プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
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| 2025/12/05(金) |
| 第767回 : 体力と気力の狭間で |
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仕事で撮影した写真を他の媒体に掲載・開示することは依頼主(クライアント)の許可が必要とぼくは捉えている。著作権は撮影者にあるのだが、使用権はクライアントが所有していると解釈している。したがって、自身の判断基準に依り、仕事での写真をクライアントの許可なしに本稿に掲載したことはない。これは一種の仁義かな。
拙稿で、あれこれと能書きを並べ立てている手前、時として仕事で撮影した写真を、烏滸がましさを承知ながら、ひとつの作例として掲載したいと思うことがある。ウズウズすることさえある。 また、昨今喧(かまびす)しい肖像権に関しても、昔と異なり、要らぬ神経を使わなければならなくなった。写真屋にとって非常に忌々しい限りだが、時により人権にも触れる部分があるようで、煩わしさを避けるために、ぼくは仕方なく飲み込むことにしている。 余談だが、人権は最も重要な権利のひとつであるが、本来の「人権の尊重」をはき違え、やたら無用に「人権」を盾に振り回す人・団体などが大手を震うことにぼくはうんざりを通り越して、嫌悪感さえ抱いている。人権の本質を知らぬ人ほど「人権」を振り回す。自身の主張を通すために「人権」を生け贄として使用している輩がいる。それは愚の骨頂であり、勘違いも甚だしい。 また肖像権に関していえば、厳密な意味で法的にどのような解釈であるかを、専門外のぼくは熟知できていない。被写体が複数人であれば問題なしと認識しているくらいだ。法曹に拠ることができなければ、「常識的な範囲」で素人判断するしか手がない。こんなもどかしさの覚えはまったく鬱陶しく感じるが、今のところ、肖像権に対しては、写真人としての良識に従うしか拠りどころがないというのがぼくの考えだ。 上記のような理由により、私的な写真でも、いわゆる「街中の人物スナップ」は海外でのものを除き、肖像権の侵害にあたると思われるような写真を拙稿に掲載したことはない。本来ぼくの最も好きな分野はここにあるのだが、それが出来ぬ恨みがある。 静物ばかりを掲載しているなぁ、とぼくは自分を責めている。時には、「かめやまは人物スナップを撮らないのか」との声が聞こえてくることもある。 ぼくの写真は発表することが前提にあるので、最近は「人物スナップ」を撮る機会がほとんどなくなってしまった。写真屋にとって誠に由々しきものと感じているが、 “無念遣(や)る方なし” といったところ。 その鬱憤晴らしに、かつてぼくが撮った「人物スナップ」の、数枚のプリントを仲間たちにお見せした。「ワシかて、ほれっ、一丁前に人物スナップを撮るんやで、見てみぃ」と、何故か関西弁で、少し鼻を膨らませながらいった。標準語では、照れが先立っていえぬところがぼくの奥ゆかしさだ。どうにか好評を得たので、順次プリントを得意気にお見せしようと思っている。 以前、読者諸兄にもそのような質問をいただいたが、上記のような理由で掲載できぬことをご了承いただければ幸いである。 今年2月を最後に、やっと “晴れて” 現役引退を果たしたぼくだが、いざ自分の写真に取り組めると思いきや、体力の衰えが無情にも立ちはだかった。自然の摂理なので仕方ないことなのだが、意気込みと体力のバランスが怪しくなったとの自覚はとても悲しい。それを最小限に食いとどめるのは、体力増強に努める他なく、その方法を暗中模索。ウォーキングをしたり、スクワットをしたり、栄養のバランスとか、睡眠の質だとか、若い頃には考えもしなかったことに気を配るようになってしまった。 同輩たちが、異口同音にそのような科白を吐く度に(「毎朝、公園で催されているラジオ体操に出かけている」なんて公言して憚らぬ変態もいる。これをして「ひょうろく玉」とか「あんぽんたん」という)、ぼくは「みっともないことをいうな。カッコ悪〜。何をぬかすか、このべらぼうが」と、心うちなじり倒していた。「口に出していうな!」というぼくが、今ここで公に恥を晒している現実はまこと痛々しい。 今年6月の小旅行(神戸、京都、滋賀、福井を6日間で駆け回った)ばかりでなく、この2,3年、気力と体力のバランスが取れないとの現実に直面し、気分は沈む一方だ。最後の日は地を這うように歩き、予定より1日早く帰宅し、嬶(かかあ)に苦言を呈されたこともある。早く帰って文句をいわれるのだから、不条理極まりなく、気の安まる時がない。 体力と気力の相関関係とそのアンバランスは、作品のクオリティに果たしてどのような影響を与えるのだろうかと真剣に考える日々が続いている。 撮影はスポーツと異なるとはいえ、ぼくはいつも「写真は先ず体力ありき」と吹聴してきた。その考えは変わらないのだが、一方で、気力が体力を補うというのも事実だろう。そうあって欲しいとの希望的観測である。「気は心」というではないか !? あっ、ちょっと意味が違うか。 今のところ多少の腰痛持ち(椎間板狭窄症というんだって)であり、洗顔後に顔をしかめることはあっても、撮影時に特段の影響があるわけではない。2ヶ月に1度の定期検診でも異常はなく、疑似五体満足というわけだ。悲喜こもごもといったところ。 目下のところ、体力と気力のせめぎ合いなのだが、平均寿命を考えると、あと3年僅か。それはにわかに信じ難いことだが、禅語の「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)を心の支えにして、丁寧にシャッターを押し続けようと肝に銘じている。 https://www.amatias.com/bbs/30/767.html カメラ:EOS-1D X MarkII。レンズ : EF24-105mm F4L IS USM。 さいたま市。自宅近辺。 ★「01さいたま市」 前号に続き4年前に近所で撮ったもの。「君がこのような明るい写真を撮るのか」との声が聞こえてきたが、お生憎様。ぼくはダボハゼの如く、何にでも食い付くのだ。 絞りf5.6、1/100秒、ISO 100、露出補正-1.00。 ★「02さいたま市」 赤いペンキと赤い自転車。ここの店主は赤好みなのだろう。 絞りf5.6、1/80秒、ISO 250、露出補正-0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/11/28(金) |
| 第766回 : 評価の物差し |
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我が倶楽部は月に一度勉強会を催す。ぼくは指導者モドキとして、メンバーの持参する写真にもっともらしい顔をしながら可能な限り丁寧に、実直に講評する。お世辞は誰の益にならないので、決していわない。それは第一、相手に対して失礼であり、意味もないからだ。
