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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2015/02/27(金)
第237回:写真は引き算
 今、ある企画のためにWeb原稿を書かなければならず、四苦八苦している。四苦八苦というより、きりきり舞いをして、自分の身体が浮き上がり着地点が見出せず困窮の態。まるで竜巻に巻き上げられたかのように(そんな経験はないが)天地左右に体が回転し、すっかり平衡感覚を失ってしまった。「風に舞う木の葉のようだなぁ」とこっそり嘆きながらも、一向に折り合いがつかない。
 テーマに思い入れがあり過ぎて、あれもこれも説明したがり、ひいては目的を見失い、牛の反芻胃のようにだらだらとして切れが悪い。ヨダレが切れないのだ。だから素人はダメだ、おれは牛みたいだなと、やはりモウ一度嘆いてみる。
 どこがダメなのか、自分で薄々感じ取っている分、なおさらに居心地が悪い。それは、疑心暗鬼という不純物を生み出し、その毒素のおかげで堂々巡りをしている。

 弱り果てたぼくは、昵懇の間柄であるその手のプロフェッショナルにお伺いを立てることにした。彼は広告業界で数々のプレゼンテーションをこなし、実績を積んできた人でもある。ぼくは彼のセンスと読みの力を高く評価しているので、素直に原稿を差し出した。
 開口一番、「エッセイや散文ならこれでいい。だがこのWebページの目的は、“読ませる”のではなく、“見せる”ことによって訪問者を呼び込み、共感を得ることにあるのだから、かめさんの写真を前面にドーンと出せばいい。第一、文章が長すぎて、活字媒体ならいざ知らず、Webに来た人たちは最後まで読まないよ。彼らはあくまで“見る”のだよ」と明解に語ってくれた。彼はブラックホールに呑み込まれつつあったぼくを、いとも簡単にすくい上げてくれたのだった。

 期するところ多々あったのだが、彼がぼくに語ってくれたことは、ぼくが写真評をする時にいつもオーム返しのようにいっている、その言辞そっくりだったから、面白くもおかしい。
 曰く「写真は引き算」、「主題は何か」、「余分なものは画面から排す」、「あれもこれも説明しようとするから主題がぼける」、「写真はとどのつまり一つのことしか表現できない」、「象徴的なものを注意深く嗅ぎ分け、それに注力すること」、「もっと簡潔に」などなど。
 これらの言葉を発する前に、ぼくは儀式のように一旦ため息をつき、嘆いてみせるのだ。そして、その写真に写った過剰な部分を手や紙で覆い、慎重に消し去って見せ、撮影者を納得させる。
 「これで、ずっとよくなったでしょ。よい被写体を見つけましたね。でも、トリミングをしなければならない写真は、その時点ですでに失敗作」と、剛柔取り混ぜながら、飴と遠慮がちな鞭を使い分けている。そこで、ぼくはもう一度フーッとため息を漏らしてみせる。
 ぼくの歎息交じりの繰り言を聞かされる彼らは、一矢報いようと、「かめさんのメールはさぁ、長すぎるから最初と最後の3行だけ読むことにしてるのよね。みんなもそうよねぇ〜」とぼくを睥睨し、得意気に一同の代弁を買って出るのだ。年不相応に、とうの昔に過ぎ去った反抗期を演じて見せ、たわいなくも、してやったりという顔をしている。

 彼らの写真を見ながら、同じ過ちを繰り返さぬようにするには、何をどう伝達して、どのような指導をすればいいのか? とぼくは常に考える。これは、自分にとっても永遠の命題に違いなく、実際のところ「言うは易く、行うは難し」だ。

 いつだったか、拙「よもやま話」で、“被写体をよく観察する”ことについて、絵の上手い下手ではなく、“写生の勧め”を説いたことがある。それに従えば、写真を撮ろうとカメラを構えた時に、どこか1点に視線が集中していることに気づくのではないか。漫然とファインダーを覗くのでなく、発見したもののどこに自分の視線が最も多く注がれているのかを認知することが必要。
 ぼくはかつてそれを意識して撮る訓練をしたものだ。主被写体をど真ん中に据えて、ファインダーの四隅にも神経を配りながら撮ってみる。おかしな色気を出さず、要らぬものは潔く四隅から外す。できあがった写真は面白くもなく、退屈なものだが、そんなことを何千回も意識的に繰り返しているうちに、主被写体を取り囲む脇役たちの姿が見えるようになってきたように思う。脇役との有機的な関連が見えてくれば、画面に配された物の取捨選択が自然と可能になるような気がするのだ。
 そして、大切なことは「自分のために撮る」ことだ。他人が自分の作品をどう見るのだろうかと、そんな余計な斟酌など一切してはいけない。しばしば展示会などで、「見せてやろう」という底意丸見えの写真にお目にかかることがある。そのような意図的で企みのある写真を前にすると、首をうなだれ、意気消沈し、ぼくも意図的に深い深いため息を漏らしてみせるのだ。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/237.html

 掲載写真が、今回のテーマ「写真は引き算」を具体的に示したものではなく、5段階評価の自己採点では、3.8といったところか。

★「01」。28年前の写真。ロシアの田舎町の食堂で。厨房に入り込んだぼくは、従業員の食べていたウズベキスタン風焼き飯をカメラでかすめ取った。タングステン光下。
ライカM4。ズミルックス35mm F1.4。コダクローム64。ISO64。

★「02」。猫の昼寝。シャッター音がしたとたん、すまなそうに階段を駆け下りて行った。画面を手すりで二分。
EOS-1DsIII。EF28mm F2.8 USM。f8.0、1/40秒、ISO100。露出補正-1。

(文:亀山哲郎)

2015/02/20(金)
第236回:写りすぎなんです
 電話口のしゃがれ声が、「かめさん、“便利なプリセット機能”とあったが、最後の4行だけであっさり済ませてしまったね。前振りを延々とやって、なかなか本題に入らない、そういう厚かましい噺家がいたけれど、あんたもやってくれるもんだ」といってきた。褒められているのか責められているのか、正体不明だが、「これは次回に(今回)につながる話なんだよ」と、取り繕うようにやり返した。本当に、今回につながるのだろうか? 取り繕う、というのは先を見通さずの間に合わせで、その場限りのことっていう意味だからなぁ。

 歳をとるにつれ、人は徐々に子供に返っていくといわれる。どのような意味合いをもってそういわれるのか、おおよその見当はつくが、その見当に従えば半分は当たっている。子供というものの概念を自分の規範に照らしてみて、“半分は当たっている”という意味だ。
 子供と老人の共通項のひとつは、個人と社会の境界線が、湯に浸した指紋のように、ふやけてあやふやなことだ。時によっては、身の置きどころのないような素振りをしながら、ちゃっかり異様な存在感を誇示しようとする。なんとも子供じみた(老人じみた)現象だが、身内でなければ面白い。
 身内であれば、わがままが増幅するので疎んじられる。しかし、内と外との道徳的へだてのない天衣無縫は、人間的には貴重なものだ。ぼくは、天衣無縫・天真爛漫なジジィを目指したいが、それだけでは写真も「アッパラパーのお天道さま丸出し写真」(どんな写真か想像できますか?)になってしまうので、そこには年相応の思索的深化が伴っていないといけない。

 擦り切れた畳がたっぷりと湿気を吸い、カビをふくみ、ぶよぶよと波打ちながらも、家族の一員として何か役立つことを健気に模索するその風情は懐ぶかく、畳としては上出来で、とてもいじらしい。ぼくはまだ使い古しの畳の域に達していないが、家族の話によると、ガンコ症候群が昂じ、「先が思いやられる」のだとか。悲哀こもごも到るところだが、家人は、ぼくのガンコは必然あってのものだということに頭を働かす気配もなく、だから面白くない。
 家族総出で、ぼくの近未来を見据え、やまい昂じたところの「ガンコ呆け」を案じている。94歳の老女を抱えたぼくは、呆けの真髄を心得ているので、彼らに向けて「ガンコに呆けてやる!」という伝家の宝刀を抜こうとするのだが、しかし、この殺し文句は使いすぎると効力を失い、ついでに物笑いの種となり、取り合ってもらえない。新鮮味を保つには、1年に1度くらいの使用がちょうどよく、これからは常用に耐えるような、さらに気の利いた名文句を見つけ出さなければならない。

