![]() ■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
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2025/04/25(金) |
第737回 : 今のカメラやレンズは高い?(2) |
趣味の世界に “コストパフォーマンス” という言葉を用いるのは憚られる。憚られるというより適切でないとぼくは若い頃から思っている。趣味は、実務・実用とは一線を画した世界であり、値段と性能を天秤に掛けること自体、論理が噛み合わず、ちぐはぐなものと考えている。
食品をも含めた商業物というものは、すべからく価格と性能(味)が比例するものだ。資本主義経済の構図や法則にぼくは疎いが、これが一般的な見解であり、社会通念でもあろう。それを手短にいうのであれば、製品(食品)の、つまりは “通り相場” ということになるのだろう。 この事実は、ぼくが写真屋になる以前の20年間、熱にうなされたようにのめり込んでいたオーディオについても一脈相通ずるものがある。 ただ、趣味というものは生活に潤いや愉しみをもたらすものと定義するのであれば、安価な物でも満足が得られるものがあるに違いなく、あるいはそこには個人の趣味嗜好というものがあり、他人がとやかくいう筋合いのものではない。個人にとって、製品の価値はまちまちである。 時には、「安かろう悪かろう」の諺に倣い、自身の製品に対する評価の “遊び心” として、たまには “安物買い” があってもいいのではと思う。そこに価格以上の価値を見つけ出した時の喜びはまた格別だが、粗悪な物はまさに屁のようなものであり、愛着心が湧く道理もなく、やはり長続きしない。そして、自身の審美眼を育てることにも、まったく貢献してくれない。本物を知らなければ、審美眼は決して育たない。 現在は一昔前と異なり、情報があまりにも氾濫しており、如何わしいものや訝(いぶか)しい意見に惑わされる人も多いであろうことは想像に難くない。あるいは、宗教ではないが、どのような世界にも教祖的、もしくは偏執的な性質を帯びた人が必ず存在し、そこに盲目的な信者が常について回るので、誠に始末が悪い。ぼくはそんな光景をいつも苦々しい思いで見つめてきたし、現在も見つめている。 カメラやレンズは、科学と人智の産物であり、無論宗教ではないのだが、教祖的な人のほとんどは、ぼくの知る限り、審美眼や理知的な思考などとは縁遠いところに居を構えている。 趣味の愉しみ方はまさに十人十色、百人百様であり、確固たる論拠を持たずして、他人に「〜であるべき」とか「〜であるべし」とのいい方は、まったくのお門違いであり、しかも間違っている。しかし、この手合いの、なんと多いことか! 美についての批判は大いに結構なことだが、柔軟性を失えば、ただの独善である。 今日は(も)、どうも説教臭くていかん、いかん。非常によろしくない。特に若い人から、「説教ジジィ!」との声が聞こえてくる。 ぼくは編集者時代に、音楽やオーディオの世界で、上記したような現象(教祖と信者の極めて不健全で危うい関係)を嫌というほど目の当たりにしてきたし、また俯瞰してきた。 だがしかし、ある種の胡散臭さに気づくには、かなりの修練や経験を積み重ねていかないと成し難い。そのような危険から逃れるひとつの手段は、それなりの投資を必要とする。投資なくして、得られるものなしである。「投資は裏切らない」というのは、ぼくの昔からの持論。 新年度となり、拙稿の担当諸氏も新しい方々と入れ替わった。ぼくの原稿を読まれ、さぞや呆れておられるだろう。何故なら、前回からの議題について、「次号に」と書きながら、一向に話が進んでいないので、弱っておられるかも知れない。 “まくら(枕)” ばかりが長く、一向に演目に入らないどこかの噺家のようだ。その代表格である柳家小三治師匠(10代目。1939-2021年。人間国宝)とは、編集者時代に数回仕事(オーディオ関係)でご一緒させていただいたり、写真屋になってからも、ポートレートを何度か撮影させていただいた。 余談はさて置き、みなさんのお宅にはフィルム時代に撮られたプリント(小型カメラで撮影されたもの)がおそらく存在していると思う。家族写真や友人たちとの集合写真を観察し、そこに写し出された人たちの髪の毛1本1本が、果たして分離して描かれているだろうか? 撮影条件により結果は多種多様であろうが、ほとんどの場合、かなり曖昧に描かれているであろうと推察する。どの程度細やかに、精密に描き出すことができるかを、少し乱暴ないい方だが「解像度」という。 フィルムであろうとデジタルであろうと、写真創生期から現在に至るまで、写真愛好家や技術者は、「解像度」にこだわり続けてきたといっても過言ではない。いつの場合も、収差などの難題をさて置き、最優先事項は「解像度」がどうであるかで、レンズ性能を測ってきた。 このような歴史的背景を鑑みれば、現在のデジタルカメラの撮像素子(イメージセンサー)が、フルサイズやAPS - Cサイズの大きさであれば、「解像度」という点で、明らかにフィルムによるプリントに勝る。 「解像度」だけで、カメラ、レンズなどの良し悪しを語るのは見当違いだが、これだけ秀でた「解像度」を、高額を叩いて所有したいかどうかは、個人の価値基準による。 最新機材を使うことにより、「えっ、髪の毛って、こんなに細いの?」という発見ができたり、片や、「大枚を叩いて機材を購入するより、それを撮影旅行に回す」というのも、やはり個人の自由。 ともあれ、結論のない題目を威勢よく掲げたぼくの思慮分別のなさが露呈し、「そろそろ焼きが回ったか」と、うなだれることしきり。 https://www.amatias.com/bbs/30/737.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF100mm F2.8 L MACRO IS USM。 東京都新宿区。新宿御苑の温室。 ★「01新宿御苑」 食虫植物うつぼかずら。 絞りf11.0、1/100秒、ISO 6,400、露出補正-1.00。 ★「02新宿御苑」 らん。とてもきれいなピンク色だが、敢えてモノクロに。 絞りf13.0、1/100秒、ISO 8,000、露出補正-0.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/04/18(金) |
第736回 : 今のカメラやレンズは高い? (1) |
年一度のある催し物(写真関係)に出て行かざるを得ず、そこで写真好きの人たちと会ったのだが、若い頃にくらべ、この歳になるみなさんの変化は著しい。変化とは、見かけ上の変化であり、これを「一年毎の、老いへの変貌」とぼくは呼んでいる。働き盛りの若い人たちより、時間を持て余している年配の方々が会場には多かったので、ぼくは自分を横に置いて、「枯れ木も山の賑わい」なんて茶々を入れていた。
