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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2013/06/28(金)
第156回:立ち入り禁止区域を訪ねる(3)
 写真屋という商売は見ず知らずの土地に出向く機会が多いので、カーナビゲーション・システム(以下、カーナビ)が世に出始めた頃に、ぼくは興味も手伝ってすぐに飛びついてしまった。お調子者のぼくに比べ、カーナビはぼくよりずっと賢く、なるほど便利この上ない。しかし同時に、便利なものは思考と自己管理能力を退化・停止させるという副作用がある。「世の中どんどん便利になっていくが、これで地図が読めなくなってしまう人もますます増えることだろう。カーナビというのは東西南北の感覚すらつかめなくなってしまう方向音痴倍増装置だな」と感じたものだ。カーナビの購入は、ぼくの記憶が正しければ1980年代半ばのことだったように思う。
 当時高価だったカーナビも使い始めて5、6年経った頃に故障してしまい、それ以来ぼくは20年以上もカーナビのお世話になっていない。この10年は道路地図さえ持つことを放棄してしまった。常に勘だけで勝負しようと天に誓い、時たまとんでもないしっぺ返しを食らうこともあるが、7勝3敗くらいの確率で現地に辿り着くことができる。勝率70%はなかなかのものだと自画自賛。ボケ防止にも何がしかの効用があるに違いない。

 そんなことも相まって、ぼくは暗闇の飯舘村を疾駆し無事南相馬市のビジネスホテルへ予定より30分遅れて到着した。30分の遅れは、勘が狂ったわけではなく、飯舘村の所々で車を止め、歩いて観察した結果である。道草を食いながら、原発事故当時の(現在も事故は継続中。収束宣言などトンデモナイまやかしであることは周知の通り)無責任な情報伝達・隠蔽・ごまかしにより大混乱を来した村民の姿を思い浮かべ、怒りを通り越してやりきれなさだけが募っていく。
 この連載で、ぼくは原発事故や放射能被曝、被災者について当時の状況を語る資格などないが、飯舘村村民の感情と彼らの取った対処が心に残り、どうしても触れておきたい一文があるので、それだけを記しておきたい。

 事故から約40日経った2011年4月20日、東京電力の幹部5人が飯舘村にやってきた時の模様である。
 『カウントダウン・メルトダウン』(上)船橋洋一著、文藝春秋。247ページより引用。なお、ここでは固有人名は伏せ、XとYとする。

 『30代と見られる男性がX(東電副社長)に向かって、大声で叫んだ。
 「貴様、何やってんだ。オレのところに来て、手をついて謝れ」
  村民の中の年配の男性が二人、同時に、声を上げた。
 「おまえ、やめろ、そんなことをさせたら村の恥だぞ」
  Y(村長)は、それを聞いて、胸がキュンと締め付けられる思いがした。
<よくぞ言ってくれた>
  心の中で、二人の年配者に感謝した。』

 ホテルの駐車場に車を止めると、窓越しに食堂で遅い夕食を取るJ君とIさんが目に入った。ぼくはチェックインせずに彼らのところに直行する。一通りの挨拶を済ませ、ぼくはハンバーグを食らうJ君の横に陣取った。Iさんは箸を左右の手に1本ずつ握り、器用にサバの味噌煮定食と挌闘していた。“Delicious!”(美味しいわよ!)なんだそうである。J君は早速地図をテーブルに広げ、ぼくに下見をした状況を英語で話し始めた。
 「あの〜、わし、日本人なんやけど。そんで、腹ぺこなんやけど。とにかく980円のトンカツ定食を先に食べたいんやけど」とぼくが無言で遠慮がちに訴えているにも関わらず、J君は2日間もIさんと異国語でしゃべり続けてきたせいか、勢い余ってぼくにも堪能な英語でおかまいなしに、色分けされた地図を示しながら、説明に余念がない。「お願い、食券買わせてくれ。地図よりトンカツなんだってば! Dango before flowers! (花より団子!)」と叫ぶが、熱中する彼にぼくの切ない声は届かない。ぼくの目はきっと宙を漂っていたようで、気を利かしたIさんはグラスに水を入れてぼくに差し出してくれた。「あの〜、ここは水よりビールなんやけどなぁ〜」という声もやはり届かない。
 J君の異国語を分かった振りをしながら聞くからいけないのであって、急遽鞍替えをして分からない振りをしてみたらトンカツが近づいてくるに違いないとぼくは考えた。鬼気迫る熟慮の末である。32歳のJ君にぼくは大人の才覚というものを示したつもりだったのだが、「ここの放射線線量はですね・・・」と取りつく島がない。虚しさだけが通り過ぎて行く。ぼくがやっとのことでトンカツにありつけたのも、30分遅れだった。欠食児童のようにトンカツに食らいつくぼくを見て、Iさんは「還暦を過ぎた日本人はよほど飢えているに違いない」と思い込んだとしても不思議はない。食足りて礼節を取り戻したぼくは、やっと明日からの撮影計画を真剣に練り始めようとしたところだった。
 「明朝は5時半に起きて出かけます!」と啖呵を切り、ひどい寝不足が続いていたぼくは、医者にもらった睡眠剤を服用し、なんと10時半に床についてしまった。久しぶりに穏やかな撮影意欲がふつふつと湧き出してきた。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/156.html

★「検問所」。立ち入り禁止区域に入る検問所。ここで許可証と身分証明書の提示をして通される。

★「浪江町01」。立ち入り禁止区域に入ると窓を開けて車の走行はできないので、窓越しに撮影。
 データ:2013年6月6日午前6時24分。Fuji X100S。焦点距離35mm(35mm換算)。絞りf 5.6。1/680秒。露出補正-0.33。ISO 400。

★「浪江町02」。浪江町の田んぼ(現在は雑草が茂る)に津波で押し潰された車があちこちにたくさん点在する。立ち入り禁止区域なので処分できずに放置されたまま。
 データ:2013年6月7日午前7時27分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 11。1/60秒。露出補正-0.33。ISO 100。

★「浪江町03」。津波に流されず、捻れボロボロになった家が一軒だけ寂しく佇む。おぼろげな太陽と16mm超広角レンズの描く雲が印象的。
 データ:2013年6月7日午前7時22分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 11。1/200秒。露出補正-0.67。ISO 100。

★「南相馬市・津波」。津波に洗われたガソリンスタンド。
 データ:2013年6月7日午前7時10分。Fuji X100S。焦点距離35mm(35mm換算)。絞りf 5.6。1/1250秒。露出補正-0.67。ISO 200。
(文:亀山哲郎)

