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■忍者のつぶやき■
サーフィン忍者  ここには「マイタウンさいたま」編集スタッフからのメッセージが掲載されます。「マイタウンさいたま」がこれからどのように変わるのか、 どのような試みが進展中なのか、どのような活動が行われているのか。また、「マイタウンさいたま」編集部ではどのような人がどのようなもののとらえ方をしているのか。 そんなことを書いていきます。
 このようなページがある理由は、私どもが「顔が見えるページ」を目指しているからです。私どもは、皆様のご意見、ご要望を取り入れながら、 「マイタウンさいたま」を成長させていきたいと思っています。

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2001/06/14(木)
タウンサポーター現る
昨晩は「忍者の元締め」と「忍者の弟子」の二人で東浦和大通り商店会(会長永井商会 永井英儀様)の会合に参加し、「マイタウン浦和」の説明をしてまいりました。同商店会では「マイタウン浦和」へのご参加を検討してくださっておりますが、多分昨晩ご出席の事業所は全て「マイタウン浦和」への登録をいただけるものと主催者は勝手に期待しています(^^ゞ。商店会の皆様、何卒よろしくお願いしますね。

この説明会は夜8時過ぎに開始されたのですが、タウンサポーターのSさんも同席して下さいました。というより、Sさんのツテで私どもに声がかかったのであります。本来、私ども会議所職員が積極的にこうした会合への参加を各方面に打診していかねばならないのですが、今回は少し後手後手に回っていました。面目ないこと、この上もありません。恥ずかしいです。そうした姿を見るに見かねたSさんが、今回はうまく会合の席に私どもを呼び寄せてくれたわけです。ありがたいです。

実は当初、こうした活動をしていただくことまでは、タウンサポーターには期待しておりませんでした。自分たちの職分だという認識があったからです。今回はすっかりお株を奪われましたね。でも、それでよしとしているわけにはいきません。こうしたことは私ども会議所職員のメインの仕事ですから、いつでも出動します。皆様、よろしくお願いします<(_ _)>。

なお、今回は「忍者の元締め」「忍者の弟子」がたまたま出ていきましたが、この欄の主人公である「忍者」本人もやる気満々です。ぜひ遊んでやってくださいね。
(文:忍者の弟子)

2001/06/13(水)
電車の中で
私は毎朝、南浦和から浦和駅まで一駅だけ電車に乗って浦和商工会議所に通っています。わずか一駅区間ですが、このところどういうわけか緊張が高まっています。この一駅区間だけが満員になりますから致し方ないともいえますが、私は今日も高校生とおぼしき男にこづかれ、女子高生にはカバンでグリグリ押されてしまいました(T.T)。私は見るからに汚そうなオヤジですから、寄るな、触るなということなのでしょうが、わずか2分間なのですから、すし詰め状態をもう少し我慢してもらえないものかと思ってしまいます。誰だって他の人に押されたり、潰されたりするのは気持ちいいものではありません。でも、それを我慢し、少しでも気を遣い合っていくものだと私は考えていたのですが、最近はそうではなくなってきました。これではいつどこで誰が誰と喧嘩になってもおかしくありませんよね。恐ろしいです。私は当事者にはなりたくないです。

わずか一駅、それも2分間だけでもそうなのですから、都心に向けた列車の中が殺気だっているのは容易に想像されます。都心では、私服の警官が満員電車が走っている朝晩だけではなく、日中でも巡回しているといいます。何だか電車に乗るのも恐ろしい時代になってきました。日本人はわずかな我慢ができなくなってしまったのでしょうか? これなら、健康のために一駅区間を歩いた方がよほどいいかもしれませんね。みんなどうやって電車通勤をしているんでしょうか? 真剣に尋ねてみたいところです。
(文:忍者の弟子)

2001/06/12(火)
本当に「顔の見えるページ」
昨日、「マイタウン浦和」のトップページを少し改訂してみました。私どもは「顔の見えるページ」を目指していますから、今回は「<A HREF="../../staff/index.html">スタッフ紹介</A>」のページをアップしました。顔写真はなるべく大きくしてみましたが、真正面からでは人に見せられないとか、怪しげな雰囲気を出したいなど被写体の様々な思惑がありましたので、まるで動物園のようになってしまいました。

