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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2012/02/03(金)
第87回:雪とスポット測光について(2)
 ぼくの所属する写真クラブの若人2人が愉快な病に冒され、「そんなわけで今写真が撮れないのです」と言い訳がましく訴えてきました。一人はまだ20代の若さで、デート中に痔の痛みに襲われ彼女を置き去りにし、撮影をも放棄して病院に駆け込み、もう一人は前立腺炎に見舞われ、おしっこをしてもしても、猛烈な尿意にさいなまれ身動きができず、とても撮影どころではないとのこと。ぼくは身を捩るような嬉しさがこみ上げてきて、ここぞとばかり「撮影に対する根性が足りない」とか「写真に対する詰めが甘い」とか、「だから膀胱や肛門が大炎上してしまうのだ」とか、命に関わるような病状ではないので、クラブの全員宛メールで悪罵、詰責、罵詈雑言のし放題。近年にないそのあらましに欣喜雀躍。「人でなし」などと言うなかれ。ぼくは同情したような振り(こちらの方がずっと「人でなし」)を決してしないとても正直なタイプの人間なので、小躍りしてその歓びを赤裸々に表現し、囃し立て、全員と分かち合おうとしたのでした。
 その直後、あと2日で64歳を迎えようとするぼくに腎臓結石という激痛の伴う病が襲いかかりました。なんとかやり過ごした2日後、朝から撮影だったのですが、再びその痛みに襲われ悶絶しそうになるのを冷や汗・脂汗とともに必死に堪え、担当者にも悟られず、血尿を振りまきながらしっかりと撮影をいたしました。撮影後、医者に直行し病名が判明したという次第。しかし、ぼくは彼らを嘲笑したことにまったく反省はなく、「写真に対する詰めが甘い」と啖呵を切った手前、どうにか人としての面目とプロとしての矜恃を保ったのでした。
 あっ、こんなことを書いて自画自賛してる場合じゃなかった。

 本題に入ります。「雪とスポット測光について」をお話しする前に、以前にも述べましたが反射光式露出の原理についてもう一度おさらいの意味を含めてお話ししておきます。反射光露出計とは物体の明るさを測り、それを18%のグレー濃度(下記URL参照)に置き換えて表現します。しかし困ったことに、どんな明るさの物体でも18%のグレーに表現されてしまうのでは、白を白く、黒を黒く表現できないことになります。現実の世界には画面のすべてが単一濃度ということはありませんが、この原理を知っておくことが「スポット測光」を使う際に必要となってきます。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/87.html

 まず、「白タオル」を撮ってみましょう。全面に均一な光が当てられ、タオル地は無地の同一濃度ですから、測光方式はどのようなものでもかまいません。

★「02.N」は、露出補正をノーマル(N)で白タオルを撮ったものです。露出の原理通り「01.18%グレー」とほぼ同じ濃度で示されていることがお分かりでしょう。真っ白なタオルが(純白というわけではありませんが)これでは困りますね。白いタオルをそれらしい濃度に表現するために露出の補正が必要となってきます。

★「03.+2補正」は、露出補正を+2 としました。つまりノーマルより2絞り分露出を多めにかけています。実は2絞りオーバー(露出過多)がタオルに限らず、物の質感(テクスチュア)を損なわずに表現できる限界なのです。ここが露出補正の最も重要なポイントです。これはデジタルでもフィルムでもほぼ同様です。この原則を科学的・論理的に述べたのがA. アダムスで、目を洗われるような彼の美しい写真表現(プリント)の基本となっています。
 同様にシャドウ部の限界も-2絞り分が質感描写の限界です。「05. -2補正」をご覧ください。

★「03.+2補正」より実物はもう少し白いので、このデータをPhotoshopの「レベル補正」ツールで右端の三角印をヒストグラムの山裾に被らない程度に左にわずかに移動し明度を増してやればいいのです。これで質感を失うことはありません。それが「04.+2補正を補整」で肉眼上のものとほぼ同一になります。

 さて、露出の原理が分かったところで「スポット測光」の話に移ります。

★仕事帰りコーヒーが飲みたくなり、行きつけのコーヒー店のベランダに残雪がありました。サンプル写真に好都合と思い、カメラの「スポット測光」で夕陽に照らされたテーブル上の雪を測りノーマル露出で撮ったものが「06.N」です。全体に露出不足で、これでは如何ともし難いですね。雪の白さが18%グレーに表現されてしまっているからです。

★そこで「白タオル」の原則に従って、「スポット測光」で測った値より露出補正を+2絞り分オーバーに撮ったものが「07.+2補正」です。雪の質感を失うことなく、ほとんど肉眼で見た白さ同様に表現されています。
 これが「スポット測光」の最大効用で、他の測光方式では画面にはさまざまな濃度がありますから、このようにドンピシャリという保証はなかなか得られにくい。ファインダーで被写体を覗き、もっとも重要な部分をどのくらいの明度にしたいのか、それを自在に、かなり正確に表現するための測光方式が「スポット測光」なのです。

 露出に自信がない時など、ぼくはひとつの基準として「スポット測光」で順光に照らされたアスファルトを測ることがあります。逆光や準逆光でなければ、厳密な順光でなくともかまいません。その値をAEロックし撮ればほとんど露出補正なしに平均的(安全な)な露出が得られます。応用として複数箇所を「スポット測光」で測り、カメラが自動算出してくれる賢い機能のついたものもあります。意図する露出値を正確に得るための方式が「スポット測光」と言えるでしょう。今日も余計なことを書いてしまったので、ちょっと分量が多くなりましたが、厳密な字数制限のないWebの最大効用にあやかりました。
(文:亀山 哲郎)

2012/01/27(金)
第86回:雪とスポット測光について(1)
 ぼくの住むさいたま市にも久しぶりに雪が降りました。雪景色というものは誰でもある種の情趣と郷愁をそそられるものです。雪と共にある生活とは普段あまり縁のない地域に住んでいる人たちにとって、それはなにか特別なものとして肯定的に受け入れることのできる一種特有な感覚であるのかも知れません。しかし、雪の多い地域で人目を憚らずに「情趣に富んだ」とは、なかなか言い出せる科白でないことは十分に承知しているつもりです。特にここ数日の日本海側や東北、北海道など、雪と悪戦苦闘している人たちに対してはなおさらです。
 そんなことを言えば、「いい気なもんだ。あんたたちは・・・」と言い返されることまず間違いなく、あるいは睨みを利かされることに相違なく、ぼくもその程度の慎みというか節操というか見識は持ち合わせているつもりではおります。あくまでも「つもり」であります。