この変化は、つまり「老け込む」という意味であり、斯くいうぼくだって、他人から見たら同じだろう。だが、「絶対に自分だけはそうでない」とか「そうありたくはない」と思い込んでいるところが実におめでたくも、ぼくらしい。あるいは、ぼくばかりでなく、確証はないのだが、誰もが厚かましくもそう念じているに違いない。 常日頃、たとえば月に一度ほどの割合で会っていれば、病気でもしない限り、変化量が微少なために気づきにくいのかも知れないが、年一度となると、個人差こそあれ、否が応でも老いは隠し切れない。この事実を、残酷と捉えるか、自然と捉えるか、良し悪しの問題ではないのだが、ここに人生観の大きな分かれ道があるように思える。 知る、悟る、会得などの相互作用により、余生の生活意識が大きく左右されるのではないだろうか。 会場で会うなり、「かめさんの髪の毛、見事なくらい真っ白になったね。まるで発光体の帽子を被っているみたい」と、毛髪がまだら模様になった同年輩のご婦人にいわれ、ぼくの負けん気がむくむくと頭をもたげた。 「やっかましいわ。あるだけましやろ。あるべきものがない人がたくさんいるなかで、これだけ律儀に毛髪を確保しているのはまったく見上げたものだ。それを真っ先に評価せい。これをな、『血と汗の結晶』というのだ。先ずは努力ありき。どのような努力かというとだな、整髪剤、養毛剤、櫛、ブラシの類を生涯一度も使用しなかったことと、そして何よりも脳を正しく使ったからだ。どうよ、非常に科学的だろ。人にいちゃもんを付ける前に、あんたのまだら模様の髪、恰好悪いぞ。白か黒か、はっきりせい」と何故かのっけから、非科学的かつ喧嘩腰のぼく。加え、今時の「なんちゃらハラスメント」ぎりぎりの口上に、酔いしれる。どんな性格なんだ。 会場でいろいろな方々と話をしているうちに、この連載を読み、写真を見てくださる方が思いの外多いことに驚かされた。これについて多くは触れないが、15年間735回の連載という事実は、やはり否が応でも目に付くのだろう。個人の、いわゆるSNSではなく、公的機関の仕事なのでなおさらのことなのかも知れない。 突然、写真の話になるが、顔見知りの人たちからこんな質問をされた。曰く「ミラーレスカメラやそれ専用のレンズは確かに良いとのことだが、如何せん高価に過ぎてねぇ。かめやまさんはどの様に評価しているか?」と。具体的には、ぼくの使用しているキヤノン製カメラとレンズを指していることは明白だった。 ぼくは自分の意見を率直に述べることにした。もちろん、キヤノン製品のすべてを試したわけではないので、「ぼくの知る限り」との前提条件での話である。そしてまた、ぼくはキヤノンの “回し者” でないことをお約束しておかなければならない。 彼らによると、「メーカー御用達のような如何わしいYouTuberが跋扈している昨今、拠り所となるようなまっとうな意見を聞きたい」とのことだった。ぼくがまっとうかどうかは怪しいものだが、そう受け止められればいっそう感じるところを率直に述べなければと、ぼくは珍しく緊張した。いやはや、ぼくには荷が重い役どころだが、思うところを正直にお伝えするのも、役目のひとつと捉えた。 先般、我が倶楽部の人たちの写真を大きくプリントする作業を引き受けた。データをつぶさに点検してからのプリント作業となるが、APS - CサイズのミラーレスカメラR7、R10にレンズキットのRF-S18_150mm IS STM(ぼくは、 “我慢ならないほどの横着ズームレンズ” と称している)で撮影した画像を見て、予想外の性能に舌を巻いた。 ぼくのようなどっぷりフィルム育ちの化石人間には、曖昧さの極めて少ない画質と解像感にまずびっくり。カメラやレンズの評価には、光学的かつ物理的に解析できるもの(客観性)が存在するが、それはいざ知らず、もっと重要なことは、人間の持つ大変優れた感覚も併せて考慮しなければならないということだ。 デジタルから始めた人たちは当然のことながら、昨今の映像に何の違和感もないのだろうが、昔のあの曖昧模糊とした映像から写真を始めたぼくの目には、あまりにもくっきり、しっかり、鮮やかに、そして表情豊かに演出される静止画に、言葉を失うばかり。 それは今に始まったことではないのだが、上記したカメラとレンズで撮られた写真を目の当たりにし、少しばかり驚天動地で、慌てふためく自分を発見。以前、「今のデジタルは写りすぎる」と述べたことがあるが、いささか “力技” を駆使したような感覚をぼくに与えたものだから、ぼくは呆気に取られて、茫然自失といったところ。 結論。ここまで写してくれるのだから、昔人間のぼくには決して高くないというのが本心だ。もう少し、丁寧な説明が必要かな。それでは次号に。 https://www.amatias.com/bbs/30/736.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF100mm F2.8 L MACRO IS USM。 東京都新宿区。新宿御苑の温室。 ★「01新宿御苑」 サボテン。光りの加減で、ぼくにはくらげのように見えた。頭のなかでデフォルメした通りに画像補整。 絞りf7.1、1/100秒、ISO 500、露出補正-1.33。 ★「02新宿御苑」 花の名前音痴のぼく。花と茎の形や色合いが面白く、「しかし、絵になるかなぁ」と疑問を投げかけつつシャッターを押す。 絞りf9.0、1/100秒、ISO 1,250、露出補正ノーマル。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/04/11(金) |
第735回 : 不老不死の薬(2) |
「不老不死の薬を服用してみよう」と前号にて、何を血迷ったかそう喝破してしまったが、あれからちょうど1週間後の今日、原稿を前に(Macのキーボードを前に)してみたものの、その薬が何だったのかさっぱり思い出せない。何と不器量であることか。
きっと、先週そう記した時、咄嗟に「次回はこれを書こう」と閃いたものがあったはずなのだが、それがすっかり消え失せ、遠い彼方の地平線に沈んでいる。あまりに情けなく、ぼくは今、すっかり意気消沈している。 先週の思いつきはある種の発作のようなもので、取り敢えずの、体裁を繕うためのものだったのかも知れないと、とても落ち込んでおり、また反省もしている。老醜を晒すって、こういうことなんかいなと自分をおちょくってみたりもしている。しかし、自虐的な快感に浸っている場合ではない。そんな境地に浸ってみたいものだが、まだ残念ながらそこには至っていない。したがって、その様、痛々しい限りである。 仕方なく、嫌々ながらも前号をもう一度読み返してみたものの、やはり脳内に濃霧がかかったようで、酷く見通しが悪い。それは、武漢コロナに罹患した人が陥る(らしい)、後遺症としての「ブレイン・フォグ(脳の霧)」現象のような感じなのかも知れない。ちょうど、ファインダーの視度調整が上手く合わずに、被写体にピントがしっかり合っていないように見えるあの気持ちの悪さに酷似している。 ぼくの眼は、近視、乱視、老眼の混合体であり、いわゆる「ガチャ眼」なのだが、こんな乱雑な見え方であっても、オートフォーカスに頼らず、しっかりピン合わせができてしまうから不思議だ。眼は長年の習性でなんとかやり繰りができるが、脳味噌は然に非ずというのが悔しい。 ぼくは幸いにして、武漢コロナには罹患していないので、生活を乗っ取られるほど困難を極める霧ではない。しかし、いいたくはないのだが、誰にでも起こり得る「老化による霧」というものなのだろう。それは病ではなく、自然の摂理なので、考えようによっては救いがない。もがけばもがくほど無様を呈するので、「忘れちゃった」と大らかに、あっけらかんと、明るく白状したほうが、素直で可愛げがある。我田引水も、ここまでくれば、極めて上質だ。 今でも、自分は歳を取ってないと本気で考えているのだが、鏡や写真に写った容姿を見ると、否応なくそれが自分本位な幻想であることに気づかされる。ホントに、「がっくりする」とはこのようなことを指す。 実際の自分の姿や顔は自分では分からない(見えない)ので、「へぇ〜こんなもんなんか」と一瞬思うのだが、それはあくまで二次元世界での現象であり、時の止まった状態であるからして、現実はそうではないのだと、否定することにやっきになる。この否定は非常に正しいので、ぼくは気を執り成し、鏡や撮影者を指して、「出来損ない! 下手くそ!」と非難を浴びせる。何故か、それだけで胸のつかえが下りるから、不思議だ。 誰でもが平等に歳を取るのかについては、今のところぼくは懐疑的であるけれど、「肝心なことは、気持、つまり意欲とか精神力なんだよな」と、くどくどと言い聞かせる自分が、そこらへんにうろちょろしている。