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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2020/04/24(金)
第493回:たまにはカメラについて
 2台のEOS-1DsIIIをぼくは未だ執念深く、取っ替え引っ替え公私ともに使用している。この連載でも主要機種として写真掲載をさせていただいているが、思えばこのカメラを購入したのは2007年のことだから、もう13年間もの長きにわたりお世話になっている。
 2台とも使用に支障を来すほどの故障もなく、長い間よく酷使に耐え抜いてくれたものだと賞歎している。ライカなどとは性質が異なり、購入当時はこのカメラを純粋な仕事用の道具としてもてなそうと考えていたのだが、長年使用していると、数々の思い出とともに愛着も深まり、そして我が家の生活を支えてくれた一役者でもあり(初代EOS-1Dsから代々使用)、もし手放すのであれば惜別に似た感情に襲われるだろう。

 余談だが、20代よりライカ道楽をしていたぼくは、プロの世界に入る時、レンジファインダー式のM4を1台だけ残し、すべてを売却してしまった。理由は単純、「ライカ道楽などしている場合じゃない」からだった。より実務的なカメラに買い換えることを優先した。それは、写真が道楽でなくなった瞬間でもあった。デジタルを始めるとともに虎の子のM4も潔く手放してしまった。
 「将来、また道楽をする余裕ができれば、ライカ三昧もよし」と考えてから一体何十年経つのだろうか。ぼくは未だライカを手にできずにいる。

 閑話休題。
 EOS-1DsIIIの後継機となるものに関心がないわけではないが、それを試してみても、高額を叩いて乗り換える必然性のようなものがぼくには見出せないので、「新しいもの好き」のぼくにとって、幸いながら触手を伸ばさずに済んでいる。
 商売人にとって、新しい道具に乗り換えることはかなりの勇気と決断を必要とする。特にカメラとレンズはその筆頭格だ。道具の感触に慣れ親しみ、暗闇のなかでも手足のように自在に扱えることが何にも増して重要。一心同体、商売道具とはそのようなものだと思っている。新しい機種を次から次へと追い求めることは、いわばアマチュアの特権でもあろう。レンズとて然りである。

 日進月歩のデジタルとはいえ、ぼくのなかでデジタルカメラの性能は、すでに終焉を迎えているようにも思える。修理対応期限の切れる直前に一度オーバーホールをしているが、故障したら買い換えを余儀なくされる。それまではこのご老体を労りながら大切に扱おうと思っている。

 ご老体を後生大事に扱い、古くなったとはいえ、何故その性能に満足しているかとの自己分析を試みるに、それは恐らくフィルム時代が長かったからではないかと思う。描写能力に於ける感覚がすっかり身に染みついているのだろう。
 同じレンズでフィルムとデジタルを比べてみると、その解像感には雲泥の差があることに気づく。もちろんデジタルのEOS-1DsIIIに軍配が上がる。ご老体の性能はぼくにとって必要にして十分であると、否応なく認めるにやぶさかではない。B 0版のポスターにも十分な対応を示してくれる。
 デジタルで育ったひとたちは科学の教えに倣い、きっと現行のものよりさらに良いものをと目論む。それが自然だし、また人情ともいうべきものだが、控え目なぼくはそこまで貪欲になれずにいる。ものには「ほど」というものがあるのだから、弁(わきま)えを重んじる気持が大切なのではないかとも思っている。ぼくにしては、この伝しおらしくも上品である。

 フィルムの「曖昧さ」を「味」と表現することにぼくは特別の意義を見出さないが、一方でデジタルの「写りすぎ」を覚えることも事実だ。この「写りすぎ」が、時として世評では、フィルムに比べ「無機質的な」との感覚を導くのだろう。この論理はしかし、ぼくにとってかなり非科学的なものに映る。
 それをもって「写りすぎ」に難を唱えることは、矛盾をどこかで容認し、整理しておかないと自家撞着に陥り、悩まされることになる。つまり、非科学性を廃除する論理がしっかり成り立っていないと、言い訳が立たないということになる。
 「写りすぎて何が悪いんですか?」と問われれば、返す言葉もないのだが、「メリットとデメリットは常に表裏一体であるからして、その弊害にもしっかり眼を向けて欲しい。それが条理というものでは?」とぼくは一端(いっぱし)の理屈をこねることにしている。それは答えになっているようでもあり、また一種のはぐらかしのような感じがしないわけではないのだが。むろん、弊害について思うところを詳しく述べるようにしているが、ぼくは多分半分くらいは正しいことをいっているのだと思う。

 カメラやレンズの歴史を紐解けば、技術者やユーザーは常に被写体を「より細密に(解像度)、正確に写し取る(各収差などによる悪影響削減)」ことを最優先に考え、追求してきたのではないか。それを解決するための合理的な考えのひとつがカメラの大型化だった。大型化することのメリットは以前に述べたので割愛するが、解像度や画質に於いて、フィルムであれデジタルであれ、それに勝るものはない。
 もし、ぼくの存命中に画期的と思われるようなものが出現したら、ぼくはどうするのだろうかと考えると、気になって夜もおちおち眠れないが、どれほどAIが進化しても、やはり写真は人間が撮ってこそのものだとの信念は変わらない。AIが大衆受けするような写真を羅列するようになれば(それは案外早く到達可能だろう)、あらゆる分野の好事家は趣味を失ってしまうだろう。人生経験のないAIこそ「無機質的な」写真しか撮れないであろう。ぼくは多分98%くらいは正しいことをいっていると思っている。

http://www.amatias.com/bbs/30/493.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
栃木県栃木市。今回は(も?)、誰も「きれい」といってくれない2点だが、撮影者はジジィであることをお忘れなく!

★「01栃木市」
造花も朽ちる。すっかり色あせ、椿のようにボトッと首からショーウィンドウの床に転がったバラ。もう何年もこのままだ。
絞りf6.3、1/30秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
すっかり色あせたポスター。少年の顔を、臆することなく広角レンズで撮った技術と感覚に「このカメラマン上手!」と思わず声を上げてしまった。因みにぼくはこのポスターを焦点距離80mmの望遠で撮っている。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/04/17(金)
第492回:くわばら、くわばら
 緊急事態宣言が発令されて早10日が過ぎようとしている。外出自粛要請のなか、ぼくは元々自室に籠もって一人遊びをすることに子供の頃から慣れ親しんでいるので苦痛を感じず、そのようなストレスとは無縁でいられるのだが、写真ネタが尽きつつあり、撮影に出られないことだけが悩みの種だ。
 武漢ウィルス(ぼくがこの呼称を使うのは、中国や中国人に対する差別や偏見からでなく、また政治的意図からでもないことをお断りしておく。ただ、起こるべくして起こったことだとの認識は変わらない)のお陰で、今回もまたまた「栃木市」のご厄介になる。

 このご時世を利用して、蔵書の再読を試みたり、暗室作業の技術向上に向けての勉学に勤しむつもりが、なかなか思うに任せずにいる。それはぼくが怠惰なのではなく、取材自粛やら中止で撮影不能となった出版社などから、そして催し物などの広報誌から、「写真を貸して欲しい。何かテキトーなものを見繕って」との要望が、幸か不幸か相次いでいるとの事情による。疫病の予期せぬ事態に、社会的弱者である写真屋は、撮影をせずとも思わぬところで余得に与っているともいえる。