倶楽部が創設されて早23年が過ぎ、メンバーの変遷こそあれ、ぼくの講評もここ2年くらいで随分様変わりした。21年目にして、やっと自身の本意に近づけたようにも感じている。 以前は、作品の好き嫌いを排除し、品質(クオリティ)最重視で行ってきた(つもり)。その姿勢は今もまったく変わらないのだが、常に頭を悩ませてきたことは、「自身にその能力が備わっているかどうか」ということだった。つまりその慧眼や審美眼が備わっているかということである。これはとても悩ましい問題だ。人様の作品を前に、そのような資格などあるのだろうか。 だが、ぼくの人生に於いて、好みを排除し、クオリティだけを評価の中心に据えることのできた人物(すべて故人となってしまった)と、たった4人ではあるが、お付き合いできたことは大きな財産となっている。彼らを希有な存在として接することができたことは、ぼくの人生に多大な影響と教えをもたらした。それは同時に一種の、大変貴重な人生訓でもあった。今も大切な宝として、ぼくの心のなかで絶えることなく息づいている。 彼らの、比類なき鋭敏な五感は、弛まぬ訓練によってのみ得られたものであることを、ぼくは自戒の念を込めて心に留めている。 ぼく自身、到底その域には達していないが、指導者モドキの支えとなってきたものはただひとつ。それは、40年の長きにわたり、プロのカメラマンとして糊口を凌いできたという事実だけである。古参のメンバーにはよくいってきたことだが、「ぼくが脅迫まがいの任務(指導者モドキ)を引き受けたたったひとつの理由は、ぼくがプロだったことであり、茶人として写真に対峙してきたわけではない」ことである。プロの写真屋として大した仕事などしていないが、それは、心の片隅にささやかながらの矜恃として巣くっているような気がする。だが、持って生まれた怠惰は隠しようがなく、「ぼくには努力する能力、つまり才能がなかった」ことを暗に認めざるを得ない。 いつもいうように、人は十人十色、百人百様である。同じ物差しで各人の作品を見てはいけないという自身の主張を、遅まきながらも、現在何とか実行できるようになったとの感触を得ている。 繰り返しになるが、ぼくの倶楽部は学校や職場ではないのだから、個々人の物差しに照らし合わせての作品評価・指導が、何よりも大切なことと自身に言い聞かせ、それを実践できるようになった。「長い道のりではあったが、やっとここまで来られた」と喜んでいいのではないかと思う。 大上段に振りかぶっていうのであれば、個性を尊重し、それを磨いていくのがぼくの仕事であると認識している。困難ではあるが、そこで達し得たものこそ「本物の個性」となる。 「奇を衒(てら)ったもの」、「奇抜なもの」、「エキセントリックなもの」を個性と見紛う風潮があるが、それは「安易」や「あざとさ」の象徴であり、文化の凋落を示している。器用なる「見かけ倒し」は、何時の時代にも長続きしないものだ。ぼくもそれを警戒しながら、「迷った時には、常に基本に立ち返り、大切にする」ことを心に期している。凡庸さのなかから、一筋の光明を見出すことができれば、必ず良いヒントが見つかるものだ。 個々人の評価の物差しを作ることは、長い時間を要する。写真を見せてもらうだけでは作り得ない。ぼくの持論である「人は見かけによる」は変わりないのだが、月一度の勉強会以外で、個人と接する機会がなかなかないので、勉強会の時の雑談やそれに続く飲み会は、ぼくにとって個人の生きてきた道や、そこで派生した考え方や感覚、延いては人生観や人と形(なり)を窺い知ることに必要不可欠なものとなっている。 雑談ばかりして、作者にとって肝心の写真評になかなか入らぬ不満もあろうが、だがしかし、それを端折ると、とどのつまり、お互いに益を逃すことにつながるということに気の付かない人がたまにいる。互いを知るということは、写真評につながるということを理解できていないのだろう。 人物理解が進むと、「なるほど。だからあなたの写真はこうなるんだね。であれば…」と、伝えるべきことの焦点が定まってくる。写真評の時に「Aさんのこの作品はとても素晴らしい。けれどBさんはこれを真似てはダメ」とよくいう。 我が倶楽部には、成人したての青年がいる一方で78歳のご婦人もおられる。同じ物差しで彼らを計っては、まるで頓珍漢な現象が起こる。もちろん、人としての真実には共通項もあり、それはとっくに承知の上だ。だが、20歳には20歳の真実があり、78歳には78歳の真実がある。それをごちゃ混ぜにして、同じ土俵で評価をしても意味を成さない。ここが学校とは異なる点だ。 そんなことを極力意識しての写真評なので、心身ともにぐったりし、翌日は使いものにならぬほど、ぼくは疲弊するのである。足腰の立たぬ時すらある。人の気も知らず、こわ〜いご婦人方は、ただひたすら、モドキのぼくをおちょくり、声高に「キッキッキ、ケッケッケ」と、女性であることを忘れ去り、鬨(とき)の声を上げながら嬲(なぶ)る。時にはいじめに走り、挙げ句、折檻を試みる者まで現れる。ぼくは、苦労と生傷が絶えない。 今のところ、ジジィに優しい気遣いを示してくれるのは20歳の青年ただひとりだ。素直で心優しき青年が、ご婦人たちの毒牙にかからぬように、ただただ祈るばかりである。 https://www.amatias.com/bbs/30/766.html カメラ:EOS-1D X MarkII。レンズ : EF24-105mm F4L IS USM。 さいたま市。埼玉県中央市場。 ★「01さいたま市」 4年前、良い被写体が見つかるかも知れないと立ち寄ったところ、雨上がりに陽が射し、虹が出た。ズームレンズを35mmに固定してからファインダーを覗く。 絞りf8.0、1/200秒、ISO 100、露出補正ノーマル。 ★「02さいたま市」 市場に入ったところにあるビルの壁面。何故壁面の上部に緑色の緑取りが描かれているのか不明だが、「絵になるかも」と思いシャッターを切った。 絞りf5.6、1/200秒、ISO 100、露出補正-0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/11/21(金) |
| 第765回 : 生あるうちの徳と運(雲) |
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人はぼくの内実を知らずして、「こういうことを書いたらどう?」なんてことを不行跡に注進してくる。ぼくを慮(おもんぱか)っての親切なのか、あるいはお為(ため)ごかしなのか、果てはちょっかいなのかは分からないが、時には「たまには進言に従って書いてみようか。それもまたよし」との気持にさせる事柄が、ごく稀にある。
いずれにしても、ぼくはここで、「どげんしよっと?」との迷いが生じる。この迷いが同意に向かうことはあまりなく、そのほとんどを却下する。だが、今回はその進言を少しばかりかすめてみようと思う。 その進言とは、「掲載写真について、もう少し撮影の実際に踏み込んで述べて欲しい」というものだった。ぼくは決して出し惜しみをする人間ではないのだが(それどころか実際は真逆だ。「出し惜しみ」は、どこか陰湿で嫌らしい)、撮影時のあれこれについて自ら進んで語ることを由としない。 上記の論旨とは少しずれるが、写真展などで、時たま作者が自身の作品について、10人近くの観客(取り巻き?)を集め、自身の作品を指さしながら滔々と語っている様子を散見するにつけ、「ぼくには到底できぬこと」と、まるで別世界の出来事のように眺めている。 ぼくにとってそのような行為は、何故か照れくささと小っ恥ずかしさが先に立つ。個人的に問われれば、技術的なことに関しては正直に、実直にお伝えすることはまったくやぶさかではなく、実際にそうしているが、観る側に撮影の意図についての何某の誘導、あるいは印象を植え付けるようなことは好ましからざることと感じている。説明の塩梅はとても難しい。 演奏の前に、独奏者が、あるいは指揮者が、もし自身の演奏についての蘊蓄(うんちく)や理(ことわり)を述べたら、観客はそれを「必要なきもの」として倦む(うむ。嫌になる、飽きるの意)ことだろう。第一、しらけてしまう。音楽も写真も同じである。 何時だったか過去に述べたことがあるが、観客(視聴者)は、何にも束縛されず、作者からの余計な先入観に囚われることなく、自由で、心置きなく、解放された気持で作品を観ることが、最良のこととの信念を持っている。 したがって、例えば「題名」などという「後付け」や「誘導」は、ぼくにとって論外であり、姑息そのものに映る。そこにどの様な意義があるのか、ぼくにはさっぱり理解できない。それがお洒落、親切、理解への道などとは、聞いて呆れる。それこそ、如才のないお為ごかしそのものだ。 撮影についての最低限の情報(例えば、撮影場所や年月日くらい)は写真の下に葉書大の紙に貼り付けるが、そのくらいの親切さはあって良い。繰り返しになるが、「題名」など、観客にとっては、大きなお世話であり、甚だしき迷惑。一方的な押しつけと横柄さは、作品を汚すということに気がついていないのだろうか。写真に限らず、作品に対する「印象操作」や「誘導」など決してあってはならない。 「撮影の実際について踏み込んで」の仰せに従い、掲載写真「01三井寺」について、かすめる程度に述べてみようと思う。これはぼくの撮影スタイルの一方法でもあるので、記しても読者諸兄の害悪にはならないと思う。 