 しかし、写真愛好家にとって一応はものの分かったような振りをしながらも、やはり偶の雪景色を目の当たりにしてしまうと、「いいねぇ、きれいだなぁ」と感嘆しつつカメラを引っ張り出してしまうのも人情なのでしょう。
 風景を風景写真として意識して撮ることのほとんどないぼくでさえ、カメラを持ち出さずとも(単に怠惰なだけ)、「この場合、雪を止めるべきか、止めるのであれば背景に何を持ってきて、どうコントラストをつけるのか。それとも雪を流して撮るべきか。流すとすればどのくらい流し、であればシャッタースピードをどのくらいに設定するか。この情景では、積もった雪の質感描写はどの程度に表現したらいいか?」などなどを咄嗟にシミュレーションします。十中八九、いつもシミュレーションに終始し実際に撮影をしようとはしませんが・・・。本当に物臭な男なのです。

 雪景色の露出決定にはベテランでさえも苦慮する場合が多々あるように思います。その露出決定に最も信頼できる露出の測り方と操作をお話しいたしましょう。この方法は雪景色ならずとも他の分野でも非常に役立つ方法ですので、お伝えしておきたいと思います。

 現行製品の99%のカメラには自動露出という大変にありがたい機能がついています。それでも仕事には単体露出計が手放せませんが、一般的にはほとんどカメラ内蔵の露出計で事足りると言っても差し支えありません。

 カメラ内蔵露出計にはさまざまなタイプの測光方式が採用されています。例えばC社一眼レフの取扱説明書を見てみると安価な機種から高価な機種に至まで、測光方式には次のような表示があります。「評価測光」「部分測光」「スポット測光」「中央部重点平均測光」など。ぼくが私的写真に使用しているコンパクトなカメラにも「マルチ測光」「スポット測光」「アベレージ測光」とあります。各社、表示の名称は異なっても内容的にはほぼ同じものです。測光方式のそれぞれの違いについては取扱説明書に書いてありますのでここでは述べませんが、かなり廉価なコンデジであっても「スポット測光」を選択できるようになっています。廉価なコンデジにもこの機能が付属しているということは、撮影に際して極めて有用なものであることの証であると受け取ってもよいでしょう。

 「スポット測光」とは文字通り被写体の一部をスポット的に測る方式です。受光角はカメラにより異なりますが、かなり狭い範囲の明度を測ることができます。ぼくの使用していた単体スポット露出計は受光角が1度という精緻なものでしたが、そこまで狭い範囲でなくともほとんどの場面、カメラ内蔵のスポット測光は満足できるものです。
 ちなみにぼくの私的写真用カメラは「表示面積の2%」が測光範囲と表示がされています。また、仕事で使用している一眼レフは「2.4%」なのだそうです。2%とはどのくらいの受光角なのか数字に疎いぼくには分かりませんし、その気もないのですが、画面を50分割しその1つの範囲と考えればいいのでしょうか? スポット範囲は各社似たようなものなのではないかと推察します。それで不便さを感じたり、信頼を裏切られたりしたことはあまりないので、大判フィルムを使用しなくなった現在、高価な単体スポット露出計を持ち歩く必要性がもはやなくなりました。フィルムは、質感描写の得られるシャドウ部を基準にしハイライトまでの再現域(つまりコントラスト)をフィルム現像の加減で調節するメソード(A. アダムスのゾーンシステム)にぼくは従っていたので、どうしても厳密な輝度域を測る必要がありました。
 ですがデジタルはフィルムの方法論ではなく、露出はあくまでもハイライト基準(ハイライトを白飛びさせない)ですので、輝度域を知る必要はありますが、フィルムのように現像でのコントラスト調整を撮影段階で考慮する過程がありません。ここがフィルムとデジタルの露出に対する考え方の大きな違いなのです。この明確な差異を認識しておかないと堂々巡りとなってしまいます。フィルム時代にきれいなプリントをした人がデジタルでは思うに任せずとは、ここに起因すること大であるように思います。ただ、デジタルはそれでも一応「写っちゃう」と勘違いをさせてしまうので、罪作りなのです。

 どの測光方式を選択するかは、いつかも述べたようにあなたの慣れ親しんだ測光方式を使いこなせばそれが一番なのですが、「スポット測光」はちょっと事情が異なり、露出の原理を理解していれば非常に強力なものとして機能してくれます。次回では添付画像とともにスポット測光の勘所についてお話ししたいと思います。ま〜た、本題に行き着けなかった!
(文:亀山 哲郎)

2012/01/20(金)
第85回:アマチュアの特権
 6回にわたってヒストグラムとそれに関わる露出のお話しをいたしました。内容的にはまだほんの触りに過ぎませんけれど、読者諸兄にとってそれがどの程度必要であるのか、あるいは要望されていることなのか皆目見当がつきませんが、これがWebの宿命のようなものなのかなとも思っています。紙媒体であれば編集方針に従ってある程度読者対象が絞れますから、内容もそれに準じて容易に進めることができるのですが、顔の見えないWebではその内容についての難しさを痛感しています。
 読者のなかには、例えば携帯電話で写真を撮りそれを写真屋さんに持ち込んでL判くらいの大きさにプリントしてもらい、写真を楽しんでいる方もおられようし、一方では一眼レフを携えて自己表現のための手段としている人もいて、まさに対象は千差万別。

 この7、8年、アマチュア諸氏と触れ合う機会がつとに多くなりました。なかには九州や大阪などの遠方からはるばる写真を持って訪ねてくる人もいるくらいです。おかげで否応なく写真の話をすることになったり、今まで深く考えていなかったことについて改めて考え直してみたり、さまざまな発見があり、ぼくはぼくでそれを愉しんでいたりしています。
 それまでは同業者、つまり職業カメラマンとのつき合いがほとんどで、同業者というのはあまり写真の話などしないものです。したとしても話題の大半が機材などの情報交換に費やされていました。フリーランスのカメラマンというのはお互いに利害関係がなく(利はあっても害はない)、またお互いの身上も似たようなものですから、ぼくのような非社交的な人間でもすぐに打ち解け、つき合いが続くものです。「同病相憐れむ」という一面もあるのでしょうが。

 アマチュア諸氏と話していてこちらが困惑させられてしまうこともしばしば起こります。「エッ? あなた、そんなことを一体どこのだれに吹き込まれちゃったの? それはほとんどデタラメに近いことですよ。ダメダメ、今すぐにその考えは捨て去って」という類のものです。写真歴が長く、多い人ほどぼくにこう言わせる回数が多いという事実に、困惑を隠しきれないのです。
 独りで写真にこつこつと励んできた人はこのようなことはあまりないのですが、多くの仲間と一緒に写真を愉しんでいる人や、あっちこっちの写真教室を渡り歩いている人に限って怪しげな都市伝説を金科玉条のように信じ切っていたり、糧とする傾向があるように見受けます。このような人々のなんと多いことかを知り、他人事とはいえ放置しておくのも良心の呵責にさいなまれます。

