【マイタウンさいたま】ログイン 【マイタウンさいたま】店舗登録
■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

全691件中  新しい記事から  1〜 10件
先頭へ / 前へ / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / ...11 / 次へ / 最終へ  

2024/05/24(金)
第691回:廃墟マニア(1)
 「廃墟マニア」と題したものの、ぼく自身は生憎「廃墟マニア」ではなく、またそれを語る資格もない。「廃墟マニア」を認める写真好きの方々、すいません。
 とはいうものの、たまたま廃墟や廃屋らしきものを見かけると思わず足を止め、観察したくなる。廃墟には、強いていうならば、そこはかとなく漂う魔性のようなものがある。その魅力とは、あくまで「フォトジェニックな」とか「廃墟の美」などの観点からである。それは、写真屋にとって見逃すことのできない出会いでもある。撮影意欲が反射的に湧き起こり、全身がカッと熱くなる。ぼくは、病膏肓(やまいこうこう)に入るのである。

 廃墟に魅せられる大きな素因は、かつてそこに人々が住み、その様子を頭のなかに巡らせながら、往事を忍びつつ、さまざまな想像や幻想を掻き立てられるからだろう。それはぼくにとって、やはり魔性なのだ。また、そこに漂う郷愁や哀愁は、かなり直感的な心理作用を呼び起こす。ぼくでさえ、情緒的な心情に囚われる。
 廃墟に出会った時、何か魅力的で「フォトジェニック」なものが、発見できるかも知れないと、多少の期待を抱き、胸がザワつく。それは写真愛好家だけでなく、多くの人が感じるところではないだろうか。

 朽ちたものの魅力は、ある時は宗教的、あるいは心霊的な誘(いざな)いを含んでおり、我々を惑わす。ぼく自身は、世にいわれるところの、いわゆる「心霊スポット」とか「超常現象」などのまやかしにまったく無関心であり、そのようにどこか如何わしいものは、信ずるに足りないものと決めつけている。
 被写体から受けるイメージを最優先に考える質の写真屋であるのに、その面に於いては至ってリアリストである。そして、科学信奉者でもあるのだが、科学で解明できないことはこの世にいくらでも存在していることはもちろん認めている。もし、ぼくに知的 !? 好奇心なるものがあれば、「不思議」とか「謎」の解明は、科学を頼りにするほか手がない。

 有史以来、人類の「神頼み」は絶えることがなく、ぼくも本能的に(人並みに)持ち合わせているが、「良い写真が撮れますように」と願を懸けたことは一度もなく、したがって信仰もなく、故に自身を不信心者と公言している。そんな有り様なので、良い写真が撮れないのかなぁと、最近になってやっと気づき始めた。
 もちろん、神社仏閣に立ち入るときは、ぼくだって頭を下げ、賽銭箱に向かって憚りながらも分相応な10円玉を1枚だけ投げ入れたりする。そして一丁前に神妙な面持ちで手を合わせたりもする。願掛けは、写真のことではなく、名誉のためでもなく、ましてや金銭でもなく、ただ一途に家族や友人の安寧に対してである。たかだか10円で叶うと思い込んでいるところがすごい。自分でも、厚かましくも気味の悪いやつだと思っている。

 今回の掲載写真は、ぼくが高校1年時、実際に利用したことのある奥多摩湖ロープウェイ(東京都西多摩郡奥多摩町)である。今から約60年も昔のことなので細かい記憶は定かではないが、カメラをぶら下げ、当時世界最大の貯水量を誇る人造湖(奥多摩湖。小河内貯水池ともいわれる)を見たくて行ったのだった。だが、その感慨も今となっては幻となっている。ただ、その時に乗ったロープウェイだけが、朧気ながらも脳裏に残滓のように、危うくもへばり付いている。
 この時に乗ったロープウェイは、昭和35年(1960年)に開業し、昭和41年(1966年)に一旦運行を停止したが、見通しの立たぬまま昭和50年(1975年)に廃止された。

 ぼくは発作的に、「ここに行ってみるか。掲載写真のこともあるし」と呟いた。何故か本稿担当氏の薄笑いが、やはり幻のように浮かんでは消え、消えては浮かんだ。心底生真面目なぼくは、彼の薄笑いに怯えつつ、再びカメラを持って、60年ぶりに彼の地へ赴こうと決意した。
 薄笑いは、ぼくに発作を起こさせるに十分な仕草だった。フリーランスというものは、いつも担当者の下部(しもべ)とならざるを得ないとの気の毒な宿命を負っている。「物の哀れ」(ここでは無常観的な哀愁)、ここに見つけたり、といったところか。

 出立は例によって遅く、午後1時半。到着時間を早めたいので、関越自動車道、圏央道を利用し、所要時間2時間強といったところだった。
 前日ネットで下調べをして分かったことは、ロープウェイの三頭山口駅(みとうさんぐちえき)に至る道が見つけにくく、しかも駅までの登りにかなり難儀するらしい。つまり、獣道のような道なき道を登坂しなければならないということだった。しかも急勾配とのことだ。
 かつては、足腰に自信があったが、この2,3年徐々に衰えが増し、それを自覚すべく転倒を何度かしていたので、ぼくは身構えた。

 30年ほど前、写真好きの中学時代の先生が、撮影の際に足元を見失って、転落死された。そのことが一瞬脳裏をかすめたが、「おれは、これでもプロフェッショナルだ。今まで散々修羅場をくぐり抜けてきたではないか」との励ましの声が頭のなかで響いた。声の主は、薄笑いではなく、真顔だった。
 撮影の前に、近くに神社でもあれば、そこで願掛けをし、賽銭箱には「格上げをして20円とするか」と決め、ぼくは、ポケットを弄(まさぐ)っていた。(次号に続く)

https://www.amatias.com/bbs/30/691.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF16mm F2.8 STM。
東京都西多摩郡奥多摩町。ロープウェイ。

★「01三頭山口駅」
画面左下のほうから、息も絶え絶えとなり登り詰めたところに、かつてぼくが利用したことのある駅が、鬱蒼とした木立のなかに忽然と姿を現した。雲行き怪しく、遠くに雷鳴が響いていた。
絞りf5.6、1/25秒、ISO 800、露出補正-1.00。

★「02三頭山口駅」
改札をくぐり、乗降場所へ。60年近く放置されたままのゴンドラだが、たまに訪れる人のために、「みなさんのご協力により、きれいになっています。来た時よりキレイにお願いします。みとうさんぐち後援会」と記した紙が置かれてあった。このゴンドラの色は、いつかは分からぬが、往事の物と同じように塗り替えられたものだ。
絞りf5.6、1/13秒、ISO 320、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2024/05/17(金)
第690回:ルーキー現る
 ぼくの主宰する写真倶楽部は今年で21年目を迎えた。「おれのような指導者に不向きな者が、何故21年も?」と我ながら摩訶不思議な心境でいる。当時は、写真を趣味として楽しもうとする人たち、将来はプロを志す人たち、親睦を深めようとの目論見だけを抱いていた人たち、暇を持て余し、することに事欠いている寂しい人たちなどの混在で、それぞれにてんでんバラバラだった。男女の構成比も半々で、もうぐちゃぐちゃ。まさに、入り乱れていた。

 加え、年齢も職業もまちまちで、写真歴も事始めの人からかなりのベテランまでごった煮のような有り様。指導者もどきのぼくはいつも「ちゃんぎり舞い」(亡父の常套句で、 “きりきり舞い” の意。ぼくも父の佐賀弁をよく真似ていた)を余儀なくされた。お陰で、ぼくはこの奇っ怪な人々がもたらすところの心労が祟り、ご丁寧にもその間に2度の癌宣告まで受けてしまった。

