プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
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| 2026/01/30(金) |
| 第774回 : たわいのない話 |
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人が恐れ嫌うことのたとえとして、「蛇蝎(だかつ)の如く嫌う」という言い方がある。蛇やサソリに出会った時の人間の感情・感覚を指してそう呼ぶらしい。実際、ぼくは蛇愛好家ではなく、したがって、あまりありがたい存在ではない。どちらかというと、やはり「毛嫌い」の部類に入る。どうあっても彼らを好きにはなれないのだが、子供の頃は彼らをよく見かけ、たいした抵抗感を持たなかった。だが近頃はさっぱりお目にかかれない。これはこれで寂しいと感じるのだから、勝手なものだ。
愛好家は、蛇を「美しい」とか「可愛い」との感覚を持つらしいが、まっとうな神経を持っているぼくは、やはり「気色の悪さ」が先に立つ。ましてや、毒蛇となると、なおいけない。ぼくも「人並み」ということだ。 余談だが、20数年ほど前、爬虫類のムック本を上梓するにあたり、出版社の命を受け毒蛇をたくさん撮ったことがある。今は亡き、愛すべき千石正一さんと蛇を求めて、国内で飼育されているそれ相手にカメラを振り回した。恐さは麻痺したが、だが最後まで蛇に愛着を抱くことはなかった。 蛇馴れしている専門家の千石さんが「こいつだけは嫌だ」と、子供のようにおよび腰になったのはブラックマンバ(アフリカ、サバンナに棲息するコブラ科マンバ属の一種。あらゆる蛇毒のなかで、最も毒に即効性がある)で、ぼくも千石さん以上にへっぴり腰となり、ガラス越しにライティングをしながら、恐る恐る撮った記憶がある。 さらなる余談を披瀝すれば、サソリを割り箸で捕獲し、煮えたぎる油の釜に放り込み(つまり唐揚げ。毒は熱により消失する)、モンゴルの遊牧民とともに、ウォトカの肴として、美味しく食したこともあった。サソリは彼らにとって、貴重なタンパク源であり、サソリの毒がどうのこうのと、四の五のいっている場合ではないのである。生きるために欠かすことにできぬ大切な栄養源なのだ。ぼくもそれに倣い、彼らとともに割り箸片手に “サソリ掴み” に興じた。サソリは海老の唐揚げのようで、けっこういける。 サソリは蛇と異なり、ぼくのなかでは「最も美しく、恰好の良い動物」であり、いってみれば「神からの素晴らしい贈り物」のように捉えている。甲冑を身に纏い、ハサミと尻尾を振り上げ前進してくる彼らは、とにかく、誰がなんといおうが、圧倒的にスタイリッシュだ。神の創造した優れた造形物のひとつとぼくは認めている。 そしてもうひとつ、ぼくが昔から「蛇蝎(だかつ)の如く嫌う」ものの筆頭格に「カツカレー」というけったいで、どうにも我慢ならぬ食い物がある。ぼくはこの得体の知れぬゲテモノを食したことは未だかつて一度もなかった。これはちょっとした自慢であり誇りでもある。「カツカレー」を好んで食べる人間の人格をぼくは端から疑っているし、蔑んでいるくらいだ。 「カツカレーが好き」という人間とは、男は無論のこと、どんな別嬪さんでもお付き合いなどまっぴらである。こんな品性下劣な食い物は「カツカレー」をおいて他に見当たらない。おそらく、世界中で最も醜い組み合わせである。 ぼくは、「カレー」も「カツ」も、それぞれに大好物なのだが、これらが合体するとあらぬ化学的・精神的変化を引き起こし、その様は醜悪まっしぐらとなる。先ず、両者が屎(ばば)色にまみれたようなあの汚(けが)らわしい視覚に我慢がならない。臭気が漂ってきそうである。見てくれも、みっともないくらいだらしなく、しかも下品である。カレーの香ばしさが別物に変化を遂げるのだから、もう何をか言わんや、である。 食べ物を汚すことは、道徳上してはいけないことと知りつつ、しかも罰当たりなことだとぼくはこれでも警戒しているのだが、それを押しのけてでも、「カツカレー」の正体に、やはり我慢がならないのだ。この世から抹殺したいものの筆頭格だ。 「カツ」と「カレー」は、お互いの主張が強すぎて、日本人特有の「謙譲の美」を双方が放棄し合い、失っていることに気づいていない。両者は、その片鱗すら示すことがない。彼らの、他人の迷惑を顧みず大声で怒鳴り散らせばいいと思っているあの根性がたまらなくどぎつく、しかも毒々しく、迷惑千万である。それに彼らは気づいていない。 皿の上で、顧みて恥じるところが一切ない両者の諍いは、見るに堪えない。こんなものをカレー好きの子供に見せるのは大罪である。 「文句ばかりいってないで、生涯に一度くらい食べてみたらどう? 食べてみないと分からないでしょう」と、奥ゆかしい淑女(一応そういうことにしておく)に言明され、ぼくは勇気を震いながらも、生まれて初めて、小癪極まりない「カツカレー」とかいうへんちくりんなものを、この正月に不覚ながらも、とうとう食らってしまったのである。 「カツカレー」云々より、「食べてみないと分からないでしょう」という淑女のありきたり過ぎる思い込みによる凝り固まった考え方に、ぼくはまったく納得がいかなかったのだ。これは一見彼女が正しいように見えるが、だが実は感受の未熟さがそう言わしめるのだとぼくは思う。 たとえば、「あんな映画、見たくないよ」というぼくに対して、「見なければ分からないじゃない」とは何事かと反駁したくなる。ぼくは特段映画に詳しいわけではないが、監督や出演者である程度の見当はつくものだ。映画然り、文学然り、音楽然りである。うるさいジジィだね。 「 “見なければ分からない” なんて、社会で責任ある仕事を全うし、創作に励んできた人が、そんな生っぽいことを言っちゃだめだよ」とぼくは精一杯優しくなだめるように毒突く。 この考えの根底には、「創作物は決して “まぐれ” や “思いつき” で生まれるものではない」との確固たる信念が横たわっている。「作者により作品の質の見当をつけるとか、察するとか、それを洞察力というんだよ」と、ぼくは嫌味にならぬように、懸命に彼女を諭したのだった。正月早々、「カツカレー」とともに、ぼくは大変だった。 どこで写真の話につなげようかとモゴモゴしているうちに、綴るスペースがなくなってしまった。「カツカレー」の感想は次回に続くということで、どうかお目こぼしを。 https://www.amatias.com/bbs/30/774.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 滋賀県大津市石山寺。 ★「石山寺多宝塔」 以前に掲載した多宝塔(国宝)を、立ち位置はそのままに、レンズの焦点距離を50mmに変え撮影。前回は35mm。今回は暖色系モノクロで表現。ぼくにはこちらのほうが好ましくあったので、多宝塔をもう一度掲載させていただくことに。 絞りf13.0、1/60秒、ISO 320、露出補正-0.67。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/01/23(金) |
| 第773回 : あるモノクロ写真展 |
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餅の好きなぼく。だが、今年の正月はあいにく雑煮にありつけなかった。我が家の雑煮は、嬶(かかあ)が京女なので、それに倣い白味噌の雑煮が主流。もちろん関東風の雑煮もぼくは好きなのだが、今年の正月は嬶が不在だったため、京風も関東風も、雑煮なしの正月だった。
