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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2019/11/29(金)
第473回:粘る者は救われる
 衆説では、体力の衰えとともに精神力もそれにつれて減衰していくのだそうだ。早生まれのぼくは今71歳だがまだその傾向は見られない。といっても、肉体的な衰えは、さすが意地っ張りのぼくでも認めざるを得ないと正直に告白しておく。
 元気な同輩たちからよくこんなことを耳にする。曰く「70になって、今までそれほど気にしなかった体力の衰えを自覚するようになった」。その嘆きを、より年配者に訴えると、「75になったらさらにガクッときますよ」と。そして追い打ちをかけるように、「否、80になったらもっともっと堪えるものです。あたしなんか・・・」と、齡90のご老体がどこか自慢気におっしゃる。
 つまり齡70はまだまだ老化の入口で、これからさらに通過困難な関所が待ち構えているというのだ。確かにそうかも知れないとぼくは素直に頷く。

 還暦(最近では、数え61歳より、満年齢で60歳を指すことが一般的)を迎えた頃、平均寿命(男81.09歳、女87.26歳。2017年の調査)を考えるとぼくの命はあと20年で尽きることになるが、還暦の元気を以てすれば、そんなことがあろうはずはないと思い込んでいた。
 ところが、古希(70歳)を過ぎた今、「やれやれ、この調子でいくと “あと10年の命” というのはあり得ないことではないのかも」に変わった。自然の摂理に従う準備が心うち出来上がってきたかのようだ。けれど一方で、それに抗(あらが)う気持もまだまだ健在ではある。
 何故なら、昔からぼくだけは生が絶えることはないと本気で思っていた。少なくとも、今まではそうだった。
 余談だが、ぼくは未だに「天動説」信者であり、地球は球体ではなく(球体であることを実体験しているのは宇宙飛行士だけ。つまり何億人にひとりという現実離れした確率でしかない。多数決を以てして、これを民主主義という)、あくまで地球は平面だと言い張って憚らない質なのだ。科学信奉者のぼくがいうのだから、これは間違いのないことだ!

 戯言はさておき、体力と精神力は比例するのだろうか? 個人差やそのひとの置かれた状況を勘案しなければ、この設問はあやふやなものに違いないだろうが、年配者の実感のこもった意見を信ずれば、誰しも肯定的な見方に傾く。
 写真屋に限らず、撮影という行為は相当な体力を必要とする。プロ・アマを問わず、 “心がけの良い人” のカメラバッグはかなりの重量に達するし、それを携えて動き回るのだから、「写真屋は体力だけだ」とぼくはいつも強弁する。身に染みているからこその科白でもある。

 「くたびれたから、今日はもう店終い」などということは、足腰が少々痛んでもいえない。写真屋は明日を案ずることより “今どうあるべきか” を大切にすべきだ。青年時代に亡父より、「ものを創り出すということは、砂を噛み、血を吐くことだ」といわれたことを都度思い返す。そんなわけで、もし三脚がなければ手ブレを起こす時間帯まで、とにかく動き回ることを義務づけている。
 「粘る者は救われる」との格言(そんな格言ないか)にそそのかされ、ひとのいいぼくは敢然と、身を案ずることなく限界まで被写体を渉猟(しょうりょう)する。ただし、立ち上がり(撮影開始)は、フツーの愛好家より遅いことはここでは内緒とする。今、街中を撮影するのであれば4時間前後が限度ではあるまいか。集中力の維持と凝縮は、ひとまずここでは “老いの知恵” によるものということにしておく。

 若い頃は朝から晩まで(特に海外では)、心がけの良いぼくは重いバッグを肩にかけ、2台の一眼レフを首からぶら下げ、歩き回ったものだ。撮影が一段落するとホテルのベッドにドッと倒れ込み、疲労困憊ゆえ、しばらく身動きできずにいた。まさに兵士のような重装備だったが、ウェイトトレーニングで鍛えたおかげで、何とか持ち堪えることができた。ぼくのウェイトトレーニングは胃癌の大手術により中断を余儀なくされたが、「昔取った杵柄」であろうか、その残滓はまだ体内に息づいている。

 今、若かりし頃の流儀を試みれば、ぼくの好きな「野垂れ死に」とか、憧れの「行き倒れ」を実現できるだろう。ぼくはいわゆる無頼派ではないが、写真のために「野垂れ死ぬ」のであれば本望であるとしている。
 実際に、去年と今年の京都行きでは、危うくそんな状態になりかけた。夢は実現できなかったが、「もう一歩も歩けない」という状況にまで追い込んでしまった。マゾっ気(?)にかまけて、ホントに年甲斐もないほどの阿呆だったが、その時のビールは格別のものがあった。グラスを持つ手が震えるほど、ビールが恋しかったなんて、何年ぶりのことだったろう。粘れるだけ粘ったとの自負は、やはりどこかにちゃんと御利益というか果報にありつけるものだ。もうひとつの内緒事だが、執念だけでは写真は写ってくれないという非情な現実を思い知ったことも事実として記しておかなければならない。

 撮影を切り上げるというのは大変な勇気を必要とするものだ。「あと15分粘れば、ひょっとして良い被写体に恵まれるかも知れない」と思ったり、あるいは「納得のいく写真が撮れるかも知れない」と考えると、切り上げのタイミングに苦悶してしまう。
 踏ん切りの悪さは、ぼくが労を惜しまず撮影を続行し、その間に納得のいく写真が何度か撮れたというささやかな経験則から生まれたものだった。それを思うとなかなか帰路につけぬものだ。
 病や障害を別にして、「今日はくたびれたので、もうこれ以上撮ってもしょうがない」と諦めるのは、体(てい)の良い言い訳に過ぎないとぼくは断じている。「あと1枚」にあなたの傑作が隠れているかも知れないのですよ!

http://www.amatias.com/bbs/30/473.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
裏通りを歩いていたら古い木造家屋の窓から熱い視線を感じた。1匹の猫がぼくをまんじりと見やっていた。ぼくはじりじりとこの綺麗な猫に近づき、「では、真っ正面にあなたを置き、1枚だけいただきま〜す」と静かにシャッターを押した。
絞りf4.0、1/30秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
窓ガラスの内側に塗られたペンキ。廃屋になって久しいらしいが、長年日光に晒され、変色、変形、ひび割れし、一種のモダンアートのように。どのように画面を裁ち切るかに腐心。白ペンキを飛ばさぬよう露出補正にも気を遣う。
絞りf8.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2019/11/22(金)
第472回:プリセットは “拾う神”。その功罪(最終回)
 画竜点睛を欠き(がりょうてんせいをかく。全体としてはよくできているが、細部の仕上げに難があったり、肝心なところに神経が行き届いていないこと)、そこを事細かく我が倶楽部の人たちにくどくどと指摘してしまうと、後で必ず嫌がらせを受けたり、石をぶつけられたりする恐れがあるので、毎月の写真評では否応なくぼくは隠忍自重せざるを得ない。いわれのない不当な非難を受けるのだからたまったものではない。習い事の基本は言葉で教わるものではなく、自ら学ぶことにあるのだから、それに従って最小限のことしかいわないことにしている。
 しかし、ぼくは義務感に駆られ、そのような迫害を受けながらも、懲りずに16年間も指導者もどきとして精進してきた。その度にストレスは増幅の一途を辿り、挙げ句体調を崩し、結石、痛風、癌、それに加えて人格破綻などさまざまな厄災に見舞われ、出るはため息ばかりだ。
 中学時代の同窓生数人に「写真を教える義務がお前にはある」と脅迫され、身の危険を感じたぼくはしぶしぶ引き受けてしまったが、もうあとの祭り。災難はすでに16年も前に始まっていたのだ。