ふと考えてみますと、今までこのスタッフ紹介ページがなかったことは奇妙ですらあります。いろいろなお店の情報が載ってはいても、どのような人が携わっているのか分からないのでは、双方向性があるとはとても言えません。そのうちに、スタッフがそれぞれ読者に肉声で語り始めるようなページができれば、もっと面白いかもしれませんね。

ちなみに、写真に関していえば、現在鋭意飲食店や一般店舗の写真を撮影中ですが、その写真にも誰かの「顔」が入っていた方がいいようです。店舗外観の写真が多いのですが、できれば店長さんや店員さんの顔が載っている方がグッと親しみを増します。どんなにきれいな店舗でも、外観だけでは少し無機的なんですね。どこかのラーメン屋さんとかそば屋さんの頑固オヤジ(失礼!)のどーんと構えた顔写真があるのとないのと、どちらがいいか一目瞭然でしょう。このページをお読みの店主様、いかがでしょうか? 写真掲載は2枚まで無料ですので、ぜひご検討下さい。
(文:忍者の弟子)

2001/06/11(月)
情報の量と質
データベース構築に携わっていていつも思うのは、データ即ち情報の質についてです。以前もこの欄に書いた記憶がありますが、大量に情報があっても、必要かつ有用な情報が得られなければ何の意味もありません。私もよく検索エンジンを利用していて経験するのですが、検索結果が何百件も出てくるのに、結局自分が目指していた情報が得られず、時間の無駄となったりします。

現在、私ども編集スタッフは「育児情報データベース」の開発に入っています。これは保育園、幼稚園、学童保育所(児童クラブ室)をはじめ、家庭保育室、ベビーホテルなどを網羅したデータベースとなる予定です。私はデータベースを企画するたび、いかに質の高い情報、役に立つ情報を盛り込めるかを考えていますが、今回の育児情報はさらに難しさが加わります。それは、浦和地域の主要な施設は網羅しておく必要があることです。これは実に難しいものがあります。必ずしも取材に好意的でない施設も何%かは予想されるからです。そうなりますと、その施設は「マイタウン浦和」のどこにも現れなくなってしまうのです。そして、利用者が検索して、自宅から半径500メートル圏内の「あの保育園が載ってないぞ!」となるだけで、このデータベースの信頼性が減少してしまいます。難しくはありますが漏れは防ぎたいです。だからこそ闘志が湧いてくるというものですが。
(文:忍者の弟子)

2001/06/08(金)
目的
私の好きな歴史上の人物に、大黒屋光太夫という人がいます。土佐の漁師でした。江戸時代の半ば、海上で大時化に遭い、漁師多数と遙か彼方のカムチャッカに流れ着きます。さらに彼とその一行は異国ロシアに渡り、帰国のための活動をし続け、ペテルスブルクにまで足を運びます。もちろん、江戸時代ですから、旅行気分で行くのではありません。命がけです。彼らは日本に帰国するために必死の努力をします。光太夫は努力の甲斐あってロシアの大君主であるエカテリナ2世にまで謁見を許されます。

そうした努力が実り、光太夫は無事帰国を果たすわけですが、彼のすばらしさは、周囲に常に強い目的意識を持たせ続けたことです。仲間の脱落はあれど、光太夫の一行は烏合の衆にはならずにすんだのです。彼は求心力を保ち続けたのです。

どのような集団や組織であれ、それをまとめていくのは大変難しいことです。ともすると人間は易きに流れ、目的意識を失います。そうなりますと、集団や組織を維持することはできません。たちまち崩壊してしまいます。それをくい止めるのは、やはり強力なリーダーシップしかありません。しかし、何をもってリーダー足り得るか、という問題があります。それは目的を明確にし、それを達成するよう鼓舞し続けることだと私は思います。自分に対しても目的を見失わないよう、常に意識したいものです。これが結構難しいのも事実ですね(^^ゞ。
(文:忍者の弟子)

