![]() ■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
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2013/01/11(金) |
第133回:モノクローム(3) |
より良いモノクロ写真を撮るためには、撮影時にモノクロをイメージして撮らないとなかなか思うに任せないと前回述べましたが、考えて見ればカラーを不自然な無彩色に(色抜きをして)デフォルメしたものがモノクロですから、道理と言えば道理であるような気がします。自然界のものはすべて人間の視覚認識ではカラーですから、それを純黒から純白までの無段階の無彩色で表現すること自体がすでに虚構の世界であるとも言えます。
モノクロに対する人間の心理学的分析はぼくにはできませんが、カラー写真が定常化した現在でもモノクロは廃れることなく、一部の愛好家にはなくてはならぬ表現手法となっています。モノクロは人間の目が捉えたカラーの世界とは異なる情趣を描くことができ、より強い印象を与える作用があるからでしょう。また、心情的にはより高い芸術性をそこはかとなく感じさせる面があることも確かです。かく言うぼくも、現在に至るまでモノクロなしに自身の作品の成り立ちはあり得ませんでした。非現実であるが故に、美の際立ちをことさらに強く感じ取っているからです。 デジタル全盛となった今、モノクロはさらに饒舌で精緻な表現形態となったようにぼくは感じています。アナログの暗室作業には様々な制約と限界があったように思いますが、デジタルではそのような障壁が取り払われ、スキルを身につければ「出来ないことは何もない」とさえ思えるくらい広範囲にわたっての表現が可能です。描いたイメージをより深く、細かく執拗に追求できるので、ぼくのようなタイプの人間にはデジタルはうってつけなのかも知れません。ただ、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、その警戒心を怠ってはならないと常に言い聞かせています。 何でもできてしまうので、ほどほどのところに留めておく勇気を持たないと禁断の地に足を踏み入れてしまい、作品の品位を落としてしまうことになりかねません。最小限の補正で最大限の効果を得るのが最も良質なデータを得る秘訣です。 デジタルのカラー原画を良質なモノクロにするためのポイントをいくつか挙げておきます。 モノクロといえども、カラーの段階でできる限り良質なデータに仕上げることが肝心。Rawで撮影を行い、Raw現像時に可能な限りホワイトバランス、色かぶり補正、露光量、コントラスト、彩度などの調整を追い込み、破綻のないカラー画像に仕上げることが第一。その際、カラー画像は8bitではなく16bitで。 話が前後しますが、撮影時には白飛び、黒つぶれのないように露出補正を慎重に行う必要があります。撮影データをカメラのヒストグラムで確認すれば判明します。被写体の輝度域が広過ぎてどちらかを犠牲にしなければならない場合は、イメージにもよりますが、基本的には白飛びを防ぐこと。つまりハイライト基準の露出です。 16bitで生成されたカラー画像(代表的な画像形式はTIFFなどで、使用頻度の高いJPEGは8bitです。JPEGでのモノクロ変換はお薦めできません)をモノクロ変換するわけですが、変換時にどうしても画像の劣化をきたしてしまいます。トーンジャンプを含めた画像劣化を最小限に止めるためには16bitで作業するのがベストです。ただ、強引な補正をしてしまってはいくら16bitであっても、元も子もなくなります。 ここまでが、ざっとですがモノクロ変換に必要な手続きです。 ※ここでいう8bitとは2の8乗=256で、RGBがそれぞれ256色で成り立っていることを表す。同様に16bitは2の16乗=65,536色。TIFF形式は可逆圧縮法と呼ばれ、保存を繰り返しても基本的に画質劣化を招かない。JPEGは非可逆圧縮法で、保存を繰り返すほど画質が劣化する。 アナログのモノクロは単一の色調ではなく、現像液や印画紙を使い分けることにより、例えば純黒調、温黒調、冷黒調などいくつかの色調を選ぶことができますが、デジタルでもそれを再現して楽しむことができます。セピア調などはその最たるものでしょう。セピアの語源は「イカ墨」という意味らしく、褐色もしくは茶色を指すのだそうです。昔は写真用のインクにも用いられたのだそうですが、現在では古く色褪せたモノクロ写真の色調を表していると考えるのが一般的です。なぜ古い写真がセピア色になるかという理由は省きますが、経年変化による退色・変色を避けるための処方(アーカイバル処理)を施したものは、40年の時を経ても(ぼくが24歳の時に施したものなど)何の変化もなく、未だ瑞々しさを保っています。 個人的にはセピア調は嫌いではありませんが、作品にそれを用いることはありません。 今日はちょっと遊び心というか悪戯心を出して、「おじいちゃんの遺品のなかからこんな古い写真が出てきた」というノスタルジックな演出をしてみました。 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/133.html 「原画01」の写真データ。フィルム:コダック社のコダクローム64。感度ISO64。カメラ:ライカM4、レンズ:ライカ・ズミルックス35mm F1.4。撮影場所・日時:エストニア共和国タリン。1989年。このポジフィルムをフィルムスキャナーでデジタル化。 「退色セピア02」。Photoshopでモノクロ化し、セピア色のフィルターをかけ、周辺部を明るくし、最後に粒状をかけてあります。 |
(文:亀山哲郎) |
2012/12/28(金) |
第132回:モノクローム(2) |
ぼくがデジタルを始めたのは1996年のことで、カメラマンとしては比較的早かったのですが、とはいえデジカメを持っていたわけではありません。市場にはまだプロの使用に耐え、フィルムに対抗できるような製品がありませんでした。印刷用途にはまだまだ役不足だったのです。仕事仲間のデザイナー諸氏はすでにほとんどがMacを使用し、業界はデジタル化が進みつつあったのですが、デジタル化に最も遅れてやってきたのがカメラマンでありました。写真のデジタル化は心身両面で多くの負担を伴い、他の分野ほどスムーズには移行できませんでした。特に年輩のカメラマンほど、長年にわたって培ったアナログのノウハウを捨てて、新しいものに移行するには大きな心理的抵抗と生理的な嫌悪があったようです。ぼくは40も半ばを過ぎていましたが、なにしろ新しいもの好きでしたから、好奇心の方が強かったのです。
