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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2014/06/27(金)
第205回:暗室道具(2)
 よんどころない事情で、10人分の撮影データを約150カットも、文章にたとえれば“添削”するはめに陥った。いや、“陥らされた” というほうが正確なところだ。作者それぞれの個性と美を失うことなく(文字通り十人十色だから)、主語、述語、助詞、助動詞の使い方など、文法の原則を違えたところを、画像ソフトを駆使しながら修正する作業だが、如何せんぼくにその力量が十分に備わっていないので、まさに狂乱地獄だった。発狂というか悩乱というか、その寸前まで辿り着いたことは間違いない。恨み骨髄である。本居宣長が30年余をかけて『古事記伝』(『古事記』を校訂し注釈を加えた)を著したその苦労が身に沁みる、ってちょっとオーバーか。
 ぼくの独断と偏見をできるだけ慎みながらの補整作業は恐ろしいストレスを生じさせた。「おれはMacのオペレーターじゃねぇんだぞ!」と毒づきながら、この甚だしき消耗戦のおかげでまた白髪が一段と増えてしまった。しかし、ぼくの暗室道具習得には多少なりとも寄与してくれたように思う。いやが上にもそう思わないと、「やってらんねぇ!」というところだ。

 日本人であれば母国語である日本語をごく自然に使いながら会話し、お互いの意思疎通を図ることができるが、しかし、ぼくも含めて母国語とはいえ間違いだらけの言語でおしゃべりをしている。口語体でさえそうなのだから、ましてや文語体となれば、「正しく美しく」はなおさら困難を極める。
 写真を趣味とする人、愛好家と自称する人は、写真的口語・文語の文法をできるかぎり正しく、美しく用いて欲しいとぼくは願っている。このことはもちろん、ぼく自身も心がけていることだ。
 他人の写真を補整する資格などぼくにはないが(謙遜ではない)、一応プロの端くれとしての義務は感じている。その義務に従い、10人の住む場所の整地、整頓をしたに過ぎない。
 補整をしてさしあげた人から2度のメールをもらい、こう書かれてあった。「普通の写真をプロの人が補整するとこんなにも変わるんですね。驚きです。プロはすごいですね(ママ。コピペ)」と。ぼくは、「プロがすごいんじゃなくて、ぼくがすごいんです。そこをお間違えなきように」と切り返した。謙遜したり、自惚れてみたり、ぼくはぼくでけっこう大変なのだが、話半分としてもそういってもらえれば素直に嬉しい。甲斐があるというものだ。

 画像ソフトの代表格であるAdobe Photoshopを使い、日夜挌闘を余儀なくされているが、ぼくはPhotoshop使いの達人とはほど遠い。これもまた、謙遜ではない。自分の使用目的に添った使い方しか知らないからである。このことは、ぼくにとっての必要最小限の使いこなししかできないと言い替えてもいい。Photoshopを使いこなせばどんなことでも(どんな補整でも)できると信ずるにやぶさかではないが、同じ結果を導くためには他の画像ソフトとの併用がはるかに効率も良く、労力の損失を防げる。
 Photoshopだけを使い、ぼくの望む到達点まで何百の手順を必要とするものが、他のソフトの手助けで確実に1/10以下に減少してしまう事実は、老い先を考えれば誰も非難できないはずだ(誰も非難などしてないが)。長年、本妻であるPhotoshopに純潔を守り通してきたので、あれこれ浮気をしている自分にどこか後ろめたさを感じているのだろう。

 現在の浮気相手は、もう浮気相手とはいえないほど重要な位置を占め、痒いところまで手を伸ばしてくれるのだから、孫の手のように重宝している。一夫多妻もやむなしといったところか。
 もちろんそれらは、Raw現像ソフト以外はPhotoshopのプラグインとして使用できるものに限られている。

 余談だが、ぼくの心酔するドイツの名指揮者フルトヴェングラー(1886-1954)は、「ベルリン・フィルハーモニーは本妻で、ウィーン・フィルハーモニーは恋人のようなものだ」と公言している。ぼくもそれにあやかって、「イギリスのスピーカー(オーディオの)がぼくの本妻であり、一方でアメリカのJBLは恋人のようなものだ」と、30歳の頃にオーディオ仲閧ノ吹聴していたものだ。当時ぼくは、日本に2組しか輸入されなかったBBC放送局の大型モニタースピーカーとJBL社の超弩級モニタースピーカーを、その時の気分によって使い分けていた。オーディオに限らず、優れた製品であればあるほど、使いこなすのはとても難しいことだと感じ始めていた。

 話を元に戻して、現在ぼくは、DxO、Nik、onOne Softwareを併用しているが、それらのソフトはRaw現像、フィルムシミュレーション、カラーとモノクロの極めて精緻で、自在な調整が可能である。至って優れものだ。Photoshopはある意味万能であり、汎用ともいえるが、しかしある目的に特化したものは、概して「悪女の深情け」、もしくは「麻薬的」な面を多々持っているので、虜にならぬようなセンスを必要とする。特効薬のような役目を果たすので、処方箋をしっかり把握しておかないと思わぬ副作用を引き起こしてしまう。効用に酔い、過剰投与が仇となってしまうのだ。
 面白がって乱用すると、人質となりとんでもない目に遭うので(逆襲される)、要警戒。使いどころのコツは、控え目な使用であり、プリセットを何通りか作って(効率化のために)、画像ごとに微調整をすることだ。習得するまではかなりの根気と忍従を強いられるが、会得してしまえば、手間暇が省け、しかも希望に近いものに仕上がってくるので、縁切りなどできなくなってしまう。ほどよく手加減をしてくれる悪女に仕立て上げれば、それはなんと素敵なことだろうか!

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/205.html

 すべてフィルム。使用フィルムはコダックのコダクローム64と200。カメラはライカM4とキヤノンNew F1。

★「01ロシア」。シベリアの真珠ともいうべき美しい街、イツクーツクで。丸々と太り、微動だにしないので置物かと勘違い。「やっぱりおまえはロシア産だ」。

★「02ラトビア共和国」。犬が唸り声をあげ挑発。逃げ惑う同業者? この犬は写真屋という人種が嫌いらしいが、撮影後ぼくがしゃがみ込み手を出したら尻尾をふってなついてきた。DxO FilmPackでモノクロ化。

★「03グルジア共和国」。カフカーズ山脈に抱かれたグルジア軍用道路にある小さな村で。カズベキ山(標高5047m)を望む絶景だった。グルジアはぼくの最も好きな国のひとつ。

(文:亀山哲郎)

2014/06/20(金)
第204回:暗室道具(1)
 こんにちまで写真に親しみ、そして愛好し、そのほどを考えてみると、もうかれこれ半世紀を超えたことになる。写真を忘れ、他のことに心を奪われ、それに一途になったこともある。一時的に途絶したことは何度かあるものの、それでも写真は飽くことのない興味を常にかき立ててくれた。
 とどのつまり、それはぼくの性分に合っていたからだとしかいいようがない。理由を述べろといわれれば、それらしいことをしかつめらしい顔をしていうのだろうが、語るほうも聞くほうも消化不良を起こしてしまうのが関の山だ。ぼくは多分自家中毒を起こし、グロテスクなものを提示しかねない。好きであることの理由はそう簡単に、しかも正確に語ることなどなかなかできないものだ。

 エベレスト(本来は“チョモランマ”というべき)を目指した英国の登山家マロリーは、記者の「なぜあなたはエベレストに登るのか?」という質問に、「そこにエベレストがあるからだ」と答えたとされているが、真偽のほどは定かでない。しかし、この言葉は名言として(日本では「そこに山があるからだ」と誤訳のまま流伝されている)あまりにも有名になってしまった。
 その受け答えはどこか皮肉っぽく、冷笑的で、かつ滑稽に思えるので、ぼくは好きじゃない。この、人を食ったような皮肉っぽさは“英国流風刺”なのだろうか? どこかチャールズ・ディッケンズに通じるものがある。日本人のぼくからみれば、マロリーと記者のやり取りは、禅問答というより珍問答であり、論理的でも哲学的でもない。ただ、「多様な解釈」が成り立つという一点にのみ、ぼくはこの言葉を評価することにしている。