加え芋棒(いもぼう。京都の伝統的な料理)もなしという侘しさ。正月の偉大な愉しみがふたつも失われた。芋棒というのは、全身に震えのくるくらい味わい深い料理だ。あの旨さは、鱧(はも)やふぐに匹敵する。 嬶の不在はこの上ない歓びなのだが、雑煮のない正月はぼくにとって「初日の出」を逃したようなものだ、と一応それらしいことをいっておこう。今年最初の嘘である。 もっとも、ぼくは「初日の出」を見たこともなければ、憧れたこともなく、もしそれが眼前に現れてもシャッターを押すなどということは決してあり得ない。ぼく自身が撮ることの必然性を一切認めていないので、意地でもシャッターは押さない。この片意地、やれやれ、だね。 日の出は有史以来毎日繰り返される天文学上の約束事であり、何十年に一度とか千年に一度の現象ではないのだから、何の感動も呼ばない。呼ぶはずがない。ぼくは何事にもこんな調子だから、きっといつも物憂い顔の興ざめした人間なのだろう。可愛げのない鬱陶しいやっちゃね。 世間で騒げば騒ぐほど、話題にのぼればのぼるほど、ぼくはそれに比して、意図的に距離を置きたくなったり、無関心を装いたくなるという実にまっとうな人間なのだ。人前で、絶対にスマホなど取り出さないもんね! で、「初日の出」を(しつこいなぁ)眼で見る分には、ぼくも人並みにそれ相応の心の揺らぎを認めるが、世の、喜寿を越えた “写真好きと称する男(たち)” が嬉々としながら、競って撮影に臨めば、「もうそんな面白味のない月並みなことはおやめよ。若い人ならいざ知らず、酸いも甘いも噛み分けたはずのジジィが、みっともなかよ」と小言のひとつもいいたくなる。大きなお世話だよなぁ。 正月早々、ぼくは雑煮の食えぬ腹いせを今ここでしている。ぼくこそ、この歳になって「腹いせ」とか「念晴らし」なんて「みっともない」ことをしている。 話を戻して、京料理について嬶にいわせると、こちらでは具材が揃わないので、如何様に調理しても、あくまで「 “疑似” 京風料理」の域を出ないのだそうだ。嬶にしては、えらく遠慮がちな言い方であるように感じる。 「疑似」とはどのような意味かを確認しようと辞書を繰ってみたところ、「本物とよく似ていて区別をつけにくいこと」(広辞苑)、「区別のつけにくいほどよく似ていること」(大辞林)とある。「区別がつきにくい」のだとすると、嬶の「疑似」という語彙の選択は彼女の意志を多分に表しておらず、誤りである。 「疑似」でなく、「似て非なるもの」、もしくは「似非」(えせ)が正しい。何事に於いても仇のような嬶が目の前にいないので、この場で嬶の言葉を厳格に糺しておく。「鬼の居ぬ間に洗濯」である。 嬶の不在により、炊事はもっぱらぼくと坊主(息子)で賄っていた。雑煮の作り方が分からぬのではなく、ただ面倒臭かっただけ。だが二人とも炊事が苦手というわけではなく、けっこうマメなのだが、あまりにも忙しすぎて店屋物に頼らざるを得なかった。とはいえ、洗濯・掃除は、男所帯に似合わず、完璧といってもよいくらい行き届いていた。つまり、嬶がいなくても、ぼくは家事をしっかり切り盛りできるというわけだ。 写真の話に入る取っ掛かりが掴めず今困り果てているのだが、良い個展が県下で催されているので、それをご紹介することにする。 友人知人の写真展情報は、個展であれグループ展であれ、本稿は商工会議所という公の場なので、ぼくは道義を重んじ、自主的に公表を今まで控えてきたが、快諾をいただいたので、改めてここにご紹介したいと思う。 今月20日(火)〜25日(日曜日。最終日のこの日は16:00)まで、埼玉県立近代美術館一般展示室4(B1F)で催されている『モノクロ写真展ー光りと時間の彫刻ー』は写真人の信念と良心を示すとても素晴らしいものだ。揺らぎのないテーマによる稀に見る作品群で、一見に値する。 作者は、米国カリフォルニア州生まれの純然たる米国人で、御年72歳。9ヶ月ほど前にぼくは知己(ちき)を得、それ以来の良き友人である。写真に対する彼の真摯さと情熱は、彼の作品に寸分たがわず具現化されている。ぼくに彼の “一途さ” が備わっていたら、ぼくはもう少しましな写真人になっていたのではないかと感じている。 モノクロ写真への思い入れは、時として余聞なる「こだわり」による「偏執」や「依怙地」に陥りがちだが、彼がその土壺にはまらずにいられたのは、良い意味での理知によるものだと、ぼくは明確に言い切る。世の中には、「悪い理知」も隠れているものだ。 彼は、モノクロである必然性を自己のなかに見出し、それを神の啓示のように、謙虚に、忠実に、自己を欺くことなく、虚心坦懐に、表現の意欲を内なる自分に差し出したからだろうと感じる。 これ以上の、ぼくの解説は控えるべきなので、興味と好奇心のある方は、実際に会場に足を運んでいただければと願う。正月より、良い縁起と感じていただければ幸いである。 https://www.amatias.com/bbs/30/773.html カメラ:EOS-1DxMarkII。EOS-R6MarkII。レンズ : EF11-24mm F4L USM。RF35mm F1.8 Macro IS USM。 さいたま市。近所。 ★「01さいたま市」 桜を撮ろうと上ばかり向いていたところ、ふと足元を見たら何と可愛いタンポポが。 絞りf11.0、1/25秒、ISO 100、露出補正-1.33。 ★「02さいたま市」 ポピー。RF35mmの描写に絆され、何でもかんでも、このレンズ一本槍という時期があった。このレンズの醸す空気感がぼくは好きなのだ。 絞りf2.8、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/01/16(金) |
| 第772回 : 枯淡の境地に憧れる |
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10歳の時に初めてカメラを父にねだり、それがぼくの写真事始めだったことは、何年か前にお話ししたように記憶する。
千葉県勝浦市の結核病棟で療養中だった母を見舞うため浦和から週に一度通い、外房線(千葉駅ー安房鴨川駅)の風景を車窓などから写し取りたいとの衝動にいつも駆られていた。それが動機となり、ぼくは写真機が欲しくてならなかった。 瞬(まばた)きをシャッターに見立て、ぼくは流れ行く車窓風景を頭のなかで盛んに撮っていた。気動車(ディーゼルカー)からのモノクロ風景は、今多少黒の濃度が退化してはいるが、色褪せることなく、頭のなかにしっかり定着されている。当時、「写真はモノクロ」と相場は決まっていた。 母の喪失に加え、京都からの移転はぼくのなかで甚だしいカルチャーショックと寂しさを呼び、不安障害やひどい吃音のため、学校でも、家でも、物言わぬ子となり、学校の先生や周囲の大人たちを困らせた。当時は、現在のように情報網が発達していたわけではなく、言葉も食べ物も文化の違いという高い塀に阻まれ、たて穴式住居に閉じ込められたかのような錯覚に陥ったものだ。京都と埼玉が同じ日本とはどうしても思えなかった。 食に無頓着だった父の料理は、遠い記憶だが、どこか軍隊調 !? であるが故の不器用さで、母の入院中は豆ばかり食わされていたような気がする。父ひとり子ひとりのいびつな二人暮らしに、父は父で、気の休まる間がなかったであろうと思う。 父はぼくの気を少しでも紛らわせるために、カメラや模型は必要な道具立てであったと思われるが、父の立場からすれば、気を病んでいたぼくが何かに熱中するのは救いであったのではないかと思う。 紅梅キャラメル(当時の少年の誰もが熱狂した)をポケットに忍ばせ、自転車のサドルに乗せられて、浦和の写真店でフジペット(富士写真フイルム製。1957年発売)を買ってもらったことは、終生忘れ得ぬ思い出である。写真店には鼻を刺すような酸っぱい臭いが充満しており、当時はその正体を窺うことは出来なかったが、十数年後にそれは暗室で使用する酢酸を初めとする薬品の臭いであることを知った。 あれから半世紀を優に超えたこんにちまで、未だぼくは写真にしがみついている。理由はただひとつ、ぼくの性分に写真が合っていたからだろう。絵も、文も、音楽も、創造的なことは何一つ及ぶべくもないぼくだが、自分をどうにか表現でき、また熱中できた唯一のものが写真であり、多くの私財をつぎ込んだのもそれだった。 フィルム時代が44年間、デジタル写真を24年過ごしたことになる。写真屋になってから、デジタルとフィルムが重複する期が2,3年あった。