【マイタウンさいたま】ログイン 【マイタウンさいたま】店舗登録
■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

全760件中  新しい記事から  521〜 530件
先頭へ / 前へ / 43... / 49 / 50 / 51 / 52 / 53 / 54 / 55 / 56 / 57 / ...63 / 次へ / 最終へ  

2015/03/20(金)
第240回:妄想のはざまで
 この1週間、写真についてのあれこれを話し合ったり、歓談する機会に恵まれた。写真は基本的には一人で考え、行動するものだとぼくは考えているが、長年写真に従事していると、ぼくの単独孤立主義をごり押しするわけにもいかず、相手のプロ・アマを問わず必然的に接点が多くなる。 
 思わぬところでの出会いというものは、好むと好まざるにかかわらずなのだが、ぼくのように極めて非社交的な人間、今でいえば“引きこもり”タイプの人間にとってさえ、同好の志との交歓は精神にほどよい潤滑作用をもたらしてくれると感じることがある。
 外界を遮断し、部屋にこもって、何かにコツコツと精を出し、勤しんでいることがとりわけ好きなぼくは、外気に触れることで新鮮な発見をしたり、刺激を得ることが多々ある。そんな刺激を確かに感じた時が、ぼくの“撮りどき”なのだが、その“撮りどき”は不定期かつ気紛れにやってくるので、機を逸することのほうが多い。

 逃した機会を埋め合わせようと、焦燥感を募らせながら気の向くままにふらっと撮影に赴いたりすることが常態化している。帰宅後、自室にこもり撮影時のイメージを再現しようと辛抱強くパソコンと対峙し、ついでに焦慮を暗室作業で紛らわせている。
 この時の執念と集中力は何十時間、何日間も途切れることはなく、我ながらアッパレなものだと感心もするが、ただ最近は多事にかまけて、“気の向くまま”がなかなか訪れない。「写真を撮らない写真屋」は、さまにならない。愛機を眠らせておくことほど、商売人にとって居心地の悪いことはない。良心のお咎めを受け、「おまえは一体何をやっているのだ」という目に見えぬ厳しい視線が、チクチクと突き刺さってきて、まことに精神衛生上よろしくない。

 こんなことに漫然と身をやつしていると朽ちてしまうような気がして、友人に「オレは三河島(東京都荒川区)界隈を撮る」と自己を鼓舞するために宣言してみた。それから、何もせずにかれこれもう1年が経過しようとしている。
 行ったことのない地のイメージばかりが先行し、頭の中ではすでに1000枚近くの「三河島界隈」の写真を撮っている。それは玉石混淆だが、3枚くらいの玉が混じっているらしいのだ。三河島行きを心してからの1年間、ぼくはその妄想に取り憑かれていたといっていい。虚構を通り越しての妄想だから、イメージと現実とのギャップがありすぎて、どうしても埋まらない。三河島妄想をひどく後悔している。

 妄想のさまざまを具体的にいえば、ぼくは三河島界隈には二等車の車両が1台連結された小豆色の省線電車(この呼称は1920〜49年まで。その後、国電となり現在のJRに至る)が未だに走っていると思い込んでいる。モーターの、低速時のうなるような音から、グリッサンドのように回転を上げていくその生々しい音韻は、無骨で野太く力強い。
 「お化け煙突」(千住火力発電所。荒川区南千住。1926〜63年。ぼくは見たことがない)が、いく筋もの黒い煙を天に向けてゆらゆらと吐き出し、ススをあたりにまき散らながら、高度成長期の曙を誇示するかのように突っ立っている。
 黄昏時ともなると、瓦やスレート、トタン葺きの木造の家々から、かっぽう着を着た主婦たちが、祭り太鼓のようにまな板をトントンと包丁で打ち付ける音を響かせている。
 電柱にはコールタールが塗られ、1本おきに取り付けられた裸電球がニクロム線をチカチカさせながら、不安定な電圧のもと、頼り気なくほのかな光をぼんやりと放っている。

 ぼくの妄想はぶた草のように野放図で厚かましく、どんどん繁殖していく。幼年時代の残り火を細切れにして、貼り絵のように映像を仕上げてみようと愉しんでいる。
 しかし、妄想に駆られたイメージは現実のものとはまったく合致しないことは明々白々で、それがぼくの三河島行きを断固阻止している。あまりにもかけ離れたものをどう溶融させ、ほどよく印画紙に定着させるかが見えてこないのだ。

 先日、何人かの写真愛好家とコーヒーを飲みながら歓談した折りに、ぼくはこんなことをいった。「撮影に赴く前に、まずイメージの構築をする。描いたイメージを、今度は現地で取り崩していく。この作業が上手くできれば、写る」と、自身に言い聞かせるようにいった。
 そして、「近々のうちにぼくは三河島界隈を撮る」と、逃げ道を塞ぐために自虐的な気持になりながらいった。そうでもいっておかないと、また無為な1年を送ってしまうような気がしたからだ。
 しかしぼくは、学生時代から関心を抱き、関連書物を読み漁った「下山事件」(1949年。足立区)や、中学3年時のゴールデンウィークに起こった「三河島事故」(1962年。荒川区)が、頭から拭いきれずにいる。痛ましい二つの事件と陽炎のような妄想のはざまに、ぼくは揺れている。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/240.html

 昨年、三河島界隈にまで近づいたのですが、どうしても足が伸ばせず、その周辺をうろついていました。後ろ姿のものばかりを掲載したのは、Webでは個人を特定できないものを選ばざるを得なかったからです。

 カメラ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm固定(35mm換算)、ISO200。

★「01荒川区東十条」
★「02荒川区上中里」
★「03荒川区東十条」
★「04荒川区東十条」
★「05足立区千住」

(文:亀山哲郎)

2015/03/13(金)
第239回:写真の題名(補足)
 月一度の酒席。ぼくは酒を好むが、月に一度しか呑まない。したがって、世にいうところの「酒飲み」というわけではなく、しかし呑む以上は、「ほろ酔い気分」にまで到達しないと、なんだか損をしたような気になるので、止むに止まれずその程度にまでは呑むことにしている。そうでないと、酒にも申し訳が立たない。
 自身は、「大した酒量ではない。“酒をたしなむ”とは、これをいう」と恰好をつけて明言するのだが、あっさりと「よく呑むね」と、思念に欠けたことを平気でいう人もいる。誰もが自分を尺度とし、他人のそれを推し測ろうとする。気心が知れれば知れるほど、人は一般的尺度をないがしろにし、目の曇ったまま率直な意見を押し通し、他人を按配しようとする。いかにも自分は客観的なものの見方をしていると言いたげだから、ぼくはいやになる。
 いずれにせよ月に一度という機会が、ぼくを否応なくそうさせている。「呑むからには多少良い気分にならなくっちゃね」という弁明には、そこはかとない貧乏性が潜んでいるのだが、若い頃とは異なり「酒の酔い本性違わず」という品位は、どうにか守り通しているつもりだ。
 故事に「酒は三献に限る」というのがある。酒は適度に呑むのがよく、限度を超えると乱れるので、三献にしておけという戒めである。「三献」を広辞苑で引いてみると、「正式な饗応の膳で、酒肴を出した三つの杯で一杯ずつ飲ませて膳を下げることを一献といい、それを三回繰り返すこと」とある。酒は九杯までにしておけということである。ぼくはその故事を殊勝にも守っているが、「かめさんは呑んでなくても、乱れている」と口走る思慮分別のない人が身近にいたりして、だからますますいやになる。