1996年にMacとプリンター、フィルムスキャナー、画像ソフトのAdobe Photoshopを購入し、当時70万円以上の出資だったと記憶しています。ぼくにとっての初めてのデジカメは2002年末に発売されたEOS-1Dsでした。これがなんと100万円! このカメラならフィルムと同等かそれ以上の結果が間違いなく保証できるだろうとの直感を得、まったく躊躇することなく見ず転で飛びついてしまいました。写真一筋に悪いこともせず堅気に働き、今思うとどこにそんな大枚があったのか不思議でなりません。 1996年から2002年まではデジカメを持っていませんでしたから、もっぱら今まで撮った写真をフィルムスキャナーでデジタル化し、Macの操作とPhotoshop(当時はv.4.0。現在のCS6はv.13にあたる)の習得に時間を費やしました。いずれ世の中は(業界は)デジタル一色になることを見込んで、デジカメを買った暁にはデジタルが造作無く操れるようにと、「備えあれば憂いなし」の諺に倣い、心がけとしては捨てたものではなかったのです。 おそらく、ぼくがプロでなくアマチュアであったとしてもまったく同様のことをしていたでしょう。 デジタル技術の習得に血道を上げていた頃(未だにそうですが)、どうしても解決できない問題に突き当たってしまったのです。それがモノクロプリントでした。どう工夫しても色の捻れや色被りが起きてしまい、アナログのモノクロプリントのような具合にはいかない。これに関連したことは過去に何度か触れました(第5, 6, 25回をご参照のほど)が、当時のコンシューマー用のプリンターでは解決不能であること悟り、デジタルでのモノクロプリントを放棄しかけていました。モノクロプリントといえども前回お話ししたように原則的には色の三原色C, M, YとK(ブラック)インクを掛け合わせてプリントするわけですから、なかなか完全な無彩色を再現できないのです。“完全な無彩色”というより“無彩色に限りなく近い”と言い換えるべきでしょうか。 その“無彩色に限りなく近い”状態が自室で再現できるようになったのは、2004年に顔料グレーインク(グレーとライトグレー)を搭載した半ば業務用とも思われる図体のでかいプリンターを購入してからでした。デジタルでのモノクロプリントを諦めかけていたぼくは喜色満面で、再びモノクロに心血を注ぐようになったのです。 過不足のないモノクロプリントを楽しもうとする人たちに、ぼくが躊躇なくいつも申し上げることは、「グレーインクの搭載されたプリンターをお使いなさい」と。現在ではコンシューマー・ユーズでもグレーインクの搭載された優れたプリンターが発売されています。グレーインクはモノクロばかりでなく、カラープリントにも非常に大きな効用がありますから、“趣味として写真を楽しみたい”という人のためにぜひお勧めしておきます。 そして、カラーをモノクロ変換する際にぼくはいつも不思議な現象にぶつかります。性懲りもなくいつも同じ問題に悩まされるのです。 昨年、某カメラメーカーのギャラリーで個展を催し、50点の作品を展示しました。モノクロプリントは常に納得のいくものが製作可能であったにも関わらず、モノクロは50点のうち3点に過ぎなかったのです。大半のものがカラーポジフィルムで撮影されたもので、それらをなんとか撮影時のイメージを崩さずにモノクロに変換をしようと目論んでいましたが、結果は上手くいきませんでした。その原因を薄々感じ取ってはいたものの、ぼくは人間であるが故に助平でもあるので、心の片隅に取り敢えずはしまっておいたスケベ心(モノクロ心)がうずき出し、なんとか撮影時のイメージを違えず、力ずくでモノクロに仕上げようとしてしまったのです。こんな芸当、無理だわ。 薄々感じ取っていたこととは、撮影時にカラーをイメージして撮ったものをモノクロ変換しようとすると、どうしても無理が生じるということです。そんなことをすると必ず仇となって返ってきます。フィルム時代は撮影時にはカラーとモノクロを2台のカメラに振り分けて使っていましたから、カラーイメージはカラーで、モノクロイメージはモノクロでという節度と覚悟?ができていた。つまり、撮影時に色つきか色なしのイメージをしっかり描き、どちらかのカメラを迷わず選んでいました。 この仇討ちとも言えるしっぺ返しは万人に当てはまるものかどうかは分かりませんが、デジカメは両刀遣いですから、そこがとてもいやらしい。デジカメ使用でモノクロ愛好家の方々、撮影時のイメージ作りはやはりモノクロで行うことが正道ですね。ぼくのように“あわよくば”ってのは、きっと何かに祟られますよ。 年始の連載は1/11日(金)からとなります。 佳き年でありますように。この場をお借りして、みなさまの福寿無量をお祈りいたします。 |
(文:亀山哲郎) |
2012/12/21(金) |
第131回:モノクローム(1) |
「モノクローム」(以下モノクロ)と銘打って思うところを綴ってみようと思ったのですが、よくよく考えてみるとこれはとんでもない長文になってしまうぞと感じています。ましてやぼくのことですから、長文というより“うだうだと”冗長なものになってしまうこと疑いなしといういやな予感に襲われています。モノクロについてはことさらに思い入れの激しい分、20回の連載くらいでは収まりきれないような気がします。文才のある人は物事を簡潔に要領よくまとめ上げることができるのですが、気分屋のぼくにはそんな芸当は到底できそうもない。読み手を悪戯に混乱させるだけで、やっぱりこのテーマは止そうかと考えあぐねているところです。
編集者をも含めて世の中の大半の方々は、文章の上手下手は別としても、まず長文を書ける人は文才らしきものがあると決めつける傾向があるようです。それはまったくの勘違いです。原稿依頼をされるとき、ぼくが「そんな字数では書けないよ」というと「では、もう少し字数を減らしましょう」と、見当違いの気遣いを示してくれます。もう何度もそのようなお言葉を経験しています。ぼくの言い草は決まって「違うんだってば!」。そんな少ない字数では言いたいことも書けないということなのです。 拙「よもやま話」はWeb原稿ですからそのような字数制限がなく、手綱を絞められることがないのでいい気になって余計なことばかり書き連ねてしまいます。自分の写真に対する感情が文意から滲み出る(はみ出す)場合があることについての言い訳はしませんが、自分の凡庸な写真を差し置いて、写真文化の凋落ぶりが看過し難く、もどかしさと苛立ちを隠しきれないというのが正直なところです。だから余計なことを無為に書き連ねている。このテーマについてはなんとか2回くらいで収めようと努力はいたしますが・・・。さて、どうなることやら。 モノクロについてお話ししようとすれば、ぼくのようにフィルムで育った人間はどうしてもその部分を避けて通ることができません。フィルムの歴史的な変遷はさておき(割愛)、写真創生期から約100年間は形態こそ異なれフィルムとはすべてモノクロであり、その間写真愛好家たちはより視覚に近いカラーでの再現を熱望し、研究者やメーカーもそれに応えようと試行錯誤を繰り返してきました。これは写真ばかりでなく、映画もテレビも同様です。 モノクロに代わりカラーが主役として一般に脚光を浴び始めたのは写真人口の増加にともなう1970年代(昭和45年)に入ってからのことです。現在では主役の座を占めるのは、数字的なことは知りませんが、カラーですね。