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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2024/07/26(金)
第700回:小旅行(7)
 北陸の味を満喫した翌日、金沢在のビー玉女史が狼女史を伴って、市内の名所を案内してくれるという。先ず、一番の名所と謳われている茶屋街にぼくは連行されるようだったが、実のところ、以前にも述べたように、金沢は過去何度も訪問しているが、取材場所(編集者時代)やロケ地(写真屋になってから)以外、名所とはとんと縁がなかった。だが、仕事を終えた後、食い気呑み気に逸(はや)る気丈なぼくもその誘惑にはさすがに勝てず、居酒屋の梯子だけは精勤だった。
 金沢に限らず、訪問地の、いわゆる名所というものには、縁に恵まれなかったのだが、それは一種の職業的ジンクスのようなものだと、ぼくは潔く諦めていた。茶屋街もそのひとつだった。

 ポスターやCM、ガイドブックなどで茶屋街の写真をよく見かけるが、余りに多くが氾濫しているので、ぼくは訪問前から「同じようなものを撮ってはいけない」との思いから、すでに怖気を震っていた。端的にいえば、食傷気味となっていた。見ず知らずのものに食傷というのもおかしな話だ。食べる前に、食当りしていたのだから。それを打破するには相当なエネルギーを消費しなければならず、因って精神も金属疲労を起こしていた。
 だが、ビー玉も狼も、ぼくのそのようなデリケートで傷つきやすい心情などまったく意に介さず、茶屋街方面に、女性にあるまじき(今こういう表現をすると、顔をしかめる非文化的輩が多々いるらしい。糞コンプラである)大股で歩を進め、ぼくは主人にリードで引かれる子犬のように、従順さを示さざるを得なかった。

 主計町(かずえまち)茶屋街に辿り着いたぼくらは、頭のなかでお馴染みとなったシーンである街並を前にして、以前から「仕事の写真ではなく、私的な写真なんだからね。お前なら、何をどう撮るのか?」との強迫観念が渦巻いていたが、それがひしひしと皮膚に伝わってきた。ぼくの憂虞(ゆうぐ)が現実となった瞬間だった。

 「キッキッキ、ケッケッケ、ガッハッハ」と、首から提げたカメラを左右に揺さぶりながら、朗らかに吠えまくる女史たちを傍目に、ぼくは悲劇の主人公のように目を伏せながら眉間に皺を寄せていた。カメラを握る右手が、じっとり汗ばんでいた。被写体を前に、こんなことは滅多にないことだ。余程ぼくは得体の知れない何かに愚図つき、焦燥に駆られていたのだろう。
 しかし、この強迫観念は、もちろん職業的な責任感と誠実さから派生したものだと今回改めて気づき、ぼくは少々鼻を膨らませ、しきりと自身を慰めた。斯様に、ぼくは自身の職業に矜恃を抱いているとの証であろうとも感じた。ぼくは、この発見が嬉しかった。

 脇道に入ると「暗がり坂」と命名された石碑を見つけた。それによると、「久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう。金沢の市場発祥の地とされる由緒ある神社)に通じる小路」とある。石碑から奥を覗き込むと、「ちょっとフォトジェニックかも」と感じ、登り口である階段の前に進んだ。
 重い雲が垂れ込めていたが、雨がぼくの危惧を振り払うように一瞬ザーッと来た。ぼくは噺家きっての大名人、古今亭志ん生演じる『らくだ』の口まねをし、「じゃ〜ってんで」カメラをシャッター優先(Tv)に切り替え、糸引く雨をイメージした。天からのお助けマン登場に、「やっぱり普段の心がけだな」と得心しつつ、ついでに「モノクロ!」のお告までいただいた。これが、いわゆる霊感というものか。不信心者にも神はやってくる。

 佐野川大橋を渡り、ぼくらは「ひがし茶屋街」を目指した。といっても、僅かな距離だ。空はすっかり晴れ上がり、陽気な日射しに取って代わっていた。北陸に於ける天候の急変は、ビー玉同様ぼくも過去何度も体験しているが、北極圏でもそれを味わい深く感じていたので(9月の北極圏は、一日のうちに、晴、曇り、雨、強風、雷、あられ、虹が、絶え間なく循環する)、金沢も北極圏も似たり寄ったりだと、懐かしさを覚えた。ただ、日本語が通じるところだけが違っていた。

 「ひがし茶屋街」の通りを進むうちに、ものを食べながら歩く観光客が目の前を横切ると、それを地元民であるビー玉が目ざとく見つけ、「ここは食べながら歩いてはいけないんですよ」とご注進に及んだ。物腰柔らかく、しかし毅然として、そう発した彼女にぼくは、「誰にでも見所があるものだ」と、感心した。
 ぼくには決して見せることのない一面を見て、とても心地良かったが、「あたしにも、そ〜ゆ〜ふ〜に接していただきたいものだ」といいかけ、すぐに口をつぐんだ。ぼくに対して、何事にも手厳しい彼女たちには、土台無理な注文であることをとっくに悟っていた。 
 そんなぼくを察してか、狼女史は「クックック」と意味不明な笑いをぼくに向けた。「あ〜た、なんか妬んでいるんでしょ」という含みが直に伝わり、ここでもぼくは所在を失った。ジジィをからかってばかりいると、そのうち天罰が下るに違いない。ぼくはそれを切に願う。

 「ひがし茶屋街」で、ぼくの恐れは再発した。どこにレンズを向けても「よくある写真だよね。ぼくが撮る必然性がないんだよね」を連発しつつ、一方で「そげん言い訳がましいこつば、いうもんやなか」と、盛んに自身を戒めていた。いいにくいこととなると、どうして九州言葉になってしまうのだろうか。ぼくの幼児回帰だ。
 そして、これを一般的に “責任転嫁” ともいうらしいが、ぼくは破れかぶれに、「ここでは、すべて超広角の16mmで撮り、建物も雲も、すべて歪みっぱなしでどうだ」と、開き直った。女史たちのいじめに開き直れないぼくは、ここで憂さを晴らす他なしだった。

https://www.amatias.com/bbs/30/700.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。RF16mm F2.8 STM。
石川県金沢市。

★「01金沢茶屋街」
主計町の雨の「暗がり坂」。リサイズ画像なので、雨が描写できるか、心許ないのだが。神の仰せに従い、モノクロの純黒調で。
絞りf11、1/25秒、ISO 200、露出補正-1.00。

★「02金沢茶屋街」
「ひがし茶屋街」。超広角のためすべてが四隅に引っ張られ、これはこれで良い効果が出たと感じている。
絞りf8.0、1/160秒、ISO 100、露出補正ノーマル。

(文:亀山哲郎)

2024/07/19(金)
第699回:小旅行(6)
 写真愛好家が被写体を見つけ、シャッターを切ろうとする時、どのような動機・心情に駆られてのことなのだろうかとぼくは他人事(ひとごと)ながらも興味を持っている。「なんでそれを撮るの?」という訳だ。おそらく、その理由として、「きれいだから」とか「美しいから」といったことが大半を占めるのではないかと予想する。
 ぼくもご多分に漏れずといったところなのだが、いつも述べるように、人は十人十色・百人百様なので、同じ表現や言葉でも、何をどう感じるかはその人の人生観や美的感覚によるところが大きく、そこに違いが生ずることが多々ある。それは、その人の生きてきた過程や環境がどのようなものであったかを示唆するものでもあろうと考えている。

 「きれい」と「美しい」は、一般的にごちゃ混ぜで用いられることが多々あるが、ぼくは自ずと厳密に区分している。その違いを粗放にいってしまえば、「きれい」は誰が見てもそう感じるものであり、「美しい」は、より多くの内面性を宿しており、それは自身の感覚に突き刺さり、心を動かされるものと定義している。双方に共通して当てはまることは「感動」であろうが、感動の差異は非常に大きいものだとも思っている。
 たまさかに「魂を揺さぶられる」という表現もある。それは、「きれい」だから「魂を揺さぶられる」のではなく、「美しい」から揺さぶられるのだ。美しい被写体は、時に歴史を遡り、感じさせ、古(いにしえ)を思い起こさせることがしばしばある。今となっては、「昭和」も古といえるのかも知れない。