どちらが良いか喧(かまびす)しい時期があったが、ぼくは一顧だにしなかった。 ぼくが、明確にいいたいことは、それは個人の「趣味趣向の問題」であり、「物の善し悪し」では断じてないということである。 フィルムだろうがデジタルだろうが、好きなほうを使えばいい。商売人はクライアントに従えばよく、また映像生成原理のまったく異なるものを比較して、あれこれ蘊蓄(うんちく)を傾けたところで、そこにどんな利点と価値があるのだろうか。そのようなことに一喜一憂する意義をぼくは認めていない。 フィルムがフジペットで始まり、デジタルはキヤノンEOS-1Ds(初代。2002年発売。フルサイズ、1110万画素)だった。 今まで双方合わせて、40台近いカメラを使用してきたことになる。全体何本のレンズを、取っ替え引っ替えしてきたことだろう。同種であっても同じものはふたつとなく、そのめまぐるしさのなかで、よくもまぁ窒息せず、飽きもせず、呼吸をしてきたものだと感心さえする。ぼくは知らずのうちに、「テスト魔」と化していったが、どの界隈にもよく見られる狷介(けんかい)な人物になってはいけないと警戒しきりだった。 科学と化学、物理と光学の織り成す複雑なプロセスを慎重に操りながら、表現のあらん限りを尽くすことなど、ぼくには土台無理というものだ。またその必要もない。人間には、感受や機微というかけがえのない素因が多く内在しているので、科学も使い手次第。賢く用いるのが一番だ。 また、主観と客観の二面が、同時に行儀良く居座るかどうか、ぼくには分からないが、何れにしろ経験を積まなければ、互いが理知的に相容れ、交差することは永遠にないだろう。写真は、現場主義なのでなおさらである。 かつての「テスト魔」は、年を経て「亀の甲より年の功」(駄洒落ではない)というわけではないのだが、今やカメラもレンズも「写ればいいよ」との気分が強い。極めてお気楽なものだ。 現在使用のカメラは、今までのような、いわゆるプロ仕様ではないが、「必要にして十分」なので、物持ちの良いぼくは、MarkIIIが出た今も迷いがない。つまり、買い換えの必要性をまったく感じていない。 「写ればいい」というのは本音なのだが、ぼくはこう見えても安易さを極力嫌うので、「重い、重い」といいながらも、「年寄りの冷や水」を当分は続けて行くだろう。丁寧さを最重視する姿勢は、捨ててはいけないことの一番に据えている。「老いたる馬は道を忘れず」の境地に至れば、少しは自身の身体を労ってやろうかとも思っている。かつての「テスト魔」に、やがてそんな日、つまり「枯淡の境地」に似た日がやって来るだろうか? https://www.amatias.com/bbs/30/772.html カメラ:EOS-R6 & MarkU。レンズ : RF35mm F1.8 Macro IS STM。 さいたま市。近所。 ★「01さいたま市」 先週に続き、趣の異なる “はなみずき”。夜間に街路樹の光の下で。風が吹き、僅かな揺れのため、ブレたり変形したり。原寸画ではその面白さが見て取れるのだが、このリサイズ版ではちょっと無理かな。 絞りf4.0、1/20秒、ISO 1,000、露出補正-1.33。 ★「02さいたま市」 エキナセア。別名ムラサキバレンギク。筒状花は丸く、花弁は下向きに咲く。 風との闘いだったが、これは克明な描写が欲しいので、しっかり止めなければならない。 絞りf3.2、1/200秒、ISO 800、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/01/09(金) |
| 第771回 : 新年の意気 |
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お陰様で、今年も新しい年を迎えることができました。この場をお借りして、読者のみなさまにとりまして、佳き年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
ぼくにとって、新年の誓いなどというものは昔から縁遠く、「普段通りやり過ごせば、今年もなんとかなるわな」というのが、何事にもアバウトなぼくの、お定まりの仕様。「天の定め」というものがあるのだから、それに従う他なし、と都合に任せて自身を甘やかしてきた。 だが今年は、現役を滞りなく退いたことを契機に、惰性で過ごしてきたことを少しは悔い改め、良い写真への方向を見出すために、写真以外の勉強に精を出し、根を詰めなければとの意識がいつになく強い。年初より、ぼくにしては良い心がけである。 「写真は、とどのつまり、自己の有り様の反映であり、鏡そのもの」との信念に揺るぎはない。技術は必要だが、それ以上に、自身の姿がどうあるべきかを問い直し、知らなければならない。写真は嘘や誤魔化しを許してくれない非情なものだ。見る人が見れば、上辺を繕っただけのものは、確(しか)と露見してしまう。写真は自身の姿を決して取り繕ってはくれない。 であれば、一方で、人格を磨けば(「人格を磨く」とはどのようなことを指すのかぼくには見えないのだが)、それだけで写真は写るものでなく、そこに絡む様々な要素の塩梅をどのように見据え、身を処すればいいのか戸惑うばかり。 物づくりの重要なスパイスには狂気が必要であり、拠って人格と狂気の狭間で、永遠に揺れ動くのだろうと思う。 漱石の言葉を借りれば、「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい」(『草枕』の冒頭)の一文に、ぼくは「まったく仰せの通り」と感じ入る。 智と情に加え、狂気のバランスが上手く取れれば、それが即良い写真につながるのだろうかとの疑問は未だ拭い去れないが、取り急ぎ、何かに「しがみつく」ことから始めるのが良策であるような気がしている。ここでいう狂気とは、偏屈で、煮ても焼いても食えぬ厄介な性格の主のことであり、犯罪などの文脈で使用されるものとは一線を画す。 何年か前、ある写真展に10点余の、テーマのない作品群『ごった煮の写真たち』と称し、出展したことがあった。それは自己紹介を兼ねてのものだった。以下、その一部を書き出してみる。 『ごった煮の写真たち』 「効能書きだけは十人前」を標榜してから、もう何年もの月日が経ってしまった。だが、ぼくの良いところは自身の効能書きに陶酔するところだ。この事実は、多分に冷笑的ではあるが、ひょっとすると、それはぼくが写真を撮ることの原動力となっているのかも知れない。否、きっとそうに違いない。 冷笑を示すことへの渇望は、世に対して、そして自身の、また巷に氾濫する写真に対してのそれである。つまり、あらゆることに我慢がならないのだ。 命を削るこの心的作用は、創造の原点であると信じているからこそ、とても心地が良い。横道に逸れっぱなしのぼくは、本来の意味である「天上天下唯我独尊」を地で行っているとの振りをし、夢見つつの憧憬を示そうとしているような気もする。長い間、安穏と生きてきたのだから、ここらで正面から生死に対峙しようと、残り少ない時間を、自身のささやかなる写真に向け、幾ばくかの重石をかけなければと思っている。 釈迦の「唯我独尊」の本来の意、「唯、我、独りとして尊し」であり、その説法に倣い、環境や能力に依存することなく、尊い「私」を見出すため、テーマに束縛されず、感応の赴くままに『ごった煮写真』に向けてシャッターを切り続けようと思っている」。 と、こんなことを綴りながらも、ぼくは今も同じようなことを唱えようとしている。前進が見られないのだから、いささか嫌気が差すが、とはいえ日々の、生活の発見を重ねているとの実感はあるので、それが唯一の慰めとなっている。 今、咄嗟に思い浮かんだのだが、学生時代に読んだ林 語堂(はやし ごどう。発音転記 リン・ユータン。華人の文学者・言語学者。1895-1976年)の著書『生活の発見』にぼくは非常に深い感銘を受けた。ぼくの思想の一部を形成したといっても過言ではない。もし台湾に行くことがあれば、彼の墓をぜひ詣でたいと願っているくらいだ。 