 メンバーは、地元埼玉県ばかりでなく、都内、神奈川県、栃木県と広範囲にわたり、色々な面でバラエティに富んだ、面白くもおかしな倶楽部だった。
 未成年の学生さんを始め、ぼくより年配の人もおり、教室は本当に色取り取り、選り取り見取りといった模様だった。そんな景観が何年も雑然と広がっていた。
 月日が経つにつれ、若い人は壮年期を迎え、仕事により力を注がざるを得ず、したがって倶楽部での活動が困難となり、やがてその年代層が減っていった。また、「親の介護」や「子育て」、「もう体力が保たない」という方も増え、種々雑多な面を持つ実にややこしい部隊だったが、現在は、自然淘汰というか、進化の過程で起こる収斂に似て、ぼくは癌の再発には至らず、今倶楽部の椅子はとても座り心地が良い。おそらく今のメンバーも同様であろう。

 他のほとんどの倶楽部は、ぼくの知る限り、定年退職をした人たちが大勢を占め、若く見積もっても50歳代の人たちが点在するといったところだ。日本の実活動の人口構成からして、これを自然現象と捉えるのであれば、至極もっともなことだと思う。
 我が倶楽部も現在は他の倶楽部と年齢構成は似たり寄ったりだが、良い意味での「大人」(ものの道理をしっかりわきまえることのできる人たち)として振る舞える人の集団となり、メンバーの誰もが居心地の良さを堪能している。ぼく自身も、この21年間で指導者もどきとして、最も過ごしやすい環境を得ている。おまけに、人が少なくなればなるほど、指導の的が絞れるのだから、古典落語の『三方一両損』ならぬ『両方一両得』である。

 そんななか、今月より18歳の男子(大学1年生。以下K君)が、老化による脳細胞の衰え著しく、しかも糜爛(びらん)気味のメンバーのなかに、臆せず躍り込んできた。今まで、19歳が最若年だったので、K君は記録をも更新してくれた。K君の勇気と写真に対する熱意に敬意を表したい。この事実は、本当にたいしたものだと感服さえしている。
 おばさま、おじさま、ジジ、ババのなかへの突入である。乱気流に飛び込む飛行機のようなものだ。ぼくには持てなかった気概をK君が示してくれたことをとても嬉しく思っている。と同時に、K君が学校を卒業するまでに最低でも4年。ぼくもこれからの4年間はしっかり写真を撮らなければいけないと意を新たにさせられた。何と、健気で殊勝な心得であることか。

 月初めの勉強会に持参したK君の10数枚の写真を観て、ぼくが18歳の時に撮っていた写真を思い返しながら、「こんな写真は、ぼくには撮れなかったよ」との本音が、思わず口を衝いて出た。ぼくは社交辞令の一種であるお追従(ついしょう)を決していわない。それは相手に対して失礼だからだ。
 K君の写真からは、どのような被写体を選び、それをどう表現したいのかが明確に伝わり、メンバーの誰もが青天の霹靂といったところだった。
 こまごまとした指摘はもちろんあるものの、ぼくは「当分の間、このまま自由に、いろいろなものをたくさん撮りなさい」というのが、今は最適最良な指導だと直感した。しかしながら、「撮影時に、何を優先すれば良いのか」だけは伝えようと思っている。
 「言い聞かせるより、先に尊重あり」がぼくの信条でもあるので、K君も同様に受け取ってもらえれば、前途洋々、ぼくも万々歳である。

 今や写真人口は(いわゆる「インスタ映え」や「ナチュ盛り」を含めれば)、以前とはくらべものにならぬほど多いと、あるカメラメーカーの人から伺った。然もありなんとぼくも思う。
 だが実際に、写真の基礎をしっかり学び、自己表現の手段として写真に臨む人は、写真人口の何パーセントくらいなのだろうかを勘案するに、これはぼくの勝手な推測だが、写真人口が多くなったのとは反比例し、減少しているのではないかという気がしている。
 昨今の全般的な文化凋落の折、そのような人は希少価値とぼくは見ている。そしてまた、様々な機能が便利さや安易さの度を越えると、正当派写真愛好家は絶滅危惧種ともなりかねない。心配性 !? のぼくの一喜一憂は、そのような事象を「世の常なり」で片付けてもいいのだろうかと思っている。

 「自己表現の手段」をどの様に定義し解釈するかは、多様な意見、見解があろうが、少なくとも鑑賞者を第一義に見立て、「いいね!」をたくさんもらうことを目的とした写真は、良し悪しの問題ではなく、ぼくとはほど遠い距離にある。もちろん、優れた写真のなかには、多くの人から好評を得るものがある。  
 ぼくが、ここでいいたいのは、その結果ではなく、感応した被写体に対峙し、止むに止まれずシャッターを押さざるを得ないその時の動機付け次第で、あなたの写真は変化するという事実なのである。心の持ちようで、結果が変化するのは写真も同様であり、自明の理であると思うのだが、それを混同すると、作品もかつての我が倶楽部のように、多種多様を越えて、ややこしさ一辺倒となってしまう。

 とまれ、ぼくが若人と対峙するに、写真ばかりでなく皮相浅薄であってはならず、身を糺すべきと心する、希有なルーキーの出現だった。来月はもう1人新人がやって来るとのことだ。まさにぼくは、「牛に引かれて善光寺詣り」といったところだ。

https://www.amatias.com/bbs/30/690.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ :RF100mm F2.8L MACRO IS USM 。
埼玉県秩父市。三峯神社。

★「01三峯神社」
昨年11月の訪問時に撮影したもの。薄暗いなか、慎重にシャッターを切った。
絞りf8.0、1/25秒、ISO 8000、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2024/05/10(金)
第689回:たっぷり皮肉屋
 ぼくにはまったく縁遠いゴールデンウィークも去り、世間も一心地ついたところだが、その間の混雑や渋滞を考えると撮影に出る気にもならず、相変わらずの怠け者を通してしまった。ぐうたらな生活ぶりだった。
 かろうじて、上野の国立博物館で催されている「法然と極楽浄土」を、胸を躍らせながら観に行ったのが精一杯の働きであり、久しぶりに多少の知的好奇心を満たした。素晴らしい特別展だった。
 定年をとっくに過ぎた同輩たちがよく口にする「どこそこの美術館、博物館に行ってきた」との科白にぼくはいつもうんざりするのだが、ぼくのそれは違うのだぞ、と声を大にして言い放ちたい気分にいつも襲われる。

 彼らのそんな常套句を耳にするたびに、「そういうものは若い時にしてこそ、初めて血となり肉になるものだ。この歳になって、以前には持ち合わせていなかったものに目覚めたかのような錯覚を起こし、美に対する審美眼を養おうと足掻いても、もう遅い。幼少時からの、少なくとも若い頃からの継続的な積み重ねがないとなかなか難しいものだ。本当は、暇ですることがないので、美術館や博物館に行って有り余った時間をつぶしつつ、自分はこれでも良き精神生活を送っていると言い聞かせたいだけなんじゃないか。それを “思い込み” という」とぼくは、とても控え目にいう。