 「きれい」と「美しい」の定義をさらに詳細かつ丁寧に述べようとすると、2話くらいを費やさねばならず、それでは誰も読んではくれず、書くほうも退屈してしまう。お互いに不幸なので、今回は省略。だが、さらに分かりやすくいうと(しつこいな!)、「きれいな女(ひと)」と「美しい女(ひと)」といえば、ほとんどの人はその違いを推し測ってくれるのではないだろうか。それは写真にもそっくり当てはまる。

 多くの人たちと話をしていると、「私にはセンスやひらめきがないから、写真を撮りたくても上手く撮れない」との言葉に出会うことがある。ぼくは、「どうしてセンスやひらめきがないと言い切れるの?」と訊ねる。その答の内容によって、ぼくは言葉を選びながら、時にはなだめすかしたり、励ましたりするのだが、それを発する人は、本心からのことだろうかと感じることがある。なかには、謙虚な気持がそういわせることもあるだろう。あるいは、自分の考えに確信を得たいがために、敢えて質問をするのもまた人情というものだ。
 
 それを十分に踏まえて返答をするのだが、食い付きの強い人には、ぼくも、相手に話の取っ掛かりが得やすいように返答を用意する。相手の希望に添うように臨機応変な姿勢を心がけるのは自然な応対であろうと思う。
 前述した「きれい」と「美しい」の、正誤のあやふやな定義を持ち出すこともある。この差異を自分なりに理解し、解釈している人は脈アリと感じ、ぼくは一方的にではあるけれど、「センスやひらめきをお持ちである」と感じる。そのような人たちに、ぼくは膝を突き合わせて、思うところをお話しする。

 ものを創り出す作業は確かにセンス(感覚)やひらめき、あるいは霊感といったものを要することは否定できない事実だが、それらを生かすためには、非常な “綿密さ” が前提であろうと、金沢市を徘徊しながら、いつになくそれを強く感じていた。
 日本有数の観光地であるここで、ぼくは何を撮れば、ぼくらしくあるのだろうかと思い悩んでいたからである。ここ金沢で、何かいつもと異なる特別なものを撮らなければとの邪念に襲われたといってもいい。ぼくはまだまだ自分の足元が固まっていない未熟さを感じていたのだった。

 前述した「センスがないから」とお悩みの方に、ぼくは時折「 “綿密さ”を事欠いてはあなたのセンスが活かせない」とお話しする。センスの前に “綿密さ” が必要だと説くのである。
 ここでいう “綿密さ” を具体的にいうと、「露出。構図。光りの方向性と質(光質により彩度が変化)。それによるコントラストと輝度域(最暗部と最明部の幅)。遠近感を演出するレンズの焦点距離。絞り値による被写界深度。シャッタースピード。主被写体と脇役の重なり具合。被写体の細部にわたる観察。最適な立ち位置」などなど、考えただけで頭が痛くなる。そして、それに対応すべくカメラの扱いの修得。暗闇のなかでもサクッとできるように、指の感覚も磨いておかなくてはならない。

 上記したことに細心の注意を注いでこそ、初めてあなたのセンスを活かすことができると、ぼくは無理な注文を並び立てる。そんなことは端から無理難題だと、何もせずに突っぱねる人に未来はない。センスは自ら磨くものだ。
 何百万枚と写真を撮ってきたぼくだって、それを怠りなく瞬時にできるわけではないが、常に心がけるよう仕向けることはできる。それでいてこの程度だから、ぼくのせっかくの提言もあまり説得力がない。まったく、「言うは易く行なうは難し」である。

 それらをないがしろにしたり、軽視しては、どのように鋭敏で豊かなセンスを持ってしても、決して写真に反映されるものではないということは是非に及ばずといったところ。
 被写体を前にあれこれ迷うことは誰しも日常茶飯。もの創りには、愉しさと苦悩が同居しているのだから、美味しいものばかりを漁っていては、前進できずということを、ぼくは自分に言い聞かせている。

 ビー玉女史と狼女史にもそういうと、彼女たちは声を揃えて、「『アマチュアは愉しむことが一番だ』って、かめさんいつもいってるじゃない」と怪訝な様子で訴えてくるが、確かに仰せの通り。ぼくはその場を凌ぐために、「愉しみながら学ぶのが最高なんだけどね」と精一杯の抵抗を試みるも、だが、彼女たちは後期高齢者に対し、「最後に一花咲かせてやろう」という温情など微塵も持ち合わせていない風だった。

https://www.amatias.com/bbs/30/699.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
石川県金沢市。

★「01金沢市」
夕暮れ時のショーウィンドウ。ガラスに反射する太陽とビルの陰をどのように組み合わせるかに苦心惨憺したが、幸いなことにこのカメラはファインダーやモニターのなかにヒストグラムが見られるよう設定したので、大いに役立ってくれた。左目だけをビルの陰に隠れて潰さぬように細心の注意を払い、カメラの位置を微細に上下しながら。
絞りf10.0、1/200秒、ISO 320、露出補正ノーマル。

★「02金沢市」
金沢在住のビー玉に連れられて、40数年前に何度も徘徊していたところに行ってみた。香林坊から脇道をくねくね入ったところに赤枠の面白いドアが。怪しげな人影が怪しげな恰好で。
絞りf8.0、1/200秒、ISO 1600、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2024/07/12(金)
第698回:小旅行(5)
 拙稿は担当氏に送った翌日に掲載されるのだが、横着なぼくとて、それを読み返し、律儀にも一応の確認はする。人並みの責任感は持っているようだ。ぼくのような文章素人は、気分にまかせて一気に書いてしまうので(特にぼくはその傾向が強い)、掲載されたものを改めて読み返すと、端から言葉遣いの過ちに気づき、「この日本語、間違っているやないか!」と青ざめることしばしば。

 けれど、ぼくにとって “青ざめる” ことは非常に貴重で大切な瞬間でもある。大仰にいえば、人生の誤りに自ら気づき、頭を抱えながら反省するのだから、「おれも、まんざら捨てたものではない」と感心さえしている。こんな有り様だから、いつも自己満足で終わってしまうのだ。成長しているように思い込み、だが実はそうでない。このような見せかけは、防衛本能の成せる業である。

 自身の誤りになかなか気づかないことは、一般的なことなのだろうかと考え込んでみたりもする。だが、自分の体臭は自分では気づかないのと同じであって、すぐ自己弁護なる援護射撃をしたがるのは人の性だと、ぼくは自分を慰めている。 “慰め” というより、 “言い訳” といったほうが適切かな?
 元編集者だったぼくは、本業のひとつである原稿の校正・校閲は他人の書いたものが対象なので、第三者的な見地から冷静に検討し、判断も可能なのだが、自分の原稿となると気が入り過ぎ、思い入れも手伝って、なかなか他人の原稿を見るような具合にはいかない。客観性が著しく欠損するのである。

 このようなことは写真についても同様。どのようなことかというと、撮影や補整(デジタルの暗室作業)についてである。同じ写真は生涯二度と撮れないので、諦めようもあるのだが、補整は、被写体に対するイメージ構築が明確でないと、底なし沼に引き込まれるように、暗闇のなかでもがくこととなる。あれをしてみたり、これをしてみたりと、意図しないところに連行されることがある。ぼくは、それを全否定はしないが、自分のトーンを失うことには要警戒だと考える。

 補整をどの程度重要視するかは個人差によるところが大きいが、微に入り細を穿ってすればするほど、迷路に陥り、そこから抜け出せないことがよくある。ぼくは身を縮めて白状するが、こんなことをアナログでもデジタルでも、何千回も繰り返してきた。この原動力は、畢竟するに自己顕示欲に比例しているように思われる。