 で、お題目は暗室道具についてだった。ここでいう道具とは、デジタルの画像ソフトと解釈していただいていい。デジタルについて、ぼくはまだまだ発展途上人だが、仕事をしていく上で散々悩まされ、苦しめられてきた。未だ自在に扱えるまでにはいかず、困難さばかりが身に沁みる。心身ともにやつれる一方で、毛髪数は維持しながらも白髪ばかりが増えていく。

 デジタル事始めは1996年のことで、MacとPhotoshop、そしてプリンターを買い揃え、いやいやながらの大出費。デジカメは持っていなかったので(当時はまだ性能的に購買意欲をそそるようなものはなかった)、もっぱらフィルムをフィルムスキャナーでデータ化し、しずしずと戦いの準備を始めた。来たるべく開戦のための訓練に勤しんだ。
 初めて購入したデジタルカメラが初代EOS-1Ds。2003年のことで、100万円というとんでもない大出費だった。一挙に白髪が増した。これで本格的な宣戦布告をせざるを得なくなってしまった。以降、日進月歩のデジタル界に遅れを取るまいと青息吐息になりながらも、しがみつくような気迫を持って対峙、為す術もなく屹立し(変な日本語)、ついでに大いなる出費も強いられてきた(出費の話ばかりですいません)。おかげでぼくの白髪は今、少し青味がかっている。
 しかし、このような状態からやっと開放され、諦観の境地に至ったのはここ2,3年のことだ。デジタルはまだまだ進歩するだろうが、ぼくのなかではすでに一件落着である。これ以上の性能はぼくに不要となった。ご同慶の至りだが、落着せず祥慶とはいかない部分が残っている。それが暗室道具なのである。

 フィルム時代のほうがデジタルよりずっと長かったぼくは、ことさら暗室作業にこだわるタイプらしい。
 撮影時にイメージした情景をRawデータという素材で確保し、暗室道具を利用して自分なりのレシピを作り、それに従って料理を作ることを好むらしい。素材が悪ければどんなに料理を工夫しても、その味は自分の想いを伝えきれないか、もしくははかばかしいものとはならない。素材が悪ければ、どんな料理名人でも自ずと限界が間近に見えてしまうのと同じ。
 「良い素材を見つけ、それをしっかりカメラに記録する」ことが、第202回で述べた「なにを」に相当するとぼくは解釈している。
 「良い写真」を撮るためには、良い素材を見つける目と心が必要だということになる。1枚の写真ができ上がる工程で一番大事なものは素材だということだ。良い素材が得られれば、撮影時のイメージをさらに磨き、豊かなものにし、見る側に様々な想像や洞察を提供することができる。上記した「多様な解釈」、これが「良い写真」の第一条件のひとつだとぼくは認めている。そこには自ずと作者の人物像が印画紙から浮かび上がってくる。
 素材は、良くなれば良くなるほどデリケートなものになっていくので、取り扱いもそれにつれてのデリケートさが要求される。繊細で精緻な調味加減を必要とするようになる。

 高価な鮮魚であれば、調理などに凝らなくても、醤油だけでけっこういけるという意見もあるだろう。では、包丁は? 包丁次第、扱い次第で味は確実に変わる。醤油だって、わさびだってピンキリ。身の透けるようなふぐ刺しが、アルミ皿に盛られてきたら、誰だってげんなりしてしまう。せっかくの良い素材を活かすためには、暗室道具の使いこなしが不可欠。

 次回でぼくなりの暗室道具の使い方や手順をお伝えしようと思っているが、結論(願望を含む)からいえば道具はAdobe Photoshopだけでいい。といいたいが、実際にはそうもいかず、多種の道具を使っているところが、意に反してぼくのちょっと寂しい現実。
 江戸時代の円空は生涯に10万体以上の仏像を彫ったといわれ、見るからに一刀彫りのような印象を与えるが、実際には多種の彫刻刀を使っていた。「あの円空だって・・・」という言い訳をしておかなくっちゃね。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/204.html

 すべてフィルムなので、撮影データは思い出せず。使用フィルムはすでになきコダックのコダクローム64と200。カメラはライカM4とキヤノンNew F1。

★「01ロシア」。鉄道員。雑誌『Esquire』の仕事で、ウラジオストクを訪れた際に、シベリア鉄道の始発点に立って。

★「02ロシア連邦サハ共和国」。7月初旬、白夜の午前1時に撮影、気温16度。世界で最も寒い首都ヤクーツクで。厳寒期には−50〜−60度となる。日本人のぼくは死の恐怖に襲われた。カメラもフィルムも凍りつき、とても写真を撮るどころではなかった。

★「03ロシア連邦カレリア共和国」。赤毛のロシア娘。9月末のカレリアは日本でいえば東北地方の初冬くらいか。ロシアの別嬪さんはまだこんな出で立ち。ここは北緯62度。日本の稚内市は北緯45度。

(文:亀山哲郎)

2014/06/13(金)
第203回:良い写真を撮るって? (3)
 「良い写真を撮るって?」などと、仰々しくもまことしやかな表題をつけてしまい、その赤っ恥さらしに冷や汗と脂汗の混合液体が今全身から噴き出ている。空恐ろしいことをしてしまった。こういうことを臆面もなくやってしまうから、図らずも寿命を縮めてしまうのだ。おまけに“参照写真”など掲載しちゃって、「おいらもとうとう焼きが回ってきたな」と悲しい呟きが口をついて出る。あっ、「焼きが回る」なんて語句を使ったのは、全体何年ぶりのことだろうか。その記憶さえ覚束ないが、しみじみとした懐かしさがこみ上げてくるので、きっと10年以上は使っていないような気がする。この言句は、どこかバタ臭くも微妙で、豊かな意味合いを含んでいる。
 この表題について今さら自重気味のぼくではあるが、「焼きが回る」は誤用ではあるまいかと眼鏡をはずし丹念に辞書の細かい字をなぞってみると、「年をとるなどして勢いや能力が鈍くなる」(大辞林)とある。一語に置き換えれば、つまり「耄碌」ということか? 「もうろく」なんて、いやな語感だ。やはりこれは誤用だ。

 老い先が短くなると男は65歳くらいを境目に二手に分かれるように思う。俗にいう好々爺とジジィである。ジジィとは「じじ」を罵った言葉であるから、憎まれ役といっていい。余生が短くなれば、憎まれながらも言いたいことをいって、したいことをしたほうが、ずっと世の中に役立てるとぼくは思っているから、若い頃から「世にいう好々爺だけにはなるまい」と心に決めていた。好々爺というのはどこか分別臭く、厳しさと寛容の区別を曖昧なものとし、しかも優しさと理解力をそれらしく漂わせてしまうところがいけない。これに人は惑わされるのだ。
 碌なものでなく老いるから「耄碌」というのであって、ぼくは好々爺をそれに当てはめている。好々爺精神は老若に関係なく、いざという時に、体を張って何かをしようという気概や冒険心が希薄、もしくは失われているので、「良い写真を撮る」ことから遠距離に位置しているのだと感じる。これを、ずいぶんと飛躍した論理だと考えるのであれば、あなたはすでに好々爺的気質に満たされている。

 「憎まれっ子世に憚る」というが、その解釈はもともと否定的なものではなく、「むしろ憎まれ者のほうが、かえって世の中で幅を利かせる」という意味だから、ぼくはジジィに加担する。「幅を利かせる」とは非常にむずかしい日本語だが、しかし「憚る」のは少々気が引けるので、ご都合屋のぼくとしては、「憎まれジジィ世にくだを巻く」くらいの身勝手な造句がいい。
 歳をとると分からないことがどんどん増え、それを知ろうと勉強すればするほど比例して分からないことが加速度的に膨れあがり、挙げ句おかしな化学反応を起こし、にっちもさっちもいかなくなるが、苦悶しながらも必ずや蛍雪の功を積めると信じている。ただ、生真面目なばかりの勉学は、精気ある豊かな生きざまや物創りに障壁を与える。以前に述べたことの繰り返しになるが「他愛のない狼藉」が遊び心としてそこに同居していなければ、勉学だけでは「良い写真」に繋がっていかないのではないかとぼくは思っている。遊びのないハンドルほど危なっかしいものはないのと同じだ。
 