 ぼくにしてみれば、提供する写真は “撮り下ろし” (ある目的や趣旨のために新たに撮影すること)の作品ではないので痛し痒しだ。いわゆる “不労所得” の類(ホントは “不労所得” などではなく、それなりにしっかり元手がかかっている)ともいえるのだが、哀切極まる世情にあって、ぼくは快く応じることにしている。
 写真提供ばかりでなく、コメントも付けなければならないので、自宅から社会貢献を果たそうと、涙ぐましい努力をしている。これも、在宅勤務の一種なのかな? そして、今のうちに少しでも出版社に恩を売っておこうとの魂胆がそこはかとなく見え隠れしているようでもある。

 提供する写真はほとんど海外で撮ったもので、フィルム(カラースライドフィルムの変質を恐れ、気に入った写真はデータ化してある)のほうが多い。国内でのものはモノクロ写真(デジタル)が圧倒的に多く、しかも人物を中心としたものなので、使用しづらい面があろう。
 版元の要望に沿うように、古い写真を引っぱり出したりもしているが、なかには30年以上も前に撮ったものもある。それを眺めながら、忘れん坊のぼくではあるが、撮影当時のその状況を事細かに思い起こすことができる。さまざまな思い出が去来して懐かしくもあり、それがつい先日のようにも思われ、月日の経つのがなんと早いことかと、ちょっとした驚きに見舞われている。 
 「若い頃の写真のほうが情緒的だなぁ」とか「おれはほとんど進歩してないなぁ。むしろ後退しているのかなぁ」とか「今、こういう写真撮れないなぁ」なんて感じている。

 少しばかりショックなことは、 “感動を忘れている” のではないか? との思いが頭をよぎることだ。「最近は何でも分かった風な振りをして撮っているのではないか?」と自問自答してみるに、「それが “年相応” というものだよ。ぼくがいつも “年相応” の写真を撮れというのは正しいこと」と返してみせるのだから、この歳になって多少はおませになっているようにも思える。「ああ言えばこう言う」(他人の言葉に素直に従わず、一つひとつ理屈をつけて逆らうこと)を地で行っている自分がいることに、ちょっとがっくりもしている。

 しかし一方では、若い頃は「夢や理想」は善で、「現実」は悪であるという見方をしていたものだが、最近はこれが見事に逆転している。こちらがぼくの今の本心だ。 
 写真の際立った特徴のひとつに、他の分野にはない即物的リアリティがある。ここでいう即物的とは「情緒をできるだけ廃し、事物そのものの本質を見極めようとする態度」とぼくは解釈している。それに従えば、ぼくの「ものの分かった風」にも多少の言い訳が立つというものだ。無意識のうちに、写真が写真であることの証明を試みているのかも知れない。
 情緒的で、理想や夢を写真で語るのは若い世代に任せておけばよく、体験を積み重ね多少の辛苦を舐めた人間は、現実を直視する眼を養い、それを甘受する度量が生まれて良いはずだと考えるようになった。

 現実のなかに有る美を抽出し、そこからものの本質を見据え、自身の佇まいに合わせて肩の力を抜き(これが難事)、無理なく表現することに邁進すれば良いと考えるようになってきた。
 「ああ言えばこう言う」などと醜い屁理屈を捏(こ)ねず、素直に、正直に被写体に対峙できるようになれば、それこそ理想の姿であろうと思うし、しめたものだ。
 
 「歳を取れば取るほど、人は生き易くなる」がぼくの持論であり、その伝写真も斯くあるべしだと近頃つとに思う。これはきっと、より良く生きるため(良い写真に臨むため)のぼくなりの方便でもあるのだが、「筵(むしろ)をもって鐘をつく」(筵で鐘をついても鳴るはずがないことから、論法を誤ることが甚だしいことのたとえ)が如き写真というものがこの世には確実に存在するのだから、「くわばら、くわばら」である。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/492.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE11-24mm F4L USM 。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
ガラス棚に入ったアルミホイール。ここを通る度に気になっていたのだが、どうしてもイメージがまとまらず撮らずにいた。意を決して「取り敢えず」撮ってみた。
絞りf7.1、1/50秒、ISO200、露出補正-1.33。

★「02栃木市」
帽子屋さん。ガラスに反射した空に荷札やいろいろなものが映り込んでいる。ガラスに極薄の何かが貼られているようで、見る角度により色が変化。
絞りf9.0、1/160秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2020/04/10(金)
第491回:鯉の災い
 第480回から途切れることなく計24枚の「栃木市」の写真を掲載させていただいたが(今回を含めれば26枚)、しかしぼくは栃木市の回し者ではない、とまず申し上げておきたい。
 26枚の写真は今年1月に3時間余訪問した時に撮影したもので、本来なら他の場所の写真を掲載したいのだが、日々雑務に追われ、時を同じくして武漢ウィルスの影響も手伝い、作品づくりがなかなか思うに任せない。フラストレーションによるストレスも溜まる一方だ。写真ネタが少なくなればなるほど、クオリティの低下を免れないという不文律に従わざるを得ないのは、職人の端くれとして、どうにも心苦しい。
 
 栃木市通いを始めたのは、今を遡ること17年前。そのきっかけは、17年前に我が倶楽部を立ち上げて間もなく、撮影会と称して小雨のなか、しっとりとした栃木市を練り歩いたことにある。小雨も手伝ってとても良い印象を残した。その時見た佇まいの多くが未だ残されているというのも今時珍しいことだ。
 かといって、彼の地の虜になったというわけでもない。では何故?との疑問は以前に述べたので詳細は繰り返さないが、一言でいえば「昭和っ子のぼくにとって、都度何か新しいものが発見できる可能性が多い」からだ。そんなことも含めて、ぼくはそれ以来この地を贔屓(ひいき)にしているのだと思う。

 歳を重ねるほどに、心持ちは自身の過ごした時代への懐古に傾いて行くのが人情というものだ。曰く「昔はよかったねぇ」との陳腐な科白をぼくも並べ立てたがっているのかも知れない。ジジィになった証拠かな?
 昭和への追憶に浸るだけであれば、栃木市である必然性はないのだが、我が家から地の利の良いことと、車であれば1時間あまりで到着できるので、「手短」を尊ぶぼくとしては都合が良いということもある。

 栃木市一番の名所である巴波川(うずまがわ)沿いに建ち並ぶ蔵屋敷群は一度も納得できる写真が撮れたためしがない。どうしても自分なりのイメージを描くことができないでいる。恨み辛みを言い訳にするつもりなど毛頭もないのだが、撮っても綺麗な絵葉書に似て、そんなものをぼくがわざわざ撮る必然性も感じない。第一その手の写真は、どこにでもあるようなもので、面白くも何ともないと決めてかかっている。それを思うと、やはり腰が砕けてどこか気合いが入らないものだ。
 そんな感情が災いしてか、観光客の目指すあの佇まいを眺めても、一向に気が乗らない。フォトジェニックな何かを発見しようとの努力を自ら放棄し、怠っている。勝負をしようとの気概を自ら殺いでいるのだから、あの川っ淵に立つと身の置き所がなく、狼狽えるばかり。

 栃木市の案内写真、もしくは観光写真に追随する気持はないので、最近は意識的に巴波川沿い遊歩を避けている。「ぼくは観光客ではない」と思いつつも、「もしかしたら良い写真が撮れるかも」という未練がましい写真屋の執念と悲しい性から、ここだけの話なのだが、よせばいいのにちょっとだけ覗いてしまうことがある。邪(よこしま)な気持に突き動かされながらも、周囲を窺いながらこっそりファインダーを覗いてみるのだが、いつも「もしかしたら」の期待は97%くらいの確率で裏切られる。

 そんな時、ぼくは巴波川を泳ぐ大きな鯉の群れに向かって、書くことも憚られるような言葉を浴びせて溜飲を下げることにしている。
 鯉は水面に顔を出し、一人前に髭を生やした貪欲そうな口をこちらに向けパクパクさせ、負けじとぼくをなじっているように思える。前号のカラスに似て、石を投げつけてやろうとも思うのだが、それをすれば心ない誰かに見咎められ、然るべきところに通報されてしまうだろう。
 鯉如きに、栃木市中の出入り止めを食らい、お縄頂戴となっては間尺に合わないので、巴波川沿いではいつも健気に自ら投石願望を封じ、隠忍自重を強いられている。ここで生じる激しいストレスはぼくを盲目状態に誘う。きっと鯉の陰湿なあざ笑いが気になって精神の集中を欠き、あの蔵屋敷群を捉えるチャンスをみすみす逃しているのだと思われる。
 責任転嫁もここまでくれば見上げたものだとぼくは感心さえしているが、しかしこれは科学的心理分析によるところのものとの確信を得ている。栃木市に於けるぼくの唯一の鬼門が、あの観光名所なのだ。因って、栃木市でぼくが封印すべきことは、「絵葉書写真と鯉への仇討ち」との結論に至っている。

 今回は掲載写真の撮影時に於けるポイントを読者諸兄からのご要望もあったので、撮影時に気をつけた事柄をできるだけ簡潔にいつもより詳しく述べてみたい。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/491.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE11-24mm F4L USM 。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
埃だらけのガラス窓越に廃屋の中を覗く。埃のためガラスが白ちゃけている。白い丸はガラスに付着した汚れ。この汚れをどれ程の大きさに描くかは、レンズと窓ガラスの距離、及び絞り値。そしてどこにフォーカスを合わせるかの3点セットにより決定する。左のサッシから入り込む光は汚れたガラス窓によりハレーションを起こしたように拡散するが、白飛びをさせて強調。コントラストの非常に高い被写体なので、後の暗室作業を考慮して、露出補正を決める。画面右に見られる3本の輪はおそらく光の方向と高コントラストによって生じたフレア。僅かな角度でこのフレアは消えるが、ここでは敢えて残す。フォーカスは正面の壁。窓ガラスとレンズの距離は5cmほど。室内はパンフォーカスとなるが、5cmの距離にある汚れ(白丸)はこのようになる。
絞りf8.0、1/20秒、ISO200、露出補正-1.33。焦点距離24mm(APS-Cサイズであれば約15mm相当)。

★「02栃木市」
三段積みされた大きなタイア。画像の中心から外方向に向かってすべてを放射状に歪ませる。そのためにカメラは僅かに下振りにする。そこで安定感を保つために対角線の構図を取る。日没時の空を飛ばしたくないので、露出補正は、後の暗室作業を考慮し適切と思える濃度に調整。ここでは-1.33まで落としたが、タイアの大部分は黒潰れしない。青空(右上)がまだ残っていたが、全体が賑々しくならぬように、極力青の彩度を下げ、周辺光量もソフトを使用し落としている。扱いの厄介な超広角レンズの醸す非現実的な世界。悪戯心には持って来いだ。
絞りf8.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.33。焦点距離約13mm(APS-Cサイズであれば約8mm相当)。



(文:亀山哲郎)

2020/04/03(金)
第490回:無理難題
 今まで多くのクライアント(ディレクター、デザイナー、編集者、ライターなど)と一緒に仕事をしてきた。撮影での意思疎通をしっかり図れる場合もあるし、打ち合わせの時間が取れないことも稀にある。そのような時は、いきなりのぶっつけ本番となる。
 こんな時、大抵の同行者(責任者)はいつだって、「おらぁ知らねぇよ。写真はあんたにかかっているんだから、ちゃんと撮ってよね」という風な顔をすると相場は決まっている。言葉巧みに全責任を何とかしてカメラマンに負わせようと企む。確かに撮影の最終的全責任はカメラマンが負うのだから、地団駄踏みながらも返す言葉がなく、ぼくはそれがヒジョ〜に悔しい。
 ついでに彼らに追い打ちをかけておくと、彼らの言葉の端々、そして一挙手一投足から責任転嫁の魂胆が随所に見え隠れする。つまり丸見えなのだ。彼らのそのような性癖は、商売柄からなのか、生まれつきのものなのか分からないが、とにかく性根が悪くひねくれているので、始末に負えない。微に入り細を穿ちながら、隙を見ては「おらぁ知らねぇよ」を貫き通すのだから、お里が知れるというものだ。
 撮影現場ではお山の大将のカメラマンだが、社会的には底辺に住む最も弱い立場にある。弱い者いじめをして憂さを晴らそうとする彼らの底意地にはそのうち天罰が下るであろう。と、ぼくもここで憂さを晴らしておく。

 また、撮影現場では何が起こるか分からないことも多く(必ずといっていいほどハプニングが生じる)、予期せぬ状況に出会った時は都度額を寄せ合い、お互いにない知恵を振り絞りながら「あ〜だこ〜だ」と策を練る。専門家同士が綿密に打ち合わせをしても、写真は実際に撮ってみなければ分からないものだ。ここが恐い。
 写真撮影とは常に結果オーライの世界で、結果が伴わぬ時、「こんなに一生懸命やったのですが」の科白は一切通用しないし、耳を傾けてももらえない。まことに因果な商売である。過程ではなく結果がすべて。金銭の授受が行われる以上、他の職業とて同様だろう。ただ写真は一発勝負で、やり直しが利かないから、ことさらに神経を消耗する。野放図のぼくでさえそうだ。
 もし再撮が可能であっても(不可能な場合が多く、もしできたとしても人件費を含めた全員の経済的損失は免れない)、それは自身の写真屋としての歴史に大きな汚点を残すことになる。あるいは職を失うことだってあるだろう。

 依頼主の注文通りの、もしくはそれを凌駕する映像が得られた時(本来、注文通りは当然のことであり、相手のイメージする以上のものを提供できてこそ、職人の意地が通せるというものだ)、お褒めの言葉をいただくが、ぼくは撮れて当たり前だという風な顔をして返すことにしている。それはささやかで控え目な写真屋の意地なのだろうと思う。

 今から20数年前、ある建築会社の撮影を年に数度請け負っていた。馴染みとなった年配の担当者とは通じ合えることが多く、現場ではぼくの思い通りにさせてくれていた。
 落成を控えた新建築の撮影のため、ぼくはその前々日、冬の長野市に入った。いわゆる「ロケハン」のためだ。当日、指定された建造物を前に、ロケハン時に従って何通りか撮ることに決めた。
 使用カメラは大型の8 x 10 インチ(フィルムの縦横が203 x 254mmで、小型カメラ24 x 36mmのフィルムとは面積比にして約60:1という大きさ)で、カメラをセッティングしてからシャッターを切るまで、どんなに急いでも15分はかかるという厄介な代物である。露出を変えながら何枚か撮るので、最低でも30分はかかる。
 いよいよ最終カットとなったところで、空から雪が舞い降りてきた。

 担当者とぼくはしばらく無言のまま天を仰いでいた。お互いに発する言葉を失っていた。時間にして1分くらいのものだろうが、すべてが凍りついたようだった。寒空にカラスの鳴き声だけが耳のなかで響き渡り、やたら長く感じたものだ。この時ほどカラスに憎しみを抱いたことはない。あの間の抜けた鳴き声がこの時ほど癇に障ったことはない。
 「今はカラス如きに気を向けている場合ではない。あとで石をぶつけてやる。見てろよ」と、憎悪の感情を押し殺しながら、我々はどちらが先に口を開くか、我慢比べをしていたようなものだった。きっと歌舞伎の好きな彼も、カラスに対する仇討狂言を密かに描いていたのではないかと想像する。

 普段から陽気な彼は、「かめやまさんなら、雪を写さずに撮れるでしょう」と、言うに事欠いて、カラス以上にぼくの神経を逆撫でた。笑い声は、声帯を損ねたカラスに似て、スタッカートで「ケッケッケ」と聞こえた。
 この無理難題に、ぼくは鬨(とき)の声を上げながらも、孤独な闘いを強いられたのだった。考えられることのすべてを集約し、施してみようと呻き声を上げながら、鉄アレイのような三脚と重量溢れるカメラを物ともせず移動しながら、果敢に試みた。

 シャッター速度を長くすること。NDフィルター(Neutral Density の略。減光フィルターともいい、灰色もしくは黒色で、シャッタースピードを長くするために使用する)の濃度を段階的に変え、舞う雪をフィルムに定着させない。コントラストが低くなるので、増感現像(カラースライドフィルムの現像時間を長くして、コントラストを高める)をする。これがぼくの考え得る手立てだった。
 結果、万全とはいかなかったが、「雪を写さない」という声帯の壊れたカラスの要望に応えることはできた。今なら、デジタルでさらに良い結果が得られたであろうと悔やまれるが、この時の手法は今も小さな引き出しに大事に仕舞われている。

http://www.amatias.com/bbs/30/490.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE35mm F1.4L USM 。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
日が沈み、まだ明るさが残り火のようにある時間帯。ショーウィンドウにひまわり、桔梗、菊が飾られていた。何故か宗教的なものを強く感じ、思わずレンズを向けた。赤い点はブレーキランプか信号の写り込み。
絞りf5.6、1/20秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
路地裏に入り込んだら模様ガラス越しに並べられた食器類。面白い色合いに惹かれて。
絞りf6.3、1/40秒、ISO200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2020/03/27(金)
第489回:写真の悪夢
 ぼくは毎晩夢を見る。生涯忘れ得ぬ夢もあるし、数時間で忘れ去ってしまうものもある。それは読者諸兄とて同様であろう。
 ただ、人の話を聞く限り、ぼくの夢見の記憶はすこぶる良いらしい。夢での出来事を話すと、「よくそんな細々としたことまで覚えているね」と皮肉られる。何故なら、現世に於けるぼくは自他ともに認める “忘れん坊” であるらしいからだ。
 そして、「かめさんは、ホントは忘れん坊なのではなく、いつも人の話を上の空で聞いているからだ。ホントに始末が悪いと思うことがよくある。ホントだよ」と、「ホント」を連発しながら襲いかかってくる。だが、それはホントのことなので、ぼくは反論しないことにしている。反論すれば、小回りの効きすぎるずる賢い相手に対して自ら墓穴を掘ることになる、ということをホントに賢いぼくはよく分かっているからだ。

 一般に「世間話」といわれるものに、ぼくはまったく関心がなく、そんな話題に対しては、いつも馬耳東風に徹している。時には写真に関する話でさえ、無関心でいることがあるくらいだから、俗にいう「オバタリアン」らしき話には閉口を通り越して、苦痛すら覚える。馬耳東風どころか、耳を塞いでしまいたいくらいだ。

 友人は、「だからさぁ、あの時さぁ、ちゃんといったでしょ! な〜んにも憶えていないんだから」と詰め寄ってくる。ぼくとは住む世界が斯様に異なる人々に対しては、もう手の打ちようがない。そんな時、ぼくは一応降参のポーズをして見せることにしている。それが賢者の知恵というものだ。このような時、しどろもどろな答え方をしてはいけない。
 しかし、このことは記憶力云々の事柄ではなく、ぼくの生活感情に基づく「生き易さ」に従っている所作に過ぎない。それを妄挙という人もいるだろうが、そのような人は、自身の話には必ず耳を傾けてくれるものだとの願望的錯覚を有しており、したがってぼくに対する非難は、そこから派生した独りよがりの横着思考だと考えている。違うかな?

 話を夢に戻して、良くも悪くも、鮮やかな夢の記憶は長続きするものだ。夢の不思議についてぼくは専門家ではないので、生理学的・心理学的に語ることはできないのだが、多くの場合夢に出現するシーンというものは、現世に於ける心の引っかかりに起因していることが多いと思われる。
 ネガティブ(恐れや不安)なものは、心の奥底に長く沈殿し、そして浮上の機会を虎視眈々と窺っている。ポジティブ(喜びや愉快)なものは、淡泊であるが故に忘却が早い。
 したがって、良い夢と悪い夢の割合は3:7くらいのものではないだろうかと思う。目覚めとともに、「ああ、夢で良かった」と思うことのほうが圧倒的に多いのだから、ぼくは身の不運を嘆く。いわゆる「夢見が悪い」とでもいえばいいのか。

 若い頃は、試験日を間違えたり、科目を間違えたりして、夢の中でよく憤死・頓死を繰り返していたものだが、いつの頃からか(多分40歳頃を境目に)そのような夢はあまり見なくなった。ウィルスではないが、沈静化していった。ほっとしたのも束の間、それに取って代わった悪夢が、写真である。

 カメラを忘れて撮影現場に行ってしまった信じ難い “ホントの実話” は、かつて拙稿で述べたことがあるが、カメラ機材の多さに於いて、コマーシャル写真は群を抜いている。大型の四輪駆動車に荷物を満載して現場に出向くことになる。最近はコマーシャル写真から距離を置いているので、小型の乗用車で済ましているが、当時のことが非常にしばしば夢に出てくるのだ。

 四駆を運転しながら、どうしてもロケ現場に辿り着けず、担当者に連絡を取ろうにも携帯電話の使い方が分からず、右往左往している。時には番号ボタンのない !? 携帯電話との格闘は凄まじいものがある。夢ならではのものだ。
 あるいは、山の中でフィルムがなくなり、麓に下り、それらしいカメラ店に飛び込むのだが、必要とするフィルムが売っておらず、途方に暮れたりもする。
 レンズがない、三脚を忘れた、ストロボが発光しない、露出計が壊れている、発電機が回らない、フィルターがないなどなど、未曾有の種々雑多な厄災が津波のように次々と襲ってくる。

 特にアシスタントとして働いていた修業時代の夢は他人に見せたいくらい出色の出来映え?で、鮮烈そのものである。おそらくぼくの生涯で最も苛酷で、無我夢中な時期だったからだろうと思う。
 撮影手順を間違え、師匠からこっぴどく叱られたり、どつかれたり(どつく。関西弁。叩くとか殴るという意)、どうして良いか分からずに目の前が真っ暗になる。目覚めてからも正夢ではないかと思うことがよくある。夢と現実の狭間を漂うことしばし。「ああ、夢でよかった」と思う隙間を与えてくれないほど、それはいつも迫真性に溢れたものだ。ぼくは未だにそんな悪夢にうなされ続けている。因果応報なんでしょうかねぇ?

 今回は、ホントは夢の話ではなく、実際にクライアントから押しつけられた無理難題の撮影2題について書く予定だったが、いつの間にやら話が横に逸れっぱなしとなってしまった。次回に書くつもり。ホントかな?
 
http://www.amatias.com/bbs/30/489.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE35mm F1.4L USM 。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
この建物を見て、持っていた愛聴LPレコードのジャケットを咄嗟に思い浮かべた。ここは何の商売をしていたのだろうか? 看板のあった痕跡がひん曲がり、多くの客がこのドアをくぐったに違いない。
絞りf5.6、1/40秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
奇妙な色に魅せられて。錆が浮いているが、下地は青だったのだろうか? 以前に描かれたと覚しき字がかすかに浮き上がっており、なんとも不思議な感覚に囚われた。
絞りf8.0、1/80秒、ISO100、露出補正-0.33。


(文:亀山哲郎)

2020/03/27(金)
第488回:「気色の悪い」ことばかり
 毎年恒例となった我が倶楽部の写真展(4月21日~26日)は、現在のところ、会場である埼玉県立近代美術館が臨時休館しており、開館時期は未定とのことで、こればかりは如何ともし難い。今年は武漢ウィルスのため何もかもが先行き不透明で、どうなることやら。
 
 ぼく個人も、今月10作品ばかり出展を予定していた催しが中止になった。武漢ウィルスの余波は私たち個人の間にも入り込み、今や全世界を覆い、計り知れぬ影響を及ぼし、喫緊の問題となっている。
 第485回にも述べたことだが、我々市井の臣は防疫を心得ながら普段通りの生活を送るしかない。ぼく個人に限っていえば、満員電車に乗ることを義務づけられているわけでもなく、人の密集度の高いところは意図的に避けることができるので、それは一応の救いともいえるが、しかし感染確率との因果関係は不明なのだから、当てにはならず、防疫といっても気休め程度のものだ。目に見えないものを敵に回すことほど「気色の悪い」ことはない。

 枕はこのへんにして、写真好きの同窓生A君がこんなことをいってきた。「ぼくが写真を撮るのはもっぱらスマホだけなのだが、見るのはとても好きだ。写真鑑賞は趣味のひとつといってもいい。荒唐無稽な質問だと重々承知なのだが、写真撮影って、どんなものが一番難しいのか?」。
 その質問は、彼のいう通りまさに荒唐無稽であり、こしらえごとでもある。彼は無理難題を知りながらそれをぼくにふっかけ、困る様子を見て愉快がっているようにも見えた。彼は今までぼくのオリジナルプリントを3点も購入してくれているので、写真に対する趣味は際立って良いのだが、その質問はあまり良い趣味とはいい難い。
 かといって写真を生業としているぼくは、出放題の嘘を並べ立てるわけにもいかず、頭の中のあまり上等ではない辞書を繰りながら、「それを一言でいうのであれば、 “由無し” (よしなし)というんだよ」と返した。そして、「 “由無し” って分かるか?」とつけ加えた。「 “由無し” というのは、理由・根拠・係わり・由緒などがないという意味で、つまりぼくにしてみれば説明の術がないということね」と、彼を煙に巻きながら諭しにかかった。
 「いや、君はプロなのだから、荒唐無稽なことにも、それなりに答える義務があるんじゃないの?」と、食い下がってきた。まったく趣味の悪い男だ。

 彼の仰せに従って、ぼくは真面目にこの問題を考えてみた。結論からいえば、撮影者が何を表現したいかに尽きるように思う。畢竟、結論など導き出せないのだが、それでは身も蓋もなく、何十年も写真に従事してきた職業人としてちょっとだけ体裁が悪く、「気色の悪い」ことでもある。

 撮影者には被写体に対する好き好きがあり、また向き不向きもあるので、これについて語るにはまったく個人的なことに限られてしまうのではないかと思う。しかし、逃げを打つと思われたくないので、考えられる最大公約数的なことがらについて触れてみる。
 ひょっとして、当たり前のことを改めて述べることになってしまうかも知れないが、10年もの間毎週書いているので、ぼくとて歳とともに痴呆(現在では厚生労働省により「認知症」という言葉に置き換えられている)気味となっているに違いなく、そこはお目こぼしを願いたい。

 ぼくの専門であるコマーシャル写真にもいろいろな分野がある。大雑把にいっても、物撮り(ぶつどり。商品撮影など)、ポートレート、料理、建築、宝石、ファッション、風景などに分けられるが、ダボハゼのようにぼくは何にでも食らいつく。得手不得手はあっても、ほとんどのコマーシャルカメラマンがそうだろう。得意分野だけではなかなか糊口を凌ぐことが難しいからだ。ぼくがお断りする分野は、水中写真と大股開きの写真くらいのものだ。
 さてそこで、プロ・アマ関係なくどの分野にも当てはまる共通項は、当然のことながら、写真の基礎知識と基礎技術だ。「基礎」とはいえ、それを臨機応変、手足のように使いこなすには、かなりの修業と忍耐強さがあってこそのものだ。もうひとつつけ加えるのであれば、ライティングの技術なのだが、これはアマチュア愛好家には最も縁遠い事柄なのでここでは触れない。

 どの分野にも、それぞれ異なったノウハウと約束事が存在するが、それはあくまで「基礎」あってのこと。それらをすべて勘案しながらも、最も大切なことは「場数を踏むこと」に尽きる。この努力がぼくのいうところの「修業」。
 先に、臨機応変とも書いたが、多くの場数を踏み、そこで得たノウハウを頭に溜め込み、たくさんの「引き出し」を作ることが肝要なことだと考えている。これがないと(引き出し)、応用が利かないということになる。「引き出し」を持っていないと、被写体を前に、いつもあたふたとするか、その反対に惰性に身を任せるかの二者択一しかできなくなってしまう。そこに堂々巡りが始まる。ぼくだってそれが「分かっちゃいるんだけれどね」。

 写真は何万枚撮ろうが、同じ条件はふたつとしてないことを肝に銘ずべし、ということになる。その場で得たあらゆるデータを頭の中に蓄積し、「この状況下では、この引き出しを開ける」ことが思いつけば一安心できるのだが、その「引き出し」に何が入っているのかを記憶しておかなくては、せっかくの場数も元の木阿弥、海の藻屑となる。 
 「あの時どうしたっけな?」の科白が歳を重ねるにつれ多くなってきたような気もする。いろいろなことが思い出せないがために、やたら日常会話に代名詞が登場することになる。相手も、分かった風に装うから嫌になる。しかし、大事な「引き出し」を思い出せねぇってぇのは、「気色の悪い」こった。

http://www.amatias.com/bbs/30/488.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE35mm F1.4L USM 。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
人気のない古ぼけた建物を眺めていたら、いきなりシャッターが開き、ヌーッと赤いフォルクスワーゲンが顔を出した。
絞りf8.0、1/80秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
驟雨のなかの自画像。「雨ニモマケズ 冬ノ寒サニモマケズ 金欠ニハオロオロ歩キ・・・」。鏡のドアの前を横切ったら、白髪の人物がいて、よく見たらぼくだった。その悔しさにカメラを向けてみた。
絞りf7.1、1/25秒、ISO100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2020/03/27(金)
第487回:カラー写真再検討(3)

 ぽかぽか陽気につられて、昨日はTシャツ1枚の出で立ちで久しぶりに1時間半ほど散歩に出かけた。ここのところ家に閉じ籠もり、キーボードを打つ指が痛くなるほど生真面目かつ不健全な生活を強制されていたため、薄らと汗ばむ散歩は良い気晴らしとなった。

 菜の花も満開で、桜も3~5分咲といったところか。しゃがみ込んで青空に映える菜の花をローアングルから観察がてら、「これぞまさに前号で述べた補色関係(B(青)→Y(黄))の見本だわ。記念にスマホで撮っておこうか」とも思ったが、前号で言い放った「絵葉書写真じゃないんだからさぁ」に従って、スマホをポケットから出すことはしなかった。