そんな滑稽な姿が、自分で見えるのだ。 そしてまた、ものを創り出す行為というのは、上手下手に関わりなく、熱心であれば非常なエネルギーを必要とし、脳の活性がないとどうにもならない。と同時に悲しいことに、写真は非常な体力を必要とする。その体力を維持し、持ち堪えるだけのものを何に頼るかということが、この議題なのだろうと、ぼくの霧も僅かに晴れてきたようにも思える。 結論など出しようもないのだが、若い頃に影響を受けたアンリ・カルティエ=ブレッソン(仏の写真家。1908 - 2004年。95歳没)は、ものの本によると、写真を撮る体力に自信が持てなくなり、好きな絵を描くことに傾注したとある。 ぼくも、もし撮影が体力的に怪しくなったら、下手の横好きというほど熱心ではないのだが、絵を描くことに興味を持っているし愛好もしているので、ブレッソンを真似るのだろうか。ブレッソンよろしく、撮影の意欲を絵画に置き換えるかといったら、それはない。 まだまだ写真の面白さを極めていないし、自分の未熟さを十二分に知っているので、体力が保たなくなるまで写真に忠義を尽くそうと決意している。写真に取り組んだ以上、さらなる先を見つめて、自身に誠実でありたいと願っている。やはり父の言葉「砂を噛み、血反吐を吐く」に従いながら、ぼくは写真への情熱をさらに掻き立て、邁進するだろう。能力のなさを知るには、まだまだ時間を必要とする。 「好きこそものの上手なれ」という諺は、アマチュアには通じても、プロには当てはまらないとぼくは確信を持っていい続けてきたが、先月から40年続けてきたプロの道からやっと足を洗えたのだから、これからは異なった意識を持って心血を注ぎつつ、良きアマチュアを目指し奮励努力あれと、発破をかけるのが今のところ最良の薬と確信している。いつか、それが実を結ぼうがそうでなかろうが、どちらでもかまわない。そのようなことに頓着しているうちは、為すものも為さぬと知るべし、である。 https://www.amatias.com/bbs/30/735.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8 L IS USM。RF100mm F2.8 L MACRO IS USM。 東京都新宿区。新宿御苑の温室。 ★「01新宿御苑」 シダ。緑色のきれいな色だが、「これはモノクロでしょ」と、撮影時からカラーはまったくイメージなし。しかしながら、植物って、面白くも美しい。 絞りf9.0、1/100秒、ISO 640、露出補正-0.33。 ★「02新宿御苑」 紅花羽衣の木。 絞りf13.0、1/100秒、ISO 3200、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/04/04(金) |
第734回 : 不老不死の薬(1) |
人類は、有史以来不老不死を願ってきた。そして、その願いを叶えるために様々な試行錯誤を飽くことなく重ねてきたらしい。人は誰でもいつかは生が絶えるということに思いが至らなかったのであろうかと、いささか不思議な気がする。あるいは、時の権力者は命を金で買えると考えていたのだろうか。権力者ばかりでなく、人々は道理より願望を優先し、誰もが真理を脇に押しのけ、より多くの、生への渇望をあからさまに示したのだろう。
医学や科学の発達した現在(現世の人間だけがそう思い込んでいるだけ)も、やはり人類は如何にして病を克服し、長寿を果たすかに一意専心。それを遂げるべくもがいているようにも思えてならない。将来は分からないが、現在のところ、人類の、この儚き夢は叶えられそうもない。そこからは、まだ遠い距離にあるようだ。 ぼくもこの頃やっとこさ(京言葉。 “ようやくのことで達した” という意)、人並みに「おれも歳を取ったんだなぁ」と感じるようになった。ちょっと厚かましいか。そして今、年甲斐もなく、日々あくせくとし、なかなか思うように事が任せず、イライラが高じるばかり。この精神的イライラは、心身ともに非常な害悪をもたらす。まさに、非不老長寿薬、もしくは疫病促進剤そのものとなる。 今や仕事からの開放を果たしたのだから、これからは自由気ままに写真を撮りたいとの思いは募る一方なのだが、どうにも時間のやり繰りがままならず、大変なストレスとなっている。 誰にも忖度することなく、写真を撮れるようになったのにとの思いが、さらに輪を掛けている。思い通りの行動(撮影)が取れぬことへの苛立ちが、餅のように膨れ上がるばかりだ。この一ヶ月は何か得体の知れぬものに付きまとわれ、そして追いかけられ、それが強迫観念に変わりつつあるのだから、極めて居心地が悪い。ここ数日の、胃のもたれと鈍痛はきっとそのせいだろう。 何事にも鷹揚で、のんびり屋のぼくがそんな状況に追い込まれているのだから、推して知るべし。相当に精神が衰弱している。 最近、体力の衰えは精神の衰えに呼応するのではないかとの恐れを抱いている。「生きる」とは、その両輪あってこそのものという不都合な実相が、ぼくを少しずつ浸食し始めているようにも思える。それがために、今の情緒不安定を招いているに違いない。 気力はまだ衰えていないどころか、贔屓目に「老いてますます壮(さかん)なり」なのだが、体力については大きな影がぼくを覆い、潰しにかかっているとの妄想に囚われている。いや、妄想ではなく、蓋然というべきか。 一昨年、仕事がてらということもあったのだが、神戸で仕事を無事終え、その後、撮影のために4泊5日の旅程を組んだところ、最終日前日の飛騨金山町でぼくはついに油ぎれとなり、1日早い帰京を余儀なくされたことは、すでに拙稿で述べた通り。まさに、足を引きずるように、這々の体で帰宅したものだ。最寄りの駅から10分ほどの自宅まで、歩くことさえ難儀で、タクシーに乗ってしまったくらいだ。何たることか。 昨年の4泊5日の旅は、写真好きの振りをしながら、その実、酒と食い物ばかりに執着する変質的かつ “けったいな” (関西方言。非常に複雑で多岐にわたるニュアンスを含んだ言葉で、ここでは「突き抜けている人」とか「非凡人であるがためにそれなりの魅力を湛えた人」との意)友人たちが、途中から合流したがために、気が紛れ、ジジィの醜態を見せてはいかんとの意地も相まって、なんとか日程通り無事に帰京し、ぼくはしっかりと恰好を付けた。 ただ富山駅終着の列車に気がつかず、すまし顔で座っていたら、「終点ですよ」と車掌さんに追い払われ、とんだ赤っ恥。これも、老いの成せる業か。 今年は、5月に4泊5日、6月に5泊6日のささやかな旅に出て、撮影に励むつもりでいるのだが、一昨年と昨年を思い返すと不安ばかりが頭をよぎる。新調したレンズの、たかだか200gの重量増に、恨み節ばかりが口を衝いて出るくらいだから、我が身が思いやられる。ぼくは疲労困憊となり、道路の縁石にへたり込み、思わぬ醜態を演じている図が目に見えるくらいだ。いや、今からこんな暗示にかかってはいけない。 だが、この恐れは、ぼくの感覚からすると、きっと70歳を越えてからでないと感じ取れないのではないだろうか。同輩たち(中学時代の同窓生)が異口同音にいうのだから、間違いのないところだ。 この同輩たちと、17年前に軽井沢の万平ホテルで還暦(60歳)祝いをしたことがあった。ぼくはこの由緒あるホテルの撮影を20年以上していたこともあって、篤いもてなしを受けた。 還暦を迎えたぼくは本気で、「男の平均寿命は80歳くらいらしいが、この調子でいくと、おれは間違いなく150歳までは絶対に生きるに違いない」と、大真面目で語った記憶がある。ぼくの意見に、「冗談ではあろうが、あながちそうともいえないとの感触はある」との見解を示す者も現れ、ぼくは意を強くしたものだ。つまり、歳を取ることによるどのような衰えも、またそれによる不具合も、還暦如きでは理解し得ないということになろう。つまり、長寿の現代社会にあって、衰えや死に対する諦観は、60歳代ではまだ持ち得ないということだ。 次号までに、不老不死の薬を服用してみよう。その効力が現れればいいのだが。 https://www.amatias.com/bbs/30/734.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 東京都新宿区。新宿御苑の温室。 ★「01新宿御苑」 友人に誘われての新宿御苑。温室に潜り込むと、撮りたいものが直ちに現れるので、被写体を渉猟する手間が省け、大いに捗る。 絞りf4.5、1/80秒、ISO 250、露出補正-1.00。 ★「02新宿御苑」 色合い(彩度と明度)を3種試みたが、それらを並べると、その中間を取りたがるのは、人間の性らしい。 絞りf11.0、1/80秒、ISO 2000、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/03/28(金) |