2013/06/21(金)
第155回:立ち入り禁止区域を訪ねる(2)
 J君とIさんはぼくより1日早く現地入りし、ありがたいことに下見(いわゆるロケハン)や役所に出向いての手続き・手配を済ませてくれていた。ぼくも一緒に出発したかったのだが、野暮用にかまけて1日遅れの出立。彼らの投宿している福島県南相馬市まで我が家(さいたま市中央区)から東北自動車道を北上し現地まで車で約4時間の道程。夕刻4時に出発し現地到着は午後8時の予定。浦和から福島西のインターチェンジまで約250km。このくらいの距離は軽いものだと思いきや、あにはからんや今回はなんと遠く感じたことか。こんなに運転が退屈な旅は久しぶりのことだ。元来長距離ドライブは好きだったのだが、今回ばかりはそうでもなさそうである。それを歳のせいだとは思いたくないが、物見遊山が目的ではないので、やはりどこか気重に感じていたことが大きな原因だと考えることにした。現地についての入念な下調べが不十分だったこともぼくの気分を重たくしていたのだろう。とはいえ、福島第一原発事故に関する著作は8冊ばかりすでに読了していたのだが、しかし、8冊くらいの読書量では、複雑な要因が錯綜する「原発事故」や周辺の「立ち入り禁止区域」の概要を知るには撮影目的のぼくにとって不足であることは否めない。書物の内容は、悔しいかな歳のせいで、読んだ尻から忘却の彼方である。全体何のための読書か! 
 ただ読後感として印象に残っていることといえば、東電、政府、原子力安全・保安委員会の国民を愚弄するような不実な隠蔽・改ざん・ごまかしや御用学者によるご都合主義的なすり替えに対する憤りだ。すべてではないがマスコミも少なからずそれに加担しているという寒々とした日本の現状。ごく一部の良心的な人々を除く我が国のジャーナリズムの貧困に、今に限ったことではないが失望を禁じ得ない。
 かつて電力自由化を謳いつつ、うやむやな対応に終始しながら、競争相手のいない電力会社は地域独占を享受し、既得権益にしがみつき、それを我が世の春とし、その見返りにお上のいうことには無批判に従い、お上は独占させてやる代わりにいうことを聞けという寸法だ。お互い楽に保身できるように癒着をもっぱらとする図式が小賢しくも定着している。これが日本の電力行政。このようなみっともない破廉恥な状況は我が国だけの現象ではなく、おそらくどこの国も似たり寄ったりなのだろう。
 IAEA(国際原子力機関)やICRP(国際放射線防護委員会)なる、一応もっともらしく世界的な権威として振る舞い続けている組織が、何事にも清く正しいなどと信じて疑わぬ向きはよほど脳天気な人々である。「原子力マフィア」とはうまいことをいったものだとぼくは感じ入る。

 福島西インターを降り、一路国道115号を東へ。途中右折し県道31号線に入る頃にはとっぷりと日が暮れ、周囲の様相が一変した。暗黒の世界である。ぼくは何年ぶりかで車のヘッドライトをアップにしたまま、曲がりくねった山道を昔取った杵柄で、ラリーよろしくヒール・アンド・トゥー(アクセルとブレーキを右足で一緒に踏むテクニック)を駆使しながらポンコツ車のハンドルをさばく。対向車も人の気配もまったくない異様な静けさだ。所々に集落が現れては消えるがどの家屋にも電灯が灯っていない。午後7時30分。いくら山奥の人家とはいえ、まだ就寝には早すぎる時刻だ。姿なきグロテスクなブラックホールに吸い込まれるような錯覚が襲ってくる。頭の芯がツーンとする。かつて真夜中に信州の山中を何度か走った経験があるが、それとはまったく次元の異なる不気味さがあたり一面を覆っている。まるで墨汁を噴霧したような空気が立ちこめ、支配しているのだ。漆黒の闇といえばいいだろうか。左右に揺れ動く自車のヘッドライトの光だけが唯一人間の存在する証だ。

 世の中には科学で立証できない事柄はたくさんあるが、ぼくは幽霊とか亡霊、心霊現象といったものは一切信じないタイプの人間であり、もし仮に幽霊をこの目で見たとしても、それを脳内現象のひとつとして、例えば暗示による脳内物質の異常分泌による幻覚や幻視としてあっさり片付け、ケリをつけてしまうだろう。「私は実際にこの目で、しかと見たのだから」というお決まりの科白にはまったく耳を貸さず、取り合うことさえばかばかしいと思うに違いない。ぼくは科学一辺倒の可愛げのない質なのだ。従って夜間の墓地に放り出されても、恐くも何ともないという、ぼくは暗闇を恐れる人間的本能の回路が寸断された気の毒な異常体質ともいえる。それをして、ぼくを「鈍感」と罵る人もいるくらいだ。

 しかし、この異様さの正体は一体何なのだろうと考えていると、ライトに照らし出された看板が闇の中で一瞬ピカッと輝いた。「飯舘村」とある。これですべてに合点がいった。ぼくの通った道筋はおおよそ飯舘村の「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」(2013年5月現在)の境目あたりだった。「解除」となっても、もはや政府を信用しない村民は戻ろうとはしないかも知れない。一般市民のほうが、保身に長け、嘘の上塗りを重ねてきた東電のお偉いさんや政府、その癒着関係機関より遙かに賢明で、そんな指示に直ぐさま従うとは思えない。疑心暗鬼のほうが先に立つだろう。彼らが生まれ育ち、生活を営んできた愛着ある地に1日でも早く安心して戻れるようにぼくも衷心より切望するが、実現するまでにはまだまだ時間と費用を要することは火を見るよりも明らかだ。少なくとも未だに強い線量のホットスポットが点在するなか、元住民の心情はいかばかりであろうか? 一方で楽観論もあるようだが、ぼくのような専門外の人間がこれ以上軽々に語るべきものではないことは重々承知の上である。いずれにしても過剰な反応は禁物であることに変わりはない。

 この異次元空間を写真に撮っておきたいという衝動に駆られるが、一点の光もない状況では写真は写らない。車のヘッドライトを空き家となった人家に向けて照らし、三脚を立てれば写るには写る。しかし、そのイメージが湧いてこない。興味はあるが、わざとらしい撮影結果が見えるだけで、断念した方が身のためだということを悟る。住民が一人もいなくなり闇夜のなかで荒れ果てた姿を晒すこの光景は心の中に閉じ込めておこう。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/155.html

★「原発隣接地01」。朝霧のなか、津波によって流された車が草地の生い茂るなかに取り残されていた。草地の線量はかなり高いと思われるが、線量計はJ君が持って行ってしまったので確認不能だが、ぼくには関係なし。ここは高さ15m前後の津波に襲われた。
 データ:2013年6月6日午前9時5分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 8.0。1/320秒。露出補正-1.67。ISO 100。

★「原発隣接地02」。津波によりめくれ上がり、寸断された原発脇のアスファルト道路。
 データ:2013年6月6日午前8時00分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 5.6。1/80秒。露出補正-0.33。ISO 100。
(文:亀山哲郎)

2013/06/14(金)
第154回:立ち入り禁止区域を訪ねる(1)
 毎回気の趣くままに書き連ねていますが、今回は読者の方々や本稿を担当されている方からのご要望もあって、福島第一原発近辺の立ち入りが禁止されている「帰還困難区域」に行ってきましたので、そのご報告です。
 「帰還困難区域」とは「原子力災害対策特別措置法の原子力災害対策本部長権限に基づく帰還困難区域設定による立ち入り禁止」という長々とした法律に則った区域です。おおまかには、浪江町、双葉町、大熊町がそれに該当します。

 ここに行くきっかけとなったのは、かつてぼくのアシスタントを勤めてくれたJ君が現在所属する某公益財団法人を通して立ち入り許可を得、「かめやまさんは強い興味を示しているのを知っていますから」と、ぼくに声をかけてくれました。
 許可権者である浪江町長宛の申請書には子細にわたる条項が記されていて、立ち入り目的については、「アーティストが浪江町の今の姿を記録することを目的に写真撮影を行うこと」とあります。ぼくはアーティストなんて大層なものではありませんが、報道系の写真ではなく、自身の純粋な作品づくりのための撮影ですから、J君の誘いに二つ返事で応えました。
 また、放射線管理は自らの責任に於いて、必ずGMサーベイメーター及び線量計(いわゆるガイガーカウンター)を持参せよと付記されていました。
 急な申し出だったのですが、これを千載一遇の機会と捉え、連日ひどい寝不足にも関わらず、体をしばき上げて、取るものも取り敢えず出かける決心をしました。