 なぜこのようなことが生じてしまうのか、ぼくは未だ解明には至っておりませんが、写真に限らずどの分野でも同じように、ある土地には必ず土地の名士といわれるようなカリスマ的存在の指導者がいて、誰もが何の疑いもなくその人のいうことに“右に倣え”をし、習い事の拠り所としてしまうのではないかと想像しています。少なくともぼくの知る限り、だいたいがそのような仕組みになっています。科学的に何の根拠もないことをいとも簡単に信じてしまうのです。
 “右に倣え”をしてしまう人は科学的・論理的にものごとを捉えることが不得手なタイプで(ぼくもそうですが)、しかし彼らに責任があるわけではありません。
 問題なのは“土地の名士”たる人たちで(名士に担ぎ上げてしまった人たちには責任がありますが)、彼らのほとんどは撮影の修羅場で命を削ってきた経験を持っていないということです。平易にいえば、撮影に失敗しても「今日は上手くいかなかったなぁ」で何事もなく済ますことのできてしまう人たちです。まぁ、それがアマチュアの素晴らしい特権なのですが、経験年数が長いというだけで、あるいはアマチュアのコンテストで何回賞を取ったという名目で、名士に仕立て上げてしまうのはやはり間違いだとぼくは考えています。それはある意味で誰にとっても非常に罪作りな話です。

 アマチュアの“素晴らしい特権”とは多々ありますが、そのうちのひとつはいわゆる“芸術的な写真”を「意識して撮る」ことにあるように思います。“芸術”という広義のお題目には触れませんが、プロの写真屋がその世界を意識したり、また私的な写真であっても“芸術的な写真”を目的として写真を撮っているということはありませんから(少なくともぼくは)、アマチュアの方々には大いにその世界に遊び、満喫して欲しいと願っています。
 思うように写真が撮れなくて(それが当たり前なのですが、なかなか許してもらえない)キリキリと胃の痛むような思いをしたり、おマンマの食い上げを心配したりせずに済むのは、アマチュアこその権利であるように思います。

 好きが高じて職業写真屋になるというのは、ある意味で渡世人のようなもので、一旦この世界に足を踏み入れると抜き差しならぬ状況に追い込まれるものです。それが得も言われぬスリリングな快感といえばそれまでなのですが、やはり曰く言い難しといったところでしょうか?
 ある著名な美術評論家にこう言われたことがあります。「例えば10人の人がいて、あなたの作品を5人が好きだと言い、5人が嫌いだと言う。それがまずプロの第一歩だよ。誰でもが“いい”というような作品を撮っているうちはプロではないし、それでは本物は作れない」と。ぼくはこの言葉の持つ意味を非常によく理解しているつもりなのですが、さて、では実際にどうあるべきなのかが永遠の課題なのだとも思っています。
(文:亀山 哲郎)

2012/01/13(金)
第84回:ヒストグラム(6)
 前号で「適切な露出(何が適切な露出であるかは撮影意図に左右されますが)」と述べました。では、世間で用いられる「適正露出」とは一体何を指してそう言うのでしょう? 一般的には撮影された写真が「明るすぎず」「暗すぎず」、視覚的に「ちょうどいいと思われる」明度で表現されたものを言うのであろうと思います。これは極めて感覚的な問題ですので、誰もその写真についての露出を云々することができません。つまり正否がないのです。どれが正解なのか、あるいは客観的に見て他人はどの写真に安心感を得られるのか、永遠にけりのつかない問題です。

 かつて、フィルムで仕事をしていた頃に、よくこの問題に直面しました。印刷を前提にした写真ですからカラーはすべてポジフィルム(スライド写真用フィルム)を使いました。ポジフィルムは露出の許容度(ラチチュード)がネガカラーやモノクロに比べると狭く、プロでなくとも何段階かの露光をするのが、勇敢な人以外の作法でした(ぼくは現在ポジフィルムを使うことがないので、過去形で書いています)。
 ポジフィルムを使い1枚撮りで最適な露出を得るなどということは神業に近く、そのために何段階か露出を変えて撮ったものです。本番前にポラロイドを切って露出の確認をしてもなかなか当たらないのが露出というものです。そのくらい露出というものはシビアで、写真を愛好する人間は永遠にこの悩ましい問題から解き放たれることはありませんでした(ここも過去形)。
 最少でも1/3 絞りずつ露出を変えて3段階、多い時は5段階。画面の中に発光体があったり、逆光だったり、極端にコントラストが強い場合などは10枚くらい撮ったものです。これだけ“保険”をかけなければなりませんでした。
 それでもフィルム納品時にクライアントと段階露光をしたフィルムを見ながら、常に意見の一致を見るとは限りません。それはつまり感覚的な問題だからです。写真の明度に関する問題は、フィルムでもデジタルでも同様ですが、感覚に頼っていたフィルムに比べて(文字通りの“アナログ”です)、デジタルはそこに科学というものが介在するようになり、自分の撮った写真が「科学的に適正露出」であるかどうかが判明するような仕掛けになっています。それがデジタル最大の利器であるヒストグラムなのです。

 今回でヒストグラムのお話しは終わりにしようと思っていますが、せっかくヒストグラムに関わったのですから、それを利用しての画像補整についても少しだけ触れることにいたしましょう。
 使用ソフトは最も一般的なAdobe社のPhotoshopを使いました。Photoshopの簡易版であるPhotoshop Elements にも「レベル補整」というまったく同じ機能がありますので、それを使っても得られる結果は同様です。

※参照写真とヒストグラム → http://www.amatias.com/bbs/30/84.html

●添付画像「原画01」はRawで撮影。Photoshop CS5のACR ( Adobe Camera Raw )というRaw現像ソフトを使いデフォルトで現像しています。露出補正はノーマルですと空の一部が白飛びを起こしてしまうため、補正は−0.33 (−1/3 )で撮りました。「01ヒストグラム」でお分かりのようにハイライト(右端)の山がはみ出さず“寸止め”の位置です。画像がわずかに眠たいのはMax.Black(最高濃度)が存在していないことと半逆光のためです。