「01三井寺」は、三井寺唯一の禅宗様式の建物(重要文化財。創建は室町時代。禅宗様経堂の古例として大変貴重なもの)で、ぼくの見学したいもののひとつだった。そして内部(撮影禁止は承知)の仏典類を網羅した一切経を納める巨大な回転式の八角輪蔵もお目当てだった。 だが残念なことに、現在内部の学術調査が行われているため、閉鎖中で立ち入ることはできなかった。社務所の方に「いつ頃、内部開示がされますか?」と訊ねたところ、定年間近と思われる年頃の方が、真面目な面持ちで「私の生あるうちに開示されるかどうか?」と、遠来のぼくに申し訳なさそうにいわれた。つまり、ぼくにはもう観る機会がないということだ。無念! 建物の外観は、波形格子の弓欄間や花頭窓、内部は鏡天井で、典型的な禅宗仕様である。内部拝観を諦めきれずにいたぼくは、せめて外観(もちろん撮影可)をモノクロでイメージ通りに撮ることに執着した。まず、全体のプロポーションと背景を右往左往しながら眺め、立ち位置を定めることから始めた。 最も留意した点は、建物の頂上にある宝珠を空に浮かす(背景の樹木より上に出す)かどうか思案したが、そうすると欄間(明かりと風通しのための障子窓)が下の屋根に隠れてしまうという不具合が生じる。これは物理的に仕方がない。「あちらを立てればこちらが立たず」という具合だ。 欄間が隠れてしまうと、建物全体のアクセントと立体感が損なわれ、宝珠を空に浮かすという案を引っ込めざるを得なかった。そして、弓なりになった美しい屋根の形状を表すことも最重要課題。「これは少し誇張しても、創建者からお咎めを受けることはなかろう。むしろ強調したほうが喜ばれるに違いない」とうそぶいた。何でも自分に都合の良いように自身を導くところがぼくの気味の悪いところだ。 「誇張」といっても、立ち位置を定めた時点で、自ずとレンズの焦点距離は決まってくる。ましてや立ち位置は、後ろに引くスペースのないぎりぎりの場所だった。建物本体と背景、遠近感を頭のなかで描き、当初の予定通り、ズームレンズの焦点距離を28mm近辺に固定し、そこで初めてファインダーを覗いた。思い描いた通りの映像が、ファインダーのなかでピタリと重なった。 残るは空の表情。右手のほうから重く垂れ込めた雲が移動してきたので、程良い位置に浮かぶまで4,5分待っただろうか。普段、ほとんど待つことをしないぼくがそうしたのだから、良い雲行きだったのだ。 シャッターを切った後、ぼくにはまだ「生あるうちの徳と運(雲)」があるのだろうと思うことにした。 https://www.amatias.com/bbs/30/765.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 滋賀県大津市。 ★「01三井寺」 三井寺の一切経蔵(いっさいきょうぞう。重要文化財。創建は室町時代初期)。慶長7年(1602年)毛利輝元により、山口県の国清寺より移築。 絞りf5.6、1/160秒、ISO 100、露出補正ノーマル。 ★「02三井寺」 唐院潅頂堂(とういんかんじょうどう。重要文化財。創建は慶長3年、1598年)は、三井寺の開祖である智証大師の御廟。三井流密教の伝法道場でもある。 三重塔(重要文化財。室町時代の1392年創建)。慶長6年、1601年に徳川家康の命により三井寺に移築。 絞りf8.0、1/125秒、ISO 100、露出補正+0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/11/14(金) |
| 第764回 : 不協和音の美しさ |
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相も変わらず、ぼくはパソコンを前に、今回も「さて、どうしたものか?」と頭を抱えている。週に1度、1年に50回以上もこんな有り様を延々と繰り返してきた。これがお定まりの仕種なのだから自分が嫌になる。唯一の支えが「ボケ防止」ときているから、自分の、その場凌ぎの浪々ぶりに呆れる。
毎回、整合性の取れぬ文章と知りつつも、「書き出しゃあなんとかなるやろ」とぼくはここでも高を括(くく)る。だが、文章も写真も、つまり創造物というものは自身を映す鏡以外の何ものでもなく、「私はこの程度のもの」と自身を世間に晒すことに他ならない。創造物というのは非情なものだ。一切の誤魔化しが効かないので、危険極まりない。身に迫る危険に「身の程知らず」を以て立ち向かうぼくは、一種の「猛者」というべきか。 文章は読む人が読めば、写真は見る人が見れば、作者の姿が露わに作品に具現されるものだ。弱点や稚拙さはもとより、人と形(なり)までもが露呈してしまう。 文章に加え、さらなる難儀は掲載写真にある。文章は、無い頭を絞りつつもなんとか取り回しが効くが、写真は実際に撮影しなければ何も生まれない。しかも、何十分の1秒、何百何千分の1秒で雌雄を決する。やり直しが効かないという残酷さを有している。 文章は時間をかけ推敲を重ねながらも、一応の体裁を取り繕うことができると思いがちだが、「何とかなる」というのは間違えだ。何度推敲を重ねようが、読む側は推敲の過程などに関係なく、完成形だけに目を通す。したがって、写真も文章も、方法論こそ違え、情を解さず、作者の人物像を表すむごいものだ。過程など関係なく、結果だけがすべてなのだ。 だが、ぼくの救いは唯一、「『文章は素人なのだから』勘弁せい」と、声高にいえることだ。だが、写真はこれでもプロの端くれとして糊口を凌いできたので、「勘弁して」との科白を逃げ口上には使えない。なんだか「グチグチ、グチグチ」と愚痴をこぼしているなぁ。 文章を綴りながら、写真についての偉そうな能書きを垂れ、高が知れた(「高が知れた」の意味をAIで調べてみると、 “何かの程度や価値、量が、さほど大したことがない、と分かっている様子を表す慣用句” とある。まったく以て仰せの通り)写真を恥じらいもなく掲載するぼくのそれは、やはり前述した「身の程知らず」を如実に示している。嗚呼、辛い辛い。 愚痴はこの辺で止め、話は突然過去に遡るが、高校1年の時にストラヴィンスキー(イーゴリ・フョードロヴィッチ。ロシアの作曲家。1882-1971年)のバレエ音楽『春の祭典』やマーラー(グスタフ。オーストリア帝国の作曲家、指揮者。1860-1911年)の交響曲第1番『巨人』などを初めて聴いた時の衝撃は未だに忘れられない。ぼくはまさに半狂乱の体(てい)となり、勉学そっちのけで毎日何度もレコード盤に針を下ろしていた。教育熱心だった父は何もいわなかったが、きっと苦い顔をしながら、ぼくを見つめていたのだろうと回想する。 少々気障っぽい言い方だが、『春の祭典』に聴く不協和音の美しさや変拍子の巧みさに瞠目しつつ(オーケストラのスコアを見ながら聴くのが常だった)、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受け、一方ですっかり魅了されてしまった。それまでは、ドイツ、オーストリアの古典音楽を中心に聴いていたのでなおさらだった。おかしな喩えだが、それはあたかもハッブル宇宙望遠鏡が250万光年の彼方にあるアンドロメダ銀河や他の星雲を克明に捉えた映像を見た時の感動に似ている。不規則な美しさの存在に心打たれたのだった。 学業を後回しにし、カメラを弄ぶ日々を送っていた思春期のぼくは、音楽ばかりでなく、写真にもあのような美しい不協和音や変拍子があって然るべきではないかと心密かに感じるようになって行った。だがもちろん、それが写真に於いて、どの様な意味があり、どう表現できるかは皆目見当がつかなかった。 あれ以来、こんにちまでその考えと指標のようなものは掴みきれずにいるが、齢70の半ばにして、その全体像が薄ぼんやりではあるが、濃霧のなかから姿を現してきたような気がしている。 “時すでに遅し” とは、極楽トンボのぼくは思っていない。いつかは日の目を見るのだと。 和音と不協和音の織り成す美しい調和をどこにどのように、自分のものとして表現し得るのかという途方もない考えと現実の狭間に、軸足の定まらぬぼくは揺れ動いている。「退屈な繰り返し」を「良薬は口に苦し」と考え、退屈を恐れず、辛抱強く試行錯誤をしていくうちに何かが見えてくるのかも知れない。 