にも関わらず好事家と目される人たちの間では、依然としてモノクロにこだわりを持ち、そして愛され続けているようです。それは懐古趣味などという次元を越えて、モノクロは写真表現の奥深さを窺い知ることのできる要素をふんだんに内包しているからだというのがぼくの所見です。かく言うぼくも私的写真のほとんどはモノクロです。カラーを嫌っているわけではなく、イメージとする対象がそれに合致しているからです。写真表現に於けるモノクロの利点や特徴については述べる資格がありませんので、これも割愛させていただきますが、ぼくの過ごしてきたフィルム全盛時代は、カラーよりモノクロの方がはるかに暗室作業などの点で取り扱いが容易(液温管理がアナログであったため。カラーは液温管理が極めて厳格)だったということもあるのでしょう。当時はモノクロに親しみを感じやすい環境でもあったのです。 昨今はデジタルですから、したがって原画はカラーです。カラーで撮ったものを画像ソフトなどでモノクロに変換する作業をしなければなりません。最近はデジカメにもモノクロモードのついたものが出回っていますから、その役割をカメラが担ってくれ、デジカメでも手軽にモノクロを愉しむことができます。取り敢えずはこれでモノクロ写真の一端を体験できます。 モノクロフィルムもデジカメのモノクロモードも「感色性」というものが存在します。「感色性」とは大雑把にいえば、様々な光の波長にどのくらいの割合で感光材が感応するかということです。黒から白までの無彩色に光の成分が各々どのくらいの濃度で表現できるかということです。フィルムの種類、デジタルカメラによってもそれぞれに特徴があり、「感色性」が異なるのです。その「感色性」を変化させるのがフィルムならフィルターであり、デジタルなら画像ソフトによる変換です。 そのためには、光の三原色であるR(赤)、G(緑)、B(青)とその補色関係にある色の三原色、C(シアン)、M(マゼンタ)、Y(黄)の関係を理解しておく必要があります。 デジタルカメラで撮られたカラー原画を画像ソフトでモノクロ化する最も手っ取り早い方法は、すべての色の「彩度」を無にしてしまう方法です。これなら光の三原色と補色関係の知識がなくても、デジカメのモノクロモードとさして変わらぬ結果が得られます。 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/131.html 作例写真:カラー原画(01)とPhotoshop CS6の「色相・彩度」で「彩度-100」にした状態(02)とその結果(03)。 (04)は長年愛用したKodak社のモノクロフィルムTri-Xを、某社画像ソフトで疑似Tri-Xに変換したものです。 (05)は、メリハリをつけてより印象的に仕上げたものです。 同じモノクロでも様々に表情が異なることがお分かりいただければと思います。嗚呼、2回連載じゃとても無理だ! |
(文:亀山哲郎) |
2012/12/14(金) |
第130回:趣味としての写真(2) |
個人の趣味について他人であるぼくがあれこれと口やかましく述べることは、あまり好ましいことではないと思っています。好ましからざることと重々承知の上で、「趣味としての写真」なんて大見得を切って述べているのは、この世界にどっぷり浸っている者の業のようなものなのでしょうか? まぁ、我の発露といいますか・・・。
老子の詞(ことば)に「知る者は博からず」というものがあります。本当に物事を深く知っている人の学識は決して広くはなく、逆に博学と思える人の学識は浅いというものです。 また、「知る者は言わず、言う者は知らず」とも言っています。物事に深く通じている人は軽々しくあれやこれやを話さない。よくしゃべる人は本当のところ実はよく物事を知らないのだ、という意味です。 ぼくは少し頭のぼけた一介の写真屋に過ぎませんが、確かに物事を知れば知るほど分からないことが増え、思わず口をつぐんでしまうことはよくあることです。老子の詞はそれとなく真理をついているように思え、なんともむず痒い詞です。老子は紀元前の人ですから、それがすべて現代にも当てはまるかどうかは議論の分かれるところでしょうが、日進月歩の科学とは異なり、どんな時代にあっても人間の根源的な精神、あるいは心理的佇まいや作法はほとんど変わりようがないというのがぼくの意見です。いつの時代にあっても人は日々の現実的な営みから外れて、なんらかの愉しみを見出しながら、それを生活の潤いとして、あるいは生きるための糧としてきました。愉しみの多くの部分を占めるのが趣味や習い事なのでしょう。同好の志との交わりも酔余の一興。趣味というものは非生産的なものだと思いきや、案外そうとも言えぬ面もあるのです。酒や博打も趣味のうちに入れてしまおうとする狼藉者もおりますが、それは趣味とは言いません。欲は満たされますが精神生活にはほとんど役には立たず、ほど遠いものだからです。 ぼくが仕事以外で最も多くの時間を費やすのは読書なのですが、残念ながらぼくにとって読書は趣味だとは言いかねます。なぜなら、それは苦痛を伴うことが非常にしばしばあるからです。苦行だと思えることさえあります。自分に鞭打ちながら?!読んでいる。「自虐趣味も趣味のうちではないか!」と言われれば返す言葉がありませんけれど。そんな思いをしてまでなぜ本を読まなければならないのかは、別の議題となりますから述べませんが、「趣味は読書です」と大らかに表明できる人を心底羨ましいと感じます。これはもちろん、皮肉ではありません。嗜みというものは人それぞれで、尊重すべきものだということくらいはわきまえています。 さて、趣味としての写真は近代のものですが、なんともはや金のかかる趣味ですね。どんな趣味でも凝ればそれ相応の対価を求められますが、デジタル以降ますます負担が大きくなってしまいました。デジタルによって写真は誰にでも写せ、より身近になったにも関わらずです。フィルムに比べてどうかという議論もありますが、少なくとも作品づくりを目指して本気で取りかかろうとするのなら、デジタルの方がやはり金食い虫のように思えます。デジタルのメリットについては今まで多く述べてきましたので改めて繰り返すことはしませんが、プリントに至るまでの機材を一通り揃えてしまえば、多少気の休まる点があることは確かです。 趣味としての写真を語ろうにも、昨今はあまりにも多岐にわたりすぎて一括りにしようとすると複雑骨折を招いてしまいそうです。拙連載の初めの頃は写真を撮るために必要な基本的な事柄やデジタルについての云々でしたが、座標軸を少しずつ推移させ、徐々に抽象論が多くなっているような気がします。言い換えれば「記録としての写真」から「自己表現のための写真」への移行とお考えください。それは意図した出来事ではなかったのですが、携帯電話で撮る写真も含めれば世の大半は「記録としての写真」であるように思えます。数字的な確証はありませんが、95%以上がそれに該当するのではないでしょうか。しかし、ぼくの規範に従えばそれを趣味とは言いません。 