで、お隣さんだったす〜爺と申します。
 じつは、わたしは大のサッカーファンで、ごく初期のころの「“サッカー好き”の分類」あたりからの愛読者でした。日頃子どもたちと接している立場から、とくに「中学年代の強化」や、「日本サッカーあるべき姿」のときなど、何回か書き込みを試みましたが、エッセイ仲間?ということの気後れもあり、遠慮してきました。

 それにしても、320回とはお見事です。楽しませていただきました。ありがとうございました。そしてご苦労様でした。最終回ということで、その遠慮を棚上げにして、PIDEさんへの応援の意味も兼ねて、いくつか書かせていただくことにしました。

 長い連載の集大成となった5回連続の「Football is My Life」で、少年期からのサッカーとのかかわりと挫折、サッカー熱の再燃とサッカーを通じての人との出会いとひろがりについて、興味深く読ませていただきました。地元浦和で生まれ育ち、幼いころからサッカーになじみながら、中学2年でサッカー部をやめてからは観戦一方、それもJリーグ発足以降は、仕事の時間帯の関係で、ほとんど時折のテレビ観戦だけ、というわたしにとって、PIDEさんのサッカーとのかかわり方は、はるかに年代が隔たっているとは言え、まぶしくもうらやましく映りました。

 レッズへの思いも、浦和から出たことがないわたしが恥ずかしくなるほと、熱く深いものが伝わってきます。スター選手を集めて行き詰っている野球の巨人軍の轍を踏むことなく、地元密着の着実な強豪チームを築いてほしいものです。現役時代、絶妙なポジショニングと的確な状況判断で鳴らした藤口社長の手腕に期待したいですね。

 わたしには、監督として全国制覇('51)をした伯父と、選手として同じく制覇('64)してユース代表に選ばれ、その後も指導者としての道を歩んでいる弟がいます。その意味でも、完全な“サッカーおちこぼれ”どころが“サッカー部外者”のわたしです。そんなド素人のわたしですが、PIDEさんの情熱に刺激されて、とくに「第220回 日本サッカーあるべき姿」のなかで、自問自答しておられたことに関連して一言。

 サッカーに限らず、全般的に日本のチームスポーツは、なかなか世界のトップレベルを維持できません。体力面やメンタルの弱さも指摘されていますが、それだけではなさそうです。チームプレイの要諦である“人と人との連携”が単なる戦術になっているからではないかと考えるのですが、どうでしょうか? 

 「個即全、全即個」、ここが欠けているのではないか、というのが素人なりのわたしの感想です。これは、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」とは、すこしちがいます。例えて言えば、チームを一人の人間とすれば、その人間がもっているさまざまな有形無形の諸機能が個々の選手である、ということです。それぞれの機能は、互いに持っている能力を全開する、その上で、視覚が不自由になれば聴覚がおのずと鋭くなり、蹠(足の裏)の感覚までが視野を補う、その逆に、筋力がつけばそれに応じた体の捌きと感覚器の働きが強化される。すこし抽象的ですが、そこには、当然のことながら、各機能の競争などはなく、一人の人間の全能力を最善の状態に高めるという意志があるだけです。だからこそ、控え選手もサポーターもチームの機能として欠くことのできないものだと思うのです。これは、サッカーだけでなく、まさに日本社会の課題であるかもしれませんね。

 部外者の冗舌が過ぎたようです。最後に、これもサッカーに限らないことですが、せっかく高い素質を持っていると思われる中学生が「高校に行ったら、部活をやらない」という例をよく聞きます。それは、よく言われる受験のためだけではなく、部活が勝利至上主義で、サッカーは好きだけれど・・楽しくなくなった、というのです。なかには高い能力ゆえに、体の故障を無視して出場を強制され、致命的な障害を負ってしまった例も聞きます。成長が著しい中学生くらいまでは、まずは、サッカーをすることが楽しくて仕方がない状態であること、をなによりも大切にしてほしいものです。サッカーが大好きな子どもたちは、おのずと自分たちのベストのプレイを目指すはずです。勝利は、その先にあるはずのものです。

 まさに「いつも上手くいくわけじゃない」試行錯誤の中で、これからの社会とサッカーをよりよいものにしていくために、PIDEさんを初めとする頼もしい青年たちがいることを、心強く思っています。

 PIDEさん、ほんとうに長い間ご苦労様でした。これからも、さまざまな面でのご活躍を、陰ながら祈り上げます。
 

元の文章を引用する

第319回 Football is My Life Vol.4
こんにちは。PIDEです。
暦の上では立秋を過ぎ、「残暑」のようです…後どのくらい残るんでしょうか?f^_^;

さて、五輪開幕を前にサッカーは開幕。開会式前に既に男女とも終戦モード…昨日、一昨日の2試合は非常に残念な、情けない「惨敗」に映りました…男女とも格上の相手に残り2試合。何を見せてくれるのでしょうか?