 「酒飲み」というものは、概ね意地が汚く、卑しい。タダ酒となると、もういけない。ぼくは今まで、「三献」にはほど遠い輩をたくさん見てきた。酒はいくら呑んでもかまわないが、テーブルに乗せられた酒類のすべてを呑み込もうとするその魂胆が醜いのだ。ものを選択するという高貴で微細な感覚を喪失しているので、どんな上質な酒があろうと、「取り敢えずビール」という乱暴な科白を何の呵責もなく言い散らす。「まずはビール」というのであれば、ビールの顔も立とうというものだが、「取り敢えず」にされちゃってる。
 「ビールなどどうでもいいが、取り敢えずビールで喉を潤してから、無差別飲食に取りかかろう」という浅ましい意気を言外ににおわせている。ビールをまるで準備運動のように扱っている。だから、日本人はビールの味にどんどん鈍感になっていくので、この国には残念至極「取り敢えずビール」しかない。
 今、話がピョンピョンと乱雑に飛躍している。

 飛躍ついでにいうと、このような選択のセンスを失った人々は、きっと写真の題名に何の躊躇もなく『習作』などと名付けて揚々としているのだと思える。それは、誰でもが目にしたことのある罪深い題名だ。
 子供時分に絵画展に行き、その題名を見た時、ぼくは子供心ながらに「なんと無礼な」という思いにとらわれた。『習作』という題名を見るたびに、その時の憮然とした記憶が今も生々しく蘇ってくる。子供の純朴で清純な感覚が、それを甚だしき違和感としてとらえたのだから、その時の感情を未だに真実として受け止めている。
 作品とは常に未完のものだ。未完であることを認めているからこそ、より良い作品を手にしようと切磋琢磨するのだし、その先にささやかな希望の光を見出そうと心を躍らせるのではないか。絶望と希望が混じり合いながら、常に制作過程の一断面である“習作”なるものに突き当たる。そして、通過儀式のように“習作”を打ち捨てる。“習作”はドップラー効果のように過ぎ去っていくものなのだ。その過程が“習作”なのであって、結果を“習作”と呼ぶべきではない。
 したがって、『習作』などという言い訳がましい上手ごかしは、どうにもいただけない。どこか尊大で横柄である。『習作』と名付けるくらいなら、『取り敢えず作品』としたほうが、ずっと正直で、嫌味がなく、可愛げがある。“習作”とは、練習のための作品、あるいは下絵のことなのだから。

 わざわざ足を運び来場してくれる人たちに、稽古場を見せながら、「本番ではなく、準備運動中の下絵ですが、どうです?」とやるようなもので、それはとても失礼なことだ。たとえ未完・未熟であっても、一生懸命実直に練習をして、晴れの舞台をご覧いただくのが礼儀ってもんじゃありません? 未完なものとして来場者に正直に差し出すことは罪にならないし、だからこそ共有・共感することのできる空間が生じるのだとぼくは考えている。初めから『習作』だと鉈(なた)を振るわれては、来場者の居場所がなくなってしまうと感じるのはぼくだけだろうか?

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/239.html

 今回の掲載写真は、まさに『習作』そのものの写真です。今からちょうど42年前、25歳の時に大型カメラ4x5インチを買い、胸をワクワクさせながら「タングステンライトでライティングしたらどんなもんじゃろ?」と撮ったものです。

カメラ:ジナー(スイス)、レンズ:ローデンシュトック製(ドイツ) シロナー210mm F5.6。
絞りf32。フィルム:コダックエクタクローム64T ISO64(タングステン用フィルム)。

(文:亀山哲郎)

2015/03/06(金)
第238回:写真の題名
 実はぼくに「写真の題名」について語る資格はまったくない。にも関わらず、それに挑もうというのだから今回の原稿はきっとてこずるに違いない。いつもの、30〜40分で書き上げちゃおうという目論見は、今日ここに至って外れるだろう。
 しかし、「写真の題名」については常に考えを巡らせている。あれこれ思うところがある。題名そのものについてではなく、題名を付けることの意義についてだ。ぼく自身は、自分の写真に題名を付けることをよしとしないので、付けたことはない。
 その理由は単純で、いつもいうように「写真の主語、述語は鑑賞者に委ねる」を自身の信条とし、それをかたくなに守り通してきたからだ。自分の作品に対して、鑑賞者に前もって先入観を植え付けることに非常な苦痛を覚える。「余計なお世話だよね」という鑑賞者に対する遠慮がそうさせている。
 もちろん、状況説明や撮影場所がどうしても不可欠と思えるものには最低限のキャプションを、写真の下に申し訳なさそうに貼り付けることにしているが。
 
 世間では、写真に題名を付けることがどうやら一般的であるらしい。グループ展や個展などでは、ほとんどの作品に題名が付けられているが、ぼくは無意識のうちにそれには目もくれず、写真だけを凝視する。作者は題名を付けることに苦労されたのであろうが、「ぼくは題名には誘導されませんので、悪しからず」というポーズをとってみせる。題名というものが、一種のプロパガンダのように思え、ぼくはそれにささやかな抵抗感を覚えている。時には、それは作者の単なる自慰行為にすぎぬとさえ思うことがある。

 確かに、気の利いた題名にお目にかかることもある。しかしそれは、創作にたずさわる者の所作としては、気が利いていない。無粋なのだ。
 題名というものが、鑑賞者に、あるいは写真の何かを、もし仮に手助けをしているのであれば、慚愧に堪えないとぼくなら思うだろう。ぼくは自分に、「題名という杖がなければ、お前は歩けないのか? よちよち歩きでもいいから、杖の世話になどなりたくない」という片意地かつ依怙地な気概を見せたいと踏ん張ってしまう。こんな意味のない気概に取り囲まれているので、ぼくは必要以上に疲労してしまうのだ。
 しかしながら、上記のことはぼく自身の思うところであり、また信条でもあるので、読者諸兄に「ねぇ、そうでしょ?」とはいわない。いいたくてもいえないでいるのは、やはり慚愧に堪えないが、「題名で写真を見せるわけじゃないよね」くらいは、いってもいいと思っている。
 だって、人は撮影時に題名を考えるわけではない。題名はあくまで「後付け」であり、「後出しジャンケン」のようなものじゃありませんか。

 ぼくは今までコンテストとは無縁のところにいた。それはぼくのひとつの矜恃でもあるのだが、さまざまなコンテストなどを眺めていると、主催者の「題名にも気を配ること」というアナウンスが、あるいはまた、それに類似のコメントを散見する。ぼくとて、題名を付けるのであればその役目を十分に認識しているつもりではあるが、そんな仰せには「???」と大いなる疑問を感じている。題名も選考基準の何%かを受け持つのか? だとすれば、「そんなことはあるまじきことだろう!」と毒づきたくもなるのだ。

 しばらく前にこんなことがあった。
 ハイビスカスを撮った友人Mさんが、その作品をある大きな展示会に出品した。題名は「花」。ぼくはその写真の突出したクオリティと卓越した色使いを大いに評価していたのだが、「花」というあまりにも業のない実直すぎる題名に、腹がヒクヒクと波打ち、題名に無頓着なぼくでさえ、「花はねぇだろ、花は」と思わず雄叫びをあげてしまった。
 彼女は何も悪びれることなく、屈託のない大笑いを返し、「そうよね、そうよね」と、ますます快活に応じた。この大らかさに、写真仲間たちも言葉を失った。
 「写真さえ満足できれば、題名などに頓着しない」という彼女の気骨を見せられたような気がするが、彼女はどちらかというと体格は良いが、気立ては極めて控え目な人である。彼女の撮った真っ赤なハイビスカスは、高品位でけれん味のない堂々たる作品に仕上げられ、彼女の佇まいや生活感情を如実に表していた。
 この写真を見た友人N君は、問わず語りに「まるでフラメンコのようだ!」といった。もし題名がもっとひねったものであったら、彼の直感は「フラメンコ」という言葉を導いたであろうか? 甚だ疑問である。
 この作品が選に漏れたのは、あまりにも作為のない題名のためだったのかと
ぼくはちょっと穿ってみたりしている。題名が「フラメンコ」だったら、きっと選考者の意をとどめたのではないかとも思う。

