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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2026/10/30(金)
第812回:コマーシャル写真の反動
 コマーシャル・カメラマン(商業カメラマン)としての40年間を無事やり過ごしてきたことは過去に述べたが、引退をするずっと以前から気づいていたことがある。何事にも功罪というものがあるが、特に「罪」の部分について、ぼくは頭を悩ませてきた。自身の職業に埋没するあまり、それについては口を噤(つぐ)んできた。ぼく自身が選んだ道なのだから、いつも「口を閉じろ。好きが高じてこの道に入ったのだから、重々覚悟の上だろう。四の五のいうな。愚痴をこぼすなんてみっともない」というわけだ。
 アマチュア時代の長かったぼくは、写真を職業にしてからは、「仕事は仕事」と割り切って考えもしたが、コマーシャル・カメラマンを長く続けて行くうちに、不安も同時に増幅していることに気づいていた。

 「あちらを立てればこちらが立たず」という謂わば「功罪相半ばする」との真理はいつも皮肉なものだ。コマーシャル・カメラマンの宿痾ともいうべきその部分については未だ触れたことがない。すべての職業カメラマンがそうであるかどうかは定かでないが、ぼくの不安は自分の本来あるべき姿を、どこかで失ってしまうのではないかとの恐れに変わった。
 だがその恐れを感じつつも、目の前にある仕事に邁進・没頭せざるを得ず、僅かな隙を見つけながらも、細々(ほそぼそ)と私的な写真を撮っていた。自己を失うまいと、自分の職業に対する儚い抵抗を続ける必要があった。

 職業としての写真は、いわずもがな他人が依頼するところの映像イメージに寄り添わなければ成り立たない。その現実は非常に実務的な事柄であるが故に、重くぼくの心にのしかかっていた。そのストレスが積み重なり、ぼくはご丁寧にも二度の癌を発病したのかも知れない。
 仕事での写真は、ある程度自身の主張を押し通すことが許される場面もあるが、一方で「寄り添う」姿勢がないとこの職業は如何ともしがたく、それは悲哀にも似た現実でもあった。依頼主の「片棒を担ぐ」とは、また報酬を得るとは、程度の差こそあれ己を殺すことなのだと言い聞かせていた。

 映像を作成する上での技術的な面に関しては、メンバーそれぞれの職種が異なるのだから、依頼主(ディレクターだったり、あるいはデザイナーや編集者)は写真の原理原則には通じておらず、互いがそれぞれの専門分野を尊重しつつ、作業を進めなければならない。写真屋のぼくにとって、無理無体を突き付けられることもあったが、彼らは、光学的・物理学的に写真というものの理解には不案内で、それは無理からぬところだ。いや、なまじ知識を有しているほうが、厄介である。職域を守る事は大切な掟である。

 職業カメラマンは、その隙間を縫って歩を進め、着実な映像を提供しなければならず、難題を押しつけられても、最後通牒である「それは光学的に無理なので撮れません」とはなかなかいえないものだ。
 自身の不安を打ち消すための最終的な武器は技術力と感覚なのだが、ぼくは感覚的な面に自信がなく、縋(すが)るは技術力のほうだった。依頼主の如何なる注文にも応え得るだけの技術力は、確実な成果を成し遂げたと思っている。これは功罪の「功」の部分である。とはいえ、技に頼り過ぎると「小手先に頼る」という結果を招き、藪蛇となる。これの「ほど合い」は、大変難しい。

 40年の歳月は短いようで長く、ぼくは職業カメラマンとして、何千回も上記した映像作成時の葛藤を繰り返してきた。
 今自由の身となり、依頼主の意図も存在せず、奔放に写真を撮ればいいのだが、束縛という過去の悪魔に囚われる瞬間を、シャッターを切る合間にいつも感じている。どこかから依頼主の、狼のような遠吠えが聞こえてくるような気がして、迷惑千万、たまったものではない。ぼくはファインダーを覗きながら、「うるさいんだよ」と独りごちる。
 長年の慣習はそう容易く拭えるものではない。一朝一夕にはできないが、ここらで胸襟を開いて、職業としての写真と和解できればいいのだがと願っている。

 本稿に掲載させていただいている写真は、すべて私的写真である。感心している場合じゃない。確かに、毎回懲りずに恥を晒しているが、その写真を見るにつけ、「おれの写真は一般受けしないよなぁ。誰が見てもきれいな写真じゃないもんなぁ。読者はげんなりしているだろうなぁ。こんな写真ばかり掲載して良いものなんだろうかぁ」と、捨て字(字を小さく書いて、発音を補助する文字。ここでは「ぁ」)を連発しながらの確信犯。そんな思いが募って、「であれば、仕事で撮った写真を掲載してみようかぁ」と呻くことがある。自分でいうのも烏滸がましいのだが、「それはそれは、きれいな写真なんだってば」。

 ポスターやカタログ写真は、購買意欲をくすぐるものでなければならず、ぼくはその手の写真を撮り続けてきた。誰が見ても「わぁ〜、きれい! これが欲しい!」と感じてもらえるような写真を撮らなければ、銭はもらえない。
 そんな写真を掲載してみようかとふと思ったのだが、仕事で撮ったものは、クライアントやデザイナーに筋を通す、という手続きを踏んでおきたい。法的にどうかは知らないが、これで食わせてもらった身として、やはり一応のお知らせと許可くらいは最小限の道義だと思っている。それを考えると、時間と労力が必要となり、ぼくとしては二の足を踏んでしまう。

 「ぼくだって、 “いいね” をたくさんもらえるような写真を撮れるのだ。誰もがきれいと感じるような写真など、造作もないこと」ということをいいたいがために、これだけの文字数を費やしてしまった。写真なぞ見せもしないくせにね。
 そして、文章力があれば、1/3くらいの分量で済む話である。嗚呼、なんてこった! 愚痴をこぼすなんて、やっぱりみっともないよ。

https://www.amatias.com/bbs/30/812.html 

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
埼玉県川口市。

★「川口市」
強風下の荒川堤に立つ樹木を撮ろうと思ったところに一機の飛行機が飛んできた。飛行機がなければ、ボツ写真にしたところだったが、この幸いは日頃の行いか、テレパシーか分からないが、きっと前者であろう。
絞りf7.1、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2026/10/23(金)
第811回:過去の写真を閲する
 編集者時代とカメラマン生活を通じて、ぼくは他人と自身の写真を何十万枚も見てきた。アマチュア時代のものも含めれば、その数はさらに増す。すべてを加算すれば、ひょっとすると百万枚近くになるかも知れない。
 フィルム時代はライトボックスの上にモノクロネガやカラースライドフィルムを置き、高倍率のルーペで、一枚毎に穴の開くほど凝視してきた。デジタルになってからは、モニター上で画像を自在に拡大し、細部にわたって点検したり、構図やコントラスト、色彩などの塩梅を吟味しながら写真の出来映えについて、あ〜でもない、こ〜でもないと、そんなことばかりを繰り返してきた。

 そんな行為が作品の制作にどれ程寄与したかは、いささか疑問ではあるが、自身のなかで写真に対する考えが少しずつ固まっていったように思う。そして、その繰り返しによって、写真を見る眼が肥えたかというと、どうやらそれは甚だ怪しい。
 ただ、他人の撮った写真には自分の規範に照らし、そのクオリティをかなり的確に計ることはできるのだが、自分のものとなると途端に目が曇ってしまうから難儀である。