 月一度の我が倶楽部の勉強会で、メンバーが補整の異なる同じ写真を何枚か持参し、「どれが良いですか?」と質問してくることがよくある。この時ばかりは、何故か、常に強圧的なご婦人方が猫なで声で、あたかもしおらしい振りをしてみせるから、やたら憎々しい。ぼくは心うち、「おまぁらなぁ」と叫んでみたくもなるのだが、声に出せないところが、なんとも痛ましい。
 だが、彼らのその心情は痛いほどよく分かる。一応、指導者もどきのぼくは、言わずもがな、自身の沽券に関わるのではなく、その質問に迷うことなく、真面目に「こちら」と即答する。そして、その理由を率直に述べ、圧の強い人たちを、どうにかなだめるのだ。ぼくが、牛から角を奪い取る滅多にない機会を見逃すはずがない。

 意を尽くして補整した画像を、時間を置いて再度見ることを、ぼくは熱意を持って補整に取り組む人たちに、推奨している。できれば、翌日がいい。モニターを何時間も見つめているうちに目が慣れ、麻痺し、視覚が誤魔化されてしまうからである。人間の五感のうち、最も頼り甲斐のないものは視覚なのではないかというのがぼくの考えである。視覚を当てにし、結論を導こうと急いでしまうと、思わぬ過ちを犯してしまうものだ。
 自分の思い描いている映像とは異なった方向に向いていることがしばしばあるので、愛好家には喚起したい事柄のひとつである。

 遅まきながら、旅の話に戻る。
 せっかく和紙の里、越前市に行ったのだから、多少の知識を得たかった。だが、精神的にその余裕がなく、またフォトジェニックなものも得難いような直感もあり、福井駅から金沢駅までの、出来立ての北陸新幹線にぼくの気は乗り移ってしまった。怠惰な写真屋である。
 ビー玉女史と狼少年ならぬ狼女史(毎年彼女は、「今年は1万枚撮る」と豪語しつつ、それを成し得たのは1度だけだった)に引っ立てられ、金沢到着となった。彼女たちの気は既に、美味しいものと旨い酒だけに乗り移っていた。やはり、何を措(お)いても「花より団子」なのだ。

 狼女史は毎回金沢市在住のビー玉女史宅に寝床を得、ぼくは昔、香林坊にあったビジネスホテルを常用としていたが、今はなく、ホテルチェーンに予約を入れておいた。折好く、七尾市に実家のある友人夫妻も酒宴に参入し、ぼくらは北陸の味を十分に堪能した。残念ながら、我が地元では、これほどの料理と酒を味わったことがない。
 食い気一筋の女史たちが、写真を撮ることより、こちらのほうに色をなし、「待ちきれぬ」と身悶えするのが理解できるほどの上質な味わいだった。ぼくも久々の美味に酔った。

 ビー玉と狼は、「明晩もここに来ようね」と吠え合っていた。ぼくもそれに同意したが、「撮影時に、そげな科白ば、いっぺんでもよかけん、いうてみんしゃい!」と、亡父の口まねをしてみせた。

https://www.amatias.com/bbs/30/698.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
石川県金沢市尾山神社。

★「01尾山神社」
前日、けっこうな居酒屋で英気を養ったぼくは、尾山神社の境内にある鍛鉄(たんてつ)の工芸品である5匹の蛙を見つけた。金沢らしく金箔が貼られている。雪を被ったこれらを地元のビー玉が見せてくれたことがあり、ぼくも生きた蛙のように撮ってみたくなった。   
絞りf7.1、1/200秒、ISO 200、露出補正-1.00。

★「02尾山神社」
カメラを掲げ、モニターを見ながらシャッターを切る。バリアングルモニターの御利益に与る。蓮の葉に乗った蛙のアングルを微細に調整しながら。
絞りf6.3、1/200秒、ISO 100、露出補正-2.33。

★「03尾山神社」
同上。いずれも、Raw現像ソフトに付属している部分補整を多用。それをPhotoshopに渡し、僅かな補整で済ます。
絞りf10.0、1/200秒、ISO 200、露出補正ノーマル。
(文:亀山哲郎)

2024/07/05(金)
第697回:小旅行(4)
 三ノ宮駅から新幹線(敦賀駅ー福井駅間)を使わずに、在来線を乗り継ぎ、福井駅に至る車内での発見や車窓風景を眺めながらの回想を綴るのが順序なのだが、それを述べようとすると、子供時分と写真屋になってからの思い出話(特に琵琶湖周辺での出来事)をあれこれ書かなければならなくなる。
 それについては写真に関する事柄に触れる機会が極めて少なくなってしまい(いつだってその傾向はあるのだが)、ぼくは毎回担当氏の顔色を窺わなければならず、それは大変気の滅入ることだ。そのような思いはできる限り避けたく、今回は後ろ髪を引かれるような思いで割愛することに。

 ぼくをよく知る昔からの友人は、「君はいいたいことを胸に留めて置くことは “絶対に” できない質だからね」というが、悔しいかな事実である。 “絶対に” という副詞は絶対的な意味を持つ。そこまで他人に断定的にいわれてしまうのは、誠に慚愧に堪えないのだが、ここで僅かながらの釈明をしておくと、ぼくだって、一端の大人として、口外して良いこととそうでないことは、しっかり守り通してきたつもりだ。でなければ、40年間もフリーランスとして生きてはこられない。ただ、自我が人一倍強いことは素直に認める。
 と言い訳をしつつ、写真屋になってからの、琵琶湖周辺での感動的な撮影について、その話を1段落限定で掠(かす)めておく。

 写真屋になって7,8年ほど経った頃だったと記憶するが、博物館用の資料として(文化庁と新聞社協賛)、琵琶湖周辺に数多く点在する素晴らしい「十一面観音」(国宝や重文)を大型カメラで、カラーとモノクロで撮影したことがある。もちろんフィルム時代のことだ。
 撮影条件やライティングの制約もあったが、助手君2人を随(したが)えつつ、関係者の臨機応変、融通無碍な協力もあり、困難な撮影ではあったが、撮影後の充実感は格別なものがあった。この体験は、元々仏像好きのぼくに拍車を掛ける良い機会となった。被写体(十一面観音)を眺めながら、その美しさに感動を覚える素晴らしい体験と自己発見のロケだった。
 若かりし頃の、そんな思いにふけりながら、ぼくは京都ー敦賀間の在来線、JR特急サンダーバードに揺られていた。

 福井駅に到着したのは午後8時頃。ホテルで小休止した後、空腹を満たすため思い出深い街に出てみたが、駅前には恐竜が歯をむき出して闊歩し、かつての、どこか物悲しい風情はすっかり影を潜め、ぼくの懐古の情も無慈悲に奪われてしまった。40数年も経っているのだから、それは当然のことだろう。

 飲食街も明かりが消えていたが、ぼくは北陸の美味を目がけ、まだ開店中の一軒の寿司屋に入った。けっこうな寿司を堪能しながら、ぼくはそこの店主であろう寿司職人に、「美味しい越前蕎麦の店を教えて欲しい」と注文した。 
 これは、翌朝金沢から襲来する妙齢のご婦人2人の脅しに沿うためであった。このご婦人たちは、写真にもえらくご執心で、新しいミラーレス一眼を抱えながら、撮影に意気込んでいらっしゃる。ここだけの話、彼女たちは常日頃、とても良い写真を撮っていることに一言触れておかなければならない。
 だが、プロの端くれであるぼくから、北陸の地で撮影の何某かを教えてもらおうなどという殊勝な心がけなど、ひとかけらも持ち合わせていない。ただ、写真以外の何かを、戦利品としてぼくから奪い取ろうとの心胆が随所に見え隠れしていることは確かだ。