古今東西の不朽の名作(写真に限らず、文学や絵画、美術品や映画などなど)をじっくり吟味するのもひとつの方法であろうと思っている。ただ、文学は優れたものほど読み砕くには苦痛を伴うものだ。良いものほど苦いのかも知れない。 名品・名作は、鑑賞する度に新たな発見をもたらしてくれ、ぼくはそれをもがきながら忠実に励行しなければと思っている。「野垂れ死に」という言葉はあるが、写真人生に「もがき死に」というのも乙なものかも知れない。 https://www.amatias.com/bbs/30/764.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 滋賀県大津市。彦根市。 ★「01大津市」 石山寺を出、駅まで歩く途中に郵便局を見つけた。壁に描かれた大仰な〒マークが面白く、また背景の雲模様も具合が良かったので、構図に苦心しながら1枚だけいただく。 絞りf5.6、1/200秒、ISO 100、露出補正-0.33。 ★「02彦根市」 道路沿いに、何の目的か分からぬ椅子と机が透明ビニール越しに、ゆらゆらと揺れていた。教室でもなく、居酒屋でもなく、ビニールに何の模様か分からぬものが写し込まれ、色合いも佇まいも妙に怪しかった。 絞りf9.0、1/50秒、ISO 800、露出補正-0.67。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/11/07(金) |
| 第763回 : 三井寺の石仏 |
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本稿(第757回)でぼくは「高尾山冬季無酸素単独登頂」を果たすと明言したので、そろそろ尻を叩かなければとの切羽詰まった思いに囚われている。登ってからいえばいいのに、先に宣言してしまうところがぼくのぼくたる “あかんたれ” の所以だ。
“あかんたれ” とは関西言葉で、性格や能力を表現する便利な言葉であり、標準語の「だめな人」、「役立たず」、「情けない人間」にあたる。 “あかんたれ” はより語感が柔らかく、使い方によって微妙にニュアンスが変化するので、標準語に置き換えることは難しい。いつもいうことだが、標準語は無味乾燥で、素っ気なく、味わいがないので、文章力に乏しいぼくは、どうしても方言に逃げたがる。 「さてそろそろ高尾山」と思いきや、考えてみればこれから紅葉シーズンを迎え、今月中旬から12月初旬までは大変混雑するとのこと。人混みが大の苦手であるぼくは、現在戸惑いを隠しきれずにいる。山登りの途上、あちらでもこちらでもスマホをかざしながら、ぼくの苦手な「映え写真」を撮ろうとする人でごった返すに違いない。それを思うだに、ぼくは怖気(おぞけ)を震う。 記録写真として(作品として撮る人もいるかも)、人々はこぞって紅葉にスマホを向けるのだろう。それにぼくは何の異論もない。楽しみのうちのひとつであろうから、他人がとやかくいう筋合いのものでないことは十分に承知している。 ただ、その先にあるものに、「半ば化石写真人」のぼくは悲観を隠しきれない。今やSNSは生活の一部となり、それも時流というものだろう。時代とともに様々なものが変化を遂げていくことを容認することもまた現代に生きる者の、一種の逃れざる流儀ともいえる。従わざるを得ないのだろうと思う。だが、ぼくは今のところSNSを利用することとは距離を置いている。 何故SNSから距離を置いているかといえば、自身の恥をこれ以上晒したくないとの一心からだ。自分の写真をSNSで世間一般に晒し、「いいね!」をたくさんもらえばもらうほど、その写真は「ダメ写真」を証明しているようなものだと確信している。ぼくは露わな臍曲がりなので、自分の写真が褒められようが貶されようがまったく意に介さない。それは驕りではなく、自分の写真に足りないものを承知しているからである。足りぬところをどう補い、克服していくかに七転八倒しているまさに発展途上人である。謙遜などではなく、まだまだ中途半端であることを実感している。もっともっと洗練と深味が必要だ。 紅葉は眼で愛(め)でることにぼくは何の異論もない。それどころか、自然の美しさと魔力に魅了される。畏敬の念さえ抱いている。ぼくも20代の頃に、尾瀬や上高地で紅葉相手にリバーサルフィルム(カラーポジフィルム)をライカに装填し、夢中で撮ったものだ。ぼくにもそんな時期があった。 見事な紅葉をフィルムに収めた時の歓びは未だ忘れ難いが、だがその類の写真はいつしか心の中で色褪せていった。どの写真もきれいなのだが、自分独自のものが発見できず、写し取ることができなかった。因って何かが心のなかに欠落していると感じたものだ。そして、一見きれいな風景写真をぼくが撮る必然性を感じない。ぼくの写真人生には不要なものであることを、「ただきれいなだけの写真」から学んだ。 また、紅葉ばかりでなく、モノクロで新緑を如何に美しく表現できるか(アンセル・アダムスの提唱するモノクロフィルムとフィルターワークの実験に勤しんだのは30歳手前だった。この話は1話を優に要するので今回は触れない)の探究のため、大型カメラを担いで、東北の山々を駆け回ったこともある。 フィルム時代のことだが、それは現在のデジタルを駆使するうえで大変役立っている。デジタルデータからの、モノクロ変換のノウハウと露出補正は、フィルムもデジタルも同じ考え方に基づいている。 紅葉や新緑について少しばかり文字数をオーバーしてしまった。今回掲載の石仏写真について、いつもより多く記すつもりでいたのだが、字数が間に合うか心許ない。 三井寺の「衆宝観音」と「童地蔵」。広い境内を歩き回り、その終盤にさしかかり、いささかくたびれ果てていたところ、「衆宝観音」と「童地蔵」の前にさしかかり、ぼくはその見事さに釘付けとなった。古いものではないが、ぼくはこれほどに美しくも優しく、品位に満ちた石仏は久しくお目にかかったことはない。ぼくの心にしっくりはまり、「何としてでも、意図した通り写真に収める」との意を固めた。 ファインダーを覗くことなく、肉眼で光りと造形を心で感知しようと、微に入り細を穿って石仏を観察。幸いなことに、曇天下の面光源のため柔らかい光が射していた。出会った当初より「これはモノクロ写真」と決めた。 イメージが描けたところで、合掌をし「不束者ですが、1枚だけ撮らせていただきます」とぼくは健気に呟き、ここで初めてファインダーを覗いた。肉眼とのズレ(アングル)をファインダー内で微調整。当初より焦点距離は70mm、絞りはf4.0と決めていた。シャッタースピードとISOはカメラ任せ。 もう何十年も前のことになるが、仕事で国宝や重要文化財の仏像を、ライティング機材を用い、たくさん撮ったことがある。この時の目的は、ポスターや関連書物(図録)ならびに学術関連の目的を含んでいたので、今回の自然光下の石仏とは撮影の考え方や技法はまったく異なるが、あの経験あってこそのものだとしみじみ感じ取った。 仏像撮影の体験がなければ、出来不出来は別としても、今回のような写真にはならなかったと思う。過去の真剣勝負が思わぬところで役立ったと、ぼくは改めて今回の石仏に感謝の手を合わせた。 ※帰京してから三井寺に電話をし、仏師の名を伺った。石彫家・大仏師の長岡和慶氏と教えていただいた。 https://www.amatias.com/bbs/30/763.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 滋賀県大津市。 ★「01三井寺」 「衆宝観音」。看板にはこう記されている。「三十三観音のひとつ。衆宝とは衆生が求めてやまない財宝のことで、右手を岩の上に置き左手を立て膝の上に置く特異な観音様です。以下略」 絞りf4.0、1/160秒、ISO 160、露出補正-0.33。 ★「02三井寺」 「衆宝観音」の隣に置かれた「童地蔵」。 絞りf4.0、1/50秒、ISO 100、露出補正-0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/10/31(金) |
| 第762回 : 本懐は寝て待つ? |