2001/06/07(木)
アイディアはどこで?
私は長年、いろいろなところで会議をやっていますが、イベントなどの企画について「何かいい案はありませんか?」としゃちほこばった会議の席上で聞いてもいいアイディアが出てきたことはほとんどありません。そういう経験を持つのは私だけかもしれませんが、古来、アイディアが湧き上がる場所は厠であるとか、布団の中とか、馬上であるとか言われています。要するに堅っ苦しい場所ではよいアイディア、面白いアイディアは思いつかないということですね。会議室はどうもよい場所ではなさそうです。

私がいろいろ思いつくのは、お昼ごはんを食べて、トコトコと職場に帰ってくる道すがらです。お腹が満たされ、コーヒーを飲んで落ち着いたところで誰かと馬鹿馬鹿しい話をしていると、ふと「そうだ!そうしよう!」と何かアイディアを思いつくことが多いのです。私は数年前我ながら会心のアイディアを思いついたことがあります。それは、近所の定食屋でメンチカツ定食を頼み、そのメンチカツをガブリと口にくわえた瞬間でした。何とも奇妙ですが、これまた普通の机上ではありません。

そうなりますと、普段机に向かって考え事をしている自分は、ものを考える環境としてはあまりふさわしくない場所にいるのではないか、と危惧されます。皆さんはどうですか? 私はこの際ですから、思い切りリラックスした場所で企画会議などをやってみたいと思っています。「脱会議室宣言」とでも名付けましょうか? ご賛同いただける方はぜひリラックスできる場所を教えてください。

 
Re: アイディアはどこで?2001/07/03 19:53:54  
                     たーたん

 
私の場合は、通勤電車の中でアイディアを思いつくことが多いです。傍目にはぼーっとしているように見るでしょうが、考え事をする時間って大事だなあと思うので、敢えて読書等をせずに過ごすことも多いです。
ただ、ふとした場面でいいアイディアが浮かぶのは、そのことを常に考え続けているからこそだと思います。リラックスしてばかりでは、いい考えは浮かばないものだと思いますが、いかがでしょうか。
 

元の文章を引用する
(文:忍者の弟子)

2001/06/06(水)
どうしてそうなるの?
「お客さん、困るんですよねー」。タクシーに乗ってこんなことを言われた経験はありませんか? タクシーに飛び乗って、いざ料金を払おうとすると1万円札しか持っていません。それを渡すと露骨に嫌な顔をされます。私はしかたなく自分で1万円札を崩してもらったこともあります。

「タクシーというのはそういうものだ」と私は諦めていたのですが、ふと考えてみると、お客が釣り銭を用意していなければ嫌な顔をされるという商売は極めて珍しいですね。1日何件も回っていると想像される新聞の集金でもしっかり釣り銭を持っています。1万円札を出して「困るんですよねー」などと言われたことは一度もありません。私が営業をやっていたときでさえ、小銭は常備していました。お客様のことを考えればごく当たり前のことだからです。

多分、タクシーの運転手が釣り銭を用意していないのは、事務所が頻繁に売り上げを回収しているからではないかと私は勝手に想像しています。あの空間に釣り銭を用意しておけない理由はありません。運転手が釣り銭を払いたくても払えないような構造的要因があるはずです。もし本当にそうなら、業界を上げて改善の努力をお願いしたいところです。
(文:忍者の弟子)

2001/06/05(火)
「日曜の朝症候群」
日曜日の朝、テレビでは子供向け番組が放送されている。子供が朝早く起きるために朝早くから放送されているのだろう。その趣旨には賛同できる。が、困ったこともある。最近のテレビには、ヒーローが、続々登場する。そしてその都度ヒーローのキャラクターが発売されるのだ。このような現実を「いかがなものか」と疑問に思っているのは私一人だろうか。