 自身の思索や感覚が、いざ写真制作の行為とどのように結びついているかを考えると、常に暗中模索の只中(ただなか)に居ることに気づく。ぼくは心理学者や哲学者、延いては評論家でもなく、思索や感覚についての学問的解釈はさて置き、写真は人生観が色濃く表出し、撮影者がどのような道を歩んできたかを実証するものだという確信を持っている。
 また、誤解を恐れずにいうならば、絵画や音楽は生まれ持った才能や理論的な教育、フィジカルな訓練を必要とするが、写真や文学にはそのような論理的な訓練がない。芸大に写真科や文学科がないことの要因のひとつであるとぼくは考えている。
 
 確かなことは、分野を問わず、物づくり屋というのは、常識や社会規範を重んじる真っ当な社会人にくらべ、努力家ではあるが与太が多いという厳然たる事実がある。ぼくは、与太にはなり切れず、何事にも中途半端なので、生っちょろい写真しか撮れないのだ。写真屋も、人から後ろ指をさされるくらいがちょうど良い。「憎まれっ子世にはばかる」くらいでないとダメなのだ。これは暴論じゃないよ!
 写真を見れば、「この人は、道を外すことなく、生真面目な人生を送ってきたのだ」とすぐに分かる。易者の謎かけより科学的で的確な表れでもあり、写真は、ひとえに人生の実証的産物である。

 この数日、ぼくは過去10数年間に撮った私的な写真を、ある目的のために見直す作業をしている。この作業は自身を振り返る上でとても良い機会となっている。進歩と退化(とは思いたくないのだが)が、編み目のように入り混じっており、非常に面白い。感心したり、めげたりと忙しい。あと半年近くはこの作業をすることになりそうなので、一喜一憂の日々が続きそうだが、「溺れる者は藁をもつかむ」ような心境で挑むつもり。

 最近のぼくの写真は、少しものの分かった風で、はみ出しがなく、そつがなくなったと自分では感じているのだが、他人の目はどうやらそのようには映らぬようだ。そしてまた、随分と大人しい写真になったとも感じる。「大人しい写真なんかじゃない」と反駁を加えられたが、わからんちんだ。また、撮る前にいろいろ考え過ぎる嫌いがあるようにも思える。「あ〜たは、カメラを構えた瞬間に撮ってるじゃない。よくゆ〜わ」と、唐変木(とうへんぼく)がわめく。

 昔の写真のほうが大胆で直感的である分、箍(たが)が外れ、阿呆らしく、ギラギラしていたように見える。とどのつまり、歳を取って角が取れ、面白味が乏しくなってきたのかも知れないとぼくは危機感を募らせている。
 「抑制って必要なのか?」と自問を始めたところ。「こんなことではいかん、お利口さんになったら自滅する」と自答している。ぼくにとって、それは好ましからざる方向そのものだ。ぼくは、「中庸の美」を望まない。
 物づくりには「破れ」が必要と説きながら、真っ当であろうとする自分がどこかに潜んでいるようで、それを思うと、思わず怖気を震う。恨めしいことこの上なし。

 若さを取り戻すことはできないが、過去を反芻しながら現在の写真の反省点を見出し、軌道修正をすることは可能だと言い聞かせている。学びが不足しての体たらくは重々認めるが、心機一転はいつの場合にも情熱があれば「遅すぎる」ということはないと、今自身を盛んに鼓舞している。

 ぼくがいつもいうところの「年相応の写真」は好ましいことだが、好々爺(なりたくもない)のような写真などというものは、きっと深度の不足した穏やかさがどこかに潜んでいるような気がする。しかし平穏な写真ほど退屈なものはない。お陰様で、ぼくは好々爺には未だほど遠く、何事も「ほど」が肝心だが、分からず屋の空(うつ)け者のほうが、引退したとはいえ、写真屋にはずっと似つかわしい。
 好々爺には決して生じない「毒」と「破れ」こそ、憎まれジジィに相応しい。当面この方向性を以て写真に向かおうと決意を新たにしたところ。「過去の写真を閲(けみ)する」は、まさに「温故知新」である。

https://www.amatias.com/bbs/30/811.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
夕日を浴び、年老い枯れかかったひまわり。強い共感とともに、どこか自分の姿と重ね合わせた。コントラストを上げ、未だ地面にしっかり根を張るひまわりの存在感を活写したつもり。
絞りf7.1、1/640秒、ISO 200、露出補正ノーマル。



(文:亀山哲郎)

2026/10/16(金)
第810回:恐怖の報酬
 『恐怖の報酬』(H=ジョルジュ・クルーゾー監督。主役イヴ・モンタン、シャルル・ヴァネル)は、1953年に制作されたフランスのサスペンス映画。ぼくはこの映画を小学6年時、父に連れられ京都で観た。中米の油田火災を消し止めるために、火災現場まで僅かな振動で爆発するニトログリセリン(以降「ニトロ」)をトラックで運ぶ男たちの物語である。

 吹き溜まりの街に生きる男たちの「金が欲しい気持」と「生き延びたい気持」が交差しながら物語は進むのだが、人物描写がとても色濃く、観る者を圧倒する。後年、ぼくはこの映画を何度も観ることになるのだが、劇中でジョー役のC. ヴァネルが、「報奨金2,000ドルはトラックの運転に対してだけではなく、恐怖に対する報酬でもあるのだ」と語る。この科白は、劇中最も印象深く、後年、我が身にも降りかかってきた。まことに、しみじみとして、辛い実感である。

 小僧のぼくは、京都の大きな映画館で、はらはらドキドキしながら大きなスクリーンを観ていたが、青年時には人間心理の葛藤の描き方に感心したものだ。どのような分野の作品であれ、名作というものは何度接しても新たな発見があるということなのだろう。
 最後にぼくがこの映画を観たのは20年ほど前だが、写真屋のぼくは、ニトロも撮影もまったく同様だと、えらく胸にこたえたものだ。ニトロの爆発は人体を粉々にするが、撮影のしくじりは家族を路頭に迷わせたり、離散させたりする。しくじりは、直接生命を奪われるわけではないが、間接的に自身やその生活様式を死に追いやることに荷担する。これは決して大仰な言い草ではない。
 写真が好きなだけでは、写真屋としてやっていくことはできないし、ましてや、好事と商売はまったくの別世界である。「撮影の恐怖の代償として、金銭を受け取るのだ」とぼくは諦観。

 徒弟制度(撮影助手)を経て、いざ独り立ちとなった時の恐怖は生涯忘れ得ぬものだ。スタジオやロケ現場で、クライアントの希望するような写真が果たして撮れるのだろうか? 助手に的確な指示が出せるだろうか? ぼくを守ってくれる者はいない。それを思うと身のすくむような思いが、雪崩のように襲いかかってきた。

 だがその恐怖は、現役を引退するまでの40年間絶えることがなかった。延々と続くとは、思いもよらずのまさかまさかである。ロケ現場やスタジオが近づくにつれ、途中でUターンをして、家に帰ってしまいたくなる衝動に幾度となく駆られた。この恐怖は、「慣れる」ことがないので始末が悪い。好きで始めた写真が、商売となった途端に非常な恐怖へと変わった。
 ぼくが写真屋として40年間を何とかやりおおせたのは失敗しなかったからではなく、関係者諸氏の「未熟者を自身の手で育ててやろう」との、親心に似た粋な計らいによるものだと、今さらながらに感謝、感謝である。