さて、連載もの4回目です。

<第4クール(99〜02日韓W杯まで)>
静岡での4年間が終わり、就職で浦和にやってきました。これまで全く縁もゆかりもなかった土地でしたが、一念発起!せっかくのサッカー処に来たんですから、またボールを蹴りたい!大学の4年間を経て少し大人になった?僕は近所の美容院のマスターにいきなり相談し、知人を紹介してもらって浦和リーグに参加しているチームのお世話になる事に。選手として中途半端に終わっていた時間がまた新しく動き始めました。

そこでの出会いは本当に貴重でサッカーというスポーツの見方がまるっきり変わるような衝撃を受けました。それまでの僕は(下手くそながらも)「自分はボールを持ってからリズムを作るタイプ」なんて考えていました。しかし、プレー中に「遅い!」と怒られる日々。「遅いんじゃなくて、それが僕のプレースタイルなんだっ!」そんな理解できないイライラにストレスが溜まります。

そんなある日、ある元J2に所属していた方と一緒にプレーする機会がありショックを受けます。絶対に僕なんかより遥かにうまいはずの方が非常に球離れが速いんです…僕が遅い!と言われ続けた事、それは「判断」の遅さでした。周りの状況を素早く判断し、最適なプレーを選択するまでの速さ。僕がボールを持って…と思っていたのは、「持ってから周りを見て判断してプレーする」という意味で、この「持ってから」がダメなんですね。「持つ前に」判断して、持ったらすぐに次のプレーをする。そうしないとレベルの高い相手には通用しない。遅すぎてプレスをかけられるだけなんですね…先の元J2の方の上手さはまさにその速さだった…驚異でした。失礼ながらJ2の選手(しかも決して有名でない)でそのレベルです。J1や日本代表、世界一のプレーヤーというのはどこまで果てしないのかと。そしてその奥深さは知れば知るほど深く、しかしその一方でとてもシンプルだったり…文字で表すには筆力が足りずですが、生涯楽しめる娯楽だと思わせてくれるきっかけとなるチーム加入でした。

一方で02年に自国開催されるW杯に向け、各地で様々な活動をする人々と知り合い、JSAというNPO設立に携わり、こうして6年もの連載をさせていただく事になる浦和の商工会議所の方々、県や市の方々、地元のW杯を盛り上げようと頑張る様々な方々、本当に多くの方々と出会い、W杯という非常に大きなイベントに多少なりとも主体的に関われた事は僕の人生を大きく変えました。この時に初めて、自分の中学時代の後悔に真正面から向き合い、ようやく消化できたように思います。あの中学時代の挫折があってその後の人生があり、結果今に至る…これだけの事ができた今の自分に自信が持てて、初めて過去の自分も認められた。そんな事を(若造が偉そうですが…)感じた4年間でした。


**8月8日(金)掲載**
(PIDE)

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第318回 Football is My Life Vol.3
こんにちは。PIDEです。
この一週間は悪天候による試合中断など珍しい事が多く起こりました。大宮、鹿島、国立と3箇所で。
サッカーやゴルフなど英国発祥のスポーツは雨天でも決行されるものが多いですが(英国の気候に関係するのでしょうか)、やはり雷を伴ったりするものは危険ですからね(観客含め)、国立でのU-23代表の試合がラスト数分というタイミングで中止になった事も残念ではありますが、いたしかたないかもしれません。

さて、連載もの3回目です。

<第3クール(95〜98フランスW杯まで)>
さて、小・中・高校と無事に?卒業しいよいよ大学生になりました。
静岡で一人暮らしを始め、サークルで多少ボールを蹴るくらいで新しい環境でいろいろとやりたい事もあったのでしょう、もっぱらサッカーをプレーする機会は少なくなりました。