林 語堂は、ぼくのなかで、芸術家の範疇に収まりきれず、その思想や洞察は珠玉に満ちており、物づくりに励む人間ばかりでなく、市井のぼくらにとっても永遠の宝であるように感じている。今年は、もう一度彼の著作物をじっくりと読み直そうと思っている。 それで写真が多少はましなものになるとは思っていないが、固くなりつつある頭に柔軟性を持たせるには妙薬となるような気がしている。いつもいうように、「写真は自身の鏡」であるが故に、頭を柔軟にし、消化能力が良くなれば、自ずと無意識のうちに作品が変化していくに違いないと思いたい。 コマーシャル・カメラマンは多機能な能力を要求されるが、引退した今、それを遠慮会釈なくかなぐり捨てることができるのだから、「善は急げ」である。そんなことを友人に話したら、「おまえの狂気はそのままでいい。それ以上だと病院行き」といわれ、新年早々ぼくは意気消沈。 https://www.amatias.com/bbs/30/771.html カメラ:EOS-R6。レンズ : RF35mm F1.8 Macro IS STM。 さいたま市。近所。 ★「01さいたま市」 ぼくの好きな花のひとつが “はなみずき”。桜の散り始めた頃に、街路樹などに咲いているあの可愛い花。だが、一度も上手く撮れたためしがない。 年末に、自分でも「エグイなぁ」と思いつつ、おかしなラーメンの商品サンプル写真を掲載してしまった。後悔しきり。新年の第一回目は、少し優しい写真をと思い、 “はなみずき” を掲載させていただく。 絞りf4.0、1/100秒、ISO 200、露出補正-0.67。 ★「02さいたま市」 はなみずきを撮った直後。陽はすっかり落ち、レンズの開放描写を見るために、試験的に撮った1枚。結構な描写に、ぼくは満足。 絞りf1.8、1/100秒、ISO 100、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/12/26(金) |
| 第770回 : 澱(おり) |
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「澱」とは「液体のなかに沈んで底に溜まった滓(かす)」を意味するのだそうだ。「滓」というのはどうも語感の良くない言葉とぼくは感じているので、「沈澱物」と言い換える。
「沈澱」とは、大辞林によると、「化学反応により生じた不溶性の物質や、温度などの変化、飽和に達した溶液が液中に固体となって現れる現象。また、その固体。液体に溶けないものが底に沈みたまること」とある。 ぼくらがよく知るそれは、たとえばワインの瓶の底に溜まっている沈殿物などがあげられる。それを称して「澱」と呼ぶ。ワインについてぼくはそれ程の知識はないのだが、いわゆる「ワイン通」と称する人が、飲む毎にワインについての蘊蓄(うんちく)を垂れる様は、どうにもいただけない。「美味ければそれでいいんだよ」と臍曲がりのぼくはいいたい衝動をぐっと控え、聞く振りをしている。実に素っ気ない。 ぼくの知る本物の「通人」は決してそのような不粋なことはいわぬものだ。これはワインに限らず、様々な分野でも同様である。写真についても、また然り。知識として持っておくことは大切だが、毎々開陳に及ぶことは野暮の極みというものだ。 今回の「澱」について、ぼくは難しい事柄を取り上げてしまったと、少しばかり後悔している。題目に掲げたはいいが、何をどのように記せば良いのかに戸惑っている。上げた拳をどう収めるかに苦心するのが明白だからだ。 来月早々、ぼくは齢78となるが、それをして「長い人生」といえるのかどうか、今のところ分からない。確かなことは、医療制度からすれば後期高齢者という位置づけだが、精神年齢となると、まだまだ未熟そのもの。たかだか78年で、人生の何かが分かるのかといえば、甚だ疑問である。これは卑下などではなく本心そのものだ。つまり、何も分かっちゃいないのである。熟成にはほど遠い。まさに、迷えるジジィ。 赤ワインなどは、熟成が進むほどに澱が生成される。そのために渋味が抑えられ、まろやかで、深味のある味わいになるのだそうだが、人間そうはいかない。ぼくの場合は、「澱」というより「灰汁」(アク)といったほうが適切であろうと思う。「灰汁」を取り除けず、えぐ味や渋味、苦味が表出していると自覚している。歳を重ねるたびに、「灰汁」は溜まる一方だ。 昨年逝去された著名な詩人T氏は、ぼくの写真を指し、「どこか毒を感じさせ、襞に隠れた部分を浮き立たせようとする亀山さんの容赦ない捉えが随所にうかがえる。心理描写、社会や大衆批判の中に、時には暗闇から微かに射した微細な光が垣間見えたりと、複雑な要素が多様に絡み合っている」(ママ)といわれた。 ぼく自身にそのような意識や作為はまったくないのだが、T氏の指摘は、もしかしたらぼくの「澱」ではなく、長年の間の不届きな料簡が積み重なっての「灰汁」だとしている。 仕事の写真は別として、私的な写真は、えぐ味がところ憚らず覆い、不味い料理のようなものであることを知っている。 今回の写真「01栃木市」は、上記したぼくの「灰汁」が端的に表れた例として、敢えて掲載。それについて少しばかり言及しようと思う。これは、読者諸兄に対しての、ぼくの嫌う「印象誘導」ではなく、あくまで「情報提供」を目的としたものであることをご理解いただきたい。 過去、ぼくは20数回栃木市を訪れている。初めての訪問は、2003年11月に我が倶楽部の同窓生たちに引っ立てられてだった。小雨渋る美しい栃木市だった。それ以来、ぼくはこの地が気に入り、通うこととなった。何回目の訪問時だったかは定かでないが、とっくに廃業となった中華料理店のショーウィンドウに目を奪われた。 そこには、色褪せ、ひび割れし、焼けただれた食品サンプルが夕日を浴びながら、埃にまみれ霞んでいた。それを発見してから長い歳月が経つが、ぼくは訪問の度に、飽くことなくそれを撮り続けた。かつて本稿で一度掲載した記憶がある。 そして今年9月、ぼくは食品サンプルとして、相も変わらず見るに堪えぬほど凄まじい容姿である彼らにレンズを向けた。ぼくがどのような心情を持っていたかは敢えて記さないが、彼らは絶え間ない時の流れに抗し、変化の兆しを見せない。ただぼくだけが年老いていくとの矛盾に気づく。しかし、彼らの容姿とぼくのそれがどこかで同期していることを、今回初めて感じ取った。 方丈記(鴨長明)の有名な冒頭、「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず・・・世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」の名句が音楽のようにぼくの頭に流れた。また、平家物語の冒頭、「諸行無常の響きあり」も同時に聞こえてくる。ぼくは忙しかった。 そんなこんなに想いを巡らせ、ぼくはシャッターを切った。いつかぼくは、「灰汁」をすくい払い、上質な赤ワインに生じる「澱」を残したいと願っている。 https://www.amatias.com/bbs/30/770.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 栃木市。 ★「01栃木市」 こんな写真を掲載するから、ぼくは嫌われる。絶対に好かれない。「灰汁」が結実したかのような描写に我ながら茫然としている。 絞りf8.0、1/160秒、ISO 1,600、露出補正-1.00。 ★「02栃木市」 以前もこの家屋を撮影し、掲載したことがある。その時は雨降りだったが、今回は屋根が崩れかかり、ペンキも色褪せ、様相がすっかり変わっていた。沈みかけた陽が、建物の隙間から射し込む。 絞りf6.3、1/200秒、ISO 200、露出補正-2.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/12/19(金) |
| 第769回 : 金属疲労か? |