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原稿を担当氏に送った後の2,3日間、「次回はこのテーマを取り上げよう。うん、それがいい、それにしよう」との思いに至るのだが、実際に執筆当日になるとそれらの良案 !? がきれいさっぱり記憶から消え失せている。なんたること。
懸命に思い返そうとするのだが、どう足掻いても出て来ない。つい先日まで頭にあったものが、人格零落の元凶であるパソコンを前にすると、糞詰まり状態(びろうな表現ですいません)となり、ぼくは一気にめげる。気の弱りに襲われてしまうのだ。便秘の苦しみを幸いなことにぼくは未だ知らないのだが、それを肉体的苦痛だとすれば、記憶の消失は精神的苦痛となる。 人は、「思いついた時にメモしておけばいいじゃないか」とすまし顔でおっしゃる。なるほどとは思うが、ところがどっこい、ぼくはそんなマメな性格ではないので、十分に予測できる事態に対応しようとしない。「おれに限って、忘れることなどあり得ない。第一、メモを取るような面倒なことなど」と自信過剰が招く災いなのだが、そうとは知りつつも、近頃頓(とみ)に思い出せて当然のことがなかなかできずにいる。未だ若い頃の記憶力に頼ろうとしている自分の愚かさに気づいていない。 世間ではそれを「愚図」とか「あまのじゃく」とか「ものぐさ」というらしいのだが、とどのつまり生来の「ぐうたら」というわけだ。だが、人前をつくろうことが元々嫌いなのだから仕方ない。 来年1月の運転免許更新のため、過日運転免許認知機能検査に出向いたのだが、検査の全工程を待たずして「合格」のサインが出、ぼくは自信を取り戻した。同輩たちの顔が次々に浮かび、ぼくはどこか誇らしげだった。「どうよ、おれはまだ捨てたもんじゃない」というわけだ。 「特に固有名詞が出てこない」と同輩たちは異口同音にいう。今やそれが挨拶代わりの言葉のようになり、悲嘆に暮れる他なし。それはぼくとてまったく同様で、故に代名詞のオンパレードとなる。しかし、ジジババは年の功で、それで会話が成り立ってしまうという恐ろしくも壮絶な世界が繰り広げられる。 最近は固有名詞ばかりでなく、普通名詞も出てこないことがしばしばあり、思い出そうと要らぬ労力を費やす。この現象による苛立ちは、特に原稿執筆時に好んで出現するから、本当に始末に負えない。 この嘆きは、若い人には理解してもらえないだろうが、同輩たちも「刹那的記憶障害」は同じであろうと推察すると多少は気が休まる。おそらく、「同病相憐れむ」といったところであろう。こんなことで同情し合うのはやはり惨めだ。 さて、それは自身の写真に対しても当てはまるのであろうかと、ぼくはしきりにぐうたらな頭脳をかき回すのだが、耄碌の自覚がない分、結論は常に楽観的であり、また「牽強付会」(けんきょうふかい。自分に都合の良いように強引に理屈をこじつけること)を伝家の宝刀のように振り回す。心の片隅には「ものには限界というものがあるのかも知れない。もう進歩や新たな発見が見出せないのではないか」との不安を打ち消すことができずにいる。 だが「写真は、他とは別物だ」が、現在唯一の心の支えであり、拠り所ともなっている。 最近は被写体を前に、「どう撮ればいいのか?」と、額に油汗を浮かべ、心臓の鼓動は速まり、ドギマギしている自分がいることに気づく。以前は、程度の差こそあれ、このような心的軋轢を生むことはなかった。 「被写体をじっくり観察すること。何が主人公で、そして脇役なのか。光りをよく見定めてアングルを決める。光りの照射角は自分が動けば変化させることができるんだよ」と、同志にはそれらしいことをいって退(の)けるのに、本人はそれがままならない。このもどかしさはどこから到来するのだろうかと思い詰めるのだが、「精進が足りぬから」とするのが、最も手っ取り早く、安易だ。心の一角には、どうしても「歳のせい」にしたくないとの魂胆が丸見えである。 抗うことのできぬ「年齢の壁」に達するには、ぼくはまだまだ若すぎる。創作に於ける創造力は、死ぬ間際が絶頂期とぼくは思い込んでいる。 数日前、1時間ほど車を運転し他県の街に出かけたまではいいのだが、そこで10数カット撮ったところ、脈は乱れ、息切れを起こしてしまった。加え、持病の腰痛も影響を与えているのか、身体もどこか気怠い。ぼくは、最近さぼりがちだったウォーキングとスクワットに責任をなすりつけた。 あるいは、車から降り、休む間もなく撮影に臨んだせいかも知れないと、盛んに気休めにもならぬ原因を追求し始めたのだが、これといったものが見つけられずにいた。そうこうしていると、見知らぬおばさんから突然の声がけがあり、会話をしているうちに徐々に気がほぐれ、ぼくの重苦しい気分は一気に消失した。撮影時の過度な緊張感がきっと不具合を生じさせたのだと結論づけをして一段落。 1時間半ほどの滞在で、約100カット撮ったが、それは通常のぼくのペースだった。通りを歩きながら、魚屋のおじさん、民家のおばさん、洋品店の女店員さんなど、この街の良い人情に触れ、これも撮影をする上での大切な一面であることを改めて感じた。それらの何かが写し取れていれば良いのだがと願った。いつか掲載できればと思っている。相も変わらず「映え」のしないものがほとんどなのだが。 昔のぼくであれば、彼らと話をしながらかすめ撮ったであろうが、ぼくの写真は公開を前提としているので、どうしても億劫さが先に立ってしまう。厄介な肖像権というものがぼくの邪魔をしている。だが、これからは少しずつ自身の本意である人物スナップに立ち返りたいと思っている。「昔取った杵柄」なのだから、原点回帰も上達の一方策だ。「本懐本望ば感じ取るっまで、耄碌すっわけにゃいかんばい」と、早逝した父の言葉が聞こえてくる。 https://www.amatias.com/bbs/30/762.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 石川県金沢市。滋賀県彦根市。 ★「01金沢市」 国立工芸館。レトロな館に後光が射す。ここに至る珍道中も筆硯に値するのだが、それは身のために止めておく。案内人(友人)の意図的な意地悪により、エラい目に遭ったんですわ。 絞りf8.0、1/160秒、ISO 125、露出補正-0.67。 ★「02彦根市」 時系列がバラバラとなるが、これは彦根城から駅へ向かう途中で、周囲の佇まいとはまったく異なる昭和の空気に出会った。タクシーの運転手さんに、「止めて。ここで降ります」といい、お目当ての家屋に駆け寄る。カラーでの仕上げも面白いのだが、取り敢えずモノクロのほうを。 絞りf6.3、1/250秒、ISO 200、露出補正ノーマル。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/10/24(金) |
| 第761回 : スマホカメラの罠 |
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スマホカメラについての長所短所については、あまりにも述べたい事柄が多く、それを満遍なく綴ろうとすれば、途方もない字数を要するので、今回は一部に止めることをあらかじめお断りしておこうと思う。