 もちろん、「絵葉書写真」(きれいにしっかり写し撮ることを指す)が悪いということではない。それは、情景をできるだけありのままに写し撮り、相手に伝える手法の一分野として立派に成り立っているのだから。
 ぼくがいいたいのは、「絵葉書写真」のようなありのままの情景ではなく、作者自身の姿や佇まい、思想や感情をフィルターとして描かれた世界の具現化が、創造物だと考えている。そこには、自身のアイデンティティー(自分が自分であることの証)や人生観が窺えるようなものがあって然るべきで、それが創造の意義であり、原点でもあると思っている。ぼくには「絵葉書写真」を撮ることの必然性が見出せないということなのだ。

 自分を差し置いて、人様の写真に対して、「この写真、あなたが撮る必然性がないでしょう。あなたがどう感じたかを頭の中で描き、それを写真で表現してこそ、意味があるんだよ。きれいに写し撮ることは基本中の基本であることは否定しないけれど、そこから一歩抜き出たところから写真本来の面白さが始まるんだ」がぼくの常套句ともなっている。

 題目としてしまった「カラー写真再検討」だが、横道に逸れながらもぼくのお話ししたいことを書き連ねようとすれば、やはり10回くらい連載しなければならなくなる。読む人が、『そして誰もいなくなった』ということになりかねない。余計なことだが、この著者であるアガサ・クリスティ(英国の推理作家。1890-1976年)は、世界有数のベストセラー作家だが、ぼくのなかでの評価は高くない。

 余談はさておき、フィルム時代、公私にわたってカラー写真(99%がスライドフィルム)を何万枚も撮った。デジタルを含めれば膨大な数になる。
 フィルム時代には難しかったカラー写真の暗室作業が誰にでもできるようになったのは、デジタル写真が出現してからだ。その意味で、デジタルのもたらした恩恵は計り知れないほど大きい。
 特に、客観的表現や印象主義的な表現から脱して、内面の主観的な表現に主眼を置こうとする愛好家にとって、カラー写真の暗室作業が身近になったことは、従来の概念を覆すほどのものといっても過言ではないだろう。

 極言すれば、「あなたはあなたの描いた写真を思いのままに操れる」ということになる。情景をありのままに描写することから、今度は見つけた被写体にどの様な想いを託してシャッターを切るのかとの段階に進むことになる。「何故それを撮るのか?」との原点に立ち返る必要に迫られる。
 そこには幸福感や喜びよりも、行き場のない不安感や閉塞感、悲観、虚無、孤独、恐れなどなど、よりネガティブなものが真っ先に想起され、そして突き刺さり、表出してくるものだとぼくは考えている。ぼくのような楽観的な人間でさえそうなのだから、くよくよしがちな人の苦労は察するに余りあると思うのはぼくだけだろうか?
 そしてまた、前述した「自身の姿や佇まい」に於けるネガティブなものは個人の差こそあれ、生を営むうえで避けることのできないものとして受容しなければならない。その受容の仕方が作品にダイレクトに反映されるのではないかとぼくは思っている。「作品は全人格の鏡。だから恐い。徒や疎かにしてはならじ」と以前に述べたことがあるが、気の弱いぼくはいつも自分の写真を見てはがっくりしている。

 時たま、「モノクロとカラーはどちらが難しいですか?」と問われることがある。この両者は、囲碁と将棋を比べるようなもので、そもそも比較の対象にはならず、曰く言い難しだが、「被写体に出会った時に描くイメージに左右される」と答えるしかない。ぼくに限っていうのであれば、街中の人物スナップやポートレートはモノクロで。その他は今のところカラーのほうに傾きがちである。
 フィルム時代、カラー写真はもっぱらスライドフィルムを使用しており( “使用せざるを得ず” といったほうがいい)、多くの場合それはぼくにとって鮮やかすぎると感じたものだ。前述したネガティブな感情を表すには、デジタルはその方向性に沿って暗室作業ができるので、より融通が利くと感じている。
 色が濁らぬほどに彩度を控え目にし、ある程度シャドウを犠牲にしてでも極力ハイライトを飛ばさないとの方向に傾きつつある。
 カラー写真を始めてつくづく思うことは、やはり「絵葉書写真じゃないんだからさ」に尽きるのかも知れない。

http://www.amatias.com/bbs/30/487.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L USM、FE35mm F1.4L USM 。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
裏通りに一際目立つバーの壁。本当はもっと明るく平和な赤色なのだが、人間は虐げられた生活を送るとこのように見えるものだ。
絞りf8.0、1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
中学以来、理髪店に行ったことがない。自分で切ってしまうので、ぼくの髪はいつも虎刈り状態。なので、理髪店を見るとそこはかとなく憧れに似た気分になる。湿気で曇ったガラスの雰囲気と室内を白く飛ばさぬように留意。
絞りf6.3、1/25秒、ISO200、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/03/27(金)
第486回:カラー写真再検討(2)
 デジタルカメラはほんの一部を除き、ほとんどの機種がカラーで撮影される。最終的な目的がカラー写真であれ、モノクロ写真であれ、まず知っておかなければならないことは「光と色の三原色」とその「補色関係」についての事柄。これを厳密に記せれば、とても複雑になってしまうので、ここでは大雑把かつ必要最低限に留めようと思っている。

 すでにご承知の方もたくさんおられると思うが、一応のお復習いとして述べておくと、色には「光の三原色」と「色の三原色」がある。

 「光の三原色」を利用したものの代表例として身近なものをあげれば、PCやカメラのモニター、スマホのディスプレーなどがそうである。いわゆる発光体の放つ色がそれである。
 「光の三原色」は、R(赤)、G(緑)、B(青)で構成されており、一般に「RGB」と呼ばれる。「光の三原色」は色を混ぜ合わせるに従って、色が明るくなり、三色を等量に加えていくと白になる。これを「加法混色」と呼ぶ。

 「色の三原色」は、印刷物やカラー写真の印画紙、絵画などなど身の回りの物体のほとんどが「色の三原色」を利用している。C(青緑)、M(赤紫)、Y(黄)、つまり「CMY」と表示される。
 「色の三原色」は、色を混ぜ合わせるにつれ、色が暗くなっていくので「減法混色」と呼ばれるが、すべてを混合すれば理論的には黒になるのだが、実際には色材(インクや絵の具、塗料など)が、理想的な反射特性を持っていないため、暗茶色や暗灰色になってしまう。そこで、CMYにK(黒。BlackのK)を追加して、黒を表現している。それが、「CMYK」と呼ばれる所以である。

 “数値” で表現できる色は、「光の三原色」(モニターなど)は約1,600万色で、「色の三原色」(カラー写真を印字した印画紙など)は約1億色といわれるが、実際の表現領域は「光の三原色」のほうが勝っている。
 PCのモニターで見た写真をプリントしてみると、色の彩度やコントラストが、モニターに比べ若干不足していることにお気づきであろう。モニターのキャリブレーションを正確に整え、使用印画紙のICCプロファイル(印画紙に応じたインクの噴射量を調整する機能)を精密光学測定器により作成し、プリントしてもこの現象は起こる。
 RGBをCMYKに正しく変換しようとしても、元々物理特性が異なるのだから、この現象は無理からぬことと諦めざるを得ないのだが、しかし、酷似させることは可能である。この差異をどこまで許容するかは個人の問題となるので、ここでは触れない。
 余談だが、同じ写真でも、どの様な光源下で見るかによって、色調は異なって見えることがままある。これをメタメリズム(条件等色)という。

 光と色の三原色を理解したうえで、次なる段階は「補色」。「補色」とは、色相環(カラー・サークル)で、正反対に位置する色を指すのだが、簡潔にいえば、R(赤)→C(青緑)、G(緑)→M(赤紫)、B(青)→Y(黄)となる。(「補色」を検索すれば、色相環が実際に記されているので、そちらをご参照下さい)。
 これも厳密にいえば多くの要素が絡むのだが、上記した大まかな原則さえ知っていれば、ほとんどのことに用立てることができるので、それで十分だとぼくは思う。

 「補色」を知れば、撮影時や暗室作業時をする時に、その効用は計り知れないものがある。フィルムであれば、撮影時に使用するフィルター(特にモノクロフィルムには欠かせぬ要素でもある)の選択に迷いが生じることもなく、またデジタル写真を補整する際には、最大の効力を発揮できる。
 デジタル写真に於ける「色被り」や「色の偏り」など、ホワイトバランスを調整(色温度と色相)することにより除去できる。これも「補色」関係を利用したものだ。

 ぼくは真っ青に晴れ上がった雲ひとつない空の下でのカラー撮影にいつも頭を痛める。いわゆる「ピーカン」時の被写体は非常にコントラストが強く、撮影には不向きという点はさておき、真南に太陽が来た時の、のっぺりとした抑揚のない空をどの様に表現すれば、最もぼくの心象に寄り添えるかに頭を抱えてしまうのだ。
 撮りっぱなしの表現ではあまりにも「あっけらかん」として、呆けた写真になりやすい。しかもグラデーションが貧弱で、ぼくの重んじる空気感や緊張感を生かし切れない場合が多いと感じる。「絵葉書写真じゃないんだからさぁ」とつぶやきながら、そのような時は、できるだけ空を画面に入れない構図を取ろうと苦慮することが大半。

 仕事の写真とは目的が異なるのだから、私的写真を撮る時に、そんな煩わしい制約に縛られるのは御免蒙りたい。自由な気分での写真は、陽が西に傾き始める時間帯が、ぼくの頃合いでもある。まぁ、寝坊助で立ち上がりが人一倍遅いということもあるのだが、夕刻から日没までは、光の具合も斜光となり、のっぺりとした空にもグラデーションがかかり、被写体がドラマチックに映えることも好都合だ。ただし、太陽を背に負うと自分の影がどうしても画面に入り、往生することもある。「あちらを立てればこちらが立たず」というわけだ。
 今回も、紙数ここに尽きたり。2回で書き終えるつもりが、続きはまた次回に持ち越しということで。

http://www.amatias.com/bbs/30/486.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
幼稚園児の頃、夢の中でモスグリーンに塗られた裸の男の屍を見た。とても不気味だったことを覚えている。未だにその映像が脳裏に焼き付いていおり、このポスターを見た瞬間に思い出してしまった。ホワイトバランスは敢えて取っていない。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02栃木市」
昭和時代の風雪に打たれた看板建築。日没に近く、空は色濃いグラデーションに染まった。ここに掲げてあるエステのポスターのアップが上の写真。
絞りf7.1、1/100秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2020/03/27(金)
第485回:カラー写真再検討(1)
 世の中は武漢肺炎ウィルスの話で持ち切りだが、楽観主義のぼくは、防疫を心得ながらいつも通りの生活を送るようにと自分に言い聞かせている。敢えて危険を冒すには及ばないが、今のぼくにとっては “普段通り” が賢明なことだと考えている。気持を萎縮させては一写真屋のぼくは前に進めないからだ。
 ウィルスは目に見えないので、考えようによっては気楽だが、その反面不気味でもある。放射線はガイガーカウンターなどの検知器を用いれば避けることができるが、存在の知れないウィルスに対しては打つ手がない。したがって、正しく恐れながらも、平常心を保つことを心がけるのが一番。
 ニューヨークで報道に携わっている2人の友人からの情報を参考にしながら、ぼくはそんな決め事をしている。(これを書いているのは、2月27日)

 前号にて書くつもりでいたことを、今改めて試みようと思ったのだが、イマイチ気が乗らずにいる。その原因のひとつは、本掲載のために選択した2枚の写真の補整がイメージ通り再現できずにいるからだろう。
 「また変わり映えのしない写真を性懲りもなく撮ってしまった」との後ろめたさも手伝って、ちょっと気恥ずかしいのだが、「同じ事を何度も飽くことなく繰り返すことが物事の真理に近づく最も良い方法だ。きっと今までに見えなかった何かが見つかると信じよう」とかなんとか、そんな弁明をしたくなる。それをして方便ともいうべきか。
 因みに「方便」を辞書で引いてみると、「ある目的を達するために便宜的に用いられる手段。真実の教えに至る前段階として、教化される側の、宗教的能力に応じて説かれた教え。都合のよいさま」(大辞林)とそれぞれの解釈がある。さて、どれを取るか?

 1週間に得心のいく写真を2枚などと、ぼくの技量を顧みれば撮れるはずもなく、それは無理難題であり、無謀とさえいえる。とても覚束かないのだが、自身を鼓舞するためにおかしな義務を課してしまったことを今更ながらに後悔している。身の程知らずもいいところだ。

 カラー写真に取り組んでからこの夏で3年が経とうとしているが、日々暗中模索が続く。元はといえば、ぼく自身のモノクロ写真(街中の人物スナップが中心。しかし個人が特定できてしまうので、残念ながらネットである本連載では発表できずにいる)のトーンを発見したいがために始めたことなのだが、これがなかなか思うに任せない。そんな簡単なものではなさそうだ。
 モノクロ写真の大御所であり、敬仰すべきA. アダムスの提唱したゾーンシステムはアマチュア時代に習得することができたつもりでいるが、それはぼくの作風には合致しない部分があるため、あくまでモノクロ写真の基本・支柱とし、心の片隅に置いておけばいいと考えている。
 そこから離れてぼく自身の “モノクロ色” を模索しなければとの思いで、カラー写真の再検討を始めた。

 ぼくの好きなアメリカの画家であるアンドリュー・ワイエス(1917-2009年)の、色の濃淡(シャドウやハイライト、彩度などなど)の描き方を良い手本として(それはゾーンシステムのありように合致しているように思われる)、それをカラー写真に転写してみようと考えていた。
 しかし、被写体を前にして実際にぼくの心象として浮かび上がってくるものは、もっとコテコテでドロドロしており、今ワイエスの素晴らしさを一旦忘れ、遅まきながらも自身の作品は傍目(はため)を憚ることのない作品であるべきだと思うようになった。換言すれば、より自分に正直であることが最良であるとの思いに至っている。たとえ他人がげっぷをしようとも。
 不信心者を自認するぼくだが、ちょっと気障な言い方を許してもらえば、「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」(ぼくの敬愛する良寛さんの言葉)というところか。

 心情に寄り添う理想主義的なものと、写真である以上現実主義的なものをほどよくバランスさせ、それらを上手く束ねて融合させなければならず、いささか観念論的ではあるが、その兼ね合いに容易ならざるものを感じている。
 理想主義に過ぎた写真は、ややもすればファンタジー(ここでは “少女趣味的な根拠のない空想” 、もしくは “自身の歳不相応な” という意)に偏向しがちなので、それはぼくの好むところではなく、しかし目の前にある現実をただ単にきれいに写し撮るだけでは深みに欠け、やはり作品としては偏頗(へんぱ。配慮や注意が一方にだけ偏り不公平なこと)なものとなり、好ましくない。それでは作品として成り立たないと思っている。