写真をしっかり撮る事に始まり(記録としての写真)、次第に自分のイメージするものを写真で捉えたくなる(自己表現のための写真)のが自然な流れだとぼくは思っています。つまり、ここからがぼくの言う趣味の世界なのです。 ぼくの写真倶楽部の人たちに「みなさんは写真を趣味としているのだから、記録写真より、あなた自身を写しなさい」とよく言います。基本的には、家族写真、絵葉書やガイドブック的な写真は、よほどフォトジェニックなものでない限り認めないと伝えています。家族写真や友人・仲闢凾フ写真は、撮影者と被撮影者の双方に緊張感を欠きます。これは「作品」にはなり得ません。また、例えば上高地などのお定まりの写真をどんなにきれいに撮って来てもぼくはそれを「良い写真」とは認めない。「世の中にゴマンとあるような写真の何が面白いの? 山の姿は見えるけれど、あなた自身の姿がどこにも写ってないからダメ。上高地まで行かなくても、あなたの周りにはもっと美しいものがたくさんあるのだから、それを発見する目を養えば、写真は俄然愉快で、深いものになる。物の表層だけをさらうのでなく、深層を探ること。そのためには被写体を知り、理解し、よく観察することによって初めてあなた自身のイメージが作れる。イメージすることなしに写真は撮れないよ。そうすることにより自分の世界が広がっていくもんだ。それでこそ趣味の写真なんだよ。」と、みんなに優しく、かつ躍起になって諭すのです。ついでにぼく自身にも。 |
(文:亀山哲郎) |
2012/12/07(金) |
第129回:趣味としての写真(1) |
多くの人々がそれぞれに何かを求めて趣味に傾注したり、精力を尽くしたりしています。斯くいうぼくもかつてはそうでした。今、趣味といえるようなものはまったくなく、長い間絶縁状態が続いています。写真以外のものすべてを、残念ながら放棄せざるを得なかったからです。
好事家と呼ばれる人のなかには、趣味が高じて身を滅ぼしたり、あわよくばそれを生業にしてしまおうなどという不逞の輩も時折おります。ぼくなど、趣味と生業の区別もつかぬ不料簡者でしたから、人生設計などとてもままならず、お陰さまで多くの犠牲を強いられながらも、今日までどうにか生きながらえてきました。それも身から出た錆びだと観念しています。 しかし反面、人生の設計図を描きそれに従おうと勤めることは、なんて窮屈で退屈な作業なんだろうと思うこともしばしです。自己の描いた路線に沿って生きていくのは、精神の自由や闊達さを失ってしまうのではないかとの恐れが先に立ってしまうのです。ぼくにはそのような生き方が不向きだったのです。それに気づいたのが30も半ばを迎えた頃でしたから、お人好しというか頑是(がんぜ)無いというか、我ながらちょっと嘆かわしくもあります。 ぼくにとって、親父の残してくれた素晴らしくも玄妙な教訓である「人生は取り敢えず」に救いを見出し、我が意を得たりと無意識のうちにそれに従っていたようです。道楽者だけが味わうことのできる大きな歓びを、言ってみれば淫することによってのみ得られる玩味の小さなひとかけらを亡父から授かったように思います。世の中ではこれを称して“蛙の子は蛙”とか“DNA”というのでしょう。また、親父は同時に「運・鈍・根」だとも言っていました。 長い間写真屋稼業に身をやつしてきて、助手君をも含めて多くの人たちに自分の得た浅薄ながらの知識や技、考え方を伝えてきたつもりです。助手君たちに関しては、将来写真を飯の種にしようとするのですから、写真愛好の有志たちとは多少こちらの心得と対峙の仕方も異なり、それは当為ならざるを得ないところですが、不思議なもので助手君たちとは2日もつき合えば“こいつは良い写真を撮るようになる”だとか、“ちょぼちょぼ”だろうとか、“だめだな”とか、そのようなことがなんとなく分かるものです。80%くらいの確率で当たる。と言いつつも、自分の助手時代を振り返ってみると冷や汗しか出てこないのですが(汗)。彼らは年齢的に20代と若いので、混じり気のない分、なおさら分かりやすいとも言えます。若いが故に自分のしていることに気がついていないという面もあるでしょう。残りの20%は、何かのきっかけで変貌する人もいます。変貌の仕方も人それぞれです。 将来、プロを目指す彼らに手取り足取り教えることはまずありません。助手とは、文字通り撮影の手助けをしてもらえばそれで用が足り、写真の何かを教える義務感を持たずに済みます。撮れるようになりたければ勝手に盗めばいいという世界です。学ぼうが学ぶまいが、上手になろうがなるまいが、突き放して考えることができるのでこちらは至って気楽な部分があります。写真で飯が食えるようになるかどうかはぼくの問題ではなく、彼らの心がけ次第ですから、物事を非常に割り切って考えることができます。 また、クリエイティブな世界では、どのような分野でも同じなのでしょうが、良い作品とその対価は必ずしも比例しないので、写真の上達だけがプロになる必須条件だとは言えない部分もあります。 ところが写真を良き趣味として愉しみたいという方々に対しては、責任の一端を感じてしまうせいか、どうしても及び腰になってしまうのです。割り切った考え方ができずに、さまざまな相剋を抱え込むことになります。「プロになるわけではないのだから、そんなことに目くじらを立ててはいけない」と自分を諭す一方で、「厳しくとも何かをしっかり伝えなければ上達は覚束ない」との板挟みに遭うのです。出かかった言葉を呑み込むこともしばしばです。短気なぼくもずいぶんと気長な人間に成長しつつあります。これは歳のせいでは断じてありません。 趣味とは、愉しむこと=上達する(良い写真を撮れるようになりたい)のが大前提としてあるのだとぼくは主張しています。ただ愉しみたいのであれば、ぼくのところに来る必然性などないのですから、「自由にお愉しみください」の一言で片のつく事柄です。趣味とは上達あってこそ愉しく、また長続きするものだとぼくは捉えていますから、ここが教える方としては厄介でもあり、とても難しいのです。 めきめき上達する人。あるいは緩やかではあるけれど確実に上達する人々を見ていると、いくつかの共通点を見出すことができます。熱意と意欲、向上心を前提として、箇条書きにしてみると以下のようになります。 ★自分自身に素直であることと同時に相手を尊重し、常に誠実な対応ができる人。 ★写真以外の美に感応できる人。写真しか関心のない人はダメ。 ★好奇心とささやかな冒険心によるところの行動力が備わった人。 ★分相応の投資を惜しまぬ人。 ★想像と空想とにふけることができる人。リアリスト(現実主義者)はダメ。 ★ぼくの言うことに素直に耳を傾ける人。 以上であります。 |
(文:亀山哲郎) |
2012/11/30(金) |
第128回:ピンホールカメラ |
