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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2022/01/07(金)
第577回:新年早々の無駄話
 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。みなさまの福寿無量をお祈りして。

 本連載を担当させていただいたのが、2010年の5月。今年で早12年目を迎えようとしている。「長く続けりゃ良いってもんじゃないよ」の典型的な代物に化しているのかも知れないなぁと思うと、ぼくとて多少の気詰まりを感じる。  
 “ぼくとて” といいつつ元来気弱なぼくが、長年継続できた主たる原動力は、読者諸兄からいただくメールは無論のこと、ぼくの我の強さと頑迷さが得体の知れない気詰まりに勝っているからだろう。このことは、それほど威張れるようなものではないのだが、自分自身を「諭すように、敢えて言い聞かせる」には良い方法だと思っている。ここで公言したことは守らなければならないし、誰が見ているか分からないというのが世の中。油断や隙を見せてはいけないのだ。本稿は個人の気ままなSNSの類ではないので、それなりの責任を負っている。
 それに加え、ここまで続けられたのは、担当者の忍耐強さや寛容さあってこそのものだ。そして決して淡泊ではないぼくに対して、諦めによる悟りの境地、つまり達観しておられるからではないかとも思っている。
 ともあれ、ぼくはみなさんの迷惑をも省みず、しかしながらいいたいことがたくさんあり過ぎて収まりがつかないというのが本音であり、まとめでもある。

 何事も「初心忘るべからず」なので、12年前の第1回目に何を書いたのだろうと読み返してみたら、「この連載がいつまで続くか本人にはわかりません。内容が少し気ままに過ぎることもありましょうが」とあった。これは現在まで見事に踏襲している。12年前の予感は当たっていた。
 さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を7年間毎月撮影させていただき、それがご縁で「写真撮影のワンポイントアドバイスのようなものを書きませんか?」と突然問われ、ぼくも深く考えることなく気楽に承諾し、ここまで来てしまったら今はもうお互いに意地の張り合いというか、抜き差しならぬ羽目に陥っており、「縁は異なもの味なもの」と認め合いながら、双方達観の他なしなのだろう。

 今年も、一貫性がなく、前後の脈絡がない話が続くに違いないが、ぼくの年老いた白髪に免じてどうぞご海容くださいますように。
 「年老いた白髪」を、何故免罪符にしようとしているのか? 書いている本人にもその脈略と因果関係が不可解なのだが、少なくともぼくは無条件に「年配者を敬え」との我田引水的な考えには極めて懐疑的だし(今誰も唐突にそんなことはいっていないのだが)、それはものの道理に適っていない。
 それ以前に、年齢に関係なく公平に敬うこと、即ち、まずは誰もがお互いに尊重ありきだとの信念を持っている。これが聡明なる人間の基本なのだが、そう容易いことではなく、ぼくなど時折右往左往を余儀なくされる。

 「年寄りは頑固で、人の意見を聞かない」との声も存在する。これをして「縁なき衆生は度し難し」(仏の広大な慈悲をもっても仏縁のない人は救えないのと同様に、人の言葉を聞き入れない者は救いようがない、という意)ともいう。時に、耳が痛いような気もするが(と、遠回しにいっておく)、その一因として、おそらく長い間の、経験の積み重ねと自負心が否応なくそうさせるのだろう。それが他説の邪魔をしたがるのかも知れない。
 本人だけが過度に思い込んでいる “自負心” とは大変厄介なものだと感じるが、賢明で、論理的で、誠実な人ほど、取り敢えずはそんな “自負心” を隅に置き、他人の意見に耳を傾けることができるものだとぼくは思っている。けれど、これが意外に難しく感じるのは、残念ながら、ひとえにぼくは人間的にそう優れたものではないからだろう。と同時に、主義主張をはっきり伝えたがる性癖を持ち、ぼくは板挟みとなり、身動きがままならずとの常態に復す。

 そういえば、「特技は人の話をよく聞くこと」と大言壮語したどこかの国の元首がいる。人の話をよく聞くことが特技に値することなのか甚だ疑問だが、だとしても優柔不断で何も決められないのでは、信念の喪失と同義だとぼくは決めつけている。経験値も本物の自負心もないので、何も決められないのだろう。これは国益と国民の安全保障を毀損する国家(我々)の一大事である。

 第1回目に「生まれて初めて必死に写真の勉強をしました。ぼくの生涯に “必死” は後にも先にもこれっきりです」と書いているが、これは自負心ではない。当たり前のことを懸命にしたからといって、それが自負心につながるわけでないことは自明の理。これは工程であり、結果ではないのだから、自負心でもなんでもない。こんなこと、書かなきゃよかった。

 修業時代、師匠に「プライドなどというくだらねぇものは今すぐに棄ててしまえ!」と何度かいわれた。まったく仰せの通りである。異論のない、これこそ正論だとぼくは現在もそう信じている。くだらぬプライドほど、自分の姿を見誤るものだ。それを棄てることができれば、他人の話を素直に傾聴できると思っている。「言うは易く行うは難し」なのだが、師匠の言葉を胸のどこかに刻み、肩の力を抜いて構えてみるのも興趣なのではないかと思う。

 新年早々、写真に触れないけったいな原稿になってしまった。今年も先が思いやられるが、スタジオでもスタッフと無駄話をしてから撮影に取りかかるのがぼくのスタイルなので、次号からそれらしき写真話ができればいいなぁと。正月ですっかりネジが緩んでしまったようで、松の内から衷心よりの陳謝。

https://www.amatias.com/bbs/30/577.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF35mm F1.8 Macro IS STM。RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
枯れて丸まった里芋の葉。茶と緑が混在し、大きなサナギを連想させた。
絞りf8.0、1/30秒、ISO400、露出補正-0.33。

★「02さいたま市」
母はいつも和服だったが、その柄を思い起こさせた。Rawデータを、色温度を二通りに変え現像したものを、Photoshopで合わせただけ。手の込んだことは何もしていない。
絞りf2.8、1/200秒、ISO125、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2021/12/24(金)
第576回:撮り鉄(続)
 このテーマについてはたくさん述べたいことがあるのだが、それを心置きなく記そうとするとかなりの分量となってしまう。2回や 3回の連載ではとても収まりきれず、駄文長文のぼくとしては、どう端折っても5回を優に越えてしまうに違いない。
 「撮り鉄」からは完全に足を抜いてしまっている分際で、それは出過ぎたことと思われ、未練を残しながらも、慎み深く今回で止めにしておくのが賢明というものだ。

 あれからすでに60年近い歳月が経過しており、鉄道に関しての知識なども、現状認識が著しく不足しているであろうことは容易に想像できる。したがって、今のぼくは鉄道に関する情報が足りず、原稿を書こうにも足元が覚束ない。
 ぼくにとって「鉄道写真」は過去のものとなったが、どこか潜在意識のなかにかつての鉄道ファン気質が確実に息づいていることは隠しようがない。だが、潜在意識を覗き込むには、今の鉄道に対峙し比較することが必要で、それを思うと、今のぼくにはとても気遣わしく、頼り甲斐もない。
 とはいえ、今も昔もおそらく鉄道好きの人たちに共通していることも多々あろうと思われる。そんな事柄を拾いながら、技術的なことをも含めて、思いつくままに「撮り鉄」の点描を試みてみたい。

 「撮り鉄」から足を抜いた理由は、「電化が進み鉄道車両のデザインがぼくの意に沿わなくなったから」と前号で述べたが、人里離れた地方に行った時などに見かける線路(廃線ならなおさら)や無人駅は別物で、様々なロマンを感じ、夢中となることしばしば。この現象はおそらくぼくだけではなく、普段鉄道にあまり関心のない人も同様なのではないかと思う。