●「02ヒストグラム」の左三角を35まで右に移動して、最暗部を画面上に出すようにしました。山の裾よりわずかに右に寄せ山の左端をはみ出させていますが、この画像で最も暗い部分は画面右端中央のクリーニング店のほんのわずかな部分ですから無視してもいいのです。35まで寄せていくと画面全体が暗くなりますので、中央三角を左に移動し中間部を明るくしてやります。ここは大幅に動かしても白飛びしませんので安心して動かしてください。「02ヒストグラム」に記した赤矢印参照。
 この補整の結果、手前の旗の下部(価格表示)はMax.Blackとなり、全体のコントラストも上がり暗部が締まってきました。
 右の三角(ハイライト部)を左に移動すればさらにコントラストが上がりシャキッとした印象が得られますが、空が白く飛んでしまいます。せっかく空を飛ばせないように“寸止め”の露出補正をしているのですから、今回の補整はここまででいいでしょう。全体のコントラストを英語の手引き書などでは「Total Contrast」と言いますが、まずそれを整えることが画像補整の第一歩です。補正の画像をさらにインパクトあるものにするのであれば、あるいは作者のイメージに従うのであれば、部分部分を選択してコントラストや明暗を加減(Local Contrast)していきます。

●「03ヒストグラム」は「画像02」のものです。暗部は意図的につぶした部分がわずかに(目視できない程度)ありますが、白飛びをしている部分がなく、情報の損失がありません。

●「04ノスタルジー」は退色し始めた今はなきポラロイドのイメージを演出してみました。単なるぼくの悪戯です。この悪戯は10分とかかりません。こんな芸当はフィルム時代にはとても出来なかったことの事例として作ってみました。

 何度も繰り返しますがヒストグラムを読めるようになることがデジタル事始めです。こんなに便利で、しかも科学的裏付けを得られるものはないのですから、ぜひ習得されることを望んでいます。
(文:亀山 哲郎)

2012/01/06(金)
第83回:ヒストグラム(5)
 新年あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 新年早々いやな夢を見てしまいました。昔から「一富士二鷹三茄子」(いちふじにたかさんなすび)と言いますが、縁起担ぎなのでしょうけれど、ぼくは毎日夢を見ますがそんなものは一度も見たことがありません。強盗に襲われそうになったり、悪事を働き警察に追われる夢を見たりして、夢から覚めた時に「あ〜っ、夢でよかった」ということがしばしばあります。
 しかし、最も多い夢はカメラを忘れたり、いざという時にどこかにカメラを置きっぱなしにして手元にない夢です。夢の中でしきりと狼狽えているのです。この類の夢は非常にしばしば見ます。よりによって初夢は撮影現場でカメラバッグを開けたらカメラが入っていなかったというものでした。

 それは十数年前にしでかした「カメラ忘れちゃった事件」という職業カメラマンにあるまじき所行がトラウマとなり、その後遺症が様々なかたちに変質し、未だに尾を引いているのだと思われます。撮影現場に着き、車の後部座席を見たらそこに置いたはずのカメラバッグがなかったというとんでもない事態に遭遇したのでした。幸いにして取材先も時間の融通が利き、場所も都内でしたので家にいた当時大学生の息子に持って来てもらい事なきを得たのですが、この時の身も凍るような思いは終生忘れ得ぬものとなりました。担当者も旧知の間柄でしたので、お互いに顔を引きつらせながら笑い合ったものです。笑うしか手がありません。あの大きなカメラバッグがどこに消えてしまったのだろうと大の大人二人が座席の下などを覗き込んだりするのですから、粗忽によって浮き足立ち、忘我の境に入った人間は何をおっ始めるか知れたものではありません。
 「カメラ忘れちゃった事件」が余程堪えたとみえ、未だ撮影現場に向かう途上、信号待ちの時などに後部座席をちらちらと振り返る癖がついてしまったのです。このような滅多にない大技をこなしたぼくは、実は未だ悪夢から逃れられぬかなりの小心者なのです。十数年経った今も家人からは「カメラを忘れたカメラマン」と執拗に揶揄され、返す言葉もありません。
 ぼくの友人のカメラマンたちはさらに信じがたい超ドジを演じており・・・、そんなことを書き始めるといよいよ本題に入れなくなってしまいますから隠忍自重いたしましょう。

 ヒストグラムというものはデジタル最強の利器だとお話ししましたが、ヒストグラムと露出は切っても切れない関係にあります。ヒストグラムの説明を兼ねて、では実際に1絞りの差というものが写真上でどのくらい異なるのかを(案外、ベテランと言えどもこの差を明確に捉えていない人が大半です)、添付画像と合わせて説明いたしましょう。

 前回は写真の再現濃度域をはるかに越えた被写体を参考例にお話しをしましたが、今回はごく標準的な被写体を例にしてみました。昨日の寒風吹きすさぶ晴天時に撮影したものです。Rawデータで撮り、フランスDxO社のもので現像しています。絞りを固定しシャッター速度を変えています。

※参照写真とヒストグラム → http://www.amatias.com/bbs/30/83.html

まず、露出をノーマルから一段ずつ減らしていきます。

●「01露出ノーマル」とそのヒストグラム。カメラの指示通りの露出プラスマイナス0(つまりノーマル)で撮りました。実画からもヒストグラムからも(山の右裾野がはみ出しています)わずかに露出オーバーであることがわかります。山の中央部に大きく飛び出した部分は舗装道路です。

●「02露出補正-1」とそのヒストグラム。露出補正-1。全体が左に移動しています。

●「03露出補正-2」とそのヒストグラム。露出補正-2。

●「04露出補正-3」とそのヒストグラム。露出補正-3。被写体が写真の再現域にほぼ収まっている場合は(平均的なコントラスト)往々にしてここまで露出不足でも暗部(山の左側)が黒つぶれしないで持ちこたえていることがお分かりでしょう。

 ノーマルから、露出を一段ずつ増やしていきます。

○「05露出補正+1」とそのヒストグラム。一段露出オーバーになっただけで山の右側がはみ出してしまいました。つまり情報が失われ白飛びを起こしています。

○「06露出補正+2」とそのヒストグラム。もはやどんなに画像補整を駆使してもきれいな映像は得られません。

○「07露出補正+3」とそのヒストグラム。もう絶望的であります。

★「08完成画像」とそのヒストグラム。Photoshopにより適切に補整されたもの。山の両端が濃度域にピタリと収まりました。

 適切な露出(何が適切な露出であるかは撮影意図に左右されますが)を得られた画像はわずかな補整で適切な濃度域とコントラストが得られ、画像補整も力業に頼ることなく、画質の劣化を最小限に抑えられるということなのです。
 とにかく肝要なことは白飛びを起こさぬような露出を心がけてください。どうぞ、その伝お忘れなきように。ぼくも今年は忘れ物の悪夢から逃れたいと祈願しています。
(文:亀山 哲郎)