第733回 : 消え去る悪夢 |
既に述べたことの繰り返しで恐縮だが、コマーシャル写真からやっとのことで引退を決意し、現在それをどうにかこうにか遂行しつつある。20年来の願いを今やっと叶えつつあるのだが、いつ魔の手が忍び寄ってくるか分からず、少し大仰にいうと、戦々恐々としている。
だが一方で、取り敢えずは、鬱に近くもどこか晴れがましい気分でもある。雲のまにまに青空がちらりとのぞくようなものだ。今は、両気分が入り混じり、どちらを向いても隔靴掻痒の感ありで、精神の支えどころがイマイチだ。「雨降って地固まる」というが、雨が長すぎた分、地が固まるのも時間がかかると考えたほうが道理に適い、またぼくらしくもあり、気楽でいい。 今のところ魔の手に対抗し得る活力と意志を保持しているような気分でいるのだが、気をしっかり持たなければと自分を励ます日々が続いている。これまたしんどいことだが、気の良いぼくは、現在の不安定な状態が一過性のものであって欲しいと願うばかり。決意とはいうものの、何事に於いても、「元の木阿弥」というのが最も質が悪く、また堪え難いものだ。そうはなりたくない。 さらにまったくの私事となってしまうのだが、何故ぼくが「20年」に拘ったかというと、生前の父は消化しきれぬほどの仕事を抱え(仕事の途切れる合間がなかった)、そして追われ、まさにのた打ちながらそこから脱却するための歩みをやっとのことで踏み出そうとした矢先、心臓の病に襲われ、風呂場で急死した。齢57と、若すぎる死だった。 ぼくは今年77歳になり、父よりちょうど20年も余計に生きたことになる。父の生き様を思えば、ぼくなど、ほけ〜っと(おそらく佐賀県の方言。「ぼや〜っと」。「ぼんやり」。「惚ける」、というニュアンスか)生きてきた。 父の背中を見ていたぼくも57歳の時に、コマーシャル写真から離れ、何にも拘束されずに写真を撮りたいとの願望に駆られた。以下は、繰り返し記しておかなければならないのだが、あくまで自分の得心する写真を撮るということであって、他人の評価は一顧だにしない。 所謂「写真作家」などと自称する人がいるが、ぼくはその大胆さと恐ろしさにただ呆れるばかり。それは他人が決めることであって、自らそう名乗る人はよほど精神が幼稚か、無邪気を通り越して頑是無いのであろう。 また同時に、「作品」の品位とは常に金銭欲や名誉欲とは対極に位置し、決して相容れるものではない。そうでなくてはならないとの信念を、ぼくは若い頃から持っている。そのような俗念に囚われたり、執着すると品位を失う恐れがあるように思う。 今後の写真を生活の糧にするのではなく、年に1枚、欲張って2枚ほどの良い写真が撮れれば万々歳。その1枚がなかなか撮れないのだから、あと何年写真に係わっていられるか分からないが、それにすがるのも良い生き方なのではないだろうかと思っている。しんどいだけに、精神が高揚し、刺激も受けられる。 仕事を引き受けることは活力を生むが、断るのは苦痛と多大なエネルギーを必要とする。お人好しのぼくが “お断り” に耐え得るか、甚だ怪しい。 というのは、可能性は低いが、かつて体験したように、重文や国宝に指定された仏像や絵画の撮影依頼があれば、ぼくは到底抗しきれないだろう、と予防線を張っておく。ぼくにとって、それらは至高の美であるからして、「死ぬまでにこの目でじっくりその美を観賞し、そこで得た五感を、自分の手で写し取ってみたい」との思いが強い。この誘惑には勝ちがたい。その様、嬉ションの如し、であまり恰好良くないが、ぼくは嬉々として犬になるだろう。 今、自身の写真に正面から向き合う機会を得たことは、精神に多大な変革をもたらすであろうことは容易に想像できた。そして、現在ぼくは大きな変容を遂げたような気がしている。撮影現場での悪夢を、きれいさっぱり見なくなったのだ。なんとゲンキンな奴であることか。 「あ〜っ、夢で良かった!」と、跳ね起きることがもう1ヶ月以上もないのである。以前、週に1度は必ず悪夢にうなされたものだ。ロケ現場で、「フィルムがない」、「機材が足りない」、「必要なフィルムを売っていない」、「現場に行き着けない」、「レンズがない」、「どうやっても上手い具合にライティングができない」などなど、あげれば切りがない。 40年前までは、学校での試験の夢だった。1週間に1度という頻度ではなかったが、半年に1度くらいはうなされたものだ。試験科目を忘れたり、試験範囲を間違っていたり、さっぱり解答できなかったり。ぼくは、いつも勉強をさぼっていたので、そのような夢に悩まされるのは当然のこととして認めていたが、写真はそうでもない。 いつも上手く撮れたわけではないが、少なくとも学業にくらべれば、何倍も、何十倍も真面目で熱心だった。勉強もしたつもりだ。だが、学校での勉学にくらべ、写真の悪夢が1週間に1度とはまったく間尺に合わないではないか。 ややもすれば、ぼくは今後、もう写真の夢で悩まされることはないのではないかと思われる。苦渋に満ちたあの夢から解放されることになろうとは(まだ決まったわけではないのだが)、まったくの想定外だった。後光が差すとは、こういうことをいうのだと感じ入っている。人生の晩年にあって「後光が差す」とは、なんとありがたいことか。 だが、この後光について、「あなたは、写真は下手くそだが、真摯に向き合ってきたことの褒美だ」とは誰もいってくれない。200gの差を重い、重いと文句をいっているうちはまだダメだね。そんな根性なしに、ホントの後光は差してくれないのだろう。 https://www.amatias.com/bbs/30/733.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 東京都新宿区。新宿御苑の温室。 ★「01新宿御苑」 何年ぶりかの新宿御苑。コロナ禍が終息して以来の草木の撮影だった。温室に入る心積もりはなかったので、マクロレンズは持参せずだったが、久しぶりの草花の撮影に気を吐く。 絞りf5.0、1/80秒、ISO 320、露出補正-1.00。 ★「02新宿御苑」 撮影前からモノクロをイメージ。カラー(原画)はきれいだが、冗舌すぎるので、この写真はやはりモノクロが正解だった。いずれの葉も、名が知れず。 絞りf10.0、1/80秒、ISO 640、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/03/21(金) |
第732回 : 晴れて写真 |
こんにちまで(厳密には今年2月末まで)コマーシャルの写真屋として40年間を過ごしてきたことは拙稿ですでに述べたが、それは長いようでいて、あっという間のことだった。人生何年かは知らぬが、40年などあっという間のことだった。
