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2001/05/23(水) |
育児 |
昨日の続きです。私どもは育児情報についてのデータベース構築を検討中ですが、これは単にデータベースを作るのではなく、「マイタウン浦和」利用者が活発に意見交換をできる場所にしていきたいと思います。もちろん、他のデータベースに付加する「ファンクラブシステム」も育児情報の中で活躍します。
私は、育児関係の情報はこれからますます重要性を高めていくと思っています。知人からも、「育児施設が充実しているところでは、一家庭に子供が三人いたりするんですよ」という話を伺いました。日本では出生率が低下し、高齢化を迎えると共に今後は人口の減少に見舞われるわけですが、育児環境さえ良ければ子供を産みたいという親がもっと増えてくると思います(我が家もそうです(^^ゞ)。 私だけかもしれませんが、子供がいない、あるいは子供が少ない街には少なからず違和感を感じます。巨大資本を注入すれば、巨大なビル群を建てて、短時間で人工的な街を作ることは可能です。でも、日中大人だけ、それも仕事関係者だけがいて、夜になるとゴーストタウンになるとか、子供の姿が見えないまま街の住人達が高齢化していくだけの街だって世の中には存在するわけです。まるでSFの世界ですが、これからもそんな街は増えてくるかもしれません。でも、私はそんな街にあまり魅力を感じません。私のようなちっぽけな担当者が考えるのは全く不遜だとは思いますが、浦和は子供の声が溢れる、楽しい街にしていきたいものですね。育児に関する要望や提言がこのホームページでまとめられ、浦和の方々がより住みやすい町になったと感じられるように私は努力したいと思っています。 |
(文:忍者) |
2001/05/22(火) |
有言実行 |
先日、とある女性と「マイタウン浦和」の新規データベース構想の話しをしていて、「必ずやってちょうだいよ!」と念を押されました。作る予定なのは保育園・幼稚園データベースです。子供が産まれたり、既に子供がいてもどこかの街に引っ越したりする場合、両親が最初に気にするのは保育園とか幼稚園をどこにするか、ということだと思います。結構重宝なデータベースになるのではないかと私は睨んでいます。
我が家にも1歳10ヶ月になる女児がいるのですが、1年半ほど前、まずどこに預けるか、が問題になりました。最近引っ越しが決定的になると、今度は引っ越し先ですぐ預けられるところがあるか、それはどんなところか、と家の中で毎日話題になりました。そんな経験を多くの方がお持ちのはずです。保育園や幼稚園など、育児に関する役に立つ情報を盛り込みたいというのは、「マイタウン浦和」を最初に企画した時から私の中にありました。是非充実した情報を載せたいものです。 ところで、私は「有言実行」が好きです。「不言実行」が正しい日本語なのかもしれませんが、どうもこの言葉にはいざというときの逃げ口上が隠れているような気がして好きになれません(私だけかもしれませんが)。どうせなら「俺はやるぞ!」と宣言して、成功しても失敗しても必ず自分が責任を取る、というスタイルが私は大好きです。というわけで、「幼稚園・保育園」データベースを作ります! いよいよ育児関係に本腰を入れて取り組む所存であります。乞うご期待下さい。 |
(文:忍者) |
2001/05/21(月) |
ゴールデンウィークに大阪のユニバーサルスタジオへ行ってきました。入場するのに3時間、各アトラクションにも約3時間並びました。並んでいる時に気づいたことは、どのアトラクションでもそうだったのですが、たくさんのゴミがあちこちに散乱していたことです。あたりを見回すと、そういえばゴミ箱がない・・・。なんと入り口までおよそ500mの間にゴミ箱は1つだけ。その辺に捨てることは全く良いことではありませんが、これではショウガナイなと思いました。
ゴールデンウィークに間に合うように急いで完成させたという話も聞きましたが、アトラクションを1つ作るならまだしも、ゴミ箱の設置ぐらいならそう時間はかからないはずです。 その他のパーク内はとても綺麗だっただけに残念です。 |
(文:忍者) |
2001/05/18(金) |
ファンクラブシステム |
「マイタウン浦和」にはいろいろな企画があります。全部いっぺんにその企画を実行したいのですが、システム開発や取材活動、ホームページ作成作業などに少なからぬ労力がかかるために、小出しにせざるを得ない状況にあります。