 合流するや否や、「お腹減ったわ。で、かめさん、蕎麦の美味しいお店、しっかり調べておいたわよね。『腹が減っては戦はできぬ』というから、まず、お蕎麦からね」と、ひとりがビー玉のような目をグリグリさせながら吠えた。「どんな戦なんだよ」とぼくは心のなかで呻いた。この劣勢を盛り返すためには、どのようにすれば良いかに、ぼくの脳内ニュートロンも彼女の目に呼応するように活発にグリグリ動いた。
 寿司屋の店主に教えてもらった越前蕎麦は、ぼくが昔に味わったそれを彷彿とさせた。とにかく旨い。蕎麦が、鼻息荒い彼女たちの気を和らげ、年寄りへの労りに目覚めてくれればと願うばかりだった。

 ぼくは福井駅前でレンタカーを借り、彼女たちはカメラバッグを膝に乗せ、行き先を、何故か穏やかに命じた。腹を満たした彼女たちからは獰猛さがひととき失せた。まさに肉食獣のような人たち。所要時間約40分で目的とする越前市の大瀧・岡太(おおたき・おかもと)神社(重文)に辿り着いた。
 階段を登り、神門をくぐるとすぐ目の前に本殿兼拝殿の複合社殿が現れた。なるほど今までに見たことのないような風変わりな容貌で、幾重にも屋根が寄せる波のように重なり合い、至る所に彫刻が施されていた。ネットで多くの映像を見たが、この異形な建築物を「ぼくの視点でどう捉えるか?」、「お前ならどう撮る?」に頭を痛めてしまった。
 一種風変わりなものの肝を炙り出し、それに自分流の調味料を加え、上質な一品料理に仕上げることの難しさに、ぼくはほとほと参り、その場にうずくまってしまった。そんなことは重々知ってのことだが、この社殿は殊更のように思われた。

 ここは里宮(さとみや。山上の奥宮に対し、山麓の村里にある社殿)であり、今年1月にロケハン(下見)を命じたビー玉女史の話によると、奥宮には時たま猪や熊が出るので行かないほうが良いと地元の人に教えられたとのことだ。ビー玉は、猪と熊にプラスして “虎” も出没するとぼくに報告した。なかなかの洒落だと感心したが、抜け目なく、油断のならない彼女たちに、 “虎” まで加わってしまったのだ。ぼくの敵中行軍は先が思い遣られることとなった。

https://www.amatias.com/bbs/30/697.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF16mm F2.8 STM 。RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
福井県越前市。

★「01大瀧神社・岡太神社」(おおたきじんじゃ。おかもとじんじゃ)
社殿を超広角レンズで、パースをつける。ここ里宮では虎が出没しないので、安心して撮ることができた。   
絞りf8.0、1/30秒、ISO 400、露出補正-2.33。

★「02大瀧神社・岡太神社」
彫刻で彩られた社殿側面。ふたつの写真は、モノクロイメージでも良かったかなと考えている。撮影時に迷いのあった証。
絞りf9.0、1/200秒、ISO 1000、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2024/06/28(金)
第696回:小旅行(3)
 神戸での仕事を無事終え、ぼくは一息つき、急ぎ三ノ宮駅に向かった。重責を果たし、そこから解放された後なので、駅までの長いダラダラ坂も苦にならず、鼻歌でも唱いたいくらいだった。
 駅に辿り着き、ここで一緒に仕事をした審査員仲間と別れを告げた。別れ際、「かめやまさんは、これからどちらに?」と問われ、「友人に会うため、最終的には金沢へ行くんだけれど、途中下車をして福井に寄るつもり。どこで何が起こるか分からないので、取り敢えずの予定ね」と返した。

 三ノ宮駅から福井駅まで新幹線を使わずに向かおうと決めていたので、「鉄ちゃん」ではないぼくだが、しかし、わくわくしながら行き当たりばったりの行程をどのように楽しむかにだけ心を割いていた。福井にはすでにホテルを予約してあったので、なおさら気が楽だった。
 ましてや、「ここは日本だ。日本語が通じる」との思いは、いっそうぼくの気を弾ませた。かつて海外ロケで、日本語はもちろんのこと、英語も通じない多くの国々を、カメラを振り回しながら徘徊してきたので、それを思えば今回の気楽さは桁が違う。日本の鉄道の正確さ、安全性、治安の良さ、清潔感、サービスと、余りにも行き届いた利便性は、息苦しいほど完璧といってよい。こんな国はぼくの知る限り日本しかない。

 旅につきもののハプニング(これが旅の面白さでもあり醍醐味でもあるのだが、ぼくは今まで外国で性懲りもなく無謀ともいえる体験をしてきた。これは一人旅の、最大の特権である。旅は一人に限る)には恵まれにくいという難点はあっても、国内旅行は老いた身にはひたすらありがたい。
 第一、もう冒険心を前面に出し、傍若無人に振る舞う歳でもあるまいし。じっくり腰を据えて、撮影に専心すべきだ。ただ、その気構えが、写真の良し悪しに影響を及ぼすとの確信が持てず、やはり “出たとこ勝負” のスリルからはどうしても逃れられない。保証がないから、やはり写真は面白い。

 話を元に戻して、日本人の親切さという点に於いても(どこの国にも親切な人はたくさんいる)、やはり民度の高さからか、困った時に親身になってくれる人が多いと感じる。
 右も左も分からぬ外国で立ち往生した時、ぼくはいつも『世界最悪の旅』(A. チェリー = ガラード著。1886-1959年)の南極行を引き合いに出し、無理矢理勇気を捻り出していたものだ。
 南極行きとは大仰な言い方だが、艱難辛苦した時、どこの国にも「お助けマン」が何処からともなく、申し合わせたように忽然と姿を現すから不思議である。ぼくは、彼らに間一髪のところで、随分助けられたものだ。だが、ぼくの場合は不幸にも「艱難辛苦 汝を玉にする」(困難を糧として、立派な人間に育っていくとの意)とはいかなかったようだ。「可愛い子に旅をさせたら、憎々しい大人になって帰ってきた」というようなものだ。

 今回、福井行きを決めたのは、坊主(息子)の薦めによるものだった。彼は日本全国の神社仏閣や歴史にやたら詳しく、「とーちゃん、福井の越前市には大瀧神社というのがあって、その社殿建築(重文)は異形で面白そうだよ」と教えてくれた。「行って見てこい。良ければオレも行く」との策謀が見え隠れしていた。親を下見にいかせようというのだから、見上げたものである。

 早速、ネットで検索してみると、その造形美はなるほどと思わせるものがあった。ぼくもこのような建築様式は見たことがない。そこに掲載されている社殿の写真はどれもこれも変わり映えのするものではなく(観光写真的なものとして写っているのは止むを得ない)、「では、お前ならどう撮る?」との難題を投げかけていた。「これはきっと難儀しよるで」とぼくは関西言葉で独りごちた。

 福井を初めとする石川、富山の北陸三県は、半世紀ほど昔の編集時代に取材で冬と夏に何度も訪れた経験がある。写真屋になってからも、ロケで度々仕事をしてきたので、とても馴染み深い所だ。とはいっても、いわゆる名所旧跡はほとんど行ったことがなく(仕事が終わればとんぼ返りのため)、悲しいかな取材現場しか知らない。だが、北陸の海の味覚や越前蕎麦は格別との思いだけが脳裏に強く焼き付いている。

 30数年前、福井市某所で撮影を終え、デザイナーやディレクター諸氏と居酒屋で労をねぎらい、仕上げに越前蕎麦屋の暖簾をくぐったことがある。初めての越前蕎麦だったが、その旨さは今も忘れることができない。ぼくが蕎麦に目覚めた貴重な瞬間でもあった。
 今回の福井行きは、あの蕎麦をもう一度味わうことと、40数年前に体験した北陸の冬の湿気を帯びた、粘り着くようなべちょべちょ雪のなかを、侘しくも、しかし風情ある路面電車の、あの佇まいを見てみたかったからである。今の季節、重苦しい雪と鉛色の空はないが、そこは想像力で補えるだろう。