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いきなり身内の話で恐縮至極だが、我が家の坊主(40代半ばの息子)は、若い頃から考古学、歴史、遺跡に並々ならぬ関心を抱いており、週に一度の休みを利用して日本全国を走り回っている。北は北海道から南は九州まで、知見を深めるための行脚に余念がない。延いては博物館、美術館にも、足繁く通っている。読書量も既にぼくの域を超えているだろう。神社仏閣に関する知識もぼくを凌いでいる。ホンに癪の種だ。
奴の、その異常ともいえる執心が、人格の一部に何某かの影響を与えているのだろうが、だがしかし何に寄与しているのか、ぼくには見透せない。確かなことは、よく金が続くものだと、ぼくは心穏やかならず羨んでいることである。 一度くらいは、「おやじ、小遣いやるから、どこか撮影に行ってきなよ」と、何故いえないのか。ぼくにはそれが不思議でならない。 半世紀ほど前、亡父が何度かイギリスに逃亡(犯罪ではない)した際、異国で窮地に陥らぬよう、ぼくはささやかながらも稼いだ金の一部をよく送っていたものだ。「それにくらべ」と、これ以上身汚い怨み言はよそう。 坊主の全国行脚は、ぼくの同輩たる男衆たちが定年退職した後、美術館や博物館巡りをしているのだと、あたかも自身が精神生活を送っていると錯覚し、吹聴するよりは遙かにましなことである。どうして、そんなことが臆面もなくいえるのか、ぼくは不思議でならない。いや、理解不能といったほうがいい。 ここだけの話、ぼくは年明けにでも国立博物館に陳列されているお気に入りの仏像(撮影可)を密かに撮りに行こうと考えている。これが目下の、老人のささやかな愉しみ。倹(つま)しいものだ。思い通りに撮れれば、来年にでも掲載できるかな。 話を元に戻すと、同輩たちは、「若い頃は忙しくて行けなかったから」などと見え透いた嘘っぱちを定例句のように並べ立てるから、敵わない。止まぬ関心や欲求があれば、忙しさなど取るに足りぬ陳腐な理由であることを分かっていない。どれ程忙しくても、人は、何とか工面するものだ。そこには、「関心がなかったから」と正直にいえぬ悲哀が漂っている。 青年期、壮年期は、吸い取り紙のように知識を吸収できるものだ。だが年老いてからの知見や観賞は、「熟考」「熟慮」「観察」のエネルギーがややもすると乏しくなり、あくまで一過性の慰みであるとぼくは解釈している。「慰み」を否定するものではないが、美しいものを愛でる眼を養うことは、即席では不可能。丁寧な積み重ねだけが、唯一の手掛かりだ。 美への鑑賞や献身は、「人知れず」というのが、粋というものだとぼくは思うのだが。 坊主はごく一般の会社員なのだが、若い頃から栄養素としてきた知識や美への対峙経験を肥やしに、おやじとして、分野を問わず創造・創作方面に活かして欲しいと願ったものだ。だが、当人にはその気がないようなので、ぼくは未だかつて一度もそれについて言及したことはない。 「もったいないなぁ」と思うのは、おやじとしての独断であり、強要すべきものでないことを、ぼくは分かった風な振りをしている。穿ち過ぎは、誰をも不幸にする。だが、代々続いた我が家系のやくざ稼業は、ぼくを以て終焉を迎えそうである。 時折、友人知人から「かめさんの息子さんはカメラマンにならないの?」と問われることがある。ぼくは答えに窮するが、「こればかりは本人次第だし、何が仕合わせか分からないしね」というのが精一杯の空返事。 だが本心をいえば、写真屋(もちろんフリーランスの)になぞなって欲しくない。奴は、写真には関心を寄せないが、ぼくとしてはもっけの幸いだと思っている。 写真好きの誰かが、万が一、趣味が高じて商売にする(この不埒さが一般的な道筋)ことにより、人によりけりだろうが、少なくとも写真を撮るという本来の楽しみをぼくは奪われたように感じている。ただ、あの撮影の緊張感から解放された気分の良さは言葉に尽くせぬものがある。あの解放感は、ある意味で「依存症」を引き起こすのではないかと思われる。 楽しみを奪われていいという人間が、フリーランスの写真屋に向いているような気がする。楽しみを捨てることの代価として報酬を得られると考えるのが順当であろう。 写真屋には、国家資格や免許というものがないので、写真屋を宣言すれば誰でも写真屋になれる。ただ肝要なことは、それで飯が食えるかどうかということだけだろう。飯の食える人だけが、いわゆる「プロフェッショナル」と認定される。ぼくのような鈍(なまくら)が以下のように述べるのは自身でも違和感あり過ぎなのだが、この厳しい世界を40年間守り通してきたその代償に、今見舞われているような気がしている。 前号にも述べたことだが、現在好きな撮影ができぬ言い訳として、雑事に追われているなどと弁解している。本当に関心があるのであれば、「忙中閑あり」で、先述の同輩たちの美術館・博物館詣での話ではないが、雑事の隙を縫って何とか撮影時間を工面するものだ。 ぼくが現在撮影に出向かないのは、どうやら金属疲労(昨今はおかしな用語 “勤続疲労” とも呼ばれるらしい)を起こしているとの帰結に至った。これが前段で述べた「代償」である。撮影に疲れたので、少し休みなさいとの神の思し召しなのかも知れない。だが、写真に対する好奇心と自身への期待は失せておらず、これからの精進に賭けるしかないと決意しつつ、昨夜ぼくは湯船で溺れかけた。やれやれ。 https://www.amatias.com/bbs/30/769.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 栃木市。 ★「01栃木市」 過去、何十回も出かけた栃木市。今夏の暑さにめげず、自分の尻を叩く。閉店してしまった店のショーウィンドウに、意味不明の鯨と米国のナンバープレートが埃だらけとなり鎮座していた。 絞りf10.0、1/100秒、ISO 2,000、露出補正-0.33。 ★「02栃木市」 魚専門店で、今時珍しいガラスケースに収められたししゃもと鮭の切り身。店主とお喋りしながら、ガラス越しに1枚いただく。 絞りf5.6、1/80秒、ISO 250、露出補正-0.67。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/12/12(金) |
| 第768回 : 下手は下手なりに |
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現役を退き、これから自分の写真に向かい合おうと意気込んでいたところ、なかなか思うに任せぬ事態に陥っていることは既に述べた通りだが、今のところ相も変わらず目先の雑務に追われっぱなし。ぼくは要領が悪いので、何から片づければ良いのかあたふたしている。そのため、撮影に出かける時間もなかなか持てず、気味の悪いストレスばかりが膨れ上がる。というのは言い訳に過ぎぬということをぼく自身が一番よく承知している。嘆きは歩みを滞らせるだけだ。
事務能力に長けた人間であれば、順序よくひとつずつ片をつけることができるのであろうが、ぼくはこの点に於いてひどく劣っている。優先順位くらい分かりそうなものだが、好きなことにしか眼が行かず、そこでしくじる。計画性に劣り、目先のものにしか頭が回らず、物事を順序立てて考えることができない。まるで幼児そっくり。 そんなぼくだが、あらぬ考えに耽(ふけ)ることだけは人並み以上らしい。散歩中に、あるいは湯船に浸かりながら、あれこれとしたいことばかりが脳内を駆け巡り、ぼくは勇ましく一人舞台を演じる。それを「妄想」というらしい。それらすべては写真に集束されているのだが、まだ一人前にほど遠いぼくにとっては過ぎたる願望と妄想に過ぎない。思いばかりが先立つのだ。 ぼくの好きな言葉に「所願皆妄想なり」(徒然草)がある。つまり「すべからく願い事というものは妄想である。何かを成し遂げたいとの気持が心に芽生えた時は、妄想に取り憑かれていると考え、手を出してはならない」との意味だ。だがしかし、ぼくの妄想は邪念に近い。 成し遂げたいことはただひとつなのだから、実に質素で慎ましい。「あれこれ」と書いたが、それはあくまで「写真についてのあれこれ」である。乙(おつ)に絡むのではなく、自身の写真のあり方に真摯に向き合わなければ、実(まこと)の、個性の成就は果たせない。少し気障っぽくいえば、被写体に対する自身の眼差しを自省することから始めなければいけないのではないかと思い始めている。 有り体にいえば、被写体をよく観察するばかりではなく、「何故それを撮ろうとするのか」、延いては己は何者なのかを察知する拠り所をしっかり認識しなければ、写真は写ってくれないと理解している。この心持ちが不幸の始まりとならぬことを “祈る” ばかりだ。不信心者のぼくはこのような時にだけ “祈り” を装い、ご都合主義よろしく神にすがる。「災い転じて福となす」となればいいのだがと、再度 “祈って” おこう。 己を知らずして写真が写る道理もなく、そんなことを考え始めたので、尚のこと撮影が難しく感じるようになった。手も足も出せぬ状況に直面し、それをダシに、写真を撮らぬことの言い訳にしているのかも知れない。だが、撮影から遠ざかるほど不安は増すばかり。最近は焦燥感さえ漂い始めた。 身から出た錆びなのだが、改めて1枚の写真を丁寧に、じっくり撮ることの大切さを心に刻み、先ずそこから出直すのが一番の良策だ。撮影に出かけ「何かしらの手応えを感じなければ帰らない」との胆力だけは据わっているが、ぼくはそれに託け、シャッターを切る度に、気のぼせし平常心を失っていた。 撮影時に、「自分らしさ」を意識すればするほど、作品は「自分らしさ」から遠のき、時には品位を損ねたり、見かけは良いが内容は凡庸という結果を招き兼ねない。他人の作品に対してはそのことがよく窺えるのだが、自分のこととなるととたんに眼が曇る。それが人間というものだが、客観視できないという事実は、災難をもたらす元凶であるように思われる。 幸か不幸か、ぼくは自分の作品が「他人の目にどう映るか」にほとんど頓着しない。これは得な性分だと思っている。他人のために写真を撮っているのではなく、自身を表現するひとつの方法として写真を選んだというのが真意である。したがって、世評など縁遠いものであってよい。それを求めれば、ぼくのような人間は、作品の品位を汚すであろうことを十分に察知している。 写真を本業としてきた者にとって、そしてアマチュア諸氏にとっても、世評とは無縁のところに居られることの心地良さは、とても味わい深いものであるはずだ。だが、世評という軛(くびき)から逃れる術のない人やその意志のない人は不幸に見える。そう感じるのは、ぼくだけだろうか? 他人の評価に汲々としているひとたちをぼくはたくさん見てきた。 世評に無縁でありたいとの考えは、本来であれば「酸いも甘いも噛み分けた」後の心境であるのが本寸法(ほんすんぽう。本来のあるべき姿。理想的なあり方、という意)というものなのだろうが、今のところそうは問屋が卸してくれない。ぼくは未だ修行の身であるが、写真のために自分を身売りに出すことは永遠にしないだろう。 現在、ぼくの周りの写真好きは、自身を含めて下手くそばかりだ。しかし何故か写真にへばり付いている。この事実はとても喜ばしく、また好ましくもある。過去拙稿で何度か述べた記憶があるが、ぼくの常套句である「上手い写真など要らない。良い写真を。写真は不器用であって良い」と。 一見して、何気ない写真に、実は本物の美が宿っていることがままある。下手は下手なりに、上手な人より、珠のような美を確かなものにするような気がしてならない。そうでありたいと、不信心を一旦脇に置き、もう一度神に願掛けでもしておこうかな。 https://www.amatias.com/bbs/30/768.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 さいたま市。自宅近辺。 ★「01さいたま市」 鏡に向かって自撮りでもしようかと思ったところに、恰好の人影が。 絞りf8.0、1/800秒、ISO 100、露出補正-0.33。 ★「02さいたま市」 ギザギザガラスの窓に、飲み終えたペットボトルが積み上げてあった。「きれいだなぁ」と一声。膝を折り、慎重に構図を決める。 絞りf6.3、1/200秒、ISO 320、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/12/05(金) |
| 第767回 : 体力と気力の狭間で |
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仕事で撮影した写真を他の媒体に掲載・開示することは依頼主(クライアント)の許可が必要とぼくは捉えている。著作権は撮影者にあるのだが、使用権はクライアントが所有していると解釈している。したがって、自身の判断基準に依り、仕事での写真をクライアントの許可なしに本稿に掲載したことはない。これは一種の仁義かな。
拙稿で、あれこれと能書きを並べ立てている手前、時として仕事で撮影した写真を、烏滸がましさを承知ながら、ひとつの作例として掲載したいと思うことがある。ウズウズすることさえある。 また、昨今喧(かまびす)しい肖像権に関しても、昔と異なり、要らぬ神経を使わなければならなくなった。写真屋にとって非常に忌々しい限りだが、時により人権にも触れる部分があるようで、煩わしさを避けるために、ぼくは仕方なく飲み込むことにしている。 余談だが、人権は最も重要な権利のひとつであるが、本来の「人権の尊重」をはき違え、やたら無用に「人権」を盾に振り回す人・団体などが大手を震うことにぼくはうんざりを通り越して、嫌悪感さえ抱いている。人権の本質を知らぬ人ほど「人権」を振り回す。自身の主張を通すために「人権」を生け贄として使用している輩がいる。それは愚の骨頂であり、勘違いも甚だしい。 また肖像権に関していえば、厳密な意味で法的にどのような解釈であるかを、専門外のぼくは熟知できていない。被写体が複数人であれば問題なしと認識しているくらいだ。法曹に拠ることができなければ、「常識的な範囲」で素人判断するしか手がない。こんなもどかしさの覚えはまったく鬱陶しく感じるが、今のところ、肖像権に対しては、写真人としての良識に従うしか拠りどころがないというのがぼくの考えだ。 上記のような理由により、私的な写真でも、いわゆる「街中の人物スナップ」は海外でのものを除き、肖像権の侵害にあたると思われるような写真を拙稿に掲載したことはない。本来ぼくの最も好きな分野はここにあるのだが、それが出来ぬ恨みがある。 静物ばかりを掲載しているなぁ、とぼくは自分を責めている。時には、「かめやまは人物スナップを撮らないのか」との声が聞こえてくることもある。 ぼくの写真は発表することが前提にあるので、最近は「人物スナップ」を撮る機会がほとんどなくなってしまった。写真屋にとって誠に由々しきものと感じているが、 “無念遣(や)る方なし” といったところ。 その鬱憤晴らしに、かつてぼくが撮った「人物スナップ」の、数枚のプリントを仲間たちにお見せした。「ワシかて、ほれっ、一丁前に人物スナップを撮るんやで、見てみぃ」と、何故か関西弁で、少し鼻を膨らませながらいった。標準語では、照れが先立っていえぬところがぼくの奥ゆかしさだ。どうにか好評を得たので、順次プリントを得意気にお見せしようと思っている。 以前、読者諸兄にもそのような質問をいただいたが、上記のような理由で掲載できぬことをご了承いただければ幸いである。 今年2月を最後に、やっと “晴れて” 現役引退を果たしたぼくだが、いざ自分の写真に取り組めると思いきや、体力の衰えが無情にも立ちはだかった。自然の摂理なので仕方ないことなのだが、意気込みと体力のバランスが怪しくなったとの自覚はとても悲しい。それを最小限に食いとどめるのは、体力増強に努める他なく、その方法を暗中模索。ウォーキングをしたり、スクワットをしたり、栄養のバランスとか、睡眠の質だとか、若い頃には考えもしなかったことに気を配るようになってしまった。 