 ぼくは毎夜必ず夢を見る。目覚めてから、「あ〜、夢でよかった」という経験は誰しもあると思うが、その嫌な夢は常に撮影現場での出来事だ。
 フィルムが足りない、フィルムの種類が違う、使用期限が切れている、交換レンズがない、ライティングを何度試みても上手くいかない、道に迷いロケ現場にどうしても辿り着けない、露出計を忘れた等々多岐にわたる。実際には体験したことのない厄災が、次々と、手を変え品を変えやってくるのだから、たまったものではない。時には師匠にどやされたり、助手君たちが思うように動いてくれなかったりと、ぼくは夢のなかで、いつも悶え、散々な目に遭った。

 夢の中身については、ロケ現場で頻繁に悩まされることの多くがフィルムに関するものであった。実際にフィルムの取り扱いや準備に、最も神経を使ったからであろうと、今になって思う。現実には、フィルムの取り扱いの不備は一度も経験しなかったのだが、そこに一番神経を配っていたからだろう。
 同じフィルムでも、製造ロットにより(特にカラーポジフィルム)色味が異なり、都度フィルターテストをし、同じロットのフィルムを冷蔵庫に大量保管しておかなければならなかった。今の若いカメラマンには無縁のことなのだろう。

 ところが、現役引退を宣言した途端に、上記したような写真に関する悪夢をさっぱり見なくなった。なんとも現金なやつ! 絵に描いたようにきれいさっぱり夢のなかから、あの恐怖が失せたのである。もう1年以上も、写真の夢にうなされることがなくなった。楽しい夢のほうが圧倒的に多く、それもかなり鮮明であり、記憶に残るものが多い。寝床に着くのが楽しみと感じるのだから、なんともオメデタイやつ! 

 夢を見るのは、ものの本によると、「高等動物に特有な現象」なのだそうである。眠りの浅いレム睡眠時に夢を見ると一般的にいわれるが、レム睡眠時は眼球が急速に動くらしい。急速眼球運動( Rapid Eye Movement の頭文字を取ってREM 睡眠)というらしい。
 人間は常に不安を抱えている生き物だが、ぼくの場合は、ある精神科医にいわせると、「楽天的な情動に関する脳の一部が、寝ているにも関わらず、通常よりかなり活発に活動している」からなのだそうだ。

 ぼくが夢の話をしたところ、「あ〜たは、何でもかんでも自分に都合の良いほうばかりに解釈しようとする悪癖がある。非現実的でおかしなことばかり夢想するから、あたしたちはいつも迷惑を蒙る。悪夢よ、悪夢。なんとかなさい! 月夜の晩ばかりじゃないんだからね。闇夜に注意しなさいよ。夢のなかに化けて出てやるから」と、あたかもぼくを性悪な人間だと勘違いしている。このような人たちに取り囲まれ、よって、寝ても覚めてもぼくは未だ悪夢のなかに漂っている。

https://www.amatias.com/bbs/30/810.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
葉の間から、雨を避けるように朝顔が顔を出していた。雨宿りの朝顔といったところ。
絞りf5.0、1/125秒、ISO 125、露出補正-0.67。



(文:亀山哲郎)

2026/10/09(金)
第809回:写真は新参者
 「原稿を書くのにどのくらい時間がかかるの?」や「1枚の画像を仕上げるには何時間?」と今までに何度か訊ねられたことがある。文章と写真の生成プロセスを同一平面に置いて語ることはできないが、ざっかけなく言ってしまえば、ぼくにとって文章は自身の考えを具象化する手段であり、写真は反対に、より抽象的な表現方法と捉えている。このことは、ぼくばかりでなく、言わずもがな、誰もが認知している事柄であろう。原稿書きと写真仕上げに費やす時間的な質問に対しては、後述。

 人類の最も古い表現方法は生存のために必須な言葉であり(数十万年以前)、次に絵(数万年前の旧石器時代の洞窟壁画)であり、文字は比較的新しく、紀元前3300年頃(メソポタミアの楔形文字やエジプトのヒエログリフ)とされている。また、芸術作品として昇華された最古の文学作品とされているものは、古代メソポタミアの『ギルガメッシュ叙事詩』で、最古の写本は紀元前2000年頃のものであり、原本は失われ現存していない。

 その伝でいえば、写真はまったくの新参者である。その起源は1826年頃とされており、写真はまだ200年の歴史でしかなく、生まれたてのほやほやといってもいい。フランスのN. ニエプス(1765〜1833年)が1826年に撮影した『ル・グラの窓からの眺め』が原初とされている。写真好きの人であれば、一度は見たことのある写真だろう。

 誰でもが手軽に愉しめるデジタル写真は、現代の科学を集積した表現手段のひとつだが、現在世界中で最も多くの人に活用されている。
 因みに、「これなら仕事に使用できる」として、ぼくが初めて購入したデジタルカメラは初代EOS - 1Ds(2002年発売)で、当時1台100万円だった。それを2台買わざるを得ず、どこで算段をつけようかとぼくの頭は割れそうになった。どのように鎮痛剤を用いれば良いのやら途方に暮れながら、ぼくは嬶(かかあ)の顔色を窺いつつ、清水の舞台から飛び降りた。今から24年も前のことだ。

 昨今はデジタル全盛とはいえ、同じ写真でも「記録」と「表現」は似て非なるものだ。写真を自己表現の手段としてもてなす人の比率をぼくは窺い知ることができずにいる。知ったところで、どうなるものではないが、双方(「記録」と「表現」)に於いて、我々は写真の分け前に与っているわけだが、目的がまったく異なるところが面白い。記録写真は「証拠」となり、表現写真は「己の姿を晒す」という極めて危ういものだ。ここに大きな差異がある。

 話はコロッと変わる。文頭に記したぼくへの質問だが、拙稿は40分から1時間でざっと書き上げる。だが、ここから厄介な時間が始まる。文意に齟齬が生じていないかとか言葉の選択が誤っていないかとか、編集者として従事した時間が長かっただけに、この作業に頭を悩ませ、下書き以上に時間を食ってしまう。大した文章でもないのに、「この単語は漢字かひらがなのどちらが適切であるのか」に拘ってしまう。同じ単語でも、漢字とひらがなとではニュアンスが異なってくるので、日本語というのはまったく難しい。

 編集者時代、多くの人たちの文章に接し、疑問点に朱入れ(あかいれ。校正・校閲のこと)をしたものだ。他人のミスには案外目ざといのだが、自分の書いたものとなると、思い込みや思い入れが先行し、そこに目と心が奪われるのでさっぱりいけない。
 拙稿が掲載された日に、ぼくは青ざめ、平身低頭しながら担当者に連絡をし、「ここ、直してください。間違えです」とご厄介をかけることしばしば。「へぇ〜、あ〜たが青ざめることなんかあるのねぇ。うっそでしょ」との声が必ずや待ち構えているので、いわれる前に先手を打っておく。

 前号で、「ぼくは1枚の画像を仕上げてから、翌日、あるいは数日置いて、もう一度見返すことを必須条件としている」と述べたが、文章とて同じことが当てはまる。拙稿は、この掟を破っている(原稿を書き上げた夜半、直ちに担当者に送ることを常としている。これが失態のもと)ので、ぼくは何度も同じ過ちを冒してしまう。時間的余裕を持って書けばいいものを、土壇場になってからしか取りかかれない我が身を嘆くほかなし。