 あの時、湿り気をたっぷり吸い込んだ雪が斜めに吹きすさぶ寒風のなか、暗く、重たい空気のなかを、ガッタンゴットンと鈍い歩み振りで、忍び泣くように往来する路面電車は、当時の自分の姿をそっくり反映しているようで、やり切れぬ思いだった。
 あれから長い年月が過ぎ、福井市の佇まいもすっかり変貌し、ぼくはぼくで老いてしまったが、今回はここで妙齢のご婦人をふたり迎え撃つこととなった。さて、どう相成りますことやら。

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
福井県越前市。

★「01大瀧神社・岡太神社」(おおたきじんじゃ。おかもとじんじゃ)
この本殿兼拝殿の複合社殿は、両神社の共有となっているため、二つの神社名が併記されている。全国でも珍しい和紙の神様である紙祖神(しそじん)が祀られている。1843年(天保14年)再建。重要文化財。
絞りf11.0、1/100秒、ISO 320、露出補正-1.00。

★「02大瀧神社・岡太神社」
本殿兼拝殿の正面を神門越しに。様々な彫刻に彩られていることも特徴で、それは次号で。
絞りf11.0、1/80秒、ISO 500、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2024/06/21(金)
第695回 : 小旅行(2)
 式典の前日に神戸市三ノ宮入りをしたぼくは、指定されたホテルで荷を解き、審査員のひとりが午後6時に夕食会の予約してくれた神戸牛専門店へ向かうまでの2時間を、ベッドでまったりと過ごしていた。気が置けぬ審査員たちとの、多愛のない交わりが愉しみだったことと、去年のように見ず知らずの街に、夕食を取りに出かける煩わしさがなかったことも気を楽にさせた。

 今年も昨年同様に、決して軽くないリュックを背負って約600km移動をしたわけだが、疲労感はほとんどなく、新幹線の揺れやレール音の心地よさを、ベッドから、天井に設えられた大きな羽根の付いた扇風機のゆったりした回転を仰ぎ見ながら反芻していた。普段はまるで縁のない分不相応な豪奢なホテルの、申し分のない居心地を満喫しながら、ぼくはまだ新幹線に揺られているような気分だった。「普段は、ビジネスホテルしか縁がなかけんね」。

 遠い昔に体験した省線電車(首都圏や大阪都市圏で運用されていた近距離電車。 “省線電車” とは1949年までの呼称だが、父は国電となってからの10年間ほどは、どのような思い入れがあったのかは分からないが、頑なにそう呼んで憚ることがなかった)の唸るような特有のモーター音やレールの継ぎ目音は新幹線のそれとは比較にならないのだが、ぼくには古式豊かな “省線電車” と現代科学の粋を集めた世界に誇るべく “新幹線” が同じように感じられたから面白い。「同じような心地良さ」と揚言したら、異論が噴出するだろうが、ぼくの精神は、この時ばかりはいつになく豊潤だったのだろう。

 ただ、両者の決定的な違いは、 “省線電車” の床に塗られた、鼻を刺すような、あの独特な油の匂いだっだ。「耳鳴り」(医学的な意味ではなく、聴覚による記憶を呼び覚ます音の意)という言葉があるが、この時ぼくは、「鼻鳴り」というものもあるのだと感づいた。人の記憶や追憶は、聴覚や視覚より、嗅覚に頼るところが多いというのが、ぼくの持論であり、そしてまた経験側でもある。

 また、 “省線電車” への肩入れは、懐古の情からではなく、ぼくは根っから乗り物が好きなのだろうと思う。けれど世間でいわれる「鉄ちゃん」ではないと言い張るところが、ぼくのぼくたる滑稽な所以でもある。「鉄ちゃん」という名称にぼくはただならぬ抵抗感を持っている。いつも、「自分は特別」との思いが強すぎるため、彼らと「同じ種族」に見られたくないとの思いがぼくにはしっかり巣くっている。

 このような偏執(へんしゅう)的傾向は、幸か不幸か、写真についても指摘されることが多々ある。ぼくは、このことがとても嬉しい。「自分の写真は常に少数派好みでなくてはならない」と思っているからである。大衆受けするようなものは、高が知れているとぼくは大言壮語して憚らないので、忌諱(きき)に触れるのだろう。自分にとって必然性のあるものにだけシャッターを切ればよい。それが正直者というものだ。

 神戸牛を堪能した後、胃が常人の半分しかない(胃ガンで、意図せず半分を奪われた)ぼくは、牛肉の栄養分が吸収されるのを待って、昨年のように三ノ宮のブランド店が軒を連ねるお洒落な路を、24-105mmという横着ズームレンズを1本だけ装着し、歩いてみようと思った。
 「画角やパースが身に付かないうちに、ズームなんか使うもんじゃない。10年早いよ。だから立ち位置が定まらず右往左往するのだ」と人様に一瞥を投げるのだが、ぼくは使ってよろしい。「後期高齢者になれば、それでいいのだ。資格があるのだ」と、ぼくはここでも、自身の依怙地を見せつける。「おれはいいが、君はダメだ」は、得意の科白だ。この科白を発する時、ぼくは何故かいつも上機嫌なのだ。

 約1時間半徘徊して、撮った枚数は50枚ほどだった。昨年とくらべ枚数がずっと少ないのは、「今回もまた同じものばかり撮ってしまう」との嫌気からだった。「昨年とは何か違うものを発見しなければ、神戸牛に申し訳が立たない」と言い聞かせながらの渉猟だった。
 「また似たようなものを撮ってしまった」というのは、写真愛好家なら致し方のないことであり、それは一種の、宿痾のようなもので、決して無価値なものではないのだが、たまには自分の首を絞めることも必要なのではないかとの気持が先立った。ぼくだって、一頭の牛の首を絞め、それを喰らっていたのだから。

 時間も23時を少し回っており、人通りもなく深閑としていたが、ありがたいことに、今使用しているカメラは高感度ISO機能が格段に優れており、そして愛用のRaw現像ソフトのノイズリダクション機能が大変な優れものなので、危うい思いをせずに済む。加え、被写体がショーウィンドウのなかなので、ある程度の輝度があり、さらに好都合。

 フィルム時代には考えられぬような高感度で撮影できる昨今のデジタルカメラは、果たして写真の上達を助けてくれるのだろうかとの疑問が同時にムクムクと持ち上がってきた。「こんな高感度で写真を撮っていいものだろうか。安易になりはしないだろうか。物事はすべて表裏一体」と、ぼくは真剣に悩む振りをしてみた。ここでも「おれはいいが、君はダメだ」と、やはり言い放つのだろうか?

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
神戸市三ノ宮。

★「01神戸市三ノ宮」
このディスプレイをみた瞬間、「う〜ん、ピカソ!」とぼくは大きな獲物を見つけたように興奮。そのイメージを大切にしながら、暗室作業に勤しんだ。   
絞りf6.3、1/80秒、ISO 200、露出補正-1.33。

★「02神戸市三ノ宮」
何ともおかしく、素早く動く被写体を見つけた。シャッタースピードを重視し、駐禁マークを写り込ませたら、ファインダーにはISO 6400と表示された。「うん、いけるわ。やってみるか」と、ぼくは鼻の穴を牛のように大きく膨らませ、勇躍シャッターを切った。
絞りf5.6、1/400秒、ISO 6400、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2024/06/14(金)
第694回 : 小旅行(1)
 昨年同様、今年も神戸市にあるアメリカの大手会社が主催する作品展の式典に参加すべく、待望の新幹線に乗ることができた。去年もこの行事出席のため、新幹線に乗ることの、無上の喜びを約400文字で記した。今、それを読み返してみて(第648回。2023/06/23)、「鉄ちゃん」ではないぼくだが、「哲ちゃん」は、よほど嬉しかったとみえる。ここでアホーな洒落なんかいってる場合じゃない。