 線路は哀愁や郷愁を感じさせ、そのシチュエーションによっては、自身の歩んできた道を思い起こさせることもある。それは「喜怒哀楽を敏感にさせる作用」があるようにも感じられる。感情が高ぶり、ある時は感慨深く、ジーンとしてしまうことさえある。線路を人生に見立てるとまではいわないが、それに近いものがある。そんな時、写真好きに限らず、撮影意欲に駆られ、スマホ動員となるのではないかと思う。ひとまずぼくのなかでは、感情に照らせば、「鉄道写真」と「線路」はまったくの別の世界のものとして分類される。

 ぼくのような写真化石人間(いわれる前に先手を打ちつつ、あながち化石はそう捨てたものでもないのだと、ここで声を大にして開き直っておく)が、鉄道に限らず、動くものを撮る際には、非常な熟練度をかつては必要としたものだ。オートフォーカスやAIサーボ(動く被写体にフォーカスする機能)などという洒落か堕落かは知らないが、そんな便利なものが存在しなかった頃の話をすると、老人(ぼくは自分を“老人” とは思っていない)の繰り言のように思う人がいるかも知れないが、そのような人はこの拙稿は読まなくともよろしい。化石(職人技)あってこその、現代のテクノロジーなのだから。

 カメラから見て横方向に走るものは、シャッター速度に注意を払えばよいが、縦方向は骨が折れる。カメラに向かってくるもの、去って行くものは、フォーカスリングを回しながらピントを合わせることになり、これは相当な訓練をしなければ成し得ない。ましてや望遠レンズ使用となるときりきり舞いをしてしまう。シャッター速度はいうに及ばず、シャープで切れのある写真をものにするには、訓練を積むしか方法がなく、ない知恵を絞らなければならなかった。

 ぼくはよく道路や鉄道の歩道橋の上から、こちらに向かって来る(あるいは去って行く)車や電車を相手に、ピントを合わす訓練をし、それに明け暮れた時期があった。フィルム時代のことなので、最も安価なモノクロフィルムの長尺を暗室でパトローネ(フィルムをカメラに装填する際に用いる円筒形の容器)に詰め、使用したものだ。しかし、フォーカスリングを回しながらのピント合わせは、いわゆる「歩留まり」が悪く、したがって不経済そのものだった。
 そこで、従来から使用されてきた「置きピン」(あるところにあらかじめピントを合わせておき、そこに車や電車、時には人が来た時にシャッターを切る方法)の古典的な知恵を借用し、一発撮りを試みたが、確実性を確保するのであれば、この方法が優れている。しかし、この方法は妙味がなく、あらかじめ構図も整えておく必要があった。このことは、したがって意外性のない写真となる可能性が大きかった。

 負けず嫌いのぼくは、あくまで由緒ある正当な作法を踏襲しようと自虐的にもなっていたので、フォーカスリングを回しながら、たとえ「歩留まり」が悪かろうと、正確なピントを得ることに固執し、それを気取ろうとしたものだ。
 また、もう一つの方法である「置きピン」をずらしながら、何枚か撮るという知恵も身についたが、これもどこか姑息な感を否めず、生みの親に申し訳ないような気がし、実際に使用したことはない。かなりの意地っ張りだ。

 老人の繰り言も昔話として片づけてよいが、さて現代はテクノロジーが進化し、そのような苦労は、今やどこ吹く風。初めて購入したデジカメである初代EOS-1Ds(2002年発売)にはAIサーボ機能があったが、「歩留まり」の観点からいうと、6〜7割ほどだったので、実際に使用したことは一度もなかった。
 ぼくが嬉々としてAIサーボを使用し始めたのは、なんと今年の4月に購入したEOS-R6からで、これは「瞳フォーカス」(人間と動物)なる化石人間には信じ難いほど正確な動体追従機能が附属しており、その精度は(「歩留まり」)、少なくともぼくの使用条件では十分に満足できるものだ。この凄まじい科学の進歩に諸手を挙げて感嘆する化石男がここにいる。
 だがしかし、ぼくの天敵、風で前後に揺れるコスモスにはあいにく「瞳」がないのである。「昔とった杵柄」も、老化のおかげか、この8ヶ月の間に廃れてしまったかのようだ。悲しくもあり、嬉しくもあり、といったところか。複雑な心境を抱いて、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」なのであろうか。

https://www.amatias.com/bbs/30/576.html
           
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
百合。右後ろからの半逆光。そのためか、色変化(いろへんげ)が面白い。背景にはまだつぼみの2輪。
絞りf3.2、1/250秒、ISO320、露出補正-2.00。

★「02さいたま市」
散々悩ませてくれたコスモス。この時も首をさかんに揺らせ「撮れるものなら撮ってみろ」と天敵はいう。「絞り開放で射止めてやるわ!」とぼくは強がる。
絞りf2.8、1/1000秒、ISO400、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2021/12/17(金)
第575回:撮り鉄
 ぼくはテレビや新聞をめったに見ない。その理由を大雑把にいえば、肝心と思われることがまったく報じられなかったり(「報じない自由」なんだそうである)、さらに嫌悪することは偏向や捏造、そして事実に基づかないことを(最近では “evidence” 「エビデンス」という言葉も一般化してよく用いられるようになった。大まかに訳せば、「科学的根拠」、「証拠」、「証言」など)あたかも事実であるかのように報じたり、また報道する側に不都合なことを隠蔽したり、専門的な知識のないコメンテーターとか称する怪しげな人々が跋扈(ばっこ)していたりするその現状にうんざりしているからだ。そのようなものからは身を遠ざけるのが賢明だと思っている。

 我が家は新聞を取っているが、それは、どれほど「嘘・インチキ」を報じているかを知るために、といっても過言ではない。それほどぼくは、新聞やテレビの報道(主に政治や世界情勢)を信用していない。「新聞で信用できるのは、日付けとスポーツのスコアぐらいのもの」がぼくの口癖。

 国内外の様々な情報は、ネット(海外のものを含めて)と現地に在住する友人たち(世界的な報道機関に勤める友人もいる)から積極的に得ることにしている。彼らの話を鵜呑みにするわけではないが、そこから寄せられる情報に基づき、ぼくなりに総合的な判断を下している。
 報道に関して、日本は残念ながら後進国だと認めざるを得ないとの判断に至っている。ある程度の偏りは仕方ないとも思っているが、あからさまで、意図的な偏向報道は、民主主義にはあるまじきことであり、健全で公正な報道とはとてもいい兼ねる。

 そんななか、日本のネットニュースに、いわゆる「撮り鉄」に関する記事があった。それに目を通してみたのだが、概ね当を得ているように思われる部分もある。
 文中には、「海外の場合は、線路内や鉄道施設への立ち入りについて日本ほど厳しくなく、まだ比較的寛容な国や地域も多い。中略。とりわけ先進国と呼ばれる国や地域は、年々こうした(線路内や鉄道施設への立ち入り。亀山注)規律に対して厳しくなっており、最近は日本と同じように簡単に施設内へ立ち入ることはできなくなりつつある」とある。
 
 文意に対する “突っ込み” は今しないが、かく言うぼくも中学時代はキヤノネットを振り回す「撮り鉄」(当時、この言葉はなかった)の一味であった。
 キヤノネットとは、1961年1月(昭和36年1月)キヤノンから発売されたレンズシャッター式の中級35mm版カメラで、当時18,800円。発売2年半後には100万台を突破した人気のカメラだった。
 これを首に掛けて、近隣の線路際を歩いたり(まだ線路を跨ぐ歩道橋はなく、すべてが踏切だった。柵のないところも多かった)、上野駅に停車する蒸気機関車や電気機関車などを夢中で撮っていた。上野駅から上尾駅まで電気機関車EF53の運転席に乗せてもらい、警笛の紐を引っ張らせてもらったりしたこともある。当時は何事に於いても大らかで良い時代だったと懐かしんでいる。