 「先祖返り」ならぬ「子供返り」を、ぼくは今写真について、しきりと模索している。現代の写りすぎるデジカメにやきもきし始めているのだ。そのやきもきを払拭するために、すべてを一旦仕切り直して、自己改革というか自己革命を起こさないといけないと思い始めた。デジカメのせいじゃないね。
 「何を写すか」から「何を写さないか」への発想の偉大な転換が必要だし、そのためには何をなすべきかを、今年の大きな命題に据えようと思っている。まだ呆けとは縁遠い。
 
 昨年末、たまたま撮影に同行したK君に、「あれっ、かめさん、ファインダー覗かずに撮てますね」といわれ、ぼくはハッとした。カメラのモニターを見ながら撮る今のあのスタイルをぼくは拒否しているので(他人はどうぞご自由に)、どうしたってファインダーに頼ることになるのだが、無意識のうちにそれを放棄していたのだった。いわゆるぼくの忌み嫌う「ノーファインダー」というもので、それを自慢気に語る写真愛好家をぼくは蔑んでいる。相手に気づかれずに撮るための姑息な撮影方法だとぼくは決めつけている。だから、それがどんなに重宝な技法であれ、ぼくは決して使わない。ほらっ、ガンコでしょ。
 
 彼にそう指摘されて、「いちいちファインダー覗くのが億劫なんだわ。今日はなんだかそんな気分だよ」と返した。「歳なのかな」と、心にもないこともつけ加えておいた。
 喉のあたりまで重たい一眼レフを持ち上げ、確かにその位置でぼくは時折シャッターを切っていた。何かが、知らず識らずのうちに、子供への回帰願望をともないながら皮膚の下で化学反応を起こし、寒風に吹かれながらも、うごめき始めたのかも知れない。ぼくはこの皮膚感覚を温存しなければいけないという思いにとらわれた。
 今まで、あまりにもこまごまと、窮屈に写真をとらえてすぎていたのではないかと顧みる余裕が生まれたのだろう。事のこまごまとさまざまを、この機に忘れ去ってみよう、写真を撮るって、そんな大層なことじゃないだろうとの思いに至った。首を洗って観念せいと、ぼくの背後霊は訴えているような気がする。
 
 かつて一世を風靡した「ブレボケ写真」を踏襲しようとは思わないが、今写真の鮮鋭な描写より、指紋のふやけた写真の心地よさのほうに、ぼくの気持は傾きかけている。手ブレ、ピント外れ、露出補正、ISO感度などなど、そんなことに頓着せず、子供時分にカメラをぶら下げて無心に歩いた道を、もう一度辿ってみようと思っている。そのうちに何かがひょんな具合に表出してくればしめたものではないか。上手くいこうが、そうでなかろうが、それは問題ではないはずだから。
 しかし、「こんな撮り方をしてはいけない」とぼくはいうのだろう。「オレはいいけれど、あんたはダメ」と。都合に合わせて、子供を演じたり、ガンコジジィになったり、ぼくはぼくで忙しい。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/236.html

 夜の9時半に散歩に出た。35分歩いて、188枚の粗製乱造の未完写真。「こんな写真のどこがいいのか?」との声が聞こえてくる。「はい、仰せの通りであります」。「写真は丁寧に撮りなさい」がぼくの口癖。うちの生徒たち、みんな辞めちゃうかもなぁ。

 Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。絞り、すべて開放f2.0。露出補正すべて-1.33。ISO800〜1600。フォーカス5mに固定。
 ちゃんとファインダー覗いて撮ってます!

★「01」。写りすぎです。これがいやなんだ。
★「02」。もっと曖昧さが欲しい。
★「03」。首を意識的に外して。
★「04」。歩きながらなので、ブレてます。
★「05」。これも歩きながらの横着です。

(文:亀山哲郎)

2015/02/13(金)
第235回:便利なプリセット機能
 写真の商売人でありながら、ぼくは昨今のカメラ事情にとても疎い。得てして商売人とはそんなものなのだろう。新しく開発されたカメラに興味がないわけではないが、使用中の商売道具に不満や不備がなければ、それでいい。多少古かろうが、肉体の一部と化し、慣れ親しんだものを手放す恐さもある。撮影はほとんどの場合やり直しがきかず、不慣れな道具を使って「こんなはずではなかった」といってもあとの祭りだ。
 “新しもの好き”のぼくも60半ばを過ぎて、浮気心が沈静化しつつあるのは、ものの道理として正規の手順を踏んでいるのかも知れないが、しかし生憎、煩悩から解き放たれたわけではない。
 煩悩を失えば写真を撮る必然性もなくなり、必然性がなければもの作りの意味をなさない。この理屈を理解しようとする人々は、あまりに少ない。
 煩悩は生の証であり、生への異変や諦観の気づきとともに菩提はやってくるのだとぼくは解釈している。いい方を変えれば、我々の生活空間には、森羅万象さまざまが這い出し、ひしめき合い、無数が輻輳するなかで、我々の心からも無数の情智が放出されるそのさまを、ひとり粛然と離れて鳥瞰する時、どうにか煩悩の絆(ほだ)しからの開放を得る。それではもう、写真は用をなさない。

 「子煩悩」があれば「カメラ煩悩」があってもいい。アナログの熟成したひとつの代表的な形態であったフィルムカメラは、設計さえしっかりしていれば擦り切れるまで使うことができた。日進月歩の著しかった(すでに過去形)デジタルカメラも、2年ほど前にぼくのなかでは頂点を迎えた。頂点というより、一応の終着点といってもいいが、「これ以上の性能も機能も欲しない」という心境を得た。
 産業に基盤を置く科学という貪欲は、行き着くところまで行こうと意欲を燃やすのであろうが、消費者がその意欲に一つひとつ忠義立てしていては、立ち位置を見失い、足元をすくわれかねない。無駄な出費もかさむ。
 しかし、デジタルは発展の予兆がまだまだあるように思われる。画期的なものが出現すればやはり胸が躍り、煩悩にまみれてしまうのだろう。心のなかと外を、葛藤が足早に行き交うことになる。たまったものではない。

 ぼくの見立てでは、写真を撮る人たちが最も興味を示すものがカメラではないかと思う。カメラあっての写真なのだから、それはもっともなことだ。 
 今のカメラは誰が撮ってもちゃんと写っちゃうから、ぼくのような古参の写真ジジィ(本人は“ジジィ”という意識がまるでないので、意気揚々とした煩悩まみれの“壮年ジジィ”ということにしておく)は、世の習いを素直に受け止めのるが賢い。写真を始めたばかりの人たちに、幼子の手を引くようなほっくりした思いを抱けぬことだけが淋しい。
 加えて、暗室作業の大切さをアナログ時代ほどに説けぬことも、莫々とした思いを誘う。暗室作業をあまり強調することにも自制がかかり、躊躇してしまう。せっかく写真に興味を抱き始めた人たちに、暗室作業を施した写真がより価値のあるものだとの錯覚を与えてしまっては、元も子もなくなる。
 写真そのものの持つ本質的なクオリティは、補整(暗室作業)したものであろうがそうでなかろうが、変わらないというのがぼくの持論だ。良い写真は、撮りっぱなしのものでも、精魂込めて補整したものでも、写真自体のクオリティは変質しない。

 今までさんざん暗室作業の大切さを説いてきて、ぼくの意見は矛盾を来していると感じる向きもあろうが、その意図は別のところにある。この件については機会をみて、コッテリとお話しできればと思っている。