 ぼくの身近にも写真に対してとても真摯かつ真面目に取り組んでいる人々が少なからずいる。また、ぼくのような人間にも「写真を見てください」と評価を求めてくる人が時折いる。誰もがさらに良い写真を撮りたいと願っている。
 もちろん、ぼくもそのうちの一人だが、身辺を見渡すと概して女性のほうが大きな変貌を遂げると見ている。“概して”である。我が倶楽部の鯨飲馬食(うわっ、なんと凄味のある四文字熟語)の女衆もそうだ。
 その因を探ってみると、男ほど世のしがらみだとか沽券にこだわらないからではないかと感じることがある。加え「女の一念岩をも通す」という恐い、恐い諺もあるくらいだ。また、女業の特技として“音痴”がある。曰く「方向音痴」とか「メカ音痴」とか、まだまだある。見方を変えれば“音痴”は大らかさに通じる。この大らかさが、時として精神を解放するのに役立っているのではないかと思える。音痴度が高いがゆえの徳を得ている。あくせくしないので「果報は寝て待て」を地で行ってしまう。寝過ぎて果報に恵まれない人もいるが。
 反面、男は余計な知識を持ちすぎている。いやいや、知識といえば聞こえはいいが、それは知識でなく、単に知っているだけのことであり、知識でないことに気づいていない。系統だった知識は思考を形づくるが、雑学は知的思考とは無縁であることを知らないのではないかと感じることが多々ある。
 真意のほどは定かでないが、あまりに生真面目な、行き詰まって悩める人を外界から他人事として眺めていると、思わず「たまには与太りなさいよ」とか「写真とたわむれてみたら」としか言いようがない。言葉に詰まってしまうのだ。やはりぼくは、どうしても長屋の物知りご隠居のような好々爺にはなれないな。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/203.html

 すべてフィルムなので、撮影データは思い出せないが、使用フィルムはすでになきコダックのコダクローム64と200。カメラはライカM4とキヤノンNew F1。

★「01ウクライナ」。これはチェルノブイリ原発事故の1年後1987年に撮ったもの。ぼくは口うるさく「印画紙に縁なしでプリントしてはいけない」といっている。長辺が自動的にトリミングされてしまうからだ。右端の女性は撮影時、計算づくで配置しているので、縁なしプリントだと台無しになってしまう。ライカのブライトフレームではこのような技術が使いやすい。

★「02グルジア」。ノスタルジックな雰囲気を醸したかったので、パラジウム・プリントの色調を模してモノクロ化。

★「03ロシア」。ヴォルゴグラード(旧スターリングラード)のヴォルガ河畔で。結婚式を挙げた新郎新婦が永久の仕合わせを願い、母なる河ヴォルガに花束を投げ入れる。その直後の写真。波止場に係留されていた大型フェリーの甲板では、ショスタコーヴィチの『ジャズ組曲』のワルツが流れ、乗客が全員で踊っていた。素晴らしいロシア情緒に包まれながらシャッターを切った。

(文:亀山哲郎)

2014/06/06(金)
第202回:良い写真を撮るって? (2)
 日々の猛暑が今日は一段落し、出不精のぼくはこの陽気と2人のおばさまに誘われて、今埼玉県立近代美術館で催されている「県展」を見に、重い腰を上げ、小雨の中を傘も差さずにふらふらと出向いた。県展に関わっている知人、友人が何人かいることもあり、また拙稿を書くためにも熱心なアマチュア諸氏がどのような写真を撮っているのか、その傾向を一通り知っておきたいという気持ちもあった。この拙稿を始めてから、それまで縁遠かった「県展」、「市展」に足を運ぶようになった。
 また、関係各位に意見を求められることもあるので、そつなく身熟(みごな)しを整えておかなくては不義理につながることにもなる。以前にも述べたことがあるが、過去も現在も、ぼく自身は県展に関わりを持ったことはなく、まったくの部外者である。

 ぼくの感想を率直に述べさせてもらうなら、年々“写真らしさ”の濃度が増してきたように感じる。地元であれどこであれ、少しずつではあるが自己表現としての作品が増えつつあることは素直に喜ぶべきことと思う。つまり撮影者の佇まいが印画紙から窺えるものが多くなってきたということだ。
 僭越だが、「お定まり」や「定番」の作品が(ないわけではないが)少しずつ淘汰され、その陳腐さに選考者も観客も気がつき始めたのではないだろうかという好ましいきざしは、ぼくに希望を抱かせる。この現象はとても大切な要素をふんだんに織り込んでいる。端的にいえば、写真を撮る側の意識(乱暴にいえば、美意識や信念)が、見る側のそれを越えていると思えるようなものが、以前に比べ確実に増えている。このことは本来然るべきことなのだが、以前は拮抗しているというかどんぐりの背比べだったと、敢えてここで明言しておく。
 また、以前のように「奇をてらった、これ見よがし」な作品が減少したことも、写真界にとって喜ばしきことだ。「上手な写真」より「良い写真」が尊ばれるようになった気配を感じさせる。ぼくは部外者なのでこれでも控え目に論じているつもり。そうでなければ、さらに厳しい意見を述べざるを得ないことになるだろうから、部外者がちょうどいい。といいながらも、口うるさく厳粛な気持ちで直言しておきたいこともある。ぼくの見るところ、賞を取った作品とそうでないものの質的食い違いが、相変わらず顕著に生じている。より質の高い写真が見落とされ、それより見劣りのするものが上位に鎮座している。純朴なぼくは、それがとても嘆かわしく、やるせない気分になってしまう。これを主観の問題として扱い、論じているうちは、永遠に是正されることはないと、再び明言しておこう。

 多くの作品を見、ぼくは何十年に及ぶ自身の考えを振り返りながら、改めて問い直してみた。写真とは(写真に限らず創作は)「なにを?」と「いかに?」という設問に作者は常にまとわりつかれる。その件に関して思い当たる節があったので、今真っ黄色に変色した書物を引っ張り出してみた。
 第198回で触れたA.ソルジェニーツィンの処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』で、囚人同士の会話にこんなくだりがある。ちょっとばかり引用してみる(木村浩訳、新潮社)。
 ある囚人が「エイゼンシュテイン(著者注。旧ソ連邦の映画監督)の天才は認めざるを得ませんな。・・・中略」。それに対して囚人「X123番」は「あんなに芸術過剰じゃ、もう芸術とはいえませんな。・・・中略」。
 「しかしですね、芸術とは“なにを”ではなく、“いかに”、じゃないですか?」
 「X123番」はすぐ言葉じりをとらえて、テーブルの上を激しく掌でたたいた。
「そりゃちがう。あんたのいう『いかに』なんて真っ平ごめんだ。そんなもので私の感情は高められやしませんよ!」と。
 ソルジェニーツィンは「X123」の言葉を通して、彼の確たる芸術感を示している。大切なことは真実であり、そこにはいかなる妥協もあってはならないと。そして、芸術の内容は「なにを」がすべてを決定すると主張している。特に「芸術過剰では、もう芸術とはいえない」との主張は耳目を属す。そして、作品の真価とは、それを享受する側の「感情を高める」ことにかかっているということだ。近代に於ける文学の衰退は「なにを」を忘れて、「いかに」ばかりに神経を奪われ、追い回し、それにかまけている結果だと、この短い段落で彼は語っている。まさに正論であろう。
 そのことはそっくり写真界にも当てはまるようにぼくは思う。
 
 ソルジェニーツィンの作品はきわめてオーソドックスで伝統的な手法を重んじ、それを踏襲しつつも、長篇『煉獄のなかで』から『マトリョーナの家』や『クレチェトフカ駅の出来事』の短編に至るまで、常に新しい手法を編み出している。つまり普遍的な美を通奏低音のように響かせ、常に新たなバリエーションを奏でている。
 写真と文学は、その制作過程が心理的・精神的に最も似通っている(あくまでぼくの解釈だが)との考えから、優れた文学を精読することは、多大な啓示を受け、「いかに」という酩酊から自己を解き放つ良い手法であるとぼくは思っている。「なにを」と「いかに」は、創作上切っても切れない縁で結ばれていることは間違いのないことだが、ソルジェニーツィンは一方で策に溺れることの危険性を暗にほのめかしているのではないだろうか。悔しいかな、ぼくは双方に酩酊ばかりしているから、熟慮が足りず耳鳴りばかりに悩まされている。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/202.html

 すべてRawで撮影。

★「01さいたま市」。ふじを見るとぼくはいつもA.アダムスの撮ったものを思い浮かべる。40年以上も昔に見たそれは未だ心のどこかに刻印されている。カメラを横にあった柱にくっつけてブレを防ぐ。
撮影データ:Sigma DP2。レンズ焦点距離41mm(35mm換算)。絞りf5.6、1/6秒。露出補正-1。ISO100。

★「02東武動物公園」。トカゲの名前は覚えていないが、「君、カッコいいねぇ。動かないでくれよ」といいながら。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF100mm F2.8 USMマクロ。絞りf11、1/10秒。露出補正ノーマル。ISO400。三脚使用。

★「03さいたま市」。新浦和橋を歩行中に見つけた風景。口径の合わない大きめのPLフィルタ(偏光フィルタ)をレンズにかざして。
撮影データ:Sigma DP1s。レンズ焦点距離28mm (35mm換算)絞りf6.3、1/200秒。露出補正-0.67。ISO100。

(文:亀山哲郎)

2014/05/30(金)
第201回:良い写真を撮るって? (1)
 拙稿「写真よもやま話」は、いわゆる“How toもの”とは立ち位置や趣きが異なるので、最近少しばかり戸惑いながらの記述である。ちなみに「よもやま話」を辞書で引いてみると、「世事についての雑談。世間話。」とある(広辞苑)。つまり、写真にまつわる雑事や世間話と解釈してもよく、やはり“How toもの”とは距離を置いていいことになる。
 そうはいえど、撮影や写真について読者諸氏に何かお役に立つようなことをお伝えできればさらに喜ばしいとも思っている。ぼくは写真で家族を養い、今日までどうにか生き長らえてきたのだから、そこで得たノウハウをお伝えする義務も感じている。このHPの冒頭に「ワンポイントアドバイス」(ぼくが書いたんじゃない)なんて書いてあるし。だからますます肩身が狭い。

 下手の横好きが高じて、横着、不遜、大胆不敵にも写真屋になってしまった。写真を撮り、あるいはそれに付随すること(原稿や講演、その他)で、人様はその代価として金銭を与えてくれる。この拙稿もそのうちのひとつ。

 たった今、過去の連載でどのような写真を掲載したのかを調べようと、そしてぼくはいつの頃から写真の「ワンポイントアドバイス」を忘れ、単なる私事の雑談(与太話といったほうがいいかも知れない)に興じるようになってしまったのか、このHPを過去に遡り改めて覗いてみたのだが、自省と自照の結果、思いのほか極めて真面目?に写真について書いていることが判明した。そう卑屈になることもなさそうだ。加えて、与太話には写真掲載をしてお茶を濁してしまうという離れ業も演じている。良心の呵責に耐えきれず妙案を捻り出してしまったというわけだ。
 以前に述べたことを読み返すことはしていないが、前回の読者お二方からのご質問には既にほとんどお答えしているような気もする。ざっと見返して(“読み返す”ではない)いるうちに、その要約部分が箇条書きされていたので、もう一度その部分を今流行のコピペをして、以下に再表記(カギ括弧部分)する。上達について他人に物言うには、自分を棚に上げて語らなければならないのが辛い。

 「めきめき上達する人。あるいは緩やかではあるけれど確実に上達する人々を見ていると、いくつかの共通点を見出すことができます。熱意と意欲、向上心を前提として、箇条書きにしてみると以下のようになります。

★ 自分自身に素直であることと同時に相手を尊重し、常に誠実な対応ができる人。
★ 写真以外の美に感応できる人。写真しか関心のない人はダメ。
★ 好奇心とささやかな冒険心によるところの行動力が備わった人。
★ 分相応の投資を惜しまぬ人。
★ 想像と空想とにふけることができる人。リアリスト(現実主義者)はダメ。
★ ぼくの言うことに素直に耳を傾ける人。
以上であります。」

とある。これを記したのは2012年12月7日付け第129回:趣味としての写真(1)で、1年半を経過した今もぼくの考えはそれほど変化していない。敢えて補足しておくなら、「ささやかな冒険心」より「大いなる冒険心」のほうがずっと好ましい。
 また、思考ロジックが生真面目で常識的であれば、写真に面白味が欠けることも事実。冒険心のあるなしは、ここに通じてくる。換言すれば無難さや事なかれ主義は創造心を何一つくすぐらない。たまには他愛のない狼藉を働くくらいがちょうどよく、「触らぬ神に祟りなし」ではなく、多少は神に祟られたほうが御利益があるというものだ。「通例」や「定番」は心して避けるべし、であり、お定まりの道に手心を加え、酌量・安堵しながら歩いても、生噛りどころか得るものは何もない。それこそ“お手盛り”にすぎない。写真を撮るときくらいは、浮き世のしがらみを断ち切って、動物的精神を解放する術を身につけることが肝要だと思う。

 ぼく自身が常に心に刻んでいることは、「写真以外の美」云々で、できるだけ多くの分野の美に触れること。それも一流のものでないといけない。そういうものの蓄積がイメージを少しずつ磨き上げ、形成していくのではなかろうかと信じているし、大きな拠り所としたいものだ。
 そして励行していることは、失敗を恐れず、同じ事を何度も何度も辛抱強く繰り返すこと。この退屈さを堪え忍ぶことは、根気や集中力を養い、すなわち「急がば回れ」なのではないだろうかとも思っている。ある日、何かがパッと閃いたり、思わぬ発見ができたりするのは、決まってこの退屈な作業を飽き飽きしながら繰り返している時がほとんどだからだ。ここにプロ・アマの境界線はない。
 「信じる者は救われない」とはぼくの口癖だが(聖書の「信ずる者は救われる」という教義を一般の日本人は誤解釈しているが、ここでは触れない)、祟りを恐れることなく、たまには信ずるものがあってもいいのだとぼくは考えている。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/201.html

 すべてRawで撮影。顔の判明しない写真を選択。

★「01千葉県香取市」。いわゆるコンデジで。学校帰りの女の子を待ち構えていたら、計ったように来てくれた。
撮影データ:RICOH GR DEGITAL 2。レンズ焦点距離5.9mm(35mm換算28mm)。絞りf4.5、1/100秒。露出補正-0.33。ISO80。

★「02さいたま市」。別所沼の歩道橋。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf8.0、1/400秒。露出補正ノーマル。ISO100。

★「03埼玉県小川町」。キヤノンギャラリーの展示会DMで使用した写真。
撮影データ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm (35mm換算)絞りf5.6、1/800秒。露出補正ノーマル。ISO200。

(文:亀山哲郎)

2014/05/23(金)
第200回:200光年のお手盛り
 「えっ、もう今回で200回目なの!」と意気消沈。担当者を裏切り、読者諸兄を欺き、背反謀反の見本市のようなことをぼくは性懲りもなく今日まで長々と繰り広げてきた。世の中にはそのような輩が大勢いるものだ。ぼくはその一味だってことくらいは知っている。ぼくだって少なからず自覚というものがあるので、託言(かごと)をいうわけではないが、先日も担当氏に「読者から異論、反論、クレームの類が寄せられたら、遠慮なくいってください。誠実にお答えします」とお伝えしたばかり。幸か不幸か連載の4年間、まだお小言をいただいていない。 
 ぼくはひねくれ者だから、実をいうと、読者の反応というものは、賛同より反論のほうがずっとありがたく、また面白い。ニンマリとしてしまうのだ。

 写真や文章はほとんどの場合、反論や異論は予期したことの範疇で生じ、意外ということはまずない。したがって冷静さを保ちつつこちらも知恵や知識を絞って言辞を労することができるが、賛同や共感といったものはどうしても情に流されやすく、自己を見失うというテイタラクを演じかねない。共感を得ることは嬉しいことには違いないのだが、「オレの言いたいことが分かってくれたのか」と過剰に反応し、感涙にむせんでしまうからカッコ悪い。情にほだされる分、思考の停止と欠落が生じやすく、反論されるより得るものが少ないと感じるのはぼくだけだろうか? 
 「面白い」といったのは、甲論乙駁、議論がいろいろあってまとまらないほうが思考を巡らせることができ、新たな発見もあり、有益な場合が多いからだ。「なぜあの人は、オレと意見が異なるのだろうか? 総論なのか各論なのか、いや、その両方なのだろうか?」と、あれこれ推論する愉しみもある。ボケ防止にも一役買ってくれそうな気がする。

 今、世間を騒がせている漫画『美味しんぼ』の鼻血論争。ぼくはこの漫画を読んだことがないので、論じる資格はないのだが、著者はこの議論百出による炎上をひそかに織り込み済みだったのではなかろうかと思う。反論というよりバッシングに近いと思われるものが、所狭しとネット上を駆け回り、いわば集団ヒステリーの様相を呈している。しかしこの議論は、まったくの小田原評定だ。「そうではない」という反論があればいつでも歓迎。
 某マスメディアの記者が、福島の高放射線区域でかなりの被曝をしたぼくに訊ねてきた。「かめやまさんはどうでした? 鼻血や倦怠感についてぜひ教えてください。そして、この論争について、実際にあの地を経験した人間としてのコメントをいただけませんか」と、やっぱりお手軽(前号参照)なものだ。
 「君自身がカメラをぶら下げて、行ってくればいいじゃないか。後先考えずにまず行ってらっしゃい。ジャーナリズムに身を置くものとして、体張って行ってらっしゃい。話はそれからでしょ」と、ぼくは意地悪ジジィになりきった。いやいや、まともなジジィだった。そして、「政府がこの問題に口を挟むということ自体が極めて異常なことで、非常に薄気味悪い。都合の悪い何かがあるから口を出さざるを得ないということでしょ。そういうことをしっかり踏まえて、君自身の目で写真を撮り、記事を書くことが本来の記者魂というものでしょ」と、ぼくはさらにまともなジジィとしての意見を述べた。

 鼻血が出ようと出まいと、倦怠感に襲われようが襲われまいが、今ジャーナリズムが優先的に取り組まなければならないことは、ぼくがこの連載で述べた「他者の存在を知る」ということと、隠蔽され続けている「事故の真相」の究明を急ぐことではないか。「他者」への思いと「真実」を真摯に追い求めていただきたい。そして、被災者(原発作業員も含む)の手厚い救済手立てを世論に訴え、動かして欲しいと願っている。
 震災直後、日本国民は誰もが「自分には何ができるか。できることはしたい」と誓っていたのではないか? 時が経てば思いが薄れていくのは世の常だが、心ある人々は少なからず存在しているのだから、喉元に再び喚起を促してもらいたいと切に願う。

 今回は別のことを書くつもりだった。読者からいただいたメールにお答えしようと書き始めたのだが、どこからか話が曲がってしまい、やっぱりボケが進行中のようだ。どうやら1段落目最終行の「ニンマリ」から怪しくなっている。ニンマリして突如方向転換したのが誤りのもとだった。

 以下に読者お二方からのメールを、許可を得て要約すると、「写真を始めて10数年(もうお一方は10年)になりますが、なかなか思うように上手くなれません。遅々として捗りません。乱暴ないい方ですが、さらなるヒントのようなものがありましたら、ぜひご教示ください」という内容。お二人とも、ありがたくも拙稿の愛読者とのこと。
 ということはつまり、ずっとご愛読いただいて、ぼくの能書きはほとんど役に立っていないということの証でもある。ぼくもそう思う。かなりの確信犯だ。発展途上人のぼくが人様にそんな大それたこと、「良い写真の撮り方」なんて論じられるはずがない。ここで開き直ってどうする。身も蓋もないよなぁ。でも、「はい、次回の連載で書きます」なんて、三百代言みたいなことをいっちゃったしなぁ。
 写真を生業にして30年、人に何かを伝えたり、教えたりすることの困難さに顔も頭もひん曲がってしまった。ついでに心も病んでしまった。ぼくの経験則による考えを、仕方がないので「糠に釘」の身内を俎上に載せ、許可を得ずして次回こそお話ししてみようと思う。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/200.html

 掲載写真は、近所をボケ防止のために徘徊しながら。Rawデータで撮影。

★「01さいたま市」。
撮影データ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。絞りf5.6、1/150秒。露出補正-0.33。ISO200。

★「02さいたま市」。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf5.6、1/240秒。露出補正-0.33。ISO400。

★「03さいたま市」。畑に転がった虫食いだらけのキャベツにぞっこん惚れて。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/90秒。露出補正-0.67。ISO200。

(文:亀山哲郎)

2014/05/16(金)
第199回:「お手軽」に効用はあるか?
 某出版社から何十年ぶりかで、写真屋としてではなく編集者としての仕事を押しつけられてしまった。立派な定刊ムック本で、この分野では高い評価を得ているが、業務スケジュールを睨み合わせるとあまりにタイトなため、発売日に間に合いそうもなく、猫の手も借りたいという状況であったらしい。「かめさん、昔取った杵柄でお願いしますよ!」と否応なく迫られた。忘れかけていた作業に、ぼくは「猫」として駆り出されることになった。
 「あの〜、わし、写真屋なんじゃけんのぉ。そげんこつばできんとですよ」と精一杯の抵抗を示そうと揉み手をしながら回避を訴えたが、ぼくの反駁に担当者は隙を見せず、手慣れた口上を巧みに操り、グイグイと攻め寄せてきた。ぼくのような気弱で純朴な人間は到底立ち向かえない。彼のさがない技には博多弁を以てしても効き目がなく、直ちに却下されてしまった。ついこの間、「博多の女性は気っ風がよくて美人が多い」と鼻の下を伸ばしていたくせに、それとこれとは別問題だと取り合ってくれる気配さえない。確かに関係ないわな。オレは猫女ではなく猫男だもんなぁ。ぼくの稚拙な策略をよそに、彼は「立っている者は親でも使え」との不心得を行使したのだった。
 第一、順当に考えれば、揉み手をするのはぼくではなく、彼のほうなのだ。長年フリーランスとして生きてきたので、クライアントにはどうしても撞着したる時に、一方的に卑屈になってしまう自分がひどく惨めで悲しい。

 不承不承の態で引き受けることになったのだが、ぼくが編集業に従事していた頃は、すべての作業がまったくのアナログだった。インタビューや取材には速記者が同行したり、執筆者をホテルに缶詰にし、徹夜で監視役を担ったり、遠方まで出向いて手書きの原稿をうやうやしく頂戴することが常態だった。アナログ=肉体の酷使という面が、今より多々あった。
 編集者が原稿を書いたり、もらった原稿に朱入れ(誤字脱字を正したり、訂正・添削し、文字数を合わせたり)することは、デジタル時代となった現在でも行われているが、昔ほどの頻度や重労働ではなく、編集作業も便利といえばそれまでだが、ぼくのような昔気質の編集者にはどこかお手軽さを感じてならない。「文明の利器」は時代とともに移り変わるものの、利器を上手に使いこなすのはあくまで人間の知恵やセンスであって、技芸の拙さを補うものではない。ぼくだって大した編集者でなかったことは素直に認めるが、昨今の編集者やライターの質の低下には目を覆う。もちろん、なかには優れた人材がいることも知っているが、総じて素人まがいである。

 インターネットなどもなかったので(良い面とそうでない面をぼくは見定めているつもりだが)、当時は情報や知見を得るためには、足で稼ぐか、自腹を切って関連書籍を漁るのが最良の方法だったし、それは今も変わらないと確信している。やはり、編集も写真も肉体の労を惜しまず使ってこそ「なんぼ」のものだと思う。

 拙稿「写真よもやま話」の連載を承った時点で、世の中の写真傾向や愛好家の動向を“多少”は知っておこうと、いわゆる「口コミ」なるものを初めて覗いてみた。立場の異なる多様な人たちが、自身の質問や見解を公に問い、語り合える場が出現したことについてぼくは非常に肯定的に捉えているし、ぼく自身“多少の”恩恵に浴してはいるものの、写真やカメラの口コミに関していえば、「喩えを引きて義を失う」(誤ったことを引き合いに出し、そこに固執するため、根本的・本質的な道理を見失うこと。無意味な比喩を弄し、真理を見失っていること)のことわざ通り、そんな例があまりに多いことにたまげ、動転してしまう。
 そのさわりを「都市伝説」として連載の初めの頃にかすめたが、「何のための文明の利器なのか」という感を強くしたものだ。労力なくして(お手軽に)得たものは、その帰結として巷説の増幅や妄言に偏りがちなものなってしまうのは、然りといえば然りなのではないだろうか。
 多種多様な意見があって、そのなかから注意深く選び抜く感覚を養いたいと思う。

 今回は前回に述べた「長文・駄文」の反省を踏まえつつ、また後悔と痛惜の念に駆られ、理性を保って適量を試みたつもり。「はぁ〜っ」とため息交じりに、「もっと書きたい!」。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/199.html

 掲載写真は、近くの日用雑貨店に出かけた際に、愛用のFuji X100Sで「お手軽に」撮ったもの。Rawデータで撮影。人物スナップの掲載が出来ず(顔が明確に写っているので)残念です。

★「01さいたま市」。
撮影データ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。絞りf5.6、1/320秒。露出補正-0.33。ISO200。

★「02さいたま市」。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf5.0、1/170秒。露出補正ノーマル。ISO200。

★「03さいたま市」。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf6.3、1/100秒。露出補正-0.67。ISO200。

(文:亀山哲郎)

2014/05/09(金)
第198回:屁理屈もどきの写真余話
 回を追うにつれ、文字の分量が増していくことに気が咎めている。ぼくの悪癖が徐々に増長し始めて、ちょっと居心地の悪さも感じている。
 昔、『悪い奴ほどよく眠る』という社会派の黒澤映画があったが、「下手な奴ほど長文(駄文)を書く」ものだと今までぼくは公言してきた。本心からそう思うが、もし他人に長文・駄文を揶揄されれば、「ソルジェニーツィン(旧ソビエト連邦のノーベル賞作家)は、たった24時間の出来事を延々と綴り、『イワン・デニーソヴィチの一日』というけれん味のない中編小説に仕立て上げ、ノーベル賞までもらっちまったんだよ」と、無理無体に減らず口をたたくのだろう。我が敬愛するドストエフスキーだって、一日の長い作家だ。長編小説『カラマーゾフの兄弟』はその典型かも知れない。
 こんなところで、偉人を引き合いにしてしまうところが、ぼくのあどけなさだ。

 無理と道理の辻褄合わせを、世間では妄言とか屁理屈などというらしいが、そうでもしなければ誰だって生きる道を狭め、窮屈この上ないことになる。余生を気楽に送ろうとするのであれば(ぼくはまだそんな歳ではないが)、屁理屈を生きる方便として愉しみ、大いに活用したほうがいい。
 人は子供の時から屁理屈を学び、やがて手練手管の老輩となっていく。子供のそれは侮りがたくも無邪気な気配があるが、老練は巧妙さが加わるのでどこか可愛げがない。ぼくは「そんなジジィになりたくはないなぁ」と常々思っている。

 物書きの本職にいわせれば、文章は人格の鏡として誤魔化しようがないということになろうが、ぼくは素人だから一時しのぎに「かすめてくらます」ことくらいはあってもいいと勝手に思い込んでいる。つまり文章を書くにあたって、自己を表現するような技術は持ち合わせていないという意味なのだが、思考の浅薄さと短慮愚蒙さはどうにも隠しきれないので、その部分だけは遺憾ながら本職の見解を認めざるを得ない。
 翻って、写真はどうかというと、文章より断然誤魔化しが利かない。“誤魔化し”という言葉が適切かどうかは別にしても、これはぼくが接した優れた物書きや詩人、陶芸家や映画監督が異口同音に指摘したことであり、あながち見当はずれのこととも思えない。

 写真は瞬間芸で成り立ち、直感(直感とは、すべてが“計算づく”であり、経験則に基づいて反射的に行動すること、というのがぼくの解釈)に左右されやすく、作りながらの修正(文章でいえば推敲)が物理的に一切できず、彼らの意見に多少なりともこれを以て加担しているのではないかとぼくは推察する。  
 これは写真が持つ他の分野とは異なる唯一の、そして特有の現象だ。作者自身と制作時間の共有が許されない。したがって、イチかバチかに賭けるスリル満点の面白さが写真にはある。度胸も必要だ。ぼくは四六時中写真に携わっているので、だからこそ写真を特別視する気持ちは毛頭なく、それどころか、客観的に、より公平に眺めようと努めている。そのほうがずっと愉しいから。
 
 文章も、絵画も、音楽も、建築も、陶芸も、他の分野のものは作品を作り上げるのに固有の時間を要するが、写真の制作時間はほとんどの場合、人間が肌で感知できない一瞬に勝敗を決し、その質が決定される。そしてまた、「偶然性」にもまったく期待できない。物づくりに「偶然性」はあり得ないというのがぼくの持論だが、「たまたま上手く撮れましてね」という言葉は、本人が敬譲を示しているか、あるいは無意識のうちに「偶然性」を信じてやまないのか、そのどちらかである。

 暗室作業にいくら多くの時間を費やし、技法を凝らしたところで、それによって作品自体の質を賄ったり、加算することはできない。敢えていうならば、暗室作業は撮影時のイメージを確保し、成就するための手段にすぎない。
 ただ、暗室作業が経験を積むに従って巧妙になり、それに頼ってしまうと歩を危めてしまう。「毛を謹みて貌(かたち)を失う」ということになりかねない。
 自戒を込めていうのだが、世の中にはそのような作品が、あまりに多すぎるように感じている。芸に頼りきってしまうと、自己の本来の必然性を忘れて、見かけを重んじるようになってしまうことには警戒を要する。見かけ倒しの陳腐なものに甘んじなければならない。創作の本質的な目的をどこかで履き違え、気づかずにいるのは悲しいことだと自分に言い聞かせている。老練と老獪とはまったく世界が異なることに、ぼくは特別な意識を置くことにしている。まぁ、老練の域に達することができるかどうかは、はなはだ疑問だが・・・。

 掲載写真は竹馬の友と蕎麦を食いに、栃木県の出流(いずる)に出かけた際に撮ったもの。自宅近辺では桜の時期をすぎていたが、当地ではまだ7分咲きといったところだった。カレンダーや絵葉書のような桜にはまったく興味のないぼくだが、自分の桜として、こんな桜もアリではないかと撮ってみた。たまにはこんな桜があってもいいじゃないか!というぼくのささやかな反抗。判断は読者諸兄にお任せする。また、その近辺にあった石灰採石場にも心を惹かれ、かなり夢中になってしまった。150枚撮ったうちの5枚(カラー写真)を“取り急ぎ”掲載。すべてPLフィルタ(偏光フィルタ)使用。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/198.html

★「01栃木市満願寺」。咲き始めた桜と新緑。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16~35mm F2.8L II USM。絞りf13、1/125秒。露出補正-0.67。ISO100。2014年4月7日。

★「02栃木市満願寺」。満願寺山門近くの7分咲の桜とかすかに見える月。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf13、1/40秒。露出補正-0.67。ISO200。2014年4月7日。

★「03出流町」。太陽を正面に据えて。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/160秒。露出補正-2。ISO100。2014年4月7日。