 1枚の写真を仕上げるために要する時間は、原稿とは異なり、非常にまちまち。30分ほどで仕上げられるものもあれば、数日かかるものもある。A. アダムス(アメリカの写真家。1902〜1984年。『ヘルナンデスの月の出』はぼくの最も好きな作品のひとつ)の「ネガは楽譜。プリントは演奏」という格言ではないが、楽譜の出来不出来は別として、演奏が非常に難しいものもあれば、易しいものもある。仕上げの時間は作品のクオリティに依拠しないが、撮影時にしっかりイメージを描けたものは比較的作業手順に迷いがない。

 確実なことは、クオリティの低いものは、どう画像ソフトをこねくり回しても、ジタバタ足掻いても、決して良くならないということ。「何とかなるかも」なんて甘い考えは潔く捨てることだ。暗室作業に熱中している時、思わず冷や汗を感じたら、それは絶望を意味する。その写真は、にっちもさっちも行かぬほどの病を何処かに抱えているということにほかならない。
 そんなことを書きながらも、ぼくは未練がましくジタバタすること多々あり。青ざめたり冷や汗をかいたり、原稿も写真も、もう大変なんす。

https://www.amatias.com/bbs/30/809.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
雨上がりの荒川堤。15年前に同じ場所を撮っているのだが、残念ながらそちらのほうが出来が良い。もしかしたら過去に掲載済みかも知れないので、遺憾ながら最新版のほうを。
絞りf10.0、1/60秒、ISO 200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2026/10/02(金)
第808回:臆病は万病のもと
 1台のカメラで、カラー、モノクロの双方を撮れるデジタルというものは真(まこと)にありがたく、撮影者にとって重宝この上ない。フィルム時代は、いうまでもなく2台のカメラを用意しなければならなかったのだから、自身の老体を思えばなおさらである。肉体的・精神的負担から逃れられ、お陰で撮影時のイメージづくりに注力できる。
 若い頃は、といっても中年の4,50代だが、2台のカメラを首に掛け、数本の交換レンズやフィルムをバッグに忍ばせ、三脚を振り回していた。一日中見知らぬ海外の街を歩き回り、這々の体でホテルに戻った途端、ベッドに倒れ込み、しばらく身動きできなかったことを昨日のように思い起こす。
 現役引退をした今のぼくは、何処へ行くにも(国内)2本のレンズで事済ます。もうこれでぼくは十分。使用しなくなったレンズ群は、友人に貸したままである。

 今さら、デジタルの効用を述べるまでもないのだが、1カット毎にISO感度を自在に操れることは、制約から解き放たれ、撮影時の精神的負担をさらに軽減してくれる。根っからの、フィルム育ちのぼくにとって、この事実は何ものにも替え難い。
 現在使用中のカメラは、自然と三脚の使用を遠ざけた。暗所での高感度ISO使用時にも、ノイズの発生がよく抑えられ、優れたRaw現像ソフトとの併用で、フィルムでは考えられぬ程の成果(解像度や滑らかなグラデーション)が得られる。加え、今まで使用していたカメラより軽量であることもありがたい。年相応の機材選びに、今のところぼくは成功を収めている。

 この2週間ほど、医師の許可が下りたので、知り合いのグループ展や個展を5件ばかり拝見した。「みなさん、本当に熱心だなぁ、偉いなぁ」とぼくは衷心より感心しきり。今のぼくにこの熱心さが加わればどんなに素晴らしいことだろうかと我が身を振り返り、反省しきりなのだが、そう思いつつも実行した例(ためし)がかつて一度もないのは、ぼくの欠点ではなく特質なのだと、盛んに自己弁護に興じる始末。本腰を入れなくてはと鼓舞しつつも、一向にその気配が窺えないのは全体どういうことなのか? いつも、生来の「ものぐさ」がコブラのように頭をもたげている。

 個展やグループ展などで、作品についての意見を常に求められるが、これがなかなかに至難の業。人様の丹精込めた作品にネガティブな見解を述べることにぼくはとても抵抗感がある。畢竟、「ものの分かった風なことを、したり顔で述べている」と受け止められては敵わないからだ。実際にそのような場面に何度も出会(でくわ)している。他人事(ひとごと)ながら、いつも「嫌なものを見てしまった」と、後味の悪さを感じたものだ。
 ぼくには、それをする資格も必然性もないというのが本当のところなのだろうと思う。したがって、良いところだけを、お世辞ではなく、忌憚なくお伝えすることに専心している。

 作品の至らぬ点を極めて遠慮がちながら、しかと述べるのは、我が倶楽部の人たちに対してだけである。それが積み重なると、彼らにはぼくに対する「恨み辛み」だけが沈澱し、澱となり、隙あらばぼくを叩こうと虎視眈々、その機会を狙っている。上澄みの部分だけをすくい上げようとするぼくの努力に、彼らは見向こうともしない。まったく立つ瀬がない。

 話を元に戻し、個展、グループ展の如何を問わず、ぼくが常に感じることは、押し並べてだが、画質の劣化が散見できることだ。画質というものにもう少し神経を配って欲しいと願う。折角の作品を損ねているということに気づいてほしいと感じること多々あり。端的にいえば、無頓着に過ぎるのである。
 撮影と画像補整(暗室作業)は、作品を練り上げ、イメージを再構築するための重要な作業であるとぼくは思うのだが、「もう少し丁寧に、慎重に」と願わざるを得ない。平易な解釈をすれば、「こねくり回しているうちに、画像のバランスを欠き、荒び、あちこちに綻(ほころ)びが見られる」ことである。これは、デジタルの大いなる落とし穴である。すぐに「明瞭度」や「シャープネス」を過度に掛けたがる習性がある。控えることの勇気が必要だ。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」というではないか。

 そういいながら、ぼくも時たま同じような過ちを冒す。それを警戒するがために、1枚の画像を仕上げてから、翌日、あるいは数日置いて、もう一度見返すことを必須条件としている。時には、数年前の作品を見返しながら、「おまえなぁ、こりゃあ、ちかっと違うじゃろ」と何故か佐賀弁が出たりする。
 ぼくの過ちは臆病から派生していることを知っている。どうしても、「シャドウを潰さず、ハイライトを飛ばさず」(それ自体は誤りでなく、写真の基本なのだが)にこだわり過ぎ、結果どこかオドオドとし、凡庸なものになりがちとなってしまう。大胆に補整したもののほうが、自分のイメージに近いのに、いつもそれを意識し過ぎて、躊躇してしまう。ビクビクしているのだ。もういい加減、そのような軛(くびき。自由を束縛するもの)から解き放たれ、自由を謳歌したいと思っている。「順を追って少しずつ」なのか「四の五のいわず、男らしく一息に」が良いのか、目下のところ「迷える子羊」、じゃなくて、遠慮の過ぎる臆病ジジィである。

https://www.amatias.com/bbs/30/808.html  

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
雨の見沼田んぼを撮ろうと出かけた。台風が去りつつあるなか、まだ大粒の雨が降っていたが、雲の色合いと鮮やかな夕日(画像は彩度を押さえ、控えめとした)の色合いに気を奪われ、車外に出てパンフォーカスで1枚だけ撮る。
絞りf16.0、1/60秒、ISO 250、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2026/09/25(金)
第807回:映画鑑賞
 この1ヶ月間、ぼくは遠出がままならず自宅に籠もりっぱなし。撮影もおあずけを喰らい、その成り行き上、嬶(かかあ)の隷属に成り下がり、近くのマーケットに買い物に出かけ、カートを転がすのが関の山。
 そのお陰で青年時代に読んだ長篇小説をじっくり読み返したり、気になる海外の写真家の作品をMacのモニターで鑑賞したりと、前号の題目「天の配剤」の御利益にたっぷり浸ることができた。それにより、ぼくのなかで、何かが変化したかどうかは分からないが、自身を知ることの大切な機会を得たことにより、前進の糧となったように感じている。ただ、国立西洋美術館での催し物に行くことができなかったことが、返す返すも心残りだった。