 やはり、原稿書き、ちょっと手間取って52分でありました。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/238.html

 今回の掲載写真は「題名」のちょっとした試行です。夕暮れ時、ふらふらと散歩に出て、なんの意図もなく10分間撮影したものです。3枚の写真は組写真ではありませんが、例えばテーマに「幻影」とか「化身」などと抽象的な名が付けられていたら、こんないい加減な写真でも、鑑賞者の見方はそちらのほうに引っ張られるのでしょうか?
 この題名は、たまたま隣の机に積んである本の背表紙にあった文字です。

★3点とも久しぶりのシャッター速度優先で撮影。1/13秒に設定し、歩きながらシャッターを切る。ブレても、ピンが来なくてもかまわない気楽な写真。フォーカスは5mに固定。
Fuji X100s。焦点距離35mm固定(35mm換算)。ISO200。

(文:亀山哲郎)

2015/02/27(金)
第237回:写真は引き算
 今、ある企画のためにWeb原稿を書かなければならず、四苦八苦している。四苦八苦というより、きりきり舞いをして、自分の身体が浮き上がり着地点が見出せず困窮の態。まるで竜巻に巻き上げられたかのように(そんな経験はないが)天地左右に体が回転し、すっかり平衡感覚を失ってしまった。「風に舞う木の葉のようだなぁ」とこっそり嘆きながらも、一向に折り合いがつかない。
 テーマに思い入れがあり過ぎて、あれもこれも説明したがり、ひいては目的を見失い、牛の反芻胃のようにだらだらとして切れが悪い。ヨダレが切れないのだ。だから素人はダメだ、おれは牛みたいだなと、やはりモウ一度嘆いてみる。
 どこがダメなのか、自分で薄々感じ取っている分、なおさらに居心地が悪い。それは、疑心暗鬼という不純物を生み出し、その毒素のおかげで堂々巡りをしている。

 弱り果てたぼくは、昵懇の間柄であるその手のプロフェッショナルにお伺いを立てることにした。彼は広告業界で数々のプレゼンテーションをこなし、実績を積んできた人でもある。ぼくは彼のセンスと読みの力を高く評価しているので、素直に原稿を差し出した。
 開口一番、「エッセイや散文ならこれでいい。だがこのWebページの目的は、“読ませる”のではなく、“見せる”ことによって訪問者を呼び込み、共感を得ることにあるのだから、かめさんの写真を前面にドーンと出せばいい。第一、文章が長すぎて、活字媒体ならいざ知らず、Webに来た人たちは最後まで読まないよ。彼らはあくまで“見る”のだよ」と明解に語ってくれた。彼はブラックホールに呑み込まれつつあったぼくを、いとも簡単にすくい上げてくれたのだった。

 期するところ多々あったのだが、彼がぼくに語ってくれたことは、ぼくが写真評をする時にいつもオーム返しのようにいっている、その言辞そっくりだったから、面白くもおかしい。
 曰く「写真は引き算」、「主題は何か」、「余分なものは画面から排す」、「あれもこれも説明しようとするから主題がぼける」、「写真はとどのつまり一つのことしか表現できない」、「象徴的なものを注意深く嗅ぎ分け、それに注力すること」、「もっと簡潔に」などなど。
 これらの言葉を発する前に、ぼくは儀式のように一旦ため息をつき、嘆いてみせるのだ。そして、その写真に写った過剰な部分を手や紙で覆い、慎重に消し去って見せ、撮影者を納得させる。
 「これで、ずっとよくなったでしょ。よい被写体を見つけましたね。でも、トリミングをしなければならない写真は、その時点ですでに失敗作」と、剛柔取り混ぜながら、飴と遠慮がちな鞭を使い分けている。そこで、ぼくはもう一度フーッとため息を漏らしてみせる。
 ぼくの歎息交じりの繰り言を聞かされる彼らは、一矢報いようと、「かめさんのメールはさぁ、長すぎるから最初と最後の3行だけ読むことにしてるのよね。みんなもそうよねぇ〜」とぼくを睥睨し、得意気に一同の代弁を買って出るのだ。年不相応に、とうの昔に過ぎ去った反抗期を演じて見せ、たわいなくも、してやったりという顔をしている。

 彼らの写真を見ながら、同じ過ちを繰り返さぬようにするには、何をどう伝達して、どのような指導をすればいいのか? とぼくは常に考える。これは、自分にとっても永遠の命題に違いなく、実際のところ「言うは易く、行うは難し」だ。

 いつだったか、拙「よもやま話」で、“被写体をよく観察する”ことについて、絵の上手い下手ではなく、“写生の勧め”を説いたことがある。それに従えば、写真を撮ろうとカメラを構えた時に、どこか1点に視線が集中していることに気づくのではないか。漫然とファインダーを覗くのでなく、発見したもののどこに自分の視線が最も多く注がれているのかを認知することが必要。
 ぼくはかつてそれを意識して撮る訓練をしたものだ。主被写体をど真ん中に据えて、ファインダーの四隅にも神経を配りながら撮ってみる。おかしな色気を出さず、要らぬものは潔く四隅から外す。できあがった写真は面白くもなく、退屈なものだが、そんなことを何千回も意識的に繰り返しているうちに、主被写体を取り囲む脇役たちの姿が見えるようになってきたように思う。脇役との有機的な関連が見えてくれば、画面に配された物の取捨選択が自然と可能になるような気がするのだ。
 そして、大切なことは「自分のために撮る」ことだ。他人が自分の作品をどう見るのだろうかと、そんな余計な斟酌など一切してはいけない。しばしば展示会などで、「見せてやろう」という底意丸見えの写真にお目にかかることがある。そのような意図的で企みのある写真を前にすると、首をうなだれ、意気消沈し、ぼくも意図的に深い深いため息を漏らしてみせるのだ。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/237.html

 掲載写真が、今回のテーマ「写真は引き算」を具体的に示したものではなく、5段階評価の自己採点では、3.8といったところか。

★「01」。28年前の写真。ロシアの田舎町の食堂で。厨房に入り込んだぼくは、従業員の食べていたウズベキスタン風焼き飯をカメラでかすめ取った。タングステン光下。
ライカM4。ズミルックス35mm F1.4。コダクローム64。ISO64。

★「02」。猫の昼寝。シャッター音がしたとたん、すまなそうに階段を駆け下りて行った。画面を手すりで二分。
EOS-1DsIII。EF28mm F2.8 USM。f8.0、1/40秒、ISO100。露出補正-1。

(文:亀山哲郎)

2015/02/20(金)
第236回:写りすぎなんです
 電話口のしゃがれ声が、「かめさん、“便利なプリセット機能”とあったが、最後の4行だけであっさり済ませてしまったね。前振りを延々とやって、なかなか本題に入らない、そういう厚かましい噺家がいたけれど、あんたもやってくれるもんだ」といってきた。褒められているのか責められているのか、正体不明だが、「これは次回に(今回)につながる話なんだよ」と、取り繕うようにやり返した。本当に、今回につながるのだろうか? 取り繕う、というのは先を見通さずの間に合わせで、その場限りのことっていう意味だからなぁ。

 歳をとるにつれ、人は徐々に子供に返っていくといわれる。どのような意味合いをもってそういわれるのか、おおよその見当はつくが、その見当に従えば半分は当たっている。子供というものの概念を自分の規範に照らしてみて、“半分は当たっている”という意味だ。
 子供と老人の共通項のひとつは、個人と社会の境界線が、湯に浸した指紋のように、ふやけてあやふやなことだ。時によっては、身の置きどころのないような素振りをしながら、ちゃっかり異様な存在感を誇示しようとする。なんとも子供じみた(老人じみた)現象だが、身内でなければ面白い。
 身内であれば、わがままが増幅するので疎んじられる。しかし、内と外との道徳的へだてのない天衣無縫は、人間的には貴重なものだ。ぼくは、天衣無縫・天真爛漫なジジィを目指したいが、それだけでは写真も「アッパラパーのお天道さま丸出し写真」(どんな写真か想像できますか?)になってしまうので、そこには年相応の思索的深化が伴っていないといけない。

 擦り切れた畳がたっぷりと湿気を吸い、カビをふくみ、ぶよぶよと波打ちながらも、家族の一員として何か役立つことを健気に模索するその風情は懐ぶかく、畳としては上出来で、とてもいじらしい。ぼくはまだ使い古しの畳の域に達していないが、家族の話によると、ガンコ症候群が昂じ、「先が思いやられる」のだとか。悲哀こもごも到るところだが、家人は、ぼくのガンコは必然あってのものだということに頭を働かす気配もなく、だから面白くない。
 家族総出で、ぼくの近未来を見据え、やまい昂じたところの「ガンコ呆け」を案じている。94歳の老女を抱えたぼくは、呆けの真髄を心得ているので、彼らに向けて「ガンコに呆けてやる!」という伝家の宝刀を抜こうとするのだが、しかし、この殺し文句は使いすぎると効力を失い、ついでに物笑いの種となり、取り合ってもらえない。新鮮味を保つには、1年に1度くらいの使用がちょうどよく、これからは常用に耐えるような、さらに気の利いた名文句を見つけ出さなければならない。

 「先祖返り」ならぬ「子供返り」を、ぼくは今写真について、しきりと模索している。現代の写りすぎるデジカメにやきもきし始めているのだ。そのやきもきを払拭するために、すべてを一旦仕切り直して、自己改革というか自己革命を起こさないといけないと思い始めた。デジカメのせいじゃないね。
 「何を写すか」から「何を写さないか」への発想の偉大な転換が必要だし、そのためには何をなすべきかを、今年の大きな命題に据えようと思っている。まだ呆けとは縁遠い。
 
 昨年末、たまたま撮影に同行したK君に、「あれっ、かめさん、ファインダー覗かずに撮てますね」といわれ、ぼくはハッとした。カメラのモニターを見ながら撮る今のあのスタイルをぼくは拒否しているので(他人はどうぞご自由に)、どうしたってファインダーに頼ることになるのだが、無意識のうちにそれを放棄していたのだった。いわゆるぼくの忌み嫌う「ノーファインダー」というもので、それを自慢気に語る写真愛好家をぼくは蔑んでいる。相手に気づかれずに撮るための姑息な撮影方法だとぼくは決めつけている。だから、それがどんなに重宝な技法であれ、ぼくは決して使わない。ほらっ、ガンコでしょ。
 
 彼にそう指摘されて、「いちいちファインダー覗くのが億劫なんだわ。今日はなんだかそんな気分だよ」と返した。「歳なのかな」と、心にもないこともつけ加えておいた。
 喉のあたりまで重たい一眼レフを持ち上げ、確かにその位置でぼくは時折シャッターを切っていた。何かが、知らず識らずのうちに、子供への回帰願望をともないながら皮膚の下で化学反応を起こし、寒風に吹かれながらも、うごめき始めたのかも知れない。ぼくはこの皮膚感覚を温存しなければいけないという思いにとらわれた。
 今まで、あまりにもこまごまと、窮屈に写真をとらえてすぎていたのではないかと顧みる余裕が生まれたのだろう。事のこまごまとさまざまを、この機に忘れ去ってみよう、写真を撮るって、そんな大層なことじゃないだろうとの思いに至った。首を洗って観念せいと、ぼくの背後霊は訴えているような気がする。
 
 かつて一世を風靡した「ブレボケ写真」を踏襲しようとは思わないが、今写真の鮮鋭な描写より、指紋のふやけた写真の心地よさのほうに、ぼくの気持は傾きかけている。手ブレ、ピント外れ、露出補正、ISO感度などなど、そんなことに頓着せず、子供時分にカメラをぶら下げて無心に歩いた道を、もう一度辿ってみようと思っている。そのうちに何かがひょんな具合に表出してくればしめたものではないか。上手くいこうが、そうでなかろうが、それは問題ではないはずだから。
 しかし、「こんな撮り方をしてはいけない」とぼくはいうのだろう。「オレはいいけれど、あんたはダメ」と。都合に合わせて、子供を演じたり、ガンコジジィになったり、ぼくはぼくで忙しい。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/236.html

 夜の9時半に散歩に出た。35分歩いて、188枚の粗製乱造の未完写真。「こんな写真のどこがいいのか?」との声が聞こえてくる。「はい、仰せの通りであります」。「写真は丁寧に撮りなさい」がぼくの口癖。うちの生徒たち、みんな辞めちゃうかもなぁ。

 Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。絞り、すべて開放f2.0。露出補正すべて-1.33。ISO800〜1600。フォーカス5mに固定。
 ちゃんとファインダー覗いて撮ってます!

★「01」。写りすぎです。これがいやなんだ。
★「02」。もっと曖昧さが欲しい。
★「03」。首を意識的に外して。
★「04」。歩きながらなので、ブレてます。
★「05」。これも歩きながらの横着です。

(文:亀山哲郎)

2015/02/13(金)
第235回:便利なプリセット機能
 写真の商売人でありながら、ぼくは昨今のカメラ事情にとても疎い。得てして商売人とはそんなものなのだろう。新しく開発されたカメラに興味がないわけではないが、使用中の商売道具に不満や不備がなければ、それでいい。多少古かろうが、肉体の一部と化し、慣れ親しんだものを手放す恐さもある。撮影はほとんどの場合やり直しがきかず、不慣れな道具を使って「こんなはずではなかった」といってもあとの祭りだ。
 “新しもの好き”のぼくも60半ばを過ぎて、浮気心が沈静化しつつあるのは、ものの道理として正規の手順を踏んでいるのかも知れないが、しかし生憎、煩悩から解き放たれたわけではない。
 煩悩を失えば写真を撮る必然性もなくなり、必然性がなければもの作りの意味をなさない。この理屈を理解しようとする人々は、あまりに少ない。
 煩悩は生の証であり、生への異変や諦観の気づきとともに菩提はやってくるのだとぼくは解釈している。いい方を変えれば、我々の生活空間には、森羅万象さまざまが這い出し、ひしめき合い、無数が輻輳するなかで、我々の心からも無数の情智が放出されるそのさまを、ひとり粛然と離れて鳥瞰する時、どうにか煩悩の絆(ほだ)しからの開放を得る。それではもう、写真は用をなさない。

 「子煩悩」があれば「カメラ煩悩」があってもいい。アナログの熟成したひとつの代表的な形態であったフィルムカメラは、設計さえしっかりしていれば擦り切れるまで使うことができた。日進月歩の著しかった(すでに過去形)デジタルカメラも、2年ほど前にぼくのなかでは頂点を迎えた。頂点というより、一応の終着点といってもいいが、「これ以上の性能も機能も欲しない」という心境を得た。
 産業に基盤を置く科学という貪欲は、行き着くところまで行こうと意欲を燃やすのであろうが、消費者がその意欲に一つひとつ忠義立てしていては、立ち位置を見失い、足元をすくわれかねない。無駄な出費もかさむ。
 しかし、デジタルは発展の予兆がまだまだあるように思われる。画期的なものが出現すればやはり胸が躍り、煩悩にまみれてしまうのだろう。心のなかと外を、葛藤が足早に行き交うことになる。たまったものではない。

 ぼくの見立てでは、写真を撮る人たちが最も興味を示すものがカメラではないかと思う。カメラあっての写真なのだから、それはもっともなことだ。 
 今のカメラは誰が撮ってもちゃんと写っちゃうから、ぼくのような古参の写真ジジィ(本人は“ジジィ”という意識がまるでないので、意気揚々とした煩悩まみれの“壮年ジジィ”ということにしておく)は、世の習いを素直に受け止めのるが賢い。写真を始めたばかりの人たちに、幼子の手を引くようなほっくりした思いを抱けぬことだけが淋しい。
 加えて、暗室作業の大切さをアナログ時代ほどに説けぬことも、莫々とした思いを誘う。暗室作業をあまり強調することにも自制がかかり、躊躇してしまう。せっかく写真に興味を抱き始めた人たちに、暗室作業を施した写真がより価値のあるものだとの錯覚を与えてしまっては、元も子もなくなる。
 写真そのものの持つ本質的なクオリティは、補整(暗室作業)したものであろうがそうでなかろうが、変わらないというのがぼくの持論だ。良い写真は、撮りっぱなしのものでも、精魂込めて補整したものでも、写真自体のクオリティは変質しない。

 今までさんざん暗室作業の大切さを説いてきて、ぼくの意見は矛盾を来していると感じる向きもあろうが、その意図は別のところにある。この件については機会をみて、コッテリとお話しできればと思っている。

 Photoshopの機能を取り上げて話を進めることについても、実はちょっとした抵抗がある。Photoshopは確かに暗室作業の世界的基準ソフトではあるが、この高価な、文化包丁のようなソフトは写真愛好家にとっての必需品だろうか? 
 この答えはぼくには出せないが(逃げているわけではない)、暗室作業を説明するうえでどうしても頼らざるを得ず、そこのところ、どうかご了承を賜りたい。
 ぼくはバージョン4.0から使い始め、現在使用中のPhotoshop CC2014はバージョン14.0に相当する。新しいバージョンが発表されるごとに購入したわけではないが、バージョンが更新される度にかゆいところに手が届くように、便利な機能が追加されたり、同じ結果を得るのに数手間も省けたりするものだから、商売道具としては労力と時間を大幅に節約でき、背に腹はかえられず、出費を強いられるのは仕方がないと諦めている。それはあたかも年貢米のようなものだ。
 
 今回はPhotoshop CCの便利でお手軽な機能をとしてのプリセットをご紹介する。106通りのプリセットが備わっているので、遊びとしても面白い。
 Photoshopを持ってない方には、1ヶ月限定の無償体験版をぜひお試しいただければと思う。

 手順を以下に。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/235.html

★画像をPhotoshopで開く。JpegでもTifでもPsdでもよい。
★メニューバー/フィルター/Camera Raw フィルター を選択すると添付画像「01」が出るので、赤線を引いたボタンが「プリセット」。現れたプリセットを順次クリックすると画像が瞬時に変化する。
★どのように調整されたかを知るには、添付画像「02」の赤線を引いたボタン「基本補正」をクリックする。「基本補正」ばかりでなく右隣に配された各ボタンをクリックすると、必要に応じた補正の数値を知ることができるので、随意細かい補正が可能となる。とても重宝なプリセットだ。

 さまざまなプリセットで得た画像の美味しいところだけをいただく(レイヤーを重ね、マスクを作ってブラシで削り取っていく)という横着なことをしても、もちろん構わない。いや、これがこのプリセットの有用な使い方かも知れない。

 上記のプリセットで作成した画像をいくつか重ねて、真剣に遊んでみた。いずれの写真も信州安曇野で。

★「03」。車の車窓から。
★「04」。夕陽が鏡面仕上げの墓石に反射。
★「05」。トンビが不意に現れ、反射的にシャッターを。
★「06」。暮れゆく安曇野の里。
★「07」。安曇野、最後のカット。

(文:亀山哲郎)

2015/02/06(金)
第234回:セピア調色(2)
 前号で、ウォーカー・エバンスのセピア色に魅了された経験をお話ししたが、今セピア調色を試みるにあたって、それを参考にしようとは思わない。その写真集は今手元から失われているし、それは40年前の残像でもあり、良き思い出を大切にしたいという気持が勝つからである。
 若気の記憶や思い出というものは、歳とともに美化されていくか風化していくのが通常で、写真であれ、絵画であれ、映画であれ、映像の実体は常に逃げ去るものだということをぼくは知っている。
 現在の感覚をもって、エバンスの映像が40年前となんら変わりない感動を呼び覚ますという保証はない。そんな危険な賭に出る必要もないだろうし、冒険してみる価値があるとも思えない。自分の培ってきた現在の感覚を後生大事にとはいわないが、進歩・発展を信じて、今後のよすがとしたほうが、より建設的なのではないだろうか。古きに固執するより、これからを見据えたほうがいい。

 かつて見たカルチエ・ブレッソン(フランス。1908〜2004年)の名作『サン=ラザール駅裏』を、ぼくは長年横写真だと思い込んできた。数年前、その作品に再会し、実際にはそれが縦写真であることに慌てふためいた。ぼくは長きにわたって頭の中でその作品を、何度も繰り返し横写真として鑑賞してきたのだった。写真を撮る際にも、その映像をしばしば頭に思い描いていたのにである。子供の頃に見た印象深い絵画もまた然り。
 世の中の美は、ことごとく自分の都合により、置き換えられていくものだということを確認した瞬間でもあった。映像とは、記憶とは、それほどあやふやなものなのだ。

 議題のセピア調色だが、それはさまざまなソフトに既存のものとして付属している場合が多く、それを利用するのが最も手っ取り早い。
 またセピア調色を試みようとする多くの方々が、おそらくカメラ購入時に付属しているソフトを頼りにされるのであろうと推察する。実際に読者諸兄の何%くらいが、Photoshopを使用されているのか知る由もないのだが、ここでは最も汎用なPhotoshopを使い解説をすることにする。
 Photoshopには「アクション」に「セピアトーン(レイヤー)」が付属しているので、それを活用するのが便利だし、色味や濃度も細かく加減できる。
 以下に手順を記す。

1.モノクロ画像をPhotoshopで開く。
2.メニューバー/ウィンドウ/アクションから、「アクション」のウィンドウを出す。
 添付画像「01アクション」参照。
3.添付写真「01アクション」から「セピアトーン(レイヤー)」をクリックしアクティブの状態にする。
 ウィンドウの最下段にある三角マーク(赤線で記した部分) を押せばいいだけ。
 アクションが動作して、いくつかのウィンドウが現れるが、何も書き入れずに
 「OK」ボタンを押していく。そうすると、モノクロ画像が見事なセピア調に
 なって再現されているのがお分かりだろう。
4.メニューバー/ウィンドウ/レイヤーから、「レイヤー」のウィンドウを出す。
 添付画像「02レイヤー」参照。
 セピア色の濃度が濃すぎると感じた場合は、「レイヤー」にある「色相・彩度」が
 アクティブになっていることを確認し、赤線を引いた「不透明度」の数値を変化させ
 ればよい。「不透明度」を濃度の加減として使用する。
 色味を変化させたい時は、「02レイヤー」上部にある「色相・彩度」から、「色相」
 のスライドバーを左右に動かせば、セピア色ばかりでなく、さまざまな色調に無段階
 といっていいほど微妙に変化させることができる。

 これはほんの一例だが、最も簡便かつ広範囲に応用できるセピア調色のかけ方だ。

 そしてもう一例、アクションを使用しない方法をお伝えしておこう。こちらのほうが、レイヤーをつけたまま保存 ( psdやtif ) するのであれば(後に一旦仕上げた画像を再度如何様にも調整できる)、容量が少ないのでお勧めである。ちなみにJpeg保存は後でやり直しが効かない。

1.「レイヤー」ウィンドウの最下段にある「調整レイヤーを新規作成」の
 プルダウンメニューから「色相・彩度」を選ぶ。添付画像「03調整レイヤー」参照。
2.そうすると、「色相・彩度」のウィンドウが出る。
 添付画像「04セピア・プリセット」参照。赤線を引いたプリセットのプルダウン
 メニューから「セピア」を選択すると自動的にセピアとなる。添付画像はデフォルト
 の数値で、アクションを使用したものと酷似しているが、アクションでのセピアは
 色相が30であるのに対し、こちらは35となっている。この数値から、わずかに黄色
 に傾いていることがわかる。この数値を30に打ち替えれば、アクションで作成した
 セピアとまったくの同色となる。

 この方法もアクションで作成したセピア同様、微細な調整が可能だ。双方とも極めて便利で、カメレオンのように自在に色や濃度を変えることができるので、ぜひお試しあれ。

 前回登場したAさんに、ぼくは今回のこの二つの方法を伝えなかった。彼女はきっと再び口を尖らせてぼくに突っかかってくるに違いない。「親の心子知らず」だ。ぼくの伝えた方法はもう少し繁雑である代わりに、今後の応用を見据え、期待できるものがあるからである。文頭で「進歩・発展を信じて、今後のよすがとしたほうが、より建設的」と、ぼくはいったばかりだ。

 前回掲載したセピアのおばあちゃんを、100年の経年変化により周辺の褪色したものに仕上げてみた。古色蒼然とした雰囲気写真を作ることも100年に1度くらいのものか・・・。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/234.html

★「01アクション」
★「02レイヤー」
★「03調整レイヤー」
★「04セピア・プリセット」
★「05昔の写真が出てきた。」

(文:亀山哲郎)

2015/01/30(金)
第233回:セピア調色(1)
 「調色」と一口にいってしまうのは簡単なことだが、実はここだけの話、ぼくは今までそれほど調色に関心を持ってこなかった。フィルム時代からプリントに心血を注いできたつもりだが、調色を極めて有効な表現手段と認めつつも、常に他人事のように感じてきた。
 今ここで、改めて「調色」を取り上げようとの一大決心をしたのは(どうしてこんな大仰な物言いになってしまうのか)、うちの倶楽部のメンバーAさんがモノクロ写真にセピア色をかけて勉強会に持参したことに起因する。

 やはりここだけの話、彼女のセピア色はぼくの感覚からすると、少し黄色が強すぎて、絵柄とのマッチングが取れていないような気がした。気の弱いぼくはそれを指摘することができなかった。
 しかし、そんな気配を鋭く察知したかのように、彼女は口を尖らせ、ぼくに「セピアを上手くかける方法を教えなさい!!! あ〜た、私のセピアに何か不満を持ってるでしょ!!!」と、ビックリマークを満載し、幽鬼もどきで迫ってきた。うちの人たちは人に教えを請う時、いつもこのようにビシバシした命令調で迫ってくる。
 命令一下、ぼくの頭脳は直ちに軍隊モードに切り替わり、上官に逆らうことを知らないぼくは怖ず怖ずと、「は、はい。では全員宛メールでその方法を解説いたします」と健気に答えてしまう。いつからこの倶楽部にはこんな気風が育ってしまったのだろう。指導者もどきくらいではとても幽鬼もどきには敵わないということだ。

 今からちょうど2年前、グループ展のDMの校正用色見本が印刷所より届けられた。Y君のモノクロ写真をDMに使用したのだが、印刷所から上がってきたその色調は赤被りを起こし、純黒調の写真があたかもセピア写真のように変化していた。それを作者であるY君に見せたところ、「うん、これがいい。このセピア気に入ったよ」と喜色満面。これを“怪我の功名”とか“棚からぼた餅”というんでしょうか? 
 すっかり悦に入ったY君は、あろうことか、すべての作品をあたりかまわず、無分別にセピアに調色してしまった。セピアまっしぐらということころ。展示写真のマットボードまでセピア色にしてしまったのだから、彼の揺るぎない自己陶酔にメンバー一同、そして来場の方々もその異様な世界に圧倒され、完全な失語症となった。ぼくはもちろんのこと、誰もその行き過ぎを指摘できず、唖然とするうちに展示期間の1週間が過ぎ去ったのだった。
 しかし、彼がセピア一辺倒男子になったのはこの時だけで、それ以降発症の兆候はなく、その行き過ぎに自ら感じるところがあったのだろうと思っている。作者の意志を最大限尊重するぼくの指導方針からすれば、指摘されて悟るより、自覚こそが精神を制す最良の手立てだ。
 確か、曹洞宗の教典に「意馬心猿、則ち神気(精神)外に散乱す」という訓戒があったように記憶する。意馬心猿とは、「馬が奔走し猿が騒ぎ立てるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと」(大辞林)とある。
 セピアや調色には、それくらい魅了される麻薬的な要素が含まれているということの証かも知れない。

 なぜぼくが、調色(ここでは最も一般的なセピアを指すことに)に距離を置いてきたかというと、20代の頃に心惹かれた美しいオリジナルプリントが純黒調であったからだと思う。それらはすべて欧米の写真家のものであったが(残念ながら、邦人には一人も見当たらなかった)、ぼくは彼らの美しいモノクロトーンを修得しようと暗室に閉じ籠もった。どうすればあれほど美しいモノクロプリントができるのだろうかと、夢遊病者のようにぼくは暗室作業に罹患していった。未だ闘病中である。おそらく命尽きるまでぼくに宿痾のようにつきまとうのだろう。

 純黒調にのめり込んでいたぼくだが、例外もあった。エドワード・ウェストン(アメリカ。1886-1958年)のプラチナプリントには、非常に淡いアンバー(琥珀)がかかっていたように記憶するし、また、ウォーカー・エバンス(アメリカ。1903-1975年)のセピアがかったコクのある色調にも惹かれた。
 ただ、エバンスのものは、オリジナルプリントであれ写真集であれ、セピア色を初めから意図したものなのか、印画紙の経年変化によるものなのかは定かでない。しかし、ぼくのおぼろ気な記憶のなかでエバンスのセピアは忘れがたいものとして、そして最も美しいセピアとして、今日まで深く脳裏に刻まれている。

 セピアのいわれについて少しだけ述べておくと、語源は「イカ墨」という意味なのだそうだ。19世紀末にヨーロッパの印刷所が黒インクでなくこげ茶のインクを使用したところ、非常に評判がよく、読者に新鮮な驚きを与えたのだろうと思う。
 また、モノクロ写真にもこげ茶のインクが使用されたが、保存性に難点があり、経年変化によりこげ茶が褪色し淡い色になったと記録にある。
 こんにち、セピアというと古き良き時代を思い起こさせる色調とも捉えられており、また旧懐の念を呼び起こす語彙としても用いられている。

 みなさんの家庭にも年月を経たフィルム時代のモノクロ写真があるでしょう。年季の入ったプリントは、程度の差こそあれ黄味や赤味を帯びたり、画像が褪色して薄くなっているはず。それは印画紙に残留したハイポ(チオ硫酸ナトリウム)が空気中の化学物質により化学変化を起こしたものかも知れないし、紫外線による日焼けが加わったものかも知れない。原因は保存状態により千差万別だ。

 今回掲載する参考写真は、セピア調色を褪色した写真(印画紙)のシミュレーションとしてではなく、ただ純粋にセピア調にしたもの。でも、困った。撮影時にセピアをイメージしたものではないので、ぼくの感覚がついて行かない。セピアにする必然性が見当たらないのだが、ぼくもY君を真似て、まぁそれらしくやってみるか。

 セピアをかける実際の手順は次回に。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/233.html

★「01モノクロ原画」。カメラ:初代EOS-1Ds。レンズ:EF35mm F1.4L USM。絞り:f5.6、シャッタースピード1/80秒、ISO100。

★「01のセピア」。
Photoshopのカラーピッカーで、R=255、G=246、B=233のフィルターを作り、それをレイヤーに重ね、「描画」は「カラー」を選択。不透明度を80%に。

★「02モノクロ原画」。カメラ:ライカM4。レンズ:ズミルックス35mm F1.4。フィルム:コダクローム64。ISO64。

★「02のセピア」。
Photoshopのカラーピッカーで、R=70、G=60、B=45のフィルターを作り、それをレイヤーに重ね、「描画」は「カラー」を選択。不透明度を80%に。

(文:亀山哲郎)

2015/01/23(金)
第232回:自然光で料理を撮る
 なにやら、あたかも写真教室のような題名をつけてしまったが、こんなテーマを掲げることができるのは、デジタル全盛になった今だからこその芸当だと思っている。フィルム時代であれば、室内の自然光で料理を撮るなどぼくにはとても考えられぬことで、仕事であれば勇気を持ってお断りする以外に逃れようがない。撮影での猛勇は不始末につながり、この場合は命取りといってよく、自身の死活問題でもある。
 太陽光ならまだしも、コマーシャル写真を経験してきた者にとって、できればそんな条件下で料理写真など絶対に撮りたくない。いや、ぼくには撮れない。

 雑誌の仕事などで、1日に数件の料理店を回らなければならない時など、デジタルのありがたさが身に沁みる。そんな気ぜわしい撮影が年に1度くらいはある。そのような時、ほとんどが短時間での勝負を強いられ、ライティングの余裕がないので自然光を利用しての撮影となる。
 室内の自然光の下、ぼくは料理を抱えながら最適な位置を見つけ出そうとうろうろ部屋のなかを歩き回り、場所取りに余念がない。時にはお膳やテーブルごと移動させることもある。編集子やライター諸氏というものは、デジタルをいいことに平気で自然光に頼ろうとする。人の気も知らず、そんな蛮勇をふるいたがるのだ。こんなところで気焔万丈を示すのはお門違いも甚だしい。

 デジタルのありがたさって何だ? 以前にも折に触れ述べたことがあるが、それはフィルム使用時(特にスライドフィルム)の繁雑なフィルター操作から解放されることにある。デジタル画像は、“連続可変のフィルター”といってもいいような千変万化の調整ができるので、そのありがたさに、ぼくはさめざめとうち泣く。
 フィルターの役目は、Photoshopにある「色温度」と「色かぶり補正」という機能に取って代わり、いわゆる「ホワイトバランス調整」がそれである。「色温度」と「色かぶり補正」の機能は、武士の大刀と脇差しのようなもので、この二刀流は天下無双の宮本武蔵のように心強い。恐いものなし、どんな光源でも来たれというわけだ。

 タングステン光の「赤かぶり」、蛍光灯の「緑かぶり」の画像が、大刀と脇差しを使うことにより、色温度5500K(ケルビン)の太陽光で撮影したかのようにクリアに描かれる。色温度の低下による「赤かぶり」は、時と場合により暖かみを与え、雰囲気を醸す役目を果たすが、「緑かぶり」はどうにも不健全でいけない。緑がかった白菜や白魚の刺身では食欲も失せてしまう。緑の紋甲イカなんてやだもんなぁ。

 Rawデータの撮影であれば、PhotoshopのCamera Rawで「色温度」と「色かぶり補正」を調整して現像すればいい。一般的なJpeg撮影であれば、やはりPhotoshopのメニューバー/フィルターからCamera Rawフィルターを選択し、それを使用する。「色温度」と「色かぶり補正」のスライドバーを適当に動かせば、おおよその見当がつくと思う。ありのままの色再現でなく、あなたの主観的判断で「美味しそう!」と感じる調整が一番だ。
 Photoshopを使用しない人は、ほとんどのカメラに「ホワイトバランス調整機能」のソフトが付属していると思うので、まずそれを使いこなすことをお勧めする。Photoshopを使用せずとも、ほどよく「色温度」と「色かぶり」は補正できるはずだ。
 カメラ内蔵の「オートホワイトバランス」という機能も、ある程度は有効だが、これこそ「既製品」であり、臨機応変とはなかなかいかない。

 順序が逆となるが、自然光を利用した料理写真でぼくが好んで用いる方法は、逆光を捕まえることにある。ライティングをして撮る料理撮影でもそのプロセスは同様で、逆光をメインライトにする。逆光だけでは色再現が思うにまかせず、そのために斜め前方より色出しのためのライトを追加する。この2灯ライトが原則だが、時によって多灯使用する。
 自然光の場合でも、逆光により、料理のテカリやシズル感(sizzle。広告写真などで、食欲や購買意欲を刺激する感覚)を表現することが料理を美味しそうに見せるコツ。レンズに向いた面は逆光ゆえ明度が暗くなってしまうので、レフ板を使用してシャドウを起こす。レフ板を色出しライトとして利用すればいい。レフ板は白紙や新聞紙でも代用できる。学生さんなら大学ノートでもいいだろう。これだけで料理はかなり見映えのするものになるので是非お試しあれ。
 室内の蛍光灯などを逆光の光源となるような位置に料理を移動すればよく、そのためにぼくは料理を抱えて部屋をうろつくことになる。

 昨今は出された料理をスマホでパチリパチリする姿をよく見かける。光の照射角により物は異なった表情を見せ、料理はその最たる例だろう。盛られた料理を皿とともに動かしたり、カメラアングルを変化させるだけで、写真というものは肉眼では見逃してしまうような表情を敏感に察知してくれることをお忘れなく!
 また、出された料理を撮影する時、撮影の可否を店員さんに伺うのは一応のマナーとして心得ておきたい。

 掲載の写真は、仲居のおねえさんが静々とお膳に置いてくれたままの状態で撮ったもの。あくまで記録として撮ったもので、テカリやシズル感は空腹のため、食い気呑み気の一辺倒となり、考慮する余裕がなかった。カメラの角度は本能のまかせるままに。撮る以上は見せ場を心得なければいけないのだが、予期せぬ馬刺しの喪失にめまいを生じ、すっかり我を失っていた。
 もう一つの基本は、料理のどこを正面に持って来るかということ。料理の正面顔か斜め顔か、ということにも気を配れば、さらに見映えよし。
 撮影時の蛮勇を穴埋めしようと、ホワイトバランス、明度、コントラスト、彩度、明瞭度はかなり慎重に調整。決して良い写真とはいえないが、真面目に補正すれば最低限ここまでは描写可能といったところか。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/232.html