 もう1人の同行者は、英国とイスラエルの両国籍を持つ40代半ばの女性で、Iさん。世界の修羅場を撮影してきた経験豊富なカメラマンです。写真は常に個人的なものなので、商売人が3人雁首を揃えて撮影する機会などあり得ぬことですが、それぞれに撮影意図も意識も異なり、現地にて各自がテーマに沿った場所へ散って行きました。白衣の防護服に身を包み、ゴム手袋を付け、ヘアキャップを被って、それはまるで給食おばさんのような出で立ちでありました。

 J君は8x10インチの大型カメラを従え、もっぱら福島第一原発を中心に。敷地内は立ち入り厳禁ですから、脚立を立てて周囲のフェンス越しに中を覗き込むような際どい撮影に臨んでいました。そんな彼を見ていて、ぼくはふと彼との初対面の時を思い出しました。あるところで「1灯ライトでスイーツを撮る」という講座を催した時に、ライトやスイーツの位置、撮影のメカニズムなどを克明かつ几帳面にノートに書き込んでいる熱心な小僧がいたのです。気弱そうなインテリ青年にも見えました。その気弱そうに見えた小僧が、今やガーガー、バリバリと鳴り響くガイガーカウンターの音などものともせずに果敢に撮影している逞しい姿を目の当たりにして、一応師匠もどきのぼくとしては嬉しさを隠しきれませんでした。J君とぼくの原発事故に対する考え方は、批判的思考法をもってすべきという視点で一致しています。あれは天災などではなく、論理的・客観的に理解すれば、起こるべくして起こった人災だということです。

 Iさんも4x5インチの大型カメラで、無人と化した廃墟の町に飛び込んで行きました。現在、「トラウマ」をテーマに世界のさまざまな地で撮影しており、福島県の無人の町もその一環として捉えています。聞くところによると、彼女のご母堂はポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所から幼少時に奇跡的に生還されたそうで、そんなことも起因してか、人間の精神的トラウマを写真表現として映像に転写することに努めています。ぼくが「ナチスのホロコーストに関する本は学生時代から200冊くらい読んでいるよ」というと、彼女は“Oh, concentration camp!(強制収容所)”と低くつぶやき、これ以上にないほど顔を歪ませ、かぶりを振りながら、「ねぇ、そうでしょ」(あるまじきことよね)と同意を求めているように見えました。非常にクリティカルな問題なのでお互いそれ以上は言及しませんでしたが。
 人類史上、初めて組織化された強制収容所(というより「絶滅収容所」)である旧ソビエト連邦に存在した(1923〜39年。1992年世界遺産登録)北極圏直下のソロフキ島をぼくが写真集にまとめ上げたことも彼女は知っており、そんなこともあってか彼女とは共感できる部分が多々あったのだと思います。

 ぼくことKは、彼らのように純真無垢な人間ではありませんから、彼の地で撮れるものなら何でもいいという無節操ぶり。3.11の地震、津波、無人の廃墟、原発と、全部ひっくるめて一つのテーマに仕上げてしまおうという、まことに見上げた魂胆なのです。カメラも彼らのように真面目?で大仕掛けなものでなく、デジタル一眼に広角ズーム(16〜35mm)を1本付けただけ。予備にレンジファインダーのAPS-Cサイズのコンデジ1台(35mm固定)。これで十分ぼくのテーマに対応できます。機動力最重視ですから、これでいいのです。

 今回のテーマである「立ち入り禁止区域を訪ねる」が何回にわたり続くのか分かりませんが、現像の上がったものから少しずつご紹介していこうと思います。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/154.html

★写真「双葉町入口」。無人と化した双葉町の入口に掲げられた看板「原子力 明るい未来のエネルギー」。なんとシニカルな標語となってしまったことか。このゲートのすぐそばに「原発と共に歩んだ結果・・・」という落書きがしてありました。
 データ:2013年6月6日午後5時19分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 8.0。1/250秒。露出補正-1。ISO 100。

★写真「福島第一原発」。金網フェンスの外に脚立を立てて。製造中の汚水タンク。ガイガーカウンターが激しく鳴り響く。数値は敢えて記しません。その理由は次号で。ただ、カウンターには “Dangerous!”(やばいんじゃない!)という警告が。
 データ:2013年6月6日午前10時2分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。
絞りf 11。1/160秒。露出補正-0.67。ISO 100。
 本来なら広角でf11まで絞り込む必要はないと思われますが、周辺部まで画像をしっかり解像させるためです。レンズの焦点距離により変わってきます。
(文:亀山哲郎)

2013/06/07(金)
第153回:偏執狂的検証魔
 今や気がついてみると、ぼくはすっかりデジタル派となっていました。デジタル派という意味は、デジタルがフィルムより良いからとか悪いからとか、そのような基準でいっているのではありません。以前、拙稿で「デジタルであろうがフィルムであろうが、そのようなことはどちらでもいいことで、写真の本質はそれによってなんら揺らぐものではない」との趣旨を述べました。今、ぼくがデジタル一辺倒なのはそれが時代の要請でもあり、またデジタルを上手に使いこなすことに多大な興味を覚えたからでもあります。
 デジタル創生期には「どちらが良いか」という話題が沸騰し、また盛んに議論されもしましたが、当時からぼくはそれを意義深いものだと思ったことは一度もありません。
 「同一条件に於ける繰り返しの検証」を至当のこととする、ちょっと偏執狂的とでもいえるぼくが、唯一その主義に従わなかったのが「デジタル対フィルム」です。好き嫌いはあっても、写真の本質にはなんら関わりのないことだと決めつけていました。今でも自分にとっては、労力と時間を費やし検証するにはあたらないことだと思っています。

 ぼくは読書が趣味というわけでは決してないのですが、若い頃より年間100冊以上の読書を自分に義務づけてきました。義務づけるというより励行しようと心がけてきたといった方が正しいかも知れません。去年は何年ぶりかで達成できましたが(つまり暇だったということでもあります)、好奇心を満たすために、直接のテーマから外れた本を仕方なく、いやいやながらも読まざるを得ない状況にしばしば迫られることは、偏執狂的検証魔だからでしょう。興味に駆られた事柄の類似本を次々と漁らないと気が済まぬ厄介な質なのです。もちろん、1冊限りの「茶腹も一時」ということもありますが。
 ひとつの事柄を知ろうとすれば、それに関する本を最低でも10〜20冊は読まなければその概要を窺うことができないものだと常々若人にもいっています。1冊か2冊を読み、知ったつもりになってしまうことがどれほど恐ろしく、危険なことかを身に染みて感じているからです。1冊の本はひとつの物事の一断面、もしくは一断片を語るに過ぎません。「はたして真実はどうなのか? 本当にそうなのだろうか?」を突き詰めていくと、どうしても多くの断面を知る必要に迫られます。断面を多く知るほど、ものの姿、形が徐々に明確になっていきます。それでも真実はなかなか窺い知ることができないというのが本音です。良くいえば探究心に溢れ、悪くいえば猜疑心が強いともいえます。
 ぼくは学者ではありませんから、まぁ、そこそこのところでけりをつけて分かったつもりになっているんでしょうが、このようなことを何百何千と繰り返しているうちに、この本はいかにもそれらしく書かれているが、実は単にセンセーションを煽るだけのものだとか、暴露本の類だとか、既知の羅列に過ぎないとか、独創性や新味に欠けるということがそれとなく嗅ぎ分けられるようになる気がします。思い入れの激しいぼくにとって、読書は型にはまった思考から免れるための必須アイテムなのでしょう。と、体裁はいいのですが、中身は知れたものです。