 国立西洋美術館へ出向いた我が倶楽部の女将の話によると、かなりの混雑は予想に違わずだったが、作品を片っ端からスマホで撮ることのほうに熱を上げる人々が余りに多く、呆れを通り越して唖然としたのだそうだ。何を目的にここに来たのだろうと。
 作品を鑑賞することより、スマホ撮影が目的のような輩に出会わずに済んだことは、ぼくに何某かの果報があったのだと言い聞かせている。その場に居合わせなかったのは、出かけることが叶わなかったことの悔しさ紛れにいっておくと、まさに「不幸中の幸い」だった。
 このことは、先だって、ぼくの助手を務めた若者にいったことの繰り返しになるが、「被写体を見る前に、君はシャッターを押している」ことに相通じ、目的こそ違え撮影のお手軽さという点で同義である。

 小言幸兵衛(こごと こうべえ。口やかましく小言をいう人。江戸落語の演目のひとつ)のように、口うるさいジジィにはなるまいと警戒しつつ、またぞろぼくは不平不満をこぼしているが、スマホを悪者にしているわけではない。ここは誤解なきよう。道具立てや仕立ては使用者の心得次第で、如何様にも姿を変えるということを述べたいだけ。
 被写体への観察を怠れば、それが確実に写真に現れるので、「努々(ゆめゆめ)怠りなきよう」とぼくは自分にも言い聞かせている。もうこの際、小言幸兵衛になり切っちゃったほうが気が楽なのかなと只今思案中。だがそれは拙稿の本旨ではないので思い止まるが、たまに読者諸兄から「よくぞいってくれた」などと煽てられるものだから、お調子者のぼくはすぐ甘露甘露(かんろかんろ)とその気になり、箍(たが)を外しそうになる。とくと隠忍自重!

 自らを缶詰状態に落とし込んだぼくは、久しぶりにゆっくり映画鑑賞でもしようと思い立った。ハリウッド映画に触手が伸びにくいぼくは(もちろん優れた作品も多々あり。娯楽を第一に考えるならハリウッド映画が最上位)、何を見ようかと思いあぐねていたところ、こちらも我が倶楽部の女史S子氏からかなり強引に勧められた『異端の鳥』(原題The Painted Bird。チェコ、ウクライナ合作。V. マルホール監督。2020年日本公開)を思い出し、これに決めた。
 映画については、内容やその出来映えばかりでなく、ぼくは特に「映像美」にこだわりを持ち、そこにいつも重心を置く。これは写真好きとして、もっともなことであろう。

 話はいつものように横道に逸れるが、S子氏は他所の写真倶楽部に属していた人で、ぼくはたびたびその倶楽部の写真展にお伺いしていた。彼女は興味ある写真を撮り、ぼくはその伸び代を大いに認め、頼もしいと評価していた。
 だが、彼女は被写体に対峙すると、壊れたゼンマイ仕掛けの人形、もしくは錆で穴が開きかけたブリキの車のようでもあるとぼくは感じ取っていた。被写体に対してとても良い眼を持っているのだが、あまりのせっかちが災いし、先述した「被写体を見る前にシャッターを押してしまう」悪癖から逃れられずにいるとぼくは理解した。
 「何故写真が写るのかという基本的な知識や理論、そして技術」も決定的に欠けていた。ちゃんとしたカメラを持っているにも関わらず、それを使わず、お手軽なスマホばかりに頼り切っているその末路を目の当たりにしたのだった。つまり、S子氏は直感ばかりに頼り切っていたので、このままではせっかくの感受性がこれ以上に生かされないとぼくは断定した。親御さんに申し訳が立たないではないか。「親不孝者めが」という具合である。

 1年半ほど前、ぼくは彼女の所属する倶楽部の指導者に渡世の仁義を切り、「彼女は機能不全に陥っているので、ぼくに修復を任せてもらえまいか? それができたらお返しします」と申し出、彼女を借り受けた。目下、鋭意修復中である。ぼくにその難事業が果たしてできるかどうかは不明だが、彼女の素直さを鑑みれば案外可能であろうと、ぼくは極めて楽観的である。

 その彼女がぼくに勧めた『異端の鳥』を観て、画面構成と構図の確かさ、良い意味での凝りようは、 すべてに於いて一分の隙もないと感服しきり。物の配置や光の扱いよう(ライティング)が微に入り細に穿ってスクリーン一杯に散りばめられているように感じ、一時も目を離せなかった。これ以上にない丁寧な画面づくりから学ぶべき点は非常に多い。

 そしてまた、モノクロームの階調の豊かさに先ず惚れた。黒の階調の扱いはA. タルコフスキィ(ロシアの映画監督)とはまったく別物であるにも関わらず、あの描写を匂わせるような空気感に包まれている。ロングテイク(長回し)も類似点があり、場面によっては、T. アンゲロプロス(ギリシャの映画監督)やF. フェリーニ(イタリアの映画監督)の流儀にも似た美意識をも彷彿とさせる。邦人監督でいえば、溝口健二のロングテイクや人物配置が最も近いような気がする。『雨月物語』のモノクロームはとても美しい。
 そして、画像全体から、どこかH. カルティエ=ブレッソン(フランスの写真家)を思い起こさせるような不思議な香りが漂っていた。

 以上は映像についてのざっくりとしたぼくの意見だが、映画の概略は敢えて述べない。ここにそれを述べると、とても終わりそうにない。
 久しぶりに見応えのある映画に出会えた嬉しさに包まれている。スマホ専科だったS子女史にぼくは電話で礼を述べた。仁義を通したり、切ったりと、ぼくは忙しい。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
5月に掲載した芙蓉から3日後の雨上がりに、近くで同じような芙蓉に出会った。この日は、前回のような強風下ではなかったが、やはりゆらゆらと首を振らざるを得なかった。ISOが10,000まで跳ね上がったが、ノイズを気にせず撮れるのはありがたいことこの上なし。
絞りf11.0、1/500秒、ISO 10,000、露出補正ノーマル。

(文:亀山哲郎)

2026/09/18(金)
第806回:天の配剤
 医師から日課としていたウォーキングを禁じられ約3週間が経つ。そんな事情から、カメラを担いで被写体を渉猟することもできずにいる。家で大人しくしていろということだ。お陰で、普段なかなか取りかかることのできないことに、ぼくはここを先途と、柄にもなく“お勉強”などしちゃっている。勉強ばかりでなく、あらぬ“妄想”に耽(ふけ)ってもいる。これが実に楽しい。

 妄想は、実はぼくの幼少時からの癖のようなもので、自分で勝手な物語をつくり出し、祖母に背負われながら、それを呪文のように唱える変わり種だった。毎日異なった物語を祖母の耳元で唱えていたので、時にその内容を祖父や周辺の人たちなどに伝えていた。親戚の者たちからは、「てつろうは、ほんまにおかしなやっちゃ」といわれていたらしい。この事実は、ぼくの記憶にも微かに残っているし、祖母からも聞かされてきた。