★「04石灰採石場」。栃木県道202号線に点在する石灰採石場。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf13、1/125秒。露出補正-1。ISO200。2014年4月7日。

★「05石灰採石場」。栃木県道202号線に点在する石灰採石場。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/25秒。露出補正-0.67。ISO250。2014年4月7日。

(文:亀山哲郎)

2014/05/02(金)
第197回:福島県「立ち入り禁止区域」再訪(22)
 4泊5日のこの旅についてはまだまだ書き足りないことが山ほどあるが、ぼくの筆力ではもうそろそろ潮時かと思っている。まとまりが悪すぎる。写真の話もあれこれとあるのだが、内輪の話になりすぎてしまうので躊躇せざるを得ない。
 「立ち入り禁止区域」のシリーズは今回で終えて、また原点に戻り写真の話をしようと思う。

 最後に、現地の人に聞いた話を二題紹介しておこう。

 初日、ぼくは投宿したホテルで早めの夕食を取ろうと食堂に出向くと、おじさんたちばかりでほぼ満席状態だった。係のおねぇさんに「夕食後、出かけなくてはならないので、時間の都合もあり相席でもいいから席を確保してもらえまいか?」とお伺いを立てた。愛想のいい、極めて仕事熱心な彼女は、おじさんたちの席を縫うように歩き回り、相席のお願いをしている風だった。相席はすぐに許可が下り、ぼくは彼女に手を引かれ(そんなわけない)るような気分で、席に着いた。3人のおじさんたちに礼を述べ食券を彼女に渡した。
 おじさんたちは歳の頃、皆そろって50を少し越えたくらいだろうか。彼らも愛想がいい。ぼくが同業者ではないことをすぐに察したようで、「どちらからいらしたのですか? お仕事は?」と丁寧な言葉遣いで質問をしてきた。ぼくは答えを返し、「みなさんは?」と訊ねた。3人は浜通りの出身で、現在除染作業に従事しているのだという。「1年ほど前まで1F(イチエフ。福島第一原発のこと)で働いていたんだがね・・・」と重く言葉を濁した。

 ぼくは、原発で働く作業員の手記などを何冊か読んでいたので、そこがどのような過酷な状況なのかおおよその見当はついていたが、それはあくまで誌面による知識であって、彼らを前に知ったかぶりをしてはならないと言い聞かせた。ぼくは自分の言葉を呑み込み、彼らの言葉を待った。
 「寝食をともにする」というが、同じテーブルで食事をしていると、人というものは初対面であっても話の内容如何で、思いのほか打ち解けたり、警戒心を緩めるものだ。かといって、こちらの関心事を無理に聞き出そうとすると、相手は口をつぐんでしまう。この話題は、政治的にも社会的にも難しい問題が絡んでいるので、なおさらだ。部外者のぼくには難しい匙加減が要求される。残念ながらぼくは、「それとなく」聞き出すという話術を知らない。しかし、ぼくは困惑しながらも誘惑に抗しがたかった。
 自身の不器用さを嘆きつつも、思い余って、まず箸初めの質問から始めた。「なぜ1Fから除染作業に移ったのですか?」とおじさんの目を見据えて直裁に聞いてみた。おじさんは隣席の仲閧ニ一瞬目を合わせた後、「なぜって・・・、これがいいからね」と親指と人差し指で輪を作って見せた。「へぇ〜、そうなんですかぁ」とぼくはとぼけた。「だとすると、1Fの作業員は放射線のリスクもあるし、今後人員確保が大変ですね」と続けた。
 仲閧フ1人が割って入り、「現場のことなど何も知らない上の人たちが、頭の中だけで勝手な工程表なんか作っているけれど、土台無理な話なんだよね。これからは、作業員が足りなくなって、予期せぬ事故もたくさん起こり、工程表の2倍くらい時間がかかるのは目に見えている。熟練の作業員も被曝限度を超えていなくなるし、はっきりいってかなりやばいね」と一気呵成に言い切った。その言葉は、ぼくの思い描いていた現実に対する厳しさと軌を一にしていたので、暗澹たる思いに襲われた。立場の異なるぼくらは、もうこの話題に口を閉ざしたが、初対面で彼らの口からこのような言葉を聞けるとは思っていなかったので、意外や意外というところだった。

 3日目、やって来た仲閧ニぼくは空腹を抱え、「ビール、酒、焼酎、もうこの際なんでもいい」と烏合の衆のように叫びながら居酒屋に繰り出した。「この際」とは、特段の意味はないのだが、見知らぬ土地で、大挙し勢い込んで出かけるわけだから、一人ひとりの好みなど斟酌していられないという意味だ。2台のタクシーに分乗し、運転手の言に従い連れて行かれた居酒屋は、前日の高級居酒屋とは打って変わり、極めて大衆的な居酒屋だった。皆の顔に一瞬暗い影が射したが、「この際」なんだから仕方なかろう。
 注文を取りに来た無愛想の極みのようなおばさんを一見し、ぼくはみんなに悟られぬよう、こっそりと腹をひくつかせた。そして、おばさんを見れば見るほど、ひどくひくつかせた。同時に、「この際」などという言葉を不用心かつ無分別に使ってしまった報いを受けたと思ったのである。
 こんな素気なくぶっきらぼうな人が客の前に姿を現し、注文を取りにくるということ自体が、ぼくにとって前代未聞の出来事であり、まして接客業として日本ではあり得ないことで、本当に様々な人間が存在して世の中は斯く斯く左様に成り立っているのだという実感が押し寄せてきた。そのような稀覯(きこう。「覯」は、思いがけなく会う意。容易には見られないこと。広辞苑)な方とこの地で巡り会ってしまったのだ。しかし、腹をひくつかせながらも、彼女のこの上ない無愛想さに、もしかしたら、ぼくはどこか迂闊さを託っているのではないか、ひくひくしている場合ではないのかも、という疑念を抱き始めた。
 元来陽気だった彼女は、震災によりこのような心的状態に陥らざるを得なかったという可能性だってある。事情あってのことかも知れないし、稟性のものかも知れない。ぼくは後者であることを願い、きわ立った無愛想さを彼女の人格として尊ぶことにした。しかしながら、誰もが吹き出しそうになるほど彼女は無愛想そのものだった。当ての外れた居酒屋だったが、そこに救いを見出したような思いだった。

 帰り間際、ねじり鉢巻きをした店主の大将に「もう住民はかなり戻って来たのですか?」と訊ねた。大将はぼくの問いには答えず、ぶっきらぼうに「ホントはよぉ、もう店を終いたいくらいだよ。でも、地元の知り合い連中が『辞めるなよ』ってうるさいんだ。オレは、辞めてえんだよ。もう辞めてえよ」と訴えかけるようにいった。
 おやじや住民の心情を表すには十分すぎる答えだった。ぼくは無表情を装い、のれんを払い、迎車の待つ外に出た。初秋の浜通りの夜風は、どこかチクチクとぼくの頬を刺した。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/197.html

★「01浪江町請戸」。一見きれいに見える自転車だが、錆とゴムの腐食が2年半の月日を物語る。自転車だけが浮いて見えるのはなぜだろう?
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16~35mm F2.8L II USM。絞りf7.1、1/100秒。露出補正-2。ISO320。2013年11月11日。

★「02浪江町請戸」。地震により倒壊。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf10、1/25秒。露出補正-0.33。ISO200。2013年11月11日。

★「03南相馬市小高区」。南相馬市小高区は最も激しい津波に襲われた地区。どこからか流れ着いた自販機が粛然と立つ。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf10、1/80秒。露出補正ノーマル。ISO100。2013年11月12日。

★「04南相馬市小高区」。南相馬市小高区の民家。掛けられた写真は家人のありし日の雄姿。ズッキッと胸が痛む。高校生だろうか? 生き残ったのだろうか?
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/20秒。露出補正-0.67。ISO320。2013年11月12日。

★「05浪江町市街」。みたび浪江町へ。時計は地震のあった時刻を示し、時を止めている。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf8.0、1/60秒。露出補正-2.33。ISO100。
2013年11月12日。

★「06浪江町市街」。街中で見た最も大きなスナック店。何10年か先、「おじいちゃんのアルバムを整理していたら、こんな色褪せた昔の写真が出てきたよ。昔の浪江町はこんなんだったんだね」と、そんな時代が再び蘇ることを祈って。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf13、1/200秒。露出補正-0.33。ISO100。2013年11月12日。

(文:亀山哲郎)

2014/04/25(金)
第196回:福島県「立ち入り禁止区域」再訪(21)
 原発事故は、放射能汚染、住民避難、その他それに関連する非常にデリケートな問題を多く包含しているので、いつもハラハラしながら読んでいるという心配性な友人もいる。原発事故を忘れ去る、あるいは早く葬り去り、なかったことにしてしまいたいと画策する組織や団体の一派が確かに存在するらしい。重々承知だが、あまりにバカバカしい。

 読者諸兄と一緒に考えてみたいと願うぼくの目的を達成するための現場の状況説明は、ぼくの文言と語りだけでは未だほど遠く、とても十分とはいえない。ぼくの効能書きは別としても、その不十分さを埋め合わせるためにできるだけ多くの写真を掲載して、お役御免を蒙りたい。

 原発に隣接する栽培漁業協会は、事故から2年3ヶ月を経た第1回訪問時、30μSv/h前後というかなり高い線量を示していた。あれから約半年後、つまり今回は半分近くに減衰していた。原因は分からないが、我が家の約200倍もあり、ここで仕事に従事できるような環境では到底ない。年間約130mSv被曝することになってしまう。法律では年間1mSvと定められている。
 放射線の半分は消失したのではなく、どこかに拡散し、絶対量が変化しているわけではないとぼくは考える。あちらこちらに気ままに浮遊し、積もっては巻き上げられ、場所を移動しながら再び積もるのだろう。完全な廃炉となるまでは、放射線核種の粒子が何十年も放出され、舞い続けるのだ。加え、高レベル放射性廃棄物はどこで、どう処理されるのだろうか? 
 風化という名の下に、そしてマスメディアの世論操作とともに、背筋の凍るような現実と得体の知れぬ魑魅魍魎(ちみもうりょう)が、人々の記憶から早々に失われていくのは、世の習いである。

 栽培魚漁協会を後にしたぼくらは、原発全体が見渡せる高台に案内された。ここも訪問希望地のひとつだったが、この地点を探り当てるのはよそ者のぼくらには敵わず、土地勘のある彼らに頼るほかない。曲がり曲がった行く手には倒木が横倒しになり、それをそろりそろりと避けながら丘の頂上に辿り着いた。車を止め、案内諸氏は建物の裏手に回り「こっち、こっち」とぼくらを誘導してくれた。原発より約2kmの地点だ。頂上からは原発の全貌が雨に煙って姿を見せた。雨脚が強くなったが、誰も気に止めることなく撮影を始めた。ぼくは今回ここで始めてレンズ交換という厄介な手続きを踏むことになかった。さすがに、超広角ズームではいかんともし難い。
 雨に煙る被写体は味わいがあるが、撮影技術と暗室作業はかなり難しい。予期せぬ雨は予期せぬイメージを要求してくる。とっさに思いついたイメージに従い、ぼくは望遠ズームで画角を変え6枚ばかり撮った。それで十分だと思った。
 帰京し、その画像を見てぼくは「ギョエ〜ッ!」と叫んだ。中央部の狭い範囲はなんとか規定の解像度を示しているものの、それ以外はボケて歪み、もうメタメタ。ぼくが普段から最も信頼を寄せているレンズだったので、そのショックにしばらく声を失ってしまった。15群20枚のレンズ構成だが、どこかのレンズのたがが緩んでしまったらしい。持ち主に似てしまったのである。肝心な時に故障してしまったデクノボウ・レンズでもあった。要修理、要再撮。残念ながら原発全景写真は掲載できないことになりました。ぼくではなく、レンズがデクノボウなのだ!

 丘を下り、浜通りの交差点で案内をしてくれた職員諸氏に篤く礼を述べ、別れを告げた。ぼくらは遅い昼食を取るために南相馬に戻った。頑なに「花より団子」を主張する強直・強面な女衆も、腹を満たし、おしとやかとはいえないまでも、徐々に女らしい柔らかさを示し始めた。目尻を下げて、口元を緩め、ニコニコしている。高レベル放射線を浴びたことなどどこ吹く風だ。まことに現金なものである。彼女たちが眉間にしわを寄せるのは空腹を訴える時だけであり、満腹時は、美味礼賛しながらこの世の春を謳歌することに徹し、彼女たちはいつ物事を深く考えたりするのだろうか? 女人を同じ人間などと思ってはならない。
 「雨も上がったようだし、これからどこに連れて行ってくれるのよぉ〜」と、ベルトを緩めながらせっついてくる。満腹女人たちは、これから撮影という知的作業に挑むのだという自覚を完全に失っている。
 「請戸」、「地震で崩れた家屋」、「陸(おか)に打ち上げられた多くの船」、「流失した家屋の痕跡」と、ぼくは矢継ぎ早に助動詞抜きで答えた。別に機嫌が悪いわけではなく、彼女たちに、ぼくの失いつつある威厳をここで取り戻しておきたかったからだ。助動詞の乱用は、時として、相手により、へりくだっていると解釈されることがある。

 検問を通り抜け、請戸地区に入り、しばらく行くと覆い被さるような真っ黒な雲が立ちこめるなか、一条の夕陽がスポットライトのように山々を照らし出した。こんな鮮やかな光と見事なコントラストは何年ぶりのことだろうか。紅葉の山々がまるで何色もの色セロファンをかけたように美しく発色し、次から次へとうねるように浮き上がってきた。雨上がりで空気中の塵芥が洗い落とされ、見事な透明感を醸していた。まるで、夢見心地。
 居ても立ってもいられない我々は、我先にと車から飛び出し走り出した。普段から冷静を装うIさんは、息をゼーゼーと切らし、言葉を詰まらせながら「こんなに勢い込んで走ったのは、何年ぶりですかね。苦しい」と膝を折り、夕陽を追いかける子供のような顔を見せた。さらに冷静を装う元美術教師のAさんは空腹時には口を尖らせ、ニコニコするのは酒と好物がテーブルに運ばれてきた時だけなのに、この時ばかりはどこかに吹っ飛んで姿をくらましてしまった。どんな表情をしていたのか、永遠の謎だ。誰もが雲の間から射す気まぐれな光を逃すまいと、必死の形相で、まさに右往左往。蹴散らしたように誰もいなくなってしまった。
 それでも、ぼくは無意味な威厳に固執し、この期に及んで腕組みなんかしちゃって、雲のまにまに見え隠れするお天道様の行方を仰角鋭く睨みを利かせ、じっと測っていたのだった。

 全員が美しいカラー写真を撮っただろうが、ぼくは大人の意地を張り、やはりモノクロで孤独な威厳を示さなければならなかった。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/196.html

★「01浪江町請戸」。おどろおどろしい雲の間から射す光に、津波により運ばれた船が浮かび上がる。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf11、1/200秒。露出補正-1。ISO100。2013年11月11日。

★「02浪江町請戸」。津波により生き残った陸前高田の松は有名だが、その類のものはあちらこちらに見られる。本物のスポットライトを受けたかのように、生き残りの樹木が1本、鮮やかに浮かび上がった。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/250秒。露出補正-1.33。ISO160。2013年11月11日。

★「03浪江町請戸」。床と土台だけが残された家。周辺には同じようなものが点在している。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/125秒。露出補正-1。ISO160。2013年11月11日。

★「04浪江町請戸」。請戸港の最も大きく頑丈な建造物。相馬双葉魚協。半月が見える。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf9.0、1/200秒。露出補正-1.33。ISO100。2013年11月11日。

★「05浪江町請戸」。リサイズ画像なので分かりにくいが、実画像では4艘の船が見える。月が次第に大きくなっていった。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf9.0、1/50秒。露出補正-0.67。ISO160。2013年11月11日。
(文:亀山哲郎)