★「01」。馬刺しの二の舞を踏まぬように、まず海老を真っ先に口に放り込む。
撮影データ:カメラ/Fuji X100s。焦点距離35mm固定。絞りf5.6、シャッタースピード1/50秒。露出補正-0.67。ISO400。部屋の蛍光灯。カメラ手持ち。

★「02」。デザート。ゼリーの質感を出すには、やはりライティングしないとダメかな。
撮影データ:カメラ/Fuji X100s。焦点距離35mm固定。絞りf5.6、シャッタースピード1/13秒。露出補正-0.33。ISO400。部屋の蛍光灯。カメラ手持ち。

(文:亀山哲郎)

2015/01/16(金)
第231回:既製品(2)
 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 よくよく考えてみるとぼくらは「既製品」に取り囲まれている。「既製品」でないものを見つけるのはとても困難なことだということに思い当たる。「既製品」を辞書で引いてみると、「商品としてすでにできあがっている品物。レディー・メード」(広辞苑)とある。
 ぼくらが生活を営むうえで、「既製品」の占める割合は、物質文明の発達にほぼ比例していると解釈してもいい。物質文明とはなんぞや、ということになると途方もないことになり、新年早々、話を大きく逸脱してしまうことになりかねない(すでに逸れかけている)。なので、この題目に触れることはしないが、物質文明とは科学技術の発達によってもたらされる文明であり、ぼくらはそれを時代の必然に従い、やむを得ないものとして受け入れている。
 “やむを得ない”とは、物質文明に諸手を挙げて歓迎しているわけではないという意味である。一方でそれを「文明の利器」としてぼくらは重宝もしているが、それが即ち精神生活の豊かさに直結しているかというと甚だ疑問だ。「物質文明」という語彙そのものに、どこか警戒心を呼び起こすものがあるとぼくは感じている。ぼくらはそれに気づきながらも、その気振りさえ見せず、便利さと貪欲さの連合軍にどうしても打ち勝ち難く、分別を失い、呑み込まれていく。「物質文明に冒されている」という聞き慣れたフレーズはいつの時代からのものだろうか?

 文明批判はそこそこに、こと写真に限っても、みなさんもぼくも、99%は「既製品」に依存している。99%の既製品を駆使しながら、100%オリジナル(オーダーメイド)のものを作り上げることを、現代では創作と称するらしい。創作は、物質文明により精神もが既製品化してしまうことへの、ささやかな弁明と抵抗といってもいいだろう。
 既製品のほとんどなかった写真創生期から現代のデジタルに至るまで、既製品はますます強固に幅を効かせている。ぼくはアナログ時代の写真技法を、ふくいくたるロマンを感じながら懐かしんでいる。

 さてさて、前号からの続きで、「馬刺しの抵抗」に話を戻す。

 全員揃っての会席を「既製品」と捉えたぼくは、粛として行儀よく運ばれてくる懐石料理に一矢(いっし)報いたいとの思いに駆られた。
 居酒屋などで通例となった“お通し”というものに、ぼくはめったに手に付けない。たとえ好物でも、やせ我慢をして食べない。隣の人に「どうぞ、ぼくの分も召し上がれ」なんていいながら、しおらしい笑顔を向ける。大概の人はそれだけで喜ぶ。ぼくは“お通し”をしみったれた商業主義の権化と見做し、また、おためごかしの象徴と感じているので、実に気前よく放棄する。
 だって、ぼくはそのようなものを注文した覚えはないし、客の好みを忖度することなく無遠慮・無差別に差し出し、ついでに料金まで強奪する魂胆なのだから、このうえなく慇懃無礼ではないか。
 「“お通し”だと! そんなものに通されてたまるか。“突き出し”(お通しの別称)だと! そんなものに突き出されてたまるか。相撲じゃあるまいし!」と、なんとも子供じみた悪態をつく。
 食卓に上がったものは、どんなものでもありがたく、美味しくいただくのは我が家の家訓でもあり、極上の美徳と心得るが、突っ慳貪な親切ごかしは取り合いたくない。

 マニュアルに従い“お通し”を食卓に置いた仲居のおねえさんに、ぼくは「安曇野名産の馬刺しありますか? あれば全員に2枚ずつ行き渡るようにね。おいくらですか?」と訊ねた。おねえさんは「ちょっと聞いてきます」と姿を消した。名物でありながら即答できないということは、注文が少ないのか、時価なのか、ぼくは後者を恐れた。間を置いて戻って来たおねえさんは無表情に「×××円になります」とだけいった。ぼくはその金額にちょっと息が詰まったが、みんなの手前大見得を切り、すまし顔で「ではお願いします」といってしまった。覚悟を決めればもうあとは食べるだけだ。
 「かめさん、ご馳走さまで〜す!」と全員がぼくに向かって斉唱する。「いいってことよ!」とぼくはうっすらと額に汗を滲ませ、口元を引きつらせながらも快活に答えた。

 食卓に運ばれた馬刺しは確かに旨かった。肉厚で甘味があり、噛むたびに肉汁がジュワッと口の中に広がり、なかなかものだった。馬刺し好きのぼくは口のなかでその余韻を十分に楽しんだ。1人2枚だから、もう一度味わえる。2枚目はさらに舌がこなれて、濃密な味わいがあるだろうと期待した。宴も終盤に差しかかり、ぼくは楽しみにしていたもう1枚に箸を伸ばそうとした。
 ないっ! 最後のお宝がないのである! なんとしたことだろう! 近年になくぼくは狼狽えた。動揺を悟られまいと無言を貫きながら、皿の脇や下を人知れず点検しようと、頭を固定し目玉だけを動かし視線を上下左右に振ってみたのだが、どこにも見当たらないのである。1人3枚食ったやつがいる。4人のおなご衆の誰かが狼藉を働いたに違いないのだ。
 しかし、ここで騒ぎ立てるほど、ぼくははしたなくも、動物的でもない。駄洒落をいってる場合ではないが、文字通り「何食わぬ」顔に徹した。
 この馬刺し紛失事件から1ヶ月以上経た新年会でそれとなく報じたら、おなご衆は口を尖らせ、いきり立ち、「誰も人の分まで食べません! それは、かめさんのいつものパラノイアです。錯覚です。物忘れが亢進している証拠です。被害妄想です。白昼夢です。とうとうボケが始まりましたね」といわれなき集中砲火を浴びせられた。
 やはり、黙して語らぬ事、「沈黙は金」ですね。しかし、1枚×××円の馬刺しにはもう生涯ありつくことはないのでしょう。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/231.html

 今回は新年号らしく写真について書こうと思ったのだが、あらぬところに飛び火してしまった。「自然光で料理を撮る」のはずが、悔しさまぎれの馬刺しに成り代わってしまいました。
 今回は、自然光で撮った証拠物件を1枚だけ掲載しておきます。次回にこの議題を取り上げます。

★「恨みの馬刺し」。馬刺し8枚4人分x2皿だったが、ぼくは左手前の1枚を味わっただけ。
撮影データ:カメラ/Fuji X100s。焦点距離35mm固定。絞りf5.6、シャッタースピード1/18秒。露出補正-0.67。ISO400。部屋の自然光。カメラ手持ち。

(文:亀山哲郎)