 掲載後すぐに、変に大人ぶった友人から、「お前はまるで子供のようだな」とすまし顔でいわれ、その記憶がしぶとくもぼくの脳裏のどこかに未だしっかりへばり付いている
 ぼくはその言葉で傷つくほどヤワではなく、また健気でしおらしくもないが、彼のように子供心を忘れ去った大人は思いの外多く、判で押したように彼らは世をすね、斜に構えているとの自覚がないが故に、どうあっても恰好がつかず、見映えがしない。それに気づき、バツの悪い素振りでも見せれば、多少は恰好を取り戻すことができ、また救いもあるのだが、それをまるで分かっていない。可愛げがなく、始末の悪い人たちなのである。
 「♪ 畑も飛ぶ飛ぶ、家も飛ぶ ♪」と、嬉しそうに童謡唱歌を歌っていた自分の存在を真っ向から否定し、過去のものとして葬り去り、擦(す)れた大人を憚らぬから、余計に哀れを誘うのだ。

 今回の旅は仕事の撮影が目的ではないので、ぼくにとっては精神的な負担がなく、どちらかといえばちょっとした旅行気分だった。ぼくの果たすべく義務は、僅かな時間、会場の演壇から身なりを整えた紳士淑女に向けて、身なりを構わないジーンズ姿のぼくが、作品の審査について思うところをあれこれ、壇上から物申す非礼を詫びつつ、忌憚のない話をすればよく、やはり気楽な小旅行といったところだった。

 見知らぬ土地での私的な撮影は胸躍るものがあり、年甲斐もなく興奮し、高揚もし、愉しさと嬉しさが込み上げてくる。これからの撮影を思い浮かべると、会場のぼくは気もそぞろといったところだった。
 私的な写真の出来不出来はすべて自身が負うべきことを重々承知ながらも、仕事の写真のように束縛されるものがないので、やはりドキドキしながらも、その解放感は喩えようがない。寿命が延びるような気がするから不思議だ。

 去年は神戸からの帰路、滋賀県の近江八幡市や岐阜県の飛騨金山町に立ち寄り、そこでプライベートな撮影をし、それらを掲載させていただいた。今年もそれに倣い、神戸三ノ宮を始め、編集者時代に取材で何度も通った思い出深い福井県福井市と越前市、そして友人のいる石川県は金沢市に立ち寄ることにした。
 まだ全線開通とまではいかぬとしても、できたてホヤホヤ(敦賀駅まで)の北陸新幹線に乗ることもできる。

 ただ一つの懸念材料は、4泊5日の旅に体力が保つかどうかだけだった。気楽な小旅行とはいえ、休む間もなくカメラを構え、歩き回るのだから、やはり単なる「お気楽」な旅とはいかない。ぼくにとって撮影は、正真正銘の仕事である。去年は、心身の疲弊が祟り、予定を1日繰り上げ、帰京する羽目となった。
 その旨を現地より嬶(かかあ)に伝えると、「あら〜、まだ帰らんでもええのに。しばらく、のんびりと楽しんでき〜な」と、やんわり、そして苛烈を極めた京女(きょうおんな)特有の言い回しでいわれた。これを標準語に正しく翻訳すると、「もう永遠に帰って来なくてよろしい。あんたのような厄介者がいなければ、私は心の平穏が保てるんだからね」ということになる。京都弁の凄味をご存じない読者の方々への、ぼくの親心である。

 話は前後してしまうが(いつだってそうだ。今回に限ったことではあるまいに)、前夜に神戸入りをした審査員たちと、夕食会と称して神戸牛を喰らおうという話になり、ぼくはこの機会を逃せば生涯神戸牛にはありつけぬとの思いが稲妻のように脳内を駆け抜けた。ぼくは二つ返事で誘いに乗った。
 大変結構な料理だったが、それ以上にぼくは審査員たちのお人柄が好きだったこともあり、いっそう食が進んだ。食というものは、相手次第ということも同時にぼくは学んだ。このことは、後日金沢での友人たちとの会食の際にも際立っていた。

 ホテルに戻ったぼくは、飽腹の体でベッドに身を投げ出し、腹がこなれたら写真を撮りに出かけようと決心していた。午後10時を少し回ったところで、牛のように重くなった体を精神力で叩き起こし、そして写真用に立て直し、「因果応報ってこういうことか。初日から先が思いやられるわ」と嘆いてみせた。
 ホテルはかつての旧居留地のど真ん中に建てられた由緒あるもので、周辺には世界のブランド店が軒を連ねていた。去年、ぼくはこのショーウィンドウを標的にシャッターを切っていたが、「今年も “ガラス越しの世界” に挑んでみようか」と、人通りのほとんど無くなったお洒落な通りを彷徨い始めた。

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
神戸市三ノ宮。

★「01神戸市三ノ宮」
大きな発光看板を見つけ、「誰かこの前を横切って」と願ったら、待つ間もなく恰好の女性が横切ってくれた。切なる願いは叶うものだ。思い通りの配置となり、神戸牛に礼を述べる。   
絞りf7.1、1/50秒、ISO 200、露出補正-0.67。

★「02神戸市三ノ宮」
かなり色合いの派手なディスプレーだったが、それが気に入らなかったので、自分好みの色調とトーンに調整。Rawデータとはまったく異なるものに。
絞りf6.3、1/80秒、ISO 160、露出補正ノーマル。
(文:亀山哲郎)

2024/06/07(金)
第693回 : 心霊写真
 「心霊写真」とはいうものの、結論からいえば、ぼくは写真を始めて以来、プリントやネガ・ポジフィルム、デジタルデータを、高倍率のルーペやモニター上で穴の開くほど見つめてきた。その数、恐らく何10万枚に及ぶだろうが、世にいうところの「心霊写真」には、まだ一度たりともお目にかかっていない。故に、「心霊写真」の存在を真っ向から否定している。
 写真は存在するものしか記録しないとの視点(化学・物理・光学・科学の面から)をもってすれば、ぼくの考えは至極まっとうで、合理的なものだと思っている。カメラは、人間の錯視や念力までは写してくれない。

 ついでながら、「念写」もまやかしに過ぎない。手品に騙されてはいけない。手品はあってよいものだが、手品を用いて念写といい張る行為は詐欺同然である。ただ、この手のものは、まさしく『信じようと信じまいと』(R. L. リプレー著 “ Believe It or Not” 。ぼくの小学時の愛読書だった)である。
 まやかしや怪しげなものを、生きるための一種の遊びや方便のようなものとして捉えるのは、人間の知恵なのであろう。

 前回取り上げた「三頭山口駅」の廃墟は、ネット情報によると、「心霊スポット」なのだそうだ。ぼくは、世間で面白おかしくいわれる「心霊スポット」なるものにはとんと興味がなく、またそれらしい現象に見舞われたことは一度もないのだが、老い先を考えれば、たっぷり皮肉を込めて、是非ともお目通り願いたいものだ。ぼくのように、極めて暗示にかかりにくい質の人間は、「心霊スポット」とは無縁である。

 「廃墟」イコール「心霊スポット」の図式がぼくにはないので、「心霊スポット」と銘打ったところに身を置いても、ぼくには霊感なるものがないのか、あるいは写真屋という職業柄、特にフィールドワークの際には、足元に神経を集中せざるを得ず、そのために霊的なものの一切を感じ取る隙がないのだと思う。平易にいえば、「そんなものに構ってはいられない」といったところだ。
 こんなぼくでも、伊達や酔狂で写真を撮っているのではなく、どうあっても終始一貫、被写体の持つ現実に真正面から対峙せざるを得ず、「心霊スポットなど、どこ吹く風」というのが実態である。
 今回の、撮影行のぼくの責務は、怪我をせず、写真をしっかり撮って、そのデータを家まで無事に持ち帰ることが最優先事項であり、因って霊的なものにかまけているどころではなかった。