疑問は、続々発売されているキャラクターについてである。親はその都度「パパ、買って」の一言で痛い出費をするはめに陥っている。親は「この前買っただろう」と言うが、倅は「パパ、ここが違うんだよ。だから買って」とせがむ。そのため、親は次から次へと散財させられている。中には、キャラクターの形はそのままで、単に色を変えただけで発売されるキャラクターもある。「商魂たくましい」と評する人もいるだろう。時に親は、テレビのヒーローに悪意まで感じてしまう。

「パパ、また新しいヒーローが誕生したよ」と嬉しそうに語りかける倅を見ながら、パパは、「また、出費がかさむ」と倅の無邪気な気持ちより、その後に控えているお金のことを考えてしまう。このような親の状況を「日曜の朝症候群」と名付けたい。症状は、「後のリスクを考えて、目の前にある素直な気持ちを理解できないこと」である。ぜひ「忍者谷医療用語辞典」に載せたい。
(文:忍者の元締)

2001/06/04(月)
インターネットの双方向性
インターネットが普及し始めたとき、「インターネットの特徴は双方向性があることだ」と言われていました。それまであったメディアとは根本的に違うとされていたはずです。ですが、公的なホームページになればなるほど双方向性はありませんね(◎-◎)。どこを探してもメールアドレスが記載されていないホームページは悲しいほど数多くあります。それも、1日の利用者が「万」を確実に超えていそうなホームページでもそのような惨状だったりします。

メールが来ると、その処理に追われてしまうから一方通行にしたのでしょうか? おかしな話です。もしそうであれば、そもそもホームページを立ち上げた意味はないのでは? 一体この世はどうなっているのか、と私は訝っています。そもそも制作者は何をしたくてホームページを作成したのでしょう? 利用者や読者との交流・意見交換・きめ細かな対応などをしたいからではなかったのでしょうか? そうして制作者側の「顔」が見えなくなるのは、いくら電脳世界だからとはいえ、恐いものです。

であれば、せめて「マイタウン浦和」くらいは徹底的に双方向性を追求してみたいと思います。いろいろな情報が「マイタウン浦和」上に掲載されていますが、現時点では供給者からの情報がほとんどです。これではいけませんね(^^ゞ。というわけで、利用者が気楽にメールを書いたり、書き込みができるように大規模な改訂作業をしたいと思います。多分あと1ヶ月から2ヶ月くらいでその作業が終了すると思いますが、その時には「マイタウン浦和」はかなり使い勝手が良くなると私は確信しています。この「忍者のつぶやき」にも1回ごとに書き込みができるようにできるかもしれません。そうすれば、もっと私ども制作者側の「顔」が見えるようになるでしょう。一刻も早くそうしたいものです。
(文:忍者の弟子)

2001/06/01(金)
前例
5月9日の「つぶやき」で、私は後醍醐天皇が公卿どもの言う「前例」を打破する気概を示していたことを書きました。

あの文は前例に従うという安易な道を選びがちな自分を戒めるために書いたのですが、考えてみると、日々の業務は「前例」との戦いであるような気がします。
 
何か新しいことをしようとすると、必ず「前例がないので...。」という答えが周囲から返ってきます。
特に私どもの担当するインターネットの仕事は「前例」が著しく欠けているために、周囲の理解を得にくい、という困った側面があります(^^ゞ。新しいことをしようとしても「前例なし」の壁、ルーティンの仕事を変えようとしても「なぜ前例通りにしないのか?前例の通りでいいではないか?」となってしまいます。
 
それゆえ、「忍者の元締」が調整作業に没頭するわけですが、これは世の中のネット担当者の一般的な姿であるようです。
 
某コンサルティング会社によれば、ネット担当者の仕事の7割は根回しなどの社内調整に費やされているとか。本来は外に向けて使われるべきエネルギーが内向きに使われるのは本意ではありませんが、組織の中で仕事を行っている以上、それも仕方ないのかもしれません。
しかし、すべてを「仕方ない」ですましてしまいますと、それも「前例」となり、またよけいな仕事を抱え込むようになります。
一体どうしたらよいものか、時々途方に暮れてしまいます。
(文:忍者の弟子)