2011/12/26(月)
第82回:ヒストグラム(4)
 前回は前振りだけに終始し、本題にまで至らず失礼してしまいました。なぜあのようなことをくどくどと申し上げたかと言いますと、デジタル写真の事始めに於いてモニターのキャリブレーションはとても大切な一歩なのですがそれをお伝えするためではなく、作例の画像を添付してもそれが読者諸兄にどの程度正確に伝わるのか常に疑心暗鬼につきまとわれていたというぼく自身の問題からでした。

 自分の写真を他のモニターで見る機会は、たまたまはあってもそれほど多いということは普段ありませんし、その必要もありません。ぼくは職業柄、使用するパソコンはMacですし、仕事相手も圧倒的にMac使用者が多く、カラーマネージメント機能に難点があると思われるWinのブラウザでは自分の写真が本来の色調とどのような隔たりが出てしまうのだろうとかと一抹の危惧と不安を抱いていました。
 そんな折、技術畑であるWin使用者の友人から極めて悲観的な「調査報告(前回:第81回参照)」なるものが送られて来たのでした。デジタルの宿命と言ってしまえばそれまでですが、写真クラブのメンバーに頻繁に画像添付をして解説してきた身としては、やはり背筋が凍るような思いに囚われています。

 30cmの穴を深いと言う人もいるでしょうし、浅いという人もいるでしょうから、解決出来ぬ事にこだわっていては前に進めませんので、理論武装はこのへんで止めて本題に移りましょう。

※参照写真とヒストグラム → http://www.amatias.com/bbs/30/82.html

●「01」のような被写体を見つけました。この被写体は写真の明度再現域をはるかに越えています。以前に写真の再現可能な明暗比は約1:200だとお話ししたことがあります。その範囲を越えてしまっているのでシャドウ部はつぶれ、ハイライト部は白飛びを起こしています。人間の目は約1:20,000の明暗比を識別できるそうですから、このようなコントラストの強い被写体でも細部を視認できるのですが、ところが写真はそうはいかないのです。この写真はRawデータで撮り、Photoshop CS5のデフォルトで現像したものです。ちなみに色域はぼくの常用しているAdobe RGBではなく一般的なsRGBに変換してあります。

●「02」そのヒストグラムです。山の両裾野が最暗部0、最明部255を越えてちょん切れています。このヒストグラムから被写体はコントラストが極めて高いことが分かります。

●「03」画像の青い部分が黒つぶれで、赤い部分が白飛びをしています。ちょうど太陽の入射角と反射角のほぼ等しいところがぼくの立ち位置ですから、なおさらハイライト部の輝度が高く、高コントラストとなっています。

●「04」盛大に黒つぶれと白飛びを生じた画像をPhotoshopの「トーンカーブ」ツールを用いて出来るだけ見た目に近づけるように補正してみました。この画像でも黒つぶれと白飛びを完全に取り去ることはできませんが(力業を駆使すれば出来ますが、それは画質を劣化させてしまいますし見た目にもどこか不自然さを免れません)、ほとんど目視上差し支えのない程度に補正しています。ただ祠の木製の階段だけはほとんどデータが(情報が)失われているため補正による質感描写ができません。

●「05」そのヒストグラムです。「02」のヒストグラムと比べると、山の裾野が完全ではありませんが、なんとか両端内に収まっています。

●「06」太陽との入射角と反射角を変えた位置に移動してみました。こうすることにより多少はコントラストが低くなります。そして露出補正値は白飛びを起こさない程度ぎりぎりに-1絞りにしてみました。これでも完全に白飛びを防ぐことが出来ませんが、その部分は面ではなくほとんどが点ですのでOKとします。露出補正を-1にしたため暗部が犠牲となりますが、明部に比べ暗部は後の補正である程度は救うことができます。

●「07」露出補正-1画像のヒストグラムです。

●「08」Photoshopの「トーンカーブ」を用いて、暗部をつぶさず、明部をも飛ばさずに補正した画像です。画面右上の樹木やその下の陰のディテールが描写できるようになりました。またコントラストも平均的なものとなっています。

●「09」そのヒストグラムです。暗部は急峻ではありますが、山の形は両端に収まっています。最暗部から最明部まで写真の明度域にピタリ収まっています。

 ヒストグラムの見方が習得できるようになれば、デジタル写真の利用価値と応用範囲は飛躍的に多大なものとなります。撮った画像をカメラのヒストグラムで眺め、露出補正をしながら出来る限り白飛びを抑える(グラフの右端が最明部の限界点ですから、山の裾野をそこからはみ出さないように)ことがまず第一歩です。“露出の適正な補正こそが綺麗な写真を撮る事始め”なのです。ここから出発しないといつまで経っても“あてずっぽう”な写真の域から脱出不可能です。
 なお、太陽や室内の電球、蛍光灯などの発光体がある場合や真逆光なども、ヒストグラムの読み方が分かるようになればいくらでも応用が利くようになります。発光体はグラフの右端から飛び出してもかまいません。どの程度はみ出して良いのかは、山の中間部との兼ね合いで判断がつくようになります。そう時間はかからないでしょう。ヒストグラムはデジタルの最上かつ最強の道具ですから、まずはヒストグラムに馴染んでくださるように。

(文:亀山 哲郎)

2011/12/16(金)
第81回:ヒストグラム(3)
 先日、写真と暗室作業にとても熱心な友人(ぼくの写真クラブのメンバー)から「調査報告」なるものがメールにて送られてきました。彼とはここ数年来のお付き合いなのですが、技術畑の人なので、ぼくとは異なり物事を極めて理論的に構築することができるのです。片やぼくは感覚一辺倒の人間ですから、論理的に分かりやすく説明をするのがまことに苦手だし下手くそなのです。彼はそのような質のぼくを十分知っているくせに、写真についての質問をあれこれとメールで浴びせかけてきます。それは、時には純粋に写真的なことだったり、メカニズムについてだったり、暗室作業についてだったりと、多岐に亘りきわめて生真面目に体当たりをしてくるのです。
 幸いなことに今のところぼくの知識で手に余ることはないのですが、真面目に答えようとすればするほど相手の頭を混乱さてしまうようです。頭脳構造の異なる彼に張り合おうとしながらも、実際にはその面では勝負できないのでいつも話を抽象論にすり替え、ぼくは逃げを打つのです。今回81回目を迎えましたが、振り返ってみると「ぼくは一体何をみなさんにお伝えしているのだろうか? もう少し実践的な事柄を書かなければいけないのかな」という思いばかりが頭をもたげます。写真について好き勝手に書かせておけば、おそらく尽きることがないと思われます。まことに困ったものです。