 過去、何万人もの人々が惨殺された現場や、あるいはまた、数多の怨念が渦巻くようなところに赴き、そこで撮影をした(それらは写真屋としての使命感に駆られてのもの)経験からしても、ぼくにはやはり霊的な写真(そのようなものがあるとすればだが)とは縁遠い。
 悲惨な目に遭った人々や、そこでの出来事に思いを巡らせ、その有り様を想像逞しく脳裏に描くことはあっても、常にぼくは現実的で、霊的なものを感受することはなかった。
 自分のイメージや空想に分け入り、そこで物語を勝手に描くことはままあるが、霊的なものにはのっけから反応を示すことなく、その伝どうあっても、ぼくはロマンティストではない。どちらかというと、 “可愛げのない、かなり即物的なやつ” だ。

 そんなぼくは、実際に目にした体験や、信ずるに足る現象、科学での裏打ちが明らかにされているものなどについてしか、その存在を認めようとしない。それをして世間では、 “片意地” とか “偏屈” というのかも知れないが、これはぼくの性分なので仕方がない。
 ただ、見たことのないものでも、その存在を疑う余地のないものについては、科学的実証を待たずして認めている。地球外生命体などはその一例だが、人類がそれに遭遇するかといえば、「決してあり得ないこと」と断定している。だが、地球外生命体はどこかに必ず存在するとするのが理知的な考えだし、実際、ぼくもそう信じている。

 幼少時より、生家のすぐ近くにあった相国寺(しょうこくじ。京都市上京区。臨済宗相国寺派大本山。国宝や多くの重文を有す。金閣寺、銀閣寺、真如寺は、相国寺の山外塔頭)を始めとするお寺さんの境内や墓地を遊び場として走り回り、それを日常としていたので、霊的なものには不感症になっているのかも知れない。ぼくは「世間擦れ」をもじって、「墓場擦れ」なんていっている。
 実際のところ、幽霊とかお化け、物の怪(もののけ)の存在をまったく認めておらず、したがって、闇夜の墓場などに、何の恐れもなく入って行ける。「肝試し」など、屁の河童。相手もそれを気取り、脅し甲斐がないことを悟るので、ぼくのような特異体質には近寄ってこないのだろう。むしろ、ぼくは幽霊より人間のほうが恐い。

 幽霊や妖怪というものは愉快を与えてくれる。だが惜しむらくは、ぼくは彼らを夢のなかの遊具的な捉え方しかしていないので、極めて現実味に乏しく、そこが残念だ。ぼくは自分の考えに固執し過ぎており、それはあまり面白い生き方ではない。
 唐突ながら、狸や狐には化けて出て欲しいし、河童、天狗、鬼にも、ぜひとも会ってみたい。妖怪変化や魑魅魍魎(ちみもうりょう)と戯れてみたいものだが、「恐いもの見たさ」との気持はほとんどなく、もっと無邪気に愉しめれば、こよなく喜ばしい。

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF16mm F2.8 STM。
東京都西多摩郡奥多摩町。ロープウェイ。

★「01三頭山口駅」
機械室。わずかな隙間からカメラをねじ込み、モニターを見ながら、タッチパネルでシャッターを切る。   
絞りf5.0、1/8秒、ISO 3200、露出補正-1.67。

★「02三頭山口駅」
乗り場へ向かう下り階段に膝をついて仰ぎ見る。1962年の営業運転以来の時空を写し取る。外を白く飛ばさぬよう、露出補正を慎重に決める。
絞りf5.6、1/13秒、ISO 640、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2024/05/31(金)
第692回 : 廃墟マニア(2)
 今回は「写真よもやま話」にそぐうべく、写真の話を少しばかりしてみようと思う。

 ぼくは、三頭山口駅廃墟撮影で文明の利器の多大なる恩恵に浴した。その恩恵とは、暗所撮影時に於ける実用的なISO機能(高感度でもノイズが大幅に軽減されている)の素晴らしさである。この発見は、一昨年の「鉄道博物館」(EOS - R6使用)での使用に際して、そして昨年の「大谷資料館」(EOS - R6 MarkII)でも体感したことだが、今回の廃墟ではことさらその威力に助けられた。

 写真の良し悪しは別として、撮影に支障を来すことがひとつでも減れば、士気も上がり、どれほどありがたいことか。最新カメラの利点のひとつを痛切に感じさせられた。足元が怪しくなりつつある後期高齢者のぼくにとって、この新兵器はとても頼り甲斐のあるものだった。涙がちょちょ切れ(関西の俗語)そうになった。

 つけ加えるなら、優秀な高感度ISO性能に、優れた画像ソフトのノイズリダクション機能を併用することによって、その成果は倍加する。往々にして、高感度ISO使用時に発生するノイズ(画質を損ねる要因)を、画像ソフトで極力軽減しようとすると、得てして解像感やシャープネス、延いては画質が損われる傾向にあるが、その弊害を避けるべく優秀な画像ソフトを利用すれば(もちろん、そのスキルや感覚が必要だが)難を逃れることができる。やはり、何事に於いても、「禍福は糾(あざな)える繩の如し」である。
 ノイズリダクション機能を上手に使いこなせば、特にRawデータに対しての効果は大きく、後処理の際にも有利に働く。

 ノイズの発生しにくい低感度ISOを使用したいというのは人情だが、暗所に於いて良い画質を得たければ、どうしても露光時間が長くなり(ノイズが発生する長時間露光は極めて稀で、特殊な撮影下であろう)、三脚の使用を余儀なくされる。今回の廃墟のように足元が心許ない状況下での三脚使用は、時間的にも、体力的にも難儀を極める。そして、構図にも制約を及ぼしかねない。これらは、撮影者にとって見逃すことのできない由々しき問題となる。

 ミラーレス一眼を新調する以前に愛用していたプロ仕様のEOS -1Ds III (2007年発売。ISO感度は100~1600だったが、ぼくは使用を400までとしていた)は大変優れた画質を提供してくれ、堅牢性をも含め、プロの道具として信頼に足るものだった。
 だが、今回の廃墟撮影などの暗所では、ノイズの発生を勘案すれば、三脚を使用せざるを得なかっただろう。手持ち撮影では、如何にブレを防止するかに腐心しなければならず、心身ともに、か弱いジジィはさらに命を縮めたであろう。
 三脚の使用が認められない「鉄道博物館」や「大谷資料館」でプライベートな写真を撮るには、工夫と気合いが必要とされるが、だがそれだけでは、写真は写ってくれないので、やはり弱りものだ。

 今更なのだが、露出を決定する要素は、絞り、シャッタースピード、ISO感度、露出補正の4要素であり、これらが絡み合って決定される。そのどれもがシーソーのような関係で成り立っており、被写体から受けるイメージに対し、それらをどの様に組み合わせ、そして工面するかという問題に突き当たる。ぼくは、1枚撮る度にこの労力を強いられ、そして頭を悩まされてきたものだ。
 これらの4要素は常に「あちらを立てればこちらが立たず」という関係で成り立っているので(上記した「シーソーのような関係」)、多少の数学的な頭脳回路を必要とする。とはいえ、ぼくのように数字にまったく弱い人間が何とかやってこられたのだから、大多数の人たちにとっては、容易く意のままに操ることができると思いたい。

 だが、ある新聞社や出版社の写真部長から、「写真学校を卒業した新入社員が、この理屈を理解できず、右往左往する」という信じ難い話を異口同音に聞かされた。嘘のような本当の話である。ぼくは自分の耳を疑った。度肝を抜くような話である。「世にも不思議な物語」は実際にあるのだ。ぼくは今、「笑っている場合じゃないよ」と、これ幸いに、我が倶楽部の面々に向かって話しかけてもいる。

 露出を決定する要素をどの様に操作するかは、撮影者次第であり、この物理的原理は、撮影者の意図を直接映像に反映するための基本中の基本である。あやふやな方は是非とも修得してもらいたい技術(知識)のひとつである。
 画像の明暗は元より、被写界深度、レンズの周辺光量、色収差、コマ収差、画像全体の解像度などなどを考慮し、4要素を決定できるようになれば、こと撮影に関しては一人前だ。この理論的知識を生かすためには、どうしても場数を踏まなければならない。自身の描く画像に対して、咄嗟の判断ができるようになれば、さらに一人前だ。

