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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2021/05/21(金)
第547回:大口径レンズでの失敗(2)
 大の男がふたり揃って自分たちの仕出かした失敗に慌てふためき、脂汗を滲ませながら、どこに責任転嫁をしようかと周章狼狽。せこい輩たちだ。ぼくらはすっかり小の男に成り下がっていた。ピント(合焦)が来ていないボケ写真を撮るなんて、これはまったくの、プロの名折れである。

 心の奥底では、失敗の原因は己の技術不足と経験不足にあることを素直に認めていたのだが、絞り開放値f 1.2という極めて明るい中望遠レンズを携え、意気揚々、羨望の眼差しを一身に受け、これ見よがしに振り回しての結果なのだから、どうにも恰好がつかない。それはあたかも、大仰な鎧に身を包んだ侍が、いざ戦闘のかけ声とともに穴に落ちてしまい、役立たずを演じているようなものだ。ぼくらは、予想外の不始末に身の置きどころがなく、まさに「穴があったら入りたい」との気持に襲われていた。洒落ている場合ではないのだが、もう30年以上も昔のことなのに、思い出すだに、顔が火照ってくる。
 絞りf 1.2で写真を撮ることがどれほど恐ろしいことかを知らなかったのだから、これはもはやプロとはいえない。

 この不始末に於いて、ぼくにとってただ唯一の救いは、共犯者がいたことと学びの場を与えられたことだった。ぼくは新調したレンズを自慢していたわけではなく、「貸し与える」という好意・善意を前面に打ち出しての結果だったので、「誰からも恨みを買うようなものではないはずだ」と盛んに正しい申し開きをしていた。なるほど、理屈としては正しい。
 それに加え、内心「君たちだって、この規格外といっていいようなレンズを使ったら、まずはおれたちと同じドジを踏むんだよ。おれたちのような名人でさえこのざまなんだから」と諸行往生(念仏以外のさまざまな善行によって往生できるという説)の一端を実践したに過ぎないのだと主張していた。この期に及んで、少しでも咎め立てを減じようと論旨のすり替えを目論んでいた。見苦しくも、やはり小の男だ。
 
 これがプライベートな写真であれば、愛嬌たっぷりに、笑って誤魔化してしまえばよいのだが、恐れ多くも結構な報酬をいただいての失態なので、「ここは今宵が見納めか」と、ぼくは打ち首を覚悟した。せこいながらも、最後の一瞬くらいは桜のような潔さを示そうではないかと思った。散り際の潔さは、いつだってカッコイイものだ。ぼくは大石内蔵助よろしく、仲間たちに「おのおの方(武士用語で、 “みなさん” の意)、お先に」という科白もちゃんと用意した。
 ぼくのレンズを借りたばかりに同罪となってしまった仲間も、この際だから道連れにしてしまおうと、ぼくはいとも容易く義侠心を捨てた。「同病相憐れむ」をもじって「同罪相憐れむ」とか、また「旅は道連れ」ともいうし。

 悲嘆に暮れるぼくらを生暖かい目で眺めていた先輩カメラマンであるAさん(この仕事を紹介してくれた好漢)が、そばに来て「かめさん、大丈夫だよ。あのカットはぼくがちゃんと抑えてあるから。ぼくはフツーの50mmF1.4を開放絞りで撮ったけれど、ピンはちゃんと来ているから」と、にんまりしながら安心させてくれた。
 生暖かい眼差しではあったが、助っ人であるAさんには眩いばかりの後光が射していた。あれ以来ぼくは彼に頭が上がらなくなったが、それから3年後、彼は脳溢血という不意の病に襲われ急逝。彼の死とともに、義理立て不要となったぼくは、放送局の仕事を辞めた。ここでの4年間は、とても良い修行の場となった。
 お陰様で、f 1.2開放絞り(これがいわゆる “カミソリピント” という超極浅被写界深度)でポートレートを撮る際、ピントを少しずつずらして撮るという芸当も身に付けた。この作法はややもすると快感を伴うものだということも同時に知った。暗所でなければ、何本目のまつ毛にピンを合わすという技術も習得するに至った。ぼくはまるでプロのような !? 技術を身に付けていった。

 キヤノンNew F-1の後、EOSが発売され(まだデジタルではなくフィルム時代)、ぼくは迷うことなくそれに乗り換えた。カメラマウントがFDからEFに変わり、今まで使用していたFDレンズは使用できなくなった。メーカーは愛好家から不評を買ってはいたが(当たり前)、ぼくにとっては新たなEFレンズへの興味が勝った。ここで初めてぼくはオートフォーカス(以下AF)に出会った。それをいじくりながら、「へぇ〜、ほんまかいな?」を連発していた。
 AFは確かに便利だし、近年その精度もかなり上がったが、昔気質の人間(ピントは自分の左手でヘリコイドを回し、合わすもの! それが撮影のリズムとなっていた)であるぼくは、それを頭から信用するようなことはない。ただ、この頃は歳とともに肉眼の精度が落ち、加え便利にかまけてもっぱらAFという場面がないわけではないと正直に白状しておく。ブレにはまだ自信があるが、ピント合わせはAFという横着に頼ること多し、というところか。

 メーカーの技術者の方々と話す機会が時々あるが、彼らによると、AF使用時のf 1.4に於ける合焦確率は30%前後であるという。歩留まり3割だって。「だからいったでしょ。信用しちゃダメだって」。
 これは写真愛好家にとってかなり衝撃的な数字ではなかろうかと思う。したがって、AFで合焦させたらピントをマニュアルで少しずつずらして何枚か撮るのが、今でもやはり賢い方法なのだそうだ。
 また、レンズは絞りによってピントの位置がずれる。この理屈は技術者でないぼくでも理解できる。通常使用されるAF動作のユニットは、絞りf 5.6くらいで、正確なピントが来るように作られているとのことだ。f 8.0ならバッチリということらしい。

 花の撮影を始めて久しい。これから少しずつマクロレンズを使い、被写界深度の浅い花の写真を撮る勇気を持ちたいと思っている。ぼくにそんな勇気と感受が持てるだろうかといささか不安な日々である。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/547.html
          
カメラ:EOS-5D Mark IV。レンズ:EF35mm F1.4L USM。マニュアルフォーカス。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
陽がすっかり落ちた曇天下、ホタルブクロがひっそりと咲いていた。
絞りf2.5、1/25秒、ISO200、露出補正-1.33。
★「02さいたま市」
ネギ坊主にハエ、という組合わせが如何にもぼくらしい。ミツバチや蝶でないところが、お似合いなのか? このリサイズ画像では分からないが、ハエの足の毛まで解像している。中間リングを付けて。
絞りf2.8、1/30秒、ISO200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2021/05/14(金)
第546回:大口径レンズでの失敗(1)
 デジタルを使用する以前の、まだオートフォーカスレンズが巷に流布していないころの話である。今から30年以上前のことだが、ぼくはある放送局の番組宣伝用の写真を定期的に撮っていた。そこに出入りしていたカメラマンと「東京コレクション」(ファッションショー)の撮影で知り合い、「放送局の仕事を手伝ってくれないか」と誘いを受けたのが始まりだった。
 彼は人柄も然ることながら、カメラマンとしての職業意識やスキルも高く、今は少なくなってしまった立派な職人気質を備えた人で、なかなかの好漢でもあった。ぼくには未体験の撮影だったので、間を置くことなく快諾した。

 放送局での仕事は、ビデオ撮りの本番やラン・スルー(テレビ放送のビデオ撮りの際に、本番とまったく同じに前もって行う通し稽古)時に、様々なシーンを静止画に収め、それらは新聞の番組宣伝や他の媒体(雑誌、広告など)に提供された。現場での撮影上の制約も多く(ビデオカメラの視野に入らぬように注意しながらの撮影で、撮影位置が極めて限られていた)、また局内でのスタジオ撮影は非常に照明が暗く(それでもビデオは写ってしまうから嫌になる)、特に時代劇はさらに暗くカメラマンにとって鬼門ともいうべきものだった。修行の場としては最高である。
 ぼくは大方、大河ドラマと称する時代劇の撮影をさせられた。何故か一番辛い撮影を受け持たされていた。局から支給されるカラーポジフィルムは、スタジオ用にはISO160の、コダックのタングステン用フィルムだった。野外撮影にはISO64のコダックエクタクロームとISO100のフジのプロビアが支給されたように記憶している。写真部より支給されたフィルムですべてを賄えというわけである。制限のないデジタルとは大違いだ。
 ぼくの修業時代は主にスタジオワークだったので、テレビ局の仕事は未体験の状況が多く、大変良い勉強になった。ここでの訓練は、後々のフィールドワークに大いに役立ってくれた。

 当時ぼくが使用していたカメラは、キヤノンのNew F-1を2台、モータドライブ付きで使用していた。このカメラはニコンのF3とともに1980年代を代表するプロ用一眼レフカメラだった。レンズマウントも今のEFではなくFDだった。ぼくのNew F-1は、地球の僻地にまで駆り出され、大活躍をしてくれたものだ。軍艦部の黒色の塗装が剥げ、黄色の真鍮があっちこっち露出していた。ハゲちょろけのカメラは、見るからに歴戦の勇士を物語っていた。「ぼくも歳を取ったらこんな風に年輪を刻み、貫禄が出るのだろうか?」と考えたが、未だ至らず、皺ばかりが増えていく。

 放送局の仕事に限らず、これを2台ぶら下げて走り回ったのだから、「若かったんだねぇ」と、感嘆措(お)く能(あた)わずといったところだ。おまけに当時は、ズームレンズを使用することはなく、すべてが単焦点レンズだったので、数本はカメラバッグに忍ばせておかねばならなかった。その労力たるや、いやはや・・・である。
 当時のズームレンズの性能は、解像度も、コントラストも、各収差も、使い勝手も、イマイチ、イマニ、イマサンといってよく、到底プロの使用に耐えるものではなかった。レンズといえば、プロも写真愛好家(いわゆるハイアマチュア)も、単焦点レンズを指したものだ。昨今の、ズームレンズの性能の飛躍的な向上には目を見張るものがある。

 セットの組まれた暗いスタジオでの撮影は殊のほか難儀したが、そんな折り、キヤノンの絞り開放値がf 1.2という驚異的な明るさのレンズを購入する決意をした。役者さんをビデオ撮影に合わせて撮るので、ビデオ優先のこの世界では「もう一度お願いします」という常套句が使えない。まさに一発勝負。
 時代劇の照明の暗さに恨み辛みを抱きながらたじろいでいたぼくは、この高価なレンズを購入するためにカメラ店に飛び込んだ。当時のぼくは、駆け出しのカメラマンから脱し、すぐに減価償却できるほど忙しくなっていた。「良い機材を持てば、それに見合った仕事がちゃんと来る」というのがぼくの信条でもあったので、迷いはまったくなかった。借金をしてでも、親を質に入れてでも、優れた機材を手にするのがプロというものだ。

 番組宣伝の撮影では、3〜4人のカメラマンが同時にスタジオ入りし、お互いに譲り合いながら撮影するのだが、こんな明るいレンズを持っていたのはぼくひとりしかいなかった。新調したキヤノンのNew FD85mm F1.2L を誰もが矯(た)めつ眇(すが)めつ眺め、「かめやまさん、これで安心ですね。いいなぁ、欲しいなぁ」と羨んでいたものだ。ぼくも大船に乗ったような気分になっていたのだから、おめでたい。テスト撮影もそこそこに、ぼくは羨む仲間を尻目に、お墨付きと保証書を同時に携えたような気分でスタジオ入りした。「太鼓判を押される」とはこういうことかと、妙に納得もした。
 二度目のラン・スルーで、仲の良かったカメラマン(カメラマン同士はみんな案外仲が良いもの)に「使ってみる?」とぼくはいい、恵方巻きのように太いこのレンズを手渡した。
 撮影済みのフィルムを写真部に渡し、後日現像のあがったそのポジフィルムをルーペで確認しながら、選別する。ボツフィルム(ピント、ブレ、露出、構図などが良くないもの)はハサミを入れ、その場で廃棄処分にして、すべての作業が終了となる。

 みんなが羨んだチョー明るいレンズで撮った役者さんのバストアップ写真を見て、ぼくは「ギャーッ!」と叫んだ。どこにもピントが来ていないのだ。レンズを貸した仲間もぼく同様に「ピンが来てない!」と泣きを入れた。ぼくは何だかちょっとだけ救われたような気がしたから不思議である。この話、次号に続く。

http://www.amatias.com/bbs/30/546.html
          
カメラ:EOS-5D Mark IV。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
「薔薇は撮らない」といいつつも、「その一部を抽出して撮るのはいい」と自分に言い訳を。35mmレンズに中間リングを付けて。f8.0に絞っても近接故、被写界深度はこのように浅い。
絞りf8.0、1/30秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02さいたま市」
ペチュニアの鉢植えが置いてあった。Rawデータを見たら油絵のようだったが、色調や明度・コントラストなどのバランスを整えていったら、まるで写真のようになってしまった。
絞りf5.6、1/200秒、ISO100、露出補正-1.00。



(文:亀山哲郎)

2021/05/07(金)
第545回:写真は人を騙すもの
 前号にて、「さらに大きな果報について報告しなければならない」と書いたが、内容的に「写真よもやま話」には違いないのだが、もっと個人的な、しかもかなり限定的な話題となるので、写真にまつわる出来事とはいえ、今公に語ることなのかどうかぼくは迷っている。
 持って回ったようないい方だが、もう少し煮詰めてから(テストを重ねてから)のほうが、ぼくとしては書きやすいので、この果報についてのご報告は先送りとすることにした。

 連休前に旧知の間柄であるカメラマンから電話があった。彼とはもうかれこれ40年近い付き合いで、徒話(むだばなし)とともに時折情報交換などを交えながら、昨今の写真事情などの話に花を咲かせている。
 「各論は異なるところもあるが、総論はほとんど同じ」、つまり彼との写真に関する考えには大した違いはなく「大同小異」といったところか。同年齢ということも手伝ってか、彼とは何かと相性が良い。また、写真に非常にストイックなところもぼくが彼に好感と信頼を寄せる大きな要因のひとつとなっている。
 同じ時代の空気を吸って育っているので、分かち合える部分も多いのだが、不用意に「昔は良かったねぇ」などという不粋で手前勝手な繰り言は吐かないので、なおさら気分がいい。お互い批判精神こそ旺盛だが、物事とか事象には、常に功罪というものがつきまとっていることを理解しているので、価値観の公平さとか平等といったものに重心を置けるのだろう。

 そんな彼が、「かめさん、SNSやインスタグラムはしてないよね」と、わざわざ否定形を用いて問いかけてきた。彼はぼくがアナログ時代に、フィルム現像からプリントに至るまでのプロセスに尋常ならざる熱意を傾けてきたことをよく知っていたので、遠慮がちな気持から否定形を用いたのだと思う。ぼくに問うたその心底には、「まさかね」という気持があったのではないかと推察する。
 そしてまた、アナログに一心不乱に向き合ってきたぼくが、ある日突然それを打ち捨て、何の未練もなく新参のデジタルに取り組んだことも知っている。彼のデジタル化はぼくよりずっと遅く、ぼくの変わり身の早さに彼は唖然としていたくらいだった。
 その様は、ちょいとした浮気心などという生易しいものではなく、何の未練もなく未知の佳人(美しい女性)に幻惑され、そして入れ込み、じゃなくて現代の先端技術に迷うことなく突進し、我ながら見事なる鞍替えを図ってしまったのだ。ぼくは人知れずデジタルに向けた準備期間を設けた。用意周到な浮気だったといってもいい。
 デジタルになってからも、「如何に思い通りのプリントをするか」に注力してきたぼくを彼は知っていたので、ぼくのSNSに対する考えを知りたかったのだろう。

 「SNSに関してぼくは今のところ何もしていないけれど、まったくの肯定派。自分の作品をスマホやパソコンのモニターで観賞されるのは、『今や当たり前のこと』と考えるのが、良い意味での進歩的写真人だと思う」とぼくは返した。
 某カメラメーカーによると、写真の90数%がモニターで観賞されているのだそうで、今はそのような時代なのだ。ぼくのような暗室作業に極力こだわる人間でさえ、これが時代の要請(趨勢)であることを素直に認めている。オリジナルプリントでなければ作品の真意が伝わらないという人も多くいるようだが、それは随分と穿った見方であるとぼくは思う。

 写真を自己表現の手段として嗜んでいる人にとって、自分の作品はオリジナルプリントで見て欲しいとの気持は強いものがあって当然だが、それでは鑑賞者をかなり限定させ、狭めてしまう。見られないよりは、たとえSNSであっても見られるほうがずっと良いと考えるのが妥当というものであろう。
 SNSでの鑑賞者が100人いれば、100通りの見え方が存在する。そこがオリジナルプリントでの鑑賞と根本的に異なるところだ。自分と同じモニター(色温度、明度、色相、彩度、コントラストが同じという意味)は、まずお目にかかれないだろう。ぼくの当欄に於ける掲載写真も、見る人の数だけ異なった見え方をしているはずである。斯くいうぼくも、自分のiPhoneやiPadでそれを見て、「へぇ〜、こんな風に見えるの」なんていっている。

 「自身の写真は是が非でもオリジナルプリントでなくては」と我を張る保守的な人は、写真を音楽や絵画に置き換えてみると良いのではないか? 
 演奏会場(つまり生演奏。写真ならオリジナルプリント)に出向くことなく、CDやレコード、ラジオやテレビ等々の媒体で音楽鑑賞をすることのほうが、普通の生活を送る人にとっては圧倒的に多いはずだ。生演奏はかけがえのない体験を提供してくれることは否定しないが、しかしそれだけが音楽から感動を得る唯一無二のものではない。雑音だらけのSPレコードからでも音楽や演奏者の素晴らしさはしっかり伝わってくるものだ。

 懇意にしていた美術館の館長(美術評論家でもあった)が、「時として、原画より撮影されたポスターのほうが、人々に感動を与える不思議があるものだ」とぼくに語ってくれた。写真屋であるぼくは奇妙な感覚に襲われたものだったが、しかし、美術に対して相当な慧眼を持つぼくの友人も同じようなことをいっていたことを思い出す。
 京都広隆寺の弥勒菩薩を彼とともに拝観に行った時のこと。曰く「アムステルダムで観たゴッホも、この弥勒菩薩も、写真のほうが美しいと感じてしまうんだが、ぼくの目がおかしいのかなぁ」と、彼はすっかり自信を失ったようだった。写真屋であるぼくは、「写真はね、実物より美しく撮らないと、銭をもらえないんだよ。人を騙してナンボの世界なんだ」と、少し鼻を膨らませていった。
 SNSであろうとプリントであろうと、見る人が100人いれば、100人を騙す。それが写真というもの。騙されること、即ち観賞行為なのだ。

http://www.amatias.com/bbs/30/545.html
          
カメラ:EOS-5D Mark IV。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
夕暮れ近く、路地で色鮮やかに咲く一輪のポピーを見つけた。ボケ足のきれいなこのレンズの特徴を生かして。
絞りf2.5、1/320秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
薔薇の花びらがひとつ、排水溝の蓋に乗っていた。どこからやって来たのか、あたりを見回しても分からず。花びらの白が飛ばぬように露出補正。
絞りf5.6、1/125秒、ISO100、露出補正-1.33。



(文:亀山哲郎)

2021/04/30(金)
第544回:花に学ぶ
 チューリップに関する私見をあれこれと述べてきたように思うが、思い返してみると案外そうでもないことに気がついた。けれど、これ以上のことはぼくとしても書きようがなく、もし何かを述べようとするのなら自他ともにいささか食傷の感ありだ。たいした思い入れがないので、捻り出そうにも出て来ない。
 チューリップを褒め称えることも、貶(けな)すこともこれ以上はなく、良くも悪くも「淡々( “単々” のほうが適している)とした花」なので、ぼくとしてはこれにて十分である。

 第542回で、「早くチューリップの季節が去ってくれないかな〜と思う今日この頃」と、恩知らずで勇ましいことを述べたが、今やっとその季節が去りつつある。散々お世話になっておいてこういうのも憚られるのだが、たくさんのチューリップと睨めっこをして気づいたことは、「チューリップというのはイマイチ知的要素に欠け、その姿は憂いがなく、あくまであっけらかんとしており、毒を感じさせず、健康優良児的佇まいを誇示しているような花。かといってひまわりのような本心からの朗らかさもない」ということだ。それが故に、ぼくにとって否が応でも目につく花なのである。ぼくばかりでなく、誰彼なしに「親しみの持てる花」と言い換えても良いのだろう。

 チューリップに悪態をつく理由は何一つないのだが、彼らは、枯れたり朽ちたりする姿に味わいが窺えない珍しい花だ。多分、そのような状態の期間が他にくらべ極めて短く、あっという間に花びらを落としてしまうのだろう。そこに愛惜の情やもの悲しさ、寂しさといったものを感じ取る隙間がなく、どうも情感に乏しいような気がする。滅びゆく美しさのようなものを連想しにくい。
 自分の生き様を照らし合わせるには不具合の多い花なので、共感するところが極めて少ない。それはもしかしたら、日本人的宗教観からして多少のずれがあるからだろう。無常観などのありようが少し異なるというのが、ぼくの勝手な見立てである。

 チューリップは、「きれいではあるのだが」という条件が常につきまとう希有な存在であり、ぼくはこの際それに免じて、この花に寛容さを示しているのだと思う。丹精して育てた薔薇のような気品を持ち合わせていないかわりに、庶民的な、親しみやすい感受を与えてくれる。ぼくの勝手な思い過ごしは、チューリップにいわせれば「大きなお世話」なのだろうけれど。

 「きれい」とか「美しい」というのは、後先を考えない野放図ないい方だが、物づくり屋にとってそれらの形容詞は極めて強力な免罪符となる。そればかりでなく、敢えて彼らの名誉のために書き加えるのであれば、花の少ない端境期にあってチューリップはぼくの欲求をある程度、もしくはかなりの頻度で満たしてくれたことは間違いがない。ありがたいことと感謝こそすれ、チューリップの生き様にあれこれ口を挟むのは、罰当たりというものだ。

 この原稿を執筆している今日4月29日は、たまたま去年の同日にぼくが生涯で初めて花の写真をテーマに撮り始めた日でもあった。それは自分でも意外なことだったが、現世で体験したことのないような悪質な流行り病(武漢ウィルス)のために、県またぎの移動が自粛となり、撮影に不自由していた時のことだった。
 近くのお寺さんの境内で、今を盛りと咲く多くの牡丹に出会った。「牡丹ってなんだかいうにいわれぬ不思議な雰囲気を醸す花だなぁ。何故だろう? “牡丹” という漢字もなんとなく趣があっていい。 “立てば芍薬(しゃくやく) 座れば牡丹” ともいうし」とつぶやきながら、ぼくは夢中でシャッターを切った。陽の沈みかけた、燃え残りの太陽の光が薄い花弁を透かし、ぼくはその瞬間を惜しむように、わずか20分のうちに100枚ほど撮った。

 余談だが、昨日は娘の愛犬を撮らされ、2時間で1400枚を撮った。花のような静止物ではなく、元気に飛び跳ねる小さな物体なので大変である。娘の手前、しくじるまいとぼくはムキになり、久しぶりに職人気質が頭をもたげた。歩留まりの良さは褒められて良い。ぼくへのギャラは、ビーフジャーキー2袋と「やわらか いか天」、ポテトチップ2袋と好物のサラミソーセージ。数の子のたくさん入った松前漬けに、何故か寝心地の良い枕も。とにかく大盤振る舞いだった。ぼくの写真によって育てられた娘。物分かりが良くて当たり前だ。

 閑話休題。
 今まで何度も目にした牡丹だったが、流行り病のために不自由という鎧を身にまとい、感じ方がいつもと異なっていたことは否めない。ぼくは余程被写体に飢えていたのだろう。あるいは、「もう花に取り組んでも良い年頃なのかな」と、なんとなく思い始めたことも確かだった。
 花を人生に準(なぞ)らえる心境に近づいてきたのかも知れないし、命あるものへの愛おしさから自然に発せられた欲求なのかも知れないが、今のぼくにその自覚はない。おそらく、当たらずとも遠からずといったところだろう。
 いずれにせよ、忌むべき流行り病により、長い間の写真生活で、終生取り組むことはないと思われた「花」に執心させられたことは、ぼくにとって得られた唯一の果報だったと思っている。否、唯一ではなく、さらに大きな果報がもたらされたこともご報告しなければならないのだが、亡父の真似をすれば、「嗚呼、紙数ここに尽きたり」といったところか。

http://www.amatias.com/bbs/30/544.html
          
カメラ:EOS-5D Mark IV。レンズ:EF135mm F2.0L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
逆光のチューリップ。花弁のハイライトを飛ばさぬように、露出を極力控える。花の周辺を焼き込んだだけ。
絞りf2.0、1/2000秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
同上のチューリップと同じような条件。暗室処理も周辺を少し焼き込んだだけ。
絞りf4.0、1/800秒、ISO100、露出補正-1.33。



(文:亀山哲郎)

2021/04/23(金)
第543回:「絞り開放」を適宜汎用する
 ここしばらくの間、「赤面の至り」とつぶやきながら、何故かチューリップの撮影に痛くご執心だった。特別、チューリップに魅せられていたわけではないのだが、気がつくと知らずのうちに、こっそりとすり寄っていた。そこには何か得体の知れぬこの花特有の魅力、あるいは魔力(色気ではなく、屈託のない可愛さとでもいうのかな)のようなものが存在していたのかも知れない。
 高貴な優雅さは感じないが、しかし誰が見てもチューリップというのは色鮮やかで(少なくとも写真表現を対象とした言い方をすれば)、加え色とりどりであり、それはどこかぼくの好きな薔薇に相通じるものがある。かといって、ぼくは薔薇にレンズを向けることはまずないといってもいい。その理由は以前に触れたことがあるので、ここで改めて記すことはしないが、チューリップのほうが人懐っこさとか、あっけらかんとした趣きがあり、また女性的でもあるので、「癇癪持ちのジジィが撮る花じゃないだろう!」といいつつも、ぼくは撮影による体力の消耗を惜しまなかった。

 チューリップは花の位置が総じて低く、あれこれ考えながら良いアングルを得るには、しんどい撮影体勢を維持する必要があり、かなり身に堪える。シャッターを切り終わり、立ち上がるとしばし軽い立ちくらみ。なんてこった。
 片膝もしくは両膝をつきながら、時には尻をつき、しゃがみ込んで睨めっこに興じるわけだが、今まで撮ってきた様々な花とは異なり、チューリップはこれまでと同様の写真表現を踏襲するには不向きであるとぼくは感じていた。
 前々回に記したように、チューリップは「優しく、柔らかく、そして少しだけ幻想的に」を心がけた。ぼくの独りよがりな考えによると、チューリップは単一の世界観を示す最右翼の花だと定義づけても良いと思っているので、それに応じた描写をすれば自身に得心がゆく。端的にいえば、チューリップを単体で撮るのであれば、多くのバリエーションを組みにくいと感じる。
 
 ぼくの望む表現意図に従えば、中望遠レンズ(できればf値の明るい単焦点レンズが撮りやすい)を絞り開放(数値の少ない)近くで撮るのが方法論としては齟齬がない。今ぼくは実験的にキヤノンの焦点距離35mm(フルサイズ換算。広角レンズ)のマクロ機能(最大撮影倍率0.5倍)の附属したレンズを使って撮ってみたが、重い中望遠を使わずとも遜色のない良い結果が得られている。

 今回の掲載写真は、キヤノンの中望遠EF135mm F2.0L USMを使い、絞り開放(f2.0)で撮ったもの。このレンズは、凍てつくツンドラから灼熱の砂漠、そして熱帯雨林にまで苦難を共にしてくれた頼り甲斐のある古参兵であり、ぼくのお気に入りの1本である。まさか、チューリップを撮らされるとは夢にも思わなかったに違いない。「お前、正気か!」との声が聞こえてきそうだ。
 今シーズン、花の撮影にはまだ使用していないが、同じくキヤノンのEF85mm F1.2L USMというツチノコのように太い胴体をした重両級のレンズもそのうち使ってみようかと思っている。これもぼくの所有するレンズのなかでは、軍曹のように逞く、臨機応変の働きをしてくれた。開放絞り値がf1.2という驚異的な明るさを持つこのやんちゃなレンズ(f値の違いによって性格を変えるという愛すべきレンズ)は使い方が難しいが、カミソリのように薄い被写界深度が得られるので、上手に使用すれば、まったく異なる世界を演出することができる。

 レンズや絞り開放についての事柄は、書き始めるとかなりの分量となるので、筆硯を改め、近いうちにお話しできればと思っているが、表面だけ撫でておくと、f値の明るいレンズを一般的に “大口径レンズ” と称する。レンズが1絞り分だけ明るくなると、取り込める光の量が2倍となり、それだけ早いシャッタースピードが切れるという利点(光学的・物理的な道理による)がある。そのかわり、価格のほうも当然のことながらそれにつれて高騰する。重量も増える。これはものの道理で仕方ないことだが、それ相応の利得がある。高価なレンズを購入して、「損をした」という後悔の念をぼくは今まで一度も聞いたことがない。

 絞りを開ければ開けるほど(数値を小さくする)、被写界深度が浅くなり、ピントの合ったところ以外のボケの量が大きくなる。好事家の間では、このボケ味についての蘊蓄(うんちく)がかまびすしいが、都市伝説を含めての誤った解釈が散見できるので、ぼくは極めて主観的なこの話題に触れたくないし、また好きでもない。したがって、我が倶楽部の人たちには、レンズによる描写の違いやボケ味に関する話題からは意識的に距離を置くようにしている。
 写真には、レンズの描写云々よりはるかに大切と思われることがたくさんあるのだから、そちらのほうに重心を置くようにしている。ぼく自身は、そのようなあり方がより健康的であるとの確信を持っている。レンズ道楽をし過ぎて、身上(しんしょう)を潰しかけた人間がいうのだから、どうか信じていただきたい。

 今回の掲載写真は、データを参照していただければお分かりのように、135mm中望遠レンズを絞り開放f2.0で撮ったもの。どのように優秀なレンズでも、開放絞り値というのは、解像度やコントラストが甘くなる。そして、大口径レンズであるほど周辺光量が落ちるとの性質を有している。周辺光量の落ちに関しては、ぼくは敢えてその味わいを残したい時がしばしばあり、補整はしない。
 事上磨錬(じじょうまれん。観念的にではなく、実践により精神を練磨すること)された135mmが、「歴戦の勇士であるわしが、何でチューリップを?」と訊ねてくれば、「長年の酷使に耐えてくれたそのご褒美」とぼくは無愛想に答えるのだろう。

http://www.amatias.com/bbs/30/543.html
          
カメラ:EOS-5D Mark IV。レンズ:EF135mm F2.0L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
「チューリップはね、縦に撮るといいのよ」とご指南くださったご婦人に従って、縦位置で撮る。輪郭にフォーカスを合わせたので、手前花弁の質感を際立たせることなく、柔らかく表現。
絞りf2.0、1/1600秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02さいたま市」
後方の赤いチューリップを最大限にぼかすため、逆光に映える黄色のチューリップを最短距離で撮る。
絞りf2.0、1/5000秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2021/04/16(金)
第542回:恥ずかしながら今回もチューリップ
 「誰も見ていないって」とか「自意識過剰なんだってば」と思いつつ、不思議にもチューリップを撮るのは何故か気恥ずかしい。ぼくにとって、チューリップとの関連性はそのようなものだ。
 声を潜めそんなことをいいながらも、1時間半ばかりかじりついていたので、今回の掲載写真もそれに臆せず発表というところだ。「せっかく、恥を忍んで撮ったのだから、もう少しだけ世間に晒してみよう」と、僭越ではあるが過分な自意識も手伝って、今回も掲載写真はチューリップ。何度もいうが、恥ずかしい思いをして撮った(お前の勝手だろう)のだから、ぼくのチューリップ写真掲載は「せっかく」という大義名分を盾に、もう少しばかり続きそうな気がする。
 チューリップは、どうみても女性専科の花だよなぁ。白髪ジジィ向きじゃ〜ないと思うんだけれど。「嗚呼、オレとしたことが、なんてこった!」と、ぼくは一応体裁を整えるために、ここでそううそぶいておく。これを世間では、「照れ隠し」というらしい。

 道路際に咲いていた(掲載写真「01」)チューリップが逆光に映えていた。黄色い花弁に、わずかな赤が混じり、それがまるで血管のように透けて見えた。ちょっとした立ち位置の変化(光の角度差)で、その血管は消えたり浮き上がったりもした。
 それを捉えるため、ぼくは嫌々ながら右片膝をつき、低く伸ばした左膝にカメラを乗せ、身をかがめながらできるだけ低い位置からファインダー越しに観察していた。ぼくの体は人並み外れて柔らかいが、こんな時には、普段は無縁のバリアングル機能付きカメラが欲しい。
 主人公となる花の向こうには、色鮮やかな赤いチューリップが二輪、日陰のなかで自己の存在を主張するように彩度を上げながら咲いていた。
 撮影位置が限られていたので、レンズ位置の微調整に時間を取られた。しかも、かなり辛い姿勢を余儀なくされてのことだから、少々息が上がる。そのまま立ち上がれば軽い立ちくらみを覚えるに決まっている。その頻度が最近は多くなった。

 バランスの良い位置に赤いチューリップを配置し、極めて控え目に表現したかったのだが、なかなかそうはいかなかった。両者の位置関係を納得できるものにするには、花をもいで、位置を移すしかない。ここは他人の私有地であり、そこに咲く花なので、それは犯罪行為となってしまう。そんなことをしては、即座に写真を撮る資格を失う。この花たちが、たとえぼくの所有物であり、そして私的な写真であっても、ぼくは写真愛好家として、そして職業写真屋の端くれとしての身を保つ。それがささやかな矜恃でもある。

 両者の色合いや配置を、自然光下で思い通りに描くには、何が主人公なのかをしっかり定めることが重要。いつも述べるが如く「写真は引き算。何を写すかではなく、何を写さずに画面を構成するか」にある。何やら禅問答のようだが、 “あれもこれも” というのは人情としてはごもっともであるけれど、そこをぐっと堪えてナンボであるとぼくは思っている。第一、その欲ははしたない。
 あれもこれも欲張って説明したくなるのだろうが、それをしてしまっては失うもの多々である。それが作品づくりの常ではないか? そのような細工を施すことを、ぼくは「色気を出す」(悪い意味での)とか「助平心」だといい切っている。「写真は、捨てる勇気を持った者勝ち」との確信に至っている。いわば「簡素化のすゝめ」である。

 この情景がコマーシャル写真撮影であれば、ここに何灯かのストロボを持ち込んで、光を自在に操作し、あたかも見映えのする写真に仕上げるのだろうが、私的写真で、そんなことをしては意味がない。自身の知恵(そんなものがあるのだとすればだが)を信じたいものだ。与えられた条件のなかで、最も自分らしい写真を描こうと努めるのが、創作の一番の醍醐味だと思っている。
 私的写真を撮る時のぼくは、アマチュアリズムの素晴らしさと良さを満喫することにしている。写真は楽しむことが第一で、第二は苦しむこと。相反するこの2条件の狭間を行ったり来たりするのも、また楽しからずや、というところだ。思い通りにいかずとも、「首を取られるわけではない」のだから、のびのびと撮ることが一番だ。写真を楽しんでいた約40年以前の、若かりし頃のぼくに戻れるのだ。

 上記した厄介なチューリップを前に四苦八苦していると、年配の男性が車を止めて運転席から身を乗り出し、「はぁ〜、あの〜、写真って〜、そ〜やって撮るんですか〜、な〜るほどね〜、う〜ん」と音引き一辺倒で声をかけてきた。ぼくの撮影スタイルはよほど奇妙なものだったのだろう。しからばぼくも、「はぁ〜、そ〜ゆ〜ふ〜に見えますか〜? かっこ〜悪〜いっしょ〜」と、音引きおじさんに負けじと返した。
 つい先日、ネギ坊主を撮っていたぼくは20代後半と覚しい麗しき女性に声をかけられたが(ぼくはナンパされたと思い込んでいる。多分正しい)、今回は還暦前後のおじさんでありました(これは “ナンパ扱い” はしない。したくない。それが正しい)。

 近くいた2人のおばさまの1人がぼくに、「チューリップはね、縦に撮るといいのよ」とご指南くださった。ぼくの難儀している姿を見るに見かねたのだろう。30歳近く年上であろうぼくに対して、「あのお年寄り、もう見るに忍びないわ。あたしが何とかしてやらないと」との母性本能をくすぐられたのかも知れない。ぼくがどれほどの慇懃さをもって彼女に礼を尽くしたかは言を俟(ま)たない。
 早くチューリップの季節が去ってくれないかな〜と思う今日この頃。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/542.html
          
カメラ:EOS-5D Mark IV。レンズ:EF135mm F2.0L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
本文にて述べたチューリップ。わずかにグローをかけただけで、ほとんど補整なし。
絞りf2.0、1/4000秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
孤独なチューリップ。これを撮った後立ち上がったら、軽い目眩を覚えた。明るい単焦点レンズ特有の描写。これもわずかにグローをかけただけ。
絞りf2.0、1/4000秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2021/04/09(金)
第541回:ジジィとチューリップ
 こちら(さいたま市)ではもうすっかり春めき、葉桜とともに緑が色濃くなり、まだ4月初旬だというのに陽は眩しく、新緑の気配さえ漂っている。今まさに春真っ盛りと思いきや、山形県や石川県の友人からは「まだ山沿いでは油断がならない。雪の予報が出ているよ」とのことだった。「へぇ〜」と思いながらも、考えてみたら日本はかなりの縦長で、しかも山間地が多く、それは至極当たり前のことに思える。ぼくをからかっているようではなさそうだった。
 さいたま市のぼくの生活圏は、何かにつけとても平穏無事なところで、ぼくの頭が普通の人にくらべるとややボーッとしていたりするのは、このような居住環境とか自然環境が少なからず影響を与えているのだと思う。

 先日、偶然に車で通りかかった場所に、狭い範囲ではあるけれど、チューリップが一面に咲いていた。冬の間、ぼくのうろつく範囲には花が見つけにくかったこともあり、普段は特別にたいした感情を抱くことのないチューリップではあるが、車を止め運転席からしばらく眺めていた。
 子供が駄菓子を限られた小遣いで買うように、「あのチューリップがいい、でもこれは今欲しくない。そっちはどうしようか。もう少し小遣いを貯めてからにしようか」などとぼくもチューリップを前に同じように呻吟していた。曇天下ではあったが、この花特有の華やかさにぼくの気分は和んだ。
 鮮やかに花弁を広げる彼らの言い分も聞かずに、ぼくはあれこれと彼らを勝手に値踏みしていた。よほど冬を寂しく思い、そしてひもじささえ感じていたようで、この作業はとても楽しいものだった。
 この時はカメラを持っていなかったので、「時間をやり繰りして明日会いに来るから」といい残して、取り敢えず帰路についた。

 ハンドルを握りながら、あのチューリップたちをどのように撮ろうかと思案していた。頭にパッとランプが灯ったように、ぼくにイメージが閃いた。この凡骨でありふれた閃きが、明日吉と出るか凶と出るかは撮ってみなければ分からないが、「きっと良いに違いないので、チューリップの撮影は、それに賭けてみよう。仕事写真ではないので、凡庸に終わっても首を取られるわけではないし」とうそぶいてみた。また、「閃き」といっても撮影の方法としては至って平凡なものだ。いわゆる「よくあるやつ」なのだが、その「よくあるやつ」を使って、自分らしさを表現するにはどうすればいいかというのは、また別問題である。

 チューリップに特別な感情は抱いてないが、この1年間の花撮影を思い返せば、それは比較的レンズのボケ描写を重要視せず、質感やイメージ色、被写界深度に重きを置いたものだった。撮影作法がどれも変わり映えしないので、そのために使用レンズも一様なものとなり、変化に乏しかった。変化に乏しいというより、かなりの一本槍といってもいいだろう。
 しかし、撮影というものは、被写体が同じようなものであれば、撮る人間が一緒なのだから、作法も当然似通ったものになるのは仕方のないことだ。少なくともぼくはそれほど器用じゃない。時には「何とかのひとつ覚え」なんてことも、何一つ恥じ入ることなく平気でやる。こういう時は、何かに対して執念と妄念が入り混じり、取り憑かれているから始末が悪い。
 だが、ぼくのチューリップ撮影に描いたイメージは、気分としては「優しく、柔らかく」、そして少しだけ「幻想的に」である。

 運転席から眺めたチューリップは、「久しぶりに中望遠レンズを使って撮れ」と訴えているように思えた。そしてまた、それはぼくの直感でもあった。ここは、23年前(フィルム使用時)に購入し、今でも現役の135mmの単焦点レンズを、「絞り開放(f2.0)、もしくは開放近くで使うこと」と、 “4月の花の神さま” (そんな神さまがいるのか? いるのです!)はおっしゃっている。
 このレンズはぼくの最もお気に入りの1本で、手放すことができず、いつもは奥座敷に鎮座している。古女房のようだ。長きにわたる付き合いで、このレンズとは「酸いも甘いもかみ分けた」間柄である。
 新しいレンズが次々と現れるなか、このレンズの存在はぼくにとって特別なものがある。しなやかで繊細、かつ単焦点レンズ特有の柔らかく美しいボケ。そのような味わいを持つこのレンズは、仕事では多用するが、プライベートな写真では、何故か出番が少なかった。明日、これを使うとなると、ぼくの心は浮き浮きと踊った。いつもの鉄アレイのようなボディは止めて、EOS - 5D IVを持ち出すことにした。

 こんな効能書きを並べ立ててしまうと、身の置き所がなくなることは重々承知している。そして、もうひとつ撮影に際しての懸念材料があった。
 それは白髪のジジィが身をかがめ、チューリップに食らい付き、へばり付き、舐めるようにしている姿は絶対に似合わない、というより極めて不格好だ。さらにいえば、鬼気迫る光景ではあるが、気味が悪い。つまり、ぼくとチューリップは大変不似合いな間柄なのだ。撮影している姿などどうでもよいが、チューリップとの組合わせがいけない。ここは、通りに面しており、人通りもある。そんな姿を晒しながらの撮影を思い浮かべるとちょっと憂鬱でもあった。
 案の定、カメラを下げた人やスマホ組の姿が思いの外多い。ぼくは1時間半ほど滞在し、助手席にカメラを放り込んでそそくさと逃げるようにその場を去った。

 前々日、近くの農園でぼくはネギ坊主に食らい付いていた。その姿をしっかり観察していた見知らぬご婦人に愛想の良い声をかけられた。つまり、ぼくはよほどおかしな恰好をしていたに違いない。しかし、この事実は、少なくともぼくにはチューリップは不似合いであり、ネギ坊主のほうがどこか釣り合いが取れているということを明確に物語っている。「はて? 何でやろ?」。 

http://www.amatias.com/bbs/30/541.html
          
カメラ:EOS-5D Mark IV。レンズ:FE135mm F2.0L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
晴天下だったので、絞り開放だとシャッターが速すぎてどうかな? との心配から一応NDフィルターを持参したが、撮り始めたのが3時少し前だったので、使わずに済んだ。
絞りf2.0、1/5000秒、ISO100、露出補正-0.67。
★「02さいたま市」
撮りっぱなしに近く、ほとんど手を加えていない(補整をしていない)。
絞りf3.5、1/1250秒、ISO100、露出補正-0.33。



(文:亀山哲郎)

2021/04/02(金)
第540回:桜、悲喜こもごも
 今週の月曜日に仕事がてら都内まで出かけた。銀座通りに桜が咲いているわけでもないのに、結構な人出である。仕事先の屋内には、消毒液のスプレーが至るところに置かれ、透明のビニール幕が来客を拒むように、これでもかという具合に張り巡らされていた。ここは大手企業なので、人の出入りも多く、殊更に厳重な警戒網が敷かれているようにも思えた。
 不特定多数を相手に行うことができる平均的な武漢コロナ防御策なのだろうが、ぼくの思いはそこにはなく、ちょうど2年前の桜の開花(石神井川)に思いが走り、それが残像として脳裏にフワッと浮かび上がってきたのだ。石神井川の満開の桜を、あの時ほど強く印象づけられたことは今までなかったからだった。

 何十年間もの間、桜に対して特別な興味を示すことはなく、かといって抗うわけでもなく、写真も「たまたま運よく美しい桜と出会うことがあれば撮る」という程度だ。したがって、桜の写真を撮るために、あちらこちらに出向こうと考えたこともない。当然のことながら、桜の下での、しかも喧騒下の宴会もとんと興味がない。どちらかというと、そんな環境からは極力逃げ出したいと願う質だ。
 この点では、あまり日本人的とはいえないのだが、それはあくまで写真を対象にしたうえでのことであって、肉眼で見る(レンズ越しでなく)桜は、へそ曲がりのぼくだって人並みに、素直に美しいと感動する。カメラさえ持たなければ、ぼくも平均的な日本人回帰を果たせるのだ。
 先週の拙稿にも「桜に対する執心は人並み以下」と、認(したた)めたところだが、前述の如く2年前の石神井川を覆うように咲き乱れる桜だけは終生忘れ得ぬ光景だった。

 余命2年を宣告された30代の若い友人から、「元気なうちに、私の姿を桜とともに撮っておいて欲しい。すぐ近くを流れる石神井川の桜は見応えがあるから、そこで撮って」とお願いされた。もちろんぼくは快諾し、「高いぞ」と冗談を飛ばしながら、彼女の願いを叶えようと、桜の開花を心待ちにした。そんな開花待望体験は、ぼくにとって初めてのことだった。
 彼女には特別にポーズを取らせることなく、石神井川沿いを散策する自然な姿を限られた時間内に約200枚ばかり撮った。あれから今年の開花でちょうど2年経つ。彼女は弱りつつも元来の明るさと気丈さを保っていると母親は伝えてくれたが、もう桜の木の下に立つことはできない。そして、家族でないぼくは、忌むべき武漢コロナのお陰で面会もできずにいる。今のところ、彼女の元気な姿を頭に描くことしか術がない。

 そんな思いを抱きながら、今週の30日に「今日を逃すと、桜の盛りは過ぎてしまう。桜の好きな彼女に1枚進呈しなくちゃ」との思いに駆られ、曇り空の見沼の桜回廊を彷徨った。久しぶりに持ち出した11-24mmというエキセントリックな超広角ズームを随(したが)えて、意気だけは揚がるが、どうにも思うような構図が取れない。レンズを変えてもしっくりこない。
 「立ち位置が悪いのだろうか」とか「光が見えていないのだろうか」とか、果ては「桜組合がオイラを嫌っているからだ」と責任を桜になすりつける。アングルを探すより、言い訳を求め出す始末。

 そうこうしているうちに、陽はどんどん暮れていく。焦りを感じながら、ぼくの最も嫌う撮影作法であり、頭ごなしに否定すべき「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」(絶対に当たらない!)を試してみたくもなる。闇雲に撮ろうとする行為は、苦し紛れの「ゲスの勘ぐり」(品性卑しき者は、不必要に気をまわして見当違いの邪推をするとの意)に似ている。
 それに気づいたぼくは、桜の木を前に、少ない理性を支えに踏ん張ってみるものの、「誰も見ていないので、 “取り敢えず写真” に甘んじてしまおうか。分かりゃしないって」と、自身の信念や倫理をあっさり打ち捨てたがるらしいのだ。
 人目を忍んで自分との約束や信条を反故にしようというのだから、魂胆が賤しく、そしてさもしいときている。そんなありさまを満開の桜の下に晒してはいかんのではないだろうかと、自責の念に駆られた。

 ぼくの机の上には愛聴のCDが置かれており、そのジャケット写真には、桜ではないが大木が枝を張っており、そのカラー写真がセピア色を被せてプリントされている。それは、エミール・ギレリス(ロシアのピアニスト。1916-85年。ソビエト政府から西側で自由に演奏することを許された最初の芸術家)のベートーヴェン・ピアノソナタ(ドイツ・グラモフォン)に相応しいジャケット写真である。「あんな具合に桜が咲いていればなぁ。今ああいうプロポーションの桜が欲しいんだが、『所変われば品変わる』だから、一から謙虚に出直すしかないか」とぼくはさいたま市の見沼たんぼで諦観の境地に達した。「無理なく、力まず、ありのままに撮ろう」と。色気を出したり、見せようと企んだりすれば、写真は深奥や艶を失ってしまうことをぼくはすでに知っているはずではなかったのか?

 私事になってしまうが、4月2日には大仕事の締め切りが迫っており、それまでは外出もできず、撮影を始めることができる4日以降は、葉桜に変容を遂げているだろう。3月30日に撮った桜もしばらくは手をつけられない(Raw現像できない)が、果たして写っているだろうか? ぼくは小心者だから、データをカメラからPCに移したものの、まだ恐くて見ていない。もしダメなら再撮は来年まで待たなければならない。病身の彼女は待ってくれるだろうか。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/540.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。Sigma DP1S。レンズ:FE35mm F1.4 L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
八つ手大好きのぼくだが、この写真は日が暮れかかり、しかも陽の当たらぬところなので、八つ手特有の艶はないが、そこで醸される空気感に惹かれてシャッターを切った。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-0.67。
★「02さいたま市」
昔から虫喰いが好きなぼく。これはブロッコリー。食べるのはあまり好きじゃない。
絞りf5.0、1/50秒、ISO200、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2021/03/26(金)
第539回:桜と菜の花
 カメラを持つ手がかじかんでしまうような寒い冬(ぼくは厳冬の地にあっても撮影時には手袋をしない主義。だが、他人には強要しないし自由だ)が通り過ぎ、ぼくの住むさいたま市にもやっと草木の芽吹く心地良い季節がやってきた。我が家の庭にもニラが白く可愛い花をつけ、ぼけや水仙なども咲き始めた。駅前の公園には桜も 5 ~ 6分咲きほど(23日火曜日)と見受けるが、これからは日々開花し、週末には見頃となりそうだ。

 人災である武漢コロナという忌々しい流行り病のせいで、止むを得ず近隣限定で花や実、葉や切り株ばかりを撮り始めてから早1年が過ぎようとしている。
 「あれからもう1年も経つのに、ぼくはどこへも写真を撮りに出かけていないなぁ」と恨み節を唱えつつ、「先の見えない流行り病にはもう拘(かかずら)うことなく、少しずつ羽を伸ばそう」と決意したところ。本心をいえば、先の見えない武漢コロナには、 “恨み骨髄に徹す” の言葉しか思い当たらないが、これはぼくばかりではないだろう。

 写真を職業としている人間が、「冬の間は、花が少なく魅力的なものが身近に見つからないので、難儀している」などという言い訳がましいことをいってはいけない。「そんな泣き言が通用しないことは重々承知の上なのだが、無いものは撮れないじゃないか」と開き直るのは、なおさらいけない。発見できずにいるぼくが悪いのだとの自虐的思考は、しかし確実に精神を蝕んでいくものだ。
 そんななか、毎号の写真掲載を中断するわけにもいかず(担当者より義務付けられているわけではなく、自ら課していること)、気を病むような状態が続いている。精神は落ち込み、これでは自律神経にも悪影響をもたらす。

 流行り病の、その凄まじき悔しさたるや、ぼくは目を天外に、歯を食いしばって、虚空を掴むが如し。そのような目下の怨めし、少しも大袈裟ではない! それどころか、ぼくより酷い目に遭っている気の毒な人々がたくさんいる。「働き盛りを過ぎたお前はむしろましなほうなんだよ」と、自己暗示をかけ、自身に言い聞かせている。
 そして、にも関わらずぼくは、夜中にやけ食いをしようと、台所にあるものを貪り、憂さを晴らすのだが、その割に体重が増えることはなく(それを良いことに)、したがってますますぼくは増長し、冷蔵庫漁りに余念がない。しかし、ぼくにも多少なりとも体裁というものがあるので、人目を忍ぶが如く、家人が寝静まってから、鼻を利かせつつごそごそと辺りをうごめく。
 年に2度か3度、もらい物の虎屋の羊羹だとか、千疋屋や高野のゼリーなどを発見した時は、甘党でないぼくでさえ、その幸運に思わず手を震わせてしまう。何ともたわい無いことだ。

 桜の季節到来とあって、桜の名所であるさいたま市の見沼田んぼに出かけてみた。ここは日本一の桜回廊で、その長さは20kmを越えるのだそうだ。毎年その見事さにふらっと訪れてはみるものの、気合いを入れて桜を撮ったという記憶はあまりない。ぼくの桜に対する執心は人並み以下なのだが、今年は前述した事情により、そんなこともいっておれず、「何でもいいから、とにかく撮る」を目的に車を走らせた。「何でもいいから」などという科白は写真人としては禁句だが、この際緊急事態なのだから仕方がない。
 幸か不幸か、お気に入りの桜はまだどこも満開を迎えておらず、撮影をするにはどれもこれも中途半端だった。ぼくは潔く諦めた。

 見沼田んぼの広い地域を走り回り、運転席から眺めていると、春とはまだ名ばかりで、触手を伸ばしたいような花は見つからない。モクレンはどれも花の位置が高すぎて脚立でもなければ覚束ない。場所によっては「満開間近」と思えるような桜たちにも出会ったが、ぼくとの相性が良いとはいえないような姿だった。プロポーションが悪いのである。桜というものはある日突然、全員が申し合わせたかのように、一斉に我が世の春を謳歌する摩訶不思議な花だ。組合でもあって、そこで「うちのグループは、今年は何月何日から咲く」との取り決めがあるのだろう。きっとそうに違いない。

 桜たちから少し離れたところに、菜の花が盛大に咲いていた。彼らはいつも桜たちとほぼ同時期に咲く。きっと組合同士の仲が良いのだろう。車を止めて、鉄アレイのような一眼レフを、年甲斐もなく振り回し、菜の花を撮った。車を降りたり乗ったりするたびに、この鉄アレイのお供は少々息が乱れる。
 余談だが、最近はプライベート用写真にもう少し軽い一眼レフ(ただしフルサイズ)が欲しいお年頃となったようだ。