 話を元に戻すと、細部の積み重ねが全体を “再構成” し、その結果訴求力や力感を増したり、意図するところが明確になったりすることを知って欲しいと願っている。この作業を行うには、それなりの粘り強さや執念、根性や自己顕示の強さがないと成し難く、まさに「言うは易く行うは難し」である。
 また、その積み重ねが、感覚や技術の向上にどれほど役立つかについても、強く訴えたい。それを億劫がらずにこつこつと励行することが、即ち「才能」なのだとぼくは思っている。

 自身の修業時代について語るのは少々気が引けるが、徒弟制時代に受けた影響は、思い起こすだに、ぼくの考えの基本を成している。
 当時は暗室作業の一切出来ないポジフィルム(カラースライドフィルム)の使用が99%だったこともあり、師匠の微に入り細を穿(うが)ったライティング技術と光を読み取る能力は並外れたものがあった。
 ぼくはそれを盗み取ろうと、誰もいなくなったスタジオにひとり残り、師匠のライティングをそっくり真似て同じものを撮影してみるのだが、それは似て非なるものだった。あの時の絶望感は今以て忘れがたい。それを飽きずに何度も繰り返しているうちに、ある日突然、微細な光の違いが判別できるようになった。繰り返すことの大切さを、ぼくはその時身を以て覚えたものだ。   

 プリセットはさまざまな表現をクリックひとつで提供してくれ、微調整も可能なものが多く、とても重宝で便利なものだが、あくまで他人任せのもの(既製品)であることに鬼胎(きたい。心のなかのひそかな恐れ)を抱いて欲しい。
 さまざまな効果が得られるが、そのなかでも特に留意しなければならないことのひとつは、「明瞭度」(ソフトメーカーによりそれぞれに用語は異なるが、ここでは大雑把に意味や効果はほぼ同じとする)である。

 「明瞭度」の最も大きな特徴は、質感描写に多大な貢献を果たしてくれることだ。質感描写は写真表現に於いてとても重要な要素のひとつだが、これをどの程度利用するかの限度を見極めることは、かなり難しい課題だといえる。
 何故難しいかというと、「明瞭度」の類は、写真の見た目を大きく左右(特に “見映え” に影響を与える)するが、それに比例して画質の劣化を招く劇薬でもあるからだ。そのことを必ず念頭に置いておかなければならない。
 県展や市展に限らず多くの展示会に並べられた写真を見るにつけ、その「過剰」ぶりは目に余る。思わず両手で目を覆ってしまいたくなるようなものまで散見できる。これはデジタル写真の最たる弊害だ。この弊害をものともせずという大胆不敵な人たちが大勢いるのが現実。

 我が倶楽部でも、時折明瞭度のかけ過ぎを指摘することがある。すでに明瞭度が組み込まれているプリセットが存在するので、それを知らず(気がつかず)して、使用してしまうのだ。そして、「明瞭度」のかけ過ぎに感覚は麻痺していくので、要注意!
 組み込まれた明瞭度を後に修正する方法もあるが(例えばDxO社の画像ソフトであるPhotoLabやFilmPackに附属する「マイクロコントラスト」や「微細コントラスト」は大変優秀な調整機能)、とはいえ明瞭度を調整する機能のついていないプリセットは使わないのが良策である。

 ついでながら、「明瞭度」を変化させると、細部のコントラスト以外も変化するので、「色相」、「彩度」、「全体のコントラスト」なども微調整する必要がある。Photoshopのプラグインとして使用できる他社のプリセットなら、併用することで大きな成果を得られる。
 プリセットを使用する場合、画質の劣化を最小限に止めるためには、非可逆圧縮の jpeg ではなく、可逆圧縮の tif か psd 形式のものをお勧めする。

 「臆病風に吹かれる」と書いたが、これはあるプリセットを使用し、その極端なシミュレーション画像に、一瞬「おっ、いいぞ。これを使おう」と思うことがある。それでOKを出す人もいるだろうが、コマーシャル写真出身のぼくにとって、それはあまりに「過剰」であり、無意識のうちに怖じ気づいてしまうのだ。ぼくの指針とする写真のありよう「過ぎたるは猶及ばざるが如し」から離れたものになってしまう。
 何度もその無軌道なシミュレーションに「これでいいじゃないか」と言い聞かせるのだが、余計なところで薄っぺらな理性が顔を出し、「おれは誤魔化されないぞ」との文言が口を衝いて出る。そんな意地を張らなくてもいいのにさ。そして思わず手を加えてしまうとの事態に至る。なかなか脱皮できずにいるこのもどかしさ。
 しかし、それを上手く取り込み、突破する感覚を持たないといけないのだが・・・。そんなことをもプリセットは示唆してくれるありがたい存在なのだ。

 プリセットについてはまだまだお伝えしたい事柄もあるのだが、まずはぜひ一度お試しのほどを。

http://www.amatias.com/bbs/30/472.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
埼玉県さいたま市。

★「01自宅」
台風19号襲来。作品というより写真日記のようなもの。我が家の玄関は写真のように面取りガラスが18枚はめられている。軒下が深いので、ガラスにまで水滴がつくことは滅多にないのだが、珍しい光景に思わずカメラを取り出した。
絞りf5.6、1/20秒、ISO400、露出補正-2.00。

★「02荒川」
台風一過の翌日、荒川堤の近くに住む友人からスマホ写真が送られて来た。それを見て、「おいらも一見」とばかり駆けつけた。堤防の真下まで水が溢れ、サッカー場や野球場をうわばみのように呑み込んでいた。PLフィルターを付けアメリカンナイトを気取る。太陽が雲に隠れる頃合いを見計らって。
絞りf8.0、1/1000秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2019/11/15(金)
第471回:プリセットは “拾う神”。その功罪(2)
 どのようなものにも、メリットとデメリットが共存するというぼくの考え方に従えば、便利で有用なプリセットも同様だ。それを日本語に置き換えれば、標題通りの “功罪” ということになる。
 そして、「プリセット、ありがたや」と踊ってばかりいられない状況にも遭遇する。必ずしも良いことばかりとは限らない。今回は、ぼくも含めて身近にいる愛好家(我が倶楽部の人々をダシにしながら)のはまりやすいドツボについて述べてみたい。

 暗室作業(補整。英語ではレタッチ Photo Retouch)を行う上で、ぼくの主戦力はAdobe社のPhotoshop。それを使い始めたのはバージョン4.0(1996年発売)からで、もうかれこれ23年も出資を惜しんでいないことになる。
 撮影とほぼ同程度に暗室作業に重点を置くぼくは、どれほどこのソフトのお世話になったか計り知れない。撮影した原画は、料理に喩えれば素材(食材)であり、暗室作業はそれを美味しくいただくための調理といえる。
 イメージをより明確に表現する手法としての暗室作業を行う際、今まで見逃していたことをPhotoshopは教えてくれもしたし、また多くの発見をもたらしてくれた。その発見はぼくの写真生活に於いて、かけがえのないものとなっている。

 Photoshopは、アンセル・アダムスの教本に頻繁に使われている “ビジュアリゼーション” (視覚化。被写体に対峙した時に、それをどのように印画紙上に再現するかを頭の中でイメージすること)という言葉が撮影時に如何に大切なことであるかを知らしめる手助けにもなってくれた。
 フィルム時代から暗室に籠もってきたぼくにとって、アナログでは到底不可能だったことを可能にしてくれたのもPhotoshopだった。フィルム時代は非常に困難だったカラー写真をも扱えるようになり、まさにPhotoshopなくしては不可能なことだった。それほどアナログのカラー写真は扱いが難しかったものだ。

 自身をPhotoshop信奉者とまではいわないが、いくら有用であっても「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」を良き教師とし、また戒めとしているぼくは、常に警戒心を怠らぬように心がけている。歓び勇んで、ついついやり過ぎてしまうのだ。前号にて述べたが、それを称してぼくは「ドツボにはまる」と。

 「過剰」への警戒心が、時として臆病風を吹かせる(次号で述べる)こともあって、ぼくは呻吟苦難の連続である。「写真って、こんなに厄介なものなの? ただ撮りゃいいってもんでもないし」との自問自答に日々明け暮れている。
 「過剰」であるかどうかの、その境界線を見極めるのはとても難しい問題で、それは撮影者の美的感覚にもよるが、それよりも大きく関わってくるのは、やはり写真に対するその人の “練度” ではなかろうかと、この頃つとに感じ始めている。臆病風に吹かれるのだから、これは永遠の課題かも知れない。
 つまり、自身を表現する上で、「過剰」な表現であるかどうか、あるいは「必須」のものであるかどうかをよく吟味する必要がある。自身の姿を見失い、それを他に置いて、写真の「見てくれ」に窮したものは、見れば分かるものだ。

 Photoshopが万能の主であるかどうかは分からない。だが、「Photoshopでできないことは何もない」とも思っている。しかし、世の中に「万能なものなど存在しない」との便法を講じれば、Photoshop信奉に無理が生じる。
 Photoshopを前にあれこれと考えあぐねている時、ぼくは他のソフトのプリセットを試みることにしている。「叶わぬ時の神頼み」をするのだ。これが殊の外、功を奏することがままある。「そうそう、これだよ」って。
 プリセットを使用し、シミュレーションそのままでOKとはいかないが、微調整が附属しているので、自由が利く。あるいは、プリセットをいくつも重ね、それをPhotoshopに渡し(プラグイン)、美味しい部分(イメージに合致している部分)をそれぞれちゃっかりいただいてしまうという手法を用いる。空、建物、人物、窓、道路(地面)、樹木、シャドウ、ハイライト、質感などなどの気に入った部分を違和感なく統合して、ひとつの映像に仕上げることもある。
 ここに及んでイメージを描けない時もしばしばあり、それは原画自体のクオリティが得られていない(イメージが貧相なのだ)と、きっぱり諦める。そしてまた、いくらプリセットを上手に駆使しても、写真自体のクオリティが上がるわけではないので、そこはいわずもがな肝に銘じておくべきことだ。写真のクオリティはシャッターを押した瞬間に決定する。

 あるプリセットでシミュレーションしたものが、撮影時には気のつかなかったことを発見させてくれる場合もあって、そんな時ぼくは「しめしめ」とひとりほくそ笑む。思わぬ御利益に与ることもあり、因ってぼくは「表現の幅が広がることもあるのだから、積極的にあれこれ試してみるがいい」と倶楽部の人たちに進言している。
 ぼくにいわれずとも、こっそり御利益に与っている人もおり、その熱意はとても好ましいのだが、時によって「過剰」と思えるものにも遭遇する。いわゆる「力技」を駆使したり、見境なくそれに頼ったり、被写体との齟齬が生じたり、乱用の兆しが見られる場合もある。プリセット中毒に陥ってしまうのだ。
 そんな時、ぼくは遠慮深いので多くをいわず、プリセット利用の意欲を失わない程度に最小限のことを指摘するに留めている。言葉を慎重に選び写真評をするのだが、言葉が通じないこともままあり、まったく嫌になっちゃう!
 次号に続く。

http://www.amatias.com/bbs/30/471.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
ひどく汚れたウィンドウガラスに、色々な物が写り込み、さまざまな色が混じり合う不思議な光景に出くわした。ハマーの自転車って、どちらかというとファッション系なのに、何で荷物カゴが付けられているんだろう? 今回も紅葉写真と真逆なものですいません。こんな写真を撮っているから「私は嫌われる」。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
この二つの建物は何故か面(つら)が平行ではない。互いにそっぽを向いている。店主が仲違いしたに違いない。右は蕎麦屋さんなのだが、ぼくが行く時間帯はいつも準備中。入口には「心を込めて準備中」という札がぶら下がっていた。一番高いところにある光取りはステンドガラスがはめられている。趣のある建物なので、次回は営業中にぜひ訪れてみたい。
絞りf8.0、1/250秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2019/11/08(金)
第470回:プリセットは “拾う神”。その功罪(1)
 新聞やテレビを自分の生活圏から極力排除しているぼくは、それでも人一倍、日本を含めた全世界で今何が起こり、どのような情勢になっているか常に関心を抱いている。それを物づくり屋の必須条件としており、いくら世事に疎くても、世界情勢に無関心では、職業的資格に欠けると考えている。
 出来る限り正確な情報を得ようと、以前はぼくが信頼に足り得るとしたジャーナリストや研究家(日本と海外の)の著した書籍に頼っていたが、今はそこにインターネットが加わった。

 何を以てして「信頼に足り得る」のか、との尺度や基準は人さまざまだろうが、一例をお話しすれば、かつてぼくは延べ400日以上社会主義の国々を一人で歩き、彼らのなかに飛び込んで行った。言葉もほとんど通じずの無手勝流だった。
 多くの人々と寝食をともにした体験は終生忘れがたいものになっている。社会主義ゆえ制約も多く、またある地域では民族独立や主権争いの内乱状態だったりして、身の危険を感じたことは一度や二度ではなかった。戒厳令の敷かれたなかに飛び出し(撮影ではなく、ワイン飲みたさに買いに行ってしまった)、軍隊にとっ捕まったこともある。おマヌケの阿呆だ。
 そんな体験によってぼくが知り得たことと、ジャーナリストや研究家が論じることに違和感が生じず、そしてまた、ぼくが見逃してきた事柄を新たに示し、発見させてくれれば、「信頼に足り得る」と評価して良いのではと思っている。そして、「自分の足で情報を稼ぐ人」でなければならない。それがぼくの「信頼」に対する尺度である。       

 諸国放浪で得た最も大きな財産は「人(個々人)はどこへ行っても同じ」(文化や宗教の違いによる作法や考え方は当然のことながら異なっている)だということだった。それを主眼に置いて、ぼくは彼らにレンズを向けた。
 国家のイデオロギーに関係なく、人間としての個人は、ぼくら自由主義圏に住む者と、幸不幸の差こそあれ、性善・性悪についての差異はない。いうなれば、そこで人間としての善悪を問うのではなく、それは国家にこそ問われるべきものとの考えに至っている。
 人間の幸不幸は国家によってもたらせる場面が多々あり、憎悪すべき対象はそこに暮らす人々ではなく国家である。頭では分かっていても、生身の人間にはなかなか難しくもある問題だ。そのようなことはぼくがいわずとも、多くの優れた文学作品(他の芸術作品にも)に描かれている。
 国家に翻弄され、悲劇に見舞われる人々は今も後を絶たない。

 前置きが長くなってしまったが(いつものこと)、延べ400日以上の放浪で撮影したものは、個展や写真集、単行本や雑誌などで発表させてもらった(その一部は、本連載でも掲載)。今それらを見ると、暗室作業(補整)に疑問符のつくものが多々ある。撮影時に描いたイメージに暗室作業が追いついていないのだ。「あの時感じたものとはちょっと違うんだよなぁ」が、今やぼくの常套句となってしまった。一度世に出てしまったものは取り返しがつかない。これが商売人の定めと潔く諦めるしかない。 
 暗室作業の不備は、つい最近撮ったものについてもまったく同様であり、そんな時、ぼくは人知れず頭(こうべ)を垂れ、泪(なみだ)するのである。

 しかし、悩みが深くなればなるほど救いの手が現れるものだ。「捨てる神あれば “拾う神” あり」だ。そして「信ずる者は救われる」という怪しげで我田引水的な文言(キリスト教信者に叱られるかな? かまわないけれど)は当てにならない。信心より、探究と努力だ。
 
 撮影時のイメージを追いかけようと、代表的な暗室道具のひとつであるPhotoshop(これがぼくの大道具。これなくしてぼくのデジタル写真生活は成り立たない)を散々こねくり回しながら、「違う、違うんだってば!」を連呼する。そんな時の「救いの手」、もしくは「拾う神」となってくれるのが、プリセットだ。
 プリセットとは大雑把にいえば、ある画像に対して「明度、コントラスト、色相、彩度、フィルター、明瞭度などなど」画像を形成する多岐にわたる要素があらかじめ組み込まれたもので、自身の画像をシミュレーションできる仕掛けである。
 画像ソフトによっては100種類以上のものが用意されており、微調整や組合わせも可能なので、ひとつのプリセットから気の遠くなるほどのものが作成可能となる。また、使用したプリセットを自身のお気に入りレシピとして保存しておくこともできる。

 Photoshopで手詰まりとなり、他の画像ソフトにあるプリセットを使用することにより、ドンピシャリとは行かないまでも、イメージに程よく合致することがままある。プリセットは、微調整のできるものがほとんどなので、かなりいい線まで漕ぎ着ける可能性を秘めている。
 プリセットで得た画像は、理論的にはPhotoshopでも作成可能と思えるが、そのためには大変なスキルと時間を要するだろう。その労力を大いに省いてくれるのだから、これ程ありがたいものはない。
 ただし、「信心過ぎて極楽を通り越す」(極楽へ行きたいための信心も、度を過ぎると邪道となり、人を地獄へ行かせるような害をもたらす。信心もほどほどにせよという戒め)の諺通り、喜んでばかりいられない状況を作り出すこともある。「♪ドツボにはまって、さぁ大変♪」(童謡『どんぐりころころ』にこんな歌詞なかったっけ?)。
 次回はぼくの気のついた事柄についてお伝えしようと思う。  

http://www.amatias.com/bbs/30/470.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
過去何度もここを通り、廃屋となったこの商店をいろいろなアングルで撮ってみたが、どうしても気に染まぬものだった。今回やっとイメージに近いものが、ベストではないが撮れたような気がしている。綺麗な紅葉の写真でなくすいません。こんな写真は極少数の偏屈な人にしか好かれない。
絞りf8.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
泉町雲龍寺にある十九夜塔如意輪観音(1804年造立。石の丸彫り)。蓮華座の上に半跏趺坐(はんかふざ)し、右手を優しく頬に当てている。質感描写のために被写界深度を深くすると全体が賑やかすぎて、f値の設定に苦慮。被写体をどう裁ち切るかにも腐心。
絞りf4.0、1/25秒、ISO100、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2019/11/01(金)
第469回:面白味のない紅葉写真
 やっと本格的な秋の到来となった。体力に限りのある老体を押しての撮影にはとても良い季節だが、日々の雑用に追われなかなか思い通りに実行できずにいる。今ぼくは、ちょっとしたストレスを感じている。
 定期的に舞い込んでくるカメラメーカーや写真量販店のHPには、毎年のことながら「紅葉の撮り方」や「コスモスの撮り方」などなど、季節ならではの被写体にどう対処するかという処方箋が書かれている。
 この連載でもかつて一度だけ紅葉写真の撮り方に触れたことがあるが、書籍やネットを含めさまざまなところで述べられているので、ぼくが今さらながら、改めて書こうという気はない。

 秋を象徴する紅葉の写真にまったく興味のないぼく(その存在意義は大いに認めている)でさえ、若い頃には鮮やかな紅葉を綺麗に撮ろうと、胸を躍らせながらカラーポジフィルム(スライド用フィルム。愛用したフィルムの具体例を示せば、コダック社のエクタクロームやコダクローム。それを30本ほどバッグに詰め込み)、尾瀬や京都に出かけたものだ。
 若い頃を懐かしむ気持はぼくにはないが、30歳を過ぎた頃から、そのような写真にまったく興味も関心も示さなくなった。そのことは、ぼく自身が明らかに成長した証だと勝手に思い込んでいる。否、思い込みなどではなく実際にそうだとしなければ、写真に取り組む意義を失ってしまう。ぼくは持論に救いを求める。

 写真は、自身のアイデンティティーを表すものでなければならず、そのことは紅葉写真ばかりでなく、いわゆる “一般受け” のする「ただ綺麗なだけの写真」(世の中は写真に限らず、この手のもので満たされている。これを称して「必要悪」というが、大衆文化にとってはなくてはならぬもの)にぼくは目を向けることをしなくなった。面白くも何ともないからだ。
 ことのついでに述べておくと、「綺麗」と「美しい」との概念は大きな隔たりがある。少なくともぼくの中では、まったくの別物である。
 綺麗で他愛のない写真は、ただ退屈なだけで味わいもなく、言ってしまえば「単なる記録・記念写真」に過ぎない。ぼくにとって、それを撮る動機と必然性をまったく感じていないからだろう。「好みの問題」という人もいるだろうが、好みで論じる事柄ではないと考えている。
 どこにでもあるような絵葉書的な、あるいはカレンダー的な、「ただ綺麗なだけの写真」をものにして、嬉々としているのははっきりいってしまえば、写真人としては次元が低すぎる。

 絵葉書的な写真を見て、「写真ってそんなもん?」との疑念が沸々と湧き上がってくれば、しめたものだ。「あなた自身の写真」に一歩足を踏み入れたことになる。ここに辿り着くには自身の意識改革が必要で、言葉で伝えられるものではない。したがって、「如何にして良い写真を撮るか?」は、身も蓋もない言い方だが、言葉で他人に伝えられる性質のものではない。畢竟、拙稿も実は用なしの役立たずというところだ。嗚呼!
 もし何か方策のようなものがあるとすれば、他分野の優れたものに目を向け、美についての感覚を研ぐのはひとつの良い手続きだと思う。ぼくは仕方がないので、それを信じ、そこにすがりついてきたようにも思う。それでこの程度なのだから、説得力に欠けることおびただしい。

 先日、国立能楽堂である著名な能楽師の撮影をしたのだが、氏は「能は言葉で教えることはできない。同じ板(舞台という意味だろう)の上に立って、見よう見まねで学ぶしか方法がないのです。今の若い人は言葉で教えを請うが、私たちの若い頃は、師匠は何も教えてくれなかった。芸事は言葉で教わるものではないのです」といわれた。まさに真を言い当てている。これは写真にも通じることだと、ぼくは心の中で「我が意を得たり」と合いの手を入れ、「ごもっとも」と頷いた。

 それはさておき、写真を綺麗にしっかり撮ることは大変重要なことで、その段階としての記念・記録写真(被写体は何でもよいのだが)は写真を習得するうえで、大きな手助けとなる。因って「紅葉など面白味のない写真を撮るな」とはいわない(我が倶楽部の人たちにはいう)。
 つまり、写真の基礎を学ぶという点に於いて、綺麗と感じるものを撮ることは事始めの手順であるから、そこに否定的な要素はない。技術や構図といった写真のメカニズム(仕組み)をしっかり習得しておくためには、さまざまなことを吟味しながら通過しなければならず、そうでないと次の段階に進めない。

 色鮮やかな紅葉を前にして、ただ漠然と眺めるのではなく、自分の立ち位置を変え、凝視しながら光線の具合(順光、逆光、斜光)を計り、見定めれば、木々の出で立ちや葉の色のデリケートな変化を感知することができようになる。少しずつ観察眼が養われようというものだ。
 ファインダーの定められた縦横比の裁ちを間違えることなく(構図)、できるだけ少ないカット数での撮影を心がけることが大切。
 あれもこれも「取り敢えず撮っておく」という作法は、保険を当てにすることと同義で、ぼくはお勧めしない。第一、はしたない。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」とは決していかない。「一発必中」の心得は、上達に大きく寄与してくれるものと信じていい。
 あなた自身の紅葉写真、つまりあなたの世界観(アイデンティティー)を表すような写真こそ良い写真だと。

http://www.amatias.com/bbs/30/469.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
ショーウィンドウに置かれたセーラー服を前に、矯(た)めつ眇(すが)めつ、ライトの写り込み加減を計る。エキセントリックな趣味の持ち主と疑われてもしょうがないか。
絞りf2.0、1/40秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02栃木市」
波板ガラスの向こう側に何が置かれているのか、有田焼の磁器だろうか? 万華鏡を覗き込んでいるような感覚だった。
絞りf5.6、1/80秒、ISO100、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2019/10/25(金)
第468回:通うことの大切さ(最終回)
 本テーマから著しく逸脱してしまった前回。この原稿を認(したた)める前にもう一度読み返してみて、改めてというか、今更ながらに自己顕示欲の強さに多少の羞恥を感じつつも、いつだって留まるところを知らない。自制心に欠けるのだが、それもこれも、半世紀以上写真に関わり続けた熱意の発露として、自身の信ずるところを乾坤一擲(けんこんいってき。のるかそるかの大勝負をすること)、お伝えしたいとの一念からであり、そこのところ、どうかお目こぼしをいただきたい。「虚仮(こけ)の一念」(愚かなものが、ただそのことだけに心を傾けて成し遂げようとすること)というではありませんか。

 字数制限のある紙媒体の原稿であれば、担当編集者からそれとなくチクチクとお叱りを受けるところであろうが、Web原稿ゆえの寛容さを本担当者は、果敢にも示してくれている。それをいいことに、ぼくも果敢に書きたい放題。誠にありがたいことだ。

 訴えたいことが別に生じるとテーマを(自分で決めておきながら)いとも容易く放棄し、悪びれるどころか、奮進しながらどこかへ飛んで行ってしまうのは、ぼくの昔からの性分なのだから仕方がない。それが我が稟性(ひんせい。うまれつきのもの。天性)だと、今開き直っている。まるで他人事のような言い草だが、そうでもしなければ、素人の文章書きが毎週9年以上、468回もこなせない。我ながら誠におめでたい奴という他なし。

 こんなことを書いていると、前回の二の舞を演じかねないので、テーマをなぞるが如く、真剣に取りかかってみる。

 甚大な被害をもたらした台風19号(10月12日)を挟んで二度、ぼくは恒例ともなった栃木市に詣でた。「困ったときの栃木頼み」なのだが、だからといって程よく思い通りの写真が撮れるというわけではない。
 心に響く被写体を何度か撮ってみて、描いたイメージが映像に反映されないとの憂き目を毎度味わってきた。栃木市はぼくにとって感覚をそそられたり、感情を揺さぶられたりするものが多くある。けれど、上手くいかない。誠に手強い相手なのだ。

 上手くいかないその因たるや、「何かが間違っている」からなのだろうと推察する。構図を含めた技術的なことなのか、あるいはどこかで感覚的なはき違えをしているのか、はたまたその双方なのか。それらの原因を紐解くための自己発見を盛んに試みるために適した場所が、近場である栃木市であるような気もしている。地元というのも良いのだが、ぼくの場合、どうしても精神の高揚に欠ける嫌いがあり、緊張感のなさから落ち度が生じてしまうような気がしている。
 栃木市では良い風情や興味あるものを提供してもらっているにも関わらず、目が曇っているせいか、鼻の利かぬせいか、一向にぼくの写真は上向かない。忸怩(じくじ)たる思いをしつつ、だからこそそれを克服しようと通い続けるのだろう。被写体の発見も大切なことだが、前述した「自己発見」はさらに貴重なものと考えている。

 技術や感覚の他に、天候や時間帯、季節という要素も見逃せない。それらは、光質と空の表情に大きく係わり、さまざまな含みを宿している。
 同じ条件は二度となく、いつも見る被写体がまるで異なったものであるかのような錯覚を起こさせる場面にしばしば遭遇する。否、これは錯覚ではなく、明らかに別物に変質しているのだ。その発見は胸を躍らせる。
 被写体と光のマッチングは、普段の心がけ次第(笑)なのだが、ある程度操作可能(これは技術的な面に於いて)な時もあり、必ずしも運まかせとは言い切れない。運はすべて自身が引き寄せるものとぼくは捉えている。天から降ってくるものではない。

 その点について、ぼくは真のリアリストなので、「写真に “運” や “まぐれ” は決してあり得ない」というのが絶対的な信条でもある。写真人のなかには、 “まぐれ” という語彙を安易に使う人がたくさんいるけれど(謙遜や照れ隠しの意味で用いることとは別)、それは大きな誤りだ。 “まぐれ” で写真は絶対撮れない! 
 反論者には、ぼくはいつもこう問うことにしている。「他分野のすべてに於いて、例えば絵や書は “まぐれ” で成し得ますか? 文学や作曲は? 何故写真にだけ “まぐれ” が存在するのかを論理的に説明して欲しい」と、ぼくは都度意地悪ジジィであることに快感を覚えている。

 「通えばこそ “運” に恵まれる」。 “運” を得たのは通った成果であり、それにより良い写真を得られるということは大いにある。そのために通うのであり、良い写真は “まぐれ” により導かれることはあり得ない。そこには筋の通った因果関係がある。原因と結果は密接に結びついているものだ。

 そしてまた、通い詰めることによって思いがけないテーマが見つかったり、絞りやすくなるというのも大きな利点だろう。自分の世界が見つけやすくなる。その街に同化すれば自ずと見えるものに焦点が合ってくるものだ。
 見知らぬ街にふらっと出かけ、発見が多ければ魅力のあるものとなる。通ってみたいと思わせる街を見つけることは、きっと写真の上達にさまざまな影響と形態を与えてくれるものだ。
 今回は、「あなた自身の地場(相性の良い “磁場” かな?)の発見」を是非ともお勧めしておきたい。

http://www.amatias.com/bbs/30/468.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
何度も通った道なのに、今まで気がつかずにいた。バーかライブハウスか? リサイズ画像では分かりにくいが、ドアには丹念に花模様が描かれている。
絞りf8.0、1/60秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
夏の残り火のように、荒物屋の軒下に売れ残った麦わら帽子がひっそりと提げられていた。柔らかいがスポットライトのような光が射し、哀愁を帯びていた。
絞りf3.2、1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2019/10/18(金)
第467回:通うことの大切さ(2)
 「通うことの大切さ」については、前回の最後の5行で実は核心部分の大半を言い尽くしているのだが、今回はぼくのささやかな体験談を踏まえて、いつもながら横道に逸れながら(これが大半を占めてしまうことがままあることは、重々自覚している)、少しばかりの上塗りをしてみたいと思う。

 熱中症の恐れが遠のいたことを見計らって、十何回目かの栃木市に赴いたのは、前回に述べたことではあるが、久しく留守をしていた35mm単レンズ(絞り開放値がf 1.4という明るさ。ぼくのものは最新型ではなく、フィルム時代に開発された1998年製の旧型)が手元に戻って来たことも大きな要因だった。久しぶりに手にする感触はやはり心地良く、しっくりと手に馴染む。
 ズームレンズ全盛の現在、ぼくは事あるごとに、愛好家に対して「単レンズの優位性や使い勝手の良さ」を、半ば無駄と知りつつクドクドと説いてきた。曰く「だまされたと思って、一度使ってごらん。単レンズを使用したことのない人は一角(ひとかど)の “もぐり” である」とも。 “もぐり” とは、「禁を犯したり、あるいはしてはいけないことを密かに行うこと。あるいは、ある種の集団に勝手に入り込み、あたかもその一員であるかのように振る舞う人」のことをいうので、ぼくの “もぐり” の語法は正しいと思っている。

 いくら声を大にしてそう叫んでも、世間や友人たちはぼくの悲痛な !? 雄叫びになかなか耳を貸してくれない。そんなもどかしさを感じながらも、職人として道具の使い方を執拗に訴える義務があるような気さえしている。それほど単レンズというものは、ズームレンズに比べてさまざまな意味で良い面を有している。ある意味でそれは写真の原点だと思っている。
 ぼくの単レンズに対する固執は、青年時代に始まった。当時は単レンズが主流で、ズームレンズの性能はひどく劣り、使い勝手も悪かった。今にして思えば、それがかえって良い方向へ導いてくれたと思っている。現在は描写性能が拮抗しているが、それでもやはり単レンズの優位性は認めざるを得ない。

 単レンズを使用することは、焦点距離特有の画角や遠近感(パース)といった感覚を身につけるには最良の手はずであることに異論を挟む人はいないと信ずる。そしてまた、ズームレンズに比べf値の数値が小さい(レンズが明るい)のが一般的で、このことは暗所での撮影に大変有利に働く。速いシャッター速度が得られるので、写真最大の敵であるブレを防ぐことに大いに貢献してくれる。むやみにISO感度を上げ、画質を犠牲にすることから逃れることもできる。

 概して、どのようなレンズにも付きものの歪曲収差(被写体の形状が、樽型や糸巻き型に変形する。これは絞り値を変えても修正できない)や色収差(とくに周辺部に於けるコントラストの強い輪郭部分に、本来ないはずのマゼンタ系やグリーン系が発色する現象。絞り値を変えればある程度軽減される)が、単レンズでは程度の差こそあれ、その他の収差もズームレンズほど際立たない。

 そして最大の利点は、被写体を前にして「自身が動かなければならない」ことだ。ここが肝心要である。単レンズの利点はこれに尽きるといっても良い。精神的な意味で、「被写体により肉迫できる」ことは良い写真を撮るための第一条件でもあろう。
 単レンズは常に画角が決まっているので、その感覚を修得すればそれほど動かずに済む。この作用が撮影時の精神を安定させ、また非常に楽にもする。立ち位置が「ストン」と決まることもあるし、また前後左右に一歩ほど移動し、事が済むようになれば、もうしめたものだ。頭に描いたイメージの視覚化にどれほど役立ってくれることか。
 慣れないうちは右往左往するだろうが、辛抱強く1本の単レンズを使いこなしていくうちに、的確なアングルを掴めるようになること請け合いである。その感覚を掴めば、ズームレンズを賢く使う方法も見出せるようになる。まずは、すべからく単レンズをものにすべし、というところだ。
 ズームレンズを使用していると、横着に走り、自分は動かずに被写体を近づけたり遠ざけたりして画面構成をしてしまう(これは禁じ手というものだ)というドツボにはまりやすいが、画角に囚われながら、ついでに遠近感をもないがしろにしてしまう。いつまで経っても、画角もパースもレンズ任せとなり、適切な距離感を見つけ難くなってしまう。これがズームレンズ最大の罪であるとぼくは考えている。お手軽なものには罠が仕掛けてあるものだ。

 また、単レンズは同時に工夫を凝らさなければならない場面にも遭遇し(アングルが固定されているので、夾雑物を排除したり、写り込みを避けることなどの知恵が身につく)、ファインダーを覗きながら細かい所まで神経が行き届くようになる。ズームレンズは、強いていうなら、がさつさを誘発しかねない。事始めの人ほど固定焦点(単レンズ)の使用をぜひお勧めしたい。

 嗚呼、こんなことを書いていたら、本題について述べる余地がなくなってしまった。どことなくそんな気がしていたのだが、ぼくはそれ程にまで、写真を愛好すると強固に主張する人たちに、単レンズの使用をお勧めしたいとの思いが強い。ぼくのそんな健気で真摯な思いを、無視する輩が余りにも多く、したがって今回の逸脱はぼくのせいではないと、改めて訴えておく。
 本テーマについて、次回こそ横道に逸れずに、「体験談を踏まえて」お伝えしたいと思っている。単レンズの得(徳)はまだまだあるのだが・・・。
 今回は今まで栃木市で見逃していた写真の掲載。それでお見逃しのほどを。

http://www.amatias.com/bbs/30/467.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM + PLフィルター。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
テーマにしている「ガラス越しの世界」。ショーウィンドウに古びた人形が。値札の貼られたサングラスに、間近に止めてあったトラックのテールランプが程良く写り込んでくれたのだが、この可否について未だに悩んでいる。
絞りf7.1、1/20秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02栃木市」
さほど大きくない印刷物が貼られていた。店主のお気に入りなのだろうか? 何度も張り替えられたとみえて、テープの跡がベタベタと。オリジナルとはまったく異なる色調をイメージして。
絞りf8.0、1/200秒、ISO100、露出補正-0.67。 

(文:亀山哲郎)

2019/10/11(金)
第466回:通うことの大切さ(1)
 威圧的で厚かましいほどの猛暑だったこの夏、ぼくは私的写真を撮りに出かける勇気がなく、ずっと家に閉じこもりっぱなしだった。約2ヶ月の間、カメラをぶら下げて “勇気凜々” 歩き回ることができなかった。勇気凜々とは、敢えて説明すれば「何事をも恐れずに、立ち向かう気力に溢れている」ことをいう。
 けれど、この気力を意図的に遠退けることを即ち「怠惰」と決めつけるに今夏は少々酷であった。写真屋の矜恃として、この暑さでさえも、撮影の意欲と気力はもちろんあるといいたいのだが、正直にいえば体力にちょっとばかり自信が持てなかったのだ。
 まだ未体験ではあるが、今風にいえば「熱中症」、昔風には「日射病」を恐れてのことだった。世間ではこのようなぼくの言い草を、あたかも他人事のように「屁理屈」と断じ、非難する人さえいる。でも、確かにそうかも知れない。「商売人のくせに」といわれれば返す言葉がない。
 しかし、尋常ではなかったこの暑さのなかで、ぼくの好きな言葉である「野垂れ死に」を地で行ってしまっては元も子もなくなる。同情もしてもらえなければ、憐憫の情もかけてもらえない。「あいつ、阿呆だよなぁ」でお終い。ぼくはこれでも「野垂れ死に」の「寸止め」くらいは知っているつもりだし、海外で何度かその体験もしている。
 何の自慢にもならないが、-51℃(シベリア)~ +48℃(パキスタン)を、身を捩りながら体験せざるを得なかった。今思うと、恐いもの知らずの、まさに勇気凜々だったのである。写真を撮りながら、野垂れ死ぬのであれば本望だと、この際いい恰好をしておく。

 すでに齡70を越したので、この「怠惰」は許されてもいいが(と、自己中心的に考えている)、何故、勇気がなかったのかをつらつら考えてみるに、都合の良い理由はいくらでも見つかるのだが、とどのつまり、きっと誰もがそうであるように不快指数が限界を超えたためだった。
 「体力は辛うじてまだしもというところだが、あの不快指数が写真を撮る気分にさせない」との結論に至る。体力と情緒(精神)、この行き違いというか自家撞着はまことに狂おしい限りだ。ぼくの横柄なる果敢さも、今年の夏には到底立ち向かうことができず、尻尾をまいてしまったのだ。
 本来は歳などには関係なく、不快指数などものともせずという商売人の強固な意地を示さなければならぬはずだった。「老いてはますます壮(さかん)なるべし」というではないか。悲しいかな、諺通りいかないところが、諺の諺たる所以ではなかろうか。

 暑さも人心地つき、写真の精霊が姿を見せ始め、ぼくはやっと使命感に突き動かされ始めた。今年ばかりは、去りゆく夏を惜しむ、などという気取った気分にはなれず、万々歳の秋到来である。おまけに、嫁もクラス会だとかで京都に里帰りしており、ぼくはそこはかとない解放感を味わっている。只今、得もいわれぬほどの上機嫌である。