 そんな性癖が災いしてか、ある人が信念を持って、「このレンズは・・・。このカメラは・・・。このフィルムは・・・」の蘊蓄(うんちく)を垂れると、「何に比べて? 同一条件で比較したの? 何がどう違うのか具体的に話して。科学的な裏付けはあるの?」と、間髪を入れず真面目にぐいぐい問うてしまいます。好奇心に抗しきれず、ついつい真顔で追求してしまうのです。いつの間にか、真面目さが過ぎて詰問となり、意地の悪い審問官に取って代わるのだそうです。「かめやまは自分だけが正しいとする意固地で手前勝手な人。他人は自分とは異なるという至極当たり前のことを露ほども省みない人面獣心の男」と上目遣いで不当なレッテルを貼るのです。最近は愛犬までもがぼくを「ああ、嘆かわしい!」と上目遣いで見るようになりました。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/153.html

「上目遣い」撮影データ:EOS-1Ds。焦点距離50mm。絞りf2.0。シャッタースピード1/50秒。露出補正ノーマル。ISO 800。ノイズリダクション Nik Dfine2。

 今週水曜日から金曜日まで、防護服を着て福島県の立ち入り禁止区域に入ることになり、今慌ただしいなかで書いています。ウクライナのチェルノブイリ原発事故の1年後にぼくはたまたま首都のキエフにいたのですが、報道カメラマンではないぼくが、今福島に赴くことになったのは何かの因縁でしょうか? ヘアキャップを被っての撮影は初めてのことですが、何かを検証するための撮影ではなく、上目遣いをされぬように自己を検証しに行ってまいります。
(文:亀山哲郎)

2013/05/31(金)
第152回:質感描写(2)
 肉眼で認識できる物質にはどのようなものでも質感が伴います。表面が滑らかであればあるほど光沢感が増し、輝いて見えます。また、反対に凹凸があるほどに艶が薄れ、反射機能も失われます。物質の質感はそれこそ千差万別です。その質感をどのように表現するかで写真の印象も大きく変わってきます。前回、写真の質感描写は撮影時の光の選び方と撮影後の暗室作業に負うと述べましたので、今回はそれを実証してみましょう。

 作例は愛用の水彩用画用紙を利用しました。画用紙の面質には大別すると、極細目、細目、粗目とありますが、今回は分かりやすいように最も凹凸のある粗目を被写体に選びました。
 光の方向でどのように質感が変化するかを示します。撮影はスタジオ用ストロボを用い、直射光で被写体との角度を3通りに変化させてみました。光源の大きさは直径17cmの円形で、画用紙との距離は約2.5mです。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/152.html

★「01」はできるだけ光源をレンズの光軸に近づけたものです。画用紙のほぼ正面からストロボを当てています。所謂“順光”です。粗目画用紙の質感がほとんど失われ、目を凝らして見ると“まったくの平滑ではないのかも知れない”という程度にしか識別できません。
★「02」。角度45度からの直射光によるものです。「01」に比べかなり面質が表れてきました。凸の部分に光が当たり、凹の部分に影が生じたからです。つまり面質にコントラストがついたという意味でもあります。
★「03」。画用紙と光源の角度を約20度にしてみました。かなりの斜光です。これでこの画用紙の表面がどのようなものかが明確に表現できました。実際に手で撫でてみるとこのザラザラとした感触がありありと分かります。

 ここで明確になったことは、面に対して光(光源)の角度が鋭角になればなるほど凹凸が目立ってくるということです。面に限らずすべての立体物には影が生じますから、立体感や質感が顕著になるのです。
 反対に光を正面から当てると影が生じにくく、一般論としていえば平坦で面白味に欠ける描写になります。
 かつて「風景を撮る」のところで、朝夕の光は斜光であるが故にドラマチックな表現に寄与する孝行者であるというようなことを述べた記憶があります。快晴時のお天道様は点光源ですから、影が濃く、斜光になるにつれ長く伸び陰影が際立ちます。もちろん、光質によっても質感描写は異なってきます。太陽に雲がかかったりして光源の面積が広がると(曇天時)、柔らかな光となりコントラストも弱くなります。太陽に限らず、光源の面積が広くなればなるほど光質は柔らかくなり、質感の描写も薄れるということも大切な要素として記憶に留めてくださればと思います。風景に留まらず、静物を撮る際にも、光がどの方向から差し、光源の広さを常に意識してください。「光を読む」ということです。

 余談ですが、カメラに内蔵されたストロボは被写体に対してほぼ真正面からの点光源に近いものですから、ポートレートなどはストロボを近づけるほど額や眉間の脂が反射し光ったりしてしまいます。とても醜い写真です。お手軽で確実に撮る手段ではありますが、決してきれいな写真は撮れません。かといって斜光であれば鼻やあごの影の面積が広がり、また肌荒れも目立ってきます。それを解消するためにストロボ光を天井や壁にバウンスさせて、柔らかい光を作り出すのです。

 Rawデータ撮影以外のJPEGやTIFF形式画像を、Photoshopを使用して質感を強調する一例を紹介しておきます。

★Photoshopの機能にAdobe Bridgeがあります。Adobe Bridgeを立ち上げ、メニューバー/Camera Raw 環境設定/を開きます。開かれたウィンドウの最下段に「JPEGおよびTIFFの処理」という画面がありますから「04」のように設定してください。このように設定してからJPEGやTIFF形式の画像をダブルクリックして開くと「05」の画面が画像の右に表示されます。下から3段目の「明瞭度」の三角印を右にスライド、または数字を打ち込むと、文字通り明瞭度が増します。左に移動すれば逆の効果が得られます。

★「03」画像の「明瞭度」を+100にしたものが、添付画像「06明瞭度+100」です。「03」との違いがお分かりだと思います。このアルゴリズムがどのようになっているのかぼくには分かりませんが、感覚的には細部のコントラストとシャープネスが上がったように見えます。ただ、注意すべき事はこの機能を過度に使用すると画質が悪くなります。ですからオリジナルの画像に明瞭度を上げたものをレイヤーで重ね合わせ、不要な部分(例えば空など)はマスクを作りブラシで削る取る作業が必要となります。つまり、明瞭度を加える必要のない部分はそのままにしておくことが肝心です。

 実例写真。晴天の夕刻(かなりの斜光)に撮った写真を上記「明瞭度」を使用して作成したものを2点掲載します。2013年5月17日。Fujifilm X100Sのテスト撮影を兼ねて。

★「実例07」。古い工場のコンクリート塀。長い間風雪に洗われてきたのだと思います。赤外線フィルムをイメージして。
★「実例08」。よく見かける青いビニールシートに囲われた家。かなりの斜光であることが影からお分かりでしょう。この写真の主人公はビニールシートですから、この部分だけレイヤーを重ね、明瞭度を残しています。

 今回は前置きなく本題に突入したつもりが、またまた長くなってしまいました。これでもずいぶんと省略して書いたつもりなのですが。あ〜あっ!
(文:亀山哲郎)

2013/05/24(金)
第151回:質感描写(1)
 久方ぶりの友人とコーヒーを飲みながら世間話に興じていたところ、こんな指摘をされました。「かめさんの『よもやま話』は枕が枕で終わらずに長枕。前置きが長く、最後の方に写真の話を思い出したかのようにひょっこり関連づけて書いている。こうなったら写真にこだわらず、ひと思いに全部前置きってことにしっちゃたらどうなの?」と、なかなか鋭く、痛いところを突いてきました。実は痛くも痒くもないのですが、書いている本人でさえ書き始めてみないとなにが出て来るのか分からないという無計画な性分ですから、ある意味で仕方がありません。「書いているうちに、『あっ、そうだ。今回はこの写真話を持ち出そう』ということがボワーッと浮かんでくる。要はどこでどのような写真話を長枕にこじつけるかということに苦心しているんだ。テーマが決められているわけではなく、自分で決めるというのは、ましてや週1回だから君が思っているほど容易なことじゃないんだよ。ぼくの写真話は、例えばよくある『〜の撮り方』という性質のものではないから尚更ね。まぁ、与太話みたいなものだから」。

 また、彼はこうも提案してくれました。「いっそのこと、自分の写真を1点掲載して、それについて撮影時の意図やかめさんの持論を展開するってのはどう?」と、彼はどこまでも心優しくささやいてくれました。友愛の精神というのですかね。慈愛の心に満ちている。いや、おためごかしか?
 せっかくのお心遣いですが、作者が自分の作品の成り立ちや、思考、思索のあれやこれやについて微に入り細に穿って語るのは、言う方も聞く方もドッチラケで、ただただ小っ恥ずかしい振る舞いでしかないとぼくは思っています。
 撮影意図の講釈など聞かされる方にとっては、積極的に望むのでない限り、まったく“余計なお世話”です。しかし、それを望む方々が思いのほか多いということも承知していますが、ぼくが聞かされる立場であれば、先入観により想像が阻まれるのでやはり迷惑。自分が迷惑だと思うことは他人にしたくはありませんしね。ただ、最小限の情報は伝える必要があると思っています。

 ぼくがシャッターを切る時は、なにも考えていないというのが偽らざるところで、「いいなぁ」という単純な動機と感情に突き動かされているだけです。ですから説明など本来できるわけがないのです。その動機と感情は一言で締め括れるほど単純なものでもなく、きっと無意識下のなかで複雑な要素が絡み合い、錯綜しているのでしょう。そのようなことに哲学的な言葉を弄して解説を試みたり、あるいは詩的な文言を添えたりするのは、この歳になればとても照れ臭くてできるものではありません。ケツの穴がムズ痒く、ぼくは悲鳴をあげてしまうでしょう。それが年相応というものですが、ぼくは若い頃からその考えを今日まで持ち続けています。写真は作者の言葉により陳腐化してしまうことが往々にしてあるからです。

 今回は「質感描写」についてぼくの思うところをお話しいたします。この言葉の意味するところはもはや必要ではないと思いますが、平たくいえば「滑らかなものは滑らかに。ゴツゴツしたものはゴツゴツと描写する」ということです。ぼくは長い間コマーシャル分野の仕事をしてきましたので、所謂「物撮り」(静止した被写体の撮影)の場数をたくさん踏んできました。自然光を利用したり、人工光を駆使したりして、クライアントの欲する質感を“過不足なく”表現しなければなりません。ライティングの加減次第で質感は目まぐるしく変化し、それを肉眼とは濃度域再現のまったく異なるフィルムやデジタル受光素子に正確に移し替える作業は、試行錯誤や場数を踏んでこそという面があります。また光学的な知識も欠かせませんから、一朝一夕にとはなかなかいきません。

 しかし、私的な写真(ぼくはもっぱら自然光の下で撮影)では口やかましいクライアントの目がありませんから、“過不足なく”などまったく斟酌する必要がありません。この縛りから解放されると表現の自由度がどんどん増していきます。だれ憚ることなく質感を自由に操りながら誇張でき(その反対も)、そのおかげでイメージを膨らませたり、デフォルメすることもできます。撮影は光の質と方向を考慮すればよく、暗室作業ではPhotoshopやサードパーティのソフトを使いこなすことでイメージ通りの質感を描くことが可能となります。

 添付写真の撮影意図を最小限にお話ししておきましょう。
 ぼくは畑を見るとそこに取り残された作物(この写真では朽ちつつあるキャベツ)がいつも気になるのです。この時もそんな思いで畑のなかを歩いていました。そこで虫食いで穴だらけになったキャベツがひとつだけ収穫されずに放置されているのを発見し、強い感動を覚えたのです。それは死と生の循環であったり、お百姓さんの優しさだったり。葉脈が血管のようにも見えました。自分の意識下でなにかが解決したのか、あるいは和解ができたのかは分かりませんが、ぼくは思わず「君、いいねぇ。ぼくが撮ってやるよ」とつぶやきながら、もうすでにシャッターを切っていたのです。お話ししたように「なにも考えていない」のです。
 この写真は撮影より暗室作業に負うところが多いのですが(その手順については次号で)、大体に於いてこの手の写真は少数派の人たちにしか受け入れてもらえないということは重々承知です。被写体が穴だらけで腐りかけているうえに、質感を見た目よりずっと誇張しています。だれも「わ〜っ、きれい!」なんてことは絶対いってくれません。でも、「美しい!」といってくれた人たちがいたことは確かです。このことは救いとして、やはり書き留めておかなくっちゃ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/151.html

撮影データ:Fuji FinePix X-100。焦点距離35mm(35mm換算)。F11、1/90秒。露出補正-0.33。ISO 200。
(文:亀山哲郎)

2013/05/17(金)
第150回:初心忘るべからず
 いつの間にか拙稿も150回を数えました。振り返ってみると(ホントは振り返っていない)、これでも我にして随分と控え目に書いてきたつもりでいます。今までは文を綴る場合、常に活字(紙媒体)でしたから、初めてのWeb原稿は読者対象が見えにくいため戸惑いがありました。未だに迷いから覚めないでいるのですが・・・。
 元々、謙虚さとは距離のあるぼくが、Webの文面では謙虚さを装ってみたり、頑固一徹であるにも関わらず、さも物わかりの良さそうなことを述べたり、サラッと通り過ぎればいいことを執拗に繰り返したり、自身の思考が本来独善的であるのに民主的であることを標榜しようとしたりして、ぼくはぼくなりに苦労もしているんです。しかしながら、ぼくはぼくでしかあり得ず、この連載がいつまで続くか分かりませんが、担当者の言をお借りすれば「当エッセイは名物コーナーとなりつつある」とのことですので、ワンポイントアドバイス(ホントはね、物事を伝えようとすれば、“ワンポイント”でアドバイスできることはごく僅かなことに限られてしまいますが)ばかりでなく、写真にまつわる個人的な体験を綴ることで、なにかしら読者諸兄のお役に立てればいいのではなかろうかと考えています。

 少なくとも今回まで懲りずに読んでこられたみなさんの99%は「写真を趣味とし、楽しみたい」と考えておられるのだと思います。将来プロを目指したい方がいたとしても、写真を志す上でプロとアマには多くの共通項があり、いや、極論すればほとんど大差ないといってもいいと思います。もしあるとすれば、修業の度合いくらいのものです。ぼくが拙稿でできる限り技術的なことに触れないのは、「趣味としての写真」を最優先しているからでもあります。もしプロを目指している方に向けてであれば、技術的なことをもっと詳細にお伝えする必要がありますが、そのような方は専門書をむさぼりながらプロの元に弟子入りする方が、方法論としては手っ取り早いので、ここではそのような話はできるだけ避けるようにしています。

 世阿弥の言葉に「初心忘るべからず」というのがあります。今さらぼくがみなさんにこんなことをお題目として唱えるのはとても憚られることなのですが、近年富みにアマチュアの方々の写真を見る機会に恵まれ、そこで言葉を求められると、つい「初心忘るべからず」に類似した言葉を探し求め、それが口を突いて出てしまいます。物事を始めようとした時の謙虚な気持ちや真摯な決意を、ぼくは自分を棚に上げて、いわざるを得ない立場に置かれます。
 写真もひとつの表現形態ですから、「他人とは異なる表現の追求」に固執したり研究したりすることは当然の成り行きであり、またそこに作者自身の価値を認めることにぼくはやぶさかではありません。P. ピカソのように、作風が彼の生きた時代とともに目まぐるしい変貌を遂げた作家も他にいませんが、ピカソのような偉人でなくとも表現者であればこそ、それはやはり必然に導かれたものと考えるのが妥当でしょう。これはプロ・アマに限ったことではありません。

 写真についてもしぼくに語る資格があるとするならば、作風の変化は基礎・基本に立脚する事柄の飽くことなき繰り返しによってのみ成し得るのだとの理念を持っています。
 写真を趣味としている方々の一部が、特にいわゆる中級、上級と進むにつれて陥りやすい罠は、自身の作風を「他人とは異なるなにか」を強く意識して、意図的に仕向けてしまうことです。そのような作品に出会うことが多々あります。それを「私の個性」だと勘違いしてしまうのです。寸法の合わぬ服を得々として着ているのはどこか滑稽さを誘うので、ぼくは「こんなエキセントリックで、意表を突こうとする作品は品位を失うだけなので、もうお止めなさい。後戻りできなくなってしまうから、もう一度基本に立ち返り素直に被写体に対峙しなさい」と言明しています。それが基本を積み上げた成果であるかどうかは、写真を生業にしている者であればすぐに分かるものです。

 まったくの私事なのですが、つい最近、写真好きの見知らぬ女子高生(3年生)がぼくに会いたいとメールしてきました。老若男女に関わらずぼくは時間のやりくりがつく限りお会いすることにしていますが、まさか女子高生とは。青天の霹靂。この場をお借りしてぼくは明言しておきますが、女子高生というのは昔からどうも生理的に気持ちが悪く好きではないのです。電車で女子高生がワッと群がって乗ってくると車輌を移ってしまうくらいです。そのくらい苦手なのです。彼女の趣味は写真展巡りというので、恐る恐る会うことにしました。
 彼女の口調と言葉をできるだけ忠実に再現すると、「写真展に行ってもただ綺麗なだけの写真を飾り立てているのがほとんどなので、私はそういうのって好きじゃないし、いい写真だと感じたことがないんです。奥行きがないから。奇抜なものも嫌い。”見せよう” としている写真もどこか嘘っぽくて嫌い。だって自分に嘘ついているから。普通に撮って、それで凄いって感じさせる写真がホントに凄いと思うんです。そこに作者の真実が正直に語られていると思うから私は感動しちゃうんです。そういう写真展は滅多に見られないから」ですって!
ぼくは泡を吹きそうになりました。
 アワワッ、前述「写真を生業にしている者であれば」という生意気な科白を「17歳の娘さんにでさえ」に訂正!!!
(文:亀山哲郎)

2013/05/10(金)
第149回:構図(4)
 中学時代、美術担当に“金語楼”というニックネームを持つ先生がいました。ご年輩の方々には“柳家金語楼”という噺家の顔がすぐに脳裏に浮かび上がることと思います。禿頭でなかなか愛嬌のある顔立ちでした。顔中に饅頭がひしゃげたようなシワを作り、唇をへの字型に曲げたその泣き顔は、悲しさよりひょうきんさを感じさせたものです。柳家金語楼は喜劇人でもありましたから、泣き顔でもどこか可愛げがあり、笑いを誘ったものです。彼は、初代林家三平(2代目は修業が足りないからダメ)とともに、本来の噺家とは異質の笑いを振りまいた昭和の人気者でもありました。
 美術の先生は、柳家金語楼にちょび髭を付け加えた顔立ちで、愛嬌という点ではご本家に負けず劣らずでしたから、ぼくらは親愛の情を込めて“金語楼”と呼んでいたのです。金語楼先生は殊の外、男子生徒に人気がありました。思春期の男子にとって金語楼は、授業を飽きさせず、興味を惹く心得をしっかり持っていたのです。曰く「今朝、部屋から隣家の窓を見ていたら、あれれれっ、なんとそこに7色パンティが干してあるんだよ」とかね。思春期の男どもの妄想を一気に煽り立て、一瞬にしてぼくらを虜にしてしまう神技を持っていたのです。その話はあっという間に全校に轟き、ぼくらの学年だけでも13クラスありましたから、彼はその話を就任以来何百回も繰り返してきたに違いありません。20年以上も「今朝・・・」と力説していたわけですから、彼の隣家には連日朝っぱらから7色のパンティがヒラヒラとたなびいていたということになります。まことに、たゆたうような、そして鬼気迫るような光景だったことでしょう。
 今とは異なり、“その手の情報”がほとんどない時代でしたから、情報に飢えていたぼくらは色めき立ち、血相を変えて「先生の家へ遊びに行ってもいいですか!」と間髪を入れずに叫ぶ向学心に燃えた少年もいたくらいです。あっ、それはぼくなんですが・・・。

 で、この先生が向学心に燃える生徒たちに「構図」を教えるために、ボール紙を配り、それに正方形だったか長方形だったか忘れましたが、四角い穴を開け、2本の糸を張り、二分割法を教えたのです。ぼくは当時すでにカメラ(レンジファインダー式カメラ)に馴染んでいましたから、内心「ぼくはいつもファインダー越に同じ事を体験している」とほくそ笑んでいました。ちょっとした優越感に浸ったものです。とはいえ、ファインダーに糸は張られていませんから、二分割だとか三分割だとか、構図について、そういったアカデミックな思考はありませんでした。なにしろ7色の世界に夢中でしたから。
 また、「絵は時間をかけながら描くものなので、ボール紙に開けた方形(矩形)を覗きながら構図を考えるのは理に適ったことかも知れないが、写真は絵に比べ途方もないくらいの短時間で勝負が決まるのだから、ぼくには無縁のものだ」と、金語楼の教えには大して関心を抱きませんでした。それを“屁理屈”とみる向きもありましょうが、やはり7色講義の方がずっと魅力的だったのです。そんなわけで、ぼくは構図について真面目に学ぶ唯一の機会を逸したのでした。
 写真にもアカデミックな構図の考え方は当然あるのでしょうが、理論より感覚的に迷いなく構図を決められる訓練を優先させるべき、というのがぼくの信条です。数をこなしているうちになんとか格好がついてくるものだと何事にも鷹揚なぼくは考えているのですが(無意識のうちに理論が身についていくのだと思いたいのですが)、それでも上手くいかないと感じた人はしっかり理論を学び、それを意識しながら撮影に臨めばいいのではないでしょうか。何事も「習うより慣れよ」です。