 心理学を専攻した怪しげな友人にいわせると、「それは母の温もりを失った子供にありがちなことなんだ。寂しさがそのような性状をつくり出すのさ」としたり顔でいわれたことがあるが、幸か不幸か、ぼくにそれを否定するようなインチキ心理学は持ち合わせていなかった。
 そんなぼくも成人してからは、真面(まとも)な人間に成り下がってしまい、希有な才能?はすっかり色褪せてしまった。返す返すも残念至極である。失っていなければ、もっと豊かな写真を撮っていただろうと思うが、一方で変人扱いされ、白い目で見られたに違いない。世間ではこれを「負け惜しみ」とか「酸っぱい葡萄」(イソップ寓話の『狐と葡萄』)というらしい。
 幼少時のぼくを可愛がってくれた著名な作家であるI氏に肩車をされながら、遊び場だった相国寺や京都御所でぼくは相変わらずの妄想話を連発していたと見え、「この坊主は、ほんまにおもろいやっちゃ。始終ひとりで喋っとる」(I氏は大阪市出身)が彼の口癖だったと亡父から何度か聞いたことがある。

 そんな性質を大人になるまで引きずっていたら、良い悪いはともかくも、違う写真屋になっていたかも知れない。もう一人のぼくはどんな人間なんだろうと思うと、興味は尽きない。
 写真は、そこにあるものをただ写し取るものではなく、「自分なりの虚構の世界をつくり上げ、それを写し取るもの」だとぼくは40を過ぎてから常々主張してきた。
 「虚構」とは、大辞林によると「文芸作品を書くにあたって、作者の想像力により、実際にはないことを現実にあったことのように真実味をもたせて書くこと」とある。写真もまったく同様である。

 写真は、「感応したものから生み出される自身のイメージ」とぼくは解釈している。イメージが乏しければ、写真もそれに付き従い、それなりのものに過ぎない。おまけに誤魔化しが利かないときているから、ほんに厄介である。
 医師の命(めい)に従いお休みを余儀なくされている今、虚構の世界をどう磨き、築き上げるかの機会を与えられているのだとしたほうが得策であろうと考えている。「虚構世界」の開示は、「自身の姿恰好」を写真という媒体を介して表現するという意味である。恐ろしくも油断ならぬものだが、この作業が愉快でないわけがない。 

 以前から我が倶楽部の勇ましい女軍曹たちは、「あ〜たは、“あることないこと”じゃなくて、“ないことないこと”ばかりいう。よくもまぁ、そんなつくり話を即興でやるものだ。それを“口から出任せ”っていうのよ。百歩譲って、2%が真実で98%は嘘だもんね。そこんとこよ〜く知ってないとエラい目に遭う」と、いつも声高に叫びまくり、新たに参入した人たちに嚼んで含めるようにそう伝えることを先輩の義務だと思っている。疫病神のような先輩だ。 
 彼女たちは、「嘘」と「虚構」の違いや使い分けをまったく理解できずにいるから、ぼくはほんに心(しん)が疲れる。しかし、世の中には、「冗談」も「ユーモア」も一切通じない人の何と多いことか。ぼくはいつも肩身の狭い思いをして生きてきた。
 残念ながら、拙稿に於いて、ぼくは「嘘」はもちろんのこと、「虚構」での話を記したことはない。至って真面目な面持ちで、本心だけ述べていることを、この場をお借りして、お誓い申し上げます。

 今の充電期間(こんな言葉は無機的で、しかも大仰で嫌だなぁ)が何かしらの、これからの熟成(こんな言葉も小っ恥ずかしくて嫌だなぁ)に繋がることを信じて、齢78のぼくは医者の言葉に従っている。
 振り返れば、ぼくが胃癌に冒されたのは55歳の時で、腹を真一文字に切られ、切腹の傷もまだ完全に癒えぬうちに、24kgの荷を抱え、北極圏をうろついていたのだから、周囲の者も呆れていた。それが可能だったのだから、若さというのは貴重なものだと、今実感を込めていう。無我夢中で写真を撮っていた時期がぼくにもあったということだ。

 この歳でのドクターストップは、少しでもましな写真が撮れるようにとの、天の配剤なのだろうと思っている。と、ぼくもしたり顔でいっておこう。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
前回に続き、見沼田んぼ。廃屋となった温室が、夕方の斜光を浴びて光輝いていた。掲載写真は、画像解像度の関係で、波板壁にモアレ(仏語。規則正しく分布している細かな点や線を重ね合わせた時に生じる斑紋)が出ているが、プリントではきれいに描写。
絞りf9.0、1/50秒、ISO 100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2026/09/11(金)
第805回:野暮天?
 パソコンを前にし、拙稿に取りかかろうとすると、毎回ぼくの思考はパタリと止まる。 “思考停止” というわけだ。何を書いて良いか皆目見当がつかず、周章狼狽。途方に暮れ、ただ天井を仰ぐばかり。
 「今回こそ、もう内容に思いが至らず、路頭に迷うってこういうことなんだ。でも、ネタ切れというわけではないしなぁ」と、ぼくは自分を労りながらも、ただ悲嘆に暮れ、挫(くじ)けそうになる。こんなことをもう何百回も繰り返してきた。

 ぼくの、そんな苦悩を友人に訴えると、「そんなことをいいながら、あ〜たは勝手なことばかり書いてきたじゃない。何百回も無責任調をやり過ごしてきたんだから、今さら何をいっているのよ。どうせちゃっかり書いてしまうんでしょ」(そう宣うのは何故か常に女性なのだから、ぼくの恐怖は増すばかり)と、同情などもっての外という顔をする。
 ここが男と女の辛辣さの違いである。男の皮肉はお互い笑って過ごせるが、女のそれは心にグサッと突き刺さる。ぼくにとって、同じ言語を使いながらも、女性はまるで異星人のようであり、反抗すればするほど、ひどいしっぺ返しを受けるので、彼女らへの物言いは殊更に神経を浪費させられる。言葉では、とても歯が立たない。

 書くことに困った時は、掲載写真について述べれば事が済むような気はしているが、これはぼくにとって大変難しく、そしてあまり好ましいこととも思えず、最小限に止めたいとの意識が強い。野暮天なんていわれたくないしね。
 撮影時の状況説明や撮影データをお伝えすることは一種の懇意から派生したもので、それ程の気恥ずかしさもなく躊躇しないが、自身の作品についての、その思考や美学の披瀝に及ぶことをぼくは由としない。 “敢えてそれをする” ことの必然性を見出せないからだ。この理由は以前にも詳述したので繰り返さないが、それはぼくのささやかな美意識とでもしておく。自身の作品についての作法や哲学を得々と語る自分の姿を想像すると、嫌らしく感じてしまうのだ。

 余談だが、過去、都内の大きなギャラリーで何度か個展を催したことがある。その時に、主催者から「トークショウをされますか?」と、それが定番であるかのように問われた。ぼくは慇懃にお断りしたが、理由は述べていない。
 「するしない」は個人の自由だが、ぼくが「しない」理由を語れば、「する」人への茶化しに繋がる恐れがあると感じたからだった。そしてまた、ぼくはトークショウに嬉々として登壇するような気質ではないということだ。はっきりいえば、「小っ恥ずかしくて」というのが本音である。