 Photoshopの機能を取り上げて話を進めることについても、実はちょっとした抵抗がある。Photoshopは確かに暗室作業の世界的基準ソフトではあるが、この高価な、文化包丁のようなソフトは写真愛好家にとっての必需品だろうか? 
 この答えはぼくには出せないが(逃げているわけではない)、暗室作業を説明するうえでどうしても頼らざるを得ず、そこのところ、どうかご了承を賜りたい。
 ぼくはバージョン4.0から使い始め、現在使用中のPhotoshop CC2014はバージョン14.0に相当する。新しいバージョンが発表されるごとに購入したわけではないが、バージョンが更新される度にかゆいところに手が届くように、便利な機能が追加されたり、同じ結果を得るのに数手間も省けたりするものだから、商売道具としては労力と時間を大幅に節約でき、背に腹はかえられず、出費を強いられるのは仕方がないと諦めている。それはあたかも年貢米のようなものだ。
 
 今回はPhotoshop CCの便利でお手軽な機能をとしてのプリセットをご紹介する。106通りのプリセットが備わっているので、遊びとしても面白い。
 Photoshopを持ってない方には、1ヶ月限定の無償体験版をぜひお試しいただければと思う。

 手順を以下に。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/235.html

★画像をPhotoshopで開く。JpegでもTifでもPsdでもよい。
★メニューバー/フィルター/Camera Raw フィルター を選択すると添付画像「01」が出るので、赤線を引いたボタンが「プリセット」。現れたプリセットを順次クリックすると画像が瞬時に変化する。
★どのように調整されたかを知るには、添付画像「02」の赤線を引いたボタン「基本補正」をクリックする。「基本補正」ばかりでなく右隣に配された各ボタンをクリックすると、必要に応じた補正の数値を知ることができるので、随意細かい補正が可能となる。とても重宝なプリセットだ。

 さまざまなプリセットで得た画像の美味しいところだけをいただく(レイヤーを重ね、マスクを作ってブラシで削り取っていく)という横着なことをしても、もちろん構わない。いや、これがこのプリセットの有用な使い方かも知れない。

 上記のプリセットで作成した画像をいくつか重ねて、真剣に遊んでみた。いずれの写真も信州安曇野で。

★「03」。車の車窓から。
★「04」。夕陽が鏡面仕上げの墓石に反射。
★「05」。トンビが不意に現れ、反射的にシャッターを。
★「06」。暮れゆく安曇野の里。
★「07」。安曇野、最後のカット。

(文:亀山哲郎)

2015/02/06(金)
第234回:セピア調色(2)
 前号で、ウォーカー・エバンスのセピア色に魅了された経験をお話ししたが、今セピア調色を試みるにあたって、それを参考にしようとは思わない。その写真集は今手元から失われているし、それは40年前の残像でもあり、良き思い出を大切にしたいという気持が勝つからである。
 若気の記憶や思い出というものは、歳とともに美化されていくか風化していくのが通常で、写真であれ、絵画であれ、映画であれ、映像の実体は常に逃げ去るものだということをぼくは知っている。
 現在の感覚をもって、エバンスの映像が40年前となんら変わりない感動を呼び覚ますという保証はない。そんな危険な賭に出る必要もないだろうし、冒険してみる価値があるとも思えない。自分の培ってきた現在の感覚を後生大事にとはいわないが、進歩・発展を信じて、今後のよすがとしたほうが、より建設的なのではないだろうか。古きに固執するより、これからを見据えたほうがいい。

 かつて見たカルチエ・ブレッソン(フランス。1908〜2004年)の名作『サン=ラザール駅裏』を、ぼくは長年横写真だと思い込んできた。数年前、その作品に再会し、実際にはそれが縦写真であることに慌てふためいた。ぼくは長きにわたって頭の中でその作品を、何度も繰り返し横写真として鑑賞してきたのだった。写真を撮る際にも、その映像をしばしば頭に思い描いていたのにである。子供の頃に見た印象深い絵画もまた然り。
 世の中の美は、ことごとく自分の都合により、置き換えられていくものだということを確認した瞬間でもあった。映像とは、記憶とは、それほどあやふやなものなのだ。

 議題のセピア調色だが、それはさまざまなソフトに既存のものとして付属している場合が多く、それを利用するのが最も手っ取り早い。
 またセピア調色を試みようとする多くの方々が、おそらくカメラ購入時に付属しているソフトを頼りにされるのであろうと推察する。実際に読者諸兄の何%くらいが、Photoshopを使用されているのか知る由もないのだが、ここでは最も汎用なPhotoshopを使い解説をすることにする。
 Photoshopには「アクション」に「セピアトーン(レイヤー)」が付属しているので、それを活用するのが便利だし、色味や濃度も細かく加減できる。
 以下に手順を記す。

1.モノクロ画像をPhotoshopで開く。
2.メニューバー/ウィンドウ/アクションから、「アクション」のウィンドウを出す。
 添付画像「01アクション」参照。
3.添付写真「01アクション」から「セピアトーン(レイヤー)」をクリックしアクティブの状態にする。
 ウィンドウの最下段にある三角マーク(赤線で記した部分) を押せばいいだけ。
 アクションが動作して、いくつかのウィンドウが現れるが、何も書き入れずに
 「OK」ボタンを押していく。そうすると、モノクロ画像が見事なセピア調に
 なって再現されているのがお分かりだろう。
4.メニューバー/ウィンドウ/レイヤーから、「レイヤー」のウィンドウを出す。
 添付画像「02レイヤー」参照。
 セピア色の濃度が濃すぎると感じた場合は、「レイヤー」にある「色相・彩度」が
 アクティブになっていることを確認し、赤線を引いた「不透明度」の数値を変化させ
 ればよい。「不透明度」を濃度の加減として使用する。
 色味を変化させたい時は、「02レイヤー」上部にある「色相・彩度」から、「色相」
 のスライドバーを左右に動かせば、セピア色ばかりでなく、さまざまな色調に無段階
 といっていいほど微妙に変化させることができる。

 これはほんの一例だが、最も簡便かつ広範囲に応用できるセピア調色のかけ方だ。

 そしてもう一例、アクションを使用しない方法をお伝えしておこう。こちらのほうが、レイヤーをつけたまま保存 ( psdやtif ) するのであれば(後に一旦仕上げた画像を再度如何様にも調整できる)、容量が少ないのでお勧めである。ちなみにJpeg保存は後でやり直しが効かない。

1.「レイヤー」ウィンドウの最下段にある「調整レイヤーを新規作成」の
 プルダウンメニューから「色相・彩度」を選ぶ。添付画像「03調整レイヤー」参照。
2.そうすると、「色相・彩度」のウィンドウが出る。
 添付画像「04セピア・プリセット」参照。赤線を引いたプリセットのプルダウン
 メニューから「セピア」を選択すると自動的にセピアとなる。添付画像はデフォルト
 の数値で、アクションを使用したものと酷似しているが、アクションでのセピアは
 色相が30であるのに対し、こちらは35となっている。この数値から、わずかに黄色
 に傾いていることがわかる。この数値を30に打ち替えれば、アクションで作成した
 セピアとまったくの同色となる。

 この方法もアクションで作成したセピア同様、微細な調整が可能だ。双方とも極めて便利で、カメレオンのように自在に色や濃度を変えることができるので、ぜひお試しあれ。

 前回登場したAさんに、ぼくは今回のこの二つの方法を伝えなかった。彼女はきっと再び口を尖らせてぼくに突っかかってくるに違いない。「親の心子知らず」だ。ぼくの伝えた方法はもう少し繁雑である代わりに、今後の応用を見据え、期待できるものがあるからである。文頭で「進歩・発展を信じて、今後のよすがとしたほうが、より建設的」と、ぼくはいったばかりだ。

 前回掲載したセピアのおばあちゃんを、100年の経年変化により周辺の褪色したものに仕上げてみた。古色蒼然とした雰囲気写真を作ることも100年に1度くらいのものか・・・。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/234.html

★「01アクション」
★「02レイヤー」
★「03調整レイヤー」
★「04セピア・プリセット」
★「05昔の写真が出てきた。」

(文:亀山哲郎)