だがその間、ありがたいことに、写真のお陰で滅多にできぬ体験を数多くできたり、多方向に考えを巡らすことができたりと、充実した40年を送ることができた。このことは、心身ともに辛さと重圧で満たされたが故の充実である。 充実というのは、身を削らなければ得られぬものだ。「砂を噛み、血反吐を吐いて、気を逆立てろ。それができぬ人間は、ものづくりなどすべきではない」とは、亡父の忘れがたくも、ありがたい言葉だ。だがここでぼくは父の口まねで返しておく。「ばってん、ぼくはちかっぱじゃなかの、そげんこつばしきらんちゃ(だがぼくは、とてもじゃないが、そんなことはできないよ)」。 40年間、国内はもとより、海外の、まったくの異文化に触れ、多くの異人種と屈託なく接することができたことは精神的に大きな財産となったような気がしている。ぼくの人格に影響を与えたかどうかは定かでないが、物事への理解と、多少は識見の範疇が広がったようには感じている。 ぼくのような人間でさえ、幾ばくかの利得に与ったと考えたほうが、多くの事柄やそこで交遊した人たちに失礼がない。ならば、「ぼくはそこで精神の支柱を得たような気がしている」と置き換えるのもアリかも。 家族には申し訳ないと思うことがあるが、ぼくの仕事はそういったものだと、がんまち(京言葉。がむしゃらで我の強いこと。コトバンクでは、無遠慮で利己心が強いさま。自分勝手、とある)を通してきた。だが、本心をいえばそれとは裏腹に、「身を縮めてばかり」だ。 嬶(かかあ)も子供たちも、ぼくにはまったく無遠慮に、鋭くも突き刺さるような毒矢を、遠慮なく吹いてくるのだ。しかも、予期せぬところから矢が飛んでくるのだから、気の休まる暇がない。 今から20年ほど前、京生まれ京育ちの、未接触部族の女酋長のような嬶は歳を取るに従い少しずつ軟化を始め、恐ろしい子供たちも何とか独立し、その時ぼくはやっとのことでコマーシャルの写真屋から足を洗うことができると思ったのだが、以降20年もその椅子に座り続けてしまった。どうにも辞めることができずにいたその時間はもう戻ってこないが、そうであればそれを肥やしにするのが、人間の知恵というものだ。これからのぼくは、知恵が試されるのだと思うと、少し気が重たい。「やれやれ」と毎日吐息と嘆息を漏らしているのだが、「虫の息」にならぬようにと気を配るばかり。 だが今は、離職による生活意識の変化に対応できておらず、晴れ晴れどころか鬱へ向かう自分を感じている。これは手強く、始末に負えぬものだ。良策は、写真の出来不出来に頓着せず、撮ることに意識を向けることなのかなぁと、薄々感じている。「薄々」というところが、何とも頼りなくも情けない。 ただ救いは、写真の出来映えについて、ぼくは他人の目をまるきり意識しないことだ。ぼくにとって、私的な写真は慈善事業ではないのだから、ただひたすら自分がイメージしたものを印画紙上に描けばそれで事済む。他人の目や気を窺いながら写真を撮っている限り、何も写らないし、また時としてあざとさが宿るだけだ。であれば、所謂 “インスタ映え” を意識した写真のほうが表面的で屈託がなく、あっけらかんとして、深味がない分嫌味もない。他人の目を意識すればするほど、作品というものは浅薄さを増すものだ。 ぼくがこの20年間ぐずついていた他の理由としては、本来の優柔不断は否めないが、それより、写真屋としては異例に遅い出発だっただけに、多くの人々からいっそうの手助けを受けたことにある。現在、そのほとんどの方が撮影現場からは離れ、あるいはすでに現役を退かれているが、何れにせよその恩義にはいつか報いなければならない。ぼくは、そんな強迫観念のようなものに怯えている。 どうにかこんにちまで写真屋として生き延びてこられたのだから、育ててもらった恩を無下にすることはできないとの思いが常に頭をもたげている。そんなこともあってか、お陰様で仕事が途絶えることはなかったのだが、時と場合によって、それが仇をなすことがあるのだから、生きるというのは誠に容易ならざることだ。歳を重ねて、難題を抱えることが多くなったような気がするのは、ぼくだけだろうか? 同僚たちを眺めていると、1日でも長く健康でいようと、そればかりに注力しているように思える。「毎朝ラジオ体操に行っている」とか「スクワットをしている」とか、よくもまぁ、そんな小っ恥ずかしいことを臆面もなく年賀状に書き連ねてくるものだと、感心しきりである。たとえそうであっても、「おくびにも出さず」という美学はないのかよと、ぼくも毒矢の1本くらいは吹いてやりたい気持になる。 気を取り直して、今やっとぼくは仕事から解き放たれ、何にも拘束されず、自身の思うがままの写真を撮って良いのだと思い始めた。伸び伸び写真を撮ることを享受しても良いのではないかと考えているのだが、これは今までのような頼まれ写真ではないので、未だ勝手が掴めない。写真がさらに難しくなるのだろう。 本連載に掲載させていただいている写真は、今までもまったくの私的写真であることに変わりはないのだが、生活意識の変化により、写真も良い方向に変化していけばと願う。読者のみなさんから、「ちょっとだけ写真が変わってきたかも」といわれれば本望である。 https://www.amatias.com/bbs/30/732.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 埼玉県川越市。栃木県栃木市。 ★「01川越市」 ショーウィンドウに一見木づくりの鳩(?)を見つけた。鳩の嫌いなぼくが、可愛いと思ったのだから、鳩ではないね。鳩はこんなにくちばしが長くないか。滅多に絞り開放など使わないぼくが、仕事写真を脱し、何の躊躇もせず使う。ゲンキンなものだ。とても良い気分。ちょっと悟りの境地? 絞りf2.8、1/250秒、ISO 100、露出補正-1.00。 ★「02栃木市」 栃木市を訪問するたびに、今まで何十枚も撮ったが、1枚も撮れたためしがない。今回やっとそれらしく撮れたような気が。しかし、満点ではなく、「辛うじての及第点」。専門家である友人によると、この建物はかなりの上物で、大工の真似事ではなく、ちゃんとデザインされたものだとのこと。廃業で寂しい限り。取り壊されなければいいのだけれど。撮るなら今のうち。 絞りf8.0、1/25秒、ISO 100、露出補正-0.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/03/14(金) |
第731回 : 寄せられた苦情 |
写真好きの友人から、拙稿についての苦情めいたものが遠方は九州より届いた。ぼくより50も歳の異なる女性(年上ではない)からのものなので、より慎重に、丁寧に、分かりやすく返答しなければとの義務感、いや責任感に駆られた。ぼくの知る彼女の写真は、繊細で隅々まで気の配られた上品なもので、今まで何度も感心させられたことがある。
