さいたま市観光ボランティアガイド 英語のガイド

岩槻地区

岩槻は、室町時代末頃に岩槻城が造られたといわれ、江戸時代には城下町として大いに栄えました。また、五街道の一つである日光街道の脇往還として将軍専用道であった、日光御成道の宿場町としても、その規模は最大でした。特に江戸から岩槻までが一日行程であったため、将軍一行は岩槻城に宿泊するのが通例となっていました。

また、寛文11年(1671年)に当時の城主阿部正春が造らせた「時の鐘」の音色は、九里離れた江戸の地まで聞こえたということであり、岩槻のシンボルとして、今も朝と夕に美しい響きで時を告げています。

さらに、全国一の生産高、出荷高を誇る地場産業の「人形産業」や、岩槻ならではの地元新鮮野菜等を使用した特産品の菓子類や、銘酒など、まさに「岩槻」は歴史に彩られた伝統や文化の薫るまちです。

浦和地区

浦和は、戦国時代末期から開かれていた浦和の六斎市跡、江戸から3つ目の中山道・宿場街の名残り、明治からの県都としての遺構、大正からの“浦和の画家”が通った横丁など、時代毎の史跡が残っております。

大宮地区

“大宮”は、2,000年以上の歴史をもつと言われる氷川神社の総本社“武蔵一宮氷川神社”の門前町として、江戸時代には中山道の宿場町“大宮宿”として栄えました。また、明治18年(1885年)には“大宮駅”が開業し、駅周辺にできた製糸工場が日本の近代化に大きく貢献しました。

さらに、世界的に有名な盆栽の聖地“盆栽村”は、関東大震災で被災した東京の盆栽師たちが大宮に移住してきたことにより誕生しました。平成22年(2010年)3月には世界で初めての公立盆栽美術館である“さいたま市大宮盆栽美術館”が開館し、さいたま市の伝統産業にも指定されている『BONSAI』の文化をひろく内外に発信しています。

与野地区

与野は、原始時代の貝塚や遺跡も多くあり、中世は鎌倉街道の要路にあたり、市場が開かれました。江戸時代は、天領・旗本領・寺社領からなり、羽根倉河岸(旧浦和市)などによる荒川の舟運もあって、市場町として、また甲州街道と奥州街道を結ぶ脇往還の宿駅として栄えました。

監修

さいたま商工会議所 街づくり・観光委員会

協力

岩槻観光ボランティアガイド会、観光ボランティア浦和ガイド会、大宮観光ボランティアガイド会、さいたま市、公益社団法人 さいたま観光国際協会

お問い合わせ

さいたま商工会議所 まちづくり支援課
TEL:048-641-0084 電子メール:matidukuri@saitamacci.or.jp

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