2015/01/30(金)
第233回:セピア調色(1)
 「調色」と一口にいってしまうのは簡単なことだが、実はここだけの話、ぼくは今までそれほど調色に関心を持ってこなかった。フィルム時代からプリントに心血を注いできたつもりだが、調色を極めて有効な表現手段と認めつつも、常に他人事のように感じてきた。
 今ここで、改めて「調色」を取り上げようとの一大決心をしたのは(どうしてこんな大仰な物言いになってしまうのか)、うちの倶楽部のメンバーAさんがモノクロ写真にセピア色をかけて勉強会に持参したことに起因する。

 やはりここだけの話、彼女のセピア色はぼくの感覚からすると、少し黄色が強すぎて、絵柄とのマッチングが取れていないような気がした。気の弱いぼくはそれを指摘することができなかった。
 しかし、そんな気配を鋭く察知したかのように、彼女は口を尖らせ、ぼくに「セピアを上手くかける方法を教えなさい!!! あ〜た、私のセピアに何か不満を持ってるでしょ!!!」と、ビックリマークを満載し、幽鬼もどきで迫ってきた。うちの人たちは人に教えを請う時、いつもこのようにビシバシした命令調で迫ってくる。
 命令一下、ぼくの頭脳は直ちに軍隊モードに切り替わり、上官に逆らうことを知らないぼくは怖ず怖ずと、「は、はい。では全員宛メールでその方法を解説いたします」と健気に答えてしまう。いつからこの倶楽部にはこんな気風が育ってしまったのだろう。指導者もどきくらいではとても幽鬼もどきには敵わないということだ。

 今からちょうど2年前、グループ展のDMの校正用色見本が印刷所より届けられた。Y君のモノクロ写真をDMに使用したのだが、印刷所から上がってきたその色調は赤被りを起こし、純黒調の写真があたかもセピア写真のように変化していた。それを作者であるY君に見せたところ、「うん、これがいい。このセピア気に入ったよ」と喜色満面。これを“怪我の功名”とか“棚からぼた餅”というんでしょうか? 
 すっかり悦に入ったY君は、あろうことか、すべての作品をあたりかまわず、無分別にセピアに調色してしまった。セピアまっしぐらということころ。展示写真のマットボードまでセピア色にしてしまったのだから、彼の揺るぎない自己陶酔にメンバー一同、そして来場の方々もその異様な世界に圧倒され、完全な失語症となった。ぼくはもちろんのこと、誰もその行き過ぎを指摘できず、唖然とするうちに展示期間の1週間が過ぎ去ったのだった。
 しかし、彼がセピア一辺倒男子になったのはこの時だけで、それ以降発症の兆候はなく、その行き過ぎに自ら感じるところがあったのだろうと思っている。作者の意志を最大限尊重するぼくの指導方針からすれば、指摘されて悟るより、自覚こそが精神を制す最良の手立てだ。
 確か、曹洞宗の教典に「意馬心猿、則ち神気(精神)外に散乱す」という訓戒があったように記憶する。意馬心猿とは、「馬が奔走し猿が騒ぎ立てるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと」(大辞林)とある。
 セピアや調色には、それくらい魅了される麻薬的な要素が含まれているということの証かも知れない。

 なぜぼくが、調色(ここでは最も一般的なセピアを指すことに)に距離を置いてきたかというと、20代の頃に心惹かれた美しいオリジナルプリントが純黒調であったからだと思う。それらはすべて欧米の写真家のものであったが(残念ながら、邦人には一人も見当たらなかった)、ぼくは彼らの美しいモノクロトーンを修得しようと暗室に閉じ籠もった。どうすればあれほど美しいモノクロプリントができるのだろうかと、夢遊病者のようにぼくは暗室作業に罹患していった。未だ闘病中である。おそらく命尽きるまでぼくに宿痾のようにつきまとうのだろう。

 純黒調にのめり込んでいたぼくだが、例外もあった。エドワード・ウェストン(アメリカ。1886-1958年)のプラチナプリントには、非常に淡いアンバー(琥珀)がかかっていたように記憶するし、また、ウォーカー・エバンス(アメリカ。1903-1975年)のセピアがかったコクのある色調にも惹かれた。
 ただ、エバンスのものは、オリジナルプリントであれ写真集であれ、セピア色を初めから意図したものなのか、印画紙の経年変化によるものなのかは定かでない。しかし、ぼくのおぼろ気な記憶のなかでエバンスのセピアは忘れがたいものとして、そして最も美しいセピアとして、今日まで深く脳裏に刻まれている。

 セピアのいわれについて少しだけ述べておくと、語源は「イカ墨」という意味なのだそうだ。19世紀末にヨーロッパの印刷所が黒インクでなくこげ茶のインクを使用したところ、非常に評判がよく、読者に新鮮な驚きを与えたのだろうと思う。
 また、モノクロ写真にもこげ茶のインクが使用されたが、保存性に難点があり、経年変化によりこげ茶が褪色し淡い色になったと記録にある。
 こんにち、セピアというと古き良き時代を思い起こさせる色調とも捉えられており、また旧懐の念を呼び起こす語彙としても用いられている。

 みなさんの家庭にも年月を経たフィルム時代のモノクロ写真があるでしょう。年季の入ったプリントは、程度の差こそあれ黄味や赤味を帯びたり、画像が褪色して薄くなっているはず。それは印画紙に残留したハイポ(チオ硫酸ナトリウム)が空気中の化学物質により化学変化を起こしたものかも知れないし、紫外線による日焼けが加わったものかも知れない。原因は保存状態により千差万別だ。

 今回掲載する参考写真は、セピア調色を褪色した写真(印画紙)のシミュレーションとしてではなく、ただ純粋にセピア調にしたもの。でも、困った。撮影時にセピアをイメージしたものではないので、ぼくの感覚がついて行かない。セピアにする必然性が見当たらないのだが、ぼくもY君を真似て、まぁそれらしくやってみるか。

 セピアをかける実際の手順は次回に。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/233.html

★「01モノクロ原画」。カメラ:初代EOS-1Ds。レンズ:EF35mm F1.4L USM。絞り:f5.6、シャッタースピード1/80秒、ISO100。

★「01のセピア」。
Photoshopのカラーピッカーで、R=255、G=246、B=233のフィルターを作り、それをレイヤーに重ね、「描画」は「カラー」を選択。不透明度を80%に。

★「02モノクロ原画」。カメラ:ライカM4。レンズ:ズミルックス35mm F1.4。フィルム:コダクローム64。ISO64。

★「02のセピア」。
Photoshopのカラーピッカーで、R=70、G=60、B=45のフィルターを作り、それをレイヤーに重ね、「描画」は「カラー」を選択。不透明度を80%に。

(文:亀山哲郎)

2015/01/23(金)
第232回:自然光で料理を撮る
 なにやら、あたかも写真教室のような題名をつけてしまったが、こんなテーマを掲げることができるのは、デジタル全盛になった今だからこその芸当だと思っている。フィルム時代であれば、室内の自然光で料理を撮るなどぼくにはとても考えられぬことで、仕事であれば勇気を持ってお断りする以外に逃れようがない。撮影での猛勇は不始末につながり、この場合は命取りといってよく、自身の死活問題でもある。
 太陽光ならまだしも、コマーシャル写真を経験してきた者にとって、できればそんな条件下で料理写真など絶対に撮りたくない。いや、ぼくには撮れない。

 雑誌の仕事などで、1日に数件の料理店を回らなければならない時など、デジタルのありがたさが身に沁みる。そんな気ぜわしい撮影が年に1度くらいはある。そのような時、ほとんどが短時間での勝負を強いられ、ライティングの余裕がないので自然光を利用しての撮影となる。
 室内の自然光の下、ぼくは料理を抱えながら最適な位置を見つけ出そうとうろうろ部屋のなかを歩き回り、場所取りに余念がない。時にはお膳やテーブルごと移動させることもある。編集子やライター諸氏というものは、デジタルをいいことに平気で自然光に頼ろうとする。人の気も知らず、そんな蛮勇をふるいたがるのだ。こんなところで気焔万丈を示すのはお門違いも甚だしい。