 カラーもモノクロと同様に、ぼくはハイライトを飛ばすことを嫌い、その自制に努めている。特に曇り空や青空に浮かぶ白雲を飛ばしてしまっては、全体の醸す空気感や緊張感が殺がれてしまい、立体感も損なわれる。デザイン的なものを重視するのであればそれでもいいと思える場合もあるが、ぼくの求める “写真のリアリティ” や “質感描写” に重点を置くとそうならざるを得ない。
 したがって、デジタル写真に於けるぼくの露出基準はフィルムとは逆にハイライト基準となる。掲載写真の撮影データの露出はほとんどがマイナス補正であるのはそのためだ。

 肉眼の認識できる明暗比は約1:20,000であり、写真の表現域は約1:200でしかない。このことは以前にも述べたことがあるが、写真の明暗比は圧縮を余儀なくされることになる。ハイライトは飛ばさず、シャドウも潰さない(露出と現像による調整)との方法論がゾーンシステムだが、風景写真を基調としていないぼくはシャドウをある程度犠牲にしてもかまわないと考えている。
 1回ではやはり思うところを書き切れないので、続きは次回に繰り越すことに。

http://www.amatias.com/bbs/30/485.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
廃業か開店休業なのか分からないが、昭和時代の風雪に打たれた佇まいを見ると何故か望郷の念に駆られ、知らずのうちに襟を正し、シャッターを切っている自分に気づく。
絞りf8.0、1/80秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
思わず「バッチィ奴やのう。可哀相に。おれがアーティスティックに撮ってやる」と。昔からいつも日陰でばかり見るアオキ。ホントに君は日陰者なんだね。
絞りf7.1、1/25秒、ISO200、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2020/02/21(金)
第484回:今日も独り言
 フィルム時代、暗室に入り浸っていたぼくはとうとう病膏肓に入り(やまいこうこうにいる。あることに熱中して抜け出せなくなること)、身を処す手立てを失ってしまった。
 当時、編集者として出版社に席を置いていたが、暗室作業ばかりに気を取られ、編集者としての任務が疎かになり始めていた。そんな状態では会社に迷惑をかけると思い、一大決心をして、よせばいいのにこの道で自分を試してみようなどと不埒な考えを持つに至った。これをして「魔が差す」というのだろう。悪念に取り憑かれ、気がついた時にはすでに後戻りの道を失っていた。

 当時ぼくには小さな子が2人おり、そんな身勝手なぼくを見て嫁は離婚を申し出てきた。家族に対する責務を放棄してまで、この道に突き進んで良いものかどうか。ぼくは良心と闘いながら呻吟したものだが、幸いなことに嫁から2年の猶予が出た。執行猶予のようなものだ。「渡りに船」とはまさしくこのことだ。ぼくは嫁に大きな借りを作ってしまった。
 「案ずるより産むが易し」というではないかと、ぼくはそれを念仏のように唱えるとともに、覚悟を決めた。さまざまな趣味に興じていたぼくは、同時にすべてを潔く捨てた。それらは未だに捨てたままになっているが、趣味を職業としてしまった不始末として甘受しなければならないと思っている。
 2年経って写真で食うメドが立たなければ、すっぱり足を洗い、どんなことをしてでも家族を養うことを最優先にしようと心に決めた。また、覚悟さえ持てば、どんなことにも挑戦する資格があるのだと、自身を諭すことも忘れなかった。

 写真の修行期間を2年と定め、徒弟制度を経て、フリーランスの写真屋として出発したが、サラリーマン時代に築いた人脈もあってか、さまざまな人たちがありがたくも手を差し伸べてくれた。ただし、元在籍した2社の出版社にお願いすることは憚られたので、それはしなかったが、回り回ってご好意に甘えることはあった。営業せずとも、クライアントが枝葉のように広がっていったのは、好運だったと今も感謝している。

 下手くそな写真屋は、クライアントに熱意と誠意を汲み取ってもらうしか方策がない。食い扶持を家に入れるためにはそれだけが頼りだった。
 いくら長い間趣味として熱心に写真に取り組んできても、師匠についた時に、今までアマチュアとして得てきた写真的知識や技術のすべてが無駄だったとはいわないが、当たり前のこととはいえ、そこは隔絶した世界だと思い知らされたものだ。一から出直すしか他なしといったところだった。

 そしてまた、助手として働き始めた当時、いつも師匠にいわれたことは、「まずサラリーマン根性を捨てることから始めろ。それができないのならカメラマンになることは諦めろ」だった。「サラリーマン根性」とは、あまり良い言葉でなく、ぼくは好きではないが、彼のいいたかったことは「意志や感情を知らず識らずのうちに抑えてしまう習性」を意味しているのだろうと思う。そして「今まで持っていた “取るに足りぬプライド” など即座に捨ててしまえ」ということだとも解釈している。
 意志や感情、強い精神力と一徹さの発露が物づくりの原点だと、彼は主張したかったのだと思う。ぼくもそれに異存はない。
 それはやがて、写真屋としての、あるいは職人としての職業倫理ともいうべきものにつながっていくのではないだろうか。それがために、世間から奇人・変人・身勝手な奴と謗(そし)られることもあろうが、世評などどこ吹く風である。それは “取るに足らぬプライド” の変異が成せる業とも思える。

 今回は、カラー写真に取り組んで(私的写真の)から今年7月で丸3年を迎えようとしていることについて述べようと思っていた。冒頭の「暗室に入り浸っていた」と記したところから、カラー写真についての事柄や暗室作業に話を展開する心積もりでいたのだが、何故か訳の分からぬ変化球を投じてしまった。
 どこで話が曲がっちゃったんだか・・・。

 つい先程まで、まったく別次元の事柄についてキーボードを叩くことに専念していたものだから、気の執り成しが利かず、つい手元が狂ってしまったのだろう。そのことに今気づくのだから、まったくぼくはおめでたいとしかいいようがない。
 拙稿はお題目を与えられているのではないので、文章のどこかに「写真」という語彙を含ませれば、危うくも逃げ果せるとぼくはどこかで油断している節があると正直にいわなければならない。今回は( 今回“も” かも)担当者の寛大な心意気に甘んじて、キャッチャーも取り損なう変化球をこの際看過してもらおうと目論んでいる。折角?ここまで書いてしまったものだから、文章を削除するのも忍ばれ、横着を決め込むことにした。

 「プロになりたいのですが」との希望を持った若人がポートフォリオを抱えて折々訪ねて来る。彼もしくは彼女に写真を撮る能力があるかどうか、ぼくはまったく頓着しない。一応ポートフォリオに目は通すが、それを批評することもない。ただ、すべてを捨てる「覚悟」があるかどうかだけを訊ねることにしている。
 何事も覚悟次第との信念は、嫁から与えられたものなのかも知れないと、ぼくは臍(ほぞ)を噛んでいる。まだ借りを返せずにいるが・・・。

http://www.amatias.com/bbs/30/484.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L USM、FE35mm F1.4L USM + 偏光フィルター。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
眼鏡店のショーウィンドウ。すっかり色あせてしまったポスター特有の色調。シアン系だけが浮き上がっている。
絞りf8.0、1/40秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
まだ行ったことのなかった巴波川(うずまがわ)西側を歩いてみた。長屋の一角に陣取る古い魚店。35mmレンズに偏光フィルターを付ける。補整は部分的にソラリゼーションを活用している。
絞りf9.0、1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)