 彼らは定形文のように、「若い頃は忙しくてねぇ、行けなかったんだ」と返してくる。「嘘つけ」とぼくは内心いつもそう呟く。本当のところ、抑えることのできぬ興味や知的好奇心が自身に内包していれば、どれほど忙しくても、そのような言い訳はせず、人は時間をなんとかやり繰りし、捻出するものだ。
 人混みが大の苦手なぼくが、ゴールデンウィーク中に、博物館に出向いたのは、まさに快挙であり、誠にあっぱれな仕業といえる(フツーここまで自画自賛をするかねぇ)。体調の優れないなかにあっての挙は、押し止めることのできない渇望による衝動のようなものだった。「その日暮らし」とは、このようなことをいうのだろう。

 少し横道に逸れるが、雑誌やムック本(特に男性向き)に特集された数ページを読み、部下などに「カルチエ = ブレッソン(フランスの写真家)はね」とか「サルバドール・ダリ(スペインの画家)というのはね」と、自身が昔から彼らの作品に親しんできたかのような口調で、社内や酒席などで配下の者に「君は知らないだろうが」という前置きを示し、得意気に語る手合いが必ずいる。ぼくは実際に何度かそのような光景を目の当たりにしてきた。「その知見たるや、たいしたものだ」とぼくは皮肉をたっぷり込めて眺めていた。まさにぼくは、皮肉屋たっぷりである。

 皮肉ついでに、ぼくはある催し物で、自身のこれからの写真のありようについて、こんな一文を書いた。

 「 『効能書きだけは十人前』 を標榜してから、もう何年もの月日が経ってしまった。だが、ぼくの良いところは自身の効能書きに陶酔するところだ。この事実は多分に冷笑的ではあるが、ひょっとすると、それはぼくが写真を撮ることの原動力となっているのかも知れない。否、きっとそうであるに違いない。
 冷笑を示すことへの渇望は、世に対して、そして自身の、また巷に氾濫する写真に対してのそれである。つまり、あらゆることに我慢がならないのだ。

 命を削るこの心的作用は、創造の原点であると信じているからこそ、とても心地が良い。横道に逸れっぱなしのぼくは、本来の意味である『天上天下唯我独尊』を地で行っているとの振りをし、夢見つつの憧憬を示そうとしているような気もする。76年も安穏と生きてきたのだから、ここらで正面から生死に対峙しようと、残り少ない時間を、自身のささやかなる写真に向け、幾ばくかの重石をかけなければと思っている。

 釈迦の『唯我独尊』の本来の意味『唯だ、我、独りとして尊し』であり、その説法に倣い、環境や能力に依存することなく、尊い『私』を見出すため、テーマに束縛されず、感応の赴くままに『ごった煮の写真』に向けてシャッターを切り続けようと思っている」。
 と、眉間に皺を寄せながら、今思うところを正直に記した。

 掲載写真は、前号と同様に、未だ撮影に出かけられないでいるので、既にご紹介した撮影場所で撮ったものだが、ぼくの写真は年々暗く、陰鬱なものになって行く。音楽でいえば、完全な短調であり、口の悪い、誰かに似た皮肉屋の友人にいわせると、「ベートーヴェンやワーグナーの葬送曲、文学でいえばドストエフスキィ紛(まが)い」なのだそうだ。ぼくの好きな作家たちなので、たとえ紛いものであれ、「いつかはぼくも」と思うことにしている。それは大変な讃辞なのだと自身を鼓舞している。ぼくの写真は、一般受けしないことも重々承知しているので、なおさら光栄なことだとさえ思っている。
 自分の写真が、上記した冷笑とどこか結びついているのかどうかは今のところ判然としないのだが、暗いといわれようが、作品は作者の人生観なのだから仕方がない。

 目指すところは、質感描写を重んじ、空気感を醸し、そして重厚感があり、かつ文学的、美的であること。「三位一体」ならぬ「五位一体」の写真が1枚でも撮れれば、思い残すところなく終焉を迎えてもいいと思っている。

https://www.amatias.com/bbs/30/689.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ :RF24-105mm F4.0 L IS USM 。RF16mm F2.8 STM。
栃木県、静岡県。

★「01栃木」
栃木市。撮影はこの1年以内のもの。歌麿通りの店先にぶら下がっていた傘。夕暮れ時、ガラス越しに。各種プリセットにアイコン状の大きさでこの画像が並ぶと、まるでコウモリがぶら下がっているように見える。「こうもり傘」とは言い得て妙だと、初めて気づく。
絞りf9.0、1/60秒、ISO 100、露出補正ノーマル。

★「02静岡」
二岡神社本殿(といっても、建造物はこれしか見当たらなかった)。参拝者もいなければ神職の気配もない。いつこのお宮が造られたのかも分からない。お供え物が、申し訳程度に置かれていた。11月の日暮れ直前。
絞りf5.6、1/20秒、ISO 8000、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2024/04/26(金)
第688回:腹八分目
 この1ヶ月間、忙しさに輪を掛けて体調不良にも悩まされ、先般掲載させていただいた成田山を最後に、以降1枚も写真を撮ることができずにいる。
 特に体調不良は、普段から気弱なぼくにさらなる追い打ちをかけ、精神をも衰弱させてしまったような気がしている。これはいかんと思いつつも、目下のところ、「あと5年は、カメラを持って歩き回るのだ」という気概を殺がれそうな状勢にある。「病は気から」との諺に倣い、普段からの気の持ちようには、とくと留意しないといけない。

 精神を病みそうな厄介な人々に囲まれると、ぼくは昔から言語障害となり、それに加え胃腸を病むことが多々ある。因果関係は定かでないが、ぼくはご丁寧にも胃がん、大腸がんの双方を体験している。
 胃腸のほうは、古(いにしえ)からの賢人の健康術である「腹八分目」を踏襲すればいいのだが、今のぼくは悲しいかな、「腹八分目」の塩梅というか、「八分目」の境が分からなくなっているので、それはかなり絶望的な状況でもある。長寿の人は、どのような技を駆使して、「八分目」を感知するのだろうか。是非ご教示を賜りたいと思っているくらいだ。
 年老いてからは、特段に食い意地が張っているわけではないのだが、知らずのうちに、もうこれ以上は無理だというところまで食べてしまうので、ぼくの胃腸は堂々巡りを繰り返し、一向に良くなる気配がない。食後に初めて食い過ぎに気づくのだから、情けない。ぼくの写真も同じ道を辿っていると思うと、まったく悔しいったらありゃしない。

 修業時代、師匠のスタジオにはぼくを含めて3人のアシスタントがおり、2人はぼくよりずっと若く、20歳前後だった。食い盛りの若者たちで、撮影時の合間に出前を取ることが多かった。彼らはいつもかつ丼の大盛りを注文していたが、何度目かの時に、師匠はとうとう業を煮やし、「おまえら、いい加減にせいよ!」と大声で怒鳴った。そして、「おれだって大盛りを食いたいよ。だがな、そうすると血が頭に行かず、しかも緊張感がなくなるんだよ。そんなことで写真が撮れると思ったら大間違いだぞ! 腹八分目というのを知らんのか! 郷(くに)に帰れ!」と、厳つい顔をし、速射砲のようなテンポで痛罵した。

 幸いにも、ぼくはそれまで大盛りを注文したことはなかったので(ぼくも当時は大食らいのほうだったけれど)、お陰様、師匠の憤激を買うことはなかったが、彼らの大盛りを横目で見つつ、本心をいえば、心底羨ましく思っていたものだ。食べたいものや量を自制しなければならないことは、とても辛いことだ。ぼくだって当時はまだ30代で、食い意地から逃れられる歳ではなかった。

 若い彼らにくらべ、ぼくはある程度の社会人生活を経てきたので、仕事中に大盛りを注文し、それを平然と喰らうことにどこか抵抗感があったのだろうと思う。もしかしたら、これは欠かすことのできない作法だと考えていた節がある。亡父の、子に対する物言わぬ躾であったと、今更ながらに述懐している。亡父のお陰で、ぼくは師匠に、この件ではどやされずに済んだ。

 昨今は、このような師匠(あるいは上司)の言葉を捉えて、「パワハラ」だとか、訳の分からぬ、実にけったいな言葉が氾濫していると聞く。ハラスメントは確かに人間の尊厳を損ね、侵すことであり、それは断じて慎むべきことは誰もが承知しているはずだが、「叱る」ということは、「いじめる」、「いやがらせをする」、「差別する」などとは大きく異なり、それを区別できない人たちが、コンプライアンス(法令遵守)を盾に、むやみやたらヒステリックに叫き散らしている。自分で自分の首を絞めていることが分かっていないように、ぼくには思えてならない。これぞまさに、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」である。
 「○○ちゃん」と呼ぶのも、セクハラなんだそうで、だとすればぼくなどとっくに獄門の刑に処せられて然るべきであろう。なんてことだ! 嗚呼、治りかけの胃が、また痛くなってきた。

 話は変わって、実は前述したように成田山以降、撮影に行けずにいるので、掲載写真に、はたと困ってしまった。そこでぼくは一計を案じ、過去に撮った写真のなかでまだ未掲載のものを探し当て、充当すれば良いとの知恵?を編み出した。今回は、その知恵に添うことに。

 写真はソビエト時代末期、欧米や日本でも人気の高かったM. C. ゴルバチョフ(1931〜2022年。ソビエト連邦最後の最高指導者)の在任中、ウクライナ共和国の首都キエフ(現キーウ。現在は「ウクライナ共和国」ではなく、「ウクライナ」である)で撮影したもの。
 印象的なこの赤い壁は、国立キーウ大学(創設1834年。190年の歴史を有す)の一部で、帝政ロシアのニコライ2世(1868〜1918年。ロマノフ王朝最後の皇帝)が、徴兵制に抗議した学生たちに怒り、大学の建物を「血の色」に塗りつぶさせたとの由来がある。因みに現ウクライナ大統領であるゼレンスキーの出身校でもある。
 ぼくが訪問したのは、チェルノブイリ原発事故の1年後で、キエフの街(原発から約90km)には散水車が常時物々しく走り回っていた。ぼくも多分、被曝しただろう。
 
 この赤い壁を人物入りでと願ったぼくは、人の往来を見定めて切り取ったのがこの1枚。

https://www.amatias.com/bbs/30/688.html

カメラ:ライカM4。レンズ : ズミクロン35mm。
ウクライナ、キーウ市。

★「ウクライナ」
撮影データは、フィルムのため不明。フィルムはコダクローム64。ISO 64。
(文:亀山哲郎)

2024/04/19(金)
第687回:成田山詣で(2)
 成田山新勝寺にはかつて撮影(ガイドブック)のために訪れたことがあると述べた。今回の訪問はあの時(約30数年前)以来のことで、前号では新勝寺を指し「ぼくにとってさほど魅力的ではなかった」と記したが、当時のかすかな記憶を辿ると、今回もその印象はあまり変わってはいない。ただ、この日の天候が雨だったため、写真的には以前より興をそそられた。10年後、仮にぼくがまだ生きていても、今回の新勝寺の記憶は、ボケも手伝い、失せているのではないかと思える。

 新勝寺は規模の大きな立派な仏寺なのだが、ぼくの写真的な琴線に触れるには、いまひとつ何かが不足している。雨降る広い境内に立ちながら、その理由をしきりに考えていた。
 真っ先に思いついたことは、建造物が新しいからではないかということだった。一概に、「古いものには価値がある」との短絡的な見方をぼくはしないが、少なくともファインダーを通して見た限りに於いて、新勝寺はあまり魅惑的には映らなかった。

 蛇足だが、ぼくは真言宗の開祖である弘法大師空海にどうも肌合いが悪いのだ。といっておきながら、ぼくが最も好きな仏寺のひとつである京都の東寺(教王護国寺。創建796年。多くの国宝や名宝を有する世界文化遺産。本尊は薬師如来)は、真言宗の総本山であるのだから、いい加減なものだ。きっと他に、新勝寺に惹かれぬ理由があるのだろうと思う。だがどう足掻いても、興味は 参道にある “鰻” に流れてしまう。ぼくのなかで、不遜ながら、新勝寺はどうしても鰻に太刀打ちできないでいるのだ。

 奈良・京都の神社仏閣に吸い寄せられ、そこでシャッターを切るような熱が、どうも新勝寺からは得られにくいのである。やはり、建造物の歴史的古さや多様な美しさに起因するところ大というのが、偽らざるところなのだろう。
 京都生まれのぼくが、幼少時を過ごした地に肩入れするわけでは決してないのだが、「お寺さん」の周辺の佇まいなども含めて、つまり、京都や奈良などの総体的な風情や情趣も、彼の地の由緒ある神社仏閣に、目に見えぬ影響を与えているように思う。神社仏閣だけが孤立して在るわけではないということだ。

 聞くところによると、新勝寺の参拝者は社寺としては明治神宮に次いで全国第2位であり、寺院に限れば全国第1位を誇るとのことだ。創建も940年であり、由緒も京都に引けを取らないのだが、写真屋のぼくにとって、やはり撮影の意欲が等量というわけにはいかず、ぼくのハートを掴む力がどこか弱いと感じる。

 学問的、学術的な面での詳述は、専門的知識を身に付けているわけではないので、説明できずに曖昧さが残るが、ぼくの半造語的文言に従えば、奈良や京都に限らず他所の由緒ある神社仏閣に漂う「感覚的神々しさ」とか「神秘的神々しさ」が物足りないのだろうと思う。新勝寺は、「故事来歴、曰く因縁」も遜色ないのだが、写真屋にとっては何かが物足りない。その体系的な説明がどうしてもできない。ここでもぼくは、いい加減なのだ。強引に付け足せば、「古都の空気感や雰囲気が欠如している」ということと「あまりにも実質的」と感じるからなのだろう。

 新勝寺に打ち勝つことのできた鰻の写真について述べておくと、掲載写真はまさに成田に来たその証として、取り敢えず撮ったものだ。本来であれば、手を付ける前に撮るべきところを、一口食べてから「そうだ、撮るのを忘れた」と、慌てて撮ったというほどの体たらく。食べかけの鰻重写真というところだ。 
 外食時、その記念として写真を撮っておくという習慣がぼくにはないので、つい忘れたというのが事実である。食べかけの鰻重なので、ちょっと不調法な撮影だった。「一口手を付けただけなので、まぁいいか」というところだ。ホントにぼくは、いい加減だ。
 
 店などの自然光下で料理を撮る時、最も注視することは、被写体に当たる主光線がどこから来ているかということ。コマーシャル写真での料理写真は、逆光をほど良く使い、材質のテカリやシズル感(sizzle。できたての料理がいかにもおいしそうな感じがすること。転じて、食欲や購買意欲を刺激すること。大辞林)を表現する。料理写真のライティングは如何に逆光を上手に使いこなすかにあるといってもいい。ここが通常の「物撮り」とは多少異なるところ。
 
 掲載の鰻重写真は、まったくの自然光だが、ほど良く天井のタングステン・スポットライトからの光りを利用したもの。
 仕事写真の場合、稀にライティングのできぬ条件下で撮影しなければならない時がある。そんな時は料理を窓際に持っていき、外光を逆光として利用したものだ。あるいは、外光の射さない店では、天井のライトがどこにあるかを意識し、料理を移動させたりもした。
 この逆光効果は、料理が精気を失ったり、生き生きと見えたりするから面白い。もちろんスマホでも一眼レフでも同様なので、みなさんも贅沢品や高級品を頬張る前に、ぜひ一度お試しあれ。

https://www.amatias.com/bbs/30/687.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
千葉県成田市。

★「01成田」
新勝寺三重塔(1712年創建。重文)。高さは25mで、東寺の五重塔(高さ55m。木造としては日本一。国宝)の半分ほどだが、新勝寺の三重塔は、雲水紋の彫刻が施され、垂木は一枚板でつくられた珍しいもの。極彩色に彩られているが、ぼくの趣味とはかけ離れているので、特徴を失わぬ程度に、彩度を落とした。
絞りf8.0、1/40秒、ISO 500、露出補正-1.67。
★「02成田」
上記した食いかけの鰻重。
絞りf11.0、1/30秒、ISO 3,200、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2024/04/12(金)
第686回:成田山詣で(1)
 今から50年ほど前、ぼくがまだ編集者だった頃、親しくお付き合いをしていた方が千葉県成田山の近くにおり、彼の家まで時々車を飛ばし遊びに行ったものだ。趣味が同じだったこともあり、そして彼は生粋の、優れた職人でもあったので、彼との意見交換はとても楽しかった。彼はぼくより数歳年上だったが、いろいろなことについてすっかり意気投合したものだ。

 当時のぼくは編集者として各方面の職人や芸術家(ぼくのなかでは、両者とも同じ位置づけなので、異論のあることは承知のうえで、一括りに「職人」とする)と親交があったが、彼らに一種特有の憧れと畏怖の念を抱いていた。
 まだ20代のぼくは、いずれ優れた職人になりたいとの淡い夢を見ていたが、ぼくの膝元には本物の職人がたくさんおり、彼らの精神と生活態度、そしてその一挙手一投足をつぶさに観察するに、やはりそれは到底適わぬこととして、物深くも、遠回しにそっと眺めるのが精一杯といったところだった。

 時が経ち、ぼくは写真で飯を食おうと、出版社をあっけらかんと辞め、それが起因で離婚騒動にも発展したが、美術工芸品の撮影では、知る人ぞ知るという師匠の元に弟子入りし、写真やプロとしての心得を学ぶことになった。
 日本で一番歳を食ったアシスタントと揶揄されながらも、厳しい徒弟制度を2年間体験した後、どうにか写真屋もどきになった。今以て、 “もどき” である。
 納税申告書の職業欄は、税務署職員の指示に従い「写真家」となっているが、職業欄を見るたびに、顔がポーッと火照る。「写真家」と書き込む時、手が震えるくらいだ。ぼくは精神が健康・健全なので、そんな自分を指し「おまえは、そんな代物かよ」と、都度発しなければ気が収まらない。これは自虐や謙遜などから発するのではなく、本心からそう思っている。写真だけで食っていけるのだから、ぼくは、 “もどき” で満足である。

 修行中は、友人との交歓の余裕などあるはずもなく、必然的に往来がなくなり、疎遠になってしまった人も多くいるが、元々ぼくは群れることを嫌い、ひとりを好むので、まったく苦にはならず、それでよかった。「急いては事を仕損じる」というが、「群れては事を仕損じる」がぼくの行動指針である。
 人生の師は必要不可欠だが、友人は可能な限り少ないほうが良いというのが、青年期からのぼくの確たる持論である。極論すれば、この歳になって友人は要らないとさえぼくは思っている。近くにいる人たちを大切にすれば、それで良いのだ。

 先週の3日、心地良い雨音(どしゃ降り)で正午少し前に目が覚めた。掲載写真のネタが心許なかったので、ぼくは撮影の候補地をあれこれ探ってみた。どこへ行けば撮影のテンションが上がるかは、現地に行ってみないと何とも判断しかねるが、35年ほど前に撮影で訪れた成田山に決めた。
 だが、そこがどんな様子だったか、ほとんど記憶にない。撮影の記憶が乏しいということは、ぼくにとってさほど魅力的ではなかったということだろうが、実は参道の名物である鰻に惹かれ(地元である浦和も同様に鰻が旨い)、横恋慕をしてみるかと思い立った。
 ただ、疎遠となっていた同好の士である友人に会うつもりはなかった。撮影との両刀遣いは写真を無体にしてしまう。ぼくはそれほど器用ではないしね。

 激しく降る雨のなか、市営駐車場に車を置き、カメラバッグの上から雨合羽(現代では、古式ゆかしい「雨合羽」はあまり使われず、どうやら「レインコート」というらしい)を羽織り、カメラを懐に抱いて、何はともあれ鰻を焼くあの魅惑的な香りに吸い寄せられるように、評判の店に入った。ウィークデイで、しかもこんな雨降りながら、入店客はかなり多く、満席ではないが、繁盛そのものだった。

 出されたうな重に唾液がジュワーッと染み出し、お吸い物を一口味わってから、箸で鰻を切り、同時に適量の飯(ぼくはいつもこの量に悩む)を一緒に放り込んだ。久しぶりの鰻とあって、脳天に「至福」の二文字がツーンと突き刺さる。この一瞬のために、雨をものともせず車を走らせたのである。いや違う、撮影のためだった。

 浦和に、ぼくの気に入っている鰻屋が2店あるのだが、「食べ物の比較論評はしてはいけない。それは、はしたなくも無作法だから」というのが、ぼくの昔からの考えだ。したがって、浦和か成田かは述べない。
 酒も、料理も、出されたものはありがたく、しかも美味しくいただくのが、本物の通人であり、それが正しい行儀作法だと、一流どころ(シニアソムリエや利き酒の名人など)から無言で教えられた。ぼくも、行儀作法というものは知性そのものだと感じている。
 彼らは決して品物を前に、能書きなど垂れないということを、過去何度も体験している。二流どころほど、したり顔で蘊蓄(うんちく)を傾けたがり、理解の乏しい知識をひけらかすものだ。

 写真もまったく同じことだ。お〜っ、こわっ!

https://www.amatias.com/bbs/30/686.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
千葉県成田市。

★「01成田」
新勝寺仁王門(1831年創建。重文)。人気のほとんど絶えた日没直後。どしゃ降りのなか、3番目の石灯籠にピントを合わす。フルサイズカメラなら、f11.0でパンフォーカスとなる。レンズ焦点距離は50mmちょうど。
絞りf11.0、1/40秒、ISO 3,200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2024/04/05(金)
第685回:掲載写真について
 遠隔地の友人から博多弁で、「もっと写真を掲載して欲しか。以前は3点以上の時もあったとに、今は、なして2点に減ってしまったと? 出し惜しみばしたらいけんばい」と、あたかもぼくが省エネ兼手抜きに走ったかのような文面で訴えてきた。 
 何食わぬ表情(文面)を装った博多女性は、ぼくより50歳も年下である。彼女の命令調九州言葉はぼくを少しばかり震撼させたが、しかし方言特有の、どこか愛嬌と可愛げのある博多弁に、ぼくはいつも上手いことたぶらかされている。これからどんどんボケるぼくには、危ういことである。
 文面が標準語であれば、どんな印象を受けるのだろうか。ぼくはひどく叱られ、鞭打たれたような気持になって、不条理極まりない反省をし、そして意気消沈してしまうような気がする。それほど標準語は、ぼくにとって冷たく、ぶっきらぼうで、しかも味けのないものだ。

 余談だが、彼女がネイティブである博多弁を使ってメールをするのはぼくだけだそうだから、その点女性というものはそつがなく、手の込んだことを素知らぬ顔をしてやって退(の)ける。ぼくはこの博多弁使いの達人にほとほと感心する。標準語でいいにくいことでも、方言であれば遙か年上の人間にもちゃらっといえてしまうことを、彼女はきっと十代の頃には、本能的に身に付けていたのであろう。男はその伝、真のあほやけん、そうはいかんと。

 加え、ジジィは九州の血が半分入っていることを知っての仕業なのである。女性というものは誠に抜け目がない。歳の差50など物の数ではないということだ。ホントに大したものだ。その様、まさに百鬼夜行といったら、叱られるだろうか?
 とはいえ、ぼくは子供の頃から、九州言葉(佐賀・博多弁)で会話をしてくれた父に、方言ならではの豊かで細やかなニュアンスを自然に教えられ、その言葉遣いに心が和み、癒され、今更ながらに感謝している。

 ぼくは今、彼女の指摘についていろいろな思いと考えに囚われているのだが、自身のことにはあまり深入りしないことにする。しかし、文章でも、写真でも、あるいは人間でも、「差し障りのない」ものは、往々に面白味がなく、深みもない。味がないので感動を生まないのである。それをして、「毒にも薬にもならぬ」という。

 写真に喩えていうなれば、「毒にも薬にもならぬ」ようなものは、作者にとって必然性のない写真ということになる。写真の、特筆すべき重要な役割のひとつに「記録」がある。世の中の写真の99%以上がそれに属すとぼくは思っているのだが、残りの1%以下を「上手くやってのける」のは、凡人であるぼくには難しく、なかなか覚束ない。
 1%以下のものとは、ぼくが時折使う「自己表現のための写真」のことである。つまり、「あなたしか撮れない写真」という意味であり、それが写真を愛好する人たちの最も望むものなのではないかと考えている。

 写真を媒体とし、自身の考えや感じ方、人生に於ける立ち位置や役割、悲喜こもごもの記憶を1枚の印画紙(あるいはモニターなどの映像画面)に表現する行為は、醍醐味そのものであるのだが、しかしそれが思うようにできぬが故に悩みともなる。思い描くようには行かぬものだからこそ、希望を捨てることなく、いつまでも挑み続けるのだろう。

 本稿にて、長い間写真を2枚ずつ掲載させていただいたが、何とか及第点(60点)を得るのは至難の業といってよく、これからは1枚掲載ということもあり得るので、どうかご理解をいただければと思っている。さぼる訳ではなく、楽をするのでもなく、及第点のやれないものを掲載することは、やはりぼくだって良心が痛むのだ。だが、掲載写真がまったく「無し」というのも、写真屋としてやるせない。
 自身への責務として、作品の良し悪しに関わらず、自分を晒さなければと考えている。したがって、とんでもない駄作を掲載せざるを得ず、大いに恥を晒せばいいと考えている。

 週に2枚も及第点のやれる写真など、実はそうそう撮れるものではないと、ぼくは信心に似たものを持っている。年に1万枚撮るとして、許せるものは精々2、3枚が関の山というのが、ぼくの偽らざる気持ちだ。いや、それどころか、2,3年に1枚くらい撮れれば御の字だとさえ思っている。  
 昔撮ったもので、得心したものを今見ると、「どうしてこんなものを後生大事に抱えていたのだろうか」ということがある。そして、ここが肝要なのだが、「昔、まったく感心しなかったものが、今見ると案外いける」といいたいところだが、ぼくの場合は決してそのようなことは起こり得ないことを涙ながらに告白しておく。世の中、そんな甘いものではないのだ。駄目なものは、今も昔も、あくまで駄目なのだ。

 時を経て、自身の審美眼やら慧眼が進化する場合もあるだろうが、非常に残念ながらぼくに限ってそのような現象は今のところ起こっていない。変化することはあるかも知れないが、進化はどうやら期待できそうにない。わしゃ、ほんに、のさんとよ。

https://www.amatias.com/bbs/30/685.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県足利市。

★「01足利」
鑁阿寺(ばんなじ)の太鼓橋から堀の鯉を。錦鯉に混じって1匹だけ黒一色の鯉。差別をされる風もなく、人間よりずっと上等である。
絞りf7.1、1/125秒、ISO 400、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2024/03/29(金)
第684回:年度末のあれこれ
 人事異動の季節となり、ぼくは異動する人々への奉仕を次から次へと否応なく仰せつかる。と、こんなけったいな(関西言葉。妙ちくりんな、の意)日本語遣いをせずとも、早い話が「人事異動の前に、もう一度ジジィをこき使っておこう」という彼らの魂胆が透けて見える。ぼくにとって、痛し痒しといったところだ。
 ものの分かった風な顔をしたがる友人たちは、「その歳になって頼まれごとをされるなんて良いことじゃない」とか「忙しいなんて羨ましいよ」とか「ボケなくていいじゃない」などと判を押したような定型文を臆面もなく羅列しながら、したり顔で宣う。それこそ大きなお世話というもので、人の身にもなっていただきたい。「ボケの危うさはそっちのほうだろう」と悪態をついてみたくもなる。

 仕事の依頼人(クライアント)を擁護する気持はないが、ただひとつ確かなことは、何故か忙しい時にはいろいろなことが計ったように重なり、それらがひとかたまりとなり、まるで雪崩のように弱った体目がけて襲ってくる。ぼくは危機を素早く感じ取り、ハッと我に返る。
 わざわざこの忙しい時にタイミングを見計らって彼らは、申し合わせたかのように揉み手をしながらやって来る。気の良いぼくは断ることをしないから、いつも窮地に追いやられる。今ぼくは雪に埋もれてにっちもさっちも行かず、苦悶のなかで喘いでいる。

 若ければそこから這い出る体力も精神力もあるのだが、今若い頃の活力を憂愁を帯びた面持ちで懐かしんでいる。だが一方、嘆きばかりでなく、子供が親に何某かの仕返しをしようと駄々をこねる、あの心地良さに酷似したものを感じる。それは、かまってもらうことに飢えた幼児特有の行為らしいのだが、ぼくは70年ぶりにそんなおかしくも複雑な気分を味わっている。
 だが、現実はそんな甘酸っぱい思いに耽っているほど甘くはなく、ぼくはもう自棄のやんぱちで、どうにでもなれと開き直るのが精一杯。ただどんな場合でも、言い訳だけは決してしたくないので、いつどのようなタイミングで平身低頭し謝るかに無い知恵を絞っている。

 「猫の手も借りたい」との現象は老若男女に平等に訪れる。目下、ぼくは久方ぶりに年不相応の激務をこなしつつあるのだが、声を潜めていうならば、実は先述の如くちょっと楽しいのである。
 心身ともに衰えを自覚し始めたところなので、その流れに逆らって櫓を漕ぐのもまた楽しからずやといったところだ。

 観念しているといきなり亡父の口癖が頭のなかで響いた。「そげんこつな、どげんかなるもんしゃ。死ぬわけではあらんめえし、と高ば(高を)括るとが一番。それにな、人生は取り敢えずや」なのだそうである。
 ぼくは、特に「人生は取り敢えず」という含蓄に富む父の格言に若い頃から従おうとしてきた。解釈はその人次第だが、この言葉に救われたこと多々ありといったところだ。

 クライアントに、「歳を取るとね、何故か意志に反して上手いこと事を運べなくなるものだ。迷惑をかけてしまい、ごめんね」と伏し目がちに、哀感のこもった調子で反省の弁を述べると、すべてが許されてしまうのだから、やはり愉快だ。もっと若い頃にこの術を身に付けておけばよかったと思うのだが、歳を取ったからこその技だということに気がつかないでいるから、ぼくはおめでたい。歳を取ると、いろいろおめでたくなるので、ものの道理として生きやすくもなるのだ。

 今月のある日、拙稿の担当氏から「来年度の契約書をお送りしますので、判を押して送り返してください」と、有無をいわせぬ調子で、電話があった。「つべこべいわずに連載を継続せい」とのお達しである。この連載を始めたのは2010年5月のことで、14年目に突入ということになる。なんたること。ぼくはこうなることを想像だにしていなかった。

 プロフィールにもあるように、商工会議所とのお付き合いは、会報誌の表紙写真を2003年から7年間担当させていただいたことから始まり、こんにちまで21年もの長きにわたってということになる。浮き世のしがらみのようなものなのだが、その間、この連載に於いて写真好きの人たちにどのような貢献を果たしてきたのかを顧みると、身震いする。いつも写真のことは放りっぱなしで、自分のことばかりを書き連ね、お茶を濁しているので、呆れるばかり。

 「写真にまつわることや基本的なことを簡単でいいので、書きませんか?」の結果がこんなことになるとは考えもみなかった。当初の1年ほどは、写真の基礎的なことについてかなり真面目に記したが、それ以上のことは書物やネットで探ればよいことであり、ぼくが敢えて書く必要もなかったのだが、しかし任を解かれずにいたので、その後は自由気ままの勝手三昧となり、その暴走をこんにちまで許していただいている。

 来年度となる次回から、少しは心を入れ替えることができるかどうか怪しい。鋭意努力をするつもりだが、この期に及んで約束などしてはいけない。
 嗚呼、今回も写真のことなどにまったく触れることなくやり過ごしてしまった。良心の呵責に苛まれ、今宵も眠れそうにない。

https://www.amatias.com/bbs/30/684.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県足利市。

★「01足利」
鑁阿寺(ばんなじ。創建1196年。本堂は国宝)の境内に置かれた石仏。高校生の時、父に「庚申」の意味について詳しく教えられたが、今思い返すと朧気だ。
絞りf6.3、1/100秒、ISO 100、露出補正-0.33。
★「02足利」
廃屋となった建物の壁に設えられたギリシャ彫刻風レリーフ。材質は白の石膏状であるが、石膏ではなさそう。過去に何度か撮っているが、やっと思い描いたイメージに少しだけ近づくことができたかな、と疑問符付き。このような被写体はどう切り取るかだけが問題のように感じるが、その切り取りがなかなか思い通りにいかない。
絞りf7.1、1/50秒、ISO 200、露出補正ノーマル。
(文:亀山哲郎)

2024/03/22(金)
第683回:「写真的雑談」を必要以上に
 いわゆる名所旧跡というものは、自身の知識を深めたり、古(いにしえ)に思いを馳せたり、あるいは単に興味本位だったりする場合がほとんどなのだろう。ぼくもご多分に漏れず、人並みの興味を示すが、ただぼくの浅ましいところはまともな方々と異なり、その場所が、自身にとってフォトジェニックな佇まいでなければならないことに尽きる。では何が「フォトジェニックな佇まいか?」との問題を論じると大変なことになるので、今回はおとぼけを演じ、そこには触れず、しれっと通り過ぎることにする。

 一般的にいわれる「フォトジェニック」について、ぼくは確たる答を持っているわけではないが、それについては百人百様でそれぞれに異なるであろうし、また趣向の違いということもあろう。あるいは、人生観によっても大きく異なってくるものだ。つまり、何が撮りたく、またどのような被写体が自己表現に適しているかは、人それぞれであるということだ。
 思い描くものによって、意味が異なってくるので、日本で一般的に使われる「フォトジェニック」とはどのようなものかについて容易に述べることはできない。

 たとえば、ぼくは風光明媚な風景というだけでは、非常につれない態度を示す。よほど感じ入るものがない限り、ぼくは風景写真を撮らないし、また写真的な興味を呼び覚ますこともない。
 誰もがスマホで歓び勇んで撮るようなものに(それが悪いという意味ではない)、ぼくはほとんど興味を示さないということだ。まぁ、ひねくれ者だということもあるのだが、もっと大きな理由は撮影の必然性がぼくにないと感じるからだろう。つまり、それはぼくにとって面白味に著しく欠ける被写体ということになる。

 ぼくがよく喩えに使う具体的な言句として、「紅葉の見事な青空の下、上高地で、定番のような写真をいくら上手に撮っても、それは記録写真か記念写真の類であり、そしてそのようなものは世にごまんとあり、 “あなたの写真” としての評価に値しない。写真の通過点としての一時期、一現象であって然るべきものではあるが、そこから早く脱皮して、次の段階を目指して欲しい。たとえ万全でなくても、あなたの作品として撮る意義を感じさせるものを、ぼくは上位に位置づけするし、それを評価する」と、思うところを正直にいったりもする。「きれいな写真ですねぇ」などと感心している場合じゃないのだ。

 もちろんぼくだって、自然の美しさや偉大さに敬服したり感応する能力は人並みに持っている。だが、「誰が撮っても似たり寄ったり」となりそうなものに(同じ写真はこの世に2枚とないことを考えれば、必ずしもそうなるかは疑問の余地があるのだが)、敢えてレンズを向けたり、シャッターを切ることにどうしても躊躇してしまう。自己を主張する何かが発見できないと撮る気が起こらないのだ。

 時には次のようなこともある。他人の写真を拝見した時に、「このようにありふれた被写体を、あなた流にイメージし、上手にアレンジしましたね。そして心血を注いで撮りました。見事な出来映えです」と感服することがある。
 「あなたしか撮れない写真」をぼくは殊のほか高く評価するし、そうあって欲しいと願うばかり。ぼく自身もそれを写真の本旨としている。

 同じ場所を他人が撮って、感心することは「よくこんな被写体を見つけたね。ぼくは気がつかなかったし、もし気づいても上手く撮れなかったに違いない」と撮影に同行した人に打ち明けることがしばしばある。これが、ぼくの気の進まぬ、いわゆる「撮影会」というものの “唯一の値打ち” と考えている。
 同じ場所に居て、発見できなかった自身を恥じるということはとても良いことであり、そして大切な精神的効果を得ることができる。

 他の写真倶楽部の実情は知らないが、ぼくは昔から撮影会という集団行動がどうしても性に合わず、積極的にそれを催さなかった。メンバーから要望があれば、人任せという塩梅だ。デジタル時代になってからは、写真はシャッターを押せば誰でもが一応は撮れるので、現場での指導も自分のほうからはいい出さない。
 加え、現場で指導者もどきを演じるのは、ぼくの生活信条から大きく離背しており、そんな振る舞いは傍目からしてとても小っ恥ずかしく、到底できるものではない。自分で「どの面下げて、したり顔で」と悪態をつくに決まっている。「写真はひとりで撮るもの」が、本来あるべき姿であり、それこそが本寸法と考えている。

 同行者が、難問に突き当たれば、もちろんそれらしきことを指導者もどきとして、人目を気にしながらも丁寧にお伝えするが、我が倶楽部の面々は元々自尊心が必要以上に強く、干渉されることを必要以上に嫌い、唯我独尊の気質が必要以上に満ち、おっさん(ぼくのこと)などに借りをつくってたまるかとの気概が必要以上に溢れているのである。
 今回掲載する栃木足利市での撮影について認(したた)めるつもりでいたのだが、蓋を開ければこのありさま。ぼくの成り行き任せもどうやら必要以上である。

https://www.amatias.com/bbs/30/683.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県足利市。

★「01足利」
かつて撮影会に同行した人によると、ぼくの足利市訪問は6年前とのことだ。以前お気に入りだった映画館や通りなどの様変わりに、一喜一憂したが、やはり「憂」のほうが多いかな。ショーウィンドウの向こう側に色違いのガラスコップが3個置かれ、柔らかな質感と雰囲気に思わずシャッターを切る。
絞りf8.0、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.33。
★「02足利」
野外のベニヤ板にピン留めされたこの丈夫なポスターは6年以上前のもので、埃が積み重なり、顔を酷く汚していたが、美人ぶりは変わらずだった。以前に訪問した時は、この被写体の面白さに気づかず、撮っていない。
絞りf11.0、1/400秒、ISO 100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2024/03/15(金)
第682回:学びは失敗から
 大それた標題を掲げてしまったが、それは昔から世でいわれる「失敗は成功のもと」と同じような意味合いと捉えてもらっていい。誰もが幾度か耳にした覚えのある諺であろう。
 失敗は、残念ながらどのような人たちにも生きている限り常に平等にやってくる。いってみれば逃れようがない宿痾のようなものだ。この事実は、だがしかし、こと写真に関する限り、ぼくにとって命のやり取りでもある切実な問題となる。写真を生業としてしまったのだから、それも已(や)む無しといったところだ。

 だが、拙稿を読まれる読者諸兄の大方は、写真を趣味として、まず楽しむことに主眼を置いておられるであろうと推察しているのだが、趣味とはいえ、やはり満足や歓びの得られる作品を如何にして体験できるかを、特に熱心な方は藁をも掴むような気持で !? 臨んでおられるのだろうと勝手ながらに想像している。時には、生き甲斐としておられる方もいよう。写真に、プロもアマもないのだが、楽しむことはアマチュアの特権であり、それを放棄せざるを得ないのがプロであると、ぼくは大雑把ながらにそう考えている。
 そんな含みを持って、ぼくは身分不相応をよくよく知りながら、写真倶楽部を主宰し(事始めは強要されたものだが)、指導者もどきを演じている。もしぼくがアマチュアであれば、指導者もどきとはいえ、とても引き受けることなどできなかっただろうし、実際にしていない。とてもそんな勇気は持ち合わせていない。

 写真好きの方々の作品を毎月の勉強会で、あるいは年一度の大がかりな作品展の選考委員をさせていただいているので、多くの作品を拝見する機会に恵まれている。時には、見ず知らずの方からの要望もある。
 プロとはいえ、アマチュアの方々の作品から学ぶこと多々ありというのが正直なところであり、また気づきを与えられることもある。自分とは異なる人生を歩んできた人たちの作品から受ける刺激も、ぼくの貴重な財産となり得ている。

 月一度の我が倶楽部の勉強会でも、ぼくは様々な試みをしてくる生徒たちの作品から非常に良い刺激を受けたり、考えさせられることが多い。身分不相応といいながらも、倶楽部を主宰してよかったと実感している。
 幾ばくかの授業料をいただきながら、ぼくは落語の名演目のひとつ『三方一両損』(さんぽういちりょうぞん)ならぬその逆である御利益をちゃっかりいただいているのだ。つまり授業料をいただきながら、貴重なものを得ているのである。この倶楽部が21年間も生き存(ながら)えたのは、どうやらぼくの通暁なる? 良からぬ料簡からかも知れない。

 「1を相手に教える、もしくは伝えるには、こちらが10を知っていなければならない」のがぼくの持論なのだが、したがって怠慢・横着が服を着て歩いているようなぼくでさえ、彼らに隠れてしめやかに勉強をしなければならず、また普段から偉っそうなことばかり唱えている手前、それ相応の作品を提示しなければならない。これが最も辛いところだ。
 何故なら、勉強というものはちゃんとすればあるところまでは達することができるが、だからといって作品もそれに追随して成せるわけではない。そう上手くは問屋が卸してくれないので、そこが猛烈に辛いところなのだ。
 しかし、そのお陰で、ぼくは得るものを得ているわけで、『三方一両損』ならぬ『三方一両得』を体感していると、殊勝ながらも感謝の気持ちを持って、お陰様、21年をどうにかやり過ごしてきた。

 今月の勉強会で、生徒のひとり(以下Aさん)が蓮の枯れた花托に群がる蜂の写真を何枚か持って来た。Aさんは写真に取り組み始めてまだ日が浅いのだが、とても良い感覚と目的意識を持っている。まだ技術が伴わないのは仕方のないことなので、ぼくはそれには頓着せず、技術論の言及を避けた。
 後日、それらの写真についてAさんばかりでなく全員宛のメールにて、何故思い通りに写せなかったのかについて、あれこれと注意点を述べた。そして、烏滸がましいと思いつつ、参考として過去にぼくの撮った蓮の花托の写真を2点添付した。

 注意点のほかに、ぼくは以下のようなことを同メールで述べた。それを要約すると、当たり前のことなのだが、上達のためには根気よく場数を踏まなければならないと。同じことを何度も飽くことなく繰り返せということだ。それなくして、欠陥の発見もなければ、修正の方策も見つからない。つまり、経験値の大切さについて、ぼくはメールでも同じように “偉っそう” に書き連ねたのだった。「急がば回れ」と、古人の教えに学ぶのが最良の方法だと信じている。

 ぼくは商売人なので、場数(経験)の多さだけは他に引けを取らないのだが、当然それに比例して失敗も多い。Aさんに「あなたに限らず、どんなベテランでも同じ過ちを犯すものだが、それを少しずつ克服していかないと前進・上達はままならないものだ」とつけ加えた。

 おそらくは、成功より失敗のほうが、より学びが多いものだとぼくは思っている。成功は今までの積み重ねで得るものだが、失敗はより能動的な精神の活動がなければ、失うものが多い。きっと、成功より失敗のほうが得るもの大だとするほうが、より建設的な思考である。失敗は、失意を助長する場合があるが、それは本人の気持ち次第ではないだろうか。齢76にして、先はまったく見通せず、暗闇での手探りが、やがてカメラを持てず、歩けずの状態になるまで続くのだろう。

https://www.amatias.com/bbs/30/682.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF100mmF2.8L Macro IS USM。RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木」
以前にも同じ被写体を掲載した記憶がある。柄にもなく少しばかり反省した部分もあり、「今度こそ」との意気込みだったのだが・・・。曇天の日暮れ間近に。
絞りf7.1、1/125秒、ISO 5000、露出補正-0.33。
★「02栃木」
10年以上も前に閉店した中華料理店の食品サンプル。埃だらけのガラス越しに、青カビの発生した餃子が見え、ラーメンは傾いてしまっている。このなにか侘しい佇まいは何度訪れても、思わずレンズを向け、どう切り取れば良いかに、今回も懲りずに苦心惨憺。
絞りf9.0、1/125秒、ISO 1600、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)