 どこへ撮影に行こうか、「鬼の居ぬ間に洗濯」とはしゃぎつつも、これといった当てはないのだが、行けば何かが見つかるとの予感を与えてくれる土地というのは誰しもあるものだ。うん、多分ね。
 相も変わらずぼくは栃木市へひとっ走りすることにした。もう何十回も訪れた所ではあるが、きっと相性が良いのだろう。「困った時の栃木頼み」といったところか。
 「行けば必ず1枚はヒットする」というものではないのだが、確率が高いような “気がする” ので、行き場所に迷った時はどうしても自然と足が向く。引力のようなものだ。

 我が家から、東北自動車道で1時間ちょっとというのも寝坊助のぼくにはありがたい。栃木市は「蔵の街」といわれるほど蔵が多く残っているが、ぼくは蔵自体にさしたる興味があるわけではない。良い写真が撮れたためしがないので、悔しまぎれにそういっているに違いない。
 巴波川(うずまがわ)沿いに蔵が建ち並ぶ街一番の名所など、何度撮っても上手くいかない。観光写真か絵葉書になってしまうのだ。だから、面白くも何ともなく、ぼくが撮る必然性も感じられない。
 蔵より、ショーウィンドウや店の佇まいなどに、どことなく懐かしくもしっとりとした昭和の味わいが見られ、それに惹かれるのだろうと思う。気が乗るのは作品を創るうえで大変大事なことだが、気だけでは何ともならない最右翼が写真なのではないかと思っている。

 駐車場に車を止め(ここは午後5時になると管理人がいなくなるので、5時以降に戻れば無料となる。したがって、5時までは真冬であっても経済観念の発達した人は駐車場に戻ってはいけない。ぼくの経済観念は非常に劣っており、ただ貧乏なだけだ)。
 大通り沿い(例幣使街道)を歩く。勘に頼って横道に立ち入ることもある。幾度通った道も、天気や季節、光が変わればまったく異なった佇まいや装いを見せてくれ、思わぬ発見をしたりもする。「何で今まで気づかなかったのだろう?」と感じた時の高揚感、ワクワク感は何ものにも替え難い。
 ところで夏の盛りはどうだったのだろうかと、ぼくは地団駄を踏み鳴らすのだ。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
行く度に気になり撮ってはいたものの、どうしても描いたイメージに撮れなかった。今までで、一番それらしく撮れたもののベストとはいかなかった。
絞りf8.0、1/400秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
脚立になまこ板。一体何屋さんなのか窺うも、得体知れず。「何となく面白いなぁ」と思いつつ、何となく1枚だけいただく。
絞りf8.0、1/80秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2019/10/04(金)
第465回:ある演奏会で
 先週ある演奏会に赴いた。この合唱団は秋に年一度の定期公演を催しているが、ぼくにとって大変心地の良い演奏を聴かせてくれる。中学時代の同窓生のご両親(すでに故人となられた)が音楽家で、お二人に指導を受けた方々が、ご両親の音楽とお人柄を慕い合唱団を創設し、年に一度素晴らしい歌声を響かせてくれるのだ。
 今年は40回目を迎え、団員も高齢化が進み、最後の演奏会となった。ぼくにとって、年一度の楽しみがひとつ失われたことは、残念至極といったところである。

 大学時代、お父上(同窓生だった娘御さんのお父さんで声楽家)に浦和のレストランで海老フライをご馳走になったことがある。経緯は定かではないのだが、演奏会に連れて行ってもらい、その帰りだったような気がする。二人だけだった。
 緊張のあまり粗相をしでかしてはいけないと自身に言い聞かせた。「行儀を意識して食事をするのはこれ程にまで大変なことなのか」と、学生のぼくは改めて感じたものだった。テーブルに敷かれた真っ白なクロスの一点を凝視しながら、決して失儀があってはならないと身体をこれ以上になく硬くし、かしこまっていた。まるで厳粛な儀式に臨むようにも思え、一挙手一投足にまで気を配らなければならなかった。ぼくにもこんな時代があったのだ。
 この状況を指し、「決死の覚悟」という。あるいはまた、「断頭台への行進」(ベルリオーズ作「幻想交響曲」。因みにこの交響曲、ぼくは好きではない)から「ワルプルギスの夜の夢」(同)に至るが如し。

 ぼくの親父は、行儀作法には極めて厳しかったのだが、大学生のぼくには、時代も手伝ってか、大人と同じテーブルに、しかも一対一で食事をするというのは、やはり大ごとであり、荷が勝ちすぎて海老フライを味わう余裕などあるはずもなかった。しかしこれも大人に至る大切な関所と心得、ぼくは痛々しくも覚悟を決めた。関所破りは、 “男一世一代” の大仕事でもあった。
 大仕事を前にすっかり萎縮していたやさ男は、萎縮した分海老フライが3倍ほど大きく膨張して見え、いくらフォークとナイフを操っても一向に小さくならなかった。そんな思いが、あれから半世紀を経た今、生々しく蘇ってくる。ぼくはこんにちまで、海老フライを前にすると、思わず身を正し、ただならぬ緊張感に襲われるのだ。終生、海老フライの呪縛から解き放たれることはないだろう。

 お母さん(娘御さんのご母堂で、やはり声楽家)は、遊びに行くといつも紅茶とショートケーキ(今のように洋菓子やケーキをスイーツ呼ばわりしない時代だった)をご馳走してくださった。ぼくにしてみれば、当時にしてショートケーキを常備してあるとても摩訶不思議な家だった。そういえば、娘御さん(以下、Kちゃん)は、両親を「パパ、ママ」と呼んでいた。「と〜ちゃん、か〜ちゃん」でも「おとぉ〜、おかぁ〜」でもないのである。因みに我が家の娘は、誰に対してでもぼくを「てつろうくん」と呼ぶ。

 お母さんの前でぼくは “男一世一代” を演じる必要はなく、母親に甘える(ぼくには経験がない)ような気持でいろいろな話をした。お母さんが話し相手になってくださる時は、中学時代の同窓生であり、大学の同期生でもあったKちゃんが不在の時だった。
 ぼくはよくお母さんに「この話、Kちゃんにはしないでくださいね」と懇願したものだ。お母さんは「分かったわ。Kにはいわないでおきましょ。でも、かめさん、ダメよ!」と、これ以上ない優しい目でぼくにお目玉を与えた。定期的にお目玉を頂戴したぼくは、それを嬉しく感じ、病みつきとなり、敢えてKちゃんのいない時間帯を狙って訪れた経験が2度ばかりある。50年以上経った今、もうこの話は時効だろう。

 大学時代、学校近くの喫茶店でKちゃんとお茶をしたことがあった。ケーキといえばショートケーキしか知らないぼくに向かって、Kちゃんはこれ見よがしに「あたし、モンブラン」と注文した。そこには「あんた、知らないでしょ。食べたことないでしょ」と、ぼくを未開人扱いしたくて仕方がない彼女の心胆が渦巻いていたように思う。その時、モンブランを目の当たりにして、ぼくは思わず「焼きそばみたいだな」と迂闊にもいってしまったのだ。あの時の、Kちゃんの目つきは、母親に似ず、実に冷ややかなものだった。
 今現在、ぼくは彼女(夫君も同窓生で、ぼくとも仲が良い)の家を訪れるたびに、頑なにモンブランを持参することにしている。だがしかし、モンブラン娘のぼくに対する野卑人間扱いは今でも止むことがないし、これからもずっとそうだろう。
 
