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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2023/06/16(金)
第647回:ちょっと前回の補足
 Bokehについては前回で打ち止めの予定だったのだが、ちょっとだけ補足をしておきたいことがあり、もう少しだけお付き合いを。
 Bokehについて、思うところを漏れなく書き連ねようとすると、あまりにも多くの字数を必要とし、ぼく自身がその冗長さにうんざりし、読者のみなさんも辟易されるに違いないので、ぼくの一番苦手な自制心とやらを働かせて、ひとつだけ遠慮がちに追記させていただこうと思う。
 しかし、隠忍自重(いんにんじちょう。ひたすら我慢して軽々しい振る舞いを慎むこと。大辞林)というのは、ぼくのような軽薄で自己顕示の強い人間にとって、えらくエネルギーを必要とするものだ。

 今からもう半世紀も昔のことだが、カメラの本家本元であるライカ(ドイツ。ライツ社製のカメラの呼称)の技術者と懇談する機会を得た。若造のぼくは、まったく分不相応であるライカに活力の大半をつぎ込むというような状態だった。ぼくもご多分に洩れず、いつの時代にもいる青臭くて、生っぽい若者だったのだ。
 そののめり込みのせいで、ライカと心中もやむなしという状況に危うく至りかけたのだが、アルバイトにも精を出し(会社員だったぼくだが、今となってはもう時効なので潔く白状しておく)、何とかうまく繰り合わせていた。道楽が過ぎて身上(しんしょう)を潰しかけていたが、唯一の救いは、友人・知人に借金をしなかったことぐらいだろう。また、当時のぼくは、将来写真を生業にしようとは露ほども思っていなかった。

 また、ライカばかりでなく、ぼくは何かと気が多く、節度や慎みといった大人の作法に反抗心を隠さずにいたこともあって、得手勝手な振る舞いをしたものだ。他のものにもつぎ込むことが多く、どこを向いても身動き取れぬような有り様で、自己を振り返る暇(いとま)がなかった。多趣味とか好奇心の発露といえば通りは良いが、しかしこれをして放蕩というのだろう。

 身持ちの収まらないぼくは、良い写真を撮ることより、カメラやレンズに心を奪われていたと、この歳になってやっと本末転倒の愚かさに気がついた。普段、写真の愛好家に、「カメラやレンズが写真を撮るのではない。あなたが撮るのだ」と、憚りなくいっておきながら、実態はこの体たらく。ほんにいい気なものだ。半世紀近く経った今になって、若かりし頃の妄動に気づかされるのだから、やはり長生きはするものだ。これも「三文の徳」なのだろうか?

 話がどんどん横道に逸れていくことを承知しながら、なかなか本題に入れないのは、ぼくの大きな欠点。半世紀前に話を戻そう。まだ、Bokehという言葉が国際化されていない頃のことだ。

 ドイツから出張でやって来たライカの技術者2人にぼくは興奮気味にこう切り出した。できるだけ、忠実に再現をしてみる。半世紀前とはいえ、鮮烈な思い出だったので、それ程の誤りはないだろう。 
 「90mmのズミクロン(ライカ製F 2.0の中望遠レンズ)を最近購入したのですが、このレンズに限らず御社の製品は描写の切れ味はもちろんのこと、そのボケ味の美しさに感心するばかり。レンズのボケ味について、どのようなお考えをお持ちでしょうか? そしてまた、何か特別な設計上の秘策があるのでしょうか? 差し障りがなければお教えください」と、青二才のぼく。

 2人の熟練技術者は、「隠し事なしにお話ししますが、レンズの設計に秘策といえるようなものは特にありません。ですが、会社設立以来、長い間に積み重ねた経験が私たちにはあります。私たちは、レンズやカメラを設計する際にまず心がけることは、 “商品として、どこに妥協点を見出すか” ということではありません。このことについて議論したことは一度もありません。それは技術者の誇りです。
 レンズの諸収差や解像度、逆光時のハレーションやゴーストなどについて、これ以上にないほどの光学的・科学的な検討を重ね、そこには一切の妥協はありません。経験値に基づいた科学的知識とその応用は誤魔化しの余地が生まれないものです。故に、価格の上昇を止められませんが、私たちは経営者ではなく、技術者ですから(笑)。あなたのいわれるボケ味に関して、私たちは特別意識したことはなく、あくまで光学的な欠点を可能な限り取り除いたその結果に過ぎません。もう一度いいますが、ボケを考慮してレンズを設計したことはないのです」と、如何にもドイツ人らしい厳格さと技術者としての良心を以て、誠実に答えてくれた。

 彼らは、ボケを意識してレンズを設計しているわけでないという予想外の事実に、ぼくは驚いた。レンズには付きものの諸収差を妥協することなく注意深く取り除いていったその結果として、美しいボケが得られるということであり、彼らは普段レンズのボケについて考えたことはなかったと、正直に語ってくれた。日本人の若造は反対に彼らにボケというある種の異国情致とそこで生れた特有な概念を与えたのだった。そしてこの時、ボケに特別のこだわりを見せるのは、日本人の特質であることを知った。

 若い頃に思う存分本物を堪能できたことは、ぼくの人生に計り知れないほどの恩恵をもたらした。現在でもライカは素晴らしい製品を提供し続けていることを認めるにやぶさかでないが、しかし昨今、ライカをやたらと神格化する一派がいる。半世紀前ならいざ知らず、ぼくは今、 “はて” と首を傾げている。

https://www.amatias.com/bbs/30/647.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
東京都中央区銀座。

★「01東京都中央区」
馴染みの店を出たら、表はざんざん降り。パーキングメーターに止めた車に急ぎながら、長年のテーマとしてきた「ガラス越しの世界」に見合った光景に出会い、1枚だけかすめるようにいただく。
絞りf5.6、1/125秒、ISO 1250、露出補正-1.33。
★「02東京都中央区」
上記に続き、雨でぐしょぐしょに濡れたスニーカーを気にし、頬を伝う雫を拭いながら、かすめ撮る。
絞りf6.3、1/160秒、ISO 3200、露出補正-0.33。



(文:亀山哲郎)

2023/06/09(金)
第646回:ボケ味(Bokeh)は今や国際語(2)
 まだアマチュアだった30代前半に、アメリカのワークショップのいくつかに参加し、そこで発行する冊子を定期購読していた。まだ、ネットのない時代だったので、手紙でやり取りをしながら、欲しい物があれば発注し、それらを航空便や船便で送ってもらったりしていた。当時、1ドルは確か200~220円前後だったと記憶する。懐も痛んだが、胸も痛んだのである。写真好きだった父は、「君は、度胸んある買い物ばしよるとね」と、一言だけいって笑っていた。
 嵩のはる重い物は、航空便というわけにはいかず、当然船便だったので、何ヶ月か待たなければならなかったが、大型フィルム用引き伸ばし機やアクリル製の大きな印画紙水洗装置などは、待つに十分値するものだった。

 欧米にくらべ、暗室道具後進国(知識も機材も)の日本にあって、冊子に記された様々で有用な暗室道具(日本では手に入らぬ物ばかりだった)や、撮影機材についての評価など、参考にすべきものも多く、大変興味深かった。
 特に、日本では手に入らぬ蛍光灯による散光式引き伸ばし機(アンセル・アダムスの撮影及び暗室理論である「ゾーンシステム」を実践するには、日本にはない散光式引き伸ばし機を必要とした)を初めとする便利な用具を個人輸入したものだ。
 アメリカから送られてくる荷物は、通関後自宅に配送され、その都度仕事で不在だったぼくに変わって母が関税(輸入税)を否応なく肩代わりしてくれた。会社から帰宅したぼくに、「この木箱に何が入っているのか知らんけど、不意のことやで、家中の現金をかき集め、払っておいたで!」と小言を並べつつも熱意溢れたぼくの向学心ある道楽に大いなる理解を示し、後押ししてくれた。

 母のことは、今になってこよなく嬉しくもありがたく思う。母の愛情を感じつつも、若いころのぼくは一方的な確執を抱いていたことを今頃になって恥じ、存命中に和解を果たしておくべきだったと衷心より悔やんでいる。この原稿を書きながら、当時のことを懐古するだに、傷が疼くような思いをしている。嗚呼、なんてこった!

 母に借りをつくることを由としなかったぼくは、ある時から、欧米からの輸入品を、千葉県市川市原木(ばらき)にあった海外からの荷物集積所留めにし、税金を懐に入れ、車を走らせたものだ。まだ、京葉道路ができたばかりのころで、千葉まで開通していなかったと記憶する。
 ドイツ製の印画紙(独Agfa社のもの)だけは、宅配依頼をし、送られて来た印画紙輸入税は、相変わらず母が肩代わりをし、支払ってくれていた。ぼくは、母の支払った金額に、幾ばくかの煙草銭を上乗せし、うやうやしく上納していたものだ。煙草銭とはいえ、今となっては、このことだけが救いである。

 何カ所かのワークショップから送られてくる冊子には、レンズのレポートも含まれていたが、日本の雑誌に述べられているような、いわゆる「レンズのボケ味」に関するものは一切記載されておらず、徹頭徹尾解像度や収差についての事柄一辺倒だった。レンズの性能を推し測るには、それらの項目で十分だと、合理的な欧米人は考えていたようだ。彼らにとって、「ボケ味」などは、レンズ評価の対象外だったのである。それは1980年ごろのことで、 “Bokeh” という単語が出現するようになったのは、それからずっと後のことで、Wikipediaによると1997年のことだそうである。
 「レンズのボケ味」について、「もともと欧米人は日本人にくらべ、良い意味でも悪い意味でも、どちらかというと大らかな感覚を持った人が多く、あまり頓着しない」ことを、ぼくは彼らとの交流で実感していたので、それを考慮しながら、レポートを読んでいた。

 日本語がそのまま英語(あるいは外国での外来語)となった例でよく知られるのは、たとえば津波(Tsunami)などがあるが、Bokehもそのひとつで、その概略をWikipedia(以下、Wiki)から借用し、それにぼくの解釈をつけ加えてみる。
 Wikiでは、「写真による(ぼけ、英bokeh)とは、レンズの焦点(被写界深度)の範囲外に生みだされるボヤけた領域の美しさ、およびそれを意図的に利用する表現手法である。基本的に主たる被写体にはピントが合っていることが前提であり、ソフトフォーカスレンズの効果とはまったく異なる概念である。この概念や手法は日本国外でもbokehと呼ばれている」と記されている。
 過不足のない、何とも味気ない文章だが、平たくいえば、「主被写体にピントを合わせ、それ以外をボカして作画する技法。撮りたいものを際立たせる方法として用いられ、パンフォーカスとは逆の撮影方法。絞りf値を空ける(数値を小さく)か、被写体との距離を縮めることにより、被写界深度は浅くなり、ボケ加減は大きくなる。そのボケ方が、きれいかどうかが、レンズ評価のひとつの要素となる」。

 ぼくの掲載写真が、比較的パンフォーカス気味の写真が多いとお感じの読者もおられるだろうと思うが、本稿では人物を特定できるような写真は掲載できず、そのことも要因のひとつである。つまり、ポートレートは、人物の前景、後景をボカすことが多いので、結果としてそのようになってしまうのだ。
 とはいえ、武漢コロナの間はひたすら近くの農園で花ばかり撮っており、その多くを紹介した。花の撮影や接写について、かなりボケ加減に注力し撮影している。ぼくは欧米人ほどパンフォーカス人間ではなく、そこのところ、どうか誤解なきよう。

http://www.amatias.com/bbs/30/646.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
東京都荒川区。茨城県結城市。

★「01東京都」
年季の入った波板トタンの向こうに真っ白な現代的な建物が顔を覗かせていた。
絞りf6.3、1/500秒、ISO 100、露出補正-0.67。
★「02結城市」
「土蔵の側面にトタン板など張らないで」と願いつつ、不幸にもぼくはそれが好きなので、思わず撮ってしまった。
絞りf7.1、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2023/06/02(金)
第645回:ボケ味(Bokeh)は今や国際語(1)
 日本人は器用な人種だとよくいわれる。誰が、いつ頃から、何を根拠にそういい始めたのか、ぼくはまったく知らないし、第一ほとんど興味がない。といいながら、少しばかりこの話をするのだけれど。
 もし本当にそうであるかどうかを考察するのであれば(そのようなことに意義があるのだとすれば)、他国や他民族との比較を、それこそ数え切れないくらいの例を上げて、徹底検証・考証しなければならないだろう。その項目は、素人のぼくが想像しても天文学的な数にのぼるに違いない。

 もちろん、衣食住にまつわる文化的な背景を含めた人間工学的、医学的、生理学的、遺伝子学的などの、あらゆる分野の学問に於いて公平な比較検討をしなければ意味がない。つまり、全人文科学的な、考え得る限りの事象について、精緻かつ細密な調査を必要とする。そんなことが可能だろうかと思うのだが、可能な方向に舵を切るのが、学問というものなのだろう。
 だがそのなかで、科学では解き明かせないことも多く存在する。科学は、あることの一面を証明する方法論の一端に過ぎないなどというと、その方面の人たちのみならず、科学信奉者から非科学的な人間との反駁を加えられるだろうが、そんなことはぼくにとって屁の河童である。
 そのような学問的試みが現在実際にどの程度進んでいるのか、あるいはそれがどのくらい人類の発展に寄与するのか甚だ疑問だと思うことしばしば。
 そして、もし科学的論理を可能な限り遂行すれば、結論らしきものを導けるのかというと、ぼくは、 “はて” と首を傾げる。

 一応ぼくは常に写真の生成に心血を注いでいるつもりなので、これでも科学信奉者もどきの一面を有しているのだが、科学では解き明かせないものが身近にたくさんあるという現実を素直に受け入れているし(ただし、UFOや宇宙人、心霊現象の類はまったく信じておらず、頭から否定している)、またほとんどの写真愛好家もそうであろうと思いたいが、どうであろうか?
 だが、科学者や学問の探究者がいなければ、世は俗にいう進展・進歩(何を以て “進展・進歩” とするのかは、また別の問題だが)は望めないのだが、だからといって科学や学問一辺倒では、人間の頭脳は硬化し、むしろ退化してしまうと考えるべきだ。これは常に表裏一体を成している。この表裏一体を由とせず、片一方にだけ肩入れしたがる学者が多数いることも事実だろう。その結果、人類に直接的・間接的に不幸をもたらす科学もたくさんあるのだから。

 そして、個人的なことだが、文系と理系は常に敵対関係にあり、融和的な精神が愉快なことにぼくには存在しない。また、敵対関係を解消しようなどという無謀なことにも関わりたくないと思っている。お互い、心理的に理解の範疇に留まってなどいないことをぼくは悟っている。そのくらい思考回路が異なっており、知れば知るほど相互理解には絶望的なものを感じている。
 何事にも融通無碍(ゆうずうむげ。何ものにもとらわれることなく自由であること。大辞林)の精神をぼくは尊びたく、何が何でも数字や公式が正しく、常識や因習に従わなければ罪のように振る舞う人たちとは住む世界が異なり、無縁でいたいとさえ思っている。「縁なき衆生は度し難し」というわけだ。ぼくが頑固なのではなく、相手が頑固なのだと、ぼくは決めつけている。
 
 日本人が器用かどうかの、ぼくの個人的な見解を述べるのであれば、人種や国民性の違いは、世界の色々な国をひとりで放浪したところによると、ある程度存在することは認めるが、それより個人差の方がずっと大きいと考えている。
 その国に生まれ育てば、人間は曲がり形(なり)にも、その国の環境や習慣に順応し、思考回路もそのようになるというのは一理あるのだが、個人の資質によるところのほうがやはりずっと重いような気がしてならない。

 若い頃、ヨーロッパの国々の写真愛好家と色々な話に花を咲かせた。もちろん、デジタルではなくフィルム時代のことだ。彼らと酒を酌み交わしながら写真話をして、面白いことに気がついた
 日本では、ぼくもご多分に洩れず、雑誌などの影響により、レンズのボケ味(英語の “Bokeh” は、もはやこんにち国際語となっている)についてのこだわりがあり、その蘊蓄を傾けようと思ったのだが、彼らヨーロッパ人の写真愛好家の誰ひとりとして「レンズのボケ味」に頓着しておらず、歯牙にも掛けていないように思われた。「何故、レンズのボケ味などにこだわるのか?」と、彼らは首を傾げたものだ。
 写真もたくさん見せてもらったが(写真展なども含めて)、主被写体以外をぼかすような手法をあまり用いず、隅から隅までパキパキにピントがくるような写真が多く見られた。

 写真好きの父も長い間ロンドンに住んでおり、写真愛好家との交流を多く持っていたが、やはりぼくと同じような意見を述べていた。「レンズの評価について述べる時、彼らからいわゆるボケ味についての話を聞いたことなどついぞなかった」と、父は述懐していたものだ。
 当時は、写真についての様々な事柄は、ヨーロッパのほうが日本より進んでいたはずだが、この例ひとつ取っても、日本人の繊細さというか神経質な様子が窺えようというものだ。これが、日本人の一種の器用さに通じるものだとぼくは感じている。(次号に続く)

http://www.amatias.com/bbs/30/645.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
例幣使街道沿いにある嘉右衛門町伝統的建造物保存地区内のヤマサ味噌工場跡地に立つ煙突。現在、工場はすでに廃業だが、建物などを有効活用しながら嘉右衛門町の情報発信や交流施設として整備中。工事用柵の間から、レンズを無理矢理突っ込み撮る。レンズの焦点距離は50mmだが、80〜100mmで撮りたかった。
絞りf8.0、1/500秒、ISO 100、露出補正-1.00。
★「02栃木市」
何度か撮ったことのある建物。日は地平線に傾き始め、月が出る。思わず、アンセル・アダムスの『月とハーフドーム』を頭に描く。4年前も、時計は2時40分を指していた。因みにこの時は、今年5月2日午後5時5分。
絞りf8.0、1/800秒、ISO 100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2023/05/26(金)
第644回:栃木のおばあちゃん
 今から6年前になろうか、相性の良い栃木市へ撮影に出向いた時のこと。その件(くだり)は、拙稿の第365回:「改まってポートレート」(2017年9月22日)に記したが、その一部をもう一度ここに書き移しておこう。今回掲載させていただく写真についての説明を、ついでにしてしまおうとの、ちょっと姑息な魂胆も実は交ざっている。

 第365回は、話の枕に「学問に王道なし」を述べ、そして、掲載日の前々日に出会ったおばあちゃんのポートレート撮影について言及している。
 撮影のきっかけとなった状況を改めてここに引用すると、「裏通りを行くと廃業して長い年月が経とうとしている木造家屋が目に入った。表に掲げられた看板はペンキが剥げ、錆だらけで色あせ、辛うじて文字が読めるほどのものだった。その家屋を正面から1カットいただき、遠目に電気の灯っていない薄暗い中を窺うと年老いたおばあちゃんが土間に置かれたソファに座っていた」とある。
 今ぼくはその時の情景をまざまざと思い起こす。撮影後、おばあちゃん(当時御年90歳だったが、とてもしっかりされていた。今ご存命なら96歳になられたはずである)に写真公開の許可をいただいていたので、第365回におばあちゃんのポートレート写真を2点掲載させていただいた。

 今月初旬にぼくは少しずつ変わりゆく栃木市を、少々気落ちしながらも訪れた。よそ者のぼくは、相性の良い栃木市に、武漢コロナで訪問を中止していた間に街の様相が変わって欲しくないと勝手なことを願っていた。そして、ここを訪れる度におばあちゃんの安否を気にしていた。初めてお会いしてからぼくはこの地を何度か訪れているのだが、おばあちゃんに会うことはなかった。お歳がお歳だけに、訪ねることにぼくは怖じ気づいていたのだろう。お元気でおられることを願うばかりであった。

 「新しもの好き」のぼくだが、家の佇まいなどはどうしても昭和人間故、懐古趣味といわれようとあの時代の郷愁を求め、磁力に引かれるように足を向け、ついでにレンズも向けてしまうのだ。栃木市は、確かに観光都市でもあるのだが、観光目玉より、上記した昭和の香り漂う家屋やショーウィンドウの醸す気配のほうがずっと好きで、そんな空気感を撮りたくて、飽きもせずに足しげく通っていた。

 ぼくも人並みに、日本全国にある有名な名所旧跡に興味はあるものの、写真の対象となると、ぼくは偏屈なのか、人並みでなく、さっぱり興味が湧かない。だが、ぼくのダメなところは、そのように思いつつも、「もしかしたら」という意地の汚い色気、言い換えるならスケベ心が心の片隅に巣くっているようで、自分を罵りながらも何食わぬ顔で撮ってしまうのだから情けない。食べ物を前に、「待て!」がどうしてもできない犬のようだから、やはり我ながら情けない。

 そんな写真をおそらくもう何十万枚も撮ってきたのだろうが、許せる写真は、歩留まりでいえば、おそらく0.1%にも満たないだろう。これも情けない。
 許せる写真とは、自分の世界が描けたと感じるもの。つまり自身のアイデンティティが示せた写真という意味である。名所旧跡に於ける写真のように誰が撮っても一様なものは、ぼくのなかで写真の範疇には入らない。それを「写真」とはいわない。そのような写真が欲しければ、観光写真を買えばいいのであって、ぼくが(あなたが)撮る必然性などどこにもないのである。
 この歳になって、そんな観光写真紛いを悦に入って撮ったり、他人に自慢気に見せたりすれば、それこそ人格を疑われてしまうし、写真愛好家として本当に情けない限りだ。

 話を今月の栃木行きに戻す。
 意を決して、6年ぶりにおばあちゃんを訪ねてみることにした。きっとぼくを憶えてはいないだろうが、ぼくはよく憶えている。会話をすれば思い出してくれるかも知れない。
 市内のメインストリートから400mほど離れた位置にあるおばあちゃんの家に辿り着いたぼくは、屋号の書かれた錆びた看板がすでに取り払われていることに気づいた。店の扉はカーテンで閉じられ(掲載写真「02栃木市」)、なかを窺うも人の気配がまったく感じられなかった。家の周りをぐるぐると歩きながら、人の居住している痕跡を探ったのだが、誰もいないことを知った。

 おばあちゃんへの思いが胸に去来し、消息のあれこれを思い浮かべ、悲痛な気持に襲われた。同時に、後悔の念にも襲われ、何か取り返しのつかないようなことをぼくは仕出かしたようにも感じられた。あの時撮ったポートレート写真をまだ手渡していないことにひどい後ろめたさを感じていた。ぼくは礼を逸していた。
 「おばあちゃんがご存命であれば96歳だし、こんな時は全体どうしたものか?」と、ぼくは途方を失い、6年間の無沙汰を恥じた。そして、自分を庇い立てるための辻褄合わせを盛んにしていた。もうひとりのぼくが、「みっともないから、そんなことはやめろ」とぼくを難じた。
 おばあちゃんの「彼岸の入り9月20日に」と題した書き物をぼくは6年前に写真に撮った。その一部に、「支えあっての人生だ…魂は心が現れる…」とあった。6年前にそれを読んでくれたおばあちゃん。90年の年季がずっしりと入った言葉だった。

https://www.amatias.com/bbs/30/644.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
ジーンズ店の窓に鯉のぼりが泳ぐ。
絞りf10.0、1/80秒、ISO 100、露出補正-0.67。
★「02栃木市」
なんだか、変に宗教的(抹香臭い)?な写真になってしまったような。このカーテンの向こうにある土間でおばあちゃんを撮影。ガラスに描かれた文字はひび割れし、カーテンにその陰が投影されていた。人の気配はまったくなかった。おばあちゃんは、お元気だろうか?
絞りf8.0、1/800秒、ISO 100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2023/05/19(金)
第643回:下町人情に触れる
 昨日、30℃を越える暑気にもめげず、仕事帰りの道すがら、かつて何度か通ったことのある三河島(東京都荒川区)に、8年ぶりに立ち寄ってみた。ここは、かつて本稿にて、ぼくの甘い甘い基準からして、100点満点のところなんとか60点以上と思える写真(すべてモノクロ)を掲載させていただいたことがある。

 三河島事故(1962年。昭和37年。ぼくが中学3年時に起こった三河島駅構内で発生した大事故で、死者160人、負傷者296名を出した戦後五大事故のひとつ)の現場の気配を窺えるものかどうかと、8年前に初めて訪れた。また、事故当時を知る人に出会えれば、直接当時の模様などを伺うつもりでいた。
 その訪問は、事故からすでに約半世紀も経った2015年のことなので、今回は8年ぶりということになる。頭のなかでは、4、5年前のような感覚だったが、時の経つのはなんと早いことか。

 この原稿を書くにあたり、過去の掲載写真30点弱をとくと見直してみたのだが、「なんと下手くそな写真ばかり撮っていたことか。けれど、まぁ数点は許せるものがある」と思いつつ、脇の下からジトッと汗が滲むのを覚えた。
 ぼくには、「自らを省みる」との良心が未だ多少は残っていると知ったことは、不幸中の幸いといえよう。自身の写真を、一途に下手くそだと感じる能力と心があるということは、即ち向上の可能性を依然秘めていると解釈していい。このように楽天的であることは、飛躍には欠かせぬ大切な要素である。

 8年前は、事故後すでに半世紀近く経っていたので、悲惨さを感じさせる具体的なものはもうすでに存在せず、事故を知る地元の人々の、痛々しい思いだけが重苦しく沈殿しているように思え、どこか息苦しさを感じたものだが、それは、ぼくの穿ち過ぎだったのだろうか。事故当時の生々しさを語る人が、見当たらなかったので、すべてがぼくの頭のなかで想像逞しく処理された。
 今回、そのような重苦しい空気を感じることはほとんどなかった。初訪問から8年後の昨日は、何故以前のような感覚を持たずに済んだのか、その理由らしきものが判明したようにも思えた。

 車を有料パーキングに止め、カメラに1本だけレンズを付け、かつての記憶を頼りに、あたりを彷徨ってみたのだが、以前に見た木造家屋のほとんどが姿を消し、建て直され、今風の、明るいものになっていた。
 この景観の変化が、先述した「今回、そのような重苦しい空気を感じることはほとんどなかった」ことに通じているのだろう。時代とともにあるこのような変化は、三河島ばかりでなく、ぼくがよく往来をする近県の市町村でも、似たり寄ったりである。ついこの間まで、所在なく存在しつつも、しかしその存在感を否応なく露わにしていた建造物が、知らぬ間に消え去り、まず最初の犠牲者となるのだ。油断も隙もあったものではない。
 なくなってしまったものは二度と撮れないので、やはり気に入った場所には足しげく通うしか方法がない。

 真夏を思わせるような強い夕日を浴びながら、「8年前、ここで戦後間もないころを彷彿とさせるような木造家屋を背景に、走る少女の宙に浮く姿を撮ったが、これではもう絵にならない」と、ぼくはその現場に立ち、ファインダーを覗きながら肩を落とした。
 かつての、日に焼け、風雪に打たれた暗褐色の古色蒼然とした木造家屋はほとんど見かけることがなく、「このことは三河島ばかりではない。昭和人間のノスタルジアを思い起こすような佇まいがどんどん消失していくのは、時の流れの必然なのであろうが、そうはいえ、どこか寂しさを禁じ得ないなぁ」と、ぼくは意気消沈しながら駐車場に戻った。
 仕事で疲れていたこともあってか、長居をせず早々に引き上げることにした。40分ほどの滞在時間で、撮影枚数も33枚に過ぎなかった。

 何度か歩いた常磐線の南側に添う道をもう一度見届けようと、路地をそろりそろりと車を走らせたのだが、なんだか道行く人々の様子がおかしいことに気がついた。すれ違う人々がそれとなく「ここは一方通行ですよ」と、合図を送ってくれていたのである。その仕草があまりにも控え目で、しかも穏やかだったので、ぼくは確信犯になり切れず、「もしかしたらここは一方通行?」と思いながら、しばらく走り続けた。ぼくの知る限り、三河島駅近辺の細い道路には、一方通行や進入禁止のマークや立て看板が見当たらなかったのだ。

 慌てて方向転換をし、巡査にも見つからず、ことなきを得たが、ぼくの交通違反を目の当たりにした人々の反応は、違反者を咎めたり叱責するものでなく、下町特有の人情とでもいおうか、どこか温かみさえ感じたものだった。住居環境は変われど、江戸っ子の下町人情はまだ健在だったのである。これが今回の一番の収穫であり、また嬉しくもあった。
 長い運転歴で、ぼくはその禁を犯したことは一度もないのだが、年老いてからの運転は、ことのほか慎重になっていた。自分の反射神経や動体視力、判断力といったものは年相応に衰えているに違いなく、それを自覚した運転を心得るべしと常に言い聞かせるようにもなっていた。