いつもなら、たとえば我が倶楽部の面々からの質問であれば、冗談8分、本気2分の、半ば乱心状態でぼくは「しっかり読み取れ!」と返すのだが、今回ばかりは事がレンズと写真についてであり、返答をする前に、何をどう説明すれば混乱を招かず、十分な理解が得られるかを、本気で考えなければならなかった。ぼくにしてみれば、殊勝にも身構えた、というわけである。申し添えておかねばならぬことは、彼女が若い女性であるから、では断じてない。 50歳年下の彼女は、出会った当初から極めて明晰な頭脳の持ち主であることをぼくはよく知っている。それを考慮しながら、ぼくの説明はどのようなものであればいいのかとの考えが一瞬頭をよぎったのだが、それは不埒な考えであることに気づいた。相手がどうであれ、肝心なことは、ぼくが誰に対しても理解と納得のいく説明ができるかということにある。 ただし、同じ説明をしても、それを消化できる人とそうでない人がいる。それは世の常であり、致し方のないことなのだが、ここでもぼくは殊勝であることを心がけようとしていた。ぼくは、もうすっかり気弱な老人となっている。 多少上記の論点とは異なるが、対峙する人によって己の態度を変えることは、最も下卑た仕草であり、それを侮蔑というのだとぼくは決めつけている。長年生きてきて、ぼくはそのような手合いとたびたび出会っている。実に悲しくも、忌むべき人々である。 ぼくの頭脳は歳とともに最近富みに糜爛(びらん。ただれること)気味であるけれど、このようなことを憚りなくいうエネルギーを保っているということは、そう捨てたものでもない。気弱だといったり、まだ捨てたものではないといったり、ぼくはけっこう忙しい。 幸いにも我が倶楽部には、現在19歳になる大学1年生が在籍している。このことは既に、「第690回:ルーキー現る」に述べたが、彼のお陰で、ぼくは一応の指導者もどきを、危ういながらも、何とかこなしている。特段、58年の年齢差を考えたり、表立って意識したことはないが、今のところ「歳の差など大した問題ではない」という考えに至っている。それはきっと「写真」という同じ土俵に両者が立っているということが大きな要素となっているからだろう。この「土俵」では常に誰もが対等であり、それは互いの敬意と尊重で成り立っている。おそらく、ぼくばかりでなく他の面々も同じような感覚と意識を有しているに違いない。 さて、肝心の苦情めいた事柄の内容なのだが、要約すると、「かめやまさんの新調したレンズに私は興味津々なのだが、それには一切触れられていない。レンズの性能や買い換えた理由が知りたいのに、 “意地悪ばして、知らんぷりなんね” (ダブルクォーテイション部は本文のまま)」なのだそうだ。 ぼくが、拙稿で述べたことは、「性能を見越して、このレンズを選択したわけではない」ということだ。では、何故なのかを知りたいのだろう。 もう何年も前に記載したと記憶するが、ぼくのズームレンズの基本的な使い方は、被写体をファインダーで覗きながら、ズーミングで遠ざけたり、近づけたりは決してしない。始めから焦点距離を固定し、ファインダーを覗き、被写体のアングルなどに狂いが生じていれば、もっぱら自分が動いて調整する。つまり、自分は動かずに、ズームレンズをジコジコと動かしたりはしない。ズーミングをする時は、あくまで微調整であったり、立ち位置を変えられない時に限る。もしかしたら、これは単焦点レンズで育ってきた人間のありがたい特質なのかも知れない。 焦点距離によって、遠近感、解像度、歪曲収差などの諸収差、背景の描写などが変化するので、あらかじめ焦点距離による描写の違いを把握し、固定しておきなさいということだ。 とはいえ、昨今はズーム全盛で、ぼくが若い頃に試したズームレンズとは、性能的に隔世の感がある。昔話を今ここですることはしないが、性能面だけを取り上げるのであれば、現在は単焦点レンズに勝るとも劣らずといったものが多々ある。今回の1本もそのうちのひとつであろう。今まで使用してきた、24~105mmも優れたレンズであり、特別の不満があったわけではなく、仕事での使用も非常に重宝したものだ。 さて、ここからが本題なのだが、ぼくが24〜70mmに乗り換えた理由は、「ズーム範囲が短い」というのが唯一の理由だ。これだけで身軽になったように感じるから、何と不思議。レンズの解放f値もf 4.0からf 2.8と1絞り明るくなったが、ぼくには関係なし。ボケの違いも、やはり関係なし。と、ぼくの答は、味も素っ気もなし。 “なしづくし” でつまらないね。 2本のレンズを同条件でテストすることも、テスト魔の名が廃るくらい、何もしていない。新調のレンズは、さすがに仕事では使用していないが、私的な写真はぶっつけ本番だった。性能には頓着していないと拙話で述べたが、それは偽りのないところだ。 ズーム域が狭くなったので(105mmから70mm)、その分気分が軽やかになったと前述したが、しかし、ぼくは200gの差を甘く見積もり過ぎていた。ずっしりと身にこたえるではないか。たかが200gである。身体が衰えたのではなく、根性が足りないのだ、とぼくは遠方からのあらぬ苦情やいじめと闘いながら、200gとともに、老後に立ち向かおうと覚悟を決めている。「努力」より上位に位置するものは、「覚悟」であるとの持論に従おうと思っている。 https://www.amatias.com/bbs/30/731.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 埼玉県川越市。 ★「01川越市」 工事現場で休息していた人の良いセネガル人に、「そのカメラは高いの?」と訊ねられ、久しぶりに英会話を愉しむ。 絞りf5.6、1/160秒、ISO 800、露出補正-0.67。 ★「02川越市」 ロータス・ケーターハム?(間違いでしたら、すいません)。店内に展示されていたのを、ガラス越しに。今から半世紀ほど昔に、同系列のモーガンを試乗したことがあり、懐かしさも相まって。2枚ともモノクロ。 絞りf4.0、1/100秒、ISO 400、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/03/07(金) |
第730回 : 千里の道も一歩から |
年一度の国際的な催し物の時期(6月)がもうすぐやって来る。ぼくは分不相応ながらもその審査員を毎年仰せ付かっており、来月には作品(写真や絵画)のコピーやデータがどっと送られてくる。「ほんにえらいこっちゃ」と思いつつ、それに携わる時間をしっかり確保しなければならず、多少の精神的圧力を感じている。かなりの重労働なのだが、5年も続けていれば他の審査員の方々とも気心が知れ、また彼らのお人柄がぼくは好きなので、勇んでこの仕事に従事させていただいている。
ぼくの道義に従い、その展示会の固有名詞はここに記せないが、今年も授賞式のため、神戸に赴くことになっている。ぼくにとっては、年に数少ない新幹線利用なので、今からあの異次元とも思える車窓風景を想像し、浮き浮きしている。 もし、あの感覚に馴れ、感動が薄れるようであれば、写真など辞めちまえと思っている。ちょっと格好を付けていうならば、「童心にかえる」ことができる瞬間だ。それほどぼくは、自走より遙かに速い鉄道や他の乗り物に様々な思い入れがある。それらは、ぼくを「夢見心地」にさせてくれる。 ぼくの鉄道好きの “ほど” は、拙稿2022/09/11 「晴れて鉄道博物館」(1)から2023/02/10 までの20回にわたり、連載させていただいた。 この催し物の審査を任命されて今年で5年目となるが、写真や絵画に限らず、結果が点数(数字)で表せないものの優劣を取り沙汰することに、ぼくは昔から大きな疑念を抱いてきた。だが世の常として、それを容認し、けじめを付けないと事が上手く運ばないという、謂わばどうにも不可解で不条理なことが進行してしまう。そしてまた、人は優劣を競うことに血道を上げる愚を好むので、なおさらである。真・善・美などの普遍的な絶対的価値に順位など存在するのだろうかとの疑問にも襲われる。ぼくが、疎いだけなのだろうか? この仕事をお引き受けしている一番大きな理由は、他の審査員の考えや物の見方といった貴重なものを、こっそり、時には大っぴらにいただけることにある。 ぼくは何故か最年長者(残念ながら)だが、彼らに学ぶところ極めて多く、有意義な時間を過ごすことができるのも理由のひとつである。他人が背負ってきたものを尊重しようとの心があちらこちらに垣間見え、大切なこととはどのようなものなのかを教えてくれる。そのような人たちとともに仕事をする意義と価値は、新幹線に劣らぬものがある。彼らはぼくにとって希有な人たちともいえるのだ。 この催し物では、面識のない人々の作品評価をすることにあり、感情移入がないとはいえ、しかしそれに順位を付けるというのは、とてつもない狼藉である。実に、はしたなくも横暴な仕業であると自覚している。良心の呵責を感じる時でもある。 