しかし、この大学の4年間は僕にとって今でも心に残る事が多くあった4年間でした。

過去に、このコラムでも書いたことがありますが、この期間静岡にいられた、という事は物凄く貴重な事でした。それは高校サッカーで高原、小野、南といったこの後「黄金世代」と呼ばれることになるメンバーを間近で観ることができた為です。そして、街のいたる所でサッカーを
「感じる」ことができる。これは今の浦和もそうですが、高校まで過ごした僕の地元では全く感じられないことでした。さすがにドリブルで学校に通っている子を見ることはありませんでしたが・・・(^^;、公立の小学校にナイター設備があり、そこで夜に小学生が練習をしている。また地域に開放されて、様々な年代の人たちが集まってボールを蹴っている。
近くに有名な高校(静岡学園、清水商業、清水東など)がいて、そこに通っている(サッカー部でなくても)人たちがあちらこちらにいる。
おそらく浦和で子どもの頃から住んでいる方にとってもこの光景は「当たり前」なものかもしれません。しかし、そうでない地域から来た人間にとってこういった事すら、非常に新鮮で「凄い!」と思ってしまうものです。
そうした環境で4年過ごした事が、今こうして浦和という地域でサッカーについてコラムを書いている、遠因になっているかもしれません。

また、この期間は日本サッカー全体が大きく「揺れた」4年でした。
代表では五輪代表が28年ぶりにオリンピック出場を決め、「マイアミの奇跡」と呼ばれるブラジル撃破をやってのけました。そしてフル代表ではドーハを克服し「ジョホールバルの歓喜」初のW杯出場を獲得。02年に自国開催も決定した中最後の最後の最後の最後でボロボロになりながら掴み取った勝利。
五輪代表の予選も含め、この4年間で観たアジア予選ほど心を揺り動かされる事はおそらくこの後もほとんどないでしょう。W杯本番ではチケット問題で大揺れとなりましたが、無事にクロアチア戦を現地で初観戦。この時が僕にとって初の日本代表戦観戦となりました。愛知や静岡など地方に住んでいる人間にとって代表観戦自体、ほとんどできる事ではありません。アジア予選を見ている時ですらマレーシアまで応援に行くことなど僕自身まるで想像できないことでした。

一方で国内のJリーグは大物外国人が多数集結。スキラッチにストイコビッチ、レオナルド、ジョルジーニョ、ドゥンガ、ブッフバルトなどなど。現役ブラジル代表のキャプテンが日本でプレーしていたなんて今ではとても信じられません。
そんなキラ星のようなスター選手が多く所属しながらもバブルが弾け、危機が騒がれるようになりました。清水エスパルスの運営会社が98年に経営破たん。
横浜フリューゲルスも98年で消滅とJリーグ最大の危機がありました。
静岡でもTVの特番でこのエスパルスの問題が語られ(これで特番を組んだあたりサッカー王国としての深さを感じますが)、この後に経営の健全性を前提としたクラブ運営に大きく舵を切り直す契機となった期間でした。

日本にサッカーのプロが生まれ、大きな歓喜と絶望に揺れながらも、プロではない、地場に根付く強さに触れ、02年に向けて大きく飛躍をする為の助走期間・・・そんな4年間を静岡で過ごし、いよいよ一大転機を迎えます。。。


**8月6日(水)掲載**
(PIDE)

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第317回 Football is My Life Vol.2
こんにちは。PIDEです。
毎日茹で上がるような暑さが続いています。
どうか皆様お体には気をつけて。週末炎天下でボール蹴ってると体ボロボロですf^_^;
一日で2〜3kg体重が落ちている事があります…

さて今回は連載もの2回目です。

<第2クール(91〜94アメリカW杯まで)>

4月になり、最高学年として最後の夏の大会を目前にしながらも部活に参加しない日々が続いていました。
この間にまたサッカー部に問題が起こります。僕とは別のレギュラー選手が部活をやめる、と言い出しました。僕と同じくあるメンバーに対する不満からでした。
ある日、部活が始まる前に顧問の先生から集合がかかり、彼の問題提起をきっかけに話合いの場がもたれました。彼はみんなの前で自分の意見を述べ、結果として問題のきっかけとなったメンバーとも和解し、部に戻りました。
しかし、僕はその場で意見を求められながらも(先生も同じ理由で僕が来なくなった事をわかっていたのでしょう…)、「特にないです」と逃げてしまい、戻るきっかけを失いました。

この事は更に自分を落ち込ませました。何故自分も言えなかったんだ?せっかく先生やメンバーが作ってくれた機会を無駄にしてしまった…逃げ癖のついた自分が情けなく、怖くもありました。
しかし、まだそんな自分に負けたくない、と思う気持ちも残っていたようです。自分の意見を主張して戻った彼の行動に刺激を受けていたのかもしれません。最後にまだ「誇り」はわずかですが、残っていたようです。

最後の夏の大会に行く事を決意しました。もちろん長らく練習にも出ていない幽霊部員です。試合に出れるとは考えませんでした。自分の中学3年間のケジメをつけたい。このまま逃げたままで後味の悪い終わり方はしたくない。本当にわずかな…しかし、僕にとっては貴重な…弱い自分への反抗でした。

結局(当たり前ですが)大会はベンチで見守り、中学の夏は終わりました。

高校に入った時にやり直すチャンスはありました。小学生の頃一緒にやっていたメンバーも再合流し、誘ってくれた友人もいましたが、結局サッカーをやる事はなく、僕の学生サッカーは小学5〜中学2年までの実質4年で幕を閉じました。

結局テニス部に入り、サッカーから少し距離を置き始めた僕に大きな衝撃がやってきます。「Jリーグ開幕」と「ドーハの悲劇」です。これまで自分がプレーする楽しみしかなかったサッカーに新たに「観る」楽しみを与えてくれました。

92年のナビスコではスーパールーキーの小倉が勇躍し、93年Jリーグの開幕戦のあの感動は忘れる事がありません。初めて生で観戦したのは雨の瑞穂球技場、名古屋vs横浜M戦。PK戦になり、水溜まりでPKがストップして名古屋が勝利したという「伝説」の試合です。

その後のアメリカW杯予選でドーハを見た時には本当にガックリしました。一度離れてしまったサッカーに「観る」という違ったスタンスで新たな魅力に引き込まれていきます…


**7月25日(金)掲載**
(PIDE)

元の文章を引用する

第316回 Football is My Life Vol.1
こんにちは。PIDEです。
梅雨明けも間近となり、今年も暑い夏がいよいよやってきます。
五輪代表のメンバーも発表され、レッズからは細貝が選出されました。
是非北京でも活躍をして、更なる成長を目指して欲しいものです。

さて、今週からはちょっと連載ものを。
サッカー好きにとって、W杯が開催される4年周期、といったものは自然とリズムに刻まれているようで、過去の振り返りをしてみると中々に興味深かったりします。

<第1クール(87〜90年イタリアW杯まで)>

86年のメキシコW杯は「神の手」ゴールや「5人抜き」ゴールなど天才マラドーナによる数々の伝説を産み出した大会として記憶に残っています。そんなメキシコから次のイタリアまでの4年間。
僕は小学5年〜中学2年にあたり、愛知の片田舎で毎日ボールを追いかけていた時代になります。

まだJリーグなど影も形もなかった時代、TVも今のように海外サッカー中継などありません。テレビ東京系列で放送されていた「ダイヤモンドサッカー」がW杯や欧州リーグの試合を週に1回、前半と後半に分けて録画放送していた時代です(つまり、1試合見るには2週間かかっていた)。

まして田舎に住んでいた僕にとってはサッカーは「観る」ものではなく「やる」ものでした。キャプテン翼に影響を受けてサッカーを始めた世代です。

当時僕の小学校はよいメンバーに恵まれ、市内の大会ではいつも優勝。
5年〜6年の2年間、市内では負け無し、という地位を築き上げましたが、県大会では格下の相手に、終始押し込みながらも得点を奪えずPKで敗退という非常に悔しい負け方をしてしまいました。この県大会では僕らの小学校といつも決勝であたっていたライバルの小学校が結果として県で2位になり、あの時のPKがなければ・・・という悔いの残る、ここが最初の挫折であったと
思います。

その後、地元の中学に進みサッカー部に入部し練習に明け暮れる日々が続きましたが、僕のサッカー人生はこの90年で大きな転換点を迎えます。
3年生の先輩が夏に部活を卒業し、いよいよ新チームとして活動。レギュラーにも選ばれ、右利きで慣れない左サイドをプレーする為に左足のキック練習に励む毎日。
練習の成果も徐々に現れ、練習試合などではよいセンタリングを左足で上げてアシストするなど、プレーに関しては順調だったと思います。

しかし、思春期特有のものでしょうか、自分に自信がなくなり、今ひとつ成長の実感がない中、部内の人間関係も難しくなってきた事と毎日の練習の辛さから結局僕は逃げ出してしまいます。徐々に部室から足が遠のき、サッカー部のメンバーと距離を置くようになり、とはいえ親は部活をしていると思っているので、家に帰ることもなく学校帰りに友達の家に寄って時間を潰して帰る・・・そんな日々を送るようになっていました。


**7月18日(金)掲載**
(PIDE)

元の文章を引用する

第315回 浦和から日本、そしてアジアへ
こんにちは。PIDEです。
随分と蒸し暑い日が増えてきました。
毎年の事ながら、これからの時期のプレーは過酷です。
プレーされる皆様(特にお子さん)はご注意を。

さて、今週は日本サッカー絡みで大きなニュースがいくつかありました。

@日本サッカー協会、次期会長に前浦和社長、犬飼氏就任へ
A今年のJOMOオールスターサッカーは日韓戦
BJリーグが来期から「アジア人枠(1名)」を新設へ

Jリーグ発足→自国W杯開催と続いたこの15年の流れは過去に何度も書いてきた事ですが、今回の3つの決定は新たな時代の流れの転換点かもしれません。

この15年を牽引し続けてきた川渕氏に代わり、浦和で社長を務め、人気/実力/財政面全てにおいてJリーグ随一のクラブへと引き上げた犬飼氏が日本サッカーの舵取りを行なうことになりました。
「クラブの時代」と言われる昨今、Jクラブのトップを務めた方がサッカー協会のトップに立つ、という事は自然の流れだったのかもしれません。
まさに浦和で成し遂げた実績を買われた抜擢人事が、停滞感漂う日本サッカー界に再度のドライブをかける事ができるのか。
是非浦和出身という面からも頑張っていただきたいと思います。

また、A/Bのアジアを意識したJリーグの展開はワールドワイドで展開されるサッカーというスポーツにおいてこれもやはり自然の流れと言えるでしょう。
日本サッカーの強化を日本という国の中だけで考えてはやっていけない。
サッカーの中心地である欧州と地理的に大きく離れた日本で、どのような強化を進めていくべきなのか。極端な目標を言えば、南米/欧州と並ぶ巨大なサッカーマーケットをアジア(特に日本/韓国/中国を中心とした東アジア地域)に展開する。
さらには東南アジア、豪州を含めたアジアパシフィック地域にそれを拡大する。「人の数」で見れば欧州/南米を圧倒するマーケットがそもそも存在するのですから、この地域全体が(日本だけでなく)強化されていく事が重要だと思うのです。
日本サッカーが急成長を遂げ、初のW杯出場を決めるまでたったの5年(Jリーグ開幕から数えて)。ここまでの地位を築くのに15年でした。だとすると同じように2020年を超えた頃、現在からは考えられなかったアジアが見られるかもしれません。

かつてカズが、中田がセリエAに挑んだ時に日本中のサッカーファンが感じた興奮。
この気持ちを例えばタイやベトナムの選手がJリーグでプレーをするような事になった時、その国の人々に大きな希望を与え、更なる強化が進む事になるかもしれません。

閉塞化する日本を少し離れて大局観で見てみると膨大な夢が身近にある事に気付きます。新しい試みには勇気がいります。失敗する確率も高いでしょう。
だからこそ今回の決定には素直に敬意を表したい。そして是非成功するよう頑張って欲しい。そう思います。


**7月11日(金)掲載**
(PIDE)

元の文章を引用する

第314回 雨天決行
こんにちは。PIDEです。
梅雨に入り毎日ジメジメした天気が続きます。
雨も多い季節ですからプレーする選手も大変です。
Jリーグ開幕当初、水が浮いていたピッチもありましたが、最近は雨の日でも見た目にはほとんど変わらないピッチがほとんどになりました。高いレベルの試合をやるにはそれに相応しい環境を。決して目立つ事のないこのピッチの維持管理をされている方々には頭の下がる思いです。

しかし、僕が日頃プレーしているような環境では芝のグラウンドで蹴る事はまずありません。基本は「土」。学生の頃から変わらず…「土」。

先週末の日曜日、浦和の市民リーグの試合がありました。
会場は三浦グラウンド。北浦和から岩槻に抜ける途中、岩槻との境くらいにある「土」のグラウンドです。

前日夜から降り始めた雨がグラウンドを「田んぼ」に変えました。
僕らの試合は3試合目でしたが、もはやグラウンドとは呼べない状態。
しかし、サッカーは余程の事がない限り中止にならないスポーツ。
グラウンドコンディション不良も関係なく予定通り試合が開始されました。

こういったピッチでやるサッカーをはたしてサッカーと呼べるのか?
ボールは水を含んで重くなり、至る所でパス・シュートが水溜まりにハマって止まります。キックオフ直後、まだピッチに慣れていない状況で僕らのチームのGKが処理を誤り、ボールは無人のゴールへ……と思った瞬間!
なんとボールはゴールラインぎりぎりの水溜まりでストップ。失点を免れた僕らは逆にドンドン相手陣地にボールを蹴り混み、常に優位な状況を作り出す事に成功し勝利を収めました。

雨の土のグラウンドは当たり前ですがユニフォームがメチャクチ汚れます。
ご家庭で洗濯される奥様方には大変な不評を買う事でしょう……30歳過ぎたいい年の大人が雨の中、泥にまみれてボールを追いかける……何か学生時代に戻ったような、部活を雨の中やっていた時を思い出していました。