 閑話休題。来場者からの、自身の作品についての質問には快く、丁寧に対応することを心がけている。ここでも写真についての、いってみれば「印象操作」となるようなことは一切避けている。
 このことは、ぼくが写真に題名(ぼくはこれを “後付け” とか “誘導” と称している)を付けないことの遠因に通じている。長い編集者生活で得たひとつの知恵であるのかも知れない。それは、たとえば「アンケート調査」なるものは、設問の仕方次第で読者の方向性が、大袈裟にいえば、意のままに誘導できるという危険性を孕んでいることに気づいていたからだ。当時、活字というものは現在より大きな威力を有していたものだ。
 作者は、視聴者に「題名」による誘導をせず、自由な精神で、先入観なく観賞してもらうことが最善と考えている。よって「ぼくは」題名を付けない。

 またもや脱線するが、講演や大学での授業は身の程知らずを重々知りつつも、気楽にお引き受けしてきた。写真に直接関わることではなく、写真を通じて感じ得たことや立ち入ることが困難な場所に於いての経験談などである。
 主催者にいわせると、ぼくの話はいつも冗談に始まり冗談で終わるそうだから、極楽とんぼを地で行ける。話の内容にも一切の責任を負わないというスタンスなので(何をどう受け取るかは視聴者の自由)、フリーランスの写真屋という肩書きこそあれ、特定の立場は何処にもなく、いつも喋り放題である。

 ここで、掲載写真の思索的・哲学的蘊蓄ではなく、あくまで撮影の状況説明を。
 強風下の見沼田んぼを車で通りかかった際、夕日を浴びたビニールハウスが、まるで発光体のように眩(まばゆ)く輝いていた。見沼田んぼは、さいたま市周辺に広がる非常に大きな緑地帯で、ここの桜回廊は総延長20kmを越え、日本一とされている。農園も多く、季節毎の草花を楽しむことができ、ぼくにとって良い撮影場のひとつ。
 この日は、あまりの強風のため、ぼくは車から降りることを忌避し、横着にも運転席に座ったまま、フロントガラス越の撮影。

 強風に煽られる木々をどの様に描写するかはシャッタースピード次第。ビニールハウスのビニールより、葉の揺れのほうが大きく、したがって、その差を数値的に定める必要があり、頭のなかのヨレヨレになったイカれコンピュータを駆使しなければならなかった。
 つまり、葉はぶらせながらも、ビニールは的確な質感描写をする必要がある。ここに原寸画像をお見せできず残念だが、いつも「一発で勝負しろ」と他人に揚言し、「初めから保険をかけるようなことはするな」(ここでは、シャッタースピードを段階的に変え、撮影すること)といつも自分に言い聞かせている手前、素直なぼくは自身の指針に従った。

 写真の再現可能な明暗比は1 : 200(人間の眼は、1 : 20,000といわれている)なので、ビニールハウスのハイライトをヒストグラムのどの位置に持ってくるかを定め、露出補正をした。前々号に記した「デジタルの露出はハイライト基準」との自らの定めに、やはり素直なぼくは従った。
 前述の「最小限に止めたいとの意識が強い」なんていいながら、ぼくはこの場を借りてこわ〜い女性軍への仇討ちを果たそうとしているのかも知れない。「野暮天」だね。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
文中参照。
絞りf14、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2026/09/04(金)
第804回:隔靴掻痒なる自身の写真について
 10日ほど前から、ぼくはささやかな身体的支障を来たし、カメラを持って表に出ることができずにいるが、幸いにしてあと20日ほど我慢すれば、大手を振っての撮影を医者さんから許可されている。
 常日頃から「写真は純然たる肉体労働」と謳っているので、身体が思うに任せなくなった時が写真の辞め時と決めているが、幸運なことに、ぼくの故障は直接命に関わることではないので、今が辛抱のしどころ。とはいえ、身体的不都合は、撮影に出る意志を多少なりとも殺ぐことに変わりなし。

 現役を引退して、私的な写真に没頭する機会を得たが、それも現在はままならず、歯がゆい思いをするかと思いきや、この機を利用して、好きな書物や歴史書、美術全集などを嬉しそうに繰っている。良い写真を撮るには、「知」が絶対不可欠との強迫観念に似た認識をぼくはずっと持ち続けており、それなくして、良いものは創れないとの信念を抱いているから厄介だ。
 「少しでも」との気持から、写真の撮れないこの1ヶ月間は、自身を見つめる良い機会だと考えている。知識や見聞を積みながら、自身の写真に対する考え方や描写の方向性を探るおあつらえ向きの機会だ。これは、ひょっとすると、神の思し召しなのかも知れない、とぼくはあくまでポジティブ思考である。これをして、日本語で「能天気」という。子供の時から、父に「君は、 “極楽とんぼ” ( “能天気” と同義)やのう」とよくいわれたものだ。

 元来が怠け者なので、熱心な写真愛好家にくらべ、ぼくは撮影に出かける回数はかなり少ないほうだと認めている。現役時代は仕事が忙しく、私的な撮影機会は限られていたが、今その箍(たが)が外れたにも関わらず、ぼくは “極楽とんぼ” よろしく、やはりのらりくらりを気前よく押し通している。

 この10日間、ぼくは一丁前の顔をしながら、これからの、自身の写真のありようについてあれこれと考えを巡らせていた。自身の写真に疑問を持ち始めた高校時代の思い出についても振り返ってみた。
 その作業はもちろん即効性を期待してのものではないのだが、しかし悪あがきではない。自身の写真のありようを見出すことは、闇の中で1本の針を見つけ出すような作業に近いのだが、時間を無為に過ごすことは、今のぼくにとって罪深いことのような気がした。自分に対するせめてもの罪滅ぼしである。

 高校生の時、父の机には木村伊兵衛氏のこざっぱりとした写真集が置かれ、父は仕事の手を休め、ベートヴェンやワーグナーを聴きながら、よくそのページを繰っていた。ぼくもそれを真似てみたが、実のところ、木村伊兵衛氏の写真の良さがさっぱり理解できずにいた。腑に落ちなかったのだ。
 父は木村伊兵衛氏の写真に傾注していたが、ぼくには「誰でも撮れる写真」のように思われ、肝心なる見所にありつけずにいた。ぼくは写真に盲目で、何も見えていなかったということである。

 やがて大学生となり、少しは世の中や人間についての理解を得、その写真集を観て、ぼくの感覚は「一見すると、誰でも撮れる写真」に変化していった。「一見すると」という副詞句は、大変な進化だったように思われる。
 そして今、ぼくにとって理想とする写真は、「一見すると、何処にでもあるような写真を、そして誰もが撮れると思わせるような写真を、非常な高品質でちゃっかり撮る」ことが、最上のお洒落であるように思う。誰の身の周りにもある凡庸なものを写し取ることによって、被写体が息を吹き返すような、そんな写真が撮れたらなぁとつくづく思う。立派な温室で、わざわざ人に見せるような花(写真)の類は、ぼくにとって元々無縁なのだから。

 見る人を「ハッと驚かすような写真」を否定はしないがしかし、それはぼくの赴く所ではない。たまには悪戯っ気を出して、そうしてみたいとの欲求に駆られることはあるだろうが、「着てみたい気持は分かるが、似合わないからやめておけ」との気持が勝つだろう。こざっぱりとしていて、よく似合う、というのが本物のお洒落というものだ。
 さて、これで今後の方針が立ったが(安易だなぁ)、目処はつかないというところが、ぼくのぼくたる所以。ぼくは安直で乱雑ときているから、そんなに上手く事が運ぶかどうかは甚だ疑問だが、たった1枚が撮れれば、ぼくは報われる。たった1枚でいい。