いうまでもなく、「我、それに関せず」を貫きたいのは明々白々なのだが、それを押し止めるものがあるとするなら、前述したことの他に、「ぼくはこの世界で長年食わせてもらってきた。したがって、どこかで体験上得たものを少しでも還元すべきではないか。プロのささやかな晩年はそうあっても良いのではないか」と、あれこれの義務感らしきものに動かされているのだろう。たまには、どこかで殊勝な振りをすることも必要だ。なにしろ、家族全員からぼくは「頑固ジジィの困り者」と扱き下ろされているのは事実であり、他人は面と向かって、ぼくには言えぬだけかも知れない。ここのところ、よ〜く考えてみなければならない。 面識のある人たち、たとえば月一度集う我が倶楽部の面々の写真評についてはさらに難しい面がある。倶楽部の事始めが自ら進んでのことではなかったので、いろいろ心の準備ができぬまま、ずるずると済し崩しに変容し、その状態がこんにちまで続いているのは、全体どういうことなんだろうと考え込んでしまう。 だが、このようなことを20年以上も続けているうちに気のついたことは、「千里の道も一歩から」とか「努力に勝る天才なし」というが、それを示すようなメンバーの姿を目の当たりにできたことであり、それは我ながらまさに青天の霹靂といっていい。 ひとつの物事を成すに、20年かかるかどうかは人それぞれであり、ぼくには判断しかねるが、確かなことは、「趣味を極めるにあたって、 “遅すぎる” ということは決してない」ということだ。何とか恰好がつくまで(自身の作風を作り上げるまで。つまり個性の確立という意味であり、他人の評価ではない)、人の命は尽きぬものと思わせるのが、創造の危うさであり、凄さでもあり、またそれは救いの主にもなり得る。 ぼくは以前から、自身を「無信心者」といって憚らなかったし、今もそう思っているが、「創造神」とか「造化の神」というのは、いつも心のなかに宿り、ぼくの一挙手一投足(ぼくの場合は、写真がその典型を成すが)を、母親のように見守っているような気がしている。写真が、心の移ろいを表しているのだと言い聞かせているようにも思える。 https://www.amatias.com/bbs/30/730.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 埼玉県川越市。 ★「01川越市」 川越名物の人力車。ほとんどRawデータのままの無補整。 絞りf8.0、1/160秒、ISO 800、露出補正-0.67。 ★「02川越市」 ショーウィンドウに吊された洋服。 絞りf3.2、1/125秒、ISO 125、露出補正ノーマル。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/02/28(金) |
第729回 : 老兵は死なず・・・ |
昭和を知らない若い人から、「昭和は良い時代だったと聞くことがありますが、実際にはどうだったんですか?」と真顔で訊ねられることがたまにある。率直かつ丁寧に答えようとすればするほど、ぼくは窮する。誠に頼りないジジィを露呈してしまう。
昭和といっても、戦前(昭和20年以前)と戦後に大別され、ぼくは戦後生まれなので、それ以前の空気を知らない。戦前を過ごした人々の言葉の端々や書物から想像するより手がないのだが、戦争という悲惨な時期を過ごした先輩方が多くを語ろうとしないのは、きっと人間の本能がそうさせるのであろうとぼくは感じている。戦争が幸福であるはずがないからだ。 昭和は64年もの間、日本の元号で最も長く続いたとのことだ。ぼくは昭和23年の生まれなので、41年間を過ごしたことになる。ただ、幼少期はまだ戦争の灰汁(あく)のようなものが随所に漂っており、特に京都では見かけなかったものが、埼玉に来てからは防空壕や鉄砲の弾、闇米を運ぶ人々、傷痍(しょうい)軍人などをよく見かけたものだ。戦後十年ほどは、まだ硝煙の匂いが所々に漂っており、それを肌で感じた時代でもあった。 また、父に連れられて皇居周辺をよく歩いたが(父の勤務先があった)、芝生には多くの米兵が寝そべり、横を通ると笑顔でチューインガム(Wikiによると、「外地へ出征したアメリカ軍将兵が現地での物々交換やプレゼントに使った」とある)をくれたものだ。ぼくの戦争の記憶(といってもその残滓だが)は、高々そのくらいのものでしかない。 若い人は、ぼくの風体からして、「この年老いたおっさんは、人生の大半を昭和で過ごしてきたに違いない」と見立てるのだろう。昭和といっても先述したように、戦前と戦後に大別されるので、一概には語れない。 戦後生まれのぼくにとっては、「どちらかといえば、良い時代だったように感じる」とか「今にくらべれば、明らかに昭和は肩の凝らない良い時代であり、明日への希望に満ちていた」というのが正直な感想である。 善悪相まみえるのは世の常だが、良い意味でいい加減であり、また何事に於いても寛容だったことは、ぼく自身が体感していることでもある。 倫理的善悪観がどのように実践的に関わっていたかについては、ここで問うものではない。 ここでの “良い” をどのように解釈するかを書き出すと、始末に負えぬこととなるのは自明なので、直接には触れずにおくが、ぼくが出版社に就職した当時は、高度経済成長の真っ只中であり、「昨日より今日、今日より明日はさらに良くなる」との気運に満ちていたことは確かだ。故に、人心もそれに伴って、穏やかで豊かだったように思う。 そんな時代を経てきた者には、昨今の、あまりにもヒステリックで、病的とも思える、所謂「コンプライアンス」とか「○○ハラスメント」などの話を聞くにつれ、ぼくは寒々とした思いに囚われる。自分たちで自分たちの首を絞めている厳然たる事実に、ぼくはただ茫然とするばかりだ。心の病が多発するのは、必然的社会現象であろう。「良心に従って」という言葉はもはや死語なのだろうか? 拙稿が「写真よもやま話」であることは重々承知なのだが、要らんことばかり書き連ねるのはいつものことで、どうぞご容赦のほどを。 さて、30数年ぶりに訪れた銀座の奥野ビルは、昭和7年(1932年)に竣工され、2年後に新館とされるビルが付設された。つまり奥野ビル(当時の呼称「銀座アパートメント」)は、ふたつの建物がピタリと連結しており、当時としてはまだ珍しかった鉄筋づくりで、エレベーター(手動開閉式。ヨーロッパでいうところの “リフト” か)を備え付けた銀座ならではの高級アパートだった。現在は、規模の小さなギャラリーや個人の事務所などが主なテナントであり、如何にも昭和レトロな雰囲気に満たされている。 さすがに階段や廊下は薄暗いが、新調のレンズが暗所でどのような立ち居振る舞いを示してくれるのかを知るためには、結果として良い実験場だった。読者のみなさんが掲載写真でそれを窺うにはあまりにも無謀であり、ぼくのほうも、怖めず臆せずといったところだ。 というのは、実画像は長辺が6,000pix だが、掲載写真は僅か800pixなので、レンズの性能や性格の測りようがない。したがって、このレンズについての所感を述べることはしないし、未だ1,000枚近くの写真で、何をか言わんやである。ぼくは、YouTuber諸氏のような慧眼や深い洞察力の持ち主ではないので、このレンズについて軽々に論じるべきではないと思っている。 前回でも述べたが、性能を見越してこのレンズを選択したわけではないので、なおさらである。ただ、「やっぱり老体には重いなぁ」が、一番の感想である。手ブレ補正機能なんぞ付けてくれなくても良い。その分軽量化してくれればありがたいのに、との思いはいつまで続くのだろう。慣れという御利益に与ることがあればいいのにと願う。いや、願うばかりでは打ち勝てず、重さに耐えながらも順応しようと努力するのが尊い写真屋のあるべき姿だ。あっ、ぼくは一昨日の撮影を最後に、すでに商売人としての写真屋を辞めたのだった。 