 また、修学旅行にもこのカメラを持参し、ほのかに憧れを抱いていた女子(実はぞっこんだったのだが、恥ずかしいのでそうはいわない)を盗み撮ろうと目論んだのだが、その画策はことごとく失敗に終わったことをつけ加えておかなければならない。当時、ぼくは早撮りにも技術的にも長けていなかった未熟者だったのだ。まぁ、今もあまり変わりはないのだが。
 しかし、何の因果か、半世紀以上経ったこんにち、彼女は我が倶楽部の一員としてどっかりと腰を据え、幅を効かせている。「事実は小説よりも奇なり」、ホントに「何の因果か」である。だから人生は愉快だ。

 高校に入学し、ぼくは「撮り鉄」からあっさり手を引いた。理由は簡単、電化が進み鉄道車両のデザインがぼくの意に沿わなくなったからだった。「味気ない」、「魅力なし」との二言でぼくは鉄道写真から足を洗い、他の被写体に衣替えをした。女子ではない。

 昨今、「撮り鉄」の評判が芳しくない。ぼくはその実情を目にしたことはないのだが、写真に限らず、創作活動に於ける様々なことが、世間が窮屈になるつれ、はみ出し者も多くなってきたと思われる。写真の同好の志として、極めて残念至極である。だがそれはごく一部の人間だと信じたい。しかし世の中では、その “ごく一部の人間” が素早く“すべての人間”に取って代わる仕組みとなっている。

 マナーの欠如は、即ち倫理・道徳の欠如と同義であり、彼らのお陰で「撮り鉄」以外の良識ある人間がカメラをぶら下げて街を徘徊するのも憚られる有様。善良な写真愛好家にとって、このような風潮は、しかし「行き過ぎ」である。無礼、不躾は許されるものではないが、前述したニュースには「撮り鉄」が引き起こすトラブルの一因として、「インターネットの誕生とSNSの普及により、アマチュアによる作品発表の場が増えたことで、他人との差を付けるため過激な行動へと走る人が増えたことがいわれている」とある。
 この論理を「当たらずとも遠からず」に集約しては的外れである。それ以前に、この問題は撮影状況に関わらず、個人の良識や良心といった資質の問題なのだ。マナー違反をする人たちは写真に限ったことではなく、あらゆる分野に粘着テープのようにしつこくへばりつき、はびこっている。「憎まれっ子世に憚る」である。「雑草は早く伸びる」ともいうしね。

 良識や常識を持ち合わせた人たちが、十把一絡げに悪者扱いされ、怪しげな輩と同じような視線を浴びせられるのはとても辛いことだ。撮影に支障を来すような心境に追い込まれないようにするには、消極的だがぼくは、「君子危うきに近寄らず」が一番だと思っている。
 どっかりと腰を据えた女史は、「あーたから、 “君子” なんていう言葉が出るとはねぇ。『君子に写真は撮れない』っていつもいってるじゃない!」と冷ややかにおっしゃるに違いない。

https://www.amatias.com/bbs/30/575.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF50mm F1.8 STM。RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
葉牡丹。当初、葉脈と葉の縁取りが鮮やかだったのでモノクロでイメージしたのだが、カラーでも表現できると補整途中から衣装替え。
絞りf8.0、1/60秒、ISO400、露出補正-1.67。

★「02さいたま市」
木の名前、記憶は茫々。去りゆく秋を惜しむように、まだ紅葉の残滓が。
絞りf3.5、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2021/12/10(金)
第574回:ちょっとピンぼけ
 のっけから写真の話ではなく、ぼくとしてはちょっと気詰まりなのだが(といいつつ、前号だって写真の話にはほとんど触れず、自身のことばかりに終始していたことは十分に自覚している)、今まで読者数人の方々から、「かめやまさんは、イデオロギー的にはどちらなのですか?」との趣旨のご質問をいただいたことがある。ぼく同様、読者諸兄の話も写真に関してではなかった。
 「どちらなのか?」という意味は、端的に解釈すれば「右か左か」という風に捉えてよいと思うのだが、だとすれば、ぼくはいつも返答に窮していた。何故窮するのかといえば、政治的イデオロギーなどというものより、自身が社会に於けるひとりの人間として、あるいは自身の信条や実体験に基づいて、何が正しくてそうでないかの是々非々を拠り所とし、それにぼくは従おうとしているからだ。
 ただ何を根拠に是々非々を定めるかで、人は短絡的にその人を「右だ、左だ」と決めつけたり、所謂「レッテル貼り」をしたりして自分を納得させたりすることを好む傾向がある。それこそが、危険分子というべきものだとぼくは考えている。
 政治的信条は誰でもが持っているものだと思うのだが、まったく無関心な人たちも少数ではあるがいるのだろう。もしかすると、少数ではないのかも知れない。

 かつてぼくは写真屋として、世界の主だった社会主義国、もしくは共産主義国家の多くを訪問し、そこで仕事をした。特に盟主であった旧ソビエト連邦と現ロシア連邦には14度通い、市井のあらゆる階層の人々と、そしてそこに居住する様々な人種と交流した。言葉など通じずとも、我々は人類という共通の生物なのだから、たとえ国家体制がどうであれ、解り合える部分はたくさんあった。
 「言葉が通じないから」というぎこちない言い訳をする人は、ただ好奇心が足りぬだけだろう。好奇心は撮影の発露であるので、旺盛な好奇心に欠ける人たちは、写真を嗜むには不向きだとぼくは思っている。
 ぼくの撮影は、自分の足と甲斐性だけが頼りの独り旅。旅は独りに限る。ここでは他人の助けのないことを “独り” と解釈し、 “独り” であることは頭に立てたアンテナの本数をより多く必要とする。自分のことはすべて自分で管理しなければならず、したがってすべての責任を自身が負うということでもある。
 好奇心による発見は、インスピレーションやイマジネーションを与えてくれる。それは写真を撮ることの最大の恵みであろう。ソ連邦とロシア連邦は、延べ400日滞在したことになるが、そこで得たものは大きい。

 まったく好ましい旅のあり様なのだとぼくは思い込んでいるが、ぼくの場合、惜しむらくは甲斐性だけが欠如しているので、ある時は無手勝流の狼藉を余儀なくされ(と、責任転嫁をしておく)、時折、旧KGB(旧ソ連の国家保安委員会)の視線を感じながら、撮影禁止場所(日本とは異なり、あちらこちらが「撮っちゃダメ」だらけ)を重いカメラバッグを唯一の伴侶とし走り回った。
 あっちこっちでぼくはとっ捕まったが、何故か今、こうしてこの拙稿を認(したた)めている。これが北朝鮮や中国なら、ぼくはどこかに消え、今「花の写真」などと悠長なことはいっていられないだろう。
 その点、結果的には、ロシアは「話せばわかる」を地で行く国であったことは幸いだったともいえる。この地に於けるドタバタ劇の一部は拙単行本『やってくれるね、ロシア人!』(NHK出版)で、開陳した通り。そして、この地でぼくは、「早撮り」の極意?にあやかることができた。思わぬ果報を得たというべきか。

 ソ連邦に通っていた頃、周囲の人たちは「かめやまは、親ソ派であり、左翼」と思っていたらしい。ぼくは反駁さえばかばかしいと思っていたので、まったく取り合わなかったが、旧ソ連の悪名高き強制労働収容所・矯正収容所の最初のがん細胞であるソロフキ(白海に浮かぶソロヴェツキー諸島の略称。強制収容所のあったところで、通説では1923-39年に稼働。そしてまた一方、ここは中世に於ける美しい修道施設の傑出した例として1992年世界遺産となったが、当時はロシア人さえ入島することができなかった)への入島が8日間だけ許可され、おどろおどろしくも、そこに佇む美しいクレムリン(城砦)と風景に圧倒され、修道士との追いかけっこ(修道士は撮影厳禁)をしながら撮影に勤しんだ。今から17年前の2004年のことだった。昨今、ソロフキはヨーロッパ人の間で、最も人気のある世界遺産となっているそうだ。
 しかし当時は、どうやら彼の地ではぼくを危険分子、修道士の敵として見なし、手配書が回っていると、ぼくを引き受けた宿の主人がロシア人特有のユーモアを交えて、面白おかしく語ってくれた。