 黄金比についての何かを書かなければという強迫観念が、こんな冗長な前書きを必要としてしまいました。第146回「構図」(1)でお話ししたように黄金比についてぼくはよく理解できないのですが、少なくとも縦横の黄金比くらいはなんとか分かりますので、理論はともかくも、作例を示してお茶を濁してしまおうと思います。

 通常、我々の使用する小型カメラの縦横比は2:3(オリジナルフォーマットが24x36mm。初出1914年。一般的なAPS-Cサイズは15.7x23.5mm前後)が最も多く、最近は3:4(13x17.3mm)のフォーマットも多く見られます。
 それに比べ黄金比は約1:1.62で、慣れ親しんだ2:3よりわずかに横長となります。横を36mmとすると縦は約22.2mmです。黄金比がなぜ美しいとされるかについては、数学的、幾何学的な解析とともに、自然界に存在する美に黄金比の規則性が合致しているものが多いからなのだそうです。また、人間の視野が1:1.62に近似しているという説もあります。
 作例2点は、2:3の原画を黄金比の1:1.62に。3:4の原画を同じく1:1.62にトリミングしたものを掲載しました。本人にとっては、オリジナルの画角でイメージし撮影していますから、黄金比にトリミングしたものはどこか非常に居心地悪く感じますが、第三者である読者諸兄はいかがでしょうか?

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/149.html

★「01原画」。SIGMA DP1s。焦点距離28mm(35mm換算)。日向ぼっこをする猫にカメラを向けようとした瞬間、稲妻の如く逃げ去る。モニターを見ていてはとても間に合わず、あごの下あたりでシャッターを切ってしまいました。ぼくの非常に忌み嫌うノーファインダーという卑怯な手を使ってしまいました。脱兎の如く駆け出す猫は死の恐怖に駆られ命がけの逃亡。ちなみにこのカメラ、10秒に1枚しか撮れませんので、ぼくも命がけ。
★「02黄金比」。シアンの線が黄金比の比率。横長となります。
★「03黄金比にトリミング」。「02黄金比」をトリミングしたもの。
★「04原画2」。Ricoh GR Digital 2。焦点距離28mm(35mm換算)。踏切でこの少女とすれ違い、「帰路はこの小径を通ってくれ。お願い」と願を懸けたら、その通りに。天に味方されての1枚。
★「05黄金比2」。原画を黄金比にトリミング。こんなに細い縦長であれば、もう少しカメラを上に振り、手前の地面を入れたくありません。ぼくの主観では、ランドセルをど真ん中に置いていいと思います。

 ぼくの写真は「トリミングをしない」ことを前提として撮っているので、黄金比ってのは相性が良くないのかな?
(文:亀山哲郎)

2013/04/26(金)
第148回:構図(3)
 今回は堅苦しい話は抜きにして、「構図」にまつわるぼくの痛々しい体験談を間に挟みたいと思います。

 もう今から20年以上も前、ぼくの中学校時代の同級生がバリ島に行き、生まれて初めて写真を撮ったと自慢気に、そして少し鼻を膨らませながらいってきました。40歳を過ぎてからの写真初体験というのも、ちょっと凄味のあることだと感心したと同時に、「この人は全体、今までどういう人生を送ってきたのであろうか?」という興味にもかき立てられたものです。興味というより疑惑の念に駆られたといった方がいいかも知れません。ぼくのように写真が商売でなくとも、まっとうな生活を営んでいれば、たとえ写真に興味がなくても、いくら女性といえども、誰だって1度や2度くらいはシャッターを押したことがあるというのが現代に於ける正しい人生の歩み方というものです。40過ぎまで写真を撮るという非文化的なものに触れたことがないというのですから、その事実はあたかもアマゾンの先住民であるヤノマミ族やマシコ・ピロ族のように現代文明を拒絶し、真の人間的な生き方を求める姿とどこか二重写しに見えたものです。
 今のように携帯電話カメラで誰でもが「取り敢えず写真」を撮るという時代ではありませんでしたが、とはいえ当時すでに使い捨てカメラ、またはレンズ付きフィルムは市場に出回っていましたから、そのような希有な人と出会うとは考えもしませんでした。まさに未知との遭遇のようなものです。

 彼女はぼくに、撮ってきた写真をぜひ見せたいといい出したのです。ぼくもバリ島にはロケで2度行ったことがあるので、彼女の親切心と共感がそういわせたのだと善意に解釈しましたが、一方で非常に良からぬ予感に襲われました。他人の結婚式や新婚旅行の写真だとか、子供の運動会だとか、家族旅行の写真を見せられて、手放しで喜ぶ風変わりな人がこの世に存在するとは到底思えません。ぼくは、「そんなものは写真の上手下手に関わらず、親の死に目に遇えなくても見たくない。いやだ、いやだ、迷惑千万! 断固拒否!」という質ですから、そういうものを無理強いさせられてしまうと、もうただひたすら閉口し、辟易とし、退屈極まりない時間を苦虫を噛みつぶしながら愛想笑いとともに過ごさなければなりません。それはまるで拷問のように感じられ、そのストレスたるや尋常なものではありません。そのような体験を何度もしているのでぼくは強い意志を持って拒否しようと思ったのですが、その人がかなりの美人であったために、心ならずも「いいよ」と軽くいってしまったのです。まったく不用心なる粗相でありました。美人と見るやとたんに迎合精神を発揮してしまう自分が非常に情けない。ぼくは取り返しのつかない過ちを冒してしまったのです。

 彼女の撮った数十枚の写真を見せられて、普段平常心を失わぬぼくは、たちどころに激しい目眩を起こし、意識朦朧としてしまいました。美人の手前、何度も気持ちを奮い立たせようと努めるのですが、為す術もなくどうにもならない。エスプレッソの一気飲みもまったく効果なし。カフェインにも見放されたぼくは完全に平衡感覚を失い、前後不覚に陥り、思考が停止し、失語症となり、視点は定まらず宙を漂い始めたのです。かつて見たこともないような壮絶な写真の雨あられ。意識しても真似ようのない驚天動地の写真の乱舞にぼくはほとんど悶絶状態。この時ほど「世の中にはなるほど凄い人がいるものだ」と実感したことはありません。

 後々、この大災難を静に顧みるに、その因たるや「構図」にあることが発覚したのです。その時は精神錯乱状態にありましたから、「構図」にまで思いが至りませんでした。「構図」侮るなかれです。

 その不幸な出来事から10年が経過し、彼女はお孫さんの誕生を機にコンパクトデジカメを購入しました。ぼくは全身に震えがきましたが、あの悪夢が再び蘇らぬように「写真、少しだけ教えてあげようか」と喉まで出かかり、しかしぼくは恐怖の再来を恐れつつも、その言葉を賢明にも呑み込んだのでした。「この人に限り、何を教えてもぼくは無力に等しい」と悟ったからです。
 ところが時期を同じくして、仲閧フ同窓生たちから「写真を教えろ」との脅迫を受け、賢明でないぼくは思わず引き受けてしまったのです。それを聞きつけた彼女は、罪悪感のひとかけらもなく「私にも教えなさい」と迫ってきたのでした。同窓生に屈服したことが、ぼくが写真倶楽部を主宰するきっかけとなったのです。