が、たまには私どもの企画について書いてみたいと思います。今回は「ファンクラブシステム」についてです。今「マイタウン浦和」にあるのは、供給者側からの情報だけです。例えば、利用者がどこかの飲食店を検索した場合、そのお店からの情報しか見ることはできません。しかし、そのお店の本当の評判を知りたいと思う場合はありませんか? 実際にそのお店で食事をし、「とても良かった!また行きたいな」と思った人が、その旨をその店の画面に書き込めるようになると、とても楽しいと思います。「ファンクラブシステム」とはその書き込みシステムのことです。私どもは「マイタウン浦和」上の各情報に「ファンクラブシステム」を付加する予定です。 これはオプションですから、「そのようなシステムはウチには付けてくれなくていいよ」という場合は、付けなくても構いません。でもこれは役に立つと思いますよ。もしかしたらお店の人のサクラも予想されますが(^^ゞ、サクラだけでは長続きはしません。お客さん達が正しい情報を書き始めれば、その店がどんなにすばらしいか、「マイタウン浦和」を訪れた人はつぶさに理解できるようになります。場合によっては、そのお店のお客さん同士が、「マイタウン浦和」上で会話を楽しめるかもしれません。お店の人にとっても、お客さんからの貴重な情報が得られることになります。お店の経営に必ず役に立つはずです。 このシステムを付加しますと、飲食店やお店は、自分のページを持つのと同じことになります(ただのCGIではありません)。今システム開発中ですが、面白そうでしょ? 私どもはこうした企画をどんどん実現させていきます。お楽しみに。 |
(文:忍者) |
2001/05/17(木) |
変人 |
最近、「変人」が大好評です。といいましても、小泉純一郎さんが首相になってからのことですが。「変人」であることがセールスポイントになるとは、この国の風土もすっかり変わったものだと私は思います。これほど個人の個性を犠牲にし、人間を同じカラーに染めることに力を注いできた国は珍しいはずです。それが今度は「変人」礼賛に一挙に変わるのですから全く驚きです。
変人であり続けるということは、大変な労力を要します。変であろうと思っても、周りがそれ以上に変であれば変ではなくなってしまいます。かつて高校生くらいの男子がズボンをづり下げ、それこそお尻の割れ目が見えるようにして町中を闊歩していた時期がありましたが、ふと気がついてみますと周りの男子がみんなそうしているので、珍しくも何ともなくなってしまいました(◎-◎)。変わった格好だけでは変人たりえないのです。 変人と呼ばれる人は、やはりものの考え方や発想が常人と違うのだろうと思います。それも通常は周囲にかなり影響を受けますから、ずっと変であり続けることはできなくなります。よほど強固な意志とエネルギーを持ち合わせていなければ、たちまちのうちに周囲に同化するものです。新首相が「変人」扱いされるのを見て、あの年までよくぞ変人であり続けた、と感心することしきりの私でありました。私のように意志が弱い人間はたちまち周囲に流されてしまいます。頑張らねば、と思い直しています。 |
(文:忍者) |
2001/05/16(水) |
風雲浦和城 |
浦和には山も海も大きな川も特産物も歴史的事件もない、と一昨日この欄に書きましたが、そうであれば、どれかひとつを無理やり作る、という乱暴な手法も考えられます。私は空想するのが好きなものですから、くだらないことを真面目に考えてしまうのです。馬鹿なやつだな、と思って以下の文章を読んで下さい。
重要な歴史的事件が浦和になかったのなら、架空の歴史を作り、みんなで楽しんではどうでしょうか? 例えば、市内のどこかに「浦和城」を作ってしまうのです。城主は浦和太郎。清和源氏の血を引く名門で、幕末まで続いた由緒正しい家柄だったりします。戦国時代には当時最強の武田騎馬軍団を沼地の多かった太田窪に追いつめ、大勝しています。世に言う「太田窪の戦い」です(^^ゞ。浦和太郎の居城・浦和城には立派な天守閣を設け、堀には満々と水を湛えます。城内の通路は迷路のごとく周りくねらせ、一度入ったら最後、1時間は出てこれません。大人も、子供も楽しいです。城の周りはもちろん、広大な公園です。節度を守れば使い方は自由です。四季折々に楽しめるよう様々な木を植え、木陰でのんびりできます。お城の中ですから拡声器の類は一切置きません。静かな空間を楽しみます。浦和城の公園はあまりに広いので、乗馬までできます。そうですね、流鏑馬(やぶさめ)ができるような施設まで作ってみてはいかがでしょうか? 甲冑も貸し出します。乗馬の腕前が上がり、流鏑馬までこなすとなると、NHKの大河ドラマから出演依頼が来ます。大河ドラマのテーマミュージックの間、協力は「浦和のみなさん」と紹介されるかもしれません。 浦和城公園は歩くだけでいい運動になります。のども渇きます。日中はレトロな茶屋が何軒も出ています。ウエイター、ウエイトレスは全員和服です。また、夕方以降はこれまた木造のレトロな飲み屋になります。飲み屋からはライトアップされた浦和城天守閣が見えます。天守閣から街を見下ろすお店もあり、そこは予約で向こう1年間一杯です(^o^)。全く馬鹿げた投資なのですが、コンクリートの巨大テナントビルを乱造するより、ずっと楽しく、市民に愛されるのではないかと思います。 でも、こんな馬鹿なことばかり書いていると、「忍者のつぶやき」は廃刊に追い込まれてしまいますね。この辺でやめておきましょう。 |
(文:忍者) |
2001/05/15(火) |
浦和らしさとは その2 |
昨日の続きです。