同輩たちが、異口同音にそのような科白を吐く度に(「毎朝、公園で催されているラジオ体操に出かけている」なんて公言して憚らぬ変態もいる。これをして「ひょうろく玉」とか「あんぽんたん」という)、ぼくは「みっともないことをいうな。カッコ悪〜。何をぬかすか、このべらぼうが」と、心うちなじり倒していた。「口に出していうな!」というぼくが、今ここで公に恥を晒している現実はまこと痛々しい。 今年6月の小旅行(神戸、京都、滋賀、福井を6日間で駆け回った)ばかりでなく、この2,3年、気力と体力のバランスが取れないとの現実に直面し、気分は沈む一方だ。最後の日は地を這うように歩き、予定より1日早く帰宅し、嬶(かかあ)に苦言を呈されたこともある。早く帰って文句をいわれるのだから、不条理極まりなく、気の安まる時がない。 体力と気力の相関関係とそのアンバランスは、作品のクオリティに果たしてどのような影響を与えるのだろうかと真剣に考える日々が続いている。 撮影はスポーツと異なるとはいえ、ぼくはいつも「写真は先ず体力ありき」と吹聴してきた。その考えは変わらないのだが、一方で、気力が体力を補うというのも事実だろう。そうあって欲しいとの希望的観測である。「気は心」というではないか !? あっ、ちょっと意味が違うか。 今のところ多少の腰痛持ち(椎間板狭窄症というんだって)であり、洗顔後に顔をしかめることはあっても、撮影時に特段の影響があるわけではない。2ヶ月に1度の定期検診でも異常はなく、疑似五体満足というわけだ。悲喜こもごもといったところ。 目下のところ、体力と気力のせめぎ合いなのだが、平均寿命を考えると、あと3年僅か。それはにわかに信じ難いことだが、禅語の「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)を心の支えにして、丁寧にシャッターを押し続けようと肝に銘じている。 https://www.amatias.com/bbs/30/767.html カメラ:EOS-1D X MarkII。レンズ : EF24-105mm F4L IS USM。 さいたま市。自宅近辺。 ★「01さいたま市」 前号に続き4年前に近所で撮ったもの。「君がこのような明るい写真を撮るのか」との声が聞こえてきたが、お生憎様。ぼくはダボハゼの如く、何にでも食い付くのだ。 絞りf5.6、1/100秒、ISO 100、露出補正-1.00。 ★「02さいたま市」 赤いペンキと赤い自転車。ここの店主は赤好みなのだろう。 絞りf5.6、1/80秒、ISO 250、露出補正-0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/11/28(金) |
| 第766回 : 評価の物差し |
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我が倶楽部は月に一度勉強会を催す。ぼくは指導者モドキとして、メンバーの持参する写真にもっともらしい顔をしながら可能な限り丁寧に、実直に講評する。お世辞は誰の益にならないので、決していわない。それは第一、相手に対して失礼であり、意味もないからだ。
倶楽部が創設されて早23年が過ぎ、メンバーの変遷こそあれ、ぼくの講評もここ2年くらいで随分様変わりした。21年目にして、やっと自身の本意に近づけたようにも感じている。 以前は、作品の好き嫌いを排除し、品質(クオリティ)最重視で行ってきた(つもり)。その姿勢は今もまったく変わらないのだが、常に頭を悩ませてきたことは、「自身にその能力が備わっているかどうか」ということだった。つまりその慧眼や審美眼が備わっているかということである。これはとても悩ましい問題だ。人様の作品を前に、そのような資格などあるのだろうか。 だが、ぼくの人生に於いて、好みを排除し、クオリティだけを評価の中心に据えることのできた人物(すべて故人となってしまった)と、たった4人ではあるが、お付き合いできたことは大きな財産となっている。彼らを希有な存在として接することができたことは、ぼくの人生に多大な影響と教えをもたらした。それは同時に一種の、大変貴重な人生訓でもあった。今も大切な宝として、ぼくの心のなかで絶えることなく息づいている。 彼らの、比類なき鋭敏な五感は、弛まぬ訓練によってのみ得られたものであることを、ぼくは自戒の念を込めて心に留めている。 ぼく自身、到底その域には達していないが、指導者モドキの支えとなってきたものはただひとつ。それは、40年の長きにわたり、プロのカメラマンとして糊口を凌いできたという事実だけである。古参のメンバーにはよくいってきたことだが、「ぼくが脅迫まがいの任務(指導者モドキ)を引き受けたたったひとつの理由は、ぼくがプロだったことであり、茶人として写真に対峙してきたわけではない」ことである。プロの写真屋として大した仕事などしていないが、それは、心の片隅にささやかながらの矜恃として巣くっているような気がする。だが、持って生まれた怠惰は隠しようがなく、「ぼくには努力する能力、つまり才能がなかった」ことを暗に認めざるを得ない。 いつもいうように、人は十人十色、百人百様である。同じ物差しで各人の作品を見てはいけないという自身の主張を、遅まきながらも、現在何とか実行できるようになったとの感触を得ている。 繰り返しになるが、ぼくの倶楽部は学校や職場ではないのだから、個々人の物差しに照らし合わせての作品評価・指導が、何よりも大切なことと自身に言い聞かせ、それを実践できるようになった。「長い道のりではあったが、やっとここまで来られた」と喜んでいいのではないかと思う。 大上段に振りかぶっていうのであれば、個性を尊重し、それを磨いていくのがぼくの仕事であると認識している。困難ではあるが、そこで達し得たものこそ「本物の個性」となる。 「奇を衒(てら)ったもの」、「奇抜なもの」、「エキセントリックなもの」を個性と見紛う風潮があるが、それは「安易」や「あざとさ」の象徴であり、文化の凋落を示している。器用なる「見かけ倒し」は、何時の時代にも長続きしないものだ。ぼくもそれを警戒しながら、「迷った時には、常に基本に立ち返り、大切にする」ことを心に期している。凡庸さのなかから、一筋の光明を見出すことができれば、必ず良いヒントが見つかるものだ。 個々人の評価の物差しを作ることは、長い時間を要する。写真を見せてもらうだけでは作り得ない。ぼくの持論である「人は見かけによる」は変わりないのだが、月一度の勉強会以外で、個人と接する機会がなかなかないので、勉強会の時の雑談やそれに続く飲み会は、ぼくにとって個人の生きてきた道や、そこで派生した考え方や感覚、延いては人生観や人と形(なり)を窺い知ることに必要不可欠なものとなっている。 雑談ばかりして、作者にとって肝心の写真評になかなか入らぬ不満もあろうが、だがしかし、それを端折ると、とどのつまり、お互いに益を逃すことにつながるということに気の付かない人がたまにいる。互いを知るということは、写真評につながるということを理解できていないのだろう。 人物理解が進むと、「なるほど。だからあなたの写真はこうなるんだね。であれば…」と、伝えるべきことの焦点が定まってくる。写真評の時に「Aさんのこの作品はとても素晴らしい。けれどBさんはこれを真似てはダメ」とよくいう。 我が倶楽部には、成人したての青年がいる一方で78歳のご婦人もおられる。同じ物差しで彼らを計っては、まるで頓珍漢な現象が起こる。もちろん、人としての真実には共通項もあり、それはとっくに承知の上だ。だが、20歳には20歳の真実があり、78歳には78歳の真実がある。それをごちゃ混ぜにして、同じ土俵で評価をしても意味を成さない。ここが学校とは異なる点だ。 そんなことを極力意識しての写真評なので、心身ともにぐったりし、翌日は使いものにならぬほど、ぼくは疲弊するのである。足腰の立たぬ時すらある。人の気も知らず、こわ〜いご婦人方は、ただひたすら、モドキのぼくをおちょくり、声高に「キッキッキ、ケッケッケ」と、女性であることを忘れ去り、鬨(とき)の声を上げながら嬲(なぶ)る。時にはいじめに走り、挙げ句、折檻を試みる者まで現れる。ぼくは、苦労と生傷が絶えない。 今のところ、ジジィに優しい気遣いを示してくれるのは20歳の青年ただひとりだ。素直で心優しき青年が、ご婦人たちの毒牙にかからぬように、ただただ祈るばかりである。 https://www.amatias.com/bbs/30/766.html カメラ:EOS-1D X MarkII。レンズ : EF24-105mm F4L IS USM。 さいたま市。埼玉県中央市場。 ★「01さいたま市」 4年前、良い被写体が見つかるかも知れないと立ち寄ったところ、雨上がりに陽が射し、虹が出た。ズームレンズを35mmに固定してからファインダーを覗く。 絞りf8.0、1/200秒、ISO 100、露出補正ノーマル。 ★「02さいたま市」 市場に入ったところにあるビルの壁面。何故壁面の上部に緑色の緑取りが描かれているのか不明だが、「絵になるかも」と思いシャッターを切った。 絞りf5.6、1/200秒、ISO 100、露出補正-0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2025/11/21(金) |
| 第765回 : 生あるうちの徳と運(雲) |
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人はぼくの内実を知らずして、「こういうことを書いたらどう?」なんてことを不行跡に注進してくる。ぼくを慮(おもんぱか)っての親切なのか、あるいはお為(ため)ごかしなのか、果てはちょっかいなのかは分からないが、時には「たまには進言に従って書いてみようか。それもまたよし」との気持にさせる事柄が、ごく稀にある。
いずれにしても、ぼくはここで、「どげんしよっと?」との迷いが生じる。この迷いが同意に向かうことはあまりなく、そのほとんどを却下する。だが、今回はその進言を少しばかりかすめてみようと思う。 その進言とは、「掲載写真について、もう少し撮影の実際に踏み込んで述べて欲しい」というものだった。ぼくは決して出し惜しみをする人間ではないのだが(それどころか実際は真逆だ。「出し惜しみ」は、どこか陰湿で嫌らしい)、撮影時のあれこれについて自ら進んで語ることを由としない。 上記の論旨とは少しずれるが、写真展などで、時たま作者が自身の作品について、10人近くの観客(取り巻き?)を集め、自身の作品を指さしながら滔々と語っている様子を散見するにつけ、「ぼくには到底できぬこと」と、まるで別世界の出来事のように眺めている。 ぼくにとってそのような行為は、何故か照れくささと小っ恥ずかしさが先に立つ。個人的に問われれば、技術的なことに関しては正直に、実直にお伝えすることはまったくやぶさかではなく、実際にそうしているが、観る側に撮影の意図についての何某の誘導、あるいは印象を植え付けるようなことは好ましからざることと感じている。説明の塩梅はとても難しい。 演奏の前に、独奏者が、あるいは指揮者が、もし自身の演奏についての蘊蓄(うんちく)や理(ことわり)を述べたら、観客はそれを「必要なきもの」として倦む(うむ。嫌になる、飽きるの意)ことだろう。第一、しらけてしまう。音楽も写真も同じである。 何時だったか過去に述べたことがあるが、観客(視聴者)は、何にも束縛されず、作者からの余計な先入観に囚われることなく、自由で、心置きなく、解放された気持で作品を観ることが、最良のこととの信念を持っている。 したがって、例えば「題名」などという「後付け」や「誘導」は、ぼくにとって論外であり、姑息そのものに映る。そこにどの様な意義があるのか、ぼくにはさっぱり理解できない。それがお洒落、親切、理解への道などとは、聞いて呆れる。それこそ、如才のないお為ごかしそのものだ。 撮影についての最低限の情報(例えば、撮影場所や年月日くらい)は写真の下に葉書大の紙に貼り付けるが、そのくらいの親切さはあって良い。繰り返しになるが、「題名」など、観客にとっては、大きなお世話であり、甚だしき迷惑。一方的な押しつけと横柄さは、作品を汚すということに気がついていないのだろうか。写真に限らず、作品に対する「印象操作」や「誘導」など決してあってはならない。 「撮影の実際について踏み込んで」の仰せに従い、掲載写真「01三井寺」について、かすめる程度に述べてみようと思う。これはぼくの撮影スタイルの一方法でもあるので、記しても読者諸兄の害悪にはならないと思う。 「01三井寺」は、三井寺唯一の禅宗様式の建物(重要文化財。創建は室町時代。禅宗様経堂の古例として大変貴重なもの)で、ぼくの見学したいもののひとつだった。そして内部(撮影禁止は承知)の仏典類を網羅した一切経を納める巨大な回転式の八角輪蔵もお目当てだった。 だが残念なことに、現在内部の学術調査が行われているため、閉鎖中で立ち入ることはできなかった。社務所の方に「いつ頃、内部開示がされますか?」と訊ねたところ、定年間近と思われる年頃の方が、真面目な面持ちで「私の生あるうちに開示されるかどうか?」と、遠来のぼくに申し訳なさそうにいわれた。つまり、ぼくにはもう観る機会がないということだ。無念! 建物の外観は、波形格子の弓欄間や花頭窓、内部は鏡天井で、典型的な禅宗仕様である。内部拝観を諦めきれずにいたぼくは、せめて外観(もちろん撮影可)をモノクロでイメージ通りに撮ることに執着した。まず、全体のプロポーションと背景を右往左往しながら眺め、立ち位置を定めることから始めた。 最も留意した点は、建物の頂上にある宝珠を空に浮かす(背景の樹木より上に出す)かどうか思案したが、そうすると欄間(明かりと風通しのための障子窓)が下の屋根に隠れてしまうという不具合が生じる。これは物理的に仕方がない。「あちらを立てればこちらが立たず」という具合だ。 欄間が隠れてしまうと、建物全体のアクセントと立体感が損なわれ、宝珠を空に浮かすという案を引っ込めざるを得なかった。そして、弓なりになった美しい屋根の形状を表すことも最重要課題。「これは少し誇張しても、創建者からお咎めを受けることはなかろう。むしろ強調したほうが喜ばれるに違いない」とうそぶいた。何でも自分に都合の良いように自身を導くところがぼくの気味の悪いところだ。 「誇張」といっても、立ち位置を定めた時点で、自ずとレンズの焦点距離は決まってくる。ましてや立ち位置は、後ろに引くスペースのないぎりぎりの場所だった。建物本体と背景、遠近感を頭のなかで描き、当初の予定通り、ズームレンズの焦点距離を28mm近辺に固定し、そこで初めてファインダーを覗いた。思い描いた通りの映像が、ファインダーのなかでピタリと重なった。 残るは空の表情。右手のほうから重く垂れ込めた雲が移動してきたので、程良い位置に浮かぶまで4,5分待っただろうか。普段、ほとんど待つことをしないぼくがそうしたのだから、良い雲行きだったのだ。 シャッターを切った後、ぼくにはまだ「生あるうちの徳と運(雲)」があるのだろうと思うことにした。 https://www.amatias.com/bbs/30/765.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 滋賀県大津市。 ★「01三井寺」 三井寺の一切経蔵(いっさいきょうぞう。重要文化財。創建は室町時代初期)。慶長7年(1602年)毛利輝元により、山口県の国清寺より移築。 絞りf5.6、1/160秒、ISO 100、露出補正ノーマル。 ★「02三井寺」 唐院潅頂堂(とういんかんじょうどう。重要文化財。創建は慶長3年、1598年)は、三井寺の開祖である智証大師の御廟。三井流密教の伝法道場でもある。 三重塔(重要文化財。室町時代の1392年創建)。慶長6年、1601年に徳川家康の命により三井寺に移築。 絞りf8.0、1/125秒、ISO 100、露出補正+0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |