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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2017/08/18(金)
第360回:絵はがき写真
 お盆のさなか、回向(えこう。死者の冥福を祈り仏事供養を行うこと)をたむけようと鎌倉の菩提寺に赴いた。母の新盆でもあり、仏事や信心に疎く滅多に墓参りなどしないぼくも否応なくといったところだった。順に従えば、次はぼくの番でもあるので、不義理ばかりしているご先祖様への挨拶がてらという意趣含みだった。ぼくは入念に墓石を洗い流し、磨いた。

 翌日、お寺さん(関西弁?)からいただいた10枚1組のポストカードを開けてみた。ポストカード制作者の名誉のために寺の名称は伏せておくが、ケースには仰々しくも「史跡・名勝○○寺」と銘打ってある。
 確かにここは「史跡・名勝」であるに違いないのだが、この制作物は「史跡・名勝」というにはおよそ縁遠く、それに似つかわしくないクオリティだった。作りは立派なもので寺の解説文も英語併記と、それなりの気の遣いようなのだが、如何せん肝心の写真がベタ過ぎて、底意地の悪いぼくなど苦笑を禁じ得ずだった。

 いわゆる「絵はがき写真」をぼくはネガティブな意味で用いることがある。写真評の時なども「他はいざ知らず、ぼくの倶楽部に絵はがき写真は要らない」と公言している。「絵はがき写真」は写真の手続き上あって然るべきものなので、それ自体を否定しているわけではないが、写真の趣味を深化させるものとして、あるいは自己表現の手法として、「絵はがき写真」はあくまで途上のものであり、終着駅ではないと考えている。
 ただ、趣味として写真の上達を願うのであれば、その手順として「絵はがき写真」は良い手本となる。1枚の写真のなかに様々な情報を構図も含めてほどよく配置し、言葉では伝えきれない要素を上手く写し取ることは決して易しいことではない。
 また、写真を始めようとする人たちが「絵はがき写真」をひとつの通過儀式や関所とするのは大変けっこうなことだと思っている。「絵はがき写真」は誰が見てもきれいと感じさせることが必要条件でもあるからだ。きれいにしっかり撮ることは基本中の基本であり、まず事始めの目標とするのは賛成である。

 それを重々承知の上で敢えてぼくがいいたいことは、写真を撮る目的が自分のためであるのか、あるいは他人のためであるのかをよく問い質してみることだ。
 陶芸を例に取り端的な言い方をすれば、日常テーブルの上で使われる雑器を極めるのか、あるいは自分の美に対する信念や感情を表現したいのか、つまり美術工芸的な器を作りたいのかということである。志がどこにあるのかという問題である。これは無論善悪・正否をいっているのではない。
 ぼくの希望を申し上げれば、アマチュアの方々は写真で金銭を得るのが目的ではないはずだから、観覧者におもねるような大衆迎合的な写真の方向には向いて欲しくない。私たちの、個々人は人類始まって以来の唯一の存在である。同じ人間は二人としていなかったし、未来もそうだ。私たちは、自分は唯一の創造者であるという高い志を持っていいのではないかと思っている。

 誰が見ても美しいものは表現や作者のアイデンティティを保ちにくいものだ。あなたがそれを撮る必然性が希薄であるからだ。絵はがきやガイドブックにあるような写真、ぼくはそれを「通り一遍」という。「通り一遍」の写真を観覧者に「きれいですね」と褒められて果たして嬉しいだろうか? 
 必然性のないところに創作は生まれない。そしてまた、「絵はがき写真」に囚われている以上深化は望めないと明言しておこう。

 どんなに科学が発達しても、写真というものが存在する限り、それはあくまでフィクションの域を出ることはない。被写体を選びどのようにして感情や思索を二次元の世界に昇華させるかはいつも人間の手によるものだとぼくは信じていたい。フィクションこそ人間の味わいであり、価値でもある。
 AI(人工知能)で撮ったものが遠からず出現するだろうが、AIが進めば進めほど、人間の誤りや破綻を避けるように仕組まれていく。それが科学の宿命でもある。

 しかしながら、人間の感覚的・技術的な「破綻」が大きな要因となって美を支え、生み出してきたのも事実だ。「破綻」が美を招いたともいえる。「破綻」をAIに仕込むことは可能だろうか?   
 ぼくは科学信奉者だと自認しているが、現在の科学は新しい知見により必ず修正される。したがって、現在の科学は恐らく未来から眺めれば間違いだらけだろう。私たちは正しいことを正しいと思うのではなく、現在の科学や知見により納得できることを正しいと思うだけだ。

 「破綻」のないAIは恐らく素晴らしくクオリティの高い「絵はがき写真」や雑器を可能にし、人々はこぞってそれをありがたく思い、金銭の授受が執り行われる。ぼくはそれを受け入れ、あまねく甘受もするが、自分の写真は「破綻」によるほころびを大切にしたところから始めたいと願っている。

http://www.amatias.com/bbs/30/360.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県足利市。

★「01足利市」。
廃屋となった足利東映劇場。12年前に訪問した時はまだ現役として頑張っていた。いつ建てられたかは分からないが映画館としてはモダンな佇まいだ。
絞りf11.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02足利市」。
当劇場の右につながる建物で、こちらも廃業したスナック。蔦に絡まれて痛々しくもあった。
絞りf11.0、1/80秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03足利市」。
表通りに現役のラーメン屋さんがポツンと一軒。
絞りf13.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2017/08/04(金)
第359回:写生のすゝめ
 仕事や約束がない時、ぼくの目覚めは極めて自然流だ。元来、宵っ張りの朝寝坊だから何事にも急(せ)くことを知らない。陽はとうに昇りつつも、まどろみながら「今日は何をしようか? どこへ行こうか?」とまだ覚醒していない頭であれこれ思いあぐねる。あぐね果ててベッドを蹴るのがぼくの日課だが、その前にベッドの横に置かれたiPadに手を伸ばしメールチェックをする。
 発信時刻を見ると多くが午前6時から9時までに書かれている。この信じ難い事実は驚愕に値する。ぼくにしてみれば、まさにおどろおどろしい事態である。「この人たちの人生、大丈夫か? 世の中には恐ろしい人たちがいるものだ。ホントに大丈夫だろうか?」とぼくはお節介ながら本気で危惧するのである。

 こんな時間帯に、血流が盛んに巡っている人々の思考や感覚とぼくのそれがそもそも一致するわけがないのである。ここに大いなるズレがすでに生じている。このような一族と価値観を共有するのは端から無理というものだ。
 残念なことに、ぼくのような人間はごく少数派であるらしく、したがって、どうしても “族” や “衆” にはなりきれない。因って、幸か不幸か徒党を組む習性には恵まれず、常に孤独な戦いを強いられる。カッコ良くいえば “孤高” であり、カッコ悪くいえば “はみ出し者” ということになるのだろう。写真屋は、人と違うことにこそ自己のアイデンティティを見出すのだから、それでいいことにしている。

 今朝も8時11分発信のメールに、「朝から電車の保安装置故障で大幅に遅延しゲンナリしています。今、激混みのホームからメールしています・・・」という急を要するわけでない通知を受け取った。このことは、同情より憐憫の情を誘う。まことに健気というべきか。
 ぼくなど人いきれで窒息しそうな新宿駅構内を歩いただけでも、すっかり厭世的になり、絶望の淵に沈み、そして暗黒の闇に放り込まれたような気分になるのだから、「激混み」(ぼくの言葉ではない)のホームでスマホを操作するその精神的血流の活発さにはほとほと感心する。それは若さゆえの、宝ともいうべきものだろう。

 私的写真の撮影を半月ばかりさぼっている間、久しぶりに観察眼を養う目的で2度ばかり写生に出かけた。絵の出来映えには頓着せずに済むので至って気楽である。以前、写真上達のひとつの手掛かりとして「写生のすゝめ」を記したことがある。写生は、普段無造作に写真を撮ることに馴れてしまっている自分に気づく良い機会を与えてくれる。被写体を観察する前にシャッターを切っているという誰にもありがちな過ちに気づくこともできる。
 光と影(コントラストやグラデーション)、質感、色彩などの学習に写生ほど効果的なものはない。

 乱暴にいえば、肉眼で見たものを二次元の平面に投影する手法は写真も絵も大した変わりがない。変わりがあるとすれば、絵は肉眼によるもの、写真はレンズという光学システムを通過させることぐらいだろうか。絵は絵筆で画用紙をなぞり、写真は光で印画紙をなぞるのだ。
 また、写真はレンズを媒介するので(レンズを媒介しないピンホール写真などもあるが、一般的にはレンズを使用する)、焦点距離によりそれぞれに遠近感(パースペクティブ)が異なる。被写体や構図上の遠近感はレンズの焦点距離により決定される。
 焦点距離が短くなればなるほど(広角になるほど)近くにあるものはより大きく、遠くのものはより小さく表現される。望遠はその逆の効果を生じる。写真は機械任せ(レンズ任せ)のところがあり、その機械を如何に巧みに操るかという尽きせぬ課題はあるが、時代はデジタルとなり、暗室作業に於いては、明度・コントラスト・色彩・質感描写などが自在に、しかも精緻に操れるので、より絵画的操作が可能になったのではないかとぼくは感じている。

 写生をしながらぼくは妙なことに気づいた。写真のために写生をしているのだが、写生をしているうちに、ぼくの目が実は肉眼ではなくレンズを通した見方になっているということだった。消失点についてもまるでレンズのような見方をしている。また、主被写体を描きながら、その前景や後景をどの様にぼかすかなどに思案している自分がいるのだからおかしい。
 また、折りたたみ椅子に座った低い目線から主題を見上げると両脇にある垂直線は天の一点に向かって傾(かし)ぐはずだから、焦点距離24mmくらいのレンズになり切って描いてみようとか、思わぬところで写真があれこれと横やりを入れてくる。すっかり自分の体質が写真人間に染まっているようで、炎天下苦笑しながらも、お気に入りのお百姓さん麦わら帽を被り、気分はまるでゴッホ。描く絵はA. ワイエス(アメリカの画家。1917-2009年)風に、とはいかなかった。

 目下ぼくはカラー写真の勉強中なので、鉛筆によるデッサンではなく、水彩画だったが、アメリカの水彩画家D. キングマンの手法を真似た。ぼくの絵など人様にお見せするような代物ではないが、やがて体が衰え、早足で撮影できなくなったら、椅子に座って絵を描いているのかも知れない。縁のほつれた麦わら帽は日に焼け、茶褐色を呈し、急くことなく筆を握っているのだろうか。

そうそう、来週はお盆のため休載だそうです。どうぞ悪しからず。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/359.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:埼玉県川越市。

★「01川越市」。
木造家屋の薄暗いなかに生花の束が。花屋であるような、ないような。軒下からそっといただく。
絞りf6.3、1/20秒、ISO100、露出補正-2.67。

★「02川越市」。
路地裏で見つけたこの風景に思わず佇み、何となく良い気分で撮ってしまった。
絞りf7.1、1/200秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03川越市」。
郷愁を感じる長屋と棕櫚。傾いた板塀が盛んに自己主張をしている。
絞りf11.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2017/07/28(金)
第358回:一緒にするな
 近頃とみに、久しく会うことのなかった友人たちから誘いを受ける。数年ぶりはまだしも、なかには30数年ぶりという旧友もおり、懐かしさも相まって話が弾む。年代も、若い人から同年配まで様々だから面白い。話題も多岐に及び、おかげで脳内血流も活性化して、ぼくはますます言いたい放題の始末に負えない滑舌ジジィとなる。放言は心身ともに大変健康に良い。
 古希(70歳)を来年に控えているので、老若男女入り混じった友人たちは、ぼくに “もうそろそろお迎えが来るかも知れない” とでも思っているのだろう。元気なうちにという魂胆があるのかも知れないが、いつ何が起こっても不思議でない年代にぼくも差しかかっている。

 同年配の友人たちは、この歳になると死に対する諦観や覚悟が少しずつ芽生え始め、その準備段階としての危機意識のようなものが共通項として我々には存在していると言いたいらしいのだが、どっこい一緒にしないでいただきたい。ぼくの写真を指して「死の何かが漂い始めた」とか「どこかに陰(かげ)がある」なんて、分かった風なことを言い出す始末。何も分かっちゃいないのである。
 ぼくは耄碌とは縁がなく、現在の自分を進化の真っ只中にあることに一抹の疑念も抱いてないのだが、「かめさんは変わらないなぁ」なんて判で押したようにいわれると、複雑な心境に追い込まれる。「何が変わらないの?」と聞きただす勇気がないので、ぼくは別れた後にずっとそれを引きずり、しばらく悲嘆に沈む。だが、ここでもやはり一緒にしないでいただきたいのだ。
 死への不安からか、あるいは同病相憐れむことを共有したいのか分からないが、何故同年配の輩は自分の腹積もりにそれほどの同意・共感を求めたがるのだろうか。輪廻と因果応報をごちゃ混ぜにして今を語るのは見苦しいからやめろというと、やはり分かった風な素振りをするからいやになる。ほろ酔いも手伝ってかそんな時ぼくは、「生き生きと死ぬのだよ!」と揚言する。こんなことを書いているから、高校生に「分からな〜い」といわれてしまうんだ。所詮、ジジィの繰り言のようなものなんだけれど。

 話は突然変わって、ある高校で写真部の顧問を務めている方(以下Aさんとする)から長文メールをいただいた。国語の教壇に立っておられるそうで、写真部員に拙稿を薦めてくださっているとのこと。ありがたいことに変わりはないのだが、「高校生に?」とぼくは改まり、ここでも複雑な心境に追い込まれる。Aさんのいわれる「写真も文章も大人向けのものであり、生徒たちにはなかなか難しいようです」は、大きな懸念となってぼくに重くのしかかっているように感じた。読者対象を仮にでも高校生に絞ったりすると、ネット配信というのは途端に書きづらくなるものだ。今だってこれを書きながら、実は相当あたふたしている。

 かつてぼくはこのようなことを体験している。高校生の時、父は仕事の手を休めては机に置いてある木村伊兵衛氏の小さな写真集を、ワーグナーを聴きながら眺めていた。生前の木村氏は高価な写真集を望んでいなかったので(木村氏のお弟子さんから直接伺った話)、それに見合った質素なものだった。その写真集を父は擦り切れるほどに観賞していた。
 「と〜ちゃん、ワーグナーはいいけれど、木村伊兵衛ってそんなにいいの?」と聞くと、父は首を縦に振ったまま無言でいた。分からないことがあると必ず手を取って教えてくれる父だったが、この時は何もいってくれなかった。パイプに火を入れ、写真集に魅入る父の横顔を今でもよく覚えている。
 当時のぼくには木村伊兵衛氏の写真の良さがさっぱり分からなかった。数年後、ぼくは木村伊兵衛氏の写真をお手本とするようになり、今日までそれは変わらない。いつの間にか、木村伊兵衛氏はぼくの最も好きな写真家のひとりとなっていた。パイプを吸いながら父の道を辿っているようでもある。

 名人木村伊兵衛氏と自分を同列に並べて論じるほど、いくらぼくが横着者でもそんな大それたことはできない。ものの喩えとして、同じような体験をした立場でいっているに過ぎないのだが、Aさんは教師という職業柄、父のように無言でいることを許されないのではないだろうかと思う。ぼくはAさんを案じた。
 返信メールで生徒さんに伝えて欲しいことをまず箇条書きにしてから、項目ごとにかなり噛み砕いて書いたつもりである。これは高校生向けに特化!?したもので、残念ながらネットで配信するような性質のものでない。加えて、一応大人集団であるうちの一味にも符合しない。
 辞書を盛んに引きながらの作業だったので、文章は理解していただけたであろうが、さて「写真はどうするよ」という重大な問題に突き当たってしまった。Aさんの言葉を借りれば「大人向けの写真」なのだそうだから、それを高校生向きに修正することは不可能だ。可能なことは、ぼくが高校時代どんな写真を由としていたかを思い起こし、彼らの年代と今の時代に照らし合わせた写真のありようを許諾することにあるのだと思う。

 ぼくのいう「作品は年相応のものでなくてはならない」とは、一方で時制的な意味と指導上の立場を含めてのことである。古希を前にした人間が高校生の好むような写真に嬉々として向かってはいけないし、その逆もまた真なりである。時制を逆立ちさせてはいけないのだ。
 高校生には高校生の真実があり、古希には古希の真実があろうということなのだが、別枠には個々の真実というものもある。ここが厄介なところでもあるけれど、今ぼくは父の無言が分かるような気がする。前述した古希連はどうもそこらへんが分かっていないような気がしてならない。ぼくはあくまで、十把一絡げの、やはり一緒にして欲しくはないのである。

http://www.amatias.com/bbs/30/358.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:埼玉県川越市。

★「01川越市」。
咄嗟のことで何の店舗だったか記憶にないが、ガラス越しに見張りの猫が鋭い目つきでぼくを睨む。ぼくの足がガラスに写り込むが、番猫?の目つきと赤い毛氈だけを注視してスローシャッターを切る。
絞りf8.0、1/15秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02川越市」。
日暮れ、歩いていると突然風が吹き、葉がなびく。きれいな植物ではないね。
絞りf9.0、1/250秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03川越市」。
狭い路地を歩いていたら、興味深い建物に遭遇。沈みながら赤く輝く太陽とともに撮る。帰宅後、調べたら国登録有形文化財で「モダン亭太陽軒」というのだとか。1922年創業の洋食店。
絞りf9.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-2.00。
(文:亀山哲郎)

2017/07/21(金)
第357回:嘘と虚構
 前号で、ホテイアオイの「原画」と「補整後」のふたつを掲載した。この試みにより読者諸兄から何通かのメールが到来し、ぼくのあまり有用でないさまざまな能書きに対するご理解を深めていただいたようである。

 ぼく自身、原画を開示することについて元来それほど積極的ではなかったし、これからもそうだろうと思う。それは「手の内を見せる」のが嫌だといった “秘伝のタレ的” 要素を含んだ姑息な考えに依拠しているのではなく、そもそもの意義を見出せないからだ。“秘伝のタレ” など後生大事に受け入れる性質のものでもなかろうとぼくは思っている。
 写真の暗室処方箋はデジタルの場合1枚1度限りのものなので使い回しなどできない。原画の掲載には今後も消極的だと思うが、前回のホテイアオイはぼくの行きがかり上生じた出来心である。
 写真屋は、あくまで結果だけを開示すればいいのであって、その過程を示すことにない。プロは何千、何万回の素振りを人知れず繰り返し、その舞台裏を誇らしげに人様に語るようなものではない。そして、プロとして決して見てくれの良いものだとは思えない。それはプロの名折れでもあるし、また価値あることのようにも思えない。どんなに苦労したところで、結果だけで真価を問われる苛酷な場所は、ことのほか写真屋に限らずのことだろう。「こんなに苦労したのですが」という弁明が甘受されるのは民主的教えを是とする学校だけである。

 読者のある方が、ぼくが時々使う「虚構の世界に遊ぶ」(ちょっとキザだね)とか、またある方は「イメージを描き、再現すること」や「自己を写真に投影すること」などが具体的に理解できたとおっしゃる。「百聞は一見にしかず」だとも記されている。ご理解をいただきぼくはすこぶる機嫌がいい。
 機嫌はいいのだが、ちょっと複雑でもある。万筆(こんな日本語あり?)をふるっても、伝えきれない自分の文章力は得てしてそんなものなのだろうと萎えもするが、やはり漫筆(まんぴつ。思いつくままに、とりとめもなく書くこと。大辞林)の域を出ないと自認すべし。

 かつて写真好きの友人に原画と仕上げたものの両方をいくつか見せたことがあった。それは彼の要求に従ったものだった。その時の第一声、「かめさんは嘘つき!」ときた。ぼくはこの時も一瞬萎えた。反駁の意志と言葉を用意するのにいくばくかの時間を必要としたことをよく覚えている。彼の、写真やその他の創作物に対して抱く思考と配慮が果たして賢いのか愚かなのかをまず見極めなければならなかったからだ。いきなり「嘘と虚構」はまったく別のものだといっても、その論理と道理を理解できるかどうかを知る必要があった。

 ぼくは彼にそろりと、「ではモノクロ写真も嘘ということ?」と問いかけた。「現実の世界は彩り豊かで、誰が見たってモノトーンではないよね。写真はモノクロばかりでなくカラーも著しく色のデフォルメがなされているじゃない。文学だって、絵画だって、彫刻だって、現実をデフォルメして作者は作品を仕上げている。ノンフィクション文学といっても、そこには作者の非常に色濃いフィルターがかかっていることは誰もが知っての通り。枚挙に暇がないけれど、例えば『ラ・プラタの博物学者』(ハドソン、W. H.)、『世界最悪の旅』(ガラード、A. C.)、『収容所群島』(ソルジェニーツィン、A. I.)などなど、そのフィルター操作と質が優れているものが名作となるわけで、ありのままの現実を語ることなど人間にはできないんだよ。百歩譲って、もしできたとしても、それは文学作品にはなり得ないし、面白くもなく興味も感動も湧かないでしょう。読者に現実を想像させる余地がない。客観性とは、さまざまな人間の主観を通して語られるもので、だからこそ個人の真実というものが尊重される。未知に対する疑似体験や予言は文学の専売特許ではなく、あらゆる分野の作品が有しているものなんじゃない? そこには生き生きとした虚構が存在してるわけで、嘘とは次元の異なるものだ」と、ぼくは畳みかけた(当時の文言を忠実に再現したつもり)。

 「A. アダムスの名作『月とハーフドーム』や『ヘルナンデスの月の出』などは真っ黒の空で、あんな空は誰も見たことがないし、肉眼では決してあのようには見えない。アダムスも嘘つきだと? そんな話、聞いたことないけれど。ヨセミテ国立公園で実際にハーフドームを見た友人は、 “アダムスの写真とはまったく違っていた” といってたよ。でも、嘘つきとはいってなかった。君が、アダムスは嘘つきでなく、かめやまは嘘つきだという論拠を示して欲しい」と、ぼくは彼の沈黙をいいことに興に乗った。

 彼は、写真や記録ムービーというものは極めて写実的で、現実を正確に写し取るものだと信じ込んでいたのではないだろうかと思う。もちろん、彼の考えが間違っているとはいわないが、それは記録や記念のための写真であり、自己表現としての写真に思いが至らなかったのではあるまいか。誰にでも見た目が美しく感じられるものが写真の至高の方向だと勘違いしていた。これは大変な誤りだ。

 我が倶楽部に迷い込んできたTさんは当初、フィルム時代から写真には一切手を加えてはいけないと信じていたらしい。そんなしきたりをどこで吹き込まれたのか知らないが、では手を加えていない写真とはどんな状態のものをいうのだろうか? そんなものはこの世にありはしない。多くのプロセスを経て、はじめて視認可能な印画紙となるのだから。今やTさんは子供がおもちゃを与えられたように嬉々と写真を “いじくり” 回しながら、彼自身のリアリティ追求を行使している。
 もう一度A、アダムスの言葉を引用すると、「ネガは楽譜であり、印画紙は演奏」だ。ぼくはこれをもじって、「原画は素材、印画紙は料理」だといっている。「まず、良い素材を確保しましょう。良い素材を活かすためには豊かなイメージと料理の腕が必要」とのお題目を日がな一日唱えている。

http://www.amatias.com/bbs/30/357.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:埼玉県川越市。
前々回に引き続き、川越訪問時の写真を。

★「01川越市」。
このスナックバーを見た瞬間、何故か分からないが「アラモ砦」を連想してしまった。人間の脳は忘れ去ったものにも終生回路がつながっているらしい。
絞りf10.0、1/400秒、ISO100、露出補正ノーマル。

★「02川越市」。
蔵の街だが、懐かしいポストと蔵をどう融和させればいいか、そのイメージ構築にちょっと難儀。ポストの色艶に苦心。
絞りf11.0、1/50秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03川越市」。
日が暮れかかってもぼくは「アラモ砦」に取り憑かれていた。遠くに見えるりそな銀行が隠れぬ位置を注意深く選んで。
絞りf11.0、 1/400秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2017/07/14(金)
第356回:花のいのちはみじかくて・・・
 今回は大変良くできた有用なる無料画像ソフトをご紹介し、それを利用した写真を掲載させていただこうと思っている。その前に、例によってあれこれとできの悪い有用でない能書き( “効能書き” にあらず)を並び立てることに。

 暑さもいよいよ佳境に入りつつある今日この頃。ぼくはかねてより欲しかった日よけ帽子を手に入れようと画策した。それはお百姓さんが野良仕事をするあの「明るい農村の風景」を彩るに欠かせぬ、あのあご紐つき麦わら帽である( “あの” という代名詞が多すぎるなぁ)。
 この種の麦わら帽はどこで手に入るのか、HPや電話を駆使し調べてみた。代表的と思われる麦わら帽の製造元では、ほとんどがファッション系の麦わら帽を主としており、あの素朴なお百姓さん専用の、心情的哀愁を誘うそれは製造していなかった。ぼくは少し気落ちしながらも、へりくだった振りをしてうちの一味にお伺いを立ててみた。
 いつもは恐いご婦人方がこの時は手のひらを返したように、「園芸を扱っているホームセンターに行けば売ってるよ。あたし以前買ったもんね。そんなことも知らないの? ちょっと考えれば誰だって分かるでしょ! そんな大騒ぎをするようなものじゃないでしょ! まったくぅ〜〜〜、あ〜たはホントに世間知らずなんだからぁ〜! そんなこと、いちいち聞いてこないの!」と、優しくいう。この “大きなお世話的” な文意を含んだカギ括弧文は、32歳と69歳のご婦人の言葉をまとめた複合文である。彼女たちの言質を畢竟「揣摩憶測」(しまおくそく。文意は敢えて書かない)という。
 
 欲しいものがどこで手に入るのかを調べる作業はとても愉しい。そして、それを見つけ出し、いざ出陣という時の気の高ぶりとわくわくした感はまさに「人生を享楽する」に等しい。今回ご紹介する無料画像ソフトが読者諸兄にとってそんなものであれば嬉しい。だが、ぼくの能書きはまだ続く。

 心当てのつきようもなかった麦わら帽を容易く手に入れ、今ぼくは公私を問わずどこへでもこれを被って揚々と出かける。お構いなしだ。この麦わら帽を被り、お百姓さんは良い農作物を生産し、そして写真屋は良い写真を撮れば、両者ともにまことに優れたファッションとなる。カッコいいのだ。ファッション系麦わら帽の比では到底ない。この道理をぼくは写真屋の矜恃をもって若い人に説明を試みたが、さて理解を得たかどうかは疑わしい。

 仕事を終えた直後、強烈な日光を麦わら帽で遮りながら、裏通りの片隅に置かれた大鉢に目が留まった。直径70cmほどだろうか、ホテイアオイ(布袋葵。水性の多年草)が水一面に浮かんでいる。金魚鉢にホテイアオイという組み合わせは、夏の、どこか懐かしさを覚える風物詩だが、大鉢も良い趣だ。
 コントラストの強い斜光に炙り出されたホテイアオイは、色艶といい、形といい、どこかとてもなまめかしく見えた。「う〜ん、きみはなかなかの美人だね。ぼくが撮ってやるよ」とごちた。ぼくは、この美人さんの名がホテイアオイであることをこの時知らなかった。
 ホテイアオイは一方で、季節外茶色に変色し、ドロドロに溶けた容姿をさらけ出す。これはぼくのかすかな記憶によるもので、じっくり観察したことはなく、実態かどうかは分からない。盛夏には薄紫の花が咲くそうだが、その艶姿(あですがた)もぼくは見たことがない。したがって、ぼくの知るホテイアオイはごく一面的なものであるけれど、今目の前にあるそれは確かな真実を語っていた。

 大鉢に浮かぶホテイアオイを観察しながら、ぼくのイメージはどんどん膨れあがっていった。シャドウとハイライト、質感や色味、コントラストなどを頭のなかで修正し、思い通りのイメージが出来上がったところで、ズームの焦点距離を35mmに固定し、体をくの字型にしてこの美人さんを撮った。
 花や草木を撮る時に、ぼくは自分の死生観(宗教的なもの)や人生観(感情や思想)、そして美しいものへの憧れが何であるかをことさら意識する傾向にある。命ある彼らに自分のそれをレンジファインダーの二重合致像のように重ね合わせ、ピントがくればおおよそのところは写る。上手くいかない写真は、技術が足りないのではなく、イメージが貧困なためだと自分に言い聞かせている。ホテイアオイを眺めながら「花のいのちはみじかくて・・・」という林芙美子の詩歌が一瞬かすめたが、それはぼくの人生観とは相容れない部分があるので、直ちに打ち消した。
 そんなことより、ぼくにとって金魚鉢、ホテイアオイ、麦わら帽は目下夏の重要なアイテムのように思えたけれど、頭上の美しい麦わら帽はすでに汗が染みついて、苦く塩っぱいに違いない。ホテイアオイがそんな風に写っては困るのだ。ここはあくまで美人に相応しく “妖艶に” である。

 本題の無料画像ソフトは、ドイツのNik社のもので以前ご紹介した記憶があるが、当時は非常に高価なものだった。数万円したような記憶がある。ぼくはこのソフトを使い始めて8年になるが、グーグルに買収され、現在完全無料化されたので、迷わずみなさんへお薦めしたい。ソフトの正式名は「Google Nik Collection」で、Googleからダウンロードできる。Photoshopのプラグインとして使用でき、最新のPhotoshopCC2017にも使用可である。

 ホテイアオイをNikのみによって補整し、その画像を原画とともに掲載。今回は7種あるNik CollectionのなかからColor Efexを使用。
 様々なプリセットがあり、原画(掲載)に「マンデーモーニング」を適用。プリセットは細かく調整できるので、ハイライト、シャドウ、質感をそれぞれ重視したものを3種類作ってPhotoshopに渡し、レイヤーで「美味しいとこ取り」をして画像を統合。統合した画像にもう一度「マンデーモーニング」を適用して最終画像とした。描いたイメージに上手く寄り添えたと思っている。塩っぱくないね!

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影データ:絞りf11.0、1/125秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「01補整後」。Nik Color Efexのプリセット「マンデーモーニング」を使用。
★「02原画」。RawデータをDxO Optics Proで現像。
(文:亀山哲郎)

2017/07/07(金)
第355回:時間の先取り
 昨夜、リアリティに富んだ悪夢3本立ての上映に遭い、目覚めとともにそれが夢であることを知り安堵の胸をなで下ろした。いずれの夢も撮影で大敗を喫するもので、機材が足りなかったり、何度撮ってもクライアントからOKが出なかったり、山中道に迷いロケ現場に辿り着けないなど、噴き出る脂汗とともに難渋を極めてしまった。
 また、従来通りのカメラ設定が思うようにならなかったり、バッテリー残量がまたたく間に減ってしまったり、現場にあるはずのAC電源がなかったりと、ぼくの受難はいつまでも絶えることがない。
 このようなことを実体験したことはないのだが、ぼくの深層心理には常にそんな厄災と虞(おそ)れが巣くっている。ぼくの精神力とか心胆は、虫食いの穴だらけで、まるでスポンジのようになっていると感じる。
 夢の中でやせ細りながらも、「好きなことで飯を食うということは、このような恐怖と真っ正面から向き合うことなのだ」と、覚醒しつつある頭でぼんやりと考える。寝床を撥ね、ぼくは何事もなかったように、無我の境地でお気に入りの珈琲豆を挽く。写真屋などになってしまったお陰で、何の因果か、憂慮→悪夢→脂汗→覚醒→安堵→珈琲の連鎖反応のような儀式を、ぼくはこの先何度も繰り返すのだろう。写真を手放したとしても、解消されることはなさそうだ。

 写真以外の、文章をはじめとする他分野の作品は、製作過程が時間とともに同時進行する。誤解を恐れずにいえば、そのためにある程度の手直しが利く。あるいは破棄してもう一度はじめから取り組むことができるのだが、時間を切り取り、その瞬間を記録する写真はそうはいかない。
 写真はほとんどの場合、何十分の1秒から何千分の1秒という人間の知覚できない間に雌雄が決してしまう。しかも、それは感覚を頼りにした機械まかせの作業である。この不安定さと曖昧さが悪夢の最たる要因ではないだろうかと考える。時間の認識さえできぬ極短時間のうちに、厚かましくも製作して、あわよくば発表までしてしまおうという大それた魂胆の代償なのである。

 どんなに優秀なカメラでもシャッタータイムラグ(シャッターを押してから実際に撮像素子に映像が記録されるまでの時間)というものが存在し、自分の意図した瞬間より、遅れた時間を撮像素子に記録することになる。ましてや、オートフォーカスであれば合焦までの時間が加算され(レリーズタイムラグ)、良い瞬間に出会えても手遅れとなる。
 これは物理的な、いってみれば純粋な時間的遅れ(機械的遅延というべきもの)だが、シャッターチャンスを予知すれば防ぐことができる。遅れを計算に入れたうえで、あらかじめシャッターを押すタイミングを測ればよいのである。「時間の先取り」をして、早めにシャッターを切れということだ。「言うは易く行うは難し」と思われるかも知れないが、いやいや然にあらず、ちょっとした訓練で身につくものだ。

 今月、我が倶楽部の勉強会でぼくは「時間の先取り」について述べた。上記のような物理的・機械的遅延についての説明ではなく、もっと抽象的かつ哲学的な意味での「時間の先取り」についての解説を試みたのだが、あの一味が理解したかどうかは今のところ判然としない。
 誰かが、「被写体を見つけて、 “ああ、いいなぁ” と思ってからシャッターを切ったのでは間に合わないということですよね」と鼻を膨らませていった。半分はとても正しい。
 写真は時空を切り取り、輪切りにして見せるものなのだから、動きのあるものはもちろんのこと、静止物に対してもまったく同じだと説いた。この論理がつまり抽象的であり、また哲学的でもあるので分かりづらいのかも知れない。動体については理解できるが、静止物も? と、頭が混乱するらしい。静止していても時間が停止しているわけではない。光は刻一刻と変化しているのだから。
 「時空」とは何であるかの解釈が違えば人それぞれに意味合いも異なってくるので、「時間の先取り」をしろというぼくの言説は、一方でカオス(混沌。広辞苑によれば「初期条件によって以後の運動が一意に定まる系においても、初期条件のわずかな差が長時間後に大きな違いを生じ、実際上結果が予測できない現象」とある)をもたらすものであったかも知れない。

 手短にいってしまえば、人は誰もが「現在」を認識することは不可能なので(認識したと思った時はすでに過去。時間は光速とともに飛び散るように過去へ追いやられる)、これから起こり得ることを先回りしてイメージを構築し、これからやってくる未来の “ある瞬間” に向けてシャッターを押せということだ。
 不思議なもので、「時間の先取り」ができた時はしっかりとした自覚症状があるものだ。そんな時、ぼくは思わず「よしっ!」と呟く。さらに不思議なことは、そう呟いた写真が残念ながら必ずしも良い写真とは限らないことだ。だが、写真評などをした際に見る良い写真は、「時間の先取り」ができたものであることは確かなことだ。写真は正直なので、それをちゃんと知らせてくれる。撮影者本人は無意識のうちにも、「時間の先取り」を確実に取り込んでいるのである。良い写真には、動体であれ静止物であれ、「シャッターチャンスを逃さなかった」という俗な表現を超越した品位と崇高さが宿るものだ。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:埼玉県川越市。
今回の掲載写真は上記した品位と崇高さを示すものでないことをお断りしておく。ぼくはそんな身の程知らずの強心臓の持ち主ではないので。

★「01川越市」。
川越商工会議所の玄関から出てきたおじいちゃん。電柱と建物の影の間に入ってくれるように霊波を送ったら、予期した通りに。「時間の先取り」に成功。
絞りf7.1、1/500秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02川越市」。
かつては栄えていたであろうスナック街の向こうから、真っ赤なTシャツを着たおばちゃんが。足元が影になるかならないかのタイミングを見計らって。
絞りf11.0、1/640秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03川越市」。
左手の方から自転車に乗ったおばちゃんが走ってきた。あらかじめ背景を決め、後はバランスの良いところで高速シャッターを切るだけ。
絞りf5.6、 1/2000秒、ISO200、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2017/06/30(金)
第354回:Tさんへの解答(2)
 フィルムで育ってきたぼくのような古いタイプの写真愛好家は、現代のデジタルカメラのISO感度を知ると “なんと横着な” との感慨を抱くものだ。おそらく昔からの愛好家はぼくと同じような感想を持つに違いない。時代が変われば科学の発達により便利さが増すことは誰も否定できない事実ではあるけれど、功罪相償(あいつぐな)いながらも便利・簡便さの増殖は一方で「知らぬが仏」の恐さに鈍感となる。 
 敢えて “横着” という表現をさせていただくが、写真を自己表現の目的とする場合、殊更にこの横着さが撮影や暗室作業に於ける貴重な知識や知恵を根こそぎ薙ぎ払っているように思えてならない。“横着”が勢い余って、写真本来の自己表現の質を低下させているのではあるまいかと感じるのはぼくだけだろうか? 単なる記念写真はこの限りではなく、“横着さ”を否定するものではないのだが。

 デジタル最大の利点である “1枚ごとに状況に適したISO感度が選択できる” ことは、フィルムに慣れ親しんだ人たちにとって、まさに奇想天外というか青天の霹靂ともいうべき出来事であった。デジタルカメラを使い始めた当初、ぼくはこの事実ひとつを取ってみても、特に三脚を使用しないプライベートな撮影時にはありがたさが身に染みたものだった。ぼくも多少の“横着さ”を、批判精神を脇に置き居心地の悪さを感じながらも、こっそり甘受していると正直に白状しておこう。1枚ごとにISO感度を変えることが可能なデジタル機能は、端(はし)なくも感涙にむせぶような仕掛けでもあったのだ。

 フィルムであれ、デジタルであれ、ISO感度が高くなればなるほど使い勝手の良さは増す。暗所で手ブレを起こさせないためには、この御利益に与るのが最も手早く、またお手軽であることは写真愛好家であればすでに誰もが周知の事実であろう。ISO感度が2倍になれば(数値が2倍)、2倍速いシャッター速度で撮影ができ、あるいはf値を1絞り絞ることで被写界深度が得られたり、レンズ収差を軽減できたりもする。良いことずくめと思われそうだが、ドッコイそうは問屋が卸さない。
 功罪の罪の部分を取り上げれば、フィルムは粒状が粗くなり、デジタルならノイズが増える。ISO感度を上げるに従って、電気的な信号を増幅せざるを得ず、その際にどうしてもノイズが発生し、画質に悪影響を及ぼしてしまうのである。つまり撮影時に画質を劣化させる大本締めとなるのが高感度ISOの使用ということになる。ノイズは特に暗部で増殖するために、むやみやたらと高ISO感度を使用すると後々災いを招くこととなる。

 前号で、デジタルの露出決定法についてぼくは「ハイライトを白飛びさせないこと」が大きな目安であり、それが肝要であると述べた。この操作はISO感度とは関係がなく、露出補正で完璧に防ぐことができる。
 もう一度ここでお復習いをしておこうと思うが、デジタルは白飛びをさせてしまうと、その部分は情報がなくなってしまう(厳密にいうと画像を構成するRGBの数値が255の状態)ので、後で補修しようにも如何ともし難い。トーンカーブのハイライト側を寝かす(直線を寝かす)ことで、白飛びした部分をグレーに変化させることはできるが、グラデーションは得られないのでノッペリしたものになったり(すべての質感が失われてしまう)、濁りが生じたりして、どうしても不自然さを免れることができない。
 そのような不具合を生じさせないために露出補正機能がフィルム、デジタルを問わず一人前のカメラにはついているので、その機能を最大限利用して欲しい。露出補正ノーマルの状態で撮れる被写体は極めて少なく、特に空が画面に入るものは雲ひとつない紺碧の空でない限り、露出補正はマイナス側に振れる。マイナス補正と連動してシャドウ部は実物視認より暗く表現されるが、デジタルは画像ソフトなどでシャドウ部を起こしてやればほとんどの場合きれいに再現できるので、「怖じ気づくことなく、果敢に蛮勇をふるうべし」とぼくは前号で訴えた。

 この蛮勇はしかし、できうる限りの低いISO感度を用いるという勇気を伴っている。でないと暗部で発生したノイズが浮き上がり、目立ち、ざらついた印象を与えてしまうからだ。滑らかできめの細かい映像が得られにくいという結果となることを知っていただきたい。
 前々回でTさんいうところの「シャドウ部を上げようとするとノイズが目立ってしまう」という悩みは、使用ISO感度で防ぐことができる問題だったのだ。同時に「ノイズを防ぐためにノイズリダクションを使用するとノッペリしてしまう」という悩みもこれで解決できる。結論は、「ノイズリダクションを使用しなければならないようなISO感度の使用がそもそもの誤りであり、そんな “横着” をしてはいけない」ということに尽きる。高感度を使用しなければ撮影できないような被写体のために三脚という効用絶大なる精神安定剤があるのだ。億劫がらずに三脚を使うべし!

 今、写真を始めたばかりの人にとって手軽に使うことができると思われる一眼レフの取り扱い説明書(キヤノンEOS Kiss)を見たところ、「ハイライト警告表示」や「ヒストグラム」の機能が備わっているので、これを利用して露出補正を試みれば良い結果が得られることと思う。ほとんどのカメラにはこの機能が附属していると思われるので、これこそ文明の利器として大いに利用してもらえれば幸いである。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:茨城県桜川市真壁町。
十数年前に訪れたことのある真壁町再訪。国の伝統的建造物群保存地区に選定され、99棟が登録文化財となっている。

★「01真壁町」。
昔ながらの街並。昔の旅籠も営業しており、こんなところに1泊してみたいものだ。
絞りf11.0、1/160秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02真壁町」。
彩りの面白いなまこ板を見つけ、焦点距離16mm超広角の効果を活かして。
絞りf13.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03真壁町」。
木の葉の間から暮れゆく太陽が覗き、崩れかかった土蔵と「ホルモン焼き」ののれんからおばあちゃんが顔を出した。色々な要素が交じり合った真壁の裏通り。
絞りf10.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-2.33。 

(文:亀山哲郎)

2017/06/23(金)
第353回:Tさんへの解答(1)
 今まで何度かデジタル撮影の露出基準(露出決定法)について触れた。重複する部分もあるけれど、今回はそれに付随する課題についてお話ししようと思う。
 ぼくの流儀は基本的に「フィルムはシャドウ部を基準とした露出決定だが(シャドウを潰さない)、デジタルはその反対にハイライトを基準とする(白飛びさせない)」と述べてきた。それが正しいデジタルの露出決定法だと確信している。
 フィルム使用者は極少数派となりつつあり、今やデジタル全盛の世なので、ここではフィルムが何故シャドウ部を基準とするのかには触れずにおくが、この教えはA.アダムス(風景写真の世界的第一人者。1902-1984年)の開発したゾーンシステムから学び得たもので、非常に理に適った露出の決定法(科学的な)、並びに現像方法(化学的な)である。このメソードは、科学と化学を十全に駆使して、イメージを描きあげて行く最も理想的なものである。

 ぼくはフィルム時代の約数年間、このメソードの知得と技術習得に余念がなく、明けても暮れてもゾーンシステムに取り組んでいた。もう40年も昔のことだ。「取り組んでいた」というよりも「入り浸り」といったほうがいいかも知れない。
 時は移り変わり、時代はデジタルとなり、この考え方をデジタルに応用すべく試行錯誤を重ねてきたといってもいい。写真は適切な露出で撮らないと思い描いたイメージに添うことはできず、またそれを美しく仕上げることができないものだ。ぼくはその不文律を頑なに信じている。そのような理由から、慎重で丁寧な露出の決定に心を割いてきた。できれば、ぼくだって露出はすべてオートで、カメラ任せで撮りたいものだ。
 しかし、現代の科学の粋を集めても適正な露出を得ることは不可能なので、ここは人智の見せどころでもある。自身の薄まりゆく人智を頼りに、これでも健気に「奮闘」しているのだ。

 まず大まかなところからお話しすると、写真は接写などの特別な場合を除いて、ほとんどの場合「空」が存在する。風景、建物、街中でのスナップ写真などなど、ほとんどといってもいいくらい「空」が写り込んでくる。この「空」を如何にイメージ通りに描き出すかということに、露出は大きな関わりを持っている。
 ぼくは主被写体より、「空」をどのように描くかにいつも腐心しているといっても過言ではない。いってみればぼくの露出決定の方法は「白飛びをさせない露出値の選択。特に空を重んじる」ということになろうか。
 雲ひとつない群青色の空はめったになく、どこかにぽっかりと白い雲が浮かんでいたり、あるいはうっすらとたなびいていたりするものだ。雲の表情や質感を疎かにしてしまうと、それは主被写体にまで影響を及ぼし、画像の立体感や緊張感を失ってしまう。そしてまた、「空」や「雲」は俳句でいうところの「季語」のようなもの、そして「空気感」を演出してくれる重要な要素だとぼくは捉えている。樹木や人々の衣装と同様に、季節を感じさせてくれる写真劇の名脇役でもある。
 「空」はいつも主被写体にまつわりついてくるものなので、扱いがとても厄介だ。これをぞんざいに扱うとその場の雰囲気や空気感までもが損なわれがちとなる。絵葉書やカレンダーのような真っ青で鮮やかな味気ない空をお望みであれば話は別だが・・・。

 さて、まだ陽の高い紺碧の青空はまだしも、厄介なのは曇り空や夕暮れ時、早朝時の空である。地面、建物、空の3種混合という最も一般的な被写体を画面等分に入れて、露出補正をノーマルのままで撮るとどうなるか? 露光(露出値)は地面や建物に引きずられるので空の大半が白飛びという結果となる。曇り空は意外なほど明度が高いということだ。 
 白飛び現象を防ぐために、撮影した画像をカメラモニターのヒストグラム、もしくは白飛び警告で確認しながら露出決定をするわけだが、曇り空(曇り空は一種の発光体と見なすべき)を白飛びさせないために、露出補正は常にマイナス補正となることを知っていただきたい。拙稿で掲載させていただいているぼくの写真の大半はマイナス補正であることはすでにご案内の通り。

 さてさて、空や雲を白飛びさせないためにマイナス補正をすると今度はシャドウ部が見た目より遙かに暗く描写されてしまう。特に、陽光下で見るカメラモニターでは、真っ黒にさえ見えることがある。この現象に人々は怖じ気づいてしまうのだ。ところが然にあらず、自宅のパソコンのモニターで見てみると広い面積にわたってシャドウ部が潰れているなどということはまずない。怖じ気づく必要などまったくないということだ。
 デジタルはフィルムと異なり僅かでもシャドウ部に情報があれば、その部分を画像ソフトなどで起こすことが可能である。Photoshopに限らずほとんどのソフトにはこの便利な機能がついているので、それを利用すれば潰れたかに見えるシャドウ部の再現はまったく可能となる。
 この操作はかなりの慎重さを要求されるが、難しい作業ではなく、コツを掴めばこれなしに暗室作業は成り立たないと思えるほどだ。とても重宝・有用な機能なので是非ともその利用をお薦めしたい。ただ、撮影時の留意点としては、露出補正と同時にISO感度も関わってくるのだが、次回にその問題点についてお伝えしようと思う。
 まずは、白飛びをさせないためのマイナス補正には「果敢に蛮勇をふるうべし!」とぼくは読者諸兄に強く訴えておきたい。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:東京都北区赤羽。
子供時分小鳥を買うために父に連れられ、しばしば通った赤羽。小雨降るなか、半世紀ぶり以上になるが、当時に思いを馳せ50分間歩いてみた。

★「01赤羽」。
昔ながらのアーケードにある居酒屋。開店準備中というところか。赤いシャッターが際立つ。
絞りf3.2、1/15秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「02赤羽」。
雨の中、横目で開店直前の居酒屋を。
絞りf5.6、1/100秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「03赤羽」。
「シルクロード」の看板色は、これでもだいぶ抑えたつもりだが、赤とシアンの補色対比が面白い。
絞りf6.3、 1/40秒、ISO250、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2017/06/16(金)
第352回:愛想なし
 粗忽(そこつ)の体験談は概ね愉快なものだが、反面身につまされることもある。両者の共存は、「人の振り見て我が振り直せ」との教訓を与えてくれもするが、だからといって親身になって憐憫の情を示すこともない。あくまで他人事だと高を括っているので、同情の余地がないのだ。
 「それはお気の毒なことをしましたねぇ」と、人は一応眉間にシワを寄せ深刻な様子をして見せながらも、内心はやはりどこか愉快がっている。ここが粗忽と不幸の最も異なるところでもある。粗忽は笑えるが、不幸は笑えない。

 普段、粗相とは縁遠いと思われる人の失態は愉快さに拍車を掛ける。その失敗談を聞くに及び、控え目でありながらも気取りのある人なら、微笑みで対応しようとするが、本来の迂闊者は我が意を得たりと膝頭を叩きながら、粗忽者との共闘を目論む。傷を舐め合いながら居場所を確保しようとするのだ。ぼくはどうやら後者のタイプであるようだ。

 ぼくより十数歳若いカメラマンであるC君は撮影後、撮影済みのフィルムを車の屋根に並べ整理していた。そして屋根に乗せたまま走り出し、帰路についてしまったというのだ。途中気がつき慌てて来た道を引き返したが夜だったこともあり、ほとんど回収できなかったそうである。
 ぼくはこの話を聞いて笑えなかった。むしろ怒りを覚えたくらいだった。彼は従来迂闊なことを多くしでかしていたからだった。フィルムの現像中に現像タンクの蓋を明所で開けてしまったとか、高速を走ればまったく関係のない出口で降りてしまったとか、あれやこれやと洒落にならぬドジ専科でもあった。
 フィルム逸失事件の話を聞き、「君はカメラマンを辞めたほうがいい」との言葉が喉まで出かかったが、ぼくはそれを押し止め、この教訓にも反省にもならぬ話を一蹴した。ぼくのような寛容な(?)人間でも同情の余地を一切残さぬ彼の失敗は可愛げがないと感じたからだった。

 ぼくはしばらくこの事件について考えていた。ぼく自身が被害を蒙ったわけではないが、「罪を憎んで人を憎まず」というどこか解釈不明瞭な教えに素直に従うには大きな抵抗があった。この宗教的かつ哲学的な教えには他方で法解釈や我々の道徳的・倫理的なものが多分に含まれるのでここで深入りすることはしないが、この出来事は乱暴にいえば、「愛嬌」に帰着するところが大きいようにぼくは解釈している。普段の注意力散漫が招いたものであり、その人柄が反映されたものなので、ぼくは怒りを覚えたのだと思う。
 失敗を、微笑ましいものと受け取れるかそうでないかはとどのつまりその人の人柄によるところが大きいのではないだろうかというのがぼくの結論である。
 フリーランスで生きて行くには「愛嬌」も必要な条件と知ったが、「愛嬌」の源流には信頼や誠実さが横たわっているように思えてならない。その意味で、「人の振り見て我が振り直せ」の教えは貴重なものに違いない。

 今回は、写真撮影の基本的なメカニズムについてお話ししようと思っていたところ、「忘れ物の亡霊」を飛び越え「忘れ物断罪シリーズ」を窺わせるようなことになってしまった。愛嬌がないなぁ。
 先日、うちの一味と喫茶店でお茶をしていた時に、写真倶楽部に相応しい話題となったので今回はその話を披露しようと思っていたのだが、字数が中途半端なってしまったので、その触りだけを。
 
 Tさんは現在いろいろなことでお悩みである。そのうちのひとつが「白飛びをどのように解消するか?」という、デジタル撮影にあたって最も重要かつ基本的な事柄についてであった。
 Tさん曰く「ISO感度を上げると白飛びしてしまうでしょ」。
 ぼく曰く「えっ、???」、再び「はぁ、???」。
 彼の理論によると、ISO感度を上げると白飛びをし、シャドウ部がザラメ状(ノイズの増加)となり、バッチィ作画となってしまうとおかしな三段論法でぼくに迫ってきた。
 ぼくは一瞬何から説明していいか目眩を覚えた。Tさんの名誉のためにいっておかなければならないが、彼は至って利発な人である。1日中メスを振り回し、生死と対峙している手術の達人でもある。にも関わらず、あまりの頓珍漢な言い分に気弱なぼくはボーッとしてしまったのである。同席したご婦人方は常に気丈であるが故に、このくらいのことで動じるはずもなく、しかし耳をダンボ(Dumbo。ディズニー漫画の題名。主人公の子象は、耳が不釣り合いに大きい)状にし、「あたしたちは疾(と)うに、ISO感度と白飛びは何の関係もないことくらい知ってるわ」(嘘つけ!)という顔つきで、悠々サンドイッチをパクついておられた。

 「あのぉ、白飛びはISO感度の問題ではなく、露出補正の問題なのね」とぼく。
 彼はすぐに正気を取り戻し、「そうですね、露出補正でした。で、ですね、白飛びを避けるために露出を補正すると、どうしてもマイナス補正となりますよね。そうすると今度はシャドウ部が潰れますね。そのシャドウ部を上げようとするとノイズのザラザラが目立ってしまうんです。そこで、ノイズリダクション(ノイズ軽減機能)を使用するとノッペリしてしまうんです。あちらを立てればこちらが立たずで、どうしたらいいんでしょうか?」と、正しい三段論法に切り替えてきた。彼の論理は正しく、誠に筋がよろしい。

 次回はこれをテーマにお話ししようと思う。今回は尻切れトンボの愛想なしですいません。

http://www.amatias.com/bbs/30/352.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:東京都北区赤羽。
子供時分小鳥を買うために父に連れられ、しばしば通った赤羽。小雨降るなか、半世紀ぶり以上になるが、当時に思いを馳せ50分間歩いてみた。

★「01赤羽」。
個人を特定できるような写真は掲載しないことにしているが(ぼくの写真には人物写真が非常に多いのだが)、これはあくまでの街の佇まいとしての光景を写し取ったものとして掲載することに。映画のワンシーンをイメージし、そのように仕立ててみた。
絞りf8.0、1/30秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「02赤羽」。
この街には異邦人が多いとみえ、さまざまな国籍の人が生活を営んでいるようだ。
絞りf6.3、1/60秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「03赤羽」。
まだ開店している店は少なかったが、馬刺しを肴に一杯やるおねえちゃん。なんとも羨ましい。
絞りf7.1、 1/30秒、ISO500、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2017/06/09(金)
第351回:忘れ物の亡霊(続)
 同業者であるぼくの知り合いにも、前号のぼくと同じように信じ難いドジを踏んでしまった人たちがいる。カメラを忘れたカメラマンが侮れないほどの根深い失態を演じてしまった人もいるのだ。今回はぼくのそれよりずっと深刻な事態を公表するが、これは決してぼくの創作話ではなく、まったくのノンフィクションである。

 編集時代から仲の良かったカメラマンのAさんは、ぼくの信頼すべき仕事上のパートナーでもあった。写真に真摯に向き合い、礼儀作法を心得、創意工夫を凝らしながら黙々と仕事をこなしていく彼の職人としての佇まいにぼくは全幅の信頼を寄せていた。同世代ということもあってか、よく馬が合ったものだ。       
 当時は出版社も好景気で、分厚いムック本を担当していたぼくは、いわゆる “特撮” の機会あるごとに彼に撮影依頼をしていた。
 燧ヶ岳(ひうちがたけ。尾瀬ヶ原にある標高2356mの火山)の頂上から尾瀬沼を背景にオーディオの機材を並べ、表紙の撮影をしたことがあった。
 山小屋の主人がガイド役を務めてくれ、編集者3人にディレクター、デザイナーなど、大がかりなロケだった。山頂では午後になると雷雲が唸り始め(ブーンという不気味な音がかすかに聞こえる)、ぼくはスピーカーを担ぎ、Aさんは重いカメラバッグを背負いながら、脱兎の如く山頂から駈け降りた。重労働仕事をAさんはいつも快く引き受けてくれたものだ。ずぶ濡れとなった燧ヶ岳行脚は、今となっては遠い昔の懐かしい思い出である。

 編集者を辞めこの世界に飛び込んだ後も彼はこの道の先輩として何かとぼくの世話を焼いてくれた。時折会っては情報交換などをしていたが、ある時Aさんは、「かめさん、ちょっと聞いてよ。この間ね、こんなことがあってさ」と、珈琲をすすりながらとつとつと語り始めた。
 彼の話すところ、それは京都にある某社に行き製品撮影をしていた際の出来事だったらしい。帰京して、フィルムを現像所に出し、あがりを引き取ってみたら最後の1カットだけがどうしても見当たらないのだという。こんな時カメラマンは多分例外なく冷や汗と脂汗がどっと噴き出るものだ。恐らく彼もそうであったに違いない。
 「Aさんのような慎重居士で為る人が、どうしてまた?」と聞き返すと、彼は「最終カットに手こずり、やっと物の配置とライティングが決まり、そこでポラ(ポラロイドフィルム。本番撮影をする前には必ずポラロイドフィルムを使用して諸々の確認をするのが当時の習わし。今はPCのモニターで確認しながら撮影をする)を引き、全員のOKが出たところで、ぼくね、思わずホッとして “ハイッ、お疲れさま” といってしまったんだ。とたんに緩んじゃったのね。ポラだけ引いて、本番を撮らなかったというわけ。誰もそれに気づかず東京に帰ってきてしまったんだ。今だからいえるんだけれど。あっはっは」と愉快そうに屈託なく失敗談を語ってくれた。

 ぼくも彼に呼応しながら、「他人の粗相は愉快なり」と膝頭を叩き、万感の思いを込めて大笑いをしつつ、憐憫の情を示した。同業者として、 “いち早く現場を立ち去りたい” という気持が痛いほど理解できるが故に、彼のその時の安堵の感情も同時に手に取るように察することができた。
 カメラマンはロケ現場での全責任を負っているので、相当な緊張を強いられる。クライアントやスタッフとのやり取りも神経戦の様相を呈することがある。無事、最後の1カットを切り終えてカメラマンの “ハイッ、お疲れさま” の一言ですべての作業が終了する。この言葉は終了を全員に伝える重要な合図となる。その後は撤収あるのみで、この撤収作業がロケで最も気の休まる瞬間でもある。余談だが、この言葉を発しがたいためにカメラマンに転向しようとした広告代理店の若人がいた。「ぼく、現場監督に憧れているんですよ。カメラマンって現場ではお山の大将だから」と。隣の芝は青く見えるものらしい。

 現像があがってくるまで結果は判明しないが、取り敢えず「後は野となれ山となれ」との覚悟を決めないと身が持たない。この開き直りができない人は、カメラマンには不向きであろう。また、「イチかバチか」のスリルに快感を覚えない人もやはり不向きである。前出の若い衆はこの要素に欠けていたので、ぼくは大人ぶって「カメラマンなんて止めときな!」と諭したものだった。

 この開き直りの保証をある程度与えてくれるのがポラの存在なのだが、ポラだけ引いて本番を撮らなかったというのはやはり前代未聞の珍事であろう。
 安堵というブラックホールに吸い込まれてしまったAさんは、しかしお咎めを受けることもなく、再び京都に出向いたとのこと。実費などの面倒もクライアントがみてくれたのだそうだ。「良いクライアントや担当者でよかった! 命拾いをした」とは彼の言葉だが、それは第一に彼のお人柄によるものではないかと思う。写真が上手ければそれだけで食っていけるという世界ではないようで、それを思うとぼくはとたんに身持ちが悪くなってしまう。かといって下手ではやはりダメなので、ぼくなど実はとても居心地の悪い世界でもあるのだ。何でこんな亡霊の棲むややこしい場所で商売を始めちゃったんだろうか。

http://www.amatias.com/bbs/30/351.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:東京都北区赤羽。
子供時分小鳥を買うために父に連れられ、しばしば通った赤羽。小雨降るなか、半世紀ぶり以上になるが、当時に思いを馳せ50分間歩いてみた。

★「01赤羽」。
この世界に疎いぼく。何の店だか見当もつかないが、外観の色に惹かれて思わずシャッターを切った。
絞りf6.3、1/60秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02赤羽」。
「01」の裏手にある駐輪場。全体の面白い色合いをわずかに強調してみた。
絞りf8.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03赤羽」。
昭和の香りがプンプン。
絞りf8.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)