 題名とした「廃墟マニア」だが、今回は「暗所撮影で考えたこと」としたほうが相応しかったかも知れない。前号の冒頭で、ぼくは廃墟マニアではなく、それを語る資格もないと記したが、廃墟内部は電灯もなく暗いことが通例なので、足元や周囲に、十分に気を配る必要がある。くれぐれもご用心あれ。

 写真のメリットや面白さは、被写体を見た目より暗く、または明るく表現することができるということだ。ここに正解はない。つまり「適正露出」なるものは、常に存在せず、撮影者の目的により千差万別。上記した露出の4要素をいかに捌(さば)くかは、写真愛好家の永遠の課題だろう。

https://www.amatias.com/bbs/30/692.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF16mm F2.8 STM。
東京都西多摩郡奥多摩町。ロープウェイ。

★「01三頭山口駅」
機械室。入口や壊れた窓から外光が射すが、機械の部分はほとんど真っ暗で目視するのが困難なくらいだった。デジタルは暗部が完全に潰れなければ、このように再現可能だ。ストロボを使うと空気感や雰囲気が失われるので、私的写真ではストロボを使うことは決してない。
絞りf5.0、1/8秒、ISO 4000、露出補正-1.00。

★「02三頭山口駅」
機械室の上部へ這うように登ったところにある装置。この巨大なコンクリートは、ケーブルを固定するためのもの。
絞りf5.6、1/8秒、ISO 8000、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2024/05/24(金)
第691回:廃墟マニア(1)
 「廃墟マニア」と題したものの、ぼく自身は生憎「廃墟マニア」ではなく、またそれを語る資格もない。「廃墟マニア」を認める写真好きの方々、すいません。
 とはいうものの、たまたま廃墟や廃屋らしきものを見かけると思わず足を止め、観察したくなる。廃墟には、強いていうならば、そこはかとなく漂う魔性のようなものがある。その魅力とは、あくまで「フォトジェニックな」とか「廃墟の美」などの観点からである。それは、写真屋にとって見逃すことのできない出会いでもある。撮影意欲が反射的に湧き起こり、全身がカッと熱くなる。ぼくは、病膏肓(やまいこうこう)に入るのである。

 廃墟に魅せられる大きな素因は、かつてそこに人々が住み、その様子を頭のなかに巡らせながら、往事を忍びつつ、さまざまな想像や幻想を掻き立てられるからだろう。それはぼくにとって、やはり魔性なのだ。また、そこに漂う郷愁や哀愁は、かなり直感的な心理作用を呼び起こす。ぼくでさえ、情緒的な心情に囚われる。
 廃墟に出会った時、何か魅力的で「フォトジェニック」なものが、発見できるかも知れないと、多少の期待を抱き、胸がザワつく。それは写真愛好家だけでなく、多くの人が感じるところではないだろうか。

 朽ちたものの魅力は、ある時は宗教的、あるいは心霊的な誘(いざな)いを含んでおり、我々を惑わす。ぼく自身は、世にいわれるところの、いわゆる「心霊スポット」とか「超常現象」などのまやかしにまったく無関心であり、そのようにどこか如何わしいものは、信ずるに足りないものと決めつけている。
 被写体から受けるイメージを最優先に考える質の写真屋であるのに、その面に於いては至ってリアリストである。そして、科学信奉者でもあるのだが、科学で解明できないことはこの世にいくらでも存在していることはもちろん認めている。もし、ぼくに知的 !? 好奇心なるものがあれば、「不思議」とか「謎」の解明は、科学を頼りにするほか手がない。

 有史以来、人類の「神頼み」は絶えることがなく、ぼくも本能的に(人並みに)持ち合わせているが、「良い写真が撮れますように」と願を懸けたことは一度もなく、したがって信仰もなく、故に自身を不信心者と公言している。そんな有り様なので、良い写真が撮れないのかなぁと、最近になってやっと気づき始めた。
 もちろん、神社仏閣に立ち入るときは、ぼくだって頭を下げ、賽銭箱に向かって憚りながらも分相応な10円玉を1枚だけ投げ入れたりする。そして一丁前に神妙な面持ちで手を合わせたりもする。願掛けは、写真のことではなく、名誉のためでもなく、ましてや金銭でもなく、ただ一途に家族や友人の安寧に対してである。たかだか10円で叶うと思い込んでいるところがすごい。自分でも、厚かましくも気味の悪いやつだと思っている。

 今回の掲載写真は、ぼくが高校1年時、実際に利用したことのある奥多摩湖ロープウェイ(東京都西多摩郡奥多摩町)である。今から約60年も昔のことなので細かい記憶は定かではないが、カメラをぶら下げ、当時世界最大の貯水量を誇る人造湖(奥多摩湖。小河内貯水池ともいわれる)を見たくて行ったのだった。だが、その感慨も今となっては幻となっている。ただ、その時に乗ったロープウェイだけが、朧気ながらも脳裏に残滓のように、危うくもへばり付いている。
 この時に乗ったロープウェイは、昭和35年(1960年)に開業し、昭和41年(1966年)に一旦運行を停止したが、見通しの立たぬまま昭和50年(1975年)に廃止された。

 ぼくは発作的に、「ここに行ってみるか。掲載写真のこともあるし」と呟いた。何故か本稿担当氏の薄笑いが、やはり幻のように浮かんでは消え、消えては浮かんだ。心底生真面目なぼくは、彼の薄笑いに怯えつつ、再びカメラを持って、60年ぶりに彼の地へ赴こうと決意した。
 薄笑いは、ぼくに発作を起こさせるに十分な仕草だった。フリーランスというものは、いつも担当者の下部(しもべ)とならざるを得ないとの気の毒な宿命を負っている。「物の哀れ」(ここでは無常観的な哀愁)、ここに見つけたり、といったところか。

 出立は例によって遅く、午後1時半。到着時間を早めたいので、関越自動車道、圏央道を利用し、所要時間2時間強といったところだった。
 前日ネットで下調べをして分かったことは、ロープウェイの三頭山口駅(みとうさんぐちえき)に至る道が見つけにくく、しかも駅までの登りにかなり難儀するらしい。つまり、獣道のような道なき道を登坂しなければならないということだった。しかも急勾配とのことだ。
 かつては、足腰に自信があったが、この2,3年徐々に衰えが増し、それを自覚すべく転倒を何度かしていたので、ぼくは身構えた。

 30年ほど前、写真好きの中学時代の先生が、撮影の際に足元を見失って、転落死された。そのことが一瞬脳裏をかすめたが、「おれは、これでもプロフェッショナルだ。今まで散々修羅場をくぐり抜けてきたではないか」との励ましの声が頭のなかで響いた。声の主は、薄笑いではなく、真顔だった。
 撮影の前に、近くに神社でもあれば、そこで願掛けをし、賽銭箱には「格上げをして20円とするか」と決め、ぼくは、ポケットを弄(まさぐ)っていた。(次号に続く)

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF16mm F2.8 STM。
東京都西多摩郡奥多摩町。ロープウェイ。

★「01三頭山口駅」
画面左下のほうから、息も絶え絶えとなり登り詰めたところに、かつてぼくが利用したことのある駅が、鬱蒼とした木立のなかに忽然と姿を現した。雲行き怪しく、遠くに雷鳴が響いていた。
絞りf5.6、1/25秒、ISO 800、露出補正-1.00。

★「02三頭山口駅」
改札をくぐり、乗降場所へ。60年近く放置されたままのゴンドラだが、たまに訪れる人のために、「みなさんのご協力により、きれいになっています。来た時よりキレイにお願いします。みとうさんぐち後援会」と記した紙が置かれてあった。このゴンドラの色は、いつかは分からぬが、往事の物と同じように塗り替えられたものだ。
絞りf5.6、1/13秒、ISO 320、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)