写真は今や一億総スマホカメラとなった。写真人口が多くなったということは、裾野が広がったことと道義だが、その分標高も低くなったということ。スマホカメラについての所見を伺いたいとの意見を読者諸兄や身近の写真好きから時折いただく。また、グループ展の案内状がしばしば舞い込み、その際にもやはり同じような質問を受けることがある。 展示作品を前に、作者から「これ、スマホで撮ったんですよ」と、誇らしくも気焔万丈にいわれることがある。「はぁ、そうですか」と素っ気なくも返す以外にない。ぼくは心うち「何故、スマホなのですか?」という言葉がどうしても出て来ず、自分でもやきもきする。様々な情感や思いが頭のなかに飛び交い、ぼくは複雑な心境に襲われ、何かが喉の奥に引っかかって出て来ないのである。それはあたかも、高潔なるくしゃみが出かかっているのに、意図せず収まってしまう時に感じるあの何ともいえぬ未消化の気持ち悪さに似ている。爽快な「ハックション!」が、勇猛に出て来ないあの症状である。 正直にいうと、ぼく自身はスマホカメラを使用することはほとんどないので、最新のものであっても、どの様な機能(AI機能も含めて)を有しているのかを知らないが故、的外れなことを述べてしまう恐れがあり、口を濁してしまうというのが実際のところだ。 いくら写真を商売にしている身であるとはいえ、知らないことについて、一見それらしい言葉を並べ立て、断定的に事を述べるのは軽薄の誹りを免れないであろうし、また罪であろうとも思っている。プロであることに思い上がっては、自身を汚(けが)すことになる。 ぼくも極たまにではあるが、あくまで記録や記念としてちゃっかりスマホを取り出すことはあるが、「写っていればいいや」という程度のものである。つまり、スマホカメラにどの様な機能が付加されようが、今のところ、それを使いこなそうという気はさらさらないということだ。記録に徹しているので、スマホのモニターに被写体が収まっていれば、何の迷いもなくシャッターボタンを押す。こんな風に潔く常用のカメラやレンズを操ってみたいと願うのだが、それは無理難題。ぼくのスマホカメラの使用目的は、ただ「写ればいい」、それだけのことだ。 そのような見地からして、スマホは便利で気楽そのものだが、ぼくはこれを自己表現のための「文明の利器」とは見なしていない。便利さのすべてが、文化・文明に寄与するものでないと考えているからだ。便利さは危うい面を多分に包含しており、手放しに歓迎すべきではないとの警戒心をぼくは常に抱いている。工夫をなおざりにすることは、思考停止や熟慮・観察の疎外につながりやすく、ぼくはそれを極度に警戒している。便利さのすべてが自身の写真のクオリティに寄与するとは言い難く、まったく異なるものと認識している。 今のところ、自身の心情を描くには、スマホはどうあっても役不足の感を否めないというのが本音である。仕事を引退したとはいえ、今もその考えに変わりはない。スマホ片手に、撮影に出かけられればどれほど気楽であろうか! それは贅沢の極みであるが、今のところ失うもののほうが多い。 今までぼくは、何度か本稿で「作品のクオリティは機材に依拠しない」と繰り返し述べてきた。大切なことは何度述べてもよいとの見地から、スマホであってもそれは変わらないのだが、問題は他のところにある。 スマホカメラ使用で、唯一危惧することは、撮影時に於ける「安易さ」である。人は、ぼくも含めて、どうしても「安易」なものに流されがちだ。警戒すべきは撮影時に於ける「安易さ」に人は誰でも陥りやすく、そこから免れるには「知恵」と「技術」の駆使という壁を乗り越えなければならない。この壁が、高いか低いかは本人次第だ。「安易」なものから得られるものは、常にそれなりのものでしかなく、それがものの道理であり、また真理でもある。それを認知している者のみが上達の権利を有す。 最新のスマホカメラがどの様な機能を有しているかを知らないことは前述した通りなのだが(因みにぼくのスマホは何代か前のiPhone 11)、撮影時に細心の注意を払うべきもの、例えば被写界深度や焦点距離、シャッタースピードや絞り、ISO感度、露出補正などは、どの程度融通が利くのか? そして何より、画質の点で、ぼくにはどうしても合点の行くものが見出せずにいる。音楽でいえば、アンサンブルの乱れたオーケストラのようなものだ。 加え、何故当初からシャープネスがかかっているのか? これはぼくにとって我慢のならぬ点だ。それが及ぼす画質の劣化は最たるもので、暗室作業を前提とするぼくのような人間にとって、危険極まりない。 実際にプリントされたものを見るにつけ、ぼくは到底我慢のならぬものを感じる。一言でいえば、あまりにも「のっぺり」した印象を拭えない。細かいグラデーションを欠いた粗い貼り絵のように感じてしまう。 写真の描く繊細な色彩や柔らかでありながらもきめの細かい解像感、滑らかなグラデーション(輝きから陰影まで)、視覚ではなかなか認知しにくい主被写体前後の描写(ボケや質感の調和)などの素晴らしい虚構の世界が、スマホでは得られにくいと感じるのはぼくだけだろうか。 スマホはどう使いこなしても、今のところ自ずと限界があると感じている。ただ日進月歩のデジタル、画質の良い素材が得られる日がやがて来るであろうとは思う。その日まで、ぼくが生き長らえるかどうか、いささか怪しくもあり、そこが悔やまれるのだが… https://www.amatias.com/bbs/30/761.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 石川県金沢市。 ★「01金沢市」 武家屋敷近くのベーカリーで見つけたガラスケース。そこに入れられた “箱入りおばさん”。何故か心をくすぐられ、そっと1枚だけいただいた。 絞りf6.3、1/50秒、ISO 800、露出補正-1.00。 ★「02金沢市」 武家屋敷を改築したレストランで昼食。ガラステーブルに写ったシャンデリアと棚に並べられた洋酒ボトル。反射したシャンデリアの彩りが面白く、料理が置かれる前に、そっとシャッターを切る。 絞りf5.6、1/100秒、ISO 2500、露出補正ノーマル。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/10/17(金) |
| 第760回 : 仕事の引退写真 |
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本連載を今夏初めて知ったという友人K君が、半ば呆れた様子でメールをくれた。彼とは小学校から仲の良い間柄で、いわば腐れ縁のようなものなのだが、その彼曰く「よくもまぁ、700回以上も続けたもんだね。一体何年になるの? 君がこんなことをしているとは知らなかった。文章や写真はともあれ、毎週続けるその活力はいつまで続くのかね〜」だと。
昔から何をいっても憎まれない彼は、相当に徳のある人物だ。 ぼくは親しい間柄であっても、本連載について自ら他人に知らせたことはほとんどない。自分が現在していることや考えについて、逐一、誰彼に報告するような野暮なことなんぞするものか。秘密にこそしないが、偏った見方をすれば、それはぼくのささやかな美学から派生している。そして放埒な物言いを書き連ねるには、それ相応の、不届きな胆力が必要であることに彼は気づいていない。ぼくの周りはそんな輩で溢れている。ぼくは身の不幸を託(かこ)つ。 メールにある「文章や写真はともあれ」はともかくも(しかし、こちらが肝要なのだが)、「活力はいつまで続くのかね〜」などと、ぼくの苦労を知らずして見当違いも甚だしく、そしてこれこそ大きなお世話というものだ。 「そげんこつば放っといちゃり」(そんなことは放っておいてくれ)だ。ぼくは自我を何かの手段で放出しないと気の済まない質だということさえ、彼は長年の付き合いで気づいていない。 文章は頭脳労働、写真(撮影)は肉体労働であるとの真実を彼は計ることができずにいる。「身の不幸を託つ」のはぼくばかりでなく、彼もそうあらねばならない。 ぼくはどちらの労働もなかなか成果を上げられないが、写真は一応商売人なので、それなりのやり繰りをしなければ、立つ瀬がない。彼は、人情世態の機微というものに理解が及ばないのではないかと愁(うれ)える。 続けて、「君の旅行記は、エッセイ集や写真集で面白おかしくすんなり読めたが、『写真よもやま話』は、君にしてはかなり真面目で、いつものおふざけが影を潜め、意外と生一本なんだね」だと。ぼくは上記した九州言葉をまたもや繰り出さなければならなかった。「ほんなこつ心(しん)が疲(つか)る〜」(本当に心が疲れる)と、この手のわからんちん相手に、ホンに地言葉はありがたい。標準語というものは、ぼくにとってどこか無味乾燥で、よそよそしく、しかももどかしくて敵わない。標準語は、ぼくにとって借り物なのだろう。 さて、ここから写真の話になるのだが、今回掲載の写真は、ぼくが現役を退こうと意を決した「首都圏外郭放水路」の現場である。ぼくにとって、ここは野外ロケ(フィールドワーク)の集大成ともいうべき撮影条件だった。 現役引退のきっかけとなったのは、他人から見ればたわいのないことのように思われるだろうが、実のところ、重たい機材を担ぎながら116段の階段を何度か上り下りする際、その体たらくを見兼ねた担当者たちが手助けしてくれたことにある。 あと5歳若ければ、ぼくは悲鳴を上げながらも自力で何とかできたであろう。