「老兵は死なず、消え去るのみ」(イギリス陸軍のゴスペル歌の一節。ダグラス・マッカーサー(1880~1964年)の退任演説で有名となった)の、ぼくなりの正しい解釈は、「仕事をやり遂げたので引退するが、老いてもまだまだ写真は撮る」といったところか。 https://www.amatias.com/bbs/30/729.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 東京都中央区銀座。奥野ビル、旧名「銀座アパートメント」。 ★「01銀座」 個展会場を間違え、階段を上ったり下りたり。ついでに、レンズをあっちこっちに向けてテスト。本館から新館を覗き見る。おおよそ “インスタ映え” しない写真を撮る自分を褒める。 絞りf5.6、1/25秒、ISO 2,000、露出補正-1.33。 ★「02銀座」 シャドウを補整上潰してもいいから(原画は潰れていない)、ハイライトを優先し、建築の構成と光りを頼りに、より立体感を。 絞りf5.6、1/25秒、ISO 2,000、露出補正-0.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2025/02/21(金) |
第728回 : 40年の仕事を終える |
この10日間近く、優柔不断のぼくは、あることに悩まされていた。今日この原稿を認める頃には決着をつけているのだろうが、物事にはすべて “潮時”というものがある。
“潮時” とはどのような意味で、どのような時に使用するのかを、何冊かの辞書を繰りながら調べてみたのだが、そこに新たな発見はなく、従来から誰もが心得ていること以外のものは見つからなかった。 この言葉の意味や使い方にぼくが悩まされているのではなく、写真業からの、自身の “身の引き方” について、先日来、頭を痛めていたのである。戦争と同じく、始めるのは容易いことだが、止める(撤退)のは、非常な困難を伴うのと似ている。何もここで、喩えとして戦争を持ち出さなくてもよいのだが、引き際というのは、自身の都合だけで決められるものではなく、斯様に難しいものだ。 “潮時” といったが、世間で案外誤解されていると思えるのは、「物事の終わり」や「やめ時」だけを示唆する時に使われる言葉であるように見なされていることだ。往々にして、そのような時だけに使用されると思われている節があるが、それに限定するのは間違いであることくらいはぼくだって知っている。けれど、ぼくをも含めて、そのような、ちょっとした勘違いに人々は案外気づかぬことがある。 ぼくより何倍も多く読書を嗜んでいる身近な人間が、「おかしい、おかしい」とさかんに首を傾げていた。「どうしたの?」と訊いたら、「『原因』という言葉がこの辞書には載ってないんだ」と狼狽えていた。彼は、「原因」の発音を20年近く「げんいん」ではなく、「げいいん」と思い込んでいたのだった。何を隠そう、その読書家はぼくの息子なのだが、ぼくはその現象にたまげはしたが、笑うに笑えなかった。人は誰でもそのような、たわいない間違えをするものだからだ。ぼくだって、始終している。 「潮時」とは、「物事をするのにちょうどよい時」(大辞林)、「あることをするための、ちょうどよい時期。好機。時期」(広辞苑)とある。あるいは、「物事を始めたり終えたりするのに、適当な時期」(大辞泉)ともある。作例として、「そろそろ引退の潮時だ」(明鏡国語辞典)、「今が潮時と辞任する」(三省堂国語辞典)といったものも示されている。要約すれば、「やめる」(止める。辞める)時に使用するのは間違いではないが、 “潮時” はそれに限定される訳でないということだ。 ちょっとくどくどと言い過ぎたが、ぼくはここ10日間ほど、自身の、写真屋からの撤退伺いを、今は亡き、心より師事してきた人たちに立ててみたのである。この歳になってさえも、ぼくにはかつて人生の師と仰いだ故人たちが身の回りをうろちょろと徘徊しているのだった。とはいえ、人生相談とはいいつつも、それは自分の気持ちや心の確認作業を経るためのエクスキューズに過ぎないのだが、それでも心の拠り所というものを求めたくなることもあるようだ。 しかし、残念ながらぼくには天からの声を察知したり、聞き取ることはできなかった。ただ、亡父の声だけがかすかに頭のなかで低く反響していた。「そげなことは他人に頼らず、自分で決めれ。いつまで経ってん、おまえはいかんの」っち佐賀弁で言いよる。 ぼくはこれ幸いと父の声に全責任をおっかぶせようと、「来週早々ん撮影ばケツ(最後)に、40年ん写真業に終止符ば打つ!」と、ぼくも佐賀弁で啖呵を切った。見得を切った以上、もう後戻りできないような状況に追い込むのが賢明というものだ。 ただ、仕事を引退すると何から何まで生活意識が変化するのだろうと思う。それをどの様にして愉快なものに導くかがきっとぼくの才覚なのだろう。もちろん、この才覚とは、金銭や名誉などといったまったくの俗物なものとは無縁でなくてはならないし、そうあるべきことはいうまでもない。こんなものにかまけていたら、下手な写真がさらにダメになってしまう。これが、ものの道理であり、かつまた真理というものだ。 今この原稿を記しながら、ぼくは言葉では言い表せないような不思議な感慨に浸っている。実に複雑奇っ怪な感覚なのだが、一番強く感知していることは、写真屋から足を洗えば、「これからはもう、あんな恐い思いをせずに済む」ということだ。 写真屋としてこの40年間に何千もの場数を踏み、そこには撮影の楽しさと恐怖がいつも同居していたものだが、経験を積めば積むほど写真を撮ることの恐さが身近に迫り、楽しみを打ち負かしつつあった。最近は特にその兆候が著しくなってきたように思う。昔から、ロケ現場が近づけば近づくほど、Uターンをして帰宅したくなったものだが、最近は特にその傾向が著しい。 創作というものは、知恵と技術の使い処を知れば知るほど恐さが増していくものらしい。この矛盾は趣のある哲学的思考であるように思え、実に面白いものだ。 ぼくは、本来はその逆であると思っていたのだが、予想外のどんでん返しに、目をパチクリとし、慌てふためく自分がいることに気づき始めている。 ぼくの現役引退の目論見をとっくに見透かしたように、拙稿の担当者から、来年度の契約書が有無をいわせぬ絶妙のタイミングで我が家の郵便ポストに入れられていた。何のお伺いもなしに、書類に判を押し、送り返せとのことだ。ぼくはまた連載記録を1年間延長するようだ。「してやられた」って、こういう時に使うらしい。相手が上手(うわて)だったという事実だけが残った。 娘に、「てつろうくん、ボケ防止にいいよ」と、ちゃらっといわれたが、「うん、確かに」と返すのが精一杯だった。 嬶(かかあ)には、「もう写真屋を辞める」とは、どうしても言いづらく、まだ白状していない。ぼくが今悶々とし、気の晴れぬ思いをしている唯一の原因(げんいん)がここにある。 https://www.amatias.com/bbs/30/728.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 東京都中央区銀座。奥野ビル、旧名「銀座アパートメント」(次号で触れる)。 ★「01銀座」 銀座にある築93年(昭和7年建築)の奥野ビルの一室で開催されている知人の個展会場を訪れた時に撮ったもの。ビルのエントランスに入った途端に、30数年前、このビルでロケをしたことを、突然思い出した。 絞りf5.6、1/25秒、ISO 2,000、露出補正-1.33。 ★「02銀座」 昔のロケ現場を懐かしみながら階段の上り下りを愉しんだ。新レンズは上手いこと描写してくれるか、なんてどうでもいい。 絞りf4.0、1/25秒、ISO 1,000、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |