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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2011/01/21(金)
第35回:パソコンは必要?
 デジタル写真にはパソコンが必要なのでしょうか?

 ”デジタル写真を扱うからには、パソコンは絶対に必要なものだ” とは一概に言えません。ダイレクトプリンターと呼ばれる家庭用のインクジェット・プリンタを使えば、パソコンなしでもメモリーカードをプリンタに差し込むだけで、写真を楽しむことができます。多くの製品が手頃な価格で入手できますから、どうしてもパソコンは苦手だという方には、とても便利なものです。それも厄介だという向きは、メモリーカードを持って写真屋さんに駆け込めばいいのです。その場ですぐにプリントしてもらえます。
 と、ここまでは写真を単なる記録として楽しむ方々へのお答えです。もう一歩進んで、「この被写体をこのように表現したい」とか「自分の描いたイメージを思い通りプリントしたい」と考えている方々、趣味としてデジタル写真を楽しみたいという人たちには、やはりパソコンは必須のアイテムと考えていいでしょう。

 写真をデジタルから始めた方は、写真画像の明るさや色調、コントラストなど、パソコンを利用して調整できるのはデジタル特有の事象とお考えかも知れませんが、フィルム時代から好事家たちはこの作業を黙々とこなしていたのです。現像やプリントを他に委ねることを由とせず(既製品では飽きたらず)、暗室に潜り込み、人によっては家族の顰蹙を買いながらも、自分のイメージを追求したものです。
 デジタル時代となり、専門家でなくともこの作業は飛躍的に容易となり、また身近にもなり、フィルム時代より高い精度で自身のイメージを追求でき、成し遂げられるようにもなりました。つまり、良いことずくめなのです。

 パソコンがあればどんなことができるのでしょう?

 パソコンを操作することで、データ保存の他に、たくさんの事が可能になります。その中でも最も大きな楽しみは、いつでも手軽にモニターに映して鑑賞ができることでしょう。写真を自由に拡大して見ることができるということは、やはり大きな喜びや驚きであるとともに、細部にわたって鑑賞、反省?できるわけですから、次回の撮影に際してのヒントも得られやすいと思います。ただ大手を振っての好ましいことばかりではなく、ここには頭の痛い問題も生じてきます。
 話が横道に逸れてしまいますが、大切なことですので敢えてお話しておきます。様々の方と接して知り得たことのなかで、「モニターで見たものとプリントとのあまりの違い」にお悩みの方が非常に多いということなのです。いつもその質問にぶつかると言っても過言ではありません。
 モニターは光の三原色(RGB。赤、緑、青)で成り立ち、プリントは色の三原色(CMY+K。シアン、マゼンタ、イエロー + ブラック)で色再現を行いますから、この2つが物理的に同一に表現されることはありません。しかし科学的な約束事をしっかり踏まえれば、ほぼ同一に表現できるのです。デジタルは科学であり、フィルムは化学なのです。この科学的な約束事をみなさんは無視して、「色が合わない。明るさやコントラストが合わない」とお嘆きなのです。
 また、同じプリントが光源によって変わって見えるというやっかいな現象を演色性(メタメリズム。厳密には等色条件と翻訳)と言いますが、これにも悩まされます。この現象はプリントに限らず、あらゆるものに見られます。生ものをタングステン光下で見たものと蛍光灯下で見たものとでは、同じものとは思えないほど色が異なって見える、あの現象です。
 このような悩み事から解放されるには、別項目を設けなくてはならず、今日ここでは触れないことにいたしますが、どうしても今すぐ、という方は個別にご質問をいただければと思います。

 デジタルは画像ソフトなどを利用して、自分の好みに色調補整をしたり、加工や修正、合成もすることができますから(写真の加工、合成にぼくは消極的な意見です)、明るく清潔な暗室を得たのと同じくらい価値のあるものです。また、年賀状や挨拶状なども、自分のオリジナルが作れますし、ホームページやメールにも簡単に写真が添付でき友人や知人に公開できるのも、パソコンがあればこそということになります。

 ぼくは職業上、パソコンはMacintoshを使用しており、時折知人宅でWindowsを触るくらいですので、難しい?Windowsに関してはほとんど知識がありません。おそらく読者の大半の方がWindowsをご使用のことと思いますが、パソコンは厳密な印刷結果(美術出版や写真集など)を望むのでない限り、Macintoshである必要はないと思います。必要なことはMacであれWinであれ、身近に教えてくれる人がいるということではないでしょうか。
(文:亀山 哲郎)

2011/01/14(金)
第34回:データの保存
 撮った画像はどのようなものに保存すればいいの?

 メモリーカードに記録された情報は、消したり記録したりを繰り返すことができますが、大切な写真はどこかに保存しておかなくてはなりません。この作業を ”バックアップを取る” と言います。失ったデータを取り戻すのは、状況にもよりますが、まず不可能に近かったり、余計な出費を強いられることになりますから、バックアップはしっかり取っておきたいものです。失ったデータは二度と手元には戻ってこないというくらいの思いでちょうどいいでのではないでしょうか。

 一般的な方法は、いったんデータをパソコンに取り込んで、それをCDやDVD、あるいは外付けハードディスクといった記録メディアに移すことです。デジタル情報をCDやDVDに記録するためには、パソコン内蔵のレコーダーを使用するか、もしくは別個のレコーダーが必要になります。今は高倍速のものが手頃な価格で入手できますから、揃えておくとよいでしょう。パソコンに保存しただけではだめなのかという声を聞きますが、パソコンのハードディスクの寿命は2年から3年と言われていますし、いつ壊れるかわからないというのがパソコンの宿命みたいなものですから、やはりここは安心料としてぜひ購入されることをお勧めします。記録メディアの中ではCDが一般的で安価です。容量が640MB-700MBありますから、256MBのメモリーカードなら2枚以上は記録できることになります。

 では、CDやDVDに保存しておけば絶対に大丈夫なのかというとそれも大いに疑問符のつくところです。どのくらいの期間保存できるのかは、CDやDVDの置かれている条件もそれぞれですから、一概に何年とは言えないのが現状です。永久不滅という物はこの世にはありませんから。温度、湿度、直射日光、扱い方などで耐用年数も大きく異なってくるはずです。