だが齢77、ぼくはとうとう音を上げたのだった。足は上がらず、息も絶え絶え、階段途中の狭い踊り場で這いつくばってしまった。「大丈夫だよ」と見せかけるには無理があり、それはあまりにも見苦しく、醜態を晒すほかなし。ぼくは往生際良く、観念した。「もう引退しろ」というわけだ。 これからは、自分の世界で遊べということなのだろうが、とはいえ、癪なことに写真はどう転んでも遊びにはならない。こんな宿痾を背負ってでも、やはり写真は続けて行きたい。 仕事で撮影したもの(「首都圏外郭放水路」以外)は本稿に掲載したことはないが、先述した「野外ロケの集大成」とは、ここの「地下神殿」と呼ばれる所で、今秋11月に行われるライティングイベントの予備テストの撮影だった。4時間で1,100枚を撮った。今回の掲載写真は、そのうちの2枚。 暗闇の地下神殿に投射される色とりどりのスポットライトやレーザー光線によって絶え間なく描かれる線や模様を一瞬のうちに切り取らなければならなかった。素早く動き回る光りを捉えなければならないので、程良いシャッタースピードを推察し、しかも写真の再現域を超えた高コントラストなので、厳格な露出補正をも要求される。 シャドウとハイライトのどちらかを犠牲にしなければならず、その瀬戸際とのせめぎ合いだった。もちろん、スポットライトやレーザー光の明度優先である。そうしなければ、白飛びを起こし色を失ってしまう。演劇やミュージカルなどの舞台撮影の難しさに輪を掛けたような厄介さだ。40年間のフィールドワークで培った技術的ノウハウを結集させなければならなかった。最終の舞台を飾るには、相応しい撮影だったように感じている。 「地下神殿」の地上から、そしてまた最上部からと、ぼくは体育会のしごきに遭ったコマネズミのように走らざるを得なかった。まさに「老人虐待」そのものであった。 ぼくは悲劇の主人公を演じるが如く、被害妄想に明け暮れ、サルトル(ジャン=ポール。仏の哲学者、小説家。1905 〜 1980年)唱えるところのメランコリー(憂鬱)一色に染まっていった。というのは嘘っぱちで、そんな気分に浸る余裕すらなかったのである。「写真は肉体労働」と書いたが、まさに当を得ている。 この撮影の困難さを大いに手助けしてくれ、どうにか有終の美を飾れたのは、最新のカメラであったことに偽りはない。高感度ISOの性能にも手堅く支えられ、今回の撮影が思い通り行ったことに大きく貢献してくれた。ぼくは今さらながらに、文明の利器に助けられことを感謝している。そして、優れたRaw現像ソフトによるノイズリダクションに助けられたことも付記しておかなければならない。 ※ 掲載写真は、来月「首都圏外郭放水路」で企画されている「地下神殿で幻想空間体験! 流水治水ライトアップ」の実際とは異なったものです。掲載写真はあくまで事前のテストでのものであり、実際のプログラムでないことをご承知おき下さいますよう。 https://www.amatias.com/bbs/30/760.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 埼玉県春日部市。「首都圏外郭放水路」。 ★「01外郭放水路」 地下神殿の床から仰ぎ見る。柱を垂直に立たせず、敢えて僅かにカメラを傾斜させ、全体の光りの流れを生かすような構図を意識。 絞りf4.0、1/20秒、ISO 2500、露出補正-2.67。 ★「02外郭放水路」 地下神殿を見渡す最上部から。神殿の中心線より1歩右に寄り、深部の入口のライトを見せる。 絞りf3.5、1/20秒、ISO 6400、露出補正-1.67。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/10/10(金) |
| 第759回 : 憧れこそ原動力 |
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6月10日にぼくは精根尽き果てて、小旅行からの帰路についた。いろいろな意味で、自信を喪失した旅であったが、とはいえ、写真に対する自身への愉しみと期待はこれからが本番との気概は失っていなかった。「まだ、オレも捨てたもんじゃない」というのが本心でもある。負け惜しみではなく、結果はどうあれ、何事もひとつずつ地道に積み上げるのが最良の方策。まさに「急がば回れ」の如く、それに従う余力はまだ十分にある。「遅すぎる」などとの言い草は、何とかの遠吠えに過ぎない。
これから少しずつではあろうが、自分の納得できる方向へ舵を切ろうとの覚悟を今回の旅で得た。自身の人生の型取りはこれからであり、齢77の残滓だとは思っていない。年甲斐もなく「余りあるエネルギー」だとさえ思っている。写真への憧憬は無限といって良いほどのものがあり、精進すれば、「少しでいいから、いつかはきっと叶う」と信じている。憧れはすべての原動力となる。 また、自分の写真が他人にどう映るかをまるきり気にしない極めておおらかなぼくは、それだけでも大きな得をしている。 帰京後、訃報を含めあれやこれやの雑務、約束に追われ、なかなか写真に対峙する時間が持てなかった。そうこうしているうちに、とんでもない猛暑の襲来となり、こればかりは嘆きの遠吠えも効果がない。 撮影に出れば熱中症の危険性もあり、今ここでくたばるわけにはいかない。次なるステップを窺うために、空調の効いた美術館や博物館で、美しいものに接し、新たな発見と霊感を得るのもひとつの手立てと考えた。家では、古今東西の優れた写真や絵画を改めてパソコン上で瞳を凝らし、ベッドに潜り込んでからは、かつて熟読した優れた文学の再読に努め、どのくらい新たな発見がきるかを見定めることも必須と考え、励行していた。老いの悪あがきと笑うことなかれ。 少なからず、様々なインスピレーション(ひらめきや思いつき。広辞苑によると、「創作・思索などの過程において、ひらめいた新しい考えで、自分の考えだという感じを伴わないもの」)を得たように感じてはいるが、それが直ちに印画紙上に再現できないところが味噌である。けれど、それがもっともな道理だと心得ている。それは一種の筋道であり、道程でもあるので、地道に継続すればそれでいいのではないかと考えている。せっかちなぼくにしては、意外にも上出来だ。せっかくの味噌を腐らせては、元も子もない。これをして、「急いては事をし損じる」と世間ではいうらしい。 酷暑ばかりを理由にしてはいけないと思い、8月中旬の曇り日の夕方、東北自動車道を走る用事がてら、通い慣れた「加須市」に立ち寄ってみた。 加須市を初めて訪れたのは今から20数年前のことで、ある雑誌の撮影のためだった。当時はまだ手描きの鯉のぼり店が多くあり(産業構造の機械化が進み、それにつれ職人の数が減少。現在では2店のみが「鯉のぼりの町加須」を支えていると聞く)、その制作過程を撮影した。 まだフィルム時代のことで、ぼくは大型のスタジオ用ストロボを何灯も使い、職人さんたちの描く鯉のぼりの制作過程を撮影した。昼食には名物である「加須うどん」をいただき、忘れがたい思い出となっている。 それから10数年が経ち、懐かしさ余って再び加須市を訪れてみたが、歳月の空白は街の様相を変え、お世話になった鯉のぼり店を見つけることはできなかった。ぼくは得体の知れぬ暗澹たる思いに駆られた。青春の(初訪問時、ぼくは中年のおっさんだったが)1ページが無残にも剥ぎ取られたような寂しさと痛みを感じた。 ただ、どこかに未だ昭和の香りがはらはらとかかるこの街に、ぼくは新たな親しみを覚え、「しばらく通ってみようか」との気持になった。廃れ行く昭和の風景を切り取っておきたかった。以来ぼくは、10数回加須市を、私的写真のために通うことになる。我が家から1時間の道のりなので、便が良く、好都合だった。 以前、街に残る唯一の銭湯で、10年前に物置場と化した脱衣所と浴室、当時の銭湯特有の山湖のペンキ絵を主人の説明を受けながら撮影したことがある。真夏の暑い日だった。上半身裸の年老いた主人は、「取り壊そうにもここには重機が入れず、また費用もかかるので、このまま放置しておく外に手がない」と悲壮感を漂わせ、日焼けした裸の上半身を汗で光らせながらしみじみと語ってくれた。この時の写真は本連載に掲載させていただいた覚えがある。 