 デジタルのありがたさって何だ? 以前にも折に触れ述べたことがあるが、それはフィルム使用時(特にスライドフィルム)の繁雑なフィルター操作から解放されることにある。デジタル画像は、“連続可変のフィルター”といってもいいような千変万化の調整ができるので、そのありがたさに、ぼくはさめざめとうち泣く。
 フィルターの役目は、Photoshopにある「色温度」と「色かぶり補正」という機能に取って代わり、いわゆる「ホワイトバランス調整」がそれである。「色温度」と「色かぶり補正」の機能は、武士の大刀と脇差しのようなもので、この二刀流は天下無双の宮本武蔵のように心強い。恐いものなし、どんな光源でも来たれというわけだ。

 タングステン光の「赤かぶり」、蛍光灯の「緑かぶり」の画像が、大刀と脇差しを使うことにより、色温度5500K(ケルビン)の太陽光で撮影したかのようにクリアに描かれる。色温度の低下による「赤かぶり」は、時と場合により暖かみを与え、雰囲気を醸す役目を果たすが、「緑かぶり」はどうにも不健全でいけない。緑がかった白菜や白魚の刺身では食欲も失せてしまう。緑の紋甲イカなんてやだもんなぁ。

 Rawデータの撮影であれば、PhotoshopのCamera Rawで「色温度」と「色かぶり補正」を調整して現像すればいい。一般的なJpeg撮影であれば、やはりPhotoshopのメニューバー/フィルターからCamera Rawフィルターを選択し、それを使用する。「色温度」と「色かぶり補正」のスライドバーを適当に動かせば、おおよその見当がつくと思う。ありのままの色再現でなく、あなたの主観的判断で「美味しそう!」と感じる調整が一番だ。
 Photoshopを使用しない人は、ほとんどのカメラに「ホワイトバランス調整機能」のソフトが付属していると思うので、まずそれを使いこなすことをお勧めする。Photoshopを使用せずとも、ほどよく「色温度」と「色かぶり」は補正できるはずだ。
 カメラ内蔵の「オートホワイトバランス」という機能も、ある程度は有効だが、これこそ「既製品」であり、臨機応変とはなかなかいかない。

 順序が逆となるが、自然光を利用した料理写真でぼくが好んで用いる方法は、逆光を捕まえることにある。ライティングをして撮る料理撮影でもそのプロセスは同様で、逆光をメインライトにする。逆光だけでは色再現が思うにまかせず、そのために斜め前方より色出しのためのライトを追加する。この2灯ライトが原則だが、時によって多灯使用する。
 自然光の場合でも、逆光により、料理のテカリやシズル感(sizzle。広告写真などで、食欲や購買意欲を刺激する感覚)を表現することが料理を美味しそうに見せるコツ。レンズに向いた面は逆光ゆえ明度が暗くなってしまうので、レフ板を使用してシャドウを起こす。レフ板を色出しライトとして利用すればいい。レフ板は白紙や新聞紙でも代用できる。学生さんなら大学ノートでもいいだろう。これだけで料理はかなり見映えのするものになるので是非お試しあれ。
 室内の蛍光灯などを逆光の光源となるような位置に料理を移動すればよく、そのためにぼくは料理を抱えて部屋をうろつくことになる。

 昨今は出された料理をスマホでパチリパチリする姿をよく見かける。光の照射角により物は異なった表情を見せ、料理はその最たる例だろう。盛られた料理を皿とともに動かしたり、カメラアングルを変化させるだけで、写真というものは肉眼では見逃してしまうような表情を敏感に察知してくれることをお忘れなく!
 また、出された料理を撮影する時、撮影の可否を店員さんに伺うのは一応のマナーとして心得ておきたい。

 掲載の写真は、仲居のおねえさんが静々とお膳に置いてくれたままの状態で撮ったもの。あくまで記録として撮ったもので、テカリやシズル感は空腹のため、食い気呑み気の一辺倒となり、考慮する余裕がなかった。カメラの角度は本能のまかせるままに。撮る以上は見せ場を心得なければいけないのだが、予期せぬ馬刺しの喪失にめまいを生じ、すっかり我を失っていた。
 もう一つの基本は、料理のどこを正面に持って来るかということ。料理の正面顔か斜め顔か、ということにも気を配れば、さらに見映えよし。
 撮影時の蛮勇を穴埋めしようと、ホワイトバランス、明度、コントラスト、彩度、明瞭度はかなり慎重に調整。決して良い写真とはいえないが、真面目に補正すれば最低限ここまでは描写可能といったところか。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/232.html

★「01」。馬刺しの二の舞を踏まぬように、まず海老を真っ先に口に放り込む。
撮影データ:カメラ/Fuji X100s。焦点距離35mm固定。絞りf5.6、シャッタースピード1/50秒。露出補正-0.67。ISO400。部屋の蛍光灯。カメラ手持ち。

★「02」。デザート。ゼリーの質感を出すには、やはりライティングしないとダメかな。
撮影データ:カメラ/Fuji X100s。焦点距離35mm固定。絞りf5.6、シャッタースピード1/13秒。露出補正-0.33。ISO400。部屋の蛍光灯。カメラ手持ち。

(文:亀山哲郎)

2015/01/16(金)
第231回:既製品(2)
 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 よくよく考えてみるとぼくらは「既製品」に取り囲まれている。「既製品」でないものを見つけるのはとても困難なことだということに思い当たる。「既製品」を辞書で引いてみると、「商品としてすでにできあがっている品物。レディー・メード」(広辞苑)とある。
 ぼくらが生活を営むうえで、「既製品」の占める割合は、物質文明の発達にほぼ比例していると解釈してもいい。物質文明とはなんぞや、ということになると途方もないことになり、新年早々、話を大きく逸脱してしまうことになりかねない(すでに逸れかけている)。なので、この題目に触れることはしないが、物質文明とは科学技術の発達によってもたらされる文明であり、ぼくらはそれを時代の必然に従い、やむを得ないものとして受け入れている。
 “やむを得ない”とは、物質文明に諸手を挙げて歓迎しているわけではないという意味である。一方でそれを「文明の利器」としてぼくらは重宝もしているが、それが即ち精神生活の豊かさに直結しているかというと甚だ疑問だ。「物質文明」という語彙そのものに、どこか警戒心を呼び起こすものがあるとぼくは感じている。ぼくらはそれに気づきながらも、その気振りさえ見せず、便利さと貪欲さの連合軍にどうしても打ち勝ち難く、分別を失い、呑み込まれていく。「物質文明に冒されている」という聞き慣れたフレーズはいつの時代からのものだろうか?

 文明批判はそこそこに、こと写真に限っても、みなさんもぼくも、99%は「既製品」に依存している。99%の既製品を駆使しながら、100%オリジナル(オーダーメイド)のものを作り上げることを、現代では創作と称するらしい。創作は、物質文明により精神もが既製品化してしまうことへの、ささやかな弁明と抵抗といってもいいだろう。
 既製品のほとんどなかった写真創生期から現代のデジタルに至るまで、既製品はますます強固に幅を効かせている。ぼくはアナログ時代の写真技法を、ふくいくたるロマンを感じながら懐かしんでいる。

 さてさて、前号からの続きで、「馬刺しの抵抗」に話を戻す。

 全員揃っての会席を「既製品」と捉えたぼくは、粛として行儀よく運ばれてくる懐石料理に一矢(いっし)報いたいとの思いに駆られた。
 居酒屋などで通例となった“お通し”というものに、ぼくはめったに手に付けない。たとえ好物でも、やせ我慢をして食べない。隣の人に「どうぞ、ぼくの分も召し上がれ」なんていいながら、しおらしい笑顔を向ける。大概の人はそれだけで喜ぶ。ぼくは“お通し”をしみったれた商業主義の権化と見做し、また、おためごかしの象徴と感じているので、実に気前よく放棄する。
 だって、ぼくはそのようなものを注文した覚えはないし、客の好みを忖度することなく無遠慮・無差別に差し出し、ついでに料金まで強奪する魂胆なのだから、このうえなく慇懃無礼ではないか。
 「“お通し”だと! そんなものに通されてたまるか。“突き出し”(お通しの別称)だと! そんなものに突き出されてたまるか。相撲じゃあるまいし!」と、なんとも子供じみた悪態をつく。
 食卓に上がったものは、どんなものでもありがたく、美味しくいただくのは我が家の家訓でもあり、極上の美徳と心得るが、突っ慳貪な親切ごかしは取り合いたくない。

 マニュアルに従い“お通し”を食卓に置いた仲居のおねえさんに、ぼくは「安曇野名産の馬刺しありますか? あれば全員に2枚ずつ行き渡るようにね。おいくらですか?」と訊ねた。おねえさんは「ちょっと聞いてきます」と姿を消した。名物でありながら即答できないということは、注文が少ないのか、時価なのか、ぼくは後者を恐れた。間を置いて戻って来たおねえさんは無表情に「×××円になります」とだけいった。ぼくはその金額にちょっと息が詰まったが、みんなの手前大見得を切り、すまし顔で「ではお願いします」といってしまった。覚悟を決めればもうあとは食べるだけだ。
 「かめさん、ご馳走さまで〜す!」と全員がぼくに向かって斉唱する。「いいってことよ!」とぼくはうっすらと額に汗を滲ませ、口元を引きつらせながらも快活に答えた。

 食卓に運ばれた馬刺しは確かに旨かった。肉厚で甘味があり、噛むたびに肉汁がジュワッと口の中に広がり、なかなかものだった。馬刺し好きのぼくは口のなかでその余韻を十分に楽しんだ。1人2枚だから、もう一度味わえる。2枚目はさらに舌がこなれて、濃密な味わいがあるだろうと期待した。宴も終盤に差しかかり、ぼくは楽しみにしていたもう1枚に箸を伸ばそうとした。
 ないっ! 最後のお宝がないのである! なんとしたことだろう! 近年になくぼくは狼狽えた。動揺を悟られまいと無言を貫きながら、皿の脇や下を人知れず点検しようと、頭を固定し目玉だけを動かし視線を上下左右に振ってみたのだが、どこにも見当たらないのである。1人3枚食ったやつがいる。4人のおなご衆の誰かが狼藉を働いたに違いないのだ。
 しかし、ここで騒ぎ立てるほど、ぼくははしたなくも、動物的でもない。駄洒落をいってる場合ではないが、文字通り「何食わぬ」顔に徹した。
 この馬刺し紛失事件から1ヶ月以上経た新年会でそれとなく報じたら、おなご衆は口を尖らせ、いきり立ち、「誰も人の分まで食べません! それは、かめさんのいつものパラノイアです。錯覚です。物忘れが亢進している証拠です。被害妄想です。白昼夢です。とうとうボケが始まりましたね」といわれなき集中砲火を浴びせられた。
 やはり、黙して語らぬ事、「沈黙は金」ですね。しかし、1枚×××円の馬刺しにはもう生涯ありつくことはないのでしょう。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/231.html

 今回は新年号らしく写真について書こうと思ったのだが、あらぬところに飛び火してしまった。「自然光で料理を撮る」のはずが、悔しさまぎれの馬刺しに成り代わってしまいました。
 今回は、自然光で撮った証拠物件を1枚だけ掲載しておきます。次回にこの議題を取り上げます。

★「恨みの馬刺し」。馬刺し8枚4人分x2皿だったが、ぼくは左手前の1枚を味わっただけ。
撮影データ:カメラ/Fuji X100s。焦点距離35mm固定。絞りf5.6、シャッタースピード1/18秒。露出補正-0.67。ISO400。部屋の自然光。カメラ手持ち。

(文:亀山哲郎)

2014/12/26(金)
第230回:既製品(1)
 執拗な画家から粘り強い意見、というより下達(かたつ)のような趣を以ての具申があった。曰く「写真には“すり替え”がないようなことをいっているが、しかし、かめさんの掲載したカラー写真とそのモノクロ写真を見ていると、そこには明らかな“すり替え”が行われているように思うのだが」。
 「君は当初、“デフォルメ”という一般的な語彙を画家の専門用語として扱い、その考えに添ってぼくのモノクロ暗室作業を開示しろと迫ってきたのであって、“デフォルメ”とぼくのいう“すり替え”を混同しているのではないか? 両者の棲み分けをどのように定義するのか、それを明示していただきたいものだ。“おまえの文章には齟齬がある”という前に、もう一度精読してくれ。読解力の不足を棚に上げて、ぼくを責め立てるのはお門違いだよ」と、ぼくは大人げなく気色ばむポーズをして見せた。自分の文章力のなさを、相手の読解力の不足に“すり替え”たのだった。自身をよりよく弁護するのであれば、“すり替え”より“置き換える”のほうが相応しいのだが。

 しかし、画家のように悪意に満ちたものでなく(ぼくの知るところ、画家は写真屋よりずっとずっと理屈っぽく、胆汁質であったり粘液質であったりする)、善意ある率直な意見を伝えてくれた人のいることも、一唱三嘆ながら付言しておかなくてはならない。
 「カラー写真がこのようなモノクロ写真に変化してしまうことにとても興味を持ちました。カラー写真はあくまで素材なのですね。その素材を料理してモノクロ写真に仕上げる。これがアンセル・アダムスのいうビジュアリゼーションなのですか。掲示された写真では、カラーよりモノクロのほうに圧倒的な力を感じました。私もモノクロ写真に挑戦してみたくなりました」と、とても素直な、長年の読者と覚しき方。

 物書きは、限りある言葉を無限に組み合わせ、昇華させながら、自己表現にたどり着く。その伝で、文章というものは写真に比べ非常にアクティブ(動的)で具象的な表現手段だとぼくは考えている。具象故の“すり替え”が必然性を帯びる。写真はそれに比べ極めてスタティック(静的)で抽象的なものだが、「百聞は一見にしかず」という瞬間冷凍のようなパワフルな面を持ち、視聴者に強い印象を与える。
 ぼくはいつも「写真の主語・述語は、常に相手に委ねればいい」といってきた。確固とした主義主張があれば、作者は無用で鈴なりのような効能書きを垂れるものではない。瞬間冷凍の力を殺いでしまう。写真は、ものいわぬからこその力があるのではないか? 一瞬にかすめ取った(撮った)ものを、自身の佇まいとして見る側に晒しているのだから、どうやったって写真に効能書きという「後出しジャンケン」は通用しないし、また見苦しい。
 「後出しジャンケンの意味が・・・」って、うるさい画家がまた何かいってくるかなぁ。

 年の最後にぼくはこんなことをぐだぐだと書き連ねるつもりじゃなかった。口やかましい画家のせいで、題目に掲げた「既製品」を前にして、キーを打つ指がパタッと止まってしまった。そもそも何を書くつもりで「既製品」としたのかさえ忘れてしまった。歳のせいだわ。
 これから書き出すとなると年をまたいでしまいそう。またいでもいいのだが、担当者の言によると、正月は2回連続で休載とのことで、つまり、次回は1月16日(金)となり、そんなに間が空いてしまうと、ただでさえ支離滅裂なのだから、痴呆も加わって収拾不能となりそうだ。それも愉快なのでそのさわりだけでも始めちゃおう。

 先月、信州に団体で撮影に行ったことはすでにお伝えしたが(第227回)、その時にぼくはいくつかの写真にまつわる発見をした。
 1泊目、夕食をホテルで取った。このこと自体が我々にとって非常に希有なことであり、料理を待つ誰もが何時になく神妙な面持ちに見えたから不思議である。“神妙”を“かしこまって”と言い換えてもいい。それは、初めて正式なフランス料理を前にした緊張感に似ていた。その光景は、ちょっとフォトジェニックでもあった。ぼくはかしこまった面々の記念写真を面白がって撮った。
 山の中のホテルだったので、いつものように地元の居酒屋に“鼎(かなえ)の沸くが如く”なだれ込むわけにはいかなかったという事情もあった。
 いい歳をした大人8人が、2列になって膳を挟み、畳の間に鎮座し、表情をこわばらせて決戦の時を迎えようとしているかのようだった。幹事は「本日は懐石料理であります」と得意気に言い放った。その言葉の裏には、「あんたたち、懐石料理などにはほとんど縁がないだろう」と、仲閧蔑んだ意志が読み取れた。
 やがて静々と料理がもったいぶって運ばれ、仲居のおねえさんも「懐石に縁のない」我々に、やはりもったいぶって料理の説明を始めた。「あたしの説明を聞き終わるまでは、料理に手を付けるんじゃないよ」という気迫に溢れていたから敵わない。料理には主語と述語が必要なのか?とぼくはさかんに訝った。効能書きで味が変わるわけではないだろうに。食事を前に無意味な儀式に駆り出されるのは、あまりに奇抜な習わしではないか。
 説明を聞きながら、ぼくはもうひとつの恐れを感じ始めていた。全員が同じ料理を、同じ時刻に、同じ順序で、同じペースで食べることを強いられてしまうということだ。ぼくらはベルトコンベアの上に乗せられ、石炭車のへっついのように口を開けて、効能書きに染まった料理を自動的に放り込まれてしまうのだ。
 「人類皆平等、人類皆兄弟」と同じようなことを、ぼくの嫌いな福沢諭吉がどこかで書いていたような気がするが、人類は理性があるからこそ不平等が生まれたのであって、このような平等な食事作法は未開人そのものだ。料理も人間も「既製品」にばかり甘んじては、写真愛好集団の名がすたるというものだ。
 馬刺しに異常な執念を燃やし続けていたぼくは、そこでささやかな抵抗を示したのだった。

 来年にこの話が上手く繋がるかどうかは目下不明であります。

 読者諸兄のみなさま、来たる年の福寿無量を心より祈念いたします。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/230.html

★「01さつき」。Sigma DP2。f5.6。露出補正ノーマル。左上から右下に流れる美しい対角線を感じ、何も考えずに、ただ「いいなぁ」と無意識にシャッターを切った。

★「02らん」。Sigma DP2。F4.5。露出補正-0.7。会ったことのない祖父は、らんを丹精込めて育てていたそうだが、そんな祖父の姿をイメージして。花弁に僅かながらの白飛びを意図的に入れ、立体感を。

(文:亀山哲郎)

2014/12/19(金)
第229回:すり替え
 年の瀬も押し迫り、世の中はクリスマスだとか師走だとか、なにかと気ぜわしい雰囲気を漂わせながら歳変わりを演出しているが、ぼくの(我が家の)気配は昔からそのようなしきたりには一切関係なく、辺りを睥睨しながら何十年も「お構いなく」といいながら突き進んできた。盆暮れや彼岸に墓参りをする習慣もなく(ただ面倒臭いだけのバチ当たり)、何事も気が向いた時にするのが一番なのだと言い聞かせてきた。ただ、何年も気が向かないので、事が一向に改まらず、その不実や不義理に苦しめられている。
 日本古来の神道を尊びながらも、重んじるわけではなく、自分にとって都合のいい教典を場当たり的に創作し、自己の懶惰(らんだ)でやさぐれた生活をどこかで正当化してやろうと企てている。それ故に、無意識のうちに罪悪感が募り、だからいつも息苦しい。たまったものではない。純朴な写真屋というものは逃げ口上を知らないもんだから、息苦しくもあり、また見苦しくもあるのだ。

 その伝、物書きというのは卑怯でずる賢く、しかも饒舌だから始末が悪い。加えて往生際が悪いので、なおさら始末に負えない。
 そして、物書きは写真屋にとって難しい“すり替え”に長けている。誰人もみな持つ矛盾や相剋、背理や失当を上手い言葉遣いを駆使しながら、あの手この手で現世の真理をつなぎ、結び止めようとする。それはまるで言葉の機織(はたお)り職人のようだ。
 漱石など、冒頭から「吾輩は猫である」などとあからさまな“すり替え”をし、開き直っている。その開き直り方が、理に適い、明晰である分、頭をかしげながらも納得させられてしまう。そのような場所に引き込む名手であろうと思わせるから、癪が起こらない。当たり前のことを言葉巧みに如何にもそれらしく謳い上げているので、毀誉褒貶(きよほうへん。ほめたりけなしたり)相半ばというところだ。大きな声ではいわないが、ぼくは長年漱石と鴎外のファンなのだ。
 40歳に手が届く頃にぼくはやっと一人前の大人を気取り、吉田健一と石川淳にのめり込むようなった。未だ心酔中といったところか。
 太宰治も、あのしみったれたところが気に入っている。中学時代から親しんだ太宰だが、当時は一過性のものであり、歳を取るにつれ、あの文章のリズム感を写真に取り入れたいと願うようになった。雪の斜陽館(青森県五所川原市金木町にある太宰の生家)にも詣でたことがある。

 今まで何度も岩手県を訪れたが、宮沢賢治ゆかりの地には一度も足を運んだことがない。強いていえば『銀河鉄道の夜』のモデルとされた遠野市のめがね橋の脇を車で素通りしたくらいのものだ。
 小学校低学年の頃、父が『セロ弾きのゴーシュ』と『注文の多い料理店』を読んで聞かせてくれた。子供心ながらに感動もし、またその筋書きもはっきり覚えている。しかし、今日に至るまでこの二作は読んだことがない。他の作品に触れるたびに、ぼくは宮沢賢治という作家に距離を置いていった。『芸術概論綱要』にも違和感がある。
 当時の宮沢賢治のイデオロギーがどうであれ、ノンフィクション作家・吉田司のいう「彼の(宮沢賢治)うたう詩はいつも村の入口で終わっている」という言説に、ぼくも同じ臭いを嗅ぎ取っているような気がする。何かから目を背けるための“すり替え”が行われているように感じるのだ。

 30歳になったぼくは、柳田国男著『遠野物語』に語られている民間伝承に強い興味を抱き、岩手県の遠野通いを始めた。遠野の民宿で聞かせてもらった語り部のおばあちゃんたちの話は、書物の『遠野物語』とはかなり異なったものだった。もちろん、おばあちゃんたちの話の方がずっと人間臭紛々としていて面白く、またリアリティとエロティシズムに富んでいた。
 柳田国男が意図的に避けて通った(と思われる)ものが、年輪を感じさせる老女の口から豊かな方言に彩られて、ほとばしるように生き生きと発せられた。語り部のおばあちゃんばかりでなく、遠野の市井の人々(農作業中の男衆や女衆、田圃のあぜ道を下校する女子中学生など)は活気のある民間伝承を語ってくれた。そこにはあやふやな“すり替え”が見当たらず、あるのは露天掘りのような地のダイナミズムだけだった。
 柳田国男は民俗学者であり、しかも文才があったのだろう。民間伝承という地のものを扱う上で、その才気が役に立ったのかそうでなかったのか、あるいは学者としての特権的な理知が、庶民の生活意識にまで下りることをどこかで拒み、“すり替え”が上手くいってない。しかし、読み物としての『遠野物語』は名著である。

 ぼくの文学趣向は歳とともに変化を遂げたものもあるし、そうでないものもある。多分、“すり替え”作法の鮮やかなものや道理あるものは長続きしているということだろう。
 翻って、写真にはそのようなものがない。ぼくの写真的趣向は青年期より一貫している。作品のありようは変化しているが(そう思いたい)、趣味趣向は頑固一徹で変化がない。
 文学は子供にも理解しやすいものが世界にはたくさんあるし、また子供用に編纂したものも多い。そのようなものに子供たちは親しみ育っていく。つまり、年相応のものが用意されているということだ。
 しかし、写真は子供には馴染みにくいのではないだろうか。お子様向け写真って、あるにはある。可愛い動物写真や美しい風景写真など、視覚が直接脳に訴える類のもので、それらは喜怒哀楽の域を出ない。自身に照らしても、自己表現のための写真は、ある程度情緒・情感が収斂し思想が育っていないと、なかなか親しみにくい。
 高校1年時、父の机に置かれていた木村伊兵衛の写真集を見て「どこがいいのかぼくにはさっぱり分からない」と、父の顔を見上げながらいったことを昨日のことのように思い出す。思春期の子供に見合うような、何かの“すり替え”がないので、その良さが響いてこなかったのだ。
 それから3年の時を経てぼくは大学生になったが、妄信的な木村伊兵衛信者に“すり替わって”いた。あの軽妙洒脱な“すり替え”にぼくはやられたのだろうかと、未だその不明を託っている。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/229.html

前号にて「カラー写真も掲載しろ」といってきた画家が、再び「もう1点くらい見せろ」と執拗に迫ってきたので快く従うことに。

★安曇野有明神社。
「01カラー原画」。神道の神楽舞台。林に囲まれた舞台を中心に柔らかく神々しい光が射した。神道を尊びながら、ひっそりとシャッターを切る。カラー写真はシアンが多少浮き、全体に好ましい色調ではないが、モノクロ化でのフィルターワークを考慮してこのままに。

★「02モノクロ化」。射し込む神々しい光をさらに強調するために周辺を焼き込んだ。空だけ疑似赤外線フィルムを模したものとし、他は濃度の高いイエローフィルターをかけた。舞台の屋根瓦を選択し適度にコントラストを上げている。

(文:亀山哲郎)

2014/12/12(金)
第228回:恥の上塗り
 Facebook(以下、“顔本”)というものが世にはびこり始めた頃、それを利用する友人たちから、「友だちとして認証してくれ」というメールが相次いだ。知っている人たちばかりだったので、ぼくに断る理由はなく、軽い気持で「いいよ」とボタンをポチリと押した。
 ややもして、「顔写真」もしくはそれに類似するものを貼り付けろという指令がどこからか下った。もちろんぼくがそんなことをするわけがない。
 その間、認証した人々が日々のさまざまな出来事を写真や短い文章で書き連ね、その度にメールが届いたし、今も届く。ぼくはそれを眺めながら、認証をした人々に向けて、「ぼくは顔本には一切何も発信しないし、反応もしないので、悪く思うな」と通達した。
 しかし、未だに見ず知らずの人たちから「友だち認証」の依頼がくる。ぼくは会ったことも、話したこともない人たちとお友だちにならないといけない義理など感じていないので、申し訳ないが知らんぷりを決め込んでいる。第一、ぼくはそんな不気味な人的交流を図らずとも寂しくはないし、そのような“輪”など要らない。友だちは、良い友だちが少数いればそれで十分だ。

 栃木県の人里離れた山奥で、パソコンのインストラクターをしている友人が、「仕事上、顔本を知っておく必然性に迫られ、一応登録はするけれど一切関わりを持ちたくないので、かめさん、そのつもりで」とわざわざ連絡をしてきた。ぼくをよく知る彼は、ぼくに野次られる前に鮮やかな先手を打ってきたのだった。ぼくも彼の美意識や価値観をよく知っていたので、もし彼が顔本などに肩入れして、子供が新しい玩具を手にしたような歓びを示すのであれば、「五十路半ばの写真愛好家ともあろう者が、もっと上質な玩具を嗜めよ」と、茶々を入れ、ここを先途と冷やかしたに違いない。
 彼もぼく同様に、顔本の「いいね!」などという無言の強要、その傲慢さと質(たち)の悪さに辟易とする自分を知っていたのだろう。

 顔本は恐ろしい! 何故って、頻繁に舞い込むそれを眺めていると、その人の社会に対する生活感情や思想、知性、品位などが如何ほどのものか、レントゲン写真のように透けて見えてくるから、背筋が凍る。丸見えといってもいい。
 ぼくは衆目に恥を晒すことが商売のようなものだから(この拙「よもやま話」もそのうちのひとつ)、もうこれ以上、恥の上塗りはしたくないので、顔本には関わらないことが一番だと思っている。他人が何処にいて、何を食っているかなど、知りたくもないし、興味もない。小学生のような絵日記を何故わざわざ他人に見せたいのか、ぼくには理解がまったく及ばない。恥をかくのは仕事だけでいい。
 第224回に登場した「スマホでパチリ」の若いA君などは、必要最小限の賢い使い方をしており、やはり道具をどう使うかはセンスの問題なのだと感じる。

 毎回掲載している写真について、友人の画家から遠距離電話があった。要約すると、「ほとんどがモノクロ写真だけれど、オリジナルのカラー写真が見たい。カラー写真がどのようにデフォルメされ、あのようなモノクロ表現になるのか、職業柄ぼくはそこに興味があるし、ぜひ知りたい。かめさんは出し惜しみしないし、手の内を晒すことを厭わないだろうから、カラー写真も一緒に掲載しろ」と、ぼくの性格を見透かすように、彼も先手を取ってきた。画家としての性を前面に押し出し、油断なくいってきたのだった。ぼくは先手を許してばかりいる。

 ぼくは彼の言い分が分からないわけではないし、また原画のカラー写真を提示すること、それ自体はまったくやぶさかではない。
 ただプロというものは、自分の舞台裏を人様に晴れ晴れしくも、自ら進み出て見せるもんじゃない。何かが盗まれるとか、そんなちっぽけで無意味なものに心を奪われているのではなく、「私はこれこれこんな苦労を人知れずしています。その結果、ほらね、どうです」って、こんな不細工なことをひけらかすのが嫌なだけだということを知ってもらいたいのだ。プロは制作過程や苦労の程度で報酬を得るわけではなく、結果が唯一の世界だから。
 しかし一方で、「見せない」、「言わない」、「教えない」というけちん坊三原則?を貫きたい人もいる。このような人たちは、三原則を破ると自分の秘訣や秘技が盗まれるという大きな勘違いをしており、本気で貝のように口を閉ざし、危機感に煽られながら威厳を保とうとしている。だから、やたらもったいぶる。ぼくはそういう人々を「不毛地帯の住民」と憚りなくいうことにしている。
 自身の一挙手一投足を顔本で披瀝し得意気な人々と、「不毛地帯の住民」はどこか一脈通じる場所で、仲良く同居しているのではないだろうかと思えてくる。まさに「表裏一体」というべきもので、それは相反して見える二つのものの関係が根元のところでは深く結びついているという意味だから、あながちぼくの勝手な推論というわけではなさそうだ。
 このような書き方をしてしまった以上、ぼくはカラー原画を掲示しないわけにはいかなくなった。どのように理屈をこね回し、意に反して画家の策謀に乗ってしまうか、ぼくはぼくで苦労が絶えないのだ。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/228.html

★「01カラー原画」。撮影データ:レンズ焦点距離16mm。絞りf11。シャッタースピード1/40秒。露出補正-1。ISO 640。撮影時間:11月29日午後4時20分。
 
 陽は山の稜線に深く沈み、おぼろげな残照が空に映える。恐竜を中間グレーにすると(ノーマル露出)空は部分的に白飛びをしてしまうので、露出補正は-1に。黒つぶれもしないはず。
 Rawデータを現像する時は、まずホワイトバランスを調整。その場の雰囲気に合った撮影者自身のイメージカラーでいい。この原画はホワイトバランスの調整と明瞭度をわずかに上げただけ。この状態でPhotoshopに渡す。
 Photoshopで、周辺部を焼き込み、全体のコントラストを調整。

★「02モノクロ化」。PhotoshopのプラグインにあるDxO社のFilm Packソフトで、すでに作成してある自分仕様のプリセットを3通り用いモノクロ化。3枚のモノクロ画像をレイヤーで重ね、意図した部分をそれぞれマスクで残し、画像統合した後全体のコントラストを調整。その画像に純黒(RGB値0)のレイヤーを新たに重ね、不透明度50%に。マスクをかけ太めのブラシで恐竜だけ残す。大雑把なブラシワークでいい。画像統合し、それをドイツOnOne社のPerfect Photoに渡し、細かな部分補整をして終了。
 最後に粒子をDxO社のFilm Packでかける。

 撮影時に配慮したことは、後方に見えるステゴザウルスと右上にある電線の位置。16mmという超広角レンズなので、その性質上画面の四方に物が引っ張られる。それを利用。主役をど真ん中に配し、広角レンズのパースで周辺のリズム感を演出。

(文:亀山哲郎)