 無謀な試みは、写真だけで十分と思えるようなことでは、やはり先が思いやられる。常識的な大人になってしまったら、それに準じたつまらない写真しか望めないのが、ことのほか、痛し痒しである。だがしかし、この論理の分からぬ人がこの世の大方であるから、ぼくは神経をすり潰さなければならないのだ。ホンに、シンが疲れるとね。

https://www.amatias.com/bbs/30/643.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
S・ダリの名作『記憶の固執』に描かれている時計を模したものを、ショーウィンドウに発見。ダリの作品はかつて20点ほど撮影したことがあるが、『記憶の固執』は今のところない。
絞りf10.0、1/80秒、ISO 320、露出補正-0.67。
★「02栃木市」
5月人形の兜。これも、ショーウィンドウに鎮座していた。
絞りf8.0、1/60秒、ISO 400、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2023/05/12(金)
第642回:辛い禁断症状
 今年のゴールデンウィークは、神戸の義兄から譲り受けた車を試乗してみようと、近県(栃木、群馬、茨城)のあちらこちらを、ぼくはこの時期特有の風物詩ともいえる凄まじい渋滞をものともせず、小さなカメラバッグを後部座席に乗せて走り回った。多忙のため10日以上も撮影できずにいたので、禁断症状に襲われたのも一因だった。
 「撮っても、撮っても、写らない。神は未だ降臨せず。だがいつしか降臨するに違いない」ことをぼくは頑なに信じつつ、もはや65年もの歳月が経ってしまった。いつまで写真が撮れるか、そんな思いが去来しての、渋滞覚悟の痛々しい撮影行だった。
 連休中のそれは、「行きはよいよい帰りは恐い」(行きは寝坊のため午後出発なので、恐怖の渋滞を免れ、帰りは夕刻過ぎなのでどこも渋滞)だった。

 余談だが、ぼくの血には京都以東のものは一滴も入っておらず、出自は京都(母)、倉敷(本籍)、佐賀(父)であり、それが因であるのかどうか分からないが、現在住んでいるさいたま市から西の、特に太平洋側にはまったく興味がないに等しく、どうしても足が向かない。菩提寺のある鎌倉にも馴染みを持てずにいる。したがって、墓参りと仕事以外には縁がない。
 伊豆など、あの夏のベタベタ感は、ぼくにとって恐ろしいほどの鬼門といってよく、「何があっても、身の毛のよだつ伊豆には絶対に行かない」と友人たちに公言しているくらいだ。ぼくの憧れはもっぱら居住地である埼玉県を除く(「住めば都」というが、人生の大半を過ごしたこの地は至って魅力に乏しい)それ以北である。東北地方などは憧れの地といってもいいくらいだ。

 徒事(あだしごと)はさておき、車メーカーの重要なポストにあった義兄は、車の整備や扱いには、商売柄ことのほか丁寧だったため、譲り受けたそれは年式こそ少し古いが、それをまったく感じさせず快調そのものだった。排気量1500ccの車は、燃費もすこぶるよろしい。
 近年、仕事で大掛かりな撮影をしなくなったぼくにとって、プライベートな写真撮影にはこの手の車が最も使い勝手が良い。この車は義兄からもらった2台目のもので、ぼくの、普段からの心がけのお陰か、今回もありがたいプレゼントだった。

 かつては大型の四輪駆動車に撮影機材を満載し、クライアントの発注に応じて、北は北海道から、南は九州まで所狭しと走り回ったものだ。何の苦もなかった(仕事なので当たり前だが)この一例を挙げても、若い時代がぼくにもあったのだと痛感させられる。運転が商売でないにも関わらず、一介の写真屋が1年に7万km走破なんてこともしばしばあった。面白いもので、走行距離と年俸はほぼ比例したものだ。

 プライベートな撮影行では、「1枚ヒットすれば御の字」と自分に言い聞かせもし、他人にもそのように説くのだが、内心はというと、「1枚なんてしみったれた慰めをいうものじゃない。そんな気弱で女々しい魂胆でどうする! オレは商売人なのだから、私的写真であろうが、数枚ヒットさせて元を取るぞ!」と、貧乏人気質丸出しで嘯(うそぶ)く。
 心得としてはなかなか見上げたものなのだが、撮影が終了し、日が暮れ駐車してある車に戻り運転席に滑り込むと、ドッと疲労感に襲われ、大きなため息をつき、「写真なんかどうでもいいや」と捨て鉢になり、途方に暮れながら茫然としている自分に気づく。そして、やがて気を取り直し帰路につくのがいつものパターンだ。
 デジタルにも関わらず、撮影後に写真を見ないのは、長年のフィルム経験からであろう。撮影済みの写真を見るのは、データをMacに保存してからである。

 拙稿で何度か記した「現場百回」といえど、同じ場所への度重なる訪問は、新たに発見するものが少なくなるとの現象は誠であろうかと、ぼくはその真意を測りかねている。だが心情的には、否定的であるほうが、何かと心強く、また意気軒昂でいられることに間違いはなさそうだ。
 「いつも新鮮な気持ちを保ち、あらゆるものに目配り怠りなく、針に糸を通すが如く気を張っていなければならない」と老体に活を入れながらも、根っから楽天的なぼくは、「来れば来るほど、良いものに巡り会えるのだから、無駄なことは何ひとつないさ。そうでなければ、また来ればいい」と、今度は自分に言い放つのだ。

 禁断症状に見舞われるからといいつつも、写真を撮るのは楽しくない。ぼくは、ただの写真中毒なだけ。
 結果的に、趣味が高じて写真屋になったのだが、人様は「趣味を仕事にできてホントに仕合わせですね。羨ましい限りです」と判で押したように仰る。まぁ、そう見えるんでしょうね。だが、「そんなことはありません」と、ぼくは決していわない。趣味と仕事とでは、隔絶した世界があることに気の付かない人が多いことも確かだしね。

 写真屋になって後悔こそないが、商売というものは写真に限らず、身を削ってナンボであるから、その辛さや痛さは本人でなければわからないものだ。どんな職業でも同じであろうと思う。
 写真を1枚撮るたびに、身を削られるような思いというのは、決して大仰な言い草ではない。これがプロの悲哀であり宿命でもある。ただ、好んでこの道に入ったのだから、誰にも愚痴をこぼせない。弱音を吐いたり、愚痴をこぼすくらいなら、辞めればいいだけのことで、それはプロとしての資格がないということに通じる。
 「でもなぁ、満点の写真なんて撮れるものなのかなぁ?」と、思わず弱音を吐くぼくの連休明けでありました。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
バーの窓際に並べてあった空ビンと少々色褪せたハイネケンのポスター。
絞りf10.0、1/50秒、ISO 200、露出補正-0.67。
★「02栃木市」
巴波川(うずまがわ)の上にたくさんの鯉のぼりが泳ぐ。それには目もくれず、水面に揺らぐ鯉のぼりと土蔵群の瞬間を見計らって。
絞りf10.0、1/250秒、ISO 400、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2023/04/28(金)
第641回:写真の品位って?
 写真展より絵画展に出向くことのほうが多いと拙稿で述べたばかりだが、1ヶ月ほど前、友人の主宰する倶楽部の写真展に赴いた。都内の雑踏が大の苦手であるぼくは、あの人混みに精神の何かがキリキリえぐられ、破壊されるような気がして、とにかく憂鬱で怖く、億劫になってしまう。特に年寄りとなってからは、仕事でない限り都内に積極的に出かけるにはいろいろな覚悟がいる。そんな思いをしてまで、行きたくないと思いつつも、だが不義理をしてはいけないので、やはりトボトボと出かけることになる。
 長い間無定見に生きていると、いろいろなしがらみやら因縁やら悪縁に纏わり付かれ、身動きもままならず、これも浮き世の風と観念するしかない。

 気の重くなる主な理由のひとつは、柄にもなく、写真評もどき(これが苦手)を求められることがままあり、気楽に作品を味わったり、愉しんだりという具合にはなかなかいかないことにある。知り合いの展示会に顔を出すということはとても勇気の要ることだ。
 作品についての意見を求められるとなると、ぼくは至って気弱で、しかも遠慮が服を着て歩いているような人間であるため、他人の作品に対して、たとえ顔をしかめるような作品であっても、ネガティブなことはいい難く(ぼくの助手君でない限り)、少しでも良い点や美しいところを無理くり探し出し、にこやかに作り笑いなどしながら、事を穏便に済まそうと躍起にならざるを得ない。その疲労感たるや相当なもので、それはかなりのストレスを誘発し、やはり相当な覚悟を必要とする。とにかく、写真展ひとつでいろいろな覚悟をしなければならないというのは、あまり仕合わせなことではない。

 ちょうど2週間前にもある大きな展示会の作品選考をしたばかりで、今、様々な思いが行ったり来たりしている。冒頭に述べた写真倶楽部の指導者である友人と話題になったことのひとつは、「作品の品位というものについて、かめさんはどう考えている?」ということだった。あまりにも漠然とした問いかけだったが、正面切ってのものだったので、不真面目なぼくはたまには真面目に考えてみるのもいいかと思った。
 この題目について、ぼくはもちろん自分なりの考えを持ってはいるが、それを言葉で表現するとなると、とても難しく、途端に口籠もらざるを得ない状況に追い込まれる。
 ある作品を前にして、その作品の品位や品格がどうであるのかを問われれば、ぼくは即答できるとの確信はあるのだが。

 友人はぼくに追い打ちを掛けるように、「品位って、生まれついたものとの見方もできるけれど、それでは身も蓋もないので、指導をする際に、ではどうしたものかと、時々思い悩むことがあるんだよ」と、品位のある彼は、品位に欠けるぼくに訴えてきた。
 ぼくには難し過ぎる問いかけだったが、品位のある写真とそうでないものが、この世には確かに存在するので、ぼくは先ず自分のことは棚に上げてから(でないと言葉が口を衝いて出ないので)、機を逃さず思うところを率直に彼に伝えてみようと試みた。もちろん、ここで対象とするものは、自己表現のための写真についてであって、記念写真や記録写真の類は除外する。

 「それはつまり、人間的に品位に欠ける人は心がけ次第で、それが向上するかどうかということ? あるいは、撮影者の品位は作品に反映されるかということ? 生まれついたものを除外してのことであれば、ぼくは自分なりの答を伝えることができるように思うけれど」と、前のめりになりながら彼に畳み掛けた。
 プロのカメラマンである彼とは、もう50年来の付き合いなので、ぼくの思考回路を読み込んでの問い掛けなのであろうとぼくは感じ取った。

 「作品は人格の反映(鏡)」との信念をぼくは持っているので、彼に「もし、作品に品性のようなものが欠落していると感じさせるものがあるのならば、それは作者の人間性を問うしかないと思う」と答えた。
 加え、「作品の良し悪しの定義と品性がどう関わってくるかという問題に突き当たるわけだけれど、それは比例するものだ。もちろん、技術的なことではなく、品位は作品の良し悪しを左右する大きな要素という意味に於いてね。そして、俗にいう『大衆受け』するものや『一見するとハッとさせられるが、1分間の観賞に堪えられぬもの』も、とどのつまり作者のありように帰結するのだと思うよ」と。

 人品というものについて、ぼくが改めてどうのこうのと述べる資格などないので、そこは誰もが自身の良心や見識に基づいて推し測れば良いことだと思う。ただ、ぼくが人品の絶対的判断として言い切れることは、「お金にきれいでない人」とか「名誉欲の強い人」とか「自己犠牲を惜しむ人」とか「思いやりに欠ける人」とか、それらに類することに必然的に付き従う事柄などなどである。
 もうひとつつけ加えるのであれば、「いっぱしの口を利いて、恥じぬ人」なのだが、あっ、これはぼくのことだった!

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県川越市、加須市。

★「01川越市」
この場所は同じアングルで以前に掲載したことがあるが、時が変わり、今回は自転車も有り。強い夕日に照らされて。
絞りf8.0、1/60秒、ISO 100、露出補正-0.33。
★「02加須市」
空き家に張り付いていたルート66の看板(標識?)。以前、何度も行き来した場所なのだが、こんなものがあったとは気がつかなかった。
絞りf7.1、1/100秒、ISO 500、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2023/04/21(金)
第640回:普遍性を探ることの難しさ
 先日、さまざまな分野の専門家の集まりに出席するため、都内のあるホテルに出向いた。ぼくもこの会合の委員を務めているので、午前10時という、非人間的で、尋常でない集合時間にも関わらず、眠い目を擦りながら電車に乗る羽目となった。
 とはいえ、後期高齢者のぼくはどんなに睡眠時間が短くても、取り敢えず1日だけの頭脳労働であれば(肉体労働は後遺症がひどい)、ほとんど支障を来さない。頭の回転は年相応に鈍くなっているけれど、苦もなく事を済ます自信は、まだ辛うじて保っている。これは負け惜しみではなく、しかし、2日連続となると、そこはそれ、多分たちまちアゴを出し、使いものにならなくなるだろう。

 時に、「まだいけるかも」などとの甘い見立ては、「無理は禁じ手」であることを知っているので、「もうこれ以上はダメだ」という振りをすることにしている。そうでもしないと、老人の特権を無為に放棄することになり兼ねず、加え、都合の良いように使われ、損をするような気がしてならない。ジジィが、年甲斐もなく気張ってはいけない。年寄りを敬うことを忘れた無慈悲な人々に囲まれていると、このような知恵が泉のように湧き出し、そして知らずのうちに自然と護身術が身についていくものだ。
 この最たる処世術に、ぼくの、まだふさふさの白髪は大きな貢献を果たしてくれる。ぼくは、甘塩のような味わい(ぼくの白髪を称した友人の言葉)を出汁とし、我ながら巧妙に立ち回るのである。

 下車駅である地下鉄虎ノ門駅はおよそ20年ぶりであった。地下から地上に這い出ると、見上げるような超高層ビルが乱立しており、ぼくは一種の感動すら覚えた。「一体いつの間に? 誰が?」が、高所恐怖症であるぼくの率直な感想だった。仰ぎ見ているうちに平衡感覚を失い、ふらふらした。
 カメラを持っていなかったぼくは、何故か良心が咎め、「この位置なら、24mmの広角がいいね。16mmなら面白味は出るが、最上階に行くに従って小さくすぼみ過ぎて、ぼくのイメージとは合わない」と、一応は写真屋を気取り、言い訳がましくも格好を付けてみせたのだった。
 「おれは、損な性分だなぁ」とも呟き、委員のなかで最年長者であるぼくは、ダラダラ坂の途上にあるホテルに息切れすることなく辿り着いたが、午前中とはいえ夏日を思い起こさせるような強い日射しが眩しかった。古稀を迎えたばかりの委員のひとりは、この上り坂で一度立ち止まって、息を整えなければならなかったと告白し、ぼくはなんだか勝ったような気持になり、安堵したのだから面白い。

 で、写真の話をしなければならないとの強迫観念に駆られつつ、この集まりでの興味深い話に花を咲かせたいのだが、そうもいっておれず、意を強く持たなければと観ずることに。

 国内外を問わず、ぼくは展覧会に何度通ったかは計りようがないが、多かったのは写真展ではなく、圧倒的に美術展のほうだ。美術展と写真展の絶対数など知る由もないが、数の問題ではなく、ぼくは美術展のほうに足が向く。
 絵画の歴史的な長さもおそらく影響しているのだろうが、写真屋のぼくは絵画を見ることによって、多くの写真的示唆を受ける。作画についてヒントとなることがたくさん見つかる。それは、ぼくばかりでなく写真の好きな人であれば、心持ち次第で、絵画を観賞することにより、写真を撮ったり、暗室作業をするうえで、たくさんの気づきを与えられ、また学ぶことができると思う。写真にしか琴線が触れないという人をしばしば見かけるが、そのような人は別である。

 絵画の色使いや構図、トーンやタッチなどの “描き方” を含めて、どれもが写真には欠かせぬ有益で普遍的な要素がそこにあるとぼくは考えている。たまに「絵と写真の構図は違う」という人がいるが、ぼくは大局的な見地からして、それはへそ曲がりの一家言に過ぎないと断定している。何かをいわないと気の済まぬ半可通の人に、そのタイプが多い。あなたの周りにも、そういう人、いるでしょ。
 絵と写真は元々異なるものとの認識から、ぼくを指して「一緒くたにして語ってはいけない」とおっしゃる。そんなことはぼくとて、先刻とっくにお見通しだ。

 多種多様な創作分野から、良いもの、美しい点、優れた部分を抽出し、吟味しながら、自分の作品に如何にして取り込むかに苦心するのは、ぼくの見方からすれば、とても謙虚で好ましい姿に見える。
 他の分野の美しいものに感応できずに、写真のあれこれにもっともらしい蘊蓄(うんちく)を傾けても、説得力など無に等しいとぼくは思うのだが、どうだろうか?

 写真が絵画的である必要はなく、写真は写真特有の美をおおいに開花させたいと願うばかり。「写真特有の美」と一言でいってしまったが、そのありようは、まさに百人百様なのだが、そこに宿る普遍性はそう多くはないはずだとぼくは考えている。あと何年かで、それが少しでも掴めればいいのだけれど。

https://www.amatias.com/bbs/30/640.html

カメラ:EOS-R6。レンズ : RF100mm F2.8L Macro IS USM。RF24-105mm F4L IS USM。
群馬県館林市。埼玉県加須市。

★「01館林市」
かつて波板のトタン板ばかりを撮っていたが、日の当たった部分と影のバランスが巧妙だと感じ、思わず撮ってしまった。
絞りf13.0、1/200秒、ISO 100、露出補正-1.00。

★「02加須市」
今まで加須で何十回も撮った被写体。一度も撮れたためしがなかったが、やっとイメージ通りの写真が撮れた。微妙な、何かの差なのだろうが、「第636回」で題目とした「現場百回」は、どうやら当てはまるようだ。
絞りf7.1、1/100秒、ISO 500、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2023/04/14(金)
第639回:老人とデジタル
 先週、遠方よりの来客に懐かしい写真をお見せしようと、古いアルバムを引っぱり出した。ページを繰っているうちに、糊の剥がれた1枚の変色しかかったプリントがはらりと落ち、それを手に取り、目を近づけて眺め、つくづく感じたことは、前々回に記したフィルム写真の「曖昧なる美しさ」だった。

 42年前の1982年に、金沢の兼六園で友人を写したその写真は、Rollei 35(ローライ35。ドイツ製で1967発売。沈胴式のレンズを備えたコンパクトな筐体は手のひらに収まり、とてもカッコのいいデザインだった。レンズはカール・ツァイスのTessar F3.5、40mm)によるもので、フィルムカメラとして特出した描写をするわけではないのだが、ぼくはこのカメラの「曖昧な描写」が当時から好きだった。
 セピア色に変化した友人とは現在連絡の取りようがないので、残念ながらその写真を本稿で掲載するわけにはいかないが、みなさんもフィルム時代に撮られたアルバムを引っぱり出してみたらいかが。曰く言い難しの「曖昧なる美しさ」について、ぼくの言わんとするところが、おそらく多少はお分かりいただけるのではないだろうか。

 また、今年の正月に同窓生のジジババが毎年「今生の別れかも」なんてことを口実に、いや、もう口実とはいえなくなり、現実味を帯びているかも知れないのだが、「会いたさ見たさ」に、取り敢えず新年会を催した。
 中学時代の集合写真を引っぱり出し、肝心の1枚は見るも無惨なピンボケ写真だった。一体誰が、どんな悪意と恨みと、そして救い難いほどのふやけた脳味噌を持って、こんな酷いボケボケ写真を撮ったのだろうかと、取り敢えず写真屋もどきのぼくはその異次元世界に唸ってしまった。呆れをとうに通り越し、もはや言葉を失い、押し黙ってしまった。しようと思ってもなかなか成し難いほどにピンが外れている。
 ここまでくると、ぼくは撮影者の歩んできた人生やそこで形成された人格をも疑わざるを得なかった。その人物をここに連れてきて、荒縄で縛り上げ、木に吊し、折檻しなければならないと思ったくらいだ。世の中には、許されることとそうでないことがある。見る者を厭世的な気分にさせてしまうこのピンボケは、明らかに後者である。

 辛うじて目鼻と髪の毛の存在がボヤーッと分かるというほどの究極的なボケボケ写真ではあったが、しかし、不思議不思議、そこに居合わせた誰もが、「これは何君、これは何ちゃん」と、嬉々としながら次々に正確に指摘するのだった。その写真にどんな魔力が潜んでいたのだろうか。もちろんぼくも美人で有名だったTちゃんを見つけ「これはTちゃんだ」と目尻を下げ、白髪を逆立て、抜け目なく言い当てた。上下6mmほどの顔のボッケボケ写真であり、曖昧の極致であるかのような写真にも関わらず、不可能をものともせず、人物を特定できてしまったのである。「これが、齢75の成せる業だ」、なんてことは絶対ない。
 「写真って凄い! 偉い! 水彩画を水にたっぷり漬けたようなふやけきった写真なのに、しっかり面が割れちゃうんだ!」とぼくは叫んだ。ぼくばかりでなく、誰もが写真の偉さに感服した瞬間だった。そしてまた、写真への認識を改めた非常に意義深い、新年早々の宴会でもあった。

 監視カメラによる犯罪捜査などの映像を見て、ぼくは、「あんなやくざな映像で、犯人の顔など、どうやって判別し、断定できるのだろう? 誤認逮捕もあり得るんじゃない?」と怪しんでいたのだが、新年会で見た気持ちが悪くなるほどのボケ写真にくらべれば、監視カメラのほうが、ずっとしっかりして、断然目鼻や髪型などが、はるかに人間らしく描く能力を有している。
 少なくとも、先述の途方もないくらい不鮮明な写真にくらべれば、原チャリ(排気量50cc以下の原動機付き自転車)とナナハン(排気量750ccの大型バイク)くらいの差がある。これなら容易に犯人を割り出せるだろう。ここでも、ぼくは認識を改めた。

 さて、今風にデジタルの話だが、先日ひょんなことから最新のフルサイズ・ミラーレス一眼を、「遊んでみて」と手渡された。我が倶楽部にも最新のミラーレス一眼を使用している人が2名おり、その描写性能の素晴らしさは十分に認識しているのだが、ぼくは夕刻の銀座で、借りたカメラを振り回しながら撮った画像のラチチュード(露出再現範囲)の広さと抜けの良さにほとほと感心してしまった。もちろん解像感も素晴らしい。
 ちょうど、時を同じくして、友人がフィルムの8 x 10インチ大型カメラで撮影した風景写真を、データにして送ってきた。ぼくも8 x 10インチサイズのカメラは、今まで散々使用してきたので、その描写力は熟知している。

 両者を同じ土俵で比較するほどぼくの頭はまだふやけていないが、重く、撮影に時間のかかる8 x 10インチカメラを使用する利点は何であろうかとの答はすでに得ている。それは、精神的な面での、電気の抵抗器のようなものである。この負荷が、被写体への観察眼を養い、撮影意識を高揚させる。すべての操作がマニュアルなので、撮影の全責任を自身が負うことになる。つまり、まったく、逃げ場がないのだ。全自動の、昨今のカメラとはここが根本的に異なる。

 しかし、だからといって、この種の面倒なカメラを使えば良い写真が撮れるかというと、そんな保証はどこにもないのだが、現代に於いて忘れかけたものを思い出させてくれる良い道具立てではあることは否めない。だが、原チャリでもナナハンでも、良い写真という同じ目的地に辿り着くことは平等にできる。体力と燃費の悪さを否応なく背負わなければならず、それが間尺に合うか、そうでないかは個人の価値観による。
 ぼくは大型カメラの素晴らしい描写力を認めつつも、文明の利器を使いこなし、そのエネルギーを撮影自体に注ぎたいので、粋がらずに、もう体力に見合ったカメラを使用しても良いのではないかと思っている。ぼくのふやけ始めた頭脳に、多機能過ぎるデジタルはかえって良薬かも知れない。

https://www.amatias.com/bbs/30/639.html


カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
群馬県桐生市。

★「01桐生市」
有鄰館の煉瓦蔵。かつては酒・味噌・醤油等を醸造し、それを保管するための蔵だった。現在は、展示やコンサートなど、さまざまな催しが行われている。
絞りf8.0、1/50秒、ISO 64000、露出補正-1.33。

★「02桐生市」
有鄰館。味噌・醤油蔵の壁に一瞬光が射す。
絞りf6.3、1/15秒、ISO 500、露出補正-1.67。
 
(文:亀山哲郎)

2023/04/07(金)
第638回:老いの気づき
 写真という分野に限らず、創作に携わる(もしくは趣味としている)多くの人たちは、「他と異なった自分独自の表現方法」を見つけ、それを我がものにしようと努めている。と同時にそれを愉しんだり、生き甲斐を感じているのではないだろうか。
 その行為や思惟は、創作を形づくるうえで、大きな醍醐味のひとつであろう。この醍醐味に、創作者は魅了されるのだ。このことはまた、良い意味での自己顕示欲のあらわれであり、写真という行為を通して、本能としての自己顕示欲を、手の込んだ厄介さをものともせず、満たそうとしている。ホントにご苦労なことだと思うが、ぼくとて他人事ではない。

 創作のありようは千差万別だが、なかには極少数であると思われるが、自分を表現するのが第一目的ではなく、観賞する側の心地に塩梅の手を差し伸べようとするタイプの人がいる。「世のため、人のため」というわけだ。
 他人の生き方や嗜好に口を挟むのは野暮というものだが、ぼくは写真を生業としている一方で、頼りない指導者の真似事もしているので、その立場を以てすれば、ぼくはこれを、鑑賞者に「おもねる」ことであるとし、したがって、本来の創作の姿ではないとの信念を持っている。

 端的にいえば、我(が)を捨てているので、そのような作品には面白味がなく、独自性も見られず、陳腐で退屈なだけだ。しかし奇妙なことに、そのような代物は、いわゆる「大衆受け」するのだが、およそ創作とはほど遠いところに位置している。我を殺したものを創作とはいわない。
 今回、この手の人々については、ぼくの創作の定義には当てはまらないので言及しない。ただ、写真を記録、記念として撮っている人々はこの限りではない。ぼくはそれを、ひとつの写真のありようとして十分に認めている。

 今、何故このようなことに思い至ったかというと、ある大きな作品展のための作品をつぶさに審査選考する必要に迫られ(ぼくはへとへとになったけれど)、また、我が倶楽部の人たちの上達ぶりと彼らの良い作品を見るにつけ、彼らの「他とは異なる何か」に向かって精励する様子が直に伝わってきて、改めて自分自身を見つめ直す機会を強要されたように感じてしまったのだ。まったく以て、迷惑このうえない。

 けれど、正直にいうと「自身を見つめ直す」ことなどしたくない。そんな面倒で、厄介なことは真っ平御免だとの気持が勝る。自然の理として、見つめ直すことによって、得心のいく作品が生まれる保証などどこにもないことを、ぼくは及ばずながらも知っている。
 得心がいかないから、何十年も写真という作業を続けられる。どんなに精進しようが、満点をやれるような作品など生まれようはずがない。その懊悩にもがくことが創作の原点である。
 それは、写真の上手い下手に関わらず、創作に於ける普遍的摂理なのではあるまいかと、ぼくは考えている。自分の作品を自画自賛できる人は、どんな人なのだろうかと、尽きぬ興味を抱いている。そのような人は、仕合わせなのか、不幸なのか? きっと不幸な人に違いない。やっかみなどではなく、「やはり気の毒な人だなぁ」とぼくは無意識のうちに、本音を漏らすのだろうと思う。

 ただ、努力が報われないなどということはあり得ず、努力は良い方向に向かって歩を進めることができる力強い方策であるというのも自然の理であろう。努力は上達の、これ以上にない強力な味方でもある。
 ぼくは哲学者ではないので、これ以上の話はできないが、「努力は裏切らない」との文言を信ずるより他なし。何かにすがって、「信ずる者は救われる」ことにしようと思うが、信ずる対象はもちろん神でなく、自分にあることを明示しておかなくてはね。「努力の賜物」ともいうしね。「神頼み」はダメだ。

 「十年一日」の如く写真に対峙してきて、今ひしひしと実感するに、それは対義語である「一日千秋」のように思うことが非常にしばしばある。年を経るに従って、ぼくの写真は “えぐみ” (あくが強くて、舌やのどがひりひりとするような感じや味。大辞林)が増しているとの自覚がある。これを進歩と捉えるか、退化と捉えるかを、謙虚に顧みながら、しかし会釈もなくいうのであれば、絶対的に進歩であると、ぼくはめでたくもそういって憚らない。

 長年、雑多なことを通り抜けながらも、未だ「酸いも甘いも噛み分ける」境地には到底達していないが、一つひとつの体験を通して、ぼくの写真は、年寄りのダミ声とともに自然にえぐみを増していったのだろうと思っている。人間も作品も、灰汁(あく)の強いほうが、おそらく他人は辟易とするから、なおさら面白いじゃないかとぼくは嘯(うそぶ)く。そして、「作品は人格の鏡」とも嘯いている。
 えぐみを増すことによって形成される個性や人格は、必ずしも他人に心地良さをもたらすものではないだろうが、それが自分の偽らざる姿・佇まいだとすれば、終生作品もダミ声を発しながら、嘘偽りなくあるべきというのが、この1週間の、老人の不気味な発見だった。猫なで声で、退屈極まりない写真を羅列するより、このほうが何十倍もましである。


https://www.amatias.com/bbs/30/638.html

カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
群馬県桐生市。

★「01桐生市」
ショーウィンドウのマネキン。向かいには、有名な矢野園の看板が映り込んでいる。
絞りf5.6、1/100秒、ISO 200、露出補正-0.67。

★「02桐生市」
桐生出身の女優の篠原涼子氏は、桐生市観光大使なのだそう。その宣伝ポスター。
絞りf6.3、1/800秒、ISO 1000、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)