そして前述した今年8月の訪問時、この銭湯を訪ねてみたのだが、「人気(ひとけ)絶えて久しくなりぬれど」といった佇まいで、ぼくは失った宝物を探すように、銭湯に連結した住居の周囲を窺うように行ったり来たりしたが、裸の老人の姿はその気配すらなく、痛惜の念に堪えない思いだった。 雨が降り始め、陽も沈みかけ、電灯が灯り、帰路につこうと車に乗り込んだ。 車窓からぼくの心情を物語るような光景が眼前に現れた(写真「01」)。車を降り、この日の自身の思いと重ね合わせ、『方丈記』(鴨長明。1155~1216年の歌人、随筆家)の冒頭の名句「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」を気取りながら、丁寧に、思い入れたっぷりにシャッターを押した。 https://www.amatias.com/bbs/30/759.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 埼玉県加須市。 ★「01加須市」 文中に説明。重く垂れ込める雨雲を飛ばさぬよう、ヒストグラムを睨みながら露出補正を決める。 絞りf9.0、1/50秒、ISO 200、露出補正-1.33。 ★「02加須市」 「01」を撮った後、振り返ると雨に濡れた車庫が目に付いた。「うん、これはポラロイド写真風に。焦点距離は35mm」と即決し、隙のない構図に注力。 絞りf8.0、1/50秒、ISO 400、露出補正ノーマル |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/10/03(金) |
| 第758回:彦根から金沢へ |
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彦根城は戦に一度も使用されることのなかった平和の象徴という価値を有し、「平和の象徴」を憲章として掲げるユネスコへの世界遺産登録の大きなアピール材料となっている。いずれ彦根城の木造技法も評価され、ユネスコに認められるのではとぼくは思う。
そうなったらなったで、またもや観光客が今以上に押し寄せ、手放しで喜ぶわけにもいかず、日本人としては “痛し痒し” というところ。現在でも、天守閣に登るために、観光シーズン時はかなりの待ち時間を要すと城の関係者から伺った。 広大な面積(彦根城は甲子園球場の約13倍)に点在する見所のすべてを観賞し、撮影する心身の余裕をぼくは既に失いかけていた。撮影を必要とする時間を併せて考えれば、たっぷり時間を必要とし、撮影に夢中になってしまえば、金沢で午後6時開始の酒宴を待ち構える油断のならぬ5人の友人たち(特に3人の女衆)から、「遅刻!」との白い目を向けられることは火を見るよりも明らかだった。遅刻の理由をあれこれほじくり返してくるし、言い訳も辛い。 ここでホントの実話 !? を明かせば、彦根城でR7(キヤノン製ミラーレスカメラ)を手にした写真好きの妙齢の別嬪さんから声をかけられ、ぼくはあろうことか少々現(うつつ)を抜かしてしまった。 同類(写真同好の士)の白髪ジジィには、年齢の距離感も手伝ってか、そこはかとない安心感を抱くらしい。男として、それは如何なものかとも思うのだが、ただならぬ警戒心を抱かせぬ歳であるということは事実なのだろう。 空腹を満たすために、彦根城近くの評判のうなぎ屋にぼくらは潜り込み、ぼくは撮影の不出来をうなぎで補った。彼女を米原駅で見送る際、「ズボンの屁だね」といったら、「それって、どげな意味?」と博多女は返した。「 “右と左に泣き別れ” ちゅう意味ばい」と、ぼくは青春の気分で、別れの手を振った。 常日頃、何事にも「まったく以て分かりやすい奴」と、親しい友人たちに揶揄されるお人好しぼくは、約束の時間に遅刻なんぞすれば、その理由について、素直に「実はね…」とニヤケ顔で口を割るに違いない。したがって、何はどうあれ午後6時開始の酒宴に遅刻は許されないのだ。 金沢で待ち受ける3人の女衆は、材木を鋭い鑿(のみ)でほじくるように、人をおちょくることに全身全霊を打ち込んでくる。ことごとく手弱女(たおやめ。やさしい女。しとやかな女という意)を装う彼女たちに、柔(やわ)なぼくは、とても太刀打ちなどできるわけがない。これを捩って、世間では「悪女の深情け」というらしい。 「6時に金沢の近江町のAに予約を入れたので、デッタイ遅刻しないように!」とぼくは厳しく命じられていた。普段から「遅刻は厳禁」を心の糧としてきたが、今回も言わずもがなの冷徹なる上意下達だった。 天守閣てっぺんの板の間にしゃがみ込み、たどたどしくスマホを操りながら、彦根から金沢まで、乗り継ぎを含め、要する時間を調べあげ、約2時間かかることを知った。まめまめしくも涙ぐましいばかりの所行である。それほど、遅刻を恐れいていたのだった。特に、3人のご婦人方は “お仕置き” と “折檻” を享楽と心得ているので、ぼくは情けなくも服属そのものに成り下がっている。今回の金沢は、彦根の「平和の象徴」とはほど遠かった。 話は変わり(「写真よもやま話」の “写真” はどこへいった)、編集者時代に、金沢は冬と夏に取材で3度ずつ訪れたことがある。あれから半世紀が経とうとしているが、当時の思い出は朧気(おぼろげ)であり、記憶の片隅にどうにか鎮座しているのは、通い詰めた炉端焼き屋での舌もとろけるような美味三昧と犀川大橋のたもとにあった「寺喜屋」(てらきや。味わい深い木造3階建てで、魚料理は絶品だった。現在は閉店)、そしてぐしょぐしょの雪。夏の、わらじのように大きな岩牡蠣も終生忘れがたい。 加え、最も好きな作家のひとりである吉田健一の名著『金沢』にも揺さぶられていた。 冬・夏に都合6度訪れたが、カメラは持参していなかった(当時のぼくはライカのM3を愛用していた)。何故カメラを持参しなかったかというと、ぼくは編集者として取材に行ったのであり、会社の賄いで写真にかまけることは、どうしても不料簡であり、不見識も甚だしいと感じていたからだった。 したがって、金沢の名所旧跡探訪はまったくせず、去年が初めてといっていい。 去年に続き、神戸での仕事を終えた帰路、今年も金沢に立ち寄り、同じメンバーと酒宴に興じたが、鮮魚と酒の旨さは相変わらず格別だった。美味に酔いつつ、ぼくの脳裏をかすめたのは、やたらフィルムカメラ(フィルム表現)に思いが至ったことだった。懐かしさではなく、言葉にできぬフィルム特有の何かに突き動かされるような気がしていた。 元々、ぼくはいわゆる「懐古趣味」を嫌う傾向にあるのだが、生まれ故郷が恋しくなることとは異なる得体の知れぬ衝動に突き動かされていたのだった。昨今の、デジタルをバリバリ使いこなすのも結構だが、何か大切なものを失っているのではないかという疑問が頭をもたげた。それがフィルム回帰につながるのかは、現時点ではあやふやである。ぼくの頭が整理し切れていない。 とはいえぼく自身は、「再びフィルムを」との気持はないのだが、あの得もいわれぬ味わいはデジタルでも復元できるのではないかと考えると、居ても立っても居られない。そんな感情・感覚を満足させるような表現が果たして可能であろうか? 妙齢の別嬪に、現(うつつ)を抜かしている場合じゃないだろうに。 https://www.amatias.com/bbs/30/758.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 石川県金沢市。 ★「01武家屋敷」 もしぼくが訪れた半世紀前なら、武家屋敷はきっと現在のように観光地化しておらず、もう少し寂れ、しかし濃い空気感を醸していただろうと思う。モノクロフィルムで撮っておけばと、時すでに遅しといったところ。デジタルでしかできぬ精緻な暗室作業を施して。 絞りf8.0、1/200秒、ISO 125、露出補正-0.67。 ★「02金沢駅」 このアングルは去年から試してみようと思っていたのだが、なかなか立ち位置と構図が定まらず見送っていた。今年はやっとイメージが構築できた(といっても、この程度か)ので、奇をてらわず正直に。モノクロに寒色系のフィルターをかけて。 絞りf4.0、1/80秒、ISO 100、露出補正+0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |