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「さくら・草五郎の竜神伝説」
竜神画像さくら・草五郎です。 浦和の歴史ものがたりを担当し、毎週月曜日、「さくら・草五郎の竜神伝説」というページを更新します。
浦和には様々な竜伝説があります。ここではそれを紹介しながら、浦和の歴史をひもといていきたいと思います。長いお話しになりますので、少しずつ進めていきます。 皆様からのご質問、ご意見なども書き込めるようになっていますので、ぜひご参加下さい。
なお、2001年5月6日には「見沼竜神祭り」を開催しました。今年も巨大な竜が空を舞うことになります。今年の「見沼竜神祭り」の予定などにももおいおい触れていくつもりです。よろしくお願いします。
見沼竜神祭りフォトアルバム ご参照

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2002/08/19(月)
竜シリーズ22 竜とは竜神とは (3)
 人間に欠かせぬ糸、偉大な蚕の存在、それを神として崇めそこに様々の人間にない力を加え浮かび上がったもの。それが竜となったのではないだろうか?それを裏付けるものとして、竜に関わる物に[虫]偏が付く文字が多々見られる。中国では、竜には九匹の子供がいるとされ、その子供がそれぞれ役割を持ち、様々な角度から人を守っていると言われている。その九匹の子供の中の二匹に虫偏が絡んでいる。虫偏だけにこだわらず、所謂長男とでも言うべく一番目から九匹の瑞祥を意味する高貴な子供達を紹介して行く。

<table border="1" width="80&#37;"><tr><td align="center"><font size="2"> </font></td><td align="center"><font size="2">名称</font></td><td align="center"><font size="2">読み</font></td><td align="center"><font size="2">形状</font></td><td align="center"><font size="2">特徴</font></td><td align="center"><font size="2">例</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2"></font>一番目</td><td align="center"><font size="2">贔屓</font></td><td align="center"><font size="2">(ひいき)</font></td><td align="center"><font size="2">亀</font></td><td align="center"><font size="2">支える役目</font></td><td align="center"><font size="2">碑の支え</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2">二番目</font></td><td align="center"><font size="2"> </font></td><td align="center"><font size="2">(りふん)</font></td><td align="center"><font size="2">獣</font></td><td align="center"><font size="2">見張り</font></td><td align="center"><font size="2">屋根の獣頭</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2">三番目</font></td><td align="center"><font size="2">蒲牢</font></td><td align="center"><font size="2">(ほろう)</font></td><td align="center"><font size="2">竜</font></td><td align="center"><font size="2">吠える</font></td><td align="center"><font size="2">釣り鐘の紐</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2">四番目</font></td><td align="center"><font size="2"> </font></td><td align="center"><font size="2">(へいかん)</font></td><td align="center"><font size="2">虎</font></td><td align="center"><font size="2">威圧する</font></td><td align="center"><font size="2">獄門に立つ</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2">五番目</font></td><td align="center"><font size="2"> </font></td><td align="center"><font size="2">(とうてつ)</font></td><td align="center"><font size="2">獣</font></td><td align="center"><font size="2">食を守る</font></td><td align="center"><font size="2">鼎の蓋に立つ</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2">六番目</font></td><td align="center"><font size="2"> </font></td><td align="center"><font size="2">(はちか)</font></td><td align="center"><font size="2">怪魚</font></td><td align="center"><font size="2">橋を守る</font></td><td align="center"><font size="2">橋の柱に</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2">七番目</font></td><td align="center"><font size="2"> </font></td><td align="center"><font size="2">(がいさい)</font></td><td align="center"><font size="2">竜</font></td><td align="center"><font size="2">武器となる</font></td><td align="center"><font size="2">刀の環(たまき)</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2">八番目</font></td><td align="center"><font size="2"> </font></td><td align="center"><font size="2">(しゅんげい)</font></td><td align="center"><font size="2">獅子</font></td><td align="center"><font size="2">火、煙</font></td><td align="center"><font size="2">香炉</font></td></tr><tr><td align="center"><font size="2">九番目</font></td><td align="center"><font size="2">椒図</font></td><td align="center"><font size="2">(しょうず)</font></td><td align="center"><font size="2">蛙</font></td><td align="center"><font size="2">門番</font></td><td align="center"><font size="2">ドア・ノブ</font></td></tr></table>
 以上が九匹の竜の特徴だが、残念なことに全部漢字で紹介出来ないので、分かり難いかも知れないが偏と旁(つくり)で紹介すれば、
 二番目の「りふん」の「り」は虫偏に離の隹を取ったもので、「ふん」は吻。
 四番目の「へいかん」の「へい」は獣偏に陛のこざと偏を除いたもので「かん」は獣偏に干す。
 五番目の「とうてつ」の「とう」は号虎を書き下に食、「てつ」は列の偏と珍の左を並べて下に食。
 六番目の「はちか」の「八」は虫偏に八、「か」は虫偏に夏。
 七番目の「がいさい」の「がい」は目偏に香A「さい」は目偏に此。
 八番目の「しゅんげい」の「しゅん」は獣偏に俊の旁(つくり)、「げい」は猊。
とパソコンではなかなか出てこない漢字で実に面倒な解説だが、書いてあてはめて見ると妙なことに気が付く、虫偏については文頭の蚕のなごりと思えるが、妙なこととは一番目の贔屓は貝が二文字に付き、四番目も獣偏が二文字に、五番目は食が、六番目には虫偏が、七番目には目偏が、八番目には獣偏が共に二文字に付いている。ここに何かの意味が有りそうだが定かではない。しかし、以外なのが一番目の贔屓である。現在「贔屓する!」の贔屓が竜の長男の名称であったことである。意味合いからしても「贔屓」は一種の応援部隊で支えることであるから、当然ここから来たものと思える。
(文:さくら・草五郎)

2002/08/12(月)
竜シリーズ21 竜とは竜神とは (2)竜を崇める
 竜と判断される物が6000年前の出土品に見られる。それは、はたして当時の人々に「竜」という意識があったのか。ニワトリと卵のようにどちらが先立ったのか?これも一考の余地は十分にあると思う。

 現在、竜と言えば大体はどんなものか想像が付く。それは「長い歴史の中で定義付けられ、形作られて来たものである」と言うことははっきりしている。しかし、それが出来上がり、過去の出土品を見るにおいて「おそらく、これは竜の前進を意味している物なのではないか」と言う判断の基に竜とされている場合も想定したくなる。これは研究者の方々に甚だ失礼な言い回しかも知れない。しかし、竜と言う認識ではないにしても、何か象徴めいた物であることに違いはないような気がする。しかし、3000年前の甲骨文字に見られる龍の文字があり、さらに、金属に刻まれた文字、すなわち青銅器に刻まれた金文にも、様々に形を変えた龍の字が見られるとある。これも前述のように考えるとややこしくなるが、象形文字のようなこれらの文字は「竜」文字の前進であろうことが十分に伺える。

 中国の1900年前の辞書に「竜は龍の元字也」とあることから、おそらく竜の元字は甲骨文字や金文から来たものであろう。これら象形文字は言うまでもなく、その物の形をとらえたものであるから目に見えて存在した物と考えたい。その文字の共通点で注目したいのは「立」の様な冠があることである。

 さらに前回で紹介したモンゴルで出土した玉は蚕のようである。そうして甲骨文字のそれらも蚕を意識すると分かりやすい。6000年前、3000年前、共に何らかの形で象徴的に崇められていたものに共通点がある。それは架空の物でなく、身近で、その時代においては欠かせない偉大な物であった様である。それが象徴的に崇められ、その偉大なものに、人間の為し得ぬものを託し、あらゆる夢や欲望と期待を込めて形成されて行った。それが現在の竜となったのではないだろうか?竜の根元、それ、すなわち蚕と思えてならない。
(文:さくら・草五郎)

2002/08/05(月)
竜シリーズ20 竜とは竜神とは (1)竜の起源
 竜、龍、辰、神社やお寺で見かける竜の彫り物。十二支の五番目に唯一架空の生き物として辰年があるが、辰、即ち竜である。この辰には存在感を感じるものがある。それは「竜の落し子」で[ヨウジウオ化の小魚]と私愛用の辞典に記されている。魚とは言いがたいが、いかにも竜の子供の様なのでその名が付いたに違いない。[うみうま]、[かいば]とも言う。共に頭が馬の様であることから[海馬]の読みである。英語でもシー ホースでシー ドラゴンとは言わないようだ。では何故、日本では「竜の落し子」と呼ぶのか。そこには竜の存在が如何に身近であるかが伺えるような気がしてならない。さらに、竜と言うばかりでなく、「竜神」と言うように神として崇められている。ここでは、果たしてこの竜とは何なのか。何故「竜神」と言われるのかを考えてみたい。

 竜の起源を語るにおいては、読者も既にご承知の様に中国を無視することは出来ない。さらに私の憶測でもあるが、[竜]と[龍]の使い分けも必要である為(後に説明)、二種類入り乱れることをあらかじめご承知置き願いたい。

 竜を現す物としては、中国文化を研究されている池上正治氏の著書「龍の百科」(新潮選書)によれば、新石器時代(6,000年前)のモンゴルでの出土品の玉が最古の物とされている。形状はC型、全長26cm、「頭部には、シンプルな稜線を用いて彫りだした二つの目がある。口はやや上に突き出し、二つの鼻孔はきっちりと彫られている。口のまわりと額には、細かいメッシュ状の紋があり、龍の顔全体をいかめしくいものにしている」云々とある。これを玉製の龍と称するからには、それなりに、古くから竜の存在と、人との関わりがあったと言えるものがあるのだろう。同じく6,000年の前中国最古の農耕文化を発見した仰韶(ヤンシャオ)村で発掘された彩陶の模様に、龍と思われる物が描かれているとある。玉、及び彩陶、共に深い神的な象徴すべきものが感じられ、それが竜と解釈されることは起源と言うより既に大切な物として人の心に存在していたのだろう。
(文:さくら・草五郎)

2002/07/22(月)
竜シリーズ19 竜と私 (5)
 埼玉大学の永澤明教授を訪ね、見沼には竜神伝説が多いこと、見沼の偉大な歴史財産、文化と歴史を活かした街づくり、だから竜神まつりを、そうしてその核として昇天竜をと、途中で「だから何が言いたいんだよ!」と言われそうな回りくどい話しをしました。この言い回しは、昔から友人などにも良く言われる私の話し方の得意(欠点)とするところですが、教授は実に忍耐強く、肯きながら聞いて下さいました。最後に果たして50〜80mの竜の気球を空に揚げることは可能な物なのかを伺った。このように一番聞きたいことが一番最後に出て来る始末なのです。永澤教授の専門は化学でした。気球と言えばこの種は航空工学なのでしょうが、埼玉大学には航空工学は無く、ヘリュームガスを使用することから、化学専門の永澤教授が受けて下さったのです。

 教授はすぐに仮に胴体の直径が何mとすると中にどれだけのヘリュームガスが入るか計算し、空気とヘリュームの重量差も算出し、竜の衣の重量が何kg以内ならば揚がることを説明して下さいました。教授は「夢のある話しですから是非実現させたいですね!可能だと思いますよ」と言って下さいました。私は何やら早合点ながら、実現可能のお墨付きを戴いた様な気分で、今風の言い方をすれば舞い上がってしまった気分でした。しかし、私が舞い上がっても仕方有りません。竜を舞い上がらせなければならないのですから。それから三重県庁に問い合わせを致しました。気球の製作会社です。「三重県に製作を依頼している」と言うアドバルーン業者の情報から、その製作会社が何処にあるかを問い合わせました。

 三重県庁から回答の電話を受けたのは3日後でした。回答は静岡県にあるということでした。さっそくその業者に電話を掛け、寸法を入れた構想図をファックスで送り製作可能かを問い合わせました。祭りの主旨も送信しました。翌日、業者から「出来ます!」の回答を戴きました。予算は兎も角として実現可能と分かったのです。しかし、この事業を立ち揚げることなど私には到底出来ません。製作費とイベント開催費用などとてつもない費用がかかります。「このような構想で竜神まつりを立ち上げませんか?」とある社長さんにこう声を掛けたのはそれから半年程経ってからでした。その間誰に声を掛けたら、と悩んでいました。たまたまある懇親会会場で「あっ!この人に」と思い声を掛けました。すると大賛成とのご意見を頂き、なんと偶然にもその方は辰年生まれだったのです。その時、私は竜神様のお導きではないかと思いました。その社長さんの情熱に多くの方達が集まり、実現へと向かい始めたのです。ここでさらに私が竜を研究し竜に取り付かれて行くことになったのです。

 次回より、「竜とは竜神とは!」
(文:さくら・草五郎)

2002/07/15(月)
竜シリーズ18 竜と私 (4)
 やっとの思いで探したアドバルーンの業者、それは電話帳でも様子が掴めず、県や市など数箇所のお役所の窓口に問い合わせを致しました。「県内にアドバルーンを制作している業者はあるでしょうか?」。当時は浦和市でしたが浦和市内にはどうも無さそうなので、県内にエリアを広げて聞いて試ました。「できれば、地元の業者に」という意識が強かったこともあります。直に制作している所はなかなか無い様で、ある所から2件程紹介を戴きました。「見つかった!」と思い側座にアポイントを取り、跳んで行きました。「御社でアドバルーン制作しているのでしょうか?」ところが、そこでは制作していないことが分かりました。むしろイベント用にアドバルーンを上げたり。受注により制作会社に発注するという内容でした。私は埼玉新聞に載った記事のコピーを見せ、「この様な竜の気球を空に揚げ、それを核とした竜神まつりが出来たら……」云々、と、聞きました。私の構想図では全長約80mの竜でした。それを見た業者は実現は不可能という事でした。

 アドバルーンは、空気より軽いヘリュームガスを注入することで空に揚がるのですが、業者曰く、「これだけ大きな物をロープで誰が支えるんですか、風の抵抗を考えたら人間が持っていかれますよ!」「何かうまい方法で実現策は無いものでしょうか?」「無理です」。私は話しを切り替え、アドバルーンを直に製作している所は何処に有るんでしょうか!」。こうなったら製作会社に直に相談するしか無いと思いました。企業秘密だったのでしょうが、きっとあまりにも私が真剣だったのと実現不可能という事からか「三重県です」と教えてくれました。とはいえ、アドバルーンを上げることに慣れている業者が、こんな大きな竜を揚げることは不可能と言いきったのです。数日、私は大変な事を発案してしまった、この気球を揚げることの危険性をその業者は訴え、そうして「不可能」と言ったのですから。同じ考えだったのか、もう一社からは回答も有りませんでした。

 暫くの間、私は構想図の原画を見ながら、竜全体、一体型の気球にせず、幾つかのアドバルーンをネット繋げれば球と球の中間はネットから風が抜けて、横風の抵抗を免れるだろう。そうすると球の所は風に敏感に反応し、ネットの所は風を逃がすので横のうねりが自然に生まれるかも知れない。そうだ!ネットで球を繋げば、危険性もかなり解消でき、実現可能かも知れない。と、思いました。直ぐに、知り合いのゴルフ場を経営する社長を訪ねました。ゴルフ場のネットが頭に浮かんだからです。ネット自体幾らぐらいするものなのか、強度は、重量は等、知りたいことは山ほど有りました。しかし、ネットと言えどもかなりの風の抵抗を受け、45%も風は抜けないだろう、そうして重量もかなりあるのでネットの重さで揚がらなくなるだろう。と、又しても壁が立ちふさがったような気が致しました。「それでもまだまだ方法は有るのでは」と、まるで竜神に取り付かれたように方法を探りました。そうして、専門家のご意見をうかがおうと、埼玉大学に問い合わせをいたしました。大学では、理学博士の永澤明教授を紹介して下さいました。構想図のような竜の気球を揚げることは果たして可能なのか……。


 次回、揚げる事を前提とした取り組みが始まります。

(文:さくら・草五郎)

2002/07/08(月)
竜シリーズ17 竜と私 (3)
<IMG SRC="http://www.amatias.com/image/bbs_image/ryujin_photo.gif" align=left alt="竜神写真">「空に揚げる竜?……、どうやって空に揚げるんですか」興味深そうに記者は聞きました。竜の形をした巨大なアドバルーンはどうだろう。沢山ロープを垂らして何人もでロープを操り、その下で見沼太鼓と言うか竜神太鼓みたいなものを作ってドンドンやったらいいと思うよ!」と言いました。それも2000年の辰年にスタートしたい、と、言ったのです。その後、12月27日か28日だったような気がします。その記者から、竜神まつりの構想図を描いて欲しいと言う電話がありました。それも31日迄にと言われたので「そんな簡単に描ける筈無いでしょう!」と言いました。ところが是が非でもと言うことだったので、30日午後から徹夜でヌーベルと言うメーカーの60色マーカーで15号程の構想図を描き上げました。広い見沼の空に竜が泳ぎ、芝川沿いに並んで太鼓を打つ姿を配しました。12月31日「うらわがわらう」の忘年会でその絵と共に竜神まつり構想を披露しました。その場に記者がきて、その構想図を新聞社に持って行きました。年が明けて平成11年1月7日、埼玉新聞の一面を見て驚きました。私の構想図が一面ど真ん中にカラーで載っていたのです。その年は兎年だったのですが、見出しは大きく「辰年の夢」とありました。記者は初夢は辰年の夢だったと表現したのです。さー大変です。新聞一面で好評されては真剣に取り組まなければ!それまでの「やることが出来たらいいなー 」という気楽な構想は一転して、身を引き締めざるを得ない緊張感が走りました。正直申し上げればゾクッ!としました。「さくら・草五郎が可笑しな事を言い始めた!」と言われても不思議はありません。第一、浦和と竜の繋がりどころか竜神伝説があることを知る人は殆ど居ないといっても過言ではない。そんな状況だったのですから、「何で浦和で竜神まつり?」これが当然に思えたからです。ところが、反響が予想以上に良かったのです。新聞を見た人に会うと、「あれいいねー良いまつりになるよ!」「あの竜神まつり、本当にやるんでしょ!」「あの祭り良いよ!絶対やって欲しい」等々、思わぬ反響に驚きました。本腰を入れて準備にかかることにしました。とは言え、まずは構想図のような昇天竜を揚げることが技術的に可能なのかどうかを早急に確認しなければなりません。私は単純にヘリュームガスを用いれば揚がるだろうと、人騒がせな構想図を描いてしまったのですから。ところが、やっとの思いで探したアドバルーン業者の回答は「ノー」実現不可だったのです。

さて、この先の展開は次回をお楽しみに。
(文:さくら・草五郎)

2002/07/01(月)
竜シリーズ16 竜と私 (2)
見沼に数多くの竜神伝説があるばかりでなく、見沼を題材にした小説にも必ず登場する竜神、にも関わらず「竜神まつり」が行われていなかった。疑問に思ったのは平成8年からでした。その時思ったのは、無かったものは無かったでしかたがない。新たに始めればいい!と思いました。どちらかと言えば、始めれば良いと大それた事ではなく、当初は「有って欲しい!」の気持ちが先行していたような気がします。その前の事ですが、平成7年11月にまちづくりに関連するある事がひらめきました。それは岸町の調神社(つきじんじゃ・通称つきのみやじんじゃ)は狛犬ならぬ狛うさぎが鎮座しているという事でした。神社と御利益を考え「招き猫」ならぬ「招きうさぎ」があれば良い!と思ったのです。当時は浦和市でしたので、浦和の商店は「招き猫」でなく飛躍するうさぎに託して「招きうさぎ」を店頭に置けば浦和独自のものなので、まちづくりにも成るのではと思い、私の入会している浦和市商店街青年部連合会に声を掛けました。そうして浦和招福「招きうさぎ」が誕生しました。商青連のその時の勢いは目覚しいものがありました。翌年8月15日、十五夜の日に発売開始になり、市内中心部の各商店に置かれるようになりました。竜神を意識しはじめたのはこの頃でした。やはり11月のこと、ある記者に「次にやりたいことは何か?」と聞かれた時に「竜神まつり」と応えたのです。「それは中国みたいに、竜に長い棒を付けて練り歩くお祭りですか?」と聞かれ、「いや!見沼の竜は干拓と同時に天に昇ったから、浦和の竜神まつりは竜を空に上げたい!」と言葉を発したことが竜に取り付かれて行く第2のきっかけでした。
この後思わぬ展開がありました。次回お楽しみに…。
(文:さくら・草五郎)

2002/06/24(月)
竜シリーズ15 竜と私 (1)
これまで、さいたま市の竜神伝説を12遍、私の竜の創作民話を2編、合計14遍、14週に渡り連載してまいりました。主な伝説、意外な伝説、「えっ、こんなところに?」と、さまざまだったのではないでしょうか。私も竜伝説を追うようになって、同じように意外な思いを何度も致しました。では、私が竜に興味を抱きはじめたのはいつ頃からかといいますと、最近の事でした。私にとって竜は亡き父親の干支であることが子供の頃いくらか身近に感じたの竜(辰)だったような気がします。あとは、昔のラーメンのどんぶりの周りと底には竜が描かれ、「その竜が見えるまで」とスープをきれいに飲んだ頃がありました。日光東照宮本地堂の天井の鳴龍も一つ、親しみを感じたのはテレビアニメ「日本昔ばなし」の主題曲が流れる時、坊やを乗せた竜が飛ぶ姿でした。竜は12支の中で、唯一架空の動物でありながら、神社や仏閣を初めとしてあらゆる所に配されている不思議な存在であること。この位が竜に対する印象でした。その私が急に竜や竜伝説を研究し始めたきっかけは、私の主宰でまちづくりの会を始めたことでした。平成7年から「うらわがわらう」というどちらから読んでも「うらわがわらう」の名称でどこから見ても誰から見ても楽しい街にしようと、フェスティバルや集いの会を開催し始めたのがきっかけでした。街を良くするには、街に住む人が街を本当に良く知り、良い所は誇りを持ち、たりない所は自分達で育てる意識をより多くの人が持たなければ、街は決して良くなりません。

   この街で朝を迎え この街に帰る
   やすらぎのひとときを過ごす
   この街で働く時も 挨拶を交わす人との関わりも
   街が生きていればこそ それでも何故か無関心
   街は嘆いているだろう 歴史や文化も風景も
   きっと嘆いているだろう
   街を振り返ろう
   知れば知るほど街が好きになってくる
   人とふれあう喜びと共に 心も豊かになってくる
   街に誇りを持ち この街と胸を張ったら
   街はきっと 微笑むだろう
                         草

この詩がこの会の主旨で、毎回集いの会で冒頭に読み上げています。中心的に行ったこと、それは街を知る為の勉強会でした。当時は浦和市でしたので、浦和の研究に取り組み、歴史や人物や文化など興味深い所から学び、にわか仕込みでもそれを皆に知ってもらう為「集いの会」を通してお話をして来ました。そんな研究の中で出会ったのが見沼にまつわる幾つかの竜伝説でした。見沼が広大な沼であったこと、干拓にまつわる当時の村人の葛藤、干拓工事の期間と技術、そうして生まれた見沼たんぼ、見沼通船掘りの遺稿、その仕組みと江戸との間に生まれた舟運、そして現在は首都圏最大の緑地空間として残されている偉大な価値。見沼にまつわる集いの会だけでも、何度開催しても終わらない程でした。そこにはかつての村人にとって竜神様は欠かせぬ存在であったことが良く分かりました。見沼の竜神様は、干拓と同時に天に昇ったとの謂れ。それから竜に興味を抱きはじめました。竜伝説を追い「竜とは竜神とは!」と追う内に、そこで疑問に思ったことは、どうして竜神まつりが行われていないのだろう……、と言うことでした。

次週へ
(文:さくら・草五郎)

2002/06/18(火)
その14 「竜とホタル」
むかーしむかし、広い広い沼地だった見沼には虫や小鳥が沢山いました。タニシや鮒、そしてうなぎや鯉も沢山いて、夜カエルが「ゲコゲコ」と鳴く時はそれはそれは賑やかでした。ところが、広い広い見沼中のカエルが一斉に鳴き止む時があります。どんな時かと言えば、それは沼の主の竜神様がお出かけになる時とお帰りになる時でした。その時は、水鳥もカラスも小鳥達も虫達も、そして魚やタニシ達もみーんな静まり変えって、竜神様が無事お帰りになったのが分かると、こんどは一斉に皆よろこんで虫達は羽を鳴らし、鳥達は羽ばたくように羽を動かし歓迎しました。生き物達をいつも守ってくれる、沼の主の竜神様は皆にとって、それはそれは大変ありがたい存在でした。沼の生き物達は、いつも真っ暗な夜を過ごすことが多かったのですが、満月の夜はとても明るく、生き物達は皆恋を囁きあったりして明るいロマンチックな見沼の夜を過ごしていました。生き物達の楽しみはそればかりではありません、雲一つ無い晴れた日の夜空には無数の星が輝いき、年に一度それにもまして夜空が美しく輝く時がありました。それは砂の様な小さな小さな星たちがまるで川のように空に現われる時でした。生き物たちは毎年その夜空をとても楽しみにしていました。ある年、春から雨季に入る頃、雨は降らず日照りが続きそのまま夏になる頃でした、沼の水もだんだんと干されて来て、魚は水溜まりのような所にとりのこされて、泳ぐことさえ困難になり、草木は枯れ、そして虫や鳥達も餌に困るようになってしまいました。水の神でもある竜神様は、出来るだけ自然にまかせて、やたらに雨を降らすようなことはしなかったのですが、とうとうたまりかねて天に昇り、雷を鳴らし雲を呼び、数日雨を降らせました。そうして沼の水はもとどおりになり、生き物達は元気をとりもどしたのです。ところが、竜神様がたまりかねて雨を降らせたその間に、生き物達が楽しみにしていた、あの夜空に星の川が出来る日が過ぎてしまったのです。虫や鳥達が何も言わず夜空を見上げている姿を見て、竜神様は見沼の生き物達に声をかけました。「水も欲しいし、星も見たいじゃろう。しかし雨を降らせるには雲を呼ばねばならぬ。雲を呼べば星は見えなくなるのじゃよ。星が見たければ水をすて、水が欲しければ星を捨てなさい!」そう言うと生き物達は皆うなずきました。竜神様は「よくぞ分かってくれた」といって体を小さくして沼を泳ぎ回ると、だんだん体を大きくしながら沼から飛び立ち体を震わせしぶきを飛ばしながら広い見沼を一回りしました。するとどうしたことでしょう、竜神様のしぶきがだんだん光ってきて、見沼中があの星の川のようになり、良く見るとその光はまるで虫の様に飛んでいるのです。沼の生き物達は、始めて見る美しく光り舞い飛ぶ幾千万の虫に驚きそうして喜びました。それはホタルでした。竜神様はとてもすなおな沼の生き物達に、星の川のかわりにホタルをプレゼントしたのです。それから毎年、夏の初めには見沼に沢山のホタルが舞うようになりました。

さいたま市東部一帯に広がる見沼、ここにはかつては沢山のホタルが生息していた。今回のお話は第13回の「蛍の御殿」で紹介した天の川のような蛍の話を、別の角度で私が書いたもので伝説とは違った創作民話です。竜は大きくもなり小さくもなり、地に潜み、水に潜み、天にも昇る。すべて可能なこの架空の竜の存在とあこがれ、人々は自分達の様々なあこがれを竜に集約した。その竜とホタルのお話は如何でしたか。
(文:さくら・草五郎)

2002/06/10(月)
その13 大和田 「蛍の御殿」
むかーしむかし、見沼が大きな沼だった頃、乎笛という笛を吹くのがとても上手な可愛い娘がおった。その乎笛が、いつものように見沼の辺で時のたつのも忘れて笛を吹いておった。すると、どこからともなく別の笛の音が聞こえてくるではないか。乎笛は耳をすまして、その笛の音をたどって行くとだんだんと笛の音に近づき、良く聞こえるようになって来た。乎笛は、だれが吹いているのだろう…。と思ったその時、あやうく古井戸に落ちそうになった。はっとしてその古井戸を覗くと、どうやらその井戸から笛の音が聞こえて来るような気がして、乎笛は恐る恐るその井戸の中を覗き込んだ。すると井戸の中がぱっと明るくなり、沢山の蛍が井戸の中を舞い、そして飛び出してきたそうな。幾百千もの蛍が舞い、飛び揺れるさまはまるで天の川を見るようで、小笛は夢を見ているような気持ちになっての、また古井戸の中を覗いてみると、それはそれはきれいな大きな蛍が小笛の前にあらわれた。その蛍は、波のように高く低く舞いながら乎笛をさそっているようじゃった。乎笛がついて行くと、竹薮の中に美しい御殿があって、あまりにも美しい御殿なので乎笛がみとれていると、中から奇麗な少女が現われた。「お姫様がお待ちです」少女がさそわれ乎笛が中に入ると、美しいお姫様がおって、お姫様はこんな話をしたそうな、「私は昔ここにあったお城の姫でした。戦いに負けて滅ぼされた一族をきのどくに思った竜神様が、私たちを蛍にして下さったのです。私も、あなたと同じように笛を吹くことが大好きでした。けれども蛍になってからは、光り始める前のわずかの間しか笛を吹くことは出来ません。それでも、夏のはじめにはこの見沼で私達はまるで天の川のように舞うことが出来るのです。そうしてその時期には竜神様のお導きで、村の素敵な若者達と出会い、楽しいひとときを過すことができます」と言ったそうな。その話を乎笛から聞いた村人達は見沼の蛍を大切にし、蛍のために供養塔を建てたのだそうじゃ。

さいたま市大和田、場所は定かでないがこの大和田に供養塔があったといわれ、それは乎笛と村人達がたてたものと言われる。この蛍の御殿は、見沼の伝説の中でも美しいお話で「見沼の笛」のように笛の音がからんでいる。「竜神様のお導きで…」としているのは、「見沼の笛」で行方知れずになる若者を蛍の御殿に導く為、そうして天の川のお話のように、年に一度、蛍になった姫達と若者が楽しいひとときを過ごす。供養塔は蛍と行方知れずになった若者達のためのものであったと考えたい。しかし、見沼には沢山蛍が生息していた。見沼に蛍を戻そうと研究している会もある。それには、川をまずきれいにしなければならない。芝川をきれいにし、蛍を戻し、見沼に天の川のように蛍が舞う。そんな夢に向かいたい。竜神様も大地もきっと微笑んでくれるでしょう。
(文:さくら・草五郎)