 基本的なことを気の向くままいい加減に教えていたのですが、1年経ったある日、彼女はデジタル一眼レフを意気揚々とぶらさげて撮影会に乗り込み、「私は本気なんだぞ」という強固な意志を示したのです。ぼくは再び身震いをしましたが、ぼくも55歳になり少しは寛容な人間になりつつありましたから、彼らを「写真とは縁なき衆生」と定め、写真を愉しんでくれればそれでいいんじゃないかと思うようになりました。
 「本気」になった彼女はぼくの言いつけに甲斐甲斐しくも素直に耳を傾け、間もなく写真専門雑誌のコンテストで優秀賞やそれに準じる賞を次々と取るようになりました。その頃には「先生がエライのではなく、生徒がエライのよね」と常々うそぶいていましたが、彼女は期するところがあったようで、きっぱり雑誌投稿から足を洗ったようです。ぼくの喜びは、彼女が賞を取ることよりも、写真にはもっと大切なものがあることに気がついたことでした。

 そして現在。彼女は自分の世界を描けるようになりつつあるのですが、やはり「三つ子の魂百まで」で、時折「構図」に難点が見られます。フォトジェニックな目をずいぶんと養うことができるようになったのだから、この半年は「構図」の勉強(訓練)を課題として、集中的に取り組むよう言い渡したところです。「雑誌は通ってもぼくの関所は通らない」なんて、ぼくもお返しに僅かに身を震わせながら、そううそぶいています。
(文:亀山哲郎)

2013/04/19(金)
第147回:構図(2)
 前回、構図の作例として写真を5点ばかり掲載しましたが、ちょっと“気がかりなこと”に思い当たりました。というのは、3月にグループ展を催した際に、拙稿第123回、124回を読まれた方が来場され、「『よもやま話』に掲載された閖上(ゆりあげ。宮城県)の写真を拝見しましたが、実際のプリントとはずいぶん印象が異なりますね。やはり写真はオリジナルプリントを見ないと分からないものですね」といわれました。彼の言葉には二つの問題があります。以前にお話ししたことの復習となりますが、もう一度おさらいをしておきましょう。

 「失礼ですがモニターのキャリブレーションはされていますか?」とぼくは訊ねました。彼は「いいえ」と。これが一つ。
 二つ目は、「たとえモニターがキャリブレーションされていても、モニターは光の三原色であるRGBで表現され、プリントは色の三原色CMY+Kで表現されますから、厳密にいえばモニターとプリントが完全な一致を見ることはありません。加えて、環境光にも左右されます。しかし、しっかりキャリブレーションされたモニターを使用し、正しいカラマネージメントの手順を守れば、プリントと画像は酷似したものとなり、ほとんど違和感を生じないものとなります」と説明しました。
 彼のモニターはキャリブレーションされていなかったために、オリジナルプリントを見た時に違和感が生じてしまったようです。

 “気がかりなこと”とは十分に予見できることだったのですが、不覚ながら普段のぼくの意識からはほど遠く、気がついてみると脇の下がじんわりと汗ばむのを感じました。かなりの写真愛好家でも、キャリブレーションできるモニターとキャリブレーターを備えていないという現実は、確率的には非常に高いことをぼくは知っていますから、自分の写真をインターネット上に公開することはとても恐ろしいことに感じます。つまり、ぼくのモニターで見る画像とはかなり異なったものが読者諸兄のモニターでは再現されているのだと思います。
 そして、もししっかりキャリブレーションされたモニターを使用しても、Windowsでは各種ブラウザやアプリケーションによってまちまちに表現されてしまう可能性が高いらしいということです。ぼくはWindowsを使用していませんので、“らしい”というのはMacintoshとWindowsの双方を使っている重箱の隅を突くような性格を有した複数の人たちからの報告によるものです。いや、これは重箱の隅を突くような些細な問題ではなく、看過しがたい大問題です。Windowsで正確な画像を見るためにはカラーマネージメントのできる、例えばAdobe Photoshopのようなソフトを使うしか手がないのでしょうか? であれば正確な画像再現はずっと確率が低くなり、その恐ろしさはさらに加速されて、ぼくは生きた心地がしないのです。
 まぁ、前回は画像再現に重きを置いたものでなく、あくまで「構図」の考え方を示したものですから、という慰めをもって由としておかなければなりません。ちなみにMacintoshではぼくの知る限り純正のソフトでなくてもPhotoshopと同様の再現が得られます。

 写真を始めて2年になるという読者の方から、「どうしても被写体を真ん中に置いてしまう癖がついてしまい何か変化に乏しく面白味のない写真ばかりと感じていたところ、三分割法の具体例を示していただいたことは目から鱗のようでした。参照写真は、説明のために撮られたものではなく、それが実写であることに説得力というか、興味深く拝見できました。もし可能でありましたらもう何例か示していただければありがたいのですが・・・」(原文ママ)と、わざわざ遠方の広島から(メールですので関係ないか)丁寧なメールをいただきましたので、意を強くしてバリエーションも含めて8点ばかり掲載させていただきます。余計な能書きより、背景さえ整えることができれば、主被写体の位置に神経質にこだわることもないんじゃないかとの意味合いを込めています。前号でお話しした「正否のない感覚的な問題なのだから、あなたがいいと思えば構図なんてそれでいいんだよ。物が美しく見えさえすればそれでいい」というアバウトな性格を作例写真から読み取っていただければと思います。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/147.html

 写真はすべて35mmフルサイズですので、焦点距離の35mm換算は省きます。写真に黒枠を付けているのはフィルム時代の名残で、トリミングはしていないという意思表示のためデジタルでもぼくはそうしています。

★「写真:01」。焦点距離35mm。典型的な「日の丸写真」? 二分割の交点に被写体の最重要な部分を置いています。前回、掲載した「三分割法:01」の構図を適用したら絵になりません。三分割法は、いうまでもなく万能というわけではないという例です。だから写真は難しい。
★「写真:02」。焦点距離90mm。被写体を正面に配し、重要な部分を下1/3に。いわば二分割法と三分割法の折衷案といったところ。スターリンの恐怖時代を生き抜いてきたおばあちゃん。どんな重荷と悲しみを背負ってきたのでしょう。
★「写真:03」。焦点距離20mm。超広角レンズで大接近。カメラを構えるぼくの影が右下に写っています。夕陽に照らされた部分と影になった建物を中央で二分割し、下1/3に人物を配しています。これも考え方は「写真:02」と同じで、バリエーションといえるでしょう。
★「写真:04」。焦点距離28mm。女性を三分割した線よりかなり極端に端に寄せています。空、両脇の建物、壁のハイライトと鉤の手形のシャドウといったグラフィカルな要素を取り入れて、なおかつ視点が女性に注がれるように。「対角線構図」の一種です。
★「写真:05」。焦点距離50mm。脇の路地から突然飛び出した得体の知れぬ重装備の東洋人と鉢合わせし、唖然として立ち尽くす少女。これもかなり極端な構図です。十分な空間を取り、三分割した中央に少女を配しています。
★「写真:06」。焦点距離135mm。画面を整理するために望遠レンズを取り付け、雑多な周囲を遮蔽するために開け放たれた車のドアを利用。三分割したほぼ中央に二人を配しました。変な構図ですね。
★「写真:07」。焦点距離35mm。木戸から出てきたおじさんに気づかれないうちにいただいた1枚。全身を入れる必要はないと思い、左腕を思い切ってファインダーから外しています。これも三分割の線上ではなく、ほぼ中央に配しています。
★「写真:08」。焦点距離35mm。村のボス犬。これも三分割の外側に。手はちょん切れているし、やっぱり変な構図? ぼくの癖なのかな? 根性がひねているか、いつも後ろめたい胸裏を託けているからなのかな?
(文:亀山哲郎)