 好きな写真家は何人もいるが、40年ほど前に、丸善か紀伊國屋書店だったか曖昧な記憶だが、洋書コーナーでぼくはかなりの衝撃を受けた。もちろん、良い意味での衝撃である。
 それは、ウィリアム・エグルストン(アメリカの写真家。1939年生まれ)のもので、足が棒になるほどの時間、その写真集(カラー)を食い入るように見続けていた記憶が今も鮮明に残っている。何気ない光景を、すべて計算尽くで撮られたものだった。その何気なさにぼくは打たれた。ロバート・フランク(スイス出身の写真家。1924-2019年)の写真集を初めて観たときの感動に似ている。

 そんなこんなの能書きを並べたが、先ずは撮らなければ何も始まらない。20日後からは、おずおずと、しかしながら粛々とカメラを担ぎ出し、新たなる個性の発掘に、これ努めようと思っている。さて、どうなることやら…

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
シロガネヨシ(パンパスグラス)。ここを通る度に、撮影意欲をそそられるのだが、光線具合やイメージが今ひとつ描けず、見送ってきた。今回は、日没前の光がなんとかぼくを助けてくれたような気がし、シャッターを押してみた。
絞りf7.1、1/125秒、ISO 320、露出補正-1.00。



(文:亀山哲郎)

2026/08/28(金)
第803回:忘れん坊は写真下手?
 物忘れは、老若に関わらず、人が人であることの証。その現象は誰であれ厳然たる事実なのだが、歳を取るに従いその度合いが増すらしい。なかには、生活に支障を来すほど激しくなる人もいるようだが、これは別扱い。だがやがては、ぼくもそうなる可能性を孕んでいるかも知れないと思うと、「今のうちにいろいろな課題をしっかりこなしておかなければ」と心に期している。
 しかしどう足掻いても、年相応のこの事実はやはり悲しくもあり、そして難儀だが、それが世の定め、人の定めというもの。この現象に抗っても意味がないので、ぼくはそんな時、どう自分をなだめるかに奔走する、というより蹈鞴(たたら)を踏むといったほうが正しい。ここ数年は、忘れたことを忘れてしまうから、まったく嫌になる。

 余談だが、「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」とは、1952年(昭和27年)から2年間にわたり放送された菊田一夫原作の『君の名は』での一節である。当時、大流行したラジオ番組だった。ぼくは幼少時だったので放送内容は憶えていないが、小学生の時、担任の教師から教えられ、今日現在に至るまで、この科白が心の片隅に引っかかっている。

 「もう歳なのだから、ジタバタしなさんな。誰だってそうなるんだから」という頼り甲斐のない通り文句を、最近は素直に受け止めることにしている。他人は、「かめさんは、写真を撮って、おまけに文章も書くのだから、絶対にボケないよ」なんて、いい加減なことをちゃらっといってのける。どんな根拠があってのことなのか分からないが、ぼくはそれを「渡りに船」とか「地獄で仏」のような面持ちで受け止めようと、自身を暗示にかけている。

 とはいえ、回を重ねるごとに、写真も文章も、手を変え品を変え、これでも苦心惨憺。できれば写真のクオリティは上げていかなくてはいけないと、ぼくの生真面目さ !? が徒となり、その重みにどうにか耐えて続けている。文章は、まったくの素人なので、重圧はないが、何を書こうかと毎回呻吟の度合いを深めていることは確かだ。以前に何を書いたか、ぼくは「忘れん坊」なので、記憶は曖昧である。

 昔から「忘れん坊のかめやま」などと揶揄されてきたが、実は「忘れん坊」なのではなく、関心がないだけなのだと弁明に努めている。ぼくにとって関心のないことは、自分でも呆れるほど心ここにあらずで、「聞いている振りをする」のだから、その芸当は大したものだと自画自賛するが、他人から見れば始末の悪い厄介者なのだろう。
 「まったくもう、何も聞いてないんだから。この間、ちゃんと言ったでしょ!」と、眼に怒りの炎を浮かべながら反駁してくるのは、ほとんどの場合、嬶(かかあ)を始めとする女衆だ。要するにぼくは、世にいうところの「おばさん話」にはとんと興味がない。何故そうなのかをぼくは書きたくて仕方ないが、賢明なので止めておく。それを事細かく記したら、身の安全を確保できないことくらいは、ぼくとて知っている。

 今、どうやって写真の話に持って行くか、ほとほと弱っている。「忘れん坊」と揶揄されるぼくだが、限られた嗜好についての記憶力は人並み以上を誇ってもいいと思っている。
 デジタル時代となり、撮影データなどは自動的に記録されるので、いつでも参考データとして呼び出すことができるが、アナログ(フィルム)時代は、頭のなかに記憶を留めておくか、メモ書きをするしか手がなかった。「忘れん坊」のぼくは、常にメモ帳を持参していた。膨大なデータの積み重ねのなかから、必要に応じて、手早く引き出す必要があった。ましてや、商売となるとそれは欠かすことのできない、一種の、遷宮式の執り行いに似ている。

 同じ撮影条件はふたつとしてないので、撮影は常に新しいものへの発見であり、同時に挑戦でもある。この手続きは、やはり神聖なものだ。以前に体験した撮影データを頭のなかに掻き集め、まとめ上げ、目の前に現れた被写体にどの処方箋を用いるかの方策を立てなければならない。心がけ次第だが、場数を踏めば踏むほど撮影の技術と知識は習得できるものだ。施術実績の多い医師ほど信頼度が高いとされることと同じだ。
 ただ、残念なことに、写真屋も、おそらく医師も、場数を多く踏んだからといって、必ずしも常に最良の結果を残せるというものではない。ここが創作の非情なところだが、失敗をせずに済む手助けとなることは確かだろう。

 蛇足となるが、フィルム時代に得た撮影データのうち、デジタルには逆の考え方を必要とするものがある。絞りやシャッタースピードは同じ考え方で良いが、露出補正は異なる。
 これは、あくまでぼくの作法だが、レンズを通過した光を映像再現域に収める際、ハイライトを飛ばす(白飛び)ことをぼくは極力控える。デジタルはハイライトを飛ばしてしまうと、そこには何の情報もなく、画像ソフトなどで力技を余儀なくされることがある。どう転んでもそれは美しい画像にはなり得ないので極力避けたい。反対にシャドウ部は、フィルムに比べ遙かに融通が利き、よく粘ってくれるので(ノイズとの関係上、ISO感度とはよく相談すること)、デジタルの露出はハイライト基準。ミラーレスカメラに換えてからは、ヒストグラムがファインダー内に表示されるので、こんなにありがたいものはない。デジタルの露出はハイライト基準とする。フィルムはゾーンシステム( A. アダムスが構築した撮影及び暗室技法の理論)の作法に基づく。

 ぼくが写真下手(べた)なのは、「忘れん坊」のせいだということにしておきたいがために、1話を費やしてしまった。生まれつきの記憶障害(思いあたる節、多々)、そして物ぐさ及びぐずったれに起因する牢記の積極的放棄にあると考えられる。
 世の中で話題になることの82%くらいはまったく興味を引かれないので、写真を含め、何もかも前途多難なのかも知れない。「その歳になって、ま〜だ “前途” なんていってるよ」と、どこからか声が聞こえてくる。

https://www.amatias.com/bbs/30/803.html     

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
真っ赤な紫陽花があるとは知らなかった。写真の二輪だけが、陽の当たらぬ家屋の暗い片隅にひっそり咲いていた。
絞りf11、1/80秒、ISO 125、露出補正-0.67。



(文:亀山哲郎)