思うようなプレーはできない。汚れる。お互いのキックで水しぶき、泥しぶきが舞い、目に土が入る球際のプレーは激しくなり、ケガの危険も高まります。

それでも久しぶりにこれだけヒドいコンディションでサッカーをすると、逆に楽しんでしまったりもするのです。「あぁ、ここにいる人達は本当にサッカー好きなんだなぁ」と実感できる幸せ。

久しぶりに原点に戻れたような週末でした。


**7月7日(月)掲載**
(PIDE)

元の文章を引用する

第313回 欧州とアジア、それぞれの代表戦
ヨーロッパ選手権。ベスト8が決まりました。

ポルトガルvsドイツ
クロアチアvsトルコ
オランダvsロシア
スペインvsイタリア

トルコとロシアの進出が少し意外(という程のレベルでもないのですが)くらいで後は順当、といったところでしょうか。C組のフランス敗退も内容はともかくとしてオランダ、イタリアという強豪国と同組になった時点でいずれかの国は敗退、という結果になることはわかっていたのですから。

そして今朝方、準々決勝第一試合が行なわれドイツが3-2でポルトガルを下し、準決勝進出を決めました。クロアチアに敗戦するなどもう一つ強さを見せきれなかったドイツが今大会最注目のポルトガルに勝利を収めた事は、やはり「勝ち方」を知っている伝統国ならでは。ノックアウト方式のトーナメントになった瞬間からその「勝負強さ」を見せつけられる形となりました。

試合内容ではポルトガルが上回っていたかもしれません。後半ラスト30分はほとんどがドイツ陣内でプレーが進み、ポルトガルの攻勢が続きました。
最終的には1点差まで追い上げられながらもキッチリと勝ち切る強さ。
「ドイツ相手にここまで追い詰めた」と感じるか、「やっぱり最後は逃げ切られた」と感じるか・・・この強さを乗り越えるにはポルトガルはまだまだ経験不足、といった所でしょうか。

前回、オススメしたクロアチアは今晩(明日早朝)の登場です。期待しましょう。

さて、そんなヨーロッパの闘いとは別にアジアで行なわれたW杯3次予選。
日本はアウェーの2連戦を、

対オマーン1-1
対タイ3-0

で終え、無事に最終予選進出を決めました。今週末はホームでバーレーンとの対戦が残っていますが、消化試合となったこの対戦にどういったモチベーションで臨むのか、結果以上にその点を注目して観てみたいと思います。

ここのところの代表戦の不人気について、最近のコラムでもいくつかコメントをしていますが、今週発売されたサッカーダイジェスト(というサッカー専門誌の週刊誌があります)に代表に関して各方面の方のコメントが寄せられています。

その中で僕が特に心に残ったものとして、元日本代表として活躍をしたラモスと磯貝、両名の主張。

「技術+ハートで闘い続けるからこそサポーターも熱くなる」(ラモス)
「日の丸の価値を協会がサポートすべき」(磯貝)

という2点には非常に興味深い内容となっていました。
いずれも言ってる事はシンプルですし、提言内容も特に目新しいものではありません。
しかし、ここに至るまでに感じてきた何とも言えない停滞感の根源はまさにここにある、と改めて認識できるように思えたのです。

「日本を代表して闘う」

という事への誇りと対価。日本代表とは日本人フットボーラー全ての頂点であり、本当に極々限られた人間だけが立ち得る場。若い代表歴の少ない選手がハツラツとプレーしているように見えるのは日本代表のそういった立ち位置を強く実感しているからでしょう。逆に若い年代から日本代表、に選ばれ続けている選手たちの方がそうした「新鮮味」はあまりなく、「当たり前」感があるのかもしれません。選手の誰もがそんな気はないと思いますが、サポーターの目線から見た場合にその空気が感じられ、何かこちらの気持ちも冷めてしまう。「誇りを胸に常に闘い続ける」事がどれだけ大変のことか、経験はないので実感はできませんが、それはやはり相当の苦労だろうと思います。そして、その苦労に対して見合う対価が、現状では日本代表選手たちに与えられていない、というのが磯貝氏の指摘になります。

現実問題として考えた場合、「誇り」だけでは食べていけません。正当な対価(報酬)を臨むことはプロとしてむしろ当たり前の話であり、「日本代表」という事への対価が低い、という事はそのブランド価値を日本サッカーが低く見ている、という考え方も成り立つのではないでしょうか。

ヨーロッパでは日本とは額の違う報酬が飛び交っています(それはそれでバブルな感じもしますが・・・)。日本サッカーが世界一になる、という事はその代表選手たちは世界一のブランドと報酬を手にし、その重責を背負って闘い続けることを義務付けられる。
勝負の世界の論理としてはそういった所に集約されるでしょう。

ヨーロッパとアジアで同時期に行なわれた代表の公式戦。もちろん重みの違う大会ですが、そこに現れる「代表の戦いぶり」は単なるプレーの優劣といっただけでなく、その裏にある日本代表に関して私たちが感じる様々な閉塞感について、その原因と打開策を思案するヒントを投げかけてくれているように思います。


**6月20日(金)掲載**
(PIDE)

元の文章を引用する

第312回 ヨーロッパ選手権開幕
こんにちは。PIDEです。
先週末からいよいよヨーロッパ選手権が開幕しました。
毎晩熱戦が繰り広げられ、眠れない日々が続いている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

このヨーロッパ選手権。あまりご存知でない方もいるかと思います。
W杯開催の中間年(五輪が開催される年)、4年ごとに開催される大会で参加する各国の実力差がW杯よりも小さく「大会レベルはW杯より上」とも言われる大会です。

今回もグループリーグからイタリア、フランス、オランダが同じグループに入って「死のグループ」と呼ばれています。いずれもW杯/ヨーロッパ選手権で優勝経験がある国同士がいきなり対戦する、という醍醐味もこのヨーロッパ選手権の特徴の一つでしょう。

今週は早速前回W杯優勝のイタリアとオランダが対戦しました。
「カテナチオ」を呼ばれる固い守備が特徴のイタリアをオランダ攻撃陣が蹂躙。
3-0で勝利を挙げるというサプライズが起こりました。イタリアが3点取られて敗れたという記憶はほとんどありません。オランダのチームスタイルは攻撃的で、これまでも「美しく勝つ」というコンセプトが最も似合うチームの一つです。
しかし、逆に「勝利に対する執着心」という点では弱く思われ、大会で最も印象に残るチームと呼ばれる事は多々ありましたが、最も強いチームにはなれない、要は勝負弱い、と評される事が多い国です。

一方のイタリアは「1-0」で勝つ美学、のようなものがあると言われます。
ファッションなどの面で華やかなイメージが国としてはありますが、サッカーに関してはとにかく「固い守備」が売り物。一般的に「ボール支配率」というものが高いほど優位に進められると思われますが、イタリアでは相手にボールを持たれて(支配されて)いてもカウンターで1点を奪い、それを最後まで守りきる。そうした意識が根付いているのがイタリアだと呼ばれていました。

攻撃のオランダ、守備のイタリア、両極端な特徴を持った強豪国同士の対戦はイタリア自慢の守備の崩壊、という結果に終わりました。守備の要でキャプテンでもあるカンナバーロの欠場が響いた、との記事もありますが、それでもこの結果は何よりイタリア国民が大きな衝撃を受けている事でしょう。

その他ではやはりポルトガル、そしてC.ロナウドが最注目でしょう。
プレミアリーグで得点王を獲得し、プレミアリーグとチャンピオンズリーグでタイトルを獲得した今最も「旬」な選手です。軽やかなステップワークからのドリブルやブレ球FKなど

「2008年のヨーロッパ選手権はC.ロナウドの大会だった」

と後に呼ばれる大会とするだけの大きな期待がかかっています。
当然ながら相手国からのマークも厳しくなる事が予想されますが、そんな中でも昨日未明に行われたチェコとの試合では得点、アシストをマーク。
戦前の予想通りのプレーを見せ始めています。

前回の大会は伏兵?のギリシャが優勝をしました。今回のダークホースはどこか?
優勝候補以外の大穴を探すのも楽しみの一つ。ここまでの試合を見た限りでのオススメは「クロアチア」です。個人的には攻撃的で見ていて楽しいサッカーが好きなのでオランダ、ポルトガルあたりには是非優勝して欲しいと思っているのですが・・・

まだしばらく眠れない日々が続きます。


**6月13日(金)掲載**
(PIDE)

元の文章を引用する

第311回 日本代表戦の観客動員減少を考える
こんにちは。PIDEです。
さてオマーン戦です・・・でしたですね。
すみません、一週間ほど不在となってしまっているので今回の原稿は先週のタイミング(5月末)で書いています。
・・・はたして日本代表はホームでオマーンにキッチリと勝利してこの原稿掲載日を迎えているのか・・・気が気じゃないです...

ですので、今回オマーン戦についてはコメントできませんので、前回の続きを。1990年代から今年までのキリンカップ(首都圏開催分)の観客動員数を調べてみました。

2008.5.27対パラグアイ27,998人(埼玉スタジアム)
2007.6.5対コロンビア45,091人(埼玉スタジアム)
2006.5.13対スコットランド58,648人(埼玉スタジアム)
2005.5.27対UAE53,123人(国立競技場)
2004.7.13対セルビア・モンテネグロ57,616人(横浜国際)
2003.6.11対パラグアイ59,891人(埼玉スタジアム)
2002.4.29対スロバキア55,144人(国立競技場)
2001.首都圏開催なし
2000.6.18対ボリビア65,073人(横浜国際)
1999.6.6対ペルー67,354人(横浜国際)
1999.6.3対ベルギー54,685人(国立競技場)
1998.5.24対チェコ66,930人(横浜国際)
1998.5.17対ベルギー53,408人(国立競技場)
1997.6.8対クロアチア50,136人(国立競技場)
1996.5.26対ユーゴスラビア50,632人(国立競技場)
1995.5.28対エクアドル53,438人(国立競技場)
1994.5.29対フランス48,841人(国立競技場)
1993.3.14対アメリカ48,000人(国立競技場)
1992.5.31対アルゼンチン60,000人(国立競技場)
1991.6.9対トットナム・ホットスパー45,000人(国立競技場)
・・・国際Cマッチ
(この間開催なし、もしくは記録確認できず)
1988.6.5対バイヤー・レバークーゼン7,500人(大宮サッカー場)・・・
国際Cマッチ

※以上、1998-2006年は「日本サッカー史(資料編)」後藤健生著/2007-2008年はHP調べ

・・・1993年以降は正確な入場者数を計測していなかったのでしょうが、それにしてもこうやって見てみると今回のキリンカップの観客数の少なさは脅威です。国際AマッチですらなかったJリーグ開幕前の時代まで遡らなければなりません(当時とは大きく日本サッカーの環境は当然異なりますが・・・)。
昨年の45,091人から減少傾向(満員にならず)と見ると、やはり2006年のW杯終了後に人気の陰りがハッキリと出てきた、と言えるのかもしれません。

次に、過去16年間の日本代表の試合数をまとめてみました(1991-2006年)。

@2003-2006年77試合(2006年/192005年/202004年/222003年/16)
A1999-2002年55試合(2002年/142001年/132000年/211999年/7)
B1995-1998年70試合(1998年/141997年/261996年/131995年/17)
C1991-1994年54試合(1994年/91993年/221992年/161991年/7)

CはJリーグ開幕前の黎明期。Aは自国開催の為、アジア予選が免除されていましたので、試合数が少ないのもうなずけます。@/Bがほぼ同条件として考える事ができると思います。
この@の4年間の77試合は最も多い数字。Bは@と比べ7試合多く、97年が26試合と数では突出していますが、これはW杯予選を97年一年間で全て実施。@では04年/05年の2年間かけてW杯予選が行われており、それ以外大きな違いは見られません。

しかし、1年ずつ追って見てみると、2003年以降、毎年20試合程度が行われており、これが強化の為なんか、興行の為なのかわかりませんが、それまでと比べ代表の試合を見る機会が増えた。しかも全ての試合の「重み」が一緒ではない、という事を観客が理解し、単なる親善試合なのか、アジアカップなのか、W杯予選なのか、そういった所で見るべき試合を選ぶようになった。しかも、チケットはJリーグと比べて高めに設定されている...
極端な言い方をすれば「親善試合という名の練習/強化試合にJリーグ公式戦以上に高いお金を
払ってわざわざ見に行くか」といった冷静な判断がされるようになってきたのではないか、という仮説が立てられるのではないでしょうか?オフを2ヶ月と過程すると、ほぼ月に2回、つまり2週間に1回は代表の試合がある、という計算になる訳です。日本代表観戦に「食傷気味」となっても仕方がないのでは?という気にもなります。

また、日本にわざわざ本気でやってくる外国チームが親善試合でどれだけあるか、特に欧州リーグで活躍をしているような有名選手が来る事がどれだけあるか??
日本代表選手であってすら欧州リーグに所属している選手は召集を見送る事が当たり前になった
時代です。世界のサッカーの中心地から離れた日本の地では世界レベルの真剣勝負を見る事がまず不可能の近い、という事実に僕達が気付いてしまった。この事が代表人気の低下(=日本で行われる代表戦の観客動員/視聴率の伸び悩み)に繋がっている、と考えられるのではないでしょうか?
つまりは、「日本人のサッカーに対する見方が成熟してきている」とも思えるのです。

この変化は決してマイナスな事ではないでしょう。逆に主催する側である日本サッカー協会に対して新たな取組を、変化を求めるキッカケとなりえる傾向とも言えるでしょう。


**6月6日(金)掲載**
(PIDE)

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