私はかつて東京都の国立(くにたち)に2年間住んでいました。小さな街でしたが大学を中心とした街づくりが行われており、大学は広く市民に開放されていました。学問の場としても、憩いの場としても市民が上手に利用していたように思えます。本当に小振りな街なのですが、市民の「共同体意識」も十分感じられました。今や高級住宅街になってしまった土地ではありますが、国立に住む人は「国立に住みたい!」と強く願って移ってくるので、市民の街に対する意識・愛情が特に強いようです。 あのような街であれば、その街らしさを街に集まる人全員が共有しているわけで、大変羨ましいものです。浦和だって「文教都市」を標榜しているわけですが、その言葉が不動産広告の上だけでなく、一般市民が何の違和感もなく感じられるようにできないものか、と常々考えています。いかがでしょうか。 |
(文:忍者) |
2001/05/14(月) |
「浦和らしさ」とは |
皆さんは「浦和」と聞いて何を思い浮かべますか? 「浦和」を象徴するものは何だと思いますか? 私の立場でこのようなことを書くのは問題なしとは言えないかもしれませんが、困ったことに、何も思いつかない、ということが多そうです。
私は「マイタウン浦和」というホームページを運営する者ですから、日夜「浦和」という街のことを考えています。その私も、浦和を象徴するものを容易に提示できません。浦和という街には、山も海も、真ん中を流れる大きな川もなく、温泉があるわけでもなし、これといった特産物もなく、これまで歴史の舞台にもなっていません。「全く何もなかったからこそ県庁を持ってきたのだろう」と人は言いますが、多分そうなんでしょう。本当に特色を言い表しにくい街であります。 であれば、私はこれからでも「浦和らしさ」を作っていきたいと思っています。もちろん、個人の力でそのような大それたことはできません。「マイタウン浦和」というホームページを通じて、「浦和らしさ」を模索し、浦和という街を作っていきたいと思っています。 実は、このホームページの目的の中には「街作り」があるのです。ちょっとやそっとのことではできませんが、みんなの力を合わせて「浦和らしさ」を作っていきませんか? 是非ご協力下さい。 |
(文:忍者) |
2001/05/10(木) |
忙しい? |
人と話をしていると、「いやあ、忙しくてね...。」という言葉によく出会います。この「つぶやき」を読んで下さっているあなたも、そんなことを方々で口にしていませんか? 何でもないようなこの言葉、私は前々から「変だ」と思っています。「変だ」と思っている私の方が「変」な可能性も極めて高いのですが、「忙しい、忙しい」という言葉を連発していなければ、その人は暇であって、それはとても悪いことだ、というニュアンスを私は感じてしまいます。どうも日本人は「貧乏暇なし」というのが大好きな国民ですから、余裕があることや暇であることをひどく恥じる傾向があります。いつも何かをやっていなければ気がすまないのでしょう。
でも、余裕があったり、暇であることは悪いことでは決してありません。忙しすぎて目の前のごく些細なことにしか集中できなくなると、周りが見えなくなってしまい、新しいことや創造的なことに取り組めなくなってしまうのです。 そのため、私はいつも「いかにして自分を暇にするか、どうすればもっと余裕を持てるか」ということを考えています。というより、性格がもとよりずぼらであるため、少しでも手抜きを考えます。それだけではありません。私は誰にあっても「暇で暇で...。」と言っています(^^ゞ。これは天の邪鬼以外の何ものでもないのですが、そうすることによって、自分を少しでも余裕を作るように追い込めます。賢い方法ではないかもしれませんが、意外と効果はあります。やはり私は「変」でしょうか。 |
(文:忍者) |
2001/05/09(水) |
先例 |
後醍醐天皇という歴史上の人物の話です(あらかじめ申しあげておきますが、私が好きな人物ではありません)。この天皇が有名なのは、足利尊氏(高氏)・新田義貞が鎌倉幕府を1333年に倒す際の黒幕だったからですね。後醍醐天皇は念願の倒幕が成功し、建武の新政を開始したものの、政策は首尾一貫性を欠き、悉く失敗しました。新政はたちどころに崩壊します。しかも、権力欲が激しく、長期にわたる南北朝の争乱を招いています。後醍醐天皇が権力に執着し続けたために南北朝の争乱は1392年まで(実際はその後まで)続くのです。
私は歴史の本を読むたび、「この人はどうしようもないな」と溜息をつくのですが、ひとつだけすばらしいと思うことがあります。結果的にはハチャメチャになった建武の新政時の後醍醐天皇の言葉です。すなわち、「朕の新儀は未来の先例たるべし」。 後醍醐天皇は新政時には完全な独裁者であったのですが、その後醍醐天皇ですら、公家衆が持ち出す「先例がない」という言葉に悩んでいたようです。何かをしようとすると「先例がありません」という答えが側近の公家から返ってくるわけですね。これにたまりかねた後醍醐天皇が「いい加減にしろ!俺が今やっていることこそが将来先例になるのじゃ!つべこべいうな」と言っていたのでしょう。 どんな時代においても「先例」を持ち出す輩がいるものですが、後醍醐天皇の言葉はそれに真っ向から立ち向かうすばらしい言葉だと思います。後醍醐天皇は私の決して好きな人物ではないのですが、先例に立ち向かうその心意気を買いたいものです。先例を気にしそうになる私を戒めるのは、この後醍醐天皇です。やはり重要人物ですね。 |
(文:忍者) |