 帰国後、ソロフキの写真は著名なギャラリーで写真展を催してくれ、また雑誌の巻頭グラビアでも扱ってくれた。やがて写真集(『北極圏のアウシュヴィッツ』復刊ドットコム)も出版され、ソ連の恥部を公開したことにより、ぼくを「親ソ派の左翼」と呼ぶ声はすっかり影を潜めた。
 文頭に述べた “危険分子” をここでなじるつもりなど毛頭ないが、未だに世界のどこかに存在する強制収容所で、何が行われているかが白日の下に晒されている現実を直視しなければ、災難がやがて自身や子孫の身に降りかかってくることを知って欲しいと願うばかりだ。ぼくの言い分は左翼でも右翼でもない。

 嗚呼、今回も写真の話からは、『ちょっとピンぼけ』(写真家R. キャパの著作)になってしまった。危険分子は、本題を無視し続けるぼくのほうかも知れない。

https://www.amatias.com/bbs/30/574.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF35mm F1.8 Macro IS STM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
ダリア。花弁の裏側の微妙な色合いに魅了されて。色温度の高い(青味がかる)曇天下で。
絞りf8.0、1/60秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
葵。斜光の夕陽に、花弁が輝き、透過したりして、その一瞬を狙うのに一苦労。
絞りf3.5、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2021/12/03(金)
第573回:「潮時」について、しおらしく考えた
 ものには「潮時」というものがある。「潮時」とはどのような意味なのだろうと、その使い方をも含めて数冊の辞書を頼りに調べてみたが、ぼくなりに「潮時」を総合的に解釈すると、一言でいうのであれば「頃合い」ということになる。
 自己流の解釈による「頃合い」をやはり辞書に頼って繰ると、「しおどき」とあるので、あながち間違えではなさそうだ。しかし、同じ意味だとしても、双方は微妙にニュアンスが異なるので、言葉を無造作に使用してはならないと今さらながらに気づかされた。その使い分けには十分な気遣いと配慮が欠かせないとの思いにも至るのだが、所詮ぼくは物書きではないので、その甘えに寄りかかりたくもなる。だが誤ってしまうと恥をかくのはぼくひとりなので、言葉の使い方については、「徒や疎かにしてはならぬ」と戒めなければならず、「これでも素人なりに気を遣っているのだ」と一応は記しておこう。

 青春時代に読んだトルストイ(レフ・ニコラエヴィチ。ロシアの作家・思想家。1828-1910年)の『芸術とはなにか』の一節を、遠い昔の記憶をたぐり寄せながら記すと、「言葉を大切にしない人は、人間もその程度のものだ」と書かれていたように思う。その文言については一字一句正確な記憶だとは言い切れないが、この一節は非常に印象的なものとして未だぼくの心に焼き付いている。
 余談だが、ぼくは旧ソビエト時代、モスクワの南約200kmにあるトルストイの居住していたヤースナ・ポリャーナに詣でたことがある。世界第一級の大作家であることは認めるが、ぼくの肌合いにそぐわぬところもあり、ぼくのなかではドストエフスキィ(フョードル・ミハイルヴィチ。ロシアの作家・思想家。1821-1881年)のほうがずっとしっくりくる。

 何故「潮時」という単語が脳裏に浮かんだかというと、ぼくにとって写真の「潮時」はいつになるのだろうかとの思いが最近沸々と湧いてきたからだった。
 今から数ヶ月前、例によって農園(この時は小さなハーブ園)で撮影をしていて、一時間余りのうちにぼくはそこにあったベンチに3度もへたり込んでしまった。夏の暑さも手伝ってか、カメラを首にかけ、撮影もせずにボーッとしている写真屋ほど間抜けなものはない。悲しくもあり、情けなくもあり、ぼくはすっかり所在無げであった。身の置き所がなかったというわけだ。

 人間の体はとてもデリケートなもので、歳を重ねるにつれて “その日暮らしの趣き” となるらしいが、それにしても予期せぬヘタレ具合に我ながらかなりのショックを受けてしまった。今まで、そのようなことに見舞われたことなど一度もなかったので、なおさらだった。それと同時に撮影の意欲も削がれてしまったことは、いいようのない受難であるかのようにも思われた。何度も気を取り直し、ベンチから腰を上げたものの、その時は気力・体力ともに失われ、撮影打ち切りを余儀なくされた。こんなことは長い写真人生のなかで初めてだったので、ぼくはわけが分からず、ただ狼狽えるばかりだった。
 疲労感に襲われることは誰にもあることだが、「よしっ、ここでもうひと踏ん張りするか」という生来の意力が損なわれたことも未体験だったので、ぼくは悄然として天を仰ぐほかなかった。

 気力が充実していれば、多少肉体が衰えても、それを填補することはある程度できるであろうとの考えを持ちつつも、今その信条は少しぐらつき怪しくなっている。写真を生業にしている人間にとって、怪しくなっては困るのだが。
 さしあたって、「信ずる者は救われる」というから、その教えに従おうと思っている。また、「溺れる者は藁をもつかむ」ともいうが、これは誰もいないところでしないといけない。また、口に出してもいけない。質の悪い人間がぼくの周りにはウヨウヨととぐろを巻いているから、絶対にそのような隙を見せてはならないのだ。彼らの毒牙にかからぬようにしなければならず、ぼくはぼくでけっこう大変なのだ。

 それ以降、幸いにもまだベンチにヘタリ込むような無様なことにはなっておらず、「あれは一時的なもの」と決め込み、自らをさかんに慰め、奮い立たせようとしているのだが、もしそのようなことが度重なるようであれば、その時はもはや写真を辞める「潮時」なのかなぁと観念せざるを得ない。
 ここに至って、気ばかり若いつもりでいるうちがまだ華なのだろうが、次なる一手を真剣に考えておかなければならないと思っている。ここだけの話、まず我が倶楽部のメンバーいじめなど、恰好の材料であり、またその最有力候補だ。今までの彼らのぼくに対する狼藉に対して、仇討ちに血道を上げるのも愉快なこと。余生をこれに費やすのも乙なものと考えている。
 この倶楽部を否応なく立ち上げざるを得なかった当時(2003年)のメンバーの生き残りもまだ頑強に腰を据えている。立ち上げのきっかけとなった当時の初心である「プロの道で培ったものを惜しみなく分け与える」との趣旨に立ち返れば、ぼくは「アメとムチ」を上手に使い分けるどころかアメばかり与えてきた。今度はムチの出番だ。
 今時小うるさい「パワハラ」なんて、徒弟制度をくぐってきたぼくにしてみれば、そんな小賢しいものは「ちやんちやら」(「ちゃんちゃら」ではなく、落語『雛鍔』の、志ん朝の口調で)おかしい。

 この拙稿も「潮時」を迎える時がやがて来るだろうが、読者諸兄からのありがたいメールなどをいただいている限り、それに応える義務がある。こちらは体力が衰えても、気を張ってまだしばらくできそうな気がするが、そのうち打ち首に処されるということも、十分に心得ておかなければと思う今日この頃。

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カメラ:EOS-R6。レンズ:RF 100mm F2.8L Macro IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
花名分からず。最近ど忘れがひどい。本当は知っているのだが、出て来ない。マクロレンズで覗いてみたら、別の世界が見えてきたように思え、絞りf 値に知恵を練る。絞りを変えて何枚か撮ればいいものを、困難な姿勢に耐えられず、1枚で決着をつける。
絞りf3.5、1/200秒、ISO640、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
風に揺れる親の仇のようなコスモス。色褪せた加減が気に入り、逆光(夕陽)で花弁の1枚だけが透過。花の動きと自分の身体を同期しながら撮る。
絞りf10.0、1/400秒、ISO800、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2021/11/26(金)
第572回:道具とは、「帯に短し襷に長し」?
 写真に肩入れをすると、誰でもが使用機材や関連ソフトに欲が出て、否応なく散財を繰り返すことになる。これはぼくだけの現象ではないと思う。趣味の世界に於いてごく自然な現象と思うが、熱を帯びるほどにそれが繁茂し、やがて抜き差しならぬ状況になってしまうことは、写真に限らずどの様な分野でも同じであろう。 
 自身を振り返り、また周囲を見渡すと、趣味に興じている限り(仕事ならなおさら)、永遠に続くものだとの確信をぼくは抱いている。逃れようのない業のようなものだ。出費を気にしつつ、それを警戒しながらも、抗うことはできず、知らずのうちに深みにはまっているという寸法だ。体温を測っていると、体温計の水銀柱(古い?)がどんどん上がっていくが如く、一般的には趣味に対する熱と出資も熱意に比例して上昇する。これはある意味、上昇志向の具体的な表れでもあり、それを測る指針ともなる。

 では、抜き差しならぬ深みにはまってしまった人は、必ずしも上達を約束されるかというと、世の中そんな甘いものではないので、事は厄介だ。だが、深みにはまらないと上達が思うに任せずという現実も一方にはある。ここに至って、その約束を果たそうとする人は、上達が保証される傾向がより強いものだ。
 機材やソフトの出資を惜しむ人は、「今あるもので間に合わせる」という “知恵” がそれなりにつくのだが、そこにはやはり限界がある。経済的な制約は誰にもあるが、その限界を何処に持って来るかで、その人の方向がある程度決まってしまうといっても過言ではない。このことは、ぼくが今まで助手君をも含めて、数十人の写真愛好家と触れあった、その経験則によるものである。
 ただ一言添えておかなければならないが、経済的に制約がなく、高価な道具を惜しみなく手にしている人は、道具と一心同体になれず、とんでもなく下手な人が多いことも事実だ。これは、ぼくのやっかみではない! 

 話は前後するが、「今あるもので間に合わせる」との “知恵” を以(もっ)てこそ、適材適所に使いこなすための機材を無駄なく選択する見識が生まれるものだとぼくは思う。
 だが、無駄を重ねないと深遠には行く着くことができないとの信念も、ぼくはついでに持っている。「無駄はできるうちにしておきなさい。無駄を肥やしにするか、できないかはあなたの心得次第」とえらっそうにいうが、それはぼくの偽りなきところだ。その本心を、ぼくは自身に向けてきたと、えらっそうでなく、ここでいっておきたい。

 この連載の初めの頃に、「弘法筆を択ばず」について触れたことがある。この諺について論じるほどの、十分な経験や学識、素養や知見をぼくは持ち合わせているわけではないが、たとえば生涯に約12万体の仏像を彫ったとされる江戸時代前期の仏師・円空(1632 - 1695年)は、鉈(なた)での一刀彫りのようにいわれているが、滋賀県や岐阜県で撮影のため20数体ほど実見したぼくは、円空が多数の彫刻刀を用い丁寧に彫っていることを知った。同行した学芸員も、円空が鉈1本で彫ったという風説はまったくの誤りであることを教えてくれた。
  “適材適所” の教え通り、性格の異なったそれぞれの彫刻刀を駆使しながら、あたかも一刀彫りであるかのような印象を与え、特有の作風に昇華させた円空という仏師は、紛れもない天才だと感じるのはぼくだけではないだろう。もともと円空仏に魅せられていたぼくは、非常な感銘を覚えながらシャッターを切ったものだ。

 道具の適材適所について、写真に限っていうならば、撮影目的に合致した道具立ては、撮影の困難さを軽減させ、また同時に画質や写真のクオリティーを保ったり、上げたりすることに少なからず貢献してくれる。
 8月末に新調した100mmマクロレンズ(以前使用していたものも同社のマクロレンズなのだが、マウントが異なるため新たに購入)をなんとかこなそうと目下奮闘中であることは、拙稿に何度か記した。今のところ、7勝3敗といったところか。

 マクロレンズを持っていない方は、接写リングやクローズアップフィルターで賄うという知恵も一方にあるが、使い方が限定されるので、やはりあくまで「間に合わせ」の感は否めない。限定的な選択肢のひとつだとは思うが、使い勝手やクオリティーを勘案すると、マクロレンズには到底敵わない。それ用に作られているのだから当たり前のことなのだが、諸収差(特に像面彎曲と歪曲収差)が極力抑えられているので、通常の望遠レンズと比べても、クオリティーにまったく遜色がなく、それどころか優位な点がいくつも見出せる。中心から周辺までの描写が均一(ピントの平面性が一般のレンズより優れている。像面彎曲)なのもそのうちのひとつといえ、この秀逸さは撮影時に神経を尖らせずに済む。どれほどありがたいことか。

 写真の道具立てのなかで、特に抜き差しならぬ状況に陥ってしまうのがレンズだ。それをして「レンズ沼にはまる」(ぼくはこの表現が嫌いなので、もう使わない)というらしいが、レンズほどではないにしても、ひとつで賄いきれないものに、三脚やカメラバッグがある。どのような製品でも「帯に短し襷(たすき)に長し」だとぼくは思っているが、使用中に我慢ができなくなると、まるでコレクターのようにあれこれ手を伸ばし始める。気がついてみたら、いつの間にか三脚もバッグも数個ずつなんてことになっている。ぼくの場合、すべてがこの有様である。
 このような状況に陥った時の恐さは、出費ではなく、実のところ女房殿なのだ。戦慄を全身に走らせながらも、必要と思い始めたらもう我慢ができない。針のむしろに座ったような心地を耐え忍び、やがてそれらがぼくの上達にわずかながらでも寄与していると思わなければ、やっていけないのである。

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カメラ:EOS-R6。レンズ:RF 100mm F2.8L Macro IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
彼岸花。以前(第517回)に掲載の彼岸花は赤のイメージを大切にしたが、今回はモノクロをイメージ。わずかに調色を施す。
絞りf2.8、1/160秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
彼岸花の盛りは非常に短い。「01」と同じ日に撮ったが、もう2,3日もすれば完全に色褪せてしまうのだろう。
絞りf2.8、1/200秒、ISO125、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2021/11/19(金)
第571回:やっぱりぼくはおめでたい
 友人から「君は、 “よもやま話” を利用して悪態ばかりついているな。たとえば “コスモス” や “ウォーキング” などに恨み辛みを執拗にぶつけている。鬱憤晴らしを、何とか写真に託けて、ストレス発散の場にしている。そんなことをしている君を見ていると、なんとも羨ましい限りだよ」なんてことをいってきた。ちょっと的外れな指摘ではあったけれど、甘受しておこう。
 「今は誰でもがSNSを利用してぼくと同じようなことをしているんじゃないの? 自分の考えを何らかの形で文章化し、それを世間に公表したり、訴えることは以前には考えられなかったことだ。それをするには活字媒体を利用するしか手がなかったし、それができるのは限られた人たちだけだった。いってみれば、その分野のエキスパートと目されている人たちの特権ともいうべきものだったわけだ。
 だが、今はそうじゃない。誰もが自分の意見や考えを世に伝える手段を有することになった。それが時代の流れだと思うけれど、ぼくの場合はテーマが “写真よもやま話” と銘打ち、写真に関連付けられているので、その “紐付け” に苦心惨憺している。必ずしも、言いたい放題ではないのだよ。
 SNSやネット の風潮に倣って、“紐付け” とか “ハレーション” という言葉も一般化し、言葉の定義と使い方もそれに即して使用されるようになってきた。別に若ぶるつもりは毛頭ないけれど、言葉の使い方が独善的でなく、あるいは誤用や汚いものでなく、広義になるのであればむしろぼくは大いに歓迎すべきことだと思っているよ。社会文化に貢献するという意味でもね」と、ぼくも少々的外れな返答であることを承知の上で彼にそう返した。