 話を友人に戻して、その彼が当初「モニターとプリントの色や調子が合わないのだけれど、どうすればいいのか?」と訊ねてきたことがあります。ぼくの知る限りこの質問が最も多いような気がします。解決方法は至って明快なのですが(つまり科学に正しく従えばいいのです)、それを相手に率直に伝えるにはかなり勇気の要ることで、故に必ずと言っていいほどぼくは躊躇してしまうのです。科学に正しく従うには、モニターの色成分(RGB)や明るさ・コントラストなどを測るための測色器とハードキャリブレーションの出来るモニターが必要となるからです。それはかなりの出費を迫られることになります。
 「まずそのふたつを用意しないと何も解決しません。モニターは目測で調整できるものでは決してないのです」と、どうしても正直に言えないのです。ある意味でそれは残酷な答弁ですから、そこで言いよどんでしまうのです。ぼくはこと写真に関してだけは真面目ですから、正直さによるところの残酷さを選ぶべきか、曖昧に答えて相手に金銭的安らぎを与えるべきか、悩ましげに呻吟を繰り返すのです。
 モニターを正しく調整できれば、その次はカラーマネージメント(色管理)のできる画像調整ソフトが必要となります。そしてプリントする際のICCプロファイル(使用印画紙に適切なインクの噴出量などを決めるためのもの)などの知識が必要となってきます。この設定を誤るとせっかくの出費が元の木阿弥となってしまいますから、最後まで油断ならない。

 で、そんなこんなを技術畑の彼にたどたどしく説明したら、数日後明快なタッチで、「他のメンバーにも分かりやすくザッとまとめましたので、念のためみんなにも送ります」と言ってきました。ぼくは「よくこんな面倒なことを分かりやすく、正確に、順序よくまとめられるもんだね」と感嘆しながら彼に伝えたところ、「な〜に、朝飯前ですよ」だと。ぼくなら夜食後でも追いつかない。しかも順不同で混ぜご飯のようだから、読む方はよほど頭が冴えていないと解読できないという代物。

 で、何だっけな? アッ、彼の「調査報告」でしたね。
 「調査報告」とは、以前ぼくが「科学に従って正確にモニターを調整しても、WindowsのブラウザやソフトではMacintoshと違い正確な色再現はできない。カラーマネージメントのできる、例えばPhotoshopとはまったく違った色味で表現されてしまう」と述べたことについての技術畑の彼らしい詳細な実験報告でした。もちろん彼のモニターは正確にキャリブレーションされたものです。正しく投資をしているということです。
 結論から言うと、「何種類かのブラウザを試してみたが、まともな色再現をしてくれたのはMacintoshの純正ブラウザであるSafariだけだった」そうです。
 このような体験はぼくも他所でしばしばしています。撮影データを納品し、それを編集者などがノートパソコンで見ながら、「かめやまさん、今回は露出オーバー気味ですね、どうしたんですか?」なんてね。ぼくは「不届き者!」と思わず叫びたくなる衝動に駆られながらも優しく諭すように言います。「あのね、ぼくのモニターはね、ちゃんとキャリブレーションされたものなんだけれど、あなたの見ているモニターは何もしてない買いっぱなしのものでしょ。それで判断されちゃ、ぼくは泣くに泣けないよ」と。

 モニターのキャリブレーションされていないものはWinであろうとMacであろうと、1つの画像が百人百様に見えるのです。つまりあなたの作品がWeb上では百通りの異なった色調で表現されることになります。世の中の大半の方がモニターのキャリブレーションを行っていませんし、そうだとしても大半の方がWin使用者でしょうから、そこでは作者の表現意図が変形・変質されて世にばらまかれてしまうのです。決して大袈裟な言い方ではなく「こんな恐ろしい事はない」、「こんな戦慄すべきことはない」のです。

 今日は「ヒストグラム(3)」について画像を添付して、ヒストグラムのお話しを続けようと思いつつ、その前段階のお話しがこんなことになってしまいました。ぼくはやっぱり夜食後でもダメなんだ。
(文:亀山 哲郎)

2011/12/09(金)
第80回:ヒストグラム(2)
 デジタル画像を画像ソフトで立ち上げ、様々なツールを使って誰もが暗室作業のできる時代となり、一般の人たちにも写真の表現域がずいぶんと広がりました。一昔前には考えられぬことです。
 以前にも述べたように、昔は(昔のことばかり言いたくはありませんが、ついそうなってしまうのはやはり歳のせいでしょうかね。いや違う!)暗室作業をするのはごく一部の愛好家だけで、ぼくも御多分に漏れずそれに勤しんでいたものです。そこで得た感覚や感触がそっくりそのまま(フィルムとデジタルという違いはありますが)パソコンのモニター上で活用できるのですから、こんなにありがたいことはありません。しかも、より精緻に、お手軽に再現できてしまうので、この点に関してはある意味でドライな性格であるぼくなどは、もうフィルムに戻ることはないように思います。ただ、フィルムの暗室作業によって得られた事柄は多大なるものがありました。

 今はフィルムの銀の含有量が減って(正確に何%くらい減ったのかは分かりませんが)以前のように露出と現像時間で濃度域やコントラストを思うようにコントロールする妙味も失われたようにも思え、暗室に入り浸っていたぼくにはあまり利点と面白さが感じられぬようになってしまいました。写真の表現形態としてどちらが自分に合っているかということとは意味合いが異なるとぼくは思っており、であればより意のままに操り易い方を選択すればいいのではないかとも思っています。写真の善し悪しは道具や媒体に依存したり左右されたりするものではないからです。

 前回例題として添付した白菜の画像は写真の再現濃度域を100%使っていないために(つまり“軟調”という意味です)、どこか寝ぼけたというかシャッキリしない印象を受けます。コントラストが弱いという言い方もできます。フィルムであれば現像時間を変えたり、印画紙の号数を変えたりしながら、濃度域を合わせるのですが(被写体の濃度域がまったく同じという現象は、現世では二度となく、その作業は熟練を要します)、デジタルではこの作業が10秒もあれば出来てしまうのですからビックリマークも10個分に値します。“青天の霹靂”とか“一新紀元を画す”(ちょっと古いか)とか言いますね。