 桜がまだ物足りなかったので、3月に撮った桃の花を、赤外線写真をイメージして暗室作業をしてみた。今まで連載の中心的撮影手法としてきたクローズアップ、もしくはそれに準じたものではなく、全体の雰囲気や空気感を表現してみたいとの思いが先に立った。元々、桜や梅、桃や菜の花はそのような類のものだとぼくは思っている。
 特に菜の花はマクロレンズを使って撮っても、それほど妙味のある花ではない。何だか菜の花は散々ないわれようだが、そうではない。
 私見だが、以前より菜の花の集合写真は、花より茎の直線が勢揃いしたその様が面白いし、独特なものがあると感じている。今回の掲載写真も、この点を考慮し、また重視しながら撮っている。それをより効果的に表現するにはモノクロが相応しい。
 週末あたりはどこも桜が満開となるだろう。またぞろ鉄アレイを引っ下げて、息も絶え絶えにならぬ程度に徘徊してみようかな。

http://www.amatias.com/bbs/30/539.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE24-105mm F4 L IS USM。FE35mm F1.4 L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
桜にはまだ早い時期だったが、一連の桃の花に巡り会えた。赤外線モノクロフィルムをシミュレーション。
絞りf7.1、1/200秒、ISO100、露出補正ノーマル。
★「02さいたま市」
一面に咲き乱れた菜の花。モノクロで細部のコントラスト(DxO社のFilmPackに附属しているマイクロコントラストと微細コントラストを併用)を際立たせる。
絞りf9.0、1/160秒、ISO100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2021/03/19(金)
第538回:背景の黒について(続)
 今回は前回からの続きとして、少しだけ具体的な作業について述べてみたい。読者諸兄からのご質問に、できるだけお役に立てるようなお答えをしたいとは思っているのだが、伝達手段が文章というかなり抽象的な手法なので、書き手も読み手も隔靴掻痒(かっかそうよう。靴の上から痒いところをかくとの意。転じて、思うようにいかず、歯がゆくもどかしいこと)の感ありといったところかも知れないと案じている。そこはぼくの至らぬところであり、どうかご海容のほどを。

 みなさんが撮影をする際、記念・記録写真以外の場合は、「主人公(主被写体)をこのように撮りたい」とか、あるいは「扱いたい」とのイメージをお持ちであろう。趣味としての写真は、まず始めに想像や幻影から派生し、やがて創作意欲に転じるのだろうとぼくは思っている。
 撮影時に抱くイメージが具体的であったり、時には「ただ何となく撮りたい」と曖昧なものであったりもするだろうが、それを二次元の世界に投影するための実践に、前回からのヒントが何らかの形でみなさんの応用に役立てればぼくも嬉しいのだが。そんなことが5,000文字足らずで上手くいくものだろうか? 
 今回のテーマはそれほど難しいことではないので、首尾は上々とまでは行かずとも、概要の把握さえできればかなり応用の効くものではないかと考えている。

 先週の掲載以降、さっそく読者の方から「Photoshopで選択範囲を作らずに、背景などのトーンを落とす方法を知り、びっくりしました」とのご報告を受けた。確かに、この1年間に掲載した80枚以上の写真の花弁や重要な部分などをPhotoshop上でトーンを変えるために “選択範囲” を作ったりしてはいない。それは前回に述べた通りなのだが、今回はそれに関連した事柄の続きである。

 一昔前Photoshopは、「 “選択” ができれば、それだけで一人前」といわれた時期があった。かつて、ぼくも「ペンツール」を使い、アンカーポイントを操作しながら、念入りに作ったものだ。
 しかし、Photoshopはバージョンがアップされるたびに進化を遂げ、今や “選択範囲” を作ることは昔ほど困難なことではなくなったように思う。とはいえ、未だに “選択範囲” の作成は容易いこととはいい難く、乱雑に操ればすぐにそのいい加減さがバレてしまう。「馬脚を露わす」というやつだ。
 しかし、バレてもかまわないとする豪気かつ勇猛、というより猪突猛進的な蛮勇を振るう人たちがぼくの身近にも少なからずいることは確かだ。「A3ノビくらいの拡大プリントなら、5m離れたところから観賞せよ。それ以上近づくな!」と彼らは言い放って憚らない。これはこれで「たいしたものだ」とぼくはその大胆不敵さをヒジョーに羨む。
 しかし、本人が恥ずかしくなければそれでいいのではないかとぼくは思うのだが、その一方では指導者の立場からこの現象を図ると、やはり好ましいとはいい兼ねる。何事も「一事が万事」だから、ぼくは「可能な限り、撮影も暗室作業も丁寧に」を金科玉条として欲しい。「一事が万事」、この諺ほど真を言い当てているものはないと思うことがよくあるので、なおさらである。

 DxO PhotoLabによるRaw現像時の「部分調整」と併用する他の方法は、トーンを落としたい背景などの色を、Photoshopの「色相・彩度」ツールにある「彩度」を使用して調整することだ。特定したい色を左下にあるスポイトで抽出し、スライドを左右に動かして「明度」を変化させる。「明度」変化させると「彩度」も同時に変化するので、それも調整したほうが望み通りのものが得られやすい。

 Photoshopを使っての明度調整は、「トーンカーブ」が主たるものだが、ぼくがそれ以外にしばしば用いるツールは、古典的な「焼き込み」ツール。これは「シャドウ」「中間調」「ハイライト」に分けられており、「露光量」(強さ)も1〜100%まで自在に変化させることができる。ブラシの太さも自由自在なので、使い勝手が良い。
 ここで注意しなければならないことは、必ずレイヤー上に「背景のコピー」を作成し、それに焼き込むこと。失敗しても、あるいは「ヒストリー」の制限で元に戻れなくなっても、取り返しがつくからだ。
 そしてもうひとつの注意点として、焼き込んだ部分の色調が変化する場合があるので、「露光量」を少な目(5〜10%くらい)にして、試してみることが肝要。時として、違和感が生じることもあり、その場合には「焼き込み」により変化した部分を選択し、「色相・彩度」や「カラーバランス」、「レンズフィルター」や「特定色域の選択」ツールで調整するしかない。ここでも、「金科玉条」を思い起こしていただければと願う。一番建設的でないことは、「思い通りいかないので、自棄(やけ)を起こす」ことだ。ヤケクソ、これが一番いけない。これをしてしまうと、せっかく近くに寄ってきた女神をみすみす逃すことになりかねないからだ。

 前々回に掲載した「紅葉葉楓」と「八つ手」は、自室に持ち込んでの撮影。人工光である。バックは “ウールペーパー” という特殊な素材で、コマーシャルカメラマンの商売道具を用いたものである。この黒地は、非常に短い毛が埋め込まれており(それが写ることはない)、どの方向から光を当てても反射しない性質の背景紙である。ちょっと高価なので、今のデジタル時代であれば、ビロードやベッチン(別珍)でも代用できる。シワがあったり、微細なゴミが付着していても(フィルム時代はこれを取り除くのに大騒ぎ、といっても過言ではなかった)、デジタル様々である。
 このような麗しき?デジタルの女神を、どうぞ丁重におもてなしくださいますように。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/538.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE11-24mm F4 L USM 、FE24-105mm F4 L IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
アサガオなのかユウガオなのか分からず。夏の夕方に撮ったのだからアサガオとはいわないのかな? 光るような感じで咲いていたので、とても美しかった。なので、名は二の次でいいか。
絞りf5.6、1/25秒、ISO200、露出補正-1.67。
★「02さいたま市」
ぼくは昔から「ボトッ」と落ちる椿が大好き。学生時代、侘助(椿の一品種)が欲しくて、苗木の産地である安行(埼玉県)に買いに行ったことがある。
絞りf8.0、1/20秒、ISO400、露出補正-2.00。


(文:亀山哲郎)