一昨年の猛暑は、みなさんの記憶にまだ新しいところだと思います。猛暑という一言では足りず、「炎暑、極暑、酷暑」と3つ並べてもまだ足りないくらいの記録的な暑さでした。7月中旬、気象学的にはいざ知らず、ぼくの皮膚と頭脳感覚では生涯味わったことのないような暑く、苦しい夏でした。エアコンを効かせた家に閉じこもって居られればよかったのですが、間の悪いことに家の全面リフォームにぶつかってしまい、引っ越しを余儀なくされたからです。引っ越し業務は専門業者が請け負ってくれるのでまだしも、長年にわたり積もり積もったあらゆるガラクタを振り分け、約1,500冊の本を紐で縛り廃棄処分にしたり、段ボールに整理しながらまとめ上げなければならず、グータラなぼくは朝から晩まで約2週間も嫁に奴隷のようにこき使われ、叱責され、それだけでもう心身消耗の極に達してしまったのです。汗と埃にまみれ、そのために暑さがさらに倍加されたのでしょう。「夏に引っ越しなんかするものじゃないぞ」とぼくは誰憚ることなく触れ回ったものです。
もうこりごり、金輪際夏に引っ越しなんかするものかという思いが、やがて恨み辛みに取って代わり、憎しみさえ抱きながら悲劇の主人公を演じてみたり、誰かに責任を転嫁してやろうと居もしない敵をひたむきに作り出そうとしたりして、もはやぼくの精神破綻も時間の問題かと思えたものです。 自分の不機嫌さや正体のない怨恨に対する憂さ晴らしのために、罪のないものに刃や銃口を向ける、「ここに民族浄化の大罪は端を発するのか」(ちょっと、ちょっと、それは極端なんじゃない? そうかなぁ?)と理知的なぼくは(どこがよっ!)ロダンの『考える人』のような、まったく不自然な格好で考え込んでしまいました。余談ですが、普通考え込むときに人はあんな不自然なポーズは取りませんね。右肘を左膝に置くなんて芸当、体が捻れて息苦しく、とても「考える」ことなどできません。 暑い、暑いと言いつつも、2ヶ月間の仮住まいは快適そのものでした。環境が変わったので、猛暑にも関わらずすべてが清新で、刺激的で、いつにも増して撮影意欲が湧き上がったのです。感覚も鋭敏さを増したように思えました。ぼくがよく口にする「非日常」ですから、旅をしているのと同じような感覚を味わい、猛暑をものともせず、連日意欲的にカメラをぶら下げながら近隣を徘徊したものです。 晩夏の9月下旬には、命尽きた蝉やトンボが路上に干からび、去りゆく夏を惜しみながらも命の儚さと憐れみを感じると同時に、それはどこか陰鬱でもの悲しく、また妙に感傷的なものであったように思います。バス通りの縁石の僅かな隙間から顔を覗かせた小さな花に毎日水をやりに出かけたり、柄にもなく小さな命たちの供養にせっせと墓を作ったりしました。民族浄化変じて、ぼくは一体どうしてしまったのでしょう? 子供時分に奪った多くの小さな命たち(子供は残酷です)への罪の意識が、還暦を過ぎた野蛮人にも急に芽生え始めたのだろうと思っています。仏教でいうところの懺悔(“ざんげ”でなく“さんげ”)でありましょうか? ところで、ピンホールカメラの話はどこへ行ってしまったのか? 活発な撮影意欲と妙な心変わりに押されて、ぼくはデジタル・ピンホールカメラを作ってみようと仮住まいのエアコンの効いた部屋でうたた寝をしながら思い立ったのです。ピンホールカメラに特別な愛着があるわけでもなく、大した知識もないのですが、とにかく簡単に作れるので一度は試みようと思っていました。 ピンホールカメラにはレンズがありませんので、第126回、第127回でお話ししたようなやっかいな収差がありません。レンズのように1点に光を集めるわけではないのでピンホールから入る光量は著しく貧弱で、従って露光時間がかなり長くなります。周辺光量は落ち、レンズのようなシャープな像は結びませんが、ピントを合わせる必要もなく、露出の決定はISO感度と露光時間のみです。 ピンホールは自分で開けたものでなく、すでに直径0.4mmのものがネット通販で売られておりそれを使用しました。海外製ですがメーカー名を失念し、今調べてみたのですが判明しません。本来はアルミ箔などに任意の大きさの穴を開けて用いるのが、ピンホールカメラの通人なのでしょうが、そこまでしてというのがぼくの気持ちです。簡単に作ることができるのがぼくにとって一番。 一眼レフ・フルサイズのボディキャップに大きめの穴を開け(直径4〜5mm)、そこに購入した約2cm四方のピンホール板をパーマセルのブラックテープでボディキャップの裏側に貼り付けただけです。おそらくf値は200〜300くらいだと思います。このような極端なf値なので、受光素子は入念にゴミ取りをしておかないと、Photoshopの「スポット修復ブラシ」ツールを何百回も押さなくてはならなくなります。 デジタルですから、撮影後はカメラのモニターでヒストグラムを見ながら適正露出を探ることが可能です。作例を掲載しておきます。どことなくボワーッとした、レンズでは得られない描写です。かなり面白そう。一昨年のぼくの脳味噌のようです。 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/128.html 「01散歩」:データEOS-1DsIII。ISO 400。10秒。日が落ちた公園で犬の散歩をする人たち。三脚使用。 「02かかし」:データEOS-1DsIII。ISO1600。1/25秒。ピンホールカメラは三脚使用が通常だが、手持ちを試みる。感度を上げれば手持ちで使えそう。 |
(文:亀山哲郎) |
2012/11/26(月) |
第127回:歪曲収差について(補足) |
レンズには様々な収差があり、光学ガラスを使用している限りどのようなレンズにも生じます。レンズにまつわる諸悪の根源はすべて収差にあります。それらすべてを取り除くことは現在のレンズ光学(ガラス素材なども含めて)ではほとんど不可能です。収差には基本的に「ザイデルの5収差」と呼ばれるものがあり(「ザイデル」とは19世紀ドイツの数学者・光学者の名前。P. Ludwig von Seidel )、歪曲収差もそのうちのひとつです。5収差とは「球面収差」「非点収差」「コマ収差」「像面湾曲」「歪曲収差」を指し、よく言われる「色収差」はここには含まれません。
様々な収差をできるだけ取り除こうとすると、光学設計上非常に複雑となり、またガラス素材にも高価な物が用いられることとなり、どうしても価格が高騰してしまいます。宜(むべ)なるかな、安価なレンズほど収差に悩まされるという悲哀を味合わなければならないようです。“ようです”とは曖昧な表現ですが、ぼくはすべてのレンズをテストしたわけではないので、「100%そうである」とは断言できないのですが、おそらく“当たらずとも遠からず”というところでしょうか。 各収差についての詳細は省きますが(ぼく自身がレンズ設計にも光学的な学識にも疎いので生半可な知識を振り回すべきでないことと、それを知ったところで写真の上達には関係がないので)、収差のなかには絞りを絞り込んでいくとある程度改善・改良できるものがあります。しかし、歪曲収差は残念ながら絞りでは解決できません。レンズの性格に従わざるを得ないところがまことに忌々しいのです。 ですが、前回述べた「デジタルというのはすごい!」との意味合いは、画像ソフトを使用することで改善の手立てが得られることです。フィルム時代はレンズの特性に従わざるを得ず(補正のしようがない)、僅かばかり神経質な人たちは否応なく我慢を強いられ、それに甘んじる他なかったのですが、デジタルはなんとかそれらしく歪曲補正ができてしまいます。簡単な技でできちゃうんですね。 しかし、これも諸手を挙げて喜んでばかりはいられません。何事にもメリットがあれば悪霊のようなデメリットもついて回るのですから、いわば薬のようなものだとお考えください。それもかなりの劇薬。この悪霊は、補正と引き換えに周辺部の解像度劣化を誘発してしまうのです。 ただ、ここにも救いの神がいます。もったいぶった言い方は止めて(もったいぶっているつもりはないのですが)、ぼくの歪曲補正の手順を手短にお伝えしておきましょう。 まず最良の治療結果を得るには、撮影はRawで撮り、Rawデータの現像時に歪曲補正ツール(“ディストーション”と明示されるものもある)の機能のある“最新の”Raw現像ソフトを使用することで、解像度の劣化は最小限に抑えることができます。最近はピクセル補間の解析方法が進化し、良い現像ソフトはほとんど悪霊の存在を気にしなくて済むようになりました。ぼくはもっぱらフランスのDxO社のRaw現像ソフトとAdobe PhotoshopのBridgeの双方を使用条件に合わせて使い分けています。他の収差補正にも極めて良好な結果を示してくれます。 現在、ぼくのMacには6種類のRaw現像ソフトがインストールされていますが、ぼくの環境下では上記の2種が使い勝手や(馴れの問題もあるでしょうが)多くのカメラとレンズに対応していることも含めて、総合点ではベストと言えます。しかし、他のソフトをアンインストールしないのは、写真の絵柄やレンズによっては捨てがたい利点が見出せる場合があるからです。この無定見さは、悪霊の怨念を執拗に排除しようと躍起になってのことで、その伝ではちょっと偏執狂じみていますが(フィルム時代にもてあそばれた後遺症?)、フィルムの怨念に祟られずデジタルから始められた方はご自分の使いやすいソフトを十全に使いこなすことを一番にお勧めします。 撮影はRawでなくJpegでしか撮らないという向きは、ぼくの知る限りAdobe Photoshopの「レンズ補正」ツールが良い結果をもたらしてくれます。Photoshopの簡易版であるPhotoshop Elementsにもこの機能が付いていますので、画像ソフトをお持ちでない方はPhotoshop Elementsを一番にお勧めしておきましょう。 前回126回で掲載した作例『03:「水平・垂直」』の作例は、パースがあの程度の絵柄では問題が生じにくいのですが、高層建築などですと目の錯覚によりおかしなことになってしまいます。このおかしな例は、時折コマーシャルの建築写真などに見られます。高層建築の下部から最上部に至るパースを平行にしてしまうと、騙し絵のように上部が広がったように見え、なんとも気持ちの悪いものです。かつては、建築写真といえば大型カメラで撮影するのが当たり前でしたので、アオリを使ってなんでもかんでも平行・垂直を保つのがよしとされ、暗黙の了解ごとでもありました。ぼくはその現象をクライアントに説明・説得し、僅かにパースをつけ自然に見えるようにしたものです。慣例に囚われたクライアントも悪霊のように見えたものです。 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/127.html 「01無補正」:高層マンションを常用の35mm広角(35mm換算)で撮影。歪曲補正なし。中央部が僅かに膨らみ、樽型となっている。元々のレンズの素性が良いので際立った歪曲収差ではない。周辺光量も落ちている。 「02歪曲補正」:Photoshop のBridgeでRawデータを自動補正。周辺光量も自動的に補正されている。 「03垂直」:マンションの垂直線を平行に。目の錯覚で上部が広がったように見える。こんな不自然な補正をしてはいけません。 |
(文:亀山哲郎) |
2012/11/16(金) |
第126回:歪曲収差について |
過日、半年ぶりに会った写真と珈琲好きの友人に「かめさん、最近の『よもやま話』は写真的エッセイのようになってきたね。でもね、かめさんの言わんとするところはよく分かるよ」と言われました。
ぼくは「君にも以前から言っているように、写真は技術なくしてなかなか思うように撮れるものではないというのも一方では事実なんだが、実はもっと大切なことがあると思っている。それは一言でいえばメンタリティというのかな、写真を撮るための精神的メカニズムというか、そういうことね。技術というのは学ぶ意志さえあれば、いつでも、誰でも写真を撮る上で必要にして十分なところまでは習得できるものだ。初級から上級まで、その類の本はたくさん出版されているし、従ってそれを読めば、プロになるのでない限り、それで事足りる。しかし、技術よりももっと大切なものがあるとぼくは常々感じているので、どうしてもああいう話にならざるを得ないんだよ。“はじめにイメージありき”だということを伝えたかった。だから、うちの人たち(倶楽部のメンバー)にも、技術的なことの指導は最小限に抑えて、あまり多くを敢えて教えずに、精神的技術論を説くようにしている。その方がずっと良い写真を撮れるようになると思うし、成長の証としての実績も残せたと思っている」と、ぼくの写真的信条の一端を改めて繰り返しました。 また、「指導者は、教えを受ける人たちが指導者の色に染まらないように心がけることが大切。自分の流儀を押しつけて、人は成長するものではないから。だからぼくは写真の好き嫌いで批評はしないし、クオリティだけを見るようにしているのは君も知っての通り。個というものは真似のできるものではないし、それは意味のないこと。学ぶ側は自己に取り入れるものを指導者から収拾選択しながら奪い取り、そして成長していくのがぼくの理想かな」とつけ加えました。 そのような意味合いを行間に含めての「震災の地を訪れる」5回シリーズであったわけで、個人的なエッセイもしくは体験記を綴ったわけではありません。行間をどう読むかは読者諸賢にお任せすればいい。 さて、久しぶりにレンズの話をしましょう。この話も実は友人Tさんが撮った写真を見て思い立ったのです。ズームレンズも近年ずいぶんと良いものになってきたと感じていた矢先に、甚だしき歪曲収差の弊害に出会い、改めて感心?というかショックを受けてしまいました。 レンズには様々な「収差」と呼ばれるものがありますが、歪曲収差もその一種で、画像が樽型(中央が膨らむ)になったり糸巻き型(中央が凹む)になったり、さらに複雑に陣笠型のようになるものもあります。つまり、直線が直線として表現されずに曲がってしまうのですから、まことに始末の悪い現象です。小型カメラを使用している限り、どんな優秀なレンズでもこの弊害から逃れることはできません。 極端な例を上げれば「魚眼レンズ」などはこの歪曲収差(樽型歪み)を逆手に取り、利用したものです。魚は本当に物があのように見えるのかどうか、ぼくは魚ではないので知る由もありませんが、もしそうだとすればトビウオなど水面から出た瞬間に「地球は丸い」と実感しているのでしょうね。ぼくは地球が丸いだなんて未だまったく信じておりません。ついでに言えば地動説も信じておらず、絶対天動説支持者です。こういう人間が科学・化学で成り立つ写真について一端(いっぱし)のことをそれらしくうそぶいているわけです。 歪曲収差は広角側で樽型に大きく歪みます。焦点距離で言えばおおよそのところ広角から望遠の85mmくらいまでが、樽型です。標準レンズとされる50mm (35mm換算)は洩れなく樽型歪みです。約100mmからそれ以上が逆に糸巻き型に歪むという性格を有しています。ぼくの使っているC社の100mmマクロレンズは、ほぼ正確に直線を表してくれ、他の物はどちらかに偏っています。ですから複写などはもっぱらこの100mmレンズを使用することになります。 しかしです。デジタルというのはすごい! この気持ちの悪い歪曲収差を完璧にとは言わずとも、ほぼ気にならない程度まで「自動的に」修正できてしまいます。「自動的に」とは、使用する画像修正ソフト(一般的なものとしてAdobe Photoshop など)が、使用レンズに対応していれば、チェックを入れるだけで85%くらいの満足度で補正してくれます。85%という数値は“心情的に”と解釈してください。あとの15%がどうしても気になるような場合は「手動」で補正を追い込んでいけば、ほぼ満足感が得られるでしょう。 幸か不幸かぼくはTさんの使ったような強い歪曲収差の出てしまうレンズを持っていませんので(Tさん、ごめんなさい)、作例には分かりやすいように強い収差の出る広角28mm(35mm換算)のコンバージョンレンズを使いました。樽型に歪んだ画像をPhotoshop CS6 の「レンズ補正」ツールを使い、「手動」で補正しています。「自動」を使いたいところですが、コンバージョンレンズにまで対応していませんのでやむなく「手動」を使いました。この便利なツールの使いこなしは馴れれば2分とかかりません。 作例は、完璧になるまで追い込んでいませんが、ほぼ85%の出来映え、かな? ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/126.html 「01オリジナル」:樽型に歪曲しているのがお分かりでしょう。手前の柵に顕著な現象が生じています。とともに、全体が凸に膨らんでいます。 「02補正」:歪曲を補正。広角レンズを下からアオって撮っていますから上部がすぼまって表現されます。これは正常です。 「03水平・垂直」:大型カメラでアオリを効かせて撮ったように、水平・垂直をできる限り補正。 |
(文:亀山哲郎) |
2012/11/09(金) |
第125回:津波の地を訪れる(5) |
「うらやす」に同行した人たちが、写真を撮るために深閑とした構内で何を感じ、どう考えていたかをぼくは知らないが、誰もがいつになく寡黙で、ふさぎ込んでいるように見えた。廊下ですれ違ったMさんにぼくは「ソロフキみたいだ」とつぶやき、Mさんも「あなたがそう感じ取っていることは、私にも伝わってくる」と神妙な眼差しを向けながら、間髪をおかずに返してくれた。
ソロフキとは、ソロヴェツキー諸島(1992年世界遺産登録)の略名で、スターリン時代、北極圏直下に存在した絶滅収容所第1号のあったところ。あらゆる拷問と虐殺方法がここで考案・組織化され、ソビエト全土にガン細胞のように繁衍(はんえん)し、全土で約2,000万人の命が不条理に奪われた。ソビエト連邦の悪名高き「強制収容所」は、1923年、ここ「ソロフキ」から始まった。 長年、国家の隠蔽工作により外国人はおろかロシア人でさえも立ち入ることができなかったこの地へ、長年の念願が適ってぼくは2004年に訪れることができた。ソロフキの存在を超大作『収容所群島』(1973年)で世界に知らしめたロシアのノーベル賞作家A. ソルジェニーツィンは同年国外追放となる。 類似点に於いて著しく異なる「うらやす」と「ソロフキ」がどこかで重なって見えたことが不思議と言えばそうも言えるが、ぼくの撮ったソロフキの写真を多く知るMさんが直感的にぼくの言葉に頷いたのは、悲しさや無念さといった数少ない類似点の発見に強い共感を覚えたからかも知れない。そして、概念としての「一刻の生、一刻の死」を65歳のMさんは改めて体感し、また日本人であれば誰にでも無意識のうちにある仏教的な諦観を了知し、大きく揺さぶられたのだろうとぼくは思う。 「うらやす」にはたった20分間滞在したに過ぎないが(デジタルはこのような記録が正確に残されるのでありがたい)、修羅場の空気を体験することは、想像力が刺激され脳内が持続的に活性化するもので、ぼくは同行した人たちの写真がこれからどう変わっていくかを愉しみにしている。 閖上地区を後にしたぼくは給油と称してスタンドを探した。運転を代わってもらう算段だった。ハンドルを握りながら「撮った写真はもう取り返しがつかないから(変えようがない)、イメージをできる限り忠実に再現するにはどのように仕上げるのがベストなのか。もう一度イメージを再構築する必要がある」と、頭の中はそのことで一杯。信号確認もうわの空なのだから危険極まりない。だが同乗者は気の毒にもそのことに気づいていないようだった。癇癪の後は暗室作業専心没入で気もそぞろ。交通法規もなんのそのだから、やっぱりぼくは迷惑千万、自己中の権化のようでまことに始末が悪い。仲閧フ身を案じ、ここで運転を交代することにした。 スタンドで給油をしていると、暇を持て余している青年従業員に目が惹きつけられた。この青年は何か大きな悲しみを背負っているように思えたからだった。ぼくの直感が「間違いない」と言っている。イメージ再構築のためにこの青年から何かしらの手がかりを得られそうだった。ぼくは自分の直感を信じることにした。旅という非日常に置かれると人の感覚は普段より何倍も鋭くなり、冴えるものだ。人見知りの激しいぼくは彼に歩み寄り、こう切り出した。 「ここまで水が来たの?」。「いえ、ちょっと手前で止まりました」。「じゃあ、あなたは津波の被害には遭わなかったんだね?」。「たまたまあの日は出かけてぼくは家にはいませんでしたから」と彼は急に顔を曇らせた。何かを必死で堪えている。ぼくは話を続けた。「“たまたま“ということはご家族と一緒じゃなかったということ?」。「そうなんです」。「ご家族は無事だったの?」と、ぼくは自分の問い掛けに呻吟しながらも、 ”知る人に縄を掛ける“ ことを厭わなかった。言葉のアクセントや発音がお互いに多少異なるので、却って会話が進むということはよくあるものだ。 ちょっと間を置きながらも彼は気丈に「家族はみんな呑まれ、今はぼく独りです」とつぶやいた。ぼくは平静を装って「そう、それは大変なことだったね、気の毒に。言いにくいことを聞いてしまってごめんね。貴重な話をありがとう。ところで、あなたはお幾つ?」。「17歳です。学校へ行けなくなって、ここで働いているんです。ここも地割れはしましたが、波は来なかったんです」とその口調は意外に屈託がない。感情の揺れは1年半を経過してもとても収まるどころではなく、これから長年にわたって余震のように彼を揺さぶり続けるであろうと思うと、ぼくも人の親、やりきれなさが尾を引く。 短い会話だったが、ぼくはなにがしかのリアリティを彼に与えられた。それによりイメージの道筋のようなものが明確さを増したように思える。会話の内容は同乗者に余すところなく伝えた。運転はTさんに任せることに。彼は建築業よろず専門家で腕っ節も太く、暗算の達人なので(ぼくとはまったく真逆)安心して任せたのだが、後日言うところ「ぼくの写真はどれもブレブレでひどいものでした」と自白してきた。なんたる見かけ倒しめッ! 今回の津波被災地訪問は、再訪に備えたいわば自身への小手調べのようなもので、敢えて情報らしきものを持たずの撮影だった。被写体にどのように正対すれば、自分の真実とそのリアリティの調和が写真表現として活かせるのか、そしてどこにその整合性が見出せるのかという一種の探りのようなものだった。震災直後の生々しさだけが本物のリアリティではないという持論をどこかで証明しなければならない。 友人がボランティアで気仙沼に1年半も行きっぱなしになっているので、彼を頼って本格的に取り組もうかと思っているのだが、彼は車の免許を持っていないというので、ぼくは撮影よりもそのことで今頭を悩ませている。 |
(文:亀山哲郎) |
2012/11/02(金) |
第124回:津波の地を訪れる(4) |
閖上地区に同行した古くからの友人は(仮にMさんとしておきます)ぼくの癇癪寸前状態(第123回記述)を鋭敏に嗅ぎ取ったと言います。Mさんの言によると、ぼくは普段から非常に分かりやすい人間なのだそうです(つまり単純ということらしい)。
ぼくは喜怒哀楽が激しく(つまり単細胞)、短気で(つまり瞬間沸騰型)、しかも楽天家(つまり思慮不足で脳天気)だと自覚しているので、できるだけ人前では自重し、感情を抑制しなければとの意識が強く働きます(つまりまともな社会人になりすます)。お付き合いの浅い人はぼくを称して「穏やかで、物腰が柔らかく、親切で、物分かりの良い紳士」だなんて見当違いの人物評をしてくれます。実態は“然(さ)にあらず ”なのですが、できるだけ貼られたレッテルに従った方が世を渡りやすいことも知っています。 しかし、カメラを手にするともういけない。とたんに少ない理性を失い、レッテルなどかなぐり捨てて、世の中は自分しかおらず、はたまた銀河系の中心はオレだ、と思い込んでしまうのです。 写真屋というのは、以前に述べたことがあるように思いますが、どうもカメラを持つと人格が豹変してしまう人が多いようです。「・・・・に刃物」で、刀を持たすととたんに辻斬りに走る狼藉者のようでもあります。肉眼で見る現実がレンズを通してしまうと非現実のものとなり、その区別がつかなくなってしまうからです。ぼくなどイメージが勝ちすぎて、ファンイダー越しの世界はあくまで虚構であることに気がつかない振りをしてしまいます。錯覚と思い込みが激しい。 イギリスのコラムニストで歴史家・小説家でもあるA.N.ウィルソン(Andrew Norman Wilson)はその著書『The Victorians』(「ビクトリア王朝時代1837〜1901」、とでも訳せばいいのかな)のなかで、「白人が帝国主義をエジプトやアジアに押し進めていたまさにその時代(※今だってそうだ。その帝国主義的本質は何も変わっていない。亀山)にあって、それがどんなに不合理で歪(ゆが)んだものであっても、東洋のインテリジェンスに屈服したヨーロッパ人は立派な破壊分子と見なされた」という文言を思い出しました。当時の帝国主義を正当化する手立てはどこにもないということです。 ぼくとともに何度か撮影に同行したことのあるMさんに向かって、「オレの前には絶対に出るな」と命令口調で言ってしまう横柄さと然したる違いはなさそうです。そのMさんはレンズの歪曲収差をPhotoshopで補整しようとすると、決まって目まいを起こし、船酔いのように気分が悪くなってしまうのだそうです。目まいの原因を、基本を口やかましく指示するぼくのせいにするのですから、不合理で歪んだ理論を押しつけるのは件(くだん)の白人ばかりでなく、それは人間の業のようなものであるのかも知れません。 閑話休題。 人っ子一人いない「特別養護老人ホームうらやす」(以下、「うらやす」)の玄関に辿り着いた我々誰もが、「うらやす」は外見上さほど大きな災害に見舞われたとは感じられなかったのだろうと思います。夏の残照のなかに浮き出た「うらやす」は姿かたちを変えずに不気味なほどの静けさに包まれていました。周辺の木造家屋が壊滅状態となり消失していたのでなおさらの感がありました。 28mm (35mm換算)のコンバージョンレンズを付けたまま、その玄関や内部を撮ったものを掲載しておきます。 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/124.html 「五感を研ぎ澄ませ!」と自分に言い聞かせながら玄関から首を突っ込むような姿でなかに入るとすぐに大広間があり、そこには一艘の救命ボート(と思われる)が床の上に投げ捨てられたような形で横たわっていました。 このボートはその役割をどのくらい果たしたのだろうか? これで救われた人がいたのだろうか? だとすれば何人くらいが? どのような基準に基づいて乗せる人を選んだのだろうか? なぜここにあるのだろうか? という疑問が次から次へと頭のなかを目まぐるしく駆け巡りました。押し問答を繰り返しながら、ぼくの答えはすべて否定的なものでした。つまり、このボートはまったく役に立たなかったのではないか?ということです。あの津波を想像すれば地獄絵図しか描けないのです。今のこの静けさは、かえってそれを如実に物語っているように思えたのでした。 空調ボックスが斜めにつんのめるような姿勢で傾き、汚水に晒され薄茶色に染まったレースのカーテンが何事もなかったかのように海風に吹かれゆらゆらとたなびいていました。そこで余生を送りつつあった人々の安らぎを、今も奏でているように思えてなりません。ぼくはそのカーテンを手に取り舐めてみました。まだ塩の味がかすかに残っていました。 廊下を歩みながらシャッターを切り続け、壁面の至る所に水位を示す筋がここでの様々な出来事を示す一種の証のように思えました。モノクロ化する際にはどのような表現をするのが自分にとっての真実なのか、またここでの出来事をイメージに従って写し撮ることができるのか。「感じたままに、素直に受け入れる」と心のなかで言い聞かせるようにつぶやいていました。撮影はもとより、その暗室作業を乏しい頭で盛んにこねくり回していると、この天災をどこかで人災に置き換えようとしている自分に気がつきました。なぜその様な思いに至ったのか未だに釈然としない思いばかりが募ってきます。 ぼくはここではMさんに「オレの前に出るな」とは言いませんでした。我ながらも厳粛な空気を感じ取っていたのでしょうか? Mさんの目まいが治ればいいのだけれど・・・。 |
(文:亀山哲郎) |