 ぼくは自分でも呆れるくらいガサツかつ酔狂な人間なのですが、データの保存だけは人一倍の神経を使うようです。“ようです”とは、他人様が果たしてどのようにしているのかをうかがい知ることはなかなか困難ですから、ただ自分でそう思い込んでいるだけなのかも知れません。
 CDやDVDにバックアップしたデータは、5年に1度焼き直すということを励行しています。焼き込んだ日を忘れずに記録しておくことも大切です。ぼくはCDやDVDだけでは飽きたらず、大容量の外付けハードディスクにも二重の保険をかけるようにしています。ですが、ガサツに加え多少のボケも混じり始めていますから、何がどこに保存されているのかが時々分からなくなっちゃうのです。かなり膨大な量ですから、検索をかけまくってどこに潜んでいるかを突き止めなければなりません。この作業に手間取るとストレスが倍加し、ぼくのように人一倍白髪化が進みます。
 保存というのはそこまできちんとして、「人一倍の神経を使う」と言えるのでしょうね。やっぱりぼくはガサツで酔狂なだけのようです。

 あっ、肝心なことを忘れていました。
 メモリーカードからどうやってパソコンに移すかの作法についてです。カメラの取り扱い説明書などに、カメラとパソコンをつないだ図がありますが、ぼくはこの方法を用いたことが一度もないのです。なんで? と聞かれると答えに窮するのですが、「なんとなく気味が悪いから」という極めて非科学的で無責任な答えとなってしまいます。「気味が悪い」というのは感覚的な問題でもあるのですが、ぼくは自分の感覚をこよなく愛し、信じ、またそのような勘に頼ることにしているのです。そうやって無事?60年以上もやり過ごしてきたのです。「無事これ駄馬」と言うのもアリです。

 カメラとパソコンを直接つなぐのではなく、カメラからカードを取り出し、カードリーダーに差し込みパソコンに移すという作法が一種の儀式のようにも思えて好きなのかも知れません。手を洗い、静電気を落として、という慎重さを要する作業ですから、一手間も二手間も余計なのですが、なぜかこの方が安心感が得られるのです。重量級のデータを一気に何百枚もパソコンに移すのですから、もしかして(まるで他人事のような口調)こちらの方がスピードがありパソコンへの取り込みが速いとでも感じているのかも知れませんが、これも感覚的なことで確かなことは分かりません。どなたか教えてください!

 もう何千回もこの作業を繰り返してきて、ここでミスを犯した(データを飛ばしてしまった)ということはまだ一度もありませんから、ぼくはこの方法を何の根拠もなく、だれかれかまわずにお勧めしています。
 それより重要なことは、メモリーカードの安物買いは禁じ手と考えた方がずっと賢明です。「安物買いのデータ失い」となってしまうからです。信頼性のあるメモリーカードを買うようにしましょう。苦労して撮った写真を失うのは、惜敗どころではなく、痛恨の至りですから。

(文:亀山 哲郎)

2011/01/07(金)
第33回:デジタルカメラ購入のポイント
 第2回で「どんなカメラがいいですか?」というテーマについて少し抽象的なお話をしましたが、今回はデジタルカメラに特化して、具体的な面から探ってみたいと思います。

 まず購入のポイントは、使用目的をしっかり見定めることです。
 どのカメラがあなたに適しているかは、それぞれ個性や好みがありますし、使用目的も異なりますから、正直なところ的確な答えを導き出すことは誰にもできませんが、カメラの基本性能を理解しておけば、選択のよいヒントとなります。思いつくままに(これがいけない)述べてみましょう。

 カメラを選択する上で最もその指標となるべき数値に画素数というものがあります。コマーシャルやカタログなどで謳い上げている「何万画素」という数値です。昨今はメーカー同士の、あるいは同価格帯機種の「画素数争い」も以前と比べやや沈静化の兆しが窺えますが、カメラを購入する際のひとつの目安であることに変わりはありません。
 画素数とは、光を受け取る撮像素子が何万個並んでいるかという数値です。大雑把に言えばフィルムの粒子のようなものだと考えてください。デジタル写真をパソコンなどで拡大していくと写真がいくつもの四角い点で構成されていることがわかるでしょう。
 点(撮像素子)が多ければ多いほど、光の情報をたくさん、そしてまた細かく得ることができるというわけです。つまり画像情報の密度が高いということになり、きめの細かい、滑らかな写真画質を得ることができます。これを解像度という言葉に置き換えてもいいでしょう。デジタル時代になりこの「解像度」という言葉が「解像感」という曖昧な言葉に置き換えられることもあるようですが、いずれにせよ画素数は写真の画質に直接結びつく最も大きな要素であると言えます。

 CCD (Charge Coupled Device の略。撮像素子)イメージセンサーのサイズの小さいものと大きいものとでは、同じ画素数でも、写真の画質は変わってきます。もちろん大きい方が有利で、写真の表現能力に優れています。これは、光を受け取る素子が大きいほど、微細な光に反応できるからです。
 同じ画素数であれば、例えばコンパクトデジカメなどに多用される1/1.8インチ(CCDの対角線の長さ)より、一眼レフに多く使われているAPS-C サイズ(厳密な規格ではなく、メーカーにより多少の差異があるが、縦横の寸法が23.4mm x 16.7mm前後)の方が有利なわけです。フィルムでも、35mmフィルムよりブローニーフィルムの方が、微細で滑らかな表現が可能なのと理屈は同じです。

 画素数の多いことの長所と短所

 画素数が多いということは、それだけ細密な描写が可能となり、グラデーションも豊かなものになります。画素数が少なくなると、反対に情報量が少なくなり、写真画質という点では不利になります。
 また、画素数が多いことイコール情報量が多いということにつながりますから、一枚のメモリーカードで撮れる写真の枚数も減ることにもなります。容量が大きくなりますから、パソコンで表示するのに時間がかかったりすることにもなります。写真データの容量が多くなればなるほど、パソコンにも負担がかかり、それを処理するパワーが必要となってきます。
 大は小を兼ねるというのは事実ですが、そのためにより多くの出費をさせられるのも確かなことです。

 使用目的に応じて画素数を選ぶ

 実際の使用に際して、パソコンの負担を除いても、画素数が多ければ多いほど、すべてにおいて万々歳かというと決してそうではありません。例えば、写真をパソコンのモニターやテレビでしか見ないという人。あるいは、葉書くらいの大きさにプリントをして楽しむのがほとんどだという人であれば200万画素以上の画素数はあまり現実的ではありません。A4くらいの大きさでプリントを楽しみたいという方は、一般的なインクジェットプリンタでプリントする場合、目安として最低限300万画素あれば、それほど不満のないプリントが得られると思います。もちろん、400万、500万画素の方がより細密な描写が可能ですが、カメラの選択にあたっては、むやみに画素数の多いものを選ぶのではなく、どのくらいの大きさにまでプリントしたいかを選択の指標にするのも、合理的な考えだと言えます。一般的なインクジェットプリンタの解像度を200dpiとして換算してみると、プリントサイズの目安として130万画素―約16x12cm, 200万画素―約20x15cm, 300万画素―約26x19cm,400万画素―約28x21cm, 500万画素―約32x24cmとなります。

 カメラ選び

 生まれて初めてのカメラが300万画素のコンパクトデジカメで、一年後には一眼レフを購入した人や、初めから一眼レフを選択した人たちを実際に見ていますから、初心者向け、中級者向け、上級者向けというのはあってないようなもので、ぼくはそれにあまりこだわる必要はないという考えを持っています。
 デザインが気に入ったとか、山歩きに持って行きたいからとか、芸術写真を目指し大きくプリントしたいなど、それこそ目的は百人百様です。そのカメラの何が気に入ったかが、選ぶ根拠としては最も正当性があるような気がします。
 メーカーはしのぎを削って製品を世に問うているのですから、これからデジカメを始めようとする人たちにとって、同価格帯の中でそれほど目くじらを立てるような性能の差はないと考えていいでしょう。

 私見ですが、カメラ選びはあなたの腕前に依拠するではなく、初心者、上級者に関わりなく、懐の許す範囲で最高のものを手にするのが上達の早道だとぼくは信じて疑いません。
(文:亀山 哲郎)

2010/12/24(金)
第32回:デジタルのメリット(4)
 プリントの楽しさをお話する前に、順序が前後しないように、デジカメのワンランクアップの活用法について先にお伝えしておきましょう。

5.予想以上に電気を消費するのがデジカメ

 前回お話したように、電気がなければ ”ただの箱” というのがデジカメ。撮りたいものを目の前にして“電池切れ”では、あまりに悲しく惨めです。この悲劇から逃れるためには、ただひたすら事前の準備あるのみ。単三電池使用であれば、充電のできるニッケル水素電池の使用がお薦め。ただニッケル水素電池はメモリー効果というものがあって、十分な放電を行っておかないと、完全な再充電ができないことに注意してください。また、電池というものは使わずしても自然放電をしますから、撮影前日の充電がベストです。最近はメモリー効果が少なく、自然放電の少ないリチウムイオン電池が主流になりつつあります。     
 そして、専用のバッテリーをもう一つ予備として購入しておけば安心です。電池残量を気にしながらの撮影は、精神衛生にも良くありません。                            
 ここで注意すべきことは、電池をカメラにセットする時は必ず電源をオフにしておくという習慣を身につけてください。そのためにカメラが壊れるということはありませんが、自分の意識しないところで、カメラが突然動作を始めてしまうので、事故を起こしかねないからです。

6.メモリーカードをさらに用意しておきましょう

 デジタル写真は撮影した電気的な情報を記録保管しておく、メモリーカードを使います。メモリーカードは様々なタイプがありますが、カメラの機種により使うものが決められていますので、購入の際には自分のカメラにはどのタイプが適するのかを知っておかなければなりません。              
 メモリーカードもバッテリー同様に買い足しておいた方が安心でしょう。メモリーカードは、撮影後パソコンなどに情報を移してしまえば、消去して何度でも繰り返して使うことができるのが、フィルムにない利点です。

7.三脚はおっくうがらずに使いましょう

 デジタル写真が手ぶれを起こしやすいのかどうか、その物理的な根拠を私は知りませんが、フィルムに比べて手ぶれを発見しやすいのは確かです。その大きな理由は、フィルムはせいぜい4x-8xのルーペでピントを確認していたものが、デジタルではカメラやパソコンのモニターで画面を拡大して見ることができますから、その拡大率はルーペの比ではありません。その拡大率による差が、手ぶれの発見を促しているのではなかろうかと思っています。ぼくは、フィルム時代に比べて、手ぶれに神経をより尖らせるようになったことは確かです。
 せっかく軽くて身軽に持ち運べるカメラを買ったのだから、三脚なんていやだという向きには無理強いできませんが、写真をよりシャープにきれいに撮りたい、あるいは夜の雰囲気を壊さずにスローシャッターを切りたいと考えている方には三脚の使用をぜひお薦めします。三脚は重さと強度と価格がほぼ比例するという原則めいたものがありますが、体力に合ったものでいいと思います。レリーズをもっていなければ、あるいは使用できなければ、セルフタイマーを使って撮ってみてください。今までとは違う写真の出来ばえに出会えるかも知れません。
 今は「手ぶれ防止機能」なるものが一般化しつつありますが、はっきり申し上げておきたいのですが、「あれは横着さをカバーするものでは決してない」ということなのです。撮影の基本のできた人は大いにその御利益に与れるのですが、「手ぶれ防止機能」に頼る人?にはほとんど効果がないということです。「ほんの気休め程度」のものだと捉えた方が、慎重さを欠かさずに、結果的には良いのではないかと思います。
 私見ですが、物事すべからく便利になればなる程、文化の質というものが凋落の憂き目に遭うように思えてなりません。

8.デジカメの利点を最大限に使おう

 デジカメの大きな特徴は撮ってすぐに画像を確認できることです。そして、思うように撮れなかったら、気に入るまで何枚でも挑戦できること。それを積極的に活用しない手はありません。                     
 イメージ通りの写真に近づけるための二大機能として、「ホワイトバランス」と「露出補正」があります。フルオートはあくまでもカメラまかせで、必ずしも自分の撮影意図を反映してくれるものではありません。フルオートで撮ってみて、全体の色調や明るさが好みのものでなかったら、ホワイトバランスや露出補正をいろいろと変えてみるのも有効な手段です。  
 例えば、白熱電灯下ではホワイトバランスを ”電球” マークに合わせて撮ってみたら、がらっと感じが変わります。お肌の色合いも変わります。ホワイトバランスを光源に合わせて使うのは、肉眼で見た通りの色調に最も近づける方法でもあります。一方、露出補正は、画面を明るく撮ったり暗く撮ったりという機能です。どのくらいの明るさが適切かというのは、これこそ個人的なものですから、あなた好みで決めるのが一番です。理論的には「適正露出」というものがあるのですが、それは個人の適正とは合致しないものです。

 とうとう今年中に「プリントの楽しみ」に到達できずすいません。今年最後の締めもやっぱりお詫びと反省で終わってしまいました。来年はもう少しうまくやろう?と思います。
 
 では、どうぞ佳いお年を。
(文:亀山 哲郎)

2010/12/17(金)
第31回:デジタルのメリット(3)
 いつでもぼくの話は順序が前後しますが、デジタルのメリットを書き続ける前に、銀塩フィルムとデジタルの画像の出来上がる仕組みについて簡単に述べておきましょう。

 従来のフィルムカメラは、レンズを通った光が、光を感じる化学的な物質(乳剤)を塗布されたフィルムに化学変化を起こさせ、光を記録します。ここまでが、撮影という行為の段階です。
 この段階では、実際にフィルムを見ても人間の目には画像として認識することはできません。暗黒な場所にフィルムを移し、薬品による「現像」という化学反応を加え、初めて人間の目で認識できるようなネガフィルムやポジフィルムが出来上がります。
 この作業を自分ですべて行う人もいますが、一般的には現像所や写真屋さんが行います。これは、モノクロ(白黒)フィルムでもカラーフィルムでも、同様の手続きを経ます。ポジフィルムはスライド写真ですから、フィルムの現像が済めばそのまま見て楽しむことができますが、ネガフィルムは色が反転されているので、そのままでは画像として鑑賞することが出来ません。ネガフィルムはプリントというもう一段階の化学処理を印画紙に加えて初めて画像として見ることができるのです。

 デジタル写真は、当然、今説明をしたフィルムが使われていません。フィルムのかわりに、撮像素子というものが使われています。その光をフィルムのような化学反応ではなく、撮像素子という半導体で電気信号に置き換えるのです。そして、この電気的な信号を増幅処理しメモリーカード(記録メディアとも言います)に書き込みます。得られた電気信号を画像情報にする「画像処理回路」などを働かせるためには当然電力を必要としますから、フィルムカメラよりデジタルカメラは多くの電力を消費するため、バッテリーにより多くの負担を強いることになります。バッテリー電力がなくなれば、デジタルはただの箱に過ぎませんから、バッテリー残量には常に気を配っておかないと、いざという時に役立ってくれません。
 デジタルでもRawデータ(ここでは現像していない撮影済みフィルムと捉えていいでしょう)で撮影するとそのままでは使うことができませんから、それを通常のJPEG や TIF などの画像データに変換する作業を「現像」と言っています。Raw は未現像フィルムと異なり、何度でもやり直しができることは第29回でお話した通りです。
 Rawデータで撮らずJPEG で撮影して、メモリーカードを現像所や写真屋さんに持ち込めば、あっと言う間に(なのでしょ? ぼくは経験がなく聞きかじりなのですが)プリントしてくれるのだそうです。

 では先週の続きを。

4.現像作業の快適さ
 
 銀塩時代の暗室作業は暗く(当然ですが)、また様々な薬品の臭気でうんざりさせられたものです。いくら換気をしても数日間の立てこもりとなってしまうと定着液などから発するガスに頭痛を訴えたり、透明の黄色い結晶状の目ヤニで起床時に目が開かないということもしばしばでした。また、液温の管理などもかなり手のかかる問題で、暗室に飛び込むにはそれ相応の覚悟が必要でした。

 それに比べデジタルの暗室作業はなんと快適なこと! と言っても、フィルム同様に現像作業の手順を踏むことに変わりはありませんが、気楽に取りかかれるという点で、やはりフィルムの比ではありません。
 また、快適な部屋でパソコンを使い画像を補整したり、好みの色調にプリントするという楽しみがあります。画像ソフトを使っての暗室作業は、その精密さや精緻さ、多様さという点において、アナログの比ではありません。
 またデジタルはフィルム代や現像料がかからないので、フィルムより費用が少なくて済むという切実な長所を持っています。ですが、お気に入りの一枚を納得できるまで上質に仕上げようとなると、印画紙代やインク代もばかにならないという面もありますが、それでも、それが達成できた時の喜びはお金には変えられぬ醍醐味と楽しさが味わえます。

 写真というものは、最終段階がプリントだという考えにぼくは固執しています。そこには様々な理由があるのですが、プリントでなくWebですと、ぼくの、もしくはあなたの写真を見る人が100人いるとすれば、100通りのものが現出することになります。つまり、一つの写真がモニターにより見え方がまったく異なるということです。自分の写真を他人のモニターで見て、「これはオレの写真じゃない」という経験を何度もしています。前回添付した写真にしても、ぼくが色調補整したものがあなたのモニターでは伝わらないという可能性だって捨てきれません。
 このような行き違い?はWebでは避けようがなく(避けるためには精密な測光機器を使った厳密なモニターキャリブレーションが必要ですし、色管理のしっかりした画像ソフトも必要です)、したがってプリントが唯一、作者の意思や感情を伝えるものだとぼくは捉えています。

 次回はデジタルプリントの楽しさについてお話しいたしましょう。
(文:亀山 哲郎)

2010/12/10(金)
第30回:デジタルのメリット(2)
 平均的な日本人なら、「未だかつて、シャッターを押したことがない」という片意地な人はまずいないでしょう。それほど、写真を撮るという行為は日常化しています。

 科学の進歩とともに、写真の世界も急激な変化を遂げつつあります。フィルムの時代が長く続き(いわゆるアナログ写真)、昨今ではこのフィルムに取って代わり、デジタルが主流を占めることに戸惑いを覚え、困惑されておられるご年配の方々も多数いらっしゃるのではないでしょうか。携帯電話にさえデジタルカメラが付き、誰もがどこでも、いつでも簡単に写真を撮り、それをコミュニケーションの手段として活用している様を横目で見ながら、引け目を感じておられるご年配の方々、「なに、デジタル恐るに足りず!」です。基本的には従来のカメラと同じと考えてよいのです。ただ、写真はデジタルに限らず、アナログであっても、どうしてもそこに科学が介在しますから、その部分をしっかりと押さえておけばいいのです。

 「その科学の部分がわからないのですよ」とおっしゃる気持ちはよくわかりますが、科学と言ってもぼくたちは技術者ではないのですから、科学という言葉を他に置き換えて、それを小学生の教科書程度の簡単な約束事と捉えてください。そのためにはまず、デジタルやパソコンといったカタカナ言葉に必要以上の生理的なアレルギーを抱かぬ事です。そして、多少の前向きな姿勢があれば誰にでも操作できるものなのです。操作を間違えたくらいでは、カメラは壊れませんから、安心してデジタルの世界を遊んでください。実際にカメラを手にしてみれば、「なーんだ。そんなことだったのか」とおっしゃるに違いありません。そして、デジタル写真の持つ大きな可能性と創造性を存分に楽しんでもらえたらと思います。


1.デジタルカメラでしかできないことはこんな事

 デジタルカメラには、画像を確認する液晶モニターというものがついています。体からカメラを離し、そのモニターを見ながらシャッターを切ることができるのです。モニターは二次元の世界ですから、ファインダーを覗き込んで見る従来の方式より、構図や遠近感などが捉えやすいのです。ここには実は大きな落とし穴もあるのですが、慣れがそれを解消してくれるでしょう。そして、この液晶モニターの持つもう一つの大きな役割は、撮ったばかりの写真をすぐその場で確認できることです。思い通りの写真が撮れなかったら、何度でも撮り直しができることも、デジタルカメラの大きな利点です。ただ、写真屋さんにできあがったフィルムとプリントを取りに行くあのドキドキ感は失われますが・・・。

 ここで注意していただきたいことは、撮った写真をカメラのモニターで見て、それがお気に召さなかった時に、その画像データをカメラから消去してしまう人のなんと多いことか。一枚のメモリーカードには当然枚数制限がありますから、気に入らないものは捨てて、無駄を省きたいとの衝動に人は駆られるようです。ここにとんでもない危険が潜んでいるとも知らずにです。ですから、途中で捨てるようなことはせずにそのまま撮影を続けてください。


2.明るさに応じて一枚一枚の感度を変えることができる

 また、自然界の光は明るかったり暗かったりと、必ずしも写真を撮るに適した明るさばかりだとは限りません。フィルムにはISO感度の異なるものが何種類か使用目的に応じて売られていますが、フィルムをカメラに詰めてしまえば、そのフィルムの枚数は指定された感度で撮らざるを得ません。
 しかし、デジタルカメラは、一枚一枚自由な感度を選ぶことができるのです。暗くて手ぶれを起こしそうであれば、感度設定を変えてその場の光の明るさに合わすといったような使い方ができるのは、とても便利でありがたい機能です。これはデジカメの特筆すべき利点です。

 また、撮影モードも多彩で、花などを画面一杯にアップで写したい時はマクロモード、女性を撮るのならポートレートモードといったふうに、夜景やスポーツ撮影にもそれぞれのシーン別撮影モードが装備されていますから、お手軽にきれいな写真を撮ることができます。また、ビデオカメラのように動画を撮るための動画モードもほとんどのカメラに搭載されています。


3.色かぶりを起こさない

 デジタルがまったく色かぶりを起こさないかというと決してそんなことはないのですが、フィルムに比べればその調整の煩雑さは比ではありません。このことは、第27回「デジタルの恩恵に泣く」で少しばかり触れました。

 作例01は軽井沢万平ホテルのダイニングルームです。光源はタングステンのみで、その温かさを残しながら色かぶりを抑え補正しています。フィルターは使用していません。

 参照画像 01 → http://www.amatias.com/bbs/30/30.html

 フィルムカメラでは、例えば蛍光灯下で撮影すると緑がかぶってきたり、電球下だと赤がかぶってきたりと、目で見たような色がなかなか再現できません。この現象は、太陽光下できれいに写るように設定されたフィルム(デーライト用)に、光源の色温度が合わないために起こります。デジタルカメラでは、カメラが自動的にこの色かぶり調整をしてくれます。フィルムではやっかいな蛍光灯下でも、デジタルではとても綺麗に写すことができるのです。これはホワイトバランス(白を色かぶりなく白く表現する)をカメラが大雑把とは言え自動的に取ってくれるからです。

 今回はここまでですが、次号からもまだまだ尽きぬデジタルの利点についてお話していきましょう。

(文:亀山 哲郎)

2010/12/03(金)
第29回:デジタルのメリット ( 1 )
 すでに何度か申し上げたことの繰り返しで恐縮なのですが、ぼく自身は写真に関して、デジタルでもアナログ(フィルム)でも、どちらでもいいと考えています。美の創造は使用機材・器具・道具などに支配されたり、左右されたりするものではないと信じているからです。要は使いこなしにあると第26回「ある日の出来事」で述べたばかりです。
 しかし、何事においてもメリットとデメリット(長所と短所)は常に表裏一体で共存しているものです。片方だけを取り上げてその長所を並び立てることはある意味で公平さを欠きますが、時代とともに新しい方式が開発され、便利さを増し、世の多くの人々に受け入れられるのも、科学の進歩という意味で、否定できぬものがあります。
 また、デジタルとかアナログに限らず、「作品というものは時代とともにあるものだ」というのもぼくの持論なのです。

 そのような観点に立ち、ここではアナログの長所はひとまず置いておいて、新参者であるデジタルの長所について思いつくままに(ここがぼくの駄目なところで、系統だった話し方ができないという短所には、お目こぼしを願います。短所があれば長所もあるのだとおおらかな気持ちで受け取ってください)述べてみたいと思います。

1.「ホワイトバランスをとる」
 第27回「デジタルの恩恵に泣く」でお話したように、フィルムに比べ自然光下〜〜たとえば太陽、タングステン、蛍光灯、ストロボなどの様々な光源などなど〜〜での撮影にデジタルは神経質にならずに済むということです。特に撮影時にRawデータ(Rawは英語の「生」という意味)で撮影しておけば、どのような光源下の被写体であっても、パソコン上で使用する現像ソフトなどで、その色温度を自在に操り、色かぶりを取り除き、自分のイメージに添った調整を連続可変のスライドバーを動かすことで一瞬にしてできてしまいます。
 この作業を、「ホワイトバランスをとる」と称します。つまり、白い物を白く表現するという意味です。Rawデータであれば、画質を劣化させることなく、この作業が何度でも、気に入るまで、繰り返し繰り返しできるのです。

 参照の画像は両方ともデジタルですが、光源はタングステンの写真電球です。電球の色温度は105v近辺を使い3200ケルビンに調整してあります。この条件下、疑似Daylight用フィルムで撮ったもの「(1)タングステン補正前」と、色温度を合わせたもの「(2)色温度調整後」を比べて見てください。
 厳密には両方ともフィルムで撮ったものではありませんが、ここではその違いを感じていただくことが主眼ですので、他の煩雑なことには触れません。
 ただ、ネガカラーフィルムで撮ったものも実際には色温度が合わず、また色かぶりをしているのですが、 DPE屋さんなどの現像機でコンピューターによる処理が施され、自動補正されたプリントを渡されるので、普通、気がつきにくいだけのことなのです。

 ※参照画像(1)と(2)→ http://www.amatias.com/bbs/30/29.html

 2. 「物の形を自在に変えられる」
 これにはいろいろな意味合いがあるのですが、ここでは広角レンズを使用した際に、特に強調されがちな歪みを修正しています。
 フィルムカメラでは、大型カメラを使い、蛇腹のアオリ操作を行うことで物の形を整え、垂直を出すことが可能ですし、35mmカメラでもシフトレンズというものがありますが、大型カメラほどにはいかず、限界があります。
 ましてやこの写真は焦点距離16mm(35mm換算)という超広角レンズを使用していますので、その歪みはかなり強調されています。これ以上後ろに下がれず建物の全貌を写し取るには、このような超広角レンズを使わざるを得なかったのです。
    
 レンズの特性上、広角になればなるほど、画面の両端に行くにしたがって垂直が保てなくなります。もちろん、広角レンズでもカメラの受光面を垂直に保てば、垂直な線を垂直に描写できますが(魚眼レンズを除く)、それでは空が入りませんから、カメラを上に振ることにより受光面が垂直を保てず、ご覧のような描写になります。

 ※参照画像(3)と(4)→ http://www.amatias.com/bbs/30/29.html#a

 何の補正も加えていないのが「(3)補正前」です。建物がゆがみ、遠近感も強調されています。それを補正したものが「(4)補正済み」で、できるだけ広角の歪みを押さえ、ついでに玄関などの暗部を描出し、ホテルの看板も肉眼で見えるのと同様なくらいに、浮き出るようにしてあります。これは「加工」ではなく「補正」です。

 このような広角レンズによる歪みを取ることの善し悪しはまた別問題ですが、極端な例をあげ、デジタルで簡単にできる補正を2例だけ示しました。建物の垂直が常に出ていないといけないという約束事などありませんし(コマーシャルの建築写真にはそれを要求されることがしばしばありますが)、レンズの特性を逆手に取り、肉眼で見るのとは異なる世界を表すことができるのも写真表現の面白さです。

 大型フィルムカメラを使えばこのような写真を撮るのに三脚を構えてから30分はかかるのに、デジタルではたった10秒で撮れてしまいます。何事にも「急ぎすぎる」現代にデジタルは則しているのかも知れません。

 今日は初回でしたので、デジタルのちょっと極端な使用結果をご覧いただきましたが、次回からは箇条書きで済むようなことも含めてお話しいたしましょう。
(文:亀山 哲郎)

2010/11/26(金)
第28回:がんばれ、男衆!
 前回「デジタルの恩恵に泣く」の一部を述べましたので、今回はその2として、“デジタルとはなんぞや”ということに触れてみたいと思います。それは相当な範囲に話を広げかねませんので、小分けしながら(小出しではない)述べていきたいと考えています。
 ただし、その前にお断りしておきたいことは、ぼくは、一カメラマンであって、学者や学究の徒ではなく、したがって、デジタルの科学的な解析や、あるいは学術的な解説には疎いのだということをご理解ください。手早く言うと、「その方面にはあまり鋭く突っ込まないで」と懇願しているわけです。

 大型量販店のカメラ売り場などでよく見かける光景は、ご年配の方がなにか人生の重大な悩み事を隠すように、ちょっと眉間にシワを寄せながら、後ろ手に組み、じっと佇んでいるとういう姿です。察するに、「どのカメラを購入しようか?」という以前の問題が、かなりの重大事として横臥しているように思えてなりません。それは「私にはデジタルは無縁なのだが」とご自分に言い聞かせながらも、反面、長年写真に親しんできて、新しいものに抵抗感がないわけではないが、どうも気になって仕方がないので、カメラ売り場を徘徊せずにはいられないという喜歌劇というか悲歌というか哀歌を奏でているようにもお見受けできるのです。眩惑し逡巡しながら、多岐亡羊の感ありというところでしょうか。

 彼らは決して保守派の論客ではないのですから、誰かがポンと背中を押してあげさえすればいいのです。それで意外とすんなりデジタルに移行できることがままあるように思います。確固たる保守派(取りあえずフィルム派としておきましょう)は、今迷いのない人生を送っておられ、眉間にシワなど寄せずに、背筋をピンと伸ばし、かくしゃくたる姿でフィルムカメラ売り場に直行。顔貌も姿勢も異なり、それは一目瞭然で、何事も順風満帆と言ったところでしょうか。

 迷い派は、「デジタル=パソコン=むずかしい=手に負えない」という手順をまず勝手に踏んでしまうようです。「デジタルだと、パソコンを覚えないとならんでしょう」というのがお決まりの科白で、自己暗示をかけようと盛んにぐずっているのです。ぼくの周りの年配職業カメラマンでさえ、「デジタルになってカメラマンを辞めました」という気の毒というか潔いというか、そのような人たちが何人もいますし、またそういった類の話には事欠きません。世の中、猫も杓子も(失礼!)デジタルなのに、そのような話を聞くと、「なぜ、ご同輩!」という気持ちに駆られてしまうのです。

 翻って、ぼくのような“新しいもの好きのおっちょこちょい”でさえも、総じて女衆の方がずっと我々男衆からみると、柔軟かつ進歩的で、新しいものには対応力があるようです。辛抱強く、また大胆不敵で活殺自在、なんていうと叱られるちゃうかな? なかなか手強いですね。

 「女性はメカに弱い」なんて言いますが、若い頃のぼくは、「そうじゃないよ、ただ依頼心が強いだけだ」なんてことを言って憚らなかった。きっと強がっていたんでしょうね。ですが、昨今女性写真愛好家を間近に眺めていると、その考えを修正せざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。
 男は物事を理論的に考えようとする傾向があり、また女は感覚的に捉えようとする傾向があることは否めませんが、しかし、こと写真に関する限り女性であることの方が、利点が多いのではないかと考え始めています。男は確かに肉体的に有利であるがために、重いカメラバックや三脚を担いだりすることはできますが、だからと言って、それが良い写真に直結するわけではありません。そこのところが、実はここだけの話、悔しくて夜もおちおち眠れないのです。男とは妙な性を抱えているものです。

 で、話は戻りますが、女性は依頼心が強い(ま〜だこだわっている)が故に、素直にぼくの言葉に従ってくれます。この件に関してだけは、ぼくを信用しているようで、したがって上達が早いのです。これは決してぼくがエライのではなく、彼女たちがエライのです。これが真相であるだけに、なおさら悔しいわけです。
 女衆は、「今はデジタルの時代なんだから、デジタルで撮るしかないでしょう! カメラもデジタルカメラに決まってます!」とまぁ、男らしく、そういう啖呵を切ってくるんですね。

 それに比べると男はどこか女々しいですね。ぼくも含めてなんですが、過去のことを掘り返し、引きずり、「昔はよかったね」なんて慰め合っているんだから、行く先が案じられる。意味のない“こだわり”や“美意識”にしがみつき、ついては素直になれず、なかなか上達もままならない。悔しさ紛れにカメラやレンズにウンチクを傾けようと躍起になっちゃう。挙げ句、「女はメカ音痴だからなぁ」なんて捨て科白を残しながら・・・。

 どこからどうやってご年配男衆の背中をポンと押そうかと、思案しながら書いていたら、余計なことばかり書いてしまって、こんな字数になってしまいました。

 次回は押します!
(文:亀山 哲郎)

2010/11/19(金)
第27回:デジタルの恩恵に泣く
 先日、撮影と遊びを兼ねてぼくの主催する写真集団とともに一泊二日で軽井沢へ行ってきました。言ってみれば、軽井沢強化合宿というところです。紅葉はちょうど1週間ほど前に盛りを終えていましたが、まだまだその残滓も多く、また道には落ち葉が敷かれ、カラ松の香りに包まれて、その風情を堪能してきました。
 紅葉目的の撮影ではありませんでしたが、盛りを過ぎてもやはり紅葉というものは撮影意欲をそそるものらしいですね。“らしい”と言うのは、ぼくはいわゆる風光明媚なものに敢えてレンズを向けようとするタイプの写真屋ではないからです。「ああ、きれいだなぁ」と感嘆しつつも、肉眼で鑑賞するだけで美に対する欲求が満たされるのでしょう。そういう言い訳をしながら素通りしてしまうのが常です。「誰か撮っておいて!」なんてね。非常に横着と言えば横着なのでしょう。

 もともと、ゴミや薄汚れた看板、そこに漂う人間のたたずまい、そして人物スナップを通して、いかに自分の思想や姿をそこに投影させ、美しく表現するか、ということに固執し、血道を上げるタイプの写真屋ですから、コマーシャル・カメラマンでありながらも自分のエゴに気を奪われてしまうのです。無論、仕事の撮影ではそうはいきませんけれど、いつの間にかその反動みたいなものが身についてしまったのかも知れません。

 昨年、創業115周年を迎えた軽井沢の老舗ホテルで、ぼくは10年近く仕事をさせてもらいました。料理や施設をはじめとする紹介パンフレットやクリスマスなどのイベントのための撮影ですが、今風のコンクリート+蛍光灯のホテルではないために、そのライティングには特に気を遣ったものです。
 黒光りをした木造建築にタングステン光が使われていますから、その温かく重厚な雰囲気をフィルムに定着させないといけない。当時まだデジタルはなく、フィルムですからそのまま撮ってしまうと、喩えタングステン用フィルム(3200ケルビンを基準としたフィルム。ケルビンとは色温度の単位)を使ってもなかなか色温度が合わず、思うような発色を得られませんでした。とても一筋縄ではいかないわけです。もちろん、フィルムは印刷用途ですから、ポジフィルム(スライドフィルム)です。色温度に非常に敏感に反応します。ぼくはコマーシャル・カメラマンですから、仕事の99%がポジフィルムでした。

 大型カメラの4 x 5インチか8 x 10インチフィルムで撮るわけですから、どうしても自然光では弱すぎて(露出時間がかかり過ぎる)、スタジオ用の強力なストロボが必要になってきます。
 ストロボ光は太陽光に近い色温度(5500ケルビンが基準ですが実際には6000ケルビン前後)で、しかも室内の自然光はタングステンですから(つまりミックス光)、どのようにフィルター調整をして、しかもストロボ光とタングステン光の割合をどうするか、そしてストロボにはどんなゼラチンフィルタをかけるか、その複雑極まる計算などぼくの粗末な脳みそではとても消化できるものではありませんでした。色温度計は一応の目安にはなりますが、それを信じてしまうと後で泣くことになります。「信ずる者は救われない」のです。

 大型カメラですから、絞り値がf 45 とかf 64を使うことになり、当然露光時間も何十秒〜何分という単位でかかります。フィルムというものは相反則不軌というやっかいな問題を抱えており、露出通り(計算通り)にフィルムが反応(感光)してくれません。そういう問題を抱えての撮影でした。

 回を重ねていくうちに、あがったポジフィルムをクライアントに見せながら、心うち、「今度はどうやって、クライアントを洗脳(はっきり“誤魔化す”と言いなさい!)するか?」という知恵を身につけていきました。
 「いいねぇ〜、うまくいったねぇ〜、最高じゃ〜ん!」なんて、心にもない言葉が次から次へと出てくるようになってしまったのです。つまりぼくは堕落し、落ちぶれていったのです。ぼくはそんな人間じゃなかったはずなんだがと、後ろめたさだけが心にこびりついたものです。

 老舗ホテルの雰囲気満点のダイニングルームで夕食を終えた我々は、お客の引けた後、実技指導夜の部としてこの場をお借りすることにしました。もちろん自然光はタングステン光源です。この場の雰囲気を逃さずにどう撮影するか、という技術的な指導です。

 まず三脚にカメラを据え、レリーズをつける。全員がデジタルカメラです。ぼくは、「ん? あれっ! フィルタって要らないんだよね」ってことに気づいたのです。厳密に言えばデジタルでもフィルタが必要な場合もありますが、デジタルのメリットを十分に活かそうと試みる方がずっと賢明というものです。

 ほとんど指導することもないのですが、基本的なことだけを指示しました。「ISO 100。f 8〜11。ピントはここに合わせる。露出はまずノーマルで。ヒストグラムを見ればOK! それでやってごらん」。あまりのあっけなさに、ぼくは自分の存在意義を失って、しばし狼狽しながら、言葉が出ませんでした。

 レンズはAPS-C用の10〜22mmズーム故、ピントの合わせ場所さえ間違えなければf 8〜11まで絞り込まずに済むのですが、周辺の解像度が甘くなったり、流れたり、その他の収差をできるだけ防ぐための絞り値です。それはぼくの所有するレンズではありませんので、実際のところどのくらいまで絞れば収差が防げるのかは使用している人にしか分かりようがありませんが、多分、所有者も把握していないだろうと思われます。

 モニタで撮影した写真をのぞき込んでいた写真学校生の可愛い娘が言うに、シャンデリアが白く飛んでしまっているのが気に入らないというので、「では−2絞り補正で撮ってごらん」というと、食欲を満たされた彼女は非常に素直にぼくの言うことを聞きました。ノーマルで撮った部屋と−2補正で撮った照明を後でPhotoshopを使い、合わせるのだそうです。ぼくもそのような操作をすることはありますがしかし、なんてデジタルってやつは、安易なことか(この場合良い意味で)。文明の利器って言うんですかね。

 ぼくはフィルム時代の修行僧のような難行苦行を、このお嬢さんには語らないことにしたのです。
(文:亀山 哲郎)

2010/11/12(金)
第26回:ある日の出来事
 先日、友人2人がやってきました。旧来からの友人で、アマチュアではありますがかなりの写真好き。一人は48歳で写真歴13年、もう一人は55歳で写真歴16年になるそうです。
 曰く「かめやまさん、やっぱりデジは銀塩に敵わないね。同じ場所でほとんど同条件で撮り比べてみたんだけれど、そのプリント持って行くのでちょっと見てくれる?」と言うので、ぼくも大いに興味をそそられました。

 ぼくの部屋の照明を9灯の色評価用蛍光灯に切り替え(ぼくは蛍光灯の光が嫌いなので普段の照明はタングステン光です)、早速見せてもらいました。フィルムの方はポジフィルム(スライドフィルム)で撮り、プロラボでいろいろ注文をつけてのダイレクトプリント。デジは2200万画素クラスの一眼レフでインクジェットプリンタによる出力です。フィルム、デジとも共通する部分はレンズのみという条件です。もちろん三脚使用とのこと。

 「これなんだけれどさぁ」と得意気にプリントを机の上に広げて見せてくれて、刹那ぼくは苦笑せざるを得ませんでした。ぼくも得意気に、「あのさぁ、これって比較以前の問題だよ。まず言えることは、確かにこれを見る限り、解像感以外では圧倒的にフィルムで撮った方が勝っているかのように見える。そして、デジのインクジェットプリントは、圧倒的に画像処理ーーつまり画像ソフトAdobe Photoshopによる暗室処理ーーの未熟さとプリント技術の不全さが見られ、したがって、まったく公平さを欠いた非科学的な比較だと言わざるを得ない。なんの参考にもならないよ!」と断言しました。

 ぼくは9歳の時に初めてカメラを買ってもらいましたから、フィルム歴は約45年、デジタルカメラ歴はたった10年程です。心情的には、ですからフィルムに肩入れしたいのですが、この連載のはじめの頃に申し上げましたように、「どちらでもいいよ」というのがぼくの基本的なスタンスなのです。大切なことはどちらが優れているかなどということではなく、良い写真を撮ることに頓着し、血道を上げることだと信じています。また、フィルムかデジか感覚的に向き不向きということもありましょうし、被写体によってはどちらがより向いているかということは、あるかも知れません。これは個人の考えに委ねてもいい問題だと思います。

 余談となりますが、ご年配の方ほどデジタルを敬遠される傾向があるように思いますが、いずれ「デジタル、恐るに足らず」という講義を設けるつもりでおります。

 閑話休題。
 ただ、公平さを欠いた非科学的な論調や比較ーーこの類の流布をぼくは「都市伝説」と称しましたーーには我慢ならないらしく、目をつり上げながらも、それを相手に悟られぬよう慎重に言葉を選び、冷静さを装いつつ、淑やかに自分の意見を押し通すという性癖もあるらしいのです。

 旧来からの友人ですから、ぼくもそのような斟酌には及ばず、「自分たちのデジタル処理の未熟さと甘さを棚に上げて、まったくいい気なもんだ。それを悪い意味で“天上天下唯我独尊”とかさ、“無知蒙昧”とか“知らぬが仏”って言うんだよ」と、ぼくは鼻の穴をふくらませながら言いたい放題。

 「この写真のRawデータをぼくなりにPhotoshopを使って、まずきちっとしたバランスに整えるから。その後、『ここはこのようにして欲しい』と注文してよ」と、当人と一緒にモニタを睨みながら30分程を費やしデータを作成しました。
 そしてプリント作業の開始。印画紙は前回ご紹介したキャンソン社の光沢印画紙“バライタ・フォトグラフィック”です。サイズはフィルムで撮った印画紙とほぼ同様にするためA3ノビ(ああ、もったいない!)。プリンタのICCプロファイルは自作したものです。
 プリンタがジコジコと音を立てながら作業を開始し、友人たちは興味津々。やがて少しずつ印画紙がその姿を現し、半分程が見え始めたところで、2人は、「ん?」という言葉を呟いたきり。そして完全に印画紙がトレイに出てくるまでほとんど失語症に襲われたかのように沈黙があたりを支配し、やがてため息に変わりました。

 二人は異口同音に「デジの出力の方がずっといいし、自分の求めるイメージにより近い」と感心しきり。何を以てして“いい”と言うのかが不明ですが・・・。

 ぼくは、「でもこれが公平な比較かと言えば、決してそうだとは言えないと思うよ。もともと土俵が違うんだよ。横綱とボクサーの世界チャンピオンとどちらが強いかという喩えはちょっと乱暴に過ぎるけれど、それを比べるようなものじゃないかな。いくらプロラボで注文つけても、やはり自分でPhotoshopを駆使し、その精密な操作は、アナログで言うところの“覆い焼き”や“焼き込み”、コントラスト、色調の調整などなど、できないもんね。そのような精密な調整はデジの独壇場だから、それがまぁ、デジのメリットでもあるのだけれど。結果としての優劣ではなくて、どちらが好みに合っているかという風に考えた方が健全だと思うよ。どちらも長所を十分に活かし切ってこそ、どちらが好きだとか、そうでないとか言えるんじゃない」と、一見すると非常にまっとうな答えだと思うんですが。でも、本心ですよ。誰にでもそう言っていますから。

 でもやはり、ぼくは自分の意見を押し通しているんでしょうかねぇ?
(文:亀山 哲郎)