 前回のちょっと寝ぼけた添付画像を、コントラストを強くしてシャッキリとした(俗に言う“メリハリをつける”)画像にしてみましょう。
 今回使用した画像ソフトは世界的に最も一般的なAdobe Photoshopです。メリハリをつけるツールは他にもありますが、今回は一般的でやりやすい「レベル補正」ツールを使います。Photoshopの簡易版Photoshop Elements にも、あるいは他のほとんどのソフトにもヒストグラムを調整するツールがありますので、原理は同じですから、この方法を学んでおくことはとても有用です。

※実例ご参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/80.html

 ★前回の添付画像を、“01” として今回もう一度掲載しておきますので、ご覧ください。この画像は撮りっぱなしの無補正画像で、被写体の濃度域が写真の再現濃度域より僅かに狭く、そのために眠たい印象を受けます。
 ★“02” は補正以前のヒストグラムです。
 ★“03” はメリハリを「レベル補正」ツールを使って利かせた画像です。分かりやすいように少し極端に補正してあります。最暗部と最明部を切り詰めて、ヒストグラムの山の裾が両端に届いています。その結果、画像には最暗部と最明部が多くなりコントラストが強くなっています。
 ★“04” は補正後のヒストグラムです。山の裾が両端に届いているのがお分かりでしょう。山の形も”02” と異なっていますね。
 ★“05” は、Photoshopの「レベル補正」ツールを使い、両端の三角印を赤矢印の方向に移動させています。両脇を詰める量が多ければ多いほどコントラストが強くなります。山の裾を詰めれば詰めるほど黒つぶれと白飛びの量(面積)が多くなり強いコントラストとなります。
 ただ、あまり極端に詰めたりすると“トーンジャンプ”というやっかいな現象が生じ、特に無地の部分に(例えば青空などに)縞模様が生じることになりますから、要注意です。力業は禁物です。力業を用いるにはそれに対処できる技術や感覚が必要となりますから、まず画像を中庸に整えることから始めてください。それが基本中の基本です。

 ちなみに真ん中の三角は中間明度で、この三角を左に移動すると画像全体が明るくなり、反対に右に寄せると暗くなります。

 簡易ソフトなどには「明るく」とか「暗く」、「コントラスト強」とか「コントラスト弱」というツールがありますが、動作としてはこのヒストグラムの調整方法と同じことが行われています。

 デジタルの印画紙には銀塩のようにコントラストの異なるもの(号数の異なる印画紙や、もしくはコントラストを変えるためのフィルターが)を揃える必要ではなく、ただモニター上で前記したツールを用いればよいだけなのです。この作業がたった10秒足らずで出来、綺麗な写真がプリント出来てしまうのですから、やはり試してみる価値はあるでしょう?
(文:亀山 哲郎)

2011/12/02(金)
第79回:ヒストグラム(1)
 デジタルの功罪のうち罪のひとつは撮影時に於いて“お気楽な習慣が身についてしまうこと”だと言いましたが、何を隠そうぼくだって偉そうなことを言いつつもその傾向が大いにあることを認めざるを得ません。
 つい10年ほど前まで仕事の写真と言えば、ぼくの場合はポジカラーフィルム(スライド用フィルム)の使用が95%位だったと思います。その後数年はフィルムとデジタルの併用期で、現在は100%デジタルとなりました。

 余談ですが、カメラ量販店で一年間に溜まったポイントが15万以上なんてこともありました。お金を貯める楽しみを奪われていたので、ひたすら量販店のポイントを溜めることに精を出していたのです。なんだかしみったれた楽しみですね。15万ポイントすべてがフィルム代でしたから、相当な量のフィルムを消費していたことになります。したがって、プロラボにもそれ相応の現像代を支払っていたことにもなります。フィルム代や現像代といった感材費は請求できましたが、デジタルではフィルム代も現像代も要りませんから、ではその分一体誰が得をしているのかと貧乏性のぼくなどはいつも考えてしまうのです。社会の仕組みにひどく疎いぼくなど未だにそれを解明できずにいます。
 また、フィルム時代は撮影したフィルムを現像所に出してしまえばプロカメラマンの仕事は一応終わりなのですが(ポジフィルムですから現像のあがったものをクライアントに納品するだけ)、デジタルは撮影後データを持ち帰り補正も含めてそれに付随することをあれこれとこなさなければならず、特殊技能所有者の見地からすれば割に合わないと感じることもあります。対時間の労働単価としては(つまり時給)目減りというわけです(ここで愚痴ってどうする)。プロカメラマンにとってデジタルとは“泣きっ面に蜂”というところでしょうか。

 余談が過ぎましたが、ポジフィルムは色再現の美しいことの引き替えに露出のラチチュード(許容範囲)が狭く、露出の決定には非常に神経質にならざるを得ませんでした。段階露光を+1/3、ノーマル、−1/3( AEB=自動段階露出。AEBの使用は、”プラス、ノーマル、マイナス “ の順番をお薦めします)の順に3枚撮るのですが、それでもドンピシャリという保証はないくらい難しいものです。ポジフィルムというのはなかなか保険を利かせにくい。クライアントからは「今日の撮影はフィルム10本でなんとか抑えてください」と耳打ちされることもしばしばありましたから、撮影中に冗談を言う余裕さえない。それが今では「ダメなら撮り直せばいい」に変わってしまいましたから、撮影中に冗談ばかり飛ばしている。“現場の雰囲気を和ませるために”なんて言い訳をしている自分に気がつきます。フィルム時代、真剣で勝負していた者が、今はデジタルのおかげ?で木刀か竹刀を振り回しているんですね。ぼくは今、自分の“お気楽さ”を戒めるためにこの文章を書いています。

 いつからぼくはこんな自堕落な人間になってしまったのだろうか? なんでこんなに落ちぶれてしまったのだろうか? と自問自答してみるに、その原因はどうやら前回お話ししたヒストグラムにあろうと思われます。露出、コントラスト、再現域までもがグラフをひと目見ただけで判明してしまうのですから、大きな保険が得られ、こんなにありがたい仕掛けはかつて我が写真人生にあっただろうかと思うくらいです。

 ではヒストグラムとはなんぞや? ということになります。
 それは写した写真がどのくらいの明るさなのかということと、そして明度の分布と量がグラフによって示されます。「黒つぶれ」と「白飛び」なども確認できます。

※実例ご参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/79.html

 ★01:ヒストグラム画像例
 横軸が明度です。左の「0」と示されたところが最暗部(Max.Black)で右の「255」と示されたところが最明部 (Max.White) です。中間の三角(1.00)はガンマ値で中間の明るさを示し、これは画像補正をする時に使用するものですから、今は無視してください。
 縦軸が量を表します。グラフの山がこのグラフのように中央付近にあれば標準的な明るさの画像で、山が左に寄ればローキー(暗部の多い)の写真となり、右に寄ればハイキー(明部の多い)となります。山の裾が左側で途切れてしまったものは、画像のなかに「黒つぶれ」した部分があり、右側で途切れたものであれば「白飛び」をしているとグラフが教えてくれるのです。何が「適正露出」であるかは個人の撮影意図により、山が中央に位置しているものが必ずしもそうだとは言えません。
 山の両端が途切れてしまったものはコントラストが強く、反対に両端にとどいていないものはコントラストの弱い写真です。

 ★02:このグラフの写真
 ヒストグラムの一番高い山が地面です。一番右にある小さな突起物のように見える部分が、発泡スチロール上蓋の最も明るい部分です。ヒストグラムの仕組みを理解すれば「この山は画像のこの部分」ということが解析できるようになります。
 このグラフの山は右端に届いていませんから「白飛び」のない写真だということがわかります。「白飛び」をさせないように露出補正をするのです。撮影時の露出補正は−1/3 (0.33)です。

 この写真は少し寝ぼけて(コントラストが弱い)見えますので、次回は画像ソフト(Photoshopの講義をするつもりはありませんが)を使いシャキッとさせてみましょう。“泣きっ面に蜂”というばかりではありません。
(文:亀山 哲郎)

2011/11/25(金)
第78回:カメラのモニターについて
 先日、友人がぼくのカメラモニターを覗き込み、「どんな風に撮ったのか見せてください」と言うので素直に応じたところ、「わ〜っ、ずいぶんヒドイ色ですね。ヒドイモニターですね!」と、ずいぶんヒドイことを駆け出しのカメラマンに言われてしまいました。
 一瞬ぼくはひるみましたが、彼はその隙を突いて追い討ちをかけてくるのです。「色も悪いし、暗いし、一体いつ頃のカメラなんですか? 前時代的ですね。化石的。これじゃモニターの役目を果たさないでしょう。ぼくのなんか、ほらっ、こんなにきれいで明るいですよ。かめやまさんのモニターでは昼間はほとんど役に立たないでしょう」と言いたい放題。

 ぼくは大人ですから、こんな稚拙な挑発には乗らず淡々と物静かに、しかし強い意志を持って「あのね、オレはさ、もう何十年もモニターなんて小癪なものがなかったむか〜し、むか〜しから写真撮っているんだよね。君たちが生まれるず〜っと前からさ。だから君たちと違いモニターなんかに傅(かしず)かない。なけなしの金はたいてフィルム買ってたから、一枚一枚身を削られるような思いをしながら丁寧に撮っていた。時代の趨勢だからそれがエライというわけじゃないが、しかし今はどうだ、『ダメなら撮り直せばいい』という誠にお気楽な習慣が身について、シャッター切り終わった瞬間にカメラのモニターを覗き込んでいる。“露出間違えたら、ピンがはずれたら、ブレたらカメラが爆発する”という緊張感も危機感もまるでない。撮影直後にモニター覗き込むのはプロとして恰好悪くない? その仕草って職業カメラマンとして醜くない? 確かにオレのモニターは最新のものに比べて性能悪い。とっても悪い。だけれど君は撮影能力が悪いからモニターに頼ってしまう。シャッター切った後の“余韻”なんてまったく関係ないでしょ。“余韻に浸る”という高尚な精神を味わったことがないし、知らない。
 人前で鼻水垂らしたら恥ずかしいし、恰好悪いでしょ。でも君は『鼻水出てますよ』と言われ、ティッシュで拭けばそれで事済むと思ってるんじゃない? その差だね。昔は良かったなんて事とは関係なく、もっと根源的な問題じゃない」と、やんわり言い返しました。これを世間では“倍返し”と言うそうです。

 さて、それはさておき、実際にカメラのモニターというものはプロ・アマに関わりなく非常にありがたいものです。これこそ文明の利器とも言えます。フィルムであろうがデジタルであろうが、シャッターを切った後、誰もが「果たしてどのように写っただろうか。大丈夫だろうか」という不安を持つものです。この不安を払拭するために思わずモニターを覗き込みたくなる衝動に駆られます。ぼくはこの行為をなじっているわけではありません。むしろ大いにモニターを活用すべきだと思っています。
 ぼくが若い駆け出しのカメラマンに警告を発したのは、シャッターを切った時の手応えをモニターに頼らず、心身で感じ取って欲しいと願ったからなのです。また、「ダメなら撮り直せばいい」という安直さを戒めたかったからです。

 どんな優れたモニターでも昼間では確認が取りにくいものです。いや、できません。モニター視認で明るさ(つまり露出)を判断する基準になるとは科学的にも無理があります。もちろんコントラストなどを見極めることもできません。視覚は聴覚と異なり当てにできるものではなく、多少は脳でイコライズすることも可能でしょうが、まず不可能と思っていた方が無難です。モニターを眺めてよしとした画像を自宅のパソコンで見ると、その隔たりのあまりの大きさに驚いた経験は誰もがお持ちでしょう。

 ではモニターの有用性とは何なのでしょう。それはヒストグラムにあります。画像再生をしてヒストグラムの設定をすればほとんどのカメラでヒストグラムを見ることができます。ぼくがモニターを確認するのは画像そのものではなくヒストグラムです。それを見れば露出もコントラスト(被写体の濃度域)も一目瞭然で、露出補正に迷いが生じた時などこれほど重宝する機能はありません。こんなに素晴らしい保険はないのです。そんなわけでぼくはヒストグラムさえ見られればそれで十分であり、「暗い、前時代的」もなんのその。
 特に静物撮影をする場合などは、ヒストグラムを読む能力があれば段階露光をせずに済みますから労力と時間の節約ともなり、また後に画像ソフトでどの様に整えるかの見当もつきます。安心を買うための機能がヒストグラムです。

 また、ファインダーで覗いたものと実際にモニターで再現された画像の表れ方に差異が生じることがあります。一眼レフではファインダーの視野率が100%という機種はまれで、そのためにほとんどのカメラがファインダーで見たものよりモニターでの再生画像の方が大きく(広く)見えます。目の錯覚による遠近感の違いなども生じる場合がありますから、一眼レフにまだ不慣れな方にはモニターはやはりありがたいものだと思います。

 一にも二にもヒストグラムの読み方が重要なのですが、それには実画像とそのヒストグラムを同時に表示しながらご説明しなければなりません。ぼくは目下、連日撮影に追われておりその暇が持てずに申し訳ありません。なるべく次回には実現できればと思っています。
(文:亀山 哲郎)