 え〜っと、写真の話なんだけれど、前述した演奏会に、ありし日のご夫妻の二重唱がCDにより流された。あまりの素晴らしさにぼくは涙を禁じ得なかった。
 合唱団の指揮者であるKiさんが挨拶され、ご夫妻の二重唱の素晴らしさについて、「まさにお人柄や人格が音楽に反映されており、演奏が感動的であるのはその表れである」といわれた。
 ぼくは客席で、涙と鼻水を拭いながら「写真もまったく同じ」と共感と快哉を叫んだ。「写真に限らず、作品とは全人格の投影」との信念を、ぼくはいつも自戒の念を込めていう。
 この合唱団の心地良さは、技術や音楽性はもちろんのことなのだが、「聴衆に聴かせてやろう」との意識をほとんど感じさせないからだと思う。それはきっと直截な人間のみが成せる業ではないだろうか。
 写真も「見せてやろう」と感じさせるものは、どこかあざとさがあるものだ。作品が「どうだ、見ろ!」という。「来場者におもねる」こと、「媚びを売る」ことほど醜いことはないが、巷にはその類があまりにも多く、しかも幅を利かせ闊歩している。人々の多くは、あろうことか、そのようなものに喝采を送ってしまうのだ。 

 ある日、車の運転席から何十年ぶりにお母さんを見かけた。ぼくは運転席の窓を下げ、首を出し「おばさん、おれだおれだ!」と叫んだ。こんな邪気のない(乱暴で無礼なだけ?)直截な男はやはり未開人であり、蛮族なのであろうか?

http://www.amatias.com/bbs/30/465.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF11-24mm F4L USM。
茨城県古河市。

★「01古河市」
古河市地域交流センター・はなももプラザに置かれている屋台。享保14年(1729年)に製作された。実物は色彩豊かだが、ぼくにはこのように見えた。 
絞りf6.3、1/20秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「02古河市」
屋台の裏正面。人がひとりやっと通れるほどの空間から、背中を大きな窓ガラスに押しつけ11mmの超広角で。外光が手伝ってくれたのが幸運だった。
絞りf9.0、1/25秒、ISO200、露出補正-1.00。 

(文:亀山哲郎)

2019/09/27(金)
第464回:スマホ写真(やっぱり最終回とはいかなかった)
 前号にて「スマホ写真(最終回)」と、ぼくにしては男らしく見得を切ったものの、デジタルカメラ(フィルムも同様)に於ける画素数(フィルムなら粒子)とイメージセンサー(フィルムの受光面)の大きさのどちらが画質により大きな影響を及ぼすかについて、上手く説明できたのだろうかと、ぼく本来の心配性が祟って、目下不安な気持に襲われている。説明に過不足のあることが分かっているので、なおさらの感ありというところだ。 
 もっともぼくは、読者諸兄が混乱を来すような書き方が好きなのだが、物事を論理的に解説するとなると話は別で、そ〜ゆ〜のは本来苦手な部類に入る。だから論理的な話はホント、あまりしたくないのだ。第一、論理的な話って可愛げないし、つまらないもんね。なので今回は論理的な話はできるだけ避けようと思っている。

 「画質」とは主観的な要素が多く含まれるので、一概にこうだと決めつけるわけにもいかず、なかなかに悩ましい。ぼくの所有するiPhone 8 の画質を指して、かなりネガティブな感想を述べたが(ネット界隈に於ける評価が、比較的良好であることは知っている)、このことはもともと「無いものねだり」を十分承知の上で述べたもので、著しく公平さを欠く評価であることもよく自覚している。そもそも、イメージセンサーの大きさが異なるものを、同じ土俵で比較などしてはいけないのだ。それは極めて非論理的というものである。
 しかし、このことは実体験(前号で述べた小型カメラと大型カメラの実際比較)を何度も重ねないと、「身につまされる」ものではないし、公言する自信も生まれない。職業写真屋が耳学問に頼ってはいけない。
 公平な比較とは、最低限でも、イメージセンサー(画素数ではない)の大きさが同じとの条件でなければならない。「画素数」がまったく無関係とはいわないが、イメージセンサーの大きさが同様との条件が伴わなければ、画素数を論じてもあまり意味のあることではない。軽量級のボクサーが、いくら手数の多い強者でも、重量級のボクサーには歯が立たないのと同じことだ。

 スマホ写真について公平な見解を示しておけば、構図を除いて、誰がどう撮っても、とにかく「賢く写る」ということだ。否、「写ってしまう」のだ。これは兎にも角にも凄いことだ! こんなことがあって果たして良いものだろか? いやぁ〜、天地神明に誓って、良いはずがないじゃないか! と写真原始人のぼくは、せっかくなのでここで思わず本心を明かしておく。
 ぼくのような古いタイプの愛好家には、「押せば写っちゃう」というのは、まさに驚心動魄、天孫降臨、驚き桃の木山椒の木である。現代人はますます阿呆になり、原始人はただただ狼狽え、血迷うばかりだ。

 もともと、フィルム写真に比べればデジタル写真は良い意味でも悪い意味でも現代文明の落とし子である。お手軽の手間要らずなのだが、何度もいうように「写真の良否は機材に依存しない」のがぼくの持論なので、極論すればスマホで一世一代の傑作をものにすることはもちろん可能だ。
 だが、「写真は絶対まぐれでは撮れない」のと「写真に於ける最難関のひとつである “構図” は、スマホがいくら優れものであっても、上手に取り計らってはくれない。こればかりは逃げようがない」。ここに原始人の知恵の躍動が残されているのである。
 今これを書きながらふと思ったのだが、ぼくが手軽で賢いスマホを好んで使用しないのは(不慣れゆえ、かえって面倒と感じる面もあるのだが)、画質云々より知恵の効かせどころがないからなのだろうと思う。人間は、ロボットとは比較にならぬほどの知恵と経験値を有しているが、得手不得手の分別をわきまえれば、自ずと賢い使い分けができるものだと考える。ロボットと異なり、「頭は生きているうちに使え」とは、よく親父にいわれた言葉だ。

 フィルム時代の愛好家は「何故写真が写るのか?」との理屈を知らなければ、写真を撮れなかった。シャッタースピード、絞り、ISO感度(当時はISOでなく、ASAで表示された)の三つ巴(みつどもえ。勢力や力関係がほぼ同等の三者が入り乱れて争うこと。ここでは三者の相関関係を指す)を把握していなければ、露出オーバー、アンダーのオンパレードだった。カメラに今のように露出計が内蔵されておらず、単体露出計を使用したものだ。
 いろいろな意味で原始的ではあったが、そこに創意工夫という非常に人間的な振る舞いがあり、否が応でもそれが写真に色濃く反映されたものだ。
 そして、最も深刻な問題はシャッターを1度切るごとに、タクシーメーターよろしく、カメラが「チーン」と音を立てて(嘘です)、値が嵩上げされることだった。したがって、露出、ピント、ブレには細心の注意を払いながら、まるで儀式を執り行うが如く、恐る恐るシャッターを、しかし厳かに押したものだ。全員が緊張感に包まれ、Vサインなどするマヌケが出現する隙を与えなかった。

 「さぁ撮るぞ」という心構えは個人的な問題で、その差異も大きいが、風景写真などを撮るに際しての、大型カメラが醸す得も言われぬある種の精神的レジスタンス( “抵抗” とでもいうのかな)は、仕事であっても宗教的な感覚を覚えるものだ。おおよそVサインなどとは無縁の世界が厳然としてそこにある。
 近未来、デジタルのフルサイズは、感覚的にフィルム時代の大型カメラに取って代わるのだろうか? 日進月歩の科学は、スマホカメラをフルサイズのクオリティにまで導くのだろうかとぼくは興味津々だ。重いカメラに日々うんざりさせられているぼくにとって、その日が来るまでしぶとく生き長らえてやろうと思う今日この頃。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM + PLフィルター。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
誰が見ても「きれいな写真」などと邪な!? 思いを抱くのはぼくらしくない。正直に、感じたままを撮ることこそ大切なことと言い聞かせて。
絞りf8.0、1/200秒、ISO100、露出補正ノーマル。

★「02栃木市」
なまこ板に囲まれた広い駐車場。過去何度も通った所だが、やっと陰がそれらしく壁に映ってくれた。
絞りf7.1、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)