 そして、読者の方からメールをいただき(以下、文面そのママ)、「私も亀山さんと同じ100mmのマクロレンズを愛用していますが、風に揺れるコスモスを等倍(倍率1.0倍)、あるいは限界の1.4倍(新しいRFマウント用の100mmマクロレンズは倍率1.4倍という驚異的なもの)で撮ろうとすると、ピンボケばかりで、ちゃんと撮れたためしがありません。亀山さんのようなプロでも、やはり相当苦労なさっているのですね。それを聞いて安心しました。どのようにすれば良いかと途方に暮れる次第です」(かっこ内は亀山注)と記されてあった。

 「私もそのお話を伺って安心しました。ぼくだけが意気地なしと思い込まずに済みそうです。カメラを担いで、国内はもとより、海外でも散々場数を踏み、修練を積んできたつもりの私は、フィールドワークにはそれなりの自信があったのですが、コスモスに恨み言を書き連ねました。自分の技術不足を棚に上げ、恨み骨髄に入ってしまいました。コスモスこそいい迷惑ですね。
 取り敢えずの解決方として、無謀に槍を振り回すが如く、被写界深度を深く取り、速いシャッター速度を用い(当然、それにつれてISO感度をやたらと上げなければならない)、マニュアルフォーカスで見当を定め、盲目的に立ち向かうという方法が順当なものかどうかは分かりませんが、コスモスをブレずに、しかもピントの合った結果を得る可能性は高くなるでしょう。しかしこれは、 “行ってこい” の運次第ということになりましょう。写真は、結果オーライという無秩序で粗雑なものではありませんしね。この連載の初めの頃に、 “写真は決して偶然に撮れるものではない” と主張しました。
 第一、被写界深度を深く取ればいいとの考えは、コスモスの背景描写をどの様に描くかということにまで気が回っていないことになります。背景はあくまで脇役であり、主人公の引き立て役を演じなければならず、脇役が出しゃばっては写真になりません。主人公と脇役はその意味では常に同等の役割を担っており、価値を共有するものです。この匙加減が大変難しい。
 被写界深度に頼らず、思い通りの絵が描けるように、くじけず研鑽を積むのが最も建設的な考えだと私は思います」と返信した。

 夕方、近所を歩いていると盛りを過ぎ色褪せたコスモスが、秋を惜しむように息絶え絶えに咲いていた。一輪だけポツンと咲いているその様は、哀愁を帯び、ぼくの心を打った。
 幸いなことにこの日は無風状態。「コスモスめ、油断しおったな。直ぐ戻るからそのまま待っておれよ。動くなよ」と言い放ち、自宅から2,3分の距離だったので、サイレンを鳴らしながら走る緊急自動車のような面持ちで、早速家に取って返し、100mmマクロレンズをカメラに装着した。息絶え絶えになったのはぼくのほうだった。
 約40年前に購入したハッセルブラド用のC. ツァイス製フィルター(ソフターI)も動員した。フィルター使用は背景の空模様と色合いが面白かったので(掲載写真「01」)、咄嗟に思いついたものだったが、その健気なコスモスに、この日ばかりは恩讐を越えて、ぼくは持ち前の寛容さ!?を発揮し、優しさを持って対峙するには、そのフィルターは似合った道具立てだと思った。
 「もうコスモスを撮ることはないかも知れない」と、半ばヤケクソで、悔しまぎれに言い放った尻から、この有様である。けれどこの時、コスモス相手に恩讐を乗り越えた自分を誇らしく感じたものだ。どこまでおめでたい男なのだ。

 だが、コスモスも「あたしを撮りなさいよ。今あたしを撮らないとあんたは金輪際コスモスを思うように撮れないんだかんね」と命令口調でいっているように思えた。やはり、ぼくよりコスモスのほうが、悔しいかな、位が上なのだ。 

 このフィルターはぼくのお気に入りのひとつで、約40年前、類似品をあれこれ試し、「この品位に勝るものはなし」と購入したものだった。ハッセルブラド専用で、他のカメラには装着できないが、レンズ径がフィルター径より小さければ、手でかざして使用できる。ソフトフィルターは、絞りf値を変えると、描写も変化するので、その違いを把握しておかなければ、自在にこなすことはできない。
 掲載写真は、脇役となる空の模様・色合い(色合いはPhotopshopで多少の調整をしている)、そしてシルエットになった枯れたコスモスの描写などを勘案し、一発撮り(あまり良い表現ではないね)を敢行。
 失敗を恐れ、何枚も撮るという魂胆では、またコスモスに見下されてしまう。料簡を見透かされているので、位を同等にするには、もしくは今後上位に立つには、1枚で決着をつけなければ示しがつかない。男の沽券に関わると思い込んだのだから、やっぱりぼくはおめでたい。

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カメラ:EOS-R6。レンズ:RF 100mm F2.8L Macro IS USM + フィルター。RF 35mm F1.8 マクロIS STM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
今回記述したコスモス。フィルター効果も相まって、全体に柔らかく、ボーッとした仕上がりに。
絞りf4.0、1/250秒、ISO250、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
芙蓉? 色鮮やかな芙蓉を見ていたら、ちょうど良い光線が脇から射した。
絞りf5.6、1/125秒、ISO160、露出補正-1.33

(文:亀山哲郎)

2021/11/12(金)
第570回:写真は体力
 何事に於いても習慣とは恐ろしいものだ。以前、拙稿で述べたが、散々蔑んでいた「ウォーキング」を、苦々しく思いつつもまだ続けている。気がついてみたらぼくは重い尻を叩きながらもなんとか励行し、すでに4年目を迎えていた。
 ぼくが「ウォーキング」を疎ましく感じていた理由は、それに費やす時間が猛烈に忌々しく、もったいないものに思えてならなかったからだ。「ウォーキング」に費やす時間を他のことに回したかった。

 せっせと歩く自分に対し腹立たしく思えたものだが、では何故それを忌み嫌いながらも敢行したかといえば、「才能に劣る者は、ひたすら体力に頼る他なし」を信条としていたし、またそう吹聴もしていた。それに従えば、体力の衰えとともに自分の写真の質も衰えていくかも知れないと踏んでいたからだった。
 この事象はひょっとすると間違いのないことと思っている節があり、もしそうだとするのであれば、体力と精神の齟齬はきっと自分を苦しめることになる。その恐怖心を和らげようとの気持から仕方なく始めたものだった。
 歳を取って体力が衰えても、自分の写真は良い方向に変化しつつあることを願う気持は強く、写真を続けている以上はそうでなければならないと盛んに自身を鼓舞する必要があった。杞憂に終わればよいと願いつつ、もしそのような写真屋の性を失っては、芸なし人間のぼくなど、無駄飯を食らうばかりではないか。

 「ウォーキング」が体力にどのような良い影響を与えたかについては、残念ながら目下のところ自覚なし。書物やネットを散見する限り、「ウォーキング」はその効用とともに百利あって一害なしのように記されているが、効用が顕著に表れているとも思えなかった。
 もし「ウォーキング」をしていなければ、今の自分の状態がどの様であるかについては確かめようがない。世間で流布している効用があったのか、なかったのか、少なくとも自身に関する限りそれを証明することができないでいる。主治医や耳鼻科の医師、看護師さんたちの「ウォーキング」促進協会(そんなものがあるのかどうか知らないが)などは、口裏を合わせるように「非常に良いことなので続けるように」と微笑みながら、懐疑的かつ軟弱なぼくから金銭を当たり前の如く奪い取り、したり顔でそうおっしゃる。ぼくを無条件降伏させようと追い込んでくる。逃げ場のないぼくは、素直に従わざるを得ない。

 だが、いつの頃からかは定かでないが、腹立たしさも多少和らぎ、歩きながら目にする光景や事物に対して、「これを撮るとどうなる? 写真になるか、ならないか?」、「どんなイメージを描く?」、「あのおばさんの表情からして、昼飯には何を食べたのだろう? 夫婦げんかでもしたのだろうか?」、「そういえばこの風景、昔どこかで見たような・・・。あんなこともあった、こんなこともあった。今思い返すと・・・」などなどあらゆることを考えたり、思い起こすことに「ウォーキング」は寄与していることに気づき始めた。枯れ葉の美しさや愛おしさの発見もそのうちのひとつだった。
 体力の向上は分からないが、精神的な意味で様々な「気づき」に出会うことになった。この効用のほうがぼくにとってずっと好ましく思えた。腹を立てながらの「ウォーキング」は、効力を弱めるであろうと思えた。また、貧乏性のぼくは、「ウォーキング」をサボると今までに費やした約1,000時間をドブに捨てるような気に襲われ、もう後には引き下がれなかった。

 今ぼくのテリトリーには気をそそられるような花があまりない。目立つのは好きでない菊ばかりで、ぼくはまた途方に暮れることに相成った。もう、疫病もかなり下火になりつつあるので、意を決して来週あたり、花の呪縛から解放されんがため、隣接する県に出かけてみようと考えている。
 カメラもレンズもささやかな変身を遂げ(以前より嵩も重量も減った)、ぼくのアマチュア精神(仕事ではなく、趣味として写真を愉しむ)も約40年ぶりに復活を遂げつつあることだし、気を改めて、花以外の被写体を漁りたい衝動に駆られている。
 風に揺れ、大きく首を上下左右に振るコスモスの接写には散々な目に遭わされ、おまけに目眩や腰痛にも苦しめられ、コスモスはぼくの手に余ることも判明した。彼女たちはぼくの天敵となった。また、非日常の街をカメラをぶら下げて徘徊すれば、「ウォーキング」の効力が如何ばかりのものかが分かるかも知れない。

 学習能力に長けたぼくは、来秋この過ち(揺れ動くコスモスの接写)を犯さないだろうと思いたいが、被写体に対する執念深さは人並みではないので、怪しいものだ。あり余る悔しさと執念のため、また仇討ちのため、それに立ち向かうかも知れない。だが、確信の持てないことを公言してしまうと、後に引けなくなる。ここだけの話だが、もしかすると、ぼくはその愚を再び繰り返すような気がしてならない。ただ恐らく散々罵倒した「ウォーキング」の愚は、新たな発見を求めるため、性懲りなく続けていくような気がする。医者さまたちの言に従うわけではないことをここで明言しておかなくてはならない。

 秋の夜長、手元に溜まった枯れ葉をどの様に撮ろうかとのインスピレーションを得るために、この原稿を書き終わったら、枯れ葉の舞う夜道をこっそり歩いてこようかと思っている。秋の夜は長い。

https://www.amatias.com/bbs/30/570.html

            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF 35mm F1.8 マクロIS STM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
マリーゴールド。赤というより深紅の輝くような縁取りを持ったマリーゴールドを初めて撮ってみた。いろいろプリセットを重ね、調整しているうちに、赤と黒だけになってしまった。これ以上派手にならぬよう、見た目に近い描写に。
絞りf5.0、1/30秒、ISO600、露出補正ノーマル。

★「02さいたま市」
少し時期の遅れたさざんか。補整時に、微妙な色合いを生かすべく、健忘症の頭をコスモスのように左右に振り思い出す。
絞りf9.0、1/30秒、ISO160、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2021/11/05(金)
第569回:一難去ってまた一難(続)
 前号に「そうは問屋が・・・」と記した。まず、それについて述べてみよう。花のRaw現像作法に倣って、枯れ葉も気楽にRaw現像できると踏んだぼくは、考えの甘いことに気がついた。「あれっ?、これってヤバくね。違うよね」がぼくの第一声。花と同じ感覚を以(もっ)てRaw現像すると、どうしても色味が実物より鮮やかになってしまうのだ。花はそのようには感じなかったが、枯れ葉はこれではまずいのではないかと思えた。花に限らず、ほとんどの被写体の現像時に彩度を下げることはあっても、上げることはほとんどない。彩度を上げると、イメージした枯れ葉の色味がぼくにはどうしても相容れない。
 つけ加えると、彩度を低めにRaw現像する理由は、ぼくの気に入ったいくつかのプリセット(具体的には、Photoshop、DxO、Nik、ON1などに附属したプリセットを自分なりに調整したもの)を重ね合わせていくうちに、どうしても自然と彩度が高くなっていく傾向が見られるからだ。花に限らず他の被写体でも、Raw現像はあらかじめ彩度を心持ち低く設定することにしている。彩度は後で自由が効くので、Raw現像時の彩度は控え目にというのがぼく自身の基本的なメソードだ。

 彩度が高くなっていく現象は、ソフトによるものなのかと一旦は考えてみたが、あれこれソフトをこねくり回し検討しているうちに、問題はソフトだけにあるのではないことに気づいた。ソフトは枯れ葉を認識すると、どうやら気を利かせて、「赤」をより鮮やかに演出し、「私はまだ枯れてはいない」と敢然とアピールをするように仕込まれているように思える。
 だが、0と1で出来上がっているデジタルにそんな器用なことが出来ようはずはない、と思うのは素人の浅ましさであろうか? AIだって、感情や感覚、情緒までコントロールが出来ないのだから。

 余談だがコマーシャル・カメラマンは、いわゆるポスターや雑誌、カタログなどの「物撮り」では、実物の色や質感、立体感を忠実に再現することを要求される。フィルム時代でも今のデジタルでもそれは同様であり、この困難な作業を克服する技術や知識がないと、商売上がったりとなる。「であるにも関わらず、たかが一葉の枯れ葉に」である。嗚呼、「♪ 枯れ葉よ〜♪」なんて歌っている場合ではないのだ。因みにぼくは、余計なことだが、シャンソンは昔から好みに合わない。

 ぼくの枯れ葉は、図鑑や図録用に撮っているのではないので、再現上あくまでイメージカラーを優先すれば良いのだが、枯れ葉はやはり “枯れ葉らしい” 色彩というものがあるはずだ。それが枯れ葉に於けるぼくのイメージカラーといってもいい。 “らしさ” の表現はとても重要な要素であり、それなくしては写真を撮ることの意味が極端に薄れてしまう。記録写真や記念写真ではないのだから、 “らしさ” にこだわって悪いことは何もない。 “枯れ葉らしさ” や “あなたらしさ” を失えば、創造の意味をも失い、それなくしては作品という存在意義さえ見出せない。

 もはやぼくも、枯れ葉同様に枯れかかっているはずである。認めたくはないが、現実にぼくの肉体は、不憫にもあっちこっち悲鳴を上げている。そのような現実に我が身を照らし合わせると、当然年相応の枯れ葉表現であって然るべしで、枯れ葉の色彩や質感をどのように扱うかをしっかり定め、自覚しておかないと、やり繰りができないということに突き当たった。ぼくの写真に対する精神や情熱は若い頃のままだが、体力が追随しないという悲哀と矛盾に苦しめられている。ここに大きな問題が生じている。

 ぼくはここしばらくこの重要な問題に取り憑かれ、それを勘案するとなかなか思うように進むことができなかった。未だにそうだ。たかが枯れ葉一葉に、なんと忌ま忌ましいことか! 今ぼくの部屋には撮れずにいる枯れ葉がどんどん溜まっている。
 枯れ葉の形態が、自分にとってどのようなものかをまずは検討することの必要性に迫られたといっていい。しっかり認識していないと前にも進めず、また後戻りもできないという無様さに、気がふさいでやりきれない。ぼくは、見た目通りの枯れ葉再現と “ぼくの枯れ葉” についての間を行ったり来たりしながら試行錯誤しつつ、頭を悩ませ、今振り返ると後退りばかりしていた。その結果が前号で掲載した枯れ葉だった。しばらく、枯れ葉は撮らずに、観察に徹しようと思っている。

 花より枯れ葉のほうがぼくにとって色再現が難しいことに突き当たり、「こんなはずでは」と、思わず口走ったくらいだ。花の、いわば官能的な形象に対し、枯れ葉をどこか宗教的観念と美術的観念の双方で捉え、それを結びつけようと、ぼくは欲をかいているからなのだろう。欲という毒を、少しずつ捨て去らないと身が持たぬお年頃なのにと思いつつ、「毒を食らわば皿まで」なんてぼくはへそ曲がりらしいので、さらに斜に構えて(物事に正面から接するのではなく、ことさらずれた対応の仕方をする。大辞林)、そううそぶいている。往生際が悪いったらありゃしない。

 樹木を生長させ、豊かな実りを得るために自然界はそれなりの様相を整えるものだ。手の込んだそのありように科学では説明できない神秘を感じ取ることができる。
 新緑の若葉がそれなりの役目を終え、やがて散って行く様は、生命の循環という視点からすれば、それ相応の感覚と表現が必要なのではないかとぼくは改めて感じている。
 しかし、四季の移ろいのなか、そこはかとない侘しさ漂う秋に舞うこの難しい被写体に挑むのも、年相応で乙なものかも知れない。「若気の至り」なんていう言い訳も通じないしね。

https://www.amatias.com/bbs/30/569.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
里芋の葉。今日は2枚とも一般受けしない写真で、すいません。でも、これが撮影時のイメージ。
絞りf11.0、1/30秒、ISO320、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
モノクロの花縮砂(はなしゅくしゃ)。花名が分からずにいたが、近くにいる人が花名を教えてくれた。
絞りf13.0、1/25秒、ISO640、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2021/10/29(金)
第568回:一難去ってまた一難
 風になびく首振りコスモスに散々悩まされたこの秋。街のあちらこちらに咲くコスモスを見るにつけ、ぼくの気持は晴れず、花を愛でる気持は沈んでいく。当てこすりのようにカメラを持っていない時に限って風は止んでおり、コスモスは造花の置物のように身を固めじっとしている。
 「話が違うじゃないか」とぼくは憤悶を増し、やり切れぬ思いに囚われる。コスモスとはもう縁を切りたいが、去年は気に入った写真を提供してくれたので、ぼくはやはり彼女たちに未練を残しており、捨て切れずにいる。「悪いのはコスモスではなく、ぼくのほうなのだ」と、健気で正しい気持をまだ失ってはいない。多少は正気を保っているようだ。
 前号でコスモスに悪罵を浴びせているので、これ以上は見苦しく、ややもすると品性の下落を招く恐れさえあるので、ここらで打ち切りにしたいと思っているが、実のところ、今秋のコスモスにぼくは相当手を焼き、堪えたと正直に告白しておく。

 「首振りコスモス + マクロレンズでの接写=自信喪失と諦め」というぼくの新たなる図式を克服するには非常な技術を要求されるが、それは精進と励ましを与えてくれるとするのが建設的な考えというものだ。
 けれど一方で、「自信喪失」や「諦め」は、誰にとっても最大の関所であり、それがために精神をも蝕まれ、時に三半規管に存在する耳石の移動を余儀なくされ、ぼくは生まれて此の方、体験したこともないような激しい目眩と吐き気に襲われてしまった。まだ時々フワーッとした変な感覚がある。コスモスを撮ろうとしたらぶり返すかも知れないという恐怖すら覚える。読者諸兄も、首振りコスモスに頭を同期させ、揺らしながらの超接写にはどうかご用心あれ。

 そしてぼくはご丁寧に、今まで体験したことのなかった腰痛まで味合わされている。コスモスとの接近戦は、まさに「貧すれば鈍する」、じゃなくて「踏んだり蹴ったり」である。ぼくは何と虚弱な写真屋になり果ててしまったことかと齢73にしてガックリしている。老いがそうさせるのかも知れないが、長い写真生活に於いて、今頃コスモスによるトラウマにつまずくとは考えもしなかった。
 すっかり気落ちしたぼくは、それ以来コスモスとはなるべく目を合わさぬように伏し目がちの状態で街を徘徊している。腰痛もあってか身をかがめながら地面を見つめ、静々と歩くようになった。
 コスモス・トラウマからの早い脱却を果たさなければならず、気分転換の必要性に迫られたぼくは、背を丸め、どこかうなだれるような恰好で歩くせいか、地面との距離が近くなり、今を盛りと地に撒かれた落葉に自然と目が行くようになった。前号で題名とした「落葉拾い」の如く、枯れ葉に心を奪われ、葉の厳選はしないが、気に入った落葉を何枚か片手に束ね、ウォーキングを愉しんでいる。
 これはこれで高尚なる精神生活の一部だと思えてきた。そして、落葉の発見は、心の暗闇に一条の光明が射したように感じている。コスモスへの仇討ち変じ、「江戸の敵を長崎で討つ」か。今、自分の執念深さに嫌気が差しているほどだ。来年は、コスモスと仲直りできればと願っている。仲違いしているうちは、良い写真など望めないしね。

 さて、家に持ち帰った落葉はできるだけ早く料理(撮影)したほうがいい。落葉の状態にもよるが、概ね時間が経つとグニャグニャと波打ち、時には乾燥してパリパリになり、欠けてしまうものがあるからだ。
 枯れ葉のなかには、波を打ったもののほうがプロポーションが良いと思えるものや、反対に押し花のように平面性を保ったもののほうが見映えがする場合もある。このへんの調整は撮影者の感覚次第だが、波を打ったものは接写ゆえかなりの被写界深度を必要とし、f値を大きくしなければならない。室内であれば三脚使用は必須条件となり厄介だが、しかし野外のほうが光や風などを勘案すると必ずしも良い条件とはいえない。じっくり腰を据えて撮るには室内のほうがやはり良いだろう。

 原則的には、マクロレンズの使用が好ましく(近接が容易なことと、描写性能などを含めるとそれが最善)、持っていなければより大きな撮影倍率を稼げるレンズやその他のアクセサリー(接写リングやクローズアップフィルター)を用いればいい。なお、接写リングについては「第172回『接写』(3)」に述べているのでそちらをご参照あれ。

 この1年半、花を再現する際に、Rawデータの色温度や色相(ホワイトバランス)はほとんどデフォルトで現像していた。Raw現像時にできるだけ詳細にわたって調整し、厳格に追い込んでいくべきというのがぼくの持論なのだが、花に関しては意外にもデフォルト状態のことが多く、鷹揚なものである。鷹揚すぎるくらいだといつも感じていた。
 それは、実際の色の通りに再現する必要性をあまり感じていないからだろう。撮影した花の色味はぼくしか知り得ず、しかも図鑑や図録ではないのだから、イメージカラーを重要視し、それを前面に押し出すことに力点を置きたいし、これからもそうだろう。自分ひとりがすべてをマネージメントすればいいのだから、気楽に構えていればいい。

 枯れ葉も花の作法に倣ってみた。枯れ葉は花のように立体的でなく、どちらかというと平面体であり、撮影も複写に近い。Raw現像を含めて、その後の補整にもそれほど手はかからないだろうと踏んでいたのだが、どっこい「そうは問屋が・・・」。嗚呼、一難去ってまた一難である。(次号に続く)

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カメラ:EOS-R6。レンズ:RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
虫喰いで穴だらけになった桜の葉。公園の桜の木の下で偶然に見つけたもの。
絞りf13.0、2秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
花水木。実物をPCの横に置いて補整。
絞りf16.0、2秒